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シンデレラにはならない

作者: 江葉

想像力を膨らませてお読みください。



 カラカラカラ……。

 馬車の車輪の音と微かな振動に揺られながら、シャーリーは鞄をぎゅっと抱きしめ身を固くした。

 革張りの内装にクッションの利いた座席。見るものすべてがぴかぴかで、迂闊に触ったら汚してしまいそうな気がして身動きが取れなかった。


 シャーリー・ポッターは孤児だ。


 半年前、シャーリーの両親が事故で死んだ。

 貴族様の馬車が暴走し、母が馬に蹴られ、母を助けようとした父が馬車に轢かれたのだそうだ。シャーリーはその時家で留守番をしていて、一部始終を目撃していた人によればその御者はお前が悪いと捨て台詞を吐いて逃げてしまったという。


 両親は家族に結婚を反対されて駆け落ちしたため頼れる親族はおらず、近所の人に手伝ってもらってシャーリーが葬儀をあげた。


 シャーリーはまだ十四歳。事故の賠償金は出たが、一人で生きていくには厳しい年頃だ。

 学校には通っていなかったが両親に勉強を見てもらっていたので読み書きと計算くらいはできる。どこかで住み込みの仕事を見つけて一人で生きていこうとした矢先、父の兄だという人から使いが来た。


 曰く、父と母は実は貴族で、ずっと行方を捜していたが名前を変更していたため見つからなかった。事故のことがたまたま耳に入り調査したところ弟だと判明した。ついてはシャーリーを引き取りたい。そんな内容だった。


 胡散臭い話だと思ったし、なにを今さら、とも思った。父の机の抽斗から家紋入りの時計が見つからなければ無視していただろう。

 時計の中蓋には若かりし頃の両親の写真が貼ってあった。あきらかに身分の高そうなドレスとスーツ姿を着て、ロードとレディが名前に付いていた。その名前はシャーリーが知る両親の名前とは違っていた。


 こうしてシャーリーは父の兄、彼女にとって伯父にあたる人物――キャメル・グッドウィル・ボタニカ公爵に引き取られることが決まった。

 貴族の命令だ、シャーリーに拒否権などあるはずがなかった。


「……父ちゃん、母ちゃん」


 形見の時計を握りしめ、シャーリーは呟いた。

 一生乗ることのないと思っていたきらびやかな馬車に乗り、絶対に縁などないはずだった貴族のお城に住む。


 不安で胸が押しつぶされそうだった。


 金目当てだと思われたらどうしよう。引き取っただけで義理は果たした、と下女のような扱いをされたら。いや、住む場所と食べ物が保証されるならましかもしれない。

 もし、もしも――公爵家に泥を塗った男の娘だ、と人知れず殺されてしまったら?


「……うっ」


 そんなことになっても誰もシャーリーを気にしない。農家の小作人の娘など、どこでのたれ死んでも誰も気に留めないだろう。

 恐ろしい想像にシャーリーが涙を零した。

 その時、馬車が止まった。


「到着いたしました」


 御者が言い、逃げるなら今しかないとシャーリーが立ち上がろうとするより早く、外側からドアが開かれた。

 シャーリーが今着ている服よりはるかに仕立ての良い服を着た、執事らしき老人が出迎えに立っている。


「……ようこそ。お待ち申し上げておりました」


 シャーリーを見て一瞬息を飲んだ執事はにこやかにそう言って手を差し出してきた。

 どうしたらいいかわからず戸惑っているシャーリーに、もどかしげに「どうぞ、お手を」ともう一度差し出す。

 恐る恐る手を乗せる。と、思いの外強い力で摑まれた。


「バージル様によく似ておられます」

「え……?」


 誰? と思ったが、父の本名だ。パーシヴァルと名乗っていた父がバージルで、母はカミーユではなくカモミール。


 ああ、本当に。……本当に、父と母は住む世界の違う人だったのだ。

 実感が胸に迫り、シャーリーは急に自分が偽物になってしまった気分になる。今すぐ人違いだと叫んで帰りたかった。


 ここは、私のおうちじゃない。


 涙を堪えて馬車を降りれば、公爵家の使用人一同がズラリと並んで出迎えに立っていた。


「お帰りなさいませ! お嬢様!!」


 声を揃えて叫ばれ、涙が引っ込んだ。

 一糸乱れぬ動作で順々に頭を下げられる。一種の芸術のようなパフォーマンス性の高さだ。

 その中央を歩くのかとためらっていると、またもや執事に手を取られた。


「ボタニカ公爵家のものは皆、お帰りをお待ちしておりました。……先代様はお亡くなりになりましたが、最期までバージル様とカモミール様を案じておられました」

「結婚を反対されたって聞いたんですけど……」

「いいえ。ただ、哀しいすれ違いがあったのです」


 まず通されたのは、シャーリーのための部屋だった。


「こ、ここに住むんですか?」


 部屋といってもシャーリーたち一家が暮らしていた家より広い。

 しかし、中にはなにもなかった。


「はい。今はまだ何もありませんが」


 何もなさすぎである。

 ベッドはおろか、床にカーペットもなく壁は剥き出しのまま。綺麗に掃き清めてあるから大丈夫とでも言うのだろうか、せめて毛布は欲しい。

 やっぱり引き取られたのはお義理で、いない者扱いなのだ。

 胸が空虚になると同時に納得もした。


 だいたい、引き取るというのなら、これから家族になる人にまず挨拶をするものではないだろうか。それすらさせてくれないというのは、つまりそういうことなのだろう。


「しばらくの間は客間でお過ごしください」

「……はい。お世話になります」


 鞄を握りしめ、客間に案内される。

 そこは、シャーリーが一生かかっても買えないだろう調度品で溢れていた。

 ごゆっくり、と言って執事が出ていく。


 もはや自分がいることすらこのお屋敷を汚してしまいそうで、シャーリーは突っ立ったままソファに座ることもできずにいた。

 しばらくしてメイドがお茶を淹れに来てくれたが、カチコチになっているシャーリーに首をかしげただけで何も言われなかった。


 薫り高い紅茶に思わず喉が鳴る。朝早くに家を出てもう夕方だ。緊張と不安で朝から何も食べられなかったシャーリーの腹がぐうと主張する。

 これ絶対お高いお茶だし、カップも使おうものなら弁償させられるかもしれない。そう思うととても手が出せなかった。


 紅茶がすっかり冷め、シャーリーが逃げ出す算段をはじめた頃、にわかにドアの向こうが騒がしくなった。

 誰か来るのか、と身構えたシャーリーの前で、ドアが勢いよく開けられる。


「あらあら、あなたがシャーリー?」

「ふぅ~ん。この子が叔父様の娘なの~」


 入ってくるなりジロジロとシャーリーを観察しはじめた女性二人は、なんというか、派手だった。


「あ、あの……」


 一人は見事な金髪にくっきりとした目鼻立ちの美女だ。青のドレスに白と赤をところどころ取り入れて上品に見せている。豊満な胸とくびれた腰、丸く形の良い尻を隠そうともしないデザインを上手に着こなしていた。

 赤茶色の瞳がいかにも傲慢そうにシャーリーを見下している。目つきが鋭く、見定めようとするかのようだ。


 もう一人は濃い金髪におっとりした顔立ちの美少女だった。ピンク色のふわっとしたドレスに黒いレース、胸元にレースで作った蝶を着けている。小柄で守ってやりたくなる雰囲気とは裏腹に、濃茶色の瞳にはシャーリーを蔑む色があった。


「あら、誰が口をきいてもいいと言ったのかしら?」

「わたくしたちに~、声をかけられるのを待つのが常識よ~。だめね~、マナーがなっていないわ~」


 くすくすと意地悪そうに笑う美女に、シャーリーはきゅっと唇を噛んだ。


「わたくしはマートル。このボタニカ公爵家の長女よ」

「わたくしは~次女のローズマリーよ~。よろしくね~、シャーリー」


 この場合、こちらも自己紹介したほうがいいのだろうか。反射的に頭を下げたシャーリーは、マートルとローズマリーの苛立つ気配に慌てて口を開いた。


「シャーリー・ポッターです。あの、今日からお世話になります」

「ポッター?」


 音もさせずにドレスの裾をさばいてマートルが近づき、くい、と扇の先でシャーリーの顎を持ち上げた。


「ポッターなどという家名はなくてよ。ボタニカ。このナタナエル王国の筆頭公爵家を間違えるなどあってはなりません。よろしくて?」

「は、はい……」


 ポッターは父が勝手に名乗っているだけの姓だ。この国のどこにも、シャーリーの居場所はない。そう突きつけられた。


「いやですわ~。お姉様ったら、それくらいシャーリーだって~わかってるわよ~。ねえ~?」

「……はい」


 間延びした口調に有無をいわさない迫力がある。

 この人たちに逆らってはいけないのだ。シャーリーは諦め、肩から力が抜けた。

 ふふ、と笑ったローズマリーがシャーリーの顔を覗き込み、眉を寄せた。


「いやだ~、臭うわ~。わたくしの前にそんな汚らしい姿で~、よく顔を出せたわね~」


 扇で鼻を押さえたローズマリーがベルを鳴らしてメイドを呼んだ。


「そうよねえ、まったく。こんな服しか持っていないのかしら」


 やってきたメイドに風呂の用意を命じたローズマリーが、ポンと手を打った。


「そうだわ~。一緒に入りましょ~」

「えっ?」

「わたくし、ずっと妹が欲しかったの~。ねえ~、いいでしょう~?」

「え、いえ、でも」

「わたくしの石鹸と~シャンプーを貸してあげるわ~。その後はスキンケアしましょうね~」


 するりと腕を組まれ風呂場に引き摺られる。


「ちょっと、ずるいわよローズマリー!」

「言ったもの勝ちですわ~。行きましょ~シャーリー」


 マートルの抗議を軽く聞き流し、シャーリーは浴室に連れ込まれた。

 あれよあれよと服を脱がされ、湯をかけられる。

 同じく全裸になったローズマリーが嬉しそうに石鹸を手に取った。


「あら~? ずいぶんお肌が荒れてるわ~。それに~、貧相な体つきね~」


 スポンジに石鹸を付けて肌を擦るが中々泡立たない。それどころか擦った部分から垢が剝けた。


「きゃっ? なに~? シャーリー、あなた何日お風呂に入っていないの~?」

「あ……。一週間前に、その……」

「一週間も~? 信じられないわ~、汚くないの~?」

「……私の家にお風呂はありませんから。体を拭くので精一杯です」

「お風呂がないの~?」

「はい。私の家だけではありません。平民の家にお風呂なんてありません。公衆浴場に週に一度行ければ良いほうです」


 風呂は贅沢品だ。まず家の中に専用の部屋がなければならない。そこに陶器のバスタブ、清潔な水と、湯を沸かすボイラー。体を洗う石鹸だって必要だし、平民はシャンプー・リンスなど使わず石鹸で髪を洗っていた。それだけ金がかかるのだ。

 シャーリーはもはややけっぱちな気分でローズマリーに説明した。どうせ虐められるのなら対抗してやるのだ。意地を見せてやる。


「貧しいって~憐れね~」


 だが、ローズマリーには糠に釘だったようだ。しみじみ言われてしまった。

 思わずカッとなったシャーリーだが、次のローズマリーのセリフに毒気を抜かれた。


「平民って~。そんな暮らしをしてたのね~」


 知らないのだ、この人たちは。

 考えてみれば当然だ。シャーリーがお城の暮らしを想像できないように、お城に住む人たちは下々の暮らしぶりなど知らないだろう。おそらくは見たことも、想像すらしたことがないのだ。


「これからシャーリーは~公爵家の娘になるのよ~。身嗜みは~きっちりしなくちゃね~」


 ローズマリーは汚すぎて泡立たないシャーリーの肌や髪を鼻歌まじりに洗っている。その手付きは、あくまでやさしく丁寧だった。


「あの、ローズマリー様」

「いや~ん。シャーリーったら~、お姉様って呼んで~?」


 この状態でお姉様と言うと、なんだか別の意味に錯覚しそうになる。

 シャーリーは若干不謹慎なことを考えつつも素直に「お姉様」と呼んでみた。


「なぁに~? わたくしの可愛いシャーリー」

「ひぇ」


 獲って食われそうな声色に変な悲鳴が出てしまい、シャーリーは口を塞いだ。


「あ、あの、お風呂、ありがとうございます」

「あら~、いいのよシャーリー。わたくし~夢が叶って嬉しいわ~。お姉様も~お母様も~、人前で肌を晒すなってうるさいの~。でも~姉妹なんですもの~、良いじゃない、ねぇ~?」

「そう、ですね。公衆浴場は裸の付き合いが基本でした」

「いいわねぇ~。女同士でおしゃべりしながらって~、憧れてたの~。でも~、お友達とは無理でしょ~? シャーリーが来てくれて嬉しいわ~」


 満足いくまでシャーリーを磨き上げたローズマリーは湯船に浸かった。もちろんシャーリーも一緒だ。二人で向かい合って座っている。

 ローズマリーと比べると、自分のみすぼらしさが露わになった。引っかき傷や転んだ痕、虫刺されなどローズマリーには一つもない。どこもかしこもぴかぴかで、正真正銘のお姫様だ。


「…………」


 ほんの少しだけ上昇した気分がたちまち沈んでいった。

 風呂からあがって待ち構えていたのは、マートル率いるメイドたちだった。


「あら、少しは見られるようになったわね」


 ほほほ。マートルは扇で優雅に口元を隠して高笑いした。


「そうそう、あなたの荷を改めさせてもらいましたけど」

「えっ?」


 シャーリーとローズマリーは湯上りのローブ姿だ。

 ローズマリーはともかく、シャーリーはあの鞄の中の下着と服しかない。

 蒼ざめたシャーリーにマートルが勝ち誇って言った。


「我が公爵家の者にあのような布きれを着けさせるわけにはいきません。こちらで用意した物を着るように」

「えっ?」


 マートルが合図を送るとささっとメイドたちがシャーリーを取り囲んだ。衝立が立てられ、下着からドレスまでドサドサと持ち込まれる。


「ひええっ。あの、自分でっ、自分でできますのでっ!」

「さあさあお嬢様!」

「私どもにおまかせください!」

「サイズ測りますからちょっと動かないでくださいませ!」


 悲鳴をあげるシャーリーにかまうことなくメイドたちが下着を穿かせ、コルセットまで締められる。


「あ~ん。お姉様ずるいわ~。わたくしもシャーリーのドレスを選びたかったのに~」

「ほほほ。それこそ早い者勝ちよ、ローズマリー」


 衝立の向こうからはそんな姉妹のやりとりが聞こえてきた。


「あれって~お姉様のドレスでしょう~。シャーリーには~、もっと可愛らしいドレスが似合うわ~」

「あら、スレンダーなドレスのほうが似合ってよ。レースだのリボンだのに頼るようでは一流のレディとは言えないわね」

「お姉様はそればっかり~。好きなものを着て何が悪いの~」


 姉妹でも服の趣味が違いすぎて意見が合わないようだ。

 ドレスはマートルのお下がりのようで、サイズの合うものを探すのにメイドが苦労している。スレンダーといってもマートルの体形とシャーリーでは天と地ほどの差だった。

 ようやく着られるドレスを見つけて衝立の外に出られた。途端、マートルとローズマリーの視線が突き刺さる。


 真紅のAラインドレスには、金糸の蔓模様の刺繍が入って素晴らしくゴージャスだ。もっと落ち着いたものはないのかと思ったがサイズ的にこれが一番ぴったりだった。


「まあ、みっともないこと」

「そうね~。シャーリーには似合わないわ~」


 着替えさせておいてその言い草。自分でも似合わないとわかっているシャーリーは落ち込んだ。


「あれって~、お姉様が子供の頃に着ていたドレスよね~?」

「そうよ。十歳の時のドレスね。それにしてもここまで酷いとは思わなかったわ」


 見るのも汚らわしいとばかりに目を反らし、扇を広げて声を潜めつつ、しかししっかり聞こえる程度の音量で話をしている。


「夕餉にはお母様もいらっしゃるし、もう少しなんとかしたほうが良いわね」

「今から~? もう夜よ~?」

「せめてメイクはするべきね。あんなの見せたらお母様が怒るわ」

「そうね~」


 扇を閉じたマートルが扇でシャーリーを指した。


「あなたたち、シャーリーをお母様の前に出しても恥ずかしくないようになさい」


 着替えさせたメイドたちも二人と同じことを考えていたようで、力強く返事をした。


「お嬢様、次はメイクですわ」

「その前にフェイスマッサージしておきましょう!」

「御髪も整えましょうね!」


 それっとばかりにパウダールームに連れ込まれ、顔を揉みこまれ髪を引っ張られ、まるで別人の顔に化けさせられた。


「な、なんか私の顔じゃないんですけどっ」


 前と横の髪を後ろに引っ張って固定し、皮膚を持ち上げたせいで眉や目つきが鋭くなっている。おまけに気合いの入ったメイクで冷酷な美女の顔だ。

 はっきりいって別人である。


「大げさですわ」

「お嬢様の顔立ちはマートル様にもローズマリー様にも似ておりますもの」

「これでも薄化粧ですわよ」

「これくらいしないと、ドレスに負けてしまいますわ!」


 たしかに、すっぴんよりはマシになっている。

 しかし違和感が半端ない。顔の上にもう一枚皮を被せたような感じだ。


「奥様の前に出られるならやはりこれくらいはしておきませんと!!」


 ドドン! と1人が拳を握って断言した。他のメイドたちも神妙にうなずいている。

 あの姉妹を産み育てた母親。ある意味公爵本人よりも手強いラスボスだ。


 ごくり。


 シャーリーが緊張に喉を上下させた時、タイミング良くやってきた執事が夕餉の準備ができたと告げに来た。


 食堂には、すでにマートルとローズマリー、そしてラスボスならぬ公爵夫人が揃っていた。

 侍従に恭しく椅子を引かれ、ぎくしゃくしながら座る。


「揃ったね」


 低い声で夫人が言った。

 夫人がお祈りをはじめ、シャーリーは慌てて手を組んで目を閉じる。自己紹介はおろか、心の準備さえできていなかった。


 そんなシャーリーにかまうことなく夕餉がはじまり、料理が運び込まれる。シャーリーは見よう見まねでカトラリーを使い、緊張で味わう余裕のない豪勢な料理を食べた。


 家に居た頃とあまりにも違いすぎる。全員が無言で黙々と食べるしかない夕飯なんてはじめてだった。

 今日の出来事を語らったり、明日の予定を伝えたり、冗談を言って笑いあうこともない、味気ない食事。お腹は空いていたはずなのに食欲がまったく沸いてこなかった。

 ひたすら食べるだけの食事を済ませると、次はサロンで団欒らしい。

 落ち着いたカントリー風のサロンに、公爵夫人が一人掛けのソファ、マートルとローズマリーがいつものポジションらしいソファに並んで腰かけ、シャーリーは迷った末に姉妹と向かいにあったソファの端っこに座った。


「明日はシャーリーの部屋を調えるよ」


 メイドが紅茶を置いて退室したところで夫人が言った。

 公爵夫人の言葉は短く、決定事項だ。


 シャーリーの部屋というと、あの何もない部屋のことだろう。

 えっ、と顔を上げるシャーリーと、厳しい目をした公爵夫人の目が合った。びくっと肩を跳ねさせるシャーリーに微笑むこともなく、夫人は淡々と続ける。


「明日までに部屋のイメージを固めておきなさい」

「は、はいっ」


 いきなりすぎません? などと言えるはずもなく、シャーリーはただうなずいた。


「明日は学園がお休みだし、わたくしも一緒に行くわ」

「わたくしも~。素敵なお部屋にしましょうね~」


 澄まし顔のマートルと、大げさにはしゃぐローズマリー。夫人は満足そうに紅茶のカップを傾けた。


「…………」


 そろそろシャーリーは疑問に思いはじめた。


 もしかしてこの人たち、めっちゃ良い人なのでは?


 顔は怖いし言い方はきついが、やってることは親切だ。

 部屋がからっぽなのには驚いたが、これから住むのならシャーリーの趣味に合った部屋が良いし、この公爵夫人と食事をとるなら身綺麗にしておいたほうが余計な萎縮せずに済む。


 食事中無言だったのはもしや、口を開けばシャーリーのマナーのなさをガミガミ指摘しそうになったからではなかろうか。


 マートルとローズマリーは容赦なくこきおろしてきたが、ただ単に正直なだけともいえる。

 新品の下着があったということは、サイズもわからないのに用意しておいてくれたのだ。服だけはどうしようもなかったからお下がりになったのだろう。


 なにより、三人とも両親を悪く言ってこなかった。

 ポッター姓を否定したのだって、彼女たちにしてみれば家族から姓は捨てたと言われるのはショックだし、シャーリーを家族として迎えているから。


 公爵夫人が今日シャーリーに来るよう言ったのは、明日は学園が休みで、マートルとローズマリーがシャーリーといられるように配慮してくれたのだ。


 都合よく考えすぎかもしれない。甘い顔をしておいて、後で絶望させるつもりなのかもしれない。

 それでもシャーリーは、この人たちを信じたいと思った。


 夢でもいい。もう一度、家族ができるのなら。

 そう思えた。


 翌日、公爵夫人に連れていかれたのは、御用達だという家具の専門店だった。

 家具だけではなく壁紙から絨毯、ドアノブに至るまで家のことならなんでもお任せ。しかもそのどれもが職人の手による逸品ばかり。シャーリーは門構えを見てUターンしたくなった。


「あ、あの、奥様。私なんかそこらの中古品でかまいませんから……」


 今日のドレスはローズマリーのお下がりだ。といってもあまり袖を通していなかったらしく新品同様である。


「奥様?」


 ギラッと夫人の琥珀色の瞳が鋭く光った。


「お母様とお呼びなさい」

「い、いえ、でも……」

「お前はすでに公爵家の一員です。令嬢にふさわしい部屋を調えるのは当然のことですよ」

「……はあ」

「引き取った娘の部屋も用意しないなんて公爵家の面目に関わります。お前はわたくしに恥をかかせたいのかい?」

「と、とんでもありませんっ」

「なら、素直についておいで」

「……はいっ」


 つまりこれは「べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからねっ」ということだろう。迫力が凄すぎてわかりにくいが、そういうことだ。


「お母様~、シャーリー、何してるの~?」

「早くなさい、シャーリー。まったく、このわたくしが付き添ってあげているのよ?」

「あ、はい。お姉様、お母様!」


 思い切ってそう呼べば、三人は途端に笑顔になった。『ギラッ』だとか『ニタァ……』という擬音が聞こえてきそうだが、とにかく笑顔だ。


「この猫足チェスト~可愛いわ~」

「あら、こちらのほうがうつくしいわよ」


 自分のでもないのにきゃっきゃしている姉二人を、夫人が睥睨した。


「お前たち……何を言っているんだい」


 案内をしていた支配人がびくっと蒼ざめている。


「部屋を調える時はまず広い面から……絨毯と壁紙! 全体のイメージがそこで決まるのですよ!」

「さ、さすがお母様……っ」

「あ~ん、お母様怒らないで~」


 そこまでオーバーなことじゃないんじゃないかな。シャーリーはさりげなく一歩下がった。


「それに!!」


 カッ、と夫人が目を開いた。


「シャーリーの好みを聞くべきでしょう! お前たちの部屋ではないのよ!」


 正論である。

 ただし迫力が半端ない。

 そこまで威圧感を出す必要はないと思うし、支配人がめちゃくちゃ怯えているが、姉二人には夫人のこれは通常運転らしい。素直にしょげている。


「ごめんなさい~、お母様~」

「その通りですわね。はしたないことをいたしましたわ……」


 わかればよろしい、と夫人はうなずき、シャーリーを振り返った。


「なにを突っ立っているの。シャーリー、お前のことですよ。そんなふうにボサッとしていないで、シャンとなさい!」

「はいっ! お母様!」

「行きますよ、案内なさい」

「はいっ! 奥様!」


 支配人まで良いお返事だ。

 姉と母と話をしながら部屋を決める。三人とも真剣に考えてくれた。シャーリーが笑えば、嬉しそうにニタリと笑ってくれた。



 ◇



 早いもので、シャーリーがボタニカ公爵家に引き取られて一年が過ぎた。

 部屋はシャーリーの好きな白を基調にシンプルな家具を揃え、クッションなどの小物雑貨を青でまとめた、清潔感のある可愛らしいものに仕上がった。

 マートルとローズマリーが教えてくれるファッションやメイクのおかげでだいぶ垢ぬけてきている。

 同時進行で家庭教師がつけられ、淑女教育がはじめられた。


 一見スパルタでツンデレな母と姉二人の励ましもあり、シャーリーは無事に貴族が通う学園への入学を許された。


 ただし、一年が経っても伯父の公爵とは会えていない。


「お父様はいつもお仕事で忙しくしてらっしゃるわ。お帰りはほとんど深夜よ」

「そうよ~。お父様とはわたくしたちも滅多に会わないわ~」

「お前が気にすることじゃないよ」


 そう三人は言うが、会ってくれないのはやはりシャーリーに会いたくないからなのだろう。

 シャーリーの父は公爵家の顔に泥を塗ったのだ。駆け落ちなど、世間体を気にする公爵家には醜聞でしかなかったはずだ。


 他にも気になることがある。


 十五歳のシャーリーは一年生、ローズマリーは二年生、マートルは最終学年の三年生。学年こそ違うが、三人は同じ学園に通っている。

 その姉二人の評判がよろしくないのだ。

 というか、なぜかシャーリーが良すぎる。

 シャーリーはこの一年たしかに頑張った。早く公爵家に馴染むように、母と姉にも恥をかかせぬように。

 そしてなにより父と母の名を汚さないように。シャーリーの評判が公爵家、ひいては亡き両親に繋がると思えば頑張るに決まっている。

 自分のためだ。なのになぜか周囲は姉を悪役に、シャーリーを悲劇のヒロインにしたがった。


 その筆頭がこの国の第二王子、マートルの婚約者である。

 はじめのうちは姉の婚約者で王子様ということもあり、シャーリーは畏れ多いとかしこまっていた。


 しかし王子とその側近たちはどうにも気安く、シャーリーにマートルの悪口を吹き込み、シャーリーにも悪く言わせようとする。

 おまけに馴れ馴れしく手を繋いできたり肩を抱こうとしてきたりと、セクハラまでされるようになった。


 学年が違うため四六時中そばにいるわけではないが、一日に一度は会うし、会えば近寄ってくる。もはや恐怖だ。

 大好きな姉の悪口を言ってくる男など相手にしたくないが、その男は姉の婚約者なのだ。


「シャーリーは偉いな、一人で頑張って」

「お姉様とお母様がいてくれるからですわ」

「あんな姉にも感謝をするなんてシャーリーはやさしいね」

「お姉様は本当にやさしくしてくださいますもの」

「マートル様に意地悪されてないか? 力になってやるぞ」

「……そんなことはありませんわ」


 シャーリーが事あるごとにお姉様のおかげアピールしているのに、この王子様ときたら人の話を聞いていない。

 いや、聞いているのだろうが、どうも勝手に都合よく脳内で変換していそうだ。

 そもそも、姉との仲がこじれそうなのは、王子が原因である。

 こっちにちょっかい出す暇があるのなら、自分の婚約者をかまいに行けとシャーリーは言いたかった。


「なんなんですか、あの人! お姉様の婚約者じゃなかったら引っ叩いてやるのに!」

「あら、そこは「王子様じゃなかったら」ではないのね?」

「シャーリーったら~、過激ね~」


 もちろんシャーリーは王子の言動をマートルに報告している。自分一人で堪えていれば、と思ったが、どうにも我慢ができなくなったのだ。


「あれではまるでお姉様が悪役ですわ! お姉様ほど可愛らしい方はおりませんのに!」

「まあ、シャーリーったら正直だこと」


 ほほほ、とマートルは笑うが内心穏やかではないだろう。シャーリーは悔しくてならなかった。


「そんなに気にすることないわ~。しょせん政略結婚ですもの~。ねえ? お姉様~?」

「そうね。役目さえ果たしてくだされば別に自由にしてくださってかまわないわ」

「政略……結婚?」


 シャーリーが目を見開いた。

 歴史については学んでいたが、まさかマートルが政治の駒扱いされているとは思わなかった。


「マ、マートルお姉様はそれでいいんですか? お慕いしているお方はおりませんの?」

「いないわ。王子との婚約は五歳からですもの。どうしようもないことで、無駄な足掻きをするつもりはないの」

「そんな……」

「我が家は王家から分かれた、いわば親戚。王子の身柄を引き受けるにはうってつけというだけよ」


 公爵家を継ぐのはマートルで、王子ではないのが肝心だ。

 第一王子はまだ独身で、子供がいない。婚約者は隣国の王女で、王女が成人して結婚後に王太子として立つことが決まっている。

 第二王子は、あくまでスペアだ。


 第一王子に子供ができなかった場合、次の王太子は第二王子かその子供になる。迂闊に身分の低い女性と結婚されたら困るのだ。

 そしてボタニカ家が王家に忠誠を誓うことで、第二王子を擁立する意志がないことを示す。婿養子なのはそのためだ。


 第二王子が遊びたいというなら好きにすればいい。マートルはそう割り切っていた。他に女を作ってもいいし、その女と子を成すのも自由だ。

 ただし、その女と子供を公爵家に入れることはない。マートルが守ってやることもない。自由のツケは、王子が自分で払ってもらう。


「では、わたくしにお姉様の悪口を言うのは憂さ晴らしでしょうか?」

「あら~、シャーリーをお気に召したのかもしれないわよ~?」

「それはありません」


 シャーリーはきっぱりと首を振った。


「男が自分に気があるかどうかくらいはわかるつもりです。それにいくらなんでも婚約者の妹と、なんて不誠実すぎますわ。馬鹿にしています」


 マートルとローズマリーは目を細めた。

 シャーリーはこの一年でだいぶ貴族らしい振る舞いができるようになった。

 それでも、貴族らしいだけで、生粋の貴族とは言い難い。


 シャーリーは真っ直ぐすぎるのだ。

 素直に母と姉を慕い、素直に王子を嫌悪する。感情のわかりやすさはシャーリーの美点だが弱点でもあった。傷付きやすく、その分しぶとくもある。

 社交デビューは卒業後に予定しているが、素直なシャーリーが貴族社会で生きていけるかマートルとローズマリーは心配だった。何かとんでもないことをしでかして、爪弾きにされてしまわないように、家でも学校でもなるべくそばについている。


「王子のお考えも、婚約も、わたくしたちにどうこうできる問題ではないわ」

「そうよ~。そんなことより、もうじき叔父様とおば様のご命日でしょう~? お花の手配はした~?」

「はい。今年はちゃんと手配しました」


 去年の命日、シャーリーは花を買うことができなかった。

 墓参りの途中で買えばいいと気軽に思っていたが、公爵令嬢が馬車を降りて近所の花屋にちょいとお買い物、なんてできるはずがなかったのだ。

 事前に花屋に注文し、墓地のある教会まで使用人が持ってくる。支払いはもちろん経理担当がするのが貴族のやり方だ。


 去年は花が買えなかったことにパニックになったシャーリーを見かねて、侍従が花屋に走ることになった。シャーリーのそばを離れた侍従は注意を受けたし、シャーリーも公爵夫人に叱られた。


「……伯父、お父様にはお会いできるでしょうか……」


 シャーリーは公爵に会えない。

 ただ去年は両親の墓前に百合の花が供えられていた。ボタニカ公爵が来ていたのだ。


「さあ。どうかしらね?」

「お父様のことだから~、シャーリーのお顔が見られないんじゃないかしら~?」


 あいかわらずこの二人は冷たい顔で意地悪そうに笑う。

 今のを翻訳すると「父にも事情がある。会いたくないわけではないのよ」だろう。

 二人も事情を知らないか、シャーリーには教えられないことなのだ。


 なにか、ある。

 それが王子のことなのか、それとも別のことなのかは、シャーリーにはわからなかった。



 ◇



 王子のおかげで学園が憂鬱である。

 せっかくできた友人も王子に追い払われてしまうし、この人たちといても良いことなど一つもない。

 昼休みがぼっち飯にならないのは、マートルとローズマリーが誘いに来てくれるからだった。


「シャーリー、お昼にしましょう~」

「わたくしが迎えに来てあげたのよ、ぐずぐずしないの!」

「はい、お姉様!」


 なぜか気の毒そうな視線が向けられるが、今のは「早くしないとあのうるさい王子が来る」である。

 ほぼチャイムと同時に来た二人にまだ残っていた先生までびっくりしていた。

 実はこの二人の眼力に負けた先生が五分早く終わらせているのだが、そんなことはシャーリーも、当の本人たちも知らなかった。


「またか。マートル、いい加減にしろ!」

「あら、殿下。なんのことでしょう?」


 そこに走ってきたらしい王子と側近が現れた。

 ローズマリーがすかさずシャーリーを背中に隠す。


「お前たち姉妹のせいでシャーリーは友人と昼食をとることもできずに泣いているのだぞ!」

「まあ。殿下からそんなお言葉を聞くとは思いませんでしたわ」

「シャーリーが友人といると割り込んでくる人の言葉ではありませんわね~」


 つまり、お前が言うな。

 自覚があったのか「ぐぬっ」となった王子に代わり、側近が出てきた。たしか宰相の息子で侯爵家嫡男だ。


「それだけではありません。あなた方はいつもシャーリーに謝罪させているでしょう。何の非もないシャーリーを責めたてて楽しいのですか!」

「わざわざ三階の教室からこうして迎えに来ているのですよ? 誰のせいとは申しませんが、余計な手間をかけさせたのですからひと言あるべきでしょう」

「わたくしたちが~、友人よりシャーリーを優先していることを~、この子が勝手に謝っているだけよ~」


 お前らが来なけりゃシャーリーだって友人と昼食がとれるのだ。

 誰のせいとは言わないが、お前らが悪い。

 宰相の息子が黙り込み、王子のご友人枠の伯爵家令息が出てきた。


「あなた方の取り巻きがシャーリーを泣かせているのを見ました。自分たちは妹を可愛がるふりをして、取り巻きに苛めさせるとは最低ですね。見損ないましたよ!」

「取り巻きなんてわたくしにはおりませんわ。大切なお友達ならおりますが、彼女たちは自分の婚約者がシャーリーに近づきすぎていることを心配して声をかけてくださったのですよ」

「いきなり肩や腰を摑まれて~、シャーリー怖かったって泣いてましたわ~」


 その婚約者とは彼らのことである。

 嫌がるシャーリーにセクハラしていたことをばらされて、王子たちだけではなく教室中の顔色が変わった。

 悄然となったご友人枠がうなだれ、騎士団長の息子が出てきた。


「あくまでも非を認めないつもりか! 貴様、シャーリーを階段から突き落としただろう! 泣いているのを見たのだぞ!!」

「大声で威嚇すれば怯むとでも思ってらっしゃるの? 下品だこと。……あの日のことは覚えていますわ」

「ふ、ふん! 認めたな!」

「なんでもしつこく後を追いかけられて逃げていたのだとか。わたくしたちもシャーリーを探していたのですが、いきなり階段から落ちてきて、それはそれは驚きましたのよ」

「か弱い婦女子を追いかけていた慮外者の顔は見えませんでしたが~、男の人が四人もいましたわ~。シャーリーはよほど怖かったのか~、わたくしたちの胸に縋って大泣きして大変でしたのよ~」

「足を挫いて一週間も学園を休むことになりましたわ。学園にも通報したのですが、集団で一人の少女を襲おうとした犯人はわからずじまいですの。何かご存知ありませんこと?」


 四人の男。

 教室中の視線が四人に突き刺さった。


「し、しし知らん! そ、そんな奴放っておけ!」

「あら。正義感の強い騎士様らしからぬお言葉ですわね」


 お前らだろ。

 しらーっとした目が蒼い顔で冷や汗をかいている王子と側近を睨みつけていた。


 ちなみにここまでシャーリーは反論しようとしてローズマリーに止められている。

 大好きな姉にあらぬ言いがかりをつける王子と側近に、怒りのあまり涙が滲んできた。

 それを見た王子が、ここぞとばかりに叫んだ。


「はっ! 何を言おうとお前たちのせいでシャーリーが泣いているのは事実だ! ローズマリーに止められて何も言えず、泣いているではないか! かわいそうなシャーリーを苛める悪女め!!」


 ぷつん、と我慢の糸が切れた。


「いい加減にしてください!!」


 シャーリーの叫びにマートルとローズマリーが慌てて彼女を宥めようとした。


「シャーリー、落ち着いて」

「ダメよ~、シャーリー」

「いいえ、もう黙っていられません! お姉様をコケにされて許せるものですか!」


 王子と側近が目を丸くした。


「たしかにお姉様は誤解されやすい顔をしていますけど、本当はすごく可愛い人です!」

「誤解されやすい顔!?」

「ひどいわ~シャーリー」


「嘘を吐きたくないあまりに遠回しにしすぎて逆に嫌味にしか聞こえなかったり!」

「えっ、そんな風に聞こえていたの?」

「そんな~気にしすぎよ~」


「笑ってるつもりが脅迫にしか見えなかったりしますがちゃんと話を聞けばこちらを思いやっているのがわかります!!」

「そ、そんなに怖いの?」

「脅迫なんてしてないわ~」


 シャーリーは叫んだ。


「お姉様は私をかわいそうな子になんかしなかった! 私はかわいそうなんかじゃねえんだよこのクソ王子が! テメェなんかに姉ちゃんはもったいねえ! そこのオトモダチ共々母ちゃんの腹から出直してバブってろ!!」

「シャーリー! 言葉が戻ってるわよ!」

「あ~ん。シャーリー止まって~」


 無理だった。


「なぁ~にが「かわいそうなシャーリー」だ、こちとらテメェに憐れまれるようなことねーんだよ! ぺっ! そんな童貞くせーこと言ってっから女にモテねえんだ! せいぜい母ちゃんのオッパイでも吸ってな!! 生まれてきてごめんなちゃ~いってな!!」


 あまりの罵倒にマートルが崩れ落ち、ローズマリーは速やかに気絶した。

 王子たちはもはや真っ白になっていたが、騒ぎを聞きつけてやってきた学園長に回収されていった。



 ◇



 両親の墓に、シャーリーは白い百合の花束を供えた。


「……お父様、お母様。シャーリーは愛する家族を得て幸せですわ」


 去年、シャーリーは姉二人の前で素のままで話しかけてしまった。

 その言葉使いに驚き、家庭教師もまず言葉の矯正から入ったほどである。うっかりでも発してしまったら、その後どんなに取り繕っても無駄になってしまう。

 言葉使いだけではなく発音、発声でも出自がわかってしまうのだ。


 マートルとローズマリーはこの妹が社交界で馬鹿にされないよう、学校でも細心の注意を払っていた。


「マートルお姉様は、わたくしの言葉や立ち居振る舞いがレディらしくなるように教えてくれます」


 マートルがバージルの墓前で一礼した。


「ローズマリーお姉様は、レディにふさわしい趣向を教えてくれますわ」


 ローズマリーがカモミールの墓前で一礼した。


「ネトルお母様は、社交界や公爵家のことなどを教えてくれます」

「ごきげんよう、バージル、カモミール」


 公爵夫人がきつい眼差しで墓を一瞥して礼をした。


「残念ながら、伯父様にはまだお会いできません……」


 そこで、ほろりと涙が零れた。

 マートルとローズマリーがそっとシャーリーの肩を抱く。

 公爵夫人が何を言いかけた時、教会に馬車が止まった。

 馬車から降りてきた人物にシャーリーの目が見開かれる。


 ズウゥ……ン……


 重々しい足音が聞こえそうな体勢で一歩一歩近づいてくるその人は、金の髪と明るい栗色の瞳こそ父に似ているが、なんというか雰囲気がすごく違う。

 バックに砂煙と『ゴゴゴゴゴゴ』と擬音を背負ってそうな――ボタニカ公爵。

 真打ち登場だ。

 手に持った百合の花束が、今にも血まみれで散りそうだった。


「……シャーリー」

「……はい」


 ようやく会えた公爵はしばらくじっとシャーリーを見つめていたが、やがておもむろに彼女を抱きしめた。

「ぬぅん!」と、おそらく涙を堪えた声と共に自分が四散霧消しそうな錯覚を覚え、シャーリーは感動ではないもので体を震わせる。


「儂のせいで苦労をかけた。バージルにもカモミールにも申し訳が立たぬ」

「いいえ。伯父様のせいではありません」


 推測だが、この独特な雰囲気のせいで誤解が発生したのだろう。そういう意味では公爵のせいだが、同じ家で育っておきながら理解できずに駆け落ちした父も悪いのだ。

 しかし公爵は顔を歪めて首を振った。


「いや、儂が悪いのだ……」

「あなただけのせいではないわ。わたくしが余計なことさえ言わなければ」


 夫人が夫に寄り添った。


「あれは、そう、二十年ほど前になろうか……。そなたの父バージルとカモミールが出会ったのは……」


 公爵家次男と子爵令嬢のカモミールは学園で出会い、恋に落ちたという。

 かたや公爵家とはいえ次男のバージル。かたや下位貴族の令嬢カモミール。両者ともに婚約者はなく、二人は当然のように結婚を望むようになった。

 当時公爵と夫人は最高学年。政略的な意味合いの強い婚約だったが二人は仲睦まじく、卒業後に結婚を予定していた。


「公爵家と子爵家では、背負うものが違います。公爵家に嫁ぐからにはきちんとした教育を受けないと、社交界では馬鹿にされてしまう」


 この場合の教育とは、学園で学ぶものとは違う、貴族夫人としてのそれだ。高位貴族の集まる社交界でカモミールが浮いてしまわないように、ネトルが自らカモミールに指導した。


「バージルも、下位貴族の令嬢を娶るからには彼女の家や、社交界での根回しが必要になる。それを教えたつもりだった」


 反対していたわけではない。

 だが、公爵も夫人も、顔が怖かった。


 「そんなことで公爵家の妻が務まるものですか」「お前の言葉一つでカモミールを守れもし、傷つけもするのだぞ」という、事実でしかない言葉の数々は、ただでさえ身分差で外野にあれこれ言われていたバージルとカモミールを追い詰めるには充分だった。


「そして運命の卒業式……」

「わたくしたちは二人に秘密で結婚式の準備をしていたのです」


 あれだけ厳しかった公爵と夫人が何も言わなくなり、友人たちも妙によそよそしく挙動不審。

 バージルとカモミールは、これは油断させておいて別の相手と結婚させられる罠と思い込み、卒業式の最中で駆け落ちを決行してしまったのだ。


「…………」


 やっぱり誤解と勘違いだった。

 シャーリーはこの一家の顔面の迫力に心底同情した。父と母にも思い込む前に人に聞けと言いたくなった。


 肝心の花嫁と花婿が駆け落ちなんて、前代未聞の珍事件だ。


「貴族の二人が誰にも頼らずに生きていけるはずがないと、方々手を尽くして探したが一向に見つからず、これは外国に行ったのかと半ばあきらめておった」

「あるいは二人してどこかで……とも覚悟していたのです」


 すみません。うちの両親、本当に何もできなかったので農家の雇われでなんとか食いつないでました。

 シャーリーは穴があったら入りたくなった。


 そんな珍事件、そりゃあ国内で騒ぎになっただろうし、二人もさすがに誤解だったとわかっただろう。

 かといって「ごっめーん!」で今さらのこのこ出ていくわけにもいかず、にっちもさっちもいかなくなった。そこまでいったら友人にも頼れない、恥ずかしくて。あちこちで自分の名前が囁かれていたら、偽名を名乗りもするだろう。


 そもそも二人が食べていくだけでやっとの経済状況で、シャーリーを生んだことからもわかる計画性のなさだ。

 ご近所のみなさんのご厚意がなかったら、とっくに飢え死にしていたか、一家離散まっしぐらだっただろう。


 ボタニカ公爵一家に似なくて良かったと思うと同時に、もう少しこの人たちの思慮深さを見習ってくれと思う。

 顔を覆ったままあげられないシャーリーが周囲の人々のやさしさがあったことを告げると、「うむ」とうなずいた公爵がなぜかパキポキと指を鳴らした。


「平民はロクに風呂にも入れぬとそなたから聞いたローズマリーが訴えてきよった。この一年改革に勤しんでやったわ。久々にやりがいのある仕事であったぞ!!」


 そんなことしてたから会う時間がなかったのか。

 やりがいって『殺りがい』とか『闘りがい』とかじゃないよな、とバックに爆発背負った公爵に気が遠くなりかける。


「が、しかし!!」


 くわっと目を見開いた公爵は拳を突きだした。目が光り、握りしめた拳から血が飛び出ていそうな迫力。


「バージルとカモミールを襲った事故……。賠償金が払われたとはいえあまりに不審! 儂は何か裏があると思い、密かに探ってみたのよ!」

「えっ」


 シャーリーの両親が死んだ事故は、貴族の馬車の馬が興奮して暴走し、轢かれたからだと聞いている。


「ああ、シャーリー! 落ち着いて聞いてね!」


 夫人がシャーリーを抱きしめた。


「犯人は捕まっておらず、馬は処分され馬車も解体されておった……。我が弟、儂らの愛するバージルを殺しておきながら! なぜだ!?」


 坊やだからさ。どこからか声が聞こえてきそうである。

 公爵は滂沱の涙を流しながら叫んだ。


「あの第二王子のお忍びだったのだ!! あの時、王子は自分で運転したいと止める御者を押しのけ自ら手綱を握っておった……。バージルを、カモミールを殺したのは第二王子よ!!」


 ズガァァン!!

 公爵の背景には雷鳴が轟いていた。

 まさかの事実に固まるシャーリーを、夫人がますますきつく抱きしめた。


「お父様! では、王子がシャーリーに近づいたのは……!」

「シャーリーが真犯人に気づいているのか探るためですの~?」


 それ最終的に殺されるパターン。

 気に入られたとか惚れた腫れたではないと思っていたが、そうくるとは思わず、シャーリーは蒼ざめて震えだした。

『美人三姉妹殺人事件~貴族学園に潜む闇と愛憎~』なんて、名探偵が出てくるやつだ。


「いや、上手く王子と結婚させてうやむやにし、万が一ばれても許してもらえるようにしたかっただけと言いおった」


 どっちにしろ最悪である。

 しかしなんだろう。相手は王子だし真実を暴かれた今、公爵家にも危機が迫っているはずなのに、揺るぎない安心感がある。


「よく……王子が正直に話しましたね?」

「フッ。先日ようやく件の御者を見つけてな。王子の前に突き出し命までは取らぬと言ったらあっさりと吐いたわ!!」


 シャーリーはちょっぴりホッとした。公爵のことだから本当に命「だけ」は取っていないだろう。立ち直れなくなるくらいのことはされてるかもしれないが、死ななきゃ安い。


「王も話し合いに応じ、第二王子の処分を決定なされた! シャーリーよ、もはやそなたは安全であるぞ!!」


 話し合い、と言いながら拳同士をぶつけて『ズゥン』と音がしている。どんな話し合いがなされたか、シャーリーは想像しようとして止めた。男同士の話し合いだ、きっと肉体言語も大いに駆使されたのだろう。拳から煙が出ていそうだし。


 公爵はまだドバドバ涙を流している。

 だから、シャーリーは微笑んだ。


「ありがとうございます。伯父様、いえ、お父様。きっと父も母も、わたくしたちが和解し、そして犯人を突き止めてくださったこと、感謝していることと思います」


 そしてできれば反省していてほしい。早とちりにもほどがある。

 バージルとカモミールは軽率だったが、まあ、しかし。この顔と言葉と態度と迫力で色々やられたら、病むし逃げ出したくもなるのもわかる。シャーリーは早期にツンデレに気づいたが、気づかなかったら王子の思い通りになっていただろう。


「シャァァリィィィイ!!」


 ズアァッと両腕を広げた公爵にガッシィィッと抱きしめられるのは、痛くなくても恐ろしい。

 マートルとローズマリー、ネトルで免疫がついたと思ったが甘かった。さすが公爵、格が違う。


「わたくしをかわいそうな子にしないでくれて、ありがとうございます」


 この人たちは一度もシャーリーをかわいそうな子扱いしなかったのだ。

 いつだって、自分にできることを考え、愛をもって接してくれた。強さとやさしさを教えてくれた。


 シャーリーには王子様も、魔法使いも必要ない。

 自分の足で立って幸福を探しに行けるのだ。




シャーリー:私はかわいそうな子じゃない!! と主張した。顔は怖いけどめっちゃいい人な家族に囲まれて幸せに暮らす。


ボタニカ公爵家:なぜかこの一家だけ劇画。いちいち言動が怖い。良い人揃いだがなぜか誤解される。


第二王子と側近:命まではとられなかった。婚約はもちろん破棄。公爵家次男を死なせた罪は重く、生涯幽閉されて終わる。側近は王子を止められなかったので連帯責任。


国王:指ぽきぽきされながらお話()された。ぴえん。


教室の生徒+教師:「うぬらは何も見ておらぬ! 良いな!?」と説得()された。なにもなかったことにしました。王子様と側近なんか来ていないし、仲良し三姉妹に和んでました!



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― 新着の感想 ―
脳内の伯父様/お父様のヴィジュアルがラ◯ウ(by北◯の拳)で固定されてしまってどうしよう。。
[良い点] 内容がとても濃くて練られていて面白かったです。 特に公爵家の方たちが手厚く主人公に関わるための理由づけに、「外面を気にする」という要素があるところが貴族らしくて好きです。
[良い点] わかりません。 [気になる点] いびってこない義母と義姉のパクり あちらのtwitter初掲載は2020年9月4日でこちらより先です。 [一言] おつじ様に謝罪と取り下げをされるべきでは…
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