自分以外あいつを好きになるやつなんていないはずと思っていた
王立学園。そこは貴族の徒弟たちが学問のみならず、多くの同年代と交流することを目的として設立された教育機関である。
そこには王家および公爵家などの高位貴族も在籍している。
卒業パーティーでは国王自らが顔を見せ、将来の王国を担う若き人材の門出を祝福する。
出席者は将来を誓った婚約者を伴い、その栄誉を賜るのが通例であった。
そして、その前日―――
学園の裏手にひっそりと木陰をつくる四阿に一人の男がやってきた。
彼こそはこの王国を両肩に背負う王太子であった。王国式典では老齢の王の代理を務め、堂々たる姿を国民に示してきた。
優雅さと力強さを周囲に示してきた彼であったが、ふぅと物憂げなため息をもらす。明日別れを告げる校舎へと仰ぎ見る。
通り抜けた風が金色の巻き毛を揺らし、憂いを帯びた翡翠の瞳を隠す。その瞳は手元でいじっている指輪に視線を落としていた。
代々王家に伝わる婚約者に送る指輪を握り締めそわそわと落ち着きがない様子は、まるで恋する少年のようであった。
そこへ足音が聞こえると待ちかねたように振り替える。喜色を浮かべた表情は、すぐに落胆へと変化する。
「……なんだ、おまえか」
指輪をさっと懐のポケットに隠す。
王太子が気安い調子で声をかけたのは、幼い頃からの友人である男であった。
「なんだ、とは失礼ですね。殿下」
彼もまた将来の国の中枢を担う一人であった。代々宰相を担う侯爵家の長男であり、その名に恥じぬ明晰さを幼い頃から見せ付けた神童であった。
眼鏡の奥の切れ長の瞳を細め、王太子をじっと見る。
王太子に対してその態度は失礼と言えるものであったが、二人の関係ではこれが通常であった。しかし、その視線には若干の険が含まれている。
両者が思っていることは一つ―――『はやくどっかいってくれないかな』
そこにさらにもう一人の人物が追加される。
「む、殿下に宰相の息子殿も一緒か。このようなところで奇遇でありますな」
やけに硬い口調で話しかけるのは、その口調どうように謹厳実直を形にしたような堅苦しい男であった。
彼は騎士団長の長男。多くの将兵を束ね指揮する父を目指し、自らに厳しく鍛え続けてきた。
二人はまた邪魔者が増えたと顔を険しくするが、騎士団長の息子はむっつりと巌のように黙り込む。
「あれれー、どうして三人がこんなところにー」
軽薄な声を上げたのは、小柄でふわふわしたハチミツ色の髪を揺らす男であった。ドレスを着せれば女性として通じそうなほど整った顔立ちをしている。
彼もまた王国の要となる教会の教皇の孫である。
王国に広く親しまれる教会は、同じ土地にもう一つの国があるといっても過言ではないほど民衆に信仰されている。王国にとっても教会なくして民衆の統治は難しく、その存在を軽視することはできない。
学園の片隅のほとんど誰も足をのばすことのない四阿に、将来の国を担う4人が揃った。
通常の生徒であれば、学園自慢のガラス張りのテラスでお茶を飲みながら談笑を楽しむ。
しかし、その場にただよう空気は不穏そのものであった。
4人はそれぞれ『こいつらなんでここにいるんだ』と思いながら視線を交わしていた。
「ときに、明日は卒業パーティーだそうですね。明日のためにも婚約者とお過ごしになったほうがよろしいのではないのですか?」
最初に口に切ったのは宰相家跡取りであった。
その言葉を受けて、残りの3人はピクリと眉を上げる。当然、その反応は予想通りのものであり、やれやれと肩をすくめて首を横に振る。
「殿下、あなたもいいかげん婚約者をお決めになってください。父上もそろそろしびれを切らしそうですよ」
「……それならば問題はない、余の伴侶となるべきものは決めている。彼女ならば国の将来を担うに値する人物だ」
「え~、本当ですか~。殿下。頑なに婚約者を決めようとせずにいたのに、それはどんな相手なんでしょうか~?」
宰相家跡取りの尻馬に乗っかるのは教皇の孫であった。にこにこと邪気のない幼子のような笑みをうかべながら、王太子の返事を待つ。
「婚約者とは己を飾るための宝石ではない。生涯を共にし、同じ目標に向かっていく戦友である。軽々しく話すものではなかろう」
「貴公……、そのとおりだな。知りたければ明日の卒業パーティーで同席するのであるから、ここで口にする必要はあるまい」
「それもそうですね」
4人は口にしないが、自らの婚約者を見せるときを思うと気分が高揚してしまうのであった。
そして、4人はここでいつも会話を交わしたその人を待って油断無く視線を交わした。
この四人、婚約者はいまだいない。
生徒は入学前に婚約を交わしたものが多い。さらには、この学園において良き関係を築けたものといった感じで、ほとんどの生徒は自らの伴侶を見つけている。
しかし、何事にも例外はある。
その例外とは四人と、もう一人。
「……お嬢様、明日の卒業パーティーはどうなさるおつもりですか」
「ドレスの準備なら問題ないわよ。なんだか最近のあなたってば、婆やに似てきたわね」
夕陽が差し込むベッドの上で、薄着の令嬢が寝そべり完全にリラックスしていた。他人に見せられない彼女の姿にため息をもらすのは、蝶ネクタイで首下を締めた執事服の使用人であった。
「そうではなく、会場であなたの隣に立つ人間です。まさかお一人で会場に出向き、壁の花になるつもりではないですよね」
「婚約者ならいないわよ、あなただって知ってるでしょ?」
あっけらかんと答える令嬢に使用人は頭を抱える。
思い出すのはこれまでのやりとり。いい人はできたのかと聞くと「大丈夫よ、もう見つけてあるから」と返事を口にする。
王国の端に位置する男爵家、肥沃な大地を有し農業や牧畜を営むのどかな風景が続いている領地であった。
そんな田舎であったので、領主である男爵は他の貴族とのつながりを求めて娘を王都の学園へと送り出したのだった。
「仕方ないでしょ。わたしのことを指差して田舎者と馬鹿にする相手と仲良くなれるわけないでしょ」
「それは……お付きの使用人に男の私を連れてきているからでしょう。普通でしたら、使用人は女性にすべきです」
「使用人は畑から取れないからね。あんたも知っているでしょう。うちの屋敷の使用人で自由に動けるのがあんただけだったんだから」
男爵家令嬢は学園に来てから一週間で諦めて、初めて来た王都での生活を楽しむことにした。社交界デビューなどしたこともない彼女は、おおいに学園の雰囲気を壊していった。
しかし蓼食う虫も好き好き。そんな彼女に寄っていく人間もいた。特別入学を許された平民出身者や、彼女と同じような下位貴族たちはその奔放さに安らぎを感じていた。
「あの4人はどうなのですか? 特に親しくしていらしたようですが」
王太子、宰相令息、騎士団長令息、教皇の孫、どれをとってもこの学園でなければつながりのない人物ばかりであった。
「バカいわないで。あんなのはかわいそうな野良猫にエサを与えているようなものでしょ。まあ、あの方々とつながりができたのはお父様へのいい土産にはなったでしょう」
令嬢のいうことに使用人は反論もできず、渋い顔をすることしかできなかった。
「……もうわかりました。お嬢様はきれいなドレスで着飾って壁の花として咲いていてください」
「なにいってるのよ。言ったでしょ『相手は決めている』って」
使用人はまさかと予想外のことに顔を明るくする。
「それは誰でしょうか? 家格などこの際はどうでもいいです。そのような相手がいただけで十分です」
令嬢の細い指先が、その顔に向けられた。
「あんたよ」
「……は?」
使用人は思わず素の反応を示す。
令嬢が体を起こすと、さらりと髪が背中に流れる。その視線はぶれることなく、使用人の顔に向けられたままである。
「あのな、冗談はほどほどにしておけ」
「本気だけど……?」
「おかしいだろ! オレは平民、おまえは貴族、男爵家令嬢!」
「おかしくないでしょ。お母様も村長の息子と結婚したわけだし」
彼女の男爵家はいわゆる女家系であった。
生まれる子供は女児ばかりであり、現当主も入り婿である。
「そうだけど……、そうじゃない……。というか、そんなことを旦那様に言ってみろ、オレが殺される!」
「わたしとしては、この学園にいる間にあんたが手を出してくると思ったんだけどなぁ。お母様も男はみんな狼だって言ってたのに、何にもしてこなくて困ったわ。どうやらあなたは羊だったみたいね」
肌着姿の令嬢の着替えを手伝わされ、寝る前は彼の前で薄い夜着をさらしていた。
「おまえの裸なんて見慣れているからな……」
思い出の中で幼い令嬢と一緒に川遊びをしたことを思い出す。使用人の息子として生まれ、小さい頃は幼馴染の友人として、物心つくとお嬢様付の使用人として一緒に過ごしてきた。
「だから、卒業パーティー前までずれ込んだのはあんたのせいよ!」
「えぇ……」
「お父様も既成事実を作れば認めるはずよ」
既成事実と口にした少女はベッドの上で手を突きながら上目遣いをする。
「明日の卒業パーティーで同席すれば、あんたが婚約者だって国王陛下から認められたようなものよ!」
男爵令嬢という少女についてはっきりとわかったことがある。
こいつは頭がいい。国中のエリートが集まる学園においても良い成績を収めている。
なにより計算高く、無駄を嫌う性格だ。
しかして、こと恋愛方面に関しては、その才能はゼロであった。まったくのゼロだ。まるで初めて剣をもった子供ががむしゃらに突撃するように、まっすぐに何も考えずにつっこんでいく。
自分の持ちえる手札をすべて開示し、相手に決断を迫る。それはまるで脅迫のようである。
好きとか恋だとかという微妙な心情のやりとりにおいて、それでいいのかと問いただしたい。情緒とかムードとかそんなものなんて全部おきざりにされて、彼女のおもうがままである。
そんな迫り方をしたら、間違いなく相手は引くだろう。恋愛経験のほとんどないオレにだってそれぐらいはわかる。
しかし―――
少年にとって、少女は手の届かない憧れの存在であった。せめて、どんな相手を選ぶのか、そいつが問題ない男であるのか見届けてやろうと思っていた。
手をのばせばほしかったものが手にはいる。少年は覚悟を決めた。
「……わかった」
使用人の少年はうなずきながら、これからのことを思うと気が重くなった。最初に乗り越えるべき難関も明日にせまっている。
「そんな暗い顔しないの。上手くいくようにおまじないしてあげるから。パーティーに行く前に既成事実をもう一つ作っておきましょう」
そういって、彼女が顔をそっと近づける。少年もおずおずと彼女の肩に手を置き、緊張しながらお互いに視線を合わせる。
やがて、夕陽に照らされた二人の影がそっと重なった。
卒業式典が終わり、格式ばった雰囲気から一転して砕けた調子で卒業パーティーが始まった。
楽団が音楽を奏でる中で、着飾った令嬢のドレスと令息の礼服が交じり合う。
使用人と男爵家令嬢もその輪の中に入っていた。驚く視線や暖かに見守るものなどの視線にさらされながら、二人はなれない様子でダンスのステップを踏む。
そして、壁際には4人の男が『どうしてこうなった』とばかりに暗い顔を並べていた。
「…………」
その視線の先には男爵令嬢と使用人の二人がいる。
「まさか、と思うが貴殿らもそうなのか……?」
王太子からの質問に返事はない。しかし、その沈黙が如実に物語っていた。
思い出すのは人気のない四阿で二人きりで語り合った時間。
使用人も他の生徒もいない場所で大きなため息をついたところを聞かれた。そして、彼女の奔放さに触れていく内に肩にのしかかっていた重責が軽くなった。
誰とも分かり合えない、他人の凡庸さに辟易していた。彼女の行動の奇抜さが自分の想像を超えるたびに面白いと思うようになった。
剣ばかりを振るう日々を送っていた。女性との関わり方がわからないと素直に口にだすと、じゃあ自分と練習してみようと付き合ってくれた。
祖父の七光りと陰口を叩かれそれを隠すために明るく振舞っていた。笑顔が空っぽだといわれ、口げんかになりいつのまにかなんでも話せる仲になっていた。
「「「「はぁ…………」」」」
重なる4つのためいき。振られた男同士奇妙な連帯感を持ち、そっとパーティーを抜けるといつもの四阿で遅くまで語り合った。
後に、戴冠した王太子は民を思いやる慈悲深い賢王として民と親しまれ、国をおおいに栄えさせた。その影には三人の友人とのつながりがあったという。