第一章 6 「死」
何が嫌かって、プラのごみ捨て場が家から恐ろしく遠いということだ。
長い里道を通り、一軒家を四件通り越して左折、坂を下りて左折、また更に坂を数十メートル下りた先の空き地にある。
その間に一つくらい設置してくれてもいいのではないか?
皿洗いを押し付けられたのも相俟って、美花の低い心の堤防は不快感の波で決壊寸前だ。
(いや、もういいじゃないか。潔くないぞ、美花)
のんびりと歩きながら、澄んだ朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。
こんな時間帯に外に出ることは滅多にないから、見方を変えれば良い散歩になる。
辺りはまだ薄暗い。ライトを点けて走っている車が何台も見られた。
最後の曲がり角を左折し、空き地を目指す。
いきなり吹いた突風に街路樹が唸った。
手入れされていない藪からトカゲが走ってくる。
踏み潰さないように避けながら、視線を前にやると、せかせかと忙しそうに歩いてくるサラリーマンが居た。
(免許持ってないのかな。朝早くに歩いて出勤か、大変だな)
心の中で労いの言葉をかけて、美花は車道側へ避けた。
足元に、さっきのトカゲが居た。
「げっ」
同時に、右足に走る激痛。
足をくねったのだろうか。体が右側へ倒れる。左足で支えようと思ったが、置いた場所に地面はない。
段差だ。
車道と歩道の間にある、段差だ。
サラリーマンを避けたときに車道側へ寄ったのが、……運の尽きだった。
__さぁ、どうしようか。
つかむ街路樹も電信柱もなければ、プラゴミを放り出す余裕もない。右側に放り出したならそれはそれで事故を起こしてしまうだろう。だからといって左へ放り出す余裕などない。
__死ぬ。死ぬ。死ぬ!
もう手遅れだと察した瞬間、美花の視線は勝手に空を仰いだ。
青空とも言えない。
朝日の神々しい光と夜の空が混じりあって、複雑な色。
景色が逆さまになり、耳をつんざくブレーキの音が右から左から鳴り響く。
考えている余地はない。
そして、痛い。
全身に鈍痛が伝わる。
手が、足が、動くことをだんだんと忘れていく。
断末魔をあげる暇もない。
喉が血液の逆流によって塞がれる。
頭が何かに当たる。
何か固いものに当たる。
割れるような衝撃が全身を駆け巡っては、見えない鎖に羽交い締めにされるように感覚が失われていく。
脳内が、色が抜け落ちたように空っぽになる。
最後に見えた景色は、北風運輸(株)と書かれたトラックが飄々と去る姿。
__すげぇダセェ。
こんな最後、カッコ悪すぎだろ。
頭の中でそう呟いて、じんわりと暖かく流れ出る液体の中に美花はだらしなく手の甲を垂らした。
平凡だが色とりどりで美しかった、短い人生の走馬灯が、彼女の脳内を掻き回していく。
(二人の分まで三倍長く生きる、なんて言ってたのに、こんなあっさりと……ね)
自嘲するように、最後の瞬間まで口角を上げながら、美花が意識を手放す__瞬間。
「ごめんね、あなたに____」
知らない女性の美しい声が、確かにそう、語りかけてきた。
「次は悲しいニュースです。今日の朝方、西原町一丁目にて佐渡美花さん(12)が重傷を負う事故がありました。警察によりますと、逮捕された北風運輸の運転手(36)は『子供の頭が目に入ったときはもう遅かった』と供述しているということです。運転手は事前に意識を失っていて、時速80km以上で走行していたとわかりました__」
死とは、何の前触れもなく、突然訪れるもの。
この少女は、これから繰り広げられる物語を知らない。
少年少女が支え合いながら、この世とあの世の安泰を死守する物語。
「孤独」「悲壮」「虚無感」を知る者たちが、希望を失った荒くれ者に制裁を遣わす物語。