第一章 5 「姫ケ丘中学校」
美花の家では、毎朝和室の片隅に母が服を選んで置いてくれている。
それは単なる甘やかし……などではなく、美花のファッションセンスが見事に絶望的というだけの話。
和室で寝ている叶花を起こさないよう、そろりそろりと忍び足で着替えを取りに行く。今日の服は、重ね着をしているように見せている最近のおしゃれ服、のようだ。母が前も同じ服を出して、偉そうにそう語っていた。
グレーの太いボーダーが入ったTシャツに黒の七分袖がくっついていて、脇腹のあたりに「future」と綴られている。
下は、紺色のミニスカートに黒のスパッツがくっついているものだ。最近の流行りはくっついているものなのだろうか。流行には疎いので何がいいかさっぱりわからないが、悪くもないのでとりあえず着る。
美花は洗面所に行き、美花は寝癖のついた髪を力ずくでとかした。大量な抜け毛を落とし、母に怒られないよう回収してゴミ箱に捨て、いつもの位置で髪を一つに束ね、終了。
ポニーテールには慣れた。髪の流れに逆らって頭頂部で結ぶから、最初は頭が猛烈に痛かったが、六年間も続けているとさすがにもう痛くない。
顔を乱雑にばしゃばしゃと洗ったら、元の暇な状態に戻ってしまった。
「夢ってどんなの見たん」
母が絹ごし豆腐を高速で切りながら聞いてくる。
「うーん、なんでもなーい」
「ご飯いつ食べるー?」
「……いつでも。」
ため息混じりに応答する。自分から聞いてきたくせに話題を断ちきるなど、理解不能だ。
(朝からだるいなぁ……)
「することないならちょっと手伝ってー」
「…………」
無言で、母のもとへ歩いていく。美花は不満を顔に出さないよう一生懸命真顔で母がためていた昨晩の食器を洗って拭いて……
(早く学校に行きたいなぁ……)
美花が通う予定の姫ケ丘中学校は、西原町からは結構遠い位置にある。
電車で二駅越した後、徒歩かバスで約二十分といったところだ。
美花はもう慣れている。何故かというと、同じ校区の中に小学校があるからだ。その名も姫ケ丘小学校。小中一貫校というわけではない。更に姫ケ丘幼稚園と姫ケ丘特別支援学校まで同じ校区の中にある。
今まで小学生は私服で良かったのだが、今年からは制服らしい。叶花が張り切っている理由はそれのようだ。
家での生活が嫌でも、唯が居ない中叶花の面倒を1人で見ながら公共の場を渡り歩いていくのは正直しんどい。早く自立してくれ。頼む。
そう懇願しながら、美花は新たな中学校生活への希望を抱いていた。
中学に入学するために入試があるが、姫小に在籍していた者にとってはあってないようなものだ。たとえ出来が絶望的でも難なく入学できる。
そして、他の小学校から希望して姫ケ丘中に入ってくる人も何十人かいるらしい。彼らの合格判定は厳しいらしいので、一般生は当然頭が良い。
どんな人が居るのだろう? 先生は? 環境は? 想像するだけで楽しい。
現在3月25日。4月8日に始業式があるから、あとちょうど二週間でようやく家での地獄のような生活を抜け出せる。
学校に居れば友達もいるし皿洗いなんてしなくて良い。ゲームはできないし授業もあるけれど、美花にとってはそちらの方が何倍も良かった。
(でも、親は皿洗いから洗濯、畑仕事まで何もかもいつも1人でやってくれてるんだよな……)
それでも美花は一応、親への感謝を完全に忘れているわけではなかった。
「終わった? あんがとー」
少しは充電できただろう、床に横たわっているゲーム機を拾い上げる。電池残量31%。
(よし、いける)
「あ、美花、すげぇ早いけどちょいゴミ出し行ってくれる?」
美花の自由な時間悉くを滅ぼしていく母の愛のない言葉。
心の中で舌打ちし、差し出されたプラゴミの袋二つを美花はわざと雑に受け取った。
不満を振り払うように早足で廊下を歩いていたら、叶花が寝返りを打ったので少し減速する。無造作に転がっていたサンダルを足で起こして履き、肘でドアノブを押した。
「気をつけていってくるのよー」という母の警告は、扉を閉める音でかき消された。