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ニ 洛中にて


「なぜ斬らなかった? 」

土方歳三はもう一度問い質した。だが、神楽は黙りこくったままである。

慶応二年九月。

この日、新選組の屯所である西本願寺の一室で、神楽の査問が行われていた。

「誠」の一字を染め抜いた隊旗を掲げた床の間を背に、真ん中へ局長の近藤勇、左側には参謀の伊東甲子太郎、右側に副長の土方が座っている。

そして三人と向かい合う形で、部屋の中央に神楽が座っていた。

「黙っていちゃ分からんだろうが、なぜ斬るのをためらった? 」

苛ついた様子の土方を見据え、神楽は口を開くと一言だけ、呟くように答えた。

「……わかりません」

 既に覚悟を決めているかのようなその一言に、場の空気が凍り付く。

しばらく沈黙が続いた。

 「自分が何を言っているのかは分かってるな……」

そう言うと土方は、神楽を睨み付ける。

結局の所、神楽は敵を前にして怯んだ。例え相手が少女だったとしても、敵であることに変わりはない。

新選組が相手にしていた過激派浪士達は、確固たる思想・信条と、強靭な意志力を以て行動している連中である。

幕府要人の暗殺といった凶行を繰り返しても、彼らは「勤王」「尊皇攘夷」という大義の下にそれを正当化してしまう。

もっとも、「勤王」「尊皇攘夷」は当時の日本人が共通して持っていた認識であり、幕府側の新選組もこの大義の下に戦っていた。

とどのつまりは旧来の秩序を壊そうとする者達と、それを守ろうとする者達の争いに帰結する。

そのため、秩序を守る側にある新選組にとって、それを乱す過激派浪士には頑とした態度を徹底させねばならなかった。

神楽の失態は当然、許されるものではない。

土方は神楽を見据える。

「お前の失態は士道に背いている。局中法度に照らし……」

「土方君、それは少し酷というものですよ」

土方の最後通告を遮ったのは伊東だった。

水戸出身で北辰一刀流の使い手。鈴木三樹三郎の実兄でもある。

「聞けば、彼は三人も斬っている。いくら怯んだとは言え、相手は小娘。ためらうのは人としての情があれば当たり前です」

やんわりとした言い方である。

「情無きは、野に生きる獣と同じ。されど我らは獣にあらず、人です。それに、今度の責は隊を指揮していた三樹三郎にもある。弟の落ち度は兄である私の落ち度。彼に腹を切らせるならば、我らも……」

伊東はにこやかな表情を崩すことなく、土方を見る。

筋が通っている上に、痛いところを突いていた。土方の眉間にしわが寄る。

伊東は才子を絵に描いたような男であった。

頭が切れ、弁舌も達者。近藤の信頼厚く、隊士達からの人望も高い。

だが土方とは反りが合わず、意見が対立することも多かった。

「近藤さん……」

 面倒臭そうに、土方は近藤を見やる。

 眼を閉じて黙っている。自分の考えに反対するときはいつもこういう態度をとる。

 長年の経験でそれを知っている土方は、釈然としない様子で一呼吸置くと、神楽を睨んだ。

「神楽祐平、別命あるまで、隊務につくことを禁ずる。しばらくは大人しくしていろ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、土方は席を立って部屋を出て行った。

 伊東はその涼しげな表情を崩すことなく神楽を見つめる。

 近藤は気まずそうに黙りこくる。

「……有難き、仕合わせ」

 それだけを言うと、神楽はゆっくりと頭を下げた。


「なぜ斬らなかったんだ? 」

見廻組隊士・倉島克己が冗談半分に放った、土方と全く同じ問いかけに神楽は困惑してしまった。

査問から三日後、賀茂川を見下ろす茶店に、神楽と倉島はいた。

「すまん、苦労をかけた。周りの目も色々あったろうに……」

「気にするな。友からのたっての頼みなんだ。それに、隊内で厄介者扱いされるのには慣れている」

自嘲気味に笑う倉島に、神楽も思わず苦笑してしまう。

二人は浪人の頃からの朋輩であり、同じ時期に京へ来て意気投合した仲だった。

その後、同じ幕府の治安組織である新選組と見廻組へ別れて入隊した二人だったが、未だに付き合いは続いている。

ただ、やはり組織の気風の違いであろうか。総髪を無造作に結って後ろに垂らした、いかにも浪人風な神楽の髷に対し、倉島の髷は丁寧に結われ、月代も綺麗に剃られている。

更に、倉島は着物の上に黒い定紋付きの羽織を着ていたため、傍目には浪人とどこぞの藩士のようだった。

「……その娘、長州系の浪人達の連絡係で、都中に散らばっている不逞浪士達の文を取り次いでいたようだ」

神楽が、見廻組の探索方に所属する倉島にした頼み事。

それは自身が自決させてしまった少女の身元確認だった。

もちろん新選組の隊内にも、探索方は存在する。それも見廻組とは比較にならない程の情報収集能力を持っている。当然のごとく、少女に関する詳しい情報は揃っているはずだ。

だが末端にいる平隊士の神楽にそれが知らされるはずもなく、それを求められる立場でも無いことは自覚していた。

ゆえに倉島を頼ったのである。

「卑劣な連中だ。年端のいかない小娘まで利用する……それで自分達を勤皇の志士だとかぬかしてやがるんだから笑わせる」

憤る倉島を横目に、神楽は俯いて黙り込んだ。

「なあ、祐平……」と、倉島は急に声を押し殺した様子で語りかけてきた。

「お前、やっぱり行くのか?」

神楽は相変わらず黙り込んだままだ。

「止めておけ。行けば迷いが生じるぞ。情に流されちゃ、こんな商売できやしない」

「わかっている。だが……」

神楽は倉島を見つめた。

「これ以上言わせるな」とでも言いたげな表情から全てを察し、倉島は溜め息をつく。

「ならもう言わん。その娘の墓は、四条の明光寺にあるよ」

その言葉を聞いた神楽は立ち上がると、床几の上に銭を置き、倉島へ一礼してその場を後にしたのだった。



半刻程かけて明光寺に辿り着き、神楽は寺の坊主から教えられた墓の場所へ向かっていた。

墓地は林の中にあった。茂った木々によって日の光は遮られ、辺りは薄暗く、地面は湿っている。

季節のせいもあり、やや肌寒い感じさえした。

神楽は辺りを見回す。すると、視線の先にまだ新しい盛り土があった。

あそこが墓に間違い無い。そう思った時、神楽の足が止まった。

そこに先客がいたためだ。

先客は若い女だった。そしてその女と目が合った瞬間、神楽はあの夜と同じ感覚に襲われた。

自決した少女に、よく似ている。自分を見つめる大きく澄んだ瞳に、神楽は思わず息を飲んだ。

歳は二十二、三位。恐らく神楽とそう違わない。大人びた顔つきで、落ち着いているがどこか哀しげな雰囲気を漂わせている。

それが一種の色気のようにも感じられ、戸惑った神楽はしばし言葉を忘れた。

「あの……」

ようやく言葉を発したその時、女はそっぽを向くように視線を反らしす。

「帰っとくれやす! 」

胸に突き刺さるような一言だった。

「この子はもう、あんさんらの仲間やおへん。これ以上苦しませんといて下さい! 」

「いや……拙者は……」

二人の間に静寂が訪れる。遠くで石畳を掃く、寺男のホウキの音だけが淡々と響いていた。



女は、名を由衣と言い、自決した少女の実の姉であった。 つらつらと話しているうちに、二人は三条大橋の上に出ていた。

「なぜ俺を責めない? 」

神楽は意を決したように由衣へ訊く。

だが由衣は優しげな表情を崩すことなく、達観したかのように微笑むだけだった。

「お互いにそういう立場やったのなら、あんさんは何も悪うおへん」

返す言葉が無かった。

「二人っきりの姉妹やった。うちら、わりと仲も良かったんどすえ。けどあの子は、人一倍真っ直ぐで、その癖強情で、言うこと聞かへんところもあって……国を思う気持ちに男も女もない、そない言うて、どんどん自分の道を行ってしもうて……こうなる事は、あの子自身が一番ようわかっとったと思います」

「……」

仕方がなかった。

そう思う事で、由衣は全てを納得しようとしている。毅然と振る舞おうとしているが、否が応でもそれは伝わってくる。

再び沈黙が訪れ、神楽は気まずそうに河原へ目をやった。真新しい制札が立てられている。

ここ一カ月程の間に、三条河原に立てられた制札が何者かに引きずり倒され、破壊される事件が頻発していた。

そのことを思い出しながら河原を眺めていると、不意に由衣の歓声が上がった。

「赤とんぼ! 」

由衣の指差す先に、二匹の赤とんぼ空中に弧を描いて飛んでいる。

由衣の無邪気な笑顔に、神楽の硬直していた表情も思わず綻んだ。

季節の移り変わりなど、何年も意識することがなかった。

しかし由衣の何気ない一言で、それを感じた。

時が経つのも忘れ、二人はしばし、雲一つ無い初秋の空を眺め続けた。


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