第一章
「これ本当に晴れてるの? と言うか朝なの?」
「愚痴を言うなら天候の一つでも操ってみてくださいな、魔剣様」
「うっさいっ」
足元すら曖昧な道を何度も確かめながら二人の影が歩く。
上がった声は少女のもの。答える男の声には、反論にもならない癇癪が腕を叩いた。
隣を歩く少女が不満を言うのも理解は出来る。だからって10メートル先もままならない霧が言葉一つで消え去ったりはしない。
「だがよかっただろ、川沿いを行かなくて。そっちを選んでれば増水で引き返してただろうさ」
「その分道自体は遠回りで次の町まで掛かる時間が延びたけどね! それよりもあの話本当だよね! 砂糖やシロップ、蜂蜜漬けの果物瓶……舌の上で溶けてなくなるような甘さの暴力!」
「嘘じゃねぇさ。売ってるかどうかは別だがな」
「なにそれぇっ!」
「馬車だ、よけろ」
話をしていると向かいから気配と音が迫ってくるのを捉える。音を頼りに山側へ寄って道を開ければ、白い霧の向こうから大きな影が蹄と車輪と共にやってきた。
そのすれ違い様、こちらに気がついた御者が慌てて手綱を引っ張り荷馬車を止めた。
「うぉう、びっくりした、旅人か……。悪いな」
「いいえ。行商ですか?」
「あぁ。……そうだ、何か買ってくか? 少し安くするぞ?」
提案に少しだけ男が考えて頷く。町から町への旅路。糧食は必要最低限しか持ち運んでいない。余裕があるなら減った分だけ買い足すのが得策だろう。
馬を寄せた商人が荷車の中身を見せる。食品は塩漬けの魚や干した肉に粕漬けの野菜と箱に詰められた果物。それから動物の……イタチの毛皮か。
霧の中の移動は危険だ。だが鮮度や時間が金に変わる商人にしてみれば、金にならない物を運んでも意味がない。だからこうして朝早くから御者台で振動に耐えているのだろう。
「夜中に雨が降ったからな。川を避けてきたら山の中で今度は霧だ。ツイてない」
「この先の道は? 崩れてたりしてました?」
「だったらここまでこれねぇよ。そっちは?」
「崖側が一箇所。けどこの馬車なら通れますよ」
「そりゃあ良かった。ここまで来て引き返すなんてごめんだからな」
困った時はお互い様。己が身の為に情報を交換しつつ、旅人の男が魚と肉を幾つか買い足す。山道に重い荷物は面倒だが、飢え死にするよりはましだ。
「この先の町ですか? だったら少し気をつけた方がいいですよ」
「何かあったのか?」
「何でも魔剣を巡って騒ぎがあったらしくて。小さな町に似合わないくらいに賑やかになってます」
「へへっ、そりゃあいい。人がいるって事はそれだけ物が動いて客が増えるって事だ。こちらにしてみれば嬉しい話だ」
「商魂逞しいですね」
「……ねぇ、これ買っていい?」
全く関係ない他人だからと商人に親切心から忠告する。その傍らから、荷車の中を探っていた少女が何かを手に戻ってきた。
身を乗り出すようにして彼女が見せ付けてきたのは何かの鳥の羽を使った髪飾り。鮮やかな色合いの装飾品で、少し高価そうだ。
「…………いくらで?」
「悪いな。そりゃあ特注品でな。件の町に住むちょっとしたお嬢様が御所望の一品だ。金詰まれても信頼は売れねぇよ」
「だとさ。諦めろ」
「んじゃこっちは?」
諌めるような声に食い下がって次に差し出したのは鉱石を削って作ったらしい髪留め。赤い色の綺麗な装身具で、何の石を使ってるかによって値段が大きく変わる品。
「それなら……銅貨16枚でどうだ? 店に並べたら20は取るが、忠告料とその他買ってくれた分。それからお嬢さんの可愛さに値引きだ」
「やったっ! お兄さんありがとっ」
「……髪飾り一つに寝泊り三日分なんてよくもそんな商売が成り立つもんですね」
「だから商人がやめられないんだよっ」
白い歯を見せて笑った商人に金を払う。荷車より飛び降りた少女はフードを取り、前髪につけて旅の共へ振り返った。
「えへへ、どうかな?」
「……別に」
「おいおい、女の子を悲しませるような事言うなよ」
「こいつはそんなんじゃないですよ。それじゃあ、気をつけて。ほら行くぞっ」
「んじゃねぇ」
「お買い上げ、ありがとうございましたっ」
からかいから逃げるように別れを告げる。商人らしく見送ってくれた男に手だけ振って挨拶を返すと、隣に並んだご機嫌な少女に視線を向ける。
「言っておくがそれ一つで干し肉なら十枚以上。店に入れば香辛料のしっかり利いた豚の串焼きが四本ほど食えるからな?」
「ご飯のことしか頭にないの?」
「大飯喰らいにはその方が分かりやすいかと思ってな」
「カレンな女の子にそんな事言っていいと思ってるの?」
「……お前なぁ」
「にっひひぃ」
男が腹慰せにフードを思い切り被せてやろうと手を伸ばすが、それをするりとかわす少女。行き場のない気持ちをぶつけるように干し肉を乱暴に噛み千切る。
「と言うか魔剣絡みの騒動って……それを起こした張本人が言うことじゃないよね?」
「元はといえばお前のせいだろうが」
「そうだねー。元名無しさんのカレンな契約魔剣様だねー。だからこそその責任しっかりとってよねっ」
数歩前に出て後ろ向きに歩きながら赤い舌をちらりと見せる少女。そこに刻まれた逆さ五角形の中心に刀を掛けた紋様に、男は居心地の悪さを感じて目を逸らしたのだった。
コーズミマ大陸。人間と魔物が互いを主張し争いの絶えないその異世界の、西に位置する帝国セレスタイン。世界最大の面積を持つ国の一角。王都より随分と離れた通商路の一つで、山に囲まれた舗装のされていない道の途中に影二つ。
話し声から少女と男の道行きは、霧に覆われ動物の鳴き声が反響する朝早くの一幕。
「うぅ、寒いぃ……」
「だから言っただろ、服はしっかり選べって。まだ秋口とは言え朝は冷える。これから冬になるって言うのになんで薄着にしたんだよ」
「だって可愛かったんだもんっ」
纏ったローブを手繰り寄せて暖を取ろうとする少女はその不満を我慢できないとばかりに言葉にして撒き散らす。
「それに人間の服なんてよくしらないし……。そんなに言うならミノが選べばよかったじゃんっ」
「その選んだ服を地味だって言って拒否したのは何処のどいつだ」
「うっさいバーカ」
ミノ。そう呼ばれた男は感情的な悪態に舌打ちを一つ。それから少しだけ考えるように視線を遠くへ向ける。霧の漂う先の見えない景色に答えを捜し求めて、腰の麻袋から取り出した地図を広げて道を確認する。
「……しかたない、一旦抜けるか…………。カレンっ」
「なに?」
カレン、そう呼ばれた少女が声に振り返る。仕草にローブの下で黒い前髪が小さく揺れ、こちらを赤い瞳が見つめ返した。
人ならざる少女。人の姿をした、魔の存在。そのありようを剣に封じ込められた、特別な力を持つ存在────魔剣。それが目の前のカレンと言う少女だ。
「この先の道を右だ。一回上って霧の外に出る」
「またのぼるのぉ?」
「おまけに更に遠回りだ。よかったな」
意地悪く告げれば、カレンが疲れたと言う様に立ち止まる。前を歩いていた彼女に近づくと、隣に並んだところでいきなり倒れこんだ。
「今度は何だ」
「……魔力切れ。剣になるから運んで」
「冗談は笑えるものだけにしておけ」
「私が笑顔になれるよっ」
「……登ったら飯だ」
「暖かいスープねっ」
言うが早いか瞬時に充電された体力でもって再び足を出す少女。
現金なことだと。呆れて溜め息を吐きまだまだ元気な連れを追いかける。
山道らしく自然に囲まれたここらの道は、昔に直ぐそこに急流でも通っていたのか川によって削られ、崖の下に小川を走らせる、景色としては綺麗な場所だ。もし霧に覆われていなければ大自然に囲まれたいい癒し空間だろう。
だがしかし、昨夜降った雨で山から流れる川は増水して濁り、事前に空模様と空気のにおいから雨が降ると分かってから選んだ崖上の道は、標高が高い所為で冷えた露が視界を遮る一面の白世界を作り上げていた。
これもまた幻想的といえばそうだろうが、足元も曖昧で変わらない景色には既に飽きた。だからこそ彼女から止まらない不平が訥々と零れているのだろう。
「食いたかったら準備を手伝えよ」
「わかってるよ。一々うるさいなぁ」
「後あんまり離れるな。ランタンが見えなくなる。逸れたらどうするつもりだ」
「大丈夫だよ、契約があるから」
迷子がどうとか言う問題ではなくて……。
とは言えこれ以上現実的な事を突きつけても彼女はまともに取り合ってはくれそうにない。
「あ、ミノ。あれは?」
どうすればもう少しその自由さを協調性に回せるだろうかと考えていると、前を歩くカレンが立ち止まって山肌の方をじっと見つめる。
「あの果物。食べられる?」
彼女が眺めていた先にあったのは木に生った紫色の果物。分厚い皮に覆われたそれは割れていると完熟の証。昔、子供の頃祖母の家で一度食べた記憶からよく覚えている。
「ん、あぁ、アケビっぽいアレか。食えるぞ」
「んー……せいっ」
こちらの世界であの果物が何と言う名前なのかは分からないが、森の中で爺さんと一緒に暮らしていた時にもよく食事に並んでいたから食べられることは確認済みだ。
言うが早いかどこからとも無くその手に投げナイフを作り出すと狙いを定めて投擲する少女。ナイフは真っ直ぐに飛んで綺麗に枝を切り落とし丁度こちらの手元に落ちてきた。
「うわ、何これ……」
「こういう果物なんだよ。中身の黄色い部分だけ食うんだ」
「外は?」
「しっかり料理すれば食えない事もなかった気がするな。ただ、旅の食事にするには面倒だ」
「ま、いいや」
遠目で見たそれと想像が異なったのだろう。零れた言葉は拒絶を示すものだったが、説明には意外と素直に耳を傾けた。因みにこの世界のこれは中身が白じゃなくて黄色。色合いだけで考えると焼き芋のような何かだ。
一つもぎ取って口に運ぶ。味わいとして地球のそれと変わらない淡い甘さだ。口が寂しくなった時に摘んで食べる程度にはいいかもしれない。
「ミノは食べたことあるんだよね?」
「こっちでも向こうでもな。見た目も味も似たようなものだ。少し懐かしい……」
「……色々話聞いてきたけどさ、やっぱりあまり変わらないね」
「まあ魔物以外は動植物が同じようなものだから、そもそもの環境が似てるんだろうさ」
「ふーん? あむっ」
どうやら気に入ったらしく次々とその口に放り投げてい少女。と、その様子に脳裏を掠めた脅し文句を口にする。
「因みにそう言う果物は実の中の種から木が育って生る」
「それくらいしってるよっ」
「ってことは種を飲み込んでると……」
「え……あぁ! ちょっ! ど、どうしよ────」
「ま、体内に土は無いけれどな」
慌てた彼女の手元から一つ失敬して口に放り込む。因みに同じ脅しを昔祖父にされて、それ以来スイカ然りブドウ然り、実の中にある種は吐き出すようになってしまった。
「なっ……!? っ~!」
「冗談ってのはこうやるんだ。分かったら早く歩け」
「うぅぅうううぅう!」
唸るカレンを尻目に分かれ道を右に。そうしてしばらく上ると、やがて霧を抜け辺りを一望できる岩場に出た。
そこから見渡した景色は雄大で。広がる緑の森に雲海の如く白い霧が傘のように覆い被さり、山の向こうから上ってきた太陽の光に染められて幻想的な風景を描いていた。まるでバラエティで見た秘境の一瞬を切り取ったような景色で、まさにファンタジーだ。
「うわあぁああ! 何これ!」
「悪くない景色だな。……よし、飯にするかっ」
「はーい!」
綺麗な景色に上機嫌さを取り戻した少女と共に食事を準備する。相変わらず献立はスープだったり炙り焼だったりでずっと同じものを食べていれば珍しさの欠片もないが、絵画のような景色を見ながらと言うのは新鮮で違って感じるものかもしれないと。
出来上がるまでの間、地図を広げて見渡した景色から目的地までの道のりを組み立てていく。隣からは地図を覗き込んで暇潰しにと口を挟んでくる。
「いまどこ?」
「この辺り。で、この道を降りてさっきの山道に合流した後……ここから街道だ」
「川は避けるんだね。水足りる?」
「途中に水が湧いてるところでもあればいいが、なければ今ある分でどうにかするしかないな」
「うへぇ……」
指でなぞって行路を語れば、旅慣れしてきた少女が嫌そうな声を零す。
成り行きから魔剣である彼女と契約を交わした町を出て三日目。初日は不満ばかりだったが、二日目からは自由を噛み締めたか見ることなす事が楽しかった様子で、道行きついでに暇潰しの雑談。その中で良い事から悪いことまで色々話した結果、ようやく旅の楽しさと大変さを理解して、早くも現実的なところを分かった上で余裕が出てきた様子。
お陰で今朝からは煩いほどに振り回されているという有様だ。
「自由だからこそ計画性は必要だからな。野垂れ死にしたくなかったらしっかりと足並みをそろえてくれよ」
「はいはいっと。あっ、そろそろご飯ができるかなっ」
くるりと回って楽しげに声を弾ませる。仕草に翻ったローブの裾から白い脚が見え隠れする。その事実に何度目か分からない実感に押し潰されながら腰を下ろした。
「……どしたの?」
「いや。成り行きとは言え魔剣持ちになるとは思わなかったからな。しかもそれが歩く人型ときたもんだ。今でもまだ信じられてないくらいだ」
「せっかくの契約者なんだからもっと嬉しそうにしてよねっ」
言って赤い舌を見せる魔剣。そこに刻まれた契約痕に確かめるような音を零す。
「契約痕ねぇ……。しかしなんでまたそんなところに」
「知らないよそんな事」
「キスか?」
「ぁちっ」
零した音に、スープを口に運んだカレンが肩を揺らす。
「そ、そんなに簡単に……ス……とか、言わないでよ…………」
「お前がしたんだろうが」
「あの時はそうするしかなかったの! それから契約痕の位置は偶然だから!」
「そうかい」
終わった事を一々根に持ちやがって。
「いいよねミノは。腕のところだっけ?」
「どこに付こうが一緒だろうが」
「一緒じゃないよ! ……食べる時気になるし」
「普通他人の舌の上まで気にしねぇから」
「うっさい!」
理不尽な。
「でも体中の契約痕は消えたんだろ?」
「あれは契約中は消えるようになってるの。じゃないとどれが誰のかわかんなくなるでしょ?」
「そんなのはお前だけだ」
《枯姫》、《宿喰》、《重墨》。数多の契約と共に異名を重ね、その相手を悉く魔力の枯渇で殺した曰くつきの魔剣。それが俺が契約した少女──カレンの積み重ねてきた過去だ。
その契約の数から契約痕で体中を黒く染上げ付いた名前が《重墨》。……とは言えそれは既に過去の事。今の彼女は証を消し去り、そこにいる魔剣として目の前で猫舌と悪戦苦闘中だ。
因みに名前については彼女と契約した後に知識として流れ込んできた。契約を介して彼女の知る事を理解出来る仕組みらしい。
「普通の魔剣ならそんなに乗り換えたりしないからな」
「仕方ないでしょ……私を受け止められる人がこれまでいなかったんだから」
「……そう言えばその研究所の事をまだ詳しく聞いてなかったな」
「気になる?」
「傭兵がそう簡単に約束を違えられるかよ。一度交わした契約を理由も無く反故にしたら傭兵ですらなくなるからな」
カレンと交わした契約。彼女が報酬を払う事で、彼女の友人を助け出すというもの。カレンが逃げてきた組織に捕まっているらしいその子は、カレンを逃がすために捕まったのだ。
その約束を果たすだけの報酬は既に貰ってしまった。魔剣との契約なんて、普通に考えればそれだけで国の騎士に相当する。その上他の魔剣ですら斬ってしまうほどの特別さだ。金ではないが金にならない価値としては充分だろう。
「それに知らないと力にもなれないからな」
今更無関係ではいられない。ならば毒を喰らわば皿まで。どうあっても狙われる命ならばこちらから迎えうって打倒するだけだ。
「で? 流石に自分がいた組織の事くらいは覚えてるんだろ?」
「……………………」
「おい」
「美味しいね、このスープ」
いい加減にしろと視線で糾弾すれば、怯えたように肩を揺らしたカレンが顔を逸らして呟いた。
「……知らないわけじゃないよ。ただよくは知らない。だからミノが気になってる事に答えられるだけ答える」
「…………分かった。んじゃ最初の質問だ。何のための組織だ?」
期待した俺が馬鹿だったと頭を切り替えて疑問を落とす。
「分かんない。ただ魔剣の事は色々実験してたよ」
「具体的には?」
「私の契約相手を探したりとか…………うん」
ようやく見つけた手がかりが鈍らのお陰で霧の向こうに消える。
「おまえなぁ……」
「だって仕方ないじゃんっ! 私にとってはどうでも良い事だったし」
「じゃあ何のために契約相手を探してたんだ? 《枯姫》や《重墨》なんて呼ばれるくらいには契約をしてきたんだろ。何か目的がなけりゃそこまで固執はしない。違うか?」
「だから、分からないよ……。私が他の魔剣を斬れるくらいに強いってのはミノと契約してから分かったことだし。それを確かめる為だったんだじゃないの?」
確かに彼女の力は未知数だ。彼女を握って戦った経験が少ないからまだなんとも言えないが、その力を最大限に引き出せていない感はある。それでいて同じ魔剣を斬る力を持っているのだ。もしそれ以上と言うのならば、手に負えないかも知れないほどだ。
大喰いなのは組織の奴らも分かっていたことだろうし、それに比例する力を欲したのだとすれば少しは見えてくるか。
因みに彼女の沢山ある二つ名……《コキ》や《エモク》と言うそれは、どうやら漢字に読み仮名を振ったそれで表されるらしい。
枯らす姫で《枯姫》。重なった墨で《重墨》。そして、宿主を喰うで《宿喰》だそうだ。
「……じゃあ仮にそうだったとして、その組織は戦争でも起こしたかったって事か? 魔剣を集めてたんだろ?」
「だから分からないって」
全く以って使えない魔剣だ。刃が潰れてるんじゃなかろうか。
呆れて怒る事すら面倒に感じ、溜め息を零す。彼女から何か情報を得るのは難しいか。
「因みに訊くがその組織の場所や名前は覚えてるか?」
「……………………」
最早彼女の十八番。その沈黙が金に変わればどれだけ心と方法論に余裕ができることか。
だがそんなないものねだりをしても仕方がない。あるものから紐解かなければこの時間さえ無為になってしまう。
落ちた沈黙に目の前の魔剣を見つめる。交わった視線は居心地の悪さからか器の奥に隠れた。と、器の底を眺めて一つ思いつく。
表ばかりを見ても仕方がない。犯人ばかりを追っても仕方がない。ならば別の……逆の視点から物事を考えてみるべきだ。
「……なら俺たちだな」
「……にゃにが?」
「魔剣持ちを使ってお前を取り戻そうとする奴らだ。それだけお前は奴らにとって重要なピースってわけだ。だったら当然、これからも追っ手は掛かるだろうな」
「…………」
「ならそいつらを捕まえて吐かせる。人道的かどうかなんてこの際小さな問題だ。つまり相手の出方に合わせる。そこで一つ覚悟が必要だ」
被害者の立場から囮を用いる。唯一分かっている点、奴らの目的を逆手に取る方法。
「あの町で既に魔剣を斬ってる。つまり今度はあれ以上の戦力で押し潰しに来る。幾らお前が規格外な魔剣だとしても、物量はどうにもできないからな。それでも抵抗するなら……また魔剣を斬る必要があるだろうな」
「それは……」
「できるか? 共に時間を過ごした同胞だ。もしかしたらその中にはお前を逃がしてくれた友人とやらもいるかも知れないぞ?」
「っ……!」
酷な事実を突きつけているかもしれない。けれど現実的に考えれば、あちらは友を盾にするのが最も有効な手立てだ。
手段を問わなければやり方は幾らでもある。そうなった時に必要なのは決断だ。振るうのは俺だが、彼女が嫌だと言って魔剣としての力を振るわなければそれでおしまいだ。そこを強制させてまで彼女の目的を叶えようとは思わない。
幾ら曲がった精神でも良識の欠片くらいは持っているつもりだ。
「出来なければ人を斬る。剣としては正しいだろうが、魔剣としては間違ってるだろうな」
そもそも魔剣とは魔物……《魔堕》と戦う為の力だ。人に向けるための刃ではない。だからあの町でも、峰打ちや魔術の昏倒で事態を収束しようとしたのだ。
俺だって、できることなら人を斬りたくは無い。
「もちろん、飽くまで可能性だ。そして、最も効率的で高い可能性だ。悩むなら今の内にしておけよ」
「……………………」
黙り込んだカレンを一瞥して最後のパンの欠片を口に放り込み、スープで流し込む。調理器具と食器を水で流して袋に詰め込めば、眼下に広がっていた霧の海が朝日で暖められて晴れている事に気がついた。
「……行けるか?」
「…………うん」
こういうときこそ魔剣の姿になって歩きたく無いと言えばいいのに。そう考えられないほどに大きな壁を突きつけてしまったかと軽く頭を掻く。
別に追い込むつもりは無いのだ。ただ、どうあっても彼女は依頼主で、この問題の中心にいるのだから。最後の決断は彼女自身がするべきだというだけのこと。
もしそれでこの手が必要だと言うのなら、雇われ傭兵として忠実に仕事を全うするだけだ。
「ま、あの町であいつらをそのまま突き出したのが間違いだったな。情報の一つでも吐かせておけばよかった」
「…………ほんと、なんで気付かなかったんだろうね」
「男には一人逃げられたしな」
ずっと避けていた話題に焦点を向けてどうにか笑い話にする。
カレンを巡って起きた戦闘。四対一でどうにか拾った勝ちは、けれど考えなしに金に換わっただけだった。その上鉄の棒の魔具を使っていた男にはいつの間にか逃げられて、町の衛士に突き出せたのは三人のみ。きっと今頃は組織に帰って報告をしている頃だろう。
だからこそ早急に次をどうするか決断をするべきなのだ。
「過去をどうこう言っても今が変わるわけじゃないしな。とりあえず次の町で情報収集だ。結構でかい町だから手がかりの一つくらい見つかるだろ」
「ん、そうだね」
荷物を纏めて呼吸を一つ。空の空気を胸に吸い込んで歩き出す。
ここからは下り道だが、上りよりも下りの方が疲れる前に何かで目にした覚えがある。運動量で言えば物を持ち上げる上りの方が力を使うらしいが、下りは足元を注意しつついつもより下の地面をずっと踏み続けるために無駄に力が入るとか。
あと、今回の山は標高がそれほどなく気にするものでもないが、高山病の恐れもある。今後山間を抜けたり登山道を行く時は気をつけなければ……。
荷物の重さをしっかりと受け止めながら一歩ずつ下っていく。その傍ら、暇潰しにと旅の共との雑談を少々。
「次の町もそうだが、あまり目立つ行動は控えろよ? 俺もお前もお尋ね者には違いないんだ。追っ手が掛かっている以上不用意な言動は敵を生む」
「うん。……と言うかミノもなの?」
「まぁ国から逃げてきてるわけだからな。あっちからしたら俺の魔力量はあって困らないだろうし、現にこうしてお前と契約してる。経緯は違えど魔剣との契約って点に限ればセレスタインの奴らの思い通りだ」
冷静に考えれば国と組織、両方に追われる身だ。本来ならば出来るだけ人の目を避けて目的を果たすのがいいのだろうが、その選択肢を取れるだけの情報がない。
ならば多少の危険を冒してでも選択肢は増やしておくべきだ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、と言う奴だ。
「国と組織がどんな関係なのかは分からないが、少なくともどちらかに与して今より状況がよくなるなんて事はないだろうさ」
そもそも色々な事を知らなさ過ぎるのだ。地図だってこの辺一帯の小さなもの。まずは大陸全土を把握して、それから関係性を調べて、いざと言う時の安全地帯を確保しておく。追われる身と言うのは準備が物を言う立場だ。
その為にも次の町にはなんとしてでも辿り着かなければならない。
「身を売って窶すのは最終手段だ。今ある自由より勝手のいい場所だとは限らないからな」
「…………ミノってネガティブだね」
「慎重と言え。それとも馬鹿正直に信用してまた裏切りを味わいたいか?」
「……………………」
問い掛けには沈黙。別に前向きな考え方を否定するわけではないが、正直者が馬鹿を見るのは分かっていることだろう。同じ徹を踏んで失敗するのは愚か者のやることだ。
……前の人生で最も愚かな選択をしたのは俺自身だがな。
自嘲して言葉を向ける。
「分かったら疑って掛かる事だ。信用するよりも難しいからな。覚悟しとけ」
「……そういうのは、ミノに任せるよ。私はそう言うの嫌だから。楽しい事だけ考えてたい」
「…………勝手にしろ」
意見の相違は価値観の衝突。大きくなれば争いにさえ発展する火種だ。
幾ら魔剣と契約者とは言え、成り行きの縋った選択肢。別に互いの事を本気で好いて交わした繋がりではないのだ。
その上で、目的が少しだけ似ているから手を取っているだけ。俺にとってカレンは道具であり、カレンにとって俺は道具だ。人間と魔物で仲良くなんてそう簡単に出来ない。
と、そこまで考えて冷徹な思考がやるべき事を思いつく。
「そう言えばまだお前の力を把握してなかったな」
「え……?」
「成り行きとは言え契約した身だ。追ってくる奴らもいるし、退ける必要がある。特に組織の方は契約した事を知ってるからな。送り込んでくるのは最低でも魔剣持ちだろ」
彼女にしてみれば同属斬りをしなければならないかもしれないのだ。あまり考えたく無い可能性かもしれないが、先延ばしにして姑息に生き延びるなんて偶然がそう何度も通用しないはずだ。
仮にも魔剣を研究しているらしい集団。力や物量で凌駕する以外の対処方法だって知っているかもしれない。その時のために出来うる対抗策はしておくべきだ。
「最早戦いは避けられない。俺だって経験は少ないし、お前の力に頼らなければ同じ土俵にすら立てない。ならその力を把握しておくのが最優先だ。違うか?」
「それは、そうだけど……」
「それともようやく手に入れた自由紛いの今を捨てるか?」
非情に現実だけを突きつければ、恨み節を送るようにこちらを見つめるカレン。言いたい事があるなら言えばいいのに。
視線で幾ら訴えられたところで言葉にしない意思に意味など感じない。欲しい物は己で掴み取るのが最善であり証だ。
「……もういいよ。ミノがそう言う性格なのはよく分かった。……で? 剣の姿になればいいの?」
「とりあえず今のままで出来ることからだな」
「それじゃあこれ」
言って彼女が手のひらに短剣を作り出す。契約前から何度か見た技だが、一体どの程度の有用性があるだろうか。
「魔力で作った剣だよ。契約したから同じ事がミノにも出来ると思う。手のひらに魔力を集中して、作りたい形を想像して。ただ、剣しか作れないからね」
「……魔具を使う感覚でいいのか?」
「うん」
精密な魔力の操作は苦手なのだが……。考えて、ならばと思いついた方法を試す。
細かいのが駄目なら大味で。カレンとの契約に必要な魔力を差し引いてもまだ充分に余力はある。それこそ彼女がもう一人増えても大丈夫だろう。
その一部を引っ張ってきて、その量が収まる大きな器をイメージする。
次の瞬間、手のひらに広がった確かな感触。物質として顕現した重さに引っ張られて思わず前のめりになる。出来上がったのは身長の二倍はあるだろうかと言う、最早インテリアのような両刃剣。
重い音と共に目の前の地面が小さく抉られる。
「っとと……」
「なにそれ…………」
「何って、手のひらに集められるだけの魔力剣」
「訊いた私が馬鹿だった。……うん。ミノは指先程度でいいと思うよ。それで私が作ったのと同じくらいになると思う」
折角作ったのに。
胸中でぼやいて魔力の結合を解き霧散させる。再び集めた知覚できるかどうかという魔力を結実させれば、カレンの手にある短剣と同じほどの物が出来上がる。
「……ふむ。こんなのでいいなら短剣の雨ができるな」
「ミノって思った以上に脳筋だよね」
「んだと?」
「今ミノが作ったのは魔力の剣。魔力に形を持たせて作り出した魔術だよ。原理としては魔力の集合体である魔物……《魔堕》と同じだね」
「こんなに簡単なのが魔術でいいのか?」
「魔術っていうのは魔の理だからね。その気になれば火や水だって作り出せる。……ただ、私はそのやり方を知らないから教えられないけれど」
駄目な子アピールをされても何も嬉しくは無い。
と言うか彼女は剣として物を斬る以外に一体何が出来るというのだろうか。それだけならなんと燃費の悪い魔剣だろうか。
「つまり上手くやれば炎の剣みたいな事も出来るってわけか?」
「そうだね。あと、火や水みたいな物質は魔力由来だとしても確かな物質として扱われるってことかな」
「……どういうことだ?」
「うんと……今ミノが持ってる剣は魔力の塊で金属じゃない。だから魔物には大きな効果がある。けれど木とかを斬るのには向かない。逆に水は自然に存在する物だから魔物には殆ど効果がないの」
「……あぁ、物質かそうでないかってことか」
カレンの言葉に納得を生み出す。
魔力を集めて模っただけのものは何処までいっても魔力の集合体。仮に言うならば非物質。逆に自然に存在する物質に変化させた場合、魔力としての力を失い、物質として存在するということだ。
そこまで考えてどうでもいい疑問が浮かぶ。
「金属は作れるのか?」
「……できない事は無いと思うけれど。どうして?」
「宝石や鉱石を作れば金になる」
「どうしてそんな悪いことばっかり思いつくの?」
「ある種の夢だろ。魔力は回復するんだから非枯渇資源だ。そうすれば俺は歩く金の塊だ」
錬金術に似た話がある。もし石を金に変えられたら……。錬金術では等価交換の法則が成り立てば可能な原理で、触媒に賢者の石を使ったりなんて話が有名だ。
「……捕まりたければやればいいんじゃないかな」
「…………冗談を本気にするなよ」
「冗談は笑えないといけないんじゃないの?」
「うるせぇ」
出来ないことは無いらしい。が、そんなのは誰もが考えることだろう。きっと彼女が指摘する通りに見分ける方法が確立されているに違いない。
……しかし、ならば少しだけ想像が広がる。
「だが良い事だな。想像するだけ可能性がある。理さえ理解できれば余りある魔力を使ってやりたい放題だ」
「…………なんで私こんな人と契約したんだろ……」
呟きは聞こえなかった振り。常識外れの埒外な思いつきは既に失う物がない身からすれば当然の権利だ。方法論を問わなければ悪魔の理。……きっと死者さえ蘇らせたりもできるのかもしれない。少しだけ興味がある。
……興味はあるが、けれどやはり実行しようとは思わない。
誰かを蘇らせるほどに過去に困ってもいなければ、今と少し先の未来が大切だ。馬鹿をやって今以上に不安定なところへ向かおうとは思わない。最低限の良識はあるつもりだ。
「まぁこっちは追々だな。無理しない程度に色々試して便利に使うとするさ。……それで、他には何かあるか?」
「鼻が利く、のは私だけかな。あとは、えっとぉ………………」
「期待をさせるのが得意って事だな。脳筋なのは一体どっちだよ」
「なっ……!? ……うぅ…………!」
莫大な魔力も使用先がなければ腐るし、ただよく斬れる剣はそれだけだ。
偶然からか手繰り寄せた繋がりだが、宝の持ち腐れ感が否めない。
おまけに大飯喰らいの見た目は少女。いい事があるようには思えない。せめてもの救いは《宿喰》様の衝動を満たせたことか。
「で、次だ」
「ん」
からかいを横において手を出せば、彼女の体が黒い靄に包まれて形を変え、手のひらの上に確かな実感となって顕現する。
長さは約1メートル。黒を基調とした和の雰囲気の拵えは闇夜でさえ存在感を放つ一振りの刀。鞘に刻み込まれた逆さ五角形に斜めに掛けた刀の印は彼女との契約痕。アクセントにと緋色の下尾が鞘を彩る巻結び。
左手で鞘を、右手で柄を握り締めゆっくりと抜き放った刀身は、陽光を受けて輝く深紅と漆黒で波の二重奏を描く。握った体感は約1キロ。刃毀れの一切ない綺麗な刃は二尺三寸の立派な長さ。
馴染ませるように一振り唸った風斬り音に、空気さえ斬った感触が手のひらに広がる。
「魔剣断ちの魔剣……お前の唯一の取り柄だな」
『……例えそれだけでも取り柄は取り柄だもんっ。褒め言葉として受け取ってあげる』
頭の中に反響する彼女の声。契約の恩恵で交わす事の出来る声無き会話を聞き流して歩調に呼吸を合わせる。
すると丁度目の前に垂れ下がった木の枝を見つけて、僅かな吐息と共に振り下ろした。斬った、と言う実感よりは撫でたと言う方が正しいか。まるで水にゆっくりと刃を通したように手に覚えがなく、ただ答え合わせのように一拍遅れて斬られた事を思い出したかのように枝が落ちた。
拾い上げた断面は当然の如く滑らかで。枝だというのに年輪がはっきりと見えるほどに切り揃えられた面に、そのまま戻してやれば接着剤もなくくっついてしまうのではないかと思うほどだ。
刀身もそうだが、惚れるほどに鮮やかな綺麗さ。……そういう意味ではある程度整った顔立ちの彼女に少しばかり似ているだろうか。言えば調子に乗るだろうから言わないけれども。
『あんまり意味のない物を斬らないでよ? 木だって生きてるんだからねっ』
「ならあの岩にしてみるか?」
『腰掛けに丁度よさそうだねっ』
視線を向けた先には道端に突き刺さったような人一人はあるだろうかと言う大きさの岩。曰く、あれくらいなら滑らかな感触の椅子に変えられるらしい。
丁度いい。彼女の使えなさで溜まった鬱憤を晴らすとしよう。
歩調と呼吸を整え、歩きながら納刀。本来ならばしっかり立ち止まって構えてするべきことなのだろうが、彼女の前ではそんな前提などあってないようなものだ。
すれ違い様に振り抜いた一閃は鞘走りによって無駄な力を省き、流麗な弧を描く。刃先を岩の裏側に這わせるようにして滑らせ、触れる瞬間に刃を引く。
鋸然り、包丁然り。物を斬る時には引く時に力を入れるのが正しい手順だ。料理に慣れていない頃はよく体重をかけて上から奥に力を込めようとしたが、慣れれば引く方が無駄な体力を使わなくて済む。
同じ要領で岩をバターか何かと勘違いしたの如く撫でたカレン。歩きながらでは少し体勢に無理があると途中で気付いて、左足を軸に一回転。次の瞬間には僅かに感覚を残して目の前に美しい刀身が輝いていた。
詰めていた息を吐き出して腰に差した鞘に納め、確認のように振り返る。そこにあったのは斬ったのかどうかよく分からないほどにずれなく鎮座する岩。刃を水平に通したからか、そのまま乗ってしまったらしい。
「……残念だったな、椅子にならなくて。休みたいなら自分でどかしたらどうだ?」
『なんで休憩する為に働かないといけないのさ。……それにあの切れ味は私だからだよっ』
「…………もしかして斬ってない可能性……」
『ちゃんと斬ってますぅ! 気になるならミノが動かしてみれば?』
「カーリングみたいに滑ってくれるならそれも楽しいんだがな」
『かーりんぐ……?』
要らない事を言ったと。思ったときには遅かった。
こちらが指示するより先に魔剣の姿から元に戻ったカレンがその瞳に好奇心を燃やしてこちらを見つめてくる。
「ねぇ、かーりんぐ、ってなに? 滑るってどういうことっ?」
簡単に言えば概念の有無。
この世界に転生した俺は、前の世界での知識や常識を持ったまま、同じ年齢でこの地にやってきた。けれどここは地球とも、ましてや日本とも違う場所。言語、通貨、文化、宗教、その他諸々……。似ているのは生物と気候や地質的なものだけで、特に物に関しての存在の有無が異なる。
先の町でこなした依頼……探し物の時計だったり、先ほど食べたアケビに似た果実だったり。似て非なる物は沢山ある中で、まったく無い物も当然存在する。……無い物が存在するって変な表現だな。まぁいいか。
特に娯楽や固有名詞……横文字のものなどは認識の差異が顕著だ。
それらを全く知らないというわけではないのがこれまた面倒臭い。なにせ一つ通じたからとその流れて口にすればこの有様だ。
「かーりんぐ……かーり、んぐ? かーりん、ぐっ!」
「カーリングはカーリングだ。変なところで区切るな。……氷の上で丸い錘を滑らせて得点を競う競技だ」
「へぇー。ってことはこれからの時期で遊べるねっ」
「最低三人……いや、頑張れば二人か。チームで競うから倍の四人は最低でも必要だぞ?」
「うぐっ……」
別に娯楽を追い求める事を悪い事だとは言わないが、考えなしに振り回されたくは無い。やるならもっと現実的な提案をして欲しいものだ。
「それに俺も詳しいルールは知らないからな」
「そ、そこは、ほらっ。それっぽい感じで……?」
「なら頑張ってお仲間を集めて来いよ。魔剣のよそ者に知らないスポーツを勧められて頷いてくれる奇特な奴がいるならな」
「……むぅぅ。わかったよぉ。そんなに全力で拒否しなくてもいいのに……」
全面的に否定しているわけでは無い。遊べる自由と相応の準備が整うのなら気晴らしにはいいだろう。ずっと逃亡するのだって緊張の連続で神経が磨り減ってしまう。だからこそそのストレスの発散先に今から色々な可能性を考えておく。娯楽……楽しさの追及は生きる目的の一つ足りえる。
「こっちの世界には無いのか? 流行りの遊びとか」
「……………………ミノのいじわる……」
訊いてから失敗を悟った。重ねてきた経緯はどうあれ鞘入りの宝刀様。世間に疎い彼女には酷な話題だったか。……その反動として、こちらの話に興味が尽きないのだろうが。知ったところでこの世界の常識でないのだから何の役にも立たないだろうに。彼女こそが最も奇特な存在か。
どうやら拗ねたらしく数歩先を早足に行くカレン。日が昇り始め、霧も収まってきて見失ったり道を踏み外したりする心配はなくなったが、彼女を一人にするのは俺の心労だ。
ただ厳然と存在する追われる者としての立場。あの町でどうにか退けたような追っ手がいつやってきて足を掬われるか分からない現状。勝手に単独行動をされて俺に危険が及ぶのも避けたい。
と、そこでふと過ぎった疑問。
「なぁ。魔剣として刀の姿になれる距離はどのくらいまで離れられる?」
「……多分この道幅くらいだと思うよ」
「となると5メートル弱ってところか」
彼女の声に視線を回して目算から音にする。片側一車線の道路より少し短い程度。道路を挟んで歩道にいれば彼女を魔剣として呼べないと言うことだ。
遠いような近いような……。まぁ普通にしていれば道路を挟むような距離を離れるというのもあまり無いだろうか。
「……頼むから────」
「一人で遠くに行かないで、でしょ? もう何回も聞いたよ、それっ。……それともミノは私に傍にいて欲しい?」
「…………勝手に一人で友達とやらを助けに行ってろ」
何が楽しいのか分からないやり取りに突き放すような言葉を向ければ、浮かべた笑みを寂しくさせて遠くに思いを馳せるように空を見つめるカレン。
「……どうしてるかな。酷い目に合ってないといいけれど…………」
「これまでの威勢はどうした。暗い事を考えるくらいなら根拠の無い自信でも振り回してろ」
「…………うん」
しおらしいカレンはどうにも相手にし辛い。例え煩くとも雛鳥のように鳴いている方が幾らかましだ。そうすれば俺も、いらない過去の事なんて考えずに今の自由を浪費できる。
考え事からか遅くなった歩調で横に並んだカレン。少しだけ渦巻いた感情の腹いせに開けていたフードを掴んで思い切り被せて前に引っ張ってやる。
「とぅあっ!? な、おっ……ぶない……。っ……もう!」
「魔剣の癖に柄にもない事をしてるからだ」
「今は人間の女の子ですぅ!」
「だったら人間らしくしてろ」
言い聞かせているのは彼女にか。それとも自分にか。
……考えるだけ無駄だと浮かんだ疑問を振り払えば、歩いていた上り坂の頂上へ。そうして見渡した景色の中に、小高い丘と、その上に広がるミニチュアのような町並みを見つけた。
「あ、町ってあれっ?」
「あぁ。前の三倍はありそうだな」
「なんて名前のところ?」
「知らん」
追いついてきたカレンの声に答える。
「残念ながらこの地図には地名が書かれてなくてな。町だって丁寧にその名前を看板でぶら下げてるわけでもない。ゲームみたいに入ったら地名を認識できるような天の声もないしな」
「げーむって?」
お前は鸚鵡か。
最早これは俺の失敗ではなく彼女の恥だと思う事にして道すがらのBGMにする。
呆れて、疲れて、諦めて。けれども心のどこかで感じている高揚感にそれこそ阿呆らしいと鼻で笑えば、ようやく見えた目的地に気力を漲らせる。
やるべき事は山積み。したい事もそれなりに。ようやく自分で選んだ自由と言うものを実感しながら確かな一歩を踏み出す。
偽名と魔剣のやり直しの道。静かなる決意は今を刻み込んでゆっくりと進み始める。
* * *
「もういけるな?」
「……は、はい…………」
確認の皮を被った強制の音に怯えたような声が返る。顔色を伺い合わない視線。萎縮し、恐怖し、我慢した空気に舌打ちを零す。
一体何の因果でこんな奴と行動しなくちゃならないのか。運命と言う物があるのなら呪ってやりたいくらいに憎み続けている。
出した足に慌ててついてきた小さな体。目障りな小蝿のような鬱陶しさに収まらない胸の内の感情の渦から目を逸らす。
昨日立ち寄った町では目的は達せられなかった。あの場所にいるからと聞いていたのに無駄な時間を重ねられた。
仕事に私情は無く、ただ有り触れた義務感だけで前かどうかも分からない場所に向けて進む。
目的の人物は顔も名前も知らない赤の他人。同情も無ければ慈悲も無く、与えられた仕事は彼の捕縛。死んでさえなければどんな風にして連れ帰ってもいいと言う最大限の譲歩を引き出して受けた任務に苛立ちを募らせる。
こんな生温い仕事楽しくもなんともない。命が掛かっていなければそれは何もしていないことと同義だ。それに加えて面倒なお守りであり重り。付かず離れずの距離を保って後ろを付いてくる子供……に見える人ならざる者。
名前は……なんだったか。別に大切でもなんでもない道具。契約の時に聞いた気のする曖昧な過去に縛られるのは意味のないことだとすぐに切り捨てる。
見た目はただの子供。やせ細り、疲れ憑かれたような顔をした少女。フードに着られて肩で息をしながら覚束ない足取りの彼女は、人に見えるだけの存在だ。
魔物。人と契約する物を特に《天魔》と呼ぶらしいが、魔物は魔物。人では無い何かで、使役されるだけの便利な道具。
中でも世界に溢れる魔剣と呼ばれる剣に宿ったものとは違う、少し特別な存在だとか。講釈を垂れていたのは白衣を着た男だったか、女だったか……。どうでもいいか。
俺にしてみれば彼女が使えればそれでいい。特別でも何でも、その力を使って欲望を満たせるのならば生きている意味がある。
そんな思いを胸に帝国騎士なんてところに身を窶したのに、結果が今のこれではどうにも納得がしがたい話だ。帰ったら反乱でも起こしてやろうか。
俺はただ、実感したいだけだ。命のやり取りを……生きている意味を。他の誰でもない。俺がそこにいる証を掴み取りたいのだ。すべてはそのための道具に過ぎない。
「おっ、ターゲットはっけーん」
そんな事を益体も無く考えていると目的の人物を見つける。
話に聞いた情報なんて結局は想像の産物。この目で見て確かめるのが手っ取り早いと。少しだけ脳裏を旅して認識をすり合わせれば、後姿に確信する。彼が捕縛対象だ。
きっと戦いになるだろう。望むところだ。ならば膂力なりで勝るこちらが一方的に蹂躙して押し潰してしまえばいい。死体以外なら形は問われないのだ。ここまで長旅になったお礼も兼ねて遊ぶとしよう。
遠目に追い駆けながら、チャンスを窺う。その間に戦いの為の舞台を把握し始める。
歩き方からして基礎の基礎はやっているらしいが、武器を携帯しているようには思えない。警戒が薄いのか、それとも過剰な自身の表れか。
そんな男の隣には黒髪の少女が一人。話では彼一人と言う話だったが、無能な情報提供者を恨みはしない。
なにせ目的は男の方だけ。女の方は行きずりの不運に巻き込まれた憐れな人形だ。最大限の賛辞と自己満足のために手厚く葬ってあげるとしよう。
……それとも浮かれた思考で女を漁った名残か? だったら彼女を人質にするのも面白いかもしれない。
色々な策を考えながら急襲できる地形を探す。と、少し先に塹壕地帯を見つける。
そう言えばこの辺りは《波旬皇》の一件で主戦場の一つとなった地域か。……丁度いい。上手く利用させてもらうとしよう。
「ついて来い。森から塹壕を利用して強襲する」
「っ……。はい…………」
命令に息を詰まらせた背後の道具。別にこんなこと初めてではないのだから一々決める覚悟なんて無いだろうがと。
胸の内で吐き捨てて右の森の中を突っ切る。大回りで側面を取り、塹壕に身を潜ませて接近する。
顔が見える距離まで近づいたところで一度息を整えながら、後ろをついてきた道具に指示する。
「目を貸せ」
「……惑い乱す逆吊りの観測手よ、かの者に狂わぬ迷いを授けよ」
少女が右目を手で覆い、短い言霊を唱える。次の瞬間俺の右目が揺れて、視界が色を変えた。
魔瞳。人の体、人の目に宿った《天魔》。その力はこの目に魔の力を顕現させる。
「いつもみたいに隠れてろ」
「…………はい……」
聞きなれて苛立ちさえ覚えるようになった従順で色も精気もない返答を切り捨てて塹壕から飛び出す。詰めた呼吸と共に振り被った刃は虚空を割いて男の首許へと振り下ろされる。
さぁ、精々楽しませてくれよっ!?