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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
可憐な誓詞と憂愁の暁鐘
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第五章

「ミノっ、それ契約……!」

「でも違う。なに?」


 小さく吐息を落とせば、すぐさま傍から問いが上がる。

 チカとシビュラの驚愕と疑問。それぞれに、随分と落ち着いた心持ちで答える。


「簡単に言えば契約だ。ただ、どうやっても《波旬皇(マクスウェル)》の妨害が無効化できなかったんでな。妨害の上から無理矢理疑似契約交わしてる」

「疑似契約って、どうやって……。なにこれ、魔力じゃない物で繋がってる…………?」


 俺とカレンの契約を探ったチカが怪訝そうな表情を浮かべた。

 確かに、傍から見ても変な感じだろうな。

 チカの疑問に答えたのはこれまた落ち着いた声音のカレンだった。


「《波旬皇》の魔障だよね。魔力の元は感情だから、魔障の繋がりで《波旬皇》のその力を間借りして感情そのものを契約代わりに繋いでるんだよっ」

「だから疑似契約だ。その内妨害されて切れる。が、それまでにどうにかすればいいだけだ」

「……なにそれ、意味分かんない。けど、聞いたところで意味もないからもう聞かないっ」


 魔術編纂に秀でたチカをもってしても埒外だったらしい。こんなに分かりやすいのに、理解されないなんて変な話だな。


「それに、悪い事ばかりじゃないよ。ね?」

「あぁ、そうだな」


 カレンの全てを理解したような弾んだ声に応じる。

 感情が繋がっている。それはつまり、考えていることが共有されるという事。

 だから契約の時以上に考えていることが互いに理解出来て…………それは結果的に、イメージの共有へと繋がるのだ。

 想像が同じ道を辿る。脳裏に描く景色が、寸分違わずシェアできる。

 それは、これまで俺とカレンの間にあった最後の溝を飛び越える手段になるのだ。


「今ならカレンの全力に俺もついていける……!」

「んー、それはちょっと違うかな……。二人でつくるんだよっ」


 訂正するように告げたカレンが、それから頭の中に笑顔さえ幻視させて全てを預けるように言葉にする。


「だからミノ。全部あげるから、全部ちょうだいっ!」

「……さぁ、どうだろうな」

「もーっ」


 今更隠し事も出来ないのだが、それを認めると決定的な何かを明け渡してしまうような気がして誤魔化す。

 答えに、不満を垂れたカレンだが、直ぐにじゃれ合いはやめて意識を目の前に向けた。

 つられてそちらに焦点を合わせれば、剣を構えた《波旬皇》がこちらをじっと見据えていた。


「さて、お喋りは終わりだな。時間もないし、一気に行くぞ……!」

「うんっ!」


 跳ねた語調。それに呼応するように頭の中で理想を描けば────次の瞬間にそれが現実へと変わっていた。


「ほら、やるぞっ! 《波旬皇》っ!!」

「……来いっ!」


 予備動作無しの空間跳躍からの大上段。最早それは移動ではなく、存在の置換。

 足一歩すら動かさずに《波旬皇》の真正面にいきなり姿を現し振るった一刀が、それでも彼の刃と切り結ぶ。

 微かの間の鍔迫り合い。いけ好かないイケメン面の奥に、その夢が眠っていることをしっかりと捉えながら、そうして異次元の戦端が開かれた。


「……おい、なんだそれっ!?」

「あそこまで行くと最早人の戦いではありませんね……」


 遠くでショウの驚きとユウの諦観の声が聞こえるが、スルーする。それくらいに、今の俺にとってこの戦い方が常識なのだ。

 物理法則を無視した想像を現実へ置きかえる戦闘。言葉にすると訳の分からない陳腐さだが、傍から見ている者達にはそれ以上に理解の及ばない光景だろう。

 まず、距離が消える。イメージした先に自分の存在を生み出し、そこから攻撃するという不可思議な世界では、彼我の距離と言う物が概念として消える。

 あるのは、そこに自分がいるかどうかだけ。

 空中だろうが壁だろうが、視界の限りに動き回り相手の背後や隙を狙おうと次々に景色が切り替わる。

 すると次に生まれるのは物理的な障害だ。

 イメージ通りに動き回る戦いの中では、三次元的な空間が居場所となる。つまり、敵の移動先を潰すために様々な魔術が前触れもなく顕現しては。相手の生み出すそれを討ち消そうと更なる魔術が重なり生まれる。

 結果、互いが互いを阻害し、己の理想を叩きつけるための戦場づくりが始まる。

 どれだけ有利な空間を作り出して攻撃できるか。どれだけ相手のイメージを先回りして期先を制すことが出来るか。

 己の魔術が次の瞬間に自らの道を阻み、一見到達不可能な場所に光明が見え始める。

 壁は壁足らず。風が水を貫通する。

 一体全体何が起きているのか。それすら当人の知覚は曖昧で……ただそこにあるのは、理想の隙間に見出す僅かな空白ばかり。

 感情が────想像が、全てを席巻(せっけん)する。

 無秩序な常識が、混沌とした平穏を引き連れて、現実にはあり得ない今を描き出す。

 最早仲間に配慮するだけの余裕はない。それほどに間延びした価値観が、やがて何もかもを埋め尽くして。

 最終的には互いが最後に立っていた場所が目に見えない何かに押し潰されるのと同時、魔術が織りなす星座の中で俺と《波旬皇》がただただ(しのぎ)を削っていた。

 手元で火花が爆ぜる。次の瞬間、辺りを埋め尽くしていた魔術がまるで初めから存在していなかったように音もなく消え去る。

 残されたのは、耳に痛い静寂だけだった。


「…………ふぅ……」

「ミノ」

「分かってる」


 いつの間にか詰めていた呼吸を吐き出せば、カレンの声に頷いて再び構えた。


「……あれだけやり合って互いに無傷かよ…………」

「無傷に、ならざるを得ないんじゃないですか?」

「え?」


 乱れもしない呼吸を落ち着けるようにイメージを加速させれば、傍観する事しかできなかったユウが俺が直面している現実に至って呟いた。


「ミノさんと《波旬皇》は魔障で繋がってます。という事は、それはミノさんとカレンさんの疑似契約と同じ状態という事です。つまり、互いに互いの考えていることを理解できてしまう」

「……なるほど、だから状況打開が出来なくて拮抗するってことか」

「もちろんさっき見たように、この空間にも限界があります。その瞬間に僅かでも支配権を勝ち取れば趨勢は変わるでしょうし……なによりあの力は想像の産物ですから」

「イメージできなくなった方が負けるってことか……」


 ユウとショウの言葉通り。最後の一瞬に少しでも先んじれば全てが終わり。そうでなければどこかで綻びが生じた時点で一切の予断を許されず結末が収束する。

 簡単に言えば、思考時間無制限の限定しりとりをしているようなものだ。違うのは、負けよりも勝ちに重きが置かれている事。相手を如何に出し抜くかが試される。

 負ける未来などどこにもない。たった二つの勝利だけが、たった一つの椅子を求めて衝突する。


「……で、オレ達は一体どうするんだ? 物理法則無視して動き回るなんて無理だぞ?」

「そうですね。下手に手を出せばミノさん達が考えている景色を崩しかねません。けれど逆は効果的だと思いませんか?」

「逆、ってぇと…………あぁ、なるほどっ。つまりミノの援護じゃなく《波旬皇》の妨害をしてやればいいってことか!」

「結果的に同じことですからね」


 俺が何かを言うより早く、ユウとショウがそれぞれの役割に気付く。

 幾ら埒外を振るう力を得たとしても、それは俺とカレンだけの物。彼らまでを無理に巻き込んでしまうわけにはいかないし、着いてこられるとも思えない。

 しかし目的は同じなのだ。だったら別のアプローチで反対側から回り込めば、いつかは目指す場所で合流できるはず。

 それに何より、彼らが外堀を埋めてくれればそれだけ俺とカレンの想像の幅も広がるのだ。

 物量と言うリソースは、最も想像を殺し得るバグなのだ。


「……じゃあ幾らかそっちに預けるからな。しくじるなよ?」

「おう、背中は任せろっ!」


 過去を追い立てられた奴に再び背を向けるなんて本来ならば恐ろしくてできないが。その仕返しに面倒を押し付けてやるのだと考えれば、結局は同じこと。

 俺はショウに厄介を押し付け、ショウは俺に文句を言うために逆回りで迫りくる。

 背中合わせに歩き出して、いつしか真正面から対峙する。

 きっとそれが、俺とショウが見つけたお互いの落としどころだ。

 そんな風に結論付けながら、イヴァンにも同じことを視線で頼みつつ、再び動き出す。


『ミノ、楽しそうだねっ』

「うるせぇっ」


 繋がった感情を直接受け止めたカレンが擽ったそうに笑って。呼吸さえ置き去りに交えた刃の中思考を重ねる。


『でも大丈夫? この作戦だって筒抜けだよ?』

『だとしても、俺にはイヴァン達がどう動くかなんて関係ないからな。俺の考えが至らないことを《波旬皇》が読み取るなんて不可能だろ?』

『信用してるのかしてないのか、一体どっちなんだろうね』

『安心しろ、今俺が一番信頼してるのはカレンだ』

『……もうっ!』


 わざとらしくそう思い描けば、カレンの感情が膨れ上がる。

 カレンの力は、正への執着が生み出す想像の結実だ。つまり、どこまでも無鉄砲にポジティブな感情を抱き続けることが糧となる。

 対して《波旬皇》の原動力は底無しの負の感情。自己の否定、存在の消滅と言った、俺があの世界で経験したような息苦しさを力に変えて今を描き出す。

 つまるところ、前向きな夢が現実を作るか、後ろ向きな妄執が世界を変えるか。これはそういう陣取り合戦だ。


『でもさ、やっぱり嫉妬しちゃうよね。私が選んだたった一人の傭兵さんなのに、今向かい合ってる相手との方が仲がいいとか。これじゃあまるで私が二人を引き合わせたみたいじゃん』


 事実そうだろうに。今更一体何を言っているのか。

 俺はカレンに呼ばれてこの世界にやってきて、こうして《波旬皇》の感情に親近感さえ覚えているのだ。

 傍から見ればカレンはキューピット以外の何者でもない。


『うぅ……』

『何拗ねてるんだよ。大体求めてるものが違うだろ? カレンは俺を肯定しようとしてて、あの《波旬皇》は自身の肯定に俺を利用しようとしてるだけだ。流石の俺でも他人の存在意義のために命を費やすなんて認められるかよ』


 というか、客観視したら変な状況だな。

 何で俺がカレンと《波旬皇》に取り合われなきゃならないんだよ。俺は不出来なラブストーリーのヒロインになったつもりなんか一切ないぞ?


『それにな、幾ら他人を信用できないからって別に他人の不幸を楽しんでるわけじゃないからな? 俺だって可能なら誰もが得をするハッピーエンドってやつを探してるんだ』

『……そうだよね。だからミノはあんな我が儘言うんだよね』

『ま、それだって完璧に受け入れられる未来とは思わないけどな。……ただ』


 空中で、何もないところを蹴って振り下ろされた一閃を(かわ)す。その勢いのまま振り上げた一蹴を《波旬皇》の横っ面に叩き込みながら、彼女の言う我が儘を振り翳す。


『俺はもう自分を殺すつもりはないってだけだ……!』


 蹴り飛ばしたはずの《波旬皇》が背後にいきなり現れて、何もない空間から魔物の軍勢を(けしか)けてくる。

 それを肌で感じつつ、けれど反撃は無視して攻撃の一手を滾らせる。すると俺の背中に襲い掛かろうとしていた悪意の波濤が、まるで見えない糸に操られるように狙いを変えてベディヴィアへと殺到した。

 《波旬皇》由来の魔障を介して、本来魔術しか引き寄せられないはずの《庇擁(ヒヨウ)》の力で、悪意の感情ごと一手に引き受けたようだ。

 《波旬皇》相手にしか通用しないようだが、魔物の敵愾心さえ操る彼の異能はこの場を遷移させることに欠かせない要素だ。


『だから、我が儘だろうがこの理想にはカレンにも付き合ってもらうぞ?』

『…………大丈夫。納得は出来てないけど理解は出来るから。その代わり、責任はちゃんと取ってよねっ』

『それはあいつ次第だな』


 結局のところ、賭けでしかない。俺は唯、僅かにでもその可能性が残っているのであれば、その同情を……自分を助けるつもりで成し遂げたいだけだ。


『……でだ。その為にもどうにかしてチカ達との契約も修復しないとな』

『この乱戦の中で? 私嫌なんだけど……』

『じゃあ他に何か納得する解決策があるのか?』

『…………ミノの意地悪……』


 どうやらこちらに関しても理解可能、納得不可能のようだ。相変わらずな価値観だな。手段がそれしかないなら悩むことではないだろうに。


『ていうか、ミノのその価値観の方がおかしいんだよ? 何でそんなに平然としてられるのっ?』

『事実以上のことは何もない。それだけだ』

『うぅ……どうしてこんな人好きになっちゃったんだろぅ…………』


 そんなの知るか。お前が勝手に言ってるだけだろうが。

 生憎と俺はその気持ちに応えたつもりは一度もない。勝手に結果を押し付けるな。


『…………もぉおおおぉぉぉっ!! だったら早く終わらせてっ!』

『頭の中で叫ぶな。うるさい』


 感情の化身であることを露わにする唯一無二の希望様に悪態を吐きつつ、今一度刃を交わらせそこから行動阻害の限りを想像で尽くす。

 目に見える拘束から空間そのものを固定してしまう埒外の妨害まで。ありとあらゆるあれこれを雁字搦めに押し付けて……それでもきっと数秒しか持たないのだろうと思いながら空間を跳躍し、《波旬皇》の傍から離れる。


「チカ、シビュラ」

「え、なにっ?」

「時間がない。言う通りにしてくれ」

「分かった」


 いきなり目の前に現れたことに驚いたチカを置き去りに告げれば、シビュラは相変わらず淡々と頷く。こういう時彼女の理由なき肯定は話が早くて助かる。


「シビュラ、さっき言った契約術式を展開しろ。チカはそれを並列化」

「ん」

「あぁ、もうっ! こんな忙しい時にいきなりそんなこと言わないで、よっ!」


 横に広げた右手から魔力の砲を射出しつつ、左手で足元に広がった契約術式を瞬時に書き換える。

 契約用の黄色い陣がゆっくりと回転する中に、琥珀色の魔力が混じり合って浮かぶ文字列を上書きする。

 いつ見ても鮮やかな術式編纂。しかもそれを、一刻を争う中で他の魔物を相手にしながら瞬きする間にこなしてしまうあたり、流石はチカだと感心をしながら。

 カレンと心を繋ぎ、思いのままに景色を変える力を手に入れるに至って尚、彼女の様に魔術を上手に扱えない身からすれば、その特別さえも羨ましいと思いつつ。

 再び立ち上がったチカを強引に抱き寄せ、その唇に己のそれを重ねる。


「はっ? な、ぅむ────!?」


 文句か何かを言おうとした先を塞がれ、ライムグリーンの瞳を驚愕の色に揺らすチカ。

 けれどもその時には既に、足元の術式が既に役割を演じ始めていた。


「ちょっとっ、いきなり何を──って、これっ!」

「いきなりで悪いな。けど二人との契約が必要なんだ。文句なら後で聞くから今は堪えろ」

「……こんなところでなんてムードの欠片もないじゃない、馬鹿…………」


 悪態を吐くチカ。けれども移り行く景色の中で状況を呑み込み受け入れた彼女は、改めて足元の魔術に魔力を込め直した。

 チカとの間に再び交わされた契約が行き場を求めて暴れ出す。その端をチカが操って周囲への牽制とする中で、今度はシビュラへと向き直れば、彼女は小さな背丈から健気に顎を上げ、その時を待っていた。

 そんな覚悟に吸い込まれるように繋がりを重ねれば、琥珀に次いで黄色い魔力も同時に周囲を駆け巡る。

 俺の無尽蔵と混じり合おうとする衝動が二つ分。まるで魔力の繭のように辺りを取り囲み、《波旬皇》が生み出した魔物を退けた。


「シビュラ」

「うん」


 確認のように音にすれば、足元の契約術式を開放し、結果だけが追い縋る。

 口付けによる回路の構築と、契約術式による契約文言のスキップ。その二つが合わさって、次の瞬間にはチカとシビュラとの契約が今再びそこに成っていた。


「……時間がないからって勝手な事ばっかり…………」

「それに関しては全部終わったらな?」

「ん」


 チカとシビュラが同じようにこちらを見つめ、視線で念押ししてくる。

 二人には契約解除の事も含め、後で可能な限り要望を聞くとしよう。


『ほら、ミノっ。切り替えて』


 脳裏に響いたカレンの声に向き直れば、既に《波旬皇》の拘束は解け、元《魔祓軍(サクラメント)》の面々がどうにか抑え込んでいた。

 と、刃を交えていたベディヴィアが目に見えない力でいきなり真上に弾き飛ばされる。

 最早物理法則など人体であること以外に意味をなさないようだ。

 重力の存在を真っ向から否定する超常的な光景に、けれども見惚れる余裕は一切存在せず。次の瞬間には俺の死角に瞬間していた《波旬皇》の攻撃が無慈悲に襲い来る。

 が、シビュラと再契約を果たした今の俺にその不意打ちは全くの無意味だ。

 そもそも《波旬皇》とは魔障を通じて繋がっている。それを《波旬皇》が隠そうとしたところで、今度は契約が齎す悪意の感知からは逃れられない。

 彼が《波旬皇》である以上、その体は負の感情の塊だ。存在そのものがこちらの危機感を逆撫でしてくれば、体は勝手に反応を示すと言う物。

 振り返る間も惜しく剣の壁で相殺。次いで《波旬皇》の後ろからチカの魔術が彼を襲う。

 俺、《波旬皇》、魔術が一直線に並ぶ光景の中。《波旬皇》は予知でもしていたようにその場から姿を消す。

 一拍遅れて放たれた雷撃の魔術は、俺の背中に当たる寸前で軌道を変え、テレポートした《波旬皇》を捉え追従する。

 悪意感知と合わせたロックオン。《波旬皇》が《波旬皇》である限り、この空間把握からは逃れる術はない。

 途中で分裂、増幅し、幾条もの稲光となった魔術が障害物を華麗に回避しながら《波旬皇》へと殺到する。見れば、いつの間にか直ぐそこにノーラがいて。彼女の感応増幅によって元からそれなりの規模を誇るチカの魔術が更なる牙を増やしたようだった。

 まさしく閃光となって駆け巡る(いかづち)の嵐。雷雲の最中ですらここまで苛烈な光景は見られないだろうと独り言ちたのとほぼ同時。視界を染め上げた中の一筋が《波旬皇》の肩に掠る。

 と、そこに避雷針でも埋め込んだかのように音さえ置き去りにする衝撃が空気を震撼させ、空気が焦げる嫌なにおいを辺りに振り撒いた。


「足止めにしかなんないわね…………」


 呟きはチカの口から。彼女は魔剣であるクリスの形になって俺の手に収まりつつぼやく。


『残念だけどそれ以上は期待しないで。確かにシビュラの力と掛け合わせれば攻撃は通る。けど残念ながら致命打にはならない』

『希望はカレンだけ』

「そうか」


 感情を宿さないシビュラの魔術。それならば或いはと思ったが、今の《波旬皇》を討滅するには至らないようだ。

 ノーラの感応増幅を受けてそれなのだから、その手法でこれ以上は望めないという事だ。

 足を止めた《波旬皇》にメローラ達が斬り掛かるのを見て、僅かな間に次を思索する。


「あんなの受けてまだ戦えるんですか……?」

「あぁ。だからノーラは力を無駄うちするな。それからシビュラ」

『うん、出来る』


 《波旬皇》と言う埒外を目の前に驚愕するノーラに答えつつ可能性を模索すれば、契約を介して俺の考えに先回りしたシビュラが淡々と頷く。

 可能ならやるだけだ。

 考えて、爪の先ほどの魔力を練り上げれば、足元に陣が浮かび上がった。


「ノーラ、今は魔術を弾いたりしないんだな?」

「え? あ、はい」

「なら今度はその力をカレンの攻撃に合わせてくれ」

「カレンさんの…………って無理ですよっ! あんな人じゃない戦いについていける訳ないじゃないですかっ!」

「幾ら俺でもノーラを引きずり回そうとか思わねぇよ……」


 一体どこの鬼畜だ。そんなことしたらノーラの体がもつわけない。

 因みにだが、俺がカレンの想像についていけているのは、俺とカレンが互いの体の無事を理想としているからだ。そのお陰で、どうにか物理法則を無視した戦場でも動き回れている。

 しかし幾らカレンでも契約の交わされていないノーラまでは守れない。それに、彼女を抱きかかえでもして戦うには、俺の腕が足りなさすぎる。

 幾ら魔障の行き着く先が魔物の姿だとしても、そんな異形は勘弁だ。

 

「そこに居ても感応増幅が出来るようにする。その代わり、的になる。どうする?」

「やりますっ」


 まだ詳しい事は何も言っていないのに、噛みつくように頷いたノーラ。

 それは覚悟というよりは、彼女個人の執念とも言うべき意志の炎。

 彼女は戦えない身で最前線に飛び込んでくる胆力の持ち主だ。今更こんな脅しで躊躇ったりはしないらしい。


「ならそこから動くな。そうすれば離れてても力の増幅が出来る」

『出来た。ミノ、可能な限り詰め込んでおいたわよ』

「一応数回身を護る分は防御として用意しとく。だがそれも……四回までだ。それ以上は自己判断だ。いいな?」


 シビュラが持ち合わせる魔術をチカが編纂して大規模複合魔術として作り変える。

 その、研鑽と言う言葉が届かないほどの頂きの結晶を表面上だけ理解して、最終ラインだけ伝えておく。


「分かりました。ミノさんも、お気を付けて」

「あぁ」


 頷いて掌を翳せば、ノーラの足元に複雑な魔方陣と、そして彼女を守護するようにピラミッド型の幕が四層展開される。

 ノーラがこの結界の内側にいる間は、遠隔で《逓累(テイルイ)》の力を受け取れる。加えて俺は、彼女を守ることを頭から除外して《波旬皇》に対応できる。個人的には後者の方が重要だ。

 これまで経験がないからというのが一番大きいが、どうにも何かを守りながらというのは性に合わない。

 やっぱり俺には《渡聖者(セージ)》なんていう世界の救世主めいた役割は似合わなかったらしい。……ま、分かってたことだけどな。

 守るものなどなく、一人の方が強いとか。つくづく俺は過去に憧れたヒーローとは程遠いのだと悟る。

 別に俺は正義の主人公になりたいわけではない。ただ、己の自由の向くままに、生きていることを謳歌したいだけなのだ。

 その為に不必要な壁は──理不尽さえも振り回して無理矢理にでも突き破ってくれるっ!


「さ、いくぞ……!」

『うんっ!』


 カレンの声を脳裏に聞いた時には既に時間が過去の事だった。

 何かを蹴った感覚もなく跳躍した空間の向こう側。微かに残る声の残滓に重ねて、耳障りな金属音と共に刃の中ほどから先が宙を舞っていた。

 《波旬皇》の想像を上回る意思の力。カレンのイメージと俺の衝動と。そしてそれらを数倍に引き上げるノーラの《逓累》が合わさり、《波旬皇》の握る何でもないショートソードを切り捨てたのだ。

 ……それでも、音もなく両断とはいかないのが悪意の塊たる埒外の証。

 すぐさま意識が得物から獲物へと切り替わり、呼吸さえ貫く魔術の嵐が目の前に顕現していた。

 途端に体中を逆撫でした不快感を拭い去ろうと想像を巡らし始めた刹那。壁のように迫っていた魔術の波濤が瞬く間に糸のように解かれて消えて行った。

 遅れて悟る、チカの術式編纂によるディスペル。契約を交わしたことで殆ど無尽蔵に使えるようになった魔力を惜しみなく動員し、かつてない規模で彼女の知識が障碍を打ち砕く。

 次いでカウンターのように《波旬皇》へと嗾けられた、豪雨のような魔術の嵐。その一つ一つは俺でも対処できそうな小さな攻撃。

 けれどもそんな雨粒でも、局所的に叩き付けられれば瞬く間に大地を潤すように。数えきるのが不可能な……否、着弾さえ未確認に矢継ぎ早に打ち出される無限弾倉が、魔術的爆発を絶え間なく《波旬皇》に浴びせかけられる。

 小規模魔術の絨毯爆撃。手加減など一切感じさせない淡々とした奔流。

 これをただただ無感情にこなすシビュラのえげつなさに頼もしさせ覚えつつ、再び跳躍して《波旬皇》の背後から斬り掛かる。

 と、流石の理不尽の塊でもキャパシティーと言う物はあるらしく、その一撃が戦闘が始まって以来のようやくまともなダメージとなって彼の背中を斬り裂いた。


『下がれ!』


 脳裏に響いたイヴァンの声。それを聞いた時には既に空間跳躍を終え、ノーラを庇うように距離を取り終える。

 それとほぼ同時、かつては契約魔剣だった一振りを握りしめたイヴァンが、その刀身に《皆逆(カイギャク)》の力を宿して横凪ぎに《波旬皇》へと振るう。

 致命傷にはなり得なくとも隙を作り出す一手にはなる。それに、カレンの刃が通って《波旬皇》が削られれば、それだけ弱体化を促し、今まで意味のなかった一撃が意味を持つようになる。

 全くの無価値ではない。もしそうなら、誰かがそれを価値ある言動に昇華するだけなのだ。

 ならばきっと、その役割に最も近いのが《波旬皇》を追い詰められる俺だと意気込んで。再接近を脳裏に描いた次の瞬間、《波旬皇》の背中から衝動が吐き出され、斬り掛かっていたイヴァンに襲い掛かった。

 恐らく先ほど俺が付けた傷口から溢れ出したのだろう魔力。それが今、翼のような形となって新たな《波旬皇》の腕となろうとしているのだ。

 攻撃の手が増えるのは厄介だが、逆に光明も見つける。

 カレンの刃は確実に《波旬皇》に届く。それはつまり、こちらにとっての勝機なのだ。


「それは知っているっ!!」


 イヴァンを呑み込まんと唸った魔術。それを視認するのと同時に動いていたのがベディヴィアだった。

 彼が後方から手を翳すと、まるで誰かが見えない掌であやしたように魔術の軌跡が歪み、戦場に立っているのが不釣り合いな老骨へ向けて殺到する。

 ベディヴィアの《庇擁》。しかもどうやら、以前戦った記憶から《波旬皇》がそう行動してくることを読んでいたようだ。

 傷口から溢れ出した魔力さえ攻撃に転用する。初見殺しにさえ感じる無慈悲な一撃。だが、その奇策は当然のように封じ込められる。

 デーヴィに向けて襲い掛かった魔術が、彼の周りに控えていたエレインやペリノアによってその(ことごと)くを無力化されているのを目端に捉えつつ、呼吸を整える。

 知っていたなら先に教えて欲しかったが……まぁいい。乗り越えたなら次だ。


「だぁああっ!!」


 《庇擁》の力が及ぶ限りは、こちらも攻勢に転じられる。

 それを肌で知っているメローラが裂帛(れっぱく)の声と共に魔障の一撃を宿して振り被る。

 その一閃が、途中で魔力に編まれた巨大な腕に包まれると、ただの剣閃とは思えない衝撃と共に《波旬皇》の体を横殴りに吹っ飛ばした。

 魔術的に効果がないのならば物理的にぶつけてやればいいとは、なんとも脳筋らしい考え。だが、お陰で俺が飛び込む隙が生まれる。


「ふっ!」


 小さく息を吐き出しながら《波旬皇》の懐へ文字通り瞬間移動。

 次いでカレンを振り抜けば、いつしかそこに生まれていた狼のような《魔堕》がカレンの刃を噛んで止める。

 ……どうにもカレンの感情の刃は、斬る対象に選んでいたものと違うものを斬ると切れ味が鈍るらしい。《波旬皇》の魔力から生み出された魔物でも、切り離されていれば別個の扱い。だから一息には斬り裂けない。

 そして生まれるその一瞬だけで、《波旬皇》は反撃へとすぐさま移ってしまう。

 しかし、防御するという事はそれだけカレンからの一撃を貰う事を恐れている証拠。ならば通るまで続けるだけだと再び理想を描いて、魔物を振り解きながら後退。

 するとそこに、俺さえも巻き添いにしかねない一蹴が音もなく忍び寄って振り抜かれる。

 俺への対処に意識を割いていたところへの、透明化によるラグネルの急襲。

 ここぞというところで意表を突く彼女の一撃は、過去に戦った経験則からか、ダメージはなくともよく《波旬皇》を捉えている。

 どうやらそう言う呼吸に滑り込むのが得意らしい。

 気付いた時には見失っているとは、敵にすると厄介な能力だろうが、味方の今は心強い。

 と、そのラグネルが一瞬だけ俺へと視線を向ける。

 その瞳の奥に、使用人らしからぬ挑戦的な侮蔑の色が混じっていることに気が付いて、思わず闘志が燃えた。

 …………上等だ。やってやろうじゃねぇかっ!

 これまでの事を思い返しながら脱力する。埃でも撫でるような《波旬皇》の反撃がラグネルの体を遠くに吹っ飛ばすのさえ違う世界の事のように眺めながら、どこまでも独りに落ちていく────

 イヴァンが再び駆ける。……違う。

 メドラウドが魔物を一瞬だけ操って《波旬皇》に嗾ける。……違う。

 ショウの弾いた一撃が俺の傍に着弾する。そこで思い出したかのようにノーラへと《波旬皇》の意識が向いて────

 その瞬間、魔障の繋がりを瞬き一つ分の間だけ全てを察したカレンが遮断して。気付けば俺の掌が彼の腹に宛がわれていた。


「っ!?」


 自分でさえも驚いた接触に。けれども意識はなぜか冷静に判断を下して。

 チカの魔術にシビュラの無感情が加わり、最後にカレンの決定事項(かんじょう)が上乗せされた一撃が《波旬皇》の腹を大きく貫いた。


『……おみごとです』


 ラグネルの声が他人事のように響く。

 そんな一言で終わらせやがって……。今の一撃、俺は防御すら捨てたんだぞ? どれだけ捨て身だったか分かって言っているのだろうか。

 ……けれどもしかし、ラグネルに挑発されたとはいえ、ぶっつけ本番でどうにか成功した意識の隙間に潜り込む一撃。

 言ってしまえば簡単な話で。俺への関心が逸れた一瞬に滑り込むだけなのだが、そのためには自分すら曖昧になるまで存在を殺す必要がある。

 それは、想像が雌雄を決するこの戦場で、自分の存在意義を捨てろと言われているのと同義で。もし気を抜いたその間に攻撃されれば、塵も残らず消え去っていただろう事は想像に難くない博打なのだ。

 こんなことを毎回しているラグネルも、大概壊れていると思いながら。

 二度目は通用しそうにない事だけは確信して、いつも通りに構え直す。


「無茶に付き合わせて悪かったな」

『ミノの事だもん。どんな無茶だって信じられるよっ』

「そうかい」


 カレンの信頼に吐き捨てるように答える。

 次いで気恥ずかしさを振り払うように小さく息を吐き出せば、目の前に魔力の砲が存在していた。

 ……少し気を抜きすぎたか。

 そんなことを考えつつ、突き刺さる衝動を器用に受け流す一人分の背中に声を掛ける。


「無理すんなよ?」

「だったらオレが死ぬ前に片付けて来いっ!!」


 威勢のいい……その実、必死さの塊なショウの声に背中を蹴られて地面を蹴る。

 強化された脚力で捲れ上がったり陥没したりな戦場を走れば、一拍遅れて魔物の群れが行く手を塞いだ。

 その気はなかったのだが、自力で距離を詰めたことが結果的に《波旬皇》の隙を突いたらしい。

 だからこそ、もうこちらの呼吸だと全てを掌握して。

 次の一歩が地面を踏みしめる寸前、空間を飛び越えて魔物を素通りし、《波旬皇》の目の前に無防備に現れる。

 瞬く間に俺を包囲する切っ先。今更こんなことで怯む肝など持ち合わせてなどいないと小さく息を吐けば、竜巻のような猛威が吹き荒れて飛来していた幾多もの刃をあちらこちらへと弾き飛ばす。

 耳の横を刃が通り過ぎた刹那、一瞬の静寂と共に体感が引き延ばされて世界の全てが静止したような錯覚に包まれる。

 目の前には《波旬皇》。右からはイヴァン。左から半拍遅れてメローラ。このままカレンを振り下ろせば、イヴァンとほぼ同時に攻撃し、ワンテンポずれた一撃がメローラから叩き込まれる。

 欲を言えばメローラにも同じタイミングで仕掛けてもらいたかったが……ならばそこは逆に考えるとしよう。

 上段に構えた一太刀。その刃に青墨色の魔力が炎のように纏い、これ以上なく感情を露わにして《波旬皇》の敵愾心を惹き付ける。

 それと寸分違うことなく特別感のないただの剣を握った《波旬皇》がこちらを見据えて後の先に一閃を滑り込ませる。

 現状、カレンの刃が最も警戒すべき相手。他二つの攻撃は無視で俺へのカウンターに注力するのは当然の選択だ。


「ユウっ!!」

「っ!」


 だからこそ、俺は俺を切り札だとは思わない。

 こんな見え透いた攻撃が《波旬皇》相手に通るなどとは、思っていない。

 ならばと行く末を預けたのが、《波旬皇》の背後に突如として姿を現したユウだった。

 先ほど魔力砲から俺を守ったのはショウ一人だった。本来ならばユウと一緒に行動して互いの身を守りながら攻め入る隙を作り出す縁の下の力持ち達。

 けれどもユウはあの瞬間、ショウと別行動をしていた。

 それがきっと、何かのきっかけになると直感で悟って、彼女に託したのだ。

 ラグネルと共に姿を消していた彼女は、左右で違う瞳を《波旬皇》の背後から真っ直ぐ注ぐ。

 当然ながら、ユウの魔瞳では《波旬皇》を惑わすことはできない。

 ……だが、それ以外ならば話は別だ。

 例え直接干渉できなくとも、間接的になら想定外の結果を齎すことが出来る。

 その力が音もなく、現実を引き寄せる。


「……っ!?」


 そこに成ったのは、物理的限界を超越した景色だった。

 俺が振り被った一撃が、振り下ろされる。同時に、右からイヴァンが《皆逆》の力で斬り掛かり。追い縋るように左からメローラが魔障を横殴りにぶつける。

 三方向からの示し合わせたような攻撃。

 それを……特に俺の攻撃に注力した《波旬皇》が対抗して、辺りに激しい魔力衝突の残滓が逆巻く中で。


 ────鎬を削っているはずの俺と《波旬皇》の姿を、もう一人の俺が静かに見上げていた。


 ユウの魔瞳。その力が引き起こしたのは、俺を操った無意識の一撃。彼女と出会ったその最初に苦戦させられた、思考と行動が乖離したあの幻術だ。

 けれどもそれだけならば空想は現実にはならない。

 その道理を覆し、ありえないをありえさせてしまうのが、カレンのバカげたポジティブさだ。

 カレンは、ユウの魔瞳を受け入れて、それを肯定した。

 その結果生まれたのは、上段から刃を振り下ろす確かな実体を持つ俺と。その下に前傾して見上げる俺と言う、あまりにもおかしな光景。

 単純な話、俺と言う存在がこの瞬間に限って二人存在しているという、きっと誰も実現しえない現実だ。

 存在しない幻を実体化させるなんて言う、常識に真っ向から楯突く異常。

 しかしそのお陰で、俺の意識はしっかりとしたまま、腰だめに構えた一刀に意識を傾けることが出来る。


「さぁ────」

『行くよっ!!』


 カレンが二振り存在するという、空前絶後の景色の中。

 澄んだ心が刀身に灯したのは、薄暗い戦場で希望のように燃え盛る紅の魔力。

 俺が初めてカレンと契約し、望んだ理想を、今再び再現するかの如く。

 須臾(すゆ)の時さえ斬り裂く居合の横一線が、鮮やかな流星のように軌跡の尾を引いて目の前の体を両断する。


「下がれっ!!」


 叫んだ、次の瞬間。

 世界を支配する物理法則が反転したかのような魔力の濁流が辺りに駆け巡る。

 質量さえ伴った感情の波濤に押し潰されるようにして、何もかもが《波旬皇》を中心に放射状に吹き飛ばされる。

 それは、彼が長きに渡って溜め込んできた悪意の衝動。世界を書き換える程の執着の嵐が、周囲の一切合切を呑み込んで蹂躙する。

 後ろで瞬く間にノーラを守護する防御魔術が蒸発するのを感じながら。

 獰猛な猛獣のような感情が、魔障を介して俺の内側にも直接流れ込んでくる。

 拒絶する暇もなくぐらりと歪んだ意識。けれどもそれも一瞬で、気付いた時には既にあの魔王城のような建物の外に瞬間移動して地面に膝を突いていた。


「大丈夫っ!?」


 直ぐ傍で人型となったカレンが俺の脇を抱え上げる。

 どうやら疑似契約が切れたらしい。寸前に彼女の力で全員をあのラスボス城から退避させてくれたようだ。


「……っ、あぁ…………なんとかな」


 胸の奥には重苦しい負の塊が渦巻く。

 だからこそ、気付いてしまう。


「クソが……いい加減夢から目を覚ませよ…………」


 唾棄するように吐き捨てた刹那。目の前の城が内側から弾け飛び、その残骸ごと天を貫く魔力の塔に呑み込まれて消滅する。


「うそ……。カレンの刃が間違いなく入ったのに…………」

「まだ、倒れてない」


 チカとシビュラの呟きを肯定するように、禍々しい魔力の渦が弾け飛んで。押し退けられた雲の隙間から差し込む月光をその身に受けた、まるで天使のような神々しさの《波旬皇》がこちらを睥睨する。

 ぎりぎり届かなかった。……否、カレンの一撃は確かに決まったが、それだけでは足りなかった。

 それが、目の前の景色という現実だ。


「ぅぐっ!?」

「ミノっ! っ……! ペリノアさんっ、マリスさん! ノーラも来てっ!!」


 どうにかしてもう一撃……。

 そう不屈を抱いて立ち上がろうとしたところで、胸の奥が熱く疼き呼吸が苦しくなって蹲る。

 魔障を分不相応に振り回したその代償。体を蝕む悪意の衝動が、内側から俺を変質させようと暴走し始める。

 それに逸早く気付いたカレンがすぐさま浸食を抑え込み、的確に人選を飛ばす。

 ノーラが増幅した治癒と《緘咒(カンジュ)》の力のお陰で、一先ず魔物化は避けられた。だが、自分の体だからよく分かる。

 もう戦えるような状態ではない。

 カレンとの契約も失い。魔障をコントロールできず。立ち上がる力がない。

 そんな中で、無情な今だけが嫌にゆっくりと時を刻み、全てを否定せんとこちらに歩み寄る。


「…………《波旬皇》……!」


 その姿形は、憎らしい程の金髪碧眼であるアーサーのまま。

 彼はその瞳に無感情な色を灯して足を止め、同情するように告げる。


「終わりか? 無聊(ぶりょう)を慰めるには──」

「まだっ!」


 死刑宣告のような淡々とした響き。

 しかしそれを遮ったのは、聞き馴染みのない悲鳴のようなラグネルの声だった。

 その瞬間、《波旬皇》の足元に魔方陣が浮かび上がり、彼に向けて数多もの魔術が殺到する。

 あれは、前に見た。ラグネルが《魔祓軍》時代に得意としたという、儀式魔術。どうやら先ほどまでの乱戦の中で《波旬皇》の体にでも刻み込んでいたらしい。

 抜け目のない厭らしさ。……だが、それだけでは倒せない────そう考えた次の瞬間。俺の肩を支える力が忽然となくなる。

 そこにいたのが誰なのかさえ、考えることはせず。


「チカっ、シビュラっ!」


 気付けば喉が割けんばかりに呼んでいた彼女達の名前。

 その音が、最後まで形になる前に。二人も察してすでに動き出していて。

 重なり襲った悪あがきのような反撃に──微かに《波旬皇》が眉根を寄せた、刹那。


「む」

「奥の手、だよ」


 《波旬皇》の胸の中心に、深紅の波紋の刀が無造作に突き刺さっていた。


「契約は、切れていたはずだが?」

「……悪いが、そんなので俺とカレンの繋がりが切れると思うなよ?」


 カレンの勝ち誇ったような声に重ねて目一杯不敵に微笑み、左の拳を突き出す。

 その薬指には、今し方カレンが勝手に通しやがった指輪が嵌っていた。

 これのお陰でカレンが俺の内側の魔障を抑えられた。……つまり、俺とカレンの意識はそれなりに繋がっていて。

 だったらユウがそうして見せたように、今度は俺の想像をカレンが現実に変えるだけの事。

 だから俺は、チカとの契約で得た術式編纂能力で幾度も確かめてきた使い勝手のいい魔術。唯一表層だけながら自力で理解し、誇りを持って使える、刀剣創生の魔術で魔剣のカレンをイメージし。そして彼女がそれを受け入れたのだ。

 結果、たった一回限りの奇襲として、契約外の魔剣での一撃を見舞う事が出来た。

 《波旬皇》が直ぐそこに居なければ。マリスやペリノアに魔障を預けられなければ。ラグネルやチカ、シビュラの魔術で僅かに意識が逸れなければ。

 そのどれかが欠けていれば叶わなかった理想は、けれども確かに《波旬皇》の胸を貫いて見せたのだ。

 なんとも不格好で狡い事だが、勝ちであることには変わりない。


「文句は言うなよ? これが、俺たちが望んだ必然だ」

「…………それでこそ、と言うものか」

「負け惜しみか?」


 《波旬皇》が何よりも恐れる、存在の消滅──死という負の概念。

 その縁に立たされた彼が、小さく肩を上下させて呟く。


「さて、《珂恋(カレン)》」

「うん、行くよ」


 まるで、長年寄り添った相棒のように。哀愁さえ漂わせて短く言葉を交わした《波旬皇》とカレンが。

 次の瞬間、深紅と青墨。二色の魔力の嵐となって辺りに吹き荒れた。

 生と死の衝動は入り乱れ、誰もが近づけない壮絶な狂飆(きょうひょう)の中、徐々に《波旬皇》の体が指先から霧散していく。

 さしもの《波旬皇》も、天敵たるカレンが胸に深々と突き刺さっては抵抗も難しいらしい。

 もっと無様に生き足掻くものかと想像していたが、どうやらそんな醜態を最期に晒すつもりは無いようだ。

 千年近く人の世にその名を轟かせてきた悪の首魁の最期が、これだけあっさりとしていると拍子抜けさえ覚えながら。

 やがてその体が靄のように溶けて消えゆく中で、不意に彼の感情の端が俺の頬を掠めて後ろに────


「まだ」


 その尻尾を追うように顔を回した先で、俺へ向けて無表情にヴェリエを振り被るメローラの姿を捉え、息が止まった。

 誰もが呆気にとられる世界の中。シビュラの静かな声だけが響き渡る。


『ミノっ!!』

「っ……!」


 その意味を頭が理解するより先に。脳裏に反響したカレンの声に導かれるように、這いずるように半歩分だけ後ろに下がって。

 次の瞬間、無慈悲な鈍色を放つショートソードの切っ先が──俺の鼻先を微かに撫でた。

 その余韻に感じ入る暇もなく。大地を打った刃の音がスイッチになったように、青墨色の魔力が暴風の如く周辺を席巻した。

 いきなりの出来事に、その場にいた全員がまともな受け身も取れず吹き飛ばされる。

 気付けば無意識に庇っていた頭。何度も攪拌された平衡感覚が、遅れて鈍い熱と共に体に染み渡り始めたところで、ようやく顔を上げてその事実を認識する。


「…………なん、だ……?」

「ミノ、立って! あの女の体、《波旬皇》に操られてるっ!」

「な──はぁっ!?」


 思わず漏れた、間抜けな驚愕の声。

 チカの声に疑問ばかりが募る中、視界の先の戦士の体がゆらりと構え直す。

 そうして見据えられた瞬間、俺の背筋をこれまで何度も経験した嫌な感覚が這い上がって、生理的に確信した。

 あいつがまだ、そこにいる────!


「構えろォっ!」


 イヴァンの空気を裂く叫びに、俺以外の全員が無意識に構える。

 一瞬にして再び張り詰めた空気の中。立ち上がることも出来ない緊張に呑まれて、虚ろな瞳でこちらを見つめるメローラに視線を奪われて、数秒後。


 背後で、心が割けるような、金属の砕ける音がした。


「…………カレン?」


 いつの間にか振り返った視界の中で。先ほどまで《波旬皇》の胸に突き刺さっていた日本刀。


 その、何もかもを体現したような一振りが────中ほどから折れて、大地に転がっていた。


 どこから湧いたのか分からない力で(おもむろ)に立ち上がり、ふらつきながら、(つまず)きながら、距離を詰め。

 膝が折れるようにして彼女の傍に腰を下ろせば、いつしか冷たくなった指先で、柄頭に白瑪瑙(めのう)の嵌った柄を持ち上げる。

 すると、答えを満たしたように残っていた刃が風化して崩れ、目に見えない魔力になって儚く消えた。

 手の中に残ったのは、鍔から下の部分だけ。

 刀としての魂をすべて失った、器だけ。


「……そうか」


 意味のない納得だけが、胸の奥に小さく収まる。

 これが、全て。

 その事実を噛み締めるように、馴染んだ柄を今一度握りしめる。

 背後で、メローラの体に宿った《波旬皇》が《共魔(ラプラス)》とショウを相手に第二ラウンドを開始する。

 振り返らなくとも分かる。

 誰もが死力を尽くした。持てる限りを吐き出した。

 その果てに──《波旬皇》の妄執が実を結んだ。

 その結果、俺達は負ける。

 何とも分かりやすい結末だ。


「ミノ、まだ」

「…………そうだな」


 いつしか人型に戻っていたシビュラの平坦な声に、深呼吸一つ。

 次いで振り返れば、吹き荒れる魔力の残滓に琥珀色のショートヘアを揺らしたチカが、真っ直ぐに俺を見据えて尋ねる。


「戦える?」

「…………もう少し、感傷に浸らせろよな」

「必要ないでしょ?」


 笑顔で言うなよ。

 ……けれどもまぁ、チカの言う通りか。

 全ては、終わった後で何とでもなる。

 何が起きようと、今は戦いの最中だ。


「で、あれは?」


 思いのほか落ち着いている自分に驚きさえ感じながら、声は静かに尋ねる。

 視線の先には、メローラの姿で青墨色の剣閃を振るう、子供の様な何かがいた。


「多分だけど、《波旬皇》がメローラを乗っ取ってる。結構力使ってたし、ヴェリエとの魔障で傾き過ぎて依り代にでもされたんでしょうね」

「あのまま放置してるとどうなると思う?」

「少なくともあたし達はやられて。その後で魔力でも掻き集めて再復活するんじゃない?」

「最低最悪の未来だな」


 もしそれを許してしまえば、次のチャンスは一体何百年後になるだろうか。

 その時そこに俺はいないだろう。だから今ここで全てを投げ出しても、罪の意識も何も感じない。


「けど────もう一度死ぬのは、勘弁だな」


 それに、やっぱり嫌だから。

 自分に嘘を吐いて死ぬくらいなら、満足を実感して、生き続けたい。

 それが自ら選んだ答えなら、尚の事だ。

 だから────


「…………ふぅ……。…………………………よしっ。いくか────カレン」


 そんな我が儘を掴み取るために、全てを賭して、約束を果たすだけだ。


「うんっ!」


 確かな、声と共に。

 譲れない願いだけを胸の奥に灯して、大地を蹴る。

 そうして、辺りに散った────青墨と紅の魔力の残滓。

 花火のように鮮やかとさえ思えるその景色の中心で、額さえ突き合わせて不遜に告げる。


「覚悟しろよ、《波旬妃(マクスウェル)》っ!」

「来いっ!」


 剣戟(けんげき)が、響く。




「なっ!? おいミノっ! なんだそれっ! 《珂恋》は折れたんじゃ────」

「馬鹿言うな。カレンの本体は、(こっち)だっての!」

「はぁっ!?」


 ショウの声に、目の前の一閃を弾きながら答える。


「そもそもおかしいだろっ。なんで異世界の剣に日本刀があるんだよっ!」

「え…………ぁ、え?」

「《珂恋》は想像を現実に変える魔剣だ。だったらどうして、《珂恋》自体が一つの形に縛られないといけないんだよ!」

「……そ、そんな無茶な話が…………」

「あるんだから仕方ねぇだろうがっ。元々《珂恋》はそういう────契約相手によって求める形の変わる魔剣なんだよっ」

「……はぁあ?」


 《珂恋》がその身に数多刻む契約痕がその証。あれをよくよく見て見れば、気付くはずなのだ。

 その契約痕に、一つとして同じ形の魔剣がない事に。


「《珂恋》の本体は刀身じゃない。持ち主のイメージを酌んで受け取る、柄と言う器だ。だから俺が契約して、この世界に存在するはずのない日本刀の形を取ったんだよ。俺が、契約のその瞬間に、何よりも鮮明にイメージした刀剣だったからなっ」

「じゃ、じゃあその光学兵器みたいな赤い刀身は何だよっ」

「《珂恋》に決まった形なんかない。それはつまり、どんなイメージの刃だって作り出せるってことだ。だったら魔力の刃の日本刀だって再現可能だろ?」

「……なんだそれ。じゃああれか? 《珂恋》って言う魔剣は、『俺の考えた最強の剣』って奴かっ?」

「じゃなきゃ世界の希望なんて器、務まらないだろっ!」


 馬鹿馬鹿しい話だが、その通りなのだから仕方ない。

 《珂恋》とは、想い繋いで理想を為す、感情の剣なのだ。


「ほんと、規格外っつうか……」

「ならショウ、一つ聞いていいか?」

「なんだよ……」

「カレンが契約をしてない状態で、魔剣としての姿になった事があったか?」

「……………………」


 俺と出会った時もそうだった。

 彼女は終始人型で貫いて、契約を果たして初めて魔剣の姿を見せたのだ。

 だが、これはおかしな話なのだ。なにせ────


「なぁショウ。人工魔剣もそうだが、魔剣ってのは基本的に剣の形をしてるものなんだよ。そっちが魔剣としての本来の在り方なんだよ。剣になれない人型の魔剣なんて、それは唯の人間だろ」

「……頭痛くなってきた…………」

「なら何でカレンが契約の魔力供給もなしに人型を取れるのか。そんなの──この馬鹿が自分の事を魔剣とは思ってないからに決まってるだろ?」

「馬鹿って言わないでよっ! 大体、刀身のない剣なんて剣じゃないじゃんっ!」


 何故か少し嬉しそうに馬鹿げた本人が抗議する。

 それがカレンの本心。

 彼女は唯、自分の事を出来損ないだと、心底思いこんでいる規格外なのだ。

 そしてそれを受け入れてくれる相手を──契約者を見つけ、心を通わすために。彼女を構成する正の感情で以って、人の姿を望んだのだ。

 カレンが《珂恋》足り得るのは、彼女自身が誰よりも立派な魔剣になりたいと願っているからこそ。

 だから《珂恋》は、際限なき至高の魔剣なのだ。


「…………で? その力を契約もないミノが使えてるのは何なんだよ」

「馬鹿言え。これはカレンが俺の頭の中を勝手に再現してるだけだ。俺は柄だけ握って、剣士の真似事で我武者羅に振るってるだけだっ!」

「……ラスボス相手にチャンバラしてんなよ…………」


 俺は唯、子供が木の枝を振って剣士の真似事をするように。俺が格好いいと思う通りに剣を振っているだけ。

 その実態は、ヒーローに憧れるただの妄想だ。

 だが、だからこそ。想像の世界は無限大で。彼女はこの底無しを、気に入ったのだろう。


「うっせぇ! 元はと言えば、俺がこんな空想癖拗らせたのはお前の所為だからなっ? 自分の部屋の中だけが居場所だったんだ。空想の世界に逃げ込むのは当然だろうがっ!」

「開き直んなよ! あとやっぱり根に持ってるんじゃねぇかっ! オレの事一切許してねぇじゃねぇかっ!?」

「お前の過去を許したことなんてあるかぁっ!!」


 勝手に許された気になってたのはお前だろうが。

 俺は過去一度だって、ショウのしでかした罪を許したことなどない。


「許すつもりなんて一切ないからなっ! 分かったら万に一つの可能性でも夢見て俺に尽くしやがれっ!」

「言ってることが滅茶苦茶じゃねぇかっ! この悪魔っ!」

「それはこっちの台詞、だっ!!」


 最早何について感情を吐き出しているのかすら定かではないまま、いつしかショウと呼吸を合わせて目の前のメローラを圧倒する。

 胸の奥を音にするたび不思議と噛み合う呼吸に心地よささえ覚える。

 と、その途中でメローラ……《波旬妃》の一撃に、ショウの振るっていた人工魔剣が耐えられずに折れた。《諸悟(ショゴ)》の力で限界まで性能を引き出し使い潰しても、牽制にしかならない。彼の力では終止符は打てない。


「こんのっ……!」


 だがショウは諦めない。宙に突き出した腕が何処からともなく現れた空間に突っ込まれ、次の瞬間には新たな人工魔剣を取り出し振るう。

 破壊され、暴走した魔物はメドラウドが処理し。カイウスが《慮握(リョアク)》でショウの思考を読んで先回りし、トリスが空間魔術を介して彼に武器を提供する。

 お陰で使い捨ての人工魔剣を次から次へとがらくたに変えながら、引っ切り無しに《波旬妃》を攻め立てる。

 《波旬妃》の方は、メローラと言う依り代に馴染んでいないのか、先ほどまでの概念さえ覆すようなトンデモ攻撃はしてこない。

 その他周囲では、続々と生み出される魔物への対処に《共魔》の面々が食らいつき、俺とショウが目の前以外を気にしなくていいように舞台を整えてくれている。

 《共魔》の助けと、《波旬妃》の順応不足と、俺とショウの技量不足と。

 様々な要素が重なり合って泥臭く均衡した戦闘が紡がれ続ける。

 ……しかしこの戦いも、そう長くは続かない。しばらくすれば《波旬妃》が力の使い方を掌握し、先ほどまでのような超常的な景色が再現されてしまうだろう。

 それまでに決着を手繰り寄せられるかどうか。これは、そういうタイムリミットに追い詰められた微かな光明なのだ。

 俺が《波旬妃》を斬れれば勝ち。《波旬妃》が力を取り戻せば負け。

 分かりやすく困難な道程だ。最後の最後にこんなガチンコ勝負なんて、全く以って性に合わないラスボス戦だ。


「はぁあああっ!!」


 たった一太刀。それが届きさえすればいい……だけなのに。幾度も振るい続ける刃が(ことごと)く受け止められ、弾かれ、往なされて結果から遠ざかる。

 そもそも《波旬妃》は千年以上の戦場を経験してきたのだ。そしてその度過去の強者と戦い、それを魔力の記憶ごと呑み込んで糧としてきた。

 つまり今の《波旬妃》には、人の側が研鑽し、そして時の英雄たちが極めた武の粋が詰まっているという事だ。

 俺はそれを、この世界に来て得た、たった二年程度の技術で上回る必要がある。……無理ゲーだろ。


「だとしてもっ! 勝たなけりゃそれで終わりだ!!」


 チカの身体強化で可能な限り反応速度を底上げして。シビュラの魔術連打で《波旬妃》の隙を抉じ開けて。ショウの攻撃すら陽動に用いてその頂きに詰め寄る。

 一合毎に過去を踏み越えんとばかりに理想を追い駆ける。

 するといきなり前触れもなく合わせた刃が《波旬妃》の一撃を大きく押し返した。

 一瞬ご都合主義なんて言うチートが脳裏を過ぎったが、そんな事実は直ぐに掻き消える。

 意識すれば、胸の奥に今までにはない衝動の昂ぶりが渦巻いていた。

 呼ばれたように振り返れば、いつのまにか手の届く距離にノーラの姿があった。どうやら《共魔》の面々に後押しされてここまで自力で来たらしい。

 お転婆もほどほどにして欲しいが……今回に限っては素直に感謝する。


「わたしの事は気にしないでくださいっ。今までたくさん助けられましたから。今度はわたしがミノさんに合わせますっ!」

「……なら、頼らせてもらうっ!」


 視線でタイミングを合わせる余裕はない。それを全てノーラに任せ、更に一歩踏み出す。


「っ、マジかっ!?」


 隣のショウが嬉しそうな驚愕と共に俺と足並みを揃える。

 どうやら俺だけではなく、ショウの方にも《逓累》の力を及ぼしているらしい。

 魔剣と契約をせず、一人では魔術も使えない癖に器用な事をする女王様だ。その才は、もしかしたら彼女の体に色濃く表れた先祖返りに由来するものなのかもしれない。


『ミノっ、力に振り回されちゃ駄目!』

「分かってる!」


 脳裏に響くカレンの声に答えて、胸の奥の感情を律する。

 《逓累》の力は感情の増幅。つまり、通常以上の衝動が原動力となって体を突き動かす。

 もしそれに任せて剣を振れば、今より酷い……ただ棒を振り回すだけの剣術以下になってしまう。

 意欲はそのまま。それを鋭く尖らせて剣閃に乗せる。

 …………大丈夫、感情の扱いは魔障とカレンのお陰で随分と練習した。自分さえ見失わなければどうにか制御できる。

 心を熱く、冷静に。そう自分に言い聞かせ刃を振るい続ける。

 すると刀身に、少しずつ淡い紅の魔力が模様のように浮かび始める。


『大丈夫。一人じゃないよ。もう独りになんて、させないよ』


 厳かなほどに静かな、カレンの声。音に温かさえ覚えてその意味をしっかりと反芻した直後、噛み合った一撃が数瞬の(せめ)ぎ合いを見せた後、文字通り《波旬妃》の握った得物を両断した。

 その軌跡には、今俺の胸の奥に渦巻く感情を体現したような綺麗な紅の魔力が燃え盛っていた。


「よし、このま────」

「下がれっ!」


 絶好の好機。その隙に滑り込んで俺が繰り出す一刀への足掛かりにしようとしたショウ。

 その目の前に、咄嗟に巨大な剣を一枚作り出して妨害する。

 次の瞬間、過ぎった悪寒の正しさを証明するように、《波旬妃》の体から膨大な魔力の波動が解き放たれた。

 温度さえ伴っている気がする衝動に、踏ん張っても尚後ろへと吹き飛ばされる。仕方なく自分から転がって受け身を取れば、直ぐに起き上がってその最悪を見据えて悪態を吐き出す。


「悪あがきにもほどがあるだろうが……!」


 青墨色のオーラを隠しもせず纏ったメローラ。感情の読めない虚ろな視線に射抜かれて、思わず膝が震える。

 肌を撫でるのは、生理的嫌悪感を拭いきれない悪意の波動。

 ……まだ完全ではない。だが、もう時間がない…………!


「っ、来るぞっ!!」


 叫んで、刹那。《波旬妃》の周囲に漂っていた魔力が様々な武器の形となって流星雨のように殺到した。

 視界を埋め尽くす青墨色の切っ先。息の詰まる凄絶な光景に、けれども退くという選択肢はないと、迎撃を構えた瞬間。

 目の前に迫っていた殺意が、最初からそうプログラムでもされていたかのように不自然に曲がり、瞬く間に俺の背後に集約されていく。

 振り返れば、そこには魔剣を頭上に掲げたベディヴィアが、その右腕を魔物のように変貌させながら不敵に微笑んでいた。


「その執念、叩き返してくれるわっ!」

「跳べ、ショウっ!」

「ぅおっ!?」


 咄嗟に二人して左右に飛び退けば、先ほどまで二人のいた場所を塗り潰すようにして青墨色の魔力の塊が空気を押し退ける音と共に通過していく。

 《庇擁》の力を応用した、全力カウンター。わざと魔障を暴走させ、親和性を上げることで無理矢理に自分の力として掌握し、叩き返す一撃。

 俺ももう少し魔障の扱いが上手くなれば似たような事が出来るかもしれないが、無い物強請りをしても仕方ない。俺は出来る事をするだけだ。


「ミノさん、動かないでください」


 魔力砲が《波旬妃》に突き刺さる。真正面から受け止めて、しかしそれでも倒れない姿に畏怖さえ抱きながら仕掛けるタイミングを伺う。

 その最中、気付けば忍び寄っていたノーラが俺の肩に手を置いて囁くように告げる。


「あれで倒れないなら、頼れるのはミノさんとカレンさんだけです。全力で増幅するので、思い切り叩き込んできてください」

「感情制御する方の身にもなれよ」

「信じてますから」


 答えになっているのか定かではない声と共に、身を乗り出したノーラが場違いに頬に口付けを落とす。


「おまっ……!?」

「ふふっ。今のミノさん、感情表現豊かで好きですよ?」

「誰のせいだと思ってやがるっ」


 ……けれどもまぁ、今の不意打ちのお陰で俺自身の感情が奮えたのも確か。もしそれを狙ってやってるのだとしたら…………いや、ノーラの事だからただの思い付きだろうか。


「ミノさんはこれから英雄になるんです。これはその前払いです。もちろん、しっかりと報酬も用意してるので、期待しててくださいねっ」

「俺に選択権あんのかよ、それ」

「女王として命じます。勝ってください、傭兵さん」


 文句を無視して厳かに言い放ったノーラが深呼吸一つ。次いで胸の奥の衝動が、体を内側から食い破るのではないかと錯覚するほどに膨れ上がる。

 …………これ、どう考えても人間一人が抱えていい感情量じゃねぇだろ。心臓の鼓動が熱く煩い。今にも焼き切れてしまいそうだ。

 そんなことを考えていると、脳裏にベディヴィアの声が響いた。


『行けるか?』

『あぁ』

『ならばわたしと小僧とで抉じ開ける。いいな?』

『ぶちかましてやれ、ミノッ!』


 声と共に流れ込んでくる二人の感情。それさえも糧として燃やし、限界ギリギリまで研ぎ澄ませる。

 今にも勝手に足が大地を蹴ってしまいそうな激情を、呼吸一つ毎に呑み込んで待つ。

 すると視界の端でショウが《波旬妃》へ向けて駆けだした。

 同時に、打ち出されていた青墨色のレーザーが消え去り、辺りに悪意の残滓が濃密に漂う。

 ショウがたった一人で斬り掛かり、両腕を振り回すごとに人工魔剣の破砕音を響き渡らせながら《波旬皇》の動きを縫い留める。

 その隙に、先ほどまで魔砲を放っていたベディヴィアが構え直す。

 と、その剣に、今度は色とりどりな魔力が帯のように集まり、眩い光となって宿る。

 出所に目を向ければ、そこには《共魔》の面々が握る魔剣があった。


『《庇擁》の力って、あんな使い方もできるんだ……』


 魔力を束ねる力。それは誰かの希望を燃やして結実させる《珂恋》の能力にも似た……そしてそれ以上に高潔な輝き。

 40年間、執念で継いできた悲願の炎。世界にとっての悪役として振る舞い、その殆どに理解されぬままただの我が儘に執心した、純粋で混沌とした想い。

 その結晶が、ただ一人残された死に損ないの手の中に集約される。


「受け取れ、あの時の礼だ」


 それはまるで、感謝でも伝えるように。

 大上段に構えた何でもないところから、自暴自棄さえ感じる乱雑さで振り下ろされ、衝突と共に辺りに吹き荒れる。

 それまで周囲を埋め尽くしていた悪意の残滓さえ塗り潰すような圧倒的な奔流。

 直視すれば網膜が焼けそうな閃光が一帯を染め上げ、書き換える。


『行くわよっ』

『うん』


 チカとシビュラが、魔術を行使する。

 足を踏み出せば、目の前に展開された虚。先の見えない暗闇に迷いなく飛び込めば、目の前に《波旬妃》の姿が存在していた。

 メドラウドとやり合った時に見せた、短距離空間超越。既に二歩目まで暴れまわる衝動を我慢できない俺にとっては、ありがたい距離の詰め方。

 けれどもそれを読んでいたように、《波旬妃》が星空のような魔術を展開する。

 防御も回避も許さない圧倒的な質量。密集のし過ぎで、最早魔術の塊としか言いようのない悪意の衝動を、けれども意にも介さず穏やかな心で攻撃に移る。

 それと同時、俺を呑み込もうとしたその地獄の入り口のような攻撃が、体に触れる先から分解されて背後に溶けていく。

 チカの術式編纂によるディスペル。それがまるで、翼のように広がりながら煌めく粒を辺りに撒き散らす。

 綺麗な景色だ。天球の内側から宇宙(そら)を眺めているような、幻想的な光景。

 退屈で、飽きることない自由な世界の片鱗。その端に、ようやく足を掛けた気がしながら、想いのままに切っ先を突き出す。


「さぁ、《波旬妃》。一回、死んで来い」


 二の太刀を振れない、突き。

 その刃が、静かに胸を貫いて。

 刀の切羽(せっぱ)まで深々と押し込めば、こちらを見つめる感情と視線を交わした。

 世界が静止したような無音が頭の奥に響く。

 そうしてそこに、終わりと始まりが刻まれた。

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