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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
可憐な誓詞と憂愁の暁鐘
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第二章

 《共魔(ラプラス)》の連中との戦闘中に起きた想定外。

 計画にはなかった魔物の存在に、思わずイヴァン達へ背を向けて戦場を駆ける。

 その最中、胸の奥に問う。


『チカっ、本物ってどういうことだ! 人工魔剣の暴走はフリだけじゃなかったのかっ?』

『そのはず、だけど……。あれは間違いなく最悪の状況。早く対処しないと本当に呑まれて魔物になる!』

『クソが……。カレンとの契約もないってのに……!』


 悪態は二つ。

 一つは予定にないアクシデント。どういうわけか、人工魔剣の暴走が最悪の景色を描き出している。

 もう一つは、対処方法がすぐに思いつかないこと。カレンがいない状況で人工魔剣の暴走を止める手段に心当たりがない事だ。

 前者に関しては、まず間違いなくイヴァン達にとっても想定外だ。

 彼らは悪役さえ背負えれば手段はどうでもいい。そんな中で、元《魔祓軍(サクラメント)》である彼らは、いつだって世界の為に行動してきた。

 俺など到底及ばない……本当の英雄たちが、志を同じくする仲間を無情に裏切るとは思えない。

 とすると、あれは何かの手違いによる景色だ。その詳細までは分からないが、何かしらしくじったのだ。

 そして後者だが、これは俺の責任だ。

 今まで、大変な場面では毎回カレンの力に頼ってきた。彼女の想像の刃は、イメージが現実に代わる。だからどんな想定外でも、それ以上の理想を押し付けてより良い未来を手繰り寄せてきた。

 だがそれは、カレンと契約をしていたから出来ていた芸当。《波旬皇(マクスウェル)》の攻撃によって契約が解除され、再契約も妨げられている現状では、カレンに頼ることはできない。

 俺一人の力では、例えあの暴走が初期状態で魔物化へ遷移の途中段階であっても、どうすることも出来ないのだ。


『どうする……。とりあえずどうにか時間を稼いで……!』


 その間にチカかシビュラが対抗策を構築するのに賭けるしかないか……?

 そう考えた直後、契約の外から声が脳内に響く。


『ミノさんっ、あれは《波旬皇》の仕業です! 人工魔剣へ干渉して無理矢理暴走させてます!』

『そりゃ結構っ! お前らは手を出すな!』

『……お任せします』


 カイウスの《慮握(リョアク)》による、契約外の意思疎通。

 その中で語られた言葉を全面的に信じて釘を刺す。

 想定外とはいえ、あれの尻拭いを《共魔》の連中がするわけにはいかない。そんなことをすれば彼らに被せようとした悪役の仮面が剥がれてしまう。

 《共魔》が悪役になってくれなければ、俺の立場が危うくなり、《皇滅軍(ミスティリオン)》が機能しなくなってしまう。それだけは避けなくてはならない。

 つまりこの混乱は、彼ら抜きで対処をしなければならないのだ。


『で、何かあるかっ!?』

『契約を切り離す! そうすれば侵食は止まるはず!』

『ならそれだ!』

『術式編纂』

『もうやってるっ!! シビュラは……』

『任せて』


 今のやり取りで目的を理解したシビュラが、こんな状況でさえ機械的に呟く。

 次いで大地を蹴り魔物へと変貌し行くその存在へ、握ったカレン紛いを振り下ろした。

 それとほぼ同時、刀身が淡く黄色に色めいて、斬るというアクションをトリガーに魔術を発動する。

 中空からの袈裟斬り。流石に躊躇している暇はなく、気遣いを捨てて形を成しつつあった魔力の巨体へ勢いそのままに斬り付ける。

 と、一瞬の空白を置いて、魔物として顕現しかかっていた塊が飛散するように溶けて消えた。


『次』 

「メローラ! 《叛紲(ハンセツ)》で巻き戻せ! ユウとショウは魔瞳で抑えろっ!」


 脳裏に淡々と響くシビュラの声に弾かれるように着地した大地を蹴り、次の標的へと距離を詰める。

 その最中、待機している面子へ指示を飛ばした。

 声を聞いた三人が、理由さえ訊かずに動き出す。

 それを目端で確認しつつ、魔物化を少しでも遅らせるために二体目のなりそこないの魔力を辺りに散らしたところで、脳裏にカレンの声が響いた。


『ミノっ!』

『分かってる!』


 カレン一人なら契言の真似など造作もない。理想をその身で体現する埒外の声に、感情そのままを突き返す。

 契約がなくても彼女とならばやり取りができる。

 カレンがそこにいる。

 その事実に、少しだけ思考がクールダウンした。

 脳裏に無茶が過ぎる。


『……認識阻害』

『出来る』

『対処っ』

『出来る!』

『お前の存在最優先っ!』

『もちろん、出来るっ!!』


 短く交わし合えば、全てに頷いたカレンが単身動き出すのが分かった。

 カレンの姿を誰かに見られるわけにはいかない。カレンは今、俺の手の中にいることになっているのだ。

 魔剣化している存在が人型でスタンドアローンは出来ない。それは幾ら埒外の化身であるカレンでも覆せない道理だ。

 だが、だったら見えなければいいと。

 認識阻害で透明化し、持ち前の想像力でこの景色を覆す。何よりカレンが自分を犠牲にしないようにとだけ付け加えれば、彼女は全てを許されて共に戦うために戦場へと飛び出した。

 そんなカレンの力を正当化するために声を張り上げる。


「集まってる魔力を霧散させろっ! 魔物になる前ならそれで時間が稼げるっ!」


 混乱に呑み込まれそうだった戦線を、たった一つの言葉で……自分の存在一つで立て直す。

 《皇滅軍》の旗印(ミノ)にのみ許された特権。今使わないで何時使うっ!


「時間があれば助けられる! 俺たちの戦友だ! 一人たりとも死なせるなっ!!」


 叫べば、声に足を止めていた周りの熱が大地さえ揺るがす(とき)の声となって行動に昇華した。

 例え僅かでも、魔物化の進行を遅れさせればそれだけ猶予が生まれる。その猶予こそが、理想に近付く小さく大きな一歩なのだ。

 後は、タイミングを合わせて通りすがったカレンが暴走を治めれば、彼らの士気が昂る。チカの魔術編纂が間に合えば、俺の方からも対処が出来る。

 生きるために振り絞る感情……正の魔力が、景色を変える。

 例えカレンがいなくなっても、世界は感情で結びついているのだと。彼女が繋いだものを確かに感じながら、目の前の魔力の塊にまた一つ、刃を振り下ろした。




 その後、どうにか死者無く混乱を乗り切って。いつの間にか上手く姿を(くら)ました《共魔》達に一息を吐きつつ、その場をメローラに任せて一旦下がる。

 途中で合流したカレンと共にユークレースの町まで戻って来ると、宿の目の前で逸早く情報を得たガハムレト……ペリノアが待っていた。


「詳しい話を訊きたい」

「中だ」


 言葉と共に促せば、一つ頷いたペリノアと共に宿へと入る。

 少しだけ視線を感じつつ借りている部屋へ向かえば、開けっ放しだった窓を閉め外をラグネルに任せて腰を落ち着ける。

 どうでもいいが、この二人はそれぞれの役目の為にこっち側に残っている。

 ラグネルに関してはトリスの《識錯(シキサク)》を使って見た目を偽り、《共魔》のラグネルだとばれないようにしてまで俺の傍に控えている。

 ペリノアはガハムレトとして。ラグネルは何かあったときの連絡役と言う事だ。


「人工魔剣が暴走した。カイウスの話だと《波旬皇》の仕業らしい」

「暴走しないように処置はしてたはずだが……」

「分かってて言うなよ。《波旬皇》相手に小細工が通じるかよ」


 確認するようにやり取りを交わせば、どこか安堵したようにペリノアは頷いた。


「対処はすぐにした。俺の知る限り犠牲は出てないはずだ。そっちは頼む」

「分かってる。……それよりも問題は《波旬皇》だ。まさかまた姿を隠してどこかに潜んでいたのか?」


 《波旬皇》はカレンと同じでどんな魔術でも想像の限りの扱える。俺も過去に、完璧に透明化した《波旬皇》と対峙した経験がある。

 あの時は放たれる悪意をシビュラとの契約で得た感性で捉えて奇襲を避けたのだが。今回はそれを感じなかった。

 あれを経て対策された可能性もあるが…………。

 そう考えてシビュラに視線を向けるが、彼女は無言で首を振る。


「カレンは?」

「存在は感じなかったよ」

「ってことは離れた場所から干渉しやがったのか……。規格外にもほどがあるな」


 最も面倒な可能性が現実味を帯びて最早呆れる。

 魔術は基本的に、術者の近くで顕現する。その後、魔術に込められた影響範囲まで効果が拡大して結果を残す。その影響範囲だって、広くても視界一杯が限界だ。

 明確に定義できない物は魔術に落とし込めない。この基本的な大前提と同じで、有視界距離内にしか魔術は効果を及ぼさないのだ。

 だが、それを覆すのがたった一つ──否、二つの例外……。


「可能性としては一応考えてたんだがな。……カレン、出来るか?」

「したことないけど、多分。明確にその場所を想像できれば、ここからルチル山脈の向こう側でも、直接魔術を撃ち込むことはできると思う」

「もちろんそれ相応の魔力も必要になるけどね」


 カレンの声に、チカが補足する。

 有視界外への魔術行使。

 魔術としての難度は高く、普通の魔剣持ちにはまず無理だ。魔物でも、恐らく出来るのは《波旬皇》だけだろう。

 だからこそ、規格外故にそれに見合ったエネルギーも必要なのだ。

 まぁ、その点に関しても《波旬皇》にとっては問題にはならないはずだ。あいつは規格外すぎる。


「問題はそこじゃないがな。対策は?」

「ないな。そこは考えるだけ無駄だ」


 ペリノアの声にカレンが頷く。

 もし可能性があるとすれば同じことのできるカレンだろうが、結局は(いたち)ごっこにしかならない。

 だったらそこに労力を割くべきではない。


「まぁ、同じことを今後してくるとは思えないしな」

「《波旬皇》にとって得があんまりないもんね」


 《波旬皇》の願いは、己の内に溜まった衝動を発散すること。それに最適な相手がカレンと契約をしていた俺だったのだ。

 それがない今、前程の価値は俺にないだろうが。それでもシビュラと言う期待はあいつの中にもあるはず。

 つまり、前線にちょっかいを掛けて崩壊させる意味が殆どない。俺を引っ張り出す餌にはなるだろうが、それだけだ。

 だったら少しずつでも魔物を自ら作り出してストレスを切り離しつつ、それを前線で踏ん張っている奴らに対処させていく方が余程理に適っている。


「何より、理由がないからな」

「今回はミノが近くにいたから仕掛けてきた。そもそもやろうと思えばいつでもできたはずだもの。つまり、ミノが戦場に出なければ向こうが痺れを切らさない限り同じことは起きないはずよ」

(もてあそ)ばれてるのは気に食わないがな」


 チカの言葉に悪態を吐いてペリノアに尋ねる。


「イヴァン達は? あいつらは何かされたのか?」

「今のところ報告はなしだ。とりあえず対策だけはどうにかしてみる」

「そうだな」


 人工魔剣に遠隔で干渉して暴走させて見せたのだ。

 その気になれば《共魔》である彼らの存在すら直接左右できる。それをされないように、例えば結界のようなもので干渉を阻む必要がある。

 残念ながら、彼らがいなければ《波旬皇》討滅は難しいのだ。


「……とりあえず《皇滅軍》の士気に関してはあの想定外もどうにか利用して持ち直せた。《波旬皇》がまた手を出してくるまでは大丈夫なはずだ。それまでに、今度はこっちから仕掛けるしかない」

「勝算は?」

「無いなら作るだけだ」


 カレンとの契約はもうない。だったら別の手段を確立するまでだ。

 ペリノアの声にそう答えれば、彼は納得したように立ち上がる。


「何かあれば連絡してくれ。可能な限り便宜を図る」

「あぁ」


 そう言い残したペリノアを見送って。扉が閉まるのと同時、俯いて両の掌で目を覆った。


「ミノ、大丈夫?」

「チカ、再契約」

「無理」


 カレンの声を無視して空っぽの頭に想像を巡らせる。

 素気無く響いた返答は気にせず、再検討。


「《珂恋(カレン)》の力の再現」

「無理」

「《波旬皇》の無力化」

「無理」

「討滅」

「無理」

「再封印」

「…………無理」


 そうだろう。既に対策済みに違いない。

 だったら、と。馬鹿にもほどがある荒唐無稽を音にする。


「俺を人柱にした異世界放逐」

「ミノっ!!」


 声を張り上げたのは、カレン。彼女は俺の肩を掴んで至近距離から真っ直ぐに覗き込む。

 そんなカレンを真っ向から見つめ返して告げる。


「だったら他に何がある? 可能性があるなら言ってみろ」

「っ……!」


 真っ直ぐな視線に、彼女の喉元まで競り上がった言葉がギリギリのところでとどまった。

 もちろん俺だってそんなことを考えているわけではない。

 だからこそ、カレンに同じことをして欲しくないと、釘を刺したのだ。

 それに気付いた様子のカレンが、悔しそうに唇を噛んで俯く。


「……でもミノ。それ以外に方法なんて────」

「チカ、シビュラ。カレンを頼む」

「何かあるの?」


 チカの問いには答えず立ち上がる。

 すると、契約もしていないカレンが……彼女だけが察して目を見開いた。


「っ! それはダメっ!!」

「……勘違いするな。死ぬつもりなんかない」

「ダメったらダメっ! ねぇミ────」

「カレンを頼む。理由ならそいつに訊け」

「え、なに……? 二人共、一体何の話を……」

「チカっ、ミノを止めて!」

「……シビュラ」

「分かった」


 俺とカレンの間で話が見えずに惑うチカを一瞥して、心を鬼にする。

 取ったのは、最も卑怯な手段。絶対の肯定者であるシビュラを味方につけ、背後を黙らせる。

 部屋を出れば、直ぐそこに控えていたラグネルに頼った。


「ゲート開いてくれ。ベディヴィアのところだ」

「分かりました」

「ミノ、待────」


 シビュラの体を乗り越えるようにしながらカレンが手を伸ばしてくる。がしかし、その指先が届く前に俺の体は空間の遷移に呑まれ、その場から姿を消した。




              *   *   *




 いきなりの出来事に頭が追い付かないまま、そこに残った景色に疑問を落とす。


「……ねぇカレン。一体何の話? ミノがどうかしたの?」


 あたしたちの唯一が姿を消して、糸の切れた人形のように座り込んだカレンに尋ねる。

 一瞬、彼の後を追って一人で行ってしまうかとも思ったが、カレンは立ち上がって寝具に腰掛け沈思する。

 いつも賑やかなカレンが、声を張り上げる程に焦った理由。

 流れた沈黙に色々考えたが納得のいく答えは見つからず、再び問いの言葉を……。


「聞いて後悔しない?」


 言おうとしたところで、鋭く冷たい音が喉元に突き付けられた。

 思わず息を止めて見つめれば、赤い瞳には悲嘆と覚悟が綯い交ぜになってこちらへ注がれていた。

 冗談では済まされない。聞いたら後戻りはできない。

 言葉の外にそう語るカレンに呑まれて返答を見失うあたしをよそに、シビュラが変わらない調子で椅子に腰を下ろして頷いた。


「聞く。シビュラは聞いて、ミノの味方になる」


 いつだって濁らない、カレン以上に純粋なシビュラの言葉。

 痛い程に平坦で感情に溢れた響きに、ようやく温度を思い出してあたしも覚悟を決めた。


「……全部教えて。ミノは、なんなの?」


 あたしの言葉に、カレンは悔いなく負けたように微笑んで、口を開いた。


「ミノはね、魔────」




              *   *   *




 少し待ってみたが、カレン達が追い駆けてくる様子はない。

 どうやら俺の想像通りに事が運んでいるようだ。

 ……本当は、チカとシビュラには隠しておきたかったのだが、仕方ない。どうせいつかはバレるのだ。だったら隠し事なく全てを賭して挑むのも、きっと悪くない。

 それに恐らく、その方が理想だ。


「何の用だ?」


 語調鋭く響いた声は、今し方襲い来る《魔堕(デーヴィーグ)》を斬り伏せたベディヴィアのもの。

 彼はこちらに振り返らないまま、次いでやってきた高位の魔物を易々と両断する。

 その剣閃には、俺にも見覚えのある青墨色の軌跡が躍っていた。

 ベディヴィア相手に言葉を弄する愚を今更犯す必要はないと。丁度近くに落ちていたショートソードを拾い上げ、胸の奥を意識して引き絞る。

 すると刀身に、ベディヴィアが奮う仄暗い焔と同じそれが揺らめいて顕現した。

 気配にかこちらを振り返ったベディヴィアの瞳が少し驚いたように開かれる。


「お前、それは……」

「手っ取り早く物にしたい。これ(・・)の使い方を教えてくれ」

「…………やり方なぞ知るか。自分で見つけろ」


 呆れたような物言いに、けれど怒りは湧いてこない。それはきっと、この力(・・・)の副産物なのだろう。

 感情のコントロールとは、そういう事だ。


「…………ふぅ……」


 大概口下手な爺さんの骨を折らせるのも面倒だと割り切って、彼の隣に立ち呼吸を合わせる。

 二年前は出来なかったそれをみて、ようやくスタートラインだとばかりにベディヴィアが飛び出した。

 踏み込みと同時に払った一閃が高位の《魔堕》を難なく両断する。それを目で追って、自分なりに追い駆ける。

 ベディヴィアの前に出てやってきていた魔物を斬れば、珍しく彼から疑問が挙がった。


「いつだ」

「……封印を解いた時だろうな。あほ程あいつの魔力浴びたから、きっとその時に丸ごと呑まれた」

「よく持ったものだな」

「お節介な奴がいてな。偶然かそれに関する知識も持ち合わせてたから、俺が気付く前から制御してたらしい」


 肌に感じる魔力の残滓。胸の奥を直接刺激する様な不快感に、それが手掛かりだと気付いて感情を尖らせる。

 すると温度もなく燃え盛った青墨色が握っていた剣を瞬く間に風化させた。

 どうやら込めすぎるとただの剣では持たないらしい。

 ならばと、繋がりから理屈を間借りして魔術を行使。契約破棄に際して失った、剣を作る魔術を再現し、親和性の高い剣を作り出す。


「それもきっと、無意識が手繰り寄せた現実なんだろうがな。今はこいつがあいつの代わりだ」


 右の中指に嵌った指輪を一瞥して再び胸の奥を引き絞る。

 底の方が凍てつくような感覚と共に再び現出した青墨色が、今度はしっかりと意識して操れる。

 ……まだだ。これではメローラにすら届かない。


「あいつが……カレンがいない以上、俺は俺でどうにかするしかない。その可能性があるのが、こいつだけだ」


 悔しさと言う感情を燃やして力に変え、制御することに専念する。

 カレンはこれを一人で完全に抑え込んでいたのだ。そこまで……なんて馬鹿なことは言わない。彼女以上に理解と制御をして見せるのだ。


「最悪、俺を盾にしてでもカレンの刃を届かせる。それが唯一の光明だ」

「……くだらんな」

「そうだろうな」


 カレンはきっとそんなことを望まない。

 だが、俺にはその覚悟がある。それが、唯一示せる俺の誠意だ。

 俺はきっと、自分勝手なだけなのだろう。カレンに選ばれたその意味を……生きている理由を探しているだけだ。

 もちろん、理想はもっと先。全てを覆した後にある。


「だから俺は死ねない。死ななくていい答えが欲しい。その為に知りたいんだ」


 ────自ら選ぶ死なんて、生きている限りで最も価値のない選択肢だっ


 それが、今の俺の全てだ。

 生きるために、死を覚悟する。それが、何もない今の俺にできる全て。

 そう惜しげもなく吐き出せば、こちらを一瞥したベディヴィアが小さく零した。


「…………少しでいい。でないと、先に失うぞ」


 一瞬言葉の意味が分からなかった。が、次いでベディヴィアの振るった一閃で、その極致を感じる。


「なるほど。燃料馬鹿食いする必要は確かにないな」


 一瞬だ。斬る瞬間にだけ力を込めればいい。

 そうすれば最小限の消費で最大限の力を発揮できる。

 その為には何よりも練習だ。集中と無意識の狭間で意識を保ち続けるのだ。


「…………つまり、一から修業し直せってことか」

「……二年もかかったか、馬鹿弟子」

「見て覚えろなんて怠慢の言い訳だっての、クソ師匠っ」


 互いに鼻で笑って、呼吸を正す。次いで本当に初めから──基礎の基礎からやり直す。


「剣の道は心の道だっ。迷いは全て捨てろ!」

「っ……!」


 懐かしい叱責に、今度こそ素直に耳を傾けて一歩前へ。

 俺が素直(スナオ)さを捨てたのは、どうやら師匠譲りだったらしい。

 そんな事実に今更ながらに気付いて、胸の内で悪態を零しながら。握り直した刃に意識を傾けて、理想を抱いて己を振るった。




 気付けば魔物の姿が随分と減っていた。

 ここ……《皇坐碑(キャメロット)》近くの前線の端は、ベディヴィアが受け持っている戦場だ。

 彼の意向で、出来る限り《皇滅軍》の面々を近づけないで欲しいとの事で、この辺りには基本ベディヴィアしかいない。

 けれども彼の実力は折り紙付き。その剣術一つで、右に出る者はいない実力者に、40年来の魔剣が共に戦っているのだ。余程の事がない限り負けなしであり、加勢が逆に彼の枷になる。

 だから《皇滅軍》の戦力を別のところに避けているのだが……彼が誰も寄せ付けないのにはもう一つの理由がある。

 それが、ベディヴィアの体を蝕む魔障だ。

 《波旬皇》の封印以前。ベディヴィアは重傷を負い、その傷が原因で魔障を負った。

 《魔祓軍》の活躍によって《波旬皇》が封印されると、進行を遅らせるために施されていたペリノアの《緘咒(カンジュ)》由来の封印術に加え、異次元への《波旬皇》封印と言う二重の壁によって、《波旬皇》が復活するまでの約40年間、彼の体は魔障の影響から隔離されていた。

 しかし、《波旬皇》の復活に伴いその存在が現界すると、完全には切れていなかった繋がりによって再び魔障が進行。徐々にベディヴィアの体を蝕み始めたのだ。

 ベディヴィア自身は、《波旬皇》との繋がりを逆手に取り、彼に一撃を浴びせられる手段として魔障を手放すことはしなかった。

 そもそもベディヴィアはこの40年間を魔障と向き合う事に費やしたらしく、今ではメローラと同等に魔障を操っているのだ。

 が、しかし。メローラとヴェリエのように和解したわけではない為、力としてコントロールが出来ても魔障が体を蝕むそれ自体を止められるわけではない。

 その為、いつ魔物化してもいいようにと、一人世界の端に自ら距離を取って戦い続け。いざと言う時の為に前線の一か所を支え続けているのだ。

 そんなベディヴィアに俺が恥を忍んで尋ねたのは────魔障と言う力の扱い方だ。

 俺は今、魔障に侵されている。これはノーラ達、四国の長にも告げていない秘密だ。恐らく、俺の体を任せていたマリスも気付いていないだろう。

 知っているのは、俺とカレンだけ。そしてその秘密が、きっと今チカとシビュラにも伝わっている最中だろう。

 そもそもバレなかったのはカレンのお陰だ。彼女が一番最初に気付いて、機転とお人好しで周りに気付かれないように抑え込んでくれていた。お陰で殆ど症状も進行することなく《波旬皇》との戦いにも臨めた。

 しかし、カレンがそれをできたのは契約で繋がっていたからだ。先の衝突で契約を解かれ、再契約を妨害されている今、カレンが直接抑え込むためには四六時中傍に居るしかない。

 しかもその為には随分意識を割く必要があるらしく、魔障を抑え込んでいる間はカレンが《珂恋》としての力を十全には発揮できない。

 だから、魔障を考慮せずに戦おうとするならば契約が必須なのだが……それがない今、これ以上カレンに負担を掛けるわけにはいかないのだ。

 何せカレンは人類の希望。彼女の力だけが、《波旬皇》と唯一対等に渡り合える。カレンが全力を出すためには、俺にかかずらっている暇はない。

 一応ストッパー代わりにカレンから指環を貰っているが、これは気休めだ。一時的に抑え込んでいるだけで、魔障を自分でコントロールしようとすれば意味は進行を無理に押さえつけることはできない。

 だからこそ、ここに来たのだ。

 剣を知り、魔障を知るベディヴィアならば、その付き合い方も心得ている。しかも魔障をコントロールして力に変えられれば、少なくとも身を守る術にはなる。あわよくばカレンが全力を出すお膳立てが出来るのだ。

 だったら危険でも飛び込む以外に、今の俺にできることはないだろうと。覚悟と共にベディヴィアに、魔障の制御の仕方を教えを乞いに来たのだ。

 ベディヴィア曰く、言葉で言って分かる物ではないらしい。

 そもそも魔力は感情が元となっている。つまり魔障とは、魔物の魔力……感情を外から体に流し込まれ、内側から侵されることによって魔物へと変貌してしまう症状なのだ。

 であれば、向き合うべきはその感情。自分と魔物。二つの魔力を自覚して折り合いをつけ、主導権を握る。その結果に上手く制御することで、魔障を己の力としてコントロールできるようになるのだ。

 言ってしまえば、魔物の力を人の身で再現するのが魔障の制御。

 それを最も安全な方法でなし得ているのがメローラだ。彼女は契約魔剣である元《魔堕》のヴェリエと目的を共にして、魔障を魔術へと落とし込んだ。

 結果、魔物のように体を魔力の鎧で覆う事で、大幅な戦力増強を果たしているのだ。

 そして、それに似たことが出来るのが、40年間魔障と向き合い続けたベディヴィアだ。

 メローラとベディヴィア。どちらもこのコーズミマの世界では英雄的な存在ではあるが、より今の俺に近しいのは力だけを制御しているベディヴィアのやり方だ。

 なにせ俺の魔障の由来は《波旬皇》だ。あいつと仲良く折り合うなんて……そんなことが出来れば既にこの戦いは終わっている。

 互いに認め合うことなく、力の一端を我が物にする。その先達こそがベディヴィアだからこそ、俺は彼に頼ったのだ。

 だが、彼が40年掛かった場所へ、俺は今すぐにでも辿り着かなければならない。

 そうしなければカレンへの協力どころか、自ら魔障を使う事によって進行を早め、直ぐにでも魔物化して討伐対象へとなり下がる。

 どうにかしてベディヴィアと同じ場所に至るか。さもなくば魔物となって今ここでベディヴィアに消されるか。

 そんな命の覚悟を背負って、周囲の魔物が数えられる程まで減るくらいに魔障の力と剣を振るい続けた。

 ……しかし、今のところ光明はない。このままでは最悪の可能性が直ぐそこだ。


「魔力が切れると瞬く間に呑まれるぞ」

「生憎と、自前のは俺でも底が見えなくてな……。心配は純粋に体力と時間制限だけだ」

「ならば少し休め。擦り減った心で魔障を敷くことなどできぬ」

「………………」


 冷静なベディヴィアの言葉に、構えていた切っ先を下ろす。

 そのまま剣を手放せば、握る力も殆どない残って事に今更気が付いた。

 どうやら気力だけで体を動かしていたらしい。メローラと出会ってからあれこれ稽古をつけてもらったが、一朝一夕に身に付くものではなかったようだ。

 拳さえ握れないほどに震える手から力を抜いてその場に座り込む。

 そんな俺目掛けて突っ込んできた魔物が……けれどもラグネルの放った拳によって霧散させられた。


「……悪いな」

「貴方をお守りすることが、わたしの今の使命ですので」


 それはきっと、己への誓い。自分自身に対する忠義こそが、ラグネルを動かす第一衝動だ。

 イヴァン第一主義なエレインとは真逆の行動指針。

 そんな風に考えていると、安全を確保したラグネルが俺の周りに石やら木の枝やらをどこか規則的に置いていく。


「何してるんだ?」

「儀式術式です。マリスほどではありませんが、治癒能力を高める効果があります」

「…………過去、《匣飾(コウショク)》と言う名前で呼ばれた魔剣を扱っていた少女は、儀式魔術の行使に長けたという話だ」


 ベディヴィアが、背中を向けたまま独り言のように呟く。

 その言葉に一瞬だけラグネルの手が止まったが、彼女は特別反応を見せず淡々と準備を進めていく。


「彼女の力は事前準備が物を言う。儀式魔術は(あらかじ)め準備した地点にしか効果を発揮しないからな。しかし、そこに敵を誘い込めれば有利な状況も作り出せる。《魔祓軍》なんて言う呼ばれ方をしていた連中が重宝していた策の一つだ」

「《波旬皇》にも効果あったのか?」

「彼女の力は契約魔剣である《匣飾》由来だった。その全てを理解していたのは彼女だけだ。中にはそういう魔術もあったかもしれんが…………主に使っていたのは純粋な身体強化だった」

「身体強化?」

「貴様が今座り込んでいるように、戦いは長引くほど人が不利になる。魔物は疲労を感じないからな。その限界を先延ばしにできるのが身体強化だ。そして儀式魔術は、事前準備によってその影響範囲内に半恒久的な効果を齎す」

「……なるほど。継戦能力を高めることで《波旬皇》に食らいつく(いしずえ)にしたのか」

「彼女がいなければ《波旬皇》相手に戦闘経験を積む機会も得られなかった。そうなれば畢竟(ひっきょう)、封印にも至らなかっただろう」

「《皆逆(カイギャク)》が剣、《庇擁(ヒヨウ)》が盾なら、《匣飾》は差し詰め台座か」

「…………終ぞ、彼女に感謝を伝えることはなかったがな」


 あんたの臍曲がりはその頃からかよ。道理で反りが合わないわけだ。


「わたしは一人残された孤独よりも、そのことをずっと謝りたかった。彼女達を先に逝かせた負い目を、感謝を、伝えたかった」


 彼の40年は、それが全て。その為に、今があるのだろう。


「だから代わりに、成すべきことを為すのだ。彼女らの命に報いるために、今度こそ《波旬皇》をこの手で討つ。これは、わたしと彼らの…………《魔祓軍》の夢だ」


 ベディヴィアが拘り、抱き続けている目標。それは独り善がりにも似た贖罪なのだ。

 彼は今、《魔祓軍》と言う過去を一人で背負っている。その願いを勝手に継ぐのもまた、弟子の役目だろうか。


「あんたの力も頼らせてくれ」

「言われずとも、《波旬皇》はわたしが討つ。そういう約束であろう?」

「……無理するなよ、ジジイ」

「ほざくな、可愛げのない青二才が」


 あんたが65超えてるのは事実だろうがっ。




 しばらくして体力が回復すれば、再び魔物相手に魔障を制御する練習を始める。

 殲滅したはずの魔物も、いつの間にか再び数を増やして波のように襲ってくる。

 今でも魔物は無尽蔵に湧いては行軍でもするかのように無秩序に攻め入ってくる。潰しても、得られる平穏は一瞬。

 その為前線は戦える者を交代で投入し、昼夜を問わずに維持しているのだ。

 そこに関してベディヴィアは一人でどうしているのかと休憩中に問うたのだが、返った答えは馬鹿なものだった。

 曰く、戦える時に前線を押せるだけ押して、休む時はおもいっきり退く。それを今日まで繰り返してきたらしい。

 それだけの力量は最早疑わないが…………老体なんだからもっと賢くは出来なかったのだろうか。孤独が格好いいとか、その年で中二病拗らせてるんじゃなかろうな?

 そんな風に実力の違いを見せつけられながら、けれどもどこか尊敬もしつつ。

 宿にも戻らず彼の下で数日を過ごせば、ある時メローラが様子を見にやってきた。

 一瞬、カレン達に何か言われてきたのかと疑ったが、単純に気になっただけらしい。

 というのも、どうやら俺の魔障の事を誰かから聞いてきたのだそうだ。……そこをぼかしたところで、知っている者も、それを話すような奴も数える程なのだが。

 けれども、結果的にそこへ、コーズミマの歴史で見てももしかすると初めてな……魔障に纏わる者が複数人揃う事態となった。

 そうなれば必然、話題は魔障の……俺の体の事へ移る。

 《渡聖者(セージ)》としても先輩であるメローラが興味だけで首を突っ込んでは、俺としても何か得られるかもしれないと素直に明かして情報を交換する。

 時には背中合わせに。時には面と向かって。

 魔障と言う存在との向き合い方を、二人の先達からあれこれ聞きながら、答えを探す。

 その中で一つだけ分かったことは、真似をしても意味がないという事だった。

 結局のところ、魔障も魔力に由来し、その根源は感情だ。つまりは、感情の制御……己とどう向き合うかであり、三人の意見を擦り合わせれば、『魔障との形は人の数だけあり、明確な答えなどない』と言う結論に至った。

 なんともまぁ曖昧でくだらない答えだが、事実そうなのだから仕方ない。

 つまりは、俺は俺なりの魔障との向き合い方を見つける必要があったのだ。

 だが、そこは俺。他人を疑い続け、信じられるものは自分だけだと歩いてきたぼっちのプロだ。

 自問自答で俺だけの納得と理解をこじつけるのは慣れたもの。意外とすぐに形は見つかり、始まりとして魔障を魔術のように扱う術は身に付いた。

 これまで何度もそう確かめてきたが、魔術とは魔力によって(ことわり)を再現した技術。いわば、知識と理解の塊だ。

 であれば、魔障と言う存在を自分の中でだけ通じる形に落とし込みさえすれば、後は魔力の扱いを知るだけで魔術として顕現できる。

 今回においては、最もネックになるであろう魔力の自覚や意識的な干渉に関してもさほど問題はなかった。これはカレン達と契約し、魔術を身近に使っていたことと。旅の道中でユウを始め様々な知見を得たお陰で、特別苦労することなく自分の物にすることができた。

 もしかするとこうしてここに至るまでの様々な経験でさえ、カレンが手繰り寄せた結果かもしれない。そう思えば、疑いもなく納得できたのだ。……丸投げ、と言ってもいいかもしれないが。

 なんにせよ、魔障を扱う土台は結構すんなり手に入れられた。

 そうすると次は、どれだけ力の行使に慣れることが出来るか。制御しても無くならない魔物化と言うタイムリミットと競いながら、《波旬皇》に届き得る刃を研ぐことが出来るか……。それが課題になった。

 が、これに関しても特別障害はなかった。

 というのも、俺の魔障は《波旬皇》由来なのだ。その力の成り立ちも性質も、俺のよく知る力とよく似ている。

 全ては、感情を祖とした理想を現実に変える力。

 本来ならばそう簡単に受け入れることも、御すことも出来ない力の形だ。

 しかし俺はカレンと契約してその力を使ってきた。時には未来さえ己の裁量で決める程に、彼女と思いを重ねてきたのだ。

 ……何より俺は、この世界に来た当初、理想を夢想していたのだ。やり直しと共に、どんな自分にでもなれると、待望を抱いていたのだ。

 夢を語る、と言えば少し恥ずかしいけれども……。空想に生きることに関しては、そもそも才があったのだ。

 きっと、物語の主人公ではなく、それを描き出す作家に近い人種。その中でも、特に危ない……現実と空想の境界線が曖昧になりやすい、そういう気質だ。

 一歩間違えれば現実不適合者と言われかねない性格破綻者。それが俺の本質だ。……俺はこんなに理屈的なのにな。

 間違っているのは世界の方。本気になればそんなバカげたことですら大真面目に吹聴して回れるほどの、底無しの胆力……魔力の持ち主だ。


「ここじゃなきゃ、生きていけないな……」


 自嘲と共に吐き出して、握った剣を一振り。

 袈裟懸けに斬った断面から青墨色の焔が溢れ出し、瞬く間に目の前の巨体を飲み込んで消滅させる。

 これじゃあ世界を肯定しているのか否定しているのか分かった物ではない。そもそも自分が正しいのかすら分からない。

 けれども、俺はここにいる。それだけが、目の前を形作る。

 また、一振り。それに合わせて、なんとなく気分の向くまま装いを想像してみる。

 …………あぁ、やっぱりこれがいい。

 しっくりと来たその姿に、思わず笑みを浮かべる。

 顔を上げれば、裾が(ひるがえ)る。目深に被ったフードが、特別感と何でもなさを共存させる。

 それは、どこにでもある外套だ。少し訳ありな者が羽織る、フード付きのローブだ。


「折角世界背負うんだから、もっと派手なのにしたら?」


 メローラのからかうような声に、素直さを捨てて応じる。


「生憎と、目立つのは苦手でな。無法のならず者がちょうどいいんだ」

「《不名(ナラズ)》か。ふざけた名だ」


 俺は世界の救世主の器ではない。

 世界の片隅で、蝙蝠(こうもり)のように踊る爪弾き者だ。

 契約と己だけを信じる、その在り方こそが、存在感。


「《不名》でも《渡聖者》でも好きに呼べ。俺は名無しの、傭兵だ」

「それじゃあ傭兵さん。私の依頼を受けてくれますか?」


 響いた声は、背後から。それは、随分と懐かしく思える、彼女の声。

 振り返らないまま、フードの奥で小さく笑って答える。


「内容は?」

「一緒に世界を逃げてくれる?」

「報酬は?」

「お兄さんに、居場所をあげる。名前を、あげる」


 心地よい声が、静かに隣に並ぶ。

 次いで彼女は、底抜けに楽しそうに顔を上げた。黒く長い髪が風に踊り、深紅の綺麗な瞳が前を見据えた。


「名前は?」

「無いよ。だから、お兄さんが決めて? あなただけの、私を教えて?」


 ダンスに誘うように手の甲が差し出される。

 小さく息を吐いて下から掬い上げれば、姫に(かしず)く騎士のような姿で視線を交わす。

 その、可憐な少女の姿に、何でもない感情を覚えて。考えるよりも先に音にする。


「カレン」

「お兄さんは?」

「ミノ・リレッドノー。ミノでいい。」


 名前の由来は、匿名の放浪者──anonymous wanderer。それを性根悪く逆さ読みして、スオミノナ・リレッドノー。そこから必要のない素直(スナオ)さを抜き取った────ミノ・リレッドノー。

 それが、今の俺の名前だ。


「それじゃあミノ。私と、契約して」


 ────私と、契約して


 あの時と同じ響き。けれども全く違う意味を持ったその言葉に、俺はカレンの手に視線を落とし、契約の証に(うやうや)しく口付けを落とす。


「あはっ」


 そうして彼女は、俺の手を取り向こう見ずに笑って────


「行こうっ、ミノっ!!」

「あぁ」


 俺は、ようやく俺の道を、歩み出す。




「んで? 二人はどうした?」

「準備したいことがあるから後で来るって」

「そうか」


 カレンと二人、《波旬皇》の下へと足を向け始めてしばらく。どうでもいい会話の流れで、姿の見えない二人に付いて尋ねる。

 返った言葉になんとなく察して、それ以上を口にするのを躊躇った。

 チカとシビュラは、カレンから俺の魔障の事を聞いたはずだ。その上で二人が一緒に来ることなく準備をしたいという話。であれば恐らく、それは魔障に関係する事なのだろう。

 想像できる可能性としては、どうにかして魔障を消すか。そうでなくても進行を遅らせる魔術を二人で作り出す……。そんなところだ。

 もちろんその気持ちは嬉しいし、それが可能ならばもう一つの問題も頼みたい。

 けれども今の俺にとって魔障は必要な力。俺が俺であるための大事な一部だ。

 もう少し早ければ二人の提案も一考の余地があったかもしれないが、今となっては遅い。だからこそ、今二人には別の形で頼みたいことが存在する。


「ミノこそ。本当に大丈夫? その気になれば魔障くらいならどうにかなるよ?」

「いや、いい」


 事も無げにそう告げるカレンに、真っ直ぐに、本心で答える。


「ようやく……今度こそカレンの事を理解出来そうなんだ。そうすればきっと、本当の意味でお前に並べる。今は何より、そうなりたいと思ってる」

「…………そっか……」


 短くそう零して。それから彼女は唯の少女のように(くすぐ)ったそうな笑みを浮かべた。

 流石に今のは気障(きざ)が過ぎたか? だが、これだけは言っておきたい。


「安心しろ。お前を独りにはしねぇから」

「ミノ重ーいっ」

「お前が言うな」


 己の理想の相手を世界越えて呼び出す方がよっぽどいかれてる。

 そんな風に、どこにでもありそうな会話をしつつ──呼吸をするように襲い来る魔物を斬り捨て続けて。

 やがてやって来たのは、《皇坐碑》と呼ばれる地下空間がある山の近くだった。

 俺たちが辿り着くと、事前に連絡していたお陰で《共魔》に《渡聖者》に転生者に聖人に元《魔祓軍》と言う、《皇滅軍》の中核をなすメンバーが全員揃っていた。

 その大所帯の中心に、二人の少女が立ってこちらを真っ直ぐに見つめる。

 さて、何を言われるやら。そう考えながら傍に寄った所で、二人はほぼ同時に踏み出し──俺にしがみついて懺悔するように零した。


「……ごめん。無理だった」

「魔障は、消せない」

「そうか。ありがとな」


 二人の知識があっても、魔障を根本から消し去ることは不可能だったらしい。きっと進行を遅らせる程度が限界だ。

 けれども、その言葉に少し安堵して二人の頭を撫でつつ、頼る。


「じゃあ代わりに一ついいか?」

「…………なに?」

「シビュラたちにできる事?」

「あぁ、簡単だ。魔障をコントロールする手伝いをしてくれ。どうにも俺一人だと少し足りないらしい」


 殆ど支配下には置いたが、暴走の懸念は存在する。流石にたった数日でベディヴィアと同じ境地に至ることは出来なかった。

 だが、二人が協力してくれればその問題も払拭できる。


「俺の魔障は《波旬皇》の魔力……つまり根源は感情由来だ。チカならある程度は肩代わりできるだろうし、シビュラの中を使えば十分足りるはずだ」


 チカは《波旬皇》の封印を解く鍵だった。その為、《波旬皇》によく似た魔力を持っている。であれば、俺の補助も出来るはずだ。

 そしてシビュラの中には数多の魔物が存在する。それは言わば複数のCPUを持つコンピューターと同義の、マルチコア状態だ。つまり、単一の処理能力が多少低くとも、分散して並列処理すればカバーできる。

 しかも二人とはまだ契約が繋がったままだ。全員の魔力を……感情を重ねれば、様々な物が共有できる。

 なにより、二人の中にある魔力は──《天魔(レグナ)》ではなく《魔堕》に近い。つまり、負の感情なのだ。

 チカはそもそも《波旬皇》の魔力から作られているから直系として当然だし、シビュラも魔篇として形成される段階で封印の傍に長くあった。あの場所には漏れ出した《波旬皇》の魔力が濃密に漂い、それを基にした魔物が封じてある。

 つまり二人共、世の魔剣とは違う成り立ちを持つ特殊な存在なのだ。

 であれば、《波旬皇》由来の……負の魔力による魔障にも、より深い理解で制御や干渉が出来るはずだ。


「頼んでいいか?」


 二人にしか出来ないこと。そう信頼を預ければ、早くも魔力を……感情を共有した二人が静かに頷く。

 お陰で、憂いを断って臨むことが出来る。二人がいてくれてよかった。


「話は纏まったかな?」

「あぁ、大丈夫だ」


 どこか安堵したような口調のイヴァンに尋ねる。


「《波旬皇》は……この下だな?」

「あぁ。どうやら律儀に待ってくれているらしい。だが気を付けてくれ。ここから先は向こうの土俵だ。これまで以上に厳しい戦いになる」

「問題ない。これでけりを付ける」


 幾ら自分に有利な戦場に引きこもろうと、結果は一つだけ。俺達はその理想目指して全力を尽くすのみであり、それ以外は必要ないのだ。


「覚悟はいいな?」

「誰に物言ってんだよ。ここにいるのはその気になればミノと一緒に死んでくれる奴らばかりだ。だから安心しろ」

「……俺は最悪誰かを盾にしてでも生き残らせてもらうぞ?」

「そん時はオレに任せな。ミノのために死ねるなら本望だっ」


 ショウの言葉に心が少し軽くなる。

 こんなところまできて未だに拘っている辺り、この件が終わったら一度しっかりと話し合う必要があると思いながら。

 逆縁と肩を並べて呼吸を整え顔を上げる。


「……よし。じゃあ────」


 行くか。

 まるで友達の家へ遊びに行くような感覚で号令を掛けようとした、次の瞬間。大地が割れんばかりに揺れ、誰もが立っていられなくなりその場へ膝を突いた。


「おい、何だっ!?」

「ミノ、あれっ!」


 メドラウドの驚愕に続いて捉えたカレンの声。見れば彼女が遠くを見上げたまま指をさしていた。

 その指先に導かれるように顔を向けて、そこに広がっていた光景に思わず目を見開き、息を呑んだ。


「…………なんだ、あれ……」


 鳴り続く地響きは未だ止まる様子はない。そんな、足元さえ不安な中で、けれども頭は至って冷静に、その景色を見つめていた。

 それは、何かの物語のように。何かが違えば、幻想的とすら思える異変。目に見えない巨人の掌がどこからか降って来たかのように、その事実を現実に刻み込む。

 互いの声さえ聞こえない地鳴りの中、不意に脳裏を過ぎったのは、アーサーの言葉だった。


 ────魔物の移動要塞、と言えば何となく理解できるかな?


 それは、《魔祓軍》と《波旬皇》の戦いの記憶を回想していた時の事。

 彼が語って、画として見せてくれたその光景が、時を再現するように目の前に描かれる。

 一層深く、大地が沈むような感覚。その後、今度は大地ではなく、大気を……世界を揺るがして、それが顕現していく。

 唖然としたまま見つめる事しかできない……天変地異。

 比喩ではなく、山一つが地図からなくなるその瞬間を、目の奥に焼き付ける。

 何かの映像を逆回しにしたように、不自然にそこに浮かんだ、山。遠目には急峻ともなだらかとも思える輪郭が、形そのままに天へと浮上していく。

 何時しかその影は俺達を飲み込んで。直ぐ傍に、頭上のそれから降り注いだ欠片(・・)が、新たに地図を少しだけ描きかえる。


「山が、浮いてる」


 そう形容するほかない、目の前の事実。けれども今は、それだけでは終わらなかった。

 空へと昇ったその三角形は、次いでその場で軸でもあるかのように回転し始めた。

 巨体特有の、空気のうなりを伝播させ。人類の小ささを嘲笑うかのように、大自然の一部だったその頂きが、反転する。

 今や直前まで山だったその塊は、抉り取った大地の底を曇天へと向けて晒した────空飛ぶ都市だった。


「魔都、《皇坐碑》」


 呟きは、イヴァンのもの。

 その響きを肯定するように、沈黙だけが辺りを支配する。


「……あれが、魔物の首魁の居城か…………」


 それは、人類が長くに渡り築き上げた都市一つを難なく覆う、浮遊都市だった。




 いきなりの出来事に、《皇坐碑》の浮遊現象は見ているだけしかできなかった。しかし直ぐに我に返って微かな呆れと共に、未だ欠片を落としながら空をゆったりと移動する浮遊都市を眺めて零す。


「……で、どうするよ」


 少しずれた答えを返したのはイヴァンだった。


「あれが《皇坐碑》本来の姿だ。わたし達は過去、あれに乗り込んで《波旬皇》を封印した。その地がこの場所であり、《皇坐碑》は封印と同時に大地に落ちた。……まさかまた飛ぶとは思ってなかったけどな」

「あの高さから落下したら普通は修復不可能じゃねぇか?」

「あれは《波旬皇》の魔力によって作られ、飛んでいる彼の城よ。あの島全てが《波旬皇》と言っても過言ではないわ。欠けようが真ん中から別たれようが、《波旬皇》さえ健在なら幾らでも修復するの」


 ショウの疑問に、マリスが分かりやすく答える。


「コアみたいなものはあったりするのか?」

「核などない。強いて言うなら《波旬皇》がそれだ」

「つまり、《波旬皇》を倒すのが答えか。分かりやすくていいな」


 ベディヴィアの声に納得して、今一度尋ねる。


「で、どうするんだ?」

「そんなの決まってるよねっ」

「乗り込んで」

「討滅する」


 カレン、チカ、シビュラの言葉に、その場にいる全員が闘志を漲らせる。

 だからこそ、もう一度問う。


「……だから、どうやってあそこまで行くんだよ」

「……? 飛べば?」

「…………もう一度死ぬか」

「駄目ーっ!」


 魔剣の常識を世界の理に挿げ替えるなっ!

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