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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
可憐な誓詞と憂愁の暁鐘
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第一章

 ぼんやりと意識が浮上する。霞む焦点を何度かの瞬きで調節すれば、視界に広がったのは見覚えのある天井だった。

 しばらくの間、何を考えるでもなくぼぅっと見つめ、やがて再び目を閉じる。

 脳裏には、鮮明に記憶が蘇っていた。




「契約が、切れちゃった…………」


 響いたその言葉が、まるで別世界のようにたわんだ気がした。

 自分と言う色を失ったように錯覚する中で、負傷の痛みも忘れて震える掌を伸ばす。


「どう、して…………」


 自問。自答。

 それは明白で、言葉の通りだ。

 契約が切れた。それは何より、俺自身が理解している。

 理解、しているつもりなのに………。頭は何故かそれを認めようとはしなかった。


「だあぁぁっ!!」


 直ぐ傍から駆けた衝動。声で分かる、メローラの一撃が、明確な結果を得ずにしばらくの空白を経て爆発のような地響きを辺りに渡らせた。

 そちらを見なくても分かる。《波旬皇(マクスウェル)》へ斬り掛かった一撃が往なされ、近くの山肌がそれを受けた。…………より正確に言えば、斬り掛かったメローラごと《波旬皇》が後ろへ投げ飛ばしたのだ。一瞬の静寂は彼女が衝突するまでの間。

 けれどもそんな事実よりも、目の前の現実が信じられなかった。

 座り込み、涙を流すカレン。頬を伝う一筋がやがて(おとがい)を撫で、地面に小さな染みを作る。

 そんな彼女は今、微かに見える首筋や脇腹から、認め難い証を垣間見せていた。

 契約痕。刺青のように体に刻まれたそれは、彼女が心を殺すまで辿ってきた過去。

 幾重にも折り重なり、その紋様すら判然としないまでに積み重ねられた、黒き衣。

 過去に一度だけ見たことのある、異名の由来。

 《重墨(エモク)》。


「メローラ! 下だっ!」

「分かって、るっ!」


 月光の下、少女の肢体以上に目を引いた特別奇異なその姿。それが今再び、俺の目の前にあることに、ただただ困惑する。

 分かっているはずなのに。全く()って意味が分からない。

 そう、思考が乱れた直後。俺が伏せ、カレンが座り込んでいた地面──山道の一部に皹が奔り、瞬く間に崩落を起こした。

 聞こえたやり取りから察するに、わざと道を崩したのだろう。

 気付いて、次の瞬間。俺の体が支えを失い宙に浮く。視線の先では、座り込んだカレンが生まれた亀裂の隙間に呑み込まれようとしていた。


「み、ノ…………」

「カレン……」


 二人、一人ずつ。縋るように手を伸ばすが──届かない。

 落下する。軌跡に鮮血と落涙が舞い昇り、意味もなく噛み締める。


 繋がりが、失くなった。


 その事実だけが、温度のない答えとして二人の中に音もなくおさまった。

 そこで意識が途切れた。




 意識して深く呼吸をし、再び目を開ける。しっかりと覚醒した思考で重い体を動かせば、肘を突いて体を持ち上げるのと同時、腹部に強烈な痛みが走り抜けた。


「っぐ……!」


 思わず手を宛がえば、そこには幾重にも巻かれた白い包帯。その下で、じくじくと広がる熱に拳を握る。


「夢じゃ、ないんだよな……」


 言い聞かせるように呟いて記憶に整合性を持たせた、次の瞬間。静かに開かれた扉の向こうから姿を現したマリスと視線が交わった。


「……っ、ちょっと、何して…………! いいから寝てなさい!」

「……今はいつだ?」


 慌てて駆け寄ってきた彼女の言葉を無視して尋ねれば、マリスは困ったように言葉を閉ざして、やがて答えた。


「…………《波旬皇》との戦いから二日よ。あなたはずっと寝てた」

「そうか……」


 抜け落ちた記憶を想像で補って、ベッドに再び横になる。

 そのことに安堵した様子の彼女は、疲れたように笑ってコップを差し出してきた。


「水、飲むかしら?」




 マリスの診察を受けつつあれこれ聞いて、眠っていた二日間の事を知る。


「じゃあ、また失敗したんだな」

「えぇ。けれど皆生きて帰ったわ。それが何よりの成果よ」


 敵も味方も巻き込んだあの崩落の最中。《波旬皇》の目を掻い潜って転移のゲートを開いたイヴァンたちは、そのままここへ逃げ帰って来たらしい。

 その時には既に意識を失っていた俺を、マリスを中心に治療して命を繋ぎ止めてくれたようだ。

 背中に貫通するほど傷が深かった所為で直ぐに完全回復とはいかなかったようだが、どうにかこうして生かしてはもらえた。

 だが、失ったものは大きかった。

 まず、あの場にいた殆どが何かしらの負傷をした。最後に無理な攻めで割って入ったメローラは、腕の骨が折れたらしい。今は魔術による治療で殆ど完治しているらしいが、リハビリ中。直ぐに全力での戦線復帰は難しいとの事だ。

 そして、負けて帰ったことが世界に知れ渡ってしまったらしい。

 これまで欺瞞工作等で維持していた士気が一気に瓦解。前線は既に二度押し込まれ、壁にしていたルチル山脈を突破されてしまったとの事だ。

 このままでは魔物の軍勢が全てを蹂躙するのも時間の問題。それくらいには《皇滅軍(ミスティリオン)》の……俺への期待が大きかったという事だ。

 結構な失態を演じてしまった。どう立て直せばいいのか、今すぐには見当もつかない。

 だが、現実は非情で、このまま指を銜えて立ち尽くしていれば直ぐに最悪の想像が目の前にやってくる。何か手を打たなくては……。


「とりあえずはペリノアが王様たちに手を回してくれてるわ。わたし達が動くのはそれからね」

「あぁ…………」


 全てを背負うわけではないが、責任は感じる。

 何より、《波旬皇》を討滅できなかった。そのことが重く圧し掛かる。

 次は、本当にあるのだろうか…………。


「どうぞ」


 そんなことを考えていると部屋に響いたノックの音。気付けば俯いていた顔を上げるのと同時、マリスが入室を促す。

 扉を開けて中に入って来たのは二つの影。チカとシビュラだった。


「っ、ミノっ!」

「おう」


 恐らく俺の目が覚めたことを聞いてやってきたのだろう。実際に目にしてようやく納得したのか、目を見開いたチカが場所も考えずに駆け寄り、俺の手を拾い上げた。

 きっと心配を掛けたのだろうと。彼女の立場に立ってそう至れば、自然と安堵させるための薄い笑みが零れた。


「よかった……! ずっと寝たままだったから、あたし…………!」

「ん」


 意地っ張りなチカにしては珍しく感情を露わにして目の端に涙を湛える。今回は特に目に見える傷だったから、余計に心配させてしまったようだ。

 こんなチカは珍しいかもしれないと、状況を棚に上げて悪戯心が芽生えるのと同時、俺の体に横から抱き着いたのはシビュラだった。


「痛い?」

「少しな」

「分かった」


 シビュラは相変わらず無感情に無表情。けれども言葉を交わすや否や、魔術を一つ行使した。

 途端、俺の体に魔力が循環し、腹部を熱が持つ。

 どうやら治癒の魔術を使ってくれたらしい。

 言葉よりも行動で示す彼女の気持ちが身に沁みて、その頭を撫でて応える。


「ありがとな。……二人は平気か?」

「うん」

「気にするのはミノの方なんだから。無理はしないで早く快復して」

「分かってる」


 強くは言えず素直に頷いて。改めて体をベッドに預けて天井を見上げつつ、その事実に触れる。


「…………カレンはどうしてる」


 返ったのは沈黙。俺の手を握って離さないチカが、少し強く力を込めたのが分かった。

 普段は即答するシビュラも言葉を探すように一つ大きな深呼吸をした。

 その反応に、なんとなくを知りつつ、踏み込む。


「教えてくれるか? 知りたいんだ」


 重ねて尋ねれば、やがてチカが壊れ物にでも触れるような声音で小さく答えた。




 深呼吸一つ。それから覚悟を決めてノックする。

 しかしながら声は返らない。

 想定内だと安堵して、取っ手に手を掛けて力を込め──


「お?」


 たが、開かなかった。

 響いた、何かに(つか)えるような音と感触。それで察する。どうやら内側から(かんぬき)のように何かを通しているらしい。

 随分と原始的な拒絶に、試されていると悟る。


「ま、いいや。そのまま聞いてくれ」


 無理に抉じ開ける事も出来るだろう。けれどもそんなことをしてしまえば、その瞬間に様々な物が再起不能になってしまう。

 だからこそ気持ちを落ち着け、扉の向かいに背を預けて廊下に座り込んだ。

 人の温もりを感じない、潔癖さえ感じる白一色の塗装。けれども何となく、親近感を覚えて安心した。

 ここは、俺もよく知る世界だ。

 静かなそこに反響する自分の声と共に、扉の向こう側に微かな存在の温度を感じる。


「チカに無理言って()いたんだ。だからまず、そこを謝らせてくれ。悪いのは俺だ」


 音もなく出現した一本の短剣が顔の直ぐ傍に刺さる。

 一房切れた髪が直ぐ傍に落ちるのを見やりつつ指先で引っこ抜けば、なんとも特徴のないただの両刃だった。

 手の中で(もてあそ)びながら続ける。


「最初に一つ訊かせてくれ。それは、俺の為なのか?」


 返答はなし。剣もなし。


「そうか。…………安心した。逆に、そうじゃなかったら俺にはどうしようもなかっただろうな」


 先ほどと寸分違わぬ場所へ、一回り大きな短剣が突き刺さる。

 手に取れば、一つ前の物が消滅した。


「けど、どれも嘘じゃない。そうだろ? 幻なんかじゃない。確かに俺たちは、契約をしてた」


 契約。俺と彼女にとって何よりも信頼に足る繋がりであり。そして、それ以上でも以下でもない、頼りない糸だった。


「封印を解いた後、自分の体に戻って来るまでにいろいろな話を聞いた。この世界の事。魔物の事。転生の事。それから──《珂恋(カレン)》という魔剣の事」


 直ぐそこに、目の前にいるように。見えない顔を思い浮かべて、その事実を手繰る。


「感情を原動力に、想像を現実へと書き換える概念の剣。そんな魔剣がこれまで唯一、本気で望んだ物……。言葉にするだけ陳腐な、運命さえ否定する奇跡」


 また一つ、剣が刺さる。今度は俺の目の前に、よく知る形として。

 シャブラ。微かに湾曲した片刃の、出会いの証とも言うべき過去。

 消えた短剣の代わりに手に取って柄を握れば、なんとなく懐かしい気がする。


「俺としては認めるのも癪で。本人にとってはそれ以上に信じられない事実。今だってきっと、実感なんてないんだろ?」


 問いかければ、手の中のシャブラが魔力に包まれて変形する。次いでそこに生まれたのは、浪漫さえ感じる綺麗な刀身。

 日本刀。俺がよく知る、鈍色に輝き、波打つ波紋の、どこにでもありそうな一振り。


「俺は、《珂恋》に呼ばれてこの世界に来た。馬鹿げてるけど、それが答えだ」


 呟きに呼応して、色付く。

 刀身は、闇の中でさえなお暗い、漆黒。波打つ互の目模様は、彼女の瞳と同じ深紅。

 俺のよく知る、唯一の刀。《珂恋》という魔剣と瓜二つの一振り。


「だからな。今更契約なんて何でもないんだよ」


 小さく息を吐き出して立ち上がる。


「お前だってそうだろ? ただ、嫌だったんだろ?」


 柄をしっかりと握り、正眼に構える。邪念を捨て、呼吸を整えて振り被る。


「けどな。それは唯の勘違いだ。俺はもう、お前を疑ったりしない」


 真っ直ぐ振り下ろせば、切っ先が扉の僅かな隙間に吸い込まれた。横倒しになった何かを斬る感覚が、手の中に残った。


「お前は、誰でもない──カレンだからな」


 次の瞬間、本来内側に向けて開くはずの扉が、音を立てて廊下側に弾け飛んだ。残骸が俺の傍を抜け、後ろの壁に激突する中、影が胸に飛び込んでくる。

 受け止めれば、背中に回された腕が確かめるように力を込めた。


「こんなのでも?」


 胸元からこちらを見上げるのは、一人の少女。あの時と同じ、一糸纏わぬ姿でその身を晒した、女の子。

 華奢な肢体を包む、(おびただ)しい黒い命。数えるのも億劫な、背負った定め。

 《枯姫(コキ)》、《宿喰(スクイ)》、《重墨(エモク)》。そう呼ばれた、その証。

 たった二年で刻み付けた、百に届く契約痕。

 その過去を、今度こそ────


「あぁ。カレンにしか着ることを許されない、綺麗なドレスだ。それも全部、一緒に背負ってやる」


 心の底から、肯定する。

 彼女を────カレンを、俺の様にはさせないと、手を伸ばす。


「独りじゃないからな」

「……っ!!」


 不思議と、怖いとも思わない。気味が悪いとも思わない。

 それどころか、安心する。安心することに、安心する。


「ね、ミノ」

「なんだ?」

「キスしていい?」


 言葉には、答えずに。

 震える体を抱きしめて、顔を寄せる。

 そこに再びの契約は────ならなかった。




「んじゃやっぱり《波旬皇》の所為か」

「うん。どうにかしようと試したけど、無理だった。これ多分、私とミノに分けられてる」

「また面倒だな」


 部屋の中。未だ服を着ようとしないカレンを後ろから抱き締めて座り込み、二人壁に(もた)れて天井を見上げつつ零す。

 契約は、ならなかった。その理由は、《波旬皇》に魔術的な細工をされたかららしい。


「契約を結ぼうとすると、二人の間で繋がって阻害が成立する魔術。解く鍵は、互いに持ち合ってる」

「ってことは、俺がそれをみつければいいのか」

「大丈夫。私もまだ見つけられてないから」

「そりゃいいな」


 小さく笑えば、カレンの掌が下から俺の顔を包んだ。

 見下ろせば、逆さまの顔がこちらを見つめていた。


「んー…………。……うん、駄目だ。契約がないと取り出せない」

「家の中に鍵忘れてオートロックか。軽く詰んだな」


 しかもマスターキーは自分しかもっていないのに、その保管場所を忘れてしまっている。

 一周回って開き直れそうだ。


「ねーミノ?」

「ん?」

「くしゃみ出そう」

「おい馬鹿やめ────」

「はぶっ!」

「おぉおおお前っ! やりやがったなっ!」

「うー寒……。えっと、服、服…………」


 クソが。好きな相手の顔掴んで鼻水ぶっかける奴がどこにいるよ。

 一人すっきりしたカレンが立ち上がって想像で服を取り寄せる。それを忌々しく見つめれば、何もない中空にタオルが一枚降ってきた。

 理想がそのまま現実になる。便利なのに、なんと不思議な光景だろうか。

 そんな事を思いながらタオルで顔を拭えば、その一瞬の間にいつもの服に身を包んだカレンが出来上がっていた。


「どう?」

「ちょいと見えるぞ」


 自分の首筋を指さして顔を覗かせる契約痕を指摘すれば、少し悩んだ後、マフラーらしきものを呼び寄せて手も使わずに首に巻き付けて隠した。


「よし完璧っ。それじゃあその……」

「あぁ、付き合ってやる。謝りに行くぞ」

「うん、ありがと」


 見えない何かから解放されたように年相応な笑みを浮かべたカレン。その頭を擦れ違い様に撫でれば、手が離れる前に絡め取られ、彼女の腕の中に捕縛された。

 一瞬振り払ってやろうかと思ったが、浮かべた笑顔に毒気を抜かれて諦める。

 次いで足を出せば、直ぐそこに転移用のゲートが音もなく開いた。




 とりあえず手の空いている者達に挨拶を済ませて部屋に戻る。

 するとそこには帰りを待っていたチカとシビュラがいた。

 二人は、扉が開くや否や言葉もなく駆け寄ってカレンに抱き着く。特にチカは泣きそうな表情を浮かべてカレンに文句の限りをぶつけていた。

 しばらくしてそれが収まると二人にも現状を共有する。


「……じゃあ、二人は契約ができないって訳?」

「試したけど無理だった。因みにチカならどうにかなるか?」

「…………時間を掛ければどうにかなるかも。けど……」

「そうも言ってられないか……」


 マリスのところに寄ったときに話を聞いたが、どうやら想定以上に士気が落ちているらしい。このままではプロパガンダも意味がないそうだ。

 まずはそこを持ち直すことが急務。

 ……とはいえ、名案は湧いてこない。今更俺が出て行っても不信感が募るだけだしな。

 そんなことを考えているとカレンが尋ねる。


「そう言えば、二人の契約はどうなってるの?」

「大丈夫。切れたのはカレンだけ」

「そ、っか……」


 安堵と、寂寥感。契約を交わさずとも分かる心の動きに、俺まで少し影響を受ける。

 シビュラの答え通り、契約が切れたのはカレンとだけ。チカとシビュラの二人とはまだ繋がったままだ。

 だが、逆に考える事も出来る。


「けど、これでカレンの力が《波旬皇》討滅の手段として正しい事が証明されたな」

「そうね。危険に感じたから、契約を解除して、再び結べないように細工も施した。そのままミノを殺さなかったのは理解できないけど……」

「それは多分、そうする必要があったからだと思うよ」

「え……?」


 チカの声に答えてカレンがこちらを見る。どうやらカレンも、《波旬皇》と衝突した時に気付いて、俺と同じ結論に至ったらしい。


「どういうこと?」

「《波旬皇》は負の感情の塊だろ? そのストレスは、どこかで発散する必要がある。つまりあいつは、まだ俺たちにサンドバッグとしての利用価値があると踏んだから、簡単には殺さなかったんだよ」

「この機会を逃したら、次に転生者が来るのはいつになるか分からないからね」

「……なんかそれ、ミノが物みたいに扱われてるようで嫌なんだけど」

「けど、お陰で二度も死なずに済んだ。しかもまだどうにか《波旬皇》討滅の芽は残ってる。戦いに負けはしたが、《皇滅軍》としては首の皮一枚繋がってるって訳だ」

「失う物も、もうない」


 シビュラも理解したのか、非情な事を言う。

 信用が失墜し、負けを経験して。これ以上と言えば、後は死ぬだけ。死んだら何もできないのだからそれは考慮しなくていい。

 結果、失う物は何もなく。今度は純粋に俺個人として何かを背負うことなく《波旬皇》と対峙できると、そういう事だ。

 やっぱり、何かを期待されるのは性に合わないらしい。自由の身が一番だ。


「じゃあ、ここから反撃ってこと? でもどうするの? カレンとの契約はもう……」

「無いなら無いなりにどうにかするだけだ。それに、カレンにとっては正直こっちの方が楽だろ?」

「……例えそうでも絶対に認めないから。私はミノと一緒に生きるのっ」

「そうだな」


 吹っ切れたお陰で、少しだけ前も向ける。

 こんなに晴れやかな気持ちで顔を上げるのは一体いつ振りだろうか。


「ま、そういう事だ。カレンが自分の力を自覚してる今なら、それを最大限引き出せるように俺たちがお膳立てする。その方向性でいいな?」

「嫌だけど、分かった」


 頑固な奴め。

 だったらそのポジティブさでこの状況を覆してみろと。胸の内で無理難題を突き付ければ、カレンが思い出したように告げた。


「あ、そうだ。ミノ、それもどうにかしとかないとね」

「……分かってる」


 カレンが、全てを見透かしたように人差し指で俺の胸を突く。

 が、チカとシビュラの二人は意味が分からなかったらしく、その瞳に疑問符を浮かべていた。

 そこでようやく気付く。どうやらカレンは、初めから分かっていて手を貸してくれていたらしい。


「ミノの事だから手放すつもりはないんでしょ? とすると私にできることは殆どないからね。これだけ渡しておくよ」


 言って、カレンは自分の指に嵌っていた指環を外すと、魔術でサイズを調節したそれを俺の右手の中指に通した。

 ミドルフィンガーリング。右手のそれは、邪気から身を守る意味を有する。

 別に意味を知っていて嵌めた訳ではないだろうが、偶然とは面白いものだ。


「鍵ってことでいいんだな?」

「ううん、約束。また一緒に、今度こそ自由に旅をするの。ね?」


 言わなくてもいい事を一々言葉にするカレンに辟易しつつ、その行為をありがたく受け取って。

 覚悟として飲み込むように、開いていた掌を握り込めば、直ぐ傍から少し苛立ち交じりの声が響いた。


「……二人で一体何の話?」

「何でもない。気にするな」

「無理」


 相変わらず(にべ)もなく首を振ったシビュラが手を伸ばしてくる。が、流石に外すわけにはいかなくて逃げるように壁側へ退避する。

 しかし数日寝たきりだった為か、今日はやけにしつこいシビュラが無言で距離を詰めてくる。こうなったら背後の窓から逃げてやろうか……。

 そんなことを考えて飛び降りる覚悟を固め始めた、次の瞬間。部屋に静かなノックの音が響き渡った。

 タイミングのいい来客に話題を逃げて戸を開ける。するとそこに立っていたのはノーラだった。


「おはようございます、ミノさん」

「もう夕方だぞ」

「知ってます」


 相変わらず行動力の化身の様な少女だ。

 彼女にも心配を掛けてしまった。特にノーラは、共に立つことが出来ず帰りを待つしかない身だ。

 だと言うのに失態を演じ、無様な姿を見せてしまった。

 彼女はきっと、ここにいる誰よりも命の灯を傍に感じていたはずだ。


「仕事はいいのか?」

「今はミノさん以上に大切な事なんてありませんよ」


 公私混同も(はなは)だしい。けれども言葉が事実なのも確かだ。


「それで、何か入用なものはありますか?」

「とりあえず時間だ。どうにかしてもう一度の機会を作る」

「分かりました。では最終手段ですね」

「まだ何か隠してたのか?」

「奥の手がないと安心が出来ないので」


 揺らがない言葉。既に決定事項な笑顔に、少しだけ嫌な予感が募る。

 そんな心の内を読んだように、ノーラが笑顔で続けた。


「大丈夫です。ミノさんは絶対に守りますので」


 どこか不穏な響きを残して(きびす)を返したノーラ。もう少し熱烈な時間がやってくるかと思ったが、存外拍子抜けで調子を乱される。

 ノーラの事だから泣き縋っててでも糾弾するかと思っていたのだが……。

 ノーラの去った廊下を見つめて零す。


「俺の居ない間に何かあったのか?」

「さぁ。何も聞いてないわよ」


 一体彼女は、何をしようと言うのだろうか。




 不穏な気配は、翌日に現実として形になった。

 話があるとの事でユスティリア大聖堂に呼び出された俺は、ファルシア達の集まる部屋へと通される。

 一体何事かと腰を下ろし、前置きもなく尋ねる。


「話ってのは何だ?」

「《甦君門(グニレース)》の者達を切り捨てる。異論は?」


 同じく真っ直ぐに応えたのはゼノ。

 一瞬、何を言われているのかわからずに呆ける。

 が、こちらを向く四つの視線に冗談の色がない事に気が付いて話に身を入れた。


「あいつらは」

「了承済みだ。既にこれしか人の世を守る術はない」

「……どういう事?」


 話の見えていないカレンがこちらを見上げてくる。しかし説明はファルシアが引き受けた。


「先の《波旬皇》との戦闘で、ミノ殿は敗れ、負傷されました。その結果、《皇滅軍》の士気は著しく低下し、前線の維持も困難な状況に陥りつつあります。その上で昨日ミノ殿が要望されたのが、時間の確保。傷を癒し、攻め入る手段を再確立するための立て直しです。ですので、そのための手段として《甦君門》の者達を裏切り者として喧伝します」

「裏切者、って……」

「実は彼らは《波旬皇》の手先で、この前の戦いの中全員で手のひらを返し、ミノを襲った。その奸計(かんけい)に嵌ったミノが負傷して救助された。《共魔(ラプラス)》の連中は人類の敵である。……こんなところ?」

「はい」


 気付いたチカが、ファルシアの口にしにくい部分を言葉にする。

 それを聞いたカレンが目を見開いた。


「え、何で! だって皆は……!」

「カレン、落ち着け。全員分かってる」

「でも……」


 言葉にしてはならない真実を口にしかけたカレンを(たしな)める。不服そうな彼女を安堵させるために軽く頭を撫で、この話の発案者だろう少女に視線を向けた。


「強引が過ぎるぞ」

「分かってます。ですがこうする以外に道は残されていないんです。それに、《皇滅軍》ではなくなるからと言って手が取れなくなるわけではありません。以前の関係に戻るだけです」

「……そうか」


 その言葉を聞けて安心する。

 今の俺には一人で《波旬皇》と渡り合うだけの力は存在しない。その懸念があったのだが、問題無いようだ。

 まだ理解の及んでいないカレンの為に説明する。


「つまり、《共魔》の連中を《波旬皇》の仲間……裏切り者として告発し、《皇滅軍》から排斥する。あいつらとは《皇滅軍》ができる前の、暗黙の了解で手を取り合ってた頃の関係に戻るってことだ」

「じゃあ、その……皆を処刑、とか……そういうのじゃないんだよね?」

「彼らにはわたくし達が抑えてある《甦君門》の拠点の一つを開放します。次の《波旬皇》襲撃まではそこで過ごしてもらい、準備が出来次第足並みを合わせて《波旬皇》の討滅へ動いてもらいます」

「……そっか。よかった…………」


 《共魔》を裏切者にし、汚名を着せることで俺の名誉を守る。汚く狡賢いやり方だが、少なくとも落ち込んだ士気の幾らかは回復できる。……いや、《共魔》の連中をこれ以上なく非難すれば、敵が増えたことに前以上の原動力が生まれるかもしれない。


「それに、上手く事が運べばさらに盤面も覆せるしな」

「どういう事?」

「簡単な話よ。全部終わった後で、彼らが裏切ったのは《波旬皇》に操られていたからだった、とでも言えば幾らか同情の余地は生まれる。その上でファルシア達が生殺与奪を握れば、ミノは恒久的に文字通り《渡聖者(セージ)》になれる」

「その場合、手を下すのは俺の役目になるだろうがな」


 最後の最後まで悪役を被せ、彼らは俺の名誉のために死ぬ。そしてそれは、何よりイヴァンたちの望みそのものなのだ。

 世界の悪を全て背負って消える。最前線の亡霊としてこれ以上ない悪役像。

 ここまでが見えたから、彼らは是非もなく頷いたのだろう。


「どうだ、理解したか?」

「…………納得はしてない」

「それでいい」


 それに、今語ったのは最も最悪なシナリオだ。そうでないビターエンドも、あるにはある。

 前に一度、国を騙したのだ。だったら今度は世界を騙す。簡単な話だ。


「で、いつだ?」

「直ぐでも構いません。もう準備は整っております」


 ファルシアの声に、ここまで一切口を挟んでいないガハムレト……ペリノアを一瞥する。

 ……そう言えば、そっちはどうするつもりなのだろうか。


「なら早い方がいいだろ。このまま放っておけば前線が瓦解しかねないからな」

「ではそのように」


 俺をここに呼んだのは、了承を得るため。恐らく責任の所在は曖昧にしたまま現状を打開し、結果如何によって俺の手柄とするか、国の判断とするか決めるのだろう。

 どう足掻いても、俺を悪役にするつもりはない。これは、俺を《皇滅軍》の旗印として機能させ続けるためのものだ。きっと最終的には世界を救った英雄に仕立て上げるつもりなのだろう。

 もう勝手にしてくれ。そうなったら俺は俺の自由を探す。もしくは手柄をメローラくれてやる。

 そんな役割を背負いたくてここにいる訳ではない。


「話は終わりか?」

「はい。急にお呼び立てしてすみませんでした」

「何かあったら言ってくれ」


 言い残して部屋を出る。そのまま教会の中を通って往来へ出ようとしたところで、礼拝堂の中にそぐわない顔を見つけた。


「こんなところに何の用だ? 宗教と医学はそんなに仲が良くないと聞いたんだがな」

「誰が言ってたのよ」

「チカ」


 素直に答えれば、白衣を羽織ったマリスが小さく肩を揺らす。

 困ったときの神頼みと言う言葉があるように、どうしようもなくなった人間が宗教に縋るというのはよく聞く話。特にここコーズミマでは、宗教がユヴェーレン教一つしかなく、ユークレースと言う国の形にさえなっている。宗教が占める割合と言うのはとても大きい世界だ。

 そんな世界ならば当然のように神の奇跡を求めてやってくる人も沢山いる。俺の元居た世界でも、病魔が退散することを願われて祈祷なりされていた。

 医学が発達してからはその意義も薄れていたが、それでも完全に潰えていたわけではなかった。

 根本からアプローチの仕方が違うコーズミマとあの世界を一概に比べることはできないが、ここでは宗教的なよりどころはとても大きい。

 それは、魔障と言う治癒の魔術でもどうしようもない病気があるからだ。もちろん、それ以外にも魔術では治せない病気もあるようだが。

 なんにせよ、魔術は万能ではないというのが、宗教に助けを求める理由の一つだ。

 だからこそ、人の病は人と魔の力で治せるという医学と。神様が全てを治してくださるという宗教の間で対立が起こるのだ。

 そういう意味では、この世界の医者と言う職業は随分と肩身が狭い思いをしている事だろう。

 ……とはいえ、治癒の魔術で全てがどうにかできたら、それはそれで新たな問題が生まれかねないが。まぁいいとしようか。

 宗教と医学にはどうにも埋められない溝がある。それを前にチカから聞いたからこそ、目の前のマリスが違和感でしかないのだ。


「別に神様や宗教を否定しようというわけじゃないわ。だからって熱心に祈ったりもしないけれど……」

「実際、そこのところどうなんだ? そういう奴もいるのか?」

「さぁ。探せばいるんじゃない?」


 信心深い医者。なんとも矛盾に満ちた言葉だ。が、この世界では十分にあり得る。

 ……例えば、ナイチンゲールのように患者の別なく助け、世界に認められて《渡聖者》にでもなれば両立するだろうか? それとも、医療従事者がユウのようにその身に魔の存在を宿せば両サイドから認められるだろうか?

 だとすれば、マリスがその第一号になってもおかしくはないが。


「生憎と、わたしはそれほどこの世界に執着してないわ」

「そうかい」


 医者の癖に病には掛かっている……とは口にしなかった。それは彼女と彼の問題だ。俺が口を挟むことではない。


「ここにいるって聞いたから丁度いいと思ってね」

「丁度いい?」

「少し前にお願いはしたんだけれど……」


 何やら用があって尋ねたようだ。呼び出された感じではないから彼女の都合なのだろうが、一体……?

 そう考えた直後、教会の奥からノーラが顔を出した。


「あ、よかった。まだいた……」

「どうした?」

「マリスさんに《逓累(テイルイ)》の力を貸して欲しいって言われたんです」

「《逓累》の?」


 《逓累》はノーラの体に宿った特別な力だ。家系図を辿れば、どこかで異世界人の血と交わったというアルマンディン王家。その遺伝子が先祖返りによって極稀に表に出た特別が、ノーラの《逓累》だ。

 その力は感応増幅。他の魔術に干渉してその規模を想定以上に引き上げる効果を持つ、使い方次第では戦力としても数えることのできる力。

 そこまで考えてマリスに向き直る。


「まさかノーラを巻き込むつもりか?」

「いいえ。今回はわたしの手伝い。あなたの為よ?」

「俺の?」

「マリスさんの治癒の力を増幅してミノさんの傷を癒すんです」

「あぁ……」


 一瞬、過ぎった想像が直ぐに塗り替えられる。


「ミノって時々そうだよね。他人の事は気付く癖に、自分が関わると鈍感って言うか……」

「うるせぇ」


 ……仕方ないだろう。他人には心配よりも嫌悪や忌避ばかり向けられてきたのだ。直接言われなければ素直に他人の好意なんか気付けるかっ。


「そこに座ってください」


 これ以上面倒に巻き込まれる前にと、ノーラの声に従って長椅子に腰を下ろす。

 すぐさまマリスが治癒の魔術を展開し光で俺を包むと、次の瞬間その光が瞬いて輝きを増した。

 《逓累》の力による魔術の強化。単純に魔術に掛ける魔力を増やすわけではない……もっと根本的な規模の拡大に、マリスも少し驚いたような反応を見せる。

 ノーラの力を直接見るのは恐らくこれが初めて。その力をあてにするくらいには知っていたのだろうが、彼女の想定を超えた形で魔術の行使がなされているようだった。


「単純な治癒じゃ感じなかったが……少し暖かいな、これ」

「治癒はそもそも自然治癒力を魔力で代替する力よ。怪我をすれば熱を持つ。それを促進するのと同義だから、普通以上に感じるのよ」

「治ってる感覚が分かるだけ変な感じもするけどな……」


 何と言うか、むず痒い。《波旬皇》に貫かれた左の脇腹が自覚できるほどに熱を持ち、内側で何かが蠢いているような得も言われぬ感覚が浮かぶ。

 まるで目に見えない何かに傷口を復元されているようだ。


「魔力の使用量もそれなりに増えるんだろ?」

「許容範囲内よ」

「ノーラはどうなんだ?」

「ここまで持続して使うのは初めてですね。アルマンディンの時は少しだけでしたので」


 姉、ソフィアの処刑を幻術によって誤魔化す為に使用したノーラの《逓累》。あれは処刑された男をソフィアに見えるようにしていたため、事前に幻術を一つ使うだけでよかった。

 だが今回の治癒は、魔術発動中《逓累》を維持し続けなければいけない。

 魔剣と契約をしていない為一人では魔術を使えず、かと言って日常的に魔具の力を増幅しなければいけない生活をしているわけでもない。その為力の行使は慣れていないはずだが、表情から察するにそれほど苦ではないようだ。


「無理はするなよ。ノーラが倒れる方が今のコーズミマにとっては大変なんだからな」

「ありがとうございます。大丈夫ですよ。無理はしてませんから。……それに、こんなことでしかミノさんのお力にはなれないので」

「……前から思ってたんだが、俺の何がいいんだ?」


 静寂は嫌いではないが、それは一人の時の話。特にこうして誰かの手を借りている状況で黙り込むというのは、何だか居心地が悪い。

 そんな風に沈黙を嫌って、少し燻っていた疑問を言葉にする。

 するとノーラは、一瞬呆けたように口を閉ざし。次いで微笑んで答えた。


「……多分、そういう無自覚なところだと思います」

(けな)してんのか?」

「違いますっ。ミノさんは思慮深くて、優しい人ですから。悪意がない、と言えば伝わりますか?」

「結構自分の都合のいいように選んでるつもりだがな」

「それでもきっと、ミノさんは誰かを傷つけようとは思わない。そういう無自覚な正しさが、わたしは好きです」

「…………思うのは勝手だな」


 認めるのが恥ずかしくて、顔を逸らしつつ言い訳を振り翳す。

 ノーラが子供でも見守るように笑みを零し、俺の視線の先ではカレンが笑顔を浮かべていた。


「ミノは格好いいよ?」

「顔か?」

「それはどうだろ……」


 別に美形だとは思わないが、そう言葉にされるのは逆に腹が立つ。


「でも、私にとってはミノが一番だから。それ以外なんて関係ないよっ」

「……そうかい」


 敵しかいない。そう悟って小さく息を吐けば、やがて足元に展開されていた魔術が薄れて消えた。

 確かめるように脇腹を撫でたり押したりしてみるが、違和感もない。健康体そのものだ。


「どうかしら?」

「問題ない。……ただ少し、胸の奥が重いな」

「恐らく余剰した魔力が体の中に残ったのよ。しばらく経てば消えるはず。魔術の一つでも使えばすぐにでも元通りよ」

「そうか」


 恐らく治癒の魔術の規模が大きすぎたのだ。だから魔力だけが残ってしまった。

 強力なのはいい事だし後遺症がないのも望むところだが、何事にも完璧はないという事だろう。


「……この力があれば、彼を遺す事もなかったかしらね…………」


 小さな呟きが静かな礼拝堂に響く。

 どうにもマリスの中では40年前の事が未だに尾を引いているようだ。

 《波旬皇》討滅も執念の一つだが、彼女にとってはそれと同じくらいにベディヴィアの事も心残りだったのかもしれない。


「過去をどうこう言ったところで前に進める訳じゃない。それに、自己満足にも浸れるだろ?」

「…………そうね」


 他人事に告げれば、マリスが微笑む。

 まだそこには至っていない俺だが、なんとなく理解はできる。

 自分の手と判断で愛した人を守れるのだ。当人にとってそれ以上の喜びはないのだろう。

 少なくとも、共に心中するよりは余程幸せだと思う。

 死を選ぶくらいなら、生きるために足掻く方が幾らかましだ。


「思うんだが、別にいいんじゃないか? 全部終わったらお前らも解放されるんだろ?」

「死者が現実を搔き乱すものではないわ。ここはあなた達、生きている者の舞台だもの」


 分かり切った答え。未練はきっとないのだろう。

 それもまた愛の形の一つなのかもしれない。


「ま、本当に亡霊になる前になにがしかの納得は見つけておいたらどうだ? その方が憂いも無くなるだろ」

「……考えておくわ」


 言って、踵を返したマリスが空間の奥に消える。

 それを無言で見送ったの後、いつの間にか直ぐ傍に居たノーラが俺の右手を掴んで持ち上げた。


「で、これなんですか?」

「……これとは?」

「惚けないでくださいっ! この指環っ、カレンさんがしてたものですよね! 何でミノさんが着けてるんですかっ!?」

「分かったからそんなに大声出すな……」

「むぅぅ…………」


 分かりやすくむくれたノーラに溜め息を吐いて仕方なく答える。


「カレンとの契約が切れただろ? それの代わりだとさ」

「代わりって……別にそれで契約を交わしてるわけではないですよね?」

「別の契約は交わしたがな」

「別?」

「必ず無事で戻る。だから……心配するな。って言ってもどうにもならないだろうが、だったら代わりに信頼してくれ」

「既に二回負けてる人が言っても説得力がないです」


 そりゃそうだ。


「……でも、信じます。ミノさんなら大丈夫です」

「あぁ」


 彼女の優しさに少しだけ救われて、礼代わりにその頭を軽く撫でる。

 そこでようやく、今の彼女がいつものティアラを付けていないことに気が付いて、更に胸の奥が温かくなった。


「あ、そうだ。ここは開けておいてくださいね?」


 思い出したように俺の左手を取ったノーラが、薬指に優しく触れて微笑む。


「ミノさんの倫理観的に一番可能性があるのはわたしだと思ってるのでっ」

「……神様の前で冗談を言うのはどうかと思うぞ」

「もぅっ」


 いきなりの言葉に景色を想像してしまい、咄嗟に視線を逸らす。

 そんな反応ですら楽しむように相好を崩したノーラが、名残惜しそうに手を放して腰を折った。


「仕事に戻ります。(きた)る時に備えて、今はゆっくりお休みください」


 飾るなら、女王様がそう軽々しく頭を下げる物ではないと。思ったが、そのちぐはぐさこそがノーラらしいと思いつつ、大聖堂の奥へと姿を消す背中を見送る。

 と、不意に視線に入ったステンドグラス。アラベスク模様のような幾何学が正面壁の中央に嵌め込まれ、薄い外の光を受けて微かに輝いている。偶像崇拝が禁止されているため、そこには愛の神様とやらの姿もない。

 元居た世界では、偶像崇拝の禁止の中にはステンドグラスの設置すら禁止になっている教義もあるが、ここは異世界。深く考えても仕方がない。

 そんな、虹色に輝くガラスの塊を見て思う。

 魔物に、信仰心はあるのだろうかと。宗教は、通じるのだろうかと。

 己の悪意を発散することを第一義とした存在。人の感情より生まれし、人の鏡。

 高位ともなれば人の言葉を解する。考えることを覚え、自らの存在意義の為に策を弄する。

 その過程で共存を志したのが共生思想の始まり。後に《天魔(レグナ)》と呼ばれる存在だ。

 その考え自体が宗教だとは俺も思わない。みんな仲良く……なんて、子供でも思い描く夢だ。

 だが、それらが集まって意味を持ち。結果が伴うのであれば、それは立派な宗教だとも思う。

 であれば、魔物は宗教を理解できる。

 ……ただそれは、交わりが生んだ結果に過ぎない。きっと魔物だけでは生まれない価値観だ。

 しかし、宗教未満であっても思想は生まれる。その最たるものが《波旬皇》だ。

 彼には、美学のようなものがあるように思う。己に課した戒めの上で存在し続け、なおもまだ見ぬ未来を夢想する。

 その先に、何もない事を知りながら。存在しない存在に、思いを傾ける。

 それは宗教ではないかと、俺は思う。

 だとすれば、《波旬皇》は一体何を望んでいるのだろうか。何を夢見ているのか。

 彼にとっての神様とは、一体…………?

 その答えは、けれども曖昧で。どうにも今の俺には見つけられなかった。




 数日、特に何をするわけでも無く過ごした。

 気分転換にと前線には一度出たが、顔を見せたことで逆に不安を煽ったらしく、翌日からはそれもやめた。

 街を歩いてもやることはなく。部屋に居ても目新しいことはない。

 一つ、奇異な事と言えば。カレン達が代わる代わる一人ずつ部屋にやってきては、何を話すでもなく空間を共にして、夜になったら自らの部屋に戻って行くという事を繰り替えしていたくらいだ。

 感情を持て余して傍に寄ってくるわけでもない。ただ、そこにいるだけ。

 視線さえ殆ど合う事のないその時間は、まるで監視の様だとさえ思いながら身を委ねていた。

 世界がまた少し動いたのは、そうして部屋に籠って一週間ほどが経った頃。

 相も変わらず身の回りの世話をこなすラグネルが、便箋を一つ届けてくれた。

 中を見れば、ファルシア達からの呼び出し。どうやらようやく準備が整ったらしい。

 直ぐに彼らの集まるユスティリア大聖堂に向かえば、そこにはイヴァンの姿もあった。


「来てたのか」

「いて欲しいらしくてね」


 今後さえ左右しかねない決断だ。当事者を交えて公平性を、と言う体裁を作っておきたいのだろう。

 今更飾る物もないと遠慮なく腰を下ろせば、口を開いたのはファルシアだった。


「いきなり呼び立ててすみません」

「別にいい。もう決まってるんだろ? いつにする?」

「ミノ殿さえよろしければ、直ぐにでも」


 前置きなしのやり取り。

 イヴァンを見れば、彼も静かに頷く。


「なら今すぐだ」

「それに関してだが、一つ演出を加えさせてくれ」

「……なんだ?」


 少しでも早く士気を元に戻さなければ。そう考えて頷いたが、話の腰を折ったのはゼノだった。


「落ちた士気を取り戻すなら、演説よりも余程効果的なやり方がある。その為に芝居を打ってもらいたい」

「何をやらせるつもりだ?」

「人工魔剣だよ」


 答えたのはイヴァン。彼はゼノの後を継いで続ける。


「あれは元々《甦君門》の技術だ。だからこそ、目に見える形で私達を悪役に仕立て上げてさせてもらう」

「……わざと暴走させるのね?」

「その通り」


 俺よりも先に至ったチカの声に、遅れて納得する。


「なるほど。お前ら先導で一波乱演じようってことか。……けど大丈夫なのか? あれは暴走したら使ってる奴を巻き込むだろ?」

「こっちにはメドがいる。彼の《志率(シソツ)》で被害は及ばないようにして見せるさ。……まぁ、意識くらいは失ってもらうかもしれないが、呑まれて仲間に討たれるよりはましだろう?」

「えげつない事を考えやがる。一体誰の発案だよ……」


 犯人探しをするつもりはないが、よくもまそこまで非道の皮を被れるものだと。流石の俺もそんな危険を侵そうとまでは思わない。


「まぁいい。そこで俺がお前らを追っ払えばいいんだな?」

「あぁ」

「それから《珂恋》についてだが……」


 ゼノの声に隣に座っていた小さな肩が震える。

 カレンと俺の契約が切れた事は《皇滅軍》には明かしていない。そこまで失ってしまえば立て直すどころの話ではなくなるからだ。


「魔剣化することは可能か?」

「…………ごめんなさい。私は、契約をしないと剣の形を取れないんです」

「ふむ……」


 《珂恋》は特殊な魔剣だ。なにせ契約を交わした相手によってその姿を変える。

 その者が最もイメージしやすい最強の形へ姿を変えるという特性持ちだ。

 だからこそ破格の力を振るえたりもするわけだが……。逆に言えば契約なしでは魔剣化できないのだ。

 《珂恋》は剣の概念存在。想像が作り出す最強だ。


「あ、でも魔術は一人でも使えるから。ミノには私の偽物渡すからそれ……を、使って?」

「……どうした。言いたいことがあるなら言え」


 一瞬言葉に詰まったカレン。気になって問えば、彼女は恥ずかしそうに顔を逸らして呟いた。


「…………ミノが偽物使うのヤダ……」

「お前なぁ……」


 魔剣心はよく分からん。


「ならチカとシビュラに頼るか?」

「……ううん。疑われてミノが責められるのはもっと嫌だから我慢する」

「そうか」


 別に二人の力があればどうにでもなるだろうが。カレンにそこまで言わせて無理を通すわけにもいかないとこちらが折れる。

 と、室内から物言わぬ視線を感じて顔を向ければ、そこには無言で俺を睨むノーラがいた。

 ……だから、言いたいことがあるなら言えよ。


「ん、んんっ。そういうわけだ。本気ではやらないから上手くそっちで退いてくれ」

「分かった。……どうせなら私くらいは刺してくれてもいいんだぞ?」

「あほか。いいからさっさと準備に行け」

「あぁ、ではまた後で」


 彼らに対してそこまで恨みが募っている訳でもない。例えマリスに傷を治してもらうのだとしても、その一線だけは越えるつもりはない。

 俺は俺の尊厳と自由の為に戦うのだ。

 イヴァンが部屋を後にすると、部屋に小さく感情が落ちる。

 言葉には決してしないが、イヴァンたちの正体は彼らも知っている。記憶と歴史の英雄に泥を塗る行い。それを恥じない者は、きっとここにはいない。

 それでも必要だからと割り切り、建前で己を納得させて顔を上げた。


「ここからはこれまで以上に厳しい戦いになります。どうかご武運を」


 ノーラが、女王の仮面を被って(おごそ)かに告げる。

 その声に頷けば、不退転の一歩を踏み出したのだった。




 翌日には台本が共有された。

 台本と言っても演劇のように台詞が決まっているわけではなく。舞台の段取りが幾らか記された覚え書きのようなものだ。

 手順は単純。まずファルシア達がイヴァン達の裏切りを公表し俺が鎮圧に動く。それに合わせてイヴァン達が姿を現し、戦闘。戦いの中で幾つかの人工魔剣を暴走させ、演出。俺がカレンの偽物を振るってイヴァン達を撃退させる……と言う筋書きだ。

 俺と言う《皇滅軍》の象徴の復活と、燃やすべき意志の統一。そのほかにも幾つかの効果的な状況を作り上げる、まさに茶番。

 とはいえそれが必要なほどに限界が見えていると言えば、どれほどの崖っぷちに立たされているかが理解できるはずだ。

 本当ならばこうなるまでに違う景色が広がっていたはずなのに……。改めて自分の小ささを呪う。

 結局俺は、カレンがいなければ何もできず。カレンの力さえ全てを引き出せてはいない不適合者だ。

 こんなのに世界の命運託そうとしている辺り、この世界は大概泥船だと思いながら。

 改めて己を捨てて見つめれば、少しだけ気が楽になった気がしたのだった。




 《皇滅軍》の名で、代理としてファルシアがイヴァン達の事を担ぎ上げる。

 それから殆ど間を空けずに、俺は前線に立っていた。

 今回の策は仲間の目に焼き付ける事が必須だ。その上で、イヴァン達の撃退を燃料に変え、反撃の為の啖呵を切る……と言うのが簡単に纏めた俺の役目。

 恥ずかしいから、できればこうしてあからさまに目立つような役回りは避けたかったのだが、仕方ない。今回は感情を押し殺し我慢しよう。

 あいつらは全員ナス。そう思う事にして小さく息を吐けば、打ち合わせ通りにイヴァン達が姿を現す。

 直ぐに俺が前に出て彼らと対峙する。

 言ってしまえば大人の戯れ。だからこそ、本気でなければ説得力が生まれないのだと。

 心の底から彼らを敵と認識し、大地を蹴った。

 しばらくはイヴァン達を相手取りながらも、少しずつ圧していく。

 人数さえ覆す特別。それさえもスパイスに戦い続ければ、少しずつ戦場の雰囲気が変わり始める。

 絶えることのない魔物との戦いが、熱を帯びる。(とき)の声に熱が宿り、肌で分かるほどに厚みを増す。

 戦場ほど分かりやすい感情の起伏もないかもしれないと頭の片隅で思いながら。世界の為にと戦う彼らの存在に、俺までもがやる気を奮い立たせて剣を振るう。

 と、イヴァン達を幾らか退かせたところで、メドラウドが魔術を一つ行使した。

 ここからが第二幕。意図的に暴走させた人工魔剣でイヴァン達のヘイトをさらに高めつつ、俺は彼らを撃退する。

 一応のケアとして、メローラにショウ。ユウと、それからベディヴィアに暴走させた人工魔剣の対処を預けている。

 イヴァン達を退かせたら、言葉で鼓舞し前線を押し上げる。

 俺個人としてはこのまま戦い続けるだけ。

 また、事前に打ち合わせをしたのだが、メドラウドは俺に刺されてくれることになっている。

 もちろん、俺が握るのは魔術で作り出した《珂恋》そっくりのただの剣。対してメドラウドは《共魔》であり、マリスと言うバックアップも存在する。例え刺しどころが悪くても、彼が消えることはあり得ない。

 だから思い切りやれと言われたのだが…………初めからそのつもりだ。

 考えても見れば、俺の第二の人生はあいつらの所為で滅茶苦茶になったのだ。《共魔》が……《甦君門》がいなければ、こんなところまで駆り出される必要は生まれなかった。

 そもそも《波旬皇》さえ討滅できていれば、この景色すら存在していなかったのだ。

 俺個人にとって《波旬皇》は因縁も何もないただの敵。そこまで執心する相手ではない。

 それでもこうして買われて戦い続けているのは、(ひとえ)に巻き込まれたからだ。

 その憂さ晴らしに一度剣で刺すくらい当然の権利。

 せめてもの機会だ。思い切りやってやる!

 私怨も込めて一段と闘気を漲らせた直後、背後で人工魔剣が暴走する。次いで二か所、三か所と散発する光景に、一応足を止めて振り返り確認。

 …………よし。後はメドラウドを思いの限りに貫いて────


「…………は……?」


 そう、再び前を向こうとした視線が、けれども背後のその光景に縫い留められた。

 人工魔剣の暴走。そして、その中心に同じ数だけ現れた────一際大きな魔物。

 台本にないアドリブ。そう過ぎった脳裏の納得が、塗り替えられる。


『ミノっ! あれ本物っ!!』

「っ……!?」


 響いたチカの声に、気付けば地面を蹴っていた。


「ふざけんなよ、クソがぁあああっ!?」

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