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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
魔王凱旋、或いは心の形
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第三章

 腹の内を吐き出したおかげか、ちょっとすっきりとした面持ちで戦場に立てた。

 互いに変な隠し事も無くなった所為で、心の底から信頼し合え。あれこれ考えていたのが馬鹿らしく感じる程に、心軽く魔物を斬れた。

 まだ《皇滅軍(ミスティリオン)》の編成が済んでいない為、総力を挙げての侵攻はできない。その間は散発的に前線に出ては、魔物の侵攻を《波旬皇(マクスウェル)》を刺激しない程度に押し返すのが精一杯だ。

 だが、《皇滅軍》としての体裁は整っていなくとも、その存在はすでに周知されている。同時に、ファルシア達の宣伝……プロパガンダのお陰で俺の名前や顔は不必要に売れてしまった。

 結果、俺という存在が前線に姿を現すだけで、その一帯はまるで狂信者にでもクラスチェンジしたかのように士気が上がり、戦線を押し返す衝動を得る程だった。

 その光景に、ジャンヌダルクを思い出したのはきっと間違いではないと思いつつ。《不名(ナラズ)》のミノ・リレッドノーという存在が独り歩きしている事実に軽く現実感を失いながら戦い続けた。

 そんな、《皇滅軍》を編成する時間を稼ぐ戦いの中で。俺はタイミングを見つけては《共魔(ラプラス)》の面子とコンタクトを取った。

 しばらく前まで真正面からぶつかっていた彼ら。その目的を知り、手を取って。けれども足りないと気付いた理解。

 カレン達の気持ちを知り、信頼から信用を預けられるようになった関係。

 《波旬皇》との戦いにはそれだけでは足りないと知り、同じく肩を並べ、背中を預ける《共魔》の事を知るべきだと、時間の限り彼らを知ることに努めたのだ。

 それぞれができる事は当然。戦いの呼吸や、相容れない衝突の先の落としどころ。戦友であれば知らなくてもいい、ただの食事の好き嫌いなんていう、くだらない事まで。

 知れば知るだけ、彼らがそこにいるという実感が積み重なり。共に戦場に立てば互いを意識して一歩を踏み出せる。

 《波旬皇》との決戦が目の前に刻々と迫る中で、足りないものをそれぞれが探し出すように。時には実際に力をぶつけあってまで確かめて、理解する。

 《皇滅軍》が《魔祓軍(サクラメント)》の意志を継いでいるのではない。《皇滅軍》が《魔祓軍》の一部なのだと。

 これは、彼らの終わらない戦いに終止符を打つための、長く見えなかった最終章なのだと。

 彼らこそが、この戦いの主役なのだ。俺は、彼らの希望の武器。《渡聖者(セージ)》と言う肩書きに相応しい、世界を救う先兵。

 俺はこれから、英雄たちの末席に引き抜かれるのだ。

 そう自覚するに足る繋がりを、見つけたのだ。


「おっきいね」


 というのは、カレンの言葉で。


「ちっさいね」


 というのも、カレンの言葉で。

 その、全くの真逆な言葉が、とてもよく理解できる、このコーズミマの世界で。

 俺は俺にできることを見つけて、また一体魔物を斬り伏せる。

 ようやく俺は、この世界を知ることができた。

 そう、心の底から思いながら。




 そんな彼ら。《共魔》で、《甦君門(グニレース)》で、元《魔祓軍》な、《皇滅軍》。

 意思を一つに束ねるその間に、前線で戦う者達にとって命を賭すに足る、拠り所の一つな存在。

 ともすれば、いきなり前線に出てきた俺よりも信頼されている彼らには、もう一人無視できない人物がいる。

 このコーズミマの歴史で、たった一人の存在。他の誰でもなく、しかし未だ蚊帳の外な、特別。

 今の俺が、最も知るべき人物。

 その背中を、ようやく見つけて小さく息を吐く。


「……やっと見つけた」


 きっと分かっていてこちらに向けていた背中。無防備なそこに迫っていた悪意の一撃を、彼に導かれるように討滅して見据える。


「何しに来た」

「あんたを探してたに決まってんだろうが。こんな戦線の端の端に居やがって……。あいつらも行方を知らないとか抜かしやがるから、結局自分の足で地道に探す羽目になっただろうが」

「ご苦労な事だな」


 そっけない返答。こちらに振り向かないまま目の前の魔物を斬るその手には、俺も覚えがある剣が一振り。

 あの頃はまだ、その剣の事も、そして彼自身の身の上も知らないままで。結局旅立つまで、終ぞ敵わなかった過去の証。

 俺を目の前に本人は道楽だと語った、その本当の意味を。今度はしっかりと知った上で、ようやく彼と同じ目線に立つ。


「話がある。元《魔祓軍》、ベディヴィア・セミス」


 刃が閃く。次の瞬間には、焦点さえ定まらない目の前に切っ先が鈍く輝いていた。


「抜け。久しぶりに稽古をつけてやる」


 好戦的な爺さんな事だ。これのどこが《庇擁(ヒヨウ)》だよ。

 思わず笑みを浮かべつつ、魔術で剣を作り出してスイッチを入れた。

 すぐさましゃがみながらその場で一回転。背中に突き立てられようとしていた《魔堕(デーヴィーグ)》の爪を(かわ)し、振り向き様に斬り付けて。勢いそのままにベディヴィアの足首に斬り掛かる。

 それに一瞥さえくれず片足引いて躱した彼は、次いでその足で地面を蹴って至近距離からの刺突。体を捻れば、俺が先ほど斬り付けた背後の魔物を串刺しにする。

 すぐさま下からの一撃で真横の刃を跳ね上げれば、ベディヴィアは勢いを後ろへ逃がして中空で一回転。見た目からでは考えられない身軽さで猫のようにしなやかな着地を見せると、身を屈めたまま瞬く間に距離を詰めてくる。

 そうして始まる、鮮やかな剣閃のラッシュ。確かな実績と惚れ惚れする様な綺麗な型に裏打ちされた、たった一撃でさえ魔物を両断する猛攻の嵐。……それはきっと、彼だからこそ磨き続けた意地の証。

 《魔祓軍》、ベディヴィア・セミス。《庇擁》と言う誡銘(かいめい)を与えられた彼の魔剣の力は、仲間への攻撃を自分の事として庇う力。事集団戦に置いて、仲間の被害を最小限に抑えカウンターの起点とする連携の要の一つ。

 けれどもその力は、純粋に魔物を討滅するには役立たない能力だ。仲間のダメージを肩代わりするだけでは敵を倒せはしない。

 だからこそベディヴィアは、研鑽したのだ。

 魔剣と言う特別な刃。能力に関係なく、それ一つで魔物への致命傷となるならば、それだけで意味のある技を。

 剣技。ただただ純粋な、剣士としての技量。

 その才覚は、イヴァン曰く《魔祓軍》の中で並ぶ者なしという、頂の刃。

 誰よりも真っ直ぐな、最たる剣士。それこそが、ベディヴィア・セミスを《魔祓軍》の一員足らしめる、絶対無比な存在感だ。

 そして、その刃を。俺はあの森で、二年間見続けてきた。

 それ故に、知っている。

 彼の剣技は、俺がこれまで見てきた、その誰よりも冴え渡る孤高にして唯一なのだと。


「はっ!」


 豪快にして精妙な一撃。上段からのそれを、剣で受ける振りをして握った刃を消滅させ、身を捻って躱す。

 切り結ぶはずだった得物を見失った一撃が、行き場を失って直ぐ傍に垂直落下。がくんと沈んだ首筋に、再び作り出した剣の切っ先を突き付けた。

 真正面からやり合っても、きっと彼には勝てない。だからこその不意を突く搦め手。

 失敗すれば次はないと覚悟しての賭けだったが、どうやら運には見放されなかったらしい。


「……《渡聖者》と言ってもその程度か。小細工なしで正々堂々と戦えないとは、契約を交わす刃が可哀そうだな」

「そんなことを言いたいがために老骨にムチ打ったわけじゃないんだろ? いい加減にしてくれ。あんたと戦いに来たわけじゃない」

「話すことなどない。帰れ」

「悪いがあんたの都合はどうでもいい。こっちの用件が済まなければ状況は進展しない。……それとも、今度は一人で元凶を潰して、本当の英雄にでもなってみるか?」


 挑発するように彼の過去を無粋に抉れば、苛立ちを露わにするように直ぐ傍まで迫っていた《魔堕》を薙いだ一閃で両断した。

 それを返答だと受け取って、ここまでの一騎打ちを邪魔しないようにと周りの露払いを買って出てくれていたカレン達に告げる。


「交代で二人ずつ。しばらく任せていいか?」

「じゃあ最初は私ねっ」


 言うが早いか、他二人の返事を聞かずカレンが傍にやってくる。

 チカとシビュラがカレンを一瞬不満顔で見やったが、目の前に迫っていた悪意の対処に向き直って意を酌んでくれた。

 交代だからな。後でカレンと換わって休憩してくれ。

 魔術の行使を得意とするあの二人なら、上手く連携して最小限の労力で最大限の仕事を為してくれるだろうと期待をしつつ。ベディヴィアの首筋に突き付けていた刃を無造作に投げて魔物を一匹仕留めた。

 再び彼に視線を向ければ、既に魔剣を鞘に納め二年振りの視線を俺へと注いでいた。


「久しぶりだな、爺さん。いや、ベディヴィアって呼んだ方がいいか?」

「好きにしろ」

「ならデーヴィだな」

「………………」


 視線に険が宿る。

 デーヴィと言う呼び名は、《魔祓軍》の頃、彼が仲間に呼ばれていた愛称らしい。メドラウドが、言えば斬り掛かってくると言っていた。あいつは過去にベディヴィアと何があったんだよ……。


「……そっちのが件の魔剣か?」

「カレンです。初めまして、ベディヴィアさん。それから、《庇擁》さんも」


 ここに来るまでどう話せばいいだろうかと一人悩んでいたカレンだが、どうやら先ほどの戦いを見て色々吹っ切れたらしい。

 浮かべた屈託のない笑顔がその証拠で、ベディヴィアの腰の相棒にも腰を折るようにして挨拶する。

 そこでふと気になって尋ねる。


「名前は?」

「名前?」

「その魔剣……《庇擁》のだ。それは誡銘だろ?」

「そんなものはない」

「ないの?」


 カレンも驚いて首を傾げる。

 その反応に、小さく溜め息を吐いたベディヴィアは、近くにあった岩に背中を預けつつ続ける。


「魔剣に誡銘以外の固有名詞を付けるというのは、《波旬皇》封印後に生まれた価値観だ。わたし達が戦っていた頃は、魔剣の名前とは(すなわ)ち誡銘の事だった」

「ならあんたの誡名(かいめい)は?」

「それもない。人に付けられる誡名は、その意味の通り戒めだ。自らの力に溺れないためのな。これも生まれたのは封印以降だ」


 ……なるほど。つまりイヴァンたちは誡名を捨てて誡銘を振り翳していたわけではなく。単純にその肩書きを……その身に宿した愛剣の存在を忘れないために、自らに誡名として戒めていたのだ。


「《波旬皇》の封印以降、世界にとっての魔剣のあり様が変化した。魔物の首魁を倒すための武器は、各国が国力を誇示する一つの指標となり。時には国を越えて畏怖と敬愛をされる象徴へと様変わりした」

「《渡聖者》か……」


 メローラが《裂必(レッピツ)》の名を得て、ヴェリエに《叛紲(ハンセツ)》の誡銘が付いたのは、国ではなく世界にとっての戒めとするため。

 ユークレースにて、ユヴェーレン教の神へと剣を捧げた彼女は、世界を安寧へと導くための一つの標だったという事だ。

 ……そう言えば、アーサーが似たようなことを言ってたな。


「力に溺れれば、ようやく得た束の間の平穏が再びの戦乱へ……今度は人間同士の争いへと発展してしまう。それを抑止するための仕組みが誡名と言う楔であり、同時に魔剣を武器としてではなく共に世界を歩み治める唯一として……そして誡銘と言う物騒な肩書きの混同を避け、無益な火種をまき散らさない為の措置として、固有名詞を契約に付随させることになっただけだ」

「……つまり、この時代でなければ、俺は今《渡聖者》としてここにはいなかったってことか」


 名前と言う過去を引きずっていた二年前の俺が直面した、セレスタインでの出来事。

 もし仮に、もう半世紀ほど早くこの世界に来ていれば…………強迫観念に縛られることもなく、何不自由ない一魔剣持ちとして順風満帆な異世界生活を送っていたことだろう。

 その時にはきっと、契約していたのはカレンやチカではなくて……。

 そんな未来が想像できないのだと認めてしまえば、これ以上不必要な事を考える意味はないと納得できた。


「《庇擁》の力もこいつのものだ。わたしはそれを借りているに過ぎない。……《魔祓軍》の肩書きも、その程度の事だ」

「それでもあんたは生き残った……残されたんだろ? 後方に下げられるまで仲間を守って」

「…………わたしが無理にでもあの時について行っていれば、この命一つで彼らを守れたかもしれなかったんだ。わたしは、わたし一つの命の為に、仲間の命を全て失った、愚か者だ」


 それが、ベディヴィアの本心。

 《波旬皇》封印から40年以上。一人残され、老いて。ずっと抱え、戒め続けた後悔。

 だからこそ彼は、こんな世界の端で、独り戦っていたのだ。

 仲間を作ることを恐れ。けれども、過去の償いを果たすために。

 …………もし、今ここで。イヴァンたちの真実を告げてやれば、彼は過去から解放され、全てを見失ってしまうだろう。

 そう分かってしまうから、彼を否定する事は、俺にはできない。

 だが、それでもこちらにだって押し通したいものがあるのだ。


「……あんたの過去の事をどうこう言うつもりはない。けど、協力はできるだろ。仲間だなんて思わなくていい。《庇擁》の力を使ってくれなんて強制はしない。ただ、あんたの剣が、その力が必要なんだ。俺は、あんた以上に腕の立つ奴を知らないからな」

「……………………」

「あんたは元《魔祓軍》のベディヴィア・セミスだ。その名前だけでも、前線の士気は上がる。……俺にとって《波旬皇》は仇でも何でもないからな。望むなら、止めだろうが好きにしろ。だから……力を貸してくれ」


 いいと言うのであれば、彼のサポートをできる人材を傍に置く。そうすれば、彼の願いが達せられる可能性が高くなる。

 俺が必要なら、そうする。

 今は一人でも戦力が欲しいのだ。


「頼む」

「わたしからも、お願いするわ」


 意識の外から続いた女の声。そちらを見れば、いつの間にかそこにはマリスの姿があった。


「……引っ込んでなくていいのかよ」

「動けるのがわたしだけだったから」


 治癒の魔術に秀でるマリスは、その反面戦闘能力が皆無に等しい。

 前線を支える大事な存在として、彼女を失うわけにはいかない。だから普段マリスは後方で《皇滅軍》のサポートをしてくれているのだ。

 そんな彼女が、見た限り丸腰でベディヴィアに向き合う。


「はじめまして、でよかったかしら」

「…………そうだな」

「ぇ……」


 周りの戦いの音に掻き消されそうなほど微かな呟きは、事の成り行きを静かに見守っていたカレンの物。

 彼女は、驚いた風に目を見開く。


『み、ミノ……! ベディヴィアさんって…………!』

『……黙ってろ』


 カレンの反応で、俺も察する。だがそれは、部外者が口を挟んでいい事ではない。


「マリスよ。《皇滅軍》の後方を任されているわ。……それとも、元皇帝代理の貴方には、《甦君門》の《共魔》と言った方がいいかしら?」

「……肩書きなど、戦場で何の意味がある」

「そうね、失礼したわ」


 そう言えば、ベディヴィアが負傷して後方に下げられた時、それを最も訴えていたのはマリスだったと言っていた。きっとマリスにも負い目があるのだろう。自分の所為で、彼を一人置いて、全てを背負わせたのだと。

 だからこそ、誠意としてこうしてベディヴィアに直接会いに来たのだ。


「わたし達にはあまり時間がないの。《波旬皇》は既に動き始めている。いつあの災禍がその力を振るうか分からない。だからこそ、一人でも多く…………いえ、貴方のような人が必要なの。……都合のいい事を言っているのは承知しているわ。けれどお願い、力を貸して欲しい」


 ベディヴィアへ、《共魔》の正体は明かさないとイヴァンが言っていた。

 それでも無視だけは出来なくて、せめて所在を掴みたいと、ここ数日ずっと彼の事を探していた。

 だからこれは、心の底からの賭け。

 もし一縷(いちる)でも望みがあって、力を貸してもらえるならば。互いに過去を抱えたまま、今度こそ全てを終わらせたいと……。

 最前線を見張り続けた亡霊と。最後方から過去を抱え込んでいた孤独と。

 今はもう、何もかもが相容れない二つが……それでも、と…………。

 二人の視線が絡み合う。言葉のない会話を紡ぐように。

 はたまた、恋人が睦み合うように。

 けれどもそんな沈黙は、やがて折れた片方によって破られた。


「………………そう、分かったわ」


 ベディヴィアは、答えない。彼は、彼としてそこに立つと決めた。それだけだ。

 これ以上は意味がないと、マリスは顔を伏せる。次いで彼女は、小さく呼吸を挟んで口を開いた。


「それじゃあ、もう一つだけ。貴方の体、魔障に侵されているわよね。もうあまり長くないでしょう? それはどうするの?」


 ベディヴィアの魔障については、俺が話した。元はアーサーと過去を追憶した中で知ったことだが、そもそもそれは元《魔祓軍》の《共魔》全員が知る事実でもある。

 二年間、彼の世話になった身として、とても個人的に一つだけ気になったのだ。


「どう、とは……?」

「《珂恋(カレン)》の事は知ってるかしら?」

「……一通りは」

「彼女の力は、概念さえ超越する。その気になれば、魔障を斬り離すこともできる。もちろん、体に害がない状態で」


 魔障の境界線を見極めて斬り捨て、人間本来の体を取り戻す。《珂恋》の力ならきっと造作もない。

 これに気付いた時にメローラに話をしたら、彼女は必要ないと拒絶した。

 大概戦闘ジャンキーな彼女にとって、魔障は一つの武器。それを手放すのは惜しかったのだろう。

 だが、ベディヴィアは違う。彼のそれは、彼の力になっている訳ではない。彼の体は、今現在も魔障に侵され続けている。

 《波旬皇》封印以前は《魔祓軍》の仲間の協力によって進行を抑え。封印後は、魔力の繋がりが次元によって隔たれたため進行しないまま体に残った。しかし今、《波旬皇》は復活を果たし、この世界に限界している。

 過去の傷を通じて繋がっているベディヴィアと《波旬皇》の間には、再び魔障が意味を持つ。

 《波旬皇》は強大な魔物だ。その魔力保有量は果てしなく、それが流れ込むベディヴィアの魔障は、急速に進んでいるはずだ。

 このままいけば、そう遠くない未来、彼は魔障に(むしば)まれ……魔物と化す。

 今回ベディヴィアを引き入れようとしたのは、その魔障の繋がりを利用して《波旬皇》に攻撃が通るかもしれないという可能性が浮上したからだ。

 その話は、先ほど絶えてしまったが。けれどもそれとは別に、魔障はどうにかなる。

 どうするかは、彼次第。


「どうする?」


 問いに、ベディヴィアは視線を遠くへと向けた。そして。


「必要ない。わたしは、この力で《波旬皇》を斬る」


 俺たちが抱いていた想定を肯定する言葉と共に、拒絶した。


「…………そう、分かったわ」


 悔しさを声に滲ませてマリスが(きびす)を返す。

 これが、答え。そう、呑み込み切れない納得をどうにか落とし込もうとした、次の瞬間────


「だから、邪魔だけはしてくれるな」


 独り言のように、ベディヴィアが呟いた。

 声に、マリスが肩を揺らして足を止める。

 僅かな沈黙を挟んで、彼女は答えた。


「…………そうね。そうするわ」


 話は終わり。そう告げるようにベディヴィアが《庇擁》を抜く。

 次いで魔物の軍勢に斬り掛かったその背中を見つめて、俺も足を出した。


『チカ、シビュラ、もういい。帰るぞ』

「ね、ミノ、さっきのって…………」

「話を聞いてなかったのか?」


 不安そうなカレンの声に、事実そのままを音にする。


「交渉は決裂。今後はそれぞれに動く。互いに干渉はしない」

「…………そう、だよね。……だよねっ」

「あぁ。それだけだ。簡単だろう?」

「うんっ!」


 ようやく理解したらしい。…………やっぱりお前は鈍らだな。

 そう結論を下した直後、追いついてきたチカが抗議する。


「ちょっと、交代はどうなったのよっ。戦い損じゃないっ!」

「話がすぐに終わっちまったからな。文句ならせっかちなあの爺さんに言ってくれ」

「ごめんね、チカ。今日の担当代わるからっ」

「……別に、ミノの傍がいいとか言ってないし…………」

「え?」

「え?」


 カレンとチカが視線を交わらせる。……お前ら一体何してるんだよ。


「ミノ、頑張った。褒めて?」

「…………あぁ、お疲れ様」

「あーずるいっ!」

「ちょっと! カレンは戦ってないでしょ!?」

「あーもう(うるさ)いな……。いいから早くゲート開けよ! 前線出る前に腹ごしらえだ! 好きなだけ食わしてやるからそれで我慢しろ!」


 途端、騒がしくなった己の周囲をどうにか仲裁しながら。

 頭の片隅では、相変わらずの臍曲がり爺さんだと。あの時拾われた理由を知りながら、小さく息を吐いたのだった。




 攻勢の準備を整える間は、しばらく戦場をあちこち駆け巡っていた。

 今度こそ《波旬皇》を討滅する。その為の準備として、こちらの指揮を《皇滅軍》を頂点に一本化し、安全面に配慮を施した人工魔剣をあるだけ配布。

 被害を最小限に抑えながら前線を維持し、どんな風に道を作って《波旬皇》を討滅するのか……。敵の戦力と比較しながら検討を重ねる。

 肩を並べる戦友には、先の戦いを経験し敵の親玉の情報を持つ《共魔》の面々がいる。お陰で一から情報収集をする手間は(はぶ)けたが、代わりに知っているが故の苦悩も存在した。

 まず、《波旬皇》へ効果が見込める攻撃。これに限りがある。

 純粋に総力戦として全員の力が意味を持つならば、時間を掛けてでも削り続けることでいつかは倒しきれる。だが、《波旬皇》には並の魔剣の力では及ばず、そもそも届きすらしない。

 下手に戦力を投入すれば、《波旬皇》の感情を操作する力で戦場は混乱に陥る。そうすれば攻撃を届かせるよりも先に自滅の道を辿ってしまうのだ。

 しかし、《波旬皇》の前に立たなければ何も始まらない。そこまでの道が険しく、取れる選択肢は多くない。

 であれば、綿密に策を立て、タイミングを計り、可能な限りこちらの土俵で戦いの流れをコントロールする。

 俺自身は実際に経験したことはなくても、シミュレーションゲームなどで得た知識や、封印までを一度体験した《共魔》の意見を元に、できうる限りの想定を考え、その(ことごと)くをこちらの有利に組み替える。

 戦争と言う大きな盤上を支配する……。戦いの中で、誰もが思い描く勝利への道を、手札と相談しながら地道に作り上げる。

 まるでゲームのような現実。しかも、一兵卒ではなく、全ての趨勢さえ委ねられた中核としてそれを為す。

 俺本来の年齢から考えれば、元居た世界ではまだ高校生。そんな一個人が背負うには酷が過ぎる重荷を……それでも、背負わなければならないのだとどうにか奮起させて向き合う。

 行き詰れば戦場に出て、ストレス発散を兼ねて魔物を斬り伏せる。

 そんな日々を繰り返せば、段々と自分と言う物が曖昧になり、次いで輪郭を持つようになる。

 別に驕るわけではない。が、俺は託され、期待されているのだと。

 思うたびに胸の奥が重くなり、自由を求めるように独りを欲する。

 カレン達がいる。そう認められるからこそ、俺は俺の意志をしっかりと持つことが必要なのだと、彼女達から距離を取る。

 その結果、戦場に立つ俺は、カレンも、チカも、シビュラも傍に居ない。ただ一人の男として、契約で得た力を振るう戦士に溺れる。

 ある種の武者修行。そんなことをしてしまうのは、久しぶりにベディヴィアと剣を交わらせたからかもしれない。

 幾ら規格外な魔剣と契約を交わしていても、俺個人はそれだけでしかない。彼女たちがいなくなれば、多少剣が振れるだけの一人。

 俺はきっと、カレン達がいなければここにはいない。

 そう分かるからこそ、自信が欲しいのだ。

 特別な力を有する彼女達と、肩を並べるに足る自負を。自らを肯定できる自覚を。

 生きているという、実感を。


「はぁあああっ!!」


 世界を背負うだけの、覚悟を。

 もちろん、全てを背負おうなどとは思っていない。ただ、一人で立っているだけの何かが欲しいのだ。

 だからこうして、誰の力も借りず、剣を振るう。

 今の俺にはきっと、ベディヴィアのような自信が必要なのだ。守られるだけでなく。頼るだけでなく。共に並ぶための、自分を納得させる理由。

 周りがそんなことを求めていなくても、俺には必要な、たった一つの核。

 俺が俺である、存在理由。

 俺は、何のためにここにいる?


「ふぅ……」


 吐息を一つ。周りでは、俺と言うお飾りに戦意を高揚させた戦士たちが、存在意義を示さんと力を振り絞る。

 彼らは一体、何のために戦っているのだろう。

 一度、聞いてみたい。きっと多種多様で、煩雑で、けれども間違いなく正しい、その意味を。

 俺にはない、彼らの心を。


「俺は一体、どうしたいんだろうな…………」


 戦いの音に掻き消される戦場で、小さく呟く。

 すると、それに呼応したように、視界の先で咆哮が弾けた。

 巻き散らされる衝撃に、まるで小石のように人の体が宙を舞う。

 そんな、慣れてはいけない景色に、無事を祈りながら。下げていた剣の柄を握りなおせば、崩れた戦線の隙間から頭一つ大きな巨体が存在感と共にこちらへ歩み出て来た。

 これまで、なんだかんだ強いのと戦ってきた。だからこそ、あの《魔堕》がこの戦場で稀な中位だとわかる。

 本来中位の魔物は、一人から数人の魔剣持ちで相手をする存在。だが、この戦場には数えきれないほどの魔物が犇き、一対一など稀な混戦を極めている。

 そんな中にあんなのが紛れ込めば、戦線を突破してもなにもおかしくはない。

 もちろん、そうしてやってくる敵に備えて戦力を用意してある。けれども……。


「……やるか?」


 挑発するように、切っ先を向ける。

 するとそれに答えるようにして、視線の先の《魔堕》が大地を揺るがした。

 中位を一人で倒せれば、並以上の証。そうすれば、自分を認められる根拠の一つになるかもしれない。

 負けるつもりも、さらさらない。

 一瞬、周りの仲間が対処に動き出そうとしたが、それより早くに大地を蹴り、巨体の更に上から斬り掛かる。

 こちらに気付いて腕を振り上げた《魔堕》。その腕と、魔術で作り出した剣が衝突して、受け止められた。

 魔術で作り出したこの剣は、金属の剣以上、魔具以下の代物。当然魔剣には及ばない武器であり、魔剣持ち数人で相手をする中位の《魔堕》には効くはずがない。

 が、そんな常識はこれまでの経験で塗り潰す。

 受け止められた一撃。跳ね返されるよりも先に重ねて魔術を行使する。

 生み出したのは、魔術の炎。シビュラと契約をして得た雑多な魔術の知識。その中でも、火を熾すという意味では最も想像のしやすいそれを、どうにか個人で扱える程度まで理解として落とし込んだ技。

 トリガーは、擦過。摩擦が熱を生み出すように、何かと何かがぶつかって生まれるエネルギーを炎へと変換するという、科学的魔術。

 刹那に、火花が炎の嵐へと変貌して燃え盛る。

 一度火が点いてしまえば、後は空気を……酸素を媒介に燃え広がる。トリガーからそこまでを術式に落とし込んだこの魔術は、俺が個人で使える現状の最大規模だ。

 そしてその炎を、今度は剣へと纏わせる。チカとの契約で得た魔術編纂。その力によって、魔術の炎をコントロールし、よりその威力を集中させる。

 当然、炎に負けないようにカレンとの契約で得た剣への造詣で得物を強化。

 そうして出来上がる…………炎の剣。

 魔術的な効果を帯びるその一撃は、魔力の塊である魔物の天敵だ。

 次の瞬間、剣での攻撃を受け止めていた《魔堕》の腕が紅の残滓と共に両断され、斬り飛ばされた先が火の粉を撒き散らして地面に落ちた。

 一瞬、静寂が包む。次いで、中位の魔物の腕を難なく切り落としたという結果に、周りの戦士たちの士気が割れんばかりの声となって鳴り響いた。

 《皇滅軍》の旗印が少し活躍しただけでこれなのだ。戦場を駆け巡って前線を盛り立てるのが役目と言われるのも頷ける話だろう。

 しかし、ちょっと結果を出すだけでそこら一帯の味方が奮起し、前線を支えようと尽力してくれるのだ。未だ明確な攻勢ができていない身からすれば、これくらいの神輿(みこし)には喜んで乗ろう。彼らが戦意を盛り返せば、それだけ死ななくて済む可能性が大きくなる。

 可能であれば、彼らには一人でも多く生きて欲しいのだ。

 中位の魔物が戦線を抜けたことで、気持ちに揺らぎが生まれつつあった戦士たちの心が結束していく雰囲気を肌で感じる。

 せめて無理だけはしないで欲しいと思いつつ、未だ目の前で悠然と立つ片腕の魔物を睨み据えた。


「悪いが、盛り上げる(いしずえ)になってもらうぞ」

「ゴァアアアァアアッ!!」


 言葉に満たない咆哮で空気を震わせ、巨体が大地を蹴る。

 流石にあれを受け流すと後ろにいる者達が甚大な被害を(こうむ)る。それだけは避けなければ。

 だが、泥臭く戦う事は今の俺には許されない。この前線の戦意をさらに向上させるためにも、多少派手に、けれども余裕を見せてあの魔物を討滅しなければ。

 …………仕方ない。

 逡巡から、呼吸一つ。次いで、脳裏に胸の奥の見えない錠前を外すイメージを描く。

 刹那────握った剣に纏う炎が紅蓮から青墨色に変化した。

 まるで地獄の炎のように不気味な揺らめき。それは最早炎などではなく……目にした者に嫌悪感を抱かせる瘴気のようで。


「ああぁああああぁッ!!」


 短期決戦が望ましいと、裂帛(れっぱく)の気合と共に刃を一薙ぎ。軌跡に不愉快な歪みを引き連れて、眼前に迫っていた魔物の体を上下に両断した。

 それでもなお、執念とも言うべき衝動で大木のような腕をこちらに伸ばしていた魔物。命を懸けるとはこういうことを言うのだろうかと、刹那の時を見つめる。

 すると次の瞬間、迫っていた魔物の上半身がその身を裂いた断面から妖異な炎に包まれ、塵一つ残らず消滅した。

 戦いの決着を示すように、剣を振って怪しい炎を消し、剣を霧散させる。

 次いで大地が割れんばかりに湧けば、目的を達した自覚と共に未だ絶えない魔物の軍勢を見据えた。

 ……このデモンストレーションもどこまで効果があるか分からない。できるだけ早く状況を覆す一手を打たなければ。




 ストレスを発散し終えて宿に戻る。

 別の前線へ向かったカレン達はまだ戻っていないらしく、久しぶりに部屋に一人。

 その事実に、張っていた気が緩んで倒れるようにベッドに寝転んだ。

 天井を見上げながら、自らの右腕を見つめる。


「……やっぱり、そうだよな…………」


 脳裏に思い浮かぶのは、先ほど戦場で振るった力。禍々しい……まるで悪意の塊のような不気味な青墨色の炎。

 ……いや。厳密に言えばあれは炎ではなく…………。


「けど、偶然とはいえあっては困らない、か……」


 未だ目立った変化のない異常に、目を閉じて集中する。

 胸の奥には、繋がり。カレンと、チカと、シビュラ。

 正なる感情で結ばれた、代え難い存在だ。

 彼女たちがいるお陰で、今の自分がある。志としては弱いが、俺が俺であるために、それを阻む《波旬皇》を討滅する。

 それが、俺の中にある正直な今の原動力だ。

 実際問題、俺と《波旬皇》に因縁など存在しない。向こうからすれば封印を解いてくれた助力者であり、潰すに足る好敵手なのだろう。

 だが、転生者の俺がこの世界の存亡を背負う理由は、本当はないのだ。

 一応、カレンやチカの契約者としてと言う意味でならば、存在意義はあるのだけれども。それだって本来は彼女たちの使命であり、俺が代行しているに過ぎない。

 けれどもきっと、それでは駄目なのだ。

 感情を操るという《波旬皇》。他に並ぶ者などいないほど膨大な魔力を有した俺でさえ、大海の一滴と感じる程の圧倒的な存在感の首魁。

 そんな敵の親玉に相対して勝ちを希求するためには、今俺が持つ理由ではきっと届かないのだ。

 自らを賭してでも討滅する。それほどの覚悟に足る理由が、俺には存在しない。

 その、はずだった────


「存在の遣り取り…………」


 戦えば、どちらかが消える。

 その自覚と、責任と、願いと。

 俺自身を肯定する、第一衝動。

 曖昧なその理由を想像しながら目を閉じる。


「こんなことなら、アーサーにもっと話を聞いておけばよかったな」


 そうしたらあのいけ好かないイケメンの敵討ちを理由にできたのだろうか。

 …………それはちょっと腹が立つな。なんであいつの為に戦わないといけないんだよ。

 ……カレン達は、どう思っているのだろうか。

 そう考えた直後、部屋の扉がノックもなく開かれる。


「たっだいまーっ!」

「うるせえ」

「ミノ、オフロ行こっ!」

「やだね」

「えー」


 ……少なくともこいつは何も考えてなさそうだな。




「で…………きたぁ……」

「お疲れさん」

「……ん」


 たまには休息も必要との事で、一日戦場から離れてのんびり過ごす。

 朝はシビュラが散歩に行くというのでそれについて外へ。昼からはシビュラとの散歩を抜け駆けデートだと喚いたカレンを連れて《甦君門》の施設訪問と言う、休日なのに無駄なハードスケジュール。

 《甦君門》の施設訪問についてはカレンが知る限りの場所を巡ると言う物だったが、最後に訪れた部屋には少し驚いた。

 そこはカレンが《甦君門》を出てくる前に暮らしていたという場所。四方を壁に囲まれた、光の差し込まない……潔癖さを感じさせる冷たい部屋。

 世界から隠れて存在していた《甦君門》の形式上、陽の当たる場所と言うのは少なく、こうした閉鎖的で息苦しい空間がデフォルトだったらしい。

 そんな中でカレンの過ごしていた部屋は……何故かあちこちの床や壁に穴が幾つも開いた悲惨な状態だった。

 これと言った物がないだけに、どうしてそんな傷が数多ついているのかと気になって尋ねたが、カレンは答えたくないのかあからさまに話題を逸らして逃げ回っていた。

 隠したいことなら仕方ないが、あの様子だとただ恥ずかしいから話したくないのだろう。チカに訊いてもいいが…………とりあえずそれ以上の追及はやめておくことにした。これから戦いだという時に変な(わだかま)りを作りたくはないからな。

 宿に帰ると、様子を見に来たらしいノーラがそこにいた。

 戦線が押して退いてを繰り返し硬直している為、女王として色々行っている彼女も一先ずは休息らしく、息抜きにやって来たのだとか。

 カレンと一緒に帰ってきたことに少しだけ不機嫌そうなノーラだったが、特別喧嘩をするようなこともなく。

 折角女王様が来てくれたのだからと、ユウと一緒に調理場に立てば、物珍しそうにノーラが見学にやってきた。

 王宮の中で(かしず)かれて育ってきた彼女にとって料理とは、半分ほど冷めて出てくる物。だからこそ市井のジャンクが気になって度々脱走を繰り返していた常習犯だったのだが、今回はどうやら調理そのものに興味が湧いた様子。

 ユウと肩を並べて材料を切ったりと言うのを目を輝かせて眺め、その都度(つど)気になったことを尋ねてくる彼女の声に答えながら。そうしてあれこれ話していた中で、うっかり花嫁修業などと言う言葉を口走ってしまい直ぐに失敗を悟ったのも遅く。

 生来のアグレッシブさで身を乗り出したノーラを止める事叶わず、何故か俺が包丁の使い方を教える羽目になった。

 危なっかしい手つきの調理に神経がすり減ったが、どうにか女王様の手を傷つけることなく満足をさせて。

 最後の仕上げは俺とユウで行い、夕食は前々からショウにリクエストされていたカレーを再現した。

 流石に素人の味付け(オリジナルスパイス)の為、記憶の中のそれと比べると若干物足りなかったが。それでも雰囲気と見た目は間違いのない一皿に、二人で懐かしさを噛み締めながらあれこれ話は盛り上がった。

 こちらの世界の住人たちには最初こそ色合いから怪訝(けげん)な顔をされたが、食べ進める(ごと)に癖になる不思議な魅力に虜となり。最終的には多めに炊いた麦飯が空になるほど全員で舌鼓を打っていた。

 そんな一日を過ごした夜。今日は宿に泊まると言い出したノーラを追い返すことができず、寝る前の談笑に一頻(ひとしき)り付き合わされて。

 まだまだ終わりの見えない姦しい声に若干疲労を感じつつ、夜風にでも当たろうと少しだけ外へ。

 すると後を追ってきたらしいチカが、夜空を見上げ星座が知りたいと(のたま)ってくれた。なんでもショウに聞いたらしい。

 いくら何でもここは異世界。俺の知る星空とは違い、北極星も北斗七星も、ましてや天の川も存在しない、未開の空。

 そんな無限のキャンバスに、とりあえず理屈だけ説明してしばらく空を仰ぐ。

 そもそもが神話由来だったりするこじつけに。けれどもそういうロマンを感じるらしいチカは、言葉少なく熱心に星空を眺めていた。彼女の空には、一体今日だけで幾つの星座ができたのだろう。

 しばらくして冷えた体では風邪をひくと宿に戻り、焚かれていた暖炉の近くに腰を下ろす。

 そんな俺の横に静かに腰を下ろしたチカは、魔術を目の前に浮かべて指先で弄り始めた。

 彼女は今日、一日中部屋に籠って魔術編纂をしていた。なんでも、人工魔剣が魔力切れで暴走を起こさないようにするための術式を作らなければならなかったらしく。ここ最近は前線に出ていたために、その時間が取れていなかったそうだ。

 その為、今日中にそれを完成させようと、シビュラとの散歩にも、カレンとの思い出巡りにも、ノーラとのカレー作りにも参加せず、一人黙々と魔術に向き合っていた。

 そんな彼女の努力が、つい今しがた完成して。その、沢山の命を守る努力が少しでも報われればと、琥珀色の頭を撫でる。

 が、そうした直後、直ぐに気付いて思わず撫でる手を止めた。


「あ…………」


 今隣にいるチカは、記憶を取り戻した、俺が最初に出会った本来のチカだ。旅の中での思い出や、その間に芽生えた感情こそ引き継いでいるが、性格はあの頃の反りの合わなかった時と同じ。

 そんな彼女に、旅の時の癖で頭を撫でてしまったのだ。

 流石にこれは反抗されるかと、身構える。

 しかし…………。


「……別に、いいから……」

「え……?」


 チカは怒るではなく、そう呟いて。それからまるで、これまでを再現でもするように、俺の足の上へと頭を乗せて横になる。

 その事実に、一瞬面食らって。

 次いで彼女の肩が強張っていることに気付けば、今度はしっかりと意識して自覚した上で、その頭に手を置いた。


「……これで、いいか?」

「………………ん……」


 小さくチカが頷いて。それから、彼女から緊張の雰囲気が霧散した。

 彼女がそれを望んでいる。そう、少しだけ自惚れれば、絹のように細く心地よい琥珀色の髪を撫でつける。


「ミノ……」

「なんだ?」

「……好き。……どうしよう…………」

「俺に言うなよ…………」


 何でこんなムードたっぷりな雰囲気でそれ言うんだよ……。狙ってやってんじゃないのか?


「だってミノが悪いのよ? あたしを助けて、優しくして……。あの時消えるはずだったのに、こうやって連れ戻して……。ずっと居場所の見つけられなかったあたしを、ミノは見てくれた。そんなの、好きになるに決まってる…………」

「……それは、《波旬皇》からチカが生まれたからか?」


 《波旬皇》は負の塊。《魔堕》の最たる存在であり、その本質は二つ。

 一つは己が抱える衝動の発散。

 もう一つは、正の感情への果て無き希求。

 事恋愛感情なんて、正の感情の象徴のようなもの。その気持ちがあるから、時には生きたいと思えるのだ。

 《魔堕》で魔剣なチカが、繋がりとして正の魔力を求めてしまうのは当然の帰結。その一番が、彼女にとって恋愛感情だった。


「…………うん。そういう事にしておいて……」


 どうにか理由をこじつけて、二人して視線を逸らす。

 ただ、一つだけ、言っておきたいことがあって。


「なぁチカ」

「なに?」

「俺はもう、お前たちの事をただの魔剣だとも、魔物だとも思ってない。人に憧れる程にしっかりと気持ちを持ってるんだ。お前らは、生きてる」


 そしてきっと、俺も。

 そう、恥ずかしくも認めて、確かめるように。小さく身動(みじろ)ぎしたチカの頭を優しく撫でる。


「…………うん……」


 しおらしく頷いた彼女は、まぎれもなく女の子だった。




 チカが人工魔剣のセーフティを魔術で作り出したおかげで、こちらから仕掛ける最後のピースが揃った。

 策と言う策は《波旬皇》には意味がなく。単純に正面から行ってぶっ飛ばすという、なんとも脳筋なシナリオだ。

 もちろんそこに至るまでの細かい調整はあれこれ行ったが、《波旬皇》を討滅するという一点においてはどう足掻いても譲れない正面衝突。

 であれば、せめてこちらから仕掛けて最初だけでもペースを作らなければ、勝機など見出せない。

 そもそも俺は《波旬皇》と相対した事すらないのだ。アーサーと過去を回顧(かいこ)し、《共魔》の面々からその強大さを言葉伝手で聞いてきた。しかし、討滅には面と向かうしか方法がない。

 その為、いざ目の前に立った時に敵の強大さに呑み込まれて責務を全うできない可能性も僅かにだが存在するのだ。

 完全に否定できない以上、それを乗り越えるための策は必要。それが、こちらから仕掛けるというそれだ。

 ここに至るまで前線に何度も立ってきた。精神論を語るわけではないが、士気と言うのは結果を左右しかねない一要因だと知っている。

 敵に呑まれては目的を達せない。だったら、せめて最初だけでもこちらの土俵で。可能であれば、その一撃で()って戦いに終止符を打つ。

 《珂恋》と言う存在は、それだけの可能性を秘めた刃。たった一撃でも、全力で想像を押し付けられれば、全てが終わる。

 イヴァンたちが『希望』と持て(はや)すのも頷ける話だ。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない」


 反撃の狼煙(のろし)を今か今かと待ちながら前線の拮抗状態を演出する数多の騎士たち。

 まるでアリが犇いているような錯覚さえ抱く光景を見下ろしつつ、隣の少女に問いかける。

 すると返ったのは、ある種想定通りな声だった。

 次いで彼女……カレンは、俺を試すように開いた手を差し出した。


「だから、しっかり握ってて」

「……投げないようには気を付ける」

「もーっ」


 今更素直になんかなれるかよ。これが俺の素だ。諦めろ。

 言葉で答える代わりに、黒髪の撫でる。


「行くぞ」

「…………うんっ!」


 手を取れば、戦場の騒がしさにも負けない溌溂(はつらつ)とした声でカレンが頷く。

 次の瞬間、彼女と交わした契約の証……右の二の腕の契約痕が微かに熱を持って形を捉えた。

 魔力に包まれた彼女の体が質量保存の法則さえ無視した変身を遂げる。

 ……そもそも質量があるかも怪しい感情から魔力が生まれ、どこかしら物理的な側面を持つ魔物となるのだ。物理法則など端から超越しているか。

 今更ながらにどうでもいい事を考えて現界した刀を手に取る。

 黒を基調とした和を想起させる落ち着いた(こしら)え。柄頭から切っ先までおよそ100センチ……刀身はおよそ二尺三寸の、重さは約1kg。白瑪瑙(めのう)の嵌った柄を握り引き抜けば、曇天の下でも妖しく威風堂々と輝く刃が姿を現す。刀身は闇さえ吸い込むほどに暗い黒で、波打つ刃文は彼女の瞳と同じ深紅。鍔は違い菱、下緒は緋色の巻結び。

 この世界には辿った歴史の違いから、剣の形態としてそもそも存在しない────日本刀。

 魂が具現化したようなその一刀に、改めて視線を注ぎ、思ったままを呟く。


「綺麗だな」

「でしょっ!」


 ────……綺麗だな


 ────う、うるさいっ


 あの時と、きっと何も変わらないのに。

 それでもきっと、何かが変わって。

 だとすれば、それは間違いなく──


「ちょっと、いつまで待たせるつもり?」


 割って入ったチカの声。彼女は記憶を取り戻してから、いろいろ図々しくなった気がする。

 ……が、そんな彼女にこそ安堵を覚えてしまっている辺り、俺も大概毒されているかもしれない。


「分かってるっての。ほら」

「おざなり……。もっと丁寧に扱ってよ」

「おひ──」

「お姫様とか言ったら《波旬皇》より先に殺してあげるから」


 残念。

 けれども、彼女のその琥珀色のショートヘアはどこかの王族に連なる者の様で、一概に冗談とも言い切れない。

 顔立ちだって整っていて、こうしていればただの可愛らしい女の子だ。


「……決めた。いざって時にミノを殺すのはあたしの役目っ。だからそれまで、誰にもミノは傷つけさせないから」

「せめて背中を預けられるくらいに信頼させてくれ」

「いーやっ」


 言って、笑って。差し出した掌を取ったチカが、魔力に包まれ魔剣となって顕現する。

 波打つ琥珀色の刃のクリス。刀であれば鍔にあたる部分に嵌め込まれた宝石は、刀身の色の由来となる琥珀玉。

 カレン曰く、軸が曲がっていて戦闘には不向きな儀式用短剣。

 魔術編纂を得意とするチカに合わせて、魔法のタクトのように振るう、魔術行使の象徴。

 記憶を失っている間は、自らの大規模な魔術に対して可愛くないとしきりに文句を言っていたチカだが……俺からしてみればその取り回しのし易さこそが彼女の魅力の一つ。

 その気になれば最小限の動きでカレン以上の力を発揮するチカの魔術は、戦場を駆ける中で必須とも言うべき存在だ。

 なにより、紛れもない武器として硬い印象のある日本刀のカレンと比べると、クリスと言うコンパクトさが可愛い。

 ……そのギャップにこそ、彼女は悩んでいたのかもしれないが。


「頼りにしてる」

「当然っ!」


 不敵な声に信頼を預けて。そうして次に向けた視線は、人形のように感情の宿らない瞳でこちらを真っ直ぐに見つめるシビュラだった。

 ともすれば、カレンよりも分かりやすく戦力となる彼女は、切り札の一つ。

 感情を宿さない魔術は、彼女だけの特別だ。


「ミノ」

「なんだ?」

「シビュラ、いる?」


 居る? 要る?

 咄嗟にどちらの意味か考えたが、直ぐに振り払って首肯した。


「あぁ。シビュラにしか出来ないこと、存分に預けるぞ。いいな?」

「うん。だからみせて。ミノの全部。……全部、全部。シビュラがミノの自由を、肯定する。シビュラに、自由を教えて?」

「見つけるのは、シビュラ次第だけどな」


 重苦しいほどの信頼を受け止めて。前触れもなく抱き着いてきた彼女を認めれば、魔力に包まれて契約が形を成す。

 戒めの象徴、鎖。チェーンとなって首に掛かったその先端には、叡智と記憶の象徴、本。彼女の長い白髪に由来する白い装丁と、透き通ったビードロのように綺麗な黄色い瞳を模した黄色い縁取り。

 元は日記だったというその姿は、内に星の数ほどの魔物と魔術を秘めた、(ことわり)の書。感情ではなく、文字と言う情報によって統制された彼女自身は、感情に左右されない唯一の存在。

 このコーズミマの世界において最も人から、魔物から遠く。そしてそれそのものなその一つ。

 感情に恋い焦がれる知識。

 俺個人からすれば、彼女ほど分かりやすい感情の化身も存在しないような、感情そのもの。存在の権化だ。


「俺にも価値があるって教えてくれ」

「教えてもらうのはシビュラ」

「……そうだな」


 まるで一つの椅子を譲り合っているようだとおかしく思いながら。

 心地よいやり取りに小さく笑って────カレンを振るった。


「じゃあ始めようか、《波旬皇》」


 目の前の、何もない空間。傍から見れば、何気なく空を切る一撃。

 その一閃が、金属音に阻まれて受け止められた。


「お前は魔物だ。それでいて、これ以上ない感情の塊だ。しかも負に大きく(かたよ)ったな。だからな、ちゃんと見えてるぞ」


 そこにいると確信して、カレンと想像を重ね、不可視を切り裂く。

 すると次の瞬間、目に見える程に濃密な魔力の瘴気が辺りに散り、一帯を覆い隠した。

 いきなりの出来事に俺以外対処が間に合わないまま、魔力の霧に包まれる。

 その最中に飛来した魔術の雨を、同数打ち出したシビュラの感情で悉く撃ち落とし。

 目障りな目の前の霧を、チカの理屈で吹き飛ばして視界を確保した。


「シビュラとの契約のお陰で悪意は肌で感じられる。こっちの準備が整うまで目の前で姿隠して静観とか……メローラ以上のバトルジャンキーだな、お前」


 吹き荒れた風の向こう、先ほどまで誰もいなかったそこに浮かび上がる人影。

 俺の記憶にも新しい…………なんでもなさそうな剣を一振り握った、いけ好かない金髪イケメンの姿。

 それが、彼なりの流儀と誠意なのだと理解して、改めて見据えた。


「初めましてだな、《波旬皇》」

「君は、私を、殺してくれるか?」


 表情のない、けれどもどこか寂しそうに諦めた声。

 ちぐはぐに交わされた挨拶に、小さく笑ってカレンを構え。そして────


「さぁな。ただ…………死にきれないことには、同情するっ……!」


 全力で大地を蹴って肉薄し、未来を願って刃を振るった。

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