第一章
《波旬皇》の封印が解かれ、同時に俺が昏睡して三か月ほどが経った。
季節は春の芽吹きを間近に控える程に進み、北の大地であるユークレース司教国でも少しずつ雪解けが始まっている。
世界は魔物の侵攻に曝され、ベリル連邦全土、およびアルマンディン王国の一部を《魔堕》の版図として明け渡した。対して、人類は反抗拠点をユークレースに定め、各国の長が集い非常事態として手を取り合い共同戦線を構築。ルチル山脈を最前線にして戦線を膠着させている。……と言うのが俺のいない間に流れた歴史の大まかなところだ。
無尽蔵に湧いて出る魔物に対して、殆ど連携の取れない急拵えとはいえその程度の被害で済んでいるのには理由が二つ。
一つは戦線の維持に《甦君門》……主に《共魔》の連中が中心となって加わっている事。連合軍との協力体制は未だ整っていないらしいが、個々人が持つ力は一介の魔剣の力を軽く凌駕する。その身一つで高位と渡り合う彼らの存在が、危ういところで魔物の侵攻を食い止めているのだ。
そして二つ目の理由は、事の中心にいる魔物の首魁、《波旬皇》が戦場に姿を現していないという事だ。
存在そのものが概念のような、その気になれば何もかもをひっくり返せる規格外。きっと《共魔》達でさえ、束になっても遅滞戦闘が関の山な災害の如き存在は、しかし今のところ封印されていた《皇坐碑》から一歩も外に出ていないとの事だ。
お陰で戦場には辛うじて対処できる……飽和しきった魔物の軍勢だけと言う、どうにか光明が見える状況だ。
しかしながらその魔物の波濤にすら道を拓けず苦戦している現状。希望はあっても辛勝が堆く積もっているだけ。
もしルチル山脈がなければ、今頃コーズミマの世界は魔物が常識のように跳梁跋扈する世界と化していたことだろう。
「結構な惨状だな」
「なんだか他人事だね」
「ここまでの事は俺にはどうしようもないからな」
「……そっか」
拙くも説明役を買って出た魔剣の少女……俺の契約する世界で唯一の希望、カレンがどこか安堵したように微笑む。
今のどこに笑う要素があったのか。そう考えれば、思考を読んだように彼女は続ける。
「じゃあここからはミノがどうにかしてくれるんだよね?」
「……三か月も経つと流石に魔剣も錆びるのか」
「三か月も眠ると人ってボケるんだね」
まさかそんな反論が返ってくるとは思わなかった。
思わず黙り込めば、カレンが勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
どうやら俺がいない間に何か吹っ切れたらしい。余計に面倒臭くなった……。
「……で、結局これからどうするんだ? お前を連れて殴り込みに行けばいいのか?」
「今色々準備してるんだ」
「準備?」
ある程度想像はつくが、ここで話が脱線しても何の意味もないと先を促す。
「やっと連合軍と《甦君門》が共闘できるんだ」
「そりゃ朗報だな」
ようやく反撃の狼煙が上がる。そこまで三か月もかかったというのは些か悠長すぎる話だが……《甦君門》がこれまで被ってきた悪名を思えばそれも致し方なしか。
「その為にね、ミノにも協力して欲しいんだ」
「つい昨日まで眠ってたやつに何やらせるつもりだよ」
時間的には俺が目覚めてまだ一日も経っていない。本来ならば絶対安静の体のはずなのに……。
しかしこの体は不思議と活力に溢れ、長期の仰臥位を経た後と言うのが信じられないほど思い通りに動く。
理由は明白で、目が覚めた直後カレンが契約を介して俺の身体機能を倒れる前の状態まで復元したからだ。
多少脳の混乱はある気もするが、恐らく明日にもなれば完全に万全な回復を見せていることだろう。魔術恐ろしや。
「なんか複雑な事情があるらしくて、《渡聖者》が必要なんだって」
「メローラにやらせとけよ」
「メローラさんがミノを推薦したらしいよ?」
あの戦闘ジャンキーめ……。と言う事は、その《渡聖者》の仕事と言うのは面倒な政に関わる事か。
人の了解も得ずに勝手に押し付けやがって。後で覚悟しとけ。
「……つまりこの馬車の行方がそれってことか」
「頑張ってね、ミノっ」
「…………魔物との争いなんだからこっちもそれに類する奴が指揮執ればいいのにな」
「私、狂信者は欲しくないかなぁ」
「なら指揮棒代わりにしてやるよ」
せめてもの抵抗にと告げれば、またしてもカレンは嬉しそうに微笑む。俺の知らない間に救世の魔剣がドMを発症した件について。誰か論理的な説明求む。至急。
「…………あと、そろそろ腕放せよ」
「やだ」
……なんなんだよ、一体。
馬車が止まる。生前のタクシーのように勝手に扉が開くことに未だ慣れないまま外に出れば、そこにあったのはユスティリア大聖堂だった。
コーズミマの唯一の宗教、ユヴェーレン教の中心地。この国を治める教皇……司教のファルシアの居城だ。
ユヴェーレン教徒にとっては一度は訪れてみたい聖地らしいそこへ何の感慨もなく足を踏み入れる。
聖地と言う事は、昔ここで奇跡でも起きたのだろうか。……例えば、魔剣との契約とか。
「やぁ、いらっしゃい。待ってたよ」
「……メドラウド」
どうでもいい事を考えながら荘厳な内装を見渡していると、いつの間にか気配もなく目の前にいた男。金色の短髪に紫色の瞳を嵌めた、30代ほどの彼は、《甦君門》の《共魔》……元《魔祓軍》のメドラウド。
彼とは無窮書架の地下迷宮で魔篇として安置されていたシビュラを巡って衝突した記憶が、最も鮮烈に残っている。
もしあの時彼の言葉にもう少し耳を傾けていれば…………いや、あんな先走ったメドラウド相手にまともな話ができたとは思えない。彼との反目は当然の結果だ。
「こんなところで何してるんだよ」
「今は教皇陛下と《甦君門》の連絡役だ。これでも信仰心は本物でね。神の御名の下に愛と平等を信じて責務に邁進してるんだよ」
「胡散臭い言葉を並べるな」
過去、こんなにもいかがわしかった聖職者を俺は他に知らない。
しかし彼が本物の信徒であるというのはきっと本当の事なのだろう。推測だが、彼はきっと…………。
「想像通り、僕は元々この国に転生者として召喚された。この信仰心に偽りはない」
勝手に考えを読むな。神様は他人のプライバシーを侵すべからずって教えてくれなかったのか?
「僕の身の上は機会があればその時にしよう。ついて来てくれ、案内しよう」
彼とも話し合いをする必要はきっとある。気乗りはしないが、その時になったら覚悟を決めるとしよう。
そんなことを考えつつ、彼の背中に尋ねる。
「他の奴らは?」
「マリスは相変わらず治療に専念で引きこもってる。エレインも《波旬皇》の監視を続行中。ペリノアはガハムレトとして色々手を回してくれている。それ以外は交代で前線に出ては魔物の侵攻を食い止めてる。稀にカイウスが顔を見せに来るくらいか」
「本物のガハムレトはどうした」
「彼は亡くなったよ」
ずっと気になっていたことを訊けば、彼は雑談と同じトーンで飾ることなく答える。
「大統領陛下はある時真実を知る機会があってな。逸早く僕たちの目的を酌んで協力してくれていた。けどある時《波旬皇》の魔力の余波で魔障を負って、そのまま亡くなった。普通の魔物相手なら色々言い訳もあったんだが、《波旬皇》由来はそれができなくてね。最終的にペリノアが彼に成りすますことでその死を隠し通すことにした」
「どうして言えなかったの?」
「少しは考えろよ。《波旬皇》由来の魔障に掛かったなんて知れたらガハムレトがどんな目で見られると思う? 下手したら他国に《甦君門》との繋がりまで疑われて、更にあいつらの立場が悪くなる可能性だってあるんだぞ。だからって魔障は待ってくれない。秘匿し続けて大統領の責をこなし続ければ、やがて魔物に変貌する。だからペリノアを替え玉にして自分はひっそり死ぬことを選んだんだよ」
もし魔障と仲良くしようと思えば、その根源である魔物と和解するしかない。
一応例外としてベディヴィアの事があるが、あれは《波旬皇》の封印と《緘咒》の力あってこその特例だ。二重に壁を作ることで症状の進行を抑えることに成功していたにすぎない。
しかしガハムレトのそれは、《波旬皇》の封印後に生まれた魔障。封印と言う前提の上から繋がれた魔障は、《緘咒》の力だけでは隔離しきれなかったのだ。
「特にその頃のベリルはセレスタインとの関係が今以上に悪化していた時期でな。国の頭が挿げ換われば、二国の間でどんな折衝事が起きるか分からなかった。だから仕方なくガハムレトに扮して彼の生存を偽装したんだ。……それに、僕たちとしても貴重な繋がりだったからね。ガハムレトがいなくなることによってそれが失われる可能性を天秤に掛けたら、答えは決まってるだろう?」
「それに、うまくすれば他の国を味方に引き込めるかもしれない。もし転生者が来れば、カレンの器として期待もできる。一応は得だらけだ」
「とはいえ僕たちは元《魔祓軍》。殆ど死んでいるのと同義だ。死者が現世を引っ掻き回すものじゃない。叶う事なら、本来導くべき誰かに託したかったんだ。それだけは信じてくれ」
《甦君門》が最後の一線を踏み越えていないのは俺もよく知っている。
ユウを《甦君門》に連れて行ったのも、彼女の住む場所と身寄りがなくなったことを知ったから。ベリルの魔剣騒動も、捕まるべき犯罪者を炙り出す為でもあった。やり方はどうあれ、彼らのしていたことは決して完全な悪ではない。
だからそう……《波旬皇》復活の際に四国が円滑に手を取れるように根を巡らせていたのも、最終的な手柄を今生きている者たちに渡すための下準備だったのだ。
自分たちは、悪評と世界の憎悪を一身に引き受けて退場するために。死に損ないの、最期の矜持。
「ショウにでも押し付けとけ。ベリルは連邦なんだから国民の選挙で選ばれるんだろ? 実務能力はともかく、転生者として《波旬皇》の一件で活躍すれば後ろ盾は十分だろ」
「そうしたいのは山々なんだけどな。ベリルでは転生者を大統領に選んじゃいけないんだよ」
「異世界の人を国の長にしちゃいけないってこと?」
「あぁ」
また面倒な。それこそペリノアがガハムレトとして法とか変えてしまえばいいのに。……今の混乱では無理か。
そこに関してはベリルの国民が向き合う事だと丸投げして、それからもう一つの疑問を尋ねる。
「ベディヴィアはどうしてる。皇帝にはゼノが戻ったんだろ?」
ゼノは《波旬皇》の復活後、《甦君門》から解放されてセレスタインに戻っている。その際に皇帝の座もベディヴィアから引き継いだと、ここに来るまでにカレンから聞いた。
「彼なら今は皇帝陛下の懐刀だ。元《魔祓軍》の唯一の生き残り。今は手放したくないんだろ」
そう答えるメドラウドの声は少し曇る。
と、そこに含まれたものに気付いたカレンが真っ直ぐに口にした。
「まだ打ち明けてないの? 《共魔》が元《魔祓軍》だって」
「……………………」
沈黙は肯定。この様子だと、世界の悪役としてその事実も抱えたまま消えるつもりらしい。
今の彼らは《甦君門》の《共魔》であって、元《魔祓軍》ではない。その矜持を貫き通す覚悟なのだ。
自己犠牲と我が儘の極みだが、理解できないことはない。俺だって同じ立場ならきっとそうする。
世界は、生きる者の舞台なのだから。
「いいんだ。これで。あいつは人類の希望であればいい。…………デーヴィの事を、頼んだ」
親しい呼び名。それだけの死地を共に潜り抜けてきた、掛け替えのない友。
だからこその彼らの意志は、俺にはどうすることもできない。
隣で、カレンが俯き唇を結んでいた。
メドラウドに案内されてやってきたのは、俺が《渡聖者》としてファルシアから祝福を受けたあの部屋だった。
中に入れば、そこに並んでいた顔に思わず腹の奥が重くなる。
「勢揃いかよ……場違い甚だしいな」
思わず零せば、小さく口端を吊り上げて皇帝が口を開いた。
「そう畏まるな。それぞれ面識はあるだろう?」
「諸国漫遊なんてそう簡単にできることじゃない。だからこその《渡聖者》だ」
続けたのは偽物の大統領。その瞳にはどこが意地の悪い光が宿っている。
まるでこれから裁判でもされるようだと自分を小さく思えば、堅苦しい空気を撫でるように紅一点な女王が上品な笑みを浮かべた。
「お目覚めしてまだ日も経っていないのに不躾に呼びつけてごめんなさい。体調も万全ではないでしょうから、お話は楽な体勢で加わっていただいて結構です」
堅苦しい言い回しに、肩書きを背負うというのは大変だと少しだけ共感する。
「メドラウド、彼にもお茶を。……無理をさせるつもりはありませんので、どうぞ気楽に。《渡聖者》、《不名》のミノ・リレッドノー殿」
温和ながら、最も型に嵌った言葉を紡いだのは教皇。呼ばれた仰々しい冠に、溜め息一つ。それをスイッチに気持ちを切り替える。
「錚々たる顔触れだな。で、話ってのは何なんだ? 早く終わらせて休憩したいから手短に頼む」
今更飾るものもないと。ソファに腰を下ろしこれまで彼らにそう接してきたように不遜な態度で先を促せば、その反応で俺であることを認識したように頷いてファルシアが口火を切る。
「ではまずは現状の共有と把握からいきましょうか」
「ミノ殿の昏睡と同時、《波旬皇》の封印が解かれた。これが今から約三か月前の出来事だ」
話を継いだのはガハムレト、の姿をしたペリノア。その口調に責める色はない。ただ事実を音にしているだけ。
だが、どうにも俺の所為だと暗に言われているようで素直に受け入れられない。あれは仕方のない結果論だ。
「《皇坐碑》と呼ばれる《波旬皇》が封印されていた場所。ベリル連邦領内、その南にあるそこから魔物の軍勢が天変地異のように溢れ出したのはあれから約二日後の事だ。万という数ではくだらない魔物の一斉侵攻。残念ながらそれを食い止めるだけの戦力を直ぐに整えることは叶わず、瞬く間に首都ベリリウムは奴らの手に落ちた。私達にできたのは国民の避難。……それにも結構な被害が出た」
例え準備をしていてもいざと言う時に行動へ移すのは難しい。それが国家規模ともなれば、混乱は避けられないだろう。
迅速にその判断ができただけでも十分な対応だ。ペリノア扮するガハムレトだったからこその結果であり、その被害は致し方ないもの。それを責めるつもりはない。
己を悔いるようなペリノアの声に、ノーラが後を継ぐ。
「止める間もなく広がった魔物の版図は、やがてアルマンディンにも及びました。ただ、アルマンディンに関しては魔物の手が及ぶまでに少しの猶予があったのでベリル連邦ほどの被害はありませんでした。ですが襲い来る魔物の軍勢を長時間留めておくだけの戦力投入は直ぐにはできませんでしたから。結果的に国土の三分の一を明け渡したところで防衛線の構築に成功しました。今も激しく衝突している前線の一つですね」
国の三分の一が敵の手に落ちる。それだけでも十分すぎる被害だ。そこで食い止められたのはただただ僥倖と言うほかないだろう。
「魔物の侵攻から逃げ延びた人々は、わたくし共ユークレース司教国と、セレスタイン帝国が受け入れ、安全と生活の保障を。度重なる遅滞戦闘によって得た時間で各国の長で話し合い、連合軍を結成。ルチル山脈を主とした防衛線として魔物の侵攻を食い止めるに至りました。これが今から一月半ほど前の事です」
ルチル山脈と言う天然の要害に守られたユークレースとセレスタイン。この二国に魔物が侵攻する事はそれなりに困難で、その境界線が人類の明暗を分けたのだ。
お陰で戦力を束ね、運用する時間が確保でき、ようやく敵の足を止めることに成功した。ここまで一か月半……と言う事は、逆に考えればベリルとアルマンディンの一部を犠牲にすることによって一月半は耐え切ったという事なのだ。
度重なっただろう混乱の中でそれができたのは素直に称賛に値すべき行いであると共に、たった一月半で広大なコーズミマの三分の一を蹂躙した魔物の軍勢が脅威であることは疑いようのない事実だ。
「一応状況は落ち着いてるのだがな。それは同時に敵の侵攻を食い止めるので精一杯と言う事の裏返しだ。我々としては《波旬皇》が出てくる前にこちらから打って出て早期決戦をと言うのが望ましい」
飾らず冷徹に現状を言葉にしたゼノ。
いつまでも手を拱いていては、例え《波旬皇》が出てこなくとも無尽蔵に湧いて出る魔物に押し潰されてしまう。それが分かっているからこそ、状況打開には先手を打つしかないというわけだ。
「そこで我々が協議を重ねた結果、一つの案が浮かんだのだ」
ようやく本題。長い前説だったと、幾つか想像をしつつ彼の言葉に身を入れる。
「《不名》のミノ・リレッドノー殿。《渡聖者》として連合軍の旗印となり、皆を率いて《波旬皇》討滅を成し遂げて欲しい」
放たれたのは、中でも最も面倒な話だった。
思わず黙り込む。するとその沈黙を更なる説明の要求だと思ったらしいゼノが言葉を続けた。
「《裂必》殿ではなく君を選んだのには理由が二つある。一つは君が契約を交わす魔剣の力だ」
言って視線を向けられたカレンが肩を震わせた。小難しい話にずっと空気だった少女が、それから逡巡するように口を開いた。
「私の、力…………」
「魔障に侵されたドラゴンを撃退した話は聞き及んでいる。真似の難しい武勇は仲間の士気高揚にも繋がる。……そして何より、彼女の力こそが切り札だと聞いた」
ゼノは《甦君門》に連れていかれ、《共魔》と共にいたことがある。恐らくその時にカレンの事を聞いたのだろう。
明確なことを口にしないのは、期待を掛けすぎないようにするためか。こいつの事をよく分かってるな。
「率いる者が類稀なる力を持っていれば、付いて来る者も多くなるはずだ」
「俺個人にそんなカリスマはないけどな」
こんな臍曲がりのはぐれ者に世界の命運を託そうとか、気が触れているとしか思えない。
「それからもう一つが、《甦君門》の……《共魔》の事だ」
「《共魔》?」
「君がこの話を引き受けてくれた暁には、彼らの事も任せたいと思っている」
一瞬何を言われているのか分からなかったが、直ぐに巡った思考でその真意に気付いた。
「……俺を使って《共魔》の奴らと協力関係を築こうってことか」
「一時的な戦力増強としての管理と監視だ。協力ではない」
四国としては、《甦君門》と対等に手を取るという事は立場上出来ない。例え《波旬皇》と言う巨悪がいたとしても、今ある結束力を保つためにその建前は必要なのだ。
だからこそ、メローラではなく俺を選んだ。
「彼らは《甦君門》ではあるが、それぞれが持つ力は魅力的だ。平時であればこんな手段を取りたくはないが、事は一刻をも争う。利用できるものは最大限活用して我々の安寧を取り戻す。その為の致し方のない妥協だ」
「……あいつらはなんて言ってる。ここまでの話、まさかあんたたちが勝手に決めて後から無理を通そうとしてるんじゃないだろうな? そんなことをすれば担ぎ上げた俺の象徴的な意味合いも崩れるぞ?」
「話は済ませてある。ミノ殿さえいいのならば、彼らもこの話には乗り気だ」
真っ直ぐな瞳。きっと嘘ではないのだろう。
が、生来の疑り深さ故、自分で確認する以上の納得はないと。視線を壁に控えるメドラウドへと向ければ、彼もまた俺を見つめて頷いた。
『今僕たちは陰ながら彼らに協力する形で、《甦君門》として戦場を支えている。これは僕たちの元々の方針、戦いを裏から支えて《波旬皇》を討滅するという形そのものだ。だが、今回の彼らの申し出には僕たちにとって建前が生まれる。こそこそしなくていい分、大手を振って全力で目的に取り組める。終わった後は自ら退場だ。邪魔者は勝手に処分出来て、英雄としての功績は君に押し付ける事が出来る。生きる世界を作る彼らにとって悪い話じゃない』
メドラウドが《慮握》の力で声に出さず直接説明する。
確かに、彼らとしても得のある話。俺としても、《共魔》の面子と肩を並べられるのは心強い。
『建前がある分、君には面倒を強いるだろう。だが、実質的には僕たちも可能な範囲で好き勝手させてもらう。責任は被せてくれて構わない。今更落ちる評判もないからな』
妄執と自己犠牲。そうなるまで捨てなければ目的を達することができない彼らに、少しだけ同情する。
……しかし、それは本心だ。ならば────
「一ついいか?」
「なんだ?」
「難しいのは分かる。だが、できるだけあいつらにも配慮をしてやってくれ。共に戦うなら、可能だろ?」
「………………約束はできかねる」
「それでいい」
国を預かるというのも面倒な事だと思いつつ。
そうして最後に、最も重要なことを確認する。
「カレン」
「いいよ」
けれども彼女は、全てを言い終える前に笑顔で頷いていた。
相変わらず、恐ろしいほどの鈍らだな。
釘は刺した。後は覚悟だけだ。
深呼吸一つ。それからソファに少し深く身を埋め、建前ばかりを振り翳して答える。
「……どうせ俺に決定権はないんだろ? で? どれにサインすればいいんだ?」
悪いな。素直さは、捨ててきたんだ────
雁字搦めな茨の上でどうにか手を取り合う。
世界と《甦君門》の共闘。四国は《共魔》の力を取り付けられ、《共魔》は免罪符と肩書きを振り翳せる。
建前と体裁は必要だが、実質的にはスタンドアローンな飛び道具。互いに利害の一致した関係だ。
中々に堅苦しい事だと、その繋ぎに使われたことに若干の不服を抱きつつカップを傾ける。
「それで、具体的にはどうするんだ? 俺が旗印なんだろ?」
「差し当たっては意志を統一するための象徴が必要だ」
「《魔祓軍》みたいな話か……」
《魔祓軍》は、四国が召喚した転生者を束ねた世界の先兵の名前。国と言う垣根を超えたかの英雄たちは、その肩書きの下に四国の戦力を束ね、《波旬皇》を封印するに至った。
今回もそれと同様に何かしらの形を欲しているのだ。
そしてその決定権が、暫定的な要である俺に丸投げされている。
……国の主ともあろう奴らが、面倒を一人に背負わせすぎではなかろうか。まぁ、俺発信と言う付加価値でまとめ上げるための仕方なさなのだろうが、もう少しどうにかならなかったのだろうか。
「さぁて、どうするかな……」
名前を決めていいという事ならば、今後の采配を俺に一任するという事。いきなり万を超える戦力を預けられるというのは、どうにも実感の湧かない話だが。自分で決めて行動できるというシンプルな見方をすればこれまでと何も変わらない。
今回はそこに、肩書きと言う紐付けで途方もない数の追従者がいるかどうかと言うだけだ。
「いきなり押し付けられてもな……。そもそも名前に関しては俺が最も苦手とするところなんだが」
一体、どれだけその概念に振り回されてきたか。それを鑑みれば、どれほどの無理難題を突き付けられているか、言葉にしなくとも分かるというもの。
人の味を知る肉食獣の檻の中へ飛び込めだなんて、酷が過ぎるにもほどがある。
とはいえ考えなければ、これ以上前には進めない。さて、どうしたものか……。
そう、頭痛を覚える程に軋む歯車を無理矢理回し始めたところで、隣から声が上がった。
「ね、ミノ」
「どうした」
「あれは?」
「あれ?」
「ほら、《甦君門》で、《共魔》の皆がミノに頭下げてた時のやつ。なんか酔ったみたいに一人納得して言ってた、ミスなんとかって言う…………」
酔ってたってなんだ。そんなことをした覚えは全くない。
が、カレンの指摘する記憶は俺の中にも存在する。
あれはカレンやチカの存在意義を……俺を求めていた理由を語って聞かされた後の事。わが主とまで仰いで忠心の如く傅いたあの一幕。
確か…………。
「《皇滅軍》か」
「そうそれっ」
《皇滅軍》。《魔祓軍》と同じく由来は宗教用語。どちらも神の恩寵を意味する言葉だ。確か教派毎に呼び方が異なるのだったか。
「ミスティリオン、ですか?」
「俺の元居た世界の宗教用語だ。《魔祓軍》もその一つだな。きっとそれを名付けた奴もそっから取ったんだろ」
言いつつ指先に魔力を灯して文字にする。
《皇滅軍》。魔を祓うだけでなく、皇を滅する。名詮自性、名は体を現すなんて言葉の通りに、名前に思いを込めて験を担ぐ。
「今度こそ《波旬皇》を討滅する。そう掲げて剣を振れば、少しくらいはやる気が力に変わるんじゃないか?」
魔術は魔力によって形作られ、魔力は感情に起因する。感情論を全面的に肯定するわけではないが、けれどもやはり思いや志がなければ言動に結果は伴わない。
本気には、目に見えない何かが宿る。それを神の恩寵だと言い張れば、少しはファルシア達にとっても面目が立つだろうか。
「ミノさんの世界の……。《皇滅軍》────いいですね、何だか希望の音がします」
「ではそうするとしようか。異論は?」
「挟む余地などございませんね。《皇滅軍》の行く先に、神の御加護があらんことを」
悪の首魁に挑もうというのだ、神様の祝福とやらでも、貰えるものは貰っておくとしよう。
随分と進展した話に、一度休息を取ろうという事になりそれぞれ一旦別行動。
俺とカレン以外は、国や《甦君門》と言った自らの属するところへ決まった話を周知する必要がある。その準備も含めての一時解散なのだが……。
さて、寄る辺のないはぐれ者は一体何をして時間を潰そうかと。とりあえずユスティリア大聖堂を出て、春が近いというのに未だ雪の多く残る神様のお膝下をぶらりと歩く。
傍らにはどこか上機嫌な鈍らの姿。
「ん? どしたの?」
何気なく向けた視線に首を傾げる仕草。
雪化粧の施された町中の石畳の上。見た目だけならアイドルにもなれそうなカレンが、長い黒髪を揺らして真っ直ぐにこちらを見つめる。
「お前、さっきの話ついてこれたんだな」
「なぁっ!? 流石にそれは失礼が過ぎるんじゃないかなっ! これでもミノがいない間この世界を生きてたんだよ?」
「嘘吐け。チカに聞いたぞ。俺が倒れた後どうしてたのか」
「うっ……」
虚言を指摘すれば、ばつが悪そうに視線を逸らしたカレン。相変わらず隠し事の下手な奴だな。まさに感情の化身……魔剣だと納得させるよりも、思いが人型で歩いていると言った方がこいつに対する理解が早いかもしれない。
「しばらく俺の腰にぶら下がり続けて、直ぐにはどうにもならないと思ったら今度は逃走。過去の思い出に引きずられて引きこもったかと思えば、一人で勝手に先走って周りに迷惑を掛けるだけ掛けて回りやがって。お前は騒動を夢想して生きてんのか」
「ふぐっ!? ち、違うもん! あれには、それはそれは深遠で高尚な…………そう、瞑想して天啓を得た末の結果なんだよ!」
「迷走して一人こけただけだろうが」
「ううぅぅうぅぅぅぅううぅぅっ……!」
魔剣語を喋るな。
「だって……約束、破っちゃったから…………」
「約束?」
俯いて足を止めたカレン。響いた声には、自傷のような痛々しい音。
振り返れば、彼女は泣きそうなほどに声を張る。
「ミノが死にそうなときは私が助けるって! あの時そう誓ったのにっ!」
あの時。一瞬いつの事か分からなかったが、契約という繋がりを介してか、脳裏に記憶が閃く。
────もし俺が死にそうになったら、その時はお前が助けてくれ。そしたらこの契約もきっと、ずっと続くだろうからな
────うんっ!
それは、俺とカレンが契約して危地を乗り切った、そのすぐ後の事。
────大丈夫。ミノは私が────守るから
それは、俺が《渡聖者》となった時の事。
「私はあの約束を守れなかった! 私を受け止めてくれたミノを、助けてあげられなかった! ……それが、悔しくて、辛くて、痛くて…………。だから私は、逃げたの……」
契約をしてからの思い出を、何度も何度も繰り返し、思い出に浸り続けていた。ユウが魔瞳の力でそれを垣間見て、カレンに殺されそうになったと話していた。
そうして自分を責めて、過去と言う理想に引きこもっていたと。
「私の中には、ミノがいた。……いたんだよ。だから、守れなかった現実を認めたくなくて、私は全部を遠ざけた。みんなが大変だったのに、私だけ逃げてた」
そうして自分を責めてしまうくらいに、カレンにとって契約という繋がりは寄る辺だったのだろう。
……俺も、同じかもしれないが。
「思い出の中のミノは、ミノのままで…………でも、いつまで経ってもその先の未来は来なかった。何度も何度も繰り返して……けど、私は、その想像が出来なかったの。私失格だよね」
自嘲するように微笑んで、直ぐに再び顔を伏せた。
「そうしたらある時、声が聞こえたの。逃げてばかりじゃ何も変わらないって。……分かってたよ、そんなこと。最初から」
分かっていても、行動に移せなかった。それだけカレンは、俺との繋がりを特別に感じてくれていたのだ。
「最後のきっかけは、ミノだったよ」
「俺はただ寝てたんだがな」
「『自ら選ぶ死なんて、生きている限りで最も価値のない選択肢だ』」
…………その言葉は、俺自身への戒めだ。
馬鹿ほどこれに縋りたくなる。……俺は、ただの馬鹿だったから。
「……私、ミノと一緒に居たい。それは、契約をしたあの時から、何も変わってない。……だから私は、馬鹿になったの。ミノは間違ってなんかないって、そう認めたかったから」
「勝手に死ねない理由を押し付けるな」
「互いに命を預けてきたのに、今更だよっ」
顔を上げたカレンは、朗らかに告げる。
「ね、ミノ。お願い」
────でも、お願い。だから、お願い
「もう私の目の前で誰かが泣くのはヤなの」
────もう私の所為で誰かが死ぬのはヤなの
「みんなを守りたいの」
────誰も死なせたく無いのっ
「だからミノ……」
────だからお兄さんは……ミノだけは私の前からいなくならないでっ!
「笑って」
そうしてカレンが、笑う。
「私、ミノと一緒に、笑っていたいよ」
……一体いつ、笑う事を忘れてしまったのだろう。
幾ら思い返してみても、その記憶はない。少なくとも、この世界にやってきて心の底から笑ったことは、一度もない。
「ね、ミノ────私の、たった一人の、傭兵さん」
いつか、そんな日が、来るだろうか────
結局、外に出てもそれほどやることがなくて。仕方なく少し早めにユスティリア大聖堂に戻ってくる。
すると熱気の随分と薄くなった一室に一人の少女が先客としていた。
「こんなご時世に女王陛下が冠置いてていいのかよ」
「あ…………ミノさん……」
一人、会談の再開を早くから待っていたらしい肩書き在りし、たった16歳の少女に声を掛ける。
こちらを振り返った彼女は、どこか気まずそうに視線を逸らして机に置きっぱなしだったティアラを手に取った。
「ちょっと疲れたんです。少しくらいの休憩は許してくださいよ」
「……一人で全部抱え込むよりは余程いいだろ。臣下を上手く使うのが王としての才覚の一つじゃないのか?」
「ただの小娘一人、お飾りですよ」
自嘲するように微笑んで、それから彼女は再びティアラを机に置いた。
スイッチを切り替えるように、ノーラが年相応な瞳を向かいに座った俺に注ぐ。
「ミノさん、体の具合はどうですか?」
「魔力で少し無理に動かしてるからな。本来ならまだ寝たきりだ」
目が覚めたのが昨日。明けて翌日にいきなりあんなハードな話し合いに付き合わされたのだ。ブラックにもほどがある。せめて病室で開催しろよ。
「無理はしないでくださいね」
「だったら早めに話を終わらせないとな。……終わってすぐに前線に放り投げられたら、《渡聖者》の肩書きごとボイコットしてやるからな」
世界の救世主はブラック求人。そんなの、少し考えればわかる事だったのにな。自由に踊らされた過去の自分が憎い。
こんな話題何も楽しくないと。少しだけ記憶の中を旅して、それから見つけた疑問を落とす。
「ガルネットは平気なのか? アルマンディンも戦場になってるんだろ」
「はい。ですが魔物との戦線は王都より南で硬直してますから。……とは言っても、民の皆さんは殆どがユークレースに疎開してますけれどね」
疎開なんて……実態はただの避難だ。ただ、元首として後ろ向きなことを言って国内に混乱をまき散らしては立ち行かなくなってしまうから、糊塗して事実を柔らかく曖昧にしているに過ぎない。
そうして発言に気を遣わないといけないほどの状況、と想像できれば大局は何となく見えてくるか。
「この戦いに勝っても復興は大変だな」
「アルマンディンの被害は、ベリル連邦に比べたらなんてことはないですよ」
ベリルは今、その殆どが魔物の占有下にある。ルチル山脈を壁にして橋頭保を構築し、どうにか全てを奪われずに済んでいる、と言うのが現状だ。
ペリノア演じるガハムレトも、半ば亡命政権と同じ形でユークレース内にベリル連邦としての居を構えており、例え戦いが終わったとしてもその後の道行きは随分と困難になるはずだ。
「ま、政方面に関しては俺の管轄外だからな。必要とあらば残党処理に駆り出されるだけだ」
「……ミノさんは、そういう未来以外を疑ってないんですね」
「負け戦をしに行くやつがどこにいるんだよ。……そのネガティブな性根はどうにかした方がいいんじゃないか?」
「心の支えとなるような人が傍に居てくれれば、こんな風に悩むこともないんでしょうかね」
不意に、少女らしい微笑みを浮かべたノーラ。脳裏にガルネットを発つ寸前の、彼女とのやり取りが蘇る。
────そういう、ことですから…………
声と共に、自分の唇が微かな熱を持つのを自覚した。
流石に恥ずかしくなって、鼻を掻く振りで口元を隠し、戒めるように強く引き結ぶ。
……今は、そんな話をしている場合ではない。
「ミノ……?」
「……ソフィアは?」
横からの視線に、誤魔化すようにもう一つ思い浮かんだ疑問を音にすれば、目の前の妹は微かに目を伏せて頭を振った。
「アルマンディンを……少なくともガルネットは出たはずです。ですがその後の足取りは知りません。調べてお姉ちゃんを追い詰めたくもないですから」
「そうか……。ったく、こんな時にあのシスコンはどこに行ったんだろうな。それこそノーラの心の平穏の為に傍に居るべきなんじゃないのか?」
「…………そうですね」
睨むなよ。それだってお前の本心の一つだ。何も間違ったことは言ってないだろうが。
「今はただ、無事を祈るばかりです」
「……一応訊くが、まさかあの顔のまま外に行ったんじゃないだろうな?」
「それは大丈夫です。王宮秘蔵の魔具を渡してありますから。本来は要人暗殺などに使われる、装着者の姿を偽る指輪ですよ」
言って、それからノーラは懐かしむように優しい声で語る。
「……幼い頃、あれを二人で持ち出して悪戯をしてたことがあるんです。お姉ちゃんがわたしに化けて世話係を混乱させたり、お互いの脱走の身代わりに、お互いの振りをしたり」
それはきっと、ソフィアの母親が亡くなる前の……まだ姉妹として仲良く過ごしていた頃の話だろう。
…………と言うか、ソフィアもキャッスルブレイク常習犯かよ。……いや、扉を足で蹴り開けて我が身を危険に曝してまで最愛の妹を助けようとした胆の持ち主なのだ。血は争えないのだから当然か。
「なので大丈夫です。……それに、もしかしたら今も直ぐ近くにいるかもしれませんしね」
俺の分の紅茶を用意した使用人に視線を向けるノーラ。だが、その女性は話がよく見えなかったのか不思議そうに首を傾げただけだった。
しかしながら確かに、彼女の性格ならノーラの身を案じてユークレースにいても不思議ではない。
確証は何もないのに。ソフィアの存在を直ぐ傍に感じるのは一体なぜなのだろうか……。なんか寒気がしてきた…………。
これ以上考えるのが怖くなり、逃げるように別の話題を向ける。
「……そう言えば聞いたぞ。今回の件、最初はファルシアと一緒に反対してたらしいな」
「アルマンディンとしての方針です。……まぁ、わたし個人としても似たようなものですけど」
ノーラの事だから盲目に信じ込んで俺の背中を押すのかと思っていたが……どうやら別の考えがあったらしい。
「そもそも今回の話は、あの騒動がなければミノさんが戻ってくる前に四国だけで纏まっていたはずだったんです」
「あの騒動?」
「カレンさんが一人で《波旬皇》の下へ赴いた件です」
言葉にされて、カレンが悪戯を指摘されたようにびくりと肩を震わせた。
あれだってカレンなりに色々考えた末の行動だったのだろう。が、結果的に彼女の独断専行が随分と大きく波及してしまったらしい。
「発表当日、メドラウドさんからカレンさんの事を伺って、先延ばしにせざるを得なくなったんです。《波旬皇》の行動如何によっては考え直す必要がありましたし、もし仮にカレンさんが一人で決着を導いてしまえば、その瞬間わたしたちの懸念は解消されてしまいますからね」
「うぅ……ごめんなさい」
「いえ、責めてるわけではないんです。わたしも同じ立場だったら、似たようなことをしていたかもしれませんから」
全く……チカたちを心配させた挙句に世界の意向まで引っ掻き回すとは。流石は世界にたった一本の鈍らだな。
「ですが結果的にミノさんはその後こうして戻ってきて……わたしとしては嬉しかったです」
「……で、それと元々の反対とはどう繋がるんだ?」
心配がむず痒くて先を促す。するとノーラははにかむようにして答えた。
「ミノさんを悪者にしたくなかったんです」
「……どういうことだ?」
「元々《甦君門》に関しては憂慮事項が沢山ありました。国の内部へ潜り込み、ミノさんやカレンさんを狙う集団。それだけで十分に危険因子です。そんな組織と手を取って《波旬皇》と立ち向かうだなんて……理想とする未来が描けませんからね」
《甦君門》が元《魔祓軍》の集まりであるという事実を、ノーラたちは知らない。《共魔》達も、それを公表するつもりはない。彼らは亡霊として、秘密は最後まで抱え落ちしようとしているのだ。
その高潔なまでの執念を聞いた身としては、彼らの尊厳を踏み躙るようなことはしたくない。
だからきっと、彼女たちは最後まで《甦君門》の……《共魔》達の真意には気付かぬまま歴史を紡ぐのだろう。
悪を悪として縛り付けたまま、悪は矜持を貫く。悲しい擦れ違いだが、それが双方の願いなのだから仕方ない。
「そんな集団にミノさんが攫われ、一時とはいえ戦場を共に駆け、そして《波旬皇》の封印を解いた……。難しい事を省いて外から見れば、ここに至るまでの始まりはそういう事なんです」
言葉を選ぶようなノーラ。その慎重な様子に違和感を覚える。
……もしかしたら、彼女は何かに気付いているのかもしれない。
だがやはり、気付いていてもそれを言葉にして認めることは、女王としてできないのだ。
「もしその上で《甦君門》を擁護し、その行いを正当化しようとすれば…………最も世界より非難されるのは、ミノさんです。だって、《甦君門》は世界にとっての悪なのに、ミノさんは《渡聖者》ですから」
世界の救世主。ユヴェーレン教と言うこの世界唯一の宗教に裏打ちされたそんな存在が、悪の組織と協力して《波旬皇》を復活させた。
それが真実となって世間を駆け巡れば、翻り地に落ちる肩書きと名声が様々な形となって俺を襲う。簡単に想像できる景色だ。
小さな胸の内を明かすように、ノーラが声に熱を込める。
「《甦君門》を認めたくないのは建前です。わたしは、ミノさんを守りたかったんですっ。世界の片隅を救ってくれたミノさんが、謂れのない誤解で悪者にされるのが嫌だったんです!」
それが嫌で、ノーラは反対をしていたのだ。
知られてしまえば、公私混同と咎められるかもしれない愚を冒してでも。
「……だから、ミノさんの目が覚めたって聞いた時、心の底から嬉しかったんです。これで悪役を、あの人たちに押し付けられるって。…………女王ともあろう人間が抱いていい思いではありませんよね……」
そうして、戒めるように笑顔を伏せたノーラに。気付けば俺は、手を伸ばしていた。
「……国を預かるなら、時にはもっと非情にならないとな」
「………………」
「だが──庇ってくれようとしたことに関しては、感謝しておく。ありがとな、ノーラ」
「っ……!!」
だから俺と同じ過ちを犯すな、と。
業を背負い、彼女を許すように。桜色の頭を微かに撫でて小さく息を吐けば、やがてノーラは俯いたまま年相応に、
「──はいっ!」
と、力強く頷いたのだった。
微かに涙で濡れた、笑顔と共に。
それからしばらくして、再び四国の元首が揃う。
そして更には、《甦君門》の顔であるイヴァンも同じく腰を落ち着けていた。
《波旬皇》討滅の為の意識共有。幾ら互いの胸の内が分かり合っていても、体裁だけは整えないといけない。
面倒なことになったものだと一人嘆息しつつ、再開した話し合いに耳を傾ける。
「……と言う事で、《不名》殿には承諾を貰っている。残るは《甦君門》の意向次第だ。さて、どうする?」
威圧するようにゼノが促す。《甦君門》に連れていかれて、きっと俺と同じように真実を知っているはずのセレスタイン皇帝。
それでも国を預かる者として、因縁の残る相手に寄り添うような態度はできない。
煩わしさの塊に、胸の内が重くなりながら視線をイヴァンへ。するとこちらを一瞥した翡翠の瞳が、どこか安堵したように優しい色を灯した気がした。
「話は理解しました。これまでの確執が消えるわけではないでしょうが、折角頂いた贖罪の機会。不意にしないように尽力しましょう」
《甦君門》の協力は、表立っては自らの起こした過ち……《波旬皇》の復活における問責という意味合いがある。
逆に、こうでもしないと、世界と事を構えてきた《甦君門》の協力を取り付けることは難しいのだ。
イヴァンたちは、《渡聖者》を唆し、《波旬皇》の復活を引き起こして世界を混乱へと突き落とした首謀犯。窮地に立たされた世界は、司法取引のように彼らの犯した罪を、その力の行使によって幾らか免責する。
彼らの行いは、《波旬皇》討滅を抱える旗印、《皇滅軍》の下で監視される。
世界に再び平穏が戻ったとき、改めて《甦君門》の罪を裁く。
傍から聞けば少し納得のし辛い理由のこじ付けかもしれないが、これが今できる精一杯だ。
全ては《波旬皇》の一件が片付いてから。それまでは一旦、諸問題を棚上げと言う事だ。
玉虫色が過ぎる判断だな。
「ではこれに署名をしてもらおうか」
差し出されたのは高価そうな羊皮紙。
先ほど軽く見せてもらったが、随分と迂遠な言い回しであれこれ制約が定められたスクロールだった。
恐らく、後々これが使われる際に、様々な解釈の余地を残すための物なのだろうが……最早何についてを縛っているのかさえ定かではないような、曖昧に過ぎる内容だったという事だけはよく分かる代物だ。
また、これはスクロールだ。魔力を込めて使用すれば、違えることのできない契約を互いに刻み込む、魔術書。
これがあるからこそ、《甦君門》の立場を一時的に保証することができるのだ。
筆を執ったイヴァンが、一瞬名前を書く瞬間に躊躇う。恐らく、転生した当時の……《魔祓軍》として活躍した時代の事を考えたのだろう。
が、直ぐにそれを振り払った彼は、流れる筆跡でイヴァンと────そして、《皆逆》の誡名を付け加えて記した。
一瞬、場の空気が固まる。
《皆逆》。その名は、これまでにたった一人のみに許された肩書き。
ここにいる者達は……まだ経験の浅いノーラでさえ、世界の過去を知る者達だ。当然ながら、その文字列の意味は、十分以上に把握している。
だからこそ、イヴァンはそれを綴ったのだ。
言葉にはしない────真実として。
イヴァンの、《甦君門》の覚悟。真意にして、全て。
相変わらず卑怯な奴だと小さく鼻で笑って、それからスクロールを手に取り、込められた契約の魔術を行使する。
……少しだけ気取ってカレンの魔力を借り、紅の炎で燃やし尽くした。
刹那に、行き場を求めた魔力が指輪となって俺の右手親指と、イヴァンの左手親指に、対になるように嵌った。
この指輪が契約の証。親指に指輪を嵌めるというのは、コーズミマでは主従関係を意味するらしい。右手が主人、左手が仕える者との事だ。
《甦君門》は俺の指揮下に入る。その為に主従契約なのだ。
「ふむ、問題は無いようだな」
「《不名》殿」
「……なんだ」
イヴァンが畏まったように俺を呼ぶ。なんだか担ぎ上げられているようでいい気分はしないが、これも契約の一環。どうにか慣れを…………いや、後で矯正しておこう。支配者特権だ。
「改めて、私たちが属する旗印の名前を、教えていただけますか?」
分かってて訊くとか、いじめか? 羞恥プレイか?
とはいえ必要な事かと気持ちを正して深呼吸一つ。
それから、気取った名前を口に────
「無礼を失礼しますっ!」
しようとしたところで、部屋の扉が空気を押し退けるような音と共に勢いよく開け放たれた。
全員の視線が殺到する。そこにいたのは、焦燥を顔に張り付け黒い猫毛ロングを乱した少女────エレインだった。
「どうした、エレイン。急ぎなら《慮握》で──」
「皆様に直接、危急のご報告です。少しだけお時間をくださいっ」
直接。危急。
並べられた言葉と、エレインの冗談では済まない様子に圧倒されて全員が言葉を見失う。
次いで最初に正気に戻ったファルシアが、まるで自分自身を落ち着かせるように、努めてゆっくりと尋ねる。
「……どうされたのですか?」
エレインが、姿勢を正す。そうして彼女は────パンドラの箱の、蓋を開けた。
「《波旬皇》が、動きました」




