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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
《天魔》と《魔堕》の境界線
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第二章

 《波旬皇(マクスウェル)》が復活して、世界は少しばかり混乱に(おちい)った。

 が、直ぐに《甦君門(グニレース)》の面々が動いたお陰で、被害は最小限に抑えられた。

 まずペリノアが再びガハムレトとしてベリル連邦へと戻った。そして彼から集まっていた各国の騎士へ……そしてそれぞれの国の長へと情報共有が行われ、直ぐに会談の場が設けられた。

 会場として選ばれたのは、《波旬皇》が復活したベリル領内から最も遠いユークレース司教国。何処の国にも肩入れせず、魔剣の管理を行う中立な立場のユークレースは、国の代表が集まって話し合うのに丁度よかったのだ。

 そこで早急(さっきゅう)に練られた対策により、四国の間に(わだかま)る様々な問題を一旦棚上げして手を取り合う事が正式に決まった。

 その働きかけに、《共魔(ラプラス)》達が裏から根回しをしたお陰も、面倒な問題が起きなかった理由の一つだろう。

 味方になるとこれだけ頼もしい者もいないと、最前線で戦い続けた亡霊達に感謝をした。

 そもそも《共魔》が国の内側へ入り込んでいたのはこの為だ。

 《波旬皇》の復活を意図的に行い、それに抗する戦力として内部から国を動かし纏め上げる。

 今度こそ《波旬皇》を討滅せんと画策した、その結晶。それが別の形で役に立って、国の間にあった(しがらみ)をスルー出来たのだ。

 その間前線を支え続けたのが幾人かの《共魔》とメローラ、シビュラにチカと、そしてオレとユウだ。チカは、ミノが魂を連れ帰ってくれたお陰で無事意識を取り戻し、今はその力を振るっている。

 まるで地殻変動のように見る見る地図を描き換えんと迫る魔物の軍勢。それを放っておけば、人類が戦力を整える前に圧倒的な物量で世界が押し潰されてしまう。

 それを避ける為に、ベリルに住まう人々を逃がし魔物の侵攻を食い止めるという、最前線であり殿(しんがり)の役目が必要だったのだ。

 お陰でオレは国同士の会談の結果も後で知ったのだが……まぁ(つつが)無く済んだ様で何よりだった。

 そんなこんなでどうにか戦線を維持し、時間を稼いだお陰で四国の連合軍も出来上がり、オレもようやく一息入れる事が出来た。

 ここまで《波旬皇》が復活して約半月。その間、数少ない戦力でずっと前線に出張り続けていたのだ。

 お陰でこれでもかと実戦経験が積めた。今なら、模擬戦程度ならミノや《共魔》相手でもそれなりに戦えるかもしれない。

 そんな風に確かな実感を得つつ、最前線より少し後ろの拠点……ベリルに来る時に立ち寄ったペツォより更に北の町で休息する。


「戻ったぞ」

「あぁ、お帰りなさい」


 宿屋に戻れば、出迎えてくれたのはマリス。

 彼女はオレ達が前線を維持できるようにバックアップをしてくれていた一人だ。

 彼女の能力……《瑾恢(ギンカイ)》は、自分体に起きた魔術的な変化を他人へ転写する事が出来る。その特性上、傷つかないと反撃できない為、戦闘には向かない力だ。

 しかし別の形なら彼女の能力はとても心強い。

 何せ自らに治癒の魔術を使う事で、上手くすれば一度に複数人の治療が行えるのだ。

 もちろん治癒の魔術だって万能ではない。死んだ人間は蘇らないし、致命傷や、それに準ずる重症をいきなりには治せない。

 だが軽症ならば、自然治癒力の向上によって擬似的な治療が行える。これは傷をなかった事にする治癒ではなく、人が持っている回復力を魔術で促進させて治りを早くする、と言う程度の物だ。

 が、お陰で小さな傷ならしばらく彼女の恩恵を受けることで快癒する。その間に前線で消費した魔力と体力を補給すれば、再び戦場へ出向けるという仕組みが成り立つ。

 マリスがいたお陰で、少ない人数ながらローテーションで敵の侵攻を食い止めると言う事が可能になったのだ。

 そんなオレ達を支えてくれた彼女が、白衣の天使とは無縁な厳しい表情で尋ねる。


「状況は?」

「前線は連合軍が支えてる。ペツォの少し南の辺りだ。……ま、あんまり長持ちはしそうにないな。その内この辺も捨てる事になるはずだ」

「そう…………」


 連合軍の武装は魔剣と魔具だ。当然それらは魔物に対して有効な手段。数があれば十分に対抗する事も出来る。

 しかし一つ一つはそこまで強力ではない。魔剣と言っても、精々が中位の魔物が封じてある程度。それ一つで戦局を大きく覆す代物ではないのだ。

 そもそも魔剣や魔具の力を引き出すには、それ相応の魔力を保有している必要がある。ミノのような規格外は、転生者が主な存在。この世界で生まれ育った者たちは、メローラのような例外がない限り、強力な力を扱えるだけのキャパシティを備えていないのだ。


「幸いなのは、まだ《波旬皇》が出て来てないって事だ」

「そっちはさっきエレインから連絡があったわ。やっぱりまだ動く気配はないって」

「不気味だな……」


 それほど強力ではない魔剣や魔具と魔物の軍勢が均衡している。その大きな要因は、敵の親玉である《波旬皇》が戦場に姿を見せていないことだ。

 復活を果たした《波旬皇》だったが、その形が想定外だったのか、今はまだ万全な君臨とは至っていないようなのだ。

 言わばバッテリー切れ状態で、監視をしているエレインの話では魔力を掻き集めて動く為の力を蓄えているとのこと。

 因みにエレインが監視を任されているのは、彼女の能力故だ。

 《霧伏(キリブセ)》と言うエレインの力は、魔術になる前の魔力そのものを操れる。これは例えば、携帯電話ではなく、エネルギー足る電気を操るのと等しい力。元を阻害してしまえば大きな動きは起こせなくなる。当然の帰結だ。

 それを利用して、《波旬皇》が魔力を掻き集めて吸収するのを妨害し。いざとなったら自らの魔力を隠蔽して無事に逃げ切る事が出来る、彼女にしか出来ない仕事なのだ。

 ……エレイン自身は、一人で重要な仕事を任される事に不服だったようだが、イヴァンに言われて渋々といった様子で頷いていた。


「恐らく《波旬皇》の目的地はルチル山脈ね」

「それはどうしてだ?」

「あそこはコーズミマ屈指の魔力溜まりだもの。ある程度動けるようになったら、更なる力を求めてあの場所を目指す」

「つまり、前線はユークレースまで下がるのが確実って事か……」

「それ以前で止められるのが理想と言えば理想ね」


 口ではそう言うが、マリスの口調は殆ど諦めだ。

 事実、オレも同じ考え。

 何せ復活前の余波だけで気分が悪くなるほどに濃密な魔力の波動を撒き散らしていたのだ。あれが本格的に動き始めれば、まさに災害を相手にするのと同じ事。幾ら効き目のある魔具や魔剣、魔術で対抗しようとも、小石を投げた所で台風も地震も止まりはしないと言う事だ。

 特にマリスたちは一度|《波旬皇》と真正面からやり合っている。その経験則から考えても、通常戦力では足止めにもならないと思っているのだろう。


「大体あるのかよ。あんな規格外の魔物を倒す方法が、カレン以外に」

「あればこんな事にはなっていないでしょう?」


 当然の事を当然のように告げるマリス。

 つまりどれだけ魔剣や魔具が集まろうとも、《波旬皇》は歯牙にも掛けない。唯一対抗し得るのは、概念さえ覆して現実を書き換える想像の刃……カレンだけだ。


「一応未知数なのはシビュラちゃんだけれど……」

「シビュラ?」

「未知数故に試してみないと分からないわね。それでも決定打にはなりえないでしょうけれど……」


 思わぬ名前が出た事に驚く。

 考え込むマリスの様子から察するに場を和ませる為での冗談ではないようだ。

 そう言えば《甦君門》は魔篇(まへん)であるシビュラの事も狙っていたのだ。どうやらあれは、《波旬皇》に対抗しうる要素の一つとして期待しての物だったらしい。

 とはいえシビュラが出来る事と言えば膨大な数の魔術を次から次へと打ち出すことくらい。個の魔術は低位の魔物を倒せる程度で、それならば魔術を使える面子を百人用意して横並びで打たせるのと大差ない。

 それともシビュラにはまだ何か隠し玉があるのだろうか?


「……ここで考えても仕方ないわね」

「ま、そうだな」


 机上の空論は全て空想止まり。まだ経験したことのない《波旬皇》との衝突は、それを経てでないと実感も対策も湧いて来ない。

 それよりも今は目の前の、足下から物事を解決していかなくては。


「ミノの様子は?」

「状態は安定してるわ。ただ、それが生きているというのと違うってところがまた難しい話だけれどね」

「死んではいないんだろ?」

「えぇ」


 《波旬皇》の封印が解かれるその瞬間に立ち遭ったミノ達。その影響で彼は昏睡し、魔力の流れが止まっているらしい。

 しかし心臓は動き、呼吸も正常。だと言うのに目を覚まさないのは、やはり魔力の流れが止まっているから、と言うのが最大の原因だそうだ。


「けれど本来これはありえないのよ。確かに人には魔力が流れているけれど、例えそれが止まった所で普通は死にはしない。だって人の生命維持機能は心臓の鼓動に起因しているもの。これが生きてる限り血は巡って、体は動くはずなの」


 魔力とは人の身体機能として不可欠な機能と言う訳ではない。事実、殆ど魔力がなく、魔具も(ろく)に扱えないファルシアがあれだけ元気に司教国を取り仕切っているのだ。

 魔力がないと生きていけないのは魔物や魔剣であって、人には無関係。

 だと言うのに、ミノの昏睡の原因は魔力だと言う。

 そもそも……。


「前提として、鼓動が断続的であれば、それに付随して魔力も循環するの。それで片方だけしか動いていないのがおかしいの。……つまり、彼の体は何故か魔力が流れていない事と、意識が覚醒しない事が同時進行で起きている。これはきっと、無関係ではないはずよ」

「原因は分からないのか?」

「残念ながら。けど、こうなったその理由くらいは察しがつくわ」

「《波旬皇》の復活、か……」


 復活の際、最も近くでその影響を受けたのがミノだ。同じくチカが《波旬皇》の魔力によって倒れたように、似たような何かがミノの身にも起きたと、恐らくはそういうこと。

 しかし納得が出来ないのも事実だ。


「だとして、どうしてミノだけなんだ? 似た前例ならチカがあるだろ? 同じ場所にいたシビュラはミノを担いで戻ってくるくらいには動けたし、今も倒れずに戦ってる。普通は逆か、倒れるならシビュラも一緒じゃないとおかしくないか?」

「えぇ、そうね。だからお手上げなのよ。前例から外れすぎていて、わたしにもどうしようもない。ただ、唯一の救いはまだ生きてるって事よ」


 鼓動はあって、呼吸もしている。確かに、生きてはいる。だがこれは、死んでいないと表現する方が正しいだろう。


「なるようになるしかない、か…………」


 眠る過去を見つめてそう零し、気持ちを切り替える。

 生きているならばいずれ目は覚ます。チカがそうだったのだ。だからミノだって大丈夫。

 ならばそれまで、彼が帰ってくるべき場所をオレ達が守り抜くだけだ。

 その先にしか、活路はもうないのだから。


「あぁ、そうそう。またお姫様の様子を見て来てもらってもいいかしら? あれから食事も睡眠も碌にとってないみたいなの」

「分かった……」


 憂鬱な要件に頷いて。終わったらオレもしばらく休息するとしよう。




 魔術のスクロールを使って転移を行う。一瞬のなんともいえない浮遊感と共に再び足の裏が床を捉えれば、開いた視界には最早見慣れた廊下の光景。

 その、窓のない閉塞感の強い道をしばらく歩けば、やがて一つの扉の前で足を止める。

 ノック。それから声を掛ける。


「オレだ」


 返事はなし。しかし微かな気配は扉の奥から。

 相変わらずかと嘆息して、断り扉を開ける。


「入るぞ」


 中に足を踏み入れる。すると次の瞬間、音もなく首許へ数本の短剣が宙に浮く形で添えられていた。

 これも風変わりな挨拶だと納得する事にして、部屋の奥に座り込む少女に視線を向ける。


「ポュテだ。気が向いたら食べてくれ」


 サーターアンダギーのような揚げ物。アルマンディンで食べて以来だ。少しは興味を持ってくれるといいんだが……。

 敵意はないと判断してくれたのか、静止していた短剣が足下に落ちて金属音を響かせ、魔力となって虚空に消失する。

 少しだけ部屋を見渡せば、壁に床にと幾つかの穴が開いていた。前来た時も思ったが、あれは一体どうして付いた傷だろうか。


「調子はどうだ?」


 問い掛けにも身動ぎ一つしない彼女。

 そんな姿に、ちょっとした荒療治のつもりで、これまで避けていた名前を出す。


「ミノのことだが────」

「…………………………」


 俯いていた顔が上がる。

 そうして、そこにあった顔に、曖昧に考えていた次の言葉を見失った。

 まるで光を吸い込んで離さない濁った穴のように。意志を失ったがらんどうの瞳が、そこにあった。

 見つめているとこっちの気分が悪くなってくるような底の見えなさに、自らの行いを反省して咄嗟に謝る。


「……悪い…………」


 それがスイッチだったかのように、再び顔を伏せる。仕草に、ところどころ跳ねた長い黒髪が一房滑り落ちた。

 そうして俯く彼女は──カレン。しかし今の彼女には、オレの知る賑やかさの欠片もない。その姿は、感情と言う物をそっくりどこかに落としてきてしまったかのような、人形とも言うべき空虚さだ。

 カレンはミノが倒れてしばらくして目を覚ました。最初はミノの腰に魔剣の姿のまま差さっていた彼女だった。そんなカレンを、とりあえずミノの容態を見る為にと退避した後で腰から外そうとした所、まるでそこに固定されているかのように一切の干渉を受け付けなかった。チカ曰く、彼女の願いがそうさせているのだろうと言っていた。

 仕方なくそのままミノの体を調べたりと過ごして、今も尚変わらないあの状態のままだと分かった翌日。それまでチカやシビュラ、そしてユウ、オレ、《共魔》に至るまで、全ての声を無視し続けていたカレンが、何の前触れもなく魔剣の姿を解いてようやく顔を見せた。

 そんな彼女の容態を診ようと、傍にいたマリスが手を伸ばしたところ、その体をいきなり壁にまで吹き飛ばして拒絶し、逃亡。事態に気付いてカレンを落ち着かせようと総出で追いかけた後、彼女はまるで最初からそこに抜け道があったように空間転移の魔術を行使して目の前から姿を消した。

 更にその数日後。偶然からカレンが発見された場所が、今オレがいるここ。《甦君門》の拠点の一つ……その一室だった。

 ここは、カレンがミノと出会う前、チカと共に暮らしていた部屋だと、イヴァンが後から話して聞かせてくれた。

 それからカレンはずっと、部屋の奥で膝を抱えて座り込み、食事も睡眠も殆どせずにこうして過ごしている。

 因みに、一度だけあった食事と睡眠は、チカがここを訪れた時だ。その時はチカ一人で、後から訊いてもその事実を口にするだけで、彼女は他に何も教えてくれなかった。

 魔剣であるカレンは、寝食をしなくとも魔力さえあれば存在していられる。だから食事も睡眠も必要ないと言えばそれまでだが、今までの彼女を知っていると、分かっていても納得はしにくい状況。

 そして彼女がこうなった理由として考えられるのは、やはり一つだけ。

 先ほど反応を見せた通り、ミノが倒れてしまったからだ。

 カレンがミノを特別に思っていた。そんなのは、見ていれば分かる事。

 そしてそれが本当はどういう事なのか…………見ていて分かっても、オレ達は何一つ理解していなかったのだと痛感したのだ。

 今のカレンを動かせるのは、ミノだけ。そしてきっと、ミノを元に戻せるのも────


「……なぁ、カレ────」


 何を言っていいのかは分からない。けれどもこのままでは駄目なのだと手を伸ばす。

 が、それを跳ね除けるように足下へと飛来したのは短剣の雨。見下ろせば、そこには今し方ついた傷以上の穴が、数えるのも億劫なほどに開けられている。

 今最もカレンに近づけるチカでさえ、ここから先には行けない。無理に踏み込めば、今度こそオレ達が見つけられないどこかへ消えてしまう。

 そう分かってしまうから、このたった数メートルの距離が途方もなく遠く感じるのだ。

 どうしようもなく、中途半端に挙がった手を力なく下ろす。すると先ほど突き刺さった短剣が音もなく霧散した。


「……また様子を見に来る。気が向いたら食べてくれ」


 まるで供物のように包みを床に置いて下がる。そこには前と、その前と、その前と……。これまで持ってきた幾つもの包みが、まるで墓標のように鎮座していた。

 その事実に流石に耐えられなくなって、逃げるように部屋を出る。と、丁度様子を見に来たらしいユウとぶつかりそうになった。


「…………カレンさんは……?」

「変わらずだ」

「そうですか……」


 泣き出しそうに小さな声で呟いて。それからユウと足並みを揃えて歩き出す。

 沈黙を嫌うように……痛みを分け合うように、隣の彼女がぽつりと零した。


「魔瞳でどうにかならないかって、試そうとした事があるんです。けれどその前に見えた物に、思わず息が止まって。……次の瞬間、カレンさんに殺されそうになりました」


 冗談のように乾いた笑みの声。壁にも付いていた傷跡は、そういうことだったらしい。


「……何を見たんだ?」

「タイムマシンです」

「は…………?」


 一瞬何を言っているのか分からずに間の抜けた声を落とす。


「ミノさんが前に話してくれました。そう言う想像上の代物が、ショウさんの世界にはあったんですよね?」

「……それはそうだが…………」

「カレンさんは、記憶の中を何度も旅してました。わたしの目や、ヴェリエさんの魔力遡行(そこう)でも追いつけないほどの、凄まじい時間の流れを魔術で……思いのままに再現して。ミノさんと出会って、契約して。わたしやチカさん、ショウさん……色々な人に出会って、《渡聖者(セージ)》になって。そして最後に、ミノさんが倒れる瞬間までを。何度も。何度も。何度も」


 ユウの言葉に想像して、吐きそうになる胸の奥をどうにか堪えた。

 オレも似た様な経験があるから、何となく分かる。

 自分の所為で、ミノを自殺に追いやった。その後悔までの道筋を、延々と回顧して。自らを追い詰めて、苛んで、苦しいほどにもがいて。……それでも救われなくて。

 そんな、生き地獄の時間を知っているから、分かる。

 きっとオレの比じゃないくらいにそれを繰り返して。しかも、自分が救われるきっかけになったミノとの出会いから、今の絶望へと叩き落される思い出を、余す事無く……。

 それはまるで、消えない過去を己の体に刻み付けるように。

 カレンがミノと出会った時にそうだったと言う…………全身契約痕だらけの、自らの証を身に纏うように。

 今度は自らの意思で、そんな時を幾星霜(いくせいそう)も繰り返す。

 心が壊れるまで。心が壊れても。

 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 (さなが)ら、出口のない迷宮で、最初から存在しない問題の答えを探し続けるように。

 何度も。


「ただ思い返すだけなら誰にでも出来ます。けどカレンさんのあれは、実際にその経験を、体感として繰り返すもの……。原理としてはわたしの幻術に近いですかね」


 ユウの魔瞳は幻を魅せる。意識に割り込み、相手に空想を経験させる事で意識と体の動きを乖離(かいり)させる。

 当人にとってはそれが現実と同じ経験を、想像の中で行う。その間本物の体は糸の切れた人形のように殆ど動かなくなってしまう。

 傍から見ると、魔瞳に掛かった相手がいきなり動きを止めて項垂(うなだ)れると言う、奇妙を通り越して若干恐怖な絵面。

 あれの内側で起きているのと似た時間の繰り返しを、カレンはずっと続けているのだという。


「精神が壊れたりしないのか?」

「…………大丈夫です」


 そう、言い切って。それから────


「カレンさんは最初から壊れてますから」


 非情に、告げた。


「……一度壊れた物は、元には戻らないんです。犯した罪が、消えないように…………」


 自戒するように自らの掌を見つめるユウ。彼女は過去に、己の契約者を刺している。自由を求めて足掻いた末に、普通の道を外れている。

 だからこそ常識と言う物に執着しているのだと、いつだったかの宿で聞いた覚えがある。

 そして、オレも……誰もが、普通ではない何かを背負って、今に至る。

 オレの……ミノの周りには、そんな奴らばっかりだ。


「だから必死にもがいて、飾って、隠すんです。普通の振りをするんです。……ね?」


 同意を求める声には、頷けないまま。廊下に響く足音が、やがて反響をやめる。


「戻りましょうか。今は、今やるべき事を、するだけです」

「……あぁ」


 薄い笑顔のまま、ユウが力任せに鉱石を握り潰す。まるで、無力な自分を呪うように。

 破片で掌が切れることも(いと)わずに術式を行使すれば、再び転移の浮遊感に包まれて現実へと戻ったのだった。




              *   *   *




「《波旬皇》も最初はただの魔物だったんだ。普通に魔力溜まりから生まれた、その一つ。ただ、《魔統地(カムロドゥノン)》には魔力が沢山あったから、中位までは時間を掛ければどんな魔物もなれた。……なれるのと、抑えの利かない感情に振り回されるのはやっぱり違うけれどね」


 それでも《波旬皇》は中位になった。人の言葉を少し理解して、時には魔術を扱う事もある存在。魔剣持ち一人でぎりぎり均衡するその力は、力を持たないただの人間には天災と同じ脅威だ。


「中位になると直ぐ、《波旬皇》は魔術が使えるようになった。その頃じゃ珍しくもなかったけれどね」

「そんなのを相手に前線を維持してたのか。人類は今より強かったんじゃないか?」

「個はそれほどでも。けれど人には連携と言う大きな優位があった。長く続いてきた戦いの経験が様々な物を洗練させ、効率的な力の運用によって強大な力に立ち向かっていたんだ。……今のコーズミマは、四つの国が牽制し合ってる所為で連携が取れていないだけだよ」


 例え連携が取れたとしても、過去に(つちか)われた研鑽を再現する事はきっと難しいだろう。

 ……だからこそ、《甦君門》はそれをどうにかしようとしていたのだ。


「《波旬皇》が得た魔術は少し風変わりでね。そこが他の魔物との一番の違いだったかな」

「どんな魔術だ?」

「名付けるとしたら、そうだね。安直だけど……《共喰(トモハミ)》」


 《共喰》。そうアーサーが指で綴り、直ぐに別の読みと、能力に察しがつく。


「共食い……同胞喰らいか」

「あぁ」


 魔術は基本自らの魔力で道理を通す力。その結果を対象に作用させて現実として(もたら)す。

 しかし《波旬皇》のそれは異質だ。


「本来、同属喰いはまずありえない。そんな事をしてもメリットがないからね」

「魔物は魔具と同じ生まれ方をする。一箇所に魔力が集まって、時間を掛けてそれが形を持つ。例え吸収出来たとしても、糧にはならない。一度に吸収出来る量は変わらないからな」

「そう。普通ならばそれは、魔物の数を減らすだけ。例え同胞を喰らっても、吸収できるのは塵一粒にも満たないような魔力の欠片の、残滓の、なりそこない。……けれど《波旬皇》の《共喰》は食べると言う行為ではなく、魔術だ。それが《波旬皇》と言う個の中で当然の道理ならば、魔力によって再現される」


 水は重力に引かれて落ちる。それは誰もが認めている事実だ。それが世界の(ことわり)だ。

 しかし本気でそれを否定し、違う法則があると信じ切る事ができれば……。それは新たな魔術になる。

 もちろんそんな事はほぼ不可能に近いだろう。既にある真実を覆すなんて、普通であれば出来ない。

 ただ、その普通ではない何かを、《波旬皇》は持っていた。

 魔力は吸収しようとした分だけ吸収される。自分はそれが出来る。それこそが世界の真理。

 そう、本気で信じたのだ。

 だからそんな魔術に目覚めた。

 ともすればそれは、概念さえ書き換える、彼女と同じ力────


「結果、《波旬皇》は急速に力をつけるに至った。そしてそれは、並の魔物の枷を容易に突破した」

「高位の更に上……それが《波旬皇》か」

「後にも先にも、《波旬皇》以外にそこに到達した魔物はいないけれどね。まぁそう考えてもいいんじゃないかな?」


 魔物の王。それは他を統べて称される名ではなく。

 同胞の屍と言う椅子に座る、埒外の存在の事なのだ。

 故に《波旬皇》は《波旬皇》足りえる別格。魔物とは名ばかりの、概念へと進化した。


「そこまで圧倒的な力なら、簡単に世界を()く事もできただろ」

「だがそれを阻んだ者がいた。かの物と同等に異質な、因縁の存在。この世の理から外れた物と対を成す、この世ならざる者」

「転生者か」


 《波旬皇》とほぼ同時期に生まれたという、偶然の産物。

 互いに何かが作用したのかも知れないし、本当に偶々(たまたま)時期が重なっただけなのかもしれない。

 しかしだからこそ、それらは対になり得たのだ。


「過去唯一《波旬皇》と肩を並べた埒外。最初の転生者、」

「アーサー」


 途中から気付いていたその真実を突きつければ、彼は満足そうに笑みを浮かべる。

 まだまだ分からない事は沢山存在する。

 けれども一つだけ確かなこと。それは彼の語り口調を聞いて最初に感じた事。


 彼は、《波旬皇》の名前を出した時、とても懐かしそうにしていたのだ。


 加えて《波旬皇》と一緒に封印されていた事。ここが《波旬皇》の中であり、彼の空間である事。

 それらを合わせて考えた時、真っ先に思い浮かんだのが、アーサーが《波旬皇》と関係の深い誰かだという想像。

 そしてそれは、今まで話を聞いてきた限り、一人しか思いつかないのだ。


「どうかしたかい?」

「……いいや。なんでもない」


 だったら言いたい事は最後に言ってやろうと、今は呑み込んで。催促するように続きを紡ぐ。


「で、最初の転生者ってのはどんな奴だったんだ?」

「……彼は転生者だった。だからミノのように特別な力を持っていた」

誡名(かいめい)は?」

「その頃はまだ誡名はなかったんだ。まぁ、救世主って呼ばれていたみたいだけれどね」


 それはまた随分な羞恥プレイだ。何が悲しくてそんな恥ずかしい肩書きに振り回されなきゃならんのか。まだ《渡聖者》の方が言い訳ができて楽だ。


「彼の得た力は、魔術を使う力。それだけだ」

「それだけか。大した力だな」


 魔術は、人一人では使えない。それを可能にするのが、アーサーが転生に際して手に入れた力だった。


「どの程度なんだ?」

「そうだね……君の尺度で言えば、チカとシビュラを合わせて考えてもらえれば丁度いいかな」


 つまり、多彩で大規模な魔術を、魔力の許す限り使えた。……それは確かに崇められても仕方のないことかもしれない。

 何せアーサーは、魔物の天敵が人の形をしている存在なのだから。


「彼の登場によって、当初、戦線は大きく動いた。けれども、どう足掻いても彼は一人だ。幾ら強力な能力を振るえても、一度に相手の出来る数は限られている」

「ましてや人だからな。魔物みたいに不眠不休ってのは無理な話だな」

「《魔統地》はその中心部に行くほど魔力濃度が濃くなっていく。であれば当然、新たに魔物が生まれる頻度も高くなって、魔物の質も高まって、最終的に質と量との勝負になる」


 日中で進んだ三分の一を夜の間に戻される。確かに進んでいるが、進めば進むほど敵の勢いは増し、やがて仲間が付いてこられなくなり、押し切る為の戦力も疲弊して行き、抵抗は益々強くなる。


「それにその頃人類は知らなかったんだ。魔障を介して魔物が知恵をつけているなんてね」

「長引くほど魔物が知恵をつけて合理的な行動を取るようになる。……最初に攻め切れなかった時点で失敗してたんだな」

「転生者がもう二人もいれば結果は違っただろうね」


 無理な事を。

 俺がこの世界に来て二年を過ごしたが、その間新たに現れた転生者はショウだけだ。

 しかもアーサーの時の転生は、魔術的には偶然の産物。今ではそれぞれの国が莫大な人員を割いて年単位の占いに興じているが、彼の時代にそんなシステムはない。


「結局、人類は彼を旗印に掲げても魔物を討滅し切る事はできなかった。だから次善策として、次の矢を(つが)えようとしたんだ」

「話の流れから考えると、転生者の意図的な召喚か?」

「もちろん簡単な話ではないけれどね」


 転生者の召喚は、異世界で死んだ魂を拾い上げ、このコーズミマに再び縛り付けるというもの。

 それはつまり時空間以上の何かで干渉する行いに他ならない。

 ともすれば魔術には不可能な、復活の魔法のようなそれ。

 想像し、形として理解出来る流れに乗せなければ、魔術は結実しない。

 異世界の存在を証明し。そこと繋がりをつくり。魂を捉えて。この世界に連れてくる。

 さぁ、論理的に説明し、再現してみろ。……そう言われて出来る者がいるのならば、俺も会ってみたい。


「そしてそれには、タイムリミットがあった」

「アーサーの死か……」


 アーサーがいる事によって均衡は作られている。彼がいなくなれば前線は崩壊し、瞬く間に人の世界は魔物に蹂躙されてしまう。

 それくらいには既にその頃、魔物も知恵をつけていたのだ。


「彼の死が先か、第二の矢が先か。最早人類に残された道は一つしかなく、一丸となってその理想を夢見た」


 現実的に考えれば、前者が高確率。だがこの世界には魔力と魔術が存在する。カレンのような、想像を現実にする埒外が存在する。

 もしその、概念すら超越する理不尽にさえ手が届けば……。その可能性が、全くないわけではないが──


「……結果は?」

「アーサーの死。それが────先だ」


 当然。そう過ぎるのと同時、どこか悔しさも覚える。

 俺には無関係な過去の出来事なのに。……入れ込みすぎか? それとも何かに感化されたか?


「そんなに惜しんでくれるなんてね」


 顔に出たか、目の前の金髪が寂しそうに笑う。次いで彼は、「けれども──」と続けた。


「大丈夫。それは君の感情じゃない」

「……どういう意味だ?」

「ここはわたしの世界。そして、魔力の源は感情だ」

「………………」

「こんな話を語って聞かせるのは初めてだし、何よりミノは思っていた以上に聞き上手だ。お陰で楽しくなって、色々思い出してしまってね」


 アーサーが染み入るように自らの胸へと手を置く。すると辺りの空気が微かに澄んで、胸の奥にあった感情の昂ぶりが薄れていった。


「思いのままがここでは形を成す。だからそれは、わたしの感情だ。悪かったね」


 そうしてそこで、気付く。彼がわざわざ、そう口にした意味を。

 けれどもそのまま馬鹿正直に口にするのは気恥ずかしくて、誤魔化すように顔を背けて零す。


「……魔力の源が感情なら、俺のものまで持っていくなよ?」

「────────」


 一瞬、面食らったように目を見開いたアーサー。

 それから彼は、人情味溢れる温かい笑顔を浮かべて俺を見つめた。


「……あぁ、心得た。だからこそこうして話をする意味がある。そうだろう?」


 同意を求められても。

 捨ててきた素直さの所為で自ら頷くなんて出来ない。けれども、彼の言いたい事は十分に分かる。


「言っとくが。俺とお前は違う。別人の、全く何の繋がりもない、赤の他人だっ」

「もちろんっ」


 ……あぁ、クソっ! 何もかも見透かしたような返事しやがって!


「……けど、だとしたらその後はどうなったんだよ。アーサーがいなくなれば人の世界は…………」


 逃げるよう本題へと戻る。


「もちろん彼だって馬鹿じゃないさ。ただで死ぬなんて事はしない。期待を背負うってのは、それだけの重責と共に死ぬという事なんだからね」


 その実体験に口を挟むつもりは毛頭ない。彼はしっかりと役目を果たした。そう誇って死んだのならば、誰であろうとその生き様に文句を言う権利はないはずだ。


「何をしたんだ?」

「彼はこの世界初めての転生者だった。そして人類は、同じ物を求め、再現しようとした。……けれども異世界や転生なんて、意識の外側の概念に干渉する術は見つからなかった。だから人柱を用意した」

「…………」

「そう。ミノの考えている通りだ。彼は自らの体に魔術を刻み、自分の死を()って異世界との繋がりを作ったんだ」


 異世界からの来訪者が、死んでこの世界の道理に当て嵌まるとは限らない。そんな考えに……希望に縋ったのだろう。

 自らの知識で辿り着けなくとも、当人ならばそれを証明できるかもしれない。

 魔剣もなく、魔術も扱えず、偶然の召喚に助けられた過去の人類には、それしか手段がなかったのだ。

 無人島で携帯電話を作れと言われたら、魔法を願ってしまうのも無理はないだろう。

 例え作れたところで電波が届かなければ何の意味もないしな。


「もちろん死に急いだわけじゃない。ただ、いつ死んでもいいように準備をしていた。その次善策が、細く儚い糸を紡いだ」


 アーサーの死。それに起因する、異世界との繋がりの構築。

 偶発的ではない、確かなそれは、明確な意図を持ってそこに辿り着いたのだ。


「とは言っても最初のそれは、今各国で使われている転生召喚の術式の足下にも及ばないものだったけれどね」

「……人一人では到底(まかな)いきれない膨大な魔力を必要としたとかか?」

「それも一つ。そして繋がりが細すぎる故に、転生に見合う者がいたとしても、それを捉えられなかったりね。わたしもここから見ていて知ったことだ。彼等自身はそれにも気付かないまま、次に訪れる小さな奇跡を願い続けた。もうそこにしか、彼らの未来はなかったからね」


 一体どれだけの人が犠牲になったのか。そんなのは想像をすることこそが無粋で、失礼だ。

 唯一つ分かるのは、アーサーが遺した物の上に、今の俺がいるということだけ。


「事が大きく動いたのは魔剣が生まれた後だ。魔剣との契約によって魔術を扱えるようになった者達が、その術式を改善して……それを繰り返した結果が、今コーズミマにある転生召喚の術式。まぁ、あれでも結構な数見逃してるけれどね」

「因みにどの程度だ?」

「んー…………正確な数までは分からないが、1億分の1は堅いだろうね。……君のいた国の人々が一度に全員死んだとして、その中から一人だけがもしかしたらこの世界にやってくる可能性が、無きにしも(あら)ず。って言えば伝わるかい?」

「……途方もない確率だってのはよく分かった」


 俺がこの世界に来て二年でショウがやってきた。それが平均的な間隔なのかそうでないのかは分からないが、まさに言葉通りの天文学的な確率と言う事だろう。

 転生を夢見て自殺するくらいなら宝くじを買った方がまだ夢があるだろうな。そもそも俺はそんなこと考えてすらいなかったが……。

 それに、こういうのは大抵、一度も考えた事もない奴が選ばれるのだ。不平等万歳。


「昔は更にそれ以下だった。それでもその夢に縋りたかったのさ」


 きっと地球一個を天秤の片方に乗せても傾くことはなかったのだろう。

 それほどに世界は危機に瀕していた。全く想像がつかないが……それでも人類は絶えなかったのだ。


「ミノが今こうしてわたしの目の前にいるように、世界はどうにか保たれ続けてきた。その都度、まるで均衡でも保つかのように転生者を呼び出してね。残念ながらわたしにもその裁定基準は分からない。……君はここに来る時、何か気付かなかったかい?」

「生憎と記憶にはないな。もしかしたら神様的な何かに呼ばれて、その上で転生の際に記憶でも消されたか……。考えても仕方ない、悪魔の証明だ」


 今更どうでもいい。……が、一つだけ、可能性があるとすれば…………。


「ただ、俺に限って唯一賭けてみてもいい馬鹿げた話ならあるぞ?」

「ふむ?」

「カレンに呼ばれた」

「採用だっ!」


 彼女なら、それくらい難なくこなしてしまうかもしれない。

 そう思えてしまうから、カレンはカレンなのだ。


「……ふふ、そうか。いいね。だからこそだ」

「無駄話してないでとっとと先に進めろ」

「OK。えっと、何処まで話したかな……」


 くつくつと肩を揺らしたアーサー。結構ツボだったらしい。

 俺としても、この世界に来て過去最高な出来の会心のジョークだな。反吐が出るっ。


「まぁ、そんなこんなで転生召喚に関してはこの瞬間より随分と後に実を結ぶんだけど、今はいいとしようか。……彼の死によって世界はまた大きく動く事になる。特に、人類にとってはより面倒な方向にね」


 戻った話が、不穏な空気を纏う。

 直ぐに意識と思考を重ねて傾ければ、辺りの景色がまた変化した。

 そこは戦場の中心。一瞬、こちらに向かってきている魔物の軍勢に構えたが、それが現実ではないと考え直してどうにか冷静に辺りを見渡した。

 と、そこで異変に気付く。


「……なんだ、これは…………。魔物が、隊列をなしてるのか……?」

「あぁ、見ての通りだね」


 飾らない肯定が、嫌に気味悪く背筋を撫でる。


「魔物が知性を付けた結果さ」

「タイミングが悪いな……」

「そう(しか)るべきタイミングでもあるけれどね」

「どういうことだ?」


 魔物は魔障を介して人の知識を少しずつ得る。時が経てばこうなる事は何となく予想できていた。……だがアーサーの言葉に引っ掛かりを覚える。

 それではまるで、この統率が狙ったように引き起こされたように聞こえる……。


「狙ったわけではないだろうけれどね。こうなった原因は、彼の死に際にまで(さかのぼ)る」

「アーサーの……?」

「彼の死によって人は転生召喚の術式を一応構築することができた。そしてそれと同時に、《波旬皇》にも得るものがあったのさ。……とは言っても、術式とは無関係なのだがね」

「もったいぶるな」


 わざと迂遠(うえん)に語って楽しんでいる様子の金髪に苛立ちを募らせれば、相変わらず(かわ)すのが上手な彼は怒りが臨界に達する前に掌を返す。


「それじゃあ簡潔に。……答えは──《波旬皇》がアーサーを喰ったからさ」

「アーサーを喰った……?」

「より厳密には彼の魔力の記憶を、と言う事になるんだろうけれどね」


 嘆息するように肩を(すく)めて気安く告げるその当人。

 結構驚愕の事実だろうに。どうしてそう飄々(ひょうひょう)としていられるのか。その神経が理解できない。


「アーサーの死。それは単純に、《波旬皇》に敗北し、その体ごと食べられるという結末を辿った。かの者には、その素養があったからね」

「《共喰》か……」


 同属を喰らい、それを糧に成長する、《波旬皇》特有の魔術。

 まず前提として、魔物は魔力を蓄える事でより強大な存在へと成長する。……ならばその魔力とは、別に魔物でなくてもよいのだ。

 同属を喰らっていたのは、魔物が魔力の塊として効率がいいから。

 そしてそれと同様に、同じく成熟した魔力は、《波旬皇》の格好の餌となる。

 例えば……一人で魔術を扱えるほどに卓越した、魔力の担い手とか…………。


「彼は死と同時に、《波旬皇》に喰われ、吸収された。かの者からすれば、相対する同格への敬意と手向(たむ)けだったのかも知れないね。敵と認めたからこそ、勝者として敗者の全てを奪う。その権利を余す事無く行使した。ある種清々しいほどの高潔さと混沌さだ。中々真似できないね」


 そう語るアーサーもまた、《波旬皇》の事は敵として認めていたのだろう。

 そうでなければ拮抗して前線が膠着(こうちゃく)することはない。

 彼らは……メローラとヴェリエのように、種族を超えたよきライバルだったのかも知れない。

 その時を生きていない俺には、想像でしか語れないことだが……。


「その結果、彼の魔力が蓄積していた記憶が、《波旬皇》にそのまま流れ込む事となった。……魔力に記憶が宿ると言うこと自体は、君も知っての通りだね」

「あぁ」


 ユウやヴェリエがそうしていたように、魔力は記憶と共にある。その為、魔力の流れを遡って、宿った記憶を回顧する事が出来るのだ。

 ならば、魔力そのものを直接取り込んだ場合、付随するその者の記憶までをも自らの物として受け入れる事になるはずだ。


「様々な魔術を自在に扱う力。そして、人の先頭に立って戦い続けた、その知恵の結晶。アーサーを喰らう事によってそれらを得た《波旬皇》は、その瞬間から本当の意味で魔物の枠をはみ出したんだ」

「……それで人が使っていた集団戦を知ったのか。面倒な置き土産を遺してくれたもんだな」

「文句は勝手に喰って物にした《波旬皇》に言ってくれ。わたしは悪くない」


 確かに、アーサーが死んだ後に起きた出来事ならば彼に責任は無いのかもしれないが。だったら最も《波旬皇》に相対した者として、そうならないように対策くらい講じておいて欲しいものだ。詰めが甘いというか……。


「都合よく対策が出来ればよかったんだけれどね。記憶そのものをどうにかする魔術は使えなくてね。……そうだろう?」

「………………」


 不躾(ぶしつけ)に思考を読み、指摘されて押し黙る。

 記憶への干渉。それが出来ない事に関しては、俺もよく知っている。

 もしそれが可能であれば、こうなる前にチカの記憶が戻っていたはずだからな。

 因みに、ユウやヴェリエが可能とする魔力に宿る記憶を覗くと言う方法。あれは魔力を介してそこに宿る記憶と言う過去を写真のように追憶しているだけ。書き換えているわけではない。

 魔力の記憶を覗き見るのと、記憶そのものを(いじ)るのは全くの別物だ。


「それで《波旬皇》が集団戦を知ったのか」

「集団戦と言うか、人がこれまで積み上げてきた戦術や戦略と言う概念その物だね。加えて《波旬皇》は、魔物の中でも頭一つ以上抜けた存在だ。そもそも同属で争うという事を殆どしない魔物にとって、《波旬皇》に逆らうと言う事はまずありえない」

「それ故に擬似的な指揮系統も構築されるわけか……」


 実際に魔物が人のような連携をしていたわけでは無いのだろう。

 ただアーサーを喰らう事によって得た知識を応用し、一見無差別な魔物の動きに僅かな流れを加えることで大きな一つへと昇華する……。

 言わば、スタンドプレーから生まれる連携を、《波旬皇》は上手く活用したのだ。


「時間が経てば、それに呼応する魔物も増えてくる。魔力を蓄え、高位になれば人の言葉も解せる。全体では無いが、この頃から一部では魔物が徒党を組み始めたり、《波旬皇》を羨むように個に主体を置くような魔物も増えてくる。結果、人から見れば、知能を得た魔物が統率を取って襲ってきたように見えただろうね」


 人の側からすれば堪った物ではないだろう。

 《波旬皇》と拮抗していた英雄たるアーサーが消え、次なる転生者だっていつ来るか分からない状況。

 魔物が人と同じ土俵で、人以上の力を振るうという状況。

 そんなのは最早、丸腰で人の味を知るライオンの群れの中に放り込まれたのと同じ事だ。

 人の側に、抗する術などありはしない……。


「……それでよく人の世界は残ったものだな。まさか直ぐに次の転生者が現れたのか?」

「そんな都合のいい事は起こらなかったさ。けれども、都合が悪くなり過ぎる事もなかった」


 迂遠な言い回しに視線で催促すれば、彼は肩を竦めて一つずつ説明する。


「まず、前線は後退した。しかし前線が下がるという事は防御を固められるという事でもある。その為、広範囲に掛けて戦線を維持していた彼の時代よりは、幾分か守りやすくはなったんだ。例え戦力や戦意がある程度(くじ)かれてもね。そこはやはり、人の執念の賜物(たまもの)だろう。そしてそれが可能だった理由こそが、魔物の側にある」

「《波旬皇》がある程度操ってるんじゃないのか?」

「あぁ。けれどそれは多少干渉しているだけで、完全な連携ではないし……そもそも《波旬皇》は前線に出てこなくなったからね」

「…………どうしてだ?」

「それは、《波旬皇》がどう足掻いても魔物だから。そして、知恵を得てしまったからだよ」


 知恵を得て更に強大になった《波旬皇》。だが、それこそが弱点だとアーサーが言う。


「ミノ、魔物の行動原理は?」

「……魔力。その根源たる負の感情だろ?」

「あぁ。だったらその行き場は何処になる?」

「それは人の………………まさかっ……!?」

「そうだ。《波旬皇》は気付いてしまったんだ。人類を滅ぼしてしまえば、己の存在意義がなくなってしまうとね」


 ずっと、考えていた。考えても、分からないままだった。

 そもそもの話、魔物は一体何を目的にその力を振るっているのか。

 それは、とても単純で。魔力が感情から生まれているという話を聞いた時に、気付いていてもおかしくなかった可能性────


「負の感情の塊である魔物は、その衝動を────ストレスを発散しなければ満たされない。そして同時に、際限ない欲求が更なる魔力を……感情を求め、蓄え…………また大きな衝動に突き動かされるようになる」


 それではまるで、魔物こそが被害者のように……。


「その悪意をぶつける先として、人類には存続して貰わないといけない。そう、これは────」

「人が自らの負の側面と向き合い続けるだけの、不毛な争い…………」


 始まりは、始まりから。終わりなど存在しない。

 人が人である故に……感情の生き物であるが故に、このシステムは壊れはしない。

 魔物とは、人の映し鏡。だからこそ────


「魔物が、人を真似るのは…………」

「魔物が人の感情から生まれ、魔物は人の一部だからだ」

「────────」


 …………いいや、もっと前。そう……魔術が感情の昂ぶりで変化すると、知っていたはずなのに。

 魔術を魔力に。魔力を感情に。そう考えが至れば、この構図は、見えていたはずなのに。

 どうして今まで思い至らなかったのだろうか。

 そうだ。俺はいつだって冷静に、合理的に────自らが決めた『感情』に突き動かされてきたのに!


「だから《波旬皇》は、自らの力を表立って行使する事はなくなったんだ。彼自身が抱え込んだ感情をぶつけるに足ると判断した、それ相応の好敵手が現れるまではね」

「…………魔物に……《波旬皇》に生かされてたってことか……」


 呟きに、寂しそうな表情を浮かべたアーサー。それから彼は、同情するように惰性を紡ぐ。


「一度は考えたみたいだよ。自らの存在の根源である感情……それを発する人類がいなくなれば、この苦行の輪から解放されるかもしれないとね。けれど直ぐに答えに至ったんだ。……そんな事をすれば、最終的に自分も消えてなくなってしまう。──消滅なんて、負の感情の中で最も恐ろしいものだからね」


 そうだろう? そう問う様に、透き通った青色の瞳が俺を見つめる。


 ────自ら選ぶ死なんて、生きている限りで最も価値のない選択肢だっ 


 脳裏に蘇る自分の声。

 だからこそ、理解してしまう。

 魔物は────《波旬皇》は、生きているのだと。


「それで戦線が必要以上に押し込まれなかったのか」

「結果、人類はギリギリで抵抗を続け、どうにか絶滅を(まぬが)れて歴史を紡ぎ続けることになる。次に来る転生者を希求しながらね」


 待ったところで、その人物が召喚され、脅威に……好敵手になれば、《波旬皇》が前線に出てきてストレス発散相手として潰されてしまうだけ。

 最も弱かった、アーサーを取り込む前の《波旬皇》を倒せなかった時点で、人類が一対一の末の勝利を勝ち取る未来は既になかったのだ。

 勝つ(ごと)に敵を知って強くなる、なんて……一体どこの主人公かと。それが魔物の親玉だというのだから、酷い話だ。


「……それでも人が諦めなかったのはなんでだ?」

「それは知らなかったからだ。《波旬皇》がそんな力を持っているなんてね。もしもっと早くに気付いていれば、人類は諦めていたかもしれないね。……知らなかったからこそ、希望が持てたんだ」


 いつやってくるか分からない転生者。その転生者さえ糧にして強くなる《波旬皇》。

 確かに、この循環に気付いてしまえば、途中で抵抗を投げ出していたかもしれない。

 知らぬが仏。素晴らしい言葉だな。


「とは言えここまでが序章……《波旬皇》が《波旬皇》足るその理由だ。そしてここから、物語は次の局面へと移り変わっていくんだよ」


 自らの死を語り終えたアーサーが、ここからが本番だというように楽しげな声で紡ぐ。

 彼は乗り気だし、俺にも聞く理由がある。既にお腹は結構一杯だが、どうにか頑張って耳を傾けるとしよう。

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