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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
緑柱騒擾、魔魂鳴動
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第四章

 城内をしばらく歩くと人の気配を感じる部屋を一つ見つけた。ノックをすれば、扉越しに意識がこちらに向くのを肌で覚える。

 それだけの人数が集まっているのだと納得すれば、呼吸を整えてノブを捻った。

 殺到した視線が、剣呑(けんのん)さを纏って俺を射抜く。個々は魔剣とも契約をしていないただの使用人だと言うのに、これだけ集まると魔物にも匹敵する存在感になるのだと新発見をしながら。

 割れた人垣の間を真っ直ぐ歩けば、窓から外を眺めるガハムレトが背を向けたまま尋ねた。


「……エレインはどうした?」

「逃げられた」

「そうか」


 どこか落ち着いた声に、彼も何となく察していたのかも知れないと勘繰る。


「一応()くが、足りない顔は?」

「三つ。それが全て、彼女の仕業なのだろうな」

「なら方法論としては間違ってなかったわけか」


 それに先んじて逃走経路確保の為に向こうから仕掛けてきたのだ。

 が、今更ながらに思う。もしこの場でエレインを糾弾していたら、ここにいる使用人たちを盾にされたかもしれなかったのだ。そう言う意味では、彼女達を巻き込まずに済んだのかもしれない。

 …………いや、だからこそあの時エレインが襲ってきたのか。争いになって、無関係の者達を巻き込みたくはなかったから。

 そう確信出来る裏づけが、一つだけあるのだ。


「仕事が(とどこお)っているんだ。彼女達は業務に戻らせてもいいか?」

「あぁ。けどその前に一つ。……疑うような事をして悪かった」


 中には《共魔(ラプラス)》の件で集められたと知っている者もいるだろう。そうでなくとも、仕事を一時中断してこうして一堂に会してもらい、犯人として疑ったのだ。その過ちを謝罪する筋くらいは通さなければ。

 《渡聖者(セージ)》と言う肩書きは、無法の理由では無いのだから。


「訳は追って説明する。皆、迷惑を掛けてすまなかった。各々の仕事に戻ってくれ」


 不満が燻りつつ、雇い主であるガハムレトに逆らう気はないのか、ぞろぞろと部屋を出て行った使用人たち。

 すると途端に寒く、寂しくなった部屋の中から、本題に入る。


「やっぱり気付いてたのか?」

「平等に疑っていただけだ。その中でも特段怪しい気配がなかったら警戒もしていた。それだけの事だ」

「綺麗に隠れすぎてたって事か」

「あの子だけ、事前の調査で綻びが見つからなかった。言動に隙がなさ過ぎたのだ」


 ベリルを掌握しようと完璧に溶け込んでいた。結局最後の最後まで明確な尻尾は掴めなかった。

 だからこそ、ガハムレトは完璧すぎる事こそが怪しいと踏んでいたのだ。

 言われてみれば確かに。作られた歪さと言うのは、目に見えない形として存在していたのだ。


「そうでなければいいとも思っていたがな。…………それよりも、無事か? まさか君こそが彼女の成りすましと言うわけではあるまいな?」

「《共魔》の第一目標はカレン達の確保だ。それが出来たならエレインはここには来ないだろ?」

「そうだな。姿形を偽れると言うだけで十分な脅威なのだ。疑った事は謝ろう」

「俺だってあんたを疑ってるんだ。それで手打ちだろ?」

「ふむ、そうだな」


 ガハムレトを疑っているのは現在進行形。目の前の彼が逃げた振りをして先回りをしたエレインの変装と言う可能性もない訳では無いのだ。

 ……が、こうして言葉を交わして分かる。彼は最初からガハムレトのままだ。エレインの変装と言う事はない。


「それで、これからだが。どうする?」

「判断を仰ぎたいのは私の方だ。《共魔》に対する知識や経験は君が持っている。彼女を捕まえられなかった時点で、国としての機能に期待はしてくれるな」

「……なら質問を変える。まだ《共魔》は潜んでると思うか?」

「可能性がないとは言い切れない。何か確認する手立てはないのか?」

「あればこんな方法とってない」

「それもそうか……」


 顔を伏せたガハムレトが、思案するように沈黙を捏ね回す。そんな彼に、一つだけ別角度の質問をぶつけた。


「人工魔剣の件だが」

「うむ?」

「俺が言ってた男三人以外は、全員犯罪者か?」

「あぁ。絞り上げたら殆ど吐いた。これまで罪を犯して捕まえられていなかった者達だ。あの様子なら、残りの者達も同じだろう」

「そうか」


 彼の言葉で確信と共に認識が少し変わる。

 人工魔剣で利用されたのは犯罪者ばかり。となると、やはりあの時俺が騒動に居合わせたのは偶然ではない、か。


「……ミノ、何の話?」

「いいように利用されたんだよ。魔物化して暴れた奴らは、あの商人三人を除いて全員が犯罪者。つまりは、世間からすれば死んでもよかった奴らだ」

「それは…………」

「あぁ。当然あの時の俺達は知らなかったことだ。だからこそ、俺達なら助けると踏んで巻き込まれた。その結果、魔物化した奴らは国に引き取られて、過去の罪状を理由に引っ立てられた」

「でもどうして?」

「さぁな。そもそもエレインがあの魔剣をばら撒いた証拠はない。だからあいつの仕業とは断定できないが……やり口が一緒なんだよ」

「一緒……?」

「エレインは他の使用人を巻き込まないように俺達を隔離して仕掛けた。魔物化の被害者兼加害者は、元々捕まって(しか)るべき者達だった。どっちも、やり方にこそ問題があるが、無益な事じゃない。ともすれば、勝手に容疑者に仕立て上げて身の上を改めようとした俺達の方法の方が非難されかねないくらいだ」


 そう言えばユウが言っていたか。《甦君門(グニレース)》に攫われたのは、その(ほとん)どが身寄りのない子供だったと。

 その結果がこんな手段で、現実ならばそこに正義があるとは思えないけれども。しかし偽善であろうともただ見て見ぬ振りをし続けているよりは、余程何かの役に立っているのかも知れないとは思う。


「これで感謝しろとか言わない辺りが最高にクソッたれだけどな……」

「だが、事実としてあの騒動のお陰でこれまで確証のなかった犯罪者を捕まえる事ができたのは確かだ。そんな事をして彼女達に何の得があるかは分からないがな」


 ……認めてなど、やるものか。結果がどうあれ、《甦君門》がやった事は騒乱の種蒔き。《波旬皇(マクスウェル)》の復活をちらつかせ、国を乗っ取ろうとし、セレスタインの長を誘拐して、自由を踏み(にじ)りカレン達を利用しようとした。

 これのどこに正義がある? 本気で世界をどうにかしたいのならば、もっとやり方はあったはずだ。

 それを違えた時点で、《甦君門》は世界に仇為す存在でしかない。どれだけ高尚な理由があろうとも、この感情が全てだ。


「んで? これからどうするんだ?」

「最早手を(こまね)いている場合ではないだろう。こちらから打って出る」

「どうやって? 《甦君門》の拠点でも知ってるのか?」

「幾つか候補はある。まずは先遣隊を送って確認し、それから本体で一気に攻め込む」

「殆どノープラン……とはいえ、手掛かりがないよりはましか」


 これまでその一歩を踏み出せなかったのは、エレインが傍に潜んでいた事と、攻め落とすに足る戦力がなかったからだろう。

 《共魔》の脅威度に関してはショウからの連絡で知っていたはず。ユークレースから情報を送った段階で、イヴァン、メドラウド、ラグネル、カイウスと、分かっているだけで四人の《共魔》が《甦君門》にいたのだ。

 一人でも破格の力を持つ相手が四人。ならば国を挙げて総攻勢を仕掛けたところで確実性はどこにもない。

 だから準備をしながらまずは(ふところ)の懸念を振り払い、俺達がベリリウムへ来るのを待っていたのだ。

 順当に行けば、それぞれの国から《共魔》を退かせて。その上で四国が協力して事に当たれるから。

 ガハムレトは最初から、この構図を狙っていたのだ。


「どれくらいで動ける?」

「……早くて三日。だが、策は必要だ。馬鹿正直に正面から突っ込んでも無為に被害が出るだけだろう」

「どうにかして無力化するか、完全な奇襲を仕掛ける必要性があるか……」


 何か取れる策は……。そう考えてガハムレトの思考を追いかけようとしたところで、背後の扉が音を立てて開く。

 振り返ってそこにいたのは、あからさまに染めた金髪の男と、右目を眼帯で覆った少女だった。


「よう、今帰ったぞ」

「……ここに来るまで少し変な魔力の流れがあったんですが、何かありましたか?」

「…………エレインが《共魔》だった」

「まじか」

「……逃げられましたか」

「あぁ」


 部屋を見渡してその姿がない事にユウが安堵したような息を吐いた。

 もし捕まえていたならば、情報の奔流に押し潰されていた事だろう。

 そこで何かに気付いたようにユウが顔を上げる。


「……もしかして、わたしたちがセレスタインに行ったのって」

「想像通り厄介払いだ。全部掌の上だったって事だな」

「そうですか」


 幾ら魔瞳(まどう)の力でもただの言葉の真偽を見抜くことは出来ない。だからこそ、魔の無関係な部分で先制攻撃を食らった事に悔しさを覚えているのだろう。

 エレインの力で魔術や魔障を封じられた時の事を思い出して痛感する。俺達は、いつからか魔の力を過信して頼りすぎていたのだと。だからそれ以外の、人が本来持つ(したた)かさと見えない力にいいように翻弄されたのだ。


「ま、そこに関しては今更悔やんでも仕方ない。他にも色々あったが、それは後回しだ」

「おっと、そうだった。陛下にはこいつ。そんでもってミノにはこいつを預かってきたぜ」

「弾き出されたのも無駄じゃなかったって事か」


 言いつつ、受け取った便箋の裏に(つづ)られた名前を見て少し構える。

 差出人は、ベディヴィア・セミス。結局、俺があの森を飛び出してから一度も会ってない、現セレスタイン帝国の代理皇帝だ。

 個人的にはそんなに親近感を覚えないのだが、実感のない繋がりはある。彼には、一応感謝もしているのだ。


「何が書いてあるの?」

「……ゼノの居場所が分かったらしい」

「ほんとっ?」

「そして既に、三国が動き出しているようだな。皇帝代理殿も新女王陛下も、まだ国を預かって日は浅いのに優秀な事だ」


 ガハムレトに宛てた書簡にも似た様な事が書いてあるらしい。

 しかし、そうか……。帝国内の混乱や、即位式典などでそれぞれ忙しいだろうに。ベリルに張っていたアンテナで既に事態は把握しているらしい。彼らが動くトリガーになったのは、この前の人工魔剣の騒動か。

 恐らくは潜伏する《共魔》を捕まえる為の戦力として送ってくれたのだろうが、この際理由はどうでもいい。形だけでも四国が協力できるという体裁は、一気に局面を動かせる。


「直ぐに準備をしよう。他の国とは私の方で連携を取る。君達はその尖兵だ」

「あぁ。用意が出来たら言ってくれ」

「うむ!」


 エレインと言う想定外はあったが、どうにか前には進めている。

 《甦君門》に対処の時間を与えない為にも、できるだけ早くこちらの体勢を整えて攻め込むのが吉だ。

 今回の事をきっかけに四国が更なる連携を取る事が出来れば、世界の裏側に住まう《甦君門》を相手にもできるはず。そのためにも、今俺に出来る事を最大限にしなければ。




 準備が整うまでの間、俺達に出来る事と言えば準備だけだ。とは言ってもいざという時は戦って相手の思惑を(くじ)くしか出来ることのない俺達には、鍛錬とケアくらいのもの。

 このコーズミマの世界でも類を見ないほどに最高峰な魔剣であるカレンやチカは、刃(こぼ)れという物を心配する必要はない。あるとすれば全く歯が立たず両断されてしまう事だろうが、そうなればもう打つ手はない。考えるだけ無駄な想像だ。

 だから少しでも腕を磨き、最大限のパフォーマンスが出来るように整える……。まるでアスリートのような事前準備に、しかし実力よりも重要視すべきものが俺達にはずっと付き纏っているのだと直視すれば、丸一日掛けて剣を振るう事を放棄し、宿に腰を据えて向き合う覚悟を決めた。

 それは、精神的な問題だ。

 カレンの力は想像を実現させる刃。その気になればきっと一振りで城さえも両断できるポテンシャルを秘めた彼女は、しかしとても不安定で気分屋だ。

 盲目に結果だけを信じて感情を(たぎ)らせる事が出来れば、向かうところ敵なし。だが少しでも迷いで曇れば、相手に付け入る隙を与える事になるのだ。

 絶対に斬り捨てる修羅となれ。例え敵が炎であっても、虫や幽霊であっても、散弾であっても。一切退かず突き進め。己の死と迷いを斬り伏せろ。……そう言われて本当にその通りに心を殺せる者がいたら、そいつをカレンが斬る事は出来ないだろう。

 しかしそれを求められるのがカレン自身であり、彼女は少しの事で情が芽生えるなんとも人間らしい魔剣だ。

 感情が力の根源であるからこそ、その僅かな芽が摘みきれない。

 ……もっと具体的に言えば、《共魔》と言う『人』の形をした敵に、躊躇を覚えているのだ。

 彼女はずっと、殺生という物を避けてきた。旅の道中刃を交わした中で、命の危険さえ孕んでもその相手の命まで侵すようなことはしてこなかった。

 もちろんそれは美徳だ。無益な折衝は俺だって望むところではない。

 しかしどうにもならない事だって沢山ある。もし相手が決死の覚悟で全力を賭したとき、カレンはきっと刃を鈍らせる。その結果にこちらが負けを背負い込むような事があれば、俺がその悪意に(さら)される。

 俺を失いたくはないのに、敵を傷付けたくはない。そんな二律背反の、甘い優柔不断。それこそがカレンの根幹にある思いなのだ。

 拭いきれないその思いは、きっと彼女が俺と出会うまでに経験した数多の過去の所為なのだろう。

 《枯姫(コキ)》。《重墨(エモク)》。《宿喰(スクイ)》。契約を交わした相手を枯らし殺す、御しきれぬ魔剣。

 自分ではどうする事も出来ないその本質を諦め、ただただ現れる一人を待ち己を殺し続けてきたカレン。100人を越える契約は、彼女の深い部分に刻み込まれ、今でも消えていない。

 俺と契約してしばらくは、悪夢に(うな)される事も沢山あった。過去の、思い出したくもない凄惨な記憶が呼び起こされ。果てに俺さえもカレンを置いて死んでしまう────そんな夢を、何度も見たらしい。

 チカと再会してからは随分と鳴りを潜めていたが、それでも時折は酷い顔で朝を迎える時もあった。

 契約を交わして消えたのは表面上の結果だけ。カレンの中ではまだ、過去と折り合いが付いていないのだ。

 そして事の一端にはきっと、俺も関係しているだろう。

 俺の過去に同情して理解を示そうとしてくれたカレン。そんな彼女に、俺は理解を示してこなかった。

 それはカレンの過去だからと。俺が自分の過去を捨ててやり直しを決意したように。最終的には自分で背負い込んで納得するしかないのだと、彼女を追い詰めていたのだ。

 けれどもショウと再会して気付いた。過去は、変えることも出来なければ、拭い去る事も出来ないのだと。見て見ぬ振りをしながら、別の言い訳で塗り潰すしかないのだと。

 それ以上の何かが必要なのだと。

 カレンの力は絶大で。俺はずっとそれに頼ってきた。魔力がなければ何も出来ない木偶(でく)の癖して、それを深くも考えず振り回してきた。考えているつもりで、全く足りていなかった。

 そして今回も。《共魔》の力に対抗するにはカレンの力が必要だと、無意識に縋ろうとしていた。

 エレインと戦って、魔力がなければ何も出来ないのだと気付いて、ようやく理解した。

 カレンは俺の力になってくれていたのに。俺はカレンの力になれていなかったのだと、今更ながらに自覚した。

 愚かにもほどがある。都合がいいにもほどがある。よくもこんな関係で今日まで生きてこられたものだと、恥ずかしさと共に憤怒が湧き上がる。

 独りでなど、到底立っていられていない。俺は、カレンに…………彼女達に支えられてようやく呼吸が出来ていたのだ。

 そう、気付いてしまったから。だから、やめる事にしたのだ。

 認めよう、彼女達を。カレン達は、魔物だ。魔物が剣に宿った、魔剣だ。そして何より────人に憧れ、真似る者だ。

 アニミズムなんて考え方がある。八百万なんて価値観がある。

 だったら、魔剣を人として見て、接して何が悪い。

 同じ言葉を解するのだ。それぞれが違う考えを有し、ぶつかって、共感もするのだ。

 生きているのだ。

 それを個と────人格と呼ばずして何と言う?

 魔剣には人格がある。カレンにも、チカにも、そしてシビュラにも。例え仮初だって、それはしっかりと意味のある形だ。だったらそれが魔術で作られたものであろうと、別の生まれ方をしたのだろうと、魂としてのあり方に貴賎などあってたまるものか。

 そして、だと言うならば。魔物だって意思を持つのだから、生きていて。それ以上に考えてそこにいる得体の知れない輩だって、同じように考えるべきなのだ。


「《共魔》は、人じゃないかもしれない」

「うん」

「だが、生きてないわけじゃない」

「うん」

「だったらそれは、その考え方には、しっかりと理由があるはずだ」

「うん」

「ならまずは、そこを理解するべきだろ? その上で、あいつらのやろうとしてる事が間違ってるなら、挫けばいい。殺したくないなら、殺さなくていい」

「うん」

「できるだろ────《珂恋(カレン)》」

「うん!」


 一日掛けて、カレン達を話をした。そうして、知った。

 カレンはやっぱり、(なまく)らだ。だからこそ、全てを斬るのではなく、道理の通らない悪事だけを裁く事が出来るのだ。

 ……そもそも、最初から気持ちは一つだったのだ。俺だって出来ることなら血を流したくなんてない。平穏こそが、最も望む未来だ。

 だが、いざという時は斬ると、そう意気込んで。そうしてカレンと思いが擦れ違っていた。

 けれど、そうではないのだ。斬りたくなければ、斬らなければいい。殺さないと言う不退転の覚悟で、曲がらずに貫き通せば……きっとカレンとならば別の道が斬り拓ける。

 (ことわり)を書き換えて。道理を覆して。そんな理想論を、刃のその先に描いて手繰り寄せる。

 想いを力に換え、現実にする《珂恋》。

 だったらやはり、彼女の力の本質は斬る事なんかではなくて。

 《珂恋(想いを繋ぐ)》。それがきっと、彼女の真髄なのだ。




「で、どうしてあんたがいるんだよ……」

「他に適任者がいないのだ。安心しろ、戦いの心得はある」

「はぁ……」


 溜め息一つ。その理由は、今目の前で完全武装するガハムレトの姿だ。

 今回の《甦君門》襲撃作戦。その総大将兼指揮官が、ガハムレトらしいのだ。

 どうして国が乗っ取られるかもしれない状況でその長が椅子を放り出して最前線に向かおうとするのか……。これまでそれなりに気の合ってやってこられた相手だと言うのに、最後の最後で盤を思いっきりひっくり返しやがって。

 薄々感づいていたが、どうやら俺は人を見る目がないらしい。まさか一国の主がこんな脳筋だとは思わなかった。何でこれで今までやって来られてたんだよ。


「いいじゃない。旗印が近くにいる方が指揮も上がるって物よ?」

「敵の脅威度が分かっていて。それと同等か、上回る戦力があるならの話だろうが、それは。身の安全が確保できない。がら空きの国の中枢が狙われるかもしれないって時に取る策じゃないだろっ」

「じゃあミノはぐうたらと椅子に腰掛けて遠方から指示だけ飛ばすようなのがお好きなわけ?」

「………………」

「あたしとしては一緒に戦ってくれる無能の方が嬉しいわよ? 守り甲斐はあるし、目の届かないところで勝手に死ぬなんて事はない。生き続けてくれれば部隊の戦意も上昇し続けるもの」

「よく言った、メローラ殿っ! 上に立つものが規範にならずして、どうして戦に勝つことが出来ようか!」


 随分前のめりな作戦なことだ。しかもどうやらガハムレトも同じ面持ちらしく、脳筋同士が無為に意気投合している。

 だからって自分の命を軽視して(かえり)みないただの突撃を策だとは認められない。折角各国からやってきた戦士が一つの旗の下に集おうと言うのだ。これをきっかけに四国の今後を考えて協調性と言う物をここから積み上げればいいではないか。

 ……なんて言ったところで、既に出来上がっているガハムレトの耳に届く気配はない。

 仕方ない。細かい所はこっちでどうにかするとしよう。

 一応、《渡聖者》と言う肩書きを買われて千騎長とか言う階級で隊を預かる事になったのだ。配下の騎士達を無駄死にさせないように、出来る限りの策を利用するとしよう。


「……ユウ、参謀補佐を頼む」

「荷が重いです……なんて言ってられる状況ではないですね。出来る限り頑張ります」

「因みに、集団戦の経験は?」

「ありますよ? 魔瞳で一掃した事が」

「…………訊いた俺が馬鹿だった」


 対人や、中位以下の魔物ならばそれでどうにかなるかもしれないが、相手は《共魔》。まず意味がない。

 ならばやはり、俺やショウが持つ知識でその場限りに凌ぎ続けるしかないか。ユウには《共魔》に効果があるかどうか、魔術による代替が可能な事はないか等の、魔に関する部分での助言を求めるに留めておく事にしよう。


「問題がないなら出立するぞ」

「問題だらけだが……もういい。先に《甦君門》片付けて、その後で文句言ってやる」

「それは楽しみだな」


 何故笑っていられるのか。……だからこそ軍の象徴としてはアリなのかもしれないが、個人的に余り命を預けたくはない上官だ。


「では行くとしようかっ!」

「カレン、大丈夫か?」

「うん、大丈夫。もう迷わないよ。だからミノも、私を信じてよね」

「あぁ」


 差し出された手を取れば、彼女は上機嫌に微笑んで魔剣となり手の中へ収まる。実物以上に重く感じたのは、覚悟の証か。

 しっかりと受け止めて腰に差せば、次いでチカとシビュラがそれぞれ人の形を解いた。

 後ろ腰にクリス。胸元に手の平大の本。


『チカとシビュラも問題ないな?』

『うん』

『頑張る』


 簡素な声に小さく息を吐く。それから用意された馬に跨り顔を上げれば、騎乗を確認したガハムレトが一つ頷いて声を張り上げた。


「世界に平穏の序章をっ!」


 また大仰な煽り文句なことで。集まった千人近くの騎士達が大地を揺らさんばかりの雄叫びを上げ、走り出したガハムレトについて行軍し始める。

 急ごしらえとはいえ、四国の連合軍。これが世界の裏側への第一矢。(つが)えた先のその的に、打倒すべき名を抱いて突き進む。

 さぁ、反撃の鏑矢(かぶらや)を放て!




 突撃に万全を期す為に一日をかけての行軍。途中休憩をしながらも、ベディヴィアが手に入れた情報を下に目的地へ向かえば、そこは人里離れた山の中。その中腹に開いた洞穴の先へ、人工的な扉を設えて人の目から隠れるように施設のようなものが存在していた。

 恐らく《甦君門》の本拠地と言う事はないだろう。ベリル連邦への足掛かりとして用意した活動拠点だ。

 ……いや、もしこういう拠点が各国にあるのだとすれば、ここは本拠地の一つと言う事になるか。

 どちらにせよ敵の居城なのは間違い無いと。周辺地域の安全確保や人や物の出入りを確認して突入のタイミングを計る。

 因みに人も物も出入りは殆どない様子だった。まぁ空間を行き来して長距離移動が可能なのだ。馬鹿正直に出入り口を使うわけがない。

 だからこそ、逆にここが《甦君門》の拠点であると言う確証が高まったのだが。

 そんな風に考えながら色々策を練っていると、準備が整ったらしいガハムレトが呼びに来た。


「行けるか?」

「あぁ。先陣切るのは俺でいいんだな?」

「いきなり最高戦力をぶつけてくるかもしれない。そう言ったのは君だろう? だからこそこちらも最大戦力をぶつける」

「ま、そういうわけだ。とりあえず後ろに下がっててくれ。本当にやられたら守りきれると確約はできない」

「分かった」


 深呼吸一つ。そうして気持ちを切り替えれば、警戒と言う警戒を全開にして真正面から突入する。

 周囲を見て回った結果、他にも二箇所入り口が見つかった。そちらにはそれぞれメローラとショウ達がスタンバイしている。

 三箇所から同時に襲撃を掛け、一気に鎮圧する。それが単純にして最も効率的な方法だと判断が下ったのだ。包囲殲滅といえば格好は付くだろうか。

 作戦の完遂を脳裏に描きつつ出入り口にまで辿り着く。どうやら向こうから先に仕掛けてくるといったことはないようだ。

 個人的に自分から仕掛けるよりは巻き込まれた方が建前も必要なくて楽なのだが……。まぁいい、今回は国が……コーズミマという世界がバックにいるのだ。《渡聖者》としてその役目を果たすとしよう。

 カレンに手を掛け、一呼吸。振り抜く動作で目の前の扉を両断する。すると────


「ミノ・リレッドノーっ!」


 そこにいたのはゼノだった。

 彼は俺の姿を見るや否や、助けを求めるように一歩を踏み出す。その姿に、しかし────


「ふっ……!」

「っ!」


 考える暇なくカレンを問答無用で振るっていた。

 が、刃に斬った感覚はない。見ればゼノが後ろに跳び退いていた。


「……そうか。そう言うのも警戒しとくべきだったな」

「本物だったらどうするつもりだったんだ?」

「別に。斬るだけだ。ゼノだってそれくらいの覚悟は既に決まってるからな」

「なるほど。これは一本取られたな」


 ゼノの顔で、声で、砕けた口調の誰かが喋る。

 目の前の彼は、《共魔》の誰かが姿を偽った存在。ゼノ本人では決してない。

 別に確証があった訳ではない。ただ、もし《共魔》であったら……と想像が巡ったら、斬ると言う選択肢以外はその瞬間に消滅していた。それだけだ。

 ……まぁ一応峰での攻撃にはしたのだが。


「で、お前は誰だ?」

「ご挨拶だな。あれだけ派手に突き落とした顔を忘れるのか?」

「メドラウドか」

「ご名答。正解者には、ご褒美だ」


 言うが早いか、彼が指を鳴らす。すると次に瞬間、爆薬でも埋め込まれていたかのように辺りが内側から破裂し、巨大な殺意がこちらに襲い掛かってきた。


『魔物っ!』

『中位と低位』


 メドラウドの力。魔物を操る、《志率(シソツ)》。

 彼は集団戦に特化した指揮官、物量の権化。幾らカレンが埒外でも、その刃は一つ。圧倒的な数を前にすれば面倒を強いられる。

 だからこそ、頼るのだ。これは最早一人の戦いでは無いのだから。


『ミノっ』

『分かってる!』


 後ろから隣を駆けた二つの影。それぞれが握る武器が、魔物に抗するだけの力を秘めた魔剣。カレンほどではなくとも、確かな戦力だ。

 勇敢な名も知らぬ戦士の応援に感謝をしつつ、メドラウドに向けて疾駆する。

 カレンと交わした約束は一つ。《共魔》と言えど生きているなら、殺さず無力化して事を収める。そうすれば悪事を(ただ)し、償わせる事も出来る……と言うのは俺が言った事だったか。

 何にせよ、別に斬り捨てなくても事態の終息には向かえるのだと気持ちが定まれば、後はその理想を刃に乗せるだけだ。


「はぁあっ!」

「っとぉ。流石にそれに斬られるのは遠慮したいなぁ。幾ら《共魔》とは言っても概念さえ覆されたらどうしようもない」

「だったら白旗振ったらどうだ?」

「無益な戦いは趣味じゃない。そうしたいのは山々だが、こっちにもちょいと都合があってな。悪いが退くつもりはない」

「そうか。だったら押し通るだけだ……!」


 既に交わす言葉はない。握ったカレンと共に小さく呼吸を整え、距離を詰め想像を振るう。

 有益な対抗手段として斬られない事が最前提なメドラウドからすれば、こちらの攻撃を止める手立ては反撃で俺を行動不能にするしかない。が、当然そんなことは承知しているわけで、向こうからの攻撃はチカとシビュラが魔術を用いて(ことごと)くを防御していく。

 そうなれば必然、こちらが一辺倒に攻め立てると言う図が出来上がるのだ。

 しかしながら、何事にも完璧は存在しない。その一瞬を待ち続けるように、メドラウドも攻撃の手を休めはしない。

 彼の力は魔を操ると言うもの。どうやら(あらかじ)め魔物達を複数従えていたらしい彼は、それを逐次投入してこちらの攻勢を崩そうと試みてくる。

 敵としてはそれほど脅威でない魔物だが、無視するわけにもいかない。時折混じる中位の魔物は、後ろに控える騎士達には中々に酷な相手なのだ。

 それらは最低限削ぎ落しながら、手の空いた隙にメドラウドを狙うと言う繰り返し。

 そんな戦いの中で、もう何体目か分からない魔物を切り伏せた直後メドラウドの姿を見失った。


『透明化』

『チカっ!』

『うん!』


 シビュラの声に辺りへの第六感を張り巡らせる。微かに捉えた気配にカレンを振るえば、何もない目の前で切り裂くような手応えが広がった。

 次いでチカの魔術が作用し、認識から逃れていたメドラウドがノイズの奥から姿を現す。


「流石にもう通用しないか。……だが、だからこそやり用はあるってものだ。なぁ?」

『下がってっ!』

「っ!?」


 途端、足下から膨れ上がった魔力の奔流。見ればそこには、先ほど切り裂いたらしい剣が一振り転がっていた。

 直ぐにそれが人工魔剣だと気付けば、床に亀裂が広がるほどの脚力で思い切り背後に跳んだ。

 竜巻のように暴走した低位の魔物達が行き場を求めて荒れ狂う。と、次の瞬間その衝動が意志を持ったようにこちらへ向けて殺到した。メドラウドが《志率》で荒れ狂う衝動を操っているのだ。


『ミノ、手を出して!』


 脳裏に響いたチカの声。考えるより先に従って左の掌を前に突き出せば、そこから魔法陣が展開された。

 こちらに向かってきていた魔物の軍勢がその魔法陣にぶつかると次々に解けて消えていく。


『魔物は魔力の塊。だったら解けるよ』


 魔術編纂(へんさん)が得意なチカ。ならば当然、その根源たる魔力にだってある程度の干渉は出来る。

 ……そう言えば、記憶を無くす前のチカが直接触れた魔物を霧散させていたのを思い出す。記憶は無いが、あれと同じ事をしているらしい。


『助かった。任せていいか?』

『もちろん』


 防御をシビュラに。人工魔剣の後処理をチカに。攻勢をカレンに預け、その軸として一足飛びに距離を詰める。

 どこからともなく人工魔剣を取り出したメドラウドが、それを構え一瞬だけ切り結んだ。次いで両断された剣先が暴走するのを、今度はチカが先んじて封じ込める。


『今の……無理やりに耐えた?』

「一瞬に全力を引き出したのか」

「ご名答。魔を操れるってのはこういうこともできるのさ。とは言っても、自分より強大な相手まではどうにもならないけどな」


 言うが早いか、両手に人工魔剣を持ったメドラウドが秘められた能力を一瞬に賭して攻めに転じる。

 刹那とは言え、刃が切り結べばこちらが押し返される事もある。溢れ出る莫大な魔力を身体強化に転じて、メドラウドがただただ愚直に人工魔剣を振るい続ける。

 一瞬圧され、しかし斬り捨てれば暴走。それを操って(けしか)ける。トリスほど次から次へといった具合では無いが、人工魔剣を一本一本徹底的に使い潰すメドラウドは、折り重なる攻撃が波濤のようだ。

 ……だとしても、斬るという一点においてカレンが遅れをとるわけにはいかないと。数合防御に専念し想像を尖らせ、カレンと呼吸を合わせて一瞬の未来を目の前に紡ぎ出す。

 人工魔剣の最大限さえも超越する一閃。刀身に紅の魔力を宿し振るわれた軌跡が、俺とメドラウドの間に距離を作った。


「……それがトリスの言ってた因果と概念を斬り捨てる絶対の刃か…………。確かに、これはどうしようもないな」


 だからこそ────。そう続けたメドラウドの言葉の先を聞き取る事は出来なかった。

 前ぶれなく膨れ上がった頭上の巨大な気配。建物の天井を崩落させて降り注いだ殺意に、何よりも体が反応してカレンを振るった。


「圧壊スるッ!!」


 肌を(やすり)で撫でるような、魔力の宿った声。瓦礫の向こうに見えたのは、家ほどもある魔力の巨体だった。

 振り下ろされた拳の圧迫感に一瞬怯んで、斬り捨てから受け流しにシフト。受け止めた一撃を、手首を捻って衝撃を往なし、直ぐ傍の壁へと誘導した。

 途端、爆発でもしたように抉れ、礫が飛び交う。咄嗟のチカの防御のお陰で負傷は(まぬが)れたが、そこに存在する脅威に吐き捨てた。


「高位の《魔堕(デーヴィーグ)》か……!」

塵芥(じんかい)へと()セっ!」

「っ……!」

『ミノっ!』


 ただの拳が空気を押し退けて襲来する。まるでトラックでも突っ込んでくるかのような存在感に、けれども脳裏へ響いたカレンの声を頼りにどうにか気持ちを持ち直して。信じて振るった軌跡の後に、背後で大きな衝撃が響いた。


「お見事」

「が……!?」


 刹那、耳元で囁かれたメドラウドの声。咄嗟に体が防御姿勢を取ったが、それを貫通する一撃が横殴りに体を襲った。

 壁に打ち付けられそうになった体が、チカの機転で助けられる。体を覆ったのはゼリー状のなにか。魔術で作り出したそれで衝撃を殺してくれたらしい。


『助かった』

『次来る』


 息吐く暇もなく《魔堕》が破壊の衝動と共に視界を覆い尽くす。

 しかし既にそれも脅威ではないと。しっかりと握ったカレンを振り抜けば、押し潰そうとしていた巨体が目の前で上下に分断された。

 人で言う所の上半身が頭上を、下半身が隣を滑るようにして通過し、一拍空けて大爆発を起こす。斬られた瞬間、最期の抵抗で自爆を試みたらしい。

 爆発、それがさっきの《魔堕》の力だったらしい。あのまま押し潰されていればその攻撃に飲み込まれて至近距離から食らっていただろう。戦闘が続行できなくなっていたかもしれない。

 が、切り抜けたという事実が自信となって胸に宿る。例え高位の魔物が相手でも、カレンの刃ならば一太刀の下に斬り捨てられる。彼女は、高位以上の資質を秘めた魔剣だ。


「ふぅむ。高位を操るのは難しいな……。とは言え中位では足止めにもならないか」

「諦めたらどうだ? どれだけの戦力で攻め入ってるのか理解してないわけじゃないだろ?」

「確かに。千人程度ならまだどうにかなるが、これ以上増援がやってくるのは面倒だ。それに何より、君を止められない」


 彼にしてみれば高位の《魔堕》は大事な手駒。それを失ったと言うのに、しかしメドラウドは微塵も狼狽(うろた)える様子はない。

 ……まさかまだ何か隠し玉があるのか?


「だが、これならどうだ?」

『後ろっ!』

「おっと、物騒な挨拶だね」


 カレンの声とほぼ同時。背後に出現した存在感に向けて振り向き様の薙ぎを払う。

 絶対を願って振るった一閃。だがしかし、その刃が事も無げに指先で挟んで止められた。

 次いで響いた至近距離からの声に、警戒以上の嫌悪が背筋を這い上がった。

 手首を返し、蹴りを放つ。しかし猫のような身のこなしで地面を蹴って体を捻ったその影が、またしても俺の背後へ着地すると、子供でもあやすように背中を軽く押して遠ざけた。

 振り返り、構えて見据える。にこやかに微笑む白い短髪と翡翠の瞳の男。今になって思えば、俺が最初に遭遇した《共魔》であり、《甦君門》。


「イヴァン……」

「おや、名前を覚えててくれたのかい? それは嬉しいね」


 警戒心を微塵も感じさせない飄々(ひょうひょう)とした態度で答えるイヴァン。その隣にはいつの間にかエレインの姿もあった。

 ここは《甦君門》の拠点のひとつだ。だからその可能性は考慮していた。だがこれは少し想定外だ……《共魔》三人相手は突破口が見つからない。


「おい、イヴァン。折角捕まえられたのにどうしてそう遊ぶんだっ」

「ごめんごめん。嬉しくってつい。だってようやくここまで来られたんだ。それを喜ばなくてどうするって言うんだい?」

「そもそも、遊んでたのはどっちですか? 貴重な高位の《魔堕》まで使い捨てて……」

「こんの……イヴァンの腰巾着の分際でぇ……!」

「やりますか? いいですよ? 貴方とは一度決着をつけた方がいいと前々から思ってましたので」

「上等だこらぁっ!」

「こーら。喧嘩しない」

「……ごめんなさい」


 一度退いてメローラかショウと合流した方がいいだろうか。

 そんな風に考える視界の先で、まるで緊張感のないやり取りが交わされる。その気になれば俺などいつでも取り押さえられる……そう、言外に語って威圧するように。


「全く。悪いね、恥ずかしいところを見せた」

「………………」

「おっと。話をしに来たんだ。まずは剣を下ろしてくれよ」


 確かに、ここで事を構えるのは得策ではない。まずは隙を見つけなければ。

 考えて微かに切っ先を下げた、その刹那。首筋に音も気配もなく冷たい刃が押し当てられていた。カレンを握る手首も固定される。

 俺の背後にずっといた人物。その顔を想像して呟いた。


「……ガハムレト」

「悪いな、ミノ・リレッドノー。そういうことだ。あとイヴァン、冗談も大概にしてくれ」


 諦めと共に悟る。


「ベリルは既に《甦君門》の支配下か」

「君がこの世界に来た時はまだだったんだがな。君の友人……ショウがベリルに転生した時は既に()が大統領の代わりをやってたってわけだ」

「そっちが本性か。……周りが気づいてなかったところを考えるに、ガハムレトの名前は大統領本人のものだな? お前は?」

「ペリノアってんだ。よろしくな、ミノ・リレッドノー」

「この状況でよろしく出来る関係があるなら教えてもらいたいな」


 ……駄目だ。詰んだ。カレンを振るえない状況で《共魔》四人は相手に出来ない。

 チカとシビュラの魔術も、先ほどから辺りに立ち込めている魔力の霧の所為で殆ど効果がないだろう。これはエレインの仕業だ。

 そうだな。既に乗っ取られた後って言う可能性は考えておくべきだった。それを失念していたのは俺の落ち度だ。


「……で、話ってのは?」

「やっとだな。私達は至って真面目にその可能性をずっと提示し続けてたのに。……けれどもまぁ、こうして君が来てくれた事で面倒な手間が一つ(はぶ)けたのだからいいとしようか」

「手間……?」

「ミノ・リレッドノー。君には是非見て……そして知って欲しい事があるんだ。そうすればきっと、君たちは手を貸してくれる筈だ」


 ────君達はいずれ、私と共に来てくれる


 過去にベリリウムでイヴァンに会った時に似たような事を言っていたと思い出す。

 あの時から……いや、俺が転生者としてこのコーズミマに生を受け、ラグネルの監視の下、カレンと契約をさせられそうになっていたあの二年前から。彼らはきっと同じ結末だけを夢見て来たのだろう。

 俺はいつしかそのレールに自分から沿って歩いていたのだと、彼はそう言っているのだ。


「ようやくってのはこっちの台詞だ。お前たちの目的……このまま話を聞けば、それを知れるって事でいいんだな?」

「おや、事ここにいたってようやく心変わりかな?」

「話を聞かない事には否定も筋が通らないからな。聞いた上でどうしようもないならそれを潰すだけだ」

「それは結構。しかし、そうすれば────」

「聞いて決めるのは俺の判断だ。そこまで指図される(いわ)れはないっ」

「口答えしないでください」

「っ……!」

「エレイン。私達は脅迫で従えたいわけじゃない。対話で同志を増やしたいだけだ」

「……ごめんなさい」


 辺りを漂っていた霧が集まって俺の右の眼球に向けて針が出現する。イヴァンが(たしな)めれば、エレインは素直に謝って針を消した。……が、こちらを睨むような視線だけは未だ健在だ。

 これまでの言動を(かんが)みるに、どうやらエレインはイヴァンに心酔しているらしい。彼女の目の前でイヴァンに歯向かえば、彼よりも先にエレインが感情で行動に移しかねない。

 ……結構可愛い顔してる癖に性格に難有りとか、絶対色々損してるだろ。


「さて。とりあえず話し合いに臨むその心意気として、武器は閉まってくれるかい?」

「……ショウ達も呼べ。それこそ無意味な戦いだ」

「おっと、そうだね。少し待ってくれ」


 こうなってしまえば外にいる各国の騎士達の協力も得られない。まさに孤立無援だ。ならばせめていざという時に連携が取れるようにショウ達と行動を共にするべきだ。

 ユウの魔瞳はエレインの魔力の霧でも防ぎきれない。それは彼女自身が言っていた事だ。そこから打開の道が見つかれば、まだどうにかなるかもしれない。

 詰みはしたが、リスタートはきっと可能だと考えることは放棄せず。とりあえずは従順な振りをとカレン達を人型に戻す。

 すると最低限拘束は解いてもらえた。……どうやら本格的に対話が目的のようだ。


『ミノ…………』

『言いなりになるのは(しゃく)だが、これであいつらの目的が分かるんだ。今は堪えろ』

『……ん、分かった。ミノのこと、信じてるから』

『あぁ』


 折角カレンと心を通わせて彼女の真髄に手が届きそうだったのに……。全く、ままならない物だ。

 しかしカレンが傍にいればどうにかなると。彼女の力は斬る事が本質ではないのだと、今一度強く胸の内に灯す。

 さぁ、願え。条理を覆す光明を手繰り寄せろ。

 身を寄せてきたチカの頭を軽く撫でながらしばらく待てば、やがて空間を割いてトリスとカイウスが姿を現す。と、その後ろから同じ空間を通ってメローラ達がやってきた。

 どうやらあれは他人も通れるらしい。

 あと、どうでもいいがまた《共魔》が増えた。これで計六人。俺が知ってる限りだと、ラグネル以外の全員だ。他にもいるのだろうか?

 なんにせよ、こちらが集合したところでこの人数の《共魔》をそう簡単に出し抜けるとは思えない。だからこそ、表面上は均衡を保つのだ。


「ミノっ」

「無事か?」

「はい。ミノさんこそお怪我はありませんか?」

「こんな状況だけどな」


 辺りを見渡してショウとユウが口を(つぐ)む。トリス以外はどこかで見た事のある顔だ。それ故に複雑な思いなのだろう。


「もう。あと少しで攻略法が見つかりそうだったのに……」


 悪態を吐くのはメローラ。こんな時でさえ彼女らしいのは素直に尊敬するのと同時に、少し安堵も覚える。


「で? これだけ勢揃いなのはどういうこと?」

「こいつらの目的を聞く事にした。判断は、その後でもできるからな」

「……いいのね?」

「悪意が明確な方が遠慮なく斬れる。それだけだ」

「ふぅん……。ま、分からないではないから乗ってあげる」


 メローラは一貫して、自らの正義で悪を挫く事を信条としている。彼女としても斬るべきが分かった方が気分がいいのだろう。彼女の賛同を得られたのは正直心強い。


「……本気なんだな?」

「あぁ。それに、正直なところこの状況を今から打開できる手も思いつかないしな」

「わかった。ミノがそう言うならオレは従う。ミノの意向が今のオレの全てだからな」

「……ユウはどうする?」

「わたしも、気になっていたのは確かです。彼らとは、縁がないこともないですから。だからわたしはわたし個人で、この眼で見極めます」

「そうしてくれ」

「話は纏まったかい? それじゃあ────」


 静かに成り行きを見守っていたイヴァンが方針の決定を見てこちらへ手を差し出す。

 その瞬間、大地が……空間そのものが重い粘液に包まれたように息苦しくなり、平衡感覚が乱れ膝を突いた。

 地震。そう錯覚する感覚の揺れは、しかし奇妙で。まるで見えない何かに撹拌されているような気味悪さが辺りを支配する。


「なん、だっ……これ……!?」

「まさか……!」


 イヴァンの驚いたような声が何故か鮮明に聞こえる。そのときには既に地震のような揺れは収まっていて、軽い酩酊のようなものが耳の奥で渦を残していた。

 表情を硬くしたイヴァンが焦ったように指示を飛ばす。


「エレインっ、メドラウドっ! マリスの所へ行って確認を!」

「うん」

「跳ぶぞっ!」


 先ほどはいがみ合っていた二人が手を取って空間の奥に掻き消える。マリスと言うのは、名前だろうか。

 全く事情が飲み込めない中、何かを知っているらしい因縁に問う。


「……イヴァン、さっきのはなんだ。何を知ってる」

「焦らないでくれ、順番だ。全ては《波旬皇》の……チカ様っ!?」

「え……?」


 疑問に疑問が重なる。イヴァンが口にした、チカ様と言う呼び方。頭の片隅で、そういえばチカはカレンと一緒に《甦君門》にいて、人工魔剣の開発に(たずさ)わっていたと言う話を思い返して。

 そしてそれ以上に、目を向けて飛び込んできた景色に唖然とした。


「……チカ…………?」

「チカっ!!」


 そこに、チカが倒れていた。まるで人形のように目を開いたまま、身動き一つせず、時が止まったように。

 直ぐに傍から悲鳴のようなカレンの声が上がって、ようやく現実感を取り戻す。

 膝を折って確認するが、外傷はない。ただ、まるで魂が抜けたように呼吸もなく横たわっていた。

 死よりも尚恐ろしさを感じる現実にすっと胸の奥が冷たくなる。

 …………何が……一体、どうして…………。


「メド……! クソっ」

「ラグが診る」


 恐らくメドラウドを呼ぼうとしたイヴァンが、彼がいない事に吐き捨てた。

 次いで動いたのは、先ほどまでそこにはいなかった筈のラグネルだった。どうやらいつの間にか忍び寄っていたらしい。

 彼女はすぐさまチカに駆け寄ると、素早く指先で魔法陣のような物を描いて手を翳した。途端、彼女の掌が淡く魔力で揺らめく。

 立て続けに起きた様々な事に理解が追いつかないままその行く末を見守れば、ラグネルは失態を犯したように小さく「ぁっ……」と声を漏らした。


「……落ち着け、ラグネル。お姫様は?」

「…………魔力が、抜けてる……。意識が薄れて、でも……」


 そうしてラグネルが俺を見る。


「……俺…………?」

「そうか、契約かっ。ミノっ! ありったけ魔力を注いでくれ! 早くっ!!」

「っ……!」


 状況が分からない。しかしこの逼迫(ひっぱく)した状況で、彼らの焦ったような言動で、既に《共魔》だとか疑っている余地はなかった。

 イヴァンの言葉に答える暇も惜しんで胸の奥の膨大な魔力をチカに注ぐ。そこでようやく気が付いた。チカの魔力が底を尽き掛けている。これはまるで、彼女が暴走して存在維持に魔剣化を迫られた時のような存在感の欠落だ。


「……なるほど。お姫様の単独行動がこういう形で身を結ぶとはな」

「どういうことだ?」

「あんたと契約してなかったらお姫様は今頃跡形もなく消滅してたって事だよ」

「っ!?」


 飾らないトリスの言葉にカレンが怯えたように肩を揺らした。

 色々引っかかる言い分はあるが、どうやらチカとの契約が今回はいい方向に転んだらしい。

 まだ全然納得なんていっていないけれども。とりあえず彼らにも理由があってチカを助けようとしたのだとどうにか呑み込んでおく。

 次いで倒れたチカの、開いたままの硝子玉のような目を閉じてやって、ゆっくりと抱え上げる。


「……話も聞く約束だ。一時休戦って事でいいんだな?」

「そもそもこちらには事を構える必要性もその気概も端からありはしないんだがね。しかしそれで納得できるなら提案させてもらおうか」

「なら訊くが、お前達ならチカをどうにかできるのか?」


 脳裏を過ぎった先程の一幕。イヴァンがメドラウドを呼ぼうとしたり、代わりにラグネルがチカの様子を診たり。その言動は、何かしらの根拠があっての迷いの無さだった。

 つまりはこの想定外にも何かしらの手立てを知っているのかもしれない。


「お前らはチカの事をお姫様って言ってたな。元々|《甦君門》にいたチカだ。それくらいに大事にしたいって意味なら、お前らの目的にも何らかの形で関わってるんだろ?」

「そうだな」

「つまりここでチカが消えるのは望んでない。そうだな?」

「……あぁ」


 二度目の返答は、カレンを一瞥しての物。理由はカレンのため? チカがいなくなればカレンが悲しむと知っているから?


「俺としても契約を交わした相手を無為に手放すつもりはない。だから…………もし助ける手立てがあるなら教えてくれ」

「利害は一致してる。頼み事なんてされなくても協力はするつもりだ。その結果に君と理解が深まるならそれに越した事はないからね」

「………………」


 そこまで融和に(こだわ)る理由とは一体……。俺の覚えをよくして一体彼らは何をしようと言うのか。

 その疑問もきっと、もう直ぐ明らかになるはずだと。今はどうにか飲み込んで彼らの手を借りる事にする。

 と、足を出そうとしたところで、それまで口を閉ざしていたメローラが不意に呟いた。


「《ギンカイ》…………」

「ご存知でしたか?」

「やっぱり。そう言う事なのね……」

「……何の話だ?」

「それも追々。まずはお姫様の体を詳しく検査するのが先決だ。いい医者を知ってる。ついてきてくれ」

「外と話をつけてくる。先に行ってて」


 返事も聞かずメローラは(きびす)を返して外に向かう。確かに外の騎士達にも説明はしなければならないが……。

 まぁいい、彼女も何か思うところがあるようだし、今は任せておくとしよう。


「……では行こうか」


 微かに目を伏せたイヴァンがこちらに背を向けて拠点の一つだという施設の奥へと歩き出す。

 その背中を追い駆けながら腕の中のチカに視線を落とした。

 様々な事が一気に押し寄せて、何も解決しない中。たった一つの選んだ道を歩きながら胸の内で問う。

 一体、何が起きているというのか。お前なら分かるのか、チカ。

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