第五章
翌日。朝一番に市場へ向かい、次の町までの旅で必要なものを買い揃える。そのための金は、昨日《魔堕》の討伐を報告し、確認が取れたとの事で僅かながらの褒賞を貰っていたそれを充てた。
とは言っても中位に満たない低位の《魔堕》。金額も高が知れていて、自由に使える金は残らなかった。
相棒であるシャブラを失い、少しだけ武装に心許ない身からすれば、剣の一本くらい新調したかったのだが……。しかしその分はこれから貰う予定の、任務の報酬でどうにかなるはずだと。
昨日の約束通り町外れの、家とは呼びづらい小屋にやってきてその扉を叩く。木製の、隙間風が訪問し放題な玄関のような何か。最早家畜小屋とも言うべき物件を少しだけ眺めて、返らない声に小さく息を吐く。
「……下がってろ」
今日も今日とてもう一人の依頼主として一緒に行動する魔剣の少女に一言告げて、後ろ腰に差したクリスを抜き放ち構える。
呼吸一つ。それから意を決して扉を蹴破り小屋の中へ押し入る。
そうして見渡した景色に、苛立ちよりも呆れが湧き上がり、構えたクリスを下ろした。遅れて、窺うように中に入ってきた少女が零す。
「…………あれ、あの人は?」
「最初からそのつもりだったんだろうさ。使うだけ使って、物を受け取ったら夜逃げ。あの時計も、おそらくは盗品か何かだったんだろう」
答えながら生活の色の少ない小屋を見回す。
最近踏み固められた様子の土の地面に、食事をした形跡のある丸い机。部屋の隅には藁を掻き集めただけの寝具のような何か。
恐らく誰も使っていなかった小屋に身を寄せていただけなのだろう。いいように利用されたというわけだ。
「えっと……」
「簡単に言えば利用されて裏切られたって事だ。別に珍しい話じゃないさ。そのための契約書だしな」
別に落胆はしない。こういう時の為に交わした書類が役に立つ。
もしこうして依頼や報酬を反故にされた場合、された側は契約書に基づいて追っ手をかける事が出来る。当然、それにも金は必要だが気晴らしの報復だ。傭兵にはあまり縁のない話だが。
「使い方は二つ。一つは捕まえて契約を履行させるか殺す為に追っ手をかける。もう一つは、依頼を受けた宿から僅かばかりの金をせびる。……今回は後者だな。追いかける気力もない」
こんなことなら依頼を受ける前にもっと確認をしておくべきだった。弱肉強食の世界で切って切られては日常茶飯事。すべては騙された方が悪いのだ。馬鹿を見て、それに憤るか糧とするかはそいつ次第。
……今更こんな小さな裏切り一つで逆上するほどの正常な心は持ち合わせていない。俺にしてみればそれだけの事だ。
「とりあえず家捜しだ。何か金目になりそうな物があったら換金する。せめてもの抵抗だ」
「……お兄さん容赦ないね」
「綺麗事だけで生きていくにはここは単純すぎるからな」
正直者が馬鹿を見る世界。そんなのは売り飛ばされそうになった彼女自身だって既に分かっているだろうに。それとも許容できそうに無い裏側を聞かされて良心でも芽生えたか? もしそうだとすれば魔剣の癖に人間らしくて結構なことだ。
揺れない良心を置いて小屋の中を探し回る。これと言って何も残っていなかった中に、一つだけ見つけたのは短剣が一本。寝床にしていたのだろう藁の中に隠してあった護身用の武器。
とは言えこんなちっぽけな刃は既に足りている。売って、別の武器の足しにするとしよう。
そうして一通り小屋の中をひっくり返して探索を終えた後、小屋を出ようと踵を返す。と、扉の内側に掘られた文字に気がついて足を止めた。
「……いや、盗品じゃなくて無理難題を押し付けられたただの被害者だったのかもな」
「なに、どういうこと?」
「文字だ。識字率の低いこの世界で文字が書けるのなんて立派な教育を受けてきた証だ。詳しくは分からないが、あいつが取り返しのつかない事をしでかしたんだろう。で、釈明か何かの機会として時計を取って来いと別の誰かに命令された」
「……でも魔物がいて出来なかったから、傭兵を使おうとした…………?」
「恐らくな」
彼にその無理難題を押し付けた者は時計を《魔堕》が持っている事を知っていたのだろう。つまり死んで来いと言われたのだ。が、死にたくなかった彼は更に下の者である傭兵を担いだのだ。
帰ったところで別の死に様を選ばされるだけ。そのまま時計を持ち逃げして、どこかで売って自由を手に入れるのだろう。俺ならそうする。
「ま、想像だがな。……どうだ、人の世界は?」
「…………分かんないよ」
「普通に生きてればそんな面倒に巻き込まれる事も早々ない。精々《魔堕》に出会うくらいが関の山だ。こんな腐った世界なんて一握りだろうさ」
意地悪な問いに、見つからなかった答えは素直に音となった。
魔剣な彼女が人の世界で生きていくには、すぐ隣にあるその世界を見て見ぬ振りは出来ない。気を抜けば誰かが伸ばしてきた手に引かれて、次の瞬間には崖から宙を舞っているような危うさだ。
そんな世界の中で、彼女は友達を助けたいとまだ願うのだろうか。もしそうだというのなら、見失わないように大切にすべき目標だろう。生きる意味さえ見失った者に待つ結末など、碌なものではないのだから……。
顔を伏せた少女を一瞥して、外に出ようと扉に手を掛ける。その刹那、木の板一枚隔てた向こう側で何かが息づく気配を感じて、咄嗟に後ろに跳んだ。
遅れて、目の前の戸が斜めに切り裂かれ、土煙を上げて地面に落ちた。口元を覆って姿勢を低くしながら様子を伺えば、煙の向こうに黒い影が浮かび上がる。
「ぉや? 斬り損ねたか。悪運の強い奴だな」
「前の時も奇襲に失敗してただろお前」
「勉強になりまーす、先輩っ」
「うっせぇ」
響いた声は三人分。扉を斬った男と、失敗を揶揄した男。そして皮肉交じりに茶化した女……いや、少女か。
一体何が目的で……そんな事を考えながら頭の中が戦いの為のそれへと切り替わっていく。
……理由は分からないが、命を狙われている。ただそれだけで剣を取るには十分な理由だ。
「悪いなぁ兄ちゃん。てめぇに恨みはねぇんだが、ちょいと斬られてくれねぇか?」
「……関係ないなら見逃せよ」
段々と煙の晴れていく景色の中で交わした言葉。そこから襲撃の当たりをつける。
時計の依頼主が雇った追っ手を潰す為の護衛か何かかとも思ったが、どうにもそうでは無いらしい。となると理由は一つ。
「残念な事にな、そいつの事を触れて回られる訳にはいかねぇんだわ」
「……やっぱりそこの馬鹿絡みか」
「おいおい、奇襲が失敗した上に相手に乗せられて軽い口開くなよな」
「だからうっせぇよっ」
後ろの魔剣の少女を連れ戻しに来た組織か何かの新たな追っ手。彼女を拾った時の三人組は雇われで、目の前の三人が組織の一員ってところだろうか。だったら前の三人はいい選択をしたらしい。もしあそこで三人組が少女を手に入れて雇われた組織に引き渡していれば、口封じに殺されていたに違いない。お陰で今度は俺が命を狙われる破目になりやがった……。曰く付きは伊達じゃないな、魔剣さんよぉ。
「で? このお兄さん殺していいの? ってかやるよ?」
「クソが……!」
これは本格的にやばい。荷物を抱えて多人数相手は分が悪いどころの話ではない。
瞬時に巡った思考と同時、クリスの柄を握った右腕を振り抜けば、煙を切り裂いて振り下ろされた斧のような刃を捉える。咄嗟に手首を捻って受け止めはせずに往なし気配に向けて足払い。引っ掛けた感触を確かめるより先に、麻袋から取り出した癇癪玉を投げつける。
あわよくば顔面で弾けてくれればとも思ったが、どうやら何かで防がれたらしく当たって響いた破裂音。
「ぬぉっ!?」
「きゃうっ!」
重なったのは驚愕の声と悲鳴。後者は手首を掴まれた少女のもの。
生存本能に任せて相手の左側を抜けるように走る。賭けは相手が右利きであること。固まっての混戦なら仲間を斬るような判断が邪魔して攻撃は跳んでこないはずだと。
息を詰めて駆け出し、淀んだ空気と人間らしい存在感を抜けた先に、光差し込む扉の中唸った出入り口を転がり出る。どうやらギャンブルには勝ったらしいと一時命を先延ばしにしながら構え直す。
少し遅れて、ゆっくりとした足取りで小屋の中から姿を現したのは想像通り三人の姿。
一人は片刃……カットラスと呼ばれる海賊が腰にさげているような、刃の反った剣を手に持った筋骨隆々の大男。
もう一人の男は金属製の棒をその手に携えている。石突のような物が見えないから、仕込みがあるのか、それとも魔具か。
そして最後の一人。先ほど声を聞いた通り小さな背丈の少女は、その身に余るほどの大きく重そうな戦斧を引きずるようにして現れた。
男二人に女一人。三者三様に違う武器を持った敵に、優先順位を付けていく。
カットラス持ちは単純そうだがその巨躯から考えるに力負けするだろう。棒を扱うらしい男は未知数。仕込みがあるとすれば迂闊なことは出来ない。そして身体的にはこちらが勝るだろう少女だが、得物を比べれば防御の上から潰されるのは自明。それに、先ほどの交錯で感じたが、戦斧の扱いに慣れている様子。遠心力などを利用する武器の特性上、クリスの刃の長さではリーチで勝てない。
取れる対策から考えれば、最も相手にしやすいのはカットラスの大男。次いで少女で、最後に未知数の男だ。敵が分からないと言うのはやり辛い……。
「訊くならちゃんと答えを待て。先走られると三人で行動する意味がないだろう?」
「はーい……」
諌めるような言葉は棒を持った男から。考えるに、彼が司令塔だろうか。だとするなら厄介だ。数で負ける上に連携なんて取られたら勝ち目が見えなくなる。
するべきは頭を叩くことだろうが、他の二人だってそれを許してはくれないだろう。……となれば取れる策は一つだけ。
「……走れるか?」
「……………………」
「おいっ」
「ぁ……え…………?」
「死にたく無いなら目を逸らすな」
どうやら何が起こっているのか理解が追いついていなかったらしい少女の意識を無理矢理に引っ張りあげる。
確かにこんな状況で冷静さを保つなんて難しい話だ。現に俺だって冷静かどうかは怪しい。既に何かを見落としている可能性だってある。だが思考停止は最悪の一手だ。ようやく手に入れそうになった自由を手放せるほど、俺はこの世界を嫌いになれていない。
「合図をしたら……」
「ごちゃごちゃと────」
「くるよっ!」
「うっせぇんだよぉっ!」
現実は物語のように都合が良い訳では無い。策を練る時間も、その準備に当てるだけの余裕も戦場は用意してくれない。
一足飛びに距離をつめた大男が振り上げたカットラスを振り下ろす。咄嗟に逆手持ちに変えたクリスで右側面へ受け流し。流れるように放った左の蹴りが男の腹部を貫く。が、どうにも威力が乗らなかったか、それとも筋肉の鎧に阻まれたか。男は僅かに後退しただけだった。
その刹那を埋めるように男の右脇を抜けて伸びてきたのは鉄の棒。横殴りに脇を狙う一撃に防御が間に合わない事を悟って、片手鉄棒の要領で棒の上を片手側転。合わせて振るったクリスでこちらに駆けて来ていた男の首筋を狙うも、しゃがんでかわされた。
着地に合わせて鉄の棒を遠くに押しやる。と、そこに迫った大上段からの戦斧。防御は無駄。回避は遅い。三対一はきつかったかと、せめてもの抵抗に戦いの炎が灯った少女の顔を睨み返す。
無駄だと分かっていても反射的に起きた防御反応。重心を落としクリスをせめてもの緩衝材にと頭の上へ。
……けれどもついで襲い来るはずの衝撃は小さな金属音に掻き消された。見ればこちらの頭へ向けていた刃を盾の様に構えた少女の姿。彼女が見つめる先には、その手にナイフを二本握った魔剣の彼女の姿があった。
どうやら剣を作り出して投擲したらしい。丁度それが少女の攻撃を中断させ、防御に移らせた事で叩き潰されなかったのだろう。
直ぐにバックステップで距離を取りながら魔剣の少女の近くへ。命の危機に遅れて噴き出した体の汗を煩わしく思いつつ悪態を吐く。
「……見捨てて逃げるのが最善策だと思うがな」
「逃げられるならそうしてる。でも逃げられそうにないし、見捨てたく無いよ。だってお兄さん、私のお願いまだ聞いてくれてないから」
「はっ、この期に及んで依頼の話かよ」
吐き捨てて、けれど彼女のお陰で命を救われたのは確かだ。だったら予定変更。最も可能性の高い策へ切り替えだ。
「……その選択、後悔するなよ?」
「お兄さんこそ死なないでね」
言葉少なく共闘の姿勢を取る。一応これで戦力は倍だ。ただ契約者のいない魔剣がどれほど戦えるのかと問われれば、あまり期待するべきではないだろう。
魔剣の力の源は魔力だ。加えて契約者を枯らすほどの大飯食らい。それは彼女が秘めた力の大きさの証明であると同時に、燃費の悪さを意味する。加えて今の彼女はそれほど魔力を持ち合わせていない。剣を作るのだって後数度が限度だろう。
何より戦闘経験が皆無だ。研究所らしきところで箱入り同然に育った彼女は本当の闘いを知らない。
俺だって実践回数は少ない。目の前の彼らには遠く及ばないだろう。あるのはあの爺さんに叩き込まれた剣術だけだ。
現状を俯瞰すればこちらの勝算は随分と薄い。けれどきっと、ゼロではない。
「一応訊いておくが、なんで狙われなきゃならねぇんだよ」
「くだらねぇ。てめぇが持ち逃げしてるその魔剣が必要だからに決まってんだろ?」
「前に回収を頼んだ傭兵は途中で逃げたからな。仕方なく俺たちが出張ってきたわけだ」
「みんな回りくどいんだよ。最初からこうすればよかったのに」
「ちっとは周りの事を考えろ。お前は戦いたいだけだろうが」
「あはっ」
時間稼ぎに口を突いた疑問には、意外と正直に答えてくれる三人。別に話が出来ないわけではないが、だからこそ彼らの中に通った一本の指針の強さに説得は無理そうだと諦める。
傍らでどうするべきかと考えながら、更に重ねる疑問。
「……随分と狭いところで話が進んでるみたいだな」
「あァ?」
「みんなって事は組織ぐるみで魔剣でも集めてんのか?」
「チッ、お前に関係があるかよぉ!」
言って、再び距離を詰めてくる大男。今の反応から察するにどうやら的を射ていたらしい。とは言え逆撫でしすぎたか。これ以上何か情報を得ることは難しそうだ。それよりも何よりも、今は生き延びる事が先決。
左の肩から右の脇腹に目掛けての袈裟懸けに、言葉を交わした事で少しだけ落ち着いた思考が冷静に体を動かす。右足を一歩後ろへ。半身ずらして太刀筋を目の前に避けながら、抜いたエストックを左手で突き出す。確かな感触は、こちらの倍はありそうな二の腕へ。皮と筋肉を刺し貫いた形容のし難い感触を拭い去りつつ、振り上げたクリスでカットラスを持った手首を掻き斬る。
反撃に舌打ちをした大男が距離を取るように跳び、その隙を埋めるように前に出てきたのは棒を持った男。負傷した仲間を退かせるように組まれた連携。やはりそこそこの場数を踏んでいる手足れらしいと判断を下して、心で負けないように一歩前へ。
突き出したエストックは鉄の棒で往なされる。カウンターに放たれた一撃はどうにかクリスで受け止めて直撃を防げば、次の瞬間襲った横殴りの衝撃に体が吹っ飛ばされた。
乾いた地面を転がる中で蹴られたのだと悟った直後、頭上に感じた気配に顔を上げれば、戦いには似つかわしくないほどの喜色満面に彩られた少女の顔が。先ほどの話の通り、最も戦闘狂いなのは彼女か。
見上げる数瞬の間に振り下ろされる唐竹割りの戦斧。頭蓋でさえ粉砕しかねない遠心力と体重の乗った一撃を睨みつける。
次の瞬間、鼻先まで迫った気のする鈍く光る刃が、甲高い音を立てて重い風斬り音と共に傍に落ちた。
皹と共に大地を抉ったのは先ほどまで少女が持っていた戦斧。その代わりとばかりに、今目の前には片刃の大振りな剣が刃先を下にして存在していた。その手元を伝えば、柄を握っているのは魔剣の少女だった。
「あはっ、すっごいねそれ! そっかそっか、好きなときに剣を作れるんだね」
感激したように笑う少女。得物がなくなったと言うのにあっけらかんとした表情と紡がれた言葉に想像を追いかける。
先ほどの一撃、恐らく魔剣の彼女が割って入って防いでくれたのだろう。とは言え倒れている状態の俺に向けて振り下ろされた叩き潰すような斬激をあんな大きな剣で弾こうと思えば、俺の頭ごと後ろから切り捨てなければ不可能だ。
が、そこは剣を自在に作り出せる魔剣の力。先に腕だけ振って勢いを乗せ、想像の刃が俺と戦斧の間に入ったところで大剣を顕現させる事で、俺を切らずに武器だけを弾き飛ばしたのだろう。
曲がりなりにも魔剣。金属に敏感な彼女の知覚と、咄嗟の第六感に助けられたというわけだ。それとも空間把握能力が高いだけか。何にせよ、彼女のお陰で生臭い塊にならなくて済んだのだ。
「でもそれじゃあこの距離は無理だよ……!」
そんな事を考えたのも一瞬。今までの楽しそうな笑顔は何処へやら。瞬き一つで瞳の奥に冷徹な剣閃を宿した少女が、袖に仕込んでいたのだろう懐刀を逆手に魔剣の彼女の首許へ叩きつけるように振り下ろす。
確かに手が届くほどの距離。そのリーチは短剣の方が早い。しかし既に我に返っていた思考が、割り込ませるように靴に仕込んだダガーを投擲する。
それを咄嗟に後ろに跳んでかわした少女は、着地に少しよろめきつつ小さく息を吐いた。
「っととぁ。びっくりしたぁ。……もう、折角魔剣と戦えるなんて滅多にない機会を楽しんでたのに、邪魔しないでよお兄さんっ」
「馬鹿言うな。だからもう少し連携を取れ」
「あったま固いなぁ。だったらそっちが合わせてよ」
「……ふむ、それもいいかもな」
「本気かよ…………」
直ぐに固まって陣形を組み直す三人。戦い慣れと言うか、体に染み付いた行動のようで隙が見当たらない。
一人先走って連携を崩しているように見える少女だが、その実力は独断を許してこそ発揮される類のものだろう。だとするならば、男二人が少女の援護に回るような戦い方は今より危険性が増す。
「……助かった」
「ううん、こっちこそ。でも、駄目かも……勝てる気が…………」
「負けるつもりなら一人で頭でも抱えてろ」
「うぅ……もう少し仲良くしてよ……」
何だその難題は。目の前の三人を相手にするよりも無茶振りだ。が、そんな御託を並べている余裕もない。仕方ないが、即興でも連携を試みるべきか。
「……とりあえず一人だ。あの大男を狙う」
「うん」
小声で共有した目的を胸の中心に据えて小さく呼吸。冷静にと自分に言い聞かせて敵を睨む。
次の瞬間、また一つ歪んだ笑みを浮かべた少女が一騎駆けの如く急接近。途中で手に持った短剣をこちらに向けて投げる。それを隣の彼女が大剣で防いだ直後、馬も斯くやと言った勢いで距離を詰めた少女が、いつの間にか拾い上げてきたらしい戦斧を振り被る。
直ぐに横槍をとエストックを突き出せば、更にそれを阻んだのは鉄の棒の男。思い切り振り下ろされた鈍器が細剣の刃を真上から叩きつける。
エストックは刺突には向いていても打ち合いには不向き。当然の如く刃が中ほどから折れ、その役割を失う。
すぐさま放ったクリスの反撃は、くるりと回転した棒のもう片端で受け止められ相殺。
「にひっ」
「っ!?」
次いで聞こえたのは耳元に囁くような少女の笑い声、のような何か。失敗したと悟った次の瞬間、横殴りに体を襲ったのは目一杯力の乗った戦斧の殴打。骨さえ軋ませる一撃が、人の体を小石にでも錯覚させたかのように吹っ飛ばす。
僅かな滞空。そして訪れた地面との悲劇的な再会はどうにか体を捻って左肩からの着地。けれど受け身にはならなかった所為で、固い地面を天地をひっくり返しながら転がる。
「このっ……!」
「ははっ!」
「ぃっ、ぁああっ!?」
それを見た魔剣の少女が報復に動いて。しかしそこに大振りの一撃が迫る。
死角からの攻撃に魔剣の知覚でどうにか反応を見せるが、振り抜かれた一撃は防御の上から少女を切り裂き、その手にあった大剣を霧散させながら弾き飛ばした。
「おいおい、あんまり傷つけるなよ。幾ら魔剣とは言え壊したら終わりなんだからな?」
「んなこと知るかよ。心が壊れてるのに骨の一、二本くらい気にすんな。それにありゃあ人を真似ただけの偽者だろうが」
どこか遠くに感じる会話に、戻ってきた感覚が音を拾う。
途端、感じた鈍い痛みは体中が示す裂傷打撲の数々。やがて何かに覆われるように襲ったのはただただ熱いと感じるだけの内側の熱。どうやら痛覚すら麻痺しているらしい。
と、鉛に押し潰されたような疲労と倦怠感に回らない思考をどうにか動かそうとしていると、目の前に何かしらの気配。思わず顔を上げれば、こちらを見下ろす少女が握った戦斧の刃先を眼前に突きつけていた。
「お兄さんよわーいっ」
無邪気で、屈託の無い笑顔。道端の蟻を潰して愉しむような、天然ささえ感じる笑顔に怒りと悔しさが込み上げてくる。
自分より年下の女の子に、こうも簡単にあしらわれている。傷一つ所か、防御さえ取らせる事のできなかった、隔たりにすらならない力の差を実感する。
新しい人生だと息巻いて。ようやく手にした自由だと驕って。目先の欲に溺れた結果がこれだ。
他を見下し、遠ざけ。利用しようとさえしたその様。浅はかな醜さにはお似合いな終わり方かもしれない。
「よっと」
「ぁぐっ……!」
小さな掛け声と共に首許を掴まれて持ち上げられたような感覚。足が浮く感覚に目を開けば、喉に固い物が突きつけられている事に気付く。よくよく見ればそれは少女が携える戦斧の刃先で、どうやらローブを引っ掛けて吊るしているらしい。流石にその細腕で男一人を持ち上げられはしないようで、石突を地面に突き立てて持ち上げているようだ。
「お兄さんさぁ、何でそんなに必死なの?」
じっとこちらを見つめる少女らしい瞳。顔立ちからするに十二、三歳ほどの女の子。そんな少女が、分からない問題を教え乞う様に真っ直ぐと尋ねてくる。
「汚くって、弱くって。一人じゃなにもできない癖に気持ちだけは無駄に高望みしてる独りよがり。まるで自分は悪くないなんて駄々を捏ねてる子供みたい。周りが悪いんだって決め付けてる典型的な負け犬。別に人の所為にしたって何にも解決しないのに」
批難と、諦観と、嘲笑の交じった言葉。何かを成して残してきた者が有する言葉にならない説得力。
……けれど、それだって立派な独りよがりの押し付けだ。お前に俺の何が分かるっ!
「周りが変えてくれるんなんて、そんな事ありえない。それはただ、貴方が変わっただけ。自分から諦めて、捨てただけ。……ねぇ、何で生きてるの?」
「っ……!」
「なんで死んでないの? 死ぬ勇気もないの? そんな中途半端だからなにも出来ないんだよ」
「…………るせぇ……」
中途半端に狂わされた方が、完全に否定されるより余程苦しい。上っ面だけ善人を装って腹の奥で嗤ってるような奴らばっかりだ。
クラスメイトも、教師も……母親だって。見て見ぬ振りで玩具のように遊んでいるだけだ。誰だって俺の本心と向き合ってくれなかった。……俺も、向き合おうとしなかった。どうせ嗤われるだけだから、出来なかった。
「なに?」
「うるせぇよ。わかんねぇ、だろうよ……。死ねない程度に振り回されて、死にたいと思うほどに裏切られて。倫理観で死を拒んだ末に、結局死ぬしかなかった惨めな人生を…………」
「……何言ってんの?」
「なぁ、お前……死んだことあるか? 俺は、あるぞ。親と、大人と、競争相手に蔑まれて、疎まれて……。意味のない人生だったって、世界を見捨てた事がな」
脳裏を過ぎる。黒く重い過去。口元だけが嗤っている、顔が塗りつぶされた写真の数々。出来上がった距離感はドーナツのようで、時折近づいてきた者が差し出した手のひらには画鋲が針を外にして貼り付けられ、拒めば通りすがりに足元を刈られる。
中には本物の好意もあったのかもしれないが。それを素直に受け取れるほど俺は正直者にはなれなかったから。正当化された悪意と無意識の中で、敵にしか見えなかった世界は居心地なんて言葉が存在しない暗闇の迷路だった。
そこに一つだけあったのが首に巻きついた紐。束縛だったのか、戒めだったのか。何にせよ、振り返って通ってきた道にずっと続いている無様な過去を受け入れられなくて、途中で引き千切り……近くに引っ掛けて目の前の階段を横に落ちただけ。
……その選択を、間違っているだなんて思わない。
「……いいな、楽しそうで。生きてる実感がなくて。羨ましい限りだ」
生きていると気付いていない者だけが生き続けて。生きていると気付いた者が死んでしまう。
ここはそんなくそったれな世界では無いと思っていたのに。……そう思いたかったのに。
結局何処にいたって、主観も、性格も、価値観も。何も変わらずに命に貴賎が存在する。それだけの事だ。
「…………なぁ、もういいだろ? これ以上惨めな思いをさせないでくれ。今度こそ、殺してくれ」
恋焦がれるようにそう零せば、こちらを見上げる瞳から興味が失せたのが分かった。
「……あっそ、お兄さんつまんない。もういいよ。死んじゃえば?」
ようやく本当に諦めがつくと。できることなら優しく、痛みを感じる前に死んでみたいと独りよがりをして。
そうして次に襲い来るだろう刹那のその時を目を閉じて待つ。
「おいっ!」
「え……あ?」
「っ……!」
けれどもそんな想像は、現実にはならなかった。
感じたのは僅かな熱と、景色が下から染め上がる感覚。何事かと確認をしようとして、それより数瞬前に首元の拘束が緩むのを感じた。次いで地面との衝突。
何が…………。そう思って開けようとした目が無意識に光から目を背ける。眩しい……。
反射的に感じた次の瞬間、腕が思いっきり後ろに引っ張られて考える間も無く足が歩き出した。
* * *
「ぇほっ、けほっ……! うぅぅ、涙がでるぅ……」
光と煙の支配する景色に自然と声が漏れる。呟きは年相応の可愛らしい声。煙の中でもがくその姿に小さく息を吐いて握った剣を一振り。すると途端に横殴りの強風が吹いて、目の前の白い景色を吹き飛ばした。
「けほっ……ぅぇ?」
「何してやられてんのよ、三人もいて。これじゃああんたたちを呼んだあたしの面子がつぶれるじゃないの」
「あ、おねえちゃんっ」
涙交じりの瞳と声で声を上げた少女が母親に甘えるように飛び込んでくる。その頭を剣の柄で軽く殴りつけて諌めた。
「あいたっ!」
「全く。苦手な結界まで張ってやったってのにちまちま戦って……。ほら、早く魔剣を回収するわよ」
「すんません姉さん」
「謝る前に行動しろ」
いつの間にか傍に来ていた男共にも一喝して辺りを見回す。と、地面に続く赤い道標を見つけて小さく笑みを浮かべた。
「……まぁいいわ。鬱憤晴らしにここからはあたしも手を貸してあげる」
呟きは静かな足取りと共に不穏の訪れを運び始める。
* * *
誰かが腕を引いている。可能であればそれが死神であればいいのにと考えつつ、引かれるままに走って。やがてたどり着いたのは先ほどまでいた建物によく似た木造の小屋だった。
ただ促されるままにそこに入って壁に凭れ座り込み、顔を上げる。そこにいたのは、肩で息をする魔剣の少女だった。
腰からなくなった麻袋に気付いて思い返す。恐らく先ほどの光は彼女が起こしたものだろう。確か麻袋の中に光石があったから、それを暴発させての目くらましといったところか。
「……よかっ、た……。どうにか逃げられ────」
「どうして助けた」
「はぁ……え……?」
「俺なんか見捨てて一人で逃げればよかっただろうが」
不貞腐れるように音にした疑問。問うておいて、けれど答えなど聞きたく無いと言う風に顔を逸らす。やがて少女は、呼吸を整えると傍に座り込んでこちらの腕を取った。走った痛みに体が反射を示す。
「動かないで。えっと……あった、薬……」
「……なんで…………」
「なんでって、お兄さん私と約束したでしょ。協力してくれるって。それに言ったよ、死にたく無いなら目を逸らすなって」
「……………………」
つい先ほど目の前の彼女に向けた言葉を突き返されて口を閉ざす。その間にも、拙い治療が腕の傷を労わっていく。そこでようやく、彼女が使っている薬が昨日買った物だと気がついた。なんでそんなもの持ち歩いてんだか。
「お兄さん、約束は守ってよ。私の傭兵さんでしょ? 仕事、ちゃんとしてよ」
「こんなに満身創痍でか? ……勝てる見込みが、逃げ切れる見込みがどこにある。どうせここも、直ぐに見つかる」
怪我をしている二人。そう遠くまで逃げられないのは当然で、三人に捜索されれば直ぐに居場所が割れてしまう。そうしたら今度こそ終わりだ。結局、たった一時延命しただけ。
「……仕事をして欲しいなら、今すぐにでも報酬の一部を先払いしてみろ。出来ないならどこか行け。契約は……破棄だ」
「っ……!」
これ以上構われても迷惑なだけだ。魔剣なら魔剣らしく斬って捨てて目的を追いかけていればいい。
そう考えた刹那、気付けば頬を叩かれていた。見れば目の前の少女が何故か瞳の端に涙を浮かべて、睨むようにこちらを見つめる。
「ねぇっ、新しい人生始めるんじゃなかったの! 自由を手に入れるんじゃなかったの!? 何でそうやって直ぐ諦めるの? 自分には無理だったって捨てられるの? そんなのだからあの女の子にあんな風に言われるんじゃないのっ!?」
「…………」
「お兄さんの覚悟も、夢も……それだけしかないんだね。……似てるなんて思った私が馬鹿だったのかな」
────…………なんだか、似てるね
「でも、似てるから、理解できると思ったの。例え理解は出来なくても、嫌いにはならないと思ったの。少なくとも、これまで私を見てくれなかった人たちとは違うと思ったんだよ……」
「勝手に────」
「そうだよ。勝手だよっ。でも、勝手に信じて何が悪いのっ? それが自由だって……自分で選ぶってことじゃないの!?」
自由を求め、新たな始まりを求め、認められる事を求め。そんなこれまでと、そして今立っている場所が…………認め難いほどに似ている。だから嫌だったのかもしれない。彼女を見ている事が。彼女を否定される事が。自分と嫌でも重ねてしまうから。
けれど……全てが同じわけでは無い。彼女の言う綺麗事は、目の前にある現実に潰されてしまう。もう嫌なのだ。期待して、裏切られるのは。何も出来ないのは。だったらまだ逃げた方がましだ。
「……私はまだ、諦めたく無い。例え馬鹿だって言われても、そんなのどうだっていい」
「なら勝手に現状を打開する案でも思いついて解決したらどうだ?」
「……………………」
幾ら理想を並べ立てたところで、現実が変わるわけではない。我武者羅に叫んだところで神様が助けてくれるわけではない。その手立てが、見つからない。見込みがない。希望がない。
……当然と言えばそれまでか。そもそも俺は空っぽだ。目的も主体性も名前もない。ただの汚い器なのだ。選ばれる事もなくしまい込まれたがらくた同然。無いものだらけの半端者に、何かを生み出すことなんて不可能だ。僅かに縋った可能性も、先ほどの交戦で無理だと悟った。
「……………………」
ただその時を待つような沈黙だけが横たわる。少しだけ気になって横目で確認すれば、公式も覚えていない数式から必死に答えを探そうとするように俯いた姿の少女が一人。
己を罰するように左手で右腕を強く握り締めて、青白くなるほどに唇を噛み締める彼女。そこまでして手に入れた先に一体何があるというのか。それがわからない……のに、やっぱり少しだけ同情した。
「……魔剣と放浪者が一人。外道な物語にしては面白い話だったな」
呟きは少女の耳に届いたようで、小さく肩を震わせた。
刹那、閉じこもっていた小屋の扉が周りの壁ごと粉砕されて崩れ落ちる。建材が瓦礫に変わる景色。音が重なり色が濁った視界の奥から、煙に影を揺らして現れた四人の姿。
いつの間にか一人増えた追っ手に小さく笑って益体もなく口に開く。
「面白い見世物をありがとよ」
「くだらないわねぇ。もう少し命を惜しみなさいよ」
「惜しむ命があったなら俺はここにはいないだろうさ」
最早何をするのも億劫に感じながら、感情の無い笑いを零せば増えた人影──剣をさげた女性が抜く。
「……まぁいいわ。部下を可愛がってくれたお礼。手向けにあたしが斬ってあげる」
「…………それ、魔剣か?」
「いい勘ね」
駄目押しの事実。
三人相手に勝てなかった上に魔剣持ちの追加。話から察するに、三人と同じ組織の一員。国の管轄を離れた、要捕縛対象だろう。
彼女を捕まえれば一体幾らの金になるだろうか。気紛れにそんな事を考えれば隣から声があがった。
「……最初から、私を捕まえるつもりだったの?」
「当初の目的は違ったわ。別の仕事であの町に紛れてただけ。そしたらあんたの方から転がり込んできたのよ、《コキ》」
知り合い……あぁ、いや。目の前の女性が、隣の魔剣を売り飛ばそうとした魔具を扱っていた商人か。変な縁もあったものだ。
「運がなかったわね」
全てが運で片付けられるなら、悩みも無く馬鹿を貫けるのに。そうすれば、もっと楽な人生があったはずなのに。
今更に悔やむ前世を思い出しながらいもしない神様に問いかけてみる。なぁ神様。あんたは悪魔を信じるか?
「ひとつ、答えて。……悪魔に魂を売って生き延びられるなら、どうする?」
隣の少女が問う。目の前の女は最後の時間だとばかりに待ってくれる様子。
少しだけ考えて、乾いた笑いと共に答えた。
「神様がいないのなら、悪魔を信じてみてもいいかもな」
「…………もしそれで死んでしまうかもしれなくても、後悔しない?」
「するほどの希望は、生憎と持ち合わせてねぇよ」
生きるのか死ぬのかはっきりして欲しい問いだ。
空っぽの器の蓋を開けて見せれば、少女は静かに顔を伏せた。
「……もういいかい? それじゃあ──さよならだ」
叶うなら、痛みを知らずに死にたいものだ。覚悟よりも尚純潔な諦めと共に目を閉じる。瞼の向こうで、僅かな気配が振り下ろされる。
「あ、そうだ。依頼の報酬、払い忘れてたね」
「ぇ────んぅ」
そうして訪れたのは、思わず目を見開くほどの驚き。かつて覚えのない、微かな接触。遅れてそれが────キスだと気がついた。
いつしか引き寄せられた顔。熱いほどに重ねられた唇。目の前にある、微かに汚れた少女の顔。
なにが──追いつかない思考が答えを求めた次の瞬間、辺りに暴風のような何かが逆巻いた。
「なっ!? 馬鹿な……!」
体の内側から広がったそれが、異物を押し退けるように四人の体を遠くへと吹き飛ばす。けれどそんなことを確認するよりも先に、今自分の身に起きている事実に体が反応を示した。
反射的に華奢な肩を掴んで引き剥がす。離れた唇に現実を刻み込むように流れ込んでくる空気の冷たさ。ゆっくりと開いた少女の瞳が、その奥に嵌った紅玉の虹彩を揺らしてじっとこちらを睨む。
「おま……何を…………!」
「一つだけ、あるよ。私達が生き残って、新しい人生を始める方法」
「っ…………!」
考えるより先に悟った頭がその先を遮ろうとする。けれどそれさえも置き去りに、目の前の魔剣が告げる。
「────私と、契約して」
実を言うと、考えてなかったわけではない。そうすればこの状況を打開する一手にはなるだろうと思っていた。けれど想像と現実は違う。そのためには色々な障碍があり、超えるべき覚悟があり、互いの存在が不可欠だ。
彼女を維持できるだけの魔力と、彼女が欲する魔力の天秤。間違った方に傾けば瞬く間に上がりかけた幕が音を立てて舞台に落ちて押し潰されかねない。
そして何より、これまで忌避し、捨てた過去──名前を取り戻さなければならない。
名を捨てた男と、名を忘れた魔剣。膨大な魔力と、過剰な魔食。人間と魔の者で、男と女。何もかもが違う中で、しかし一つだけ似ている過去の後悔と失敗。
だからこそ、嫌だったのだ。認めたくなかったのだ。もし手を伸ばせば、きっとどちらからともなく手を取ってしまうから。
その一線を、待ってくれない時間と共に彼女が踏み越える。
「私に、名前を頂戴。《コキ》でも、《エモク》でも、《スクイ》でもない。立派な魔剣としての……お兄さんの魔剣としての名前」
名前を授ける行為は、夢を託す行為だ。押し付けがましく、自己満足で、軽薄な──神聖。
簡単には出来ないからこそ意味を持つ、意味のある羅列。
「…………本気か?」
「お兄さんじゃなきゃ、こんなこと言わないし、しないよっ」
芯の通った言葉に、逡巡と躊躇を綯い交ぜにして僅かの後。小さく息を吐いて応える。
「……お前こそ、後悔するなよ?」
「うんっ」
浮かべた笑顔に思わず胸を跳ねさせて。その視線から逃げるように顔を背ければ、丁度手の届くところに木片が転がっていた。それを拾い上げて地面に文字を書き殴る。
そんな光景を、外から見つめる影が四つ。
「……姉さん、これは…………」
「最後の最後で随分なことじゃないか」
「ねぇ、契約? これって契約っ?」
「その前触れだな。魔力が暴風みたいに暴れてるのがその証だ。行き場を無くして彷徨ってる。……にしては嵐みたいな光景だがな」
零して鉄の棒を地面に突き立て、空を仰ぐように見上げる男。彼らの目の前には、竜巻のような魔力の奔流が渦を巻き、契りの場を侵させまいと荒れ狂う。
彼らにしてみればこれまで幾度か目にして来た光景。神聖でありながら、組織では事務的に行われていた数え切れないほどの契約。けれどこんな烈風吹き荒ぶような景色は初めてだ。
「あの魔力、全部あのガキが起こしてるっていうのか? 大層溜め込んでるみたいだな」
「なに、いいじゃないかっ。だからこそ邪魔してみたくなるってもんだろう?」
「おねえちゃんなにするの?」
「離れてな。巻き込むよ」
少女の問いに口端を歪めた女性が手に持ったバスター・ソードを下段に構えて魔力を滾らせる。すると刃に黒い靄のような物を纏い始めた。
魔力の斬撃。《魔堕》に魔力を宿した攻撃が効くように、魔力には魔力での攻撃が最も効果的だ。その最大限をぶつけんと胸の内から注ぎ込んだ魔力を刀身に宿し、振り被る。
魔力を込めた魔剣の一撃。中位の《魔堕》なら一撃で葬り去るほどの斬撃が裂帛の声と共に放たれる。
「消えちまええええぇぇぇええっ!」
どうっ、と空気を押し退けると共に空を割いた衝撃が魔力の壁にぶつかり、音と共に大きな土煙をあげる。抉られた地面から拳大の石が舞い上がり、雨のように降り注ぐ。小屋さえ倒壊させる威力と振動に生身ならば欠片さえ残さない。
「うっひゃぁ、やっぱただの武器とは格がちげぇなぁ!」
「……………………」
「おねえちゃん……?」
「ふんっ、死に損ないが」
「え……?」
呟きは面白くなさそうに。はたまた何かを期待するように。そうして彼女が睨んだ先で、未だ渦巻く魔力の嵐の向こう側に手にひらを翳した男と少女の姿を捉えた。
「……折角腹括って名前考えてんだから邪魔すんなよな」
「おい、何で生きて……!」
「契約もしてないのに魔力だけで防ぎやがったのさ」
吐き捨てるような女性の声に一瞥をくれた男は、それから目の前の魔剣の少女に向き直る。
もちろん怖い。名前は、俺にとって枷でしかない。後悔で、失敗で、偏愛で。そんな物を好んでもう一度手に入れようなんて、反吐が出る。
けれど、それでも……。この胸に渦巻く葛藤を無理矢理に押さえ込んで手を伸ばすだけの命が、天秤のもう片方には乗っている。
俺は、やり直したいのだ。狂ってしまった過去を捨て、自分で選んだ未来を歩いて。偶然にも拾った二度目の命を、今度こそ俺として生きて……生き続ける為に。
「……確か俺のもいるんだよな」
「うん。魔剣の名前と、契約者の名前。偽名でも大丈夫だよ」
「なら好都合だっ」
少女の声に小さく笑って今し方地面に出来上がった新しい自分を見下ろす。
名前の由来は匿名の放浪者──anonymous wanderer。それぞれを性根悪く逆さ読みして、スオミノナ・リレッドノー。そこから必要のない素直さを抜き取った────ミノ・リレッドノー、それが新しい俺の名前だ。
歪んだ自己満足の名前に口端を歪めて笑い捨てれば、息を整えて目の前の少女を見つめる。彼女は期待に瞳を揺らし、こちらをじっと見つめる。そんな魔剣に────契約を口にする。
「契約者ミノ・リレッドノーが告する。我が倖を縛りし刻印をこの身に勒し、魔の理統べるかの意志と契りを交わせ。付する天枷の銘は────カレン。証憑印す其の形持て、我が手に剣となりて顕示せよ!」
カレン。安直な名前かもしれない。けれど思ってしまったのだ。感じてしまったのだ。目の前の魔剣が……浮かべた笑顔が、魔剣らしくない可憐な少女だと。
だからせめてもの誓約ならば、その意を貫いて可憐な未来でも描いて見せろと。
願って手繰り寄せた彼女との契約が、目に見えない繋がりを胸の奥で結ぶのを感じる。刹那、右の二の腕の辺りに焼印を捺された様な熱さと痛さが走った。それが彼女……魔剣カレンとの繋がりの証である契約痕だと気付いた瞬間、手の中には一振りの日本刀が握られていた。
拵えは黒を基調とした和を想起させる落ち着いた雰囲気の一本。柄頭から切っ先までおよそ100センチ……刀身は二尺三寸の重さは1kgと少しと言ったところだろうか。鞘に刻まれた逆さ五角形の中心に斜めに掛けられた刀の印が彼女との契約痕だ。
柄をしっかりと握って、滑らせるように刃を抜き放つ。既に止んだ魔力の暴風の残滓映す陽光が反射をする刀身は、闇さえ吸い込むほどに暗い黒で、波打つ刃文は彼女の瞳と同じ深紅。柄頭に白瑪瑙を嵌め、鍔は違い菱、下緒は緋色の巻結びだ。
「……綺麗だな」
『う、うるさいっ』
陽光に翳して透けるほどに輝く刀身に感想を零せば、慌てたような声が頭の中に響く。どうやら契約をした魔剣とは言葉なく意思疎通ができるらしい。便利なことだ。
日本刀の形を持ったのは、きっとどこかでそう望んだからだろう。魔剣が契約によって取る形は、契約者の描くものになると聞いた記憶がある。別に捨てた過去の事を思うわけではないが、日本人らしく刀剣と言えば日本刀と言うのが染み付いていたらしい。ロマンは大事だ。
「キスする必要はあったのか?」
『……契約用の補助術式を知らなかったのっ! 研究所にいた頃は周りの人間が勝手にやってたから』
「そりゃ失礼なことを訊いたな」
そう言えば似たような話をセレスタインに召還された時にも聞いたか。
契約には人間と魔剣の魔力の線を繋がなければならない。その為に補助術式があるそうだが、そのやり方が確立する以前は口付けによって内側から魔力同士を繋ぎ合わせて契約をしていたそうだ。
『…………初めてだったんだからねっ』
「処女ビッチとは恐れ入った」
『ショ……なにそれ?』
「知らないならそれでいい」
言葉を交わしている間に馴染んだ繋がりが、確かな道を胸の奥に描きながら握る彼女に魔力を流していく。これまで使ってきた魔具とは比較するのも不敬なほどに膨大な魔力を吸われる感覚がまだ続いているが……。
『うわ、何これ。魔力の底が見えないんだけど……』
「足りそうか?」
『…………私大食いじゃないから。盛り付けが多すぎるだけだからっ』
今更恥じらいなど何の意味があるのだろうかと。つい先ほど脳裏を過ぎっていた懸念が、ただの杞憂だった事に安心しながら魔剣……カレンを構える。
「……まさか本当に契約するとは。いいね、楽しませてくれそうだ」
「悪いがそっちの都合に付き合う余裕は無いんでな。堪能したら眠っとけ……っ!」
啖呵を切って足に力を入れ、大地を蹴る。魔力の循環による身体能力の強化によって、僅かに抉った擦過音を置き去りに急接近。黒い尾を引く一線が目の前に描かれる。
咄嗟に防御をした大男が、けれどその手のカットラスをただの鉄片に変えながら驚愕にその目を見開いた。
「んなっ……!?」
「ただの武器で魔剣を防げるかよ」
講釈垂れて手の中で刀を半回転。加減をしながら放った峰打ちが、的確に男の首筋を捉えて一瞬の内に意識を刈り取る。
「っ、この……!」
膝から崩れる大男の姿に初めて焦りの色を灯した少女が全身を使って戦斧を振るう。視界の外からの大薙ぎ。森の木でさえ一撃で切り伏せ、岩をも砕く殴打のような攻撃に視線を向け、また一振り。
斧の刃の付け根に切っ先を引っ掛けて少し強めに上へと跳ね上げれば、少女の手から彼女には似つかわしくない大きな得物が空を舞った。
「ぁ……きゃふっ!」
手を離れた己の武器に目を奪われた内に懐へと入り込んで逆手持ち。最後の良心で女の子を傷つけまいと放った柄頭での鳩尾強打で、こちらの肩に頭を預けるように倒れこんだ少女を傍へ落とす。
「でぇやっ!」
そんな気遣いは当然敵の呼吸へ擦りかえられる。三人目の男は、その手に持った鉄の棒に魔力を宿して首筋へ向けての一振り。どうやらあれは魔具だったらしい。魔剣ほどではないが、一応斬り結べる相手か。
応えるように逆手のカレンを目の前に翳して受け止める。と、次の瞬間じゃらりと言う音と共にそれまでただの棒だった物が蛇のようにうねり始める。やがて魔力で操られたそれが刀身を締め上げるように巻きついて重く垂れ下がった。
これまで棒だと思っていた彼の得物。先ほど魔具だと判明したそれは、中に鎖を仕込んだ多節鞭なのだろう。
殴打、拘束、関節技と、トリッキーな攻撃を幾つも行える扱いの難しい武器。ヌンチャク以上に節を持つそれは鞭のように撓ってこちらの予想外から突き崩してくる。普通に相手をすれば戦いたく無い相手だ。
が、そこは通常武器の追随を許さない魔剣。様々な力を持つその特別は、不条理をそれ以上の不条理で覆す常識外れの規格外だ。
魔具の攻撃如きでは欠けもしない刀身ごと己の方に引っ張って距離を詰める。接近に合わせて男が放とうとした拳が届くより先に、突き出した鞘で腹を貫く。
「ぁ、はっ……!?」
「吹っ飛べ!」
次の瞬間。触れたその場所に集約させた魔力を爆発させ、衝撃で遠くに弾き飛ばした。
契約の際に魔剣の攻撃を阻んだ魔力操作と同じ理屈で思いついた、簡易的な魔力砲。防具を着込んだり、魔具を纏っているなら防げるかもしれない攻撃は、しかし生身ではされるがままだ。ただ、魔具の使用に際して魔力の循環がされているはずだから、幾らか軽減されたか。
魔具程度なら相手にはならないと実感を刻みながらカレンを反転、刃を構えてその実感を確かめる。
宿主を枯らし殺す程の大喰らい。だが、それだけ必要とするのはそれに見合った力を秘めている証だ。今まで実験として彼女の契約者に選ばれてきた百人余りの先達達はその器に見合わなかったようだが、どんな因果かこの身に転生で宿った特別膨大な魔力はそれを補って余りあるほどに胸の内で渦巻いている。
その偶然には感謝。そして偶然以上に齎される彼女の力は持て余すほどに強大だ。
魔具など包丁に対する林檎のようなもの。少しだけ手応えはあるが、難なく切り払える障碍だ。だからこそ計りかねる彼女の可能性は一体何処まで通用するのだろうか。
それを確かめる為に見据えた相手……バスター・ソードの形をした魔剣を持つ女性に向き直る。
「全く、アレでも可愛い部下なんだけれどねぇ」
「悪いな、まだ加減ができなくてな」
「いいさいいさっ。あたしも久しぶりに戦えそうだ。少しは楽しませてくれ……よっ!」
ニヤリと嗤った女性が深く体を沈めて大地を蹴る。鈍色の軌跡を描く彼女の得物は両刃の両手剣。斬るというより叩き潰すといった方が正しいほどの肉厚な刃は、人の骨でさえ簡単に両断するほどの威力を持つことだろう。
だが同等の……それ以上の潜在能力を秘める、百人切りの彼女がそれに折れるはずもなく。女の斬撃に合わせて振るった刃が真正面から受け止めて火花を散らした。折れないのは魔剣故の頑強さ。魔力を纏った刃は自然界のあらゆる物質をも両断する非常だ。だからこそその埒外同士は互いにぶつかっても折れはしない。
「きしっ!」
その事実に。戦い甲斐のある敵を目の前にして女性が笑う。彼女はこの魔剣を……カレンを組織に連れ戻そうとした。約束もなく、強制的に縛りつけようとした。俺との契約を、反故にさせようとした。
所有者のいない魔剣は、少なくとも自由意志は尊重される。それが人間に味方する魔剣……《天魔》に対する人の接し方だ。それを抑え付け、剰え先に彼女と依頼と言う契約を交わした繋がりを断とうとしたのだ。
傭兵は無法に限りなく近いが、外道ではない。依頼と言う繋がりは、そこに己の義を賭けるのだ。自分が信じるその正義を、他の意志で侵される事を嫌う。だから傭兵の暗黙の了解として、他人の依頼を横取りするような事はしないのだ。
それを、ただ実験の為と。彼女の潜在能力を何かに利用する為とこの手から奪い去ろうとした彼女を許容できない。
それに今は、俺の魔剣だ。
「いいねぇ! だからこそ君に渡すのが惜しいっ!」
「契約しちまったからな。もう誰にも渡すかよ。こいつは俺のもんだ!」
刃を交じり合わせて吐息の掛かる距離で言葉を交わす。彼女だって仕事なのだろうが、それを理由に悪事は許されないと。こんな無法な世界だからこそ、自由は尊重されるべきだと。その中で選んだ道を、誰かに邪魔されるような事があってはならないはずだ!
幾合かかわした剣戟でカレンの扱いを探って体に染みこませる。折れない刀身、欠けない刃。体に流れる魔力のお陰で重さを感じることはなく、それどころか心地よいほどに体が馴染む。世界に認められていた前世の工芸品をこの手に握り、物語の中の誰かのように剣を振るっている。その事実が、まだ先があると感覚を鋭くする。
鍔迫り合いから鞘での殴打。先ほどの攻撃を見ていたからか、魔力砲を嫌って距離を取った彼女に向けて体を捻る。腰を落として左足を後ろに。腰に構えた鞘へカレンを納刀し、柄をしっかりと握り込む。鞘の内側にレールを意識して距離をしっかりと測り、息を詰める。
まだ向こうの世界にいた頃。興味本位で電子の海を彷徨っていた時に流し見た動画の一つ。和装をした男性が舞台の上で見せた、まさに目にも留まらぬ一閃。フレームレートの関係か、途中から刃が生えたようにすら錯覚した一太刀は、けれど今この体なら再現できるはずだと。
「なぁ、お前が魔剣としてその意義を全うしたいなら、その太刀で応えて見せろ」
『碌に魔力も使えてない素人に言われたく無いよ。……いいよ、今回は私が力を貸してあげる。魅せて、ミノの世界の剣技』
見様見真似だが、カレンならと信頼を預けて。
「はあああぁああっ!!」
「シッ────!」
再び距離を詰めてきた女性があらん限りに魔力を込めて大上段からの一太刀。その剣筋をしかと見切って刃を抜き放つ。
鞘と言う発射台に沿って刀身が滑り、限界を超えんと加速する。その切っ先が抜ける瞬間に、鞘を後ろに下げて解き放たれる軌跡から異物を無くす。
まるで時が止まったと錯覚する世界の中で、綺麗な弧を描く紅の刀身が逆袈裟の一閃を目の前に紡ぐ。少女が振るった戦斧と同様、付けた勢いは切っ先に宿るのが必然。そこに丁度敵の剣筋が合うように振るわれた一閃が、後の先を捉えて同じ魔剣さえをも静かに両断する。
確かな感触と共に広がった残心に、やがて時の進みを戻すきっかけの音が地面に突き刺さる。
「……くふっ」
漏れたのは女性の笑い声。彼女に今の一太刀が知覚できたのかは分からないが、目の前で魔剣が斬られたと言う事実に悟ったのだろう。
既にその時には放たれていた二の太刀。刃を返した峰での一撃が彼女の首を捉えてその意識を奪う。ゆっくりと意識を失った体が糸の切れた人形のようにその場へ倒れて転がると、ようやく呼吸を思い出したように声が出た。
「魔剣さえ斬る魔剣。確かに手元に置いておきたくなる気持ちは分かるがな、こいつは今日から自由に生きていくんだ。邪魔してくれんなよな」
契約を対価に彼女が得た自由を、俺は縛りつけはしないと誓う。もしそうすれば、目の前の彼女が属する組織と同じになってしまうから。その覚悟は俺が選ぶ自由だ。
「っとぉ。凄いね、今の……」
「抜刀術って言ってな、暗殺や急襲、それからカウンター目的の技だ。鞘の中の刀身の長さを誤魔化して不意も突ける」
魔剣の姿を解いて少女の形に戻ったカレンが驚きと称賛を交えた声で感想を零す。
彼女にしてみれば初めてまともに斬った相手。その力が他の魔剣をも斬り裂いたという事実は、自分の価値を実感するいい機会なのかもしれない。
彼女は、担うべき者が縛り付けなければこれほどまでに真価を発揮する、類稀なる魔剣だ。
「強いの?」
「どうだろうな。剣の早さは技量によりけりだろうな。ただ、鞘走りで威力は集中するからさっきみたいな事ができる。タイミングさえ合わせれば瞬間的な切れ味は最高峰じゃないか?」
因みに本来の刀の鞘は木製の為、鞘走りなんて行えば壊れてしまう。その無理を押し通せるのは魔力の宿った魔剣の一部として壊れ辛いからだ。
「あと利き手の関係上、基本左腰から抜き放つから軌道が限定される。技が知られてればこちらのカウンターに合わせた対処もされやすい。本当に奇襲と対処の為の剣技だ」
居合いは確か、座った状態から逸早く敵を斬り、敵の攻撃に対して素早く応戦する為のカウンターの技だ。
そもそも昔は刀を抜くことこそが違法のようなそれで、抜いたら最後命のやり取りだ。その先を制する為の技術で、前世の日本で言えば警察官の拳銃と同じ扱い。そこから研鑽された技術が、居合いや抜刀術と言われる技に過ぎない。
「ただ、魔剣と契約したこの体なら魔力によって強化された五感と力で、普通の居合いで無理な技が実践で使えるかもな。それこそ、何でも斬って見せる抜刀術、的な。それくらいの力がお前にはあるって事だ。流石は大飯喰らいだな」
「うぅぅぅ……。って、そうだ! 体は? 沢山魔力貰っちゃったけどなんともないっ?」
「……残念ながらお前と心中できるほど柔じゃなかったらしくてな。その覚悟もしてたんだが──」
言葉にして、それからカレンが怯えた様に肩を揺らす。仕草に、過去を思い出させてしまったかと後悔した。
「…………悪い。言うべきじゃなかったな。……大丈夫だ。怪我は痛いが、魔力は枯渇してない。契約があるんだからそれくらいは分かるだろ?」
「……うん。でも、お願い。だから、お願い。もう私の所為で誰かが死ぬのはヤなの。誰も死なせたく無いのっ。だからお兄さんは……ミノだけは私の前からいなくならないでっ!」
「……約束は出来ないが、心には留めておく」
いつか破ってしまうかもしれない約束。今は大丈夫でもいずれはこの身を蝕むかもしれない契約。
その未来が不確定に存在している以上、無理な誓いには頷けない。
ただ────
「もし俺が死にそうになったら、その時はお前が助けてくれ。そしたらこの契約もきっと、ずっと続くだろうからな」
「うんっ!」
名前で縛る契約にそれ以上の戒めは必要ない。だからこそ、分不相応に誰かを信じて、助けて、助けられてを繰り返せば、少しばかりこの世界も違っては見えるのだろうかと想像を重ねながら。
妙な成り行きで手にしてしまった可憐な魔剣と共に、拾った今を紡ぎ始める