プロローグ
「少し休憩などどうですか?」
「……あぁ」
気遣うような進言に、無碍にして困らせるのもかわいそうだと素直に受け取る。
確かに慣れない仕事続きで疲労も溜まっている。適度に休息を取らなければ集中力も続きはしない。
手元の書類に署名を落とし、小さく息を吐くと顔を上げる。するとそこに広がっていたのは未だ見慣れない気品ある内装の部屋だった。
壁にかけられた鏡、色の深い木製の机、装飾の施された窓枠。
どれをとってみても老骨には過ぎた調度品ばかり。
しかし今はそんな身の丈に合わない空間が気分転換にはちょうど良いと。どこかの風景を描いた絵画を見つめて肩の力を抜いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
いつの間にか用意されていたカップ。湯気の昇る蜂蜜色の液体は、わたしの好みに合わせて用意された一杯。
森の中でよく飲んでいた、蜂蜜を弱いお酒で割ったものだ。
どこか庶民的な、しかも酒精飲料を公務中に飲むなど……と言われもしたが、味の良し悪しも分からないお茶を飲むより余程身に沁みるのだから仕方ない。
それもこれもわたしを担ぎ上げたあ奴の所為だと責任を丸投げして、小さな我が侭を突き通す。無理を言って迷惑をかけていることは重々承知だ。
とは言え望んでこんなところにいるわけではないのだ。これくらいの要望くらい可愛いものだろう。
「その後はどうだ?」
「先ほど中途報告書が届きました」
「見せてくれ」
「こちらです」
ようやくらしい振る舞いも出来てきたかと。臨時の椅子に深く腰掛け綴られた文字に目を落とす。
そこに書かれていたのは編成した調査隊の報告書。
本来ここにいるべき人物……。旧友であるセレスタイン皇帝、ゼノ・セレスタインの誘拐と言う問題は、未だ解決を見ていない。
その捜索に、動ける面子をかき集めて早急の対処に当たらせているが、今のところ色よい報告は挙がってきていないのが現状だ。
恐らく《甦君門》に連れて行かれたのだろう……。
人質として拉致されたのだ。命までをどうこうと言う話ではないはず。つまり無事に救い出す芽は潰えていない筈だ。
「それから、ミノ・リレッドノー様より便りが一通」
「そこに置いておいてくれ」
つい先日、アルマンディン王国で新たな女王が誕生した。その際に騒動があったようで、解決に《渡聖者》足る彼も奮戦したらしい。恐らくその報告と、今後に関する連絡だろう。
一緒に暮らした約二年。僅かの素養と言葉では語れない天性を兼ね備えた彼は、今や世界を背負う魔剣持ち。しかも強大な力を持つ複数と契約を交わす、このコーズミマでも類稀なる存在。
初めて出会った時には生気の薄れた濁った瞳で殺意さえ滲ませていた少年が……人間変われば変わるものだと少し楽しくさえ思う。
良い仲間にも恵まれたようで安心だが、わたしの下を離れてから一切顔を合わせていないというのはなんだか寂しい話だ。
数奇な巡り会わせで世界を取り巻く問題に巻き込まれている名無しの転生者。今回の件が片付いたら、久しぶりに剣の稽古でもつけてやろうかと笑みを浮かべる。
その為にも、彼の力になるべく──そしてわたしがこんな堅苦しい立場から開放される事を切に願いながら窓の外を眺める。
厳しい冬の季節はまだ長く。空にはまるで未来を暗示しているように薄暗く分厚い雲が音もなく漂っていたのだった。




