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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
紅玉のティアラは誰が為に
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第四章

 逗留(とうりゅう)先として用意された宿で、護衛の仕事がやってくるまでのんびり過ごす。

 と言うのも、ノーラが狙われてからまた外出に制限が掛かったらしい。まぁ当然と言えば当然。どちらも外に出て襲われたのだ。城の中の方が安全に感じるのは確か。

 結果、外に出る際に帯同を仰せつかる身としては、それ以外にやるべきことがなくて暇になるのだ。何時やってくるか分からない命の為に、待機で時間を空けておかなくてはならないというのは結構面倒な事。

 ノーラのことだからまたいつ脱走を試みて俺に頼るか分からない。時間があるからと言って傭兵業をこなすわけにもいかないのだ。


「ひーまー」

「護衛があったってお前付いてこようとしないだろうが」

「ひーまー」


 だからこうしてカレンが壊れた音源になるのも致し方のないことだとは理解も出来るが。しかしその雑音を許容出来るかと言われれば別問題なわけで。


「なら現状を打開出来る妙案とやらを出してくれるか?」

「…………。……ひーまー」


 こいつに期待した俺が馬鹿だった。

 怒る気力も湧かずに溜め息を吐けば、時間を持て余して部屋に入り浸っているユウがくすりと笑う。


「何か遊びでもしますか?」

「……何もしないよりはましだけどな。何かあるのか?」


 既にゲームはやりつくした感がある。だからこそ、何をやってもしばらくすれば飽きが来て、再び怠惰を貪るしかなくなるのだ。

 が、一時的でも気が紛れれば、少なくともカレンのサイレンが鳴り止む事は確か。とは言え既に目新しい娯楽なんて思いつかないのだが……。


「そうですね……。ではリジェスティアなんて言うのは────」


 そうしてユウが新たな遊びを提供しようとしてくれた刹那。部屋の扉がノックされる。

 思わず全員で視線を向ければ、続いて扉越しに声が響いた。


「あたしよ。入ってもいいかしら?」


 声はメローラの物。彼女は護衛対象であるソフィアについて別の町に行っていたのだが、どうやら戻ってきたらしい。

 直ぐに迎え入れれば、彼女はどこか上機嫌にベッドに腰を下ろして小さく息を吐いた。


「何かいいことでもあったのか?」

「本当は昨日帰ってきてたんだけどね。戻ったらレオノーラ王女殿下に関する噂が流れてたから少し気になって情報収集してきたのよ」

「大層な理由だな。飲んでただけだろうが」


 恐らく彼女が耳にした噂と言うのは、ノーラが襲われたと言うそれだろう。掘り返されると俺の不注意が浮き彫りになりそうな気がしたので逃げる。


「酔いはもう醒めてるのか?」

「馬鹿にしないで。幾らあたしでも潰れるのはそれが許されるときだけって決めてるの」

「なら昨日の内に宿に戻って来いって話だよなぁ」


 ヴェリエの言う通りだが、メローラにも理由があったのだろう。……一仕事終えた自分に対するご褒美と言う、彼女にとっての生き甲斐が。やっぱり彼女の体には血潮よりもアルコールの方が多量に流れているのではなかろうか。


「あぁ、それでね。これ預かってきたわよ」


 少なくとも彼女のように堕落はしまいと反面教師にしつつ、こちらに差し出された便箋を受け取る。

 差出人を見れば、そこには少し驚くような名前が綴られていた。


「……あの爺さんかよ…………」

「爺さんって確か……」

「セレスタイン帝国代理皇帝」

「ベディヴィア・セミス」


 カレンの言葉を継ぐようにチカとシビュラがリレーする。仲いいな、お前達。


「ミノがこっちに来てから世話になってた人だろ? 元《魔祓軍(サクラメント)》だっけか」

「あぁ」


 《魔祓軍》。《波旬皇(マクスウェル)》に対抗する為に組織された、各国から選りすぐりを集めた魔剣持ちの部隊。かの首魁(しゅかい)を封印し、その後の消息が不明な英雄達。ベディヴィアはそのたった一人の生き証人だ。


「何でまた」

「……幾つか想像は出来るがな」


 答えつつ、可能性を模索するよりも読んだほうが早いと中身を取り出す。するとそこには、何となく覚えのある筆跡で二枚に渡って長々と文面が続いていた。


「年寄りってのは話も長ければ手紙も冗長なのかよ」

「何が書いてあるんだ?」


 愚痴を零しつつ目を通す。


「…………………………。色々な報告や連絡と、俺個人に当てた挨拶だな」

「代理とはいえ皇帝になられたからでしょうか?」

「だな」


 ゼノが誘拐されて、国を回す為に彼が臨時で椅子についた。それはユークレースでファルシアから聞いた話だ。


「具体的には?」

「まずはセレスタインとしてだな。《共魔(ラプラス)》や《甦君門(グニレース)》関連で連携が取りたいとさ」

「願ってもない話だな」


 余りいい思い出は無いが、しかしファルシアに続いて信用出来る味方なのは確か。国が一つ後ろ盾になってくれるというのはありがたい。

 ゼノのままならこうして文書に残す事も難しかったはず。不謹慎だが、こうして表立って手を結べるのはベディヴィアに代わったお陰だな。


「で、その件に関して既に調査を進めているらしい。他の国と協力して情報を確かめて、とりあえず分かってる事を共有しようって事だな」

「こっちから出せるものなんて現場の声だけだろ」

「あぁ。けどそれを元に色々調べてくれるらしい。手が増えるのは有難いだろ」


 ユークレースの事は既にファルシアから共有済み。そこにセレスタインと、そして今回のアルマンディンでの情報が加われば、次に訪れる予定のベリルでは何かしらの先手が打てるかもしれない。

 この光明は素直に嬉しい。ようやく後手に回らなくてもよくなるかもしれない。


「他は?」

「ゼノの行方も追ってるらしい。まだ見つかっては無いようだが」

「人質なら、生きてる」

「あぁ」


 その、十分にありえる可能性に懸けてベディヴィアも動いているのだ。とは言えこれに関しては俺の方から今出来る事なんてない。

 だからこそやるべきことがはっきりとする。


「後は俺に対する手紙だ。……どうでもいいけどな」

「どうでもいいって…………」

「感謝はしてるが、親な訳じゃない。…………ま、色々落ち着いたら顔くらいは見に行くから安心しろ」


 彼のお陰で今の俺があるのは確かだ。しかし危急に会って話す事などない。向こうだって代理で椅子を引き継いで忙しいだろう。気を遣っているというのもある。


「《魔祓軍》唯一の生き残りですか……。わたしも会ってみたいです」

「ただの爺さんだぞ?」

「ミノさんにとってはそうでも、この世界にとっては重要なお方ですから」


 色々気の合うユウだが、この点に関しては埋まる事のない溝だ。彼女のスタンスまでどうこう言うつもりはない。


「まぁいい。でだ、メローラ、時間あるか?」

「えぇ。多分同じこと考えてるわよね?」

「だといいな」


 彼女と腰を据えて話が出来る。

 護衛の仕事が始まってからはそれぞれ別々に動いていたからな。やっとだ。

 私信は後回しにして、彼女に話を向ける。


「ベディヴィアに返信するにも一旦状況整理が先だ。そっちの話を聞かせてくれ」

「別に変わったことはないわよ。ソフィア王女は相変わらず大変そうだけど、レオノーラ王女みたいに命を狙われる事はないわ」

「……目星は?」

「残念ながら。戦いになれば勘でも働きそうだけど、今のところ見つからないわね」

「そうか……」


 ソフィアの方に襲撃はなし。メローラがそれを隠す必要もない。となればこれは真実で、一つの想像が現実味を帯びてくる。


「そっちはどうなのよ」

「知っての通り襲撃はあった。これで二回目だ。生憎とその先までは想像でしか語れないけどな」

「なるほど」


 声から察するに似たような事を彼女も考えているらしい。

 そうなると今の状況は余り好ましくない。……それともそれが狙いだろうか?

 淡々と必要な情報だけを交わす。そんなやり取りに痺れを切らしたらしいカレンが首を突っ込んできた。


「ねぇ、話が見えないんだけど……。何二人だけで理解し合ってるの?」

「……まったく飲み込めてないのはお前だけだ。ショウだってある程度は考えてるんだろ?」

「あぁ。ややこしいのは間違い無いが、ちょっとだけ見えてはきたな」


 大概大雑把なショウでもこれなのだ。

 けどしかし、いざという時に振るう彼女がしっかり理解していないと、その迷いが剣閃に表れる可能性がある。ここは解消しておくべき疑念か。

 小さく息を吐いて、改めて説明する。


「まず前提として、敵が捕捉出来ていない。これはいいな?」

「うん。それを探してるんだよね?」

「あぁ。で、その状況下で今までに二度、ノーラがその身を狙われたわけだ」

「一回目は出会ったとき」

「二回目はこの前」


 チカとシビュラが補足するように口を開く。この二人もどうにか話についてきている。鈍らなのはカレンだけだ。


「なのに同じく女王候補であるソフィアは狙われてない。どうしてだと思う?」

「……ソフィア王女が女王になるのが難しいから?」

「そんなのは理由にならない」

「え、違うの?」


 最初は俺もそう考えたが、どこかにいる《共魔》の視点に立って考えるとそれは瑣末な情報なのだ。


「例えばノーラを襲っていなくなったとして、得をするのは誰だ?」

「それはソフィア王女だよね」

「あぁ。だからこそそれじゃあ《共魔》は困るんだよ」

「なんで? ソフィア王女が女王になれば、傍に《共魔》がいた時に国を乗っ取れるんじゃないの?」

「そもそもなれないからだ。ソフィアがノーラを狙う理由が出来すぎてる。だからこそノーラが狙われて真っ先に犯人として疑われるのはソフィアだ。そうなれば彼女が女王になるのは今以上に難しくなる。新女王を傀儡にするならば、少なくとも変な禍根などなくどちらかが正しく女王にならなきゃいけない」


 もしソフィアに今以上の疑念の目が向けば、《共魔》だって身動きが取り辛くなる。そうすると俺達に隠れて糸を引く事が難しくなり、捕捉される可能性が高くなる。

 実力行使ではなく絡め手で世界を手に入れようとしている《甦君門》や《共魔》にとって、それは最も避けるべき未来だ。


「それに《共魔》にとって新女王がどっちかなんてのは関係ない。女王になった方に擦り寄ればいいんだからな」

「あ、そっか……。あれ、でもそうしたらノーラ王女を襲う理由は何?」

「今ある情報で考えるならば、答えは一つだろうな」

「先祖返りの力、ね」


 どうやらメローラも知っていたらしいノーラの特異性。


「ノーラの血には異世界が薄く混じってる。それが彼女の体に《逓累(テイルイ)》って言う能力を発現させた。その力は、魔をブーストするって言う、簡素で強力なものだ」

「使い方次第では強大な武器になる。《波旬皇》の封印を解く手段の手掛かりにもなり得るから《甦君門》が欲しがってるってわけね」

「加えて今は俺がノーラの護衛だ。カレンを囮にした方はあからさま過ぎて手を出しては来なかったが、だからこそ絡め手を得意とするあいつ等が、より迂遠な方法で干渉してきた」

「王女殿下の力と、ミノが契約する力。それから傀儡女王の擁立(ようりつ)。三つを同時に狙えるってのは、向こうにとっても都合がよかったんだな」


 あの時、教会で人質に取られたノーラ。あれは様々な可能性を孕んでいたのだと、今になって気付く。

 《甦君門》はいつだって複数の方法論で《波旬皇》復活を目論んできた。

 カレンの力。チカの魔術。ユウの魔瞳(まどう)。シビュラの叡智。人工魔剣。国の乗っ取り。そして今回の、ノーラの特異性。

 その全てに可能性があって、そのどれもが目的足りえる狙い。

 事今回に限って言えば、人工魔剣以外の全てが集約している問題だ。


「しかもそのどれもがまだ失敗してないって事だ。またいつ向こうから仕掛けてくるか分からない」

「けどお陰で見えてきた物もあるな」


 ショウの言う通り、朧気だが敵の存在をも掴めて来た。


「狙いが絞られれば、対抗策の打ちようもある。問題はそんなこと相手も承知って事だ」

「今まで以上に慎重になられると困るよ」

「結局後手」


 チカが言うように、こちらが構えていると分かれば向こうだってリスクは犯さない。

 それに存在は何となく分かっても正体までは掴めていない。だから向こうから仕掛けてくるのを待って返り討ちにするという構図は今までと一緒だ。


「あの時捕まえた人たちから何か分からないの?」

「出来たらしてる。それに国だって馬鹿じゃない。尋問なり魔術的な調査なりはしてるはずだ。それで漏れて来ないって事は、まぁそういうことなんだろうな」


 オセウスが握り潰すとも思えないし、自分達だけで解決などと言う愚かな真似はしない。彼ならば、娘の身を守る為にも俺やメローラを抱き込んで対外的なアピールくらいにはする。加えて、国が麻痺した時に頼れる外部戦力として協力関係くらいは取り付ける。

 それをして来ないという事は、そもそも情報自体が手に入れられていないという事だ。

 魔術的な何かで記憶を改竄(かいざん)したりと言うならばチカやユウの力を借りればどうにかなるが……事はきっとそれ以前の問題。


「えっと……?」

「もう分かってると思うが、《共魔》は既に国の内側だ。そうじゃなければノーラの行動を逐一把握したり捕まったはずの悪党を秘密裏に逃がしたりなんて簡単には出来ないからな」


 状況は思った以上に最悪だ。一番痛いのは現状ノーラ達の傍にいられないこと。これならまだいざという時に行動に移せたセレスタインの時の方がましだ。


「…………やっぱり無理にでも何かアクションを起こすべきか?」

「こちらが後手になるより相手が後手になる方が厄介だと思いますが……」


 冷静なユウの言葉に舌打ちを漏らす。

 きっと向こうはノーラどころか俺達の動きすらを把握していると言うのに……。ここまで雁字(がんじ)搦めでどうしようもないと、一周回って清々しくさえ思えてくる。


「理想としてはセレスタインやユークレースが首を突っ込んでくれるのが一番なんだがなぁ……」


 無理難題を口にして、思考を切り替える。

 考えても仕方ない。とりあえず最低限今できる事から始めるとしよう。

 その為にはオセウスにどうにかして会わないとなのだが……。

 そう考えた直後、部屋の扉がノックされる。苛立ちを紛らわせようと椅子の後ろ足を軸に揺らしながら話に参加していたショウが真っ先に立ち上がり戸を開ける。するとそこに立っていたのはこの宿の主人である男性だった。


「お(くつろ)ぎとのところ失礼致します。お客様が階下でお待ちでございます」

「客? そんな予定聞いてないが……」

「話してても(らち)が明かないなら別にいいんじゃない?」


 どうせ外には行こうとしていたのだ。噂を聞きつけて依頼にやってきた無関係なら、悪いが断るとしよう。

 思いつつ腰を上げて今回はカレンも一緒に。魔剣三振りに魔瞳と魔篇(まへん)と《渡聖者(セージ)》が二人。肩書きだけで物々しい面子だと客観視しながら階段を下りれば、そこにあった顔に少しだけ驚いた。


「……オセウス…………?」

「これでも一応国の主なのだがな。まぁよい。君達に話があって来たのだ。少しいいだろうか?」

「あぁ、こっちも丁度用があったところだ」


 彼の方から出向いてくれるとは都合がいい。目下一番の協力関係を築きたい相手だ。いいように利用させてもらうとしよう。


「話って全員聞かなきゃ駄目かしら?」

「いや、そんなことは無いが。何か用事でも?」

「用事って程ではないけれど、無用心だと思っただけよ。王女殿下から目を離して大丈夫なの?」

「あれでも王族だ。身の振り方は心得ている」

「なら友達に会いに行ってくるわ。それならいいでしょう?」


 どうやらメローラはオセウスの不在を気にしているらしい。ノーラが狙われてからオセウスが城を離れるのは俺が知る限り初めてのこと。その間に《共魔》が手を出さないとは言い切れない。いざと言う可能性を考慮してメローラが護衛に付こうと提案しているのだ。

 確かにそれならば俺もある程度安心してオセウスと話を出来る。


「……好きにしてくれて構わないが、面倒だけはかけてくれるなよ?」

「善処はするわ」


 信頼もしているが、メローラがいれば更なる安全が確保されるのも確か。これまではオセウスの目があったから宮中の護衛は外されていたが、これでようやく内側の調査が出来る。


「じゃ、そっちは任せたわよ」

「あぁ」


 戦いに身を投じてきたお陰か、メローラの勘はそれなりの精度。頭でっかちに色々考える俺よりは彼女の方が得られる物が多いはずだ。

 ……なんて、そんなのはきっと俺がメローラを信じたい理由。彼女の本心は恐らく、ややこしい話に付き合いたくないから建前を振りかざして逃げいているだけだ。

 とはいえ一々そんな事を指摘するのも野暮と言うもの。とりあえずは彼女なりのやり方に任せつつ俺は俺に出来る事を成すだけだ。

 メローラを見送り、オセウスと共に宿を後にする。乗り込んだ馬車に腰を落ち着ければ、彼は小さく息を吐いた。


「お疲れか?」

「まだ国王を退いたわけではないからな。新たな女王を玉座に据える準備もあって色々忙しいのだよ」

「国の主ってのも大変だな」

「面倒な(しがらみ)ばかりよ。その点、皇帝代理殿が羨ましいな」


 ベディヴィアと面識があるらしい。《魔祓軍》時代だろうか。


「あいつの事知ってるのか」

「一時期アルマンディンに滞在していたことがあるからな。必要以外語らない寡黙な男だ」

「そこは昔からか」


 向けられた視線に、今更隠すべきでもないと答える。隣の視線も興味津々だしな。


「半年ほど前まで一緒にいた。二年近く匿われてた。ただの頑固じじいかと思ってたが、性格だったとはな」

「だからこそ捧げた剣に嘘はない人物だった。飾らず、周りに流されない実直さは信頼に値する。そんな彼が皇帝代理と言うのは色々思うところもあるが、手を取るのに不必要な腹の探り合いをしなくて済むのは僥倖(ぎょうこう)だろう?」


 森の中で一緒に過ごしていたときからそうだったかが、彼は無駄話を嫌った。口を開くときは、それが彼にとって大切な時だけ。

 特に記憶に残っているのはほぼ無理やり叩き込まれた剣術指南の時だ。

 彼は道楽だと言っていたが、今になって考えてみれば、あんな結構な歳の爺さんが現役に引けを取らない剣捌きをしていたことがおかしかったのだ。あれは《魔祓軍》として一人残された、彼なりの贖罪(しょくざい)だったのだろう。

 己に染み付いた力を忘れないように振るう。ついでに剣など振ってこなかった素人に生きる術を教え込む。ベディヴィアにとってあれは、俺への優しさなどではなく、己へ課した責務だったのだ。


「それで? 俺にセレスタインとの交渉役にでもなれって言うのか? そんな事を言う為に尋ねてきたわけじゃないだろ?」

「本題は《共魔》についてだ」


 そちらの方面でも期待はされているらしい。彼も大概飾らない性格だ。そう言うところは素直に好感が持てるな。分かり易くとも話が迂遠なファルシアとは正反対だ。


「その名前自体はここ最近知ったのだがな。不穏な動きに関しては前々から気に掛かっていたのだ」

「やっぱり内側か?」

「あぁ。だがそれ以上の違和感は外からだ」

「外?」


 口振りから察するに《共魔》は宮中に潜んでいるのは確かだろう。しかしオセウスにはそれ以外の何かがあるらしい。


「派閥であったりは有り触れている。それが今回の王選で分かり易く顕在化し始めている事に関しては今更で、想定の範囲内だ。だがそういうのは普通内側だけに留まるものだ。市民にまで及ぶというのはおかしな話だろう」

「……どういうこと?」

「女王候補が二人。それぞれを支持する奴らが結構はっきり割れてる。だからそれが市井の雰囲気まで飲み込んでる。ソフィアよりノーラが優勢ってのは分かるな?」

「うん」

「けど本来、そうした権力闘争が市民の側にまで漏れ出るってのはおかしいんだよ。薄汚いやり取りは隠す方が得だ。敵を(おとし)め味方を担ぎ上げる。それで市民の意識を操作しようとする。それが普通の面倒なやり口だ」


 選挙に例えれば分かり易い。

 立候補者が競い勝つためには民からの信頼が必要だ。その為に国の、民の為になる政策を掲げて一票を得ようとする。

 逆に不信感が広がれば、民からの信頼は崩れてしまう。


「王選は国民の投票によって決まる。その指標の一つとして、どんな有力者が味方にいて、将来どんな女王になるかを見定める。そこに不穏な要素は必要ないだろ?」

「それが目に見えるほどに町に及んでるってこと?」

「簡単に言うとな。本来選挙には必要無いものが溢れてるんだ。だからこそおかしい。後ろ暗い部分を浮き彫りにして候補者どころか支持者……果ては国全体まで(おとしい)れかねない形のない何かが漂い始めてる」

「《共魔》の狙いがそこにあるの?」

「このまま燻りが大きくなれば、最終的にどうなると思う?」

「…………国への不信感が強まって選挙どころじゃなくなる……。大混乱を起こそうとしてるって事?」

「もしそうなら、その騒動の中で本当の目的を達する為に動くつもりだろうな」

「だが必ずしも悪い事ばかりでもないのだ」


 続いたオセウスの言葉に耳を傾ける。


「暗闇に光が当たると言う事は、今まで効果を発揮しなかった自浄作用が期待出来る」

「……上手くすれば国にとって厄介な輩を排除も出来るって事か」


 《魔祓軍》を立ち上げて《波旬皇》相手に国々が協力できていた昔ならいざ知らず。共通の敵がいなくなって腹の探り合いをしている今は、それぞれが陰ながらの牽制をし合っている。

 魔剣に関するバランスはユークレースが取っているが、政治的なそれは管轄外。スパイなり工作なりは少なからず存在するのだ。

 その不穏分子を晒し上げての掃除も、この際のやり方によっては可能。

 時代を娘に任せようとしているオセウスだからこそ、自分の代の置き土産まで継承させたくは無いのだ。

 次の国王はそこから始まる時代。面倒な柵は出来る限り取っ払いたいと言う彼の思いは、公私共に彼の願い。最後の仕事として、出来るならばと色々考えているのだろう。


「それに俺達も協力しろって事か?」

「手を貸してくれると言うのならば願っても無い話だがな。《渡聖者》を抱き込んだと言われるのは外聞に響く。そっちに関して頼るつもりはない」

「《共魔》、ですか……」


 ユウの声にオセウスが頷く。

 俺よりも早く彼の真意に気付いた彼女は、少しだけ渋い顔をして呟く。


「ですが恥ずかしい話、未だ彼らがどこに潜んでいるかを把握している訳ではありません。出来ないことは出来ませんよ?」

「それとも陛下には何か考えでもあるのか?」

「それなんだがな、先程の話を踏まえてとなると君達はどう考える?」


 ショウの問いに返ったオセウスの声。

 直ぐに思考を巡らせれば、一つだけ見えた可能性を音にする。


「…………怪しくない方が逆に怪しい、か」

「もうちょっと私にも分かる会話してよ~」


 きっと途中から理解を諦めていた鈍らに嘆息して、どうにか噛み砕いた説明する。


「……オセウスは選挙に合わせて宮中の掃除をするつもりだ。オセウスもそうだが、次期女王になる二人やアルマンディンにとって害となる存在のな。けどそれはあからさまに不穏な動きをしている輩に限られる。でだ、これまでの事を合わせて考えた時に、《共魔》がそんな間抜けな事すると思うか?」

「それはないかな。だってミノがこれだけ考えても手掛かりが殆ど掴めないくらい隠れるのが上手なんでしょ?」

「認めたくは無いがな。じゃあこの場合、そいつらはどこにいると思う?」

「…………あ、そっか。邪魔者扱いされない中ってことか」

「有力者を根こそぎ交換するのは色々面倒だからな。それに、因縁吹っ掛けて無理やりそんな事をすれば、今度はオセウスたちが追い詰められる。だからこそ、《共魔》はその安全圏に潜んでいる確率が高い」

「国王陛下が手を出せない部分。もし本当にそこにいるのならば、陛下のお目溢しを頂いて、《渡聖者》の側面からミノさん達が炙り出す。……選挙ももう直ぐです。ここまでわたし達を(かたく)なに遠ざけていたのはこれが理由だったんですね?」

「君達が我が物顔で宮中を歩き回っていては警戒もさせてしまうからな。いざという時に頼る為に仕方なかったのだよ。本来ならば彼女達の身の安全を最優先に特権でも与えてずっと護衛をして欲しかったのだがね」


 娘を、国を思うが故に、苦肉の策としてここまで明かさずに準備をしてきた。オセウスには既に、俺達を縛る理由もないというわけだ。

 ……アルマンディンに来て《共魔》の話をしたときからこれを考えていたというのならば、やはり食えない老獪(ろうかい)だ。これが国を預かる者か。

 《渡聖者》に自惚(うぬぼ)れたつもりは無いが、個人など、より強大な存在の前にはこれほどまでに無力だと改めて痛感する。

 まぁ、今回に限れば衝動に任せて無理に首を突っ込まなくて正解だったと納得しておくとしよう。


「決行は?」

「そんなに大々的に行ってはそれこそ国民の不安を煽ってしまうだろう。王選と同時進行で内々に。次期女王が決まったその瞬間からが勝負だ」


 選挙が決着すれば、次には新たな女王に対してのアプローチが始まる。その勇み足を先回りして頭を叩こうと言うのだ。


「王選が終われば護衛も終わりかと思ってたんだがな」

「現実は物語ではないのだ、青二才。過去より連綿と続いているというのは、更なる未来がその先にあると言うこと。歴史と言う本に、終わりなどないのだよ」

「一つの時代を終わらせようとしてる生き字引が言うと説得力が違うな」


 売り言葉に買い言葉を紡げば、オセウスはどこか楽しそうに口端を歪める。

 俺の《渡聖者》としてのこれからが彼の治世でなくてよかったと、心の底から安堵した。


「…………で、今更なんだが。この馬車はどこに向かってるんだ?」

「少し外に出向く用があってな。悪いが護衛を頼めるだろうか?」

「仕事だからな」


 今後彼との協力は密にする必要がある。その信頼関係の構築に、一肌脱ぐとしよう。




              *   *   *




「ってな訳で遊びに来たわよ」


 外出制限を掛けられている王女二人にここへ来た上辺の理由を説明する。

 目の前には簡素ながらも上品な衣服に身を包んだソフィア王女殿下とレオノーラ王女殿下が、仲睦まじく沈黙を共通の友人として座っていた。

 どうでもいいがあんな裾のひらひらした服、よく涼しい顔で着られるものだ。あたしなら羞恥で思いっきり破っていそうだ。


「メローラ様とは謁見の間でお会いして以来ですね。お久しぶりです」

「ここ最近お転婆も鳴りを潜めてたみたいだから気になってたけど、元気そうで何よりよ」


 流石に第二王女殿下の脱走癖に関しては、色々大雑把なあたしも思うところがある。特に彼女は味方が多く今回の王選でも姉を大きく(しの)ぐ有力候補。言ってしまえば、より次期女王の座に近い彼女が責務を放り出すような気晴らし方法を好んでいるのはいかがな物かと言うことだ。

 幾らあたしでもそこまで無関心なのは擁護しきれないと。分不相応に窘める意味を込めて皮肉を告げれば、レオノーラ王女殿下は少しつまらなそうにこちらを見つめて少しだけ話題の先を逸らしてくれた。


「お二方が責務を忠実に果たしてくださっているお陰ですよ。それで、わたしの護衛さんはどちらに?」

「今頃はお二人のお父様と一緒に、機知と深い思慮に富んだお話をしている頃かと」


 言葉の感じから察するにどうやらミノはこの王女様を随分と(たら)し込んだらしい。あれは中々に面倒な生き恥を晒している。まぁ、見ている方は楽しくて、いい酒の(さかな)ではあるのだけれども。


「メローラ様は同席されなくてよろしかったのですか?」

「人には役割と言うものがあるのですよ、ソフィア殿下」


 飾って答えれば、彼女は面白くなさそうに視線を逸らしてくれた。

 後、妹の前だからか口調がいつもの乱暴なそれではないのが少し面白い。それが彼女なりの姉としての振舞い方なのだろうか。彼女も大概不器用な事だ。


「と言う事はお父様は今城内にはいらっしゃらないのですね。それは良い事を聞きました」

「悪いけどその提案に関してはあたしの方から口を挟んでもいいと許可を貰ってるから。先に言っておくけど、あたしはミノほど優しくないわよ?」

「………………」


 今度はレオノーラ王女殿下から恨むような視線を頂戴する。

 一人で二人を守りきるのは流石のあたしも面倒だ。一箇所に固まっていてもらわないと困る。結果それでお二人が会話の代行行為として一々あたしを介するのだとしてもだ。

 ……なんであたしが板ばさみにならなければならないのか。まぁ国王陛下の小難しい話に長々とお付き合いするよりは余程気楽ではあるけれども。

 そんな事を考えていると、レオノーラ王女殿下が静かに立ち上がる。次いで彼女が気品さえ漂わせる足取りであたしの目の前にやってくる?


「それでも冒険心は留まらない?」

「いえ、お手洗いに。メローラ様はどうされますか?」


 早速の別行動の提案。折角の姉妹だと言うのにどうして楽しく一緒の空間にいられないのか。悲しい話だ。

 少しだけ考えて答える。


「……二人を守るつもりではいるけれど、どうしようもなく体は一つなの。その上であたしはソフィア王女殿下の身を守る方が優先だからここを動けないのよね」


 ちらりと第一王女殿下に視線を向けるが、彼女は窓の外を眺めて聞こえない振り。こういう時こそお姉ちゃんするべきではないのだろうか……。

 しかし彼女が動かないというのならば仕方ない。


「では使用人でも連れて行けばいいかしら?」

「しっかりと戻ってきてよ?」

「それがお望みとあれば、ですが」


 今の言葉があたしに向けられた物でない事くらいは分かるつもりだ。仲が良いのやら悪いのやら……。

 仕方なく彼女を部屋の外へと送り出せば、扉が閉まってしばらくの後、小さい溜め息の音が耳に届いた。見れば残された王女殿下が憂うような、羨むような視線であたし見つめていた。


「そんな視線を向けるくらいならもう少し素直になったら?」

「王選の最中よ」

「それじゃあこれが終わったら(わだかま)りもなくなるのかしら?」

「能天気な話。旅人はお気楽で羨ましいわ」


 嫌味を言うくらいならせめてそれに見合う努力をすればいいのに。諦めるのはどうにもならなくなってからで良い筈だ。

 雁字搦めな外聞なんて投げ捨てて、自分の気持ちに素直になれる日は来るのだろうか。王選だとか女王だとか、そんなことよりも余程大切なそれらを嘆きつつ八つ当たりを受け止める。

 すると反論しない事に寂しくなったのか、彼女は拗ねるように膝を抱えた。


「……分かってるわよ、馬鹿っ」

「可愛いお姉ちゃんね」

「うるさい!」


 テーブルクロスが中途半端に空を舞った。流石にちょっとからかいすぎたか。

 反省と共に視線で謝罪する。


「誰かっ!?」


 刹那に、耳に届いた悲鳴のような声。

 直ぐにそれがレオノーラ王女殿下の物だと気付けば、足が動いた。

 扉を蹴破るようにして廊下に出れば、陽の差し込む通路に彼女の姿を捉える。次いで、その後ろから王女殿下の体を拘束し、首筋に刃物を添えた男の姿を見る。


「メローラ様っ」

「王女殿下、お静かに。おれだって必要以上に傷付けるつもりはないんです。どうかご理解を」

「っ……」

「……あなた、《共魔》ね?」

「お察しの通り」


 状況を飲み込んで真っ先に至った結論を口にすれば、男は飾らず頷いた。

 ここまで素直だと逆に不気味なのだが……しかし肌を刺す威圧感は本物。まだ魔力こそ隠しているが、滲み出る真剣さが物語っている。

 彼は間違いなく今あたし達の敵だ。


「国王陛下がいなくなったからって急ぎ過ぎじゃ無いかしら?」

「こちらにも事情があるのですよ、《裂必(レッピツ)》殿」


 話して、情報を探りながらヴェリエを抜き放つ。途端、男の存在感が並の魔物を凌駕するほどに膨れ上がった。


「よろしいのですか? 王女殿下がどうなるか分かりませんよ?」

「傷付けられない癖に。その子が持っている力を利用しようとしている事くらい既に分かってるわよ?」

「ふむ、ならば仕方ありませんね。では当初の予定通り──」

「空間転移で逃げようとしても無駄よ。それも知ってる」


 廊下を漂い始める紫色の(もや)。それはあたしが……あたしだけが使うあたしの証。

 稜威権化(いつごんげ)なんてご大層な名前を付けられた、魔障(ましょう)を操る力。その一端だ。

 ヴェリエとの逆縁が紡いだ過去が(もたら)した、類稀なる力。人を超える姿や力を顕現させる魔障操作の魔術は、ミノとの出会いでして見せたように身に纏って人外の力を振るうだけが能ではない。

 これはヴェリエと共に研鑽した魔障の有効活用の形の一つ。魔障を辺りに振り撒いて空間を掌握し、相手の魔術の起動を妨害する。これで彼は転移魔術でこの場を逃げる事は出来ない。

 問題は、魔障を操る魔術で出来ることは一度に一つだけ。つまり相手の魔術を妨害している間は、あたし自身の力として振るうことが出来ないのだ。

 がしかし、条件はほぼ対等にまで引き()り下ろせる。

 何せ向こうはあたしのばら撒いた魔障で魔術の使用を阻害される。幾ら《共魔》と言う特異性があっても、それさえ封じえしまえばミノと同じくただ魔力が膨大なだけの個人だ。

 そうなれば物を言うのは自力のみ。驕るわけでは無いが、事剣術に関してはそれなりの自信がある。魔術が使えない状況下なら、その力で捻じ伏せられる。


「悪いけど、あんたはここで捕らえる。《波旬皇》の復活なんてやらせはしない」

「そんなに睨まないでくださいよ。手が震えてしまいます」


 言いつつ、微かに力を込めた刃がレオノーラ王女殿下の白い首筋に押し付けられる。

 斬り合えばどうにかできるだろう。しかし人質を取られている現状では無闇な行動は出来ない。男が彼女を傷つけることが出来ないのと同じく、あたしにとっても護衛対象。盾にされるのは厄介だ。


「……さて、この膠着状態。どうしましょうかね?」

「………………」


 魔障の力は魔術で制御している。つまりあたしの魔力が尽きれば暴走してしまうのだ。

 《甦君門》の《共魔》ならばその事を知っていても不思議ではない。時間稼ぎに乗ってやるつもりはない。……ない、が。こういう時に斬る以外の策が思いつかないのはあたしの悪い癖か。

 さぁ、時間制限付きの睨み合い。どこかに突破口を探さなければ……。




              *   *   *




 国王陛下の護衛。まさか人生でそんな事を体験するとは思わなかったと一人ごちながら、会談の様子を後ろから眺める。

 話に不穏な空気はない。護衛と言うのも体裁で、話し相手もきっとオセウスにとっては信頼に足る人物たちなのだろう。俺がここにいるのは成り行きに過ぎないという事だ。

 ならば別に同じ空間にいる必要は無い筈だ。……なにより、ずっと立っているのは少し疲れた。かれこれ30分以上話をしているのを眺めているだけ、退屈が振り切れて欠伸の一つでも漏れてしまいそうだ。

 とは言えオセウスの面子を潰すわけにもいかず、どうにか耐えながら後どれくらい掛かるか分からない話し合いをぼんやりと見つめる。


『ねぇミノ、飽きた』

『お前は俺の腰にぶら下がってるだけだろうが。言っとくがお前結構重いからな?』

『なぁっ!? そう言うの失礼だと思うんだけど! 発言の撤回と謝罪を要求するよっ!』


 堅苦しい会議に触発されたか、鈍らが胡散臭い言葉を並べる。んなことしても直ぐに刃こぼれするだけだぞ、やめとけ。

 とは言え彼女の言う通り退屈しているのも事実。幾ら必要だからとは言えそろそろ城の方も気になるのだが……。

 と、そんな事を考えた直後だった。


『ミノ、誰か来るよ』


 チカが忠告するのと同時、いきなり大きな音を立てて開かれた扉。咄嗟にカレンへ手を掛け前傾から踏み込もうと全身に力を(みなぎ)らせた所で、跳び込んできた人物に見覚えがある事に気が付いてどうにか留まった。


「騒がしいな。一体何事────ソフィア、どうした。会談中だぞ」

「突然の事、お許しください。お父様、緊急事態です! 直ぐに王宮へ戻ってください」


 微かに乱れた若草色のショートヘア。少しきつめの顔立ちに嵌った青紫色の双眸には、焦燥と緊張の色。

 俺個人としては殆ど関わりのないこの国の重要人物。オセウスの娘にしてノーラの異母姉妹……ソフィア第一王女殿下。

 本来ならば城でメローラが護衛に当たっているはずの彼女がそこにいる事に軽く混乱する。


「……何があった。詳しく申せ」

「ノーラが人質にっ。今メローラ様が相対されています!」

「まさか、《共魔》か……!」


 オセウスの声に、それから俺もようやく理解が追い付く。どうやらオセウスが城を離れた隙に行動を起こしたらしい。

 ……にしては少しタイミングが気になるが、必死なソフィアの様子から察して嘘ではない様子。

 直ぐに胸の内を入れ替え、オセウスに意見を仰ぐ。


「で、どうする?」

「無視など出来まい。直ぐに戻るっ」

「っ、ミノ・リレッドノー……!」


 遅ればせながら俺に気付いたらしいソフィアが睨むようにこちらを見つめる。

 まさか操られたり……と過ぎった刹那、彼女は意を決したように俺の傍に駆け寄って縋るように声にした。


「お願いっ、ノーラを助けて!!」

「…………」


 強く掴まれた服の裾。震えた掌に、懇願するような真っ直ぐな視線。

 俺は彼女の護衛ではないから詳しい事は知らないが、少なくともこれが誰かの差し金でないことくらいは分かる。それくらいに逼迫(ひっぱく)した声音と感情に、次いでショウに確認を取った。


「……頼んでいいか?」

「あぁ。行ってくれ。国王はオレに任せろ」

「分かった」


 果断な物言いに疑う必要は感じない。直ぐに気持ちを切り替えてソフィアに向き直る。


「泣くな。行くぞ」

「……っ、泣いてないっ!」


 目端に輝く本気の証を拭った彼女が後から付いてくる。建物の外に出て直ぐ傍にいた馬に跨れば、ソフィアに向けて手を差し伸べた。


「話は道中で聞く」

「あたしの馬なんだけど……!」


 言いつつ後ろに乗った彼女が、少し強く俺の腰に腕を回してしがみ付いたのを確認すると、直ぐに王宮へ向けて馬を走らせた。

 



「……なるほど。何となく理解した」


 道中、ソフィアの口から語られた経緯は単純だった。ノーラが一人になった所へ現れた男が、彼女を人質に取りメローラと睨み合いに。そこでソフィアはこうして助けを求めてオセウスのところまで馬で一人駆けて来たということらしい。

 理由が分かったからこそ、引っかかっている疑問を口にする。


「一つ訊かせてくれ。ノーラの事を(うと)ましく思ってたんじゃないのか?」

「はぁ? 何よそれ、誰がそんなこと言ったのっ?」

「違うのか?」

「当たり前じゃない! あたしはただ、あの子を守りたいだけよ!」


 疑う余地もない真っ直ぐな言葉に、認識を改める。


「今回の王選だってそうよ。あの子が女王になりたくないのなんて知ってる。……けど宮中の立場の所為であの子ばかりが担ぎ上げられて……。あたしはあの子が望まない事を押し付けるつもりなんてない。あの子が嫌だって言うなら、あたしが代わりに女王になるだけ。そうすればあの子は今の面倒な柵も今以上はなくなって、悪い大人にいいように使われる事もなくなる。それが……あたしのお母さんの願いなの」

「願い……?」

「あたしの母親とノーラの母親、幼馴染だったのよ」


 初めて聞く話に、静かに耳を傾ける。ソフィアは、大切な宝物の蓋を開けるように、訥々(とつとつ)と語り始める。


「あたしの母親があたしを身篭った時は、まだ即室だった。その頃はノーラの母親……現王妃もまだ側室にはいなかったの。けどお母さんがあたしを身篭り、王妃になって直ぐ、あの子の母親がお母さんの代わりに側室に入ったの」


 王の系譜を絶やさないため。ソフィアの他にいざという時の二人目を作る。それが側室に求められた唯一だ。

 だからその可能性を少しでも増やすため、減った側室を補充した。話から察するに、ソフィアの母親が口を利いて幼馴染を引き立てたのだろう。


「そうしたらしばらくして、その人がノーラを身篭ったの。……お母さん、自分のことみたいに喜んであたしにその時の事を何度も話してくれたわ。立場は少し違うけど、これでまたずっと一緒にいられるって。最初に自分だけが側室になって幼馴染と気軽に会えなくなったのが寂しかったって。ノーラのことも実の娘みたいに育てて行きたいって」


 聞いていた印象とは全く違うソフィアの母親の顔。彼女はソフィアを身篭る際に抜け駆けをした事で側室に恨まれ、命を狙われたと。

 しかしソフィアの語る彼女の母親は、俺の中の狡猾な姿とは真逆の、温かく優しい色を纏う。


「……けどお母さんは、あたしを身篭る際に周りを蹴落とした。それが祟って敵を作り、あたしが九歳の時に殺されたの」

「………………」

「もちろんそれを擁護しようとは思わない。結果的にあたしが生まれて、ノーラが生まれた。それだけ」


 言葉に嘘は感じない。ノーラを恨んでいる様子もない。


「もちろん初めは色々思うところがあった。お母さんの代わりに、ノーラを生んだあの人が王妃になって、彼女の周りには味方が沢山いた。あたしは第一王女だけど、卑怯者の娘として(そし)られた。先祖返りがどうとかで、ノーラもあたしにはない特別な力も持ってた。だからノーラを羨んで、嫉妬して、憎んだ事も確かにあった。……けど、ある時ノーラのお母さんに手紙を渡されたの。それは、死んだお母さんからのものだった」


 恨みを買って命を狙われていることが分かっていた。だからいざという時の為に幼馴染であるノーラの母親に託していたのだ。


「その手紙で、あたしは知ったの。国王の寵愛を受けた身として一緒にいられて嬉しいって。お母さんが宮中で敵を作ったときも、最後まであの人はお母さんの味方をしてくれたって。感謝の言葉が沢山書いてあった」


 知ってしまえば、憎むなんて筋違いで。そこで先ほど彼女が語った言葉が蘇り、何となくその思いを察する。


「同時に、お礼がしたいって綴ってあった。ずっと助けられてきた。だからどうにかしてお返しがしたいって……。具体的な事は何も書いてなかった。当然お母さんの口から直接聞いたこともなかった。…………けど、一つだけ見つけたの。あたしに出来る事……あたしにしか、出来ない事」

「……ノーラを守る、か…………」


 腰に腕を回ししがみついたままのソフィアが背後でこくりと頷くのがわかった。


「あの子は、お母さんが残してくれた希望。絶対に汚させちゃいけない、あたし達の夢……。だから、決意したの。例えどれだけあの子に嫌われようとも、あたしがあの子を守って見せるって。あたしは、あの子のお姉ちゃんだから。……でも、何も出来なかった…………」


 後悔を噛み締めるように服を握る彼女の掌の力が強くなる。


「あの子が命を狙われる度に無力さを噛み締めて。傍にいなくてもあたしの悪評に巻き込んで。……(あまつさ)えノーラが人質に取られたのを見たとき、あたしは何も出来なくて…………逃げる事しか出来なかった」

「本気で逃げたわけじゃないだろ? 俺のことだってまだ認めてないだろうに、それでも頭を下げた熱意は本物に感じたぞ」

「あれは、忘れて……」


 縋るように泣きついた事が恥ずかしかったのか、尻すぼみに声を小さくするソフィア。けれど言葉にした通り、彼女は自分に何も出来ないことがわかった上で、恥を忍んで他を頼ったのだ。それはただ他人を使うより難しい決意。

 だからこそ、認識の改まった頭で思う。


「自分の大切な物に必死になって誰かに助けを乞えるってのは、立派な資質の一つだと思うけどな」

「……国のトップが持つにしては優しすぎる。付け込まれるだけ」

「行動のことじゃないっての」

「……………………」


 その心持ちこそが、国を導くのに必要な……王として民の先頭に寄り添って立つ素養。そんな事はきっと、俺に言われなくても分かっているはず。

 ただこれまでノーラの為に身を粉にする覚悟で気を張り詰めてきた彼女にとっては、そう簡単に認められないことなのだろう。


「同情するわけじゃないが、俺はノーラよりあんたの方が相応しいと思うぞ」

「今更、遅いっての…………」


 ソフィアのしている事は矛盾している。自分が女王になりたければ、ノーラを助けなければいい。

 けれどその矛盾を肯定する第一感情こそが、今ソフィアを突き動かしている衝動だ。それはきっと、何よりも優先される──愛情なのだろう。

 ……俺が、最も飢えている物かもしれない。だから少しだけ、羨ましく感じる。


「ま、それは別として。俺はまだノーラの護衛だからな。王選がしっかり開催されるように、仕事は果たしてやるさ」

「ふんっ」


 可愛げのないことで。こんなときでさえプライドに飾られた彼女の反応に、場違いに頼もしく思いつつ馬を走らせる。

 目の前に焦点を結べば、直ぐそこに渦中の王宮が迫っていた。




 人二人を乗せて少し無理をさせた馬を労いつつ下りる。騒動の所為か、門番もいなかった城門を潜れば、そこは既に戦場と化していた。

 甲冑に身を包んだのは城を守る騎士達。そんな彼らに相対するのは、武装というと剣を一振り握っただけの連中ばかり。けれども訓練された騎士と互角に渡り合っている辺り、普通ではなさそうだ。


『ミノ、あれ人工魔剣だよ』

「……なるほどな」


 チカの声に納得する。改めて注意してみれば、連中はそれぞれ特異な力を発揮して景色を荒らしていた。

 確認にソフィアに問う。


「奴らの顔に見覚えは?」

「……ないわ。けど多分、野盗とかそういう類のごろつき連中でしょ?」


 王女様にしては随分と世間を知っているようで。どこか箱入り感のあるノーラと比べると、ソフィアはリアリストというか、しっかり目の前を見つめ足下を踏み(なら)している感がある。


「となるとこれは陽動か……」

「どういうこと?」

「あいつ等が振るってる剣は《甦君門》の連中がばら撒いてる魔剣の粗悪品だ。扱いを間違えれば所有者を飲み込んで魔物に変貌させる使い捨て前提の飛び道具」

「人工魔剣…………」

「なんだ、知ってたのか」

「噂で、だけれど。本当だったのね」


 ならば話が早いと。城内のあちこちで戦闘を行う様子を尻目に、城の内部へと足を踏み入れる。

 中は外と違い静かなもので戦闘も起きておらず、既に使用人たちは避難をしているのか閑散としていた。お陰で面倒なくノーラ達を探せる。


「外のあれは恐らく中に騎士を入れない為の工作だ。つまり──」

「目的は国の襲撃や王選の妨害じゃなくて、ノーラ…………」


 オセウス不在に事を起こしたのがその証。しかし引っかかる事は存在する。


「けどどうして今なんだろうな」

「え……?」

「これを起こしてる主犯は《甦君門》……その中でも特別な、《共魔》って呼ばれる連中だ」

「お父様から聞いてる。国を狙って直ぐ傍に潜んでるかもしれないって。確かセレスタインとユークレースでもあったんでしょ?」

「あぁ。だが奴らは嫌になるくらい陰湿で用意周到だ。想定外が起きないとまず目立つ行動は起こさない」


 過去二件の《共魔》絡みは、終わって考えてみれば俺が不確定要素となって干渉した事によって相手が動く理由を作った。

 だが今回のこれはそれはと少し違うのだ。


「あいつらは次期女王が玉座に就いた後に、その側近のような立場に収まってアルマンディンを傀儡にする予定だった筈だ。そこに俺達が来て、唯一の先回りとして《共魔》の事を忠告した」

「……ばれそうになって慌てて行動を起こしたって事は?」

「こっちには追い詰めた実感がないんだよ。いるのは何となく分かってるが、それが誰かまでは突き止めてない。だから向こうだって無理に正体を明かすような策は取る必要がないんだ。最悪、ばれてから動いても遅くないんだからな」


 色々調べたが、どうにも主犯格にまで辿り着けなかった。だと言うのに向こうはきっとこちらの動きを把握していて。

 だから後手に回らざるを得ない状況に歯噛みしつつ、オセウスと協力して一発逆転の機会を伺っていた。その矢先にこれだ。

 例えオセウスとの企みがどこからか漏れたのだとしても、やはり理由にはならない。


「けど実際こうして騒動が起きて、ノーラが狙われてる。考えられる可能性として……ノーラの先祖返りの能力。王座に就いた後だとあれが手に入れ辛くなるから行動を起こしたってのが、手持ちで考えられる唯一だ」

「ならそれなんでしょ。……あの子独りじゃ何も出来ない力なのに。どうしてノーラばっかり…………」


 呟きは、嫉妬ではなく憤り。大切な妹を守れない事に対する、己への自己嫌悪。


「出来る事なら変わってあげたいのに……守ってあげたいのに…………」

「ならそうしてやれ。俺とメローラでノーラを無事に取り戻す。そうしたら今度こそあいつの味方になってやれ。……そもそもおかしいだろ。互いに持ってるものが違うんだから、競わずに協力すればいいだろうが」

「……それが出来たらこんな事になってない」


 言いつつ、けれども少しだけ考えるように視線を外したソフィア。確かに今まで秘してきた思いをいきなり全て打ち明けるのは難しいかもしれない。けれどもその愛情は──二人にとって家族として大切なものだ。

 例え今は隔たりのある関係でも。切れていないのならばまだどうにかなる。手遅れになる前に再び結び直せばいいだけだ。


「止まれ」


 急ぎつつも足音は殺して進んでいた歩みを止める。肌を刺す気配を感じて角から廊下の先を窺えば、そこには目的の三人がいた。

 状況としてはソフィアに聞いた通り。ノーラを人質にした《共魔》だろう異様な存在感の男と、対峙するメローラ。

 が、どうにも互いに動く気配はない。膠着しているようだ。


『魔術かな、これ』

『魔障』

『何の話だ?』


 カレンの声にシビュラが短く答える。尋ねれば、答えたのはチカだった。


『痕跡からして、セレスタインの時に見た転移の魔術だよ。それをあの男の人が使おうとしていて……けれどそれをメローラさんが魔障の魔術で抑え込んでる』

『なるほど』


 チカの魔に関する造詣(ぞうけい)は本物。少し距離があるが、彼女が断定するならまず間違い無いだろう。

 メローラに関してだが、斬る事しか能がないと思っていたがどうやら見識を改める必要がありそうだ。……とは言っても、彼女にそんな器用なことが出来るとは思えないから、主導は恐らくヴェリエ。

 そこに、人質に取られたノーラが盾にされている状況が合わさって一時的な均衡が生まれているらしい。

 俺が出て行っても……いや、ノーラの代わりに俺が取引材料になれば、彼女は助けられるか。とは言え用心深い《共魔》の事だ。口先だけで丸め込むのは難しい。


『メローラさんもあまり長くは持たないよ。早く動かないと連れて行かれる』


 これはアルマンディンに来るまでにチカが言っていた事だが、魔障を操るなんてそう簡単にできることではないらしい。少なくともチカが考える限りでは、契約という繋がりを利用しなければ不可能とのこと。幾らチカが魔の知識に秀でていたとしても、他人の魔障に干渉してどうこうするというのはできない事のようだ。

 可能性として、俺がメローラのように魔障に(かか)ったならば、似たような形で制御できるかもしれないとは言っていたが……。

 だから今あるチカの知識や魔術であの状況を好転させる事は出来ない。

 シビュラだって同じだ。彼女の力は蓄積する膨大な魔術の数。複雑な魔術は使えない。

 カレンは最早門外漢。分かり易く斬るならば彼女の右に出る物はいないが、事魔術が絡むとからっきしだ。

 つまり今の俺の手持ちではあの均衡をこちらの有利には傾けられない。


『……一応訊くが、ここから魔術でどうにかできるか?』

『出を気付かれて対処されるだけだよ』

『状況が悪化する』


 《共魔》は魔術を使える。しかもメドラウドやラグネルを例に考えれば、奴らは類稀な能力を持っていると見るべきだ。

 魔に関する他を操ったり、透明化したり。原理を知らなければ使えない魔術で理想をそのまま形にしたような理を振るう彼らは、まず考えて普通ではない。恐らく内に秘めた魔力や存在感を隠して潜伏しているのもその一つだろう。

 あの《共魔》だって何かしらの能力を持っているはずだ。敵の力が分からないのに無策に突っ込む事は、俺には出来ない。


『…………例えば、あいつを行かせたとして。その転移先に追い駆けて行く事は可能か?』

『空間が閉じる前に移動先が解析できれば……。でも多分時間が足りない』


 …………駄目だ。打つ手がない。

 チャンスがあるとすれば、メローラが作り出している均衡が破れたその瞬間だ。どうにかしてメローラと意思疎通が図れればそのタイミングも計れるのだが。

 そう考えていると、腕を後ろへ引っ張られる。そこにはこちらを見つめるソフィアがいた。


「注意を引ければどうにかなる?」

「策でもあるのか?」

「あそこの人達が睨み合い始めてから結構経つけど、殆ど場所は変わってない。加えて、あたし達が元々いたのは直ぐ傍の部屋で、事が起きたときあたしはまだ部屋の中にいたの」


 語られる状況を脳内で再現する。

 《共魔》がノーラを人質に。メローラがそれをどうにかしようと廊下に出て、ソフィアは部屋の中。もし彼女が助けを呼びに行く姿を見られていれば、外にいた連中に捕まっていても不思議ではないし、例えそれを掻い潜ったとしても現状はありえない。

 助けがくると分かっていて、どうして《共魔》は行動を起こさない? どうにかしてメローラを振り切り転移をしてしまえばそれで済む。

 ……それが出来ない──否、しないのは、そもそも助けがまだ来ないと思っているから。つまり────


「………………お前、助けを呼ぶのにどうやって部屋を出てきた?」

「武器になる物を貸して。今度こそ、あたしがノーラを守る……!」


 決意に満ちた瞳。これだけ行動力のある彼女に今更何を言っても通じないと悟って、短剣を作り出し手渡す。


「いいか。無理だけはするなよ? お前まで人質になったら身の安全まで保障出来ないからな?」

「その時はあたしを見捨てていい。だからノーラだけは助けて」

「……その自己犠牲はノーラが許さないだろ」

「だったらあたしが貴方を護衛として選ばなかった後悔と感謝をさせなさい」


 尊大にそう言い残して、踵を返したソフィアが場を離れる。恐らく王族しか知らない秘密の通路が数多存在している。それを使えば不意を突く可能性が挙がるのだ。……そう言えばノーラがそれを使ってキャッスルブレイクを敢行していた事を思い出す。

 ならばそれを利用するだけ。本命だとか囮だとか全て投げ捨てて。仕掛けた結果こちらの有利に傾けばそれが全て。

 英雄も勇者も要らない。必要なのは、理想を結実するだけの一瞬。その為にも────


『出番だ』

『任せて!』


 アルマンディン王国に来てずっと燻り続けた刃に、闘志と言う()を刻み込む。




 シビュラの魔術で聴覚を最大限に強化。壁に耳を当ててしばらく待てば、小さく叩くような音を伝播して捉えた。

 続けて五度。タイミングを計るように一定のリズムで響いた壁をノックする音に呼吸を合わせ、理想を胸に抱いて角を飛び出した。

 ほぼ同時に大きな音を立てて開かれた木製の扉。王女とは名ばかりの、お転婆なキックで戦場にエントリーした姿に駆け寄る最中で小さく笑う。

 血が半分しか繋がってない? 馬鹿言うな。二人は正真正銘の姉妹だ。あんな度胸の据わった女がそう沢山いて堪るかっ!

 響いた音と、前後から挟み込むように現れた俺とソフィアの姿に僅かな狼狽(ろうばい)を見せた《共魔》。刹那に、振り返らずとも意を酌んでくれたメローラが急接近をして、ノーラの首を刃が掻き斬る寸前に彼女の身柄を確保した。

 最高速まで加速した速度は、片手で数えられるステップでカレンの間合いに。奇襲には持って来いなレンジを誤認させる抜刀術で急襲をかます。

 と、咄嗟に先ほどまでノーラに恐怖を突きつけていた刃で防御。しかしカレンの想像を手繰り寄せる刃はそれを難なく両断した。

 バックステップで一閃からは辛うじて逃れた《共魔》が、ソフィアの方へと向けて疾駆する。己へと向かってきた脅威に、けれども一切怯む様子を見せない彼女は、手に持った短剣を迷わず投擲した。

 世間知らずの王女と(あなど)って反撃を警戒していなかったのか、男は咄嗟に横へ跳んで魔術を発動。壁に手を突いた瞬間、大きな爆発を起こして壁に穴を開け外へと身を躍らせたのが見えた。

 直ぐに追い駆けようとした刹那、脳裏に警鐘の様な声が響く。


『ミノ、伏せて!』


 考える間もなく行動に移す。遅れてそれがチカの声だと気付けば、直ぐ傍から魔術が溢れて天井を崩落させた。

 崩れる塊を見上げれば、直ぐ傍の壁が波のように伸びてきて頭上を覆う。どうやらチカが守ってくれたらしい。暗闇に支配された空間に声を巡らせる。


「全員無事かっ!?」

「こっちは二人共大丈夫よ」

「びっ、くりした……」


 声はメローラとソフィアの物。言葉から察するにノーラも無事のようだ。

 次いで頭上の天蓋が瓦礫と共に傍へ落ちれば、差し込んだ光と共に小さく息を吐く。

 魔剣から人の姿へと戻ったチカが何かを探すように辺りを見渡す。


「助かった。さっきのは?」

「斬った剣。あれ人工魔剣だよ。破綻して暴走したの」

「なるほど……」


 直ぐ傍に落ちていた、中ほどから真っ二つのそれを拾い上げる彼女。チカがそうしていると言う事は、もう暴走の心配はないということだ。

 想定外だったが、この程度で済んでよかったと安堵する。


「なるほど、そっか……あれが人工魔剣を斬った感覚か…………。うん、覚えたっ」

「覚えてもお前は斬るだけだろうが」

「むぅ…………」


 斬るのと同時暴走を抑え込めるなら重畳なんだがな。やはり鈍らは鈍らか。


「暴走させずに先に斬るだけでも凄い」

「だよねっ!」

「結果同じじゃねぇか」


 シビュラのその気のないフォロー。言葉から考えるに、普通ならば斬った瞬間に暴走してしまうのだろう。

 少し間を空けて暴走をしたのは、カレンの刃が何かを手繰り寄せた結果かもしれない。……だとしても、こいつはそれを無意識でやってるんだろうけどな。制御の出来ない力なんてただの不安要素だろうが。

 けれどもしかし、カレンがいなければ今頃もっと酷い惨事になっていたかもしれないと思うと、多少は見直しもしながら。

 やがて互いを確認するように全員が集まって顔を突き合わせる。


「ノーラ、怪我は?」

「大丈夫です。ミノさんと…………お姉ちゃんのお陰です」


 顔色を窺うようにソフィアの方を見るノーラ。視線に、シスコン王女は頬を染めて顔を逸らした。


「捕まって迷惑掛けるとか、次期女王候補としての自覚が足りないんじゃないの?」

「そう、ですね……。けどこれだけは言わせてください。…………ありがとう、お姉ちゃん」

「ふんっ……!」


 一周回って可愛く見えてきたんだが、これはいかがなものか。

 とは言え和んでいる場合でもないと。冷や水を垂らすような指摘がメローラの口から零れる。


「無事なら結構。それで、この後どうするの? 追い駆ける?」

「…………さて、どうするか、だな」


 実の所このまま逃がしてしまってもきっと問題はない。これだけ大掛かりな事をしでかして失敗したのだ。そう簡単には戻ってこられない。今後の王選に際してこれ以上変な干渉をされる心配は殆どないが……。


「うぉ、すげぇことになってんな」

「皆さんご無事ですか?」


 考えていると響いた、ここにはなかった声。全員して視線を向ければ、そこに立っていたのはショウにユウ、そしてオセウスだった。


「早かったわね」

「緊急事態だからな」

「外はどうなってた?」


 メローラの声に答えた彼に問う。俺が城内に入るまで、外は騎士と人工魔剣持ちがそこら中で争っていた。既に剣戟(けんげき)の音も小さく、僅かばかりしか聞こえてこないが……。


「外は我が国の騎士が殆ど鎮圧した。残っている連中も程なく捕縛されるはずだ」

「被害は?」

「荒くれ者の流入を防げた。今はそれでいい」


 ソフィアの疑問に、少しずれた返答を落としたオセウス。幾ら訓練を重ねた騎士と言えど、あの数の人工魔剣相手に被害軽微に、とはいかなかった様だ。それでも、文字通り命さえ賭して国を守り抜くその覚悟は尊敬に値する物だ。

 彼らが外で食い止めてくれていたお陰で俺達もノーラを無事保護する事ができたのだ。全て終わった後で、勇敢なる生き様を示した者達に敬意を表するとしよう。

 思いつつ、そのためにもと焦点を目の前に向ける。


「ノーラは助けたが《共魔》は取り逃がした。今からならまだ追える筈だ。どうする?」

「そもそもの目的は我が国が彼らの傀儡にならないようにする事が目的だろう? ならば君達の管轄外ではないのか?」

「……そう割り切れたならよかったんだけどな」


 言いつつ、未だ意思の宿った瞳でこちらを見つめるカレンを見る。


「で、何か言いたいことでもあるのか?」

「《共魔》ってさ、最初からここにいたんだよね? 今回こうなったのは、事の発端に人工魔剣とか《共魔》との因縁があるから……だよね」


 確かにカレンの言う通りだ。

 俺がアルマンディンに来なければ、こんなに大事にはならなかっただろう。擁立した二人の女王候補の間でコウモリになって、玉座に座った方を傀儡とする。これが《共魔》の当初の目的だったはずだ。

 しかし俺が来たことで予定が狂って、直接ノーラを襲うプランに切り替えた。……まだそこの直接の要因までははっきりしていないが、少なくとも俺がここに来たことが理由の一つだろう。

 ならばと俺がここに来るまでの言い訳を(さかのぼ)っていけば、辿り着くのはカレンとの出会いであり、契約だ。

 だからこそ、無視出来ない因縁があるのだ。


「アルマンディンを抜きにしても、私達には《共魔》や《甦君門》と戦う理由がある。《波旬皇》の復活を止める、なんてまだちょっと実感がないけど。……でも完全な無関係にはなりきれないよね?」

「それにゼノ皇帝の事もあるしな。あいつを捕まえて吐かせれば、攫われた皇帝も助けられるかもしれない」

「何より、理由が知りたいですよね。ここまで秘密裏に事を進めていた《共魔》が、どうして今になって騒動を起こしたのか……。まだ潜伏して、根競べだって出来たはずですから」


 カレンが、ショウが、ユウが。各方面から方便と建前を振りかざす。

 まだ終わっていない。その火種は、未だ燃えているのだと。


「…………と、いうことらしい。まだ雇われの身だからな、追撃するなって言うならそれには従う。どこかに伏兵が潜んでないとも限らないしな」


 セレスタインではラグネルとカイウス、二人の《共魔》がいた。今回だって複数いるという可能性は捨てきれない。


「いや、逆にその可能性の方が高いか?」

「さっきの《共魔》が囮で、まだ本命がいるって事?」

「だから追われる選択肢を残して逃げた……。筋は通るな」


 敵の数を把握し切れていないというのは痛い。想像するだけ敵の術中だ。


「ふむ、話は分かった。《甦君門》や《共魔》の目的に関してはアルマンディンとしても見過ごせない動向だ。可能ならば少しでも情報は欲しい」

「なら追い駆けるか?」

「その場合こっちに残る人数の方が多くなるけどいいのか?」


 今ここには護衛対象としてオセウス、ノーラ、ソフィアがいる。一箇所に固まって貰ったとしても、一人でカバーしきるのは厳しいはずだ。

 となれば必然、追撃に一人、護衛に二人を残して、各々の契約の力でそれぞれの目的を果たすというのが理想だ。


「仕方ないだろうな」

「で、誰が行くの?」


 メローラの声に、この中で一番腕が立つだろうその当人へと視線を向ける。が、彼女は疲れたように首を振った。


「悪いけどあたしは駄目よ。さっきので手の内が割れてるし、魔力も結構使っちゃったの。そうでなくとも有名人だもの。対策は直ぐにでもされるでしょうね」


 強者ゆえに警戒はされる、か。彼女を護衛に回すというのは少しもったいない気もするが、だからと言って追撃を(ないがし)ろにするわけにもいかない。

 次いでショウに顔を向ける。


「パスだ。人工魔剣くらいなら魔具でもどうにかなるだろうが、魔術を使う《共魔》相手は無理だ。それに、オレが人工魔剣に関わると(ろく)な事にならない気がするからな」

「《共魔》相手にわたしの魔瞳の力はきっと通用しません。彼らは体に魔物を飼っている……これまでの情報からそう考えるならば、《共魔》と言うのは一人で契約をした魔剣持ちと同等に考えられます。例え惑わせたとしても、直ぐに対処されます」


 俺を操っても契約を介してカレンやチカがそれを跳ね除ける。それを身一つで為し得る《共魔》相手に、ユウの力は相性が悪すぎるのだ。

 それにもし人工魔剣が暴走すれば、それの対処も必要となる。効果が望めない力と、それを処理しきれない戦力では目的が果たせない。

 そこまで冷静に考えた所で、彼らの視線が俺を射抜いた。


「となると選択肢は一つよね?」

「カレンの力だって敵には割れてるだろ」

「ミノさんにはチカさんもシビュラさんもいますよね。シビュラさんに関しては未だ《甦君門》の手に渡った事がない魔篇ですよ? 敵の不意を突く事くらいは出来ると思いますけど」

「不意が突けるなら隙を作り出して一撃叩き込めるよな? その一撃で片が付くんだから、例え手の内がばれてても有効だと思うのはオレだけか?」

「………………」


 示し合わせたように三人が口を揃える。

 …………いや、話の流れから途中で分かっていたのだ。だがここで胸を張って俺に任せておけなんて言える性格はしていない。だから意味がなくとも一度否定から入らないと理由が見つからないのだ。


「ねぇミノ。謙遜と卑屈は違うと思うよ?」

「うるせぇっ」


 誰の所為で悩んでると思ってるんだ。

 物語の中の強い主人公に憧れた事がある。だからこそ、今更ながらに気付いた事を過去の自分に言ってやりたい。

 強力すぎる力は持ち主が振り回されるだけだ。馬鹿にならなければそれを自分の物として驕るなんて一生できない。俺は、馬鹿にはなれない。ただの小心者だ。


「…………ったく。その代わりお前らが俺に押し付けたんだからな? たとえ取り逃がしても俺の責任じゃない。いいな?」

「それでいいから早く行け」

「いざとなったら逃げてくださいね。ミノさんが捕まるのが一番避けるべき未来ですから」

「《渡聖者》らしく結果を残しなさい」


 敵しかいねぇ。

 なんでこんなのと一緒に旅をして、いざという時に背中を蹴られなければならないのか。これがきっと理不尽と言うものだろう。

 そんな事を考えつつ、これ以上ここにいても仕方ないと踵を返す。

 と、その背中に声が掛けられた。


「ミノさん」

「なんだ?」

「まだ王選は終わってませんから。仕事はきっちり果たしてくださいねっ」

「…………そうだったな」


 それがただのプレッシャーだけでない事なんて分かりきっている。だからこそ、ノーラの真っ直ぐな声に応える事こそが、今の俺が振りかざすべき正論だと(うそぶ)いて。


『ミノ』

『今度は何だ……』

『たとえ取り逃がすのたとえってどういう意味?』

『……………………』


 その疑問、今必要か、シビュラ。

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