第四章
翌日。肌寒さを感じて身を小さくしながら目を開ければ、そこは見慣れない部屋の中だった。
直ぐに思考が再起動をかけて眠りに落ちる前の記憶を掘り起こす。……そうだ、昨日は傭兵宿に泊まったのだったか。それからあの少女と一緒の部屋で眠りについて…………。
そこまで頭が冴えて来ると、無意識に回した視界でその姿を探す。と、窓を開けて外を眺める後姿を見つけた。
遅れて耳には、少しずつ大きくなっていく町の喧騒……朝の活気を捉え始める。どうやら朝、彼女の開けた窓から入ってくる風に目が覚めたらしい。
その日暮らしにしては上等な、藁に布を被せただけの寝床の上で一つ伸びをする。体には寝起きの倦怠感と始まりに蓋を揺らすやる気の衝動。薬のお陰で既に怪我の痛みも引いて問題なく過ごせそうだ。
変わらない一日の始まりを自覚して、伸びに詰めた息を吐き出す。その気配に気付いたのか、窓枠に両腕を置いて眼下の通りを見下ろしていたらしい少女がこちらへ振り返った。
「あ、おはよう、お兄さんっ」
「……早起きだな」
「魔剣だからね。人と感覚は違うし……研究所にいたころから浅い眠りしかしてこなかったから」
気紛れに答えつつ水差しから目覚めの一口。その傍らに返った声に、こちらを見つめる少し辛そうな赤色の瞳を覗き返した。
……そう言えばそんな話を昨日の夜したのだったか。
別に楽しくもない昔の事。今更過去に囚われたところでどうにもならないのに、あの時の俺は一体何を思ってそんな馬鹿な時間の使い方をしたのやら。
「……どうでもいいが、無駄にその話題を口にするな。互いに嫌な事を思い出しても何の得にもならないだろ」
「ん、そうだね、そうするよ」
小さく笑みを浮かべる少女。今の何がそんなに嬉しかったのか。魔剣様の考えることはよく分からん。
結論付けて立ち上がり、手早く準備を整えていく。
「もう出るぞ。準備しろ」
「……もう少しここにいたかったなぁ」
「朝飯もどうにかしないとだし、昨日できなかった依頼もある。今日こそこなさないと食い物どころか寝床すら野生動物の仲間入りだぞ」
荷物は少ない方が身動きが取りやすい。だから基本的に麻袋一つに纏めてある。馬の一頭でもいればもう少し荷物を増やして快適な旅も出来るのだろうが、何をするにしても金が足りない。この辺りは日本にいた頃と何も変わらない。
貨幣文化なんてなくなればいいのに。周りに価値ある物が無いと自分の価値が分からないような奴に初めから価値なんて無い。……なんて、愚痴を零したところで世界の常識が覆るわけでもない。生憎と世界は個人の箱庭では無いのだ。
「昨日できなかった依頼って、一人でするの? その間私は?」
「好きにしろ。お前の依頼は先にそっちが終わってからだ」
駆けだし傭兵とは言え、その仕事は確かな契約と信用の上に成り立っているのだ。その約束を違える事は仲間の評判を貶め、己の身すら危険に晒す行為。普通にこなせば報酬が貰えるのだから一度受けた話をそう簡単に放り出したりは出来ない。
「…………とりあえずご飯だねっ」
「先に言っておくが昨日の夜が充分に豪華だったんだからな。腹に物を詰め込めるだけありがたいと思えよ、脛齧り」
「すね?」
魔剣である彼女には馴染みの無い言葉だったか。
これから先彼女と行動を共にするのならば、必要最低限の人間側の知識は教えておくべきだろうか。一々質問攻めにされては、元々短い導火線が埋め込まれてしまいかねない。余裕のあるときに問題は解消しておくべきだ。
「……暇なら人の世界の常識でも集めてろ」
投げるように言って部屋を出る。慌てたように後ろからついてきた彼女は、それから少し怯えたようにフードを深く被った。
彼女もそうだが、俺も居場所の無い身だ。が、傭兵や旅人が一定数いるこの世界では、ローブに身を包んでいても目立つことは少ない。それに、そういう輩は大抵何かしら問題がある奴ばかりの、日の下を大手を振って歩けないやつらばかりだ。周りだってそんな面倒の塊に好き好んで声を掛けたりはしない。
「……普通にしてろ。ローブ姿は他にもいる。怯えて不審な行動をしてる方が余程目立つ」
「う、うん」
「一見すればお前はただの少女だ。魔剣じゃなく人間らしく振舞ってみろ。周りの目は気にするな」
彼女に巻き込まれるのも面倒だと助言を言葉にすれば、背後で頷いた様子の少女は小さく息を整える。やがて肩の力が抜けた様子の彼女は、先程より濁った気のする瞳の色で前を見据えた。
「……慣れてるな」
「嫌なものから目を背ける事に関してはね」
百に届く人の死を見てきた魔剣。十五年の時の中で磨り減った精神は、彼女自身を守る無関心の宿し方を身につけたらしい。……お陰で今度は俺の方がわけありを抱えた何かに見えてきそうだ。周りを遠ざけるにはいい壁かもしれないがな。
……別に昨日の彼女の言葉に頷くわけでは無いけれど。確かに俺と彼女はどこか似ているかもしれない。そう思うくらいには、彼女の事を認めている自分に感情を募らせつつ。
そうして宿を後にし、人の流れに身を任せるように朝の市場へと向かう。
朝一の物流は新鮮な食品が殆ど。もしここが港町や、それに近い場所だったなら海より水揚げされた鮮魚がその顔をずらりと並べていることだろう。残念ながらここは山が近くにある内陸の町、活きのいい素材は無いけれども近場の自然や畑で取れた作物が多く並んでいる。
また、旅人や傭兵の中継する町だからか、次の町までの糧食として保存の利く塩漬けや燻製などもよく見られる。ここに長居するつもりの無い身からすれば、一時滞在するにはいい町かもしれない。観光できるほどのものもないから、本当の中継地点にしかならないだろうが。
「……なんだか凄いね」
「生きてく上で必要な物は多いからな。いいものを安く沢山手に入れようと思うと競争だ。結果物と人が集まって流れが出来る。それがこの光景だ」
「なんだか大変そうだね、人間って」
一応食事をする魔剣だが、実を言うと食べなくても存在し続ける事はできる。ただそれは人型を持たないという条件下に限定されるものだ。彼女のように人型をして、しかも膨大な魔力を必要とする存在は自然吸収や自己生成の魔力だけでは賄いきれない。その代替行為として人型を持つ魔剣は食事を必要とする。……これはこっちに召喚されて拾われ、森の中で暮らしている間に一緒に暮らしていた爺さんから教えてもらった事だ。
「その人間の世界に今は浸かってるんだろうが。分かったら相場と貨幣価値くらいは頭に叩き込め。それとも文字が読め無いか?」
「ううん、それは大丈夫。研究所にいた頃に少し勉強したから」
識字率が低いのはこの世界にまともな教育機関がないからだ。いわゆる学校……物を教えるのは世間。一歩外に出れば弱肉強食の世界で、その中で学んでいくのがこの世界の勉強の仕方だ。
教育機関に閉じ込められて与えられる教育を享受していた身からすれば最初こそ戸惑いはしたけれども、慣れてしまえばこちらの方が楽だ。何せ失敗は全て自分の責任。騙される方が悪く、馬鹿だっただけと言う至極当然な無関心の上に成り立っている世界。他人の責任を背負わなくていいのだから出し抜き出し抜かれが当然の自由な世界だ。
その代わり、自分の事は自分で決められると言う選択権がある。少なくとも群れて流されて自分を見失うよりは余程生きている実感がある場所だ。厳しいとは思うが、居場所の無かった身からすれば天国のようだとも思う。
と、そんな事を考えていると、隣を歩く少女がこちらを見上げて問いかけてきた。
「お兄さんはこの世界の字が読めるの? 異世界……ってこことどう違うの?」
それは外を知ったものが抱く感情。新たな世界との邂逅は疑問を募らせ、興味と忌避を繰り返す。まだ見ぬ扉の先に詰まっている未知に手を伸ばそうとする。もちろん、その責任も首を突っ込んだ者の物だ。
彼女の言葉に少しだけ考えるような間を開けて、暇潰しにと口を開く。
「……そうだな。ここと比べると生活の基盤が異なるか。平等に学ぶべき施設があって、ある程度の便利があって、更に不自由で平らな日常が色彩薄く延びてる。最悪、金さえ払えば何をしなくとも生きていけるくらいには満ちた世界だ。人との繋がりだって部屋に篭もって顔を見なくともできるくらいには技術が進化してる……って言って伝わるか?」
「よく分かんない……」
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない、だったか。何処までを語ればあの便利な世界を説明できるかと問われれば随分難しい設問だと解答欄で突き返す。
知らない……理解の出来ない技術を説明し続ければやがてSFを想像するように空想の世界は出来上がるのだろうが、経験に勝るものは無いはずだ。だから明確な例を出したところでそれはこちらの押し付けに過ぎない。
「だったらこう言えば分かるか? どれだけ技術が進歩しても世界の根底は変わらない。そうして隔たりが生まれるくらいには多種多様な者達が暮らしてる。それと同じ数だけの文化と、価値観と、言葉がある。ここと比べれば、少しだけ生きやすくなって、少しだけ居心地の悪くなった世界だ」
その居心地の悪さの果てに、居場所を見失ってここにやってきた。そう言葉にしようとした声は、けれど既の所で飲み込んだ。嘆いたところで今は変わらない。
「俺の主観で語るなら文化と価値観は違うな。言葉もきっと違うんだろうが、こっちにきた時にこの世界の生物として認められたのか何なのか、言語は最初から理解できた。その延長線上で、文字も読めた。そこに関しては感謝だな。新しい言葉を覚えなくて済んだんだから」
郷に入っては郷に従えを強制的に埋め込まれた。そう解釈するのが自然なくらいに違和感が無かった。だからこそ死後の世界なんて妄想に囚われずに、今ここに生きている事を実感できている。
まぁ読める事とは別に、書く事は出来ないが……。
「……とりあえずよく分からないって事と、本当にお兄さんが別の世界の人だって言うのは分かった」
「まぁ信じろって方が難しい話だ。いきなり見たことも聞いたこともない異世界の話をされて受け入れられる方がどうにかしてる。宇宙人信用してない奴に宇宙人を教えようって事だからな」
「ウチュウジン?」
「あの空の向こうにいるかもしれない、自分たちとは違う生き物だ」
段々と少女の瞳に疑いの色が強くなってくる。これ以上言葉を連ねたら今ある彼女の中の納得が崩れてしまいかねない。
依頼人と傭兵として、ある程度の信頼関係は欲しいところだ。頭のおかしい奴だと見捨てられるのだけは今後に差し障る。俺個人はどう見られようともなんとも思わないけれどな。
「それに、俺の主観で言えばこっちの世界が知らない世界だ。二年近く森の中に篭もってたし、必要最低限以上の知識はない。……そこで一つ提案だ。俺が今みたいにお前の知らない事を教える。その代わりにお前が知ってる事を俺に教えろ」
「……それに何の意味があるの?」
「少なくとも自分の身を守る事に繋がる。特に魔物関連はな。お前だって元いた場所には戻りたく無いだろう? 人の世界で暮らしていくなら、人の常識を知っておいて困る事は無いはずだ」
傭兵宿を出るときには勝手にしろと言ったが、話しているうちに気が変わった。どうせ一時の同行。ならば互いに得られるものを得て別れる方が幾らか建設的だ。今の彼女では依頼に対する報酬は望めない。だから情報と言う先払いでもらえるものはもらっておこうと言う算段だ。
理由をもう一つ挙げるとすれば、昨日の《魔堕》だ。先にこなすべき依頼として時計探し。昨日の一件がある以上、再びあの《魔堕》に出遭う可能性もある。そうなった時今度また生き残れるとも限らないくらいには戦力差があるのだ。そのもしもの時のために情報を手に入れて、いざと言うときの心構えをしておくのも目的の一つだ。もちろん、出遭わなければそれでいいのだけれども。
「徒労になる時間の使い方はしたく無い。違うか?」
「…………分かった。それで、何が知りたいの?」
「とりあえず根本的なところからだな。魔物って何なんだ?」
知っているのは、魔物と言う存在がいて、人間に敵対する者が《魔堕》、魔剣として人に味方する者が《天魔》と呼ばれている事だ。
そもそもどうして魔物が存在するのか。その理由は。《魔堕》と《天魔》の由来は。疑問を連ねればきりがないくらいに知らない事が沢山ある。
「何って、魔物は魔物だよ。魔力の塊の物質。人間は確か生物とは認めていないんじゃなかったっけ」
「まぁ体の構造が違うし、魔力なんていう不確定なものが集まってるんだからそうだろうな。で、その目的、存在意義は?」
「…………さぁ。私魔剣だし」
最初から躓いた。本質的には《魔堕》も《天魔》も魔物だ。だから彼女の側に聞けば直ぐに分かると思ったのに。これでは対策を立てるどころか、敵としての理解すら出来ない。
使えない……そんな感情を募らせた直後、彼女が続けた言葉に思いつく。
「人間に味方する《天魔》の事は分かるけれど、反対の《魔堕》は知らないよ」
「《天魔》と《魔堕》は違うのか? 同じ魔物だろ?」
「違うから名前も違うんじゃないの?」
「……だったら《天魔》のことを教えてくれ。それが分かれば考え方を反転させればいいんだからな」
「反転?」
「だってそうだろ? 人と敵対する《魔堕》と、味方する《天魔》。片方が分かればもう片方はその逆だ」
単純な理屈。だからこそ無駄な柵が無く理解ができるというもの。
当たり前の事を零せば、なるほどと小さく唸った少女。元を辿れば同じ魔物である彼女はその考えに至らなかったらしい。……いや、普通の《天魔》ならば至るべき疑問だ。そこまで思考が延びなかったのは、きっと彼女が数多もの二つ名を押し付けられるくらいに扱い辛かったから。
昨日聞いた話を思い出す限り、ずっと研究所のような組織にいたのだろう。と言う事は普通の魔剣のような、日の目を浴びる戦いはしてこなかったに違いない。敵と接触しないから、その差異にも気付かない。
どうやら今隣にいる魔剣の少女は、魔剣としても常識外れらしい。
「えっと……魔剣、《天魔》は人に味方する魔物だよ。いや、味方って言うよりは共存かな。同じ世界にいるものとして、戦うよりは一緒に過ごした方が、傷つけ合わなくて済むでしょ? お互いに仲間を殺しあって憎しみ合うなんて不毛だよ」
「……いわゆる穏健派って事か。なら逆に《魔堕》の方は強硬派……種の隔たりを支配で無くそうとする思想って事か?」
「逆を考えるならそうなんじゃないかな」
言わば間に人間を挟んだ魔物同士の抗争。そんな大局観が正しいだろうか。
「《天魔》だって別に人間の事が好きなわけじゃないんだよ。ただ争うのが嫌だから仕方なく手を貸してるだけ。人間の方だって《天魔》を本当に信用はしてないと思うよ」
「……まぁ《魔堕》と同じ魔物だしな。いつ裏切られるとも分からない話だ」
手を取り合えば襲い来る脅威に対抗できるからそうしているだけ。そんな利害の一致の末に交わした約束が契約だ。
「ただ、少なくとも共通の敵がいる間は《天魔》と人間の間で問題は起き辛いんじゃないかな。それにほら、私みたいなのがいるし」
「使えない魔剣がか?」
「そうじゃなくてっ。この姿……人間っぽい形のこと。戦う理由は色々あるけれど、自分とは違う姿をしてるから相容れないって言うのはその一つだと思うの」
「……人種差別みたいなはなしか」
もといた世界で娯楽の一つとして流行っていた漫画などを思い返す。そう言えば、バトル物で敵になるような存在は大抵人以外の姿をしていたか。確かに彼女の言う通り、見た目から来る印象で敵味方の判別をしている節はある。異形や怪物としての姿は、理解より先に敵対心が募るものだ。
そう考えるのであれば、人型をしている生物は人の味方だったりする事が多いか。……少しだけエゴを見た気がしてそれ以上裏側を覗くのをやめる。素直に楽しめなくなったらそれは娯楽ではないと、どこかで目にした気がするから。
「あとは、そうだね……《マクスウェル》とかかな」
「何だそれは?」
「《魔堕》の王様……かな。親玉とか、リーダーとか、そんな感じ」
少し考えれば分かること。人は弱いからこそ徒党を組む。《天魔》と契約して魔剣の力を得る。そうしないと同じ土俵にすら上がれないのだ。つまり個の力で言えば《魔堕》達の方が強い事になる。それに対抗する為に、組織で、国で協力しているのだ。
けれどならば、魔剣持ちが中位の《魔堕》に相当する実力バランスで、人間の側が組織を作れば、《魔堕》の側もそれに対抗するのが自然の流れだろう。
人の世界で最も上にいるのは国。それに肩を並べる存在が《魔堕》を統べるもの……《マクスウェル》と言うことだ。
「つまりそいつを倒せば今この世界にある《魔堕》との戦いは終わりってことか。宛らゲームの魔王だな」
「もしそうだとしたらもう戦いは終わってると思うけれど」
「……どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。……私もよくは知らないけれど、確か《マクスウェル》って今は封印されてるんじゃなかったかな」
「なんだよそれ」
敵の親玉は既に封印されていて。けれど世界には《魔堕》が沢山いて、戦いは終わっていない。最早消化試合な筈の戦いが、けれど終わっていない事実。
「じゃあ今は掃討戦中ってことか?」
「多分」
「だとすると《魔堕》の目的が変わってくるな」
「どういうこと?」
話をしながら巡っていた市場で一番安いパンを二つ買い、片方を少女へ渡す。使っている材料の所為で固いそのパンは、基本的にスープのようなものに浸して食べる類のものだ。が、そんな贅沢ができるほどの持ち合わせは無い。食べられるだけ幸運なのだ。文句は自分で金を出せるようになってから言ってもらうとしよう。
「頭の無い《魔堕》なんて個々が強いだけの存在だろ。しっかりと隊を組んで当たれば人間の側が勝つのは明白だ。そうなると《魔堕》の側が求めるのは統率者だ。物量には物量を、策には策をってのが当然だろ? 新たな王を据えるか、そうでなければ封印されている《マクスウェル》とやらを復活させるか……。どちらにせよ旗印が必要で、それを掲げるのが目的になるのが当然の通りだ。もちろん、それだけの知能が《魔堕》にあるのかって話ではあるけれどな」
まず《魔堕》と言う存在からして曖昧だ。中位以上の物は人の言葉を介すことから学習能力はあるのだろうが、それが知能があることの証明にはならない。ただ真似ているだけと言うのなら個の進化はありえない話だろうか。
ただ、真似も極めれば立派な贋作を作り出す。もしそれが《魔堕》の得意分野だとするのならば、その内《魔堕》たちも自然と徒党を組み始めるのだろう。
……いや、前提から考えるならば、《マクスウェル》と言う統率者がいたのだから個としての知能はあるというべきか。となると知能レベルや判断力は、人間の側から当て嵌めた縮尺である低位や中位と言うレッテルによって変わると考えるのが妥当だろう。
低位は知能レベルが低く、高位は人間並み……。そう考えるのならば今は封印されている《マクスウェル》の代わりを務める存在が高位から出てくるという事も考えられる話だ。
何より同じ魔物として《天魔》がいる。人に味方するかのもの達は《マクスウェル》が率いた《魔堕》たちと思想を異にしたから人に協力をしているのだ。隣の少女がこうして人間と話が出来ているのだから、《魔堕》に意思や知能があるのは明白だ。
「となると人の側はそれを阻止し続けてるってことか……。そう言えば《魔堕》……魔物ってどうやって生まれるんだ?」
「魔力の塊なんだから魔力からじゃない?」
「仮にも同属がなんで曖昧なんだよ」
「だって生まれた瞬間のことなんて覚えてないし。それにまともに人の世界にいた事無いんだから」
「……無知を盾にしていいのは子供だけだぞ」
こいつに訊いたのが間違いだったかもしれない……。
胸の内でそう吐き捨ててそれ以上の探求を諦める。とりあえず、昨日出遭った《魔堕》は低位と中位の間。どうあっても一人で敵う相手でないのは明白だ。ならば足りない実力は策で補っていざと言うときは逃げるとしよう。頭がよくないのならそれを利用しない手は無い。その為にも、昨日森の中に置いてきてしまった武器や道具は回収しておかなければ。
考えつつ固いパンの最後を口に放り込んで咀嚼し、どうにか飲み込む。時間は有効活用するべき。早速行動に移すとしよう。うまくいけば昼までに依頼がこなせるかもしれない。
想像は原動力になり足を動かす。市場を後にし、大通りを抜けて町の外へ。人の集まる場所を出れば、そこからは己の足と腕だけが頼りだ。そのスイッチを自分の中で切り替えて目的地へと進む。その道中、暇潰しと気紛れに問う。
「……で? どうしてついてくるんだ?」
「だってあそこにいてもいい事ないし。それにお兄さんの仕事を手伝えば、その分だけ私のお願いを聞いてくれる時間が早くなるでしょ?」
「もっと有効な時間の使い方があると思うけどな。それに、今回は探し物だ。何を探すのかも分からないのについてきてどうして役に立つなんて言えるんだ?」
「それはお兄さんが教えてくれたらいいかなって」
いらない懐かれ方をしたものだ。こんなことなら過去の話なんてするんじゃなかった。
と、後悔したところで過去が変わらないのは分かりきったこと。諦めて前を向き、それから最後の確認をする。
「……《魔堕》が出るぞ。戦いになったらどうする?」
「知ってるよ。昨日お兄さんが帰ってきたときににおいがついてたもん。それに武器が一本折れてて、足に隠してた剣もなくなってた。ちょっと考えれば分かるよ」
そう言えば彼女はにおいで《魔堕》の居場所が分かるのだったか。加えて、どうやら魔剣として剣に関する共鳴のような何かがあるらしく、服の上からでも金属の探知ができるらしい。見せた覚えのない靴に仕込んだダガーを失ったことを見抜かれたことから間違いないだろう。
「今持ってるのは背中のと、腰のだけ?」
「……エストックとクリスだ。隠し持ってれば不意打ちが狙えるからな。お前には意味が無いみたいだが」
「これでも魔剣だからね。みんながそうってわけじゃないけれど、戦えなくても得意な事はあるんだよ。私はそれが魔物のにおいを捉えることと、金属の場所を当てること。それから簡単な剣を作ること」
昨日は狼の来襲も予期して見せたのだったか。狼の時は血のにおいに気付いたのだろう。
どこか誇らしげな様子の少女の言葉に、それから思いつきで言葉を落とす。
「……本気で手を貸すつもりならその力を利用させてもらうぞ」
「どゆこと?」
「残念ながら一人で《魔堕》に勝つなんて無理だ。出遭ったら逃げるし、可能ならそもそも出遭いたく無い。だからお前が《魔堕》の居場所を教えろ。そうすれば少なくとも《魔堕》に襲われて死ぬなんて事態は避けられるからな」
「……それでお兄さんの仕事が早く終わるならいいよ」
お人好しに己の願いを重ねた助力。本来ならば依頼主にさせる事では無いのだろうが、彼女自身が望んだことだ。言っても聞かないだろうし、彼女の言った通りその身を狙う者のいる場所においていくのはリスクがある。仮にも請けた仕事の主だ。誰かに連れて行かれて全て無かった事にされるなんて、彼女に分け与えた食事等を考えても割に合わない。
「ならしっかり働いてくれ。因みに探し物は昨日も言ったが時計だ。恐らく手のひらサイズの丸い……あぁ、そうか。金属製ならお前が探せばいいのか」
言葉にして、それから気付いた事実。時計……その実態はストップウォッチだが、構造は歯車仕掛けだ。その構造が魔具としてのそれなら生活に馴染むべきもので、この世界の者が時計を知らないのであれば、それは緻密な仕掛けの、魔力を用いない道具なのだろう。
……もしかしたら転移してきた誰かの持ち物が好事家の間で巡り巡って今回の依頼主の手に渡ったのかもしれない。そうであればストップウォッチではなく本当に時計の可能性だってある。そうだったところで、この世界ではあまり使い道の無い道具だ。
なにせ人々はきっちりとした時間に沿って生きているわけでは無い。そもそも陽光を見て生活する彼らに時間という概念があるかも怪しい世界で、時計の意味なんて無に等しい。まぁ、だからこそあの依頼ががらくた扱いとして残っていたのだろうけれども。
「ほら、活躍の場だぞ。そうだな……この銅貨が手のひら大に大きくなった金属の塊を探せ。それが今回の落し物だ」
「……そんなの何に使うの?」
「知るかよ。ただそいつが大事にしたいから探してくれって話だろ。無駄な詮索してる暇があったら役に立ってくれ」
「…………魔剣使いが荒いよ、お兄さん」
何を言われたところで捩れ曲がった性根が変わるわけでもない。そろそろ彼女もそれを分かってもいいころではなかろうか。
そんな事を考えつつ森の中へ入っていく少女の後を追う。辺りの景色は変わらない鬱蒼とした自然。木陰になって日の届かないこの場所は、近くに小川が流れている事もあってか意外と涼しい。こんな場所に家でも建てれば避暑地にはもってこいかも知れない。
集中しているのか、目を閉じたまま進む少女。彼女には円滑に役割を果たしてもらおうと、途中置いてきたダガーなどを回収しながら抜いたクリスで鬱陶しい弦や枝を切り落としながら辺りを警戒する。狼や《魔堕》のいる森だ。何処に敵がいるか分からない。山も近いし、熊のような大型の獣が降りてくることだってあるだろう。自然界の弱肉強食に巻き込まれるのはできるだけ避けたいところだ。
とりあえずは彼女頼り。進展がなければまた別の方法を考えるとしよう。
しばらく少女について歩きながら、途中で昨日おいてきた武器や道具を回収しつつ森の中を歩いていると、不意に少女が足を止めた。思わず身構えて戦闘のスイッチに指を掛ける。
「どうした?」
「……一つそれっぽいのを見つけた、けれど…………」
言葉を濁し、言ってもいいものかとこちらを伺ってくる。そんな問答をしている暇は無駄だと無言で催促すれば、彼女は諦めたように小さく息を吐いて覚悟を零す。
「……たぶんあの魔物が持ってる。さっきからずっと、同じ方向から感じてて、動いてるから」
「鳥が運んでる可能性は?」
「空じゃなくて森の中だし、動物にしては動きが遅いの。間違いないと思う」
「魔具でもないのに引かれたのか?」
「私みたいに金属に鼻が利くのかも。それで集めてるんじゃないかな。近くにそれっぽい塊もあるし」
中途半端に知恵を持っているから動物紛いの行動を取ると。《魔堕》と言えど個によって形や強さが違う。ならばそれぞれに興味を引く物が違ったっておかしな話ではない。
《天魔》だって剣に宿って魔剣となるのだ。火石のような鉱石にも金属は含まれる。意外と魔物と金属は相性がいいのかもしれない。
「考え得る中で最悪の事態だな。動いてるって事は持ち歩いてるんだろ。なら戦いは避けられないな」
「相手は魔物だよ? ろくな武器もないのにどうやって倒すの?」
「依頼内容と魔物の討伐は必ずしも繋がらない。時計だけ奪取できるならそれから逃げればいい」
「それができなかったら?」
「…………依頼を放棄するしかないだろうな。命がなければ何も始まらない」
ここまでしておいて依頼の放棄と言うのは少しだけ格好がつかないが、背に腹は変えられない。
「尤も、《魔堕》を倒して依頼も完遂するってのが理想だな。《魔堕》の討伐に関しては特別報酬も出る」
町からこれだけ近い場所にいる《魔堕》だ。町も、森の前の道を通る者達も脅かされているに違いない。ある程度は期待できる。
「どうやって? お兄さんだって昨日は怪我をして帰ってきたんでしょ?」
「……普通に戦えば負けるだろうな。ただ、魔剣がいなくとも有効な手立ての一つや二つはある」
答えて、それから取り出したのは昨日使った火石。
「魔具ってのは魔力で動く道具だ。そこに関しては魔剣も同じ。つまりは魔具を使って《魔堕》を倒すことは可能だ。問題は威力だがな」
火石は水を温めたり、火を熾したりするのが役割だ。本来は戦い用の道具ではない。中にはそう言った軍事目的に使用されるものもあるが、それは国が保持している一握りだけだ。
今この手にある火石でできるのは、精々小さな爆発を起こす程度。
「まずもってこの程度の石ころじゃあ掠り傷がいいところだ。……が、それはまともに使えばの話だ」
「どういうこと……?」
「…………昔やらかした事があってな。森の中で爺さんと暮らしてる時だ。まだこの世界に来て日が浅い頃、魔具の扱いに慣れてなかった。風呂の準備に火を熾そうとして間違って思い切り魔力を込めたら、手の中で爆発しやがってな。腕がちぎれるかと思った。……後から聞いたら過度な魔力供給で魔具は暴走するらしい。お前の場合と逆だな」
彼女の場合は足りないから必要以上に吸い上げて枯らしてしまう。その反対に、過剰に魔力を込めれば器が壊れて暴発してしまうのだ。もちろん、普通に魔力を込めればそんな事は起きない。あの時は使い方がよく分からなくて、試しに全力を込めたら失敗しただけだ。
「つまり本来の用途を無視すれば、しっかりと武器になるって事だ」
「危なくないの?」
「暴走させて投げるだけだからな。けれどそれだけだと威力不足だ。だからこれも使う」
言って取り出したのは小さな瓶に詰まった黒い粉。手に取った少女が蓋を開けて、中身に気付いて顔を上げる。
「これ、火薬?」
「爆弾に使われる黒色火薬だ。どっちかっつうと火力より音の反応がでかいらしいけどな」
「どうしてこんなもの持ってるの?」
「爺さんのところを出るときに色々持たされたうちの一つだ。売れば金になるから最終手段として取ってたんだがな、こんなところで役に立つとは思わなかった」
狼の群れから逃げる時に使った癇癪球もその一つ。森を出てからもあの爺さんに助けられたようであまりいい気はしないが、道具に罪は無い。
「火石の爆発をこれで増幅させて《魔堕》に叩きつけてやる。足りなきゃ全部でも使ってやる。倒せば報酬でお釣りがくるからな」
火石は全部で三つ。カンテラ用の油も少しはあるし、布に包めば即席の爆弾の完成だ。
火石由来の爆発は魔力の宿った衝撃だ。魔剣で魔物が討滅できるように、魔力を纏った一撃は致命傷足りえる。
「今、手持ちで出来る最大限の攻撃だ。これで無理ならそれまでだがな」
「……だったら私は? 私が作り出した剣とかも同じだよね?」
続いた少女の言葉に気付く。そうだ、契約こそしていないが彼女は魔剣。《魔堕》にとっては天敵とも言うべき存在だ。
「昨日より回復してるし、少しくらいなら戦えるよっ」
確かに彼女の力を借りれば格段と勝率は上がるだろう。
「……そうだな。合理的に考えてお前の力を使うのが最善か」
「少しだけ時間をくれればお兄さんにも似たような事ができるしね」
「…………どういうことだ?」
「その剣。一時的にだけど魔具にしてあげられるよ」
言って指差したのは俺が持っていたクリス。短剣ではあるが、波打つ刃は斬る際に傷口を抉り、失血から無力化を行う武器だ。問題は、少しだけ脆いこと。少なくとも折れてしまったシャブラのように実践的ではない……どちらかといえば儀式的な意味合いの強い武器だ。
「それってあんまり戦いに向かないよね。軸曲がってるし。最初不良品かなって思ったんだけれど」
「見るだけでそんな事まで分かるのか」
「これでも魔剣だからね。でも、だからこそ別の使用用途があるんでしょ?」
「恐らく儀式とか式典とか、そう言った類だろうな」
「だからかな。魔力を宿しやすいって言うか、魔具にしやすい武器だね」
儀式に使用されるものなのどは特別な意匠を施したり、専用の材料を使用すると聞く。主に宗教的な意味合いの強い武器だからこそ、人ならざる力の集合体……魔物から見ればなじみが強いのかもしれない。
「ただ完璧な魔具にもならなさそうだから、一時的なものだけれど」
「魔具なら俺の魔力を使って魔剣紛いの攻撃も出来る、か」
人間は彼女のように自身の魔力で何かを生み出したりは出来ない。けれど魔具を扱う事に関しては魔剣よりも優れているとさえ言われるほどだ。ならばクリスを魔具にして魔力を注ぎ込めば、《魔堕》を倒すだけの力にはなるはずだ。
「どうする?」
「直ぐにできるか?」
「意図的につくろうと思うと集中しないとだから無防備になるよ?」
魔具は基本的に無意識に出来上がる道具だ。魔を宿す者が近くにいる事で、漏れ出た魔力を蓄えて魔具に変化する。土地によっては魔力が濃い場所もあるらしく、そこで取れる鉱石などは天然の魔具として高値で取引されると言う話だ。
ただ、あくまで偶然は偶然。つくろうと思えば意図的にだってつくれる。
また、魔具は魔具になるまでに吸収した魔力量によって品質が変わる。ゆっくりと多くの魔力を蓄えた物は強力である事が多い。逆に短期間で出来上がった物は質が悪くなる。
問題があるとすれば、今回は時間があまりない。そこまで強力な魔具にはならないし、彼女の言った通り一時的な魔具への変化。その時間制限が切れれば、ただの使えない剣へと逆戻りだ。
それに、少ない魔力で意図的につくるのだ。集中すれば警戒が疎かになるし、いざと言うときは守って欲しいと。しかしそうするだけの価値はある。対価にしては安い方だ。
「あと、魔力を使うから魔物の方からよってくると思う」
「それまでに間に合うか?」
「……どうだろう」
…………仕方ない。いざとなったら火石でどうにか気を引くとしよう。落ち着いて対処をすればどうにかなる相手なのは証明済みだ。
「分かった。その代わりしっかり使えるものを用意してくれよ?」
「任せて。じゃあ、えっとできるまでは……代わりにこれ使って」
クリスの代わりに渡されたのは彼女が魔力で作り出した抜き身のサーベル。
「シャブラ、に似てるな」
「今は持ってないみたいだけれど、前に使ってた剣に似せたんだ。その方が使いやすいかと思って」
いらぬ気遣いをする魔剣に一瞥して一振り。確かに手には馴染む。因みに売ってはしまったものもあるが、腰にさげていたシャブラと、背中のエストック。先ほど回収した靴に仕込んでいるダガーに、後ろ腰の今し方少女に渡したクリスの四本が持ち歩いていた武装だった。
不意を突く為に全身に仕込んであったのだが、彼女相手にそういった小細工は通用しそうに無い。
「魔力でできた剣だから耐久力は無いからね。魔物相手だと数回で折れると思うし、動物には殆ど効果がないから」
「そっちはエストックでどうにかするさ。お前は魔具を作るのに集中してろ。それに《魔堕》が来れば動物は逃げていく」
「ん、それじゃあ始めるね」
目を閉じ、手に持ったクリスへと魔力を注ぎ込み始める少女。明確な異能の発露を肌で感じ取って胸の奥に眠る膨大な魔力が疼くのを感じる。
と、そこで気付いたもう一つの方法論。今手に持っている彼女が作り出したサーベルも魔力由来の武器……魔具と似たようなものだ。あまり無茶をさせると暴走してしまいかねないが、魔具ならば俺の魔力も活用できると。
少しだけ意識して魔具を使うように魔力を使用すれば、サーベルの刀身が淡く光った。
魔剣紛いの魔具紛い。加えてシャブラ紛いの、紛い物だらけ。けれども名前すらない人紛いにとっては丁度いい得物かもしれないと。
そんな事を考えつつ布と火薬、火石と油をあわせて即席の爆弾を三つ作りあげる。
本当なら策を立て、しっかりとした魔具で武装して戦うべき相手が《魔堕》だ。が、そんな贅沢は言っていられない。今はあるべきものでどうにかするべきだ。
そうして覚悟を決めてしばらくすると、遠くから地響きのような音が波の様に押し寄せてくるのを捉えた。
こちらから探さなくてもいいと言うのはある種の安心感があるが、迫ってくるというのはそれで心臓に悪い。そうでなくとも異形の怪物なのだ。本能的な恐怖までは拭えないだろう。
しかし逃げるわけにもいかないと深呼吸を一つ。次いで開いた視界に、木々をなぎ倒して目の前にこちらを見下ろす《魔堕》の姿を捉えた。
その姿、思わず見上げた景色の中に負った傷を見つける。それは左目に残った刺し傷が塞がったような痕。あの傷痕は恐らく、奴から逃げる際にシャブラを投げて刺さった時のものだろう。それほどに深い傷になったのか。それとも直すほどの魔力がなかったのか。どちらにせよ、昨日戦った《魔堕》と同じと言う事実が少しだけ戦意を持ち上げる。
因縁に対する復讐染みた何かもそうだが、他に気配がないことからここらにいる《魔堕》は目の前の一体だけなのだろう。ならばこれ以上敵が増えて乱戦になると言う、面倒な景色に発展しなくて済む。
「さぁ、少しばかり付き合ってもらおう、かっ」
睨み据えて次の瞬間。手に持った簡易爆弾に魔力を込めて投擲する。魔物であるからか、それとも脅威に感じなかったのか。飛来した異物に防御姿勢すらとらなかった《魔堕》の肩だと思われる部分で音と衝撃が爆ぜる。
次いで響き渡ったのは言葉にならない咆哮。魔力の宿った叫びに空気が震えるのを肌で感じながら退くより前へと足を出す。
一気に距離を詰めて、前に千切ったはずの足が治っている事に気がつきながら撫でるように魔力の刃を滑らせる。微かな物体の感触と共に遅れて噴出した瘴気のような黒い靄が中空に解けて消えていく。
因みに魔剣に刻まれる契約痕が黒いのも魔力が集まっている証。契約の際に強い魔力の衝突が齎す刻印なのだ。
「ァアアアアオオオォオオアアアァァァ!!」
獣よりも尚耳障りな咆哮。大地さえ揺るがす叫び声に合わせてこちらへ振り返った巨体が大木のような腕を振り下ろす。撓った一撃は数瞬の空白を挟んで、先ほどまでいた地面に叩きつけられ、石や砂を煙のように舞い上がらせる。
幾ら体が魔力でできているといっても存在としてそこにいる《魔堕》自体は一個の物質だ。当然、物理的な干渉は影響を刻み、命さえ奪う一撃が繰り出される。
しかし既に二度目の交戦。威力のある攻撃だが、大振りで目で追える攻撃は、出をしっかりと見ていれば避けるのは容易い。
振り下ろしに合わせて急接近。再び足首を斬りつけて傷を深くする。何度かに分けて斬れば、脆いサーベルでも足の一本くらいは切り落とせる。機動力が削がれれば後は時間を稼ぐだけだ。
捕捉されないようにと走り回って撹乱をしながら翻弄し続ける。大振りが来れば懐に潜り込んで一太刀を浴びせ、距離を取るの繰り返し。単純だが、単細胞な《魔堕》相手にはヒットアンドアウェーは存外有効らしい。馬鹿で助かった。
と、次いでの攻撃は横薙ぎの腕。そう言えば前の時もこれに吹っ飛ばされたのだったかと、脳裏を過ぎる光景を重ねながら、襲い来る手のひらを睨んで。
低くした体勢で四本しかない魔物の指の一番下をサーベルで切り捨て、その空白に体を滑り込ませて回避する。それと同時、魔力で作られた刃がガラスのように砕けて黒い靄になって消えた。
直ぐに体勢を立て直して現状を俯瞰。指を一本と幾つかの切り傷。右の足首に数度の刃を走らせたが、切断までは至っていない。だが、体幹が定まらないのかよくふらついて攻撃も狙いがつかない様子。後一押しすればその場へ横倒しにする事もできるかもしれない。
だったらと取り出した残り二つの爆弾。直ぐに魔力を込めて点火すると、《魔堕》の右の足元へと同時に投げる。
魔力を纏った爆発は確かに《魔堕》に有効だ。けれどそれ以外にだって使い道は当然ある。
一瞬の空白の後、爆発に地面が抉られて目の前の巨体が体制を崩し、前のめりに倒れた。その大きな体がこちらへ迫ってくることに少しだけ驚きつつ、後ろに跳躍。着地と同時に、気休め程度のダガー投擲。それが偶然か、前につけた顔の傷を抉るように刺さって一際大きな声無き声を響かせた。
どうやらあの辺りが弱点らしい。ならば戦闘の常識として弱点を集中的に狙うだけだ。
「できたっ!」
そう考えた直後。《魔堕》を挟んだ向こう側から上がった声に少しだけ安堵する。
狙いが決まったところで武器がなければ攻撃は出来ない。エストックはあるが、突き主体の細剣だ。幾ら物体としての存在感が薄い《魔堕》でも、折れるものは折れる。だからどうしようかと考えていたのだが、運よく準備が整ったらしい。
「投げるよっ! ……ぅえい!」
小さな掛け声と共に回転してこちらに跳んできたクリスを受け止める。
「無茶はしないでね!」
「だったら援護の一つでもくれ!」
「もちろんっ」
受けとったクリスは刀身を淡く発光させていた。魔力を込めれば、先ほど少女が作り出したサーベルに比べて確かな手応えと共に武器の実感を味わう。
「倒せそう?」
「これは魔剣紛いだからな。しっかり弱点に叩き込めばいけるはずだ。恐らく弱点は顔だ」
人型を模したのが仇になったのか、それとも偶然か。何にせよテンプレ通りの戦術に従って弱点を攻めるだけだ。
「いくぞ……!」
「うん!」
呼吸を一つ。それから腕を突いて立ち上がろうとする《魔堕》に向けて疾駆する。
直ぐにこちらへ気付いた《魔堕》が、目障りな蝿を叩くように振り上げた腕を叩きつける。が、そんな大振りな攻撃を受けてやるほど暇でもなければ余裕もない。
咄嗟に横に避けてかわし、振り下ろされた腕を足場に駆けて昇る。それとほぼ同時、彼女が作りあげた幾本かの短検が軌跡を描いて殺到する。雨の如く降り注いだ鈍色の魔術が《魔堕》の背中や肩、顔に突き刺さる。
痛覚があるのかは定かではないが、身を捩るようにして振り上げた腕。丁度そこに乗っていた体が中空へと放り出される。
「っ……だぁあああああっ!!」
地に足の着かない浮遊感の恐怖。けれど眼下に広がった景色の真ん中に捉えた《魔堕》の姿に息を詰めて、落下に合わせて顔面目掛けてクリスを突き立てる。
同時、込めた魔力を刃先から放出すれば、内側から食い破るように魔力の巨体が弾け飛んだ。
直接体に流し込んだ魔力の一撃。魔剣紛いの魔具から放たれた攻撃は、魔力の結合を解くように《魔堕》を霧散させた。
魔力は集まれば黒い色を持つが、空気中に散って溶ければ無色透明になる。
無くなった手の先の物体に、支えを無くして地面に落ちる。既のところで受身を取って地面を転がり立ち上がれば、煩いほどの心臓の音と共に息を吐き出した。
どうやら上手くいったらしい。中位に満たない低位の《魔堕》だったとは言え、魔剣の力を借りて倒せたというのはある種の偶然だ。先の戦いで負傷していたり、魔力を使った攻撃が出来たりと助けられた部分は大いにある。
だが、結果に残ったのは《魔堕》を倒したという事実だけだ。
「……すごいね」
「今回は馬鹿みたいな魔力量に助けられたな」
まだ僅かに残る緊張を解くように答えて、光を失いつつあるクリスを後ろ腰にしまう。そうして《魔堕》のいた場所を見つめれば、地面に転がる貴金属の小さな山を見つけた。
どうやら奴はそこそこの金属類を集めていたらしい。一体何に使うつもりだったのか……。それともそれらが核の役割を果たしていたのか。そんな事を考えながらがらくたを漁って、目的の時計を見つける。
少し汚れてはいるが、金鍍金の丸い依頼品。目立った傷も無く、壊れている様子もない。これにて依頼品の回収完了だ。後は依頼主に届けるだけ。
「探し物は見つかった?」
「あぁ。あと、売れば金になりそうな物も幾つかある。持って帰って市場に流す」
「……抜け目ないね、お兄さん」
呆れたように笑う少女だが、金銭問題の解決は目下一番の目標だったのだ。依頼の報酬や、《魔堕》の討伐報酬もあるが、もらえるものは貰っておくべきだろう。旅をする関係上、食事代に宿代にと金は幾らあっても困らない。
「別にお前を売ってもいいんだぞ?」
「本気でそう思ってるならしっかり価値を付けてよねっ」
どうやら冗談を言えるくらいには彼女の中でも整理が付いたらしい。それとも単に自棄になっているだけか?
とりあえず無駄話をできるほどにはこの辺りは安全だと言う彼女のお墨付きだ。今更魔剣としての嗅覚を疑うつもりは無い。それに、例え野生動物が今やってきても撃退するだけの武器がある。その余裕が僅かな心の平穏を齎してくれる。
「それじゃあ帰ろっか! 魔力使ったらお腹が減っちゃった」
「燃費の悪い魔剣だな。おまけに食い殺されると来たもんだ。一体何処に買い手がつくのやら……」
「魔剣は幾ら食べても太らないもんっ」
食い荒らされるのは魔力か。それとも懐か。
抗議のような何かを零す少女と共に、貴金属を持てるだけ持って町へと向かう。その最中、景色を客観視した自分が冷静に現状を判断する。
今の一幕だけを切り取れば、魔剣とその力を使った人間……傍から見れば魔剣とその契約者と言う見方も出来る。そう考えれば《魔堕》を倒せたことにも納得が行くと言うものだ。もちろん、こんな大飯食らいを相棒に選ぶなんて正気の沙汰では無いだろうが。
しかしその点だけに目を瞑れば、《魔堕》を一人で討滅できる魔剣という破格なのかもしれないと。売るとすれば、一体幾らの値がつくのだろうか……。
想像の中でどうすれば最も高くなるだろうかと思案を重ねながら町へと戻ってきて。辺りを気にしている様子の少女が少し深くフードを被る横で換金した後、依頼主の元へと向かう。金額によっては休息と準備のためにもう一日ここで休んで言ってもいいだろうかと考えながら、傭兵宿で任務の報告と引き換えに貰った依頼主の場所までの地図を片手に、町の端の方まで歩く。
ようやく戦闘の疲労感が抜けてきた頃、辿り着いたのは小屋のような建物。町の外周近くにあるその家は、暮らしていくのがやっとと言った風情の……聞こえがよく言えば趣のある建物だった。
所々隙間の開いた板張りの扉を叩く。しばらくして顔を覗かせたのは、疲れた顔をした若い男性だった。
「……どちらさまで?」
「あんたが出した依頼を受けた者だ。依頼品を回収したから届けに来た」
「依頼……っ! 時計は、時計はどこに……!」
今の今まで出していた依頼のことすら忘れていたような反応。それほどにここでの暮らしは大変だろうか? ……そもそも時計を手に入れるような奴がどうしてこんな場所に住んでいるのか。
疑問を抱きつつ、落ち着きの無い男性に時計を差し出す。
「これで間違いは無いか?」
「あぁ、ああ! 間違いないっ」
「それで、報酬だが……」
感傷に構ってやる余裕は無いと本題を切り出せば、目の前の男の肩が小さく揺れた。その事実に、少しだけ嫌な予感を募らせながら続ける。
「時計なんてがらくた同然の嗜好品を見つけてきたんだ。相応の期待をしていいんだろうな?」
「…………そ、そのこと、なんだが……。い、一日っ……明日まで待ってくれないかっ」
「依頼と報酬の交換が常識な筈だがな」
「わ、分かってる。…………実を言うと、誰も取ってこれないと思ってたんだ。だから、金が用意できてない……」
「……つまりそいつが《魔堕》に取られたと知ってて、依頼内容には書かなかったのか?」
詰問には怯えるように視線を逸らした男。まぁ確かに、こんな小さな町で《魔堕》を討伐できるほどの戦力は無いだろう。俺だって隣に魔剣がいたからその力でどうにかなったに過ぎない。
騙すつもりよりも、依頼を受けてもらわなければ話にならないから多くを示さなかったというわけだ。もし最初から《魔堕》が出ると分かっていれば俺だって受けはしなかっただろうからな。
「……まぁいい。契約は契約だ。明日もう一度来る。しっかりと誠意は見せてもらうからな」
「…………すまない」
結局、殆ど視線を合わせる事の無かった男の家を後にして歩き出す。そうして一歩を踏み出すたびに、胸の内の想像が嫌な方向に現実味を帯びていく事に舌を打った。
隣を歩く少女が何かを言いたそうにこちらを見上げていたが、何かを言う前に市場に戻ってきていた。
「……昼」
「え……?」
「何が食べたい?」
「……お兄さんの好きなものでいいよ」
別に好きなものなんて無いけれど。適当に選んで腹に詰め込んでおくとしよう。どうせ今日はもう暇なのだ。
* * *
書き殴った紙を筒状に丸めて、鳥の足首につけられた入れ物に突っ込み蓋を閉める。訓練されたおとなしい鳥は、人間よりも余程賢いなどと思いながら開けた窓から外へと放り投げた。
直ぐに広げた羽で風を掴んだ鳥は瞬く間に空へと上がり遠くへと飛んで行く。
これで明日にはどうにかなるはず。後はここを去るための準備だ。
目的を達せばこの町に用は無い。少し眺めの滞在だったが、その中の自由でそれなりに楽しめた。
偶然にも探し物も見つかったし、ちょっとした達成感。
戻ったらまた色も時間も曖昧な世界で過ごしていくのかと憂鬱な気分になるけれど、それも仕事。生きていくためには仕方の無いこと。
少しだけ湧いてしまった土地への情を捨てるように小さく息を吐いて準備に取り掛かる。
結局世界なんて、個人の思い通りにはならない。
ただその中で、少しばかり自由を見つけて楽しい事を追いかけるだけ。出来る事はただ、面倒から目を背けて足元の面白いものを見続けること。そうして刹那的に生きていれば、世界はまだ生きやすい。