第四章
メローラに剣術指南をお願いした翌日。その日は彼女も用事がなかったらしく、朝から訓練場の一角を借りて打ち合いを行っていた。
ここはセレスタイン帝国の中枢、帝都バリテの要所、セレスタイン城。当然そこには常駐する騎士が沢山いて、有事の際には馬を駆り戦場に赴く国家の剣。
そんな彼らの日頃の鍛錬の場として、城内には騎士の為の訓練場が設けられているのだ。
訓練場には、当然それに応じた準備もある。模擬戦を行う為の刃を潰した剣であったり、銃のないこの世界での遠距離武器である弓や、その的であったり。
少し見慣れない物だと、つい最近使ったのか、それともこれから使う予定なのか……移動式の大砲のような物も目に見える位置に置いてあった。
こうして見ると、《波旬皇》が封印された今現在でも、散発的に戦いは起きているのだと実感する。旅の身で、極個人的な戦いしか経験してこなかった為か、想像は出来てもあまり実感は湧かない。
「退かないっ!」
「っ……!」
目の前で踊る銀閃から目を逸らさず、感覚を刺激する存在感を受け止めてまた一つ前に意識を押し出す。
休憩を挟みつつ既に数時間。そろそろ昼時を知らせる天頂の塊が、煌々と日差しを降り注がせる。
「ふっ」
顎下に向けたられた直下からの突き。俺の体と並行するように這い上がってくる切っ先の恐怖を、内側から跳ね上げた刃で逸らす。
風となって頬を撫でた一撃。往なしたその隙を突いて、左の掌を横殴りにメローラの顎目掛けて意趣返し気味に叩き込む。
すると彼女は突き出した俺の腕を肘を曲げ挟むようにして固定し、変則的な形で大外刈を放って俺を仰向けに倒した。背中を強く打ちつけた俺に勝敗を告げるように、切っ先を俺の鼻先に突き付ける。
「剣だけに頼らないのはいいわね。戦場では卑怯で泥臭くても勝ちに執着する奴が生き残る。その素養は認める。けど単純すぎる。それから自分の身を守る術が甘い。その証拠に、こんな反撃で崩される」
「……だからって一朝一夕で身に付く訳じゃないだろ」
「教えられてるようじゃまだまだね」
言って、剣を退け差し出された掌を取る。
「怠惰に待たずに自分で盗め、だろ? でも見様見真似でしたところで通じねぇじゃねぇか」
「当たり前じゃない。自分の技を返される想定とその対策くらいはしてるわよ」
見下すように告げるメローラに、大きく息を吐いた。
最終的に精神論に行き着く彼女の剣術指南は、色々な意味で新鮮な価値観だと再確認した。
ラグネルが持ってきた、サンドイッチのような昼食を片手に溜め息を落とす。
朝からずっとあの調子で、既に体があちこち痛い。最早体罰だが、自分から申し出たそれを引っ込めるのもプライドが許さなくて早くも板ばさみに陥っていた。
最初はまだよかった。基礎の基礎……剣の振り方だとか、してはならない攻撃だとか、二年前に身につけて俺でも知っている事をおさらいしている内は楽だった。
それから軽く打ち合うようになって、すると段々脳筋で剣豪なメローラの剣士の部分に炎が揺らめき始め、加速度的に彼女の一撃が激しくなっていった。彼女の覇気に当てられて、大概気の短い俺もその勢いに乗り。ウォームアップ程度だった最初の打ち合いが終わる頃には模擬戦の様相を呈していた事に気が付いたのは、二度目の休憩が終わった時だった。
言葉よりも実体験で教える方が分かり易いと、それから息が整う度に繰り返した模擬戦。刃を潰してあるとはいえ、まともに食らえば鈍器に殴られるのと同じ衝撃を味わう恐怖に駆られて否応無く限界を強要された俺は、気付けばどうにか彼女と真正面から刃を交えられるくらいにはなっていた。
理由は二つ。一つは俺自身が強くなれるならばなりたいと望んで、強欲に上を目指したから。見て、聞いて、盗む。上達は模倣からを体現し、メローラの一挙手一投足を己に落とし込んで自分の力として定着させようと努力した。
もう一つはメローラが師事する相手としてある種の理想であった事。彼女が脳筋で体育会系なのは覆しようの無い事実だが、それ以上に教え方が上手かったのだ。……いや、教え方と言うより観察眼と言う方が正しいか。
打ち合いながら、どこが悪いのかを口頭で伝え、それを意識して直せるように俺に合わせた特訓を付けてくれる。彼女の地力が磐石な物として存在しているからこそ、俺がなあなあで誤魔化していた部分を基礎から叩き直してもらえたのだ。
マンツーマンで、それに応えるだけの胆力が無ければ成り立たない練習法かも知れないが。彼女が言うように俺には素養のようなものがあるらしく、曰くそれは精神的な物とのことだ。
出来ない事に向き合う誠実さと、失敗では折れない心構え。肉体的や、小手先の技術よりも必要な、向上心と言う奴だ。
その核に、俺は何となく心当たりがある。
心当たりと言うよりは原因と表現する方が正しいかもしれないが──俺の過去に根差す物だ。
特別さが異質さへと変わって爪弾きをされてきた。どちらかと言うと精神的ないじめと言う物を経験したからこそ芽生えた精神なのだろうが、多数の悪意に揉まれてそれに抗する克己心がどこかにあったのだ。
やり返しはしない。ただそれ以上がないように、じっと耐える。忍耐力とでもいうべき、不屈の心。
恐らくだが、母親に否定さえされなければ、どれだけ周りにいじめられようとも俺は向こうの世界で必死に生きていたのだと思う。それほどに強靭な意志の強さが、こっちの世界に来て潜在的にあったのだろう自分で選択する決断力と交わり、今の俺が持つ向上心へとなったのだと思う。
これまでの二年間でそれがある程度形になっていたからこそメローラとの模擬戦の中で顕在化し、彼女の指南にもどうにか食らい付いていけているのだ。
実際の所、自分に自分で驚いているほどだ。こんな感情が俺の中にあったとはな。
「まさかこの程度で音を上げたりしないわよね?」
「見込みが無かったらそもそも誘ってないだろ?」
「えぇ。どんな道を歩んで来たにせよ、あたしと同じ場所まで来たんだもの。それ相応の覚悟があると分かってたから。あたしはそれが知りたかっただけ」
「それで、その不確かな物は分かったのか?」
「大体は。ミノが器用でなくてよかったわ」
「……どういう意味だ」
「貴方の剣は言葉ほどに捻くれてないって事よ」
褒められているのか貶されているのか。人格否定をされた気がして軽く睨む。するとメローラは楽しそうに笑った。
「誇りなさい。貴方の剣は強い。……いえ、心が、かしらね」
彼女の言葉に口を噤む。もしそうなのだとしたら、それはきっとカレンと契約をしたからだろう。
彼女の刃は、心の剣。想像を手繰り寄せ結実させる、理想の一太刀。だからこそ、無謀でも夢を追い駆けるほどの馬鹿でなければ振るえなくて、彼女を握る為に俺は雑念と言う物を捨てられたのかも知れない。
陳腐で恥ずかしい形容かもしれないが、いつだって想像していたのは勝利した自分の姿だったのだ。それが何より、カレンの刃の真髄だと思っていたから。
「どんな経験を経てその芯の強さを身に付けたのかまで訊くつもりは無い。だから代わりに、あたしの理想を越えて見せて」
「随分と買い被られたものだな」
「えぇ、当たり前じゃない。だって貴方にはそれだけの素養があるんだもの」
飽くなき向上心。言葉にすれば簡単で、実現するにはきっと難しい。自分でも未だ納得できていないそれが、俺の本質なのかもしれない。
「それと同時に、ミノは卑怯でもあるわね」
「あ……?」
「悪い意味じゃないのよ。いざという時に非情な手段も取れる。正攻法ばかりではなく、泥を啜ってでも這い上がろうという不屈。真っ当な剣の道を志す者達からすれば邪道で倦厭されるだろう強かさがある。……打ち合った感じ、今まで本当にそれを遂げたようなすれた感じはしなかったけれど。例えばあたしの暗殺を請け負ったら、更に別の誰かを雇って仕事を完遂するくらいには卑怯でしょう?」
それが手段として使えるのならば、候補には挙がるかもしれない。
不意打ち、絡め手、奇策は上等。使える手は全て使う。最も確率の高い方法を選ぶ。俺が俺である、合理的な判断。
「馬鹿正直に正面突破ばかりを考える輩よりは、余程信用出来る」
「裏切られるかもしれないのにか?」
「そう分かっているのだから当然でしょう?」
嘘吐きだと分かっている方が安心出来る。加えて俺は素直らしいから。彼女にとってはこれ以上ない好印象なのだろう。
偽名を作る時に素直さは捨てたはずだったんだがな…………。
「敵に対してではなく、自分に対して正直な心。今更気付いたって捨てられないわよね?」
「だから今更気付いたんだろうが。クソがっ」
悪態を吐けば、まるで子供の癇癪でも微笑ましく見守るようにまた一つ笑ったメローラ。心の底まで見透かされている気分なのは癇に障るが、しかし剣を通してそれだけ理解する彼女は剣術家として俺より随分先にいる事は確かだ。少なくともこうして技術を教わる相手としては申し分ない。
胸の奥に渦巻く遣り切れなさを溜め息にして吐き出し、それから逃げるように話題を変える。
「で、そっちだけ得をするってのは不公平だろうが」
「ん……?」
「提案を呑んだらお前の事を教えてくれる。そう言う約束だ」
「………………あぁ、そうね」
こいつ、忘れてやがったな?
「結構長い話になるわよ?」
「剣を振りながらでいいだろ。その方が練習になる」
「殊勝な心がけね」
雑念があった方がより実践的だ。情報量を増やして、その中で力を磨ければそれはきっと本物だから。
「なら食べ終えたら始めましょうか」
「あぁ」
答えてパンの欠片を口に放り込み空を見上げる。城壁に囲まれた籠の鳥な軟禁生活。だと言うのに、言葉ほどに不自由さを感じない事に遅ればせながら気付けば、少しだけ気力が戻ってきた気がしたのだった。
「じゃああのドラゴンの片角はお前の所為かっ」
悪態と共に振り下ろした剣が難なく受け止められる。
耳障りな金属音を響かせる鍔迫り合いに、彼女の顔を見据えて更なる責任追及を行った。
「魔障はっ……!」
「魔障?」
「あのドラゴン、俺と戦ったときには魔障に犯されてたぞ!」
「…………もしかしてあたしの所為?」
「俺にはそれ以外考えられないがなっ」
横薙ぎの一撃を身を屈めてかわし、バックステップの後に構え直す。
するとメローラは、少し考えるような間を空けて踏み込みから逆袈裟の一閃を放ってきた。
空気を唸らせる一撃を受け止め、手首を捻って下から跳ね上げる。無防備になった胴に攻撃を…………そう考えた直後、横から迫った蹴りに気が付いてどうにかかわした。
「いい反の──おっ?」
「……ちぃっ」
軸足に向けた足払いで仰向けに倒れたメローラ。そんな彼女に馬乗りになって刃を振るうが、既のところで割り込んだ刃に止められた。
「ん、休憩にしようか」
「はっ……。……ふぅ…………」
熱っぽい息を吐き出して立ち上がり、差し出した掌でメローラを起こす。
そのまま二人で陰に入り水分補給を行えば、思い出したように途中だった会話を紡いだ。
「で、どうなんだ?」
「確証は無いんでしょ?」
「けどドラゴン相手に魔物が傷残して引き分けるか? 逃げる前に潰されるだろ」
「ま、そうね。ならあたしの所為か」
「心当たりでもあるのか?」
「えぇ」
疑い半分だった声に、どこか確信を持って彼女が頷く。
その横顔を見れば、メローラは考えるような間を空けて語り出した。
「あのドラゴンの角の片方はあたしが切り落とした。数年前にね。まだ《渡聖者》になる前よ。……と言うか、あれが最後の理由になったんでしょうね。一人でドラゴンを倒す魔剣持ちなんて、どこの国も欲しがる。野良だったあたしは引く手数多の勧誘合戦の只中よ。それに嫌気が差してたところに、教皇陛下の提案で今の立場を勧められたの」
「ファルシアか」
それはまだ、彼が教皇と言う座について間もない頃だったらしい。
「あの人も何か欲しかったんでしょうね。担ぎ上げられた椅子に相応しい実績が。そこに丁度あたしが居たから、新たな試みとして生贄にされたのよ」
「大概大変な人生歩んでるな、あの若い王様も」
お陰で俺も《渡聖者》になれたのだから、その制度を作ってくれた彼には感謝をしているが。
「で、話が前後するけど、もう一つの理由があたしが魔剣持ちになった経緯ね」
「そういえばまだ聞いてなかったな」
「簡単に言えば、因縁よ。ね、ヴェリエ」
「人の価値観なら運命って奴だろうな」
隣に立て掛けてあったメローラの相棒が声を発する。
どうでもいいが、彼は性別的には男で、カレン達のように人型は取らないらしい。その気になれば出来るらしいが、面倒の一点張りでこれまで一度も人型になったことがないのだとか。歩くのが面倒なだけではなかろうか。
「あたしとヴェリエは、短期間に六回も再会してるの?」
「……どういうことだ?」
「痛み分けよ。最初は住んでた村を飛び出した直後。まだ低位だったヴェリエと出会って、互いに傷を負ったの。その時に魔障にも掛かった」
いきなりな話に、けれどもどうにか付いていく。魔物との出会いは事故のようなもの。基本時にその一回で答えは出るが、彼女はそれが六回も連続したらしい。
「それから何度か相見えることがあったの。その度に戦って、あと少しのところで逃げられたり、邪魔が入ったりで、決着を見なかった。その間に、あたしの魔障は進行してちょっとだけ魔力の扱いにも長けた。ヴェリエも負った傷を直す際に更に多くの魔力を取り込んで……ってな感じで、お互いに強くなっていったのよ」
「一体どこのバトル漫画だよ……」
ともすれば終生のライバルとでも言うべき関係を続けたメローラとヴェリエ。《渡聖者》になる奴ってのはどいつも碌な道進んできてないようだ。
「五回目の時にはヴェリエなんて魔物だって言うのに騎士みたいな鎧を着てたのよ? 卑怯だと思わない?」
「そっちだってありったけの魔具で武装して終わらせようとしてたくせによく言うぜっ」
「でも結局五回目でも決着は付かなかった。その頃になるともう戦いの終わりなんてどうでもよかったのよ。あたしはただ、ずっとヴェリエと戦って……どこまでも強くなっていきたかったの」
脳筋な彼女らしい終着点だ。
「けど体はそうもいかなくてね。色々手を講じて誤魔化してたけど、限界が近かったのよ。魔障に罹って一年持たせたのなんてあたしくらいよ?」
「普通は三ヶ月だっけか?」
「えぇ。長くても五ヶ月で魔物に変貌する。そうなる前に誰かに介錯してもらうのが普通ね。魔障を治す術は無いから」
「あのドラゴンの魔障は斬り離して来たけどな」
「え……?」
「とは言っても根の部分まで無くなったわけじゃない。体を蝕んでた大部分をカレンの刃でどうにか分離した。時間が経てばその内また魔障に侵されて猛威を振るうようにもなるだろうけどな」
根本的な解決にはならない。問題を先送りにしただけだ。
しかもあれは、カレンとチカの力をフルに使ってようやく為し得た結果。俺しか使えない応急手当だ。治療法として確立などしていない。
「ま、それはいいわ。今はあたしの話ね」
「元はと言えばあんたの所為なんだろうけどな……」
「魔障に罹れば、後は時間が経って魔物になるだけ。それを回避するためには、傷を負わせた魔物を倒し、魔力の供給源を断つ他無い。……まぁ例えそれをしたとしても、あの時のあたしが元に戻れた保証は無いけどね」
こちらの言葉を無視して再び話し始めたメローラ。まぁいい、責任の所在は全部聞いてからだ。
「それにあたしは、ヴェリエとずっと高め合って居たかった。だから思ったのよ、もう一つの方法をって」
「もう一つ?」
「魔障の進行は、傷を負わせた魔物から傷を持っている体に流れ込む魔力に蝕まれる事で起こる。言わば一方的な契約で許容量を越えた異物に支配されるのと同じね」
カレンの過去を思い出す。
カレンが《枯姫》や《宿喰》と呼ばれていた頃。契約相手を探して何人もの相手の死を見てきた。あれはメローラの話と逆で、魔力を吸い上げ過ぎた事による死。魔障はその反対と考えれば楽に解釈出来る。
「ならその一方的に送られてくる魔力を止めて貰えばいいのよ。そうすればそれ以上魔障に侵されなくて済むでしょう?」
ユウに魔障の事を聞いた時に似たようなことを考えたと思い出す。
魔障を介して繋がっている人間と魔物が仲良くなれば、魔障は進まなくなる。そんな馬鹿げた理想を、メローラは行動に移したのだ。
「その頃のヴェリエは度重なる戦いを経て高位にまで成長してた。だから意思疎通も難なく出来た」
簡単に言ってくれるが、高位の魔物相手に魔具だけで渡り合っていたという事だ。幾ら魔障に侵され魔の扱いに長けていたとしても、簡単な事ではない。
彼女の自力はきっと、ヴェリエと相対する中で培われた、命さえ脅かす実践に裏打ちされたものなのだ。……そう簡単に越えられはしないだろう。
「六回目の出会いでその話をしたら、ヴェリエもまんざらじゃなかったみたいでね」
「そりゃあ興味も湧くさ。魔障に侵されて尚猛然と突っ込んでくる女が、戦いの中でぼろぼろになっても笑ってすら居るんだ。そこいらの魔物より余程らしいこいつに、感情を抱いちゃいけない道理なんて無いっ」
ヴェリエも大概常識外れだったのだろう。まぁこんなのと戦い続けていれば感化もされるか。
そうでなくとも魔物や魔力と言うのは感情に左右され易い存在だ。例え異種族であろうとも、感じる物はあるのだろう。
「でもその提案が通ると別の問題も生まれる事になるのよ」
「問題?」
「あたしは決着を付けたかった。ヴェリエも同じように考えてた。なのにこの提案は、決着を付けずに平行線のままにして置こうって言う話だもの。それは受け入れられなかった。どこまでいってもあたしとヴェリエは、強さと存在意義を渇望してたから」
「だから取引をしたんだ」
メローラの言葉を継いでヴェリエが告ぐ。
「こいつの願いは強さ。もしメローラが勝てば、おれを好きに出来る。管理下に置くも良し、隷属させるも良しってな。逆におれが勝てば、魔障が進んで魔物化したメローラを食わせろって言ったんだ」
「魔物が魔物を食うのか?」
「食うぜ。同属食いは時に大きく力を増す。同属を食うなんて発想は中位以上にならなきゃ生まれないけどな、上手くすればそんなに時間を掛けずに高位になれるんだ」
「相性みたいな物があってね。取り込んでもそれ一つですぐに強くなるわけじゃないみたいだけど。こいつの場合は自分で育てた魔障の塊だもの。いい餌だったんでしょうね」
メローラが先ほど言った存在意義。それは人で言う所の飢えの様なものだろうか。
魔力が形をなした魔物。当然その存在の源は魔力だ。人が食事をするように、魔物は空気中の魔力を吸収して力を行使したり傷を癒したりする。
加えて魔物は魔力から生まれ、際限なく個の意味を求める存在だ。生まれた理由などなく、生きる目的も無い。感情に左右される魔物は、人間よりも感情と言う物を求めている。
そうして自分と言う物を強く持つ為に、他を取り込もうとする……。推測だが、そんな思惑が言葉にならない衝動となって食べるという形を取るのだろう。実際は魔力の吸収……人で言う所の食事と大差は無いのだろうが。
「……少しずれる事を訊くが、その存在意義ってのは《波旬皇》みたいになりたいって事か?」
「さあな。そこんところはよく分かんねぇ。ただ存在する為に弱きを淘汰する。それだけだ」
魔物の価値観は人とは違う。だから自分のそれにそぐわなかった所で認めるとか言う話でもない。種としてのあり方が違うのだから交わる物では無いのだ。
勧善懲悪だとか、強きを挫き弱きを助けるだとか。そう言った人間の考え方とは根本から違う。
その上で極個人的な事を言えば、魔物はどこか人間味に溢れている気がする。
己の行動理念が理解できない、と言うのは、手探りで理を学ぼうとする純粋な子供のようだ。
「話を戻すけど、彼の提案にあたしは納得をしたの。だって負ければそれまで、勝てばまだ見ぬ未来。分かり易いし、何よりそれは普通に魔物と戦って行き着く結果だもの。根本の部分で何も変わらないのだから、単純でいいでしょう?」
己の命さえ賭して理想を夢見る。まるでギャンブルのような取引に、二人はそれぞれの納得を生み出して挑んだのだ。
「結果は?」
「つまらないわねぇ。そんなに生き急ぐ事無いじゃない。陽が真上に昇ってから始まって次の日の出まで続いた激戦を語らせてくれないの?」
「俺がそこから得られる物はなさそうだからな」
「つれないの」
生憎と共感の獣ではない。結果が全てだ。
……まぁ隣で彼女がこうして話している現実を考えれば、それも察しはついているのだが。
「ま、想像通りあたしの勝ちよ」
「おれとしちゃあ、あんまり納得いってないんだがなぁ」
「ずっと言ってるわね、それ。何が不満なの?」
「だってこいつ、最後に遠距離武器使いやがったんだぞ? それまでずっと剣やら槍やら担いできやがったのに、最後の最後で魔具の弓なんか持ち出しやがって……」
「戦いは非情で、結果が全てよ。あたしはあたしの為に全力を尽くした。それだけよ」
生死を賭けた戦いに待ったも卑怯も無い。……とは言え、ヴェリエに同情はする。彼はきっと、剣士としてのメローラと戦って勝ちたかったのだ。しかし彼女は、戦士だった。
「なんと言われようと勝敗は勝敗。何よりあの時のヴェリエも納得したじゃないっ」
「あれ以上食い下がったら取引が意味なくなってたからな」
感情に駆られてメローラを殺せば全てが台無しになる。だからヴェリエが折れた。
魔物に譲歩させるなんて流石《渡聖者》の器は規格外だ。
「……それで契約したのか?」
「えぇ。《魔堕》だったヴェリエに名前を与えて剣に宿し、魔剣と化した彼と契約を交わした。そうしてあたしとヴェリエは、長かった因縁に一応の決着を見つけたのよ」
幾度も擦れ違い、その果てに二人で一つの形を手に入れた。《魔堕》を魔剣にするというのも、もしかすると前代未聞だったのかも知れない。
「契約を交わした事で魔力は共有され、あたしの魔障はそれ以上進行しなくなった。とは言え止まっただけで、まだこの体には傷と停滞した魔障は残ってるの。もし何かの拍子にあたしとヴェリエの契約が破棄されれば、場合によってはあたしは直ぐにでも魔物に変貌する。……ミノに目を掛けたのも、それが理由の一つ。もちろん純粋にあなたの限界を知りたかった方が大きいけれどね」
言って、メローラが何かを預けるようにこちらを見つめた。
たった二人の《渡聖者》。国に属さない者同士、世界にその力を認められた存在として、己を委ねたかったのだろう。
いつか魔物と化した時、自分を止めてくれる相手。そうでなくとも、一人では厳しい現実に立ち向かう相方を欲していた。
《渡聖者》と言う肩書きを共有して背負ってくれる、共犯者のような何か。それを、二人目の俺に見出そうとしているのだ。
まだまだ及ばない彼女にそう見込んで貰えるのは、剣を振るう者としては嬉しい。……しかし、内容が内容だけにそう簡単には飲み込めない。
俺は……口にすればカレン辺りを調子付かせるからずっと避けてきたが。やっぱり誰かが死ぬのなんて見たくない。だったら自分の目を潰す方が余程簡単に選べる答えだ。だから彼女のもしもの時に、俺が引導を渡せるかと言われると…………それには首を振る気持ちの方が勝るだろう。
それこそ、こうして胸の内を明かされるくらいには信頼してもらえているのだ。まだ出会って二日だと言うのに、《渡聖者》と言う立場も相俟って彼女には仲間意識のような物を感じている。
綺麗な言い方をすれば、介錯だ。けれど、だからって元とは言え人だった相手を斬る事は、余程の葛藤と覚悟の末でなければ俺には出来ないだろう。
敵意しかない魔物は斬れても、こうして結んだ縁はできれば斬りたくないのだ。
「だから────」
「悪いがその取引には頷けない。だから勝手に……必死にもがいてろ」
「……………………えぇ、そうするわ」
にこりと笑って答えたメローラ。その顔を直視できなくて、逃げるように顔を逸らす。
俺は、誰かに自分を本気で預けられるだろうか? いたとして、それは一体誰なのだろうか……?
膨大な魔力の底よりもなお深い暗闇を覗き込むような自問に、目を覆い。それから更なる疑問で蓋をした。
「契約した後はどうだったんだ?」
「さっき話した通りよ。それぞれの国に勧誘されて、追い掛け回された。魔剣持ちとなった経緯もそうだけど、契約したのが元高位のヴェリエだもの。自分で言うのもなんだけど、そりゃあ強いわよ。どこの国も欲しがるわよね」
「けどこいつ、根がまじめだからな。一箇所に肩入れして世界のバランス崩したくないって強情張って全部跳ね除けたんだ」
「ちょっと、印象崩れるから勝手なこと言わないで!」
今更崩れる印象があるのかと言う問いは、どうにか喉の奥に押し込めて。
「んで、旅の中でドラゴンの角を片方斬り落として。ユークレースに行き着いたところであの教皇様の提案で《渡聖者》になったんだよ」
「それが全部、俺がこの世界に来る前の話か」
彼女の人生を追えば、それだけで立派な冒険譚になりそうな感じがする。掻い摘んで聞いただけでも波乱に溢れていたのだ。本当はもっと色々な事に巻き込まれてきたのだろう。
それがあって、今の彼女があるのだ。
「ドラゴンか…………。……そう言えばあの魔障、自分の所為かもしれないって言ってたけど、あれはどういう意味だ?」
「その説明にはもう一つだけ話に付き合ってもらわないといけないんだけど、いい?」
「ここまで話につき合わせておいて今更な話だな」
彼女が俺を信頼してくれているのならば、俺も出来る限りそれに応えたい。こうして何かを共有することがその始まりだというのならば、少しくらい億劫でも付き合うのが礼儀だ。
飲み物で喉を潤して小さく息を吐いたメローラが再び語り始める。
「ミノはあたしと戦ったときのこと覚えてる?」
「忘れられるわけ無いだろ、あんな化物染みた力。……カレンが魔障とか言ってたが、本当か?」
「えぇ。彼女が感じた通り、あの時あたしが使った力は魔障────より正確に言えば、魔障を軸に魔術として落としこんだ必殺技、かしら」
必殺技って……ゲームじゃないんだから。そう音にしようとしたが、言葉ほど冗談の色がないことに気が付いて飲み込んだ。
「ヴェリエと契約する前に魔障に罹ってそれを一年も無理やり抑え込んだ。そのお陰か、あたしの深いところまで魔障が進行してて、魔物に変化する一歩前だったの。その先にヴェリエと契約はしたけれど、彼と話し合った結果魔障は消すんじゃなくてそのまま残した方がいいって結論になったの。無理に取り除いたら体が危険だって」
「危険って、どんな感じだ……?」
「ヴェリエが言うには、人としての命の半分以上が魔障で賄われてるって言ってた」
予想外の返答に言葉に詰まる。傍目には普通の女性にしか見えないメローラ。しかしそれは最早、人として生きているとは呼べない状態だ。
ともすれば魔物と称した方が適切な感さえある。
「けど悪い事ばかりじゃなかったのも事実よ。魔障に犯されたら魔に関する能力が飛躍的に底上げされる。お陰であたしは魔術の行使をヴェリエの助けなく行えるの」
ユウといい勝負だな。メローラの場合は共生とは少し違うから比べるものでもない気がするが。
「そして魔障と長く付き合ってきた所為か、そこに関する理解も深まったみたいでね。ヴェリエとの契約とか色々重なって、魔障を逆に利用出来るようになったのよ」
「……それがあの鎧みたいな巨大な腕か?」
「半魔物化。周りからはご大層な名前で稜威権化なんて呼ばれてる」
指先に灯した魔力で宙に文字を書くメローラ。稜威と読むのだろうその言葉についての知識は、残念ながら持ち合わせていない。
「その稜威ってのは?」
「よく知らないけど神聖とかって意味らしいわよ。《渡聖者》として神に捧げた剣……だからそんな名前が付いたんでしょうけどね。その本質は魔物と同じ力だって言うんだから皮肉よね」
聖なる化身。なるほど、彼女もユウと同じく聖人のような扱いを受けているということか。魔物に不思議な形で縁のある人物と言うのは良くも悪くも崇められる対象になるらしい。
「だからあの時見せた力は、魔障を軸に魔物の力を模して身に宿した魔術なの。鎧みたいになってたのは、きっと最後に戦った時のヴェリエがそうなってたからでしょうね」
「好きであの形にしてるわけじゃないのか?」
「えぇ。自分で変えられるならもっとあたしに合った形にしてるわ」
大概脳筋な彼女にはよくお似合いだと思うが、口にすればこの後の扱きが苛烈さを増すだろうからそれはやめておく。死に急ぎたくは無い。
「それで、えっと、ドラゴンよね。あれと戦った時、角を斬る時に稜威権化で思いっきりやったのよ。そうしないと斬れなかったから」
「…………なるほど。魔障を軸にした技だから、それでドラゴンに魔障が宿ったって事か……。周りにまで感染転移して侵すとか癌みたいだな」
「ガン……って言うのはよく知らないけれど。そして強化されたあいつを、ミノが撃退して、尻拭いまでしてくれたって訳ね。…………ほんと、魔障に侵されたドラゴンなんて言う天災みたいな存在相手によく無事だったわね?」
「カレンやチカの力あってこそだ。俺はただ、あいつらの能力を借りて振るってたに過ぎない」
「自己評価に溺れていないのはいいことよ」
長い話に沢山の納得を見つけてようやく疑問が解消された。つまるところ、俺が今《渡聖者》としてここにいる原因の何割かは彼女の所為と言うことだ。
これまで一度だって顔を合わせたこと無かったのにその影響力に巻き込まれていたなんて……。流石先輩《渡聖者》様は格が違う。
「ま、お陰で懐事情はよくなったしな。僅かながら感謝もしてる」
「そういえばドラゴンの角が売りに出されたって聞いたわね……」
「しかも魔力が宿ったおまけ付きだ。通常以上の値で捌けたぞ」
「……手数料とか、もらえない?」
「嫌に決まってるだろうがっ。大体《渡聖者》なら金には困ってないだろ」
逆に迷惑料としてこっちが請求したいくらいだ。
俗っぽい話題に転化した空気に突っ込めば、メローラが気まずそうに顔を逸らす。
隣のヴェリエが疲れたように零した。
「……こいつなぁ、金遣い荒いんだよ」
「違うわよ! 次への活力にしてるの! お酒はあたしにとっての血潮なのっ!!」
「よりにもよって酒かよ…………」
来歴を聞いて、英雄染みた半生に少しばかり憧れさえ抱いていたのに。今の一瞬で彼女の評価が暴落した。
「つうか酒は飲めるんだな。年上だとは思ってたが……」
「女の歳を訊くなんて礼儀知らずね。男としての性根叩きなおしてあげるわっ!」
親の仇でも見つけたように剣を持って立ち上がったメローラ。次いで突きつけられた切っ先を、直ぐ傍に置いていた模擬剣で跳ね上げて慌てて逃げるように距離を取った。
「今のは訊いた内に入らねぇだろうが」
「その話題が、禁忌なのよっ……!」
大地を蹴ったメローラが、こちらに跳びかかって大上段から振り下ろす。その一撃を見据え、なし崩し的に始まった打ち合いに無理やり気概を振りかざして再び臨み始めるのだった。
「いってぇ…………。うわ、内出血してる……」
鉛のように重い体を引き摺ってやってきた浴場。訓練の汗を流し、疲れを癒そうと着ていた服を脱げば、目に見えるだけでも数箇所の打撲痕が体に刻まれていた。最後の方のあれは最早訓練じゃなくて体罰だろ……。
痛みがそれほどないのは、契約によって体内の魔力に流れが生まれ、痛覚に対して少しばかり麻痺が起きているからだ。……と言うのは、旅の中でユウに教えてもらった。
痛覚の麻痺なんて聞くと少し身構えてしまうが、体感としては前より丈夫になったという程度。苦労せずそれなりに鍛えた体が手に入った、と言う方が正しいかもしれない。身体強化は契約の恩恵の一つなのだ。
お陰でこの程度の怪我に一々のた打ち回ったりはしなくて済むのだが、逆に気付かないというのはデメリットになり得ると、痛々しい傷痕を見て見識を改める。丈夫な体もあまり過信せずに、自分の事はしっかり管理するとしよう。
風呂から上がったらカイウスかラグネルに言って薬でも出してもらうとしよう。そんな事を考えながら、微かに湯煙漂う広い浴場を歩く。
床は切り出した石を三和土のような目地材で繋ぎ合わせた少し冷たいもの。とは言えちょっと高級な露天風呂の床みたいで嫌悪感は無い。個人的には風呂らしい気がして好感触だ。
そんな床が広がる風呂場は体育館のように広く、あまり落ち着かない。まるで大衆浴場だ。
しかもここは本来ジョフーナ……向こうで言うサウナのように蒸気で満たし、その熱で汗と共に体を温めて疲れを取るような使い方をされる空間で、湯を張っての入浴は基本行われない。部屋の真ん中にある窪みも、そこに熱湯を張って立ち昇らせた湯気で室内を温める為のものだ。
それを特別、儀式の前に身を清める時のように適温の湯に変えてもらい、入浴出来るように取り計らってもらっているのだ。それもこれも、俺が《渡聖者》と言う特別な肩書きを持っているからこそ叶った我が儘。普通はこんな待遇受けられない。
それに関しては色々背負わされた称号に感謝だ。ある程度の無茶が聞き入れて貰えると言うのは、勘違いしかねない程に心地いい…………。
「容赦ねぇなぁ……」
湯船に浸かる前に体を洗う。当然のように用意してある石鹸もこちらの世界では高級品。作る際に植物性の油や香草等を使っているらしく、結構匂いが強く色も茶色い。最初に見た時は石鹸としてちょっと抵抗があったが、もう慣れてしまった。己の適応能力が恨めしい。
因みに主に植物由来の所為か、人によっては肌に合わないと言う事があるらしい。種類もそんなに作られていないらしく、金がかかる上に人を選ぶと言う有様だ。……知識があればちょっとくらい囁きたかったが、無いものは仕方ない。我慢だ。
ま、慣れれば匂いが独特なだけで効果までは変わらないと。泡立てたスポンジで体を洗い始める。このスポンジは海由来らしく、そういう生物から加工しているのだとか。
そもサウナ用の広さ故に、入浴適温の湯では空間が暖まりきらない。風こそ無いが、肌寒さを感じる室温から逃げるように、メローラへの悪態を吐きながら彼女のスパルタを思い出す。
幾ら刃を潰していると言えど武器は武器。危険な時は寸止めこそしてくれるが、それ以外は体に教え込むを地で行くように躊躇無く降り抜いてくれる。お陰で攻める剣術よりも受ける事と避ける事の方が上達してしまった気がする。危機感ばかりが進化してしまった。
明日以降は、できればもっと別の形の指導をお願いしたいものだと思いつつ、泡塗れになった体を湯で洗い流した。
一瞬温まって、直ぐに冷え始める体を少し遠い浴槽に沈める。途端、指の先からじんわりと熱が広がって、思わず吐息が零れた。
と、そこでふとトリフェインの温泉の事を思い出し、関連してカレン達のことが脳裏を過ぎる。……………………いや、あの事故は忘れると約束したのだ。だから思い出すなよ。
顔に湯を打ちつけて思考を一新する。それとほぼ同時、浴場に扉の開くような音が響いた。
誰か来たのだろうか。しかし外にはラグネルがいて見張っていてくれてるはずだが……。
首だけで振り返って微かな湯気の向こうを見つめる。するとそこには想定外の顔があった。
「……何の嫌がらせだ」
「本心ならば改めるとするが」
「皇帝の言動に口出しして首を刎ねられたくないんでね」
「ならばフロとやらを堪能させてもらうとしよう」
男の裸など見たくもないと顔を背ける。視界の端で、歳の割りにはしっかりとした体つきの男──セレスタイン皇帝、ゼノ・セレスタインが体を洗い始めた。
最後に放った言葉から察するに、カイウス辺りに聞いてやってきたのだろう。皇帝なんだから言えばいつでも風呂くらい浸かれるだろうに……。
そこまで考えた所でその意味に気付いて嘆息した。
しばらくして洗体を終えたゼノが、広い湯船の中で人間半分ほど空けた隣に腰を下ろす。
「いいものだな。ミノの故郷ではこれが当たり前だと聞いたが、本当か?」
「……ボタン一つで湯が沸く世界だ。って言って信じるか?」
「疑ってばかりでは何も得られぬ」
言葉の端に滲んだ彼の本心にちらりと視線を向ければ、こちらに顔を向けたゼノと視線が交わった。次いで彼は、どこか安心したように薄い笑みを浮かべて口を開いた。
「皇帝としての威厳を失うわけにはいかんのでな」
「だからって別に風呂じゃなくてもいいんじゃないか?」
「先ほど言った通り経験もしてみたかったのだよ。そこに丁度、ミノが一人だと聞いて無理に仕事を切り上げてきたのだ」
「俺が無理強いしたみたいに言うなよ」
玉座の間での彼が皇帝として振舞っていた事は薄々気付いていた。あの時の問答も、言葉ほどに意味は込めていなかったのだろう。
「……で?」
「話が早くて助かる。ミノの言った通り、友好的な関係はこちらにも利のある話だ。是非そうさせてもらおう。……その上で、一つだけ筋を通させてくれ。……二年前は、すまなかった」
「誰の所為って言うのなら、契約に名前なんて物を採用したユークレースの前身に言ってくれ」
「《渡聖者》ともあろう者があまり尖った事を言うものではないぞ」
「世界の尖兵だからな。鈍らの方が問題だろ」
ゼノが一瞬だけ間を空けて、それから楽しそうに笑う。
ファルシアも大概だったが、ゼノも重責にはほとほと疲れているらしい。ま、王様になる予定なんてないからいいんだけどな。
「それで、何が望みだ?」
「自由と、情報だ」
「情報とは?」
「《甦君門》。それから《共魔》について、なにか知ってるなら教えてくれ」
長い長い回り道を経て。ようやく紡いだ関係から一気に本題へ踏み込む。
「少し時間が掛かるがよいか?」
「それだけ信憑性があるならな」
セレスタインから始まり、ベリル、ユークレースと俺の動向を監視し続けていた国だ。執着して調べる事は得意なはず。
俺のことも色々調べていたみたいだし、今更疑う物でもない。
「あぁ、後カレン達の事だが、解放してくれなんて無理を言うつもりは無いが、不自由はさせないでやってくれ。下手に抑圧すると暴走しかねない」
「倒れたお主を身を挺して庇うほどだからの。弁えておるよ」
メローラが話したのか……。いらん事をしやがって。
これ以上ここにいると要らぬレッテルを貼られそうだと危惧して湯船を出る。十分に体の芯まで暖まれた。適度以上に運動も出来たし、懸念も消えた。今夜は死んだように眠れる事だろう。
「共に入国した仲間は良いのか?」
「…………なるようになる」
やっぱり気付いていたか……。しかし黙認はしてくれている様子。
ユウ達のことだ、タイミングを見て何かしらのアクションや連絡はあるはず。それまではこの安寧の日々を享受するとしよう。
と、扉の前まできたところで想定外があってはいけないと思い足を止め、振り返る。
「ユウと一緒にいる奴だが、あいつはベリルの転生者だ。それ以上でも以下でもないから気を付けてくれ」
「心得ておる。安心せい」
ならば問題ない。
セレスタインとベリルは仲がそこまでよくないらしいからな。《渡聖者》でもないショウを間に面倒事は引き起こしたくは無いのだ。
まぁ仮にも皇帝の椅子に座っているのだから大丈夫だろうとは思いつつ扉を開ける。
「あの子にも、改めて謝罪をせねばな」
背後から響いた優しい声は、聞こえなかった振りで。湯冷めしない内にと手早く服を着れば、廊下に出たところで待っていたラグネルに出迎えられた。
「今日の夕食は?」
「本日はテュ鳥のポフォカを中心にご用意しております」
「そうかい」
足を出した彼女について部屋に戻る。
テュ鳥のポフォカ。一体どんな食べ物なんだろうな。楽しみだ。
* * *
ミノさん達が身柄を捕縛されてから数日。刻々と進む時間に焦りを感じながらも、無策で突撃するのだけは最も取ってはならない手段だと己を戒めて準備を重ねていた。
ミノさん達が拘束される前、私達はいざという時の保険として別行動を取っていた。本当にそれが意味を持つなんて思わなくて何も準備しておらず、最初は気持ちだけが逸っていた。
しかしそれでは駄目なのだと自分を叱咤して。まずは情報をと目立つ事はせずに色々調べた所、どうやらミノさん達の安全は確保されているらしい事がわかって、安心した。
それからカレンさん達が隔離されている事も把握した。念のためと言う事で魔術まで使って手の届かないようにしているらしい。まぁこれは、チカさん達に掛かればどうにかなるだろうからそこまで問題ではない。
そんな状況下で一番頭を悩ませたのは、どうやってミノさんを助け出すかと言う事だ。下手に動けば立場が悪くなって身動きが取れなくなる。かと言ってこのままでは手を拱いているだけで進展はしない。
こういう時にミノさんみたいな埒外な発想力がわたしにあれば意表を突く策で何かしらの行動は取れるのだけれども……。
そんな事を考えつつ面白くもなんともない堅物すぎるわたしが悩んでいた所、情報収集も含めてセレスタインでは顔の割れていないショウさんが観光と共に町に出て、きっかけを見つけて来てくれた事には感謝をした。
彼曰く、城に勤める使用人らしき人物を見かけたらしい。そこから何か出来ないだろうかと相談されて、悩んだ挙句最も信頼出来る力に頼る事にした。
わたしとショウさんは契約を交わしている。お陰で以前より魔瞳の能力の行使に色々な恩恵が受けられている。細かい精神支配などもその一つで、今回はその使用人を一人捕まえて、願い事を頼む事にしたのだ。
認めた手紙を彼の下へ。魔術などが発達した今だからこそ、原始的な方法は意外と抜け道として機能するのだ。……と、前にミノさんが懐古するように言っていた。その時は確か、『ろけっと』に『ぼーるぺん』と『えんぴつ』がどうとか言っていた気がする。異次元の話しすぎて忘れてしまった……。
何にせよ、魔瞳でお願いをしたその使用人は恙無く目的を達してくれたらしく、翌日にはミノさんから返信の手紙が戻ってきた。
そうして幾度かやり取りをする中で、城に入らずに中の情報を得て作戦を綿密にしていった。
ミノさんと連絡を取り始めてから六日後。冬も深まりここセレスタインの首都バリテも雪景色に染まった頃。ようやく目処が立って行動に移す事になった。
やる事は、簡単に言えば不法侵入だ。本当は気が進まなかったのが、正面突破だと時間が掛かるとのことでこういう手を使う事になった。一応逃げ出しても追っ手が掛からないように交渉だけはしっかりしてくれたらしい。
教皇陛下相手に一切飾る事のなかったあのミノさんが一体どうやって皇帝陛下と交渉したのかは気になったが、それは旅のお供にでも訊けばいいと一旦棚上げして。
準備を終え、夜を待ってセレスタイン城へと侵入を試みた。三日ほど掛けてミノさんが騎士の配置や動きなどを調べてくれたお陰で、殆ど見つかる事無く中へ入ることが出来た。……一人だけ不幸にも夢を見る破目になったけれども、悪くない理想を追い駆けるようにしてあげたからそれで許して欲しい。
「地図だと向こうだったよな?」
「はい。構造は頭の中に入れてきたので心配しないでください」
「頼もしいなっ」
闇に紛れる為に町で買った黒い外套に身を包んで陰の中を疾駆する。ショウさんの魔具の中に魔術を使える物があったため、無作為に出てくる中からどうにかそれを引っ張り出してきた。これで外からミノさんを救出し、流れでカレンさん達も助け、そのまま逃亡すると言うのが大まかな流れだ。
まさかセレスタインに帰って来た挙句、城に侵入なんて事をするとは夢にも思わなかったと胸の内で思いながら。目的地であるミノさんの部屋の真下へと辿り着く。
「急がないとな。もし無力化した奴らが見つかったら…………」
『背後』
「っ、伏せて!」
ショウさんの声に頷こうとした刹那。脳内に響いたサリエルの声。いつもながら短い音に、確認する暇も無く従って隣の頭を押さえつけ芝の地面に寝そべる。
次の瞬間、先ほどまで頭や体があったところに飛来した矢が、石の壁に弾かれて小さな音を立てた。
「ちっ。想像より早いな……。これなら直ぐにでも集まってくるか」
「飛ばないでください。狙い撃ちにされます」
救助を急ごうとしたショウさんを制止する。
ショウさんの魔具での飛行は、直線的で、しかも速度制御が出来ない。始点と終点を決めてその間を一定速度で真っ直ぐに飛ぶと言う魔術なのだ。もし慌てて飛べば、直ぐにでも構えられる第二射での偏差で穴だらけにされてしまう。
「じゃあどうするよ……!」
「…………出来ればこれはしたくなかったんですが……このままここで迎え打ちましょう」
「救出はっ?」
「大丈夫です。ですので……派手にやってください!」
「…………なるほどっ……!」
言いたい事を察してくれたショウさんが暗闇の中でにやりと笑う。
直ぐにわたしも腰に差した双剣を抜けば、城の壁を背にして前方に注意する。既にそこには、続々と火の光が集まり始めていた。
「派手に、とは言いましたが命までは取らないでくださいね」
「分かってる。無闇に手を汚すつもりはねぇよ……!」
深く呼吸を整えて。気付けば視界を焼くほどに照らす敵意の数に覚悟を決める。
さぁ。成り行き任せにセレスタインと事を構える事になってしまった。が、出来る事から始めるとしよう!
結論から言うと、そこそこ苦戦した。
とは言え時が進む毎に戦況は覆され、今やわたしたちの有利にさえ傾いていた。
二対他。敵もしっかりと武装しており、こちらの武器が強力とは言え絶望さえ感じる戦力差。それを否定したのは、偏に魔瞳の力だった。
ショウさんと契約を交わして魔力切れをそこまで心配する事の無くなったお陰で、魔瞳を主体に戦闘を構築する事が出来るようになったのだ。敵を洗脳し、操って仲間につけ、同士討ちを誘ったり……と、戦略の幅が広がり、瞬く間に状況は遷移した。
そもそも一対多の戦いの方が得意だったわたしは、女らしく軽い体を生かして重装備の騎士達を翻弄し戦局を混乱させる。そこにショウさんが魔具の力で行使する魔術が加わり、向こうの大勢を崩す事で城内の広場と言う狭い空間は煩雑の坩堝と化したのだ。
加減した魔具の衝撃で敵を弾き飛ばせば、金属の塊の体が砲弾のように後ろの味方を薙ぎ倒す。囲まれながらも、面白いように迎撃の策が嵌ってどんどん増援がやってくる。
単純に物量に押し潰されるよりも、魔力切れの方が心配になるほどだ。駐屯している騎士の殆どが差し向けられている様子。
まぁいきなり城内に現れた不審人物が好き勝手暴れているのだ。向こうからすれば国の中心を脅かされていると言う外聞に響く事実。躍起にもなるだろう。
けれども、だからこそわたしにとってはやり易い。
なにせ一時的とは言えわたしもそこには所属していたのだ。手の内はある程度知っている。だから後の先を取って対処を密にすれば、いかな物量と言えど簡単には負けない。
特に敵が多くなればなるほど、反撃の一撃が敵の被害を甚大にする。即興で色々しているとはいえ、こうまで蹂躙と言う言葉が似合うのは、中々に清々しい。
「輝いてんな、おいっ!」
「偶然に助けられている部分は多数ありますけれどね」
「いい鬱憤晴らしになるかっ?」
「……考えてませんよ、そんなこと!」
ショウさんに指摘されて、戦場の中で不敵に微笑む。
確かにセレスタインには苦い思い出がある。けれどもそれで報復しようなどとは、既に考えていない。それよりも大切な事を見つけて、今では自分を預けられる相方にも恵まれた。
もう寂しさは無い。復讐なんてもってのほかだ。
「……さて、そろそろ頃合だと思うが、どうだ…………?」
「中のことが分からないのが唯一の不満ですね。何か行動を起こせてるといいんですが……」
「ま、ミノだしな。チャンスは逃さないだろ!」
向かってきていた騎士の行く手を阻むように炎の壁が噴き上がる。金属の鎧を身に纏う彼らにとって炎は、生物的にも天敵だ。
「何かあれば変化があります。それを見逃さないように…………」
陽動とはそういうもの。そろそろ何かしらの結果があるだろうが……。そう考えて言葉にした刹那、ショウさんが作り出した炎の壁が見えない何かに薙ぎ払われるように千々(ちぢ)に消えた。
強力な魔剣でも出てきたか……。微かに息を詰めて乱れた呼吸を整え、その先を見据える。
すると焦げた芝を踏みしめて、戦場には似つかわしくない服装の男性が姿を現した。
「……なんだ? 燕尾服……?」
「使用人…………? 交渉役でしょうか……」
ここまで暴れられると、流石に武力以外の方法で解決を試みようと言う算段だろうか。
個人的に言葉での交渉は一番厄介だ。警戒の度合いをを引き上げ────
「っ……!!」
次の瞬間、まだ遠くにいたその男が一足飛びに距離を詰めて目の前に現れると、振り被った白い拳を思い切り突き出していた。
肌を刺した悪寒に咄嗟に防御をすれば、交差させた魔具の上から衝撃が奔り抜ける。足の裏が地面から浮いたのが分かった。
人外染みた膂力に唖然としたのも束の間。直ぐに受身を取って構え直す。
「おや。今のを防ぎますか。結構なお手並みですね」
「……誰だ? まさか今のが交渉ってんじゃねぇだろうな?」
ショウさんが警戒しながら問う。すると使用人が、軽薄な笑顔を浮かべたまま月夜に左目の片眼鏡を反射させて腰を折った。
「ようこそ、セレスタイン城へ。お客様にはここより心ばかりのおもてなしをさせていただきましょう。申し遅れましたぼくの名前は、カイウスと申します。以後、お見知りおきを」
綺麗な所作で使用人らしい挨拶をして見せた男……カイウスが、それから流麗な動作で白い手袋に覆われた無手に拳を握って、半身をずらした。
「それではしばしの、ご歓談を」
途端、彼の内側より膨れ上がった異常な魔力。それに覚えがある事に気がつけば、口から認めたくない事実を共有するように零した。
「…………《共魔》……!」




