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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
不義なる傭兵、帰参せり
46/84

第三章

「う…………ぁ……」

「おっと、目が覚めたかな?」


 ぼんやりと覚醒した意識。どこか聞き覚えのある声に今と記憶を追い駆ける傍らで、(うめ)きつつ重い頭に手を当てて体を持ち上げる。

 上体を起こして熱っぽい吐息を一つ。遅れて揺れていた焦点が白い何かを捕らえると、意識が後からついてきた。

 俺、何で…………何が……。確か、セレスタインに戻ってきて、メローラに出会って、それから────

 思考の片隅で、今自分が見つめる白い何かが柔らかい毛布か何かだと気付く。次いで動かしたもう片方の手で、触り心地のいいそれを確認すれば、何となく想像はついた。

 覚えている……これは、ベッドだ。

 それが記憶にあったのは、経験のある肌触りだったから。けれど、どこで……?

 そんな事を考えながら、ようやく落ち着いてきた五感のスイッチを入れ、顔を上げる。

 白い壁。木製のチェスト。柔らかい光の室内灯……。それらは全て、記憶のままだ。

 夢を、見ているのだろうか……? 抱いた疑問に答えを求めるように更なる情報を探して。そうして、記憶の中の景色とは異なる姿を視界に収める。


「おはよう、ミノ」


 声は、優しく。こちらを見つめる黒い瞳には、少しだけ気遣うような色。右の側頭部に編み込んだ紫色の頭髪に、その髪の色に、直前の記憶が想起される。

 気付けば魔力を練って掌に短剣を作り出し、目の前の白い首筋に切っ先を突きつけていた。


「っ、メローラ……!」

「元気そうで安心したわ」


 《裂必(レッピツ)》のメローラ。俺と同じく世界に剣を捧げた、もう一人の《渡聖者(セージ)》。

 そうだ。俺はこいつに半ば無理やり戦闘を突きつけられて、しかし────


「……あれから、どうなった?」

「それが人に物()く態度? ほら、物騒なものはしまって。話ならちゃんとするから」


 もう数センチ突き出せば喉を掻き切れる刃に恐れる様子は無く、平然とした口調でずれた答えを返す彼女。

 こちらを見つめる、真っ直ぐな瞳を数秒見つめ返して。彼女の中にあの時感じた敵意がないことを悟ると、短剣を魔力に解いて消した。

 小さく息を吐いたメローラが、それから一段と空気を弛緩させて口を開く。


「物分りがよくてお姉さん嬉しいよ」

「……………………」

「それで、何から訊きたい?」

「……ここは、どこだ?」

「セレスタイン城の一室。見覚えはあるかしら?」

「……………………あぁ」


 改めて室内を見渡し、頷く。

 覚えているも何も、ここは…………。


「あの時のままだな」

「残念ながらあなたの過去の事は詳しくは聞いていないの。この部屋が、あなたがやってきた時にしばらく過ごしていたところらしいという事だけはついさっき小耳に挟んだけれど」


 そう。この部屋は、俺が過去に軟禁されていた部屋だ。

 向こうの世界で階段を横に飛び降りて。次いで目が覚め、転生と言うシステムによって再び縛られた命。死後の世界とも言うべきこのコーズミマの、西に位置するセレスタイン帝国で。英雄に近い待遇で割り当てられた部屋が、まさにここだった。

 とは言っても、なんとなくの記憶で朧気にしか覚えてはいないのだが。それでも空気感があの時のまま…………まるで二年前に戻ったかのような錯覚さえ抱くほどに、記憶を刺激する。

 楽しい記憶なんて、無かったのに。


「あなたが帰ってきた時の為に、できるだけ部屋はそのまま維持していたそうよ。帝国なりの誠意じゃないかしら?」

「あの時のまま全てが止まったままってか? 趣味の悪い誠意だな」


 毒吐くのと同時、扉がノックされる。視線を向けて、それから思い出す。

 もし、本当にあの時のままならば────。

 錆び付いた記憶を指先で撫でる様に起こして、二年前と同じ言葉を音にする。


「……ノックはしなくていいって言わなかったか?」

「…………失礼します」


 返ったのは……あぁ、そうだ。この、声だ。

 また一つ、過去が再現されて、同じ問答の後に扉が開かれる。

 姿を現したのは、赤く長い髪をポニーテールに括った、年のころ14、5歳の使用人。顔の横のもみあげも後ろ髪と同じく長く、胸の下まで伸びている。シビュラに似て、寡黙な印象を受ける表情の少ない顔。微かに目に掛かった前髪の奥から、焦げ茶色の双眸が一瞬だけこちらを向く。


「……お久しぶりでございます。そして、はじめまして、ミノ・リレッドノー様。ラグネルと申します。ご滞在中の身の回りのお世話を仰せつかっております。よろしくお願いします」


 快活を思わせる鮮烈な色合いの髪とは真逆に、凪いだ湖面のように平坦な口調。静かに腰を折った仕草に、後頭部のポニーテールがさらりと滑って体の左側へと落ちた。

 記憶の彼女と殆ど変わらない雰囲気。少しだけ大きくなった気がする背丈と、それ以上に長くなった後ろ髪。二年前だと、12、3歳の少女だったはずだが……どうにも髪の長さと、色の印象に似合わない正反対な声音や空気感くらいしか覚えていない。……いや、殆ど無関心で気にも留めていなかった記憶にそれだけ残っているのだから十分かもしれないが。


「滞在、な……」


 軟禁の間違いじゃないのか? そう音にしようとした口を、しかし閉じる。今更抗議した所でこの待遇が変わるとは思えない。

 それに、本当にあの時のままならば悪いようには扱われないはずだ。


「お困りのことや不都合がございましたら何なりとお申し付けください」

「…………なら早速で悪いが、状況説明を頼めるか? どうして俺はこんな所にいるんだ?」

「それについてはあたしが答えようか。ラグネル、って言ったかな。君には、そうだね…………カイウス辺りを呼んできてもらいたいんだけど、いいかな?」

「畏まりました。それでは失礼致します」


 平坦な口調で勝手に下された命を(うけたまわ)る少女。……まぁ理由が知れるのならば相手などどうでもいい。それに、メローラにも訊きたいことは沢山あるしな。

 礼儀正しく腰を折って、それから部屋を後にしたラグネル。その姿が見えなくなるまで視線で追って、扉の閉じる音と共に今度はメローラへと向く。


「……んで? 納得出来る理由なんだろうな?」

「その期待には、きっと応えられない。その上で答えるならば、今回のこれは仕事と私事の入り混じったあたしの得だってこと」

「得?」

「あたしにはあなたを捕まえてここに連れてくる依頼を受けていた。これは《渡聖者》としてのもの。誤解しないで欲しいのは、そもそもの仕事にあんな手荒な方法は含まれていなかったこと。あれは、私事…………ただ単純に、あたしがあなたと剣を交わらせてみたかった、それだけ」


 全く()って理解し難い理由に、途中から忘れていた呼吸を再開する。


「……つまりは、セレスタインは俺に用があってこの部屋を用意した。《渡聖者》には《渡聖者》をってことであんたが迎えに来た。そこに興味本位を付け足したと、そういうことか?」

「だって仕方なかったのよ。あなたはあたしにとって唯一の同類なの。ようやくこの特別を共感し合える仲間なのっ。だったらごちゃごちゃ言葉交わすより手っ取り早い方法があると思わない?」

「…………まさか先達がこんな脳筋だとは思わなかった……」


 思わず口に出して呆れる。

 どちらかと言うと合理的な思考回路を持つだろう身からすれば、彼女は対極に位置する感覚派。考えるよりも先に行動に起こすタイプの人間だ。個人的には苦手な部類。

 そんな苦手な相手に、不意打ちとはいえ俺は負けたのだと思い返す。


「で? お眼鏡には適ったか?」

「…………世辞とか苦手だからそのまま言うけど、あんまり」

「だろうな」


 負けた一戦を思い出す。戦っていて俺も薄々は気付いていたが……彼女と俺とでは下地が違いすぎるのだ。

 それでもどうにか戦いの体裁を途中まで保てていたのは、(ひとえ)にカレンたちに助けられていたから。全ては彼女達が俺個人の実力に分不相応な能力を秘めているお陰だ。


「俺はまともに剣術ってのを習ってないからな。そもそものところで自力に差がありすぎる。魔剣を使わずに戦えば、数度打ち合った末に寝転がってるだろうな」

「剣は嫌い?」

「いや。分かり易くていい。……だが、それほど打ち込む気概が湧いて来ないってだけだ」


 向こうの世界で剣道をしていたわけでもない。ただ憧れとして、剣を振り回す事に関してはそれなりの物を抱いてはいた。これまではその理想と、理想を結実するカレンの力に甘えていたに過ぎない。

 けれどそれはただのそこにある力に溺れていただけ。それこそ、人工魔剣を手にした輩と同じだ。俺と言う人間に、剣士としての能力は殆ど無い。

 あるのはこのセレスタインから逃げ出してあの爺さんに拾われた二年の中で盗んだ中途半端なそれと、これまでの道中で運動としてユウやショウ相手に臨んだ模擬戦だけ。

 対して剣を交わして分かったが、メローラには剣士として積み重ねてきた確かな物がある。恐らく彼女の《渡聖者》としての中核は、その実力に裏打ちされた肩書きだ。

 言ってしまえば、ただ偶然に恵まれただけの俺と、努力と天賦を掛け合わせたメローラ。その間にある覆しようもない実力差が、今回の衝突の結果だ。


「惜しいわね」


 負けて当然。そんな言い訳染みた納得を導くのと同時、メローラが零す。

 顔を上げれば、彼女は真っ直ぐ俺を見つめていた。


「あなたのこれまでの事は聞いてるわ。何でも《甦君門(グニレース)》と少なからぬ因縁があるとか」

「そんなことまで知ってんのか」

「あたしも何度か衝突した事があるけれど、彼らは厄介よ。けれども彼らと事を構えて、でも今までそれを退け続けてきた。それはきっと、惰性だけでは続かなかったはず。あなたの中には……その、剣を握る者として必要なことがちゃんとある」


 不屈とか、執念とか。言葉にすれば陳腐で、けれどもそう簡単には手に入れることも、手放すことも出来ない本質。

 俺のそれは、背け続けた過去に対する、半ば反抗心だけれども。


「それを改めて活かそうとは思わない?」

「……稽古でも付けてくれるってのか?」

「ミノが望むのなら、喜んで」

「…………一応訊くが、どうしてそこまで俺に肩入れする?」

「折角の二人きりだもの。形はどうあれ、こうして巡り会えたのだから大切にしたいじゃない?」


 相変わらず、その感性は理解し難いが……。言葉に嘘がないのは何となく分かる。

 彼女はきっと、嘘や隠し事と言った類の、上辺を飾ることが苦手なのだろう。変に疑わなくて相手として楽ではあるが。


「……で? 俺を強くしてどうしようってんだ? まさか《渡聖者》同士で徒党でも組んで旗でも振るのか?」

「まさかっ。ただあたしは思うのよ。肩書きにはそれ相応の言動が求められるってね」

「ノブレス・オブリージュって奴か」

「ノブレ……? なに?」

「立場には責任が伴うって事だ」


 高貴さは義(ノブレス・)務を強制する(オブリージュ)。あまり好きな考え方ではないが、しかし彼女の言いたい事も分かる。

 もし逆の立場……俺が《渡聖者》を遠巻きに見るだけだったとして、メローラのように堂々とした振る舞いをする者と、俺のような日陰者だったらまず間違いなく彼女に頼み事をする。それくらいの理解はある。

 あるが、だからと言って根が曲がっている俺がいきなり彼女みたいに前向きになれるわけではない。と言うかそもそも、あまり目立つ事はしたくない。

 《渡聖者》という肩書きこそ得たが、俺がそれに望むのは、自由。つまりは、ただひっそりと己の望むままに生きていければいいのだ。もちろん、周りに迷惑を掛けない範囲で。俺にとって《渡聖者》とはただの方便に過ぎない。

 ……あと、どうでもいいが彼女は転生者では無いらしい。今の言葉に反応するかどうかを試したと言うのも、言葉にした理由の一つだ。

 転生者じゃないという事は俺の魔力タンクのように特別な力など持ってはいないのだろう。

 彼女の全ては努力と才能によって形作られたもの。何となく分かっていたが、転生者に勝る者もこの世界にはやはりいるのだ。俺は、特別ではない。


「あんたの言いたい事は分かった。けどそれはそっちの言い分で、俺の考えじゃない」

「もちろん分かっているわ。だからもしよかったら、って言う提案。暇潰し程度にでも体を動かしたかったら付き合うから。頭の片隅にでも留めておいて」


 お人好しな事だと思いつつ。会話の中の不穏分子に触れる。


「……退屈するほどにここで軟禁されなきゃならないのか?」

「それは分からないわ。あたしの役目はあなたをここに連れてくること。その先はあなたとこの国の問題、でしょう?」


 この様子だと俺がセレスタインを飛び出した辺りは知っているらしい。彼女が知らないのは、俺が転生者で、転生前の様々な出来事か。

 幾つかの疑問解消と共に生まれた別の悩みを吐き捨てるように呟く。


「…………俺は転生者だ。だからこの世界の常識なんて本来なら無視しても別になんとも思わない。けど、それで更なる面倒事が舞い込むのも御免だからな。……とりあえず、勝手に親身になってくれるあんたの顔に泥を塗らないようにはしてみるつもりだ」


 彼女の純粋な言動に罪は無い。あるのはただ、俺の捩れた性根だけだ。

 納得を飲み込むように大きく息を吸い込む。次いで流れた沈黙に、もしかして今の言葉に彼女の気分を害する何かがあっただろうかと、いきなり静かになったメローラに視線を向けた。すると────こちらを見つめる輝く視線と交わった。


「転生者っ! あたし初めて会ったわ! 話には聞いていたけど、あたし達と何も変わらないのねっ」


 いつの間にか取られた掌を両手で包んでぶんぶんと振るメローラ。どうやら別な意味で彼女の琴線に触れたらしい。

 鬱屈としたやり取りも面倒だが、これはこれで対処の仕方が分からない。……そう言えば、転生者として純粋に態度を取られたのはこっちに来て二年間で初めてかもな。


「……エイリアンか何かでも想像してたのか?」

「えいりあん……というのが何かは分からないけれど、自分の目で見るまで信じていなかったのよ。ねぇっ、もっとじっくり観察させて?」

「ちょっ、ま────!」


 言うが早いか、その瞳に好奇心の炎を灯らせたメローラが服の裾を掴んで思い切り引っ張りあげる。思わぬ出来事に慌てて後ろに下がった体。更なる後退を求めて伸ばした腕が、目的の地面を捉えず宙を掻いた。どうやらそこにはベッドが続いていなかったらしい。

 がくんと傾いだ視界。次いで支えを失った体が後ろ向きに倒れる景色の中で、未だ服の裾を掴んだままのメローラが体の重さに引っ張られてこちらに倒れこんできた。


「ぉわっ!?」

「いっで!?」


 小さい悲鳴。次いで後頭部に鈍い痛み。感触からして柔らかい絨毯の上にでも落ちたのだろうが、その下の床に頭を打って感覚が揺れる。

 意識は……途切れない。代わりに鈍痛がじわりと広がって後頭部に熱が集まるのを感じる。

 頭とか首とか……人体にとって重要な部分への衝撃に、けれどもまずどうにか無事な事に安堵して天井を見上げる。

 と、次いで胸の辺りに重み。見れば、覆いかぶさるようにして上体を俺に預けたメローラが、ベッドから身を投げ出すようにしてそこにいた。

 仄かに温かい感覚は、捲りあがった俺の胸の辺りに置かれた頬。そこから密着するような形で俺の体に身を乗り出した彼女の……その、大人の女性としての象徴が俺の下腹部の辺りに押し付けられている事実を、数秒掛けて認識した。

 服の上から形を変えるその柔らかさの感触が、嫌に鮮明に脳裏に焼きつく。

 旅の中で、カレンたちと接触する事が何度かあったが、彼女達からは特別感じなかった魅力の塊。その……下世話な話、男を刺激する存在感に咄嗟に距離を取った。


「あら、ごめんなさい。怪我は無い?」

「あ、あぁ…………」


 何事も無かったかのように立ち上がって掌を差し出すメローラ。いきなりの出来事だったが、彼女はそれほど気にしていない様子。ならば俺が今更蒸し返す話でもないかと。

 高鳴った鼓動を呼吸と共にどうにか整えて、脳裏に過ぎる感触を思考の外へと追いやる。

 前の世界でも、こちらに来てからも。そう言った縁はなかった。一応カレンたちと旅をしていたが、彼女達はそういう対象では無い。だから意識などしていなかった。

 しかし目の前の彼女はその認識と異なるのだ。

 俺とは無関係の、しかし無関係ではいられない、異性で。女性らしさをその身に湛えている事を、図らずも今し方知ってしまった。

 刃こそ交わらせたが、それにも納得は導けている。敵でもなければ、最早赤の他人でもない。

 そんな、(しがらみ)なく相手として意識しかねない存在なのだ。

 ……あと、個人的な事を言えば。母親に見捨てられたからか、女と言う物に耐性がない。どう接していいかよく分からなくて。けれどもどこかで繋がりに飢えている。

 曖昧で、酷く自分勝手な感情。それが男の性と紙一重だと、微かにでも脳裏を過ぎった瞬間から、目の前の実力者に女性の一面を見出している自分がいるのだ。

 …………あぁ、いや。違うか。俺は────メローラに母親の面影を勝手に重ねているのか。

 見た目が似ているわけでもない。声も、口調だって、薄れた記憶の中の彼女とは違う。しかし纏う雰囲気と言うか……メローラ・クウォルと言う年上の女性に、安堵のような何かを覚えているのだ。

 ただ、そうは言ってもやはり母親とは違うから。先程のようなことが起きると別の意味で彼女を意識してしまうのだが。


「……あたしを見つめてどうかしたの?」

「…………なんでもない」


 気付けば真正面から視線を注いでいたらしい。指摘されて逃げるように視線を逸らし、そのまま部屋を見渡す。

 その段に至って、ようやく気がかりだったもう一つの疑問が口を突いた。


「カレンたちはどうした?」

「あの三人なら別室よ。仮にも《渡聖者》の契約魔剣だもの。悪いようにはされてないはずだから安心して」


 と言う事は、俺がここから出られなければカレンたちと会うのは難しいか。

 実は先ほどから契言を試しているのだが、どうにも繋がらない。メローラの口振りだと、カレンたちの意識がないと言うわけでもなさそうだ。となると考えられる可能性として、契言が何らかの方法で妨害されていると見るべきだろう。

 まぁこうして軟禁しているのだ。セレスタイン側としては招き入れた客人に喉元を狙われたくは無い。俺だって同じ立場なら似た事をする。


「それにしても…………あなたは随分と気に入られているみたいね?」

「……何の話だ?」

「あの子達のことよ。あなたが倒れた後、人の姿に戻ってあたしの前に立ちはだかったのよ? 直前に力及ばずあなたが倒れたばかりだって言うのに、まるで視線で射殺されるんじゃないかってくらいに怖い顔で睨みつけられたんだから」


 気を失ってからの事は当然覚えていない。だから彼女の言うことが出任せの可能性もあるのだが……どうやらその言葉は本当のようだ。


「あ、言っておくけれどあの子達に危害は加えていないわよ? あなたの捕縛があたしの命。あの時だってちゃんと加減したんだから」

「……加減してあれか」


 諦め以上に尊敬さえ抱いて零す。

 対抗策が分からなかったと言うのも敗因の一つだろうが、それ以上に俺には実力がない。全てはカレン達頼りの力で、それさえも十全に発揮出来ているとは言えない。

 今思い返してみても攻略法の分からない力。まるで魔物の力を腕に宿したようなあの能力に、どうやって対抗するのか……そのビジョンが浮かばない。想像が理想を描けないから、カレンの刃は通じない。

 ある種自棄(やけ)になって問う。


「あの力、何なんだ? 魔術なのか?」

「力って……あぁ、あの腕のこと? ……あなたは唯一二人の《渡聖者》だし教えてもいいけれど。見返り無しって言うのは少し面白くないわね」

「何がお望みだ? どうせ暇してるんだ」

「ならあたしに付き合ってくれる? 今日はこの後色々あるだろうから難しいかもだけど、明日以降剣で打ち合いましょう?」

「……さっき言ってた剣術指南か?」

「あたしはあなたに強くなって欲しい。あなたはあたしの秘密を知れる。あたしは等価だと思うけれど、どうかしら?」


 加減して尚倒れるような相手に目を掛けるなんて……それは慈悲ではなく哀れみでは無いだろうかと。

 思うが、しかし────言い訳を探してしまうほどに彼女に負けて悔しかったのも事実で。何よりカレン達の力を十分に引き出せなかった自分に情けなさを感じているのも確かだ。


「…………少し考えさせてくれ」

「いい返事を期待しているわ」


 時間を無駄にするよりは彼女の話に乗った方がよほど建設的なのは理解出来る。だが、今はそれよりも優先すべき事柄がある。

 そんな想像が現実になったかのように叩かれた扉。二人して視線を向け、それから口を開く。


「……誰だ?」

「扉越しで失礼致します。カイウスと言う者です。ミノ様にお話があって参りました」


 カイウス。その響きは少し前にメローラの口から聞いた覚えがある。確かあのメイド……ラグネルと言う少女に呼んで来いと頼んでいた人物だ。

 ここに連れてきたメローラが呼んだ……声からして男。どうやらようやくもう一つの本題に触れられそうだ。


「入れ」

「失礼します」


 言葉が立ったのは、セレスタインに対して(くすぶ)るものがあったからだろうか。少なくとも未だ顔も知らないカイウスへの不満ではない。

 けれども彼はそのセレスタインの使者とも言うべき存在だ。甘い顔を見せるつもりはない。

 俺は、交渉をしにここにやってきたのだ。

 断って扉を開き中に入ってきたのは、俺より年上の青年だった。年のころは……20代半ばといった具合か。群青の短髪に白色の瞳。左目にモノクルを掛けた、長身痩躯(ちょうしんそうく)の執事だ。

 どこか神経質そうにも感じる張り詰めた空気。冗談があまり通じなさそうな、どちらかと言えば苦手な雰囲気の相手だ。


「お初にお目にかかります」

「あぁ。あんたがセレスタインの交渉役って事でいいのか?」

「いえ、ぼくはミノ様を案内するように仰せつかっているだけです」

「案内? どこにだ」

「皇帝陛下の御前です」


 皇帝陛下。その言葉に、喉の奥が絞まるのを感じた。

 名前は……一応記憶の片隅に残っているが…………。やはりいい思い出は何もない。

 皇帝は、俺がこちらの世界に来て新たな人生の始まりに憧れ、そしてそれを打ち砕いた張本人だ。…………いや、事実だけを並べれば彼は転生者で何も知らない俺に事情を説明をしただけ。名前の一件で勝手に敵視したのは俺の主観。今なら、落ち着いてそうも考えられる。

 けれどもその納得と、胸の内に湧く感情はやはり別だ。

 俺は今でも、心のどこかで彼を許せないでいる。仕方のなかったこととはいえ、あの時の傷は未だ癒えていないのだ。……そこまで深く刻まれた理由の一つに、上げて落とされたことがあるのだろうけれども。


「いきなりのお話で恐縮ですが、ぼくに付いて来て貰えますでしょうか。道中、説明と、お答えできる事に関しては返答の許可を頂いておりますので」

「…………今じゃないと駄目か?」

「出来れば。《渡聖者》の肩書きを持つ方との面会ではありますが、皇帝陛下もお忙しい身ですので」


 抵抗するように確認すれば、淡々と答えたカイウス。彼から必要以上の情報は漏れない。そんな事を肌で感じながら、メローラに視線を向ける。


「悪いけどあたしは一緒に行けない。これはミノの問題よ」

「分かってる……」

「ただ、同じ《渡聖者》として、あなたの未来がより良き方に紡がれる事を願ってるわ」


 期待していたわけではないが、これで逃げ道も断たれたかと。意識して深く呼吸をし、(はや)る気持ちを落ち着かせる。

 ようやく、ここまで来た。ずっと背後に感じていたそれに、真正面から向き合う時が来た。

 ずっと、ずっと願っていた瞬間だ。恐れるな────

 二度、三度と震える吐息を吐き出して。………………それから重い腰を上げた。


「案内してくれ」

「畏まりました。どうぞ、こちらへ」

「いってらっしゃい。幸運と神のご加護を」


 メローラに見送られて部屋を後にする。その際に掛けられた言葉に、今更ながらに思い出す。

 彼女は俺と違い、正式にユヴェーレン教の神様に剣を捧げた《渡聖者》だ。それは同時に、彼女が敬虔な信徒である事も示す。だからこそいざという時の言葉は、ファルシアがよく口にしていたそれと同じなのだ。

 神様なんて、やっぱり俺は信じていないのだけれども。それでも縋りたくなるくらいに今の自分が不安定に揺れているのだと知れば────彼女の提案は受けてみてもいいかも知れないと思ったのだった。




「俺の事はどこまで知ってるんだ?」

「メローラ様に次ぐ二人目の《渡聖者》であり、セレスタイン帝国にとっては重要な人物、と言う具合でしょうか。少なくとも、セレスタインに限らず他の三国もミノ様の事は既に認知しておいでですよ」

「一躍有名人ってことか」

「《渡聖者》と言うのは、それだけコーズミマの世界にとって大きな意味を持つ肩書きなのです」


 前を歩くカイウスと表層だけで会話する。そうしている分には彼は驚くほどに無害で、ともすれば会話のし易い相手だ。

 けれどそれは、互いの感情が一切入っていない上辺の情報だからに過ぎない。もし鞘に収まった刃を見せればどうなるかは……きっと彼を見た時に感じたそのままだろう。

 記憶を失う前のチカに感じたそれと同じ……生理的な拒絶の感情が僅かに燻っている。理由は、自分の事ながら分からないが…………。


「《渡聖者》はどこの国にも属さない魔剣持ちです。前例は先ほど同室されていた《裂必》のメローラ様お一人。ミノ様は、彼女に次ぐコーズミマ史上二人目の希望なのです」

「希望か」


 勝手な話だ。俺はそんなこと望んではいないのだが。

 とは言えメローラに語ったように、肩書きには責任が伴う。気乗りはしなくとも、今後そういった話が挙がった際に理由無く断る訳には行かなくなるのだろう。面倒なことこの上ない。


「それにミノ様はメローラ様とは違い複数の魔剣と契約なさっておいでですから。しかもその内の一人は噂でしかなかった魔篇(まへん)だとのお話が。……失礼を承知で伺いますが、あれは事実でございますか?」

「あぁ、本当だ。調べれば分かるだろ。名前はシビュラだ」

「シビュラ様ですね。畏まりました」


 契約相手にも敬意は払われるのか。どうやら《渡聖者》と言うのは本当に特別らしい。

 そこでふと、思いついた事を提案する。


「あんたの立場も分からないわけじゃないが、様付けってのはどうにかならないのか? 俺はそんな呼ばれ方されたくないんだが」

「それは難しいお話ですね。《渡聖者》と言うのは世界が認める魔剣持ちの称号ですので。尊敬する方を不躾にお呼びする事はできません」

「譲歩は無いか?」

「…………強いて挙げるのであれば、《不名(ナラズ)》様と言うのも。ですがこれもお名前を直接呼んでいないだけで根本的な解決にはなりませんかね。ご期待に沿えず申し訳ございません」


 こればかりは諦めるほか無いか。特に彼のような立場であれば尚更、目上に敬意を払わなければいけない。

 市井に飛び出せばもう少しフランクな呼び方もされるのだろうが……。やっぱりそういう扱いは慣れない。


「しかし、《不名》なぁ……。一体誰が言い出したんだか…………」

「おや、ご存知無かったのですか? 《不名》と言う誡名(かいめい)は、当初ここから広まった異名でございますよ」

「お前らの所為かよ…………」


 目の前に元凶がいた事に毒気を抜かれる。最早糾弾の言葉も出て来ない。お陰でイヴァンにも親しまれる名前になっちまったじゃねぇか。どうしてくれんだっ。


「セレスタインを出られたミノ様が魔剣との契約を経て武功を立てられた。当初、それに対する敬意と共に、捕縛対象の秘匿呼称として付けられた名前でございます。……てっきりご理解の上、申請されたものかと…………」

「他の候補が思いつかなかったから仕方なく借りたんだよ。……何となく、親しみも感じたしな」


 ならず者の名無し、《不名(ナラズ)》。洒落の利いたその名前に、誡名の言葉通り己への戒めの意味を込めて付けたのに…………。こんなことなら自分でもっと悩むんだった。何が悲しくて因縁のある国が名付け親なのか。いじめか?


「ですが巡り巡ってこうしてお越しいただけたのは、きっと運命だったのでしょうね。神のご加護、でしょうか」

「粋な神様もいたものだなっ」


 皮肉と言うスパイスの蓋を開けて中身をぶちまけてやれば、カイウスは苦笑いを浮かべていた。ったく、笑いやがって。いい気なものだな。

 そんな風に、どうでもいい会話で少しだけ己の立場を再認識しながら歩みを進めて。廊下で誰かと擦れ違う度に頭を下げられる事に頓着するのも億劫さを感じ始めた頃、武装した騎士が両脇に控える立派な扉の前にやってきた。

 するとカイウスが使用人の空気を纏い直して口を開く。


「ミノ・リレッドノー様をお連れ致しました」


 二つの視線が一瞥。しかし何も言わず、静かに扉が開かれる。

 重い音と共に動いた分厚い扉を抜けて、所謂(いわゆる)玉座の間と言うべき部屋へと踏み入る。カイウスについて足を出せば、最初に目にしたのは玉座にふんぞり返る皇帝、ではなく、アーチ状の柱と向かいの壁だった。

 軽く辺りを見渡せば、玉座は入って右手側。どうやら出入り口は玉座の正面ではなく、部屋の側面にあるらしい。ゲーム等の知識で入ったら目の前に王様が、と言うのを想像していた為に少しだけ拍子抜けした。

 が、そんな肩透かしも一瞬。次いで目に入った内装の豪華さに思わず息を詰める。

 この世界に転生した時にも一度通された記憶はあるが……あまり覚えていない。だからこそ、改めて見る内装に僅かに緊張する。

 部屋としては、空想の魔王城の様に無駄にでかい訳ではない。どちらかと言えばこじんまりとした……言い方は悪いかもしれないが、旅館の大広間くらいの広さだ。

 しかし天井は高く吹き抜けで、二階らしき足場と出入り口が見える。中央からは巨大なシャンデリアがぶら下がっており、それだけでもここが特別な空間なのだと悟らせる。

 一階と二階、それぞれにある大きな窓からは外の光が差し込み、部屋の中を照らす。その明るさを反射するのは、柱や壁に精緻に描かれた模様の数々だ。曼荼羅(まんだら)のような、細かくもどこか規則的な意匠。金色を基調に、宝石のような青や赤を散りばめたその色合いは、まるで現実感の無いファンタジーさ溢れる装いだ。

 中にはコーズミマ唯一の宗教、ユヴェーレン教を想起させるような宗教色の強い模様も見て取れる。流石に宗教が国の形を取るだけあって、影響力は他国の中枢にまで及んでいるらしい。

 そんな、想像よりは二周りほど小さいながらも確かに玉座の間然とした内装の部屋で、先ほどから視界の端に映っていた人物の前へとやってくる。

 数段の階段の上、豪奢な椅子に座ってこちらを見つめる、風格漂う男性。

 彼が────。そう考えるのと同時、足を止めたカイウスがその場に膝を突いて頭を垂れた。


「久しいな」


 広い空間に重い声が響く。威圧するような音に、喉の奥が絞まるのを感じた。

 声に聞き覚えはある。二年前と変わらない、固い響き。俺を否定した声。

 けれども、あの時とは違うと。傍にカレンがいない事に小さな不安を覚えながら、手の震えを拳に握り潰して答える。


「…………あぁ。確か名前は……ゼノだったか?」

「よい。……まさか覚えているとは思わなかったな」

「忘れられるかよ」


 不敬にも名を、敬称を付けずに呼んだ事にざわめいたホールを(たしな)める男────ゼノ。少し賭けだったが、どうやら言葉ほど溝は無いようだ。これならば交渉の余地はあるか。


「手荒な歓迎になったようだな。その事に関しては謝罪をしよう。彼女がそこまで君に執心するとは思わなかったのでな」

「お陰でこうして話が出来るんだ。悪いことばかりじゃないだろ?」

「…………変わらんな、お主は」


 昔も、そうだった。彼に……俺の主観とはいえ裏切られて。それ以降彼と話をする際にはどこか棘を交えて遠慮などなかった。

 皇帝だとか、転生者だとか。そんな肩書きなどないように、数を数えられるほどのやり取りだったが、どこか対等に、無遠慮に意見をぶつけ合っていたように思う。

 だからと言って仲がよかったかと言われれば、それには頷き難く。ただ飾らなかっただけと言う方が正しいだろうか。

 今回に限っては俺にも《渡聖者》と言う後ろ盾がある。それに向こうはカレン達を人質に取っている。互いに下手なことが出来ない上で、事を荒立てたくない。だからこそ久しぶりの再会でも二年前のような距離感をこうして紡げているのかもしれない。


「では、改めて自己紹介と行こうか。ようこそ、セレスタイン帝国へ。皇帝のゼノ・セレスタインだ」

「あの時は名乗り損ねたからな。ミノ・リレッドノーだ」

「戯言を」


 鼻で笑ったゼノが、それから椅子から立ち上がり階段を下りて目の前にやってくる。

 その事にすら、周りに控えていた者達から微かな声が挙がって痛いほどの静寂を彩った。


「お主に建前など必要なかろう。飾らずに言葉にさせてもらう。…………ミノ・リレッドノー。今再び、帝国に属しその剣を振るうつもりはあるか?」

「ない」


 果断に、簡素に。真っ直ぐな問いに覚悟を持って答えれば、辺りのざわめきが一層大きくなる。

 けれどもそんな周りなど意に介する様子も無く、俺を強い視線で見つめたゼノが口を開く。


「話をしに来たのではなかったのか?」

「俺の本題は別だ」

「なら申してみよ」

「《渡聖者》として、友好な関係を築きたい」

「ほう?」


 不遜な態度にそろそろ誰かが割って入ってきそうな感じもするが、さてどうだろうか。そんな事を考えながら目の前の威圧感に真っ向から対峙する。


「簡単な話じゃないのは分かってる。互いに思うところはあるだろうからな。だからこそ、このまま……知らないままで水に流すってのはどうだ?」


 セレスタインとは斬っても斬れない関係にあった。俺を召喚した国であり、俺を否定した国。無理を強い、反発した。刺客を送り、返り討ちにした。

 一方の裏にはもう一方の思惑があって。その結果に互いに様々な物を失った。

 ゼノは主に、優秀な人材を。俺は主に、自由と時間を。互いに等価だとは思ってなどいない。比べられるものでもない。

 ならばいっそのこと、全てを一度リセットするのが最善だ。

 もちろん禍根は残る。現在進行形で溝は生まれている。しかし無理に埋める必要も無い。それはきっと、数少ない同意見だ。


「その上で、俺は《渡聖者》としてセレスタイン帝国に力を貸す」

「代わりにお主を諦めろと…………。随分と偉くなったものだな」

「皇帝陛下に言われるんだったらそうなんだろうな」


 売り言葉に買い言葉で言葉をぶつければ、いつの間にか周囲の囁きが息を潜め、ひりつく行く末を見守る為に静かなる視線に変わっていた。

 やがて二人して沈黙を交し合う。

 正直な所、俺にこれ以上は無い。セレスタインからの逃亡生活に終止符を打って、演技でもそれなりな関係が築ければそれに越したことは無いのだ。

 だからここから先はゼノの返答次第。彼がどう思っているかを、俺が知る術は無い。

 ただ退く事だけは出来ないから。静寂が痛くとも、今にも逃げ出したくとも、虚勢を張り続けるのだ。


「……………………ふぅ」


 小さく零れた息は、ゼノの物。次いで彼は踵を返し玉座に向かって足を出す。


「話は終わりだ」

「なら部屋に戻らせてもらう」


 彼の中で結論は出ているのだろうか。気にはなるが、この空気の中でそれを(ただ)す事は出来ない。

 ……仕方ない。また機会があるだろう。その時まで待つとしよう。

 謁見と言うには色々と足りない再会を終えて、玉座の間を後にする。背後からカイウスがやって来て、困ったように笑って告げた。


「やはり《渡聖者》になるような方は器が違いますね」

「大丈夫だ。今のがまともな謁見じゃ無い事は分かってる。……ただ俺とあいつの間に飾った態度は必要ないってだけだ。迷惑を掛けて悪かったな」

「今度からはもう少し穏便な対話をしてくださると安心します」

「その希望には応えかねる」


 止めていた足を出せば、カイウスが前に出て帰り道を案内し始める。その背中に、再び沈黙で喉が閉じる前にと次なる問題を投げかけた。


「カレン達には会えるか?」

「……今すぐにですか?」

「また軟禁されたら次いつ出られるかも分からんからな。そっちだって面倒事は一度に済ませたいだろ?」

「では、そうですね……。こちらの部屋でしばしお待ちいただけますか? 陛下のお言葉を仰ぎたいので」

「あぁ」


 道すがら、丁度空いていた小さな部屋で一人時間を潰す。

 どうやら応接室らしきその部屋は掃除が行き届いた小奇麗な内装で、壁には調度品や絵画などが飾られていた。壁の絵一枚でもきっと馬鹿みたいな値がついているのだろうと少しだけ眺めて。それから光の差し込む窓より外の景色を見渡す。

 空模様は晴れ。雲も殆ど無く、冬の薄い日差しが少し傾いて帝都の景色を照らしていた。

 そう言えばメローラの案内では必要最低限しか見て回らなかった。当然買い物などもしていないし、そもそも案内中に色々話をしていたから記憶にも町の事は薄い。

 本当なら今頃帝都の中をのんびり観光して、後の謁見に備えて気持ちを整えていただろうに。気付けば軟禁からの強制拝謁と言うコンボでここに縛られている有様だ。《渡聖者》の自由はどこに旅に出た。

 などと悪態を吐いたところで何かが変わるわけでもなく。籠の鳥よろしく格子の入った窓から景色を眺めて思い出す。

 ユウとショウは一体どうしているだろうか。あの二人のことだから大丈夫だとは思うが、俺がここにいることには既に気付いているだろうか……。

 事前の保険が実際に、しかもこんなに早く意味が生まれるとは思わなかったと嘆息する。こんなことならもっと綿密に打ち合わせでもしとくんだったな。そうすれば、最悪再び飛び出す形でこことおさらば出来たのに。


「ミノ様。お待たせ致しました」


 そんな事を考えていると響いたノックの音。振り返って扉を開ければ、使用人らしく入室を許されなかった彼が廊下で立っていた。


「今度から勝手に入ってくれ。一々返事を待たなくていい。ラグネルとか言うメイドにもそう言ってある」

「畏まりました」

「それで、許可は下りたか?」

「はい。ご案内しますのでどうぞこちらへ」


 あっさりとした返答に少し拍子抜けしながら、彼の後について歩き出す。まさかこんなに簡単に許可が下りるとは思わなかった。逆に罠を疑うレベルだ。


「……他に何か言ってなかったか?」

「いいえ。ミノ様におかれましては、ぼくかラグネル。それからメローラ様の内の誰かが同行する形でなら城内をご自由に散策なさっても結構との(おお)せです」

「気味が悪いくらいに温情だな」

「《渡聖者》であるミノ様に監視の目がついているというだけでも異例ではあるのですがね」


 この様子だと疑いすぎか。

 過去のことがあるから手放しにと言う訳には行かないのだろうが、少なくとも国賓として迎えてくれてはいるのだろう。

 ならばこちらも遠慮は無しにしよう。…………とは言っても、何か問題を起こすつもりは今のところないのだが。

 向こうが歩み寄ろうとしてくれているのならば無為に火種を撒き散らす必要は無い。


「そもそも世話なんて必要ないんだがな」

「ミノ様に《渡聖者》としての肩書きや役割がございますように、ぼく達にも使用人としての矜持がございますので。出来れば仕事を奪わないでいてくださると助かります」

「ならその敬語をやめて欲しい、って我が儘は聞いてくれるか?」

「…………咎められない場に限るのであれば」


 玉座の間への行きには渋られた返答が色を変えて紡がれる。ゼノと話をして何か言われたのだろうか? 何にせよ、変に持ち上げられるよりは余程精神衛生上いい。


「期待はしないでおく」

「お心遣い、感謝いたします」


 ……どうにも俺は、上でも下でも立場の隔たりを相手にするのは嫌な性分らしい。




 しばらく歩いてやってきた部屋の前。静かに足を止めたカイウスに(なら)ってその扉を見つめれば、彼が申し訳なさそうに零す。


「ミノ様の契約魔剣である皆様はこちらの部屋に。ですが魔術での施錠がされております故、直接の面会が叶わぬ事ご容赦ください」

「ま、妥当だな。……契言は可能か?」

「扉を挟んで直ぐ傍からでしたら。それより距離が離れますと魔術での妨害がありますので不可能です」


 と言う事は互いに別々の部屋に居る状態で話をする事は出来ないか。言葉にはしなかったが、魔力の受け渡しも最低限に制限されていることだろう。近付かなければ契言も出来ないというのは、恐らく契約自体に干渉する妨害魔術が組んであるからだ。

 対策には帝国の粋を決して色々施しているに違いない。魔術の扱いに長けたチカやシビュラなら、解析や対抗術式の構築くらいは出来るかもしれないが、その行使は恐らく難しい。大規模な魔術の行使には、それ相応の魔力が必要なのだ。

 その道が断たれれば、幾ら歩く魔力タンクの俺と言えども彼女達に十全な力を発揮させることは出来なくなる。

 こんな単純なからくりで対策されるのだから、やはり俺一人では無能と言うほか無いだろう。


「ならちょいと話をさせてもらうぞ」


 (くわだ)てをするつもりはないと暗に断って扉をノックする。声は聞こえないが向こう側に誰かの気配。繋がれた契約を順に意識すれば、左の首筋に刻まれた証が微かに熱を持った。


『シビュラだな?』

『うん』


 簡素な声に安堵する。少なくとも彼女は無事か。


『カレンとチカを呼んできてくれるか? 話がしたい』

『分かった』


 飾らない、感情の乗らない声に、沈黙。やがてもう二つの契約痕が同時に熱を持って感情と共に頭の中に反響した。


『ミノっ!』

『大丈夫? 怪我は?』

『落ち着け。一気に喋るな』

『本物だね……。よかったぁ』

『お前は何を疑ってるんだ』


 契約痕とか契言とか、無事を確認する術なんて沢山あるんだからもう少し冷静になればいい物を。……それだけ心配していたというのならば、彼女達の思いは素直に嬉しい物かもしれないが。


『変わったことは無いか?』

『うん、平気。皆も一緒だよ』

『チカ、シビュラ。この部屋には魔術が掛けられてるらしい』

『知ってる。もう解析も終わらせた。対抗術式も構築したよ?』

『壊す?』

『物騒な事はやめてくれ、今立場が悪くなるのはまずい。……もう少し待て。まずは正攻法で行く。無理そうならまた連絡する』

『うん、待ってる。だからミノも頑張って!』


 カレンは何も出来ない癖に。理由もなく信じる事に関してだけは一級品だな。だからこそそれが《珂恋(カレン)》だと安心も出来るか。


『暇なら俺の名前出してもいいから目一杯楽しんでろ。《渡聖者》の肩書きがあれば不自由はしないだろ』

『…………ミノの馬鹿。名前を言い訳になんてしないよ』

『……言ってろ』


 真っ直ぐな声に、真剣な赤い瞳を幻視して鼻で笑う。

 大丈夫だ。分断されてもしっかりと繋がっている。この目に見えない確信があれば、どんな状況に陥っても打開するチャンスはきっとある。そう、根拠もなく馬鹿らしいほどの思い込みが湧きあがってくる。

 これが契約の証だというならば、俺は既に孤独とは程遠い所に来てしまったのだと恥ずかしくも実感しながら。


「もういいぞ」

「ではお部屋へご案内致します」


 彼女達の無事が確認できればそれでいい。それに、契言だって完全に秘匿されたやり取りとは限らない。遮断だって出来るのだ、傍受が可能でもおかしくは無い。だからユウやショウの話題は出さなかったのだ。

 カレンは分からないが、チカなら多分気付いてくれる。シビュラは……どうだろうな。あいつはいまいち何を考えてるか分からないから半々ってところだ。

 内から外から色々手段はあるのだ。いざという時は気にせずに、まずは出来ることから始めよう。

 意識して深呼吸を行い、彼女達との対話で生まれた精神的余裕を己の中に落とし込む。


「お疲れですか?」

「……そうだな、色々あったからな。飯だけ食ったら寝させてもらう」

「入浴はどうなさいますか?」


 重ねられた疑問に、少しだけ驚く。


「あるのか? こっちの世界だとメジャーな物じゃないんだろ?」

「ミノ様には最上級のおもてなしをと仰せつかっておりますので。必要でございましたら案内をさせていただきます」


 追っ手や監視を差し向けたりで、旅の暮らしぶりも知っているはずだ。その中で風呂に関する理解も得ていたのだろう。

 特にここはセレスタインの中心。無いものが無いと言っていいほどにこの世界では満ち足りた場所の一つだ。儀式用のものだろうが、備えてはある。

 ……もしその事を二年前に知っていれば、少しくらい心の余裕も出来て今とは違う結末になっていたかも知れないのにな。けれどそうしていたら今頃カレン達に会うことも、ましてやショウと再会して過去にけじめをつけても居なかったはずで。どうやら俺は、行き届いた不自由より足りない自由の方が余程性に合っているようだ。

 きっとこれは、そうなるべくして掴んだ未来だ。だったらやはり、こんな所で足踏みなどしていられない。


「考えとく」

「普段使われることはございませんので、準備に時間が掛かったり利用出来る時間に限りがございます。(あらかじ)めお申し付けくだされば沢山のご希望に沿うことも出来ましょう。それだけご留意ください」

「あぁ」


 トリフェインの温泉街のような開放感は味わえないかもしれないが、無いよりはましか。

 そんな事を考えながら、道中気になった事をカイウスに尋ねつつ部屋に戻ってくる。扉の前で彼と別れ因縁深い扉を潜ると、中に華奢な背中を見つけて足を止めた。

 気配に気付いたのか、ベッドメイクをしていたらしいラグネルがこちらに振り返り、静かに頭を下げる。メローラの姿は無い。どうやら自室にでも戻ったようだ。

 何か声でも掛けようかと。一瞬迷ったが、特に言いたいことも見つからず軽く部屋を見て回る。

 二年前に過ごしたとはいえ、特別な思い出があるわけではない。強いて言えば一人部屋にしては広すぎるというくらいか。

 肌寒ささえ感じる空間で手持ち無沙汰だと少し寂しい気もすると。旅の賑やかさを思い出しながらぐるりと巡って戻ってくれば、ちょうどラグネルが仕事を終えるのと同時だった。

 黙々と使命をこなす彼女を見つめれば、一礼した彼女が傍を抜けて部屋を後にしようとする。

 そこでふと、どうでもいい疑問が過ぎって、何となく音にした。


「食事の時間も昔のままか?」

「はい」


 音も無く足を止めた彼女。背中合わせにも感じる距離で、他に何かあるならばと微かな沈黙。

 しかしそれ以外には特に思いつかなくて、仕方なしの気紛れと、これからの手始めにとこちらから足を出した。


「…………よろしくな」

「はい」


 変わらない、平坦な声。昔のままの、感情のあまり宿らない響きに理由の無い安堵を覚える。

 扉が閉まって。耳の痛い静寂が部屋の中に満ちる。

 ふらりと向いた足で先ほどラグネルが用意したベッドに腰掛け、小さく息を落とした。


「帰って、来たんだな…………」


 言葉にして、ようやく実感が湧いた気がした。




 食事を終えて、カイウスに頼み浴場の準備をして貰った。馬車の荷物は運び込まれていたようで、着替え等もいつも使用しているそれを用いて風呂へ向かう。

 その途中で、向かいから歩いて来るメローラと出会った。


「どこ行くの?」

「風呂だ。折角だから湯に浸かろうと思ってな」

「……それも転生者ならではかしらね。気持ちいいの?」

「少なくともカレン達は虜になってたな」

「今度試してみようかしら……」


 脳筋の彼女も風呂の魔力に陥落するのだろうかと。その姿を少しだけ想像しつつ逆に尋ねる。


「メローラは何してたんだ?」

「暇だから剣を振ってたのよ」

「寒くないか?」

「直ぐに暖まるもの」


 冬の陽が落ちても鍛錬とは。返った理由も合わせて、相変わらず体育会系な思考回路だ。

 と、そこで先ほどまで考えていた話題に繋げる。


「あぁ、そうだ。剣の稽古の件だが、頼んでもいいか?」

「本当? まさかこんなに早く心変わりしてくれるなんてね。何かあったの?」

「どうせ時間が余るからな。有効活用にと思っただけだ。向上心も、無いわけじゃないしな」


 向上心が無ければユウやショウに旅の道中で手合わせを頼んではいない。目の前の剣馬鹿(メローラ)ほど真剣では無いが、適度に体を動かして研鑽する事に関して理解はあるつもりだ。

 ゲームに例えるならば、ガチ勢ではなくエンジョイ勢と言うところか。どうしてゲームに例えたのかは自分でもよく分からない。何となく思い浮かんだだけだ。玉座の間がファンタジーだったからだろうか。


「なら早速明日から始めましょう。直ぐに一角(ひとかど)の剣士に育ててあげるっ」

「そっちだって忙しいんだろ。余裕のあるときでいいからな」

「えぇ。楽しみにしてるわ!」


 上機嫌に答えたメローラと擦れ違い、風呂に向かう。

 さて、ひとっ風呂浴びて今夜は柔らかいベッドで心地よく寝るとしよう。快適軟禁ライフの始まりだ。




              *   *   *




「よかったぁ……」


 寝具に寝転がって豪奢な天蓋をぼぅっと眺めながら、どこか満ち足りた気持ちで零す。

 もちろんその声は現状に対してのものでは無い。


「安心した……」

「あの時はどうなるかと思ったもんね」


 チカの声に答えて思い返す。

 《裂必》のメローラ。《渡聖者》としての、ミノの先輩。そんな彼女にいきなり襲われて、突然の事に負けを突きつけられて。

 意識を失ったミノを守ろうと必死で、敵わない事を知りながら三人で彼女の前に立ちはだかった。

 どうにか交わした会話で、それ以上害する意図がない事と、可能な限り丁重にもてなす事を約束してくれた彼女。そのときの言葉に、直感で嘘は無いと信じて、大切な彼を預けた。

 しばらくして目の覚めたらしい彼が、ここから出られない私達を気遣って様子を見に来てくれたのがつい先ほど。契言でしかやり取りをしていないが、それこそが彼の証明であり、扉一枚隔てた向こう側に確かにいたのだと安堵したのだ。

 城に入ってから部屋も分断され、ここに連れてこられて。きっと抵抗しない方が良いと言うチカの言葉に頷いて、大人しくしていた。その間ずっと気がかりだった彼の安否が無事だと分かって、分かり易く胸を撫でおろした自分に、遅ればせながら少し恥ずかしくなる。

 ……いや、うん。ミノのことが、契約とか抜きに好きなのは、多分本当。ミノは私の事をまともに見てくれないけれど、きっとこの気持ちは疑いようの無いそれなのだ。

 ミノの気持ちも何となく分かる。だって私は人じゃないから。幾ら似ていても、その根源は魔物だから。

 人と魔物は伴侶にはならない。旅の中でユウさんが言っていた。

 でも、恋心を抱かないわけではないのだ。…………ううん、私が思うに、魔物だからこそ、なのかもしれない。

 魔物は魔力の塊だ。それがもっと沢山集まると、やがて人の言葉を理解したり出来るような強大な存在なる。それはつまり、人格と言うものが生まれるのだと、ミノも前に言っていた。そして魔術。これを使う時に感情が乗ると、想像以上の力が出ることがある。

 この二つから考えても、魔力の塊である魔物や、そこから生まれた魔剣と言う存在は、感情とは切っても切れない何かで繋がっているのだ。

 そして私個人でいうならば、《珂恋》と言う誡銘(かいめい)に込められた意味と、その力。想像を現実にする、その刃。これは簡単に言えば、理想と言う感情を手繰り寄せる力だ。

 ミノもよく言っているが、私の力は感情に左右される。信じればきっと斬れない物は無いし、逆に疑えば葉っぱだって斬れない。これは結局、私の思い込み一つなのだ。

 そしてそれにはほぼ必然、感情というものが絡んでいて……。魔物や魔剣の中でも特に、私と言う存在は感情に依存しているのだろう。

 だから当然のように、人がそう感じる恋愛感情だって抱くのだ。

 前に旅の中でユウさんに訊いたことがある。傍にいたいとか、触れられて嬉しいとか。そんな感情が色々重なったこれがなんなのか。そうしたらユウさんは、恋心だって教えてくれた。知ったら、何となく納得して。それ以上に嬉しくなった。

 いつからかなんてもうよく分からないけれども。でもきっかけの一つは間違いなくミノと契約をした事で。あの時からミノは私にとってかけがえの無い一人になったのだ。

 そんな彼の安否に一喜一憂することが間違いだとは思わない。

 それに何より……ミノの為にと思って力を振るうと、これまで以上に何でも出来る気がするのだ。その実感こそが、この気持ちは本物だと教えてくれる。

 だから────


「でもこれで分かったよ。このままじゃいけないって。どうにかしてミノと合流しないとねっ」

「うん」


 小さく頷くチカ。彼女の振る舞いは、魔剣になってから随分変わってしまったけれども。それでも時折前の彼女を想起させることがある。

 今回もその一つ。チカは何か心に決めた事があると、私でさえ危なっかしいと思うくらいに一直線になることがあるのだ。

 その証拠に、彼女のライムグリーンの瞳には今も尚諦めていない炎が揺れている。

 ……時々その言動に胸の奥がもやもやすることもあるけれど。今は手を取って協力すべき時だ。

 ミノがいない今、ミノみたいには難しいかもしれないけど……。それでも出来る限りの事はしてみようっ。


「それで、えっと…………」

「ここの扉、魔術が掛けられてる」

「あ、うん。あれってなんなの? ミノへの契言があの時以外通じないんだけど……」

「妨害されてる。結界とか封印とか、そういう類の魔術」

「へぇ」


 チカは魔術に詳しい。剣しか作れない私に比べると雲泥の差だ。その彼女が言うのだからまず間違い無いだろう。


「壊したりできるの?」

「出来る。シビュラがもう完成させてる」

「あ、うん……」


 ここに連れてこられた直後に扉に張り付いていたことがあったけど、あの時かな? もう既に対抗策を準備してるとか……うぅ、役立たず感に押し潰されそうだよ…………。


「じゃあそれでミノのところに……って言うのは駄目なんだよね?」

「さっきミノが言ってた」


 こくりと頷くチカ。彼女の言う通り、先ほど来たミノが言っていた。派手な事はせず、待っていて欲しいと。だから私は、ミノを信じる。信じれば、その希望はきっと現実になるから。


「ってことは、扉を壊して外に出るっていうのは最後の手段だよね。他に出来ることはあるの?」

「…………情報収集とか?」

「でもここ出られないよ? どうするの?」

「一人いる」

「来た」


 私とチカが話をしている間もずっと、まるで像のように扉の前に立って動かないシビュラが会話に続いて零す。と言うか話聞いてたんだね。口下手なのは知ってるけど……もうちょっと仲良くなりたいなぁ。

 そんな事を考えていると叩かれた扉。次いで断りの声と共に女の子が一人部屋に入ってくる。


「失礼致します」


 礼儀正しく……私からすると少し堅苦しい印象の女の子。見た目だけだと多分私より歳下な彼女は、この国……セレスタイン帝国に仕える使用人のラグネルちゃんだ。

 なんでも私達が不自由なく暮らすために身の回りの世話を任されているらしい。と言うのを、連れてこられた時に聞いた。

 白と黒の服に身を包んだ彼女は、赤い髪を馬の尻尾みたいに(たば)ね、顔の横に長いもみあげを揺らす、焦げ茶色の瞳の少女。仕草にふわりと揺れる、大きく広がった裾のスカートが可愛い印象の女の子だ。

 彼女もシビュラ同様あまり喋らないが、こちらから話しかければいくらか反応が返ってくるのは確かだ。

 チカが先ほど言っていた一人。それが彼女。チカはラグネルちゃんから何か情報が得られないかと考えているのだ。

 魔術に関しては無能な私。だからこそここは私の出番だと意気込んで白いシーツを抱えたラグネルちゃんに歩み寄る。


「重そうだね。手伝おっか?」

「いえ。お客様のお手を煩わせるわけには参りませんので」


 取り付く島の無い淡々とした声。ミノの意固地さとも、シビュラの無口とも違う。これは、随分と壁のある会話だ。

 ラグネルちゃんのそれは仕事。きっと私が声を掛けるのは邪魔になることだろう。けれども知りたい事はあるし……なにより彼女の事をもっとよく理解したいのだ。

 歳の近い、けれども立派に仕事をする女の子だから。そう言う憧れも混じっているかもしれない。


「ベッドメイク、って言うんだっけ? ラグネルちゃんはいつから働いてるの?」

「皇帝陛下に拾っていただいた時からでございます」

「拾って……?」

「わたしは《甦君門》にいました」

「っ……!」


 思わぬ返答に息が詰まる。チカとシビュラも彼女に視線を注ぐ。


「住んでいたところがなくなって。その時にここで住み込みをするようになりました」

「そう、なんだ…………」

「皆様の事はお聞きしております。カレン様、チカ様、シビュラ様」


 話をしながら手早くシーツを敷き終えたラグネルちゃんが、背筋を正して名前を呼ぶ。そこにある溝に唇を噛んで……それから、跳ね除けられても構わないと一歩踏み出す。


「……だったら、様付けはやめて。ね……?」

「…………ご命令とあらば」

「命令とかそんなっ……! お願い。ほらっ、退屈だからっ。この部屋にいるだけでも友達みたいにお話出来ないかなぁって…………。……やっぱり、駄目かな…………」


 不出来な言い訳を振りかざして。顔色を窺うように彷徨わせていた視線を向ければ、こちらをじっと見つめる感情の宿らない焦げ茶色の双眸がそこにあった。

 そう言えば、彼女と出会って初めてまともに目を合わせたかも知れない。そんな事を考えた直後、ラグネルちゃんが珍しく言葉に詰まりながら紡いだ。


「友達、と言うのは、よく分かりません。……ですが、それがお望みとあれば、そうします」

「ほんとっ?」


 本当はもっと分かり易く頷いて欲しかったけれども。ただ、今の言葉の端に触れるのが難しい過去を見た気がして、その上で知らない振りで手を取る。


「じゃあ約束っ。この部屋にいる間は仲良くしよっ!」

「……畏まりました」


 包まれた手を見下ろしながら呟いたラグネルちゃん。その頑なな態度に唇を尖らせて……友達として注文をつける。


「それもなしっ!」

「………………わ、分かり、ました……」

「んー……、ま、それでいっか!」


 こうして間近で顔を覗き込んで分かる。彼女はきっと根が真面目なのだ。だからいきなりの事に戸惑っている。

 けれどそんなのは些細なこと。話せばきっと分かり合えるから。

 どんな出会いでも、目を見て話せば、仲良くなれるからっ。




 それから、日に数度。食事などを運んでくる際にやってくる彼女と色々な話をした。

 最初こそぎこちなかったが、徐々に心を開いてくれたのか少しずつ会話の時間も長くなっていった。ただ淡々とした口調は生来のものなのか、そこは揺るがず。表情にもあまり出ないやり取りに少しだけ苦戦もしながら。

 三日目にもなるとチカとシビュラも話に加わって、女の子だけの秘密の時間がそこに広がるようになった。

 話題は他愛ないことばかりで、私達がミノと契約していると言うこともあってか城内の出来事も色々教えて貰えた。中でも一番気になったのは、ミノがあの《裂必》と剣の打ち合いを始めた事だった。

 防音もされているのか、外の事は一切分からないこの隔離空間で。娯楽の無い時間に齎されるラグネルちゃんの報告はとても心躍る時間だった。

 ミノもきっと、遊んでるわけじゃない。離れていてもそう分かるから、閉じ込められていても自分を見失うことは無かった。


「あ、瓶詰めっ!」

「昨日言ってた、から。用意した」

「ありがと、ラグネルちゃんっ!」


 昼食の時間。彼女は昨日語ったその我が儘を、律儀に叶えてくれた。

 雑談の延長線上から話した梨の砂糖漬け。その甘さの暴力と宝石のような輝きの魅力を思い出しながら、また食べたいと愚痴を零したのだ。加えてユウさんに聞いた覚えのある桃の蜂蜜漬けのことも語ったのだが、どうやら今日はそれを取り寄せてくれたらしい。

 冗談で思い出話をしていたのだが、思わぬ幸運。これは……ミノには内緒にしとこうかなっ。


「ラグネルちゃんも一緒に食べよっ?」

「……いいの?」

「もちろん! 美味しい物は皆と食べた方がもっと美味しくなるんだって。これは旅の中で学んだ私の一番の真実っ」


 ラグネルちゃんも《甦君門》にいた過去がある。だから程度の差こそあれ、あの寒々しい独房のような経験もきっとした事があるだろうから。

 だったらこうして我が儘を聞いてくれる優しい彼女に、幸せのおすそ分けもしたくなるのだ。


「…………うん、分かった」

「じゃあ、はいっ。あーん」

「え……」

「ほら早くっ。垂れちゃうから! あーんっ」


 蓋を開け一切れ抓んで彼女の口元へ。驚いたように逡巡したラグネルちゃんだったけど、少し強引なお願いに観念したのか、口を開けてくれた。

 そのまま口の中へ放り込むのと同時、指を伝って床に零れそうになった蜂蜜を横から現れたシビュラが小さな舌で舐め取った。


「もうっ、くすぐったいよ」

「甘い」

「……美味しい、です」

「でしょっ?」


 淡々とした二人の声にこちらまで嬉しくなって思わず笑う。

 だからこそ思いついた次の娯楽に巻き込む。


「あ、そうだっ。ミノに作ってもらった『とらんぷ』って言うのがあるんだっ。教えてあげるから一緒に遊ばない?」

「カレン、ご飯は?」

「じゃあそれ食べた後でっ。ね?」

「…………少しだけ、なら」

「やった!」


 これでまた一つ楽しい時間を一緒に過ごせる。

 チカは彼女から情報を訊き出したいとか言ってたけど。私にとってはそれは二の次。今は仲良くなった彼女と────友達と、目一杯楽しい時間を過ごしていたいから。

 だから早く、ご飯を食べなきゃっ!

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