第二章
ユークレース司教国を出立してセレスタイン帝国へ向かう道中。豪華になった馬車の上からまた賑やかになった空気が煩いほどに景色を彩る。
既に三日。まだ国境に着かないゆっくりな足並みは、降り積もった雪の所為でもあるだろう。幾ら南下しているとはいえこれから冬の時期。気温は日に日に低くなり、空から降り注ぐ雪の量も増える。
話に聞いた限りだと、ここコーズミマは冬になるとどの国でも雪が見られるらしい。それは、南に位置するベリル連邦でも同じなようだ。
惑星で言う所の北半球に位置すると言う事は随分前に調べて分かった。その中でも、随分と緯度の高い位置にコーズミマの大陸はあるようだ。少なくとも俺やショウが元居た国のように地域によって気候の変化が激しい訳ではなさそうだ。
ただ、四季はあるからそれらが訪れる時はコーズミマ全土がそれに影響されるという事だ。中々過酷な環境かもしれない。
何にせよ、これから冬本番と言う時期。あまり長旅をするには向かないのだろう。セレスタインに着いたら越冬はそこでできないか考えよう。
と、そんな事を考えながら。まだまだ話題が尽きない様子の幌の中へと視線を向ける。
そこに座り込むのは女の子の集団。黒髪赤眼の鈍らは話題の先鋒。その隣には興味を纏う琥珀色の頭髪にライムグリーンの宝石を嵌めた二の太刀。更には場を纏める青いショートに眼帯で彩った隻眼の参謀。
誰をとっても一筋縄ではいかない面子の、傍から見れば少し歪なだけな空間。そんな話題の中心に、白髪ロングに硝子玉のような黄色い双眸の少女が一人、三人に囲まれるように座り込んでいる。
質問攻めにするカレン。気になれば口を挟むチカ。少し疲れたように、けれども楽し気に補足するユウ。これまでに賑やかだった中心に、今は人形のような少女────シビュラが佇む。
魔篇と言う、下手をすると魔瞳のユウ以上に珍しい存在の彼女は、つい先日まで宗教国家ユークレースで箱入り娘のように大事に守られていた。その理由は、単純に強力な存在だからだ。
数多の魔物を閉じ込めた魔篇と言う魔具は、通常ではありえない数の魔術をその身に秘めている伝説とも言うべき存在。噂では、人さえ生き返らせられる、万能の魔術書なんて言われているほどだ。
そんな力が表舞台に姿を現せば、今ある世界のバランスは大きく崩れてしまう。だからどの国に属する事も無く、誰にも扱われる事なくひっそりと秘匿されていたのだ。
しかし《甦君門》がその存在に目を付けたことで騒乱が発生し、彼女の存在は明るみになった。しかし大事にしたくなかった教皇のファルシアは、俺に《渡聖者》と言う肩書きを授け、どこにも属さない武力として認可し、丸投げするように押し付けたのだ。
国に属さないならば、その力は平等。世界を渡る剣として、強大な力を役立てて欲しい。表向きはそんな理由で、なし崩しで契約をする事になった俺は仕方なく彼女と行動を共にする事になったのだ。
因みにファルシアがお酒の入った席で零していた本音が、ユヴェーレン教が魔物を崇拝するわけにはいかないという、単純でややこしい理由だった。彼も彼で、色々抱えていたのだろう。最後に泣いて疲れたように眠ってしまった所を見るに、若き教皇は色々苦労をしているようだった。
それにだ。何よりシビュラ自身が俺の傍にいたいと言った事が大きい。尊重すべき思いは大きく、純粋で。それを否定する事が出来ないと悟れば、様々な覚悟の上に俺も腹を括ったのだ。
そんな魔篇のシビュラが、ただいま絶賛魔剣と魔剣と魔瞳に囲まれて質問に溺れ、常識に翻弄されている最中だ。
外の世界を知らない彼女には、俺やカレンがそうしてきたようにまず色々な事を知り、慣れることが必要だ。その為に常識的な知識をユウを中心に詰め込んで、疲れたら今度は彼女自身について色々掘り下げている最中なのだ。
疲れる、と言っても彼女は人では無い。表に出てカレンたちと会話をするその人格も、前にユウが言っていた通り魔術で作られたインターフェース。対話用の統合意識体だ。そこに人のような精神論は無く、喜怒哀楽やその他感情と言う物が存在しない。自動応答のAIのようなものだと言うのが魔に詳しい彼女達の結論だ。だから実際に疲れると言う要素は無く、どちらかと言うとカレン達が気分で話題を変えているという方が正しいだろうか。その気になればシビュラはいつまででも同じ問答を繰り返し続ける事だろう。
……いや、それも少し語弊があるか。と言うのも、シビュラはカレンたちと同じように人の体を持つ。それは人格同様魔術によって人を模した物だが、それに見合うだけの機能を備えているのだ。
喋れば口が動くのは当然。呼吸もすれば、食事もする。欲求……と言うほど感情的ではないが、睡眠も必要だ。その為、カレンたち然り、その根本を知らなければ、傍目にはただの少女達に見えることだろう。
一応その気になればそれらの行為を切り捨てる事もできるらしいが、今のシビュラは人に似せる事を楽しんでいる節がある。それこそ魔術の最奥のような彼女の知識欲が満たされない限り、人らしい振る舞いを続けるはずだ。……にしては随分と感情と言う物が欠落しているのは、魔術が作り出した人格の限界と言うやつだろうか。折角ならそこも人に似せればよかったのに……彼女にもそれは難しかったと言うことか。
人の真似をするシビュラ。それが自由を知ろうとする彼女の決意の証ならば、頼られた身として出来る限り手伝ってやろうかと考えながら。そうして背後の会話に耳を傾けつつ馬車を進めれば、午後になって一段落したらしい常識の教示が終わり、当然のように傍にやってきたシビュラが隣に腰を下ろした。
言葉は無く、人形のようにじっと前を見つめる。と、沈黙と言う雑多な情報の中で脳裏を旅して幾つかの話題を組み立てていると不意に突き刺さるような視線を感じた。
見ればシビュラが俺の手元を注視していた。
「……どうした」
「…………紐?」
「……手綱の事か?」
子供の疑問のような音に理解を追いつかせ確認すれば、こくりと頷く。一体何が……そう考えた所で何となく視線の意味を察した。
「やってみるか?」
「うん」
「とは言ってもやる事は簡単だ。今はもう歩いてるからな」
ユウに教えてもらった手綱捌きを思い出しつつ経験の無いシビュラに手ほどきをする。
「馬は賢いからな。道があればそれに沿って勝手に歩いてくれる。逆に言うと、道がないところへ方向転換しようとしてもそっちには進みたがらない。だから馬の機嫌よりもまず道を良く見ろ」
「うん」
「方向転換は単純に、道の続く方に顔を向けてやればいい。そんなに強く引っ張らずに、導く感じだ」
馬だって生きている。彼らの意思と言う物もあるのだ。それと呼吸を合わせれば、きっと何も難しい事は無い。
「止まる時は思い切り引っ張るなよ? それじゃあ止まらないからな」
「どうするの?」
「鼻先を下に引っ張るんだよ。顔が下を向くと自然と止まる」
馬の停止と言うとよく手綱を引っ張ってウィリーするように前肢を高々と掲げて止まる馬を想像するが、あんな事をすれば馬が自重で骨折してしまう。
馬の体重は500kgを越える。それを四本の足で支えながら前に進んでいるのだ。生物として理想のフォルムを得た体に過負荷を掛けるような事をすれば、直ぐに怪我をしてしまう。歩けなくなった馬がどうなるかなんてのは分かりきった話。特にユークレースで仕立てて貰ったこの馬車は二頭立て用の大型のものだ。一頭になれば忽ち立ち行かなくなってしまう。
「それに強く手綱を入れると驚いて暴れ出すからな。馬は賢くて、臆病な生き物だ。無理だけは絶対にさせるな」
「うん」
「とりあえず基本は流せ。あと、怪我をするような道を選ぶな。石が落ちてたらしっかり避けろ」
「うん」
そして何より大切な事。これもまたユウの受け売りだが、彼女に言われて改めて実感したのだ。
「最後に一番大切なことだ」
「なに?」
「馬は道具じゃない。俺達と同じ生き物だ。大切に接しろ」
「……分かった」
どんな時でも、動物相手に欠かしてはならない心構えだ。命を粗末にする奴は、それこそ馬の後ろ足に蹴られてしまえ。
掻い摘んでの説明に、けれども重要な事は分かったのか、黄色い瞳に真剣な色を灯して手綱を握る。この様子なら必要以上の心配は要らないか。少なくとも道徳心はあるようだ。
街道沿いに進むだけの、少々退屈な旅路。けれども大きな山も谷も無い平穏な時間を過ごせば、やがて慣れた様子のシビュラも緊張せず手綱を握れるようになったようだ。
これでまたローテーションが楽になる。一人の負担が減れば……それだけ暇が増えるのだが。まぁ自由を謳歌できると思えばいいことかもしれない。
そんな風に考えながら途中休憩をしつつセレスタインに向けてをゆっくりと歩む。急ぐ旅ではない。流れ行く雲が段々と形を変えるのを眺めつつ、どうでもいい会話と共に時を浪費するのは心落ち着く時間だ。
ならばさて、そんな暇を持て余して一体何をしようかと言うのが目下一番の問題。
シビュラに常識を教えたり、ユウの教鞭で勉強したり、はたまた俺やショウが向こうの世界の事を寝物語のように語ったり。ともすれば無駄な時間だと切り捨てても仕方のない日々を過ごせば、やがてどうでもいい話題は尽きた。
こうなるとそろそろ背け続けてきた話題に触れる頃かと。何となく全員が察しながら期を伺って。
やがて最後のきっかけにチカと視線を交わして、ある種の禁忌に触れた。
「なぁチカ」
「……うん」
「答えは出たか?」
「…………話を聞く覚悟は出来た」
「んなら始めるか」
深呼吸一つ。それからその話題に向き合う。
声を向けた先は、シビュラ。
「シビュラ」
「なに?」
「お前は沢山の魔術を覚えてる。そうだな?」
「うん」
シビュラは魔篇。数多の魔物を封じ、恐らくその数だけ魔術を記録した、埒外の存在だ。
魔物は基本的に一種類の魔術しか使えない。カレンのそれは剣を作る事。チカのそれは魔術を編纂する力。ユウの魔瞳は、幻術だ。
それぞれ色々応用が利くから誤解しがちだが、根底にあるのは得意とする一つの形なのだ。
けれどもシビュラの存在は違う。彼女は、全く異なる魔術を複数宿しているのだ。それは、このコーズミマには二つとない特別だろう。
……少し無理やりに一つへ纏めるとすれば、魔術の記憶と言うのがそれになるのかも知れないが、恐らくシビュラの場合はそれもまた違うはずだ。
「……単刀直入に訊くが、お前のその知識の中に、記憶に干渉する魔術は存在するか?」
「ない」
目を背け、逃げて、構えて。それだけの葛藤をチカも、ショウも。そして直接は関わりの無い俺やカレンやユウまでもが悩んでどうにか踏み出した一歩。それが、まるで至っていつも通りに呼吸をするように膠も無く否定される。
「…………一応訊くが、それを作り出す事は?」
「できない」
「そうか」
最初の否定で何となく分かっていたが、どうやら神の手記の異名を持つ彼女を以ってしても叶わない望みらしい。
隣で、チカが安心したように体を覆っていた緊張を解く。
そんな心の機微にはまだ疎いようで。淡々と語る彼女は根拠を添えるように更に言葉を重ねた。
「分からないから」
「なにがだ?」
「シビュラには、人が分からない。感情が分からない。心が分からない。だからできない」
並べられた言葉は完結に。その一つ一つを紐解き、繋げて理解する。
シビュラは、言ってしまえばカレンたちと同じ魔物だ。けれどもその存在の形は異なり、数多の魔物を内包するマルチCPUのような煩雑な存在。人で言えば、多重人格が近いだろうか。
その一つ一つは雑多で矮小な、恐らく低位か、もしくは中位程度の魔物の集合体。カレンやチカのように、一つの意識で人に似せて形まで保てる高位と異なり、存在としてはどこか不安定だ。
そんな明確な纏まりのない思考をどうにか表に出せるように一本化しているのが、今俺が会話をしている魔術で作り出した人格と言うことだ。
だから元を辿れば人を似せるには遠く及ばない存在の集まりで、言ってしまえば衝動が犇き合う様な彼女の内側にまともな思考回路と言う物は存在しない。理性の無い獣、の方が近いと思う。
人が分からない。感情が分からない。心が分からない。それらは魔物として未熟で、人を理解できない。そんな結論から導き出された言葉だ。
自我が芽生えていない赤子に無理やり喋らせているのと同義。そんな存在に、いきなり記憶が何たるかを説明しろなんて問うても答えられる訳がない。当然、知らないのだからそれを応用して新たに魔術を作り出すことも出来ない。
そもそも魔術を作り出すというのは、きっと魔物にはまず出来ない事なのだ。
自分の力を備わっている用途以上に活用できない。出来るのはただ、その身に宿る魔力の性質に添ったことだけ。数学で例えれば、公式とその基礎だけ理解して数式は解ける。しかし文字は読めないから応用の文章問題は理解できない。そんな具合だろう。
そしてそれが、殆どの魔物にとっての常識なのだ。
魔術を編纂出来る隣のチカは、雁字搦めな理から外れた異端存在に近いかもしれない。
「……振り出しかぁ…………」
呻いて、体を荷台に横たえる。ぼんやりと幌を見上げれば、シビュラが真似するように直ぐ傍に寝転がった。こんな時でもマイペースだな。
「記憶を魔術で弄れてたら、低位や中位なんていない」
「それもそうか」
チカの諦めたような声に今一度納得を落とす。
魔術による記憶への干渉。これはどうやら魔術における無理の一つ……禁忌なのだろう。
「この際ついでだな。噂にあったが、死んだ人間を蘇らせる事は?」
「できない。操る事はできる」
「そういやぁ俺の腕も操ってたな」
メドラウドと対峙した時、似たような魔術で外れた左の肩を無視して腕を動かしてくれた事を思い出す。
体感だが、あれは精神や肉体に内側から干渉して操っているというよりは、糸のような何かで外部から吊り上げているようだった。シビュラのできる操る魔術は死霊魔術ではなく傀儡みたいな物だろう。風で持ち上げるとか色々ある気がするが、詳しい原理はいいとしようか。理解した所で俺が使えるようになるわけでもない。
「なら逆に、命を奪う事は?」
「できない」
「そもそも生死に直接作用する魔術は無理って事か。……いや、シビュラの場合人に干渉する魔術全般か?」
「そう」
となるとあの操る魔術もやはり外部干渉系か。
「ミノ、契約を介して使える魔術って理解できないの?」
「……何となくは分かる。でもあれだ。辞書を引くみたいな感じだな」
「辞書ですか?」
「例えば、風を操る魔術を想像する。これだけだと特に引っかからない。けど更に規模や効果を絞り込んでいくと幾つか候補が浮かんでくる」
「……想像出来る魔術の有無が理解出来るってこと?」
「あぁ。逆に言うと、俺が想像出来ない形の魔術は調べようにも調べられない。例えそれをシビュラが使えても、俺が思いつかないから検索に引っかからない」
分かるのはただ、想像した魔術が使えるかどうかと言うだけ。契約を介して彼女の保持する魔術を全て共有するわけではないのだ。
この辺りはカレンに似ているかもしれない。想い描いた理想を形にするカレンの刃。あれはしかし、想像外のことまでは引き起こせない。
つまり全ては俺の想像力に委ねられているという事だ。
「シビュラ自身も使える魔術を全部自覚してる訳じゃないみたいだしな。ただ検索能力は俺より上みたいで、少しのキーワードで該当魔術を引っ張ってこれる感じだな」
これは恐らく、俺の思考の一部を共有しているのだろう。
メドラウドとの戦闘の時に何となく感じていたのだが、シビュラは俺を基準に魔術を行使している。
雷撃の時、実は脳裏にショウが前に使っていた雷の槍をイメージしていた。だから似たような魔術が出た。短距離空間移動も、目の前に迫る魔術の壁をどうにか通り抜けて一撃を叩き込みたいと考えていたからそれが実現した。左腕を操っていたのも、直前にメドラウドが似たような事をしていた、その思考の端からだ。
このことから、一つの推測が立つ。恐らくシビュラは、一人で魔術を行使することは出来ない。契約か、それに類する思考傍受を介して周りが考えている事を自身が持つ魔術で代替再現する。それが彼女の力だ。
一人で魔術を使えないという部分はどこか人間によく似ているだろうか。……あぁ、いや。そもそも魔剣だって扱う人がいなければ実力を発揮できないのだから、根本は同じ。
魔に纏わる力と言うのは、基本的にその身一つで万能を行使することが出来ないのだ。
逆を言えば、それを出来る高位の魔物は人に匹敵する存在だという事だ。
人の世界では魔物の事を生物とは認めていないらしいが、成長した魔物は思考能力を有し、人の言葉を解する。それは最早、生物として確立されているのではなかろうか?
「だから俺もシビュラの力の全部を把握してるわけじゃないんだがな……。ま、色々出来ることは確かだな」
流石は秘宝のように管理されていた魔篇だ。契約者が扱いきれないなんて破格過ぎるだろう。
「ミノさんはどうなんですか?」
「俺……?」
「契約をするとその相手の得意とする魔術が使えるようになりますよね?」
「あぁ、それか…………」
ユウの疑問に少しだけ考えて答える。
「……それもよく分からないんだが、魔に関する知識は増えた気がする」
「知識ですか?」
「シビュラの元が本だからかもな」
カレンとの契約で剣の生成を。チカとの契約で魔術編纂能力を手に入れた俺。チカのそれは、そもそも俺個人の魔術に関する造詣が皆無に等しい為に宝の持ち腐れなのだが、それと同じようにシビュラとの契約で何となく認識が変わった気がするのだ。
「別に展開された魔術を見て看破できる訳じゃないんだがな。何となく勘と言うか……曖昧に理解くらいは出来るようになったんだよ」
「どの程度、って言うのは詳しく言えますか?」
「そうだな……。多分魔術を向けられると、直感でやばいかどうか分かる。魔力が肌を刺すって言うのか? そう言う第六感みたいなが働く感じだ。……あぁ後あれだ。魔物の程度が見ただけで何となく分かる。低位とか中位とか」
シビュラと一緒に行動するようになった道中でも何度か魔物と遭遇して戦闘した。その経験から得たなんとなくのものでしかないのだが……要は魔に関する感覚が鋭くなったという感じだ。
これまでは無かった感覚で戸惑っているというのが本音だろう。とは言えあって困らない能力は違いない。何も無いのと比べると危機察知能力が段違いだからな。
「ただ発動するまでそれがどんな魔術なのかは分からないな。魔に関する直感が働く、って程度だ」
「と言う事は…………」
何かを考えるように沈黙するユウ。すると彼女の内側から微かに魔力の反応がした気がして、シビュラとの契約痕が刻まれた左の首筋に嫌な感じが纏わり付く。
次いで、ユウが顔をあげるより数瞬早く向けられた──敵意。それに思わず体が反応して目の前の少女の体を押し倒し、眼帯で覆われた右目を覆うように手が出た。
が、突然の事にも冷静に。ユウが伸ばした俺の腕を掴んで受け止めた。その時には既に、肌を刺すような敵意はユウから消えていた。
「っ……!」
「なるほど。何となく分かりました」
「…………今の、わざとか?」
「はい。ごめんなさい」
試したのだろう。俺が感じた彼女の敵意は、ユウが曖昧な力を暴く為に抱いて見せた演技だったらしい。……いや、演技にしては真に迫っていた気もしないでもないが…………。
「魔力の宿った敵意の感知。少なくともそれは備わっているみたいですね」
「だからっていきなりはやめろ。焦っただろうが。確認なら他に方法があるだろ」
「一番手っ取り早かったので。……まさか押し倒されるとは思いませんでしたが」
少し恥ずかしそうに零したユウ。その言葉に、それからようやく現状を客観視する。
「……ミノ、いつまで組み敷いてるの?」
「わ、悪いっ!」
底冷えするようなチカの声に慌てて飛び起きる。今の声にも微かに魔力が宿っていた気がしたのは、俺の勘違いか……?
じっとりと睨むようなチカの視線から逃れるように座りなおして話題を戻す。
「……とりあえず。そう言う事だ。まだ何が出来るかはよく分かってないが、少なくとも魔に関する部分で理解が深まったのは確かだ」
「じゃあ魔術は作れる?」
「…………それは無理だ。今後は分からないが、少なくとも今はな。そこまで理解が進んでない」
自分の内側に意識を向けてみるが、今知っている以上の魔術を自作出来る感じはしない。
「契約をしてもその力を十全に使うには時間が必要ですからね。もしかすると今後理解が深まって魔術を作り出したり、それを元にチカさんの力で編纂したり、と言う事が可能になるかもしれませんね」
「……実感は湧かないな。ま、ないよりましな能力程度に思っておく事にする」
魔の感知と言うならば、不意に襲撃を受けても魔力が絡んでいれば気付く事が出来るということだ。カレンやチカも似た様な事は出来るが、それは彼女達が魔物由来の魔剣だから。それを契約で解する事は不可能で、共有するには契言でワンテンポのラグが必要になる。
それを自己判断でできるようになるというのは、刹那が連続する戦いの中では大きな意味を持つはずだ。この感覚は、体に染み込ませた方がいいかも知れない。
「とりあえず出来る事からだな。……ユウ、どこまで出来るか試したい。協力してくれないか?」
「わたしですか? カレンさんたちの方がいいんじゃ……」
「カレンやチカが相手だと魔力吸われる感覚で出が分かっちまうからな。練習にはならないだろ。ユウかショウ相手じゃないと意味がない。けどショウは魔力の扱いにそこまで長けてない」
「消去法ですか」
一々口にすることでもないように思うが。まぁいいか。いつの間にかチカからの視線も鳴りを潜めてるしな。あれに射抜かれ続けるのは精神衛生上よろしくない。魔力の針で刺されているようで居心地が悪いのだ。
「頼めるか?」
「……分かりました。体も動かさないと鈍りますからね」
「魔術の練習のときは手伝うから言って」
「あぁ、その時は頼む」
まだもう少し先になりそうだが、その好意だけは受け取っておく。魔術で言うとシビュラも師にはなるだろうが、彼女は大概口下手と言うか……解説や説明とは縁遠い所にいる気がする。ならばチカの方がまだ分かり易いという物だ。
「ミノ、私のこともわすれないでよっ?」
「お前にそういう期待はしてない」
「なぁああっ!?」
御者台からの鈍らの声に分かりきった答えを返せば、あがった声と共に女性陣から冷たい目を向けられた。……一体俺が何したよ。
…………カレンはカレンなんだから別にいいだろうが。
そんなこんなで道中魔に関する知識や感覚を養いながら馬を歩かせれば、街道に他の馬車も次々に顔を見せ始める。
道は世界に沢山ある。けれどもその殆どと出会うことは無い。それがこうして一箇所に集まるときと言うのは、道の先に人の集まる場所がある場合だ。
ベリル連邦。ユークレース司教国と。それぞれの国で途中町や村に立ち寄ったりしながらの経験で覚えた感覚が肌を撫でる。
人が集まった目に見えない温度。それぞれに魔物や野生動物に警戒しながらやってきた彼らが、仲間を見つけて安堵の息を零す。それくらいに一人を慰む冬の寒さは切ないということだろう。……こちとら煩すぎて少しくらい分けてやりたい所なんだがな。
とは言え他の馬車の姿を見て安堵をしたのは俺も同じかと。手綱を握る力が微かに緩むのを感じながら流れに乗って馬車を揺らす。
また一層同行者が増え、擦れ違う顔が頻繁になってきた頃、ようやく長い旅に一先ずの終着点を見る。
「ミノ、あれは?」
「……ユウ」
「……はい。大丈夫です」
因縁抱える少女と共に見据え、隣に座るシビュラの問いに答える。
「あれがセレスタイン帝国。帝都、バリテ。────俺が召喚された国で、ユウが前にいたところだ」
コーズミマの世界を支える四つの柱の一つ。帝国の名を冠したその国は、大陸で最も西に位置する都市だ。
国の中心と言うこともあって堅牢な造りの外壁は見上げるばかりに高く、それこそ魔障に侵されたドラゴンや辺りを埋め尽くすほどの魔物の大群でも連れて来ない限りは崩せそうにないほどの威圧感を放つ。
よくもこんな場所から逃げ果せたものだと。過去の事ながら己の無謀さに尊敬さえ抱きながら帝都入場への審査を待つ。
流石に帝都と言う事もあって人や物の出入りが激しい。記憶では北東と南東の二箇所にある出入り口の、ユークレース方面である北東の門は、雑多な声と中々進まない馬車の列で埋め尽くされている。
「やっぱり都市ってのはどこも一緒なんだな」
「商売、観光、政治。目的は様々で、優先ルートなんて無いからな。とは言え防御の要である外壁のそこかしこに穴を開けるわけにもいかないだろ」
「それもそうか」
「にしても凄い人だね。ここまでの道中では殆ど会わなかったのに……」
「俺達は特にあまり人が通らない所を通ってきたからな」
一応の安全確保に、魔物の出現報告が多く、視界の開けている道をわざと選んでここまできた。不確定要素があるところで仕掛けるほど向こうだって馬鹿じゃないだろうからな。今の俺達には魔物もそれほど脅威ではないことが一つ。そして魔物との戦闘で色々な経験を積んでおきたかったのも理由の一つだ。
加えて他の道より距離が短いというのも嬉しい話だった。お陰で本格的な冬になる前にユークレースを出た奴らに追いつく形になっての、この人込みだ。
この様子だと越冬はセレスタインになるかもしれないと思いながら。願わくば安全の保障された暖かい場所でゆっくり過ごしたいものだと、もうしばらく掛かりそうな帝都入場への暇潰しに理想を重ねたのだった。
それからしばらくしてようやく訪れた俺達の番。今までずっと逃げ回ってきたが、《渡聖者》の肩書きを得て恐れる物は殆ど無くなった。その為こうして真正面から堂々と因縁の地へと足を踏み入れることが出来るのだ。
今後は越境なりで肝を冷やさなくてもいい。それだけでも精神的な余裕は計り知れない。
ようやく旅人らしく色々な物を手放しで満喫できそうだと。目の前に迫った無視出来ない話し合いの椅子から少しだけ目を背けつつ手続きを済ます。
帝都への検査や審査は難なく通った。適法化素晴らしいと法治のお膝下に馬を歩かせようと手綱を握る。────その寸前、入都管理を行う騎士とは別の騎士が行く手を阻んだ。
「ミノ・リレッドノーだな」
「だったらどうした?」
「すまないがこちらに来てもらえるだろうか。あぁ、勘違いしないでくれ。別に我々に捕縛命令が出ているわけではない。その逆だ」
「逆?」
「君を国賓として歓待するように仰せつかっていてね。ここから先の案内役がいる。そこまで一緒に来て欲しい」
国賓とは、これまた穏やかではない話だ。警戒してその騎士をじっと見つめたが、彼が嘘を吐いている様には思えない。どちらかと言うと任された仕事の大きさに気負って緊張している風にさえ感じる。
魔物相手には何となく通じる第六感も、人間相手では形無し。意見を求めて契言と飛ばす。
『どう思う?』
『大丈夫じゃないかな? 少なくとも事を構えようって気概は感じないよ?』
『魔術の反応も無い』
『ミノについていく』
カレン、チカ、シビュラの三者三様な返答に少し安堵する。少なくともいきなり襲われるということは無いか。荒事が起きてもカレンたちの力を借りればどうにかなる。何かが起こるまでは静観と行こうか。目の前の彼に多少同情しないでもないからな。
「分かった。案内してくれ」
「こっちだ」
先に立って歩き出した騎士の後ろをゆっくりと追従する。その傍らで、幌の中にいるチカに契言。
『チカ。ユウとショウに伝えろ。ここから別行動だ』
『どうして?』
『いざという時の保険。そう言えば理解してくれるはずだ』
まだ全てを信用したわけではない。何せセレスタインはずっと俺とユウを連れ戻そうと狙っていたのだ。ベリルに入って以降直接の接触は無かったが、しかし監視は続けていたはずだから。まだ気は抜けない。
とりあえず《渡聖者》としてセレスタインの中核にいる誰かと話を付け、身の安全を保障するまでが延長戦だ。
そんな事を考えていると、手早く荷物を纏めた二人が幌の後ろから音も無く飛び出して直ぐ傍にあった路地に身を隠した。目端でそれを確認し、頷き合うと何事も無かったかのように前を向いて馬を進める。
彼らのことだ。何かあった時の避難所くらいは用意してくれるはず。全てが杞憂に終わるならばそれでいい。
「ねぇミノ、案内役って誰だろうね?」
「さぁな。俺がここにいたのは……一週間かそこらだ。それも部屋にずっと軟禁されてな。名前どころか他人の顔だって碌に覚えてない」
記憶に微かに残るのは、転生後に幾つかの説明をしてくれた研究者らしき男。それから軟禁中、身の回りの世話を遠巻きにしていた使用人の少女、くらいのものか。使用人の方に関してはぼんやりと雰囲気程度しか覚えてない。
同じく使用人と言うならば、ベリルでショウを探した際に話を持ってきた少女……名前は確か、エレインと言ったか。あの褐色肌の使用人の方が記憶に残っているほどだ。
「知り合いも当然いない。だから見当も付かないな」
いっそのこと皇帝直々に目の前に現れてくれれば色々すっ飛ばして楽なんだが。ま、それはありえないだろう。大方城への案内役と言ったところか。面倒な奴でないことだけを祈っておくとしよう。
「ここで待っていてくれ」
どんな輩と対面する事になるのやら。警戒だけはしつつ、やってきた上等な宿らしき建物の前でしばらく待ち惚け。出来れば先に食事を済ませたいと、微かな記憶でセレスタインの空気に懐かしさのような何かを感じ始めたところで騎士がフードを目深に被った人物を連れて出て来た。
「それではこれで」
彼の仕事はそれで終わりらしい。礼儀正しく頭を下げた騎士が、何の説明も無く去っていく。
置き去りにされた馬車の一団と、外套で身を包んだ人物。不審この上ない居住まいに、それからふと気付く。
左腰に膨らみ……帯剣している。それから纏う雰囲気がここまで案内してくれたさっきの騎士より鋭い。どうやら相当腕に自信がありそうだ。少なくとも純粋な剣技だけでは及びそうに無い。
これまで経験してきた戦闘の勘が肌を刺すように告げる。こいつは、強い────
「……付いてきて」
聞き逃しそうなほどに小さな声。雑踏に埋もれるような、それは……聞き間違いでなければ女のものだった。
未だ説明はなしかと。最早思索を巡らせるのも億劫になって素直に後を付いていく。すると馬車がぎりぎり通れるような路地に入ったその人物は、辺りを見回すようにして警戒し、また小さく零した。
「ここでいいかな……」
次いで、女性がフードを取る。
顔を上げた仕草に揺れた、顔右横の紫色の片編みの髪。こちらを見つめる瞳は強い色を灯した黒で、どこか馴染み深さを感じる。顔立ちは整っていて、俺より年上に見える。
纏う雰囲気は変わらず己の力に対する自負。その気になれば次の瞬間にも左腰に帯びた剣を俺の首許へと突き立てていそうな気迫だ。
と、そんな彼女が何かを待つようにこちらをじっと見つめる。……これは、改めて名乗った方がいいのだろうかと考えた所で、その女性が納得したような笑みを浮かべた。
「そっか。ははっ。顔だけじゃ分かんないわよね」
有名人、なのだろうか。残念ながら記憶には無い。
……いや、腕に覚えがあるのならば、実力者として名前や顔が売れているのは当然かもしれない。これはどうやら、俺達の知見の狭さが招いた状況だろう。
「改めて自己紹介。はじめまして、ミノ・リレッドノー。あたしはメローラ。巷じゃあ《裂必》なんて呼ばれてる、君と同じ《渡聖者》よ」
メローラ。《裂必》。《渡聖者》。
聞き覚えのある単語に、それから一瞬思考がフリーズする。一拍空けて、ようやく理解が追いついた。
「……は? え? 《裂必》のメローラ……?」
「あぁ、よかった。そっちは知っててもらえてたみたいね」
「…………まじか……」
思わず素の反応を零す。
《裂必》のメローラ。その名前は、これまでの旅で幾度か話題に挙がっていた存在だ。
俺が《渡聖者》となるまでは、このコーズミマにただ一人だけの、国に属さない魔剣持ちだった人物。まさかこんな所で、こんな形で気安く出会うとは思わなかった……。
「顔で覚えてもらえてないという事はあたしもまだまだだってことね。……いや、面倒事は嫌だけど…………」
「……本物か?」
「うんうん。疑って当然。とは言え証明出来る何かがあるわけじゃないから……さて、どうしたものか……」
飾らない口調で真剣に悩み始める女性────メローラ。女だとは聞いていたが、こんなに若いとは思わなかった。
女性の見た目はあまり当てにならないと聞くが、俺が見た限りだと20代の、女盛りな魅力を纏った女性だ。
一見普通の大人な女性。だと言うのに、振る舞いの端々に隠しきれない迫力が滲み出て、嫌に俺の肌を刺激する。
まだ少し信じられないが、彼女が件の《裂必》だというのは、何となく分かる。
「ま、信じてもらうのは追々でいっかな。折角念願の同類に会えたわけだし、それを楽しまなきゃ」
「同類……?」
「世界に二人目の《渡聖者》……国に属さない魔剣持ち」
ユークレースを発つ前に教皇であるファルシアが言っていた。《渡聖者》と言う肩書きはまだ新しく、それほど呼び名は浸透していないらしい。知っているのは当人と、国の中枢に居る僅かの人たちだけとのこと。ユウだってユークレースでその名前を聞くまで知らなかったくらいだ。
とは言え目の前の彼女から文官染みた空気は感じない。どちらかと言うと武官……騎士に近い。現場に出て行って物事を解決するような、俺と同じ雰囲気だ。
騙っている、と言う事も考えられるが……それは最早想像だけ。既に半分以上彼女の言葉を信じている自分が居る。
これは、俺だからなのかもしれないが。《渡聖者》と言う肩書きを振りかざしているわけでも、固執しているわけでもなさそうなのだ。そしてそれは、俺も同じ感じ。どちらかと言うと実感が無くて持て余しているという方が近い。それと同じ物を、彼女から感じるのだ。
その、同類として惹かれ合うような言葉にならない感覚が、彼女が《裂必》のメローラだとひしひしと告げているのだ。
「……あれ、合ってるよね?」
と、声を返さない事にか不安になったらしいメローラが尋ねてくる。
「…………あぁ、間違い無い。で、それを知ってるって事は、あんたが俺の知るメローラだって言う証拠の一つにもなるわけだ」
「頭の回転が速いようで何より。物分りのいい子はお姉さん好きよ?」
これは、この感覚は何となく覚えがある。あれだ、後輩ができた先輩の、浮き足立ったそれだ。
向こうの世界で俺も経験があるから何となく分かる。彼女はきっと、俺と言う後輩が出来た事が嬉しいのだろう。折角の世界で二人だけの肩書きなのだ。特別感に色々募るのは理解出来る。出来はする、が……かと言って先輩面をされ続けるのは何だか癪だ。
別に見下しているとかそういうわけではないが、舐められているようで気乗りはしない。折角の《渡聖者》同士なのだから、もっと対等に……フランクな方がやり易い。…………と言うかそもそも、俺は飾った振る舞いと言うのが苦手なのだろう。国のトップ、教皇であるファルシアに対してもいつものままだったのがいい証拠だ。
「ってな訳でようやく会えた同類だっ。だから周りが何て言うかはもうこの際どうでもいい。ミノ・リレッドノー……いえ、ミノ。堅苦しいのは無しにしましょう。あたしの事は気軽に名前で呼んで欲しい」
「あぁ。折角の世界に二人きりだ。仲違いするよりは余程いいからな」
差し出された掌を、是非も無く取る。彼女には色々訊きたいことがあるのだ。例え何かの罠だとしても、それが分かるまではこれでいい。
「やぁ、よかったよかった。これでもし頭でも垂れられたらどうしようかと思ってた」
「……こんなのだから《渡聖者》なんて肩書き押し付けられたんじゃないのか?」
「あははっ、それはいい!」
ここまでの会話で何となく分かったが、彼女は飾らない。肩書きに執着せず、ありのままを受け入れている。そのあけすけさが……俺と同じだからこそ心地よいのだ。
記憶を失う前のチカに感じたそれとは真逆の……波長が合う相手と言うことだ。
「で、えっと……どこまで話したっけ?」
「……何も。メローラに連れられてここまで来ただけだからな」
「よしよしっ。君の相手を任されているのよ。ここからはあたしが案内する、着いて来てくれる?」
「それが何より安全だろうからな」
「いいねぇ……ますます気に入った!」
彼女の雰囲気に乗せられてか、思わず素直な本心を口にする。相性が良過ぎるのも考え物かもしれない。そんな事を思いながら、今度は人目を憚らずにセレスタインの帝都バリテを、世界の救世主と共に移動し始めたのだった。
《渡聖者》の先達、メローラが案内の傍らで色々説明をしてくれた。
どうやら彼女はセレスタイン帝国からの勅命で俺を出迎えるように言われていたらしい。何でも国賓待遇だとか。
お陰で宿や食事に困る事は無いそうで、好きなだけセレスタインを謳歌できるというわけだ。この歓待は、同じく《渡聖者》である彼女も国から受けているものらしい。
と言うか、《渡聖者》はどこの国に行っても基本似た様な扱いを受けるとのこと。そしてそれに合わせて幾つかの依頼を国から任されるのだそうだ。
「《渡聖者》ってのは本当に特別な肩書きな訳。それこそ、何か大きな武勲でも立てないと候補にすら挙がらない。幾ら魔剣と契約しててもね」
「例えば?」
「ドラゴンの角を一人で斬り落とすとか。国の危機を救うとか」
言ってちらりとこちらに視線をよこすメローラ。どうやら俺がしてきた事は筒抜けらしい。
喧伝して回るようなことでは無いと、《渡聖者》である事も極力隠してここまできたのだが……余り配慮するようなことではなかったらしい。……いや、面倒事押し付けられるよりはひっそりと生きるほうがよほど性に合っているから、必要に応じて武器にすることはあっても根に存在するこのスタンスは変わらないだろう。
逆にメローラは自分の武勲をある程度武器にして、それなりに充実した日々を過ごしているようだ。期待を裏切らないだけの実力を持っているからこそだろう。己の力を理解しているというのは素直に尊敬する。
「……因みにあんたは一体何をしでかして祀り上げられたんだ?」
「ドラゴンの角を切ったのは君と一緒。後は……多分こいつかな」
視線を落としたのは彼女の腰に差した剣。一見するとただのショートソードだが、シビュラと契約したお陰か、集中したら何となく気配が分かった。
「魔剣か。名前は?」
「ヴェリエよ。誡銘は《ハンセツ》」
「字は?」
「字なんて、面白い事を訊くのね?」
笑いながら、指先に灯した魔力でメローラが目の前にその字を描く。綴られたのは、《叛紲》と言う文字列。
名前には意味がある、と言うのはこの世界でも同じ。……いや、あちらの世界以上に重きを置かれている概念だ。名は体を表すという言葉通り、魔剣に付けられる誡銘はその力を象徴する。
叛の字は、叛逆と言う熟語から類推するに背くという意味。紲は……これは確か、絆と言う意味だったか。総合して考えるに、絆に背く…………。意味は分かるがヴェリエと言う魔剣の能力の想像がつかない。
「どんな能力なんだ?」
「この名前はね、能力とは殆ど関係ないの。逸話と言うか……生い立ちみたいな物でね。それこそがあたしが《渡聖者》に選ばれた理由の一つ」
魔剣との繋がりが《渡聖者》としての理由?
疑問を隠さずに視線を向ければ、彼女は少し退屈そうに笑った。
「別に大した話じゃないんだけどね。……ただちょっと長いから、その話はまた今度。ってことで最後の目的地の到着よ」
案内の傍らの雑談だった事を忘れてしまうほどに興味のある話。だが、彼女が語ろうとしない事を無理に訊いて今ある関係を拗らせる訳にはいかないと素直に引き下がる。今の口調だと機会があれば話してくれるみたいだしな。
頭の片隅に留めつつ彼女の声に馬車を止める。次いで直ぐ傍に鎮座する建物に目を向ければ、いつのまにか見上げるほどの近くに来た事に遅ればせながら気付いた。
「ここがセレスタインの中心。帝都バリテの象徴。セレスタイン城よ」
そこは小高い丘の上。よく西洋の城といってイメージする、石造りで四角い箱から塔が幾つか生えているようなオーソドックスな城、と言うのが最初の感想だ。
記憶の中の二年前と重ねてみるが、余り実感がない。こんな形をしていただろうか。……それだけ興味が無かった証か。
次いで回した視界で場所の理由に気付く。
城とは元来、戦いの為の拠点だ。特に直ぐ傍に魔物と言う危険が潜むこの世界では、国の中心でありながら城は城砦としての役目を現在進行形で兼ねている。その為攻め入られ辛いように、城の背後を崖にして、見晴らしのいい丘の上に建てられているのだ。この辺りは向こうの世界と考える事は同じ。地の利、と言う奴だ。
「……ここが…………そっか……」
「一度世話になったはずなんだがな。生憎と殆ど覚えてない」
カレンの声に答えるように音にすれば、彼女はどこか安心したように小さく息を吐いた。俺以上に緊張してどうする。
「案内の終着点。一応面会とか色々あるけど、いきなり懐に飛び込むのは緊張する?」
「……出来るなら先に見て回っておきたいな」
「ん。ならそうしようか」
敵情視察……なんて、敷地内に入って堂々とするそれをそう呼ぶのはおかしいかも知れないが。いざという時の逃走経路くらいは確認しておかないと構えてしまう。もしそれが原因で話し合いの椅子が潰えてしまったら面倒だ。無駄な不安など無く席に着きたい。
ここに来たことで役割は終えたのか、自由行動を許可してくれたメローラ。てっきり城の中も案内してくれると思っていただけに、少しだけノープランに振り回されて……けれども直ぐにいつもの自分を取り戻した。
馬車を預けとりあえず……と微かな記憶を頼りに足を向けたのは、緑の芝が生え揃う広い空間。
「ここは……?」
「記憶が正しければ訓練場だな。城に常駐してる騎士とかが日々の鍛錬をしたりだとかする場所だ」
カレンの声に思い出す。
この場所を覚えていたのは、召喚されて軟禁される前に実力を見るためと言ってここで体を動かした記憶があるからだ。
とは言ってもあの頃は剣なんて持ったことの無いずぶの素人で。鋳造剣って想像以上に重いものだとか、どうでもいいことばかり考えていた気がする。
「まさか今になってこうして戻ってくるとは思わなかったけどな……」
体感、二年前の俺が期待に胸を膨らませている幻想を見る。こいつはこの後、名前と言う鎖に縛られて、絶望して、ここを飛び出す事になるのだと経験した過去を思い出す。
裏切られる痛さは知っていたはずなのにな。だからこそ許容できなかったのだろう。今でも同じ目に遭えば似た選択をするのだろうと、全く成長していない自分に自嘲する。
結局、過去とはどうあっても決別など出来ないのだ。人生は一度きりだと言うのに、酷い話だ。
けれど、それでも今生きている。そう現実を見つめれば、少しはその自由を噛み締められた気がした。
「ミノ」
不意に声がした。それは平坦な、けれどもどこか切羽詰ったように短い名前の音。
それがシビュラのものだと気付いて振り返ったそこには────先ほどまで無かった岩の壁が聳えていた。
「……は?」
「っ……!!」
次いでチカが慌てたように駆け、その壁に両手を突く。すると次の瞬間、壁の向こうで衝撃が起きて足元を揺らした。
今のは、魔術か……? けど一体どうして…………。
「残念。一息に終わらせられれば面倒が無くてよかったのに」
声は、壁の向こう。振動の収まった土煙の立ち込める中から、鬱陶しそうに手で扇いでショートソードを握った女性が姿を現す。
「メローラ?」
「そうそう。《裂必》のメローラ。これからあなたに斬りかかる、同類」
「…………何の、冗談だ……?」
全く意味が分からなくて疑問をそのまま音にする。つい先ほどまで笑顔で案内をしてくれていた彼女が、剣を抜いて鋭い空気を身に纏いこちらを見つめる。その視線に、雰囲気にカレン達が緊張を漲らせて困惑する俺を庇うように立つ。
「どういうつもりですかっ?」
「どうもこうも……そう言うこと。あたしはあなたをここに連れて来る事が仕事だった。そしてそれはもう終わって、既に好きなように出来る。だから…………こうしてる」
言って、メローラが切っ先をこちらに向ける。
その段になってようやく、彼女の気概が本物だと悟る。どうやら彼女は、俺と事を構えたいらしい。
「あたしはただ、知りたいの。あなたが本当に二人目なのか。なにより────強いのか」
「……どうして?」
「それがあたしの、全てだからッ……!」
問答など、必要ない。そう告げるように呼吸を詰めたメローラが大地を蹴る。未だ少し理解の追いつかないまま、本能的に背後に跳ぶのと同時にシビュラが腕を翳して再び土の壁を作り出した。
契約を介し胸の内から魔力が絞られる。先ほども似た感覚があった事を思い出す。加えて今し方のやり取りを重ねて考えれば……どうやら先程のそれは、メローラが俺を背後から襲って、シビュラがそれに反応。次いでチカが反撃をしたということだったらしい。
考えている間に接近して来たメローラの姿が土壁の奥に消え、そしてそれを両断して再び現れる。事ここに至ってようやく湧いてきた危機感に二つ目のバックステップ。振り下ろしの一撃をかわす。
「っ……カレン!」
「う、うん!」
無駄の無い一閃に、悟る。彼女は本気だ。応戦しなければ、やられる。
そう過ぎってカレンの名を呼び、契約を介して手の中へ。想定外から押し寄せる脅威の中で抜き放つ彼女が、日差しを受けてその刀身を輝かせる。
「綺麗ね」
呟いて、次の瞬間。再び大地を蹴った彼女の一撃を、峰で受ける。
「ぬるいのはやめて。じゃないと────命殺るよ」
「っ!」
膨れ上がった殺気。無力化だとか、四の五の言っていられないと迷いを切り捨て蹴りを放つ。それを下がって避けたメローラを見据えつつ、最大戦力での応戦に切り替える。
「チカっ、シビュラっ!」
クリスと魔道書に姿を変えた二人を加え、構え直す。
両手でしっかりと握ったカレン。その柄から逆手持ちに一緒に握ったチカ。首から下げたシビュラ。
彼女達の契約を意識して集中し、心は意思を尖らせる。
『カレン、斬るつもりで行け。チカは捕縛魔術。シビュラは適宜補助を頼む』
三人の返答が脳内に響く。それを待っていたかのように呼吸を整えたメローラが再び接近してきた。
意思を宿し、カレンの刃を振るう。確かな切断をイメージした一閃が空を裂き────金属音を響かせる。
「悪いけど、知ってるよ」
冷酷なほどに澄んだ黒い瞳が胸の内を見透かすように注がれて。どこか女性らしい唇の隙間から淡々とした声が零れる。
戦っている中で、なんて暢気な話だが……彼女はそれが絵になるほどに洗練されていた。
そんな事を考えた刹那、チカの構築した魔術の発露がメローラの足元に展開される。それを見て横に飛んだ瞬間、先ほどまで彼女がいたところに水の柱が噴き上がった。次いで天に昇ったそれが生き物のようにうねって枝が伸びるように分かれ、意思を持ったかのようにメローラへと襲い掛かる。
彼女はそれを真っ直ぐ見据え、魔力を纏った刃で次々に両断した。
カレンの刃を受けたのもそうだが、彼女はイヴァンのような強化系の魔術が使えるらしい。それが彼女の魔剣、ヴェリエとの契約で得た力だろうか。
無尽蔵とも呼べる水の本流を、けれども彼女は真正面から叩き潰す。それどころか、チカの魔術の隙間を縫うように、少しずつ近付いてくる。
その相手の呼吸を乱したのがシビュラの魔術。それは大地の矛となって。風の鞭となって。炎の獣となってメローラを襲う。チカほど大規模な術式ではないが、単発でも十分な脅威の魔術。シビュラの得意とするそれは、チカが憧れる小規模な魔術だ。シビュラの中には、それらが彼女にも把握できないほどの数秘められている。
まるで百鬼夜行のように。次から次へと俺の中の魔力を食らって様々な魔術を顕現させる。
流石のメローラもこれには驚いたのか、対処の為に大きく下がりつつ……けれども負傷する事無く対応していく。
…………彼女は、俺とは経験値が違う。《渡聖者》として世界を巡る以前から、確かな教えを受けて戦いに身を投じてきた。だからこそ、初見の脅威にだってああまで冷静に対処出来ているのだろう。
そして何より恐ろしいのが、迎撃が全てその手に握るヴェリエ一振りから繰り出されている点だ。どういうからくりかは分からないが、彼女はどんな魔術もその刃の下に切り捨てている。熱だとか不可視だとか。それらを苦にせず、剣技でねじ伏せている。
そのからくりが、わからない……。
魔術には相性がある。それは使う側と、そして向けられる側もだ。例えば水の弾を飛ばす魔術には水と弾の理解が必要で、それを迎撃するためには同様の知識が必要だ。加えて炎は水に弱いとか、そういった自然界の摂理も絡んでくるのだと、前にユウが言っていた。
そう考えると、まるでおかしいのだ。次々襲い来る属性や形の異なる魔術を、ただの一振りの剣で対処する。その異常さが際立つ。
一体どんな魔術を用いれば、そんなことが出来るのか…………。
が、考えてもそこまで理解の無いその分野で解はでてこない。ならばやはり、できるのは俺がこの世界を歩み出したその時から一緒に戦ってきた、感情の刃だけだろう。理論に裏づけされた魔術が駄目なら、条理を覆す真っ向勝負だ…………!
『チカっ、シビュラっ。援護しろ!』
息を詰めて、加速する。信頼する二人の力に甘えて、防御を捨ててカレンを振るう。
交わされる剣戟が、辺りに耳障りな金属音を響き重ねる。神経を尖らせ、イメージを手繰り寄せんと更に想像の刃を彩る。
その悉くを、少しだけ楽しそうな表情を浮かべたメローラが往なす。
足りない…………! もっとっ……!!
反撃の防御はチカとシビュラに任せて。形振り構わず剣閃を描く。それはまるで刃で絵画でも描くように。
段々と平坦に色を失っていく世界で、彼女の呼吸と次に振るわれる未来だけが鮮明に知覚を彩る。途中から忘れた体の疲労は、シビュラの身体強化の魔術か。それさえも分からなくなるほどに、目の前に没入して溺れていく。
やがて剣戟の音さえも遠く伸びていく錯覚の世界の中で、不意に刃を交わすメローラと視線が交わった。途端、肌を痛いほどに刺した魔力の感覚。次いで曖昧だった周囲への知覚が一気に引き戻されて現実感を味わう中で、咄嗟に強化された脚力に任せて横に飛んだ。
と、次の瞬間、俺が先ほどまでいたところに振り下ろされた一撃。それが大地を抉る衝撃を走らせ、そして異様な光景で認識を書き換える。
それは、人ならざる姿で。まるで魔物が現れたような……異質さ。遅れてそれが、メローラだと気付く。
「……なんだ、あれは…………」
「魔力の鎧」
端的な答えは胸元のシビュラの声。次いでチカが補足するように言葉を重ねる。
「一瞬だったから勘違いかと思ったけど……あれ────魔障……?」
「おい、ふざけんなよ……?」
「間違い無いよ、ミノ」
正直ドラゴンの一件以降聞きたくなかった単語に、カレンを握る力が強くなる。
魔障。魔物に付けられた傷が原因で発症する、魔力由来の病気。治療の甲斐がないその顛末は、漏れなく人としての全てを終わらせる。
そんな、罹って対処が遅れれば、どうしようもない不治の病。目の前のメローラは、それを体に纏っているという。
どこからか溢れ出した多量の魔力が甲冑のように彼女の右腕を覆い、これまで幾度か戦った巨大な魔物のように人ならざる腕を作り出す。右腕だけ極端に肥大化して、けれどもどこか騎士然とした光景に記憶が重なる。
角を斬り落としたドラゴンも、その斬られたような断面から魔力を溢れさせ、失った片角を修復するように魔力で模っていた。メローラのそれは、あれに似た光景で。けれども人の身を超越するような異様だ。
「へぇ、これが魔障だって分かるんだ。いい相棒に恵まれたね。……けどそれだけじゃあ半分。あたしのこれは、ただの魔障じゃないよ?」
魔障に通常も異常もあるか。そんな言葉が口を突きそうになるが、ふと冷静な思考が思い出す。
……そう言えば、どうやってあいつは魔障をコントロールしてるんだ? 普通意思とは関係なく体を蝕むんじゃないのか? それを巨人の腕のように形まで留めて保つなんて…………旅の中で聞いた魔障の話とは随分と異なる。
『……カレン、斬れるか?』
『境界線が分からないよ。中途半端に切り離そうとすると、メローラさんの体が危ない……』
『チカやシビュラはどうだ。あれの対抗策は?』
『……ごめん。直ぐには思いつかない』
『見分けられるのはユウだけ』
二人からも色よい返事はない。流石にこれは……攻略の糸口が咄嗟には見つからない。
「さぁ、本物なら……その証を見せて!」
「っ……!」
考えている間に時が待ってくれる事も無く。右腕を怪物のように肥大化させたメローラが一足飛びに距離を詰め、今や握る魔剣にまで魔力の加護を施した一撃を無造作に振り下ろす。
いつも通りならば、そんな大振りの一撃なぞ反撃のカモなのだが。カレンの意思が揺らぎ、チカもシビュラも手立ては見つからず、俺自身も惑っている。こんな状況でまともな戦闘が行えるわけも無く……何よりまさに魔物の如き威圧感で迫る剣閃と、シビュラとの契約で得た感覚を刺激する魔力の威圧感に呑み込まれて思わず防御をする。
突き抜けた衝撃が足元を崩し、膝を突かせる。そこに容赦なく想定外が襲い掛かる。
見れば、頭上で受け止めた魔力の塊。その表面から、人と同じほどの大きさの腕が幾本も出現してこちらに殺到してきていた。まるでホラー映画のような光景に嫌悪感が背筋を這い上がる。
直ぐに逃げるように受け止めた一撃を横へ落とし、こちらに向かってくる掌の軍勢を作り出した剣の壁で防ぐ。
余り時間は無い。何か次の一手を…………。
そう考えた直後、背後から殺気に睨まれた気がして身が震えた。
何かが来る。過ぎった警鐘に最大限の心構えをして────勘で左側面を防御。瞬間、剣の壁で視界を塞がれている事を逆手に取った横薙ぎの急襲が直ぐ傍に迫っていた。
防御でどうにかなる次元じゃない。これはまるで、あのドラゴンのタックルを不意打ちで食らっているのと同じだ。
それでも、諦めるわけにはいかないと。カレンとほぼ同時に折れない心を滾らせた、刹那────展開されたシビュラの多層防御も。チカの大規模対抗術式も言葉通りに有象無象と切り捨てる一撃が体を襲った。
まるで砲弾にでも撃ち貫かれたように衝撃が突き抜ける。せめてもの抵抗にと構えるカレンの刃が、こんな時でさえ欠ける事無く妖しく輝く視界の中で。
次いで感覚全てを消し去るような魔力の奔流が目の前で弾けたかと思うと、一瞬の内に俺の意識が紫色の奔流に呑まれて乖離した。




