第一章
「これを以って契約者、《不名》のミノ・リレッドノーと契約魔剣、《珂恋》、《絶佳》、《宣草》の身に神の名の下の守護を授ける」
肩を杖で軽く叩かれる。すると小さく息を吐いた教皇が、それまで纏っていた堅苦しさを脱ぎ捨て人当たりのいい声で告げた。
「どうぞ、顔を上げてください」
声に従って顔を上げる。目の前には、こちらを見下ろす白く豪奢な服に身を包んだ男性が一人立っていた。
「これであなた方は、コーズミマで二人目の《渡聖者》です」
その声に、言葉にならない空虚な実感が胸の奥に落ち着いた。
異世界、コーズミマ。魔の存在が直ぐ隣に蔓延る、地球とは異なる土地で。何の因果か結ばれた縁が、ようやくの自由を手にした。
始まりは────終わりは、自殺だった。居場所を見失い、味方が消えて、価値が無くなった。その気になれば誰もが出来る最低の選択肢を、それ以外の道を潰されて選んだ。
そうして捨てた命が、改めて拾われた。
神様に助けられた訳でも。何かの使命を負った訳でもない。本当に、ただ偶然に導かれて、異世界に転生した。
過去の柵など一切ないこの世界で、俺はやり直しを決意した。己に別れを告げ、一から自分で決めて歩むと、顔を上げた。けれどもその矢先に、悪意のない切っ先を突きつけられた。
名前。それは俺が捨てたかった過去であり、焦がれるほどに憧れた未来。それに振り回され、絶望して、逃げ出した。
名前さえあれば、何の苦もなく満ち足りた生活が出来たはずなのに。たったそれだけの事で、俺は世界に爪弾きにされた。
俯いて、逃げて、背けて。己を二年間見つめ、ようやく飛び出した世界で、またもや様々な物に振り回された。
追っ手が一つ。そしてまた一つ。殆ど無かったはずの関係の糸が、まるで神様に勝手に織り成されたように絡まって、俺を攻め立てた。
そんな中で、今や唯一となった繋がりを順に手に入れた。
感情を刃に化し、願いを手繰り寄せる刀、カレン。契約相手を見つけられず、彷徨った彼女と同情した、最初の契約。
魔を宿し、惑い迷う瞳を持った少女、ユウ。置かれた境遇を振り払い自由に手を伸ばした、理解者との邂逅。
相反し、反りに違えて交わらない価値観の、チカ。カレンの旧知として時を共にした彼女は、末に記憶を失った、二つ目の契約。
慙愧に駆られ、己さえ賭して再会を果たした、ショウ。俺の過去そのものであり、前に進む為に向き合った、悪友。
叡智を宿し、心無き心で祈るほどに願った書、シビュラ。長く閉じ込められ、されてきた秘宝扱いに別離を告げた、三つ目の契約。
全て俺が進む毎に手に入れた証。今ここにある、俺の決断。それらに新たなる一歩が刻まれた。
ここ、コーズミマの世界でも類稀なる立場。魔剣と契約しながら国に属さない、特別な存在────《渡聖者》。
《渡聖者》はその字の通り、世を渡る聖なる者。どこにも属さず、世界を渡り歩いて行く先々でその面倒事を斬り払う、世界の救世主。……と言う事らしい。
別に自分の事を救世主だなんて思わないが、その肩書きは神に認められた聖なるもの。他の誰もが侵す事の出来ない神聖なる立場だ。だから神の守護を受けし刃……世界の秩序を守る尖兵として、救世主の役割を担うとの事だ。
救世主と言っても国家間のバランスの維持に介入する事はない。ただ、便利な傭兵として魔に纏わる問題……特に《魔堕》が現れた際にそれを討滅する事が目的となるようだ。やる事はこれまでと変わらない。そうと分かった為に、改めてその自由の立場を受け入れたのだ。
世界の尖兵、《渡聖者》。前任者はこれまでの旅路で幾度か耳にした名前────《裂必》のメローラただ一人。
そもそも《渡聖者》と言う能書きは俺がこの世界にやってくる数年前に出来た物で歴史が浅い。それに加え、ただ一人で中位や高位の《魔堕》を相手に出来る実力が無くてはならないという基準があるらしい。
一応俺には中位を倒すだけの実力や、魔障に侵されたドラゴンと対峙して生き残るくらいの力……主にカレン頼りな実力がある……と言うことで、二人目の《渡聖者》として認められたのだ。
普通、ドラゴン相手に単身で戦って生き残れる者はいない。ましてや魔障に侵された個体など国が相手取る代物なのだそうだ。
カレンの力が破格とは言え、それの角を切り落とし退けたのだから十分……との判断が最終的な根拠。俺自身は魔術一つ碌に使えないただの魔力タンクなんだがな。
何にせよ、その《渡聖者》の立場を得て自由を手に出来たと言うのが、ようやく手にした今。これで少なくとも俺が転生した後飛び出した国……セレスタイン帝国に追われる理由はなくなったのだ。悩みの種が一つ消えて万々歳。
それからついでに、ユウが正式に聖人として認められた。
魔瞳と言うほかに類を見ない存在。セレスタインにいた頃は奇跡の象徴として崇められていた彼女が、教皇の名の下に庇護を受けたのだ。
この話をされた当初はユウも乗り気ではなかったのだが、教皇であるファルシアの強い説得により最終的に頷く結果となった。
とは言ってもただ単に根負けしただけでもなく。聖人として庇護を受ければ様々な特権が扱えることや、肩書きの影響で周囲は簡単に手出しできなくなるというメリットがあってのものだ。
彼女も俺同様セレスタインに追われる身。自己防衛の手段として改めてユヴェーレン教の要人としての地位を得たという事だ。
聖人とは言ってもこれまでと殆ど変わりない。厳しい戒律に縛られたりと言うことは無いらしく、単純に有益な立場と少しの融通が利かせられるようになったと言うだけのようだ。
その為これまで通り自由に旅は続けてもいいと言われた。
因みにショウには特別な肩書きや爵位の授与こそ無かったが、魔篇に纏わる騒動の解決に助力したという事で報奨金が出された。……思い返してみると別にあいつはこれといった事はしてないんだが、ファルシアは感謝の印だと言っていた。ま、貰える者は素直に貰っておけばいい。金にも困ってないんだがな。
……金で思い出したが、俺もとうとう自分の口座を手に入れることができた。コーズミマではパロップと言う名の金融機関。成り行き上個人のそれを持っていなかった俺だったが、今回の事でファルシアが気を利かせて手続きをしてくれたのだ。
お陰でショウに預けていた金の半分ほどを俺の方に移して分散管理が出来るようになった。これでいざという時に根こそぎなくなるという事態は避けられるはずだ。折角得たものを見す見す手放すつもりは無いからな。
そんなこんなで語るも波乱だろう旅の果てに、俺達はようやく自由を手に入れられたのだった。
…………はぁ。ここまで、長かった……。
「どうでしょうか。念願の《渡聖者》の肩書きは」
「実感は無いな」
向けられたファルシアの声に素直に吐露する。
今俺達が居るのは、先ほど《渡聖者》の……体裁的には叙勲と言う形になるらしい遣り取りを行った教会────ユヴェーレン教の聖地、ユスティリア大聖堂。その奥にある迎賓室だ。
堅苦しい式典を、高位らしい聖職者達に囲まれ、見つめられながら終えてようやく一息と言う、ファルシアの好意だ。
「しかし叙勲はあんなに簡素でよかったのか? コーズミマにとっても重要な存在なんだろ?」
「そちらの方がよろしかったですか? でしたら、そうですね……今からでもユークレースの町中を馬車で巡ってみましょうか?」
「やめてくれ。そう言うのは性に合わないんだ」
「個人的には新たなる英雄の誕生をお祝いしたい気持ちはございますがね」
歳若い教皇が子供のように笑みを浮かべる。聞いた所によると彼はまだ36歳なのだそうだ。歴代教皇の最年少記録保持者らしい。
そうなった背景を思えば、素直に若き象徴に同情さえする。
単純に他に候補が居なかった。否、候補は居たが、信任の意を集められなかった。その為に彼が担ぎ上げられたのだ。
結果、彼の周りには自分より年上で位階が下に当たる人物が眩暈をするほどいるらしい。彼らに助けられて今日のユヴェーレン教があるらしいが、肩身が狭くて辟易していると魔篇……シビュラの騒動が片付いた時の食事の席で零していた。
年上の部下と言う、随分と気を遣う職場環境だ。管理職も大変のようだ。
「それで。今回は何の話だ? まだ何か褒章でも出そうってのか?」
「いえ、流石にこれ以上はございませんよ。ご安心ください」
この部屋にやってきたのは式典の後話がしたいと彼に言われたからだ。少し身構えていたのだが、どうやらここ数日あった堅苦しい遣り取りのような事はしなくていいらしい。
どうでもいいが、やっぱり文字を勉強しておいてよかった。お陰で書類のサイン等で要らぬ恥を掻かなくて済んだのだ。その点はこれまでの旅の道中教鞭を執ってくれた我等が聖人、モグラス・リル・パニーヤ様に感謝だ。彼女を旗印に宗教を立ち上げるならお布施と祈りを捧げてもいいとさえ思える。
「お話は……いえ、その前に彼女の事ですかね」
ファルシアが視線を向ける。その先に居るのは、白い長い髪を無造作に伸ばし、黄色い硝子玉のような感情の宿らない瞳を嵌めた少女。
「魔篇……いえ、もうシビュラ殿でしたね」
シビュラ。それは俺が契約に際し彼女に与えた名前だ。
切迫した状況下で咄嗟に思いついた本に纏わる名前。一体あれは何で目にした知識だったのか……今になっても曖昧で断片的にしか覚えてはいないのだが。
それよりも俺が重きを置いているのは、俺が名付け親だという事だ。
俺は、名前と言う過去と一度決別した。けれどもこちらの世界に来て、ともすれば元いた世界よりも更に名前と言う物に執着した。
ふざけた偽名を作り出したのを皮切りに、勝手な第一印象からカレンと言う名を与えた。ユウやチカ、そしてショウと出会い様々な事を経験して、今また名前を付けた。
酷い話だろう。己の名前さえ捨てた愚か者が、誰かの名付け親になる。それはまるで他を慰み物にするように、その刹那で必死になって考えて……結局思い付きの名前ばかりを押し付けてきた。
そもそも俺に誰かの名前を────価値を測る様な行為をする権利は無い。言い訳をしてもいいのならば、必要に駆られたからこれまでそうしてきただけだ。
俺の事は俺が一番分かっている。だからこそ、きっとするべきではない後悔をしているのだ。
名前には様々な物が伴う。責任、レッテル、願い……。それらが集まって個を作り出す。その判断を委ねられて、けれども俺は己の決断に自信を持つ事が出来ないでいるのだ。
言ってしまえば、怖いのだ。彼女達に付けた名前。今まで聞いてこなかった彼女達の思い。……もし、俺の勝手な押し付けに苦しんでいるのだとしたら────俺は俺が許せなくなるから。
だから今もまだ、そこに関しては訊けないでいる。……訊かない方が幸せかもしれないな。
「まずは改めてになりますが、彼女の事をよろしくお願いします」
「契約した以上はな。……けどいいのか? こいつはそもそも表に出てくるような存在じゃないんだろ?」
「確かに、危険かもしれませんね」
ファルシアは、けれどもどこか安心したように微笑んで続ける。
「しかしこれは彼女が望んだ事ですから。ミノ殿もあの時お聞きになったとは思いますが、全ては彼女が自らが考えて決断した事。これまで望みなど一切口にしてこなかった彼女が、自由を求める意思を見せたのです。その決意を、どうして周りが害する事が出来ましょう。ですから、きっとこれは良い事なのです」
シビュラは望んだ。外の世界を知りたいと。俺の些細な言葉からその結論に至った事を考えれば、名前と同様に責任を感じてはしまうけれども。
しかしならば、その責任を背負う義務が俺にはある。だから彼女が望む限り、俺はその願いを叶える責任がある。
「それに、わたくし達が管理していた所で、持て余してしまうだけですから」
「こんな強力な力をどこかに渡せば、今ある世界のバランスも崩れるかもだしな」
「それも、ですが。それ以外でもあるのです」
「それ以外?」
訊き返せば、彼は一つ頷く。
「本来彼女はユウ殿と同じなのです」
「わたし、ですか……?」
「確かに人ではありません。ですが、きっとミノ殿ならば分かっていただける事ともいます。彼女は、彼女なのです」
その言葉に、少し間を空けて気付く。
「……物じゃない、ってことか」
「はい。分類上は魔具ということにはなりますが」
「どゆこと?」
カレンの問いに、思わず口を噤む。それを俺に口にしろって言うのか? 随分と悪魔的な相談だな。
と、逃げるように逸らした視線でショウと視線が交わる。彼は、言葉の意味が分かっているらしく、にやにやと面白そうに笑みを浮かべて無言で催促する。……クソが。後で覚えてろよ?
溜め息一つ。それから……出来る限り言葉を選んで答える。
「…………付喪神の話、覚えてるか?」
「えっと、物に神様が宿るって言うミノの世界の考え方だっけ?」
「あれな……言い換えると意思が宿るって言う事なんだよ。……似てるだろ」
「え…………?」
「魔剣」
言いたい事に気付いたチカが端的に告げる。
彼女の言う通りだ。剣に魔が宿る魔剣。物に魂が宿る付喪神。もちろん経緯は違うが、形としては随分と類似している。
「魔剣だって全部が全部そうじゃないけどな。考えて喋る意思……人格を持ってる」
「アニミズムって言ってな。簡単に言うと魂……生命が宿るって事だ」
「随分前に言いましたね。人は魔物を生命だと認めていないと」
ショウの補足に続いてユウが過去に言葉にしたそれを付け加える。
「けど魔剣みたいに意識があると、それは立派な個だ。時には人に劣らない、な……」
「あ……」
そこでようやく、カレンが何かに気付いたように声を上げた。
「人は生きる命。だからこそ価値がある。だったら人と同じように会話して……例えばお前みたいに人型を取ったりするなら、一体そこにどれほどの違いがある?」
そう言う意味では、一度諦めた俺には価値は無いのだろうけれども。……まぁ今はいいとしよう。
「確かに魔剣は魔剣だ。けど────」
「ミノは、私を私として、見てくれてる……ってこと…………?」
「お前だけじゃねぇよ。勘違いすんな」
柄にもない事を言ったと。視線を逸らす。
カレンの物言わぬ……何かを期待するようなそれを肌に感じながら、無視をして続ける。
「だったら、例えそれが魔瞳だろうと、魔具だろうと。自分で考えて結論できる人格を有するそれを…………物扱いするのは非道だ」
名前は、物かもしれない。武器は、物かもしれない。けれども────
「人とは違う。だが、別に人と同じように扱っちゃいけない道理は、どこにもない」
「…………そう、だねっ」
納得し、噛み締めるように。微かに声を弾ませてカレンが頷く気配。
……あぁ、認めてしまった。ずっとそれを避け続けてきたのに。肯定してしまった。
そもそも、俺がそう感じた最初は────カレンなのだ。彼女に名前を付けた際に、思わず感じたそれ。カレンと言う名の由来。
魔剣らしくない可憐な少女。その、意味。
それはどう誤魔化しようもなく…………カレンを一人の少女として認めているからこそなのだ。
けれどもどうにも俺と言う性格は、捩れ曲がっているらしく。特に調子に乗りやすいカレンにそれを面と向かって告げる事を、ずっと避けてきた。
棒切れだ、鈍らだと、嘯いて。魔剣だ、相棒だと、振りかざして。
それでも心のどこかでずっと、カレンを一人の女の子として、見ていた。
もちろん人ではない。それは分かっている。だから……そう言う欲求とは別に考えてきた。……否、考えようとしてきた。
初めて裸を見たときも。契約の為の口付けも。そうでは無いと、自分に言い聞かせ続けてきた。今だってそれが消えたわけではない。意識しているわけではない。
わけではない、が…………少女であると、認めてはいるのだ。だから必死に言い訳を探して────そうしていないと彼女を本当に人として扱ってしまいそうで、怖かったから。
しかしそんな建前も……もう殆ど意味を無くしてしまった。
「ミノ」
カレンが、名前を呼ぶ。ふざけた音を、それでも唯一大切な物だと、信じるように。
「ありがとうっ!」
「っ……!!」
…………あぁ、くそっ! だから、やめろよ、そういうの…………。
「うん。嬉しい……」
「うるせぇっ、黙れっ、それ以上言うな!」
「うん」
だから────……あぁっ、もういい。
「そんな風に、魔剣である彼女達を一人として扱ってくれるミノ殿だからこそ、シビュラを安心して預けられるのです。あなたなら、彼女を悪用などしたりしないと」
「……しないんじゃない、出来ないだけだ」
俺は、叶う事なら誰であろうと、物扱いは、嫌だから────
俺がされて嫌な事を、俺は出来ない。そんな心を持ちたくない。ただ、それだけの事だ。
「改めて、シビュラをよろしくお願いいたします」
「……ま、今更一人増えたところでどうってことねぇよ。それに見合う肩書きも貰ったしな」
これではまるでシビュラを養子に貰ったようだと。冷静に客観視した自分が考えた直後、静かな足取りでやってきたシビュラが俺を見つめて呟く。
「よろしく」
「……あぁ」
「ん」
「っ、おぃっ!」
「……?」
と、次の瞬間。くるりとその場で反転したシビュラが、全く以って当然といった様子で俺の膝の上に座り、その小さい体を預けてきた。
真下からシビュラが不思議そうに見上げてくる。その際に、ふわりと鼻先を擽った場違いな女の子の匂いに喉の奥が詰まった。
彼女は、魔篇。その体は、人格は、人を模しているだけ。そう分かっているのに、まるでただの少女にしか見えない彼女には、確かにそこに息づいている証だと言うように、暖かさがある。それが吐息さえ掛かる距離で……簡単に抱きしめられる重さでいる事に、むず痒い感情が湧きあがる。
「お、前……」
「…………駄目?」
こてりと首を傾げたシビュラ。仕草に長い白髪が微かにゆれ、陶器のように白い首筋がちらりと覗く。間違いなど一つもない。そう告げるように純粋な黄色い瞳がじっとこちらを見つめ。僅かの間見詰め合って……それから逃げるように視線を逸らした。
「……好きにしろ」
「うん」
「ふふっ、随分と慕われておりますね」
からかうようなファルシアの言葉に苛立ちさえ含ませた視線を向ければ、彼はそれでも楽しそうに笑う。……そもそもこいつがこんななのはユークレースの所為じゃないのか?
「うぅぅぅ……!」
「……ミノのばか」
「な、なんだよ……」
「うるさいっ。ミノなんか磔になっちゃえ!」
「……ばか」
ついにはカレンとチカまでもが訳の分からない事を言い始める。俺が一体何をしたよ。
「混ざらなくていいのか?」
「やめてください」
後ろでショウとユウが言葉を交わす。だから、何か言いたいことがあるならはっきり言えよ。
「賑やかで何よりですね」
「宗教ってのは盲目になるが故にその目まで曇るんだな」
「……そう、なのかもしれませんね」
皮肉に、けれども返ったのは自戒するような響き。真剣味を帯びた悲しげな声に、ようやくその話題かと気持ちを入れ替える。
俺達が居住まいを正すのを待つように沈黙を挟んで、ファルシアが重い口を開く。
「……わたくしは、彼を信じておりました。彼は、神に誓いを立てた聖職者ですから」
「だがあいつは……」
「いえ。聖職者、なのです。それは、わたくしにしか分からないのかもしれません。けれども彼は……メドラウドは確かに、心の底から我等が神に祈りを捧げておりました。その心までが嘘だったとは思いません。これでも教皇ですので、信仰心に嘘や偽りがあるかどうかは分かるつもりなのです」
メドラウド。ファルシアの側近として彼を支えてきた、聖職者。今膝の上に座るシビュラを中心に起こった騒動で、彼は《甦君門》に属する存在だと発覚した。
俺を……カレンたちを狙うイヴァンと同じ組織に身を置く彼は、シビュラも含めてその存在を手に入れようと、敵対して。戦いの末に彼をどうにか退けた。
「とは言えあいつがしでかしたことが消えるわけじゃない」
「……そうですね。彼の事は買っていましたから。居なくなって残念です」
「結局捕まえられなかったのか?」
「はい。今現在も捜索隊は出しておりますが、色よい報告は聞いておりませんので、恐らくは…………」
ショウの声にファルシアが頷く。
俺達がシビュラを連れて無窮書架を出た直後、同じく《甦君門》であるイヴァンに出遭った。望んでいない再会に、彼はいつもの調子で飄々と受け流し、そのままメドラウドを探して無窮書架に入っていったのを見ている。
あれから入り口で教会の兵……この世界では特別、神に剣を捧げた彼らを称して正しく聖騎士と呼ばれる者達を配備して出てくるのを待っていたが、やってきたイヴァンに返り討ちにされたらしい。
魔具や、ともすれば魔剣で武装した集団を、一人で打倒したと言うイヴァン。彼は今、回収したらしいメドラウドを連れて逃走中との事だ。聖騎士や、各国とも連携をとって捜索をしているらしいが、今現在報告が挙がっていない事を考えるに既に行方を眩ましているだろう。
「あいつには色々問い詰めたいことがあったんだがな。やっぱりあの時どうにかして身柄を取り押さえておくべきだったか」
魔術で自分の体を操り、もう動けないだろう体に無理を強いて戦いを続行しようとしていたメドラウド。そこまでしてカレンたちを手に入れたいのだと言う妄執の如き行動力に、俺はそれ以上の戦闘継続をしたくなくて崩落と共に階下に叩き落した。
あのまま戦っていれば、メドラウドは命を賭していた。それが何となく分かったから、カレンとの約束を守る為に仕方なく捕縛を諦めたのだ。死を見たくなかったのは恐らく俺も一緒だろう。手も汚したくなかったしな。
「わたくしはミノ殿の決断に感謝をしておりますよ。こんな結果になったとは言え、神の僕が無為に命を全うしなくて良かったのですから」
「なんとも慈悲深いことだな」
皮肉に告げれば、ファルシアは自分でも困ったように笑った。こんなに情に溢れて一国の主が務まるのだから、少なくともユークレースは平穏なのだろう。
「ですので、せめてもの御礼が出来ればと思い、こうしてお呼び立てしたのです」
メドラウドの話を挟んでようやくの本題。微かに変わった空気に、カレンが息を呑む。相変わらず膝の上のシビュラは、目の前に出された菓子をじっと見つめ、手を伸ばしていた。……何となくこいつのことが分かってきた。が、今は話に集中だ。
「代わり、になるかどうかは分かりかねますが、ミノ殿は《渡聖者》として世界の均衡を守られる立場ですので。我々が掴んでいる情報をお話します」
「……《甦君門》か?」
「はい。彼らは《波旬皇》の……失礼ですが、《波旬皇》についてはご存知で?」
「ユウから聞いてる。ユークレースの成り立ちに関わる部分も合わせて、過去の事は一通りな」
「そうでしたか。では改めて…………《甦君門》は《波旬皇》の復活、封印の破壊を目論んでいます」
「それは確かな情報か?」
「はい。間違いなく」
これまでの話で幾度か出てきた《甦君門》の目的。だが心のどこかで信じてはいなかった。それは身に迫る脅威としての実感が薄かった所為もあるだろう。俺にとってはコーズミマの平穏など別にどうでもいい。俺が求めていたのは、今回《渡聖者》として手に入れた自由の居場所だけだったのだ。
けれども、イヴァンにメドラウド。そして人工魔剣と、《甦君門》に関わる事にこれまで関わってきて。何よりの決め手として彼らが欲しがるカレンたちの存在が、俺との間に奇妙な縁を紡いでしまっている。それを今更、見て見ぬ振りは出来ない。
何より自由のためとは言え、世界の救世主として《渡聖者》の立場を得たのだ。何者にも縛られない居場所を守るため、役割をこなし必要最低限のバランスを取って行く必要はあるだろう。そこに関して、世界を揺るがそうとする《甦君門》の存在は最早無視出来ないのだ。
「彼らはこれまで表立って行動を起こす事はございませんでした。ですがそれ以外……《魔堕》を操って騒動を起こしたりなどの問題は彼らの仕業でしょうし、何より容認しきれない実験の数々を行ってきました」
悔やむようにユウに視線を向ける教皇。ユウは、その魔瞳の力は《甦君門》によって齎されたものだ。幼い頃に住む場所を失い、連れ去られ。その目にサリエルを宿す事になった。
俺がこの世界に来る随分前の出来事だが、少なくともその頃から少しずつではあっても《波旬皇》復活を掲げて準備を重ねていたはずだ。
「そんな《甦君門》が、ここ最近わたくしたちの目に留まる形で姿を現すようになりました。そして……気付けなかったわたくしにも当然責のある事ですが、メドラウドのような存在が直ぐ傍で潜んでいました」
メドラウドはファルシアが教皇になる前からの付き合いだと聞いた。つまりそんなに前から国の中枢に息の掛かった者を潜り込ませていたと言う事。そして、それほどまでに周到に用意を重ねていたということだ。
「彼らの目的は確かな歩みを持って進んでいる。これは最早語るべくも無いことでしょう」
「その事についてだが、あいつらはまだその方法が確立してないんじゃないか?」
「そう仰いますと……?」
これまでずっと考えてきた。だからこそ腑に落ちない……矛盾点を音にする。
「もし仮に、《甦君門》の連中が《波旬皇》復活の方法を持ってるのだとしたら、シビュラやカレンを狙う必要がない」
「シビュラ殿の事は分かりますが……カレン殿もですか?」
「こいつは元々《甦君門》に居たんだ。契約相手が見つからずにな。記憶を失ってるがチカもカレンと一緒にいた。その二人が今俺の傍に居て、ようやく自由を得られた」
《渡聖者》の肩書きが欲しかったのは、当然俺の我が儘だ。けれどもそれと同じくらいに……もうそれなりに認めてしまったから言うが、カレンたちのことも気にかけていたのだ。
彼女達は《甦君門》にいた。つまり国に属さない魔剣だったのだ。
想いを刃にし、結果を手繰り寄せる《珂恋》。複雑で大規模な魔術の行使を得意とし、戦局を大きく変えることもできるだろう《絶佳》。この二振りの存在は、どこの国だって戦力として抱えたい代物な筈だ。だからセレスタインは俺も含め、契約したカレンも追っていたのだろうし、今行動を共にするショウもベリルとの連絡、お目付け役だ。少なくともこの二国は様々な思惑の中にカレンたちのこともあわよくばとして計算に入れていたに違いない。
もちろん彼女達の力を上手に使えば《甦君門》に致命的な痛手を負わせることも可能だろう。しかし今の二人は人を斬る事に強い嫌悪を示している。例え俺が振るっても彼女達の意志までを曲げることは出来ない。
それに、そんなことでコーズミマの戦力バランスを乱せば、カレン達が望まない混沌が幕を開けてしまう。
……まぁ国に対する俺の感慨は別としても。彼女達の尊厳の為にどこかに使われるような事は、できれば避けたいと考えていたのだ。
だから《渡聖者》の肩書きで自由を保障されれば、彼女達も人の世の面倒事には最低限の干渉で済むと、そう考えた。
口に出して言うなんて恥ずかしいことこの上ない為もちろんしないが、これは俺にこれまでの自由をくれたカレンたちに対する感謝の気持ちだったのだ。
「こいつらの能力は知っての通り強力だ。ともすれば片方だけでも十分に封印に届く。それに加えて、万能の魔術書や神の手記なんて呼ばれるシビュラまで狙って、今回の騒動が起きた。このことから考えるに、あいつらは明確な方法を持っていないからこそ、ここまで俺達を狙って来たと勝手に推測してる」
「……なるほど。考えられますね。と言う事はまだ時間はある、と言う事でしょうか」
「人工魔剣はどうなんだ?」
ショウの言葉に素直なところを零す。
「……正直あれでどうにかなるとは思わないな。それこそユウが言ってた撹乱とか、ただの飛び道具としてくらいの意味しかない気がする。確証はどこにもないけどな」
「カレン達が本来の目的で、今もそれを欲しがってるとすれば、か……」
推論の域は出ない。が、少なくとも奴らの目的が《波旬皇》に関係していると確定しただけでも大きな進展だ。
もし今後もイヴァン辺りが接触してくるようなら、今度はこっちから色々訊き出せそうだしな。
「で、時間ってのはどういうことだ?」
「え……?」
先ほどのファルシアの言葉の中で引っかかっていた部分を尋ねる。惚けた声は隣の鈍らから。けれども目の前の教皇はそれこそが本題とばかりに一層真剣な表情で答える。
「メドラウドのことです」
「《共魔》か?」
「そこにも通じる話ですね。彼らは、国の中枢まで入り込んでいました。それこそ、わたくしが捕まった時に兵を動かせるくらいには」
「内部工作?」
「その通りです」
カレンとは違い、頭の回転の速いチカが呟く。
「数多の魔具や魔剣を管理しているユークレースだから手先を送り込んでいた、と言う事ももちろん考えられます。ですが最悪の状況はもっと大局的な話です」
「それもまだ推論だがな」
「可能性としては、ありえない話では無いかと」
ファルシアの、誤魔化しながら、しかし何か芯を感じさせる声音に考え込む。
若くとも国の主を務める人物だ。特に宗教と言う椅子は、毒でもあり薬。それを扱う者として、呑まれてはいけない強靭な精神が必要になる。だからこそ養われる彼と言う核は、長としての器なのかもしれない。
「内側から……。そうか」
「えっと、ごめん…………。どう言う事?」
一体いつから話についていけていなかったのか定かでは無いカレンの声。仕方なく息を吐いて懇切丁寧に説明する。彼女が理解していないと、いざという時に迷って刃が燻るからな。
「メドラウドは独断で兵が動かせた。ファルシアを幽閉する手筈も整えられた。そしてシビュラを手に入れようと画策してた。これは全部計画的な行動だ。そして、それが出来るだけの力があったって事だ」
「うん」
「加えてあいつは戦えたからな。その気になればファルシアの首だって刎ねられた。自分の息の掛かった奴を次の教皇に据えることだって出来た。そうやって、国を丸ごと掌握しかねなかったって事だ」
「でも手には掛けてないよ?」
「利用するだけしようとしたか、もしくは神の僕として躊躇ったか……。とは言えあいつの動機なんて別にどうでもいい。問題は、この話がセレスタインやベリル、それからアルマンディンにだって影響するかもしれないって事だ」
「あ……」
「例えばもし、そいつらが一斉に蜂起して国を乗っ取ったらどうなる? これまで人が治めてきた秩序が、全部《甦君門》の支配下だ。そして、《甦君門》は《波旬皇》の復活を目論んでる。…………ここまで言えばもう分かるな」
「時間って、そういうことだったんだ……」
だが、そもそもの前提としてそれらの行動を起こすには《波旬皇》を復活させる確かな手立てがなければならない。けれども未だ俺達を狙っていると言う事は、そちらが不確定で。だったらまだそいつらが事を起こすまでは時間がある、と言うのがファルシアの見ている世界だ。
世界が、《甦君門》の先導で《波旬皇》復活に向けて動くかもしれない。……実際にありえるのは、何かしらのプロパガンダで扇動して封印を人の世界から解かせるように仕向ける、といったところだろうが。何にせよ、無視出来ない話なのは違いない。
それだけの事を……恐らく《甦君門》は考えて、メドラウドを送り込んでいた。そう考えれば、彼らの用意周到さに怖気が走る。
国家転覆なんて生温い。これは、世界を破滅へと誘う囁きだ。
もちろんどれも『かもしれない』の話には違いない。しかし、火の無い所に煙は立たない。俺達がここまで考えられるくらいに、状況証拠が揃い始めていると言う事だ。
ならばさて、一体何から手を付けていけばいいのかと言う疑問にぶつかる。それを考えるように、全員して黙り込む。
「そもそも《共魔》ってなんなんだろうな……」
沈黙を嫌うようにショウが新たなる疑問を挙げた。
《共魔》。それはメドラウドが……そしてイヴァンもが口にした名称だ。その事についても、ここ数日色々考えていた。
ショウだって何となく気付いている。その意見のすり合わせを、折角だからここでしてもいいかも知れない。
少なくとも先程の可能性の話は、あくまで推論。まだ少し、断定して対抗策を打つにはピースが足りない
「それに関してなんですが、わたしからいいですか?」
声に答えたのはユウ。彼女は俺達を見回して否定がない事を確認すると口を開く。
「……わたしがこの目で見た限り、にはなりますが。彼は私によく似ている気がしました」
「ユウに?」
「もちろんそのままではないです。んー……なんて言えばいいでしょうか…………。わたしが……魔障に罹った感じ、ですかね?」
「それもまたよく分からん話だな」
魔障は、魔物に負わされた傷から発症する病。俺が戦ったドラゴンのように、死に近づくに連れて魔に侵され、その分魔の扱いに長ける諸刃の剣。人にとっては厄介な病だ。
治すためには原因となる傷を負わせた魔物がこの世から討滅されること。それが出来なければ人ならば約三ヶ月で魔物に変化してしまうという。
しかし魔物は魔障を振りまく側で、罹りはしない。だからあまり想像が出来ないのだが……。
「彼は、魔術を使っていましたよね」
「あぁ。カレンたちを操ってた奴だな」
「普通魔術は、人の身一つでは使えない。これは覆しようのない事実です」
「あの時は使わなかっただけで何か契約してたんじゃないのか?」
「あそこまで追い詰められて、ですか? それは少し考え辛いですね」
「……ユウに似てるってのはそういうことか?」
「それも少し違います」
ユウは魔瞳のお陰で、人の体でありながら魔術を使える。そんな特別かと思ったのだが、どうにも違うらしい。
「あれは……そうですね。言うなれば、魔物が人の形をしている…………いえ、人が魔物を宿している、でしょうか。……そうですね。それが一番近いと思います」
形にならない何かに納得を見つけるように搾り出すユウ。その言葉が、しっくり来る表現を見つけたように熱を持った。
「人が魔物。って言うとユウみたいにか?」
「私のこれは目に宿った魔物を移植したもの。体は人間のものです。それと比較すると、彼のそれは、体を拠り代に憑依させている。もしくは魔物が人型をしている、と言う方が近いかと」
「後者は高位の魔剣と同じだな」
カレンたちを一瞥する。数は少ないが、世界には彼女達のような存在が居るらしい。未だ他のやつらに出遭ったことがない事を考えるに、絶対数は少ないのだろう。
「けど、もしカレンと同じ存在なら、《甦君門》は……少なくともイヴァンとメドラウドで二振りの魔剣を持ってる事になるぞ? 俺が二人と契約してる身で言うのもなんだが、そんなことありえるのか?」
「もしそうであればわたくしたちが認知しているはずです。ですのでお話としては前者……人の体に魔物を憑依させているという方かと」
「体に魔物を宿した存在、か……」
魔剣や魔具の管理をするユークレース。その長である教皇の彼が言うのだ。それに世界にはユークレース以外の国もある。それだけの目があって魔剣の存在を見過ごすはずは無い。
後、否定材料として……。
「……ユウがセレスタインに保護された時は、《甦君門》を一つ潰したんだよな?」
「はい、そうですね」
「その時に押収した物……いや、戦った相手はイヴァンたちだったのか?」
「接触はあったと聞いております。ですが彼らが魔剣であると言う情報は齎されておりません。ですので……」
「あいつらが人型を取れる魔剣って説は、ほぼないか」
可能性を潰し、情報を絞る。それだけこちらには色々と足りていないのだと実感する。
これから相対すべき存在の事を知らないというのは、様々な面で不利だ。
「そもそもあいつらが魔剣だとして、だったら《甦君門》は魔剣が作った組織って事になるからな。魔剣が《波旬皇》復活させて何しようって話だろ?」
ショウの言葉に納得する。確かに理由がないな。
そもそも魔剣は《波旬皇》の思想に反発して離反した果ての存在だ。今のコーズミマでも人とそれなりに良好な関係が築けている以上、再び元の鞘に納まるというのは考え辛い。
「それじゃあ《共魔》って言うのは何?」
長い寄り道を経てようやくその話題に戻る。カレンの問いに、これまでの話を重ねて考える。……まぁ答えは分かりきってはいるか。
「魔剣じゃないとすれば、あいつらは体に魔物を宿した特異な存在だ。それが、あいつらの言う《共魔》なんだろ」
イヴァンが告げた時に、その文字まで合わせて綴った意味。その言葉の並びを改めて解きほぐす。
「《共魔》、字はこうだな。それぞれ共と魔に分けて考えれば、言葉の意味も分かるだろ」
「ミノさんの元いた国では文字毎に意味があるんでしたよね」
「あぁ。んで、共ってのは一緒って意味だな。魔は……そのままだが、なんて説明すればいい?」
「……魔力ってのは魔の力って意味だ。その魔と同じ。つまりカレンやチカの核となる概念……こっちの世界基準なら魔物のことでまず間違い無いだろ」
ショウの言葉を継いで説明する。
「……と言う事は、《共魔》と言うこの文字列は、魔物と一緒、ですか。体に魔物を宿している、と言う説が真実味を帯びますね」
今回は簡単だったお陰か、ユウだけでなくチカも、カレンも納得したように頷く。
「そんな奴らが《波旬皇》復活を目論んで作った組織が《甦君門》。今は人工魔剣を作ったりしながら、世界各国に手先を送り込んで内側から工作を行っている……。分かってるだけでも十分に厄介な組織だな」
「で、オレたちは今後そいつらと否応無く関わる破目になるって事だよな」
逃げられない事実が音になる。
カレン。チカ。ユウ。シビュラ。誰で考えても、《甦君門》にとっては欲しい存在だ。それが一箇所に固まって、それぞれに契約している。だから奴らは俺達を狙っている。
加えて想像通りなら今もまだ《波旬皇》復活の為の方法は確定していなくて、それを手に入れるために今後も接触があるということだ。
「ま、こっちにはバックアップが受けられる肩書きもあるんだ。今までみたいに孤立無援の四面楚歌で戦う、なんて事は減るはずだ。そうだろ?」
「はい。……ですがそれは、協力が得られればの話ですよ。その辺りは大丈夫ですか?」
「分かってる」
「……?」
またカレンが疑問符を灯した視線をこちらに向ける。お前は鳥か。……いや、歩いてすらいないのだから心太かよ。
呆れて溜め息一つ。それから仕方なく説明する。
「……《共魔》は今どこにいる?」
「どこって……《甦君門》?」
「イヴァンとメドラウドはな。それ以外は?」
「他の国……あっ」
「幾ら《渡聖者》と言えど個人だ。もし内側から手を回されれば国の協力が得られないだろ。ま、逆に言えばそうなった時点で《共魔》の手が及んでるって証拠だがな」
他に疑問は無いかと視線で尋ねれば、彼女は大丈夫と頷いて見せた。流石にこれだけ同じ話を繰り返せばややこしくとも覚えるか。……明日になって一体どれだけの記憶が定着しているか見物だな。
「……で、問題はどうするか、だ…………」
ファルシアの話もこれで一段落だろう。ならばここからは俺達の話だ。
「どうするの?」
「……言っとくが俺はあんまり乗り気じゃないからな。けどお前らの意見も尊重もするべきだろ。だからここからの決断は運命共同体だ」
半分ほど覚悟を決めて、チカの問いに未来を見据える。
「このまま見逃せば、その内《甦君門》は国を掌握して《波旬皇》の復活に手を掛ける。そこで、俺達の選択肢は二つだ。一つは、今までと同じように受身で邀撃する。この場合、俺達はある程度の自由と共に世界を巡れる。但し世界自体が犠牲になる可能性がある」
《渡聖者》としては随分と消極的な話だ。俺の持つその肩書きは、ファルシアを助けた見返りの温情で貰った自由の象徴。恐らく彼は、俺に《渡聖者》本来の役割を押し付けたりはしない。しない、が……立場上期待はしているはずだ。
《共魔》を退ける力を持った一団。世界に大きな影響力を齎し得る力を、できることなら世界平和に貸して欲しい、と。
恐らく応えればそれ相応の報酬なりが後々転がり込んでくる。今以上の待遇なんて想像出来ないが、あって困らない物かもしれない。
「そしてもう一つは、決起してこっちから打って出る。どこかの物語の主人公みたいに正義感振りかざして、《甦君門》の企みを阻止する為に動く。まだ漠然としてるが、もし成し遂げればこれまでの逃げ回る日々から一転、ともすれば英雄として担ぎ上げられるぞ」
英雄扱いなんて瑣事。問題は、見えている悪事を見過ごす事が出来るかと言う事で────
「そんなの決まってるよ! 私は当然止めたい!」
まるで全員の気持ちを代弁するようにその筆頭たる正義感に溢れたカレンが拳を握る。
「私が魔剣で、《天魔》だからって言うのもあるかもしれない。……けど、これまで私達が経験してきた事を考えると、仕返しくらいしてもいいと思う!」
「仕返しってな……。まぁやられっぱなしを飲み込めるかって言ったら確かに癪だが、だったらイヴァン程度でも十分だろ。《甦君門》を相手取る必要は無い」
「それ本気で言ってるの? ミノだって分かってるよねっ。もう私達は無関係じゃないって」
こちらをじっと見つめて果断に言い切るカレン。その赤い瞳には、既に消せない炎が揺れていた。
「ここまで関わっておいて無関係ってのは流石に白状ではあるな」
「どっちの味方のつもりだ?」
「誰のって言われればオレはオレの味方で。ミノの味方だ。その上で、オレはミノの決断を尊重する、とだけ言っておく」
どこか他人然としたショウの言葉。しかし言葉の端にはあまり納得していない色が聞き取れる。こいつも大概感情論で突っ走りやがる。……いや、だからこそ今こうして一緒にいるのだろうけれども。
次いで視線を、ショウと契約するユウへ。
「どう思う?」
「少しだけ、可能性の話をしてもいいですか?」
「あぁ」
「今後彼らはわたし達にどう関わってくると思いますか?」
「どうって…………あぁ、いや。もういい。分かった」
言いたい事を察して遮る。
分かっている。イヴァンではない……《甦君門》が俺達を欲しているのだ。望む望まざるに関わらず、彼らは彼らの都合で干渉してくるだろう。それに対して、カレンの言う通り反抗するならば────それは最早《甦君門》と事を構えているのと同じ事だとユウは言っているのだ。違うのは心持ちだけ。
もちろん想像の話。彼らが別の方法論を見つけて俺達を諦める未来もあるが……現状こちらの手元にある情報ではその期待は薄いと言わざるを得ない。
彼女も彼女で色々因縁がある相手なのは確かだ。報復……とまでは行かないだろうが、己のためにも何かしらの決着が形として欲しいのかも知れない。
「チカは?」
「……よく分からない。でも、あたしはミノの物だから。ミノが決めた事ならそれに協力する。ミノの居場所が、あたしの居場所だから」
ともすれば依存とも言うべきチカの意見。
記憶を失う前の彼女は、カレンの話では随分と深く《甦君門》と繋がっていたらしい。だが、今目の前にいるチカは、その面影のないチカだ。
……もし前の彼女に同じ質問をしたなら、一体何と答えただろうか。それが少しだけ気になる。
とりあえず表向きはショウと同じらしい。俺の決断に更なる責任が伴うのを感じながら、最後に膝の上のもう一人に問う。
「シビュラはどう思う?」
「ミノの自由はどこ?」
すると、少しずれたような。けれども本質を射抜くような問いが返った。
自由。それは、自ら由とする、だ。決断に覚悟と責任を持ち、一本通した筋を貫き通す。俺が考える自由とは、何物にも、何者にも害されない自ら決断する意思だ。
チカやショウと似てはいるが、非なる答え。だからこそ、彼女にそう問われた事実に向き合う。
俺は、どうしたい。俺は…………何を求める?
そう考えた直後、カレンが独り言のように口を開いた。
「ねぇミノ」
「……なんだ?」
「正義の味方って、格好いいよね」
「正義の反対からすればそいつらはただの悪だけどな」
「屁理屈はいいよっ。……そうじゃなくて。ミノって実は誰よりも正義感が強いよねって」
反論を、しようとした。
けれどもそれを飲み込んでしまう笑顔を、カレンが浮かべていた。
「私はミノのそう言うところが好き。素直じゃなくて、言い訳ばっかり探してて。……でも、ちゃんと自分の正しさを持ってる。……だからね、使ってよ」
そうして、カレンが手のひらを差し出した。
「私じゃあミノの理由になれない? ミノの力になれない?」
「……お前、は…………」
「私はミノに、私の好きなミノで居て欲しい。ミノが自信を持っていられる、ミノで居て欲しい。その為なら────私はミノの剣になる。私はあなたの、正義になる」
声に、ショウが、ユウが、チカが立ち上がって。最後にシビュラが、俺の手を取って膝から降りた。
その中心で、カレンが俺を真っ直ぐに見つめて、笑った。
「今度は私達に、ミノを助けさせてよ」
…………あぁ、ったく……。これだから、嫌だったのに。
思い出してしまった朧気で恥ずかしい過去に、知らず笑みが零れた。
「お前に助けられるくらいなら、俺は自殺を選んでやる」
「大丈夫。ミノは私が────守るから」
この異世界、コーズミマに来たときの事を思い出す。
過去を捨て、二度目の……新しい人生に胸を躍らせたあの瞬間。俺はきっと、誰かを虐げるような弱さを斬り払う────正義の味方になりたかったのだ。
「さて、忘れ物は無いな?」
「貰い物は沢山あるけどねっ」
聞いちゃいない答えは無視して目視で最終確認。
荷物、良し。荷馬車、良し。面子、良し。
「実を言うともう少しお話をしていたかったのですが」
「……世話になったからな。また今度、土産話でも持って顔を見に来る。それまでに今度こそ信頼出来る腹心でも捕まえといてくれ。じゃないと俺達が決断した意味がないからな」
「そうですね。期待に沿えるように尽力いたします」
にこりと微笑んだ教皇、ファルシア。気付けば随分な関係を紡いでしまったと、ここに来る前には想像もつかなかった今に辟易さえしながら手綱を手に取る。
それと同時、幌の中から体を突き出したカレンが俺の両肩に手を置いて、頭の上に顎まで乗せて口を開いた。
「またね、ファルシアさんっ!」
「はい。皆さんの行く末に、神のご加護がありますように」
色々な事に巻き込まれたが、どうにも宗教には染まらなかったなと。とは言え色々話を聞けたのは面白かったのは確か。説教臭いのは遠慮したいが、この世界について知れたのは大きいはずだ。
神様なんてそれほど信じていないが貰える加護は貰っておく事にしよう。そんな事を考えながら、手綱を振るう。
二頭の馬が歩調を合わせて歩み始める。好意として二頭立ての上等な幌馬車を仕立ててもらったのだ。そこまでしてもらうつもりはなかったのだが、色々理由を並べて説得されるのが面倒になって仕方なく折れて受け取った。が、流石にこれ以上は動き辛くなると遠慮。ユークレースはそれくらいに感謝をしていると言うことなのだろう。
まぁ結果として乗っ取られそうになった国を救ったのだ。それが世界の均衡を守る事に繋がるというのだから、救世主として祀り上げられるのも分からないではない。しかしそれと納得とは別問題。ここ最近の悩みはそればかりだった。
全く、自由ってのは手にするほどにままならないな……。
そんな楽しくも面倒を抱えたユークレースでの日々に別れを告げ、馬車は一路西へと向かう。
コーズミマの大陸で北に位置するユークレース。南にはベリルがあり、ここからだと左手側に見える世界を分断するルチル山脈。その山に沿って太陽の沈む方角へと向かう先には、次なる目的地。
「凱旋、だね!」
「けじめを付けに行くだけだ」
俺がこの世界に来てしばらくを過ごした最初の場所────セレスタイン帝国に、進路を向けた。




