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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
公国の無窮書架にて
41/84

第五章

「ちぃっ……!」


 背後から襲い来る魔物の軍勢に振り向いて魔術で作り出した剣を振るう。こちらに向けて振り被られていた鋭い爪を睨んで擦れ違えば、一拍遅れてイタチのような形の脅威が魔力に(ほど)けて霧散した。


「はぁああっ!」


 同じように、魔具を抜いたユウが魔物の跳び掛かりを紙一重で避け、カウンターにナックルダスターでの一撃を見舞う。

 魔力の込められた衝撃に魔物が弾けて消えれば、本能的な何かを抱いた大群がこちらを伺うように歩みを止めた。


「こっちはわたし一人で大丈夫です。ミノさんはカレンさんたちをお願いします……!」

「あぁ」


 一対多の戦闘が得意なユウが数ばかりの低位の魔物相手に後れを取る事は無い。そう信じて背中を預け、目下最重要の相手に向き直る。

 視界の先に捕らえるのは……ここユークレースに来てから出会い、幾つかの言葉を交わした男。助祭と言う肩書きで教皇であるファルシアの傍を任されていた、メドラウドと言う人物。

 そんな彼が先ほど口にした言葉を改めて思い出す。


 ────ぼくは《甦君門(グニレース)》のメドラウド──《ラプラス》です


「さて、一応話を聞こうか」

「おや、対話の余地があるとは嬉しいですね」

「《甦君門》。お前はそう言ったな?」

「えぇ。どう足掻いても取り返しの付かない失態を演じてしまいましたので」


 隣のファルシアを一瞥する。彼はじっとメドラウドを見つめていた。腹心の背信に動揺……している様子は見られない。とりあえずは一安心か。


「これまでの事は全部お前の差し金か?」

「全部、と言うのがどこまでを指す言葉なのかは分かりかねますが、(おおむ)ねは」


 嘘を吐いているようには見えない。言葉は本心だ。

 思うに、ファルシアの誘拐。その罪を俺達に着せようとした事。魔篇(まへん)の奪取。これらは全て彼の思惑だろう。

 全ての理由として、彼は《甦君門》だ。その一言で、他に説明など要らない。

 偶然居合わせた俺達を巻き込んで撹乱し、目的を達しようとした。が、予想外の働きでそれを不意にされたから強硬手段に出た。そんなところだろうか。

 しかし《甦君門》相手とは。縁とは中々に面倒なものだと一人ごちる。

 と、次いでの声は隣から上がった。


「……《甦君門》が魔篇を狙っていると言う噂。あれは貴方から聞いたものでしたね」

「えぇ」

「どうしてそのような事を?」

「利用したまでです。魔篇の正確な情報は陛下が一番詳しい。だから御身の危機感に委ねてこうして道案内をしていただいたのです。ご納得いただけましたか?」

「えぇ。……悲しい話ですがね」


 目を伏せるファルシア。その瞳には本物の悲嘆の色が揺れていた。


「つまり貴方は魔篇を奪う為に《甦君門》からやってきた。その為に神の教えの道へ踏み入れたと」

「それだけではございませんでしたがね。そもそも今回の事はぼくの予定には無かったことです。……まったく、イヴァンの無茶にもほとほと付き合いきれませんね」

「イヴァンだと?」

「おや、お知り合いでしたか? 彼も中々隅に置けませんね」


 どこか楽しそうに笑うメドラウド。……いや、《甦君門》と言う単語が出た時点でその繋がりは予測しておくべきだったか。


「しかし彼のお陰でこうして幸運にも恵まれました。これこそ神のご加護、ですね」

「幸運……?」

「えぇ。我らが希望にお姫様。その両方を取り戻し、魔篇も今目の前に。そして何より────貴方とこうしてお話が出来る」

「俺…………?」

「我らが希望とお姫様。その二人を手に入れた貴方は、ぼく達にとって既に無くてはならない存在なのです。ですので改めて、イヴァンに代わり申し上げましょう。────《不名(ナラズ)》のミノ・リレッドノー。僕達と共に《甦君門》へ。そして、世界の平穏をこの手に」


 まるでらしい事を言うメドラウド。まだ少し分からない事はあるが、何となく察する。

 彼らの目的は一つであり、その為の手段を欲している。カレンやチカもその一つで、そこに今魔篇を加えようとしていて。前者に関しては契約を交わす俺の身柄が欲しい、と……。つまりはそういうことだ。


 ────《不名》のミノ・リレッドノー。私と一緒に来い


 前に同じ事をイヴァンにも言われた。つまりあの頃から……いや、より正確にはカレンと契約を交わしたその時から、俺は……俺が《甦君門》に狙われていたと言うわけだ。


「もし頷いてくれるなら、無駄な折衝はしなくて済むのですけど。どうでしょう…………?」

「……話をするって言うならもう少し手の内を明かしてくれてもいいとは思うがな。判断材料が少なすぎる」

「残念ながらそれは出来ませんね。僕達の目的を知られ、その上で誘いを断り邪魔されるのは本意ではありませんから」


 イヴァンとも同じやり取りをした。随分おしゃべりな彼ならばと思ったが、その一線だけは踏み越えてくれそうにない。

 知りたければ共に来い。それは《甦君門》側の絶対条件なのだろう。

 ……ならば最早迷う必要は無い。


「…………最後に質問だ」

「答えられることならば答えましょう」

「《ラプラス》とは何だ?」

「それは────僕達のことですよ」


 また要領の得ない返答を…………。そう考えた直後、メドラウドの内側から魔力が溢れ出して存在感が増す。

 空気を震わせ肌を刺激する威圧感は、恐らく高密度の魔力のもの。その感覚は、しばらく前に経験している。

 魔障に侵されたドラゴン。あれと戦った時と似たような感覚を、目の前のメドラウドから感じるのだ。

 人の身では到底ありえない魔力の発露。一体これまでどこに隠していたのか分からない存在感に、改めて剣を構え直す。


「いいでしょう。交渉で解決できないならば、少し手荒になりますが力付くでご同行願うとしましょうか。悪く思わないでくださいね。これも世界の平穏のため、ですから、ねっ!」


 刹那に、地面を蹴ったメドラウドが目の前に急接近して拳を突き出した。人の脚力ではありえない速度。どうにか反応して持った剣で防御をすれば、次の瞬間急造とは言え金属の剣が中ほどから音を立てて折れたのが見えた。

 ただの拳の癖に……!

 肌を掠めた魔力の残滓に、それから魔力となって霧散する剣を手放し、新たなそれを作り出して振るう。

 目の前の構えは防御。斬撃は……この際仕方ないと思い切り勢いをのせて首筋へ。……が、景色はまたしても視界の中に折れた金属の刃を躍らせた。

 幾らなんでも出鱈目過ぎる。咄嗟にバックステップで距離を取れば、防御を解いたメドラウドが準備運動でもするように腕を振るった。


「……お前、本当に人間か?」

「さぁ、どうでしょうか」


 金属の剣を拳で破壊し、防御で阻む。まず考えて異常だ。単純に魔力で強化しただけならああはならない。つまりそれとは別の何かで金属の接触を諸共しない強靭な力を身につけている。

 魔術……いや、人はその身一つで魔術を使えない。契約をしているならまだしも、生身では…………。


「っ……!」


 一体どんなからくりか。そう思案している間にもメドラウドは待たない。呼吸を整えた彼は再び一足飛びに距離を詰め拳を弾丸のように放つ。先ほどより早い一撃は、同時に振るっていた三本目の剣でどうにか相殺……。いや、またしても壊れた剣を見るに、互角ではない。

 相手の手の内は別として、インファイトの距離はまずいと。その場でくるりと一回転。左を軸に右へ乗せた体重を魔力と共に蹴り出す。

 足の裏からの物理の一撃と、重ねた魔力砲。衝撃にか後ろに吹っ飛んだメドラウドだったが、着地と同時に砲撃を弾いて背後へと飛ばした。魔力でも駄目か。

 が、しかし。幸いと言うべきか彼は未だ無手。何かしらの方法で魔術、物理に耐性を持ってはいるが得物は無い。ならばこちらが取れる優位は活用するべきだ。

 すぐさま展開した魔術の短剣。カレンのように雨霰(あめあられ)とはいかないが、即興で作り出した12本の刃を投射する。殺到する切っ先を見てメドラウドは構える。

 とは言えほぼ同時に襲い掛かる複数の刃だ。人の身で全ての対処は無理のはず。どれか一つでも攻略の糸口になればと注視する。


「聖職者として剣を持つわけにはいかないのでね」


 呆れたように声を発したメドラウド。彼はこちらに向けて広げた手のひらを上下半回転。次いで拳のように握り何かを引っ張るように脇を閉じる。

 すると次の瞬間、彼に向けて突き進んでいた12本の短剣が彼の目の前で静止した。


「悪いが、お返しだ」


 次いで先ほど引いた拳をこちらに向けて突き出したメドラウド。それに呼応するように切っ先が反転し、俺目掛けて12の軌跡が宙を駆けた。

 迎撃は不可能。直ぐにそう巡って、大きな剣を壁代わりに作り出す。


「何の冗談だ……!」

「冗談では、戦えない」


 声は、鳴り響いた金属の衝突音の向こうから。膨れ上がった気配に本能的に後ろに跳んだが、数瞬間に合わず。剣の壁を貫いて突き出された拳が俺の腹部を捉え、魔力と共に弾ける。

 途端、足が地面から浮いて背後から目一杯引っ張られたように体の自由が効かなくなった。暗い通路の中、撹拌する視界で方向感覚を失い、左の肩から固い物にぶつかって転がった。

 追撃が来ると至りすぐさま横に避ければ、先ほどまで寝転がっていた所に衝撃。見ればそれは振り上げた脚から放たれた踵落としだった。

 下手をするとあのまま……。そう過ぎった思考が、次いで横殴りの衝撃に塗り替えられる。

 再び失った体の自由が、今度は先ほどよりも早く全身に鈍い痛みを広げた。……恐らく、殴られた。吹っ飛ばされたのは横だから、背中のそれは床か、壁か……。

 そう考えるのが精一杯で、じわじわと体を支配する鈍痛に抗おうとする。と、そこで気付く。左腕が動かない。違和感は、肩。……先ほど打った時に脱臼でもしたか。


「ちぃっ!」


 苦し紛れに短剣を作り出して投擲。しかし難なく拳で弾かれて小さな音を響かせる。

 こちらに歩み寄るメドラウドに合わせて魔力を練り、近付いた所で奇襲の一閃を……。そう考えて脱力していた右腕を、攻撃に回す寸前で踏み抜かれた。


「ぐぁっ……!?」

「ふむ。契約をしていても相手がいないとこの程度ですか。少し期待外れですね」


 値踏みするような視線に睨むようなそれを返して。自傷覚悟でメドラウドの頭上に剣を作り自由落下で攻撃を仕掛ける。が、それに気付いていたのか、彼は一瞥さえくれずに肩越しの裏拳で向かいの壁まで弾き飛ばした。

 奇襲も、ましてや正面突破も意味を成さない。メドラウドとの間には明確な実力の線引きがある。そう自覚せざるを得ない。

 彼の言う通り、カレンやチカがいれば違っただろう。逆に言うとそれだけ彼女達の力に頼っていたのだと、今更ながらに気付かされる。


「イヴァンは貴方を買っていたみたいですが、僕はそうは思えませんね。どうして彼女達が貴方を選んだのか不思議です」

「……二人を繋ぎとめて置けなかったからって負け惜しみか?」

「そう聞こえましたか? それならば謝りましょう。失礼しました。単純に、二人と契約しておきながら自覚も実力も無い貴方に失望しているだけです。……ただの魔力量で解決できたのならばもっと他に方法があったのに、と」


 何か打開の手立てを。そう考えながらの時間稼ぎの傍ら、彼の言葉にも思考を巡らせる。

 魔力量。確かに俺にはそれしかないのだろう。魔術の才能はもちろん、ショウのように特別な力を持っているわけではない。ただ単純に、転生に際して魔力量が多かっただけの、人の姿をしたタンクだ。それが偶然巡り合わせでカレンと邂逅し、成り行きで今に至る。客観視すれば、俺に理由なんて無い。ただこれまでは運がよかった、それだけだ。


「ですがお陰で分かった事もあります。二人の力を借りて事を成すだけならば、やり方は他にもある。……どうでしょうか。このままあの二人と契約を破棄して全てを手放すと言う選択肢はありませんか? もし望むのであれば、必要な準備は全てこちらで致しましょう」


 イヴァンは俺を勧誘して、カレン諸共引き入れたいといった事を言っていたけれども。今目の前にいるメドラウドはそれとは正反対の解決策を新たに提示する。

 《甦君門》は一枚岩ではない。……いや、単純に効率的な方法を模索しているのか。イヴァンだって、俺がカレンたちと契約しているから興味を持っているだけで、他の方法があればそれを使うだろう。俺も同じ立場ならきっとそうする。


「もちろん二人をこちらに委譲してくださるのならば身の安全は保障いたしましょう。必要であれば代わりを用意しても構いませんよ? 教皇陛下を前に言うような事ではないかもしれませんが、《甦君門》にもそれなりに強力な魔剣はありますからね」


 言葉に嘘は、感じない。彼らはきっと言葉にした事を違えない事を信条としているのだろう。

 ……確かに魅力的な提案だ。カレンに始まった《甦君門》の一件が片付けばこの身を縛るものは殆ど無くなる。それこそここユークレースだったり、はたまたショウの伝でベリルに居を構えて平穏に過ごすのもいいだろう。もしくはセレスタインに戻って…………と言うのも考えないわけではない。

 それこそ第二の人生の幕開けだ。ドラゴンの一件で資金もあるし、異世界で何の(しがらみ)も無く自由を謳歌できる。俺がこの世界に来て最初に望んだ理想そのままだ。


「さて、どうしますか?」


 あぁ、きっと。それはこれまでに無い満足感を得ることが出来るだろう。

 …………けれども、胸に引っかかるものがあるのも事実だ。だからその問い掛けには、直ぐには頷けない。

 目の前のメドラウドは返答を待つように威圧もして来ない。その寛容さに小さく笑って、それから(おもむろ)に顔を回す。視線を向けた先には、魔術か何かで未だ囚われたままのカレンたちの姿。

 彼女達とは、旅をしてきた。想定外から始まって、予想外を積み重ね、面倒ばかりを被ってきた。先を目指すたび何かが増えて。偶然とは言え過去とも一つ決着を手繰り寄せた。

 積み重ねてきたのだ。この世界で。

 思い返せば思い出したくも無い事ばかりだけれども。それらの記憶は俺が一度諦める前に得たものよりも鮮烈で、煩くて。過去を振り返ってみても思い出すのはカレンと出会ってからのことばかり。

 それほどに、形にならない何かを紡いできたのだ。

 その……恐らく俺が自覚した始まりの事を、時折夢にも見る。それが今も尚、頭の奥で蘇る。

 明確な目的などないのに。それでも燻る約束が、まだ果たしていないと疼く。……いや、それは約束と言うには、あまりに不出来で一方的な感情だけれども。


 ────だからお兄さんは……ミノだけは私の前からいなくならないでっ!


 きっとあれは、彼女の心からの思いだったのだ。

 《枯姫(コキ)》として、《宿喰(スクイ)》として、《重墨(エモク)》として。目を逸らしたい過去を重ねてきた彼女が、契約を交わして、俺を喰い殺すかもしれない危険を飲み込んでまで縋りたかった未来。

 彼女はただ、自由が欲しかったのだ。その自由の為に彼女と交わした約束を────傭兵として交わした契約を、まだ果たせていない。

 契約と言う報酬を前借したのに、カレンに彼女の自由を返せていない。

 それに、俺は嫌なのだ。助けを求める誰かを見過ごす事が。生きる事を諦めようとする事が。俺と同じ道を歩んで欲しくないと、自己満足に浸りたくなるのだ。

 声の届かないカレンが、叫ぶ。その口が、ふざけた名前の形に歪む。

 ……あぁ、そうだ。俺は、ミノだ。過去を捨てて名前を被った、ならず者。《不名(ナラズ)》のミノ・リレッドノー。

 だからこそ、魔剣と契約をする誡名(かいめい)持ちとして。それと吊り合う誡銘(かいめい)を振るう俺の我が儘で────


「──悪いが、却下だ」


 恥を捨て、勝機も無く真正面からクソ喰らえと突き返してやる。


「……理由を、聞かせて貰っても?」

「俺もあいつも、まだ自由を手に入れてない。けどそれは、誰かに与えられるものじゃない。自分で選んで掴み取るものだ。例えお前の言うそれがどれだけ魅力的でもな…………下げる頭は俺が決める。それが、俺だけの自由だっ」


 世界の平和だとかそんなのは実際どうでもいい。ただ単純に自由を侵される事を嫌い、何より誰かの指図を受けるのが嫌なだけだ。

 向こうの世界では自分というものを殺して生きてきた。だから二度目の人生は、少しくらい横柄に振舞っても許されるだろう。釣り合いだ。


「もちろんお前がどうするかも勝手だけどな。他人を説得したいなら一つだけアドバイスしてやる。自分の自由で相手の自由を侵害するな。決断も、その先の道も、未来も。全部そいつの物だっ!」


 叫んで、感情を魔力に乗せ会話と言う時間稼ぎの中で準備しておいた攻撃を繰り出す。

 まだ無事な右手に顕現させた肉厚の剣。それを、踏みつけられた足を押し返すようにして横殴りに思い切り振るい……更には剣全体に重さを上乗せする。

 カレン由来の剣を生成する魔術と、チカ由来の魔術改変。今はまだ剣を強化する程度の魔術しか出来ないが、それでも確かな攻撃になるとメドラウド目掛けて遠心力で振り回す。

 重い風斬り音を唸らせる殴るような一閃に目を見開いたメドラウド。とりあえず意趣返しに吹っ飛べと剣に振り回されるのも(いと)わず、座った姿勢から思い切り振り抜く。

 次いで辺りに大きな衝撃。固い何かを叩くような音が広がり、煙が立ち込める。

 ……煙。それに違和感を覚えながら、けれども頭は別の所を追っていた。

 手に返る感触が想像と違う。狙ったメドラウドに直撃したならもっと簡単に振り抜けるはず。しかし手のひらには何か固い物を叩いたような反動が痺れのように伝播していた。次いで視界を覆い始める煙に顔を背ける。そこで遅ればせながら気付く。

 それもおかしい。ただ剣をメドラウドに向けて振るっただけで煙が立つはずがない。何かが、認識と狂っている……。

 ならば一体何が。そう考えた直後、目の前に影が浮かび上がった。


「ふぅ……危ない事をしてくれますね」

「なっ……!?」


 奇襲の、人など簡単に吹っ飛ばす威力の一撃。それがまるで効いていないかのように鬱陶しそうに零すメドラウドの姿が、そこにあった。

 どうして……。幾ら人外染みた存在感の彼でも、その体は人間だろうに。それに目の前にいると言う事は避けてもいないはずだ。現に振るった剣は何かを捉えて阻まれるように…………阻まれる?


「ですが奇襲としてはお見事です。僕でなければ、その攻撃は有効だったかもしれませんね」


 嫌な予感が紡がれる声と共に膨れ上がる。段々と確保されていく視界で、答えを求めるように起きた事実を探す。

 そうして見たのは……メドラウドの傍にある、巨大な瓦礫の壁だった。

 一体どこからそんな物が。ついさっき……攻撃する寸前まではそんなの無かったのに。

 原理が分からぬまま、それでも頭は事実を答えとして告げる。攻撃は、防御された。だからメドラウドは無傷なのだ。


「面白いでしょう。僕の得意な魔術なのです」

「魔術、だと……?」


 魔術は、人一人では使えない。その行使には、契約を介した知識や代替が──


「あぁ、先に言っておきますが、僕は魔剣との契約はしてませんので。聖職者が剣を持つわけにはいきませんからね」

「っ、ならどうやって……!」

「おしゃべりは嫌いではありませんが…………詳しい事はまた後で」


 笑顔でそう口にしたメドラウドが拳を振り上げる。そこにはいつの間にか肘までを覆う瓦礫の巨椀。まるでゴーレムのようなその拳が、空気の壁を押し退けて無慈悲に俺に振り下ろされる。

 防御も意味を成さないだろう。……駄目だ、もう打つ手がない。虚勢を張ったのに、このざまか…………。

 そう覚悟して、本能で目を閉じ顔を背ける。と────


「……ぇ…………ぅおっ!?」


 次いで響いたのは、体を横殴りに襲う突風だった。思わず浮いた体の感覚に訳もわからず手足をばたつかせる。今度は何だ……!?

 色々な理解を置き去りに目を開く。すると未だ宙に浮いた少し高い目線から、通路を見下ろした景色が飛び込んできた。

 ぐるりと回した視界で通路の奥に距離を取り片膝を突くメドラウドを。それから、彼に向けて右の手のひらを翳す魔篇の姿がそこにあった。

 魔篇が何かをした。そう思考が巡るのと同時、体を浮かせていた謎の力が無くなって自由落下を始める。あわや衝撃的な再会を……といった寸前で本能が受身を取ってどうにかそれ以上の負傷は(まぬが)れた。

 腕を突いて立ち上がれば、直ぐ目の前に魔篇の背中。メドラウドをじっと見つめた彼女は、それからこちらに振り返る。


「大丈夫?」

「あ、あぁ……。さっきの風は、お前がやったのか?」


 問い掛けにこくりと頷いた魔篇。どうやら彼女に助けられたらしい。


「……どうして俺を助けた」

「あなた────」

「ミノっ!」


 ガラス玉のように感情の宿らない瞳でこちらを見つめていた魔篇。機械のように必要最低限唇を開いて答えようとした彼女の声。それが通路の奥から響いた声に上書きされた。

 見れば殻のような何かで自由を奪われていたカレンたちがそれから脱していた。……考えるに、チカが術式を解析して打ち破ったのだろう。

 カレンとチカが直ぐ傍までやってくる。ショウは背中を狙われないようにと指輪の中に秘められていた魔具でメドラウドを牽制していた。


「ごめんミノ、捕まってどうにもならなかった……」

「いや、脱出できたならそれでいい。チカが破ったのか?」

「うん。複雑な魔術だったから時間が掛かった」


 チカを()ってして、と言うのだから相当なのだろう。それに、魔術と彼女は言った。

 これまでを考えるに、行使したのはメドラウド。やはり彼は人の身で魔術を扱えるらしい。


「ミノ……?」

「えっと……この子は?」

「言ったとは思うが、こいつが魔篇だ」

「名前は?」

「名前……そう言えば知らないな」


 ずっと魔篇とばかり呼んでいたが、彼女に識別名詞はあるのだろうか。……いや、他に魔篇と言う存在がいないからそう呼ばれていたのだとすれば、カレンたちのように人と同じ名前はなさそうだ。


「ミノ?」

「ん?」

「ミノ?」


 魔篇が俺の名前を繰り返す。そこでようやく気付く。


「……あぁ、そう言えば名乗ってなかったな。ミノ・リレッドノーだ」

「カレンだよ」

「チカ」

「ミノ……覚えた」

「な、何でミノだけ…………」

「知るか」


 俺だってそこまで仲良くなった覚えは無い。と言うかまともに会話した記憶も無い。……が、先ほど彼女に助けられたのは事実だ。一体何が理由なのだろうか……。

 そう考えるのと同時、魔篇が再び俺を見つめて口を開く。


「ミノ、言った。自由は自分で選んで掴み取るもの。その言葉、嘘じゃない?」

「あ、あぁ。本心だ」


 いきなり何の話か分からずに思わず肯定する。しかしながら、時間稼ぎの反論だったとは言え中々に恥ずかしい事を口走ったものだと、今更ながらにむず痒いものがこみ上げてくる。


「自由、分からない。ミノは知ってる。だから知りたい。ミノいないと知れない。だから助けた」

「……自由が知りたいって事? それでミノを助けたの?」


 カレンの声に、俺を見据えたまま魔篇が頷く。どうやらあの言葉が彼女に何かしらの影響を与えたらしい。


「ずっとここにいた。外に出た事無い。でも外に出てみたい。さっき思った。その考え、自由?」

「……あぁ。理想を思い描くのも自由だ」

「自由。……どうすればいい?」

「どうって……」

「外出たい。どうすればいい?」


 まるで子供のように尋ねる魔篇。彼女はどうやら、外の世界に興味がある様子だ。……だが、彼女は魔篇。ユークレースが管理する存在だ。外に出るなど…………。


「魔篇の願い、ですか……。初めて聞きましたね」


 声はファルシアの物。彼は魔篇の傍に膝を折り、目線を合わせて尋ねる。


「あなたを長い間ここに閉じ込めていたのはわたくし達です。それは謝罪いたしましょう。……それで、あなたは本当にここから出たいのですか?」

「出たい。出られる?」

「……………………」


 沈黙は、一体何を考えているのだろうか。出したところでまたこうして狙われるだけだろうに。


「ここを出て、あなたは何がしたいのですか?」

「自由を知りたい。ミノが教えてくれる」


 そんなこと一言も言ってないのだが……。そう口を挟もうとした所で、ファルシアの視線がこちらを向いた。

 何かを測るような、値踏みするような色の瞳。それから彼は、再び魔篇へ視線を移して、小さく息を吐いた。


「……良いでしょう。あなたが何かを望むというのは初めてのことです。彼にその何かがあるというのならば、わたくしに口を挟む理由はございません」

「ちょっと待てっ。いいのかよ。こいつは《甦君門》に狙われるような重要な存在で、俺はただの流れ者だぞ?」

「ただの流れ者でなくなれば彼女を預けてもよろしいですか? ……そう言えばミノ殿は、魔剣の登録を願ってユークレースにいらしたのでしたよね」

「それは…………!」

「もし魔篇を受け入れてくださるというのであれば、略式ではありますがミノ殿を正式な魔剣持ちとしてこの場で承認いたしましょう」

「っ……!」


 いきなりすぎて思考が追いつかない。今も必死にショウが時間を稼いでくれているこんな時に、なんでそんな話を……。

 一方的過ぎる話に危険を感じて反論する。


「俺がそいつを使って悪事を働いたらどうする……!」

「これでも人を見る目は確かだと信じております。ミノ殿は望んで波乱を引き起こす人物ではない。だからこそ魔篇もミノ殿に感じる物があったのでしょう。つい先ほど出会ったばかりのミノ殿にこれだけ興味を持っているのですからね」


 話の最中にも彼女の視線は外れない。それでも…………。


「……それとも譲歩が足りませんか? でしたら、そうですね…………《裂必(レッピツ)》殿と同じ肩書きではどうでしょうか?」

「何……?」

「愛の神に…………いえ、今回は魔篇である彼女に誓いを立てていただけるのであれば、ミノ殿に《裂必》殿と同じ肩書きを授けましょう」

「同じ……」

「えぇ。国に属さない魔剣持ちです」


 国に属さない魔剣持ち。それはユークレースに来る前に話をしていた中で望んでいた、最上の特権だ。

 国ではなく、世界にとっての魔剣持ちとしての立場が得られれば、これ以上無い自由が得られる。《甦君門》に対して構えている現状、その後援をどこにいても受けられる。そう言う打算から望んでいた理想だ。

 それが向こうから転がり込んでくる。


「……随分俺の事を買ってるんだな。まだ出会って半日も経ってないってのに」

「魔篇が心を許すというのは、そう言う事なのです。これまでを知っているので申し上げますが、彼女は汚れた思想の持ち主には(くみ)しません。彼女は、魔篇ですので」


 数多もの魔物を内包した存在。その対話インターフェース。つまりは魔物の総意。

 魔物は……魔力は、不思議な存在だ。感情を手繰り寄せたり。昂ぶる思いを結実させたり。記憶を覗いたり。

 契言(けいげん)もそうだが、意識と言う物に干渉するような力を持っている。想像を現実にする魔術がその最たる物だ。その延長線上で考えれば、魔力の塊である魔物が人には知覚出来ない何かで心の奥底を見透かすなんてことがあってもおかしくは無いのかもしれない。

 事実、俺は魔篇をどうこうしようとは思っていない。逆に、彼女に何かをして欲しいとも思ってもいないのだが……いや、強いて言えば《甦君門》には渡すべきでは無いとは考えているか。

 その上で先ほど俺が吐き出した言葉に魔篇が何かを感じてそこに興味を紡いだのならば、これは仕方のない結果なのかもしれない。

 だからこそ、問う必要がある。向き合う先は、魔篇。


「……魔篇。お前は、どうしたい? 何を、望むんだ?」

「自由が知りたい。ミノが、知りたい」

「…………もう十分お前は自由を知ってると思うがな」

「………………?」


 首を傾げる魔篇。

 自ら選んで決断するその意思。それこそが自由なのだろう。

 そしてそれを害する事は、きっと誰にも出来ないのだ。


「……分かった。こいつが望む限り、面倒を見よう」

「では、よろしくお願いします」


 それに断る理由も無い。魔篇の力を借りられるというのならば願っても無い話だ。彼女はまだまだ知らない魔術を沢山秘めているみたいだからな。

 個人的な魔術の知識向上の為にも彼女の存在はありがたいのだ。


「契約、する?」

「いきなりだな。……けどいいのか? 契約すると俺に縛られるぞ? お前の自由が減るぞ?」

「一緒にいる事。契約する事。同じ。……違う?」

「…………まぁ、そうだが……」

「ミノのこと、知りたい」


 黄色い感情を宿さない瞳がじっとこちらを見つめる。揺れているようで、核があるような不思議な色に吸い込まれそうになる。

 瞳に感情が宿らない。だからこそ、言葉がそのまま彼女の意思なのだと納得して。


「……分かった」

「ミノ、浮気」

「複数契約はただの権利だろうが。……と言うか浮気って何だ」


 隣で成り行きを見守っていたチカが小さく零す。彼女の傍でカレンが物言わぬ視線を向けてきていた。……言いたい事があるなら言えよ。俺はさとりの妖怪じゃないんだ。


「……ミノの────え?」


 そしてそれは、唐突だった。

 何かを言い掛けたカレン。けれども言葉は途中で切れて続かず、代わりにいつの間にかその手に作り出した大振りな剣を振り上げ、それを俺目掛けて振り下ろしていた。

 一瞬何が起きているのか分からず呆然とする。次いでその刃が顔に影を落としたところで背筋を本能が這い上がった。

 斬られる……!

 回避も防御も許さない、虚を突いた一撃。ただ見上げる事しか出来なかったその一閃が────次いで目の前でどこからとも無く現れた鎖に縛られて静止した。

 鼻先三寸で金属同士が擦れ合い耳障りな音を響かせる。残った風圧が顔を撫でた。不意に視線を落とせば、俺の体にしがみ付くように体を預けた魔篇が先ほどカレンが振り下ろしていた剣に向けて手のひらを翳していた。

 遅れて思考が状況把握を求める。


「おいカレン、一体何し────」

「こっち」

「うぉっ!?」


 話の途中で魔篇に腕を引かれる。いきなりの事に体勢を崩して倒れこんだ。

 同時、先ほどまで俺の体があったところを何かが通り抜ける。肌を刺す感覚からして、魔力の塊だろうか。

 どうにか腕を突いて魔篇に覆いかぶさるようにして体を支え、首を回す。すると今度はチカがこちらに向けて両手を広げ、魔法陣を展開していた。


「え、ぁれ……あたし、なんで…………」

「チカ……。流石に冗談にしても性質(たち)が────」

「っ! ミノ、逃げてっ!!」


 カレンの叫ぶような声。しかし言葉とは裏腹に、彼女は周囲に数多の短剣を空中浮遊させ、次の瞬間それを俺目掛けて投射していた。

 呼吸の外の間で襲来した刃の軍勢。それが目の前であちらこちらに軌道を変えて弾かれていく。まるで見えない壁に阻まれているようだ。思わず下を見れば、またしても魔篇が腕を翳していた。

 一体何が…………。


「操られてる」

「は……?」

「二人……三人?」

「ミノ、避けろッ!!」


 脈絡無く放たれた直ぐ下の魔篇からの声。何の話かと疑問の音を落とせば、次なる声は頭上から降り注いだ。

 聞こえたショウの声に、けれども確認する時間は無くて。咄嗟に体の下の魔篇を抱きかかえ、地面を蹴って横に転がる。

 刹那に視界を揺らした衝撃。どうにか負傷だけは避けて立ち上がれば、そこには見た目ただの金属の棒を地面に突き立てるショウの姿があった。彼がその手に持つ棒は、彼の身長より少し短い程度。径は鉄棒ほどの、六角柱。しかしながら、今し方の衝撃はまるでゾウの踏み付けを一点に集約させたような威力だった。

 一体何の冗談だと。追い付かない思考でどうにか冷静さだけを手繰り寄せれば、ユウが傍にやってきた。


「あれ、魔術ですかね……」

「何がだ」

「ミノ、助けて! 体が勝手に……っ」

「くそがっ……!」


 言い訳のような言葉と共に床を蹴ったカレン。彼女の手には両刃の剣が握られ、俺目掛けて振り下ろされる。大振りで対処は簡単……だが、無慈悲に斬り捨てるには少しばかり情が湧きすぎたかと。作った剣で受け止め(しのぎ)を削る。


「おいっ、いい加減にしろよっ!」

「私だってこんな事したくないよっ! でも体が言う事聞かないの!!」


 真正面で刃を挟んで言葉を交わす。その間にも時間は待たず、彼女の周りに生成された短剣の切っ先が俺目掛けて殺到した。

 カレンを押しやりバックステップで距離を取りながら防御用の剣を作り出し、通路を分断する。これで時間稼ぎを……と、考えた刹那、刃の雨を防いだ大剣が暗闇を照らす炎の奔流に溶けて呑まれた。揺らめく火炎の向こうから、顔を顰めたチカが手を翳す。


「ミノさん、術者はメドラウドさんですっ。彼がカレンさんたちを魔術で操ってます!」

「あんな奴に敬称つけてやる義理は無い。……けど、本当か?」

「はい。逆に、それ以外考えられないかと」

「ま、そうだな」


 言動が一致しない三人と、後ろから高みの見物のメドラウド。途中から何となく気付いていたが、ユウの言葉で確信に変わる。


「あいつは周りの瓦礫を操って武装してたからな。そう言う魔術かと思ってたが……操作とか支配とかなら納得だ。で、どうすればいい?」

「こういうのは術者を倒すのが鉄則です。後あるとすれば、術式に強制介入して支配を解くか、更に強力な魔術で上書きするか、ですね」

魔瞳(まどう)は?」

「効果はあると思いますが、更に上書きされたらその先は切りがありません。ですのでやるならば彼に直接が望ましいかと」

「とは言えそう簡単に近づけるとは思えないがな」


 言いつつ後ろを確認する。ユウがここに来たという事は魔物は片付いたという事だ。ならば無防備なファルシアにはこのまま後ろにいてもらうとしよう。彼は俺の承認だからな。いなくなってもらっては困る。


「……どうしますか?」


 ユウの言葉に考える。カレンの、《珂恋(カレン)》としての刃なら支配を解く事など容易いはずだ。チカの力があれば強制介入で魔術を破綻させる事も出来るだろう。

 しかしながらその二人はどちらもメドラウドの支配下。ユウの魔瞳は効いても一時的なもの。加えて守るべき対象がいる為に派手には動けない。

 考えている間にもカレンたちが距離を詰めてくる。多少抵抗を試みている様子で、その歩みはゆっくりとした物ではあるが、彼女達が再び斬りかかってくるまでそれほど時間は無いだろう。……ならばやはり、一か八か…………。

 賭けに出るしかない。そう覚悟を固めかけた所で、隣から声が上がる。


「契約」

「は……?」

「もう魔力ない。でも、契約すれば魔術が使える」


 こんな時に何を……。思わず訊き返した声に、魔篇がこちらをじっと見つめて答える。


「ちから、いる?」

「あいつらをどうにかできるってのか?」

「……抑える?」

「なるほど、拘束か……」


 幾ら支配されていても動けなければ意味がない。それが出来る魔術を魔篇は持っている。俺はそれを見ている。

 だが、問題もある……。


「ユウ」

「……一番可能性が高いのも確かです。…………分かりました。引き受けます」

「悪い、頼んだ」


 契約の為の時間。その隙を、ユウに預けないといけない。もちろん彼女の事を信用していないわけではない。だが、カレンたち相手はやり辛いのは確か。心根が優しい彼女は特にだ。

 それでもユウは冷静さを武器に静かに頷く。

 彼女の覚悟は、信頼の証。契約も交わしていない彼女に命を預けるのだ、それにしっかり応えるのがせめてもの筋だろう。

 そう自分の中でも覚悟を決めて、それから魔篇に向き直る。


「分かった。契約だ」

「時間がない」

「…………なら方法は一つだ──」


 微かに生まれた羞恥。しかし迷っている時間は無いと。既にこちらに向けて動き出したカレンたちを目の端で捕らえて、魔篇の腰を抱き寄せる。そして────


「悪い」

「ん…………」


 彼女の唇に、自分のそれを重ねた。

 補助術式を使わない契約。その代替行為であるキスに、腕の中の魔篇が驚いたように目を見開く。初めて、彼女の顔が感情に揺れた気がする、と。どうでもいい事を考えた刹那、俺と魔篇を外界から隔離するように行き場を求める魔力が辺りに乱れ満ちた。


「……そういえば名前が必要か。何かあるか?」


 彼女の瞳を真っ直ぐ見つめて問えば、魔篇は小さく首を振った。……仕方ない。何か…………何か、彼女に相応(ふさわ)しい名前を────

 そうして記憶の蓋を開けたところで、ユークレースと言う土地柄が重なって一つ閃く。

 神、宗教、本……。その並びが、彼女に新たなる名前を授ける。

 既に迷うだけの時間は無かった。


「契約者ミノ・リレッドノーが告する。我が(さいわい)を縛りし刻印をこの身に(ろく)し、魔の(ことわり)統べるかの意志と契りを交わせ。付する天枷(あまかせ)()は────シビュラ。証憑(しょうひょう)印す其の形持て、我が手に(つるぎ)となりて顕示せよ!」


 シビュラ。それは信託を受け取る巫女の名。シビュラの書と呼ばれる信託書としての意味合いを持つ固有名詞。その名を借りて、彼女をここに縛り付ける。

 魔篇と言う道具ではない。一人の存在としてその名前を受け入れた証が、二股に分かれて俺と彼女……シビュラに刻み付けられる。

 契約痕。俺は左の首筋に。シビュラは額……右目の上に。

 自分のそれは見る事は叶わないが、目の前の彼女に刻まれたそれは、開かれた書物に魔法陣を記した柄。魔篇のなに相応しい契約痕だ。


「ん、魔力、沢山……」

「感慨に(ふけ)るのは後だ。まずはカレンたちを取り押さえるっ」

「シビュラはミノの知恵。知恵は自由の(いしずえ)


 まだ熱く疼く契約痕。その奥に感じるシビュラの存在を意識して魔力を渡す。すると言葉にならない情報が彼女の方からも流れ込んできて、シビュラの知識を共有する。

 その中に見つけた彼女のもう一つの名前を、確信と共に呼ぶ。


「来い、《宣草(センソウ)》!」


 それはシビュラの誡銘。彼女の能力の全てを引き出す、その唯一の鍵。彼女の記憶にあったそれは、恐らく過去のどこかで与えられた()なのだろう。

 次の瞬間、シビュラの体が魔力に包まれ、そして手の中に一冊の本が顕現する。白い装丁に、黄色い縁取り。洋書の図鑑のように分厚いそれは、背表紙の上部から栞紐の代わりに鎖を伸ばし、俺の腕を拘束するように絡みつく。長い白髪に黄色い瞳のシビュラらしい一冊だ。

 題名も絵も無いその一綴りは、それから勝手にばらばらと勢いよくページを(めく)り、途中で止まる。コーズミマの文字で図と共に描かれたそのページに意識を集中して魔力を注げば、開いた表面が光を放ち、次の瞬間には意思を持ったように数多もの鎖が音を立てて伸びていた。

 生き物のように意思すらにおわせて金属の戒めがユウに遅い掛かっていたカレンたちに向かう。咄嗟に迎撃をしようとした彼女達だが、武器ごと絡めてその場へと拘束した。魔術で強化された鎖だ。そう簡単には打ち払えない。

 拘束と同時に込められた術式が発動して、重力によって膝を突かせる。名付けるならばグラビティバインド、といった所か。これで三人とも無力化──そう考えた直後、一つが弾け飛んだ。

 見れば拘束を破ったのはチカ。それから気付く。

 魔術の扱いに秀でた彼女だ。魔術によって作られた拘束が意味を成さないのは当然か。


「チカさんはわたしが」

「頼む」


 ユウが魔具を構えてチカに対峙する。彼女を信頼して、それから俺はメドラウドへと向き直る。一応彼にも拘束は向けたが、瓦礫の壁に阻まれていた。

 今ので戦闘継続不能になってくれていればよかったのに。胸の内で悪態を吐きつつ、駆け出す。

 カレンたちの支配を解き放ち、彼を拘束する。彼にはまだ色々と訊きたい事があるのだ。


「っ、せい!」


 手のひらに作り出した風の玉。それを投げれば、鎖を阻んだ瓦礫の壁にぶつかって爆ぜ、破壊した。


「魔篇の力か、面白い……!」


 距離を詰める俺に向けてメドラウドが手のひらを翳す。何か来る……そう過ぎった刹那、脳裏に声。


『右』


 淡々としたそれは、シビュラのもの。直ぐに指示に従って飛べば、先ほどまでいたところに魔術が発動する。横目で見たそれは、先ほどカレンたちを拘束していた魔術だ。

 恐らくだが、あれに捉えられると肉体支配の類を受けて、カレンたちのように体の自由を奪われる。そうすれば彼の思惑通り、《甦君門》に連れて行かれるだろう。

 流石にここまで来て彼らの思想を肯定は出来ない。真正面から対峙しているのだ。和解など、ありえない。


『右。左。……後ろ』


 機械案内のような平坦な声。けれども的確な指示はメドラウドの思考の先を読むように次々と安全地帯へと俺を誘っていく。

 シビュラは俺と最初に会った時、魔術の出を察知してそれを消滅させた。考えるに、彼女は発動前の魔術を予知したり、それを無効化したりできるのだろう。同じ魔術に関する能力でも、チカの発動後の魔術に介入出来るそれとは真逆と言うわけだ。


「よく避ける。ならこれでどうだっ……!」


 メドラウドが翳した両手。同時に二つ……考えた想像が簡単に打ち砕かれる。

 彼は指先に小さい球体を灯すと、それを俺に向けて投擲する。最初はピンポン玉程度だったそれは、近付くにつれて肥大化し、俺の目の前に来る頃には通路を塞ぐ魔術の壁となっていた。

 隙間は無い。後ろに逃げたら……そのままユウやファルシアが巻き込まれる!


『大丈夫。走って』

「……信じるぞ、シビュラ!」


 止まりかけた足を、頭の中に響いた彼女の声で振り下ろし、前へ。自棄(やけ)に近い面持ちで魔術の波に疾走し、その先の未来を信じて攻撃の魔術を準備する。

 今にも魔術の波濤に飛び込まんとする、次の瞬間。突然目の前の空間が歪み、現状を覆す。

 それはまるで、昔見たアニメの秘密道具のように、不可思議で。人一人通れる楕円の穴の向こうには……驚愕するメドラウドの姿。

 その彼に向けて、穴に飛び込む。次いで地面を足が捉えれば、肌を焼くような魔術の気配は背後に。どうやら空間を跳躍して、目の前に迫っていた魔術の壁を通り抜けたらしい。

 短距離空間超越。体感からして……2、3メートルが限度の空間移動。けれども今回は、それで十分だと。

 (あらかじ)め準備しておいた右手の魔術を開放し、殆ど触れる距離から防御諸共貫いてくれると、雷撃の一撃を放つ。

 空気を焦がすような弾ける爆音。バツン、という電気のブレーカーが落ちたような音と共に、視界が(まばゆ)く染め上がる。暗い通路を満たす白光(びゃっこう)。失明しそうなほどの熱量に、直ぐに放出を打ち切って手を離す。

 少し魔力を込めすぎた。それだけ感情が昂ぶっていた証拠だろう。

 雷撃に飲み込まれたメドラウドが、それから荒れ狂う(いかずち)の衝撃で崩落した天井の瓦礫に埋もれる。

 彼の姿が煙の奥に消えるのとほぼ同時、今度は背後から悲鳴が上がった。


「きゃぁっ!?」

「っ、ユウ……!」


 振り向けば、そこには床に倒れたユウの姿と。その彼女に向けて拘束を解いたカレンが手に持った剣の切っ先を喉元に突きつけるという光景が広がっていた。

 が、次いでカレンが手に持った剣を横に放り投げ、ユウに跨るようにして膝を突く。


「ぁ、ぶな……。ミノ、ありがと。もうちょっと遅かったらユウさんを串刺しにするところだった……」

「……無事なら、それでいい」


 一瞬肝が冷えたが、どうやら最悪の事態に(おちい)るより一瞬早くメドラウドの支配が解けたらしい。

 カレンとショウの拘束が解けているのはチカの仕業か。ユウを相手にしながら術式解除が出来るとは流石はチカといったところ。

 そんな事を考えながら彼女達の傍へ。へたり込んだカレンに手を差し伸べれば、彼女は申し訳なさそうに俯いて立ち上がった。


「……ごめん。ミノに刃を向けるようなことして…………」

「大事になってないならそれでいい。もう大丈夫か?」

「うん」

「大丈夫」

「ったく、意識はあるのに体が言う事を聞かないとかどんな悪夢だよ……」


 安堵したように息を落とす三人。ファルシアに目を向ければ、彼も疲れたように胸を撫で下ろしていた。

 とりあえずこれで…………。そう考えた直後、背後で瓦礫が崩れる音が通路に響いた。すぐさま振り返れば、そこには満身創痍で尚、立ち上がるメドラウドの姿があった。

 ……が、どう見ても動ける体ではない。肘は外れているのか、ぶらぶらとしているし、脚は切り傷に打撲があちらこちらに。加えて頭からは血を流し、片方の視界を閉ざしていた。何より雷撃で肌が焼け、四肢の感覚は殆ど無いはずなのに、呼吸を荒くしながらそれでも一歩足をこちらに出す。


「おいおい、ゾンビかよ…………」

「自己支配で無理やり動かしてる」

「……なるほど」


 シビュラの声にそのからくりを知る。どうやら自分の体を魔術で無理やり動かしているらしい。と、俺の外れた左肩に違和感。視線を下ろせば左腕が普通に動いていた。


「真似」

「器用だな」


 シビュラの中にも似た様な魔術があったようだ。俺の左手が意思の通りに動く。だったら治してくれる方がありがたいんだがな……。


「ミノ、これ使え」

「さんきゅ」


 ショウが先ほど俺を襲った棒を投げてよこす。手に持って思うが、やはり六角のただの鉄の棒だ。


「魔力を込めれば重量を変化出来る魔具だ。今回のランダム結果」

「またえげつない代物だな」


 どうやらベリルから貰った、何が出てくるか分からないラインナップの中の一つらしい。この前の金属を操る剣だとか……なんでそう一つねじの外れた能力ばっかりなんだよ。ピーキーすぎるにも程があるだろ。

 とは言え得物があるに越した事はないと。肩に担いでメドラウドを見据える。


「……まだやるか?」

「お前が、いなければ…………世界は……救えないっ…………!」


 最後の気力か。残りの魔力全てを用いて支配の魔術を大放出する。

 そこまでして俺の身柄が欲しいかと。少しだけ同情しながら、手に持った棒に魔力を込める。同時、シビュラが身体強化をこれでもかと重ね掛けして、見た目ではありえないほどの筋力を俺の身に宿らせた。

 大体の勘だが、余りある魔力を注いだ魔具の棒は、重さ100kgは越えているだろう。それを片手で持てる人外の如き筋力は、シビュラのお陰。この状態なら、棒を使わなくともそこいらの瓦礫を投げるだけで知覚不可能の弾丸となってメドラウドの体をいとも容易く貫通するに違いない。

 ……けれども俺は、無駄にお人好しらしく。カレンに約束したように無駄な折衝は好まない性格が、別解でこの場に終幕の理想を描き出す。

 まるで空き缶でも捨てるように放り投げた魔具の棒。綺麗な放物線を描いたそれが、やがてメドラウドの傍の地面に落下する。そこは丁度、先ほどショウが操られていた際に頭上から叩き込んでひび割れていた地面。その中心にくるくると回る鉄の棒が吸い込まれる。

 次の瞬間、100kg超過の衝撃がメドラウドの足元を崩落させ、彼の体を重なり合う瓦礫の音と共に通路の下の水場へと叩き落した。真下が水だというのは、シビュラの後を着いてここまで歩いて来た時に確認していたのだ。

 途端、迫っていた(つぶて)や支配の魔術が寸前で崩壊し、落ちて、消える。一応の確認として崩落現場から下を覗き込めば、横から暗闇の(うろ)を見下ろしたユウが呟いた。


「……魔力の反応からして生きてはいます。けど、あの怪我ですから上がってはこられないでしょうね」

「…………あ、捕まえるの忘れた」

「構いません。これもきっと、神の御心です」

「色々訊きたかったんだがな……」


 気になる事を言っていたメドラウド。口の軽そうな彼からなら時間を掛ければ知りたい情報を引き出せたかもしれない。それを考えると惜しい気がしたが、あれ以上となると本気で彼の命を奪う破目になる。それはカレン達が望まないだろうし、ファルシアにもこれ以上の苦痛を背負わせてしまうだろう。

 彼にとっては腹心の背信なのだ。今後も含めて、色々複雑に違いない。


「彼の身柄はわたくしの方で引き受けましょう」

「……とりあえず地上に出るか。シビュラ、案内頼めるか?」

「分かった」


 人の姿に戻った彼女が平坦な声でこくりと頷く。契約をしてもこの辺りは変わらないらしい。そもそも対話インターフェースであるこの人格に感情が芽生えると言う事は、まぁないだろう。感情が魔術に作用をしても、魔術は感情を持たないのだから。

 ……それはそれで少し寂しい気もするかと。微かに芽生えた情で思いながら足を出す。すると直ぐ傍にカレンとチカがやってきた。


「……ミノ、ごめん。迷惑かけて」

「ミノ、腕大丈夫?」

「俺だって同じ立場なら似たような事になってただろうよ。だから気にすんな。無事でいてくれて何よりだ。腕は、上に戻ったら直ぐに診てもらうさ。それくらいの手配はしてくれるだろうからな」


 今回は不覚を取ったとは言え、二人と敵対するような事になってしまった。相手にして分かったが、やはり彼女達は規格外。特に魔剣のいない俺は無力だと痛感した。

 今後同じような事がないとも限らない。何かしらの対策は考えておくべきだろう。


「腹、減ったな」

「その前に風呂に入りたい」


 ショウの声に答えて頭を掻く。色々課題は山積みだ。




 無窮書架(むきゅうしょか)の外に出ると、空は星が輝く漆黒だった。どうやら随分長い時間地下にいたらしい。体内時間の感覚が狂っている。


「皆さんお疲れでしょう。今宵は教会の宿にお泊まりください。何かご要望があればお応えしますので」

「なら早速頼もうか。私と一緒に来てくれ────ミノ」


 声は、背後から。聞き覚えのあるその声音に、だるい体が警鐘を鳴らして振り返り、手に剣を作り出して薙いだ。

 響いたのはが金属同士ぶつかる音。次いで視界が、見たくない顔を捉える。


「全く、ご挨拶だな」

「イヴァン…………!」


 羽虫でも払いのけるように受け止めた剣で俺のそれを上に跳ね上げる。直ぐに距離を取って次の一本を作り構えれば、彼は疲れたように笑った。


「もう少し落ち着いて話そうじゃないか。無駄な争いはしたくないんだ」

「お前、何でここにいる……!」

「話くらいまともにして欲しいがね……。まぁいい。気分がいいからその質問には答えよう。とは言っても、君も薄々気付いてはいるんだろう?」


 最早顔を隠す事もしないイヴァン。月光の下に晒された白髪と翡翠の瞳がこちらを見つめて紡ぐ。


「メドラウド。そして魔篇。これで伝わるか?」

「……あいつならそこの建物の地下だ」

「姿が見えないと思ったら……。いつも通りに感情で突っ走ったんだな。よくあれでこれまで潜入なんて勤まったものだ」

「答えろ、イヴァン。お前らは魔篇を……シビュラを手に入れて何をするつもりだ?」

「シビュラ…………? ……あぁ、そうか、そうか。なるほど。やはり君は面白いっ」

「答えろっ!」


 声に切っ先が微かに震える。刹那、数歩先にいたイヴァンがいつの間にか呼吸さえ聞こえるような目の前にいた。


「私が答えて、それを信じてくれるのか?」

「っ!」


 咄嗟にイヴァンに向けて剣を振るうが、彼は軽い身のこなしで後方へと跳躍する。その手に先ほどまで持っていた剣は無い。彼に戦闘の意思が無いというのは本当のようだ。


「とは言えどうにも私は信頼されていないらしい。君が欲しいのにこれでは本末転倒だ。……だから一つ、ヒントをあげよう」

「ヒント……?」

「ラプ……いや。…………《共魔(ラプラス)》。それを追えば、(おの)ずと知りたい答えにたどり着くだろう」


 《共魔》。イヴァンが指先に灯した魔力で中空に文字で書いて示す。

 それはメドラウドも言っていた単語だ。どうやら《共魔》は、《甦君門》に大きく関係しているらしい。


「話は終わりだ。今回はこれでお別れとさせてもらおう。メドラウドも連れて帰らないといけないしね」


 背を向けたイヴァンに……けれども追撃をやめる。こちらは左腕がまともに使えない。加えて未だ彼の不壊の力を打破できる算段がない。カレンを手にここで突っかかっても返り討ちにされるだけ。下手をすれば、そのまま彼らに連れて行かれてしまう。

 口惜しいが、ここは追いかけないのが得策だ。見逃してくれると言うのならば、今はそれでいい。

 と、無窮書架に向けて足を出したイヴァンが、何かを思い出したようにこちらに振り返る。


「あぁそうだ。改めて自己紹介をしておこう。────私は《甦君門》のイヴァン。《共魔》だ」


 彼もまた。そう考えた時には既に、イヴァンは踵を返していた。肩越しに別れの挨拶を振る。

 また一つ増えた謎に、俺はただその背中を睨み付けることしか出来なかった。

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