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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
公国の無窮書架にて
39/84

第三章

「ではくれぐれもご内密にお願いします」

「あぁ」


 ユヴェーレン教の聖地の一つ。国家としての枢軸(すうじく)であり宗教全体としてのシンボルである聖堂……ユスティリア大聖堂の前で助祭、メドラウドと二手に分かれる。

 人通りの多いそこで頷き合い踵を返せば、互いに見送ったとしても直ぐに人の波の奥に消えて見失ってしまうだろう。それほどの人だかり。朝一の礼拝をしようとやってきた沢山の雑踏に逆らって歩みを進める。


「で、当てはあるのか?」


 隣からの声は既に心預けられる仲間としての距離感を築いた莫逆(ばくぎゃく)の過去、ショウのもの。彼の声に頷きつつ人込みの中外套のフードを目深に被って人目を避ける少女に尋ねる。


「ユウ、さっきメドラウドが言ってた教会、場所分かるか?」

「はい。昨日の夜地図を記憶しておきましたから。こっちです」


 魔瞳という特別性でユヴェーレン教では聖人扱いされているユウ。顔バレすれば道すがら崇拝の対象とされかねない彼女はいつも以上に周囲に気を配っている。もちろんそんな事になれば少し無理やりにでも彼女をつれて逃げはするけれども。

 そうせざるを得ない状況……一刻も早く打開したい現状が、今肩に重く圧し掛かっているのだ。


「チカ、前使った追跡の魔術準備しておけ」

「わかった」

「私は?」

「邪魔だけはするな。今はお前の専門外だ」

「ぶぅ……」


 魔術に秀でた記憶喪失の少女に頼れば、疑問は直ぐ傍から。こちらを見上げる赤い瞳はやる気に満ちていていいことだ。……が、残念ながら戦うしか能のない彼女には大人しくしていてもらうのが何よりの貢献。

 そう告げれば、渦巻いた衝動の捌け口を探すように彼女……カレンが唸る。


「じゃあ逆に訊くが、何が出来るんだ?」

「……でも何かしたいよ。だって勝手に犯人にされかかってるんだよ?」

「なら一応準備だけはしとけ。もし本当に誘拐なら、その本拠地に突っ込む必要があるかもしれない。助け出すのに交渉するほど暇はない。その時は正面突破する」

「ん、分かった……!」


 誰もが目的は同じかと納得して。遣り切れない思いを薪にしながら足を出す。

 今俺達には誘拐犯の嫌疑が掛けられている。誘拐されたのはここ、ユークレース司教国の教皇。国のトップだ。

 俺達が魔剣の保障をしてもらおうと立ち寄ったのとほぼ同時に起きた事であらぬ疑いを掛けられている、と言うのがくだらない容疑だ。

 当然そんな事はしていない。大体国の頭誘拐してどうするというのだ。そんなことで得る物を得たってそこに正統性などない。信頼も信用もなく、世界に認められるどころかその間逆に放逐されるだけだ。

 そんな心の内は理解しているのか、疑いながらも教皇捜索に協力する事を良しとしてくれた助祭、メドラウドの手助けを借りて、今こうして町中を歩いている最中だ。


「しっかし一体どうやったんだろうな?」

「何がだ?」

「教皇なんだから普通護衛やら傍付きやらいるもんだろ? 執務室や寝所から連れ出されたとも思えないし、いきなり襲えば騒ぎになる。普通ならもう犯人が捕まってるか、そうでなくとも犯人の素性くらいは突き止めてるもんだろ」

「そうじゃないって事は、考えられる線として内部犯行だろ。実行犯で身の回りを固めて、移動中なら馬車ごとジャックすれば周りにはそう気付かれない。やりようなんて幾らでもある。……ま、あの聖堂の中から連れ出されたってのはまずないだろうけどな」


 教皇の失踪。まだ市井(しせい)には出回っていない情報だ。その情報規制や操作が行われている以上、ユークレース側も遅れて気付いて後手に回ってるという事だ。

 なにより宗教の中心でそのトップが行方を眩ましたなんて知れたら沽券(こけん)に関わる。出来るなら秘密裏に事を治めて何事もなかったかのように日常を再開したいはずだ。それに協力して恩が売れるというなら願ってもない話。


「今は犯行の手口よりも解決策だ」

「ミノさん、もう着きます」

「チカ、準備は?」

「出来てる」


 話しながら人の波を縫って歩けば、やがて目的地に辿り着く。

 その建物は教会。メドラウド曰く、彼が知る限りで教皇が一番最後に立ち寄ったらしい場所だ。

 こんな時でなければ立派な教会だと観光も出来たのだろうと、ユヴェーレン教徒であるユウを一瞥しつつ思えば、直ぐ近くの路地に入る。


「チカ、やってくれ」

「ん」


 往来で魔術を使うわけにも行かないと薄暗く狭い路地での魔術行使。チカが手のひらを目の前に翳して集中する間を開ければ、何もない中空に魔法陣が出現して回転を始める。


「カレン」

「……大丈夫」


 周囲の索敵で安全を確認すると、後ろ腰の麻袋から宝石を一つ取り出す。

 これはメドラウドにもらった物で、教皇の居場所を魔術的に特定する触媒が何かないかと尋ねて持ってきてもらったものだ。

 人は魔力を放出しないが故に始終物を身につけていても魔具のように変化はしない。しかし意図して魔力を込めて残しておけばいざという時に人探しに使える。特に身分の高かったりする人はこういう対策を幾つか持っているらしく、何かあればお抱えの魔術師がそれを媒介に探し出すのだそうだ。

 もちろんここは魔に関する物が集まるユークレース。追跡術式の一つや二つ使える術者は当然居る。が、彼らが表立って何かを探し始めれば不穏を辺りに振りまいてしまう。そこで代わりに顔の割れていない俺達がその役目を引き受けたのだ。

 今頃、同時並行でメドラウドの方も捜索を続けているはずだ。


「……どうだ?」

「…………駄目。ここじゃない」

「なら次だ」


 首を振るチカ。気を落とすなと軽く頭を撫でつつ再び大通りに足を出す。

 ここは誘拐された日最後に訪れる予定だった場所。ここから順に(さかのぼ)って痕跡を辿れば、教皇が姿を消した場所とその行き先が分かるだろうというのが、地道ながら確かな追跡方法だ。

 流石にまだ疑われている身。メドラウドも言葉こそ寄り添ってくれているが心の奥底ではどう思っていることか……。それとは別に、彼の上は俺達に情報を流す事を渋ったようで、教皇のこなすはずだった予定を教えられただけだった。

 それでもこちらにとっては十分。ないより遥かにましな情報だ。それを元にこうして方法論も導けている。

 だからこそこの少ない手掛かりから教皇の居場所を割り出して見せれば多少は見る目も変わるだろう。


「……で、どう思うよ」

「何がだ?」

「どう考えても泳がされてんだろ、これっ」

「だろうな」


 唯一の不安要素。それはどこからか監視しているだろう聖職者が、教皇を見つけるのと同時手のひらを返して俺達を仮想誘拐犯に仕立て上げるのではと言う想像だ。当然そのことも頭に入っている。


「見つけた瞬間、『分かったのは最初から居場所を知っていたからだ』なんて言われて拘束されたらどうするんだ?」

「別に捕まった所で同じ事がまた起きて俺達の嫌疑が晴れるだけだけどな。とは言えそんな悠長な事してる暇もなければ立場が悪くなるのも考え物だ」

「……考えがあるの?」

「二つな。どっちがいい?」


 チカの声に答えて解決策を提示する。


「一つは教皇を説得して証言してもらう。んで、更なる手が伸びる前に手続きを行ってもらって不干渉の立場を得る」

「教皇頼りって事か。もう一つは?」

「誘拐に誘拐を重ねる。狂言誘拐って事だな。教皇に協力してもらって最初に誘拐した奴らを炙り出す。そいつらを突き出せば俺達の疑惑は晴れる」

「……やるなら二つ目ですね。正直どっちもやりたくないですけど。前者は不確定要素が多すぎます」


 冷静なユウの声に頷く。俺も一つ目は言ってて本気にはしていなかった。一応可能性があったと言うだけの話だ。


「ま、とりあえずは教皇を見つけないことにはどうにもならないけどな」

「っと、ここですね」


 話していると着いた次の目的地。意外と近くにあってよかったと思いながら教会傍の路地でチカに魔術を使ってもらう。


「…………捕まえた」

「間違い無いか?」

「うん。でも今来た道を戻ってるよ?」

「つまり最後の訪問をするまでのどこかで連れ去られたって事だな。チカ、そのまま痕跡手繰れるか?」

「うん。大丈夫。ついてきてっ」


 どれだけ細い糸だろうとチカなら見逃さない。彼女の魔術に関する造詣はきっとコーズミマ全土でもトップクラスだ。

 そんな彼女が自信を持っているのだ。間違っているなんてそんな疑念はない。

 人込みの中、ぶつからないようにだけ気をつけながらチカの後を追う。すると彼女は大通りから伸びた一本の路地の前に止まった。


「……だめ、途切れてる」

「どういうことだ?」

「多分ここで魔術や魔具を使って痕跡消されたんだと思う……」

「内部犯行なら追跡を振り切る術を知っててもおかしくないか……」


 少し考えれば分かることだったのに。振り出しに……。


「ミノ、これ」


 考えているとカレンが何かを見つけて拾い上げる。それは黄色い何かの飾りのような紐で、よく制服の肩章に揺れているモールのような何か。


「何かの切れ端、か……?」

「……これ、馬車に付いてる装飾の一部だと思います。豪華な馬車とかだとこういうのが沢山飾りとして盛られているので」


 体面としてそれなりに豪華な物を使用するのが権威の証。だとすればこれは、細い路地に入った時に壁にでも引っかかって千切れたその端……。


「チカ、これ追えないか?」

「違うかもしれないよ?」

「違うならそれでいい。頼む」

「……分かった。少し時間ちょうだい」


 魔の宿らないただの切れ端の追跡。流石のチカも直ぐにとはいかない様子だ。が、出来ないと言わない辺り恐ろしい。

 何度か魔術を手元で編纂(へんさん)して魔法陣を組み替えるチカ。やがて数分掛けて完成させたらしい彼女が顔を上げて頷く。

 展開した術式に切れ端を媒介にすれば、再びチカが足を出した。その後ろから、ユウが何かを探すように足元を見つつ歩く。


「……どうした、何か気になることでもあるのか?」

「いえ、(わだち)(ひづめ)の跡を追おうかと。少し集中させてください」

「ん、悪い」


 魔を見抜く事に長けた魔瞳の力。その応用で数ある痕跡から馬車の行く先を特定しようと言うのだろう。

 こっちの世界には科学技術がないから、それ系統の捜査は難しい。が、科学とは別ベクトルの魔の力で歩んできた世界。その粋を結集させるように二人の少女が追跡を開始する。


「……私足手まといだね」

「ようやく自覚したのか」

「うぅ……」

「さっきも言っただろ、正面突破のときはお前の力が必要だ。その時に思う存分暴れろ」

「うん」


 剣を作る以外能がないカレンはこういう時に戦力外だ。確かに斬ることしか出来ない彼女は負い目を感じてしまうかもしれない。

 けれども、だ。個人的に俺が魔の力として一番信頼しているのはカレンのそれだ。最初に契約したのが彼女だからなのか、これまで振るってきたその馴染みなのかは分からないが。彼女が万全で俺がそう願えば、最終的にどうにかなると何となく理想を描いてしまう。それくらいにカレンの事は信頼しているのだ。だから……。


「カレン」

「……?」

「お前の力は思いを繋げる力だ。だったら全部うまくいくように祈ってろ。そうすれば神頼み以上に確かな結果を引き寄せられる」

「私そんなに万能じゃないよ、もうっ」


 言いつつ、けれども気は持ち直したのか沈んだ顔から一転、どこか嬉しそうに微笑むカレン。そんなに自分の力に自信があるなら最初から暗い顔なんてするなよな。いつも煩いのが静かだと俺まで影響されるだろうが、全く……。




 チカとユウの力を借りて通りを曲がり進む。人通りの多いところに出るたび目に付く教会の数に、一体どれだけの聖職者や信徒がいるのかと眩暈さえ覚えながら。やがて数えるのも飽きた果てに二人が歩みを止める。

 とりあえず邪魔にならないように、そして身を隠すために路地へ。一度落ち着いてから尋ねる。


「で、どこだ?」

「あの教会です」

「木を隠すにはって事か……。しかし本当にいんのか?」

「……うん、いる。裏口に人が立ってる」

「こっからじゃ見えないが……」


 呟けば、チカが空を見上げた。つられて顔をあげれば、ユウが指差した教会の上で鳥が旋回していた。どうやら上から偵察をしたらしい。どこかで鳥の目を借りたのだろう。抜け目のなさは流石だな。


「何事もなければ裏口に見張りを置くのはおかしい、か……」

「ミノ、これ。光ってる」


 横からカレンが石を差し出す。それはメドラウドに教皇の手掛かりとしてもらった例の宝石だ。それが、彼女の手の中で淡く輝いている。どうやら近くにいると共鳴でもするらしい。


「近くにいるって事か? ならほぼ確定だな」

「よっし。じゃあ殴り込みだな」

「余り周りに被害は出すなよ?」

「分かってるって!」


 答えて、ショウが手を前に突き出す。次いで指に嵌めた指輪が魔力の供給を受けて内包した中から魔具をランダムで顕現させる。

 彼の手に現れたのは、ソフトボールほどの綺麗な水晶。魔具と言うからてっきりこれまで同様剣とか槍とか想像してたのだが……。


「今回は武器ですらないのな」

「魔具な事は確かだから……。あぁ、なるほど。どうやら捕縛とかそんな感じの魔術が色々込められてるっぽい」

「行動阻害に特化した魔具って事か。ならとりあえず表の奴らは任せていいか?」

「OKっ」

「お供します」


 少なくとも武器を携えて近付くよりは警戒され辛いかと。先陣を任せれば、人込みに紛れたショウとユウを見送って二人に告げる。


「チカは休め。ここからはカレンに頼る」

「分かった」

「ありがとな」

「んゅ……」


 労いに頭を撫でれば、首を竦めて目を閉じたチカ。ユークレースに着く前にもこうした事があったが、どうやら彼女は頭を撫でられるのが好きらしい。まぁこれくらいなら簡単な感謝の表現だ。また後で改めて労うとしよう。


「カレン、いけるな?」

「うん、いつでもいいよ。その代わり…………」

「大丈夫だ。斬ったらそれこそお尋ね者にされる。全員気絶させて捕まえる」

「うんっ。…………いこうっ」


 赤い瞳に強い光を灯して。フードの奥からこちらを見上げる彼女に己を預けて手を突き出せば、魔剣と化した相棒が確かに収まった。

 腰に差せば、その重さに安堵する。カレンがそこにいる。そう思うだけで不安よりも理想が勝る。

 これはきっと契約を交わす俺にしか分からない。そう言う安心感だ。

 人の合間を縫って向かいの路地へ。途端に頬を撫でる風が冷たくなったと感じれば、教会の裏手に倒れる二人の男の姿を目視した。


「気付かれたか?」

「どうだろうな。できるだけ物音はさせてないつもりだけど」

「時間を与えて準備されても厄介だ。一気に蹂躙する」

「背中は任せろっ」


 信頼できない以上に信用できる声に頷けば、扉を開いて中へ。どうやら祭具などを置いておく倉庫のような所なのか、それっぽい物が壁際に並べられている。目を慣らすのが先決か。そう考えて足を止めた刹那、横から気配が膨れ上がった。


『ミノっ』

「ッシ!」


 布か何かを被って隠れていたらしい男が上段から剣を振り下ろしてくる。カレンが直前まで気付けなかった所を考えるに、あの布は魔具で、認識阻害か何かの類なのだろうと。

 思考が巡りながら振るったカレンで敵の刃を両断する。次いで開いた片手で剣を作り出し峰打ち。咄嗟の事で思い浮かんだ形が菜切り包丁や出刃包丁のような肉厚のそれ。叩き斬る事を目的とした西洋剣のような重厚さでの峰打ちとなって、思いの他クリーンヒットした一撃が男の体を壁際まで吹っ飛ばした。

 跳んだ体は既に意識がないのか糸の切れた人形のように宙を舞い、壁に立てかけてあったレリーフか何かにぶつかって大きな音を立てる。


「……なぁミノ。一応訊くが、方針は隠密でよかったんだよな?」

「何事も臨機応変、だな」


 便利な言い訳を音にすれば、奥から足音と共に男達が姿を表す。


「よぉし…………殲滅だ」

「オレ達にスニーキングは無理なんじゃね?」


 ショウの声を無視して地面を蹴る。先頭の男の武器をバターのように斬り裂き蹴飛ばせば、後ろから魔術の拘束が傍を抜けたのだった。




 蜂の巣でも突いたように奥からどんどん沸いてくる雑兵を蹴散らして。その(ことごと)くを無力化と共にショウの魔術で拘束すれば、ようやく増援が途切れて一枚の扉の前に辿り着いた。

 この先に……。そう考えて取っ手に手を伸ばそうとした所でユウが遮った。


「待ってくださいっ」

「魔術が掛けられてる」


 続いたチカの声。二人が言うなら間違い無いと一歩引けば、魔瞳の力で触れずに術式を読み解いたユウが呟く。


「……符丁式の術式ですね。合言葉と共に開けないと、開かないどころかその人物に報復が返ります」

「分かる? 魔術展開する?」

「いえ、これくらいなら……」


 集中して魔瞳でじっと見据えるユウ。きっと彼女の瞳には俺に見えない魔術の世界が見えているのだろう。

 人の身で魔の世界を覗き見るというのは一体どういう感覚なのだろうか……。想像でしか語れない未知の領域に少しだけ思考を巡らせれば、その合間に暗号を看破したらしい彼女が小さく息を吐いた。


「ふぅ……。大丈夫です。開けます、いいですか?」

「あぁ、頼む」


 まだ中に敵が潜んで襲撃を企てているかもしれない。その警戒を怠らずカレンを握れば、頷いたユウが小さく呟いて取っ手に手を掛け捻った。


「イネグルっ」


 その言葉に意味はあるのか、それともただの音の羅列か。終わったら後で聞いてみよう。

 考えながら踏み込んだ部屋の中で警戒を張り巡らせる。


「……敵はなしだな」

「ミノ、前!」


 暗闇の中、魔剣化した彼女に光は関係ないのか何かを捉えて告げる。警戒の姿勢だけは崩さずにゆっくりと歩み寄れば、ようやく輪郭を認識できる距離に近付くのと同時、チカの魔術でゆっくりと目を慣らしながらそれを目視する。

 そこにあった……いや、いたのは人。黒い布で手首と足首を拘束され、意識を失っているのか目を閉じている男性。衣服は外を歩くには少し煩わしそうな白い貫頭衣。

 もしやこの人物が……そう巡るのと同時、顔に見覚えがあったらしいユウが答え合わせをしてくれた。


「っ、教皇陛下っ!」

「教皇、この人がか? 随分と若いな」

「はい、間違いありません。即位をしたのがミノさんがこの世界に来る前のことで、その時に色々あってこの方が教皇の座に就いたんです」

「歴史の授業はあとだ。息は……あるな」

「拘束具は魔具だよ。これも符丁式」


 とりあえずは安全確保が第一。生きている事を確認すれば、直ぐ傍に座り込んだチカが彼を拘束する黒い布を見て零す。見た目は布製の少し太い輪ゴムのようなそれで、大人の力なら引き千切れそうだと思ったが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。


「……そういえば教皇は魔具もまともに使えないんだったな」

「はい。ですので例え合言葉を知っていたとしても陛下には自力で脱出する術がありません。それを分かっていてのこれなんでしょうけれども」

(ほど)く?」

「頼む」

「ん」


 既に解析だけは一人で進めていたのか。直ぐに術式を看破したチカが指先に魔力を灯して拘束具の上に文字か何かを綴る。すると次の瞬間、縛っていた黒い布が溶けるように消えて彼の体が自由になった。

 と、拘束以外にも意識の覚醒までをも縛っていたのか、直ぐに教皇だと言う男が目を覚ました。


「…………、っ! あ、あなた方は何が目的で…………!」

「あー、待て待て。俺達はあんたを助けに来たんだ」

「……た、助け…………?」

「あんたを攫った奴らは直ぐ後ろに倒れてる。疑うなら確認して来てくれ」


 まだ目が覚めたばかりで混乱しているらしい男性に、刷り込みのように告げる。とは言え確かに身分を証明するものがないと。どうやって彼の信用を得れば納得してもらえるだろうか……。

 今の今まで考えていなかった最後の詰めをようやく思い描き始めるのと同時、ユウが膝を突いて目線を合わせる。


「……教皇陛下。ご無事で何よりです」

「き、君……その目は……!」

「モグラス・リル・パニーヤ」

「……! ど、どうして君のような祝福されし者がここに……」

「ユウです。どうぞ以後お見知りおきを」


 あぁ、なるほど。本人しか名乗れない洗礼名。それを身分証明の代わりにしたのか。確かに、彼女のそれは違える事の出来ない聖なるものだ。目の前の彼が教皇なら、ユウのその名前に覚えはあるはず。

 そう納得するのと同時、教皇らしき人物は自由になった手足で膝を折って座り直すと、ユウに向けて手を組んだ。


「神よ、慈悲深く愛しき我らが主よ。迷いし道に(しるべ)を遣わしてくださったこと、感謝いたします……」

「あ、あの……。そう言うのはあまり。と言うか教皇陛下が頭を垂れないでください……!」

「あぁ、これは失礼をしました。ですがきっと、これも神のお導きですので」


 敬虔以上に神聖ささえ感じるその雰囲気に、何となく理解する。どうやら彼は件の教皇で間違いなさそうだ。

 恐縮したように恥ずかしがるユウがわたわたと手を振る。そうして崇められる事が嫌に感じたから巡り巡ってここにいる彼女にとって、教皇相手でも根にある部分は揺らがないらしい。

 と、そんなやり取りをずっと見ているわけにも行かず。仕方なく割って入る。


「あー、えっと……」

「おっと、お助けいただいたのにまだ名乗っておりませんでしたね。わたくしはファルシアと言います。あなた方は命を助けて頂いた恩人です。お名前をお聞かせ願えますか?」

「ミノだ。こっちがショウ。……で、魔剣のカレンとチカ。それから魔瞳のユウ」

「魔剣に、魔瞳……。これはまた、随分な取り合わせでございますね」


 彼……ファルシア相手に隠す必要もないかと。とりあえず名前だけ明かせば、肩書きの方に興味が湧いたらしい。

 まぁ聖人扱いのユウに、魔剣が二振りだ。教皇としては見過ごせない一団だろう。


「色々訊きたい事とかもあるんだけどな。とりあえず外に出ようぜ。メドラウドにも報告しないとだしな」

「メドラウド……。もしかして彼のご依頼でわたくしを探してくれたのですか?」

「あぁ。が、詳しい事は落ち着いてからだ。まずは無事を知らせないとな。早くしないといつ増援が来るか分からない」

「えぇ、そうですね」


 彼のペースに付き合っていたらいつまでも話が進みそうにないと。教皇相手だが飾る事無く少し強引に話を進める。

 そうして、来た道を引き返そうとした所で、教皇が口を開く。


「……いえ、すみません。助けていただいたことには感謝をしているのですが、わたくしには今すぐにでもしなければならない使命がございます」

「使命?」


 また話が脱線する。それはメドラウドのところへ行くまでの間にでも……。そう考えた直後、彼は少し焦った様子で告げた。


「秘宝を……マヘンの安全を確認しなくてはなりません」

「マヘン……?」

「えっ、……えっ!? 嘘っ! マヘンって、まさか……!」


 マヘン。聞き慣れない単語に、けれども何となく魔に纏わる何かかと想像を追えば、隣からユウが慌てたように驚いた。どうやら彼女はマヘンがなんなのか知っているらしい。ショウが尋ねる。


「ユウ、マヘンってなんなんだ?」

「マヘン……字は、こう────魔篇(まへん)です」

「あれ、なんだっけ、この字……」

「書物関係の漢字じゃなかったか?」


 篇。随分と大雑把な記憶だが、本とか詩とか、そういう(たぐい)に近しい単語だったはずだ。その記憶を肯定するようにユウが頷く。


「はい。魔篇と言うのは魔術が数多記された一綴りの書物です。とは言っても話は噂の域を出ない伝説の代物なんですが…………」

「その魔篇がここにあるって言うのか?」

「……ユウ殿のご友人に間違いはきっとないでしょう。ですのでお話しますが、魔篇は実在します」

「っ…………!」


 神妙な面持ちのファルシア。隣で肩を揺らすユウの反応から察するに、どうやらこれは魔瞳クラスのレア物の話らしい。


「一説には、魔篇にはこの世の全ての魔術が記され、手にした者はその全てを思いのままに操ることが出来ると言われています。万能の魔術書、(ことわり)の書、神の手記……。様々な呼ばれ方があって、噂では死した者ですら蘇らせる事が出来るとか……」

「おいおい、そりゃあ流石に誇張のしすぎじゃねぇか?」


 随分な話をユウが語る。

 人が蘇るなんて、流石に与太話だろう。が、火のない所に煙は立たない。何より、ファルシアは目の前で断言したのだ。


「……(ちまた)の真意はこの際いいとしましょうか。ですが事実として魔篇は存在します」

「その根拠は?」

「魔篇を管理しているのはわたくしたちユークレースです」


 ユークレース司教国。共生思想から端を発して、今や世界の均衡を保つ大きな柱の一つ。このコーズミマの世界でユークレースに与えられた特権は、魔剣の登録や管理……つまり魔に関する守護者だ。

 魔力を宿した様々な物がここを通っていく世界で、噂の奇跡の書物を管理していると言う……。確かに納得のいく話だ。


「……それが事実だとして、魔篇の安全確認ってのはどういうことだ? 誰かが狙ってるのか?」

「はい。わたくしが拘束された際にそれを問われたのです。魔篇の所在を教えろ、と」

「言ったのか?」

「…………はい」


 世界を揺るがしかねない代物。その在り処を簡単に白状してしまうなんて神の信徒らしいというか……。と、そこまで考えた所で目の前のファルシアが言葉ほどに動揺していない事に気が付く。次いで思考が反転する。


「……もしかして何かあるのか?」

「はい。お察しの通りです。今し方お話した通り、魔篇はそれは特別な存在です。当然、それに見合った管理をしております。簡単に賊の手には渡りません」


 恐らく魔術的な封印か何かが施されているのだろう。彼の言葉からはそんな感じがする。


「幾ら神に祈りを捧げる者と言えど、魔篇に触れることは叶いません」

「神に……ってことは、誘拐したのはやっぱり教会内部の人間なのか?」

「はい。彼らはわたくし同様神へ仕える(しもべ)でございます。……こうなってしまった今では、その信仰心も偽りだったのだと思いますが……」


 ショウの声に頷くファルシア。どうやら想定通り内部犯行だったらしい。厳密には、恐らく最初からそのつもりで潜り込んだ奴らの仕業と言うことだ。


「そも魔篇に関しては外に情報が漏れないようにできるだけ厳しく管理しておりますので。知っているのはごく一部の者達のみ。犯人も自ずと割れるでしょう」

「今頃当人達は魔篇の所か。さて、どうするか……」


 当初の予定なら教皇に一芝居打って貰って狂言誘拐から犯人を誘き出すつもりだったが、魔篇の在り処を聞いた彼らには最早教皇に利用価値など殆どない。……いや、あるか?


「直接乗り込みますか?」

「……一応訊くが、教えた保管場所ってのは本物か?」

「はい。ですが先ほども言った通りいざという時の備えはしております。わたくしでなければ解けない仕掛け。時間が経てば彼らは捕まるか、そうでなくとも奪取が無理と知り逃げるなり、わたくしを欲するなりするでしょう」

「戻ってくるのを待つよりはこっちから出向いて捕まえた方が早いのは確かだな……」

「あんまり時間も掛けられないしな」

「と言いますと……?」

「第一容疑者として疑われてるのは俺達だ。元はこいつら……魔剣の認可を貰おうとここまできたんだがな。タイミング悪くこんな事が起きた所為でメドラウドにも疑われてる。だから冤罪着せられる前に真犯人見つけ出すなりしないといけないって状況なわけだ」


 魔篇の情報提供の代わりにと、信頼してもらうためにも包み隠さず話す。何より、今ここで彼と違えても何もいい事はない。ならば友好的な関係を築く方がよほどいい。


「…………もうそれほど時間もない。とりあえず無事にここから逃げて、送り届けた後で俺達はその犯人を追う」

「そうですね。ですのでできれば────」


 言葉を継いでユウがファルシアに庇護を求めようとする。それとほぼ同時、後ろの扉が音を立てて開き、騎士と共に聖職者が部屋に駆け込んできた。

 彼────メドラウドは辺りを見渡すと、その中でファルシアを見つけ安堵したように息を吐く。次いで彼は視線を鋭くすると右手を上げた。彼の背後で数人の騎士が抜剣し、構える。


「陛下、ご無事で何よりです。さぁ、こちらへ。彼らの身柄は騎士が…………」

「メドラウド」


 面倒な事に……。踏み込んでくるつもりならカレンで無力化してやろうかと意識を向けたところで、ファルシアが静かに呟く。

 それは確かな意思の篭った声で、落ち着いた中に大いなる力を感じる一声。


「剣を収めなさい。彼らはわたくしを窮地より救ってくださった心優しき友です。神の御名の下に、罪なき血を流すことは許しません」

「へ、陛下……!」

「メドラウド。わたくしは天上の主に誓います。彼らはわたくし達の友です。剣を下げなさい」

「…………失礼、しました……」


 教皇。その威厳を確かに纏ってファルシアが毅然と告ぐ。お陰で控えていた騎士達が剣を収め、一息つく事が出来た。

 友。その一言で立場もそれなりに固まった。剣を向けられはしたが、騎士には感謝だ。

 ファルシアが見知った顔に安堵して問う。


「……感謝をします、メドラウド。けれどよくここが分かりましたね?」

「陛下が姿を消されてから調査は進めておりましたので。先ほどようやく実を結び、こうして助けに参った次第です。彼らに先を越されてはしまいましたが」


 恐らくチカやユウがしたそれと似たような方法で居場所を当てたか、もしくは張り付けていた監視の連絡で急いで兵を集め何食わぬ顔で馳せ参じたのだろう。前者なら一応労いの念もあるが、後者ならば(つら)の皮が厚いことだ。


「……協力に感謝します」

「まだ終わってないがな」

「それはどういう……」


 まだ険の抜けないメドラウドの視線に、最早飾るものもないとどこかにあった遠慮を捨てて告げる。そんなに俺を犯人に仕立て上げたかったかよ。

 思っていると、ファルシアが言葉を継いだ。


「メドラウド、わたくしを誘拐した者達の目的は魔篇です」

「それは本当ですかっ?」

「……騎士もいて安全は確保されたみたいだしな。俺達はこれからその犯人を捕まえに行ってくる」


 メドラウドに後を預ければ、彼が何かを言う前にファルシアが口を開いた。


「幾ら皆様方でも不用意に近づくのはお勧めいたしませんよ」


 カレン、チカ、ユウの力を借りればどうにかなりそうな気はするが……しかしここで彼の不信を買うわけには行かないか。足を止めて振り返る。


「……それじゃあどうしたら俺達の嫌疑は晴れる?」

「……………………」


 最早ノープラン。成り行き任せでどうにかするほかない。ある種自棄になって尋ねれば、しばらく考え込んだファルシアが顔を上げた。


「…………ではわたくしもついていきましょう」

「陛下!」

「わたくしがいれば危険を回避することができましょう。それに、ないとは思いますが彼らが魔篇に手を伸ばすならば、その悪行を神の名の下に白日に晒し、毅然と裁かなければなりません。わたくしを、守ってくださいますか?」

「……それで疑いが晴れるなら」

「ならば僕もついて行きます!」

「相変わらず心配性だな、メドラウド」

御身(おんみ)は教皇ですっ。貴方様を失ってはユークレースも、ユヴェーレン教も立ち行かなくなってしまいます!」

「その時は君に任せよう、メドラウド」

「お、お戯れも程ほどにしてくださいっ!」


 ファルシアの言葉には少し驚いたが、しかしこれは願ってもないチャンスだ。彼の目の前で力を示せれば、色々有利になる。想像外の方向に話は転んだが、まだ可能性は尽きていない。

 面倒そうだが、乗るしかないと。覚悟を決めれば、ファルシアがこちらを向いた。


「では、えっと……」

「……ミノだ」

「ではミノ殿。わたくしをよろしくお願いします」


 慈愛とも言うべき優しい微笑みでそう言った彼は、教皇でありながら礼儀正しく頭を下げたのだった。




 結局メドラウドも一緒に魔篇の無事を確認に向かう事になった。教皇……司祭と助祭では階級の違いで逆らう事が難しいらしく、俺達が一緒に行動する事に渋々と言った様子だ。

 そんな位階。位階とは、教内での序列のことだ。ユヴェーレン教……コーズミマでの聖職者の位階は上から順に教皇(ポープ)枢機卿(カーディナル)司教(ビショップ)司祭(プリースト)助祭(ディーコン)侍祭(アコライト)祓魔師(エクソシスト)読師(レクター)守門(ドアキーパー)の並びらしい。正しくは教皇と枢機卿は位階には含まれず、実質的な最上位は司教。教皇はユークレースを国として見た時の国の主としての肩書きで、国王と同等。枢機卿はその補佐と言う位置付けなのだそうだ。

 今回行動を共にするファルシアは、ユヴェーレン教では最上位の司教であり、ユークレース司教国の代表として教皇を兼ねている。メドラウドは助祭ではあるが、ファルシアに見込まれ枢機卿として傍で補佐をしているのだとか。

 司教から助祭までの三つを上位、それ以下の四つを下位に分類し、上に行くほど教内での権力が強くなる。この辺りは軍などと同じだ。

 また、女性は修道女(シスター)で、下位の位階までなら叙階される。逆に言えば、導く立場である上位の位階には叙階されないらしい。その延長線上で、教皇には男性しかなれないのだそうだ。

 修道女は修道誓願した女性の事だが、ユウは修道女ではなく一般信徒らしい。担ぎ上げられはしたが、誓願はしていないのだとか。

 平信徒でありながら聖人クラスの扱いを受けているなんて少しおかしな話だが、そういうもの。お陰で修道院に入って生活することもなく、こうして旅が出来ているのだそうだ。

 ファルシア曰く、ユウは特別の中の特別らしい。何でも、随分前に彼女をユヴェーレン教のシンボルとして招致しようと言う話があったらしい。

 それはファルシアが教皇になる前……前任者が亡くなった時の、俺達がこの世界に来る前の出来事だそうだ。後任を決める前に逝去した前任者。その椅子を巡って少しばかり教内が騒がしくなった折に誰かが言い出したらしい。

 結局紆余曲折を経てファルシアが若くして教皇の座に就いたのだが、もしそれがなければユウはここで愛の神様に身を捧げていたかもしれなかったとのことだ。

 ……もちろん女である彼女が教皇にはなれないが、特別な枠組みを作ろうという働きがあったのだとか。

 そんな話を、目的地に向かう馬車の中でファルシアが語ってくれた。誘拐から立ち直って落ち着いた彼にとっては、目の前のユウにこそ興味が湧いたらしく、彼女の話題となったのだ。

 過去に関してはいい思い出がないユウは、話の最中顔を俯かせて右の前髪を指で引っ張っていた。


「そんなわけで、わたくしにとってもユウさんは特別な存在なのです」


 子供のように目を輝かせるファルシア。彼にしてみればユウは聖遺物も同義。ユウが自由を尊重されるべき人であるが故に、教皇の彼でさえ直接目にするのが初めてらしくこうして興奮しているのだ。


「その、ありがとうございます……。わたしはわたしにそれだけの価値があるとは思えませんけれども、教皇陛下にそう言っていただけるのは嬉しいです。ですが……わたしは今のままが好きなので」

「あぁ、勘違いをさせてしまったのならば申し訳ございません。もちろん我らが主に誓って、強要するつもりはありませんとも。……いえ、それどころか何かお力になれる事があれば是非に協力をさせてください」

「陛下、そのお話はまた後でお願いします」


 随分前のめりに告げる教皇。宗教のトップと言うと、もっとこう厳格と言うか、戒律を重んじる人物かと思っていたのだが……彼は存外俗っぽいというか……聖職者として少し不思議な感じだ。

 しかしそれは悪い話ではなく、こちらとしてはむしろやり易い相手で助かる。彼の申し出も嬉しい誤算だ。

 とは言えその話はメドラウドが横から口を挟む通り、全てが落ち着いてからで構わない。こうして言質が貰えるのであれば、最早確約と同義だ。ならば目下の道を一つに絞ることが出来る。

 考えるのと同時、馬車が止まる。どうやら目的地に着いたらしい。

 御伽噺とも言われる規格外な魔の存在、魔篇。それが管理されているというのがここらしい。

 一体どんな場所に秘蔵されていると言うのか……。まだ土地勘のない身で馬車から降りて辺りを見回せば、その景色に覚えがある事に気が付いた。


「……ここって…………」

無窮書架(むきゅうしょか)、か」

「既にご存知でしたか。では説明は(はぶ)くと致しましょう。ここに魔篇が収められております」


 無窮書架。それは俺達がユークレースに来て情報収集にと利用した、この国最大の叡智の建造物。メドラウドと出会い、巡り巡ってこうなった、その始まりともいうべき場所だ。


「随分と大胆な所に隠したもんだな」

「だからこそ、ですよ。こんなあからさまな所に隠すはずがない……。そう言う心理の裏を掻いたのです」


 国の要とも言うべき蔵書施設に魔篇。木を隠すなら森の中。一周回って間抜けな話に聞こえるが、しかしそれで今まで見つかっていないのだから確かに効果はあったのだろう。

 それにいざという時の防御機構も完備してある。するべき対策は済んでいるのだ。

 逆に、これくらい堂々としているからこそ今まで噂止まりだったのだろうと。阿呆らしい話に少し悔しささえ感じながらファルシアの後をついて歩く。

 擦れ違う人が瞬時に道を空けて頭を垂れるのを見て、改めて彼が権威ある椅子に座る者なのだと知る。

 やがてアポ無しに驚いている様子の館長らしき人物が出てきてファルシアと言葉を交わす。要件を伝えるとそこからは彼の案内で無窮書架の裏側へ。

 と、その入り口らしき所に来たところで館長が驚く。まぁ無理もないだろう。普段入り口を守っているらしき大人が二人、気絶して倒れていたのだ。

 ここから押し入ったのは間違い無いな。


『カレン。警戒しとけ』

『分かった』


 ここから先は注意が必要だ。意識して胸の内を入れ替える。


「教皇陛下、これは…………!」

「よい、想定の範囲内だ。館長、彼らを任せてもよいな?」

「はいっ」

「ではミノ殿。行きましょうか」

「ショウ、ユウと一緒に後ろを守れ。チカは教皇とメドラウドを。カレンは俺と前だ」


 直ぐに陣形を整えて扉を開けて中へ。入って直ぐに想像を覆されて思わず口を開く。


「図書館のバックヤードじゃねぇのかよ……」

「み、水……」


 カレンの呟き。彼女の言う通り、足元の階段が水底に続いていたのだ。

 数多もの蔵書を管理する無窮書架。その裏側が、いきなり水浸しだとは思わなかった。


「ここは魔術で隔絶されているのです。ですので表に被害はありませんよ。ご安心を」


 別にそんな事が知りたかったわけじゃないのだが……。

 思いつつ、水の中へと続く階段の先に金属製の扉があるのを見つけて問う。


「で、どうすればいい? ここに奴らがいないって事はどうにかして通り抜ける術があるんだろ?」

「えぇ。少し待ってください」


 頷いたファルシアは、それから足元の石の階段……そのステップの部分を上に持ち上げる。どうやら収納のようになっているらしい。


「中のレバーを引いていただけますか?」

「これか?」


 腕を突っ込んで金属製のそれを掴み、思いっきり引っ張る。すると何か仕掛けが作用したのか重い音が響き、次いで横の壁に穴が開いて階段を沈めていた水が抜けていく。


「では下へ。直ぐに再び上から水が降ってきますので」

「時間制限とか、一体どこのからくり屋敷だよ……」


 悪態吐きつつ足元に注意して扉へ。濡れたドアノブを握って開け……ようとしたが、びくともしなかった。


「あぁ、その扉は偽物です。本物の入り口はこちらへ」

「最初から随分な歓迎だな、こりゃ……」


 ファルシアが示したのは再び階段。次いで彼は段差の一番下に手をかけて思い切り持ち上げる。すると床が持ち上がって下に梯子が現れた。

 恐らくだが、水の再注入と同時に閉じ込められて侵入者を溺死させる為のトラップなのだろう。ダミーの扉は意識を逸らすためか。意外とえげつない仕掛けだな。


「最初だけですよ。知らなければ進めませんからこれでいいのです」

「信仰や綺麗事だけじゃ世界の均衡は保てないって事か」


 零しながら、水が注ぎ込まれる前に下へと降りていく。するとそこには、足音が反響するほどの果てのわからない地下空間が広がっていた。


「メドラウド、明かりを」

「はい」


 梯子を降りて辺りを見渡すが、暗闇に支配されて何も見えない。

 ファルシアの声にメドラウドが直ぐ近くの何かに触れる。すると次の瞬間、暗闇の中に光が灯っていく。炎の明かりではない。魔具か。

 そんな事を考える傍らで、視界が光に慣れてゆく。次いで目にしたのは、整然と並べられた様々な武器だった。まるで博物館のような様相。呼吸でさえ煩いほどの耳の痛い静寂に思わず零す。


「まるで武器の墓所だな」

「眠っている、と言う点では間違い無いかもしれませんね」

「ミノ、これ全部魔具だよ」

「まじか」


 カレンの声に驚く。よくよく見れば、剣や弓のほかにも鎧、盾、杖のような物もある。


「これらは全てユークレースが管理する魔具です。中には魔物との大規模戦闘に使われた物もありますよ」

「武器庫って事か」


 図書館の下にこんな物が。普通に地上で暮らしていれば想像もしないだろう。


「取り扱いが難しい物から、中途半端な力のものまで。形も能力も様々ですが、今の世には不必要な物ばかりです」

「目立った争いがないからか?」

「戦力の均衡を保つため。そして不用意な争いを生まないためでもある。ユークレースは、魔の管理者でもあるからな」


 問いのような何かにはメドラウドが答える。


「《波旬皇(マクスウェル)》が封印され、世界には今、かつてない平穏が満ちている。もちろん安らぎを求める者も数多くいるが、魔物と全面的に争っていた頃に比べればよほど静かで穏やかだ。……ようやく手に入れた静かな時間。それを壊さないために、こうして均衡を司っているんだ」

「けどこんなに一極集中してて大丈夫なのか?」

「そろそろどうにかしないといけないとは考えているのですがね。人の世も中々に煩雑なのですよ」


 セレスタイン帝国、ベリル連邦、ユークレース司教国、アルマンディン王国。それぞれのバランスや国内でのごたごたで、大きな敵のいない今手をとることは難しいというわけだ。


「その延長線上で、こうして今回魔篇が狙われた。これをきっかけに各国が歩み寄りを見せてくれればよいのですが」


 国の長と言うのは中々に気苦労が絶えないようだ。


「で、その魔篇はどこだ?」

「一番奥です。それまでにも幾つかの罠がありますのでお気をつけを」


 世界を覆せる魔術の至宝。書物らしいそれは、一体どんな代物なのだろうか。その万能の中には、チカの記憶を取り戻す手立てもあるのだろうか。

 僅かに考えていた可能性を期待しつつ歩みを進める。その後ろからショウが呟く。


「……辺り見渡してどうした、ユウ。何か気になる事でもあるか?」

「いえ。これだけ魔具が沢山あるのに、どれも手が付けられていないなと思いまして。魔篇を狙う敵はわたし達より先にここに入ったんですよね。でしたら追跡を警戒して武装するかと思ったんですが……」

「言われてみればそうだな……。確かに盗られた形跡は無いか」


 二人の声につられて視界を回すが、言う通りだ。ならばと、巡った思考が想像を加速させる。


「答えは二つに一つだろ。こうして追っ手が来る事を想像していない馬鹿か。或いは既に武装してるかだ」

「物を盗るのも、帰り道の方が効率的」


 チカの補足。彼女の言うとおり、魔篇に加えての手土産なら帰り道の方が行きの荷物が増えなくて得だ。そう考えるなら、まだ魔篇は敵の手に渡っていない可能性が高い。

 それに能力の分からない武器に頼るほど愚かでも無いと言うことだ。


「けどそうなると相手は余程自分の武器や腕に自信があるって事だよ?」

「過信なら結構。そうじゃないならこの国への所蔵物が増えるだけだ」


 結果を信じたカレンの前に楯突ける物など一握りだ。いざという時は彼女の力を借りて無力化すればいい。そうすればファルシアにも恩が売れる。


「頼もしい発言ですね。期待していますよ」

「君達の方が敵の土産物にならないとも限らないがな」


 憎まれ口はメドラウドから。出会ったときはあんなに聖神官然としていたのに。誘拐事件以降の態度の変わりようはいかがな物か。もしかしてこの不遜な態度が彼の素か?


「言っとくが護衛対象は最悪教皇一人だからな。助祭が一人命を落としたところで国が傾くわけじゃない」

「余裕の護衛も出来ないような輩に命を預ける方が心配ですがね」

「メドラウド、いい加減にしなさい」

「…………失礼しました」


 ……よく分かった。俺とメドラウドは反りが合わないらしい。が、この護衛は教皇直々の命だ。心証を必要以上に悪くするつもりは無い。精々俺の信頼上げに助力してくれ。


「因みに訊くが、護身用の武器とかは持ってるのか?」


 そんな事を考えているとショウが問う。


「わたくしたちは聖職者です。刃のある武器を扱う事は禁じられております故。それにわたくしは、魔に纏わる事に関してはからっきしですので」

「いざという時は僕が身を(てい)してでも陛下をお守りいたしますので」

「……そうならないように、皆さんのお力をお貸しください」


 よくゲームで聖職者はメイスとかモーニングスターといった刃のない武器を持ち、回復ロールだったりすることが多い職業だが、実際の聖職者はまずそんな事はない。そもそも戦場に向かう聖職者などいない。彼らは神に祈るのが仕事だ。

 それは異世界で、魔物が直ぐ傍にいるこの世界でも同じ事。心の拠り所、帰るべき場所の象徴としての彼らは敵の前には出ない。だから武器を持つ必要もない。

 必要最低限、生活に欠かせない魔具を使う事はあるだろうが、ファルシアに関してはそれもない。彼は魔具が扱えないと言う特異な体質だ。

 だからファルシアに戦闘能力はない。そもそも期待をしてはいなかったが、護身用の武器すら持ち歩いていないとのことだ。

 メドラウドの方もどうやら似たようなところらしく、あっても杖が一本とか、その程度だろう。

 一瞬、剣を作って渡そうかとも考えたが、慣れない者が振り回して更なる危険を呼び込むよりは大人しくしていてもらった方がいいと考えて脳内で却下した。事故で背中切られたら(たま)ったものじゃない。


「その為の俺達だからな、っと。これどっちだ?」

「左です。ここから先は道が入り組んでいるので間違えないようにお願いします」


 考えていると壁に開いた道を発見する。その先が二股になっていて、どうやらここからは迷路のようになっているようだ。

 中々に面倒な道中だ。そこまでして守るものだと言えば、魔篇の価値が何となく判る気がするが。

 言われた通りに左の通路へ。と、そこでカレンが足を止めた。


「……いる。奥からふた──えっ! 後ろっ!? なんでっ……!」

「隠蔽の魔術……!」


 カレンが捕らえたのは恐らく前からの二人。そしてその後に背後から敵。続いたチカの声でからくりが露見する。

 魔篇を狙う連中。ここまではファルシアを攫った際に道順を訊き出していたのかやってこられたらしいが、その先が迷路になっていることまでは喋らなかったのか、こうして立ち往生を強いられたのだろう。

 更なる仲間からの連絡を待っていたのか、それともこうしてファルシアが自ら来る事を予見していたのか。どちらにせよここで後続を待っていた様子。そこに丁度、ファルシアをつれた俺達がやって来て渡りに船とばかりに襲ったと言う事だ。

 後ろの伏兵は右の通路にでも隠れていたのだろう。カレンが気づけなかったのは魔具ではなく魔術だったから。チカの知識も魔術の作成や解析、編纂のもので探知ではない。ユウも魔瞳は眼帯で覆っていたから反応できなかったのだ。

 ……いや、この可能性は予測して対策しておくべきだった。教会で教皇を助けた時に入り口で急襲された事を思い出す。似たような方法を取ってくる事まで想定していなかったこちらの落ち度だ。


「カレンはそのまま前だっ。ショウは────」


 後ろを無力化。そう言いかけた直後だった。

 反転して出した足。その裏が、宙を掻く。がくんと支えを失った体が前のめりに傾ぐ。次いで目にしたのは黒く底冷えする虚。送れてそれが、開いた床だと気付く。

 罠……! こんなタイミングでっ!


「っ、ミノっ!」


 声に顔を上げればショウがこちらに手を伸ばしていた。考える間もなく手を伸ばす────が、まるで時の流れがゆっくりになったような景色の中で、指先がどんどん彼から離れていく。とど、かない…………!


「くっ、そがぁっ!」


 胸の奥の悪態を意味もなく吐き出して自由落下の風を体に受ける。

 何でこんな事に…………。そんな諦めの感慨が頭を過ぎった刹那、体が冷たい何かに沈む。口の中を塞ぐように何かが流れ込んでくる。咄嗟に空気を求めて吐き出しもがけば、指先に空気の感触。直ぐさまそちらに向かって体を動かせば、顔が何かの面から突き出て呼吸と共に堰が零れた。


「げほっ……えほっ…………。……なんだ、ここ……どこだ…………?」


 辺りを見渡すとそれに合わせて冷たい飛沫が舞う。遅れて気付く。どうやら並々と張られた水か何かに落ちたらしい。少し飲んでしまったが、問題はないだろうか。

 次いで思考が数瞬前まで巻き戻って上を見れば、頭上から差し込んでいた僅かな光が閉ざされていく。

 ……そうだ。いきなり床が開いて落下して…………。くそ、閉まりやがった。

 途端、辺りが暗闇に支配される。上階の光に慣れていた目では周りを見回しても何も分からない。


「……目が慣れるまで待たないとな」


 光源でも作り出せればよかったのだが、生憎とそういう魔術は教わっていない。こんな事ならチカに学んでおくんだった……。

 とは言えいきなり足元がなくなって水に叩き落されるなんて想像できないと。とりあえず後回しにしたところで直ぐ傍で気泡が弾ける音。何事かと視線を向ければ、微かに黒い影が浮かび上がった次の瞬間、何かが水中から飛び出して辺りに飛沫を撒き散らした。


「ぷはっ……! ぇほ……あぶっ……!」

「その声、ユウか?」

「あ、ミノさ────」


 顔すら見えない中で記憶を頼りに尋ねる。帰った声にそれがユウだと確信した直後……沈黙が流れた。


「…………は? おい、ユウ……?」


 再び水面が飛沫と共に波打つ。


「げほっ……! あぷっ…………ミノさん……わたし、泳げな────」

「まじかよ……」


 色々できるユウにこんな一面があったとは。彼女も人間かと認識を改めつつ、再び沈みかけた彼女に腕を伸ばしてどうにか引っ張り上げる。すると力いっぱい縋った彼女が必至の形相で体重を預けてきた。


「無事か?」

「うぅ……はぃ…………あ、いえ……大丈夫じゃないです…………。早く陸に上がりたいです……」


 消沈した声に、それからようやく闇に慣れてきた目で接岸出来る場所を探す。……と、背後から気配と光。

 咄嗟に振り返れば────そこには白いロングヘアを着流した黄色い瞳の少女が無表情にこちらを見下ろしていた。と言うか、水面に立っていた。

 敵……! そう考えて剣を作ろうとした刹那、それより早く目の前の少女が小さな手のひらを翳す。すると体の内で練り上げた魔力が行き場を失ったように霧散して消えた。


「っ……! お前、誰だ…………!」


 泳いで距離だけ取りつつ言葉で確認。少女は、こちらをじっと見つめてこてりと首を傾げる。


「…………誰。……誰?」


 問い掛けが、静かな空間に反響する。

 まるで感情のない声に、人形かと錯覚した次の瞬間、後ろからファルシアの声が響いた。


「魔篇……!」

「は……?」

「え……?」


 ユウと二人、彼の無事を目で確認しつつ再び少女に視線を向ける。


「まへん……?」


 少女は、また一つ首を傾げる。それだけを知る、人形のように。

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