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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
公国の無窮書架にて
38/84

第二章

「ほぉぉえぇぇぇ…………」


 間の抜けた声が隣から零れる。もし彼女がそう言っていなければ、自分も同じ事を口にしたかもしれない。そう考えるほどに、目の前の景色は荘厳だった。

 ベリル連邦からの国境を越えた長い旅路。一路北へと地図上を走った終着点は、綺麗に切り出され、磨かれた象牙色の建材で彩られた、厳かで迫力のある場所だった。

 ユークレース司教国。宗教が国の形を取り、長として司教が……教皇が治める土地だ。ここ、コーズミマでは最も北に位置する国で、冬のこの時期には町中に白い化粧を施した姿を見る事が出来る。

 そんな国の中心。いわゆる首都と言われるその場所は、国の名前と同じ地名のユークレースと言い、大きな建造物が沢山並んでいた。その殆どが宗教関連の物らしく、門戸(もんこ)は誰にでも開かれ様々な者が出入りしている。

 市壁をパスした先に広がっていたその光景。この世界の一つの柱として認められる宗教。その信者達の姿が何処を見ても目に付き、当然のように闊歩している。道なりに馬を歩かせれば、通り過ぎた教会らしき建物の中から説教のような声が聞こえたりもした。


「すげぇな……。宗教って言うからもっとこう厳格っつうか、格式ばった神聖な雰囲気かと思ってたんだが、意外と賑やかなんだな」

「人がいっぱい……」

「信徒と言っても人ですからね。特にここはコーズミマで信仰される宗教、ユヴェーレン教の聖地でもありますから。敬虔な方々はここに居を構えますし、各国から巡礼者も来ます。ともすれば最も秩序に支配された、最も無秩序な場所かもしれませんね」


 補足のようなユウの声を耳に聞く。

 活気のある空気に、たまらずショウが怯えたような声を漏らす。


「これ道すがら入信迫られたりしねぇよな……?」

「コーズミマは基本一神教ですが、強要はしてませんよ。神様を信じられない人は少なからずいますからね。ただ、来る者は拒まずですから。迷える子羊として門を叩けば、告解や懺悔(ざんげ)を聞いて説教もしてくれると思いますよ。それに感銘を受けたら入信してみるのもいいんじゃないですか?」


 一神教。ただひとつの神的存在を認める宗教の事だ。コーズミマの、ユークレースのユヴェーレン教は、確か愛の神様を崇めているのだったか。


「そう言えば他の神様は居ないのか? そこから別の宗教が台頭したりとか」

「別の神様…………?」


 何を言っているのか分からない。そんな風に問い返された音に、それから至る。

 なるほど、コーズミマの世界で神様と言うと愛の神様以外には存在しないのか。創世だとか万物に宿るだとか……そう言った日本のような八百万(やおよろず)や、神々が名前を連ねる世界各地の神話のような考え方ではなく、キリスト教のイエス・キリストのような存在の方が近いと言うことだろう。

 と言う事はイエス・キリストのように一柱で万能の存在として描かれていそうだ。一神教の中でも、ただ一つの神を信ずべきと言う、絶対的一神教と言う概念に近い。他の台頭する存在がいないから、相対的に一神教となっている、と言うことだ。


「あぁ、いや。なんでもない。深く考えなくていい」

「それにしても凄いね。そこかしこに信徒……? がいるんだね」

「それだけ国に……世界にとって大きな存在だってことだな」

「あの服が教徒?」

「はい。ユヴェーレン教徒は教義に(のっと)った行いをするとき、テリッサを着る決まりがありますので」


 チカの疑問にユウが答える。

 テリッサとは道行く人たちが着ている外套のような服のことだろう。似た物をあっちの世界で見た覚えがある。イスラム圏の女性が肌を晒す事を良しとしない事から羽織る、チャードルのようなものだ。どうやらあれに似たそれがユヴェーレン教での正装らしい。布の色は主に白で、アレンジとして水色や黄色の刺繍が入っているものがちらほら見える。宗教らしく静謐させ感じる装いだ。

 宗教が国の形をしている事からも分かっていた事だが、こうして目にすると実感が違う。

 ユークレースでは白を基調とした建物はその殆どが宗教関連だとユウが道中で教えてくれた。見回してみると空から絵の具の雨でも降ってきたように白一色で、それ以外の色を見つけるのが困難で、簡単なほどだ。

 建物の形としても、シンボルのように先の尖った屋根の塔があちこちから突き出ており、恐らくそれが教会の証なのだろう。と、その尖塔を見て気付く。


「十字架はないんだな」

「ジュウジカ……ってなんですか?」


 あぁ、そうか。……いや、少し考えれば分かる事。単語が違ったりと言う認識の差異があるのだ。そもそも辿ってきた歴史が違うのだから、こちらの宗教があちらと一緒なわけがないと見識を改める。


「そう言えばこれまで村とかで見た墓にも十字架とかない、ただの墓石だったな」

「十字架ってのは……こう、二本の棒を中心より少し上でクロスさせたシンボルでな。向こうだと世界的に有名な宗教の象徴だったんだよ」

「こっちにはそういうのないのか? 身につけてると一目で教徒だって分かるアイテムだとか、簡易的な祈りの対象になる物とか」

「ないですね。強いて言えば服装ですが、それこそユヴェーレン教に人生を捧げていたり、余程敬虔な信徒でない限り毎日着用しているという事はないですからね」

「ほかに衝突する思想がないから身の証明として必要ないのか。……ってことは偶像崇拝もしてないんだな?」

「はい。ユヴェーレン教において偶像崇拝は禁忌の一つですので」


 偶像崇拝とは読んで字の如くだ。事宗教に限れば、神様に似せた像を建ててそれを崇める行為の事。天上の存在である神様の拠り代として(かたど)ったそれを拝むと言うのは、する側としても明確な形が想像出来る行いだ。日本で言う所の仏像もその一つだろう。

 これまでの旅を思い返してみても偶像に当たるような物は目にしていない。十字架のような物も偶像として含まれると言う考えはこちらでも有効なのか、存在していないのだろう。……まぁユウの反応を見る限りこちらには十字架自体が存在せず、その代わりのような物も作り出されてはいない様だ。


「タブーか。一応教えてくれるか? 面倒事は避けて通りたいからな」


 宗教は心の拠り所だ。だからこそ神聖視してそれを汚される事を嫌う者も多い。侵さざる領域を侵してしまえば、非難されてしまう。そうならない為に払うべき注意は払うとしよう。


「禁忌と言ってもそう数はありませんよ。先に挙げた偶像崇拝。それから、神の御名(みな)を呼ぶこと。そして──必要以上に魔の存在を(おとし)めない事です」

「前二つは分かるが……最後のはどうしてだ? 魔物は人にとって生活を脅かす悪じゃないのか?」


 抱いた疑問をショウが口にする。

 宗教は時折他を排斥する。特にコーズミマでは直ぐ傍に蔓延(はびこ)る魔物の脅威からの精神的な支柱となっている。対外的に見れば魔物は非難して(しか)るべき存在だが……。


「ミノさんには前にお話しましたよね。ユークレース司教国の成り立ちです」

「ん…………確か共生思想からの……なるほど」

「どゆこと?」


 この話の片側を担う少女、カレンが首を傾げる。おまえもその時は一緒に聞いてただろうが。何で忘れてるんだよ。

 今回はチカとショウもいるのだと気を取り直して分かり易く説明する。


「……ユークレースの建国には元々騒乱の中で生まれた思想が関わってるんだよ。共生思想……人間と魔物が手を取ろうとした過去の産物だ」

「その一つに魔剣やその契約がありますけどね。人と魔物は分かり合えないわけではない。そんな考え方から一大勢力になった派閥がありまして。その思想を元にユークレース司教国の前身となる集団が出来たんです。それが時代の経過と共に更に大きくなってユークレース司教国として世界に認められたんです」

「今は愛の神様とやらに信仰の対象が変わってるけどな。根の部分では昔の考えを継承してるんだ。だから過剰な非難はするべからず、ってな教義になってるわけだ」


 少し煩雑な教義だが、愛の神様が万能ならキリスト教のように『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい』的な精神があっても不思議ではないか。事によってはダブルスタンダードになりかねないが、そこは宗教お得意の詭弁(きべん)で正当化しているのかもしれない。


「つまりそれさえ守ってれば大丈夫って事だな?」

「はい。もし気になる事があれば、直接教会で伺ってみるのもいいと思いますよ」

「気が向いたら、だな」


 宗教と言うとやはり厳しい戒律やミサなどの典礼が脳裏を過ぎるが、ユウの話を聞いていると周りの雰囲気も相俟ってそれほど堅苦しくは感じない。宗教の違いによる(いさか)いなどがないと言うのであれば、好意的にさえ映るほどだ。

 少しだけ、宗教に関する価値観が変わったかもしれない。


「そう言えば随分詳しいが、ユウも教徒だったりするのか?」

「敬虔な、とまでは言えない平信徒ですけれど、一応は。その気になればそこらで行われている典礼に飛び入りできるくらいの知識はありますよ?」

「なるほど、納得いったよ」


 これまでの旅の中で祈っている彼女を見た事がなかったから知らなかったが、そういうことらしい。

 どうでもいいが、特別何かの食べ物を避けたりしているところも見なかったから、食に関する戒律はそれほど厳しくないか、ともすれば制定すらされていないのかもしれない。

 偶像崇拝がなく、戒律もそれほど厳しくない。ヒンドゥー教のような食への戒めはなく、教会の外観や典礼などはカトリックっぽい気がするのに正装はイスラム風で。直ぐ傍に息づく魔物にすら手を差し伸べる姿は八百万の心を感じるのに、信仰しているのは愛の神様ただ一柱。

 なんだかちぐはぐで、宗教学者が聞いたら卒倒してしまいそうな煩雑さだが、どうやらそれがコーズミマを支える柱の一つ──ユヴェーレン教という宗教らしい。


「何かあれば言ってくださいね。少しくらいはお力になれると思いますから」

「あぁ。けどいいのか? ユウのその目は……」

「魔剣が認められているんです。似たような物ですから大丈夫ですよ。それこそ、神の恩寵と言ってくださるんじゃないですか?」


 神様の寛容さを示すようにくすりと笑うユウ。彼女がそれほど気にしていないのなら、外野がとやかく言うべきではないか。そう納得を見つければ、話を聞きながら探していた宿屋を見つけて乗り付ける。


「あ、宿ですけど、中には信徒しか受け入れないところもありますので気をつけてくださいね」

「あぁ、分かった」


 宗教には戒律に順ずる配慮も必要だ。その為の設備や習慣の為の用意をしている所もあるのだろう。

 とは言えこうして何かを求めてやってくる旅人や観光客もいるのだ。数件回れば大丈夫なところも見つかるはず。

 思いつつ最初に訪れた宿はユウの言っていた信徒限定の宿でお断り。二件目で普通の宿を見つけて部屋を借りた。

 チカの魔術がありつつも荷物と人をここまで運んでくれた旅の相棒を併設された(うまや)に預け労い、必要な荷物を下ろして部屋へ。宗教のお膝元と言う事もあって金の巡りの所為かそれなりに豪華な内装には満足しながら腰を落ち着ける。一応性別毎に二部屋取ったが、ずっと旅をしてきた所為か五人でいる方が落ち着くと、荷物だけ部屋に置いたカレンたちが俺達の部屋にやってきた。


「んーで? 最初はどうするの?」


 いきなり観光だと飛び出さなかった事に少しだけ驚きつつ。脳内の目的を改めて列挙する。


「やるべき事は二つ……いや、一応三つか。身柄の保証、チカの記憶を戻す手立て、《甦君門(グニレース)》への方針決定」

「《甦君門》もか?」

「今更逃げられないだろ。ならいつ来てもいいように方針だけは固めとく。今のままじゃ幾らこっちに数が集まっても何の役にも立たないからな」


 ショウの声に明確に答える。そもそもカレンがいる以上、避けては通れない存在だろう。今までが目溢しされていたに過ぎない。人工魔剣の件にイヴァンとの話し合いも含めれば、これ以上好転する関係はない。

 とは言えそれはその時に。まずは優先順位の決定からだ。


「どれから手をつけるかだが……個人的にはそろそろ逃げ回るのをやめたい。面倒だろ?」

「いつ追っ手が襲ってくるか分からないからね。ユークレースに入ってからセレスタインの方はまだ来てないけど、それもいつまでか分かんない。できるだけ早く自由になりたいね」


 追われる側と言うのは常在戦場の面持ちで気を張るのだ。それが徒労に終われば気疲れもする。そんなところを襲われてしまえば、幾らカレンやチカの手を借りても足を掬われるかもしれない。

 何よりそろそろ鬱陶しいのだ。(しがらみ)などなく大手を振って旅をしたい。


「それに、立場を得ればチカのそれにもいいように働く。だろう、ユウ」


 それが最も大きな理由。それだけ大きな物に手を伸ばそうとしているのだ。


「はい。ミノさんの言う立場……一番の理想はやっぱり《裂必(レッピツ)》のメローラと同じ、放浪の魔剣持ちですよね」

「あぁ。セレスタインに限らず、どこかの国に属するってのは避けたいからな。一番自由な選択肢だ」

「国の均衡も崩さなくて済む」


 チカの言うそれはあまり考慮していない……と言うか、それぞれの国が考えることだろうから別にいいが。確かにカレンやチカは一人でも十分に強力な力を秘めている。それが俺の下に集まっているのだ。どこかに肩入れをすれば、各国のバランスを揺るがしかねない。

 下手に情勢を悪化させれば、《甦君門》に有利な方へと転がる可能性もある。折角のそれなりの治世だ。好き好んで乱そうとは思わない。


「加えて何処の国にも属さないと言うのは、平等に何処の国とも繋がりを持てるということです。それは魔剣に権威を与えるユークレースでも変わりませんから、チカさんの記憶喪失を直す手立てを探す手助けにもなりますからね」


 禍根の残るセレスタインとの交渉も簡単になるし、世界に認められれば《甦君門》だってそう簡単に手出しは出来なくなる。色々都合がいいのだ。

 と、横からショウが疑問を落とす。


「前から思ってたんだが、その魔剣に権威をってのはどう言うことなんだ?」

「……そう言えばまだお話してませんでしたね」

「何となくは分かるがな」

「簡単に言えば、武力として認められているって事です。魔剣……《天魔(レグナ)》と言えど、その存在は魔物ですから。人と争ってきた歴史。今も尚横たわっている物と言うのは確かにあります。ですが魔剣の力を借りれば魔物と戦う術にもなりますから。今の安定した世界を守る為に、魔剣には振るっても許される後ろ盾が必要なんです。その管理を、ここユークレースで行っているんです」


 その国の成り立ちから、ここは魔物と関係が深い。ともすれば人と魔物が共に住まう都市、国だ。世界を支える大きな柱。


「魔剣の管理自体はそれぞれの国で行ってるんだろ?」

「はい。ですがそれは全部、一度先にユークレースを通して認可を受けた物なんです。逆に、そうではない魔剣を振るう事は世界に歯向かう行為と取られ、処罰の対象にもなります」

「人工魔剣とか?」

「お前もそうだろ」


 自分を棚に上げようとした鈍らを指摘する。

 カレンはずっと《甦君門》にいた。それはつまり、世界の表側に流れ出なかったと言う事だ。つまり彼女は、この世界にまだ認められていない魔剣なのだ。

 加えてチカも同じ。彼女は旅の道中で魔剣と化した元魔物だ。だからまだ認可を受けていない、法外の存在。

 更にはユウ。彼女は今も尚セレスタインに追われる身だ。恐らくまだ籍のような物はセレスタインに帰属しているのだろうが、それを反故にする形でベリルに召喚されたショウと契約を交わしている。

 こうして考えると、中々に放埓で異端な集団だ。最早札付きで、世界的に指名手配されてもおかしくない面子だろう。よくこれで今までどうにかなってきたもんだな……。客観視できた事で無駄に肝が冷えた。


「人工魔剣は使い捨て……下手をすると魔具以下ですからね。認可を受ける際にその能力をしっかり調べられますから、認められる事はないと思いますけど」

「出所が出所だしな。使い方によっては便利かもしれないが」

「けど不確定要素が多すぎるだろ」


 確かに。万が一暴走でもすれば理想の運用は出来ない。その可能性がある以上、飛び道具としても認可は下りないだろう。だったらまだそこらの魔具を掻き集めて即興の爆弾にした方が有用だ。


「そもそも存在からして怪しいですからね。このまま人工魔剣の存在が公になったら、まともな魔剣持ちにも影響が出ます。ミノさんが前に危惧した通り、身を保障してもらうならば早いうちがいいですね」

「となると最優先事項はやっぱりそれだな」


 どうにか着地地点を見つけて方針を固める。


「立場を得て、記憶喪失を元に戻す手掛かりを探す。…………でだ、具体的にどうすればいい?」

「わたしも詳しくは知りませんが、正式な手順だと嘆願書と言うか、申請が必要だった気がします」

「お役所仕事のにおいがするな……。時間掛かるか?」

「そもそも野良の魔剣なんて今時早々ありませんから。チカさんのように魔物が魔剣になる、と言うのは珍しい話です。普通は決着があって、そこまで漕ぎつけませんから」


 魔物と人が争い、人が勝って。尚且つ魔物が存在を保っている状態で生き延びようと縋った選択肢が魔剣化だと、前にユウに聞いた。けれどその状況も、今は殆どないらしい。

 《波旬皇(マクスウェル)》を討滅せんと各国が手を取り合って出来た旗印、《魔祓軍(サクラメント)》が戦いの先頭に立った時代までに多くの魔剣が現れている。それは歴史の成り行き上、《天魔(レグナ)》が人との共存を望んだ末のものだからだ。

 今では野良の《天魔》なんてまずいない。いても《魔堕(デーヴィーグ)》と混同されて討滅されるのが落ちだ。高位にならないとまともな意思疎通が出来ないのに、人の側はそこまで脅威を放置しようとは考えないからな。

 そんなわけで、今現在新たな魔剣が誕生するというのは珍しい話なのだ。


「ですので申請が少なければ直ぐにでも。……ですが申請してから認可されるまでは時間が掛かります。それに例え認可を受けてもそこから更に国に属さない身を勝ち取るというのは、余程の理由がないと難しいです。根気強く腰を据える必要がありますよ?」

「けど可能性があるならまずはそこからだ。こればかりは面倒くさくても仕方ない」


 大きな課題に困難は付き物だ。そう簡単な近道などない。

 一つ息を吐いて覚悟を決める。


「それじゃあ、えっと……その認可をしてくれる所に行けばいいの?」

「最終的にはそうですね。ただいきなり行っても門前払いでしょうから、まずは情報を集めましょう。最初の印象は大事ですから」


 面接と言うものがあるように、避けては通れない物は存在する。それこそ公な立場を得ようと言うのだ。ならず者と言うのは印象が悪い。それを補える何かを纏わなければ。


「ならまずは叡智(えいち)の蔵……図書館だな。これだけ大きな都市なんだからどこかにあるだろ」

「よし、そうと決まれば善は急げだ! 早速行こうぜ!」


 外は寒いがまだ陽は落ちていない。出来れば今日中に調べ上げて、明日にでも準備を整えるとしよう。




 町に出て人に聞きながら目的地へ。途中カレンがふらりと道を外れそうになったのを首根っこを捕まえて引きずる。俺だってこの都市を見て回りたいが、観光は後だ。お前も関係する事なんだからもう少し足並み揃えろ。

 そう告げれば、不満を漏らしつつも納得はしたらしいカレンと共に。やってきたのはバロック建築風味な、白い外観の図書館。どうでもいいが、バロックの語源は真珠に関係しているらしい。カレンの白瑪瑙(めのう)やチカの琥珀(こはく)のように、宝石や鉱石と言うものに中々に縁があると思いながら。

 中に入れば、木造の温かみと共に高い天井へ向けて本棚がぎっしりと並び壮観な景色を描いていた。天上のアーチには、ここがユークレースだからかどこか宗教感の漂う模様が彫られていたりしている。お洒落だな。

 三階建てらしい巨大な建築物。ユークレースでは無窮書架(むきゅうしょか)と呼ばれる、この国最大の知の蔵らしい。確かに、この本の量は無窮……途方もない数に思える。人生を全て費やしても読みきれない気がする。

 と、そこでふと、ここまで勉強してきてよかったと一人ごちる。こっちの世界の文字が読めなければ、こんな所に来ても意味がないからな。ユウの教鞭(きょうべん)には感謝だ。

 まだ完全にとはいかないから、困ったときにはユウを頼ろうと恥を捨てて。入館料を払い中へ入る。


「そう言えば利用料が要るんだな」

「向こうだと違うんですか?」

「少なくとも俺達の国では無償だったな。海外……他の国だと有料の所もあった気がするが」

「だからオレ達にとっちゃあ逆にこっちの方が新鮮だ」

「知識の宝庫ですからね。資産には価値が付くものですよ」


 知識は資産。その通りだろう。知っているのと知らないのでは大きな差がある。だからこそ教育が意味をなすのだが……。


「ユウ、こっちの世界の教育機関はどうなってる?」

「学び舎ですか? 基本的には一握りの者達だけが入れる場所ですね」

「あぁ、そうか。それでか……」


 ふと過ぎった疑問。その答えに納得して、その違いを受け入れる。


「ミノ、どういうこと? なにがなの?」

「んとな、向こうの世界……特に俺やショウの住んでた国だと、義務教育……必要最低限の勉学は子供の内に全員が経験する決まりなんだ」

「ぜ、全員、ですか……?」

「こっちの価値観だと壮大な話に聞こえるかもしれないがな。確かな教育は立派な大人になる一歩だ。お陰で、識字率はほぼ100%だったはずだ」

「冗談……だった方がまだ納得できますよ、それ」


 ユウが驚くのも無理はない。コーズミマの識字率は、体感だが三割ほどだ。読むだけなら問題はないだろうが書くとなると極端にその数が限られてしまう。

 読めれば書ける、とも思うのだが、それは文字の形が書けるだけで文法が絡むと別問題。そもそも読むだけの人たちだって、十全に言葉の意味を理解しているとは言えない。単語単語を判断して、ニュアンスで認識しているのが大半な筈だ。

 商売を例に挙げれば、書面上の言葉よりも数字の方が重要度が高い。商人などでも、名前と数字以外で読み書きができないというのはざらだ。


「あっちだと教育は国家事業だからな。国を挙げて取り組んでるんだから格差の是正はある程度されるだろうよ。けどこっちだとそうじゃない。ユウの話から察するに、幼い頃から勉強を重ねてようやくスタートラインに立てるって感じか?」

「はい。それまでの努力も、日々の暮らしが精一杯な人たちにとっては高い壁ですから。そもそも臨める人が限られますね」


 その昔、お隣の国で科挙(かきょ)と言う官僚になる為の厳しい試験があったらしい。何でも文字が汚いだけで弾かれるとか……。

 それと比べるとまだ優しいのかも知れないが、勉強に望むだけの下地……環境がなければまず難しいという事だ。


「勉強出来るのは一握りだけ。必然、学力に大きな差が出来て、それが埋まる事はまずない。それでも生きていくには知識や知恵が必要で、それを得る為にこうして図書館を利用することになる」

「……なるほど。それで知識に対して価値が付いて、入館料とかが必要になるのか」

「それにここはユークレースだしな」

「ユークレースだから?」


 首を傾げるチカに答える。


「ここは司教国……宗教の国だ。学業と宗教。どっちが重要視されると思う? どっちの道の方が将来得だと思う?」

「宗教」


 チカが納得したように呟く。

 宗教に重きを置くからこそ、学業が疎かになる。けれどどんな道でさえ偉くなろうと思えば知識は必要だ。


「叡智は神様の象徴でもあるからな。お布施の意味もこめて知識に価値が付くのは当然といえば当然だ。それに宗教も馬鹿には勤まらないのも事実だ。必然勉強は求められる」

「需要があるから、意味が生まれる……。利用されて払われたお金が、また巡る、ですか」

「ま、詳しい所は俺もよく知らないがな。仕組みとしてはそんな感じだろ」


 よく無償の愛と言うが、宗教ほどお金に密接な概念もないだろう。お金を使う側になるには、中々に大変な道に違いない。

 それでもこの国では大部分を占めるのは間違い無い。それぞれが夢を持っているのだ。特にここ、図書館にはその為に努力する者が集まると言うわけだ。


「でだ。それだけ大事な図書館だから、それに見合った情報もきっとある。……ってなわけでここからは手分けするぞ。流石に固まってこの数を見て回ると日が暮れるどころの話じゃない。とりあえず魔剣と魔術、宗教関連。それっぽいの集めてそこの机に集合だ。いいな?」

「分かった」


 ようやく着地した目的を分散させて作業に取り掛かる。とりあえず今日中に手掛かりだけでも。そう意気込んで、それぞれに広い館内へと足を出す。

 様々な本の並ぶ、眩暈さえ覚えるような物量。多量の紙と装丁の皮、そして記されたインクのにおい。それらが滲み、混ざり合って溶け、劣化したような独特な書物のにおいが鼻先を掠める。

 この辺りは向こうの世界でも同じで、特別本に嫌な過去がある訳ではない身からすれば、何となく安心する雰囲気だ。館内が静かなのもポイントだろう。普段カレンという騒音と共にいるから、静かで落ち着いた空気は心の安らぎなのだ。

 いっそのことずっとここで暮らしていたい。そうすればあのカレンでも口を縫いつけたように静かになるに違いないと、叶わぬ願いを望みながら。

 とりあえずこの本で一回最後に。少し上の段に見つけた魔剣についての書籍に手を伸ばす。本当は台でも使って取るのだろう、高い位置の本を指先でどうにか引っ張り出す。

 と、思いの他簡単に抜けた所為か後ろに掛けていた体重が支えを失って視界が傾ぐ。咄嗟に本を傷つけないようにと、床との挨拶を覚悟した所で体が何かに受け止められた。見れば、誰かの腕に支えられている。

 直ぐに立ち上がれば、そこにいたのは黒いゆったりとした(くるぶし)まであるローブを身に纏った男性。彼はにこやかに笑みを浮かべて尋ねてくる。


「お怪我はありませんか?」

「はい。ありがとうございます」


 不注意とは言え助けられた事に違いない。するべき感謝は怠らない。

 答えれば、安心したように息を吐く男性。ふと、彼の目が俺の手に注がれる。


「おや、その刻印……。魔剣との契約者様ですか?」

「あ、はい」

「とするとユークレースへは認可を求めて?」


 少し厄介な話の流れ。下手な受け答えでは彼を通じて今後に関わると。考えて口を噤んだのを、けれども目の前の彼は何かを察したように続ける。


「もしそうでしたら、僕の方から紹介をさせていただきますよ」

「え……?」

「これでも一応助祭(ディーコン)の身でして。お話いただければ直ぐにでも手続きが出来るように取り計らわせてもらいますよ」


 助祭。ユウに聞いた話では、ユヴェーレン教の位階の内上から三つ目。七つある位階を上位と下位に分けた時の、上位に属する肩書きだ。主に司祭(プリースト)の補佐をする役割で、経験を経て司祭に、そして司教(ビショップ)になるような人物だ。

 そう考えると、目の前の男性は随分と偉い立場に近いらしい。

 中々にややこしい宗教の肩書きを思い出す沈黙に、男性は何かに気付いて慌てたように口を開く。


「……あぁ、これは失礼。まず名乗っておりませんでしたね。僕はメドラウド。しがない聖職者でございます」


 礼儀正しく折った腰。落ち着いた語調と真摯さを纏ったその姿に、思わずこちらまで背筋が正しくなる。

 改めて見た彼……メドラウドは、短い金髪に紫色の瞳を称えた年のころ30代の男性。調べ物か何かの為にここを訪れていた助祭らしい。


「さて、どうでしょう。これもきっと何かのお導き。よろしければご案内致しますが」

「……少し待ってもらう事は?」

「えぇ、もちろん。では外でお待ちしております」


 深くは食い下がらずあっさりと答えてまた一礼をし、メドラウドは図書館の外へ向かう。そんな彼の背中を少しだけ眺めて、カレンとチカへ契言を送る。


『話がしたい。直ぐに集まれるか?』

『本はどうするの?』

『後でいい』

『分かった』


 こういう時離れていても通じる会話は便利だと。向こうの世界の携帯端末を思い出しながらショウとユウを探して先ほど決めた集合場所へ。既に先に来ていたカレンたちと合流し、すぐさま本題に入る。


「それでミノさん、どうかしたんですか?」

「さっき助祭だと言う男と偶然会った。あいつの話だと、望めば魔剣の申請に口を利いてくれるらしい」

「達の悪い宗教勧誘じゃないだろうな……」

「なくはないが……あまり声を大きくするな。弾かれるぞ」

「っと、悪い…………」


 ショウの言いたい事をもよく分かる。けれども彼は魔剣を理由に出した。ここまでの話を聞くに魔に関する部分でユークレースが嘘を吐く理由が見当たらない。精神的な何かならともかく、物的な根拠があるのだ。簡単には切り捨てられない。


「ユウ、どう思う?」

「多分本物だとは思いますが……。その人は今どこに?」

「図書館の外だ。見れば分かるのか?」

「少しだけ会話ができればわかりますよ」


 確かめる術があるのだろう。顔を上げれば、カレンたちが頷く。どうでもいいが、カレンは本が読みたくないだけだろう。

 顔に出やすい彼女を一瞥しつつ図書館の外へ。すると言葉通りメドラウドが待っていた。声を掛けるより先に向こうも気付く。


「おや、そちらはお連れの方ですか?」

「はい」

「失礼。……モグラス・リル・パニーヤ」

「これは……! いえ、よくぞご無事で。歓迎いたしましょう」


 聞き馴染みのない音節をユウが呟く。刹那に、目を見開いたメドラウドが感激したようにその場に片膝を突いた。

 想像外の出来事に面食らいつつ、隣のユウに問う。


「……何だ?」

「本物なら伝わるちょっとした暗号、みたいなものです。大丈夫ですよ、この人は正式な助祭さんです」

「そうか」


 聖句のようななにか、なのだろう。そう言えばユウはユヴェーレン教の信徒だったか。ならば今の言葉、信じてもいいはずだ。

 とは言え、あまり口にしたくない類のものだったのか、ユウの顔が少しだけ曇っていた。一体なんだというのだろうか。また後で、彼女が話してくれるなら訊いてみるとしよう。

 考えていると、立ち上がったメドラウドが口を開く。


「慈愛に感謝を。それで、どういったご用件で?」

「……魔剣の認可を受けたい。案内してくれるか?」

「畏まりました。こちらへどうぞ」


 踵を返して歩きだしたメドラウド。そんな彼について歩き出せば、魔瞳の少女が何かから逃げるように音にした。


「入館料、無駄になっちゃいましたね」

「それ以上のものが得られたんだからいいだろう」

「そうですね」


 また後で。瞳の奥にそう宿したユウの声に頷けば、迷いなく歩く助祭の後を付いて行くのだった。




 やってきたのは宮殿のように大きな教会。入る前にユウが小声で教えてくれたが、どうやらここがユヴェーレン教の元締め……実質的な中央らしい。そう言われてみればこれまで見たどの教会よりも荘厳で、空気が澄んでいる気がする。聖職者らしき人影も、信徒らしき姿の人物も沢山見える。宗教で教会と言うと何だか構えてしまうが、熱気も感じるのは不思議だ。


「気になりますか? よろしければ後で中もご案内致しますよ」

「そっちは……気が向いた時にでも」

「はい、お待ちしております」


 人のいい笑顔で答えてメドラウドが教会の奥へと歩みを進める。しばらくして貴賓室らしき部屋に通されると、書類を取ってくるとのことでそこで待たされた。

 彼が出て足音が遠ざかると、誰からともなく息を吐く。


「変に緊張するな、これ」

「悪い事をしてるわけじゃないのにね」

「不意の警察ロジックだな」


 この辺りの感性は世界が変わっても同じものかと。共感に安堵して今一度胸に息を吸い込む。その最中、ここに来るまでもそうだったがぎこちない様子のユウに尋ねる。


「どうした」

「いえ、その……」

「何か気になる事もであるのか?」

「そうでは、ないんです。ただ少し、緊張と言うか、警戒と言うか……」


 いつも冷静な彼女がそうだとこちらまで不安になってくる。何かあるのならと聞く体勢を整えれば、深呼吸したユウが意を決したように口を開く。


「ここは聖地……ユヴェーレン教の信者にとって憧れの場所で、一度は来てみたいと言う教会なんです。そこに、こんな形で来るとは思っていなくて……。時間があれば少しだけでもと思っていただけなので、何だか不思議な感覚といいますか……」

「柄にもなく緊張してるって事か」

「が、柄にもなくってどういうことですかっ。わたしだって、その、人間なんですから。人並みに怖かったりはしますよ……」


 ユウにとっては憧れの場所で、今やその腹の中に招かれている状態だ。似たような経験がないからなんとも言えないが、恐縮していると言うのは彼女を見ていれば伝わってくる。

 それだけユヴェーレン教が、ユークレースが彼女にとって特別だと言う事だ。


「あと、その……図書館でわたしが口にした、あれの事もありまして」

「あー、なんだっけか……モグなんとか、とか……」

「モグラス・リル・パニーヤ、です。簡単に言うと、わたしのもう一つの名前なんです」

「もう一つの名前?」

「ユヴェーレン教で式典を行う際の物と言いますか、信者の証といいますか……」

「あぁ、洗礼名みたいなもんか」


 洗礼名。ショウの紡いだ聞き覚えのある単語に思い返す。それとほぼ同時、チカが疑問を向けてきた。


「センレイメイ?」

「向こうの世界で宗教に入る時の通過儀礼で授かる名前の事だ」

「そうですね、似たようなものだと思います」


 こっちの世界にも洗礼に似たような何かがあるらしい。


「名前は全員がもらえる訳ではないんです。信心深い者、大きな貢献をした者、高い位に就いた者……理由はそれぞれですが、平信徒より一つ上の証なんです」

「ユウのそれはなんなんだ?」

「……これです」


 言って、彼女は右目の眼帯を押さえる。


「魔瞳は、体に魔物を宿す形ですから。ユヴェーレン教……ユークレースの前身である共生思想。わたしはその考えを体現したような存在なんです。ですので、わたしが《甦君門》からセレスタインに保護された時に、この身を祝福して授けられた名前で……他の人には名乗る事の出来ない名前なんです」

「…………そうか、それで本物の確認か」

「はい。本物の聖職者なら、わたしの名前に聞き覚えがあるはずだと。他にいないからこそ、それ相応の崇められ方をされましたので…………」


 彼女が言い難そうにしていた理由を知る。流石にこれは自ら語りたい部類の話ではないか。口振りからしても、あまりいい思いをしてこなかったみたいだしな。興味に任せて彼女の胸中を抉ってしまった。

 そんな感情が顔に出たのか、訂正するように彼女が言葉を次ぐ。


「もちろん悪気があった訳ではないのは分かってます。けれど周りからすると、やっぱりわたしは特別だったので。まだ幼いながらに、大人の人までもがわたしに頭を垂れる姿は……何だか怖かったんです。……それから逃げるように、わたしは戦う事に身を寄せて。少し間違えたりもしながらここまで来ました」

「……言い辛い事を訊いて悪かったな」

「いえ、言葉にしたら少しすっきりしました。ありがとうございます」


 言葉通り、先ほどよりも影の薄れた表情で微笑むユウ。彼女も大概、色々な物を抱えていると一人ごちる。

 隣でショウが疑問を声にした。


「他の人には言えないって言ってたけど、詐称くらいならしてもばれないんじゃないか?」

「いえ、言えないというのは言葉通りで、名前を授ける際に魔術的な刻印も行うんです。他人の名前を言ったりすると、それが作用して身柄を拘束されます。一応これも禁忌ですが、名前を貰っていないミノさん達には関係のない話なので言いませんでした」

「中々に面倒だな」

「……ミノさんはその言葉で色々片付けすぎですよ」


 呆れたように笑うユウ。けれどもそんな気軽さに救われたのか、声も表情も軽い。


「しかし、って事は聖人みたいな扱いをされてるって事か」

「わたしはそんなに立派な人間ではないですけれどね。けど立場は立場ですから、悪用ぎりぎりで色々融通は利くと思いますよ?」

「ユウも大概だろ」


 人の事を笑ってくれたが、今の言い分は咎められかねない発言ではなかろうかと。指摘すれば、また一つ笑みを浮かべた彼女。どうやら大分沈んだ彼女が元に戻ってきたようだ。

 大概抱え込みすぎるユウ。秘密を共有して心が軽くなるのなら、きっとそれはいいことなのだろう。

 そんな事を考えているとメドラウドが戻ってきた。


「お待たせいたしました。こちらが関連書類です。魔剣の登録でよろしかったですよね?」

「あぁ。何を書けばいい?」

「契約者と魔剣のお名前。それから魔剣の誡銘をお願いします」

「俺のはいいのか?」

「既に誡名をお持ちで?」

「いや、俺は詳しく知らないんだが。ショウ、お前俺の誡名知ってるんだろ?」


 当人が知らないというのは不思議な話だが、勝手に付けられたそれに今まで意味を感じなかったから無視していただけに過ぎない。カレンの契約者としてなを刻むならば分かり易い記号はあった方がいいだろうと。旅の途中仄めかせていた彼に問う。

 すると彼は迷いなく漢字とルビで誡名を記してくれる。


「あぁ、えっと……《不名(ナラズ)》だな」


 《不名(ナラズ)》。その名前に因果な物を感じて思わず鼻で笑ってしまう。

 名無しのならず者で、《不名》。名付けたやつのセンスが光る一品だな。こんなに俺にぴったりな二つ名もないだろう。


「ん、《不名》……と言うとセレスタインの…………。いえ、失礼しました。きっと理由があってのことでしょう。僕たちはただ世界に認められるべきかどうか、神の名の下に嘘偽りなく平等に判断するのみです」

「神様ってのは懐が深いな」

「主は全てを見ておいでですから」


 すべてはただ、あるがままに。そう笑顔で告げたメドラウド。

 こちらの身の上を知って尚聖職者であらんとする彼は信頼の置ける人物かもしれない。ともすれば、味方にだってなってくれる器だ。図書館で彼に会えたのは幸運…………それこそ、神様の思し召しと言うやつだろう。

 宗教も存外捨てたものでもないと思いつつ。必要な事を書き込んで書類を渡せば、目を走らせて確認した彼が立ち上がって手のひらを差し出してきた。


「確認しました。これより教皇陛下に献言してまいります。数日以内にご連絡させていただきますので、その間はユークレースの観光でもなさって旅の疲れを癒してください。教会に来ていただければ告解も承りましょう。そのほか何かあればここに来て僕の名前を出していただければ承ります」

「あぁ、ありがとう」

「皆様の行く先に、神のご加護があらん事を」


 差し出された手を取って握り返せば、意外とデスクワークが多いのか手の皮が厚く感じたのだった。




 外に出れば頬を冷たい風が撫でる。思わず身を縮めて空を見上げれば随分と陽が傾き、夜の(とばり)が遠くからやってき始めていた。


「冬の時期のユークレースは夜の時間の方が長いんです。直ぐにでも星が輝き始めますから、今日は早く帰って温かい宿でゆっくりしましょう」

「あぁ。けどその前に腹ごしらえだな」

「いよぉしっ! で、でっ! 何食べるっ?」

「温かい物がいいな。鍋とか、スープとか」

「でしたらヴェルンレシアーノにしましょうっ」


 この寒さだと言うのに煩い鈍ら。それに答えるようにショウが呟けば、料理には一家言持つユウが提案してくれる。


「ヴェル……なに?」

「ヴェルンレシアーノ。ここユークレース発祥のスープ料理で、鹿肉と沢山の野菜を煮込んだ冬のお供ですっ。ユークレースなら基本的にどこの店でも食べられますから、それをメインにして他に食べたい物を選びましょう」


 鹿肉のスープか。確かに体の芯から温まりそうだ。ユウの口ぶりからして、ユークレースにきてそれを食べないと言うのはモグリ認定されるほどの一品。この土地に馴染むためにも味わってみるとしよう。なにより、郷土料理と言うのはそれだけで興味が惹かれるものだ。


「ふむ……なら折角だ。ようやく見えた自由に乾杯といくか」

「お、お酒ですかっ?」

「宗教に酒は欠かせない、だろ?」


 反感を買いそうな物言いにはなってしまったが、食いついたユウもそれほど反対はしていない様子。これは、もう一押しか? だったら……。


「次の料理の参考になるかもしれないし、ユヴェーレン教のユウにとっては典礼の一部みたいなものだ、違うか?」

「……一応節制は教義の一つではあるんですが。でも、きっと今日くらいは神様もお目溢ししてくださるはずですっ」


 なんつう詭弁。(そそのか)しといてなんだが、それでいいのか、ユヴェーレン教の聖人様。

 中々に緩い戒律に、けれど一度口にしたなら最早無駄な議論は必要ないと。連れ立って酒場に向けて歩き出す。空からは、早くも白い祝福がちらつき始めていた。




 翌日からはユークレースの観光が主目的となった。魔剣関連の手続きはメドラウドからの連絡待ち。依頼をこなさなくても懐には余裕があるから無駄をする気も起きなくて、チカの記憶喪失を直す手掛かり探しも立場を得てからの方が効率的と言う結論が話し合いの末下って後回し。結果、やる事がなくなってこの土地を巡る事に時間が割かれる事になったのだ。

 ユークレースに着いて直ぐに図書館で色々あった所為で横に置いていたが、司教国と言う形式上ここには価値観の外側が沢山偏在している。

 向こうの世界でも宗教がそのまま国になったと言う物は殆ど知らない。あっても、身近には存在していなくて、認識の外だったのだ。だからユークレースの風土に感じる一つ一つが新鮮で、ベリルを回ったときのような安心感の上の楽しさはない。あるのはただ知らない事に対する知的好奇心と、微かな恐怖だけだ。

 一体何から手を付ければいいのか。何をしてはいけないのか。ユークレースを構成する大きな柱、ユヴェーレン教についてはユウからの知識しか存在していない。その為おっかなびっくりであれこれ興味が湧いては、どうすればいいのかと手を(こまね)いているのだ。

 もちろん歩いているだけでも十分に楽しい。まずもって空気からして普通の国とは違う。建築様式や色合いは雪国ならではで、その上から宗教のフィルターが覆いかぶさっている。売っている物も宗教関連の道具が目に付き、観光に訪れた人向けの店にもそれらをモチーフにしたようなものが多い。食べ物も、寒い地域特有の味や調理法が主で、こちらは特にユウが興味をそそられていた。

 どれか一つをとっても異国情緒溢れる土地。全てが価値観の外側過ぎて、情報の暴力に振り回されていると言うのが素直な所だ。


「あれだよね。ユークレースって意外と温かいねっ」

「街……ってよりは都市だからな。それだけ栄えてる証だ」


 人の熱気は不思議な物で、体感温度が随分と変わる。同じ人の数でも、その表情だけで何となく温度が変わった気がするのだ。

 特にここ、ユークレースは宗教国家。心の救いを求めてやってくる人が多く、そのまま移住する人もままいるらしい。心の拠り所としてユヴェーレン教を信仰する人たちにとってここはとても住みやすい場所で、パワースポットのように暮らしているだけで前向きになれるのか、明るい表情の人が多いのだ。

 この辺りは宗教のいいところだろう。


「冬は確かに寒いですが、夏は涼しいですからね。人気なのは確かですよ」

「あれもよかったな。ジョフーナだっけか?」

「確かに。初体験だったが、悪くなかったな」


 ショウが言うジョフーナとは、いわゆるサウナのようなものだ。細かい所は少し違うが、蒸気で体を温める事が目的の施設で、一般開放されているそれは男女の隔たりがない、温泉で言う所の混浴状態のものだ。

 専用の薄い貫頭衣のような物を着て中に入り、ゆったりと内側からリラックスする。入浴が儀式的な意味合いを持つコーズミマの世界では汗を流す行いと言えばこちらの方が一般的らしい。

 同じ部屋の中に男女が一緒に……と言うことで最初は緊張したが、しばらくすればそれも気にならなくなる。それどころか、初対面でありながら話も弾んで、時間を忘れて楽しめる物だった。


「私はオフロの方が好きかなぁ」

「あたしも。用意は大変だけど……」

「わたしはジョフーナの方が慣れてますね。気持ちいいのはオフロですけど」


 我がパーティの人じゃない代表達には風呂の魅力の方が強いらしい。が、それはお互い様。比べるものでもなく、どっちも素晴らしい文化だ。


「さて、そろそろ昼食だが、どうする?」

「名物は一通り食べた気がするけど」

「では帰って作りますか? ミソを使ったお鍋でもしましょうっ」

「まだあったか?」

「実は昨日お土産屋さんを覗いた時に見つけまして、新しいのを買っておいたんです」


 ユウの食に関するアンテナはいつだって衰えない。セレスタイン、ベリルと回って今回ユークレースだ。そろそろ彼女のレパートリーもそこいらの飲食店に負けないレベルだろう。

 それこそ、何もかもが無事に終わってやる事がなくなったら、この地で店を構えてみるのも面白いかもしれない。彼女の腕前なら直ぐにでも有名になれるはずだ。この土地柄なら、彼女の特別な生い立ちも味方になってくれることだろう。

 旅のシェフにしてはもったいないほどの実力にそんな事を考えながら宿まで戻る。すると建物の前で見覚えのある顔を見つけて声をかけた。


「メドラウドさん」

「おかえりなさいませ、リレッドノーさん。お待ちしておりました」


 正された居住まい。少し堅苦しいほどの語調に、美味しい食事をと浮かれていた気持ちを引き締める。

 彼が来たという事は、進展があったと言う事だ。

 小さく息を呑む。と、目の前の彼が俺以上に緊張している事に気が付いた。


「どうかしましたか?」

「その……申し上げにくいのですが…………」


 不穏な切り出し。余り想像していなかった言葉に、思わず頭の奥が冷たくなる。が、次いで語られたのは想像の更に外からの音だった。


「教皇陛下が何者かに連れ去られたらしく、一切の連絡がつかないのです。何かご存知ではありませんか?」

「連れ去られたって……誘拐って事か? どこかに散歩に行ってるとかではなくて?」

「はい。数日前より、教皇陛下の所在が不明となっておりまして……」


 言葉に、嘘は感じない。どうやら事実のようだ。

 直ぐに切り替わった思考が疑問をぶつける。


「じゃあ教皇が見つかるまでは何も進まないって事ですね?」

「はい」

「わたしたちを疑ってるんですか?」


 問い掛けは、ユウのもの。その声に、遅れて気付く。

 彼がこちらを見る瞳には、僅かにその色が混じっている。確かに、冷静になって考えてみればなくはない線だ。

 俺達がやって来て話を持ちかけてから教皇が消えた。何か関わっているのではと疑いたくなる気持ちは分かる。同じ立場なら、俺も同じ事を考える。が、現実は否だ。


「……いえ。ですが、他に当てがないのも事実でして」

「ミノ…………」


 心配するようなカレンの声に、それから置かれている状況を冷静に客観視して。ある種の賭けで首を突っ込む。


「教皇の行方が分からないと困るのは俺達も一緒だ。ここは手分けをするべきでしょう。捜索のお手伝いをさせてください。それで、少なからず疑いも晴れるってものでしょう」

「あぁ、ありがとうございます。ですが今日はこれから、僕の方に用事があるのでまた明日に詳しい話を。他の者達にも皆さんの嫌疑が晴れるように出来る限り取り計らいましょう」

「よろしく頼む」


 いきなりの事でまだ少し混乱しているが、どうやら面倒な事になったのは間違いなさそうだと。特に今回は力で解決できないのが口惜しいとまだ想像もつかない未来に暗雲が立ち込めていくのを嫌に重く感じるのだった。

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