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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
公国の無窮書架にて
37/84

第一章

 先人の(わだち)をなぞって道を進む。時折がたりと跳ねる振動に腰が微かなダメージを蓄積する。

 馬車で旅をするようになっての最大の問題は腰痛かもしれないと。薄く曇った天上を見上げて吐息を零す。普段は気にしない熱が、白い煙となって天に昇った。


「なぁ、荷台で焚き火していいか?」

「駄目に決まってんだろうが」


 自殺志願者の声を一蹴すれば、隣の少女が小さく零す。


「歩いた方が暖かいかもしれませんね」

「カイロが欲しいな」

「カイロ……?」

「……あぁ、それもか」


 呟きには疑問。思えば化学的な暖房器具はこれまで目にしてこなかったと記憶を探る。


「さぁむぅいぃ……! あ、そうだっ。ミノ、火石! 火石ならいいでしょっ?」

「無駄遣いすんな」

「ケチぃぃぃ!」


 震える声で悪態を吐く少女。誰もが感じている同じ思いを無粋にも音にする、空気読めない代表に苛立ち一つ。その火花が体を温める火種になればいいのにと益体も無く考えて希望に尋ねる。


「まだか?」

「もうちょっと……」

「っくし!」


 対抗策は絶賛構築中。後僅かの辛抱だと何度目かの我慢を強いて手綱を握る指に息を吐き掛ける。

 見渡す限りはまさしく、銀世界だった。




 異世界。馬鹿らしいとさえ思うその響きに何らかの意志が働いて縛り付けられた命。死後の世界とでも言うべきこの第二の人生は、なんともシビアで現実的だった。

 コーズミマと名付けられたその大陸で、魔力やらが常識のように存在し魔物やらが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するファンタジー万歳などこかの片隅で。気まぐれにしてはぞんざいな形で死を肯定され否定された末に手にしたのは────異世界転生に属するのだろう体験だった。

 世界は四つに分断される。東にセレスタイン帝国と言う名の過去。因果と言うものがあるなら全力で殴り飛ばしたい衝動で始まりを否定してくれたかの国は、俺があちらの世界で首を吊ってやってきた始まりだった。

 己を捨てて手を伸ばした理想。それさえも無残に引き裂いたその場所に未練など無く。数多の特恵を殴り捨てて駆け出した先で紆余曲折を経る事になった。

 森の中での約二年間。行き倒れを拾った爺さんとの生活は雄大と退屈を勝手にブレンドされた毎日で、そこで幾つかの見識と剣を振る技術を身につけた。

 隠棲する老骨に寄生するのも馬鹿らしくて中途半端な感謝と共にようやく自分の道を歩き出せば、最初の出会いは酷く唐突に今に至るまでを紡いでくれた。

 同属斬りの魔剣──カレン。魔物を剣と言う身の内に秘めた彼女はその強力な力から逃げ出して邂逅し、行きずりで契約までこぎつけた斬っても斬れぬ縁。彼女のお陰で賑やかな荷物も後ろからやってくるようになって、逃避行(さなが)らな日々が幕を開けた。

 そんな一端として差し向けられた尖兵は、この世に類を見ない魔剣以上の特別さ──魔瞳(まどう)。ユウと言う名を持ったその少女は、自己保身の末に己を殺して(まっと)うな道を外れる決断を下す。契約者と決別した彼女の強攻を凌いだ先には、同情よりも凄絶な共感を覚えて自由を求めた。

 より一層苛烈さを増す追躡(ついじょう)を退ければ、新たなる出会いは一つの願いの成就と相見(あいまみ)える。

 カレンが身を寄せていた組織、今は過去の人類の勝利、《魔祓軍(サクラメント)》によって為された結末である《波旬皇(マクスウェル)》の封印を暴こうと画策する《甦君門(グニレース)》より。魔剣に(あら)ず人ならざる少女は、カレンの朋友としてチカの名前で姿を現す。

 相容れぬ思いを横たえ折衝を重ねた先に理想を描けば、呉越同舟が如く言外の共闘で危地を切り抜ける。

 想定外を打破した先には念願の国境越え。セレスタインを抜け踏みしめた大地はベリル連邦の名を冠する異世界の風。同時に、忙しない再会と共に三つ巴の大混戦を踊る破目になった。

 その末に、死力さえ尽くしたチカの願いを聞き届け、彼女を剣に宿す決断も迫られたりしながら。けれどもどうにか難局を乗り越えた。

 しかし安堵も束の間、目の前に現れた望外の仇敵、イヴァンとの望まぬ縁が結ばれる。

 交わした刃は僅か。けれども絶対を振り払えない現実を凌ぎきってようやくのまともな旅路を始められた。

 馬車に揺られ、幾つかの希望を持って。ようやく異世界と向き合い始めたその直後。面倒が人の形を伴って目の前に立ちはだかった。

 それは過去。追い詰められ、捨てた自分。その証。いよいよのリスタートは、けれども否が応にもと這い寄る後悔と共に自由を奪われ、己に臨む決断を強いられた。

 東上(とうじょう)章輔(しょうすけ)……ショウと言う新たな名を頂いた彼との交錯はチカとの契約を経て、辛うじて妥協を見つけ歩み寄りを手繰り寄せた。

 合わせてチカへの望みが断たれた事もあって、幾つかの解決策を求めて一路は北へ。

 向かう先はユークレース司教国と言う未来。宗教が国を為したその場所に、魔に関わる情報を求めて馬を歩かせる。

 二度目の国境越え。ルチル山脈を、今度は山中を突っ切っての道中は、魔障に侵されたドラゴンとの闘争も経て旅の疲れを癒す宿場町へ。

 硫黄のにおい漂う街中では望外の金策と、ショウとの出会いで関わる事になった魔剣紛いとの再びの邂逅。世界を揺るがす温泉街での衝突が身にかかる火の粉であると認めれば、それを振り払い安寧を目指した。錯綜する景色の中でユウとショウが契りを交わせば、新たなる関係と力をその場に示して。

 その他の面倒はご立派な職業の方々に押し付けつつ、明確な意思での覚悟を固め更なる次へと町を後にした。

 そんな、目まぐるしい日々を過ごした一行。きっとこのコーズミマでも他に類を見ない類稀(たぐいまれ)な集団が馬車を走らせるは、温泉街トリフェインを発ち地図上を北に進路を取る。緩やかな道程は少しずつ景色を変化させ。町を出てから三日目の今日、辺りを彩るは一面の白い絨毯だった。


「まさに銀世界だな」

「こうやって見ると綺麗ですね」

「寒いけどねっ!」


 不平の声は幌の中から。隣に座る交代制の御者、ユウの感性を踏み躙る冒涜は、先ほどから不服の申し立てしか行わなくなった鈍ら、カレンのもの。風情のない音に、白い息を吐いて告げる。


「誰よりも見たいって言ってたのはお前だろうが、カレン」

「そりゃそうだけど……。でも寒い物は寒いよ!」

「当たり前だろ、冬で、雪が積もってんだからな」


 雪。そんな、有り触れた天候は、今世界を遠くまで純白に染め上げていた。しばらく前までは畑だったのだろう平野は真っ平らな白いキャンバス。視界の奥の山もその肌を染め上げ、陽の翳る曇天との境目をうっすらと浮かび上がらせる。大地は今、白き衣を纏っていた。

 そんな、冬景色そのものに。寒さからか目を覚ました折には犬のようにはしゃいでいたカレン。テンションの突き抜けた彼女に巻き込まれて少しだけ戯れた雪の堪能は、まぁ確かに楽しかった。お陰でシェフから怒られて、朝は手抜きになったほどだ。

 馬車に揺られ始めた辺りもまだよかった。流れ行く景色がどこまで行っても一面柔らかい白で、朝日を受け露と共にきらきらと反射する光景は幻想的だと満足も出来た。

 しかししばらくすると遊んで温まった体も冷え、一向に変化のない単一色に飽きを感じ始めると、途端に翳った陽と直ぐ傍を吹き抜ける風に身を震わせて今に続く不服に早代わり。直ぐに対抗策を講じたが、それが形になるまではしばらくかかるらしく、既に聞き飽きた難色のマーチはそろそろ鬱陶しさの許容量を超えそうだ。

 そうでなくとも体が冷えて気が短くなっているのに。何が悲しくて棒切れのフラストレーションサンドバッグにならなければいけないのか……。俺だってそろそろ我慢の限界だ。


「だからほらっ、火石で水を沸かせて温まるとか……!」

「いい加減その口閉じないと思いっきりそこの新雪に放り投げるぞ」

「やってみろいっ! その時はミノも道連れだぁ!」


 売り言葉に買い言葉。人間寒さにやられると正常な判断が出来なくなると言うのはこう言う事らしいと。冬のお陰か無駄に冷えた思考がそんな事に気付く傍らで、振り切れた理性で手綱をユウに預けると言いたい放題な魔剣に振り向く。


「ミノさん……!」

「出来たっ!!」


 ユウの静止を振り切って構えるカレンの首元に掴みかかろうとした、その刹那。響いた声は万感の思いを込めて直ぐ傍から。思わずカレンと共に視線を向ければ、そこには黒い紙に白い幾何学な魔法陣を描いてこちらに突き出す少女……チカの姿。


「ミノ、魔力!」

「おう! 好きなだけ持って行けっ!」


 もう待てないと何よりも先に要求したチカの声に答えて、胸の奥の底の見えない魔力を、左の手のひらの契約痕を介して並々と注ぎ込む。

 すると次の瞬間、板張りの荷台の床に手に持った魔法陣を広げたチカが上から両手を突いて魔術を行使した。

 肌で感じられるほどに溢れた力の発現。次いで直ぐにそれが琥珀色の紋様を球状に広げ、やがて馬車を丸ごと包み込んだ。


「おっ。風が」

「寒くなくなりましたね」


 毛布に包まっていた俺の過去、ユウの契約者であるショウが顔を上げて呟き。その先を奪うように手綱を握るユウが継いだ。

 冷たい空気がなくなっただけで温度が少し上がった気がするのと同時、段々と暖かい空気に辺りが包まれていく。


「どうですか?」

「……あぁ、要望通りだな。お手柄だ、チカっ」

「やった!」


 チカへの依頼。魔術による馬車周辺の温度管理は彼女の御技によって完璧なまでの楽園を作り出す。

 これで冬の寒さに凍えなくても済む。そんな確信と共に功労者の有能な相棒を労えば、彼女は生き別れから再会を果たしたように胸の中に飛び込んできた。どうにか受け止めて座り込めば、荷台の床が冷たいと思えるほどに過ごし易い環境に知らず音を零す。


「あぁ……あったけぇ…………」

「はぇぇぇ~……」


 隣で溶けるカレンを一瞥すれば、幌の天井を見上げて幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 チカが魔術で再現したのは空調管理。魔術の壁を張って、外から吹いてきた冷風を温風に変換して効果範囲内を満たすというものだ。ただの暖房器具では外気に晒されて効果が望めない。ならばその外気をこそ利用して寒さを凌ごうと言う思いつきの末だ。

 提案した時には二つ返事で頷いてくれたチカだが、どうやら魔術に落とし込むのには少しばかり時間が必要だったらしく、それまでの時間で先ほどカレンと掴み合いにまで発展しそうになったのだ。期待があったからこその限界と言うことだろう。

 けれどもそんな過去はやってきた極楽の前には些細な事で。直ぐに毛布やら防寒具やらを横に置いて心地のよい空間に浸る。


「面倒言って悪かったな、チカ」

「遅くなってごめん。これ以上小さくすることができなかった……」

「でもお陰でやっと寒さに凍えずに済むんだよ! チカありがと!」

「ん」


 この魔術があれば今後どれだけ風が吹こうと問題ない。

 何せエアコンの効いた部屋を走らせているような物なのだ。これ以上の快適空間は無いだろう。


「維持は魔力供給でいいんだよな?」

「うん」

「小さく出来ないって事は、例えば防寒用の魔術とかに転用とかは無理ってことか?」

「……大きい魔術しか作れないから」


 疑問には、拗ねたように視線を逸らして答えるチカ。彼女は常々自分の使う魔術が可愛くないと不平を零していたが、今回はその延長線の話。そもそも規模の大きい術式を使うこと自体が難しいのだと前にユウに教えてもらったのだが、反面汎用性は低く場合を選ぶのだそうだ。

 基本は複数人で扱う儀式のような術式を一人で組み立て、顕現させるのがチカの得意分野。その事に遣り切れなさを感じている彼女は、ピーキーにそれしか使えない。どうやら繊細な術式はチカには向かないらしいのだ。

 よりコンパクトに。そう考えて作った魔術は暴発したり不発に終わったりするらしく、今回のこの魔術も個人の防寒魔術としての利用は難しいようだ。


「ユウはどうなんだ? チカの作った魔術を再編纂できたりしないのか?」

「魔術の術式には個性のようなものがありますから。大抵はその人にしか使えないんです。わたしにはこの魔術のような想像の形がよく分かりませんから、再現も無理ですね」


 魔術は結果を想像し、それを明確な形に落とし込むことだと前に聞いた。炎がどうして燃えるのか……その仕組みを魔力に志向性を持たせて命令式として代替する、と言うのがこの世界での魔術だ。だから仕組みを理解し、それを発展させて得る未来が確信できなければ魔術としては成り立たない。


「そうか。……けどそれならチカはこの魔術の元になるような知識があったって事だよな?」

「…………よく分からないけど覚えてた」


 チカは記憶喪失だ。この淡々とした口調や俺を信頼してくれる性格は、魔剣となった後に芽生えた物。元の彼女は顔を合わせれば反発し合うほどに俺とは反りの合わない核を持っていた。

 そんな、既に懐かしく感じる前の自分に関しては殆ど忘れているらしいが、魔術に関する知識に限っては残っていたようで。これまで彼女が使ってきた様々なそれも、元は記憶を失う前のチカがどこかで……恐らく《甦君門》にいた頃に得たそれなのだろう。

 その点は残っていてよかったという思いと、そしてある種の希望でもあるのだ。


「前のチカの知識だろうな。って事は、だ。チカの中には少なからず魔剣になる前の記憶が残ってる証だ。それが手掛かりになって元のお前を取り戻せるかもしれない。その方法が、ユークレースにあるかもしれない」


 全部仮定の話だが、何もないよりは余程まし。……まぁ今のチカ本人が記憶を戻したいかと言うのはまた別問題だが。

 考えていると胸から体を起こしたチカが何かを強請(ねだ)るように服の裾を掴んでこちらを見下ろす。


「……ミノは、前のあたしに戻って欲しいの?」


 ライムグリーンの瞳がじっとこちらを見つめる。その問いに対する答えを、俺は……。


「正直、半々だ」


 飾らず音にする。


「今のチカの方が一緒にいて楽なのは確かだ。一々喧嘩腰に会話しなくてもいいからな。それなりに仲良くなれたとも思ってるし」

「うん」

「けど、失った記憶に今俺達が求めてる情報があるのも事実だ。それが分かれば、今後の大きな指針にもなるだろう」


 カレンの話では、チカは《甦君門》の研究に協力していたらしい。その知見が得られれば、《甦君門》の目的が分かるかもしれないし、今も尚後ろから迫っているだろう粘着質にもほどがあるお客さんへの対抗策も明確になるはずだ。


「一番の理想を言えば、今のチカの性格のまま、必要な記憶だけ思い出してくれるのが好ましいんだがな」


 そんな都合のいい結末、本当にあるのだろうかと。信じたい気持ちよりも疑いの方が勝ってどうにも答えが見つからない。それに────


「それにカレンは俺とは違うだろ?」

「………………うん、ごめん」


 変に人間臭いお人好しがまた謝る。どうして魔剣の癖にこういう時だけ小心者なのか。魔に連なる存在なら、もう少し横柄に振舞ってもいいのではなかろうか。そうして自信を振りかざしえいてくれれば、彼女を振るう身としても心強いのだが。

 考えていると、ぺたりと座り込んだカレンが木目を数えるように零す。


「私はやっぱり、前のチカの方が好き。もちろん今のチカが嫌いってわけじゃないけど、ずっと傍で見て、過ごしてきたのは……あの自信に溢れて破天荒なチカだから」


 なんだ? 自己紹介か?


「だから……私としては元に戻れるのなら、そっちを選んで欲しい。…………けど」

「けど?」

「……今のチカがそれで消えるのは、やっぱりちょっと寂しいかなって」


 記憶喪失の詳しい所をよく知らないからなんとも言えないけれども。往々にして有り触れているのは二種類。

 一つは性格や記憶を取り戻した際に記憶喪失中の経験を忘れる物。もう一つは同じ記憶として統合される物。

 前者なら今のチカと言う存在は俺達の記憶の中だけの存在となって、後者なら混乱が少なく済むだろうかと言う程度。どちらにせよ、記憶が戻るのと同時に前の彼女が戻ってくるのは避けられないと言う事。そしてその際、後天的に芽生えた人格が消えてしまうと言う事だ。


「この件ばかりは俺もカレンと同意見だな。だからこそ最終的な決断はチカのものだ。お前が嫌なら、無理に記憶を戻そうとしなくてもいい」

「でも、それだとミノは欲しい物が手に入らなくなる……」

「別に、その気になればチカに頼らなくても情報は手に入る。ただチカに頼るのが一番確実性のある話ってだけだ。あのチカが嘘さえ吐かなければそれは確かな話だし、逆に嘘なら裏を返せばある程度の推論は出来る。出所のはっきりした情報だからこそ信頼出来るって言う個人的なものだからな」


 チカのそれはカレンと同じ《甦君門》の知識。カレンが鈍らでなければここまで頭を悩ませる必要もなかったのだが、それはまぁ仕方ない事だと諦めて。


「真偽に(こだわ)らなければ、これから行くユークレースなんかはその宝庫だ。その気になれば情報の一つくらいは手に入るだろ。…………だから無理はするな。その上で決断した事なら俺は文句はない。俺はチカの決断を信じてる」

「…………うん」


 縋るように注がれる視線を真っ直ぐに見つめ返してそう答えれば、納得したのかこくりと頷いたチカ。次いで上げた顔は、先ほど発動した魔術の所為か少しだけ赤かった。


「熱いか?」

「…………むぅ……」

「どうした」

「なんでもない」


 魔剣の身体構造はよく知らない。病気にはならないらしいが、体調不良くらいならあるかもしれない。

 そう考えて一応気遣えば、拗ねたように立ち上がったチカがそのまま御者台に向かっていった。何か機嫌を損ねる事を言ってしまっただろうかとその後姿を見つめれば、傍からやり取りを見つめていたショウがポツリと零したのだった。


「ないわー」




 ユークレースへの道中。代わり映えのしない雪の景色を横目に温かい空気を肌に受けてゆっくりとだが前に進む。チカの展開した空調操作の魔術の範囲が荷車を引く馬のところまで広がっているのか、しばらく前から足取り軽く歩んでいる。この様子なら予定より早く目的地につけそうだ。

 そんな事を考えながら時折手綱を交替して。荷台で行われるお手製トランプでのやり取りをBGMにしながら轍をなぞる。

 その内チェスや将棋くらいなら自作しそうだと思いつつ昼食を食べて午後からの行軍も開始すれば、朝から早くも一巡した御者台の面子が前を見つめる。

 隣には少しうつらうつらとしたユウの姿。どうやら食事をして温かい空気に包まれている事に心地よくなっているらしい。

 確かに辺りが白銀の世界である事を除けば昼寝にはもってこいの日和。その気持ちもよく分かる。

 前に暖房器具の話題が出た時にこたつと言う候補もあったのだがあれは作らなくて正解だったと今更ながらに思う。あれが完成していたら全員がやる気を削がれて遅い越冬準備に入ってしまっていただろう。当分は見送りだな。

 とは言え隣に座るという事はいざという時の補助役。眠ってもらう為の特等席ではない。少し気は引けるが、彼女には起きていてもらわなければ。

 ならばと話題を探して頭の中を旅すれば、朝の急激な冷え込みですっかりその事が記憶から抜け落ちていた事にようやく気付いて魔瞳の少女に尋ねる。


「ユウ」

「…………はぃ?」

「気持ちよさそうな所悪いがちょいと話に付き合ってくれ」

「うゅ……なんですか……?」


 相槌がまるで寝惚け眼な子供だと思いながら、きっと一発で目が覚める単語を厳格に落とす。


「人工魔剣のことだ」

「ぇ…………あ。……あれ、まだ話をしてませんでしたっけ?」

「トリフェインを出てからって話だったが機会がなかったからな。暇ならあの時分かった事、今聞かせてもらえるか?」

「…………ちょっと待ってください。目を覚ましてきます」

「おう」


 そう告げてユウが荷台に何かを探しに行く。行く先に障害物がない事を確認してユウの姿を追えば、彼女は調味料などを入れている袋から手の平サイズの小瓶を取り出して、透明な液体を一滴舐めていた。

 劇薬、と言うほどではないが、料理に使うそれらはそのままでは基本的に刺激が強い。どうやらそれを眠気覚ましに利用したようだ。酢か何かだろうか。

 考えていると焦点がはっきりしたユウが戻ってきて隣に腰を下ろす。


「お待たせしました」

「因みに何舐めてたんだ?」

「テルッカです。原液だと苦いので普通は薄めたり、少量で味を際立たせる為に使うんですけどね。お陰で舌が変な感じです……」


 訂正。最早劇薬だな。


「迷わずそう決断出来るユウの肝が素晴らしいな」

「何の話ですか……人工魔剣ですよね」

「あぁ」


 今度こそいつも通りしっかり目の覚めた口調で話題を戻すユウ。その言葉に俺も呼吸を整えて姿勢を正すと先を促した。


「もう自然とそう呼んでますけど、あれは人の手で作られた魔剣……人工魔剣です」

「魔具じゃないんだな?」

「擬似的とはいえ契約して力を行使してましたからね。魔具はそんなことしませんから、括りとしては魔剣が正しいかと」


 もどきだとか紛いだとか言っていたが、あまり名称がぶれると認識に齟齬が出る可能性がある。意思統一は大事だ。


「分かった。それで?」

「構造としては最初に看破した通り、複数の《魔堕(デーヴィーグ)》を継ぎ接ぎして無理やり魔剣に似た構造に落とし込んでましたね。その所為で不安定で、少しの想定外から直ぐに暴走や破綻をします。ショウさんの時はまだ試作段階だったのかあの惨状だったというわけですね」


 ショウも人工魔剣には弄ばれている。あの時の魔物への変化は例外だったらしい。


「じゃあ普通は魔物に変化したりしないって事か?」

「そうですね。そもそも中に込められた術式が使い捨てのようなそれでしたから。そこはやはり魔具に近いでしょうか」

「聞くほどに中途半端な代物だな。一体そんなので何しようとしてたんだか」


 戦力に、と言うのであれば少しばかり頼りない話だ。強力な力とは言え一度きり。継戦能力のない力は不確定要素が多すぎる。加えて暴発すれば自滅なんて……用途不明にもほどがあるだろう。


「……それともあれか? あれでまだ試作段階ってことか?」

「そこはどうにも……。確かに、これから更に確かなものとして進化する可能性はありますけど……でもそれをここで語るのは無意味ではありませんか?」

「そうだな」


 思い付きを言葉にしてみたがユウの言う通りだ。曖昧に過ぎる話で頭を混乱させても仕方ない。


「ですからとりあえずは今分かっている中で、の話にはなりますけれど……。そうですね……魔剣としての力はそれぞれ別でした」

「あの二本か?」

「はい。一方はミノさんに買って貰ったあの魔具に似た能力ですね。単純に、魔力を破壊力に換えるという魔術でした。ミノさん達が戦ってた方ですね」


 剣と言うよりはハンマーのような何かを振り下ろしたかの如き衝撃。地面の石畳を(めく)り上げ、蜘蛛の巣状に威力を走らせたあの攻撃は、斬ると言うよりは押し潰すという感覚が近かったように思う。


「対してわたしとショウさんが戦っていた方の力は斬撃を残すものでした」

「斬撃を残す?」

「そうですね……残像、といった方が分かり易いでしょうか。剣を振るった場所に一定時間魔力の斬撃を置いておくような力です」

「あぁ、なるほど。斬撃の地雷って事か」

「ジライ……?」

「爆薬を詰めた入れ物を地面などに埋めておいて、それを踏んだり箱に繋がった線が切られたりすると勝手に起爆する道具だ。反応型の爆弾って事だな。それと似たような技が使えたって事だろ?」

「はい」


 地雷や機雷なんて、戦いのある場所に身を置かなければ縁のない物だ。俺だって向こうの世界でテレビやネット、映画くらいでしか見た事がない。


「とは言え幾ら設置されても魔力ですから。わたしの目には丸見えでしたけれどね」

「そりゃ相手が悪かったな」


 ユウ相手に魔術の搦め手は早々通じないだろう。運が悪かったと言うほかない。


「それに置かれてるだけなら動かなければいいですから」

「……そうか。それであんな馬鹿でかい血の剣振り回したり遠くから飛ばしたりしてたのか」


 場合によっては強力な力だが、種が割れていれば対処は簡単だ。その点に関してはあの時ショウが使っていた魔具の能力が丁度よかったと言うことだ。


「そんなわけで特に苦戦する事無く二振りの人工魔剣が解析できましたけれど…………やっぱり少し不可解なんですよね」

「不可解?」

「武器としては不完全。扱いも慎重に行わないといけませんし、汎用性に欠けます。魔剣ともなれば特別な力を持ってるのはよくある事ですが、それにしたって他の魔術が使えないって言うのは欠陥品だと思いますよ」

「カレンも大概だがな」


 あいつはよく斬れる代わりに剣しか作れない。使い辛さで勝負したらいい線だ。


「あの町だけで七本。量産されてるのは確かでしょうが、数を揃えても本物に届くとは思えません。物によっては魔具以下だと思いますよ」

「用途不明、か……」

「《甦君門》の目的を《波旬皇》の復活だとすれば尚更です。物量で封印が解けるとは…………いえ、もしかすると」

「ん?」

「……例えばあれが全部、失敗作だとしたらどうですか?」


 少し跳んだ話題。けれども失敗作と言う響きがなんとなくしっくり来る。


「何かを……カレンさんやチカさんのような特別を真似て作ろうとした失敗作。人工魔剣で封印を解く鍵を作ろうとしていたのならば、分からないではないですね」

「ガラクタの破棄か。けどそんなことすれば俺達がそうしたみたいに鹵獲(ろかく)されるだろ。国だって馬鹿じゃない。敵の兵器を解析して対抗策を立てたりはするはずだ。そこから目論見を見破られれば、追い詰められるのは《甦君門》だ」

「だからこそ不完全なのではないですか? わざと回収させて、中身を確認しようと開いたところで爆発させる。そう言う戦術だとしたら?」

「ある種のテロって事か」


 政治的な目論見が《甦君門》にあるのかと問われれば疑問だが、散発的に起こした人工魔剣の騒動で可能であれば戦力を削ぎ。無理なら二の矢で内側からの破壊を試みる。無差別テロと似たようなものだ。


「チカさんのように術式の編纂に長けた力はそう多くありませんから。扱いを誤れば被害の及ぶそれを送り込んで工作する……陰険な方法ですが、ないとは言い切れませんね」

「多少は目も逸らせる、か」

「目ですか?」


 直ぐに巡った思考が別視点から景色を描く。


「《甦君門》の目的は《波旬皇》の復活。そう断定するなら、封印されてる場所に乗り込む必要がある。失敗作を使って各国を混乱させ、《波旬皇》の方が手薄になれば仕掛けやすくなる」

「陽動って事ですね」

「もし出回り始めてる人工魔剣が失敗作だとすれば、手の内がばれるリスクを取ってでも強行するに足る何かが《甦君門》には既にある。つまり……」

「人工魔剣による《波旬皇》復活の鍵……それがもう完成しているかもしれない、ってことですね?」

「まだ推測だがな」


 カレンもチカも手元にないこのタイミングで動き出したという事は、少なくとも何か裏があるはずだ。それこそ、人工魔剣以外……カレンやチカ以外に別の方法があって、それを隠すためのカモフラージュと言う線だって浮かんでくる。

 そうなれば、今追い駆けるべきは人工魔剣のルートではなく《甦君門》の動向だろう。


「言い出したらきりがない話だ。それでも考慮する価値はあるように思う」

「次またいつ巻き込まれるとも分かりませんからね」


 現状、《甦君門》ほど厄介な相手はない。セレスタインの追っ手も、ユークレースに入ってからはまだ仕掛けてきていない。そもそもベリルを経由しての道行きで追跡が外された可能性もあるが……警戒しておくに越した事はないだろう。

 それに今更セレスタイン程度どうとでもなる。カレンの刃、チカの魔術、ユウの魔瞳。驕る訳ではないが取れる手段は複数あって、それすべてに対策をするのは向こうだって骨が折れるはずだ。だからこそ無駄な被害を出さないために監視だけに留めていると……あってもその程度だとは思う。

 それと比べれば、ショウの一件以降行動が表沙汰になりつつある《甦君門》の方が余程怖い。カレンがあてにならずチカが記憶喪失という、手掛かりの殆どない状況。加えて人工魔剣と言う面倒な代物も出てきて関わりたくないゲージが振り切れている。

 彼らにとってカレン、チカ、ユウの存在は喉から手が欲しい人材だ。一人でも何かを為し得る特別。それが一箇所に固まっているのだから、少なくとも野放しにはされていないだろう。

 そんな肯定のされ方、別に嬉しくともなんともないんだがな……。


「……でだ。話を戻すが人工魔剣だ。色々可能性が考えられるのは分かったが、ならこっちにその矛先が向いたときの対処はどうなんだ?」


 少し無理やりに話題を修正すれば、隣のユウが少し疲れたように零す。


「……簡単にでいいですか?」

「あぁ」

「では、えっと……壊せばいいと思いますよ」

「カレンみたいなこと言うなよ」


 随分と投げやりな答えに視線を向ける。するとユウは拗ねたように答えた。


「だって下手に外から干渉すると暴走してその後の対処が余計に面倒になりますし。だったら最初から無力化するようにしておけばいいと思いませんか?」

「普通に斬っていいのか?」

「カレンさんの場合は人工魔剣本体か、擬似的に交わされている契約を斬ればいいですよ。できますよね?」

「多分な」


 カレンの刃は想像の刃。感情を昂ぶらせ、心の底から願って振るった一閃が理想を手繰り寄せ結実させる。ユウの言う方法なら、カレンが気にする人斬りを心配しなくてもいい。


「魔術干渉だと、そうですね……。契約解除や封印術式なら効果が見込めると思います」

「封印、って言うと《波旬皇》をそうしてるみたいにか?」

「そこまで大規模でなくていいです。国が魔剣を管理する際、悪用されないようにその力を魔術で封じ込めて保管してます。それと似たような魔術で人工魔剣の力を封印すれば、そもそも暴発も起きませんからね」


 それはチカの力を使った場合の対処方法か。確かに魔術編纂に長けた彼女ならそれくらいのこと造作もないだろう。

 となると優先順位としてはチカの魔術で無力化。無理な時はカレンの刃で斬ると言う形か。分かり易くて助かる。


「ユウの魔瞳はどうなんだ?」

「わたしの場合だと人工魔剣ではなくそれを扱う人の方に干渉する事になりますかね。前に戦った時のように」

「あれか…………」


 まるで廃人のように意識を上書きされた姿。見た目一番ショッキングなのは彼女の力だろうか。


「ショウさんとの契約で少し出来る事も増えましたし、あの時より短い時間で無力化も出来ますよ」

「増えた事ってのはなんだ?」

「魔力供給による単純な能力の向上と、魔瞳の力の譲渡です」

「譲渡……ってことはユウ以外でも魔瞳の力が使えるって事か?」

「咄嗟となると契約を交わしたショウさんだけになりますけどね。しっかり手順を踏めばミノさんにも一時的に付与する事もできるかと」

「そりゃあ便利だな」


 ユウの魔瞳のいいところは、魔術と違ってその出を悟られにくいことだ。分類的には魔瞳の力も魔術らしいが、チカが力を使う時に魔法陣を展開するのに対し、ユウはそれを必要としない。……正確には、魔術の行使によるその発露を目の中にいるサリエルに任せて体内で魔法陣を展開、効果だけを外に放出ができるらしいのだ。

 基本的に魔術の行使はチカのそれのように魔法陣を展開して行われる。となれば当然、目視でそれを確認できるわけで。発動する魔術はその瞬間まで分からないだろうが、ある種テレフォンパンチのように予測され易い。その予備動作がないというのは、戦場において大きなアドバンテージとなる。

 特にユウの魔瞳の力は相手の目から光を介して内側に作用する幻術。発動しても認識し辛く、しかも遠距離で隠密に事を運べるという有用性は特筆すべき物だ。

 不意を突き易く、人工魔剣との擬似契約なら俺とカレンの時のように内側から破られる心配も薄い。最も平穏な決着が望めるのはユウの魔瞳だ。


「ただ魔瞳の力を譲渡できるのは人間相手に限られますし、完璧に意識を奪って行動不能状態にと言うのはショウさんにも出来ませんから」

「時間もかかる事を考えれば、数の対処は難しいって事か」

「はい」


 十人十色、一長一短。それぞれにやり方があってそれぞれに問題があって。とは言え身一つでは何も出来ない俺とショウに比べれば随分贅沢な悩みだ。


「ま、対抗策が分かってるだけでも御の字だ。本来なら巻き込まれないのが一番いいんだがな……」

「カレンさんとチカさんがいる以上、人工魔剣でなくても《甦君門》との繋がりは最早切れませんから。……それとも今から契約を破棄しますか?」


 意地悪に問うユウ。彼女の声に、次いで幌の中でがたりと何かが倒れるような音がした。

 口を挟んでこないと思っていたら聞き耳を立てていたらしい。トランプ遊びは飽きたのだろうか。……殊勝な心がけだな。

 思いつつ、小さく呼吸を挟んで答える。


「…………破棄したところで俺への執着が消える保障はないしな。情報漏洩を防ぐなら丸腰の俺を消す方が余程確率が高い話だ。もしそれがないのだとしたって、別方向からはセレスタインの事もある。流石に魔具だけで複数人の、ともすれば魔剣持ちだって混じってるかもしれない奴ら相手は務まらないだろ。だから何よりも俺の身の安全を考えてそれはなしだ」


 背後でほっとしたような息遣い。

 別に今後一切なんて一言も言っていないのに。無駄に心配性で、だと言うのに楽観的とは随分と生き苦しそうな事だ。


「……そういう事にしておきますか?」

「なんの話だ?」


 ユウの声に一応惚けてみる。が、外れない視線に居心地が悪くなって顔を逸らした。その事にくすくすと肩を揺らす彼女に少しだけ苛立ちが募る。

 ……分かってるなら一々言うな。用もないのにあの鈍らを調子付かせたら何もいい事がないんだ。お願いだから魔力の流れと合わせて空気も読んでくれ。

 無為に鋭い魔瞳の少女に嘆息する。

 ユウは、契約をしてからと言うもの少し明るくなったように思う。恐らく胸の支えが取れたからなのだろうが、二割り増しで鬱陶しくなったのだ。楽しそうなのはいいことだが、それで変なところを突かれるのはあまりいい気分ではない。これならまだ契約前の彼女の方がやり易かった。


「それでミノさん」

「まだ何かあるのか?」

「カイロってなんですか?」


 いきなりの別方向からの声。

 その話題……と言うか疑問、まだ燻ってたのか。変なところで頑固と言うか、律儀だな。

 とは言えさっきのやり取りでまともに答えてやるのも癪な気がして少し意地悪する。


「エジプトの首都だ」

「……………………?」


 当然のように瞳に疑問符を浮かべて首を傾げたユウ。そんな彼女に鼻で笑えば、やり返された事に気がついたのか、普通の女の子のように可愛らしく頬を膨らませて唇を尖らせたのだった。




「ユークレースかぁ……」


 幾日か雪景色の中を進んで。あまり変わらない風景に時間の感覚が曖昧になりながらぼぅっと浪費する。

 トリフェインの町を出てユークレースに向かう道中。一度途中の町に寄って物資を整えてからと言うもの、特にする事もなくて暇を持て余していた。

 そんな折に何とはなしに零れたカレンの声。新しい話題はないだろうと思いつつも何となく視線を向ければ、声に反応したのはチカだった。


「ふぅむ……」

「どうしたの?」

「名前そのままだなぁと思って」

「なにが?」

「国の中心?」


 あぁ、首都か。確かにその通りだが、一々話題にすることかと。またくだらないやり取りが始まると興味をなくし、旅のBGM程度に聞き流す態勢に入る。すると荷台で今夜の料理の下準備を進めていたユウが首を突っ込んだ。


「そうですね。ユークレースはユークレース……国の名前がそのまま中心都市の名前になってます」

「ベリルはベリリウムだったよね?」

「セレスタインは?」

「バリテですね。因みにアルマンディンはガルネットです」


 ガルネットのイントネーションとしてはベリリウムと同じようだ。ネにアクセント。

 そう言えばこっちの世界には飴と雨のようにアクセントやイントネーションの違いによる同音異義語などはあるのだろうか。今のところ聞き覚えがないから数が少ないのかもしれない。そもそもない……と言うのもありえるのかもしれないが。

 そんな事を考えていると、ユウが話のお供にと二人にロケルシルーテを渡していた。下ごしらえを手伝えという事らしい。話に参加してなくてよかった。

 因みにロケルシルーテとはジャガイモのような穀物の事で、形も味もよく似ている。違う事といえば皮が黒く中身が赤いということか。別に食欲減退色と言う訳ではないので多少の違和感で済んでいる。手を加えなくとも腐る事は少なく色々な料理に使えるとのことで旅のお伴……シェフにとっては殆ど必需品らしい。

 仕方ないといった様子で受け取った二人が作り出したナイフで皮を剥き始める。

 チカの魔術で馬車の近くは温かいとは言え、それは動いている間に通り抜ける冷風が変換されているに過ぎない。流石に荷台で火を焚いて料理をするわけにもいかず、食事時には寒さとの勝負だ。そろそろ鍋物とか煮込み料理……カレーみたいな物をユウに試してもらうのもいいかも知れないと思いつつ、続く会話に耳を傾ける。


「何か法則とかってあるの?」

「確か昔の地名、とかだった気がします。大きな国として名前が出来た時に一番大きな都市を中心にした名残……だったような」

「ユークレースはそのまま国の名前?」

「そうですね。同じ成り立ちならそういう事になるかと思います」


 チカの声に頷く。

 これから地図を作り直すわけでもないのにそんな話題、一体何の足しになるというのか。それだけ暇といえばそうなのだろう。

 折角作ったトランプも、数字の勉強には一役買ってくれたが一通り遊んでしまえば新鮮味がなくなる。一つ前の町でこの世界のボードゲーム……テッカティッカと言う物も買ったが、これもトランプ同様直ぐに遊び尽くしてしまった。

 金はあるから買えばいいのだろうが、この調子だとあまり元が取れたとは言えない。だったら自作した方がいくらかましだ。制作時間と言う暇潰しも生まれるしな。

 そんな道中の暇潰し。そろそろ何かテコ入れが欲しいところだと無い知恵をひっくり返していると、話題が別方向へと転がり始める。


「そういえば国だから王様とかいるんだよね?」

「国によって呼び方とかは異なりますけどね」


 どうやら国の成り立ちとか、そっち方面に展開しそうだ。この世界の歴史と言う視点では少し興味のある話かもしれない。


「セレスタインは帝国だから……皇帝でしょ?」

「ベリルは連邦……大統領」

「アルマンディンは王国ですから国王。そしてユークレースは司教国」

「あれ、司教国の王様ってなんて名前?」

「……なんだと思いますか?」


 少し楽しくなったらしいユウが試すように問う。どうでもいいが、国の形態とその主の呼び名は向こうの世界と同じらしい。……もしかしてこっちに転生してきた奴が知識を落としたのだろうか。だとすればこの世界の転生システムは国が出来る前から存在していたという事だろう。

 ユウの話では最初の転生者は偶然から生まれたそうだが、それは意図的な結果の偶然。別の何かを求めた末の別解だったはずだ。明確な意図と言うわけではなかったが、結果として転生した人間を手元に召喚した。だからその人物が最初の転生者と言われた。

 が、もし転生自体が最初からどこかにあって、人知れずそのシステムが機能していたのであれば。人がそう認識する以前より転生者はいたのではなかろうか。そしてそんな人物が知識をコーズミマに落としたのだとすれば、最早その歴史はこの世界の者達だけが紡いだ者とは言えなくなる。……もちろん、詳細な時系列など確かめようのないことだが。


「司教国って確か宗教の国だよね。愛の神様を崇めてるって言う。……でも神様を名乗ったりはしてないよね?」

「そうですね。ユークレースにおける神様とは人より上位の存在。手の届かない場所に住む偶像ですから。宗教に属する人はその神様に仕える(しもべ)です。神様の下に位置しますから、崇める存在と同じ場所には立ちませんね」

「司教の国だから司教?」

「おしいです。司教と言うのは宗教における位……階級の名前ですから。《魔堕》で例える所の低位とか高位とかって言う話ですね。その中で司教と言うのは一番上の位階で、ユークレース……その中心地では国の王様として教皇と言う立場で政務などを行ってます」


 教皇。向こうの世界だと聖職者の最高位の称号だ。相対してその名を呼ぶならば教皇陛下か猊下(げいか)などが適切だろうか。聖人であったり、洗礼名などの概念があれば名前の前に聖をつけたりするが、そもそも聖遺物のような話が出てきていないあたり、聖人と言う概念自体がなさそうだ。

 宗教に権威が絡むと想像上の物語だと大抵碌な事にはならないが、話を聞く限りこの世界ではまだまともらしい。それはユークレースを母体とする宗教以外の派閥を聞かない事からも察せられる。台頭する物がないという事は、一党独裁というと聞こえは悪いが、(たもと)を分かったりする者が出ないほどに優れている証なのだ。


「教皇ってどんな人なの?」

「……わたしも詳しくは。聞きかじった情報でよければ話しますけれど」

「教えて」


 国や宗教が優れているという事は、そのトップ……指導者としての人物がそれこそ聖職者然としている裏づけなのだろう。しかし人とは何処まで行っても人。神様ではない。

 そんな教皇が治めるお膝元にこれから向かおうという話。ならば統治者の情報くらいは知っておいて損はないはずだ。


「えっと、まずは男性ですね。コーズミマでは教皇は男性しかなれませんから」


 コーズミマでは。そう付け加えたのは、俺やショウが少なからず耳を傾けている事に気付いているからなのだろう。相変わらず目敏い少女だ。

 向こうの世界でも教皇といえば男性だ。女教皇と言う言葉をどこかで……多分ネットの片隅で目にした覚えもあるがよく覚えていない。あれは……中世か何かを調べた時に流し見したのだったか……。

 とりあえず教皇は男性のみ、と言うのは同じなようだ。


「それから現教皇は、噂では殆ど魔力を持ってない人物だそうです。何でも、魔具でさえ自由に扱えないとか」

「魔剣とかが集まる国なのに?」

「不思議な話ですけどね。多分体質とかだと思いますよ。極々稀に、そういう人もいますから」


 あぁ、だからこそ、なのか。

 魔に関わる部分に縁がないからこそ、人としては安心して預けられると言うことだ。もし俺のように沢山魔力を持っていていれば、不信感も抱いてしまうだろう。少なくとも俺は、私利私欲に塗れそうな人物を長として信用し辛い。

 そう言う意味では、魔と交わり辛いからこそ管理者として適任と言う訳だ。魔の存在と隣り合わせな世界では生き苦しいことかもしれないが、丁度いい椅子なのかもしれない。


「体質かぁ」

「《魔鑑者(ラジアープ)》のような魔と感応力の高い人もいます。魔剣だって得意な魔術があるように得手不得手がありますからね。それと同じですよ」

「ふぅん」


 魔剣であるカレンたちにとってはあまり実感の湧かない話か。ま、お膝元に転がり込むからといって教皇と面と向かって会うとは限らない。逆にその想像が出来ないほどだ。どうすれば会えるだろうかと考える方がまだ現実的と言うもの。


「契約もしてない?」

「そうですね。そもそも魔力を殆ど持ってませんから。魔剣に渡すだけの魔力を持ってない人が契約をするとどうなるか……それは今更語るべくもないことですよね」

「…………うん」


 身を持って経験しているカレンが重く頷く。今となっては既に過去の話。《枯姫(コキ)》、《宿喰(スクイ)》、《重墨(エモク)》と数多の異名で呼ばれた彼女は、けれども今はカレンで《珂恋(カレン)》だ。無駄な過去を思い出す必要はないだろう。

 また自己嫌悪に陥って沈み、折角取り戻した刃が潰れては堪った物じゃないと。空気を切り替えるように立ち上がれば、こちらに視線が殺到した。

 少しだけ何か言おうかと迷って。けれども声を掛ければそれだけカレンが惨めになるだけかと至れば、擦れ違い様少し乱暴に彼女の頭を撫でるだけに留めた。個人的に馴染み深い黒く長い髪が微かに乱れたのを目の端で確認しつつ御者台へ。


「ショウ、手綱変われ」

「あいよ」


 交替する間際、手持ち無沙汰に魔術で作っていた剣型の知恵の輪をショウに渡す。何となく作ったが外れるかどうかは知らない。……多分外れない気がする。

 知恵の輪って一体どうやって作るのだろうかと。無い頭を総動員しながら、解放から逆引きで本格的なそれを脳内に描き出す。

 あ、これ集中すると時間忘れる奴だ……。不意にそんな事を思ったが途中で投げ出すのもそれはそれで負けた気がして余計に意識を傾ける。

 ユークレースに着く前に一個くらい完成させたい物だ…………。




 それから数日。日を追う(ごと)に積もっていく景色と冷たくなっていく風。チカの魔術が無ければ今頃はもっと手前を進んでいたことだろうと想像する。

 それくらいには馬車を止めて食事をする際の寒さが厳しい。ここのところは食事が出来たらすぐに荷台に篭って全員で囲んでいる有様だ。

 いっそのことキャンプ道具のような何かを作った方がいいのではなかろうかと。本気で考えながら馬を歩かせる。そんな今、隣にはチカの姿。


「ミノ、魔力大丈夫?」

「あぁ、心配ない。丁度消費と回復が吊り合ってる感じだな」

「やっぱりミノの魔力って規格外……」

「有効活用してるんだ。文句ないだろ?」

「……ないけど、ちょっと不満…………」

「何がだ? 爆発されても困るから何かあれば遠慮なく言えよ?」

「………………むぅ……」


 チカには世話になっている。円満な道中のためにも諍いは無しにしておきたいと尋ねれば、悩むような間を開けてチカが(もた)れかかる様に頭を肩に乗せて来た。


「どうした。眠いか?」

「……ん」

「膝使うか?」


 魔術を使用すると疲労感が溜まる。この際の疲労感は様々な形で彼女達の体に現れる。カレンの場合は発熱。チカの場合は眠気だ。

 特に今は防寒の為の魔術を常時展開している。結界のような物で、一度展開した後はそれほど疲れるものではないらしいが、それでも四六時中そうしているのは堪えるのだろう。その為時折冬眠するように昼間から寝ていることがあるのだ。

 加えてチカは自分の魔術に拘りが強く、その規模が大きくなるに連れて『可愛くない』と不満を露わにする。

 今回もそれだろうかと。納得のいかない様子のチカに提案すれば、彼女はこくりと頷いて俺の膝に頭を落とした。何かを確かめるように添えた手のひらが微かに(もも)を撫でて、少し居心地が悪くなったが我慢。


「何かお話して」

「何かって言われてもな……」

「じゃあ頭撫でて」

「ん…………」


 それでいいのならと。左手を手綱から離して膝の上の琥珀色を優しく撫でる。と、最初は緊張したのか小さく体を震わせたチカ。しかし直ぐに安心したらしく、無駄な体の力を抜いて、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 一本一本が絹糸のようにさらさらとしたセミロング。陽光を受けて反射する透明感が西洋人形のようで、その手触りも相俟(あいま)ってこちらまで心地よくなる。

 あまり多くを喋らないチカとの空気は、面倒事を好まない俺の性格に合っているのか、落ち着く。喋らなくても時間が持つというか、ただ隣にいるだけでも安堵するのだ。そこにこの手触り。いつまででも(もてあそ)んでいたいチカの頭髪は、時を忘れてしまうほどだ。

 と、少しだけ手を入れすぎて、指先がチカの耳に触れる。


「んふっ……!」

「悪い」

「だ、だいじょうぶ……。ちょっとくすぐったかった…………」


 流石に恥ずかしかったのか、頬を染めて俺の腿に顔を埋めたチカ。それでいて囁くように零すものだから、温かい吐息が布越しに肌を撫でて、今度はこちらがくすぐったくなる。


「……チカ、それだと俺がくすぐったいんだが」

「あ……ふふっ、ごめん」


 くるりと寝返りを打ってこちらを見上げるチカ。ライムグリーンの瞳が頭を撫でられた猫のように細くこちらを見つめてくる。

 ……あぁ、猫。その表現が正しいかもしれない。

 メインクーンとか、ロシアンブルーとか、アビシニアンとか。そんな、高貴ささえ感じさせる猫のような少女。それがチカと言う女の子を指すに相応しいだろう。

 気紛れでありながら人懐っこくて。物静かかと思えば時には情動的で。目の前で揺れる猫の尻尾のように掴みどころのない存在だ。

 くるりと嵌った宝石のような瞳に見つめられて、言葉もないやり取りにまた頭を撫でる。するとマーキングでもするように腿に頭を擦りつけたチカが、それからリラックスしたように目を閉じて。やがて小さく寝息を立て始めた。

 やはり眠かったらしい。このまま寝かせてあげるとしよう。

 契言(けいげん)でカレンに毛布を持ってこさせチカに掛けてやれば、健やかに眠る女の子の姿にカレンも一つ笑みを零したのだった。




 がたりと揺れた車体。それにか目が覚めたらしいチカがゆっくりと体を起こして辺りを見渡す。


「起きたか。気分はどうだ?」

「……うん…………あれ、寝てた……」

「眠かったんじゃなかったのか?」

「え……?」

「うん?」


 寝覚めはいいのか、直ぐに思考が追い着いたチカ。尋ねれば、重なった疑問に更なる疑念が募る。

 じゃあどうして膝枕したんだよ……。

 理由が分からなくてチカの瞳を見つめれば、彼女は寝起きで血流がよくなったのか少しだけ顔を赤らめて焦ったように距離を取った。と、後ろに下がりすぎたチカが御者台から落ちそうになって咄嗟に手を伸ばす。


「っと……」

「ふゃっ!?」


 腕を引っ張り上げるよりも……と考えて彼女の背中を抱き胸に引き寄せれば、上がったのは小さな声。次いで軽く胸を叩くような力が何度か響く。


「おい、暴れるなよ、今度こそ落ちるぞ?」

「うぅぅ……ぅうぅううぅぅぅ……!」


 何故か人語を解さなくなった魔剣。もしかしてまだ寝惚けてるのか?

 更に一つ強くなった拳の感触にチカを離せば、直ぐ下から軽く涙目になったチカが俺を見上げてきた。


「うぅっ、ミノのバ────」


 ば……? そこで止まった音に先を尋ねようとした所で、チカの視線が僅かに逸れる。一体何に……と思って視界を回した先にあったものに納得した。


「ん、あぁ。あれか?」

「…………ユークレース……?」

「あぁ、正解だ」


 チカの声に頷く。

 馬車の左手側。山の手前には大きく広がる白い都市。数多もの尖塔が競うように伸びる、建造物の数々。

 遠目でも分かる巨大さに、改めて告げる。


「しばらく前から見えててな。そろそろ着くぞ」

「……起こしてくれればよかったのに」

「気持ち良さそうに寝てたからな」

「っ……!」


 寝顔を見られたのが恥ずかしかったのか、小さい体を大きくして腕の中から抜けるとそのまま幌の中へと姿を消した。それと擦れ違いにカレンがやって来て溜息を落とす。


「はぁ…………」

「なんだ?」

「……なんでもない。ミノのへんたいっ」

「俺が何したよ」


 理不尽な罵倒に理由を求めつつ、チカの健やかな一時の為にと落としていた馬車のスピードを少し上げる。

 直ぐそこに見える白い首都。ようやくやってきた希望の都市に、遅ればせながら胸の内を燃やす。

 さて、やっとの目的地……ユークレースに到着だ。ここで俺は、自由と答えを手に入れるのだ……!

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