第二章
異世界、コーズミマの大地を、南から北へ。視界左側に天を裂くかの如く聳えるルチル山脈を拝みながらの旅路は、代わり映えのしない非日常をいつものように紡ぎながら時を刻む。
娯楽の少ない旅の中で、代わりに興味を満たしたのはそれぞれの分野。
ここでは異世界人である俺とショウはこちらの世界の理や歴史へ。逆に現地民であるカレンたちは俺達の元いた世界の空想へ。
互いの知見を交換する際限ない欲求は、幾ら時間を費やしても足りないほどに膨大で。世界はこんなにも情報に溢れていたのかと改めて自覚する。
そんな中で一際期待を込められていたのはショウとユウの個人的な趣味。
ショウのそれは、記憶を頼りに作られる丸太からの切り出し一点物なアコースティックギターの製作。弦楽器なんて繊細な作りを持つ楽器の無いコーズミマでは、その知識もさることながら形状からして異世界の塊で。日が進む毎に俺も見慣れた形になっていく姿に異世界の象徴たちは視線を釘付けにされていた。
ショウが言うには、実際のアコギはパーツを組み合わせて作るらしいが、それに足る材料が無い為に今回は世にも珍しい丸太一本から作られる木彫りのような作成方法。その為、大きさもウクレレのように小さな物になったが、そこは愛嬌だ。今度大きな町に着いたら本当のアコギ製作の為に材料を買いたいと零していたが、娯楽が増えるのはいいことだろう。機会があれば引き方を覚えてみるのもいいかも知れない。……戦いの糧にはならなさそうだがな。
弦には物を縛る用の糸を縒って作ったものと、便利なワイヤーのような戦闘用の繊維を少しだけ使って数種類。サウンドホールの内側の空洞は魔術を駆使してくり貫き、弦を張って最終調整。音感があるらしいショウは、自分の耳で音階を調べながら、奏でる際に音を決めるフレットの位置を探していた。
彼曰く、絶対音感こそ無いが相対音感は身に付いているらしく、自分の声から音を導いているらしかった。
因みに相対音感とは、基準の音を決めてそこから別の音を比べ、音の高さを聞き分けると言うもの。人は本質的にこれを備えているらしいが、音楽を経験した事がある人はこれがより正確に養われているらしい。ショウは自分の一番出し易い声をシの♭だと言っていた。俺はラらしい。よくわからん。
まぁその辺りの詳しい事はまた今度機会があればと言う事にしておいて。形も整い後は細かな調整をと言う段階に移ったのが昨日の事。ここからは一音一音に合わせたフレットの位置を弦の音に合わせて掘っていくらしい。気の遠くなりそうな作業だ。弦が特殊すぎて開放弦の音がまちまちなのが面倒くさいとかぼやいていた。
ギターの開放弦といえばミラレソシミだというのは知っている。が、どうやら弦が手作りだからか、中々その通りにはいかないらしい。ギターと同じチューニングにしようと思うと時間が掛かるそうだが、ここまでやったのだから同じように弾きたいと無駄なやる気を見せていた。完成まではもう少し掛かりそうだ。
そんなショウの傍らでもう一つ進んでいた研究がユウのアレンジ味噌料理だ。
あれ以降味噌の味が気に入ったらしく、頭の中で幾つものレシピを編纂している様子。別に拘らなければ生野菜につけて食べるだけでもいいのだが、そこはシェフの矜持が許さないらしく、焚き火の火よりも熱が入っている様子。
あまり味噌の量も無いということもあって、出来る限り失敗したくないと発起していた。
食べ物は娯楽の少ない旅の中でモチベーションの維持につながる。妥協を許さない敏腕シェフにとっては、魔物と戦う以上の戦場と言う事だろう。まぁこれだけ意欲的な彼女に任せておけば間違い無いはずだ。
食と音楽。その二極から状況改善を図ろうとする二人には出来る限り集中してもらおうと。道中時折出くわす魔物との戦闘は主に俺とカレン、そしてチカの担当となった。
カレンはどうやら剣を作る意外に魔術が得意では無いらしく、その事に気付いてからはその分野を極めようとやる気を見せている。具体的には色々な形の剣を作ったり、用途外の使い方を試行錯誤したりと中々に混迷している様子。変に素直なカレンが捻くれた小手先に悩むよりは、愚直に折れない心を鍛造した方が幾らか合理的だとは思うのだが、それはとりあえず後回し。
カレンのことだ、その内行き詰ったら原点回帰する。その時に教えてやればいい。それまで好きにさせるとしよう、と言うのが放任的な俺なりの考えだ。何か掘り出し物が出来上がるかもしれないしな。
そんな風に悩みながら前に進もうとするカレンに触発されてか、チカも色々と考えている様子。
大規模な魔術の行使を得意とするチカだが、その反面汎用性に優れた魔術は苦手らしく、ピーキーな自分の能力に向き合っている。
例えば威力を抑えてみたり。例えば範囲を狭めてみたり。
が、どうにもそう言った繊細なコントロールが特に苦手なのか、規模を縮小しようとすると魔術が上手く発動しないようだ。
悩み憂う姿は小動物のようなのだが、出来る事は大規模破壊と言うジレンマ。そのギャップに少しだけ嫌になったらしい彼女は、つい先ほどの戦闘で鬱憤が爆発したのか数匹の魔物相手にオーバーキルも甚だしい範囲殲滅を叫びながらぶちかましていた。軽く涙目になって帰ってきたチカが少しだけかわいそうに思えた。
大喰らいに記憶喪失。笑って見過ごせないそれぞれは、更に上回って一癖も二癖もあるようで中々に苦心している。どうしてこう俺は面倒な魔剣としか縁が結ばれないんだろうか。別に望んじゃいないのに。
思いつつ、荷台に腰掛け拗ねたように唇を尖らせるチカに労いの言葉をかける。
「お疲れ。随分と荒れてたみたいだが、大丈夫か?」
「……だって可愛くない」
「戦いに必要か?」
「気持ちには欲しい……」
難儀な気持ちだが、無碍に切って捨てられない。と言うのも、カレンが特にそうだが。彼女の刃は感情によってその力を左右される。それに比べると些細な物だが、魔術の行使にもモチベーションと言うのはそれなりに重要らしく。気分が乗ればアドレナリンが出るように普段以上の力が出せるのだとか。その辺りの感覚は魔物特有のようで、俺やユウには理解の出来ない分野だ。
出来ることなら普段から万全の状態を維持したい。そんな高い志を否定したくは無いのだ。
「でもチカは私に出来ない事が出来るんだよ? その方が羨ましいよっ」
「……同じことが、カレンさんに言えるんだよ。無い物強請りだよ……」
どうやら随分と落ち込んでいる様子。このままでは彼女のアイデンティティを自己否定しかねない。
ならばと、柄ではない事を自覚しながら声を掛ける。
「チカは、カレンみたいになりたいのか?」
「……………………」
「だったら悪いが、それは無理な相談だな」
「ミノ」
「だってそうだろ? チカはチカだ。カレンにも、ユウにも、俺にも出来ない事が出来る。それを誇らずに他人に憧れるなんて、それは自分を否定してるのと一緒だ」
自分を否定する。その重みは、誰よりも俺自身が知っている。
承認欲求と自己の確立。それは生きる上で欠かしてはならない物だ。求めすぎても駄目だが、無くなれば自分に存在価値が見つからなくなる。そうすれば、その後の道はひとつしか残されていない。
だからこそ、チカには……誰にだって。あの馬鹿な選択を二度として欲しくないのだ。
「何より俺はチカと契約してるんだ。チカが必要だからそうしたんだ。俺はきっと、チカがチカでなければ契約なんてしなかった」
記憶を失う前の彼女となんて考えられない。契約をする前の曖昧な距離感ももう取り戻せない。
選んだ決断は、どんな道であれ責任の連続だ。だからこそ、縋るかのごとくそれ以外はもう考えられないのだ。存在しないのだ。
「……だから、俺にはお前が必要だ。同じように、チカにだって俺を必要として欲しい。一緒に飯を食って、寝て、起きて、旅をして。そういう────仲間なんだろ?」
認めるのは、怖い。言葉にするのが恥ずかしい。
けれども待っているだけでは何も変わらない。前には進めない。
「俺も大概だけどな。それぞれ何か抱えてるんだ。それが一人でどうしようもないなら、少しくらい周りに目を向けてみてもいいんじゃないか?」
「ミノがそれ言うんだ……」
「うるせぇ」
茶化すように。けれどもどこか嬉しそうに言葉を挟むカレン。
契約に心を通わす意味合いなんてないけれども。考えていることが筒抜けな気がして嫌になる。それくらいに同情し合って傷を舐めているのだと知れば、気持ち悪いと吐き捨ててそのまま流されてしまいたい。
そんな風に思ってしまうくらいには、似ている事が大切にさえ思っているのだ。
「だからチカ。悩んでるなら力にならせてくれ。もう独りじゃないんだからな」
怖いくらいに胸の内の柔らかい部分を曝け出して音にすれば、こちらを向いたライムグリーンの瞳がじっと見つめてくる。と、何かスイッチでもあったのか、泣きそうなほどに顔を歪めた彼女がそれを見られまいと隠すように胸の中に飛び込んできた。
受け止めれば、腕を強く握ったチカが恐る恐ると言った様子で呟く。
「…………ミノは、あたしの事、好き……?」
「あ、あぁ……」
「……好き?」
「あぁ」
「好き?」
それは違うと。額をこすり付けるように小さく首を振って問いを重ねるチカ。一体何を……と思ったところで頭の中でカレンの声が響く。
『ミノ……言ってあげて』
『言うって、何を…………?』
『だから、その……言葉で…………好き、って……』
尻すぼみに消えたカレンの声。だから意味が分からないと……少しだけ解消されないもやもやが胸の内に渦巻いたが。そうすればチカは納得するのだろうかと、音にする。
「…………その……好き、だぞ……?」
「っ~~~~!」
途端、それまで以上に強く力を込めたチカ。それからタックルでもするかのように俺の体を押し倒して、チカが呟く。
「あたしも、好きだよ……」
何かを確かめるような音。その感情が、一体何に端を発しどこに行きつくものなのか……。それは契約が繋がってても理解できなかったけれども。声のトーンからして彼女が安堵したのは何となく分かった。
まるでそれは、子が親に場所を求めるように。胸の内にすっと落ち着いた何かに気付いて、自然と彼女の頭を撫でていた。
「……大丈夫だ。俺はここにいる。困ったら頼ってくれればいい」
「………………………………うん。……………………うんっ」
カレンほどに多くを語らないチカ。そんな彼女と契約する責任として、出来る限り力になろうと改めて覚悟を固める。
と、納得がいったのかゆっくりと体を持ち上げて離れてくれたチカ。次いで今し方の事を客観視して恥ずかしさでも感じたのか、微かに頬を染めた彼女は逃げるように御者台の方に姿を消す。
とりあえず落ち着いたら話を……今度は一緒に考えようと思いつつ。それから目に入ったカレンの背中に声を掛ける。彼女は荷台の縁に腰掛けて、遠くを見つめるようにぼぅっとしていた。
「どうした?」
「…………なんでもないよ」
何か言いたげな雰囲気を感じたのだが、気のせいだっただろうか。そう思っていると、ついでのようにカレンが零す。
「ミノ、私は?」
「ん?」
「私のこと、好き?」
「…………あぁ、好きだぞ」
「そっか」
同じように答えれば、声にいつもの豊かな感情は乗らず。何か間違えただろうかと考えたのも束の間、カレンは荷台から跳び下りて馬車と並んで歩き始めた。
一体なんなのだと。小さく息を吐けば背後に気配。振り返れば、そこにいたのはこちらを見下ろしたユウだった。
「ミノさん」
「なんだ?」
「…………やっぱりなんでもないです」
一方的にそう告げて、それから荷台の隅に座り込んで紙に何かを書き始めたユウ。いいレシピでも思い浮かんだのだろうか。
だったら今のやり取りはなんだったのかと。全く以って納得の見つからない一連の事に、やることもなくてカレンの見ていた方を眺める。
今日も今日とて代わり映えのしない晴天だった。
それから数日。地図ではそろそろユークレース方面に抜ける道がある頃だと、目の前の景色と比べて探しつつ。傍らにいつもの調子で雑談を紡いでいると、話題が誕生日の事へと向いた。
「そういえば魔物って誕生日って概念あるのか?」
「んー、ないんじゃないかな。そもそも暦が人間独自のものだし、魔物は魔力が集まって生まれるただの集合体。生まれたばかりの魔物は、何か意図されない限り低位からだし、そんな事を考える思考は備わってないと思うよ」
「……元からして不思議な話だよな。魔力の塊なのに、魔物になれば破壊衝動のような何かが生まれるって。別に魔力に意識があるわけじゃないんだろ?」
「そうですね」
少しずれた疑問はショウの口から。確かに不思議だ。が、その疑問を解消する手掛かりになればと、ユウが知っている知識を語ってくれる。
「魔物に関する研究は国でも行われてますから。その中で立っている推論の一つとしては、核となる物の存在が大きいんじゃないかって言われてます」
「核……てぇと、あれか。魔物のコア的な」
「実際はただのがらくたを拠り代にしてる場合が殆どだけどな。成長する過程でそれが魔力を帯びて魔具に変化したりってのが普通らしい」
魔具が出来る過程は大きく分けて三つ。
一つは自然由来のもの。魔力が多い場所に捨てられたり埋まっていたりする物に時間を掛けて宿った魔力の所為で魔具となるパターン。
二つ目は魔物の核となっていた物が、討滅により人里に持ち帰られた場合。この経緯の魔具は数こそ少ないが、強力な能力を秘めている場合が多いらしい。ユウがベリリウムで買った双剣もその一つだ。
そして最後が、人工的なもの。魔力石などがこれに分類されるか。とは言ってもこれはまだ確立している技術ではないらしく、様々な研究の末に偶然出来上がる類の物らしい。その代わり、意図した能力を付与させる事が可能とかで、唯一無二を作れるとか。今後研究が進めばきっとそれが主流になるのだろう。
今のところは魔物由来の魔具が強力だということと、普段使いされる火石のような魔具は自然由来で賄われている……と言うのを前にユウから聞いた。
「その核になるような物って武器が多いんですよ」
「魔物の側が好んで取り込んでるってことか?」
「いえ、そうではないです。……魔物が現れると、どうしますか?」
「倒すっ」
「それはお前だけだ。基本は逃げるだろうな」
「はい」
カレンの妄言を横に置きつつ話を進める。
「けれど逃げるのにも時間が要ります。その間律儀に待ってくれるほど魔物も優しくありませんからね。そうなると時間稼ぎが必要で、誰かが殿のような役目を引き受ける事になります」
「……あぁ、なるほど。そのときに生き残った奴が武器を飲み込むのか」
「はい。結果それが核になって、魔具になって、討滅されて、出回る。これが魔具と魔物関連の大きな流れです」
魔剣の数は少ない。だからこそ魔物には魔具での対応が殆どで、それを自転車操業的に補っているのだろう。
「……でもそれだと魔具が飽和しないの?」
「火石もそうですが、魔具って使ったら消耗するんですよ。だから使い続ければ、魔具となった武器もその内元に戻るんです」
「どこかで釣り合うって事か」
チカの疑問に答えたユウ。その声に納得する。だからこそ一方的に殲滅しきれないし、魔剣の唯一性も保たれているのだ。中々上手く世界は巡っているものだ。
「で、その核と意識とどんな関係が有るって言うんだ?」
「物って使っていると愛着が湧くじゃないですか。誰かから貰った物なら特別ですし、武器となれば命を預ける相棒でもありますから」
言ってユウが双剣の魔具に触れる。偶然の出会いだったが、どうやら彼女は随分時に言っている様子だ。値は張ったが、そこまで大事にしてくれるならばいい買い物だったかもな。
「魔術の行使には僅かながら感情が関係すると言う話は前にしましたね」
「あぁ」
「それと同じように、物にも何かが宿るかもしれない。それを取り込んだ魔物が意思を持つのかもしれない、と言う考えがあるんです」
「金属の塊が感情をか?」
「そこまでいくと非科学的だが……付喪神って言葉もあるからな。辿った来歴……刻まれた歴史が不思議な力を持つなんてファンタジーらしい話だろ」
「そう言われるとそうかもな」
恐らくカレンたちには伝わらないだろうが、ショウと納得を落とす。ここは地球ではないコーズミマ。魔力と言う概念が存在する世界を、俺達の価値観だけでは語りきれない。
「契約だって記憶に影響を及ぼすみたいだしな。魔力が絡む以上あながちありえないとも言い切れない話ってことだ」
「とは言えそう簡単に信じられもしないけどな」
こう言うところは似たような感性で助かる。もし俺一人だったなら自分が狂ったのかと思ってしまいそうだ。
そういう意味ではショウがいてくれてよかったと。懐かしさと安堵を覚えながら話を戻す。
「それで、ちょいとずれたが……誕生日だったな」
「そうでしたね。……魔物が明確な意識を持つのはほぼ確実に核を持つ中位から……逆に、核を持って意識を宿した魔物を中位と判断するのが基本的な見解です。だからいきなり中位以上として生まれない限り生まれた時の記憶はないんです」
「だから誕生日の概念もないと」
遠回りした話題をどうにか着地すれば、横からチカが新たな疑問を零す。
「魔剣は……?」
「個の意識によって違いますね。人を信じている《天魔》もいれば、信用していない《天魔》もいる。大抵は幾度か契約を経験すると、魔力を受け取って力を振るえると自覚できるから人に好意的にはなります。そうして人のことが好きになると、例えばお二人みたいに人の世界に興味を持ちますから、流れでそういうことも考えたりしますね」
「契約記念日とか、そういう感じか?」
「そうですね。契約した日を誕生日だと言う事もありますし、魔剣化したときをそれだと言う事もあります。その辺りは個の考え方次第ですね」
自分を自分として認識する。他に個として認めてもらう。話はきっと人の世界でも同じで、その理の歯車に上手く噛み合えなかったのが俺だと自嘲すれば、カレンとチカに視線を向ける。
「私はあれかな。契約が上手くいったミノとのその日が誕生日っ」
「あたしは……いつだろう。記憶を失う前の事は覚えてないし……目が覚めた時だって言えば、前のあたしを見過ごす事になるし……」
「別に決めなきゃならないものってわけでもないんだ。自分で納得出来るのが一番だからな」
「うん」
能天気なカレンはいいとして、チカは少し真面目に考えすぎたか。自分が記憶喪失だと分かっているからこその悩みなのだろう。あまり無理を強いて彼女を苦しめるつもりはない。チカが認められる答えを見つけるときまでゆっくり待てばいい。記憶を取り戻すのとどちらが早いかと言う具合だろうか?
「……そういえばユウはどうなんだ?」
考えているとショウが尋ねる。その言葉に思考が追いつけば、視線と共にユウへ疑問を。
「魔瞳とは言え人間だからな。誕生日はあるんだろ?」
「…………忘れました」
「ほんとに?」
「……………………」
カレンの純粋な視線に顔を背けるユウ。何で嘘吐こうとしたんだよ。
「だってわたしだけお祝いしてもらうのって不公平じゃないですか」
「んなこと誰も思わねぇよ。逆に、いつも頼ってばかりで感謝してるんだ。折角の日くらい祝わせてくれ」
「…………なんでよりにもよって今日この話したんですか……」
「……………………おい、まさか……!」
「……はい、そうです。数え間違いでなければ、今日が誕生日です」
思わぬ事実に馬を止めそうになってしまった。
いや、流石に出来すぎてるだろうと……。
「……嘘じゃないな?」
「だから嫌だったんですよ。都合がよすぎましたから。まさか知っててこの話題を振ったんじゃないかとさえ疑いました」
「悪いが偶然だ。それで微妙に話題をずらそうとしてたんだな?」
居心地悪そうに顔を逸らした彼女。今日も誰かの誕生日なんて有り触れているが、それがこの馬車の上で巡り合うとは思わなかったと。
遠慮していたのは先ほどの言い訳に加え、自己評価の低さから来るものだろうか。
前々から思っていたが、ユウは謙虚すぎるほどに我が儘を言わない。自分の言動が迷惑をかけるかもしれないと積極的になれず、感情を殺してしまいがちだ。何か大義名分があれば別だが、理由も無しに誇れるカレンとは真逆のタイプだと言う事だろう。もちろん、その慎み深さは美徳だが、今回ばかりは見過ごせないと。
「……悪いが強行させてもらうぞ」
「そういう意地悪なの、いけないと思います……」
「生憎と娯楽に飢えてる旅路だからな。パーティとして盛り上がれるなら願ったり叶ったりだ」
「それを言い訳に出来るほどわたしだって甘くないですよ?」
「何と言おうと知るか。今夜決行だからな」
「うぅぅ……」
照れるように右の前髪を引っ張るユウ。久しぶりに見たな、その癖。眼帯を買って以降してなかったからなんだか新鮮だ。
「よぉしっ、そうと決まれば準備だな」
「今からか?」
「オレはオレなりにやりたいことがあんだよっ」
話を聞いていたショウが火種を燃やして荷台に姿を消す。少しだけ姿を追えば、作りかけのアコースティックギターを持ち出して製作に取り掛かっていた。……ふむ、確かに盛り上がりは欲しいか。ならばそちらは任せるとしよう。
となると次は…………。
「カレン、肉はまだあったか?」
「すこしなら。後は全部干し肉だよ」
「なら一匹くらい仕留めた方がいいか……」
「そ、そこまでしなくても……!」
事が大きくなっていく様子に慌てるユウ。そんな彼女に、窘めるように告げる。
「そもそも生まれなければこうして一緒の時間を過ごして、助け合いもしてないんだ。だったら生まれた事を大々的に祝うのは当然だろう?」
「で、でも……」
「なら逆に、俺やカレンが今日誕生日だったらユウはどうしたよ」
「……………………」
反論に詰まった少女に最後の追い討ち。
「何より俺個人がユウにこれ以上なく助けられてるんだ。分かったら素直に感謝を受け取っておけ」
「…………ずるいです。ずるいですっ! ミノさんの誕生日っていつですかっ?」
「悪いが異世界人だ」
「それでもいいから教えてくださいっ!」
珍しく声の大きいユウの姿に少し気圧される。大人しい少女だと思っていたのに、変なところで頑固だな。
こっちの暦で考えても仕方ないだろうにと思いつつ教えれば、仕返しでも目論んでいるのかしっかりと記憶に刻み込んだらしいユウが「覚悟しておいてくださいっ」と意気込んでいた。
別に祝わなくてもいいが……祝ってくれると言うのならば素直に受け取るとしよう。彼女が腕を振るってくれると言うなら尚更だ。
そんな事を考えつつ少し早めに野営の準備を始める。ルチル山脈の近くと言う事もあって周囲には自然が沢山。そんな森の中に分け入って特別な食材を調達してきたのはカレンとチカだった。手に持って戻ってきたのは立派な鳥。魔術でも使って仕留めてきたのだろう。
狩りは必要時以外してこなかったが今回は特別。手早く捌いて処理を施せば、部位毎に分けて串に刺していく。鳥は捨てる部位が少ない。効率がいいのだ。一羽丸ごとなら五人でも十分に足りる。
あっちで生きてる頃は絶対にしなかっただろう血生臭い処理も慣れたものだと、自分のことながら逞しく思いつつ。タレの代わりに塩で味付けすれば焼き鳥の完成だ。
そんなメインディッシュと並行して作ったのは、ケーキ。とは言っても卵や生クリームのような常温で腐る物は糧食には携行出来ない。代わりに少し工夫して作ったのはドーナツだ。
卵はなくても作れるし、牛乳は気になって買っておいた粉の物から。混ぜて成型して揚げるだけの簡単なものだが、特別感はあるだろう。
焼き鳥パーティの傍らで生地を寝かせ、肉を食べ終えた後で揚げたてを提供する。初めて作ったにしては中々な出来映えに満足しつつユウを中心に盛り上がる。
夜も更けてから、どうやら調整が間に合ったらしいショウのアコースティックギターの音に耳を傾けた。月夜の下、焚き火の炎を揺らめかせる景色に響く音色はショウらしくなく優しくて。今回ばかりはその特技も役に立つと囃せば、興が乗ったのか幾つか記憶にあったらしい歌を彼が披露した。
音楽をやっていただけあって音感もさることながら歌もそれなりで。中には俺も知った曲もあって、懐かしさと共に声を重ねた。
そんな初めて聴く音楽に、異世界のリズムながらも気に入ったらしいユウ達が笑顔でいてくれたのが、何よりも楽しかった。
代わり映えのしない旅路の、ちょっと特別ないつもの延長線上。楽しさと、僅かながらの寂しさを綯い交ぜにして紡がれる時は、このまま永遠になっても構わないと思えるほどに満ち足りる。
あぁ……。今、生きている。そんな些細な事がこれ以上なく嬉しく感じるのは、きっと何物にも替え難い幸福だと。
掻き鳴らした弦の音と小さな歓声が、誰に聞かせるでもなく夜の帳に溶けていく。
* * *
「この辺りだと思うけど……ヴェリエ、どう?」
「近いな。けど周りに邪魔なのが多すぎて判別がつかねぇ」
雑踏の中で外套を目深に被り道行く人の流れに視線を配る。零した問い掛けには左腰から不明瞭な返答。こんな事なら《魔鑑者》でも一人借りればよかっただろうか。そんな事を考えながら目的を捜し求めて足を出す。
「とりあえず話に聞いた店でも覗いてみようか。何か手掛かりでもあればそこから追い駆ける」
「あいよ。何かあったら教えてやる」
相変わらず上から目線な相棒なことだと。逆縁によって紡がれた互いの過去を思い返しつつ、その頃から一切揺るがない姿勢に小さく笑いながら人の間をすり抜ける。
と、視界の先で男が不審な動き。次いで何事もなかったかのようにこちらに向かって歩いて来る。腰に下げた剣の柄を軽く叩いたが反応はなし。ただの行きずりかと溜息を吐いての擦れ違い様。足を引っ掛けその場に倒すと馬乗りになって後ろ腰から抜いた短剣を男の首筋に宛がう。
「ほら、盗った物出しな」
「ひぃっ!?」
脅すように低く地を這うような声で耳元に囁けば、小さい悲鳴を上げた男。こんな事で怯えるなら人の金なんか盗むんじゃないと思いつつ、差し出された麻袋を拾い上げる。
さて、後は衛士にでも突き出して……と考えた所で最後の抵抗を見せた男。攻撃でもしてくればそのまま意識を刈り取るなり出来たのだが、今し方の出来事で周りに出来た衆目の輪を掻き分けるように逃走したその後姿に軽く頭を掻く。
……ふむ、まぁいいか。更生してくれる事を願うとしよう。
『相変わらず優しいこって』
頭の中に響いた契言にさげた剣の柄頭を軽く小突いて立ち上がり、元の持ち主へと袋を返す。
「気をつけなよ」
「あ、ありがとうございますっ」
基本的に己が身は自分で守るのが鉄則。今回はただ気付いて見過ごせなかった生来の気質が作用しただけ。毎度の事ながら自分でも呆れるほどのお人好しだ。
他人を助けて一体何の得があるのかと。益にもならない事に相棒の小言が沁みるなどと考えれば、金を取られた男が礼にと銀貨を一枚差し出してくれた。
そんなのだから金を取られるんだろうと思いつつ、貰える物は貰っておこうと受け取って足を出せば、やがて人の流れがそれまで通りに再開される。
平穏こそが何よりの娯楽。そう胸の内で嘆いて銀貨を指で弾きながら零す。
「ふふっ、ご褒美に何飲もうかね?」
「また酒か? よくもまぁ飽きねぇなぁ……」
「嬉しい事があったら酒盛りだろう?」
「一人でやるなんて寂しい話じゃねぇか。そろそろ人の伴侶でも見つけたらどうだ?」
「親みたいな事を言うな」
減らず口の剣に少しだけ気分を削がれつつ目的地へ。やってきたのは今回の依頼で情報提供のあったらしい武具店だ。
「おやっさん!」
「へいどしたっ。何をお求めだいっ?」
「あー違う違う。こっち」
在庫整理でもしていたのか、樽に入った量産品を見つめて腰をこちらに突き出す店主に声を掛ける。威勢よく振り返った恰幅のいい髭面の旦那に、客じゃなくて悪いと断って依頼書を見せる。
「依頼を受けて話を訊きに来た。粗悪な魔具売ったんだって?」
「あぁ……いや、ちげぇって。俺もあれは知らなかったんだ。いつの間にか商品に混じってて気付いたら売ってたんだよ。でもって後から騒ぎが起きたってんで剣を売ったうちに飛び火したんだ。誓って言うがそういうのは扱ってねぇんだ! ほんとだ、信じてくれよぉっ」
今にも泣き付かんばかりに懇願する店主。さて、どうやら売った側にも心当たりがないらしい。本当ならば少し面倒だが……。
「それを証明出来る物は?」
「出納帳があるっ。……ほら、この日だ。計上した金額と仕入れから出る儲けが僅かに違う」
尋ねれば差し出してきたのは店の元帳。それを見れば、確かに彼の言う通り差が出ている。売値と数が合わない。
『ヴェリエ』
『37だ』
確認を取ればすぐさま返った数。それは今この店に商品として並んでいる剣の本数だ。
「帳簿の数に間違いはないな?」
「あぁ、当然だっ」
「今日売れたのは?」
「えっとぉ……12だ」
「ふむ……確かに一本数が多いな」
今朝の仕入れ本数を含めた総数から売れた数を引いても計算が合わない。どうやら彼の言っている事は本当のようだ。
となると方法はいくつかあるが、さて…………。
「件の騒動、何処で起きたか詳しい場所は?」
「二本向こうの通りの仕立て屋の角を曲がった細い路地だ。けど憲兵さんがその場の確認はしたって言ってたぞ?」
「何事も自分の目で見るまでは信じない性質でね」
最初に聞いた話から察するに、現場では魔術か何かが使われたらしい。となるとその残滓から何かが分かるかもしれない。
「あぁそうだ。その一本分、あたしが貰うよ。幾らだ?」
「銀一枚だ。……けどいいのかい?」
「どうせ依頼が終われば元が払ってくれるんだ。損なんかしないよ」
今回の依頼は国からのもの。しっかり漏らさず報告すれば、使った分は補填が利く。銀貨一枚なんて町商人にとってみれば大きなお金だ。あるのとないのとではこの先数日の生活が大きく変わる。
彼はきっと被害者だ。ならばその分も含めて取ってもらえればこちらも気分がいい。何よりも自分が心地よく仕事をする為に。弾いた銀貨を受け取った彼は、それから申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「ありがと、おやっさん。不名誉な噂はあたしに任せてくれ」
「あぁ、頼む。もし今日中に片付いたら、夜に一杯奢らせてくれ」
「それはいい、楽しみにしてるっ」
願ってもない申し出に笑みを浮かべて現場へと足を出す。すると腰からからかうような声。
「泡銭は身に付かないってな。人様も時にはいいこと言うじゃねぇか」
「うっさい。ほら、仕事だよヴェリエ」
「ほいほい。ちゃちゃっと片付けますかねぇっ」
暢気な相棒────魔剣、《叛紲》のヴェリエの声に浮かれた気分を押し殺し仕事のそれへと切り替える。
「さぁて、今回は《裂必》様のお眼鏡に適うかね?」
「人を戦闘狂みたいに呼ばないで」
《裂必》。この身に他人が勝手につけた二つ名を煩わしく思いながら、お酒の時間まであと四半日もないと天の陽を見上げたのだった。
店主に聞いた現場にやってくると一通り手掛かりがないか自分の目で探す。彼に告げた通り、自分の目で見て判断するのが信条。昔から、他人の言葉で動く事には強い拒絶を覚える性格で、そのことが理由で結果住んでいた町を飛び出す事になったが今は後悔していない。旅人と言うのは気楽で自決に責任を感じないのがいい。
そんな自由の身でありながら、けれども一人では生きていく事もままならない人の世界で。何の因果か巡り巡って得た、国に支えない魔剣持ちと言う身分を活用して、世界を風のように気ままに巡ってはその先々で依頼を受けてこうして日銭を稼いでいる。
巷ではなんだか英雄のように持て囃される身だが、特別大きな功績を上げた記憶はない。そんなに何処にも属さない魔剣持ちが珍しいかと。だったら世界から追われるのを覚悟で飛び出してみればいいのに。憧れなんて残酷なほどに他人事なことだ。
なんて、何の益にもならない悪態を胸の内で零しつつ。今回受けた依頼────魔剣の暴走事件と言う奇妙な話に本腰を入れる。
と言うのも、魔剣は基本的に暴走などしない。契約を繋いで魔力を介し普通の剣ではありえない力を振るう魔剣。けれども元となる魔力が切れたところで、宿主を破滅に追いやるなんて余程のことがない限りありえない話なのだ。……それこそ、噂に聞く《枯姫》…………いや、今は《珂恋》だったか。あれみたいに規格外でなければ珍しい話だ。……まぁその《珂恋》自体も直接は目にしたことがないから、いつかお目にかかれる事を願ってはいるのだけれども。
しかしそんな夢想、今目の前にある現実はまた別問題だと。想像から思考を切り離して一通りの探索を終え腰に手を当てる。
「ふぅ…………」
「で、何か収穫は?」
「まぁそれなりには。けどこれは……なんていうか人の仕業にしては随分と荒っぽいというかねぇ」
投げやりな腰の相棒、ヴェリエの声に頭を掻きながら答えて抉れた壁と欠けた建物の角を見つめる。人の力にしては不可解なほどに大きな皹。まるですぐそこの家ほどある巨体の《魔堕》がその身に似合った槌で思いっきり殴りつけたような衝撃の走り方と。そして欠けた角は、大きな手で目一杯掴まれて握り壊されたような傷跡が残る。どうにも人の身、魔剣のやり方にしては疑問が残る形だ。
「やっぱり話の通りかな、これは……」
「人が魔物にって奴か? でも変な話だな。魔障にも罹ってない騎士だったんだろ? それがいきなり街中で魔物に変わってこの辺りを破壊して姿をくらましたってなぁ……」
「元魔物からしても納得できない?」
「ここが魔力溜まりになってて湧いたってなら分かるけどな。にしたって壊れ方を見るに中位以上。そもそもここは路地と言えど吹き溜まりじゃあねぇんだ。これは確かに不可解って言うほかねぇだろうよ」
魔剣であるヴェリエがそういうのだから間違い無いのだろう。と言うことはやはり依頼内容にあった通り、人が魔物に変化して、どうやらその理由があの店で買った剣にあるという説が濃厚そうだ。
「つぅかよ? そもそもどうして町の店で剣なんか買ったんだよ。国の騎士なら配られたそれがあるだろ?」
「この辺りは魔物がよく出るらしいからね。町を守る為に実費で戦力でも補おうとしたんじゃない?」
国から派遣された騎士の殆どは剣と魔具を持たされている。けれど魔具では低位程度の《魔堕》しか討滅できない。中位以上は援軍が必要だ。その為の時間稼ぎか……それよりももっと即物的に、自ら手柄を立てて昇進でも目論んだ野心家の独断の末の結果だろうか。何にせよ、結末がこれでは真相がどうあれ意味ない話だ。
「まぁやる事はかわらねぇな。魔障でなくとも魔物化した人間は脅威だ。人を核としてる分変に知能や魔力があるし、最低でも中位以上。助けるつもりで殺すのがせめてもの情けってやつだ。そうだろ?」
「えぇ」
魔障による魔物化然り、そう言った魔力の吹き溜まりからではない生まれ方をした魔物は厄介だ。ヴェリエの言う通り知能を持っている。それが面倒な方向に働けば、意図的に町を襲ったり魔物で徒党を組んだりと言う話は枚挙に暇がない。
そのためにも、魔障に罹った場合は早い処置か、手の施しようがなければ介錯するのが常だ。あたしも、前に旅の中で立ち寄った村で、魔障に侵された子供を救った事がある。幾ら仕方のないこととはいえ、辛いのは事実だ。
けれどもそれで対処を誤り更なる被害が出てはそれ以上の後悔をしてしまう。だから今回も、それと同じだ。
「被害が出る前に食い止める。そのためにも……ヴェリエ、力を貸して」
「よし来たっ。任せとけ!」
覚悟を決める為に一つ深呼吸。そうして無駄な一切を斬り捨てると、一枚の紙を取り出して地面に置き、風で飛ばないように踏む。次いで腰から彼を抜くと、彼の銘を解放する。
「解銘────《叛紲》!」
縁に背く。そんな意味を込めた彼の銘は、魔力を遡る力だ。
世界に流布し満ちる魔力。その中から対象の魔力を辿り、その歴史を読み解く力。きっとこれは、あたしと彼の逆縁が紡いだ能力なのだろうと思いつつ。足で踏んだ魔術を込めた紙に魔力を流す。刹那に、温度のない紫色の炎が音を立てて紙を焼くと、そこに記された魔術が起動して大きな魔法陣となりあたしを中心に景色を彩った。
魔術に込められた力は、残留魔力の可視化。僅かの間だけ目に見える形で魔力を顕現させるその力で以って世界を漂う流れを知覚する。その中から、一際大きな波を見つけてヴェリエの刃で撫でれば、目の前に魔力の過去が映し出された。
どうやら思惑通り、その瞬間の魔力の記憶が再生されているらしい。月が輝く空の下。ふらふらと覚束無い足取りで頭に手を当てながら苦悶の表情でやってきた騎士の男性。その人物が一際苦しんだかと思うと次の瞬間人の殻を破るように魔力が溢れ彼の体を覆っていく。やがて顕現したのは家の二階に届きそうなほどの巨躯を持った魔物。どうやら想像通り何らかの原因により人が魔物に変化してしまったというのが真相らしい。
と、何かに抗うように腕を振り回した彼は先ほど見た傷を壁に生み出し、角を掴んで夜の闇に跳んで消えていく。その行動は衝動的ながらまだ理性が感じられる。思うに、最後の意志で被害を最小限に留めようと町の外にでも姿をくらましたのだろう。
考えていると魔力の過去が薄れて消える。問題の一部始終を確認して小さく息を吐けば、彼が逃げていった方角を睨んで告げる。
「ヴェリエ、追える?」
「もう大分薄れちゃいるが、どうにか。近付けば魔力も濃くなるし直ぐに出発した方がよさそうだぜ」
「……これは帰るのは夕方過ぎるかなぁ」
小さくぼやいて笑うと、相棒の声を頼りに後を追い始める。逆縁で紡がれた彼との絆。ならば魔力の縁を辿る事も容易な事だ。
宿に預けていた馬を駆って町を出れば、街道を外れて山の方角へ。あっちには確か、石炭などの採掘場があったはず……。陽の落ち加減から察するに丁度炭鉱夫たちの仕事が終わる時間。面倒になる前に急いだ方がいいだろう。
「しっかし一体なんだって人間が魔物に変わっちまうのかねぇ……」
「それを調べる為にあたし達が来たんでしょ? ぼやいてないで直ぐに片付けるわよ」
「あいよっ」
ヴェリエの疑問は当然あたしも同じ。あの過去の記憶だけではどうにも判断が付かない。だからこそ直接確かめるのだ。
そう意気込んでまた一つ馬を加速させれば、目的地へと急いだのだった。
しばらく走ってやってきた採掘場。近くに馬を止めて労い休息させれば、荷を運び出す男性を一人捕まえて声をかける。
「もう仕事は終わり?」
「あぁ、丁度さっきな。なんだ? 今日の運搬の護衛はあんたかい?」
「いいえ。それはきっと別の人。あたしは避難の警告に来たんだ」
警告。その言葉に訝しげな瞳を向けた男に事情を説明する。と、その途中でその男性が何かに気付いたように口を開いた。
「……そんなわけで出来れば今すぐにでも────」
「あ、あんた……! その顔っ、もしかして《裂必》のメローラかっ!?」
話の腰を折る驚愕の声。これまた面倒な事になったと、変に売れた名前と顔に辟易しつつそれを利用する。
「……ん、そうだよ」
「ま、まじかよ……本物だ…………」
「そう、本物。だからさっきの話信じてくれる?」
「へ……? あ、魔物が近くにって話かっ! も、もちろんだとも! って、ならやべぇじゃねぇか!」
「だからそう言ってるのよ……。分かったら仲間を集めて早くここを離れて。もう余り時間がないから……」
勝手な英雄扱いに、何度そうされても慣れない物だと思いつつ少し無理やりに丸め込む。すると彼は直ぐに声を張り上げて採掘場に避難の声を届けてくれた。
《裂必》の名前に野次馬根性で一目顔を見ようとやってきた男達をどうにか説得してこの場から離れさせようとする。一頻り騒いでようやく避難を開始するまでに少し。ようやく動き出した彼らに嘆息の息を吐き出したのも束の間、腰の相棒から声が上がる。
「おう相棒。向こうさん気付きやがったみたいだぜ?」
「もう、まだ逃げてないのに……!」
来る途中でわかっていた事だが、直ぐそこまで魔物が来ていた。だから急いでいたのだが、どうやら少しだけ間に合わなかったらしい。
けれども無関係な人たちを巻き込むわけには行かないと覚悟を決めてヴェリエを抜き放ち、構える。その事に気付いた鉱夫が、観戦でもしようかと覗かせた好奇心。流石に命の見積もりが軽すぎると小さく舌打ちをした刹那、魔力の乗った咆哮と共に身の丈数倍はある魔物が姿を現した。
空気を振動させる雄叫びは、背後の坑道に反響していくつかを崩落させる。鳴り響いた地響きに尻餅をついた背後の男達。それを見てか、魔物が巨大な腕を振り上げて突進してくる。
既に思考が魔物のそれに塗り潰されたかと。僅かにあった期待を打ち捨てると、進路を阻んで攻撃を受け止める。
鼻先まで迫った獣のような鋭い爪。咄嗟に手首を返して傍に叩き落せば、背後に振り返って叫ぶ。
「死にたくないならさっさと逃げろ!」
恫喝のような怒号に慌てて蜘蛛の子を散らすかのごとく走り出した男たち。彼らが逃げ果せるまで魔物の攻撃を裁ききると、ようやく自由に動き回れるようになった戦場でヴェリエを構え直す。
「んで? 何か分かった?」
「どうにもよく分からんが、剣みたいなのが核になってるっぽいな」
「剣? 人じゃなくて?」
「あぁ」
人を媒介とした魔物ならその核はあの騎士だと思っていたのだが……どうやら何か複雑な事情があるらしい。
とは言え悩んでいる暇はないと。再び咆哮した魔物に向けて疾駆する。
先ほど幾度か切り結んだ感覚からして、中位から上位の間。体の大きさも、過去の記憶を見たときより二周りほど大きくなっているように思う。逃げ出してから急速に魔力でも溜め込めるような吹き溜まりがどこかにあったらしい。
基本的な戦力比として、中位一体に対して魔剣持ちが一人と言うのが危険なく戦える範疇だ。だが今回の敵はそれを大きく上回っている。中々一人で相手するには厳しい相手だ。────が、それは普通の魔剣使いならばの話。
「ヴェリエ、右腕!」
「あいよぉっ!」
叫んで両刃の相棒を右手だけで握り頭の上に掲げる。と、次の瞬間、あたしの腕が見る見るうちに魔力に覆われて巨大な鎧つきの腕と化す。その大きさは、目の前の魔物のそれと大差ない。
人の身には不釣合いな巨人の腕。そこに握られた剣も膨大な魔力をまとって大木のような大きさになると、思い切り振り被って目の前の魔物目掛けて振り下ろした。
「でぇええええぁあああああっ!!」
裂帛の気合が形を求めるように辺りへ噴煙が広がる。地面への衝撃が火薬でも埋め込まれていたかのように幾何学な模様を描いたのを見て、少しやりすぎただろうかと後悔したのも束の間、土煙の向こうに浮かんだ存在感を肌で感じて応戦する。
次の瞬間、視界を覆うほどに巨大な拳が飛んでくるのを視認するや否や、振り下ろした相棒を返す刀で振り上げ、魔力を纏った一閃で両断した。そのときには既に、右手の大きさは元に戻っていた。
一拍空けて背後に落ちた魔物の腕が寄る辺をなくしたように解けて霧散する。やがて漂っていた煙が晴れれば、片腕を切り落とされ、体を肩から腹にかけて斜めに切り裂かれた魔物がそれでもまだこちらを睨んで立っていた。まだ存在としての結合は解けていない。僅かだが修復もしている。が、もう余程のことがない限り脅威にはなりえない状態だった。
「意外としぶといわね」
「この様子だともう数日もすれば高位になってたかもな。それ以上放置してれば、《波旬皇》とまではいかねぇだろうが、それなりの相手にはなったはずだぜ?」
人を媒介に魔力溜まりに潜伏でもしていたらしい魔物。もし文献で流し見した通り同属食いでも始めて力に変換したのなら、それこそ第二の魔王候補だったのだろう。……少しだけそれほどの大物と戦ってみたい気がしないでもない。
「……頼むから命を粗末にしてくれんなよ、お姫様」
「誰が姫よっ。……んなことしないっての」
下手に通じ合った相棒の声に肝を冷やしつつ漲らせていた力を解いて魔物に対峙する。
……さて、一応意思疎通と洒落込んでみようか。
「んーで。さっきので潰れなかった事は素直に褒めてあげる。片腕だけとは言えあれを受けて立ってたんだからね。あんたは十分強かった。そこいらの有象無象とは格が違う。誇っていいことね。……だからって暴れられるのは困るけれど」
とは言っても最早この状態で先ほどのような力を出せるとは思わないし、そもそも逃がすつもりはない。これ以上成長されたらそれこそ《波旬皇》の再来だ。
「その強さに敬意を表して尋ねるわ。何か言いたい事はあるかしら?」
「ゥ……ゴァアアァァ……!」
ふむ、どうやら人の言葉は解せないらしい。いや、解してはいるかもしれないが、自ら十分に扱えるほどではないのだろう。人が魔物になった存在だからと少しだけ期待をしたが、この様子だともう彼の意識は残っていなさそうだ。日が経ち過ぎたのだろうか。だとしたら間に合わなくて申し訳なかった。
話が出来ればこうなった原因を探る手間もある程度省けたのに。……仕方ない。そう言うのは国の賢い者に任せるとしよう。あたしにそういうのは無理だ。
「…………悪かったわね、助けられなくて。それじゃあ、さようなら────」
せめてもの礼儀として騎士であったことに敬意を払いながらヴェリエを振り下ろす。抵抗する様子もなく切り裂かれた彼は、そのまま拠り代を失ったように霧散して空気中に消えて行った。
あれほどの大物が討滅されたのだ。この辺りは開けているから新たな魔力溜まりになる事はないだろうが、一応警戒はするように帰ったら進言しておくとしよう。
面倒な事後処理を全部丸投げして一つ呼吸を落とせば、終わりを告げるように腰の鞘へと相棒を納めた。
と、それとほぼ同時、魔物の核になっていたらしい両刃の剣が一振り地面に落ちて、衝撃にか中ほどから綺麗に半分に折れた。
「……これがヴェリエが言ってた剣? なにこれ、変な紋様刻んであるけど」
「さぁな。詳しい事は専門家に任せればいいさ」
「あんたも大概他力本願ね」
「契約相手に似たんだろうさっ」
呼吸をするように笑顔で憎まれ口を叩きあって、証拠品として剣を回収するとその場を立ち去る。避難していた男達に、今日のところはこのまま帰れと告げて、暇潰しに帰り道の護衛を引き受ける。
あんな魔物が現れた直後だ。その大きさに反応して雑魚が群がってこないとも限らない。もしきたら、切った分だけ追加報酬を強請るとしよう。
結局追加の魔物は現れる事無く町へと戻ってくると、命が助かった事にこれ以上ない感謝の言葉をもらったが……それだけだった。せめて一杯くらい驕ってくれればよかったのに。
彼らはそんな気分ではないかと思いつつ剣を持って件の武器屋に戻れば、店仕舞いを始めていた店主がこちらを見つけるや否や尋ねてきた。
「無事でよかったっ! それで、魔物は……?」
「この剣で間違いなければ倒してきた」
半分に折れた剣を見せれば、見覚えがあったのか頷いた男。それから安堵したように彼は笑って感謝の言葉を零した。
「いやぁ、本当にありがとうっ。これで安心して眠れるってもんだ!」
「ま、それがやるべき事だからね。……それで、約束はまだ有効?」
「あぁ、もちろんだとも! 一杯と言わず飽きるまで飲んでくれ! 今日は俺の驕りだ!」
「話が分かるおやっさんでよかったよ。早速行こう!」
「ったぁく……」
何か言いたげな腰の相棒の声は聞こえなかった振りで、店主と肩を組んで飲み屋へと向かう。さぁ! 今日は溺れるまで飲んでやらぁっ!
「で、飲んで呑まれて二日酔いってんだから世話ないねぇ……」
「うっさい……いいから酔い醒ましてぇ…………」
ぐらぐらと揺れる頭を抑えながら呻けば、からからと笑ったヴェリエがそれから魔術を一つ行使して酔いを軽減してくれる。
「これに懲りたらもう少し限度ってもんを考えろよ。相棒が戦いの場でなく床で死ぬなんてごめんだぜ?」
「あんたも大概戦闘狂いじゃないのよ」
減らず口に言い返して水を一口飲めば、随分とすっきりした頭で宿を出る。そのまま軽く朝食を済ませ馬に跨ると、街道を駆けて昼過ぎにはセレスタイン帝国の帝都、バリテに到着した。
その頃には既に確かな足取りで城へと向かい、門を守護する騎士を素通りして中へ。使用人を捕まえて要件を伝えれば、応接室へ通されてしばらく待つ。
今回は意外と短かった暇を相棒との会話で潰せば、やってきたのは長身痩躯の男性。
「早かったですね」
「仕事は迅速にって言うのが一応の矜持なもので。その方が暇を弄べるでしょう?」
「でしたら次の依頼を持ってきてもよろしいでしょうか?」
楽しくない響きに胸のうちを顔に出せば、彼は少し疲れたように向かいに腰をおろして小さく笑った。
「……冗談です、失礼しました。さて、報告を聞きましょうか」
丁寧な物腰とは裏腹に鋭い目つきでこちらを睨むのは、今回の依頼主だ。名前は確か、カイウスと言う使用人。銀色の短髪に青い瞳の青年で、左目に片眼鏡を掛けているのが特徴的だろうか。
彼はここセレスタインの主である皇帝の身の回りを補佐する役割も与えられているとのことで、今回は皇帝直々の依頼で動いていたのだ。
「依頼通り人が魔物に姿を変えてた。対峙した時には既に意識はなかったわ。これが核になってたの」
簡潔に纏めて告げ、机の上に折れた剣を差し出す。彼はそれを手に取るとじっと見つめ興味深そうに零す。
「ふむ……剣に魔術を刻印して一度きりの強大な力を使う魔具紛いと言ったところですかね」
「見ただけで分かるの?」
「これのお陰で」
答えて片眼鏡を指で持ち上げるカイウス。どうやら魔具らしく、魔に関する物を見抜くような力でもあるらしい。
「となるとあの噂が真実味を帯びてきますね」
「……人工魔剣のこと?」
「おや、耳が早い事で」
これでも世界中を回る特権持ちの傭兵だ。そうでなくとも好きな酒のお供に噂話を聞きかじっていれば知らず情報は入ってくる。人工魔剣もその一つで、丁度昨日飲み明かした店主から聞いた話だ。
なんでも魔剣の紛い物が出回っているとのこと。
「まだ詳しい所は分かってないですが。噂によると扱いを間違えれば今回と似たようなことが起こるらしいと」
「……それあたしに言っていいの?」
「その内知ることでしょうし、その時になったら貴女の力を頼る事にもなるでしょうから」
「《甦君門》?」
「そこまではまだ」
問いには肩を竦めたカイウス。
《甦君門》。いい噂を殆ど聞かない世界の裏側に蔓延る組織。魔に纏わる研究を独自で行っているらしいかの大所帯は、《波旬皇》の復活を目論んでいるとかいないないとか……。何にせよ、きな臭い連中だ。
あたしはあまり係わり合いになったことがないけれど、それでも旅の中で尻尾を見かけたくらいの事はある。出来れば一生接触したくない相手だ。
落ちた沈黙に視線を交わして。これ以上進展する議論もないと小さく息を吐けば、目の前の彼は笑みを浮かべて袋を差し出す。
「ではこれが今回の依頼の報酬です」
「ん」
「また何かあればお願いするかもしれませんが、セレスタインにはいつまでご滞在を?」
「しばらくはいるつもり。……あまり面倒なのは持って来ないでよ」
「それはぼくが決める事ではございませんので」
貼り付けた笑みを浮かべたカイウス。冷たい笑顔だと思いながら報酬を受け取って部屋を後にする。
少し詰まった息で城を出れば、ようやく何かから解放されたように吐息が零れた。……あの手の自分が薄い手合いは苦手だ。変に緊張する。だからこそ、こういう思いっきり時は気分転換だ。
「さて、飲みに行きますかねっ」
「いやぁ、尊敬と軽蔑が戦争してやがる」
腰の柄を軽く叩いて一つ伸び。それからこの前見つけた美味しい店へと足を向けたのだった。




