第一章
荷台に積み込んだ荷物を確認し終えて下りれば、傭兵宿の前まで見送りに来てくれたらしい店主が少し寂しそうに笑っていた。
「準備は万全か?」
「あぁ。世話になった」
「少し寂しくなるな」
「それは懐がか?」
「そんなに薄情じゃないつもりだ」
交わした言葉に肩を竦めた彼は、それから友好の証として手のひらを差し出してくる。
「また今度近くに来たら声を掛けてくれ。今度は一番良い部屋に案内する」
「その巡り合わせがあったなら、期待してる」
「可愛くない返事だな」
「可愛くなくて結構だ」
幾ら年が離れているとは言えそんなに子ども扱いしないで欲しい物だ。もし本当に今度立ち寄る事があれば、その時は初めから酒でも頼むから勘弁してくれ、と。
胸のうちで小さくそんな事を考えれば、後ろから少女が催促にやってきた。
「お世話になりましたっ。ミノ、準備できたよ」
「ん。じゃあな」
「おう、よい旅をっ!」
ミノ。そう呼ばれて返事をし、続けて簡素な別れの挨拶を告げれば、腰に手を当てた店主は気持ちのいい笑顔で送り出してくれたのだった。
異世界。そう一口に語ればそれだけで完結し、完結する以上に煩雑な世界がそこに広がる。
生を受けた世界で居場所を失い、先の見えない階段を横に飛び降りたこの身は……けれど何の因果か生まれ育った故郷とは全く違うこの異世界に二度目の道を用意された。
世界の名はコーズミマ。少し歪な逆さ五角形……宝石のピクトグラムのような地図を描くここは、人と魔が紡ぐ世界だ。
人は人として生き歴史を紡ぐ傍らで、隣にファンタジー宛らな存在を感じる場所。魔力と言う曖昧な概念を根底に成り立つその世界は、便利と危険を表裏一体にトスする度に様々な事象を真新しくこの見識に刻んでくれた。
魔力が集まって形を成した異形の化け物、魔物。その魔物を武器に封じた、魔剣。大きく語ればその二つに分類されるこの世界のもう一つの顔は、けれどそれ無しには成り立たない柱の一つだ。
かつて人と魔物が互いの生存を賭けて争い、そして協力し。混沌を極めた末に描いた幾つもの結果。魔力に志向性を持たせ効率的な運用に昇華させた魔術の形態化。魔力の宿った道具、魔具。脅威をその身に体現し世界を傾かせかけた一翼、魔物の王──《波旬皇》。《波旬皇》の意志に共感しかの下に集った数多もの魔物、《魔堕》。《波旬皇》の野望に異を唱え、共生の名の下に人と手を取った魔物、《天魔》。《天魔》を武器に封じ魔物の力を振るう術、魔剣と、その契約。《波旬皇》を打倒せんと集った軍、《魔祓軍》。それらが手繰り寄せた過去として、討滅にこそ至らなかったが長く続いた人と魔の騒乱を治めた《波旬皇》の封印。
言ってしまえばどこにでもあるような戦いとその後の一時的な平穏の歴史は、世界的にはどうにか今落ち着いている様子で。通常の武器と比べ絶大な力を持つ魔剣はコーズミマの各国が管理しながら《波旬皇》の復活を監視し、残党として魔力がある限りほぼ無限に湧く魔物を討滅しながら日々を紡いでいるのがこの世界の現状だ。
そんな俺の生まれ故郷である地球の日本とは根底から違うこのコーズミマの片隅。四つの国が描く地図上では南に位置するベリル連邦の首都、ベリリウムより再びの旅が幕を開ける。
「じゃあしゅっぱーつっ!」
御者台に座る隣でうるさいほどに拳を高々と掲げるその少女、名前をカレン。長い黒髪に赤い瞳を嵌め、年のころ15程の人間の姿をした彼女は、しかし人ならざる存在だ。
彼女は剣にその存在を宿した魔物、《天魔》……つまりは魔剣だ。内に秘める魔物の力が強力であると人間に比肩する知を得て、人の姿を取る存在。魔剣として《珂恋》の銘を刻んだ、同属の魔剣ですら両断するほどのポテンシャルを秘める…………喋る鈍らだ。
彼女が人の世界にやって来たのは今から約一ヶ月前のこと。転生と言う形でこの世界にやってきた俺がその転生先の国で居場所を見つけられず庇護下から飛び出し、自由を探してこの世界を旅し始めたのがそのしばらく前。傭兵と言う職に身を委ね、ようやく生活が動き出し行く当てのない旅路を一人歩んでいた所へ転がり落ちてきたのが彼女だ。
曰くずっといた組織から逃げ出してきたらしい彼女はしばらく俺と行動を共にし、その中で互いの過去を交換して不必要な感情を抱き。逃亡したカレンを追ってやってきた組織の者に命を狙われた末に交わした契約で魔剣の彼女とそれを振るう契約者と言う立場を得た。
ただ魔力が多いだけの居場所も名前もなかった俺と、数多もの契約を経てその担い手と巡り合えなかった彼女との契りは、立ちはだかった敵を撃退し成り行きで仕方なく行動を共にし始めた。
そんな彼女は、最初の頃の陰鬱な雰囲気こそが固く収められた鞘だったように日を追う毎に賑やかになり、今では財布の中身を脅かすただのうるさい棒と成り果てた。
「とりあえず町を出て街道沿いに真っ直ぐですね」
まだ見ぬ未来へ期待に胸を膨らませ子供のように瞳を輝かせる彼女に、さて今日は一体どんな意味のない雑談が飛び出すのかと今から軽く眩暈さえ覚えながら手綱を振る。すると行く先を告げる声が後ろの幌から突き出た顔より紡がれた。
後ろを振り返ればそこにいたのは右目を眼帯で覆った少女。短い青色の髪を涼しげに切り揃えた彼女は、左の黒い瞳でこちらを見上げてくる。
声音も優しく、落ち着いた雰囲気のその少女は、ユウ。魔剣とは異なる形でその身に魔物を宿した特異な存在だ。
眼帯で覆われた右目。そこに宿るのはユウと体を共有する魔の存在、サリエル。その力により、普通の人間よりも優れた技能を持つ特別性は、このコーズミマでも他に類を見ないほどに珍しい魔瞳と言う力だ。
俺と同じく人の身でありながら、華奢な体に魔を宿した存在。その瞳は空気中に漂う魔力を視認し、その気になれば視線を合わせた相手を魔術によって幻惑せしめる異能を秘める。
元は普通の愛に恵まれた人間の少女だった彼女だが、数奇な運命に弄ばれてその目に魔を宿し便利な力を利用されていた。そこから救い出された先で、けれども魔剣とも違うその力に魅入られた国によって別の形で協力を乞われ、《謀眦》と呼ばれ自由とは遠い生活を送っていた彼女。
俺がこの世界にきて縁を持った国、セレスタイン帝国に属していた彼女は、国が俺を連れ戻そうとしたその尖兵に彼女を利用し追っ手として差し向け出会うに至った。その最中に彼女は自由の想像に不覚して、己の契約相手だった男を自分の手で殺すに至った。結果帰る場所を見失ったユウは捨てるものなどない自棄で俺を捕らえようとしたが、失敗。
その後同じ部屋で一夜を過ごした際に彼女のこれまでの事を聞き、話に人よりもお人好しな優しさを振りかざしたカレンによって救われた彼女は、行く宛てを探して共に行動する事になった。
カレンとは違い常識人で、俺もそれほど詳しくないこの世界の事をよく知っている。その知識は随分と頼りにしている我々の生命線の一つだ。
加えて料理が得意らしく、一緒に行動を始めてからの食事関連は彼女に任せてある。もちろん、全てを押し付けているわけではなく俺も手伝いはしている。任せているのはその日の献立や材料の仕入れ、そしてシェフとしての指示などだ。
そんな彼女は自分で犯した罪に深い後悔をしているのか、契約者を殺したという過去から今一度の契約に抵抗がある様子で。彼女の意志を曲げてまで契約を押し付けるつもりはないが、その内折り合いでもついて前を向けるようになればいいと個人的に思う。
そこまで肩入れしてしまうのは、彼女の危うさに自分を重ねてしまうからかもしれない。
が、元の体が人間と言うこともあって魔力には困らないのか、差し迫って問題はない様子。強制はせずに、じっくりその時が来るのを待ちながら、いざという時に必要であれば手を貸すとしよう、と言うのが俺の意見だ。
旅を共にする仲間としては、カレンより手が掛からなくて話の分かる相手だというのが総論だろう。
「行き先はユークレース?」
今し方出発した旅路でも色々世話になるのだろうと。困った時は助け合う筆頭として名を連ねる常識人に期待をしつつ。そうして彼女のナビに頷けば、続いた声は俺の隣に座ったもう一人の少女から。
現在御者台には三人の姿がある。真ん中に俺。右にカレン。そして左に今し方疑問を落とした彼女だ。
狭い御者台で更に身を寄せてくる彼女の名前はチカ。琥珀色のセミロングにライムグリーンの瞳を嵌めた、彼女もカレンと同じ魔剣だ。
元は魔物だった彼女は、カレンやユウも異な縁を持つ組織、《甦君門》にいたらしい。カレンが組織から逃げ出す際に協力した少女であり、その後どうやってか一人で抜け出してきた彼女は、カレンを探して俺達の前に現れた。
その頃の彼女はカレン第一主義で。俺を、大切な友人を契約で縛りつける仇のように敵視しながらついてきていたが、セレスタインとベリルの国境であるルチル山脈を越える際に起きた崩落で分断された際に、彼女と少しだけ話をして僅かにその思いを理解をするに至った。
魔の力を利用してその首魁である《波旬皇》の復活を目論む組織、《甦君門》。その方法論として利用されていたカレンと同じ時を過ごしたチカは、カレンが秘める力の強大さに憧れのような物を抱いていた。そして自由のない環境でありながら笑みと希望を失わなかったカレンを外の世界に逃がして、夢を描いたのだそうだ。
全ては愛すべき友の為に。ともすれば己の命さえ軽んじる程に賭けた思いは、カレンを含め迫った危機に己の暴走さえ厭わずに全力を尽くすほどだった。
意識さえ手放して暴れるチカをカレンの力で抑え、消え行くチカの存在を繋ぎとめる為に取った手段が魔剣化……つまりはカレンと同じ存在の形だった。
頷いた彼女をユウの知識を借りて事を成せば、意識を剣の奥に落とし込んで眠りについた彼女。やがてしばらくの後に目を覚ました彼女は魔剣としての自分を認識するのと同時、存在の変質の所為かそれまでの記憶を失って子供宛らな性格へと変貌した。その姿が今のチカだ。
記憶を失う以前は《甦君門》や魔の部分に関する知識において色々な事を秘めていた。そんな彼女に、目が覚めた後は持っている見識をこちらの武器にしようと期待をしていたのだが、記憶を失った事でその目論見は水の泡となった。
更には、彼女の意識が覚醒した際に状況把握の出来なかった彼女を助けた姿がその瞳に好意的に映ったのか、それ以降よく引っ付いてくるようになった。記憶を失う前の事を話した際には、助けてもらったのに嫌うなんておかしいと過去の自分に困惑していたようだった。
その一幕から考えてみても、今のチカと前の彼女は別人だと考えるのが妥当かもしれないというのが結論だ。
まぁいがみ合うよりは精神衛生上いいのだろうが、まるで親子のように後ろを着いて回られると時折面倒に感じる事もある。もしこれが親になると言うことなら、俺には子供を育てる事は難しいかもしれない。
「そうだな。街道進んで途中でルチルを超えてユークレースだ。アルマンディンに入る前に越境できると尚いいんだがな」
そんな一癖も二癖もある面子での旅路がここからの出発だ。目的地はここベリル連邦より北の国。宗教が国の要となっているユークレース司教国だ。
かの国は魔剣に関する理解が深いという話。セレスタインに追われ組織に利用されていたカレンと契約を交わした放浪の身でも、それなりの待遇を得られる事を望んでの行き先指定だ。
あと、一応の思惑として、チカの記憶を戻す手掛かりを探すことも含まれている。
彼女の記憶喪失は魔剣化に伴うものだろうというのが我々の見解だ。魔剣が集まりその知識が集まる国ならば、魔剣化に端を発する問題の解決策もあるのでは……と言う想像だ。
もし見つかった際には、また一つ問題も出てくるのだが……。とりあえずはあるかどうかの確認が先決。その先は結果次第だ。
「ユウ、最短だとどれくらい掛かる?」
「そうですね……。半月は見ておいた方がいいかもしれません。雪が降るともっとですね」
「そうか、雪か…………」
コーズミマには四季がある。当然暦の概念もあって、感覚的には元居た地球と大差はない。けれど俺個人は雪の思い出などそれほどない地域で生きていたから、積雪による様々な環境の変化と言うのはほぼ初体験だ。
特にこの世界では移動といえば馬。あっちの世界の自動車とは違い、生き物との共存関係で成り立っている。幾ら寒い地域に慣れた品種がいても、無理をさせれば足を失う事になる。必然、安全を選んで遠回りと言うのは避けられないだろう。
となれば出来るだけ雪の積もらないうちに移動するのが吉と言う常識的な判断と。……僅かの好奇心で一面の銀世界見てみたいという思いが微かに鬩ぎ合う。
何せ冬の時期に雪国への移動だ。少なくとも積もって遊べるくらいには降ると言う話もユウに聞いている。子供心が疼いてしまうのは仕方ないと思いたい。これでも歳で言えば17歳前後なのだ。こっちでは仕事に就いて当たり前と言う歳でも、あちらでは青春真っ盛り。燻る思いは中々に拭い難い。
そんな期待は、どうやらカレンも同じらしく。これまで外の世界には興味ばかりが募っていた彼女からすれば見るもの全てが新鮮な景色だ。そこに空より舞う白く冷たい綿とそれが積もって彩る世界の話を聞けば、幻想的な景色を見てみたいと昂ぶる気持ちを一言の下に黙らせるのは憚られる。
「ルチル山脈を越えたら幌ごと馬も北仕様に替えてになりますからね。防寒や糧食の対策もしっかりしていかないとですね」
「やっぱり北だと冬の間は食糧難だったりするのか?」
「困る、と言うほどではありませんが、南と比べると物が少なくなって物価が高くなりますから。日持ちする物を安い内に買い溜めて足りない物を向こうで買い足す感じがいいと思いますよ」
「でも重くならない?」
「その分浮いた金でいい宿に泊まれるからな。どっちがいいかは分かりきってるだろ?」
カレンの声にユウの追う先を言葉にすれば、疑問は解消されたようだった。
どれほどの寒さなのかは行ってみないと分からないが。少なくとも隙間風が吹き込むような、あばら家同然の宿に泊まるのは避けたい話だ。
衣食住のバランスは何より体に影響を及ぼす。土台がしっかりしていれば依頼を受けて稼ぐ事も容易になる。全ては基礎からだ。
「早く行かないといいところもなくなっちゃうってこと?」
「あぁ。快適な逗留がしたいなら運も必要だな。それこそ、神様にでも祈ればどうにかなるかもな」
それほど信用していない身からすれば冗談にも聞こえるが、困った時の神頼みだ。困る前に前借させてくれる神様なら少しくらい供物を捧げてもいいかもな。
「宿泊は傭兵宿にしないんですか?」
「別にそれでもいいんだけどな。魔剣に優しい国なんだろ? ならそれを活かすに限る」
「……あぁ、なるほどです。ミノさんも悪い事を考えますね」
「どゆこと?」
提案には、直ぐに思考が追い着いたユウが呆れるように笑う。次いでカレンが鈍い疑問を落とした。相変わらず素直な思考回路をしているものだと。その純粋さは最早天然記念物だとさえ思いながら解説をしようと口を開く。……と、その直前、どうやら同じ結論に遅ればせながら至ったチカが声を上げた。
「……あ、そっか」
「ん。なら説明は任せる」
「うんっ」
どこか嬉しそうに微笑むチカ。自分ではこの発想には至らないが、ヒントを提示されれば答えが導けるらしい。中々に聡いのは、記憶を失う前のチカの名残だろうか。
「魔剣が優遇されるって事は、契約をする人も同じ扱いを受ける。それは例えばどこの国にも属さなくても……属さないからこそ良くして貰えるってことで。それを逆手にとっていい宿を斡旋してもらおう、ってこと」
「少し問題もあるけどな。先人である《裂必》のように、どこの国にも属さない魔剣持ちとしての地位を得られれば特別歓待は勝手に転がり込んでくる。だからこそするべきは民に紛れるよりその身分を活かす事だ」
使える物は使う。それが馬鹿を見ない方法だ。
「後ろ盾が得られればこうして逃げ回る必要もなくなる。特権が得られればその利権を使わない手はないだろう?」
「あー……なるほどぉ。ミノってそういう卑怯な事ばかり思いつくよね」
「……別にお前に頼らなくてもいいんだからな? チカの協力でいい思いをすることだって出来るんだから」
「ちょっとっ! 私だけ仲間はずれにしようとしないでよっ!」
何だ。自覚はあったのか。ならもう少し聞き分けのいい棒切れになる努力でもしろ。今一番扱いに困るのはお前なんだぞ?
「ふふっ」
「どうした」
「いえ、ミノさんも優しいなと思いまして」
「相変わらず魔瞳も曇ってて先行きが不安な事だな」
痛いところを突かれて逃げれば、どこか楽しそうに笑みを浮かべるユウ。彼女のそういうところは少し苦手だ。
確かに受け取りようによってはそう聞こえたのかも知れない。一々言葉にするなんて、と言うことだ。それを丸くなったというなら、どう考えてもカレンの所為なのだろうが。だからこそ指摘しなくてもいいことだろうに。ユウは俺をどうしたいんだよ。
「ミノは優しいよ?」
「そりゃどうも……」
次いで左隣から純粋な声。なぁチカ、それは最早煽りと紙一重だぞ? 分かってて言ってんのか?
そんなやり取りに、また一つ肩を揺らしたユウに視線を向けつつ。けれどもまぁ退屈しなくて結構な事だと、旅路の何よりの懸念を解消してくれる事には救われる。
中々に色々抱えた面子なのは承知の上。それでも自由を謳歌しているといえば、お釣りが来るほどに楽しいのも確かで。その雰囲気の中心にカレンがいる事に気付いてしまえば、天然な事にこそ少しだけ腹が立つ。……まぁそれがカレンか。
少なくとも退屈に押し潰されて生きているかも怪しい今を歩まなくていいというのは充実している証かと。思考が追い着かずに瞳に疑問符を浮かべるカレンに視線を向けつつ、ようやくベリリウムの外壁までやってくる。
ここを抜ければ外の世界。ともすれば魔物の脅威が肌を撫でる旅の再開。人の熱気ともしばらくさよならだ。
ベリルの首都と言うこともあって活気に溢れた場所だったと滞在の日々を思い返せば、それから視界の中に不必要な物を捉えてじっと見つめる。
すぐにカレンたちも気付いたのか言葉無く問うて来る視線に、仕方ないと溜息を吐いて馬車を止めた。
「何の用だ?」
「一緒に、連れて行って欲しい」
声は、馬車の前に立つ男から。こちらを見つめるのは俺と同じ黒い瞳。加えて顔立ちも、雰囲気も同属嫌悪さえ抱くその存在は、最早見て見ぬ振りの出来ぬ存在。
「償いがしたいんだ、ミノ」
「お前がいない方がよっぽど気楽なんだがな、ショウ」
ショウ。そう呼ばれた彼は、じっとこちらを見つめる。
元の名前を、東上章輔。しばらく前に一悶着以上あった、俺の過去に深く係わる──元地球人だ。
何の因果かこのコーズミマに転生し、俺を自殺に追いやった責任を取りたいと追い駆けてきた彼。後悔し、反省したショウは、《甦君門》のイヴァンに接触してまで償いをしようとした。結果、魔に呑まれた彼を助けたいとお人よしを振りかざしたカレンに唆され、過去を清算する為にその命を助けた。
あれ以降、俺の前に顔を見せなかった彼とは、出来るならこのまま他人を装って二度と会わない道を選びたかったのだが……。
「お前はこの国に飼われてるんだろうが。セレスタインに追われてる俺に与したら面倒を被るぞ?」
「あぁ、だから方便は用意してきた」
「方便?」
「オレは、ベリルの目としてミノに同行したい」
「……………………」
ショウの言い分に口を噤む。彼の言っている事は簡単だ。
俺は召喚された国に追われるお尋ね物で、世界の裏側に蔓延る組織、《甦君門》にも目を付けられている。そんな世界を揺るがしかねない異分子を監視する為に、接点のあるショウを監視としてつけると言うのがベリルの言い分らしい。
ショウの一件で、ベリルには貸しを作った。恐らくそれで脅威としては認識されては居ないのだろう。それどころか、逆に味方として取り入りたいというのが透けて見える。
有体に言えば監視と言う名目の、いざという時の連絡役。もし必要になればベリルから協力するから、何かあったときは助けて欲しいというマーキングと言うわけだ。
セレスタインのように敵対しないのは、まぁいい。が、便利な駒として認識されるのはそれ以上に面倒だ。だったら追われる方が幾らかましと言うもの。もしベリルに協力すれば、セレスタインからの目が更に厳しくなる。二国はそれほど仲がよくないらしいからな。
そんな危険を、けれども彼は分かった上で個人の思惑に利用しているという事だ。
ショウはただ、俺に償いをしたい。俺が捨てた過去の世界での過ちを、こっちの世界で命を賭してでも払いたい。それが彼の望みだ。
その望みの為に、自分に課せられた立場を利用して付いてきたいというのだ。ここ数日顔を見せなかったのは、その方便を考えるためだったらしい。
「ミノ。やっぱりこれはミノの問題だよ。だからミノが決めればいい。その決断に、私もチカもユウさんも従うよ」
隣からのカレンの声に、チカとユウが頷く気配。そしてそれ以上に、目の前のショウがこちらを見つめて全てを委ねていると自覚する。
…………彼は、俺の過去だ。俺の失敗で、俺の敵で、俺の後悔だ。納得をも折り合いも存在しない。ただ、認めたくない存在だ。
けれども、こちらを見つめる彼の瞳はあわよくばを求めるように覚悟を決めている。その色に、自分が告げた言葉が脳裏に蘇る。
────俺は、自分のないやつと話をするつもりはない
自分がないのは、俺の方だ。俺は、こいつに──ショウに何も抱かない。何かをしてやるつもりはない。何も出来る気はしない。俺は、ショウに対して何も持ってはいない。
そしてそれは、彼もきっと同じで。だから二人して答えを探しあぐねるように沈黙が痛いのだ。
やるべき事が分からずに。何が正しいのかも知らずに。加害者と被害者と言う立場さえその瞬間毎に入れ替わるような関係に、一体なんと言葉を見つければいいのだろうか。
何をどうすれば、空っぽに渦巻くこの感情が答えを見つけるのだろう。
…………あぁ、全く、分からない。だから────
「……ショウ。そう呼べばいいんだな?」
「…………あぁ、好きにしてくれ」
きっと何よりもふざけた選択肢を清清しく飲み込む。
「だったらショウ────はじめまして。俺は、ミノ・リレッドノーだ」
何も無いなら……無いからこそ、紡ぐのだ。選ぶのだ。自ら、由しとするのだ。
そんな自己紹介に、問いかけに。目を見開いた彼は、それから少しだけ視線を落として、彷徨わせ。次いで何かを確信したように上げた顔で告げる。
「………………はじめまして、ミノ。ショウ・ノースだ。オレは、今一度世界を見たい。一緒に、連れて行ってくれないか?」
「迷惑をかけないなら、勝手にしろ」
「あぁ。よろしく頼む」
差し出された手のひら。そこに、彼の本心を見た気がして。鼻で笑って手を取った。
ベリリウムを後にして街道を進む。手綱を握る隣には、どこか晴れ晴れとした様子の男が一人。
あからさまに染めた金髪と、同郷を憂うような黒い双眸。憑き物が落ちたような横顔は、居心地悪そうに視線が合う事はない。
そんな彼に最も大きい────クソほどどうでもいい疑問を口にする。
「ノースってなんだよ…………」
「東上だから、東の上……地図だと、北だろ?」
「くだらねぇな」
まるで小学生の言い訳のような稚拙さに、それ以上にふざけた奴が嗤う。
似たもの同士、同属嫌悪……。そんな言葉が脳裏を過ぎって、呆れるほどに意味など見失う。
「ミノに言われたくねぇっての」
「何だ? 喧嘩なら買うぞ?」
「ちげぇって」
由来を教えたのはカレン辺りか。要らん事をしやがって。
弾んで反発する言葉が心地よく響く。どちらからとも無く笑えば、本当にくだらないと馬鹿を悟った。
全部、無かった。何も、無かった。それが俺達の答えだ。
とっても大人で、とっても子供な。愚かにもほどがある選択。けれど、だからこそ自分たちだけが納得のいく答えに、正しさを通り越した何かを見つける。
嫌いだ。大っ嫌いだ。そんな関係があったっていいじゃないか。それが二人で共有した答えだ。
こんな関係、他にきっと無いだろうと。ベリリウムで買った干し肉を口に銜えれば、次いで背後から尚も膨らみ続ける興味に視線を向ける。
「んで? 何か言いたいことがあるならさっさと言え」
振り返った先には荷台の中で、まるで気味の悪い化け物でも見るように肩を寄せ合ったカレン達がこちらを見つめていた。
ベリリウムを出てから何やら三人で固まっていた彼女達。やがて視線で何かを交わした末に、代表をしてカレンが呟く。
「…………ミノ、笑えたんだ……」
「え、それですか?」
「あれ? 違った?」
「多分違う…………」
訂正。どうやら意思の統一はなされていなかったようで。
そんな思い思いの感想を抱いてこちらを見つめる三人の言い分に、隣でショウが小さく肩を揺らす。
「んだよ」
「いーやっ、楽しそうな仲間に恵まれたんだと思ってな」
「迷惑の間違いだろ」
「な、なにおうっ!」
死んでも治らない感性には呆れつつ。ようやく口を挟めるように成った状況にカレン達が近くまで這い寄ってくる。
「その、いいんですか?」
「何がだ?」
「だって、ショウさんは…………」
口ごもるユウ。何だそれは。心配なのか? それとも興味なのか? 中途半端なのはやめろよ。反応し辛いだろ?
「…………別に。他人に納得してもらうものでもないってだけだ。俺とショウの中ではもう決着した。それでいいか?」
深く語るつもりは無い。そもそも語れるほど何かがあるわけでもない。斬っても斬り離せない過去を、見えない振りをして少しだけ前を向いただけ。
「魔力が見えるなら空気も読めよ」
「それは、理不尽です……」
拗ねるように呟いたユウ。けれども納得に満たない答えに満足はしたのか、彼女の興味は解消されたようだった。
と、次いでチカが音にする。
「じゃあ、その……これから一緒に旅をするってこと?」
「それはこいつに訊いてくれ。勝手についてきたのはそっちだ」
「薄情な奴」
「なんだ? 死にたいか?」
「あぁ、本望だっ」
なんだその答えは。
「…………ん、分かった」
どうやら今のやり取りに答えを見つけたらしいチカ。結局納得なんて自分でするしかない。それほど意味も根拠もない今に、明確な何かなんてないのだから。
「他に訊きたい事は? 今訊かないなら今後一切答えないからな」
掘り返されても面白い話ではないと。締め切りを告げれば、いつになく真面目なカレンが問うてきた。
「ミノ、今、生きてる?」
「あぁ、これ以上なくな」
己で選んだ決断だ。後悔は無い。
そう答えれば、カレンは納得したように「そっか」と笑った。
「なぁミノ」
「なんだ?」
「…………やっぱなんでもない」
「そうかい」
意味のないやり取りに意味を見出して。そうして噛み切った干し肉は、少しだけ香辛料が利き過ぎている気がした。
それからの旅路はこれまで以上に賑やかになった。一人増えただけだというのに、話題は尽きる事を知らず。朝でも昼でも、夜にでも。ところ構わず飛び交う話題はあっちこっちに旅をする。
と言うのも、会話の中心には基本ショウがいて、彼がこちらの世界の事を学び、お返しにあちらの世界の事を話すと言うことが取引のように成立したのだ。
まだこちらに来て日の浅いショウは、ずっと城の中で暮らしていた事もあって外の事をあまり知らないらしい。まぁ、俺の様に差し伸べられる手を受け入れられなくて跳ね除けたりしなければ、生活するのに困る事無い好待遇を得られるのだ。彼はそれを享受していただけ。その反面市井の空気に触れる事が少なく、世界の事を知らなかったのだろう。
とは言え知らないままで迷惑を掛けられても困ると、ユウを中心にこれまで俺も学んできた色々な基礎から勉強中と言うわけだ。
けれど当然勉強ばかりも退屈で。娯楽としてあちらの世界の事を提供もしていた。
主にこっちの世界には無い技術や価値観の話で、ともすれば思想を歪めてしまいかねない毒であると注意はしつつ。恐らく影響が無い範囲でと言う独断と偏見の判断の下、幾つかの話題に花を咲かせていた。
その中で個人的に気になったのは星と音楽の話。
コーズミマにもその二つはあるらしい。が、星に関しては主に占いや季節に纏わる物で、星座やバイエル符号のような見方はされないらしい。そもそも神話がないらしく、ユークレースで崇められている愛の神とやらも、元々は歴史上に存在した人間で、それが神格化されただけのことらしい。何かと問われれば、菅原道真公が近いだろうか。
音楽の方は楽器もあり旋律も紡がれるような、俺もよく知るそれと大差ないが、多少音の考え方が違ったりするようだ。
あと当然だが、楽器が違う。ギターやベース、ドラムにピアノと言った複雑な物は存在せず、似たようなものだと民族楽器のようなそれが近いのかもしれない。主なのは太鼓や笛なのだとか。それもまた儀式で使われるそうで、娯楽としての音楽は存在しないとのこと。
音楽は無い。ゲームも無い。あるのは少しばかりの物語だけ。この世界は、どうにも娯楽と言うものに飢えているらしい。だからこそあちらの世界の話こそが彼女達の興味の苗床になりえて、貪欲に色々求めているのだろう。
ならばきっと、そっち方面で何か一つ旗を振れば、一代を築くような巨万の富にありつけるのかもしれないが……それをしようとは思わない。
だってこの世界には宗教裁判のようなものがある。悪魔崇拝は、下手をすれば一族郎党なんて話だ。そこに、大きな娯楽を引っさげて練り歩けば…………異端と言われて世界が敵になりかねない。そうでなくとも無神論者な価値観で生きているのだ。甘い考えで手を出せば直ぐに失敗するだろう。
なにより今は注目されたくないしな。どうにもならない状況を打開する為に使うならまだしも、ブレイクスルーを起こしたいわけではないのだ。
そこには少しだけ気をつけつつ、ただその場限りの話題として時を浪費すれば、最初こそぎこちなかった旅路も特に問題もなく回り始めた。
まぁそれぞれに色々抱えているのだ。一々他人の不幸や過去を掘り返して無粋に弄り回すような事をする輩ではない。そう言う意味では、同属嫌悪とも言うべき同病相哀れむなのだろうが、共感できるからこそやり易い関係だと。
そんな道中で、話の流れがショウの事に傾いたのはその前に話していた内容から。ユークレース関連で魔物や魔剣に話が伸び、そこから彼がベリリウムで陥っていた状況に疑問の目が向いたのだ。
「何か覚えてる事は無いのか?」
「んー……。記憶がすっぽり抜け落ちてるからな。イヴァンに会って、剣を渡されて。その後からあの部屋で目が覚めるまでの記憶が根こそぎなくなってる、って言えば伝わるか?」
「そうか」
それは俺とカレンが、チカとユウの力を借りて彼を助けた際の事。
話はイヴァンの……《甦君門》の目的にも繋がる重要な物だが、どうにもショウにはその一連に関する記憶が欠如しているらしい。
と、少しだけ考えていたらしいショウが思い出したように告げる。
「ただ……いや、これが直接どうなるって訳でもないんだけどな。記憶喪失ってある時元に戻ったりするだろ?」
「あぁ」
「あれって結局頭のどこかにその記憶が隔離されてて、何かの拍子にその蓋が開いて思い出すってことなんだよな。だって本当に全て忘れてなくなったら、思い出すなんて起きないんだからさ」
ショウの言葉になるほどと納得する。確かにその通りだ。と言う事はチカの記憶喪失もどこかに解決策があるということだろう。
「……つまりその鍵が何か分かれば思い出すかもしれないってことか?」
「その時の記憶が頭の中に残ってればの話だけどな」
返った声に考える。確かに、今回の問題には魔の部分が大きく係わっている。だから医学的な道理が今回も通用するとはいえないのだが……けれども可能性はあるのだろうと。
次いで脳裏を過ぎったのは、何とはなしに後ろを振り向いた際に入ったユウの姿から連想した一つの方法。
「……ユウ」
「なんですか?」
「その目の力で記憶を覗く事が出来たよな?」
「あ、はい。でもあれは相手がチカさんだったからですよ?」
それはチカを魔剣化したときの記憶。あの時ユウは魔瞳の力でチカの記憶から剣奴徴礼の魔術を知って、それでチカの存在を繋ぎとめた。あれがショウに対して使えるのなら、同じ記憶と言う分野に干渉して本人でも忘れている事を覗き見ることができるのではと考えたのだ。が、どうにもユウの返答は芳しくない様子。
「どういうことだ?」
「わたしのこの目は、魔力を見る目です。あの時も、実際は記憶を覗いたわけではなくて、チカさんの魔力を辿って彼女が思い浮かべる景色をどうにか拾い上げただけなんです」
「…………魔力に由来する記憶なら見られるってことか?」
「厳密にはその時強く思い描く記憶の景色を魔力から読み取る、が正しいですけれどね。でもショウさんのそれは、あの剣に由来する記憶で、剣から感じた魔力はカレンさんの力で切り離しましたから。それに思い出せない記憶を覗いて暴くなんて野暮ですよ。もししようと思えばそれ専用の高度な魔術でも作らないと無理だと思います」
ふむ。どうやらユウのそれも万能ではないらしい。魔瞳だからこそ、魔に纏わる部分にしか効果を発揮しないのだろう。
「……じゃあショウを魔瞳の力で幻惑して、自発的に喋らせるってのでも無理か? 自白剤みたいな要領で」
「…………本人が覚えていない事を喋らせるのは無理かと」
「と言うかこえぇよっ。なんつう手段思いつきやがるんだ!」
「こっちにしてみればそれくらい欲しい情報ってことだ」
怯えるショウに答えつつ、それから視線をチカに。
「チカ。他人の記憶を覗く魔術か、無意識下で封印している記憶の鍵を開けられる魔術、作れるか?」
「…………無理。魔力で記憶が再現できないから」
「あーなるほど」
頷いたのはカレン。先を促せば、彼女はどこか得意げに語る。
「ミノ、魔術って理論が分かれば再現できるって前に話をしたよね」
「そうだな」
「じゃあ記憶はって言われた時に、どうやったら魔術で記憶を再現できると思う?」
「……………………あぁ、無形だから再現のしようが無いってことか」
「うん。形あるものとか、目で見て認識できるものなら魔術でも再現は可能だよ。でも目に見えないもの、肌で感じられない物を再現するなんて出来ないよ。無理やり形に当て嵌めても、それが正しいかなんて分からない。魔術を作る本人に確信がないと、それを再現したり干渉したりって言う魔術は作れないんだ」
ともすれば魂の定義のような真理に首を突っ込む問題。記憶の在り処、定義なんて明確に出来ない。
あっちの世界では記憶を電子化したり…………なんて話もあったが、それだって幾つかの制限の中でのごく小さい範囲の話。記憶の記録化なんて、高々17歳の子供に理論立てて説明できるわけが無い。
一応可能性として、記憶の定義を漏らさず理解できたならそれを魔術で再現できるのだろうが、まぁ無理だろう。
そもそも記憶自体頭にあるとは限らないのだ。昔、何かで見た覚えがあるのだが……病気で心臓を移植したら、その心臓の元の持ち主──ドナーの意識や性格が、移植された人物に影響を及ぼした、なんて話があった気がする。価値観なども記憶が形作る一つの結果。それが心臓に由来して表面化するなんて話は、記憶の在り処を曖昧にしてしまう。
もしその話と同じように、例えばショウの一連の騒動に関する記憶が左腕にでも残っていれば、頭を覗いた所で欲しい記憶にはたどり着けないだろう。それを特定する事も難しいだろうし、特定した所でそれがどこに記憶されているかなんて……最早流れ行く血液の中から印をつけた赤血球を一粒見つけ出すのと変わらない。そんな複雑な事、魔術で再現できる気がしない。
「なるほど……。少なくとも現状でショウの記憶を手掛かりにする事は無理ってことか」
同様に、チカの記憶の蓋を開ける手がかりもここには無いと悟る。けれどだからこそ、この少ない知見で出来ない特別な方法論が、魔剣の集まるユークレースにはあるのではないかと期待をしてしまう。
「ならとりあえずはいいか。もし何か思い出したら教えてくれ」
「あいよ」
「後、手綱捌きも覚えろ」
「後で繋げんなよ、それ」
償いしたいなら素直に従っとけよ。
そんな風に可能性を探しながら、時には他愛ない雑談をしつつ。休憩を挟んで食事を取りながら日中進み、夜には星空の下就寝する。自然の屋根は時に無情に天の桶を傾け、幌の中で文句を言い合いながら眠ったりすれば、否が応でも一体感が芽生えてしまうと言うもの。
そんなこんなで数日もすれば、何処かにあったかもしれない蟠りを投げ捨てるほどに目に見える禍根はなくなっていた。
途中補給をしたりしながらユークレースに向けてルチルを越えられる道を目指す日々。そんな代わり映えしない目的が今日も達成されなかったある夕方、翌日の為にと食事の準備をしているとカレンが愚痴のように零す。
「……ねぇ、暇なんだけどぉ…………」
あからさまに退屈を表現するカレン。これまで幾度かそんな気配を漂わせていた彼女だが、ここまで明確な意思表示は初めてかもしれない。それくらいには話題も尽きて刺激の無い日々が続いていると、ここ数日を思い返せば溜息を吐く。
確かにこのままはモチベーション的にもまずい。テコ入れ、と言うわけではないが、何か改善は必要かと。まずはショウに丸投げをしてみる。
「何かあるか?」
「ねぇよっ。そもそも娯楽が少なすぎんだろうが」
「あっちが娯楽に溢れすぎてただけだ」
恵まれた環境だった過去を少しだけ思い出せば、納得のいかない様子のショウが小さく唸る。と、次いで何か思いついたのか顔を上げた。
「そうだ」
「なんだ?」
「楽器があれば音楽でも奏でられるぞ?」
「弾けるのか?」
「親父の趣味で家にギターが沢山あってな。暇な時に弾かせて貰ってたからそれなりには」
「んな複雑なつくりの楽器は無いって言ってただろうが」
「無いなら作ればいいんじゃねっ?」
その発想力はカレンに劣らない底なしで、最早尊敬さえする。
「……悪いがギターのつくりなんて知らねぇぞ」
「エレキは確かに無理だけどよ、アコギなら木を削り出して作れるんでね? 作った事無いけど」
「…………やる気があるなら勝手に作ってくれ」
「……言っとくけどマジで作るぞ?」
「だから勝手にしてくれ」
会話には、知識の無い三人が入る余地を見失って聞き専になっていた。が、ギターがこちらに無いのならば、その作成過程も十分に娯楽足りえるのかもしれないと思いつつ、そちらは彼に一任する。
さて、材料が無ければ始まらないから今夜は無理として。その間に同時進行で潰せる暇があるなら寝るまでの時間をそれで凌ぐとしよう。
「他は?」
「…………あの、あれ使いませんか?」
意見を募るように夜に備えて熾した火を囲んで空中に投げれば、上がったのはユウの口から。
「あれ?」
「ほら、ベリリウムを出る前に珍しいからってミノさんが買ってたじゃないですか……」
「あぁ、そういえば…………。使うか?」
「わたしは経験無いのでミノさんの助言が欲しいんですけど」
「ん……ならそうするか」
まだ材料を切っただけ。その具材も、基本変わらないスープの具で、アレンジだと言えば十分に使えるものばかりだ。よし、献立を変更するとしよう。
そう決断すれば、幌の中から小さい甕を持ち出してくる。
「ねぇ、それ前から思ってたけど何? 傍にいると中から得体の知れないにおいがしてくるんだけど……」
「多分こっちに来た誰かが作り方を残したんだろうけどな、いわば調味料の一つだ」
カレンの胡乱な瞳に答えつつ、口を開いて中身を明かす。話に興味があったらしく、ショウまで一緒になって中身を覗き込んだ後、鼻先に香った独特なにおいに彼は目を見開く。
「ミノっ、こいつはっ……!」
「あぁ────味噌だ」
「ミソ……?」
首を傾げたチカ。ベリリウムで売られていた値段から考えてもそれなりに貴重と言うか、あまり出回っていない品だと言うのは薄々感づいていたが、やはり知識には無かったらしい。
「ミノさんの世界の調味料、らしいですよ?」
「ユウさんは使った事があるんですか?」
「ううん。だからミノさんに使い方を教えてもらおうと思って」
「……茶色って、食欲失せるんだけど…………」
第一印象で随分と距離を置かれてしまった伝統調味料に少しだけ同情しつつ。同郷の血でショウと視線を交わし選択肢を探る。
「やっぱり王道の味噌汁か?」
「肉味噌や田楽、ふろふきってのも捨て難いだろ?」
「やっぱ和食だよなぁっ! だったら魚で味噌焼きってのも────」
知らず白熱してしまう話題。どうやら自分でも気付かないうちに郷愁の念が積もり積もっていたらしいと遅れて自覚する。
俺は二年、ショウは半年。ずっと育ってきた土地の味が恋しくなるのは、ホームシックとして当然の事なのだと。大義名分を胸に抱いて恥も外聞もなく、言葉にするだけで生唾が溢れてくるレシピを列挙する。
と、不意に客観視した自分が外から向けられる冷めた視線に気付いて、脳天から氷水でもぶっ掛けられたように急速にクールダウンする。
少し引いたようにユウが零す。
「……あ、いえ。ただ楽しそうだなぁと思いまして…………」
「悪い、勝手に盛り上がりすぎたな……」
「けど食べたらきっと納得するからっ」
「とりあえず最初は味噌汁でいいな?」
「おうっ!」
ここで議論をしていても始まらないと。既に準備された具と調理器具に向き直ってユウに作り方を指示する。
「作り方は簡単だ。火の通り難い物から茹でて、最後に味噌を溶いたら終わり」
「……それだけですか? 香草とか、他に入れるものとかは……」
「まずは基本からだ。その上で、ユウの舌に任せて今後アレンジを加えてもらえればいい」
「…………分かりました」
「あと麦があった筈だからあれで飯盒炊爨をして、塩漬けの魚を焼けばどうだ?」
「OK! 魚は任せろっ」
基本ユウに一任していた料理を、今日だけは俺とショウ主体で指揮する。しばらくすると麦飯の香りと共に塩魚の脂が焚き火で爆ぜ、味噌汁のいい匂いが辺りに漂い始める。やがて夕食が出来たのは、陽も落ちて夜の帳が天井を張り替えた頃だった。
ご飯が炊き上がるまで時間があったのを利用して、少しばかり揚げ物も追加して。並んだ料理は異世界ではこれ以上なく珍しい、純和風な献立だった。
「じゃあ────いただきます」
これまでそうしてきたように。そしてそれ以上に気持ちを込めて手を合わせ食前の挨拶をすると、懐かしさで涙さえ出そうになる日本の食事に即席の木の箸を伸ばす。
最初に食べたのは和の心、ご飯。生前に普段食べていた白米とは違い、プチプチとした食感と独特の香りの麦飯は、けれどもご飯としての役割をしっかりと果たしていて。和食はこれがなければ始まらないと思わせるほどに懐かしさを覚える。
次いで魚。微かに皮の焦げた身からは日本食らしい匂いが立ち上り、否応なく空きっ腹を刺激する。上手く箸で身を解し口に運べば、舌の上で温かくも解けた柔らかい食感が塩味とマッチしてご飯のお供として不動の席へと腰を下ろす。
さっぱりとした味わいの後は少し豪快に。今回は卵がなかったこともあって天麩羅ではなく竜田揚げとなったが、だからこそ食べ応えがあるのだと。今朝寝て起きたら掛かっていた兎の肉を揚げたそれは、香草に包んで保存しておいたお陰か、噛んだら溢れた肉汁と一緒に微かな香りが鼻に抜ける。
そして最後にお待ち兼ねの味噌汁。色合いからして赤味噌らしいそれを用いて作った一杯は、油揚げやわかめ、豆腐といった王道こそ逃したものの、数多ものアレンジで幅を利かせる味噌汁の前には全ての具材はおしなべて平等で。温かく湯気の立ち上る器に口を寄せて一口飲めば、優しく安心する味が喉から胸へと降りて内側から満たしてくれた。
麦飯、塩魚、兎肉の竜田揚げ、そして味噌汁。そこに並ぶは当然の如き和食の調べで、見て安心、嗅いで安堵、食べて満足する和の全てが詰まっていた。
そうして一通り楽しみ、顔を上げればショウも同じ事を感じたのか、言葉無く視線を交わす。
やっぱり和食だよなぁ────
満たされた気持ちは余裕を生み、視線を異世界をその体で体現する三人へ。使い慣れない箸に悪戦苦闘する彼女達は、けれどもそれがあっちの世界の流儀なのだと知れば挑戦意欲が湧いたらしく、食事で格闘している。
と、結局途中で箸の上手な扱いに面倒臭さを感じたらしいカレンが、子供がフォークを握るように持ち方を変えながら。やがて俺がそうした順でメニューを経由し味噌汁まで辿りつくと、おっかなびっくりといった様子で啜る。
「んんっ!? …………なにこれ、美味しい……!」
「不思議な味ですね。塩が強いけど、それだけでなくて……食べた事が無い深い味がします」
「これ、好きかも……」
それぞれに零した感想は好感触。食べ慣れない少し強い味に、もしかすると口に合わないかもしれないという想像は、けれども杞憂だったようで。初めての味に魅入られたカレンは猫舌をフル回転させながら、一杯を飲みきり。チカは言葉以上に顔で感情を示して黙々と喉の奥へ。そして我がパーティのシェフことユウは、何かを確かめるようにゆっくりと味わい、程なくして器を空にした。
「おかわりぃ!」
「あたしもっ」
カレンのチカから同時に突き出された器に注いで返せば、箸が追いつかないのがもどかしいとばかりに食事を再開する二人。その隣で、満足するように長い息を一つ吐き出したユウが、こちらを見つめて口を開く。
「なるほど……。ここまで味が濃いとあまり冒険は出来ませんね」
「まぁ味噌汁はそうだな。けど例えば隠し味に少し程度なら、幾つかの料理にも応用が利くんじゃないか?」
「今それを考えてたところです。直ぐにとはいきませんが、その内ミソを使った料理も作ってみるので楽しみにしていてくださいっ」
「おう、期待してるっ」
「おかわりは?」
「いただきますっ!」
いつもは消極的なユウにしては珍しい前のめりな返答。自分の興味がある分野に関しては随分アグレッシブなようだ。だからこそ、食事を一任しても安心出来るのだけれども。
きっと数日以内に、今度はユウのレシピで味噌料理が食べられるのだと期待すれば、当初の目的はしっかり果たされたと安堵した。
そんな夕食の時間を賑やかに過ごして。残れば明日の朝にでもショウと二人でと思っていた鍋は、底が見えるほどに綺麗になくなって少しだけ感心した。
ここまで好評だと次は醤油を試したくなるし、味噌があるなら納豆だってと想像を馳せてしまう。……流石に納豆は脱落者が出る気もするが。とは言えカレン達の日本食に対する興味は今回の事で随分と好転したようで、こちらとしても故郷の味覚を絶賛されるのは嬉しい話だ。
そんなことを、馬車の荷台に腰掛けて星空を見上げながら考える。
……別に郷愁の念が溢れ出して向こうに帰りたいとか、そんな馬鹿な事を考えている訳では無いけれど。殆ど無関係になった今だからこそ、少しばかり寂しさは感じてしまう。
こんな事なら、引き篭もって馬鹿な決断をする前に、できる限りの事をしておくんだったと小さな後悔。
「どした、まだ起きてたのか」
結局、殆ど変わらないのはここから見上げる空の景色だけかと。どこかで何かに繋がっている気がする夜空を眺めて一人ごちれば、視界の外からショウの声。視線を下ろせば、彼はどこからか調達して来たらしい丸太を持って直ぐそこに立っていた。
「今日はいつも以上に賑やかだったからな。それよりもその丸太どうしたんだよ」
「ちょいと失敬してきた」
「立派だな」
「乾いてないと曲がっちまうからな」
いい出会いがったらしい彼と共に焚き火を囲む。枯れ木をくべれば、直ぐに炎に包まれて微かに勢いが増した。
「何か作るのか?」
「ほら、話してただろ。アコギだよ」
「マジだったのかよ、あれ」
「そう言ったじゃねぇか。これでも有限実行がモットーなんでね」
その決断力と行動力は素直に尊敬するが、だからって丸太から切り出すなんて……一体どれだけの時間が掛かる事やら。思いながら、取り回しのしやすい剣を一振り作ってショウに渡す。
どうやらここを出る前に一つ冷ましておいたらしい炭を使って設計図のような何かを描きながら、彼が独り言のように口を開く。
「ほんと、何があるかわかんねぇな」
「何がだよ」
「だってあっちで色々あったオレとお前が、今こうして異世界で同じ火を囲んでこんな話してるんだぜ? あほみたいだろっ」
「……くだらないってのには同意してやる」
視線を逸らして答えれば、口端を吊り上げて笑ったショウ。何がそんなに楽しいんだか。
「でも……。お陰でオレは馬鹿な自分からさよならできて、これ以上無いくらいに恵まれてる。失敗して、その償いの機会をしっかり貰えるなんて……それがどれだけありがたいかなんて、きっとそう簡単に共有できる感情じゃねぇんだろうけどよ。…………それも全部、お前のお陰だ」
そうして、手元から顔を上げたショウは、どこまでも真剣にこちらを見つめて告げる。
「だから、今一度言わせてくれ。…………ありがとう」
「……満足したならさっさとどっか行ってくれ」
「つれねぇなぁ。オレとお前の仲じゃねぇか」
「どんな仲だ」
「命を賭した友よっ」
「気持ち悪いこと言うなっ!」
反吐が出る。そんな風に顔に出せば、再び肩を揺らした彼に溜息を吐いた。
死に損ないが二人。亡霊のように揺らめく炎に照らされて言葉を交わすなんて、一体どこの自主制作映画だと。無駄に客観視した自分が今を見下ろせば、その視線の主を探すように仰いだ視界で遣り切れない気持ちを零す。
「ほんと、馬鹿だな」
呟きには、どこか納得したような気配。答えなんてあってないような関係に、これが今だと再認識すれば、どちらからともなく小さく笑ったのだった。




