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第二章

 辿り着いた町の活気は可もなく不可もなくと言ったところだった。

 ここは他の町への中継地点のような場所なのだろう。物流としてはまあまあ。ならば仕事は通商路の護衛が多いだろうか。森を通れば狼に襲われ、街道を行けば運悪く《魔堕(デーヴィーグ)》に出会う治世だ。町から町への行商を行う者達にとっては、積荷の事を思えば傭兵を雇う方が堅実的だ。

 とは言えその為の自分の糧食もない。小さな仕事で稼いで旅支度の後に、どこかの商人と一緒に次の町へと向かうとしよう。

 行き交う人々と生活の匂いにそんな予定を立てて隣の少女を見る。行きずりからこんな場所にやってきた彼女は、珍しそうに辺りを見渡しながらどこか怯えたような視線で警戒をしていた。


「怯えてる方が不自然だ。お前が何処からか逃げてきたなんて言わなければばれない。ただ顔は出すなよ。女ってだけで声を掛けてくるやつは多い」

「…………うん」

「あとはお前次第だな。……それじゃあ俺は仕事を探しに行く。町にいれば顔を合わせるかもしれないが、気安く話しかけてくれるなよ」

「うん……。…………え、あの魔物の事は? 町の人に伝えたりしなくていいの?」


 とりあえず足並みを揃えるのはここまでだ。タイミングを見てこちらに巻き込んで一緒に町からおさらば。次の町に着いたら本格的に売り飛ばす手筈を整えるとしよう。

 そんな事を考えて別行動を押し付けた直後。歩き出した背中に馬鹿らしい疑問がとんできた。

 少しだけ迷って止めた足から首だけ振り返り疲れたように告げる。


「……あいつがここに来る確証が何処にある? 来なければそれでいい。杞憂を語って不安感を煽るのは馬鹿のやることだ。それにここには傭兵がいる。衛士と協力すれば、中位の《魔堕》一匹くらいならどうにかしてくれるだろうさ」

「そんな……」

「それにここに長居するつもりは無い。用事が終われば直ぐに発つ。お前だって腕の立つ傭兵を雇う方がいいだろう? 《魔堕》が襲ってくるならそれを退けた奴にでも頼み込め」

「……っ! 人でなしっ!」

「命を捨てるよりはましだ」


 吐き捨てるように答えて、その先を聞くより前に再び歩き出す。結局、それ以上彼女が何かを言ってくることは無かった。

 彼女と別れてしばらく歩くと木造の建物に掛かった看板を見つける。文字は無く、描かれているのはピクトグラム。識字率の問題上、文字の読め無い者にも分かるようにと言う配慮だ。

 吊るされた四角い木の板に彫られているのは、剣の先に金の袋を引っ掛けた絵。傭兵らしい象徴だと一瞥して、酒場のような扉を開けて中に入る。

 一瞬集まった視線。けれどそれが同業者だと分かると直ぐに興味をなくした。

 ここにいる大半は外から飛び込みで仕事がやってくるのを待っている者達らしい。護衛目的で次の町まで行動を共にと言う算段だろうか。……ろくでもない仕事しか残っていないかもしれない。

 とは言え面倒でも報酬が得られるならば問題ない。とりあえずは次の町まで食い繋ぐ分が買えればいい。そんなに大金でなくとも問題は無い。

 店の中の依頼板を眺めて、丁度よさそうなのを見つける。

 探し物。曰く、森の中へ落としてきてしまったらしい時計を見つけてきて欲しいというもの。

 馬鹿みたいな話に聞こえるかもしれないが、こと時計と言うものに限れば依頼主が予測できる。

 この世界で時計は貴重品だ。そもそも時を計るのに道具が存在しないに等しい。基本は太陽の位置や影の伸び方で大体の時間を知るだけだ。

 それに一定のリズムを刻む時計は精緻なつくりを要求される。当然数の少ないそんな高級品を手に入れられる人物なんて限られる。言ってしまえば時計は金持ちの道楽や自己顕示欲の一つだ。

 探し物と言うだけなら端金ほどだろうが、金持ちの端金があればこちとら充分だ。

 依頼が決まったならその紙を持ってカウンターへ。どうやらここは酒場も兼ねているらしく、机の向こう側で木製のジョッキを棚にしまう男性に声を掛ける。


「依頼の受領をお願いしたい」

「ん、あいよ。……何だ兄ちゃん、行きずりかい?」

「行く宛てがないだけだ」

「ははっ。んでもってがらくた集めかい」

「仕事に変わりは無いだろう?」

「そうだな。しっかりやってこいよ、ならず者っ」


 威勢と恰幅のいい男が話しながら手早く手続きを進める。

 傭兵への依頼は基本こうした場所に預けられる。その後、やりたい仕事を見つけた傭兵が依頼を受けて契約を交わす。受けた依頼は基本的に手放すことは出来ない。稀にやる気の無い奴らが任務先でそれを放り出す場合もあるが、そういうのは大仕事に前金を貰っている奴らだ。昼間の三人組がそうだろう。

 任務内容によっては完遂しなかったことの責任として追っ手が差し向けられることもあるそうだが、さて、彼らはどうだろうか。

 そんな依頼をこなしに傭兵が動き出せば、今回で言うところの目の前の店主が依頼主へ依頼の開始を報告。仕事が終わるまでに依頼主は報酬を用意し、任務の完了と同時に依頼主から直接報酬を受け取る。これが主な流れだ。

 つまり金のやり取りは依頼主と仕事を請けた者の間でしか行われない。前金も、依頼を受けた証書を持って直接依頼主から貰う事になる。この際に必要であれば値段交渉だ。

 だからこそ依頼をこなす者の顔を確認できて、いざと言う時の追っ手と言う話が出てくるのだ。

 まぁ金で動くのだから信用なんて言葉とは程遠い生き物かもしれない。事によっては任務先で金で寝返るなんてよく聞く話だ。

 だからこそ傭兵で信用するべきは結果だけだ。全てを完遂したか否か。たったそれだけが判断基準となる。無駄な疑念がなくて分かりやすい限りだ。

 そうして受け取った証書。前金なしと言う事は本当に端金らしい。まぁいい、するべき事をするだけだ。

 麻袋に紙切れを突っ込んで、それから外へ。急げば今日中に見つかるかもしれない。見つからなかったら……その時はその時だ。どうにかしよう。

 考えながら向かった先は町の真ん中を貫くように流れる大きな川。水があるところに営みは栄える。分かりきった景色に座り込んで、シャブラとエストックを一通り洗う。命を預ける相棒だ。手入れは欠かせない。

 刃零れがない事を確認して再び差し直せば、一度市場へ足を向ける。構えを連ねる幾つかの店を回って交渉し、少女と一緒に拾ったグラディウスを換金して僅かな足しにした。その金で少しだけ雑貨を買って満を持して依頼へと乗り出す。

 と、そうして町の大通りを外へ向けて歩いていると、人ごみの向こうから見たくもない姿を見つけて小さく息を吐いた。

 どうしようかと少しだけ迷った後、そのままいなくなられても困ると声を掛ける。


「順調か?」

「っ……!」


 声に驚いて顔を上げたのは魔剣の少女。心なしかやつれた気のする顔つきに分かりきった問いを重ねる。


「どうだ、人の世界は。想像通りに楽しいか?」

「…………お兄さんは仕事見つかったの?」

「これから時計探しだ」

「トケイ?」


 答えない答えに彼女の現状を知りながら話題に乗る。そうして返った更なる疑問に安堵のような何かを覚える。

 とけい。そう言われて時を刻む機械が出てこないのがこの世界だ。だから先ほどの傭兵がたむろしていた建物でもがらくたなどと言われた。

 そもそもこの世界に時計という言葉は存在しない。時を計り規則正しい生活を、なんてのは一握りの富裕層と何処までも現実主義な日常を生きる者たちの価値観の一つ。言ってしまえば全員が体の中に時計を持っているだけの事だ。

 だから目に見える形での時計なんて必要ない。……否、時計と言うものが発明されるだけの技術力が無い、が正しいか。

 今回探しに行くのも時計の機能を模した道具で、時計とは異なる。針が秒を、分を、時間を刻むような道具ではない。本当に、時を計る為の道具なのだ。

 意味合い的にはストップウォッチが近いかもしれない。それを探してきて欲しいというのが依頼内容だ。

 まぁ例えストップウォッチでも、この世界で言えば価値は充分だ。そう言った精緻な造りの工芸品はそれほど無いと聞いている。

 だから時計を知らない者にしてみればがらくたで、知らないからこそ希少さが分からない。それに依頼の文面にも時計やストップウォッチと言った固有名詞が登場しないのだ。結果他の傭兵たちも依頼品から依頼主を想像して金のにおいに辿り着く、と言った事が出来ない。

 知っているというのは物以上に貴重な価値なのかもしれない。そんな事をこの頃よく考える。

 

「……がらくた集めだ。森に落としてきたらしくてな。金属製だからどうせ動物にでも持っていかれたんだろう」

「そっか……」

「ってな話をしてる時間も惜しいんだがな。見かけたからには声を掛けるのがせめてもの挨拶だろう?」

「……………………」


 雰囲気から察するに行き詰ったらしい。分かっていたことだけれどもな。

 男の方が便利と言ったが、そう見えるように振舞うには相応の見た目が必要だ。

 つまりは服。とは言え彼女はお金を持っていない。金を稼ぐ為に金が要る。可哀相なことだ。

 落ち込んでいるところから見るに、仕方ないと割り切ってその姿のまま声をかけてあしらわれたのだろう。フード姿から傭兵にでも勘違いされたのだろうか。


「まぁやる事は互いに一つだ。数撃てばその内どこかで拾ってもらえるだろうさ。早く自分を捨てることだ」


 そういい残して町を後にする。

 打算と親切は違う。少なくとも彼女に施すだけの余裕は持ち合わせていない。もしあればそこから彼女を抱きこんだのだが、無いものねだりをしても仕方が無い。

 と、不意に過ぎった打算が彼女に助言らしきものを告げようと足を止める。


「……無いならせめてあるものを磨け。斬新な化粧だって言うなら旅芸人の一座でも見つけるんだな」


 指摘は彼女の顔のこと。声にこちらへ振り返った少女は、それからフードで顔を隠して川の方へと走っていく。……要らぬ世話だっただろうか。

 そんな事を考えながら行くべき道を見据えて気を引き締める。色々やるべき事はあるけれども、とりあえずは目の前から。なによりも、生き続ける事が全ての始まりだ。

 …………死んで始まる人生があるのなら、それはきっと物語になるだろう。




              *   *   *




 息が苦しくなって立ち止まる。思わず咳き込んで腕で口元を覆えば、頬に擦れた手の甲に固まった泥が零れ落ちた。

 一体どんな面で願い事をしていたのかと。人の世界を知らなくともそれが恥になることくらいは想像がつく。脳裏に浮かぶのは先ほどの彼の言葉と顔。

 せめてもの慈悲とばかりに興味のない顔で告げた指摘に、彼の事が気になる。

 なんで彼はあんなに他と関わりを持とうとしないのだろう。どうして痛いと感じるほど頑なに自分を見せようとしないのだろう。

 私は、彼のことなんて分からない。まだ半日も共の時間を過ごしていないのだから当然だろう。

 けれど私は、彼の名前も知らない。私も、私の名前を知らない。

 今更嘆いたところで変わらないこれまでの事を悔やむのは無駄だ。それは分かっている。

 ただ、分からないからこそ不安になって、知りたいと思ってしまうのだ。単純に言えば、私は彼に興味があるのだろう。

 これまで私の事を見てきた者達とは違う。興味以上の無関心。損得の天秤でのみ動くような固い覚悟のような何か。それを彼から感じるのだ。

 年はそれほど離れていないように感じる。二つか、三つか上だろう。

 その年にしては随分と諦観したような無関心が彼の外側を覆っていて、彼自身が見えてこない。それが怖いのだ。

 けれどそんな仮面が一度だけ崩れたように感じたときがある。名前の話題が出たときだ。

 まるで激昂したように。ここにはいない何かへ向けて罵倒するような言葉。勘ではあるが、あれが彼の本心のように感じるのだ。

 名前と言うものに、何かしらの思い入れがあるのだろうか。自分の名前すら分からない私にしてみれば分からない感情だ。

 ただ、名前が無くとも今ここに私は存在している。魔剣として、生きて、いるのかと問われれば返答に詰まるのだろうけれども。誰かと話をして、誰かに無関心を装われるくらいにはそこにいるのだ。

 だから少しだけ、心地いい。

 私に私以上の価値を見出そうとしない周囲よりも、私を私として認めてくれない彼の傍の方が、幾らか自由に思える。似ているようで全く違うそこに、私は居場所のような何かを見出している。

 でもそれは、仮初だ。たった一時の行きずりだ。

 私には目的がある。友達を……彼女を助けに行かなくては。

 一人で無理なのは、彼に助けられたことから既に分かっている。だから誰かの手を借りなければならない。心優しく無粋では無い誰か。秘密を守れて腕の立つ誰か。

 彼は傭兵がいいといったけれども、同時に運も必要だと言った。確かに彼の言う通りだ。私に傭兵の良し悪しを見分ける目は無い。それどころか、人間の良し悪しすらわからない。

 ……一つ分かる事があるとすれば、彼はきっと優しいということだけだ。そうでなければあんな風に沢山の助言をしてくれないだろう。彼にしてみれば助言ではないのかもしれないが、私がそう思うのだからそれでいいのだ。


「…………ははっ、なにこれ。汚いなぁ……」


 気付けばやってきていたのは川。町の中を流れているらしい、この地域の中心。流れを遡れば山の方へと続いている綺麗なせせらぎを見下ろして、そこに映った己の顔に小さく笑う。

 頬に、髪に。ローブだけはあとから貸してもらったものだから不釣合いに綺麗なその奥に、泥に塗れた小汚い女の子が鏡のように揺れていた。

 私は魔剣だから、人の世界の常識や価値観がよく分からない。この顔立ちが人で言うとどれくらいの価値があって、意味を持つのかなんて私には関係ない。

 ただ人の姿をしている以上、何も言わなければただの汚れた女の子。これからその見た目を使ってお金を集めようというのだから最低限の身だしなみと言う物はあるのだろう。

 辺りを見渡してあまり人がいない事を確認するとフードを後ろへ。そうして座り込み、手のひらに掬った冷たい水を少しだけ眺めて顔に叩きつける。

 (おとがい)を伝った雫がローブの下に流れ込んで、少しだけ驚きながら俯く。仕草に視界の端で揺れた長い髪。彼女に羨ましいと褒めてもらった黒髪。その先についている泥を少しだけ見つめた後、意を決して首から先を思い切り川へと突っ込んだ。

 流れる冷水が汚れと共に熱と、蟠った何かを拭い去っていく。それは葛藤で、疑問で、躊躇いで。

 それらはきっと今のわたしには必要ないものなのだと切り捨てるように、胸に溜まった空気と一緒に吐き出して水泡を作る。

 重くくぐもった様な音を耳傍で聞いて、それから顔を持ち上げれば跳ねた飛沫が目の前に舞った。数多もの雫が陽の光を反射して宝石のように煌く。その一つ一つの中に、黒髪赤眼の自分自身を見つけて、全ての憂いを断ち切る。

 ……大丈夫。やり直せる。ここからまだ立ち上がれる。

 自分に言い聞かせて迷いを振り切るように頭を振れば、鞭のように水気を飛ばした毛先が頬に首筋にと張り付いてちょっとした失敗を悟る。あぁもうっ、鬱陶しい!

 指先で髪を梳いて、長い後ろ髪を手で絞る。それから乾かすように小さく頭を揺すれば、丁度気持ちのいい風が吹いた。

 そうして見上げた空の色が、先程より綺麗に見えるのは心境の変化か。存外現金なものだと自分と言うものを薄情に感じつつ体に魔力を漲らせる。

 僅かに回復したそれで理想をイメージすれば直ぐに髪が乾いた。

 魔剣である私は、人ではない。だからこの人の似姿も仮初のものだ。

 つまり作り物。そしてそれは潜在的な意識から生み出されたものだ。だからその気になれば見た目を変える事はできる。

 ただし、できるのは見た目の年齢の変化だけで、性別までは変えられない。もしそれが可能ならばもっと楽にこの状況も乗り越えられるのだろうが、できないものは仕方ない。

 ただ、今回に限ればその見た目の変化も出来そうには無い。

 魔力を込めて髪を乾かせるように、この体は魔力によって作られている。だから見た目の変化は即ち魔力によって行われ、現状この体に残っている魔力残量では姿を変えることも、そして傷だらけの体を癒すことも出来ないのだ。もし誰かと契約をして、その者から魔力の供給を受けられたならそれも可能だが…………やろうとは思わない。

 少なくともそれが理由で拭い難い過去を刻み付けたのだ。分かりきった間違いを犯そうとは思わない。今はあるべきものでどうにかするだけだ。

 指で軽く髪を梳いて、一瞬きろうかとも考えたそれを、やがてフードの奥にしまいこむ。まだちょっとその勇気は出ない。それに彼女との大切な繋がりだから。

 声は少し低めにして少年らしく。言葉遣いも意識して。


「……よし、行こう」


 確認のように呟いて歩き出す。とりあえず人のいる方へ。川から大通りに出て、人が多く向かっている方向へと歩き出す。どうやら旅人が多いのか、ローブ姿は幾つか見られて別段浮くような様相ではない。あとは人の集まる場所……物の集まる場所で仕事を探すだけだ。

 しばらく歩くとやってきたのは市場らしき場所。既に陽が傾きかけているからか、野菜や果物を売るような店は少ない。

 が、一日の時間を問わない商売も沢山ある。両替や武具を取り扱うものや、雑貨商などだ。

 前者二つ辺りは少しだけ知識と技量が問われるが、雑用なら出来ないことは無い。後者は本格的に売り子に徹すれば素人でも出来る。物の値段を覚えるだけだ。

 ならばと覚悟を決めて、幾つかの店を回り仕事を探し始める。

 しかしどの店も人手は足りているようで使ってはくれない。まぁ色々な人の話を聞く限り小さな町らしいから、物が大きく動く朝でもなければ忙しくは無いのだろう。

 結果、雑貨商のような簡単な仕事は全部断られ、仕方なしにもう一つの方へ。

 両替商は信用の取引だ。だからいきなり首を突っ込んできたような奴には仕事を任せてはもらえない。それはここに着いて直ぐの試みで身に染みている。彼らの言い分も(もっと)もだ。お金扱う仕事を身一つの子供に任せるわけには行かないだろう。

 ならば残るは武具を扱う店だ。

 人に仇成す魔物、《魔堕》が蔓延るこの世界。自衛の為に武器を持っておくのは当然で、魔剣ではなくとも集まれば魔物を倒すことは出来る。当然武器の需要はそれなりで、鍛造、鋳造を生業として金属から作る者や、修理を主に請け負うもの。中には魔の宿ったものを取り扱うところもあって、一言に武具を扱う店と言ってもその種類は様々だ。

 この中で言うならばやはり魔を扱うところが己を活かせる場所だ。

 何せこちらは石ころに魔力が詰まっただけの使い捨ての道具など到底及ばない、《魔堕》すら相手にできる魔剣だ。魔を宿す意思ある者としてその扱いはある程度知っている。

 ……少し問題があるとすれば、同じ魔を宿す道具としてそれらを売るという行為に対する忌避感があるということだろうか。

 魔剣のように意思を持った魔物……《天魔(レグナ)》を封じた武器は一握りで、魔を宿すものの殆どは魔の存在にあてられて偶発的に出来上がった物か、魔剣や《魔堕》が自ら力を注いで作った物が殆どだ。だからそれら……魔具と呼ばれる道具をを売るという事は自分たちが生み出したものや、その同胞の端が宿ったものを金にしようと言う話。人の世界に例えれば、他人や子を売る……人身売買や奴隷商売にも似た何かだ。抵抗を覚えるのは致し方の無いことだろう。

 けれども見方によっては生活に便利な道具を作って金にするという、傍から見れば一般的なようにも思える行為。線引きをして少しだけ目を瞑れば、生きるための仕方ない方法論だと割り切れる。

 ……必要であれば自分で作って自分でそれを売ればいい。そうすれば少なくとも傷つくのは自分だけだ。問題は、そうするだけの魔力が今はないと言うことだけ。時間を掛けるならばそれもありだろうが、その前に動けなくなってしまっては意味が無い。

 人に似せている以上生きるには人と同じ生活が必要で、加えて特別何かを成すのに魔力が必要と言う面倒な体質……。それが人型の魔剣という存在だ。

 だからこそ、背に腹は変えられないと。自分に言い聞かせて在庫を漁っているらしい店主に声を掛ける。


「あの……」

「はいらっしゃいっ」


 切り揃えられた髪を揺らしてこちらへ振り返ったのは女性。髪が短いから男かとも思ったが、女性らしい膨らみが首の下に二つ。声は少し枯れているがそれは日頃から大声を出して商売をしているからだろう。

 そう言えば店の店主は男ばかりだったが、同性と言うのはありがたい。


「あ、えっと、買い物では無くて、仕事を探してて」

「ふむ、話を聞こうじゃないか?」


 門前払いだった他の所に比べれば随分と有情な対応に嬉しくなる。魔物にも人に仇成す《魔堕》と剣などに宿って人に手を貸す《天魔》がいるように、人にも良い人と悪い人がいる。そのいい人を、ようやく引き当てただけの事だ。


「旅をしてきたんですけれど、お金が無くて。今日のご飯代だけでもと思って」

「…………女か?」

「っ……!」


 同性相手に飾る事を忘れていたか、唐突に言い当てられてびくりと震える。

 失敗したと過ぎった次の瞬間、彼女は何気ない仕草でフードを取るとこちらを覗きこむ。


「あ……!」

「…………なんだ、別に普通じゃないか。ちょっと色気は足りなけど……うん、看板としては悪くない」

「なっ……!?」

「ずっと顔を出してられるなら雇ってもいいよっ」


 遠慮の無い嘗め回すような視線に、続いた言葉へ体を隠すように腕を交差させる。

 別に自分自身の事を人の縮尺に当て嵌めて評価するつもりは無いけれど。勝手に比較されて貶されるのはなんだか不愉快だ。

 その気になれば魔力でどうとでもできるのに……。

 そんな事を考えて睨みつけた彼女が、それから交換条件を提示してくる。

 色気云々は別として、どうやら雑用紛いの看板として使ってくれるらしい。条件は…………少し気をつければいいだけか。

 追われる身としてあまり目立つことは避けたいが……かと言ってこの先受け入れてくれる場所があるとも限らない。保留は……それだけで信用を損なうだろう。するなら即決だ。

 迷いは数瞬。覚悟を決めて口を開く。


「……分かりました。お願いしますっ」

「よしきた。直ぐに働いてもらうけど構わないね?」

「はいっ」

「いい返事だ」

「よろしくお願いします」


 快活に笑った女性の手を握れば、彼女は一つ頷いて雑談のように疑問を重ねる。


「名前は、別にいいよねぇ。旅人なら少し稼げればまたどこか行っちまうんだろう? それに名前を知らない方が便利な事もある」

「…………はい」

「そう言えばあんた他に服は? あるならもっと立派な方が看板として役に立ってくれるんだけれど」

「……ありません」

「そりゃ残念だ」


 彼女が何かを察してくれたのか、それとも生来の大らかさなのか。まぁ、名前に関しても言及されないならそれでいい。こちらにも好都合だ。


「にしても若いね。詮索するわけじゃないけど苦労をしてそうだ」

「いえ。ただ雇っていただいたことには感謝をしています。実を言うとここまでずっと門前払いされてきたので」

「見る目の無い奴らだねぇ。これだけ綺麗なんだから前に立たせとくだけでいいのに。そんなに稼ぎを渋るなんて、だから揃いも揃って似たようなものしか売ってないんだろうけれどね」


 辛辣と言うか、何と言うか。飾る事の無い彼女の性格は色々疑わなくて楽だ。


「あぁそうだ。折角だからこれあげるよ、使いな」


 考えていると何かをこちらへ投げて寄越す彼女。慌てて受け止めて目を向ければ、それは木製の櫛だった。


「いいんですか?」

「それだけ立派なもの持ってるんだ。手入れしなきゃ勿体無いだろ? 綺麗になった分だけお金になってくれればそれでいいからさ」


 ……どこかで引いていた一線を踏み越える。距離を感じていたのは私の方だ。私が自分を見せる覚悟もないままに相手に委ねて自分を使ってくれなんて。自己紹介もなしに信用されるなんてありはしないだろう。

 どこかにあったその躊躇いを、目の前の彼女が多少強引に引き剥がしてくれた事に感謝する。

 だからこそお返しにしっかり働かなければ。


「仕事の内容は分かるかい?」

「魔具を売るんですよね」

「まぁそうだけど、確認するって事はこういう仕事はやった事が無いんだろう? なら最初は見ておきな。やり方が分かったら客の相手もしてもらう。それまでは在庫整理が主だけど、いいね?」

「はい」


 言葉一つから来歴の一部を暴かれた事に少しだけ警戒してしまう。が、そう取れる言葉を選んだのが悪い。

 それに知らない物を知っていると嘘を吐いたところで得などない。恥じるほどの自惚れはここまでで充分に折れている。だったら正直に、知らない事を教えてもらうだけだ。その上で、知っている事で応用するだけ。私は武器だから、武器らしく刃を振り翳す。


「……ただ、少しだけ目には自信があります。道具の良し悪しくらいは見分けられますよ」

「ふむ? だったら…………」

「右です」


 どうやら試そうとしたらしい女性。背後にあった木箱から炎の力を込めた鉱石を取りだし、両手に一個ずつ握ったそれを、手を開く前に言い当てる。

 今体に秘める魔力は少なく、魔剣としては期待されるほどの力は出せないけれども、錆びてもそれらの同胞だ。目で見なくとも近くにあって肌で感じれば質の良し悪しは直ぐに分かる。金属や魔力に由来する物に関しては特別鼻が利くのが取り得の一つだ。

 試すより先に答えた事に目を見開いた彼女は、それから嬉しそうに笑って告げた。


「実にいいねっ、気に入った! さぁ、それじゃああたしに富を齎しておくれっ」


 とりあえず目下の目的は完了。更新した次の目標に向けて、今は全力を賭すとしよう。

 ……もし偶然に遊ばれるのならば、彼を見返してやりたい。そんなちょっとした野心が、今の私を突き動かす。




              *   *   *




 鬱蒼と茂る森の中は、落ち始めた日の影に冷たく不気味な風を唸らせる。木霊する鳥の鳴き声に葉擦れの音は理由なく心の奥底に入り込んでいわれの無い感情を募らせた。

 任務でやってきた森は町へ向かう時に横目に見ていた場所。自然動物が住む中を駆け抜けた記憶が新しい、人には暮らし難い空間だ。

 伸びた枝葉と剥き出しの木の根。幾つか散見できる野生の痕跡は知らず足を早くさせる。

 依頼の記載を元に割り出した大まかな位置にまでやってくれば、近くに水の匂いを捉えた。地形からして、恐らく町の中心を貫いているそれと同じ流れの上流だろう。足を伸ばせば山肌から染み出した地下水の源に辿り着けるのだろうが、今回は関係ない。地図を描きに来たわけでも水を探しに来たわけでもないのだ。

 水場と言う事は、獣もよくやってくるのだろう。透明で綺麗な流れには魚も見えるし、鳥類も餌場にしているはずだ。と言う事は第一候補はそれらが持って行った可能性か。

 依頼の品……時計と言う名のストップウォッチは金属製だ。日の光を受ければ反射して鳥が好む光物になる。価値は分からないはずだが知能の高い鳥たちが習性としてよく集めるものだ。

 まずはそこを探して、無ければ地面を。稀にそれ以外が持っているという話も聞くが、とりあえず今回は可能性からは除外だ。

 目的が決まればそれに従って行動していく。足元にも注意をしながら太い木々を探して回っては鳥の巣を探る。

 とは言っても直接乗り込むと警戒させて反撃に遭うのが当然だ。そんな事で怪我をしたくはないし、鳥たちだって生きている。無益な殺生で自然を壊すことは避けるべきだ。幾ら傭兵といえど……傭兵だからこそ守るべき常識は存在する。

 人にはし辛い事を任される以上その意味合いは悪い方に傾ぎがちだ。だから最低限、せめてものルールとして、任務に関係ない事は極力控えるというのが傭兵と言う職を守る事に繋がるのだ。暗黙の了解と言うのは必要だから出来上がる規範だ。

 ならばどうするかと言われれば、鳥を刺激しない場所から巣を見て回るだけのこと。地図をしまい取り出したのは単眼鏡……片手サイズの倍率のそれほど高くない遠眼鏡(とおめがね)だ。

 持ち運びにも便利でいざと言うときに使える道具で、立派な魔具。本来の時計が無いこの世界では当然高倍率の凹レンズや凸レンズなんていう技術が問われるものはそう簡単には作られていない。一応眼鏡に使うような小さく倍率の低い物は存在するが、そんなもので望遠鏡のような高度なものは補えない。

 眼鏡もその一つだが、魔具として魔力を込めて使用する道具として発達している物が多い。この単眼鏡もその一つだ。

 魔力はこの世界に生きるもの全てが持っている。人間も、動物もだ。ただしその総量は種によって違い、特に人間は他の野生動物に加えて沢山を有する。つまり意思を持って上手に魔具を扱うのは人間だけなのだ。

 時折野生に転がっている魔具が自然動物の魔力を受けて暴発するという事件も起きたりするが、それは稀だ。

 また、人間が持つ魔力も、その個人によって差がある。多ければその分沢山魔具や魔剣を扱うことができるが、そもそも人間は魔力があってもそれを元に理を成す魔術が使えない。つまり魔具や魔剣が無ければ魔力を使えないのだ。

 不便な話ではあるが、少なくとも魔力だけを悪用した問題は起こり辛い。何か騒動があればそこに魔具や魔剣の存在を探して問題を解決する事ができるのだ。

 魔力は時間経過によって回復するもので、特に身を清めたり英気を養う事で回復が促進する。

 言ってしまえば魔力とは、日常生活を送るに際して便利な道具を扱う為の源と言うわけだ。それを武力にするのが魔剣を有する兵達だ。

 使う用途が限られてはいる魔力だが、当然その分だけ便利で強大だ。魔剣もそうだが、日常で使われている魔具も使い方によっては立派な武器になる。さすがにこの単眼鏡で生物を傷つけるのは難しいけれども。……投げればどんな物でも武器になるか。

 そんな事を考えながら、低い木の幹に登っては鳥の巣を遠巻きに監察して目的の物を探す。

 が、どうにも鳥が持って行った様子はなさそうだ。もっと遠くの……それこそ山の斜面のような遠くにまで運ばれている可能性も考えられるが、野生動物の縄張りなどを考えれば可能性は低い筈だ。と言う事はまだどこかに落ちているかもしれない。依頼内容によれば狩をしに森へ入って無くしてしまったとのこと。総当りになるが今度はその視点から探し物をして見るとしよう。

 段々と暗くなり始めた天蓋を見上げてこの探索が終わったら一度町に帰ろうかと思案する。その場合、金無し宿無し飯無しの三拍子で辛い一日を過ごす事になるが、仕方ないだろう。そもそも狂わされたのはあの魔剣の少女の所為だ。

 ……だったら助けた礼とでも言い張って彼女の稼ぎを利用するのもいいかもしれない。彼女が上手に仕事を見つけていればの話だが。

 それから時間ぎりぎりまで辺りを散策したが、どうにも見つからない。となると別の縄張りの生き物が持って行ったと考えるべきか。少し面倒だが、明日は山の方へと足を向けて見るとしよう。その為にも今日はここらで探索はやめておくとしようか。

 見上げた空が既に群青より更に深い色を落としている事に小さく息を吐いて踵を返す。帰り道はここにくるまでに木の幹へつけた目印を辿れば問題ない。自分の身は自分で守る。当然と言えばそれまでだ。

 一応帰り道も足元を確認しながら森の中を歩いて行く。昼間に通った時はぬかるんでいた地面だが、時間が経って少しだけ乾いたらしい。と、川の傍で落としたのなら雨で増水して流された可能性に今更至る。

 思わず立ち止まって振り返ったが、流石に今日はこれ以上は無理だ。無駄な体力は消費しないに限る。

 そう考えつつ再び足を出そうとしたところで、耳が異音を捉えた。底を這うように唸る声。僅かな地鳴り。そして圧迫するような存在感。肌を刺す嫌な感じにシャブラを抜き放ち警戒する。

 野生動物ならば熊辺りだろうが……どうにもそんな感じでは無い。証拠に、肌を刺す存在感は魔力に由来するものだ。胸の内が共鳴するようにざわついている。

 そう言えば彼女が言っていたか、近くに《魔堕》がいると。確か中位の魔物。簡単ながら言葉を介し、戦力で言えば軍隊で言う中隊か、魔剣持ちが一人に匹敵する強さ。少なくも今この状態で相手取る敵では無い。

 が、少し気付くのが遅れた。あちらは既にこっちを捕捉している。

 外までの道は……走っても追いつかれるだろう。ならば途中で戦闘を一回挟んで逃走。防戦に撤退を重ねて生き延びる方法が最善策だ。

 彼女に出会ってからついてない一日だと。舌打ちを吐いて呼吸を整えれば、背後に注意しつつ走り出す。

 その足音にか、それとも気配にか。《魔堕》の方も忍び寄るのは投げ捨てて全速力で追いかけてくるのを感じた。枝を折って足元の草をなぎ倒し戦車のように突進して来る巨体。一呼吸毎に近づいてくる存在感にタイミングを計って前方に跳躍する。

 その刹那、振り下ろした腕が大地を叩いて土煙と共に砂と石と泥を辺りに跳ね上げた。頭を庇って地面を転がり、木を背にして構える。

 そうして見据えた《魔堕》の姿。二本足で横に大きい体を支え、両腕は体の倍はあるだろうと言う長さ。腕の直径も太く、手と足の先についた鋭い爪が僅かに光る。顔の形は狸に近く鼻はのっぺりとしていて、頭に左右で大きさの違う捩れた角が二本生えている。形容するとすれば角が生えた腕の長い信楽焼の狸の置物で、その体は黒く淀んだ魔力の塊に渦巻き、辺りに瘴気のような靄を漂わせている。

 形容こそできるが、一言で言うなら黒い異形の生物。それが目の前の《魔堕》だった。


「ヒト……ツブセ……!」

「会話できないなら喋るなよ」


 彼女は中位と言っていたが、どちらかと言うと低位に近い気がする。単語しか喋れないのがその証拠だ。本物の中位なら片言ではあるがしっかりとした文章を話す。高位ともなれば人と区別のつかないほどに流暢な言語を解するらしい。

 とは言え低位寄りと入っても《魔堕》は《魔堕》。人間一人で相手にできる敵ではない。策があれば別だが、今回は望んでもないサプライズだ。どうにか隙を見て逃げなければ。

 そんな心の内を目の前の怪物が知る由も無く。巨体と豪腕に任せて振り上げた大きな腕を振り下ろしてくる。それを横に跳んでかわしながら《魔堕》に向かって駆け寄る。

 魔力の塊である《魔堕》だが、武器が利かないわけではない。魔力自体は靄のようなそれで物理的な干渉が殆ど出来ないが、《魔堕》のように魔物としてそこに存在していれば物体に対して物理的な攻撃が効く。だがもちろんそれは一時的な軽いもので、魔力の塊である以上傷は魔力で直されてしまう。倒す方法としては治らなくなるまで攻撃し続けるか、一撃で葬り去ること。もし魔剣があるなら、その刃で斬る事だ。

 一般的な金属の武器では何度も攻撃しなければならないが、魔剣は《魔堕》と同じ魔物……人に味方する《天魔》を宿した存在だ。その一撃は魔力を宿し、直接斬り払う事が出来る。つまり魔剣なら一撫ででその存在を大きく傷つけられるのだ。しかし今ここに魔剣は無い。彼女なら一人でも魔力がある限りは戦えるかもしれないが、いるのは金属の武器を携えた人間一人だ。

 ただ、巨体に対して小さな体と、幾つかの道具を持っている。それらを駆使すれば一時的に足を止めることはできるかもしれない。

 考えて麻袋を提げた腰のベルト、そこに先ほど買っておいた麻縄に手を掛ける。色々な事に使えて便利で、市場に行けば普通に買える。金の無い今では貴重品だが、命に換えられない。

 と、そうして接近した中で、視界の外から迫るもう一つの腕。横殴りに振るわれたそれが、大木を撓らせるように襲い来る。人間一人半はある太さの腕を跳んで避ける事もできなければ、這い蹲ってやり過ごす隙間もない。

 数瞬でそこまで巡った思考が、咄嗟にシャブラを盾にして防御をする。

 刹那、襲った衝撃は思い切り体を後ろへと弾き飛ばした。足も地面から離れ、制動の効かない中で中空を漂った僅かの空白。遅れて打ち付けたのは太い木の幹で、叩きつけられた衝撃に背後でみしりという木の音を聞きながら、肺の中から空気が吐き出された。勢いが消えれば、そのまま木の根元へと倒れ込む。

 背中の鈍痛と裂けるような胸の痛み。そして腕に残る防御の痺れ。足の感覚さえ曖昧な中で、けれどどうにか立ち上がる。

 次の瞬間、上げた視界に見えた振り下ろしに、醜い生存本能で地面を転がった。

 回転する世界に裂くような痛みが走る。見れば左足から血が流れていた。折れてはいないようだが爪に引き裂かれたか。命に関わるほどではないにしても面倒な事になったと。


「クソがっ!」


 吐き捨てて《魔堕》を睨む。せめてもの抵抗として構えたシャブラは中ほどから折れていた。先ほど防御をしたときだろうか。

 周りの木々にも劣らない巨体がゆっくりと近づいてくる。命の灯火さえ目の前に揺らされた状況下で、それでも必死に考える。使える武器、周りの状況、目下の目的。段々と熱を持っていく足の感覚に比例するように、頭の中は冴え渡っていく。

 そうして思いついた逃げる為の手段。成功率は……今更考えるだけ無駄か。やるだけやって後は運頼みだ。

 近づく《魔堕》から後ずさりながら辺りを見渡して目的の物を見つける。足の調子を確認して立ち上がれば、呼吸を整えて《魔堕》を睨んだ。

 別に未練があるわけでは無いけれども。自由に生きられる可能性があるのならそれに縋りたいのは当然だ。

 今ここにいる俺は──何の因果か授けられた二度目の命。だから今度こそ、自分で選び、己が思う通りに自分自身を生きるのだ。一度目の生で周囲の無意識に壊された、日常のような何かを取り戻す為に────


「あぁああああぁああっ!!」


 叫んで気迫と共に動く為の力を体の奥底から汲み上げてくる。裂帛の怒号に足を止めた《魔堕》へ向けて疾駆。危機に瀕して脳内を駆け巡るアドレナリンが少しだけ景色を遅く見せてくれる中で、横殴りの腕をスライディングのように潜り抜ける。その先、地面に落ちていたシャブラの刃先を拾い上げ、手のひらに傷が増えるのも構わずに振り向き様の投擲。それが狙い通り、《魔堕》の目の辺りへと突き刺さる。

 上がった瘴気の叫びは人の姿を似せようとした報いか。視界と言う物は魔物にも重要な器官らしく、刺さった刃を抜こうともがく。

 注意が削がれた《魔堕》に歯を食いしばって更に疾駆。駆け寄る中で麻縄の片端に靴に仕込んでいたダガーを括りつけ、先ほど叩きつけられた木へ向けて投げる。刺さった軽い音を遠くに聞きながら、人間二人分はあろうかと言う太い足首へ麻縄をぐるりと巻くと、もう片方をシャブラの柄に括り付けつつ先ほどの木の幹へ全力疾走。今度は木の幹を半周回って、木に突き刺さったダガーの柄を足の裏で押し込みながらシャブラの柄を力一杯に握って縄を引っ張る。

 木から《魔堕》の足を一周し、再び木に戻って巻きつけられた縄一本。木の幹を滑車に見立てて麻縄が千切れんばかりに体重を掛けて引っ張れば、背後で魔力の巨体がゆっくり傾ぐのを感じた。

 遅れて響いた地響き。振り返ってみれば、縄が巻き付いていた足首が絞め千切られたのか《魔堕》の足首から先がなくなっていた。お陰で体勢を崩して倒れこんだらしい。

 今しかないっ!

 そう巡るが早いか壊れたシャブラで縄を切り、足の痛みを必死に堪えながら力を振り絞って森の外へ走り抜ける。刺し傷ではなく部位の欠損。再生に少し時間を要するはずだ。その内に町まで逃げるとしよう。

 背中は鈍く痛み、左足は裂傷。シャブラは折れ、仕込みのダガーを置き去りに貴重な縄まで使っての逃走。けれども命と比べれば安い気がしながら、ずっと握っていた折れた相棒を見つめれば笑いが込み上げてきた。

 無様だったが、どうにか逃げ切った。本当に死ぬかと思った。

 九死に一生を得た気がしながら、傷口を布で縛って町へと歩く。しばらくして灯りと生活のにおいを覚えれば、柄にも無く少しだけ涙が出た。

 ……いや、《魔堕》相手に逃げ(おお)せたのだ。それだけで充分な戦果だろう。性根がクズで助かった。醜く卑怯でも助かればそれでいいのだ。

 久しぶりな気がする涙の温かさを指で拭ってそれからフードを被りゆっくりと歩き出す。とりあえず、傷の手当を……その為に金を。

 悩んで、小さな寂しさと共に腰の折れた相棒との別れを決意する。彼女との出会いから三度も命を救われた戦友だが、修理するには金が掛かりすぎる。ならばいっその事二束三文でも売り払って少しでも足しにするべきだ。薄情かもしれないが、仕方ない。

 既に陽の落ちた景色の中、殆ど人通りの無い通りを歩いて市場へ向かう。飲食店ばかりのこの時間にどうにか鍛冶屋を一箇所見つけて、折れた相棒を買い取ってもらう。

 例え武器として使い物にならなくなってもこの世界は戦いに溢れている。となれば必然金属は需要に傾くわけで。意外といい値で売れるのだ。それを生業として金属を掻き集める仕事があるくらいには求められている現状に感謝。

 店主の男性は気のいい人で、少しだけ頼んだら無理も聞いてくれた。記念にと相棒の柄だけ返してくれたのだ。持っていたところで役には立たないが、死線を潜り抜けた証とするのも悪くない。

 刃を抜いた柄を腰のベルトに引っ掛け、少しばかりだがお金も得て試算する。これだけあれば宿に三日は泊まれるか。ならば食事にも幾らか割けるだろう。

 思わぬ事が重なってここまでやってきたが、生き残っている事を噛み締めながら目抜き通りより一本裏へと入る。

 まずは宿や食事よりも手当てだ。先ほどの店主に薬屋の場所を聞いてある。背中と左足。明日依頼をこなすにしても今のままでは不便だ。少し値は張るが仕方ない。

 一本道を逸れただけで途端に薄暗くなり、頬を撫でる風が冷たくなる。その冷たさが、今は傷で火照った体に心地がよかった。




 しばらくゆっくりと歩いて目的の薬屋に辿り着いたところで、店の前に座り込むローブの塊を見つけて足を止めた。

 店先の石の階段に膝を抱えて座り込むその足には所々に引っ掻いたような切り傷が複数。その傷と、纏う雰囲気と、何より見覚え以上の面倒さに押し潰されて告げる。


「……邪魔だ」

「っ……!」


 声に顔を上げたのは魔剣の少女。涙に濡れたその顔にも痣のような痕があって、少しだけ息を呑んだ。そんな彼女は、痛そうにこちらを見上げて壊れたように笑う。


「…………おかえり」

「……仕事はどうした」

「売り飛ばされそうになったよ」


 飾る事の無い諦めの混じった声に小さく肩を揺らす。


「雇ってくれた人は、居たんだけれどね、その人魔具の商人さんで……。私の事を知ってたみたいなんだ。顔を見せたときかな、これに気付いたらしくて……」


 訥々語りながらローブの首の辺りを軽く引っ張って白く柔らかそうな首筋を見せる。そこには逆さ五角形の中心に交差させた剣を描いた刺青のようなものが刻まれていた。

 あれは確か契約痕だったか。

 魔剣は《天魔》が剣に宿った存在で、寿命と言うものが存在しない。その最後は基本的に剣が折れるか、自分を維持できる魔力がなくなった時、または中の《天魔》が魔術的な要素で殺された時だ。それ以外で死ぬということは無い。

 そんな人ならざる者の力を欲して交わす契約。魔剣との繋がりの証が契約痕だ。

 これは契約に際し、魔剣と人の体のどこかに刻まれるもので、どちらかが死亡し契約が破棄されても契約痕だけは残り続ける。

 つまり契約痕を数えれば相手がどれだけ魔を宿した道具と契約をして来たのかが分かる印と言うわけだ。


「それで魔剣である私を売ろうとして……けれどどうにか逃げてきたんだ」


 足や顔の痕はその際に抵抗した勲章か。彼女も大概大変な目に合ってきたようだ。


「それから噂が広がったらしくって、気付いたら周りが敵だらけだったよ。……石って結構痛いんだね」


 魔剣は人に手を貸し、《魔堕》を倒す味方。それは先人たちが積み上げてきた功績で揺るがない事実だ。

 けれど魔剣の中に宿る《天魔》は、《魔堕》と同じ魔物。それが野良で傍を歩いていれば、恐怖をしてしまうのは仕方の無いことかもしれない。

 何処に居たって、レッテルと言う名の迫害は無くならない物だ。


「……人間の事を嫌いになりたくは無いよ。だって私を使ってくれる人がその中にいるかもしれないし。そうして魔物を退治して人の力になれたら嬉しいから。…………でも……でも、こんなのっておかしいよね。私、悪者に見えるかな?」


 今にも泣きそうなほどに貼り付けた笑みで零す彼女は、無い答えを探すように俯く。

 彼女を励ますなんて、そんな驕りは俺には出来ない。俺だって今し方依頼主の言葉に踊らされて九死に一生を得てきたのだ。同情は出来ても、全面的に彼女の味方にはなれない。

 それに彼女は……俺の金だ。俺が見つけた魔剣だ。

 だからこそ彼女への共感よりも先に、その魔具の店主にこそ苛立ちが募る。


「……よかったな。価値があって」

「価値……? 価値って何? ……ねぇ、何でそういうこと言うの?」

「悪いが同情ができるほど俺だって余裕があるわけじゃない。それに、お前に価値があると分かれば俺だって同じ事を思いつく」

「っ……!」


 胸の内の感情任せて吐き捨てれば、蹲った少女が怯えたように肩を揺らした。


「……もう少し自分を大事にする事を覚えろ、じゃないと────」


 そうして一歩踏み出した足音から逃げるように駆け出した少女。直ぐに躓いてこけたが、立ち上がって再び走り出す。

 …………別に、今俺にどうこうできるわけでは無い。ただ、この胸に渦巻く感情が、苛立ちの皮を被った何かだという事に気付きつつ薬屋の扉を叩いた。




 薬屋で塗り薬を買って外に出る。

 この世界の塗り薬は体内に宿す魔力を使って治癒促進をさせる魔具だ。もちろん、欠損などの負傷を直すわけではないが、刺創くらいなら塗って包帯などを巻き放置しておけば直る程度の効果を発揮する。

 同じ治癒で言えば魔剣等と契約した者達が、稀に治癒魔術を使用できることもあり、戦場ではそちらが重宝されていると聞く。他人の魔力を使って傷が塞げるのだ。それだけでも戦いに回す魔力を温存できて良い事なのかもしれない。

 ただ、治癒魔術は適正と言うか……使える者が少ないらしい。

 基本的に武器に宿るのが《天魔》だ。相手を傷つけるものに宿るのだから、《天魔》もそれ相応の得意分野を持つのが当然。武器に宿りながら治癒魔術を扱えるのは数えるほどだろうし、その上高位の治癒となると皆無に等しいだろう。

 もちろん、剣以外に宿る《天魔》もいる。治癒魔術に代表される補助的な技はそちらの《天魔》たちが得意な分野だ。反面、そう言った魔具は戦闘面において他に敵わない事が主だが。

 もし自分の腕に覚えがあるのなら補助を主とする魔具と契約を交わすのも一つの選択肢かもしれない。

 そんな魔具はこの世界に数多に存在する。水や火等、生活に必要な物質を魔力と引き換えに作り出す道具や、戦いに流用される魔具もある。

 言ってしまえば程度の低い科学技術の代替技術が魔力や魔術だ。電気の役割、と言い換えるのが早いかもしれない。

 中には科学的な道具よりもコンパクトで使い勝手のいい物もあって、便利だと思う事もしばしばだ。ただやはりそれらの使用には魔力を必要とするから、己の中にある魔力量と相談をしながらなのが悩みの一つかもしれない。余るほどの魔力量を保有していれば話は別だが。

 そんな事を考えながらフードを被り歩く。背中と足に塗った薬の辺りが少しだけ熱を持つのは促進された自然治癒が機能している証。少しだけ熱っぽくて体がだるく感じるが、一時の辛抱だ。薬の効果で痛みも麻痺して感じないし寝て起きれば傷も塞がっていることだろう。魔術とは便利なことだ。

 少しだけ体に無理を強いて夜の市場へ。宿代を残しながら硬いパンや香草、木の実などを少しだけ買って宿へと向かう。

 傭兵と言う身分は使い勝手のいいもので、行く先々で少しだけ倦厭されはするが仕事をこなせば金は手に入るし、依頼を受ける建物で寝泊りも出来る。部屋の程度は町中にある宿屋と比べてお世辞にもいいとは言えないものだが、寒空の下で毛布一枚、体を丸めていつ野生に襲われるとも知れない危機感の中浅い睡眠を貪るよりはよっぽど恵まれている。

 世間の爪弾き者として扱われ気味だからこそ、困った時は仲間内で助け合うのが暗黙の了解だ。

 と、そうして任務を抱えたまま件の建物に戻ってきたところで、その扉の傍に見たくも無かった姿を見つけて溜め息を吐いた。

 ……少しだけ迷って、僅かに生まれた余裕から声をかける。


「まだ出て行ってなかったのか」

「っ……!」

「逃げてどうなる。行く宛ては? 命の保障は? 路銀と食事は?」

「…………うるさい……」


 また直ぐに駆け出そうとした少女に向けて現実を突きつける。

 結局今を生きるためには目の前を見て足元を確かめるしかない。それは生きている以上必要な事で、食事は別としても身の安全や懐事情は魔剣だって無視できない。

 その壁にぶつかって、その上彼女は失敗した。仲間も見つけられず、唯一の金の道筋も裏切られた。どうしていいか分からなくて途方に暮れている……人の世界を知らないからこそ彼女は何処までも底へ沈んでいるのだろう。

 ……とは言え彼女が別の誰かに売られなくて助かったと言うのは個人的な感慨。彼女に価値があると手を伸ばしたのは顔の知らない誰かよりも俺が先だ。

 小さな町に噂として広まった彼女の存在に目を付ける奴は多いだろう。そうなれば競争だ。……だったら今ここで彼女を抱え込んでおかなければ掠め取られてしまうだろう。

 打算に至れば、麻袋から塗り薬の瓶を取り出して少女に向けて放り投げる。


「ぁ、え……何?」

「薬だ。塗れば魔力を消費して治癒してくれる」

「…………どうして?」

「同情だ」


 応えて壁に背を預けるように隣へ立てば、怯えるように肩を揺らした少女が一歩距離を取った。


「……金がいるなら傭兵の仕事でもするか? 別に特別な資格が必要なわけじゃない。腕があれば金が手に入る。まぁここにはろくな依頼は無いけれどな」

「……………………」

「その上でお前を抱きこめるなら、次の町に着いた後に魔剣を捌いてくれる商人にでも引き渡す」

「っ……!」


 手元の瓶を見つめていた少女が恐怖に目を閉じる。そんな彼女に一瞥をして、けれど逃げる様子の無い少女に……目を背けていた胸の内の感情を小さく零した。


「……最初は俺もそう思ってたさ」

「え…………?」

「ただ今は同情と、それ以上にお前を横取りされそうになった事に腹を立ててる俺がいる。だから気紛れで一つ提案だ」


 いつの間にかこちらを向いていた少女の顔。驚きと怯えの混ざった赤い瞳がフードの奥からこちらを見つめてその先の言葉を待つ。


「俺を雇うなら、次の町まではお前の身を出来る限り守ってやる。報酬は要相談」

「……………………」

「前に言っていたお前の目的まで含めるなら倍額じゃすまないがな」

「……………………」

「契約後、もし払えないって言うならお前を売り飛ばす。その上で生き延びたいなら俺から逃げて見せろ。もちろん、払ってくれるならそれに越したことは無いけれどな」


 そう、これは、気紛れだ。俺も彼女同様に依頼主に躍らされた身で、彼女の面倒に振り回された鬱憤を晴らす為。何処までも自分本位で押し付けがましい復讐染みた何かだ。

 守ってやるから金になれ。そんな非情で合理的な投げかけに、目の前の少女は真意を測り値踏みするようにじっとこちらを見つめる。


「……どうする?」


 答えは今しか許さない。例え断ってもその時はその時だ。

 こちらもまた覚悟を決めて沈黙を待てば…………やがて少女はこちらに背中を向けた。


「…………信用したわけじゃ、ないから」

「契約成立だな」


 彼女がどんな選択肢をとるのかは分からないけれども。少なくとも乗りかかった船に見切りをつけるには彼女と関わりすぎたと。

 何かに対して言い訳をしながら言葉を連ねる。


「で、どこまでお前の為に働けばいい?」

「……私がもういいって言うまで」

「それを自分に価値があるからと分かって言ってるなら褒めてやるよ」

「うるさい」


 見た目にそぐわず可愛くない依頼主だ。

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