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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
ショウ・マイ・リグレット
26/84

第四章

 名前は、何と言っただろうか。二年も前の事、捨てた過去の記憶は曖昧で思い出せない。

 そんな相手に、俺は殺された。もちろん、直接刃物で刺されたとかそう言う話ではない。

 精神的に、社会的に居場所がなくなって、悩んだ末に選んだ自由の道だ。だから俺は自殺した。

 そのきっかけ……と言うか、恐らく一番最初で、最も深い原因が彼だ。

 世間一般から見れば風変わりな名前を与えられた俺は、十歳を過ぎた辺りから周りの目が面白がるようなそれに変わった事に気がついた。中でもあの男は俺を格好の的にして……きっと当人にとっては悪意などない、只の戯れのつもりで俺の変わった名前を(あげつら)った。

 その前から発言力のあった彼の言葉は瞬く間に俺の周りを取り囲んで、気付いた時には全方位敵だらけだった。

 一年……いや、半年とかからず俺に対する風当たりは激変して、何か特別な事をしたつもりはないのに事ある毎に槍玉に挙げられた。周りと同じ事をしようとしている事でさえ彼らの目に留まった。

 同化しようとしても、自分を殺そうとしても。何かと理由を付けて矛先が向けられた。

 俺に出来たのは、ただ我慢するだけだった。いじめなんて、一人で解決できない。しようとすればそれ以上にいじめられる。根が深く、思慮が浅いだけの害悪だ。

 担任が変わっても、クラスメイトが変わっても。俺に対する評価だけは変わらなかった。誰も、助けてくれなかった。

 中学生になって別の小学校からの生徒も増えたが、小学校の後半三年間で俺の中に芽生えた周りに対する不審と不信はそこに活路を見出せなかった。

 染み付いたのはただ、誰もが俺を見ていると言う強迫観念だけだった。

 意見を言うのが怖かった。注目されるのが怖かった。自己紹介をしたくなかった。

 当然、友達なんていう物も作れなかった。部活にも入ったが幽霊部員で。廊下ですれ違う度に聞こえる笑い声が、自分に対する物だと勝手に思うようになった。

 やがて、学校に行かなくなった。

 外に俺の居場所はない。あるのは自分の家、自分の部屋だけ。そう思っていた。

 けれどそこにも、俺の居場所はなかった。

 部屋の前で何事かを呟く母親。最初は心配の言葉だったそれは、時を経るにつれて俺に当り散らす罵詈雑言になった。微かな記憶では、パートをしていたらしい彼女の、仕事場での不平不満の肥溜めでもあったように思う。

 そんな日々が……時間の感覚は曖昧だが一年以上続いて。そうしてきっと、今になって考えれば最後の決め手となった母親の自己の保身の言葉が、どこに向かっているかも定かではない階段を横に跳び下りる決断をさせた。


「……それが俺の過去だ」




              *   *   *




「それがオレの過ちだった」


 前に聞いた事のあるミノの過去の話。それとほぼ相違ない……相違ない中に、確かに悔恨の篭った声にかける言葉を見失う。

 彼は言っていた。謝りたいのだと。その後悔に至るまでの、彼の話。


「あいつがいなくなって、それでも時間は流れた。オレには人殺しのレッテルが張られた。オレがあいつにしてきた事を、今度はオレが体感する破目になった」


 同級生をいじめて死に追いやった。その社会的な視線が、彼を苦しめたのだそうだ。


「それまで友達だった奴らとは付き合いをやめて。中途半端に通ってた塾で針の(むしろ)に苛まれて。隣近所には当然知れ渡り、その所為で家族が壊れた。全部……オレの所為でなくなった…………」


 この世界だと、人の生き死には日常な部分がある。人一人では立ち打ち出来ない魔物の息遣いを傍に感じながら身を寄せ合って生活している。いつもと違う事をすればその先に死が待っているかも知れない。

 だから特別親しかったり、誰かに好かれていない限りは死に対して頓着はされない。そしてそれ以上に生きている事を噛み締めて深く関わらないながらも助け合って生きている。

 けれどミノや彼がいた世界ではそうではないらしい。他人であっても人を殺す事が悪とされ、それでも尚数日に一回はそう言った話が耳に入ってくる世界。魔物と人ではない……人と人の争いの結果。

 だからこそ同属殺しとして、殺した方はそれ相応の報いを受けるのだそうだ。


「そうなってようやく気付いた。オレの所為で自殺したあいつは、きっとオレよりも息苦しい場所で、オレよりも長くもがいていたんだって。……でも、全部終わった後で気づいたオレには、もう何も出来なかったから。何かをしてやる為のあいつが、いなかったから。だからせめて…………いや、そんな格好いい話じゃないか。オレはただ、オレに耐えられなくて、生きてる事から逃げ出したんだ」


 彼もまた、自殺だったらしい。住んでいた、まんしょん、と言う建物から跳び下りたのだそうだ。


「そしたら、何の因果か、このコーズミマに転生した。あっちで死んだ人間が稀にやってくる、死後の世界みたいなここで、よく分からない力に目覚めて二度目の命を貰った」


 彼がこちらに来たのは今から半年ほど前らしい。ミノがセレスタインだったのに対し、彼はここベリル連邦の転生に引っかかってやってきたとのことだ。


「死んでも死に切れなかったことに、悔しさにも満たない諦めが湧いて……何をするでもなく城の中で惰性を紡いでた。そしたらある時、転生者が魔剣と契約したって噂を耳にした。そいつは転生した時に自分の名前を言わず逃げ出して、二年程経ってようやく姿を現したらしいって聞いた。追っ手が掛かって、魔剣持ちになったそいつに付けられた名前は────《ナラズ》。名無しのならず者、《ナラズ》」


 《ナラズ》。その響きには聞き覚えがある。


 ────またな、《ナラズ》のミノ・リレッドノー


 あれはやっぱり、ミノに付けられた誡名の事だったらしい。どうして彼……《甦君門(グニレース)》のイヴァンが、国が付けた名前を知っていたのかは分からないが、少なくとも今後はそう呼ばれて追われるだろう事は想像に難くない。


「魔剣の持ち逃げとか、そういうのは別に珍しい話じゃないらしい。けれどそんな事より、その《ナラズ》って通り名……誡名と、名無しってところにもしかしての可能性を探した」

「可能性…………?」

「してもしきれない後悔の中でもしかしたらって気付いたんだよ。……もしオレがあいつの立場なら、死ぬ原因になった名前を引きずらないと思ったんだ。この世界には転生って言うシステムがあって、一緒にするのはあいつに怒られるかも知れないけど、似たような境遇を経験して……。失敗をいつまでも後悔するくらいなら、新しい世界で……誰も自分の事を知らない世界で。あいつならもう一度やり直すんじゃないかってな。……思い返せば居場所がなくなる前のあいつは行動的で、自分で決めて進める奴だったから。少なくとも、オレみたいに周りがないと何も出来ないようなクズじゃなかったから…………」


 自戒し苛むように連ねる言葉。音にする度に痛いと悲鳴をあげるが如く辛そうに歪んでいく表情に口を挟めなくなる。

 けれどもその想像は、きっと間違っていないのだろう。短い時間しか過ごしていないけれど、私もミノの事は凄いと思う。考えて、決めて、行動できる。知らない事を言い訳にしないで、どうにか解決策を模索する。それが多分、ミノの生来の気質なのだろう。

 だからこそ、憧れたのかもしれない。縋ったのかもしれない。可能性があるならば、その先にしか答えがないと……彼は直ぐに行動に移したのだそうだ。


「もしその《ナラズ》があいつなら、オレは会って謝りたかった。どうにか情報を集めて、あいつがベリルに向かってるって聞いたら、探して会う為に、旅に出た。そしたら偶然に助けられたのか、あの場所であいつを見つける事が出来た……」


 彼は、本気だったのだろう。本気で、後悔して。またこうして再会出来た事に感謝をして、心の底から謝りたかったのだろう。

 だからあの時、彼は地面に膝を折って頭を下げたのだ。許してもらえるまで謝り続けて、復讐に斬られる事も(いと)わずに。外でも、宿でも……ミノの前では誠心誠意謝り続けたのだ。


「もちろん分かってる。謝ったくらいじゃどうにもならないって。一度失った物は戻ってこないって。……それでも、例えオレの自己満足だとしても、謝るしかないから。その結果に、あいつの神経を逆撫でして、例えあいつに殺されるのだとしても、それでもいいって……。それであいつの気が治まるのなら、オレは喜んでこの首を差し出す。許されなくても、それでいいから」


 後悔を(そそ)ぐ事も、許される事も、きっと彼にとってはどうでもいいのだ。

 ただ、謝りたい。全てはミノの為に、ミノを追い詰めた自分を知ってもらう為に。その先の選択は、きっとミノに委ねられている。


「千載一遇のチャンスなんだ。オレはどうなってもいい。殺されたって、奴隷として売られたって……何をされてもオレは受け入れる。それだけの事をオレはしたんだ。だから謝りたい……。けど、君達に迷惑を掛けるつもりはない。だから……やっぱりこの話は聞かなかった事にした方がいい」

「え……?」

「あいつの仲間なんだろ? だったら、あいつの味方になってやってくれ。その為に、オレの事でなんて悩む必要はない」

「でもっ……!」


 そんな……こんな話を聞いておいて、無関心でいられるほど私は馬鹿じゃないっ。

 それでもと首を振る彼に、二の句を見失う。


「いいんだ。その気持ちだけでオレには勿体無いほどだ。あいつは……いい仲間に会えたんだな。だから……オレが、その関係を壊すわけにはいかない」


 諦めて、疲れて。今にも泣き出しそうな笑みを浮かべる彼。

 そうして上げた顔に、ようやく私は彼の顔をまともに見た気がした。

 短い金色の髪と、ミノと同じ黒い瞳。彼と同郷だという雰囲気を、言葉にならないところから感じる説得感が、これまで語ってきた言葉に嘘などないのだと教えてくれる。


「……迷惑を掛けて悪かった。次はどうにか、あいつと直接話してみるさ。…………それじゃあな」


 そう言い残して部屋を出ていく彼。その背中に、なんと声を掛けていいのか分からなくて……それでも何かを言いたくて。

 迷いの中で一歩を踏み出せない私の隣から、ユウさんが疑問を零す。


「名前……。あなたの名前は、なんですか?」

「トウジョウショウスケ。もし覚えてくれるなら、ショウでいい」

「ショウさん。わかりました」

「……ありがとう」


 肩越しにまた一つ寂しい笑みを浮かべた彼……ショウさんは、静かに部屋を後にした。

 残された部屋の中で、ユウさんと二人会話に満たない音を交換する。


「……どう、しよっか…………」

「そうですね…………」


 呟きは、答えを見つけないまま溶けていく。




              *   *   *




 夜の風が肌を撫でる。その寒さに、ようやく今自分がいる場所を再認識してゆっくりと立ち上がる。

 愚痴のような吐露をずっと隣で口を挟まずに聴いていたチカは、何を言うでもなく傍をついてきた。

 大通りに出れば鼻先を擽った食べ物の匂い。反射的に腹が唸れば、重なるようにチカもお腹を押さえて、恥ずかしそうに慌てた。


「……ここで待ってろ」


 言い残して目に付いた露店で二人分の串を買う。鹿肉にタレをつけて焼いたジビエのような物と、豚か何かの腸詰め……中身のメインは肉ではなく血らしいそれに脂やニンニクなどを入れて作られたソーセージ……前の世界では確かブラッドソーセージと言われていた気がするそれを持って戻る。


「いただきます……」


 文化や宗教が違う。だから当然、食前にする挨拶もこのコーズミマにはない。けれどその話をした際に、食べ物に感謝すると言う価値観が気に入ったのか、それ以降律儀に挨拶をするようになった。

 思い返して見れば、食事の度に挨拶をしていた記憶はない。特に部屋に篭ってからは、腹が膨れればそれでよかったから、朝昼晩と三食時間は何となく守っていたが、一々口に出して言っていた覚えはない。

 けれど、こちらに来て改めて思った。生きている事、まともで安全な食事が出来る事のなんと素晴らしい事か。食品衛生なんて概念がそれほどないこの世界で、美味しい食事に預かれる事がどれだけ重要で、恵まれていたかを今更ながらに知る。

 こんな事なら、例え口先だけでもいただきますと感謝をしていればよかったかも知れないと思いながら。

 チカに続いて音にしつつ冷えて硬くなる前に咀嚼する。口の中に広がった旨味とタレの甘さ。こんな時でさえ美味しいと感じる舌の上は強欲で、意味もなく生きている事を実感する。

 ……そう、生きている。俺は今この世界で、二度目の生を謳歌している。だと言うのに、あいつは何の因果か同じ場所にやってきて、目の前で頭を下げてきた。

 生き続ける道を選べなかった俺に、その可能性を直視させるようにそこにいたあいつに、言葉にならないほど腹が立った。

 俺はただ、この世界で一人、自分らしく過去を引きずらずに生きていたかったのに。どうして今になって斬り捨てたはずの尻尾の方から俺の目の前にやってくるのだろうか。


「なぁチカ」

「……なに?」

「もうないと思ってた自分の過去に直面したら、どうすればいいと思う? その所為でらしい事を捨てるしかなかったのに、その元凶が目の前に現れて、後悔してるなんて面で頭を下げてきたら、どうしたらいいと思う?」


 八つ当たりのような問いかけに、彼女は黙り込む。チカに当たったところで何かが変わる訳ではないのに。そうしないと自分が壊れてしまいそうなほどに重く渦巻いた胸の内は、答えを求めて体中を掻き毟る。

 やがてどうにか答えを探そうとしてくれる優しい彼女は、こちらを伺うように尋ねてくる。


「……ミノは……どうしたいの? 周りがどうとかじゃなくて、ミノはどうしたいの?」

「俺は…………」


 俺は、どうしたいのだろうか。同じ苦痛を背負わせる? 過去の清算に復讐する? あいつの望む何かを受け入れる?

 どれかが正解な気がするのに、どれも正しいとは思えない。

 …………そう、俺はただ、無関係でいたいのだ。あいつを、認めたくないのだ。そこにいる事が許せないのだ。

 それでもきっと今は変わらなくて。あいつは恐らく俺に何かを求めているのだろう。許すも許さないも俺次第。そうでなければ、俺を追ってこんなところにまで来ないだろうし、再会して早々頭を下げたりする必要もない。本気で、俺に委ねているのだ。その結果を、彼は盲目に受け止めるに違いない。

 ……あぁ、だからか。だから俺は嫌なのか。


「チカ」

「……?」

「美味いか、それ」

「……ちょっと鉄臭い」


 血の塊だからな。酒のつまみにはいいかも知れないが。

 けれどそのお陰だろうか。それともちょっと満たされたからだろうか。悩んでいる事が少しだけ馬鹿らしく思えてきた。

 小さく息を吐いて蟠ったそれを下す。


「他に何か食いたい物あるか? 折角だ、迷惑掛けた礼に付き合うぞ」

「ほんと? だったら、えっと…………」


 他人の事で悩んで何になる。俺は俺としてここで生きると決めたのだ。誰かに左右される生き様なんて真っ平ごめん。俺はただ、するべき事を成すだけだ。その結果にあいつがどんな選択をしようが、俺の知った事か。




 夜になっても絶えない……それどころか騒がしくさえなった気がする人の波を抜けて宿に戻る。隣のチカはそれまでなどなかったかのように上機嫌で、繋がれた手のひらが楽しげに揺れている。ほんと、子供かよ。……まぁそうして表に出さないでいてくれる彼女の優しさには、感謝をしているけれども。

 階段を上がり借りた部屋の前へ。少しだけ気分を整えて扉を開ければ、こちらに向いた視線が二つ。あいつの姿はない。どうやら帰ったらしい。


「おかえり、ミノ……。ご飯は?」

「食ってきた」

「そう…………」


 上機嫌なチカと対象的に沈んだ部屋の中。鼻先を掠めた匂いから察するに食事はユウが作って食べたらしいが、それでも拭えない空気が渦巻いている。どこに繋がっているかわからない導火線が足元に散乱しているようだ。

 まぁそんな事俺には関係ない。気になるならその一線を踏み越える勇気を持って言葉にすればいい。そう告げるように対処を投げてベッドに身を横たえる。


「明日は任務を受けて金を稼ぐ。しっかり働けよ」


 言い残して目を閉じれば、イヴァンやらあの男やら色々あった気がする一日から目を背けるように意識が乖離した。




 少しだけ重い気のする頭をどうにか動かして準備を整え、軽く食事を済ませて宿の一階へ。依頼の貼られた掲示板で内容を吟味し、二つを同時に受ける。

 片方は午前中に終わるだろう《魔堕(デーヴィーグ)》の討伐依頼。魔具があっても命を落としかねない相手である魔物討滅系の依頼はやはりよく残っている。傭兵に《魔堕》相手は命がいくつあっても足りない任務だ。その分報酬はいいのだが……。

 基本的にこう言う仕事……民間が出した魔物関連の任務は国直轄の騎士などが町から町へと渡って定期的に解決するのが通例だとユウが言っていた。その手が伸びる前に発見出来たのは運がよかった。

 そしてもう片方は、午後の終業時刻に合わせての護衛依頼。護衛、と言っても採掘された鉱石や宝石の運搬に付き添い、安全に持ち帰るだけの簡単な仕事だ。

 小耳に挟んだ話だと、正規のルートではない……いわゆる密輸的な事で儲けを得ようとするアングラなやり取りもあるそうだが、そういうのは傭兵宿には来ない。そっちはどっかの裏路地で細々とやっているのだろう。

 傭兵と言うと粗野で現金なイメージを持つ者もいるが、コーズミマの傭兵は太陽の下で明るく照らされ、基本的に企み事を好まない何でも屋。特に魔物に対する依頼が多い、表に認められた市営の一角さえ司る治安維持の集団、と言う認識が強い。

 公的な力を持つ、世界のバランスを保つ国の騎士と、市井(しせい)を守る人の生活に寄り添った傭兵、と言う住み分けが一番納得出来るだろうか。もちろん場合によっては金で普通ではない仕事も受けるが、それは片手で数えるほど。殆どは護衛などの民間的な依頼ばかりだ。アングラなやりとりは更に下の、それこそ傭兵が雇われで対処するようなごろつきの世界の話だ。薬とか一族郎党皆殺しとか……そう言うのは傭兵の受ける手合いではない。

 そんな傭兵の中でも魔剣持ちは絶滅危惧種と言うべき存在で。例えそれが悩みに悩む鈍らと、契約をしていない記憶喪失と、人の身でありながら人ならざる力を宿す少女だったとしても。そこいらの傭兵よりは比べるべくもなく強い集団だと言うのは間違い無いわけで。仕事に関してもその実力を笠に着れば大抵の仕事は問題なく片付いてしまう。

 とは言えそれを大々的に誇示すると追われる身としては面倒事を手繰り寄せ、立派に傭兵業をやってる同業者にも迷惑が掛かってしまう。それを秘したまま、何食わぬ顔で命さえ左右しかねない依頼を受けたのだ。手続きをしてくれた傭兵宿の店主も、半ば諦めている視線だったが何も言わずに送り出してくれていた。頼むから報酬はしっかり払ってくれよ……。

 帰って対価が用意されてなかったらどうしてやろうかと考えつつ、ベリリウムの町を出る前に少し店に寄って必要な物を買い足し、町を出て依頼された区域へと足を踏み入れる。その頃になると色々思うところのあったカレンたちもスイッチが入ったのか、いつもの調子で手を貸してくれるようになった。


「低位ばっかりだね。数は多いけど」

「楽勝だろ? この程度で稼げるんだ。一匹残らず根絶やしにするぞ」

「あ、一匹来たよ」

「任せる。俺はちょっとする事あるからな」

「ん、分かった……!」


 言うが早いか手に剣を作り出したカレンが兎のような小さい《魔堕》が動くのと同時、大地を蹴って疾駆する。きっとあいつを皮切りに他の《魔堕》も続々と押し寄せてくるに違いない。それまでに準備を済ませるとしよう。


「チカ、これの使い方は分かるか?」

「……黒い紙? なにこれ?」

「魔具の一つでな、魔力を流すとこの紙に秘められた魔術が発動する……使い捨ての術式だ」


 魔術の発動には基本的に魔法陣が必要となる。特に規模が大きくなればその準備は顕著で、広範囲を殲滅するような術式にはそれ相応の用意が必須なのだ。

 チカの得意分野は大規模な魔術。カレンや俺のように少し集中して剣を作るようなそれとは大きく異なる、複雑さとそれに比例する威力が持ち味だ。となれば義務と言えるほどに準備は必要で、それを簡単にするのがこの黒い紙だ。

 因みに、火石も含まれるような魔力を流すだけで魔術が使える物は、それに秘められた魔術の規模にもよってそれぞれ異なる値で取引される。逆に何も書かれていないそれは、魔術を書いて売る事で差額分の儲けが出る。この紙もそれが出来るブランクで、費用対効果で言えば空の魔力石に魔力を込めて売る小遣い稼ぎの上位版だ。


「まだ何も書かれてないやつを買ってきた。これに術式を書いておけば、いざと言う時にチカのあの強力な魔術が直ぐに使えるだろ?」

「……うん」

「余ったら売って金にしてもいい。使い方はチカに任せる。……あと魔力石な。旅の中で魔力を十分に溜め込んである。まだ魔力が回復し切ってないだろうから、魔術を使う時はこれを使え」

「ありがと、ミノ」

「ミノさん、カレンさんが戻ってきますよ」

「この数は無理ぃっ!!」


 ユウの声に前を向けば、無双ゲーで敵をトレインしすぎて処理の出来なくなった馬鹿のように、蠢く黒い集団を引き連れたカレンがこちらに向けて走って来ていた。だからどうしてそうお前は面倒事を増やして戻って来るんだよ……。

 トラブルメーカーな契約魔剣に呆れつつ、それから丁度いい機会だとチカに確認する。


「チカ、あれを一掃出来るくらいの魔術作れるか?」

「ちょっと時間があれば……」

「時間は稼いでやる。いいな?」

「うんっ」

「ユウ、防戦いけるな?」

「もちろんですっ」

「なら半分は任せた。カレン、足止めしろっ!」

「あぁぁああ、もうっ! ────せぃっ!」


 全力疾走してきていたカレンが土埃を上げて反転。次いで魔術で百では下らない刃の雨を作り出すと、狙いなど殆ど付けずに敵の塊へと投射する。

 凄まじい音と振動を伴って得た戦果は……四分の一ほどの消滅。上出来だ。

 密度が減って少し余裕の出来た戦場に大きく息を吐いて構えると、カレンの放った雨を抜けてきた《魔堕》を迎撃していく。

 既に確立された魔術を使用しての俺の戦闘法。作り出した剣一本で一殺。コストパフォーマンス的には酷い事この上ない消耗スタイルを、有り余る莫大な魔力で補って次々に作り出す剣で斬り払っていく。消耗品だから投げようが突こうが関係ない。目に入った敵を手当たり次第に潰していく。

 そんな隣で一緒にチカを守るユウは、ここに来る前の時間を費やして作られた出来うる限り最高品質の双剣を逆手に持って、身に染み付いた剣舞のような立ち居振る舞いで近付く有象無象を排除する。

 セレスタイン流の剣術らしいそれはユウの戦闘スタイルに合っているのか見惚れるほどに強く。一対多を得意とするらしい彼女は、敵ばかりの戦場で誰よりも鮮烈に刃に狂う。あれでいてまだ魔瞳の力を使っていない、ただの魔力を宿した剣術だと言うのだから恐ろしい。隻眼で距離も測り辛いのに一体どんな戦闘勘をしているのやら。近接の立ち回りは四人の中で彼女が一番かもしれない。

 それから前方で討ち漏らしに対処をしつつ合流しようとこちらに下がってくるカレンは魔術交じりの戦闘を継続中。契約を介してほぼ無尽蔵に得られる魔力を最大限に活用し、大雑把な彼女らしい当たれば僥倖的な技の数々は、大きな戦なら派手な攻撃として敵の戦意を挫き味方の士気を上げる特別効果が望めそうな物だが、今回はただ四人だけのパーティ。それに恐らく、感情さえも薄く躊躇などしないだろう魔物相手には、数打てば当たるを地でいく物量作戦としてしか機能していない。まぁ数の壁と言う意味ではよく活躍してくれている方か。


「できたっ」

「カレン! ユウ! 退避しろ!」


 考える余裕がある事に楽な仕事だと思いつつ対処をしていれば、やがて背後からチカが声を上げる。思いっきり叫んで自分も敵の集団から距離を置き、全員が離れたのを確認してチカに告げる。


「よしっ、やれ!」

「っせい!」


 ひらりと舞った紙切れ一枚。それに魔力が流れていくのを肌で感じた次の瞬間、琥珀色の炎に焼かれた魔法陣から四角い塊が出現する。それが見る見るうちに大きくなり魔物を内側に取り込んで立派な一軒家大まで肥大化すると、次いで魔物を閉じ込めたままゆっくりと収縮して行く。そしてそのまま手のひら大の立方体にまで小さくなったそれを四人で囲んで見下ろした。


「……どんな術式作ったんだ?」

「中に閉じ込めて、それを小さく押し潰す感じ。多分小さくなる途中で魔物同士がぶつかって潰れてる」

「発想がえげつないな……」

「これ壊していいの?」

「うん」


 可愛い顔してやる事がバイオレンスな術士に軽く恐怖する。何でそんなの思いつくんだよ。闇抱えすぎだろ。閉鎖空間に嫌な思い出でもあんのか。

 この発想力が敵でなくてよかったと安堵すれば、カレンが振り下ろした剣に両断されて箱が消失する。中に溜まっていた魔力が吹き出したが、今すぐに集まって魔物になる気配もない。どうやらこれでカレンが引っ張ってきた奴等は片付いたらしい。


「残党は?」

「……辺りには見当たりません。多分散り散りに逃げたのかと」


 眼帯を開けて目の中に目を描く黄色い瞳で辺りを見渡すユウが答える。彼女の瞳は魔力の流れを見切る。索敵に関して彼女の右に出る者はいない。


「意外とあっさり終わったな。次の依頼は午後からだし一度帰るか」

「おっひるはなーににしようかなっ」


 何故こうもあの鈍らは懐事情を考えないのだろうか。大体誰の所為であんな乱戦になったと思ってやがる……。

 戦闘後だというのに来る時より元気になった気がするカレンに溜め息を吐けば、隣を歩くユウが小さく笑う。そんな彼女を見てふと思い至る。


「ユウの武器もそろそろ買わないとな。いつまでも俺が作ってたんじゃいざと言う時に対処が遅れる。魔物相手に素手は幾らユウと言えどきついだろ?」

「えっと、その……」

「今回ばかりは遠慮も過小評価も無しだ。ユウの実力は俺達の安全の一端だからな。帰ったらまずお前の力が最大限発揮出来る武器を用意する。いいな?」

「……分かりました。だったらやっぱり双剣がいいです。ちょっと乱暴に扱っても壊れないくらい頑丈なやつがあれば、それで」


 どうやら武器の理想はあったらしい。口を開けば思いのほかするりと出て来た具体的な話に今以上の期待が掛かる。

 セレスタイン仕込みの武術と剣術。もし機会があれば教えてもらうのもいいかも知れない。技を知れば力になって、対処法も分かるからな。


「なら魔具を扱ってる店でも覗いてみるか。町の中を歩き回った時に一軒見つけたからな。いい巡り合わせを願ってろ」

「はい」

「ってな訳で昼は質素に腹を膨らませるぞ」

「えぇーっ?」

「てめぇはそろそろ節制っつう物を覚えろ」


 煩く唸って文句を垂れる魔剣の声を右から左に受け流しつつ。どうやら戦って悩み事はどこかへ吹っ飛んだらしい二人にそのままでいてくれと心の内で願いながら、どうでもいい雑談で時間を埋めつつベリリウムに戻って依頼を一つ報告する。

 完遂証明に、《魔堕》が持っていた幾つかのがらくたを提示すれば、その中に別の依頼の探し物でもあったのか報酬を上乗せして貰えた。

 思わぬ幸運に少し嬉しく思いつつ、儲かったならと煩いカレンの口に仕方なく彼女のおねだりを突っ込んで腹ごしらえを済ませれば、その足取りで裏路地に見つけた武具店を覗く。

 目抜き通りで店を構えていないのは、どうやらここが親の代から受け継いだ物らしく、表には流れない少し変わった武器を取り扱っているからだそうだ。別にアングラな商売をしている訳ではないらしい。人目につく露店は誰でも扱える量産品を手軽に売る為の物。対してこちらは一点物を取り扱う専門店、と言う区分なのだと、顔の割りにはお喋りで陽気な店主の男が説明してくれた。

 が、続けてこちらを伺うように普通の剣はさっき大口の買い付けがあったらしく店の奥の在庫まで全て空だと教えてくれた。随分剛毅な買い物をする客もいるもんだな。剣で小屋でも作るつもりかよ。……まぁ大方大きな争いの準備にでも充てられたのだろうが。

 そんなディスプレイの寂しい店内を一通り見て回ったところ、ユウの興味を引く品が一つだけ見つかった。


「これ、魔具ですね」

「お、それに目を付けるとは流石だねぇ、お譲ちゃんっ。そうさ、丁度今日入ったばっかりの品でな、何でも中位の《魔堕》の中で時間掛けて育ったらしく、魔剣にも劣らないほどさ!」


 手に取ったのはユウが話していた通り双剣。刃はマチェーテのように肉厚な片刃で、少し重そうだが取りまわしには問題ない。加えて不思議なのは柄の部分。通常の剣の柄とは違い、その形はナックルダスターのような金属になっている。


「穴に指を通して握り、至近距離ではその護拳で殴りつける事も可能な代物さ。切ったり突いたりするよりも殴ったり叩いたりする事を目的とした剣ってところだなっ」


 レイピアについているような手を守るそれとも違う。まさに拳鍔とでも言うべき、殴る為の柄だ。ナックルダスターからマチェーテの刃が生えた、物理特化型の剣。そして駄目押しの魔具要素。


「魔具としての能力は破砕。殴ったり切ったりした衝撃を増幅させる、シンプルかつ強力な力だ。物を殴り壊すも良し、切って殴っての近接戦闘に良しの戦闘馬鹿にお似合いの一品さっ! 柄まで全部金属製な分、ちょいとばかし重いがな。重さも力に変えられれば良い相棒になってくれるだろうよ!」

「……これくらいなら、どうにか。少し無骨ですけど、いいですね」

「魔具としては最高の部類だねっ」


 カレンのお墨付きも加わって間違い無い品だと知る。何より、ユウの目が言葉以上に物語っている。


「気に入ったか?」

「欲しい、です。……でも高いんじゃ…………」

「値段は?」

「銀二百……と言いたいが、件の大口の買い付けで少し儲かったからな。お譲ちゃんも可愛いし…………銀百七十でどうだい?」


 銀貨なら百もあれば小さなあばら家も買える金額だが、それに見合うだけの価値があるのは確かだろう。

 が、持ち合わせが少し足りない……。交渉といこうか。


「宣伝料は欲しくないか? こいつが振り回せば一人で中位を相手にして釣りが来るぞ?」

「その《魔堕》からの落とし物をこっちに回してくれるってんなら考えない事もないんだがな。あんたさんら、旅人だろ? それとも他に何か材料があるかね?」

「……魔術のスクロールはどうだ? その気になれば範囲殲滅用途の物まで見繕える(つて)があるぞ?」

「ここは生粋の武具屋だ。慣れた土地以外に手を出して痛い目見たくないんでな」


 ……駄目か。これ以上は売ってくれなくなる可能性もある。仕方ないか。


「……いや、分かった。だが少し持ち合わせが足りなくてな。そこでだ。半額先に払う。で、この後もう一つ仕事が入ってるんだが、それが終わり次第もう半額を持って戻ってこよう。どうだ?」

「どうやってそれを信じろと?」

「契約書を……それこそスクロールで書いてもいい。俺達は旅人だが、傭兵でもある。交わした契約は余程の事がない限り反故にはしないのが矜持(きょうじ)だ」


 魔術的な効果の込められた契約書には、違えると大きなしっぺ返しを食らう物も存在する。だからこそ、普通の書面で信用ならない場合は、魔術的な報復等が望めるスクロールを用いて契約を交わす事がある。特に、国と魔剣持ちの契約が有名だ。国家間の戦力バランスや裏切りを考慮した策と言う事だ。


「……そこまでの覚悟が聞けただけで十分だ。普通の書面でいい」

「商談成立だな」


 少しだけ楽しかった礼にと手を差し出せば、驚いた様子の店主はそれから歯を見せて笑みを浮かべ、大きな手のひらで握り返してくれた。

 それから契約書を書き、半額の銀貨八十五枚を渡して店を後にする。隣から目当ての相棒が手に入って嬉しそうなユウが、少し戸惑いつつこちらを見上げてくる。


「わたしの我が儘で、ごめんなさい」

「いや。別にいいさ。カレンがこれまでの出費を抑えてれば全額あの場で支払えたんだからな。ユウの所為じゃない」

「終わった事は考えても仕方ないよっ。話も纏まったんだし張り切って任務を終わらせようっ!」


 魔具の力を確かめたいのも確かだ。カレンの言い分に乗っかるのは不服だが、手早く仕事を終えてゆっくりと休憩するとしよう。




 もう一つの依頼は護衛任務。採掘によって出た鉱石等の運搬を狙っての山賊や野盗から商品を守る仕事だ。

 終業時間に合わせて依頼内容に書かれていた場所へと向かうと、既に運搬の準備を終えた工夫達が待っていた。


「依頼を受けてきた傭兵だ」

「ん、じゃあよろしく頼むっ」


 紙切れを一枚見せて確認を取ると、挨拶もそこそこに仕事が始まる。

 馬車に積んだ大量の鉱石や宝石。傾いた日の光を受けて輝くその原石に、魔の眷属でありながらも興味の尽きないらしい女共が群がる。虫か。仕事しろ。

 報酬を渋られては構わないと引き戻そうとしたが、カレン達が女だと分かると蝶よ花よと愛でるが如く男共が取り囲んで話題に引っ張りこまれた。

 女の傭兵は殆どいない。だからこそ男臭い仕事の清涼剤とばかりに楽しげな声が帰路に響き渡る。


「……言っちゃあ悪いが、あんなので大丈夫なのか? 近頃よく出てるってんで心配なんだが…………」


 御者を任されている男が少し恨めしそうに尋ねてくる。同じ立場なら俺も似たような事は思うだろうな。それくらいには不真面目に見えるという話だ。

 まぁ見た目が女子供にしか見えない連中だ。その疑念は(もっと)もだろう。


「問題はない。見てくれはあれだが実力は折り紙付きだ。気になるなら不意討ちでもして見ればいい。俺が許す」


 したところで、瞬きする間にグラデーションのかかる空の色を拝む事にはなるだろうがな。

 挑発的な言葉に、けれど納得はしたのか「やめとくよ」と小さく呟いた彼は再び前方へと視線を向ける。と、次いで声無き声が頭の中に響く。


『ミノ。前の岩陰、左に三人、右に二人。それから隠れてるつもりなんだろうけど後ろから一人』

『ユウは?』

『……何も感じないって』


 魔物の気配はなく、魔具を持っている様子もないか。どうやら言葉通りに人の敵らしい。

 カレンと出会ってから特別な奴らとばかり戦ってきたからか、少しだけ拍子抜けする。が、仕事を放棄するわけにはいかないか。


「馬車を止めろ。お客さんの到着だ」

「何も見えないが……」

「そう言う魔具があるんだよ。ユウっ」


 どうでもいい嘘で飾って名前を呼べば、後ろを警戒していたらしい彼女が傍にやってくる。


「前に五人。一人でやれるか?」

「ミノさんは?」

「下手に魔術を使うと面倒だからな。一応チカから魔術を書いた紙は預かってるけどな。あんな奴らに使うほどじゃない」

「……分かりました」

「殺すなよ?」

「しませんよ。ご飯が食べられなくなるじゃないですか」


 馬車の前に立って形だけでもと腰から剣を抜く。ここに来る前に別の武具屋で買っておいたオーソドックスなショートソードだ。あの店には量産品は無かったからな。

 抜いてじっと見据えれば、後ろをカレンが引き受け。いざと言う時……は、まぁありえないだろうが、念のためチカが馬車の傍に控えて警戒する。

 少しの睨み合い。こちらが気付いている事には向こうも気付いているようだが、どうやら跳び出してくる気配はない。飽くまで奇襲の構えらしい。

 ならば丁度いい。ユウ、やってやれ。

 そう胸の内で考えるのと同時、一足飛びに駆けた隻眼が両腰から双剣を逆手持ちで抜き放つ。次の瞬間、敵の隠れる岩に向けて踏み込み、綺麗な動作で拳での一撃を放った。

 剣の柄……ナックルダスターになったその部分で殴りつけた音が鈍く響く。刹那、魔具の力で増幅された衝撃が人の三倍はあろうかと言う巨岩を、中にダイナマイトでも仕込んでいたかのように一瞬で瓦礫に変貌させた。

 煩いほどの轟音を立てて崩れ落ちる瓦礫の山。慌てて跳び出してきた男達が統率を乱した様子を、アリの巣観察キットのように他人事に眺める。

 土煙舞う景色の中を、素早い身のこなしで縫うように走ったユウ。策の裏を返された彼らは咄嗟に応戦したが、セレスタイン仕込みの確かな実力が、多数を相手に鮮烈に踊り狂う。

 握る敵の武器を鉄くずに変え、切り結んでは手品のように跳ね上げたり取り落としたりさせる。武器を失った者には容赦ない追い討ちで意識を刈り取る峰や拳での一撃を。

 まるで最初からその手の一部だったように振るわれる尖刃は、瞬く間に数の不利を蹂躙と言う名の結果に挿げ替え、後に小さな少女らしい吐息だけを残した。

 まだ少し物足りないと言う風に……はたまた実感を噛み締めるように新たなる相棒をくるりと弄んだユウは、ただその実力のみで戦いの終わりを告げるように双剣を腰に納めた。

 剣術として確かな型のある彼女の戦い方は、見ているだけで圧巻の景色を描き出す。呼吸を整え辺りを見渡すその姿は、語り継がれる一節のように様になる。


「お疲れ。相変わらず一対多においては無類の強さだな」

「ありがとうございます。今まで意味の見出せなかった力ですけど、こういう戦い方があるんだって思うと何だか嬉しいです……」


 小さな手を見つめるユウ。そこに一体どれだけの記憶を抱え込んでいるのか、なんて無粋な話だ。今彼女は自分で選んで正しいと思う道を進んでいる。

 こんな世界に絶対の正しさはない。あるのはただ、自分が信じられるかどうかだ。


『こっちも終わったよー』


 カレンからの契言に振り返れば、状況判断が出来なかったか一人で突っ込んできたらしい男を彼女が組み敷いていた。どうやら剣を作り出すほどでもなかったらしい。

 全てはユウの一撃で決していたか。冷静さを掻いて撤退が出来ないのは……だから野盗なんて生き様に身を(やつ)しているのだろうと小さく哀れみながら。工夫達の力も借りて縄で縛り上げ、拘束して一緒に連れていく。

 このまま野放しにしても同じ事が繰り返されるだけだ。きっちり突き出して、後の面倒は専門家に任せるとしよう。

 この人数の野党を拘束していれば更に襲ってくる奴らもいないだろうとは思うが。一応形だけ保って御者台の近くを歩く。と、心の底から感服したように手綱を握る男が口を開いた。


「……いやぁ、疑って悪かった。お譲ちゃんも強いんだな」

「生憎と旅人の身だ。ベリリウムに居を構えて稼いでるわけじゃない。専属護衛契約ならお断りだぞ」

「惜しいなぁ…………」


 彼からして見れば本心なのだろうが、これもまた気遣いだ。こちらの追われる面倒に他人を巻き込むほど俺だって馬鹿じゃない。守る対象が増えるのもごめんだ。


「そうだっ、ベリリウムに居る間だけで構わない。こっちから指名してもいいか?」

「……あぁ、まぁその程度ならこっちも安心して仕事が出来るしな。こんな簡単な依頼で稼げるなら願ってない話だ」

「それじゃあよろしく頼むっ」


 差し出された手を取れば、分厚い皮の手のひらがそこにあった。

 ベリリウムに……ベリル連邦にとって鉱石や宝石の採掘は国を支える一端。だからこそ確かな輸送経路の確保は国の財にも繋がる重要案件だ。それは、この依頼の報酬が他の依頼と違い国から出ている事を考えても明らかだろう。

 定期的に間違いなく稼ぐならこの仕事ほどに安定した物はないが、まぁ仕方ない。次の旅支度までのしばらくの間、稼げるだけ稼がせてもらうとしよう。




 ベリリウムの町に戻り、衛兵に賊を引き渡して追加報酬を貰ってから約束通り(くだん)の武具店へ。約束を違える事無く残りの半額を払い終えて後腐れをなくすと、宿に戻る。直ぐにユウが上機嫌に食事を用意してくれて、四人で腰を落ち着けて夕食を食べた。

 時間に余裕を見つけて宿の裏で風呂で汚れを落とし部屋に戻ると、寝る前に地図を広げて今後の事を話し合う。


「とりあえず目的地だ。それから必要なだけ準備をして、ここを発つ。いつまでも一所に留まってると騒動が起き易いし、事によってはセレスタインに加えてベリルからも追われるからな。問題を起こしていない今のうちにさっさと動くぞ」

「でもどこに向かうの? 戻るわけにはいかないから、このままこっちの国?」

「アルマンディン王国か……」


 広げた地図を覗き込んでカレンが零す。順当に考えればセレスタインから遠ざかるのはそっち方面の懸念が減って嬉しい話だ。しかし世界情勢はきっとそんなに甘くない。


「ユウ、アルマンディンについて何か知ってるか?」

「……わたしもあまり詳しくはないですが、近々王選が行われると言う噂を聞いた覚えがあります」

「王選?」 

「国王が代わるって事か?」

「はい。あの国の今の国王は随分な高齢で、様々な功績を残してきました。だからこそ、まだ存命なうちにしっかりと引継ぎをした上で次代にその椅子を渡すのだと思います」


 生きているうちに国の頭が代わるとは。どうやらアルマンディンはそれほど切迫した状況下にはないらしい。ひっそり過ごすには丁度いいかも知れない。

 が、懸念はまだある。


「セレスタインとの関係は?」

「友好的ですよ。と言うか、アルマンディンは特別どこかの国と仲が悪いと言う話は聞きませんね。このコーズミマで、最も平穏な国、なんて言われるくらいですから」

「そうか…………」

「ミノ? どうしたの? だってこれだけ評判がいい国なんだよ? アルマンディンで決定じゃないの?」


 相変わらず能天気な鈍らだ。今俺達がどんな状況か、懇々(こんこん)と眠れなくなるまで叩き込んでやった方がいいだろうか。

 カレンの声に溜息を吐いて、仕方なく説明しようと口を開く。と、それよりも先に答えたのは話を黙って追っていたチカだった。


「……セレスタインと仲がいい、って事は、セレスタインと協力できるってことだよね? だからセレスタインと繋がりのあるアルマンディンは、もしかしたらあたしたちを捕まえようとしてくるかもしれない……って、ごめんなさいっ、いきなり口を挟んで……!」


 考えながらチカが音にしたのは俺が危惧する情勢そのものだ。こう言う頭の回転が速いところは記憶を失う前の彼女と同じで少し安心する。


「いや、そこの刃が潰れてる棒切れよりは余程冷静でいい事だ」

「なにおぅっ!」

「ベリルに来てセレスタインからの追っ手は鳴りを潜めてる。それはここがセレスタインにとって動き辛い土地だからだ。きっとあまり国同士の仲がよくないんだろう」

「そうですね。目立った衝突こそありませんが、ベリルとセレスタインは笑顔で手を取れるほどではなかったと思います」


 ユウの補足で確信する。国境が接している……それもまだ資源が沢山眠っているだろうルチル山脈を挟んでいる二国だ。向こうの世界でもそうだったが、国境線沿いでの資源争いは政治的な歪みを生み出す。そうでなくとも魔物が出て不安定なのだ。中々簡単には決着しない問題なのだろう。

 第二次世界大戦の事を考えても、直接ぶつかるほどに近くなかったヨーロッパの国とは同盟を結んでいたのが当時の日本だ。それらの情報を合わせて考えれば、ベリルと仲が悪く、アルマンディンと仲がいいと言うのは道理に適った話だろう。


「だからセレスタインと仲がいいアルマンディンは、国としては過ごし易くとも俺達にとっては懸念が残る場所って事だ。それに王選で国が揺れないとも限らない。これから変化がある国に、安全を求めて旅行感覚での移動は却下だ」


 情報を知識で彩って。冷静にコーズミマ全体を見渡して己の小ささを再認識しながら可能性を探る。


「じゃあ次の目的地はアルマンディンじゃなくてユークレースってこと?」

「あぁ、今一番の候補だな。あの国は魔剣や魔具に対して優しい国なんだろう?」

「そうですね、比較的は。もしかするとわたしたちにも居場所が見つかるかもしれません。あの放浪の魔剣持ち女傭兵、《裂必(レッピツ)》のメローラも元はユークレースの出身ですし、彼女がどこの国にも属さないのは国では無く神に仕える誓いを立てているからなんです」


 続いたユウの言葉に、初耳な情報が混じる。だから《裂必》は野良の魔剣持ちなんて特別な肩書きを持っているのか。


「神……宗教か。この世界ではそれなりに世界を支えてる要素だったな」

「ユークレースが司教国の肩書きを持つのは国そのものが神様への捧げ物とされているからです。愛の神様の教えを掲げるその考え方は、人の生活の直ぐ傍に潜む魔物に対する精神的に大きな拠り所です。だから魔物の王、《波旬皇(マクスウェル)》より離反し、人に力を貸して襲い来る《魔堕》を退ける《天魔(レグナ)》に神聖な意味を持たせて確かな地位を与える事で、愛の神様や、《天魔》とそれに連なる魔剣や魔剣持ちを神聖視して世界的に肯定する(いしずえ)にしているんです」


 魔剣が魔を宿す力でありながら人の味方として称えられているのはそういう背景があるかららしい。しかしながら、宗教の方便とは世界が違っても随分なものだ。


「神様の権威を借りた、天の名前を与えられた悪魔の正当化……。感覚としては神仏習合に近いな」

「シンブツシュウゴウ……?」


 チカの鸚鵡返しに気付く。

 そうか。神道的な物はあっても仏教がないから仏の概念はないのか。


「……俺の元いた世界の概念だ。あっちの世界では宗教が沢山あってな、それぞれの教えが原因で争いだって起きてた。けど宗教自体は別に悪くはない。心の拠り所として崇拝は立派な意味を持つし、敬虔な信徒はとても規則正しい生活や道徳的な考え方をして、聖人、なんて呼ばれたりもする人の理想形の一つでもあったしな」


 宗教論を語ると色々面倒くさいから難しいところは省くけれども。無神論者だった俺にしてみれば、あっちの世界で生きていた頃は神様や仏様なんて都合のいい時の方便にしか過ぎなかった。

 が、こっちに来てから宗教と言うのも意外と捨てた物でもないとも考える事もあった。もちろん、身を滅ぼすような妄信をするつもりはないが、縋る相手が見当たらないからこそ、最終的に神様に頼ってしまうのだ。それくらいには、この世界は平穏とは程遠い。


「そんな宗教が俺の国に昔流れてきた時に、元々あった土地由来のそれと舶来(はくらい)のそれが混ざり合って少し煩雑な考え方が出来たんだよ。それが神仏習合……簡単に言うと天の上の手の届かない存在である神様と、それを目指して悟りを開き尊い教えを広めた仏様を合わせて、どちらも比べられないほどに立派なものだと考え受け入れる、中々にいい加減な人生の指針の一つだ」


 漢字からひらがなやカタカナを作ったり。他国の宗教を受け入れて上手く混ぜ合わせたり。昔の人は中々にクレイジーで、そんな清濁合わせ呑んだ上に更なる高みを目指そうとする心意気こそが日本人の本質な気がする、と少し考えたりもしながら。


「誤解を恐れずに言えば良い所取りってことだな。こっちの世界の神様や魔剣の扱いもそんな感じだろう?」

「……凄く俗物的な考えですけれど、間違ってない気がするからなんだか嫌です…………」


 特に宗教なんて文化侵略の立派な武器だ。向こうの世界の知識をこっちに持って来過ぎるとアウトブレイクやハザードを起こしかねない。宗教の話はここまでにしておくとしよう。


「ま、深くは考えるな。似たような話を俺が聞いた事があるってだけだ。……で、そんな宗教に裏打ちされた居場所が、ユークレースなら得られるかもしれないって事だろ?」

「あ、はい。《裂必》のメローラのように世界に認められるって言うのは少し難しいかもしれませんけれど、ユークレースの庇護下で中立的な立場を作るくらいの事はできるかもしれません」


 願ってもない話だ。国に追われるのが終わるだけでなく、《甦君門》に対抗する協力者も見つかるかも知れない。

 特に《甦君門》は《波旬皇》の復活を目論む組織だ。前に聞いたユークレースの建国の話を総合して考えても、かの司教国は人と《天魔》の共存に好意的だ。その関係を脅かそうとする《甦君門》とは正反対の立場。《甦君門》を手土産にすれば、居場所に限らず、国を味方に付ける事だってできるかも知れない。


「……最後に確認だが、セレスタインとの関係はどんな感じだ?」

「良くもなく悪くもない、至って普通ですね。ともすれば魔物崇拝と紙一重ですから、セレスタインに限らず怪訝な表情をする人も居ますよ。魔に憑かれた国だとか、魔剣の権益を独占する火薬庫とか……。でも魔剣持ちには親身になってくれるはずです」


 魔剣持ちとして後ろ盾を貰い、騒動が起これば味方になってくれる。そう考えれば最も理想とするべき未来だ。


「よし、なら決まりだな。目的地はここから北上したユークレースだ。魔剣が大きな割合を占めてる国なら、その情報の中にチカの記憶喪失を戻す手掛かりもあるかもしれないしな」


 傍らに考えていた目的の一つを口にして彼女に視線を向ければ、チカは少し不安そうな表情をしていた。まぁ彼女にとっては今がチカとしての全てだ。忘れた昔の自分に対して思うところがあるのは仕方ない。

 けれどこちらからすれば、やはり元の彼女の知識は捨て難い。もし記憶を取り戻せるのならば、《甦君門》に対しての有効な手段を講じる手掛かりにもなるのだ。

 あの性格は、思い返すだけで少し面倒だが、背に腹は代えられない。

 もちろん、いざと言う時はしっかりとチカと相談してから決める話だ。抱える思いを無視して押し付けるつもりはない。


「大丈夫だ。お前が嫌なら強制はしない」

「……ありがと、ミノ」


 ……柄にもない事を言い過ぎたか。どうにも俺はチカ相手には甘くなってしまいがちだ。別に、それが悪いとは思わないが、その時になって決断を鈍らせないようにしておかなくては。


「にしてもユークレースかぁ、どんなところかなぁ……」

「これからの時期だと雪が降りますから、そっちの対策はしっかりしておかないとですね」

「そうか、もう冬か…………」


 カレンと出会ったのが秋の半ば。それから様々な事があって目まぐるしい日々だったが、それでもまだ季節が一つも過ぎていないと言うのは中々に鮮烈だ。

 日本にいた頃は……それこそ引きこもるようになってからは時間の感覚も曖昧で。季節の巡りになんて頓着していなかった。

 が、こちらに来て旅人を始めて。空の機嫌に左右されて体調を崩しかねない懸念はいつだって付き纏い、だからこそ宿での温かい休息がこれ以上なく至福に思えたのだ。このコーズミマの冬がどの程度の寒さなのかはまだよく分からないが、しっかりと準備をして北を目指すとしよう。


「なら次は資金繰りだな。雪が降って足止めされても困る。出来るだけ早く準備を終えてここを発つぞ」

「…………ねぇ、ミノ……」

「なんだ?」


 定まった目的に次の一歩を実感するのと同時、カレンがこちらの顔色を窺うように口を開く。


「あの人は…………ショウさんのことは、どうするの?」

「……………………知るか」


 ショウ。聞き覚えは、ここに来る前の記憶か。そんな名前を、あの暗く閉ざされた世界のどこかで聞いた覚えがある。

 それと合わせて考えても、あの男のことなのだろう。

 要らん思考を働かせやがって。あいつがどうなろうが俺の知った事か。


「……明日も依頼だ。早く寝ろ」

「……………………」


 地図を片付け火を消し、まだ何か言いたげなカレンを無視して簡素なベッドに横になる。ユウやチカからも物言わぬ視線を向けられたが全て気付かない振りをして目を閉じた。

 その日は、中々に寝苦しい夜になった。




              *   *   *




「あんたがイヴァンか?」

「はて、一体どこで恨みなんて買ったかな。喧嘩ならまた今度にしてくれないか?」

「話があってきた」


 ベリル連邦の首都、夜のベリリウム。その大通りより数本外れた住宅街の中の路地で、フードを目深に被った男と対峙する。陰の奥には、闇夜でも宝石のように輝く翡翠の双眸がこちらを見つめていた。

 今日一日掛けて使える手は全部使い調べ上げた結果。あいつに……ミノに関係する部分でイヴァンと言う男に行き当たった。受け取った情報の中によくないにおいも感じて、城の中ではいつも世話をしてくれていたメイドに無理を言って居場所を突き止めてもらいこうして彼を捕まえたのだ。


「話?」

「《不名(ナラズ)》のミノ・リレッドノー。あいつのことだ」

「ふむ……見覚えのない顔だが、あいつの仲間か?」

「……いや。だが、お前の敵かも知れない」

「おぉ、そりゃあ怖いなぁ」


 軽薄な言動に少しだけ身構える。集めた情報では、どうやらこのイヴァンと言う男はミノの事を狙っているらしい。もしそれがあいつの不利益になる事なら……オレは償いとして彼の力になりたいのだ。


「それで、具体的に話って言うのは?」

「ミノに何の用だ。場合によってはここで取り押さえるぞ」


 近くには手の空いていた者を控えさせてある。いざ戦闘になったときは力を借りて制圧する事も視野に入っている。


「何の用、か。さて、どこから何を話したものかな……」

「話せないなら質問を変えようか。……お前は、ミノの敵か?」

「ふむ……。私としてはどちらでも構わないが、どうやら向こうは余りいいようには捉えて貰えてないようだったな」

「敵対する意志はないってことか?」

「それは彼の判断によるものだ。私が決めることではない。そう言う話もしたんだが、さて、信じてもらえるかどうか」


 飄々とした物言いに彼と言う実像を捉えかねる。この違和感は何だ……余裕か? 一体何が目的なのだろうか。


「なら…………」

「おっと。一方的にって言うのはいただけない話だ。それ以上は、交渉といこうじゃないか」

「交渉だと……?」


 どうにも一筋縄ではいかない。既に警戒以上の危険視でいつでも斬りかかる準備は出来ている。武器は見せていないし、うまく行けば不意を突けるだろうか。

 考えていると少し悩んだ後に彼が告げる。


「そうだなぁ…………ふむ。まぁいいか。……今私には大切な目的がある。それに協力してくれるなら君の話も聞こうじゃないか」

「目的?」

「あぁ。話は簡単だ。君にはちょっとした実験台になってもらいたい」


 実験台。これまた随分と物騒な単語が跳び出して忌避感を抱く。


「……何の実験だ?」

「聞こえが悪かったか? だったら協力関係と訂正しよう。《魔堕》や《天魔》……魔物に関する話だ。この研究がうまくいけば、この世界に平穏が訪れるかもしれない」

「平穏だと?」


 胡散臭い話だ。が、だからこそ見過ごす事は出来ない。

 彼に……ミノに思うところが沢山ある身だが、そもそもオレはこのベリルに転生した存在だ。一応国との約束として、現状を脅かす存在を討ち払う事を条件に便利な武器も渡されている。

 その事を考えれば、少なくとも目の前の相手は不気味で。直感が告げる答えは、無視出来ないという事実だけだ。


「まぁ平穏なんて個人の主観で変化するものだからそんなに一貫性のある事でもないがな。少なくとも世界の大多数にとっては望むべき結論だろうと言うのが私の出した結論だ。その為に、色々と準備をしている最中だ」

「……具体的には?」

「それは君の協力が取り付けられてから話すとしよう。どうやらまだ疑われているみたいだからな」


 こんな荒唐無稽な話、信じられるわけはないだろう。まだ妄言を垂れ流す狂人だと言った方が信じられる話だ。

 ……だが、彼の言葉には彼が信じて疑わない何かがあるようにも聞こえる。それを決意と言うのであれば、随分と妄信的な事だと切り捨てられるのだが。それで流せない違和感があるのだ。

 一体何を根拠にそこまで自分を……理想を信じられるのか……。それが知りたければ差し出した手を取れと言っている男を値踏みするように見つめる。


「……一ついいか?」

「内容によるところだ。信じてもらえる根拠に繋がると判断すれば答えよう」

「それは、ミノも関わっている話か?」

「…………あぁ、そうだ」

「っ……!」


 今のは分かった。こいつは、ミノを利用するつもりだ。その為にあいつに近付いた。

 もちろん嘘の可能性もあるし、危険なのも分かっている。けれどきっと──オレの中で最初から答えは決まっていたのだろう。


「…………分かった。協力しよう」

「君が聡明で何よりだ」

「その代わり条件がある」

「ほう、言ってみろ」

「オレが協力する限り、ミノには一切手を出すな。それが約束できないなら──今ここでお前を取り抑える」


 まだ信用している訳ではないと。そう言外に告げてじっと睨めば、やがてイヴァンは肩を竦めて小さく笑った。


「……あぁ、いいだろう。口約束にはなるが、君が手を貸してくれるなら一旦彼からは手を引こう」

「なら教えろ、お前の目的は何だ?」


 危険を承知で一歩踏み込む。すると彼は、オレの目の前に何かを差し出してきた。それは……剣。


「君にはこれを使って貰う。そしてその結果を報告してもらおう。臨床実験のようなものだと思ってもらえればいい」

「これは…………?」

「名前はない。が、そうだな…………強いて言うならば────人工魔剣だ」


 魔剣。その響きに、躊躇いが生まれる。

 別に魔剣に対して特別な感情がある訳ではない。ただ、これを振るえば……いろいろな意味でミノの近くにいける。


「あぁそうだ。そう言えばまだ君の名前を聞いていなかったな。君だけが知っているのは協力関係として不公平だろう?」

「…………ショウだ」

「ではショウ。受け取ってくれ」


 差し出された剣を見つめ……それから覚悟を決めると手に取る。柄を握りゆっくりと引き抜けば、それは剣の刀身に禍々しい文様が刻まれた、儀式用の祭具のようだった。


「どうやって使えばいい?」

「それは普通の魔剣のように契約をしなくてもいいようにしてある。魔具を使う感覚で魔力を流せば、込められた魔剣相当の力が発揮されるはずだ」

「魔具か」


 呟きと共に、この身に宿る力の事を思い出す。

 転生者は特別な力を持つのだと言う。ミノもきっと持っているのだろうそれと同じく、あの世界よりここにやってきたオレにもその力は備わっている。

 オレが手にしたのは《諸悟(ショゴ)》と呼ばれる力だ。魔剣との契約はしていないが、誡名のような二つ名を国から貰っている。

 能力は単純に、魔に纏わる力を手にしただけで知り、その最大限までを行使出来ると言うものだ。簡単に言えば魔の力を秘めているかどうかを暴く《魔鑑者(ラジアープ)》の上位互換と言ったところだろう。

 そんな力を最大限に使うため、オレには指輪が与えられた。今指に嵌めているそれは、中に複数の魔具が秘めてある特別な魔具で、魔力を流すと内包した魔具の中からランダムで一つ手元に出現するというものだ。前にミノの馬車を《魔堕》の大群から守った際に振るった雷の槍。あれもその一つだ。

 手にするだけでどんな力か分かる能力と、出すまで分からないロシアンルーレットのような武器の宝庫。出て来た瞬間にどんな能力か判明し使いこなせるという組み合わせは道理に合っていて、この指輪がベリルに保管されていた偶然に感謝した。

 そんな便利な力を使って、警戒すると共にその魔剣紛いの能力を探る。


「なんだこれ……魔力を意図的に暴走崩壊させる術式……? ぐぁっ……!?」


 と、次の瞬間感じたのは強い脈動。それはまるで握った剣から無数の蛇が逆流して腕の中を食い荒らして這い上がってくるような感覚。瞬く間にそれが腕から肩へ、肩から首へ顔へ胸へと体中に侵食して行くのを感じる。

 咄嗟に手を離そうと思ったが、数瞬遅く。気付けば指先から黒く染まり始めた自らの腕が、既に脳からの信号の届かない別の何かに変わっていた。


「がぁああっ!? っ! イヴァン、お前……!」

「ふむ、前に実験した時はこうはならなかったんだがな……。…………あぁ、そうか。君は転生者か。それで想定外の暴走が起きて逆流をしてるんだな。なるほど、よく分かった」

「なに、を……!」


 こちらの声が届いていないのか、珍しい物を見るようにこちらを注視するイヴァンが、それからフード越しにこちらを見つめて告げる。


「あぁ、悪かった。こうなるとは思わなかったんだ。許してくれ。……けれど君のお陰でまた一つ研究が進んだ。ありがとうとも言わせてくれ」

「……貴様っ……!」

「君の体は今その剣に込められた魔術の逆流で侵食されている。恐らくだが……(じき)に汚染されて魔物になってしまうだろう。……惜しい事をした、知っていればもっと別の協力方法もあったのにな」


 視界が黒く染まっていく。思考が何かに塗り潰されていく。

 駄目だ。まだ、何も出来ていないのに。ミノに償えていないのに。こんなところで……!


「だが……そう、な。方法が……訳で……ない。まだ聞こえ……なら落ち……て聞……くれ」


 音が遠くなる。意識が霞む。体の自由が別の何かに入れ替わる。

 その最後に、目の前でこちらを見つめるイヴァンが何事かを呟く。


「…………を頼れ。彼女なら…………かもしれない……」


 刹那に、全てを見失う。


 ────オォォオオオオオォオオオオオオオオッ!


 次いで、闇夜を(つんざ)く咆哮が辺りに響き渡った。

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