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名無しとカレンな転生デスペラードを  作者: 芝森 蛍
ショウ・マイ・リグレット
25/84

第三章

 ベリル連邦の首都、ベリリウムには特に折衝事もなく入る事が出来た。観光は後回しにして人の集まるここではまず宿が先決。日も落ち始めて探したのではいいところは全て取られてしまっているのが目に見えているからだ。

 チカが目覚めて四人の旅。小さい部屋二つよりは少し大きめの部屋を一つ取った方が色々都合がいいと思いそちらを選択する。

 ユウは既に俺と一緒である事に慣れたのか文句はなかったが、何故かカレンが妙に尻込みしていた。……何を考えているのか分からないが、まともな人間のいないこの集まりで部屋を別室にすると面倒があった時に対処が遅れる。そうでなくとも追われている身なのだ。安全を考えるなら個室でそれぞれを狙われるより固まっていた方が幾らかましだ。

 何やら言いたそうなカレンだったが、理屈で語れば拗ねるように頷いた。だから何が不満なんだよ。

 そんな彼女の機嫌も、重い荷物だけ宿に置いて町に出ればV字に変動した。相変わらず浮き沈みの激しい鈍らだ。しかしながら、彼女の気持ちも分からないではない。

 セレスタインとはまた違う空気と景色。国が変われば文化も法も変わる。そしてそれは空気に滲む。

 鮮やかな色合いの町並み。行き交う人々の顔。鼻先を擽る食事の匂い。風土に合わせた衣服。どれを取っても新たな世界は発見に溢れていて、世界広しと思わず口を噤んでしまう。

 中でも俺が気になったのは視界を彩る景色だ。ここに来るまでに遠めにも見ていたが、建物の色が基本青か緑を基調にしている。壁や屋根、そして足元まで。もちろん絵の具をぶちまけたように一色ではないが、どこを見てもどこかしらに青か緑が見えるのだ。石畳にも、恐らく天然の色をした物が嵌め込まれている。

 鮮やかなその色合いは、恐らく顔料によるものだろう。

 ここに来る道中で知識としてあてにするユウの話では、ベリル連邦は鉱山国家らしいのだ。実際には鉱山都市のように中に栄えた町、と言うわけではなく。沢山の鉱床を持ち、そこから生み出される財で国の中心にここが選ばれたとの事だ。

 その財の元となるのが、金、銀に代表される加工のし易い金属や、石炭、鉄、銅などの鉱物資源。そしてエメラルド、アクアマリンのような装飾、儀式、魔術触媒用の宝石などだ。

 中でも特にこの景色を彩るのは宝石類から得られる顔料で、青はラピスラズリやアズライト、緑はエメラルドやコバルトだろう。国の中心地を彩る色に使われている事からも、それらの埋蔵量、産出量が多かったり、質がいいというのが想像できる範囲か。

 だからこの都はこれほどまでに不思議な色彩をしているのだ。と言われればそれまでだが、それ以上に象徴的なのが宝石だろう。

 先ほどから町の中でよく目にするそれは、顔料のように砕いて色を付ける用途以外にも、宝石と言う目に見える形で切り出して壁や地面に埋め込まれているのだ。足元のそれは数え切れないほどに踏まれて磨り減ったり欠けたり、はたまた外れたのか誰かが取ったのかぽっかりと穴が開いている事もあるくらいには、皆に余り気にされていないほどに景色に馴染んでいる。

 そんな景観の一部になっている宝石が盗まれるような対象にならないようにと、宝石商や装飾品を取り扱う店が所狭しと並んでいる。

 また、そんな煌びやかな店が多い所為か、見渡す顔ぶれには女性の姿が多い。この辺り、光り物に女性が集まるのは世界が変わっても同じかと思いながら。

 ともすれば時折眩しいと遮りたくなるような光が空より反射する事もあるこの煩雑なる国都の中で。宿屋の周囲をいざと言う時のマッピングの為に観光も含めて見て回れば、俺の手が付けられないほどに興奮しているのが二名ほど。

 一人は当然のようにカレン。彼女の興味は宝石自体ではなく、並ぶ商品に魔を宿した物がある事に対する反応。

 ユウに聞いた話だと、宝石類は儀式や大規模な魔術の触媒にも使われるらしく比較的魔に親和性の高い物質らしい。考えるに成り立ちが似ているからなのだろう。

 宝石類は時間を掛けて自然が生む結晶だ。それは魔の傍で何かしらが影響を受けて魔具に変質するのと酷似していて、費やされる時間と言う共通点からその過程で魔力が秘められたり影響を受け易いのだろう。

 因みに俺もよく使っている火石のような魔具も一応宝石の一つらしい。ただ市場に出回るような物は普通の石と同程度の価値しか無いものに火の力が込められて出来たもので、仲間と言っても殆ど別物の、それこそ火石や魔具と言うそれ単体のカテゴリーに分類されるのだとか。

 そんな火石とは違い、純粋な宝石に魔力の込められた物もあるらしく、そう言う稀少品が高値で取引されているようで、カレンはそれに鼻を動かしていると言う事だ。

 カレンの話では宝石に秘められているのはただの魔力で、火石のように特別現象を起こすようなものではないらしい。どちらかと言えば魔力石に近いとか。まぁ身に付けたりするのに間違って暴発でもしたら大惨事だからな。ただ魔力が秘められただけの安全な物、と言う事だろう。

 ……どうでもいいが、それにカレンが反応している以上、同様に《魔堕(デーヴィーグ)》にも標的にされるわけで。魔の方からすればおいしそうな食べ物が歩いている程度に興味はそそられるのだろう。

 そして二人目はユウだ。彼女は魔瞳(まどう)と言う特別な力こそ持っているが、それ以外は至って普通な女の子。年相応におしゃれなどにも興味はある様子で、買いたいと言う欲求こそ口にはしないものの、瞳の奥には楽しそうな色が揺れている。

 主に食事などでこれまでにも沢山世話になっているから安い物なら買ってやれないこともないのだが、押し売りして嫌がられるのもそれは傷つく。彼女の性格なら建前でもない限り面と向かって物欲を示したりはしないのだろう。その淑やかさは女の子としては評価にあたる部分だろうか。……俺の好みなんてそんなもの何の役にも立たないのだが。


「ミノっ」

「腹減ったか?」

「違う!」

「お前には立派な白瑪瑙(めのう)があるだろ」

「それとこれとは別だよっ」


 なにやら気に入った物が見つかったらしいカレンの言を真正面から弾き返す。男の価値観かも知れないが、買ったところで一体何の役に立つと言うのか。もし本気ならユウの眼帯の時のように理由でも思いついてみろ。


「でも本当にすごいですね。少し憧れはします」

「憧れだけか?」

「……だけです」


 素直に音にすればいいのに。ユウは変なところで躊躇う。


「何それぇっ。私と反応違うしぃ!」

「普段の行い考えてどうして違わないと思えるのか……その豪胆さこそ尊敬するぞ?」

「小さいのでいいからっ!」


 ……この様子だと跳ね除け続ければ最後には駄々を捏ねてその場を転げ回りかねない。いい迷惑だ。…………よし決めた。


「なら自分で稼げ。依頼受けて、それで余裕が出来たら買ってやる」

「本当っ? 約束だからねっ!」


 言質を取れた事にか、制止する暇も無く一番を求めて人ごみに消えていくカレン。まったく、何がそんなに楽しいのやら。模造剣に装飾品つけたところで、そんなのストラップやキーホルダーと同じだろうが。


「いいんですか?」

「これ以上騒がれたら眠れなくなるからな。それにこれなら理由(・・)があるだろ?」

「…………そうですね」


 少しだけ強調して答えれば、くすりと笑ったユウ。それから彼女は小さく断って、少しだけ楽しそうに店を巡りはじめる。

 ユウの後姿を眺めながら少し前にカレンから訊いた話を思い返す。

 どうやらユウは近々誕生日らしい。その祝いの品と言う意味でもユウにプレゼントする意味はある。

 生まれて、今生きている事はとても大切な事だ。その道を自ら断った俺だからこそ、よく分かる。

 俺はこの世界の住人ではないから、誕生日なんて存在しない。一応無理やり当てはめる事も出来るだろうが、そこまでする物だとは思わない。

 魔物や魔剣にはそもそも誕生日と言う概念はないらしく、祝うものでもないのだとか。流れでユウに確認したら、契約の日を祝う事はあるとの事。もしそれをするなら随分先の話だ。

 とは言えユウを祝えばカレンやチカを祝わないのは不公平として騒ぎ立てる事だろう。まぁ頭の片隅にでも置いておくとしよう。

 何にせよ、ユウには日ごろの感謝も込めて当日は労ってやるとしよう。


「……で、チカは見に行かなくてもいいのか?」

「いい、です」


 軽く予定を立てつつ、それから視線を向けた先は少し後ろ。返った声は直ぐ傍からの、チカの物。彼女は宿を出てからずっと、俺の腰に引っ付いたままついてきている。

 チカについては宿で少し話をして整理をした。

 まず記憶喪失である事は間違い無いとの事。ユウが魔瞳の力も使って確かめたが、演技ではないらしい。演技をする必要も分からないがな。

 そして目が覚めたときに俺が助けた事を勘違いしたのか、俺にだけは心を許した猫のようにくっついている。どうやら人の世界が怖いらしい。魔剣らしい理由だ。

 最後に、彼女は魔剣であると言う自覚が薄い。そもそも自分が魔剣であると言う事を知らなかったらしく、話をしたときには随分と驚いていた。今は俺の言う事だから、と言う盲目的な理由で信じているらしく何とか落ち着いている。

 契約でもしていれば証明の仕様があったのだが、生まれたての彼女は契約痕があるわけでもない。正真正銘の鞘入り娘だ。

 チカはある種希望だった。彼女がいれば今後動き易くなると縋っていた部分がある。それが、目を覚ましてみれば記憶喪失で……混乱しているのはきっと俺も一緒なのだろう。

 目的を見失ってしまった感がある。さて、どうしたものか……。


「一応訊くが、何か思い出した事は?」


 質問には無言で首を振るチカ。何よりの原因は、この性格の違いだろう。

 魔剣になる前の彼女は、反りが合わないどころではないほどのすれ違い方をしていた。それが今は気弱な少女その物だ。だからどう接していいのかよく分からなくて困っている、と言うのが本音だ。

 別に喧嘩をしたい訳ではないのだが……前の彼女の方がやり易かったと言う話。


「あー……腹は減ってないか?」

「……大丈夫…………」


 と、そのやりとりで思いついた事が一つ。……いや、この表現が合っているのかは、経験がないからよく分からないのだが…………まるで親子だ。それも、父一人子一人の、シングルファーザー的な……。

 魔物に端を発する魔剣であり、曖昧な理由で慕ってくれる女の子。その人ならざる肩書きが余計に目に見えない距離を生み出す。

 当然ながら子供など育てた事のない身からすれば、戸惑いしかない。けれど、その戸惑いが親子と言う関係にしっくり来るのだ。

 ならばするべき事は子育て、なのだろうが…………さて、一体何をどうすればいい? ……誰か。誰か女の子の育て方を教えてくれ。


「琥珀……」

「なんだ?」

 

 手がかりを見失い接し方も見失い。どこかに答えが落ちていないかとチカとの距離感を探し始めたところで不意に服の裾を引っ張られる。いや、引っ張られると言うよりは、ずっと握って歩いていた彼女が立ち止まって無意識に引きとめられた、と言う方が正しいか。

 これ以上今を混乱させるような事はやめて欲しいと振り返れば、チカは露店の一つに見入っていた。それはどうやら宝石を加工して作られた装身具の店らしく、ネックレスやイヤリングなどが値札付きで輝いていた。

 その中の一つ、どうやら琥珀のブローチのようなものが目に留まったらしく、思いのほか強い力で引っ張っていく。


「これ……」

「…………そう言えばお前の髪の色も、刀身も琥珀色だったな」

「……………………」

「欲しいのか?」

「…………うん」


 どうやら琥珀に縁がある様子。

 それから、少しだけ考えて他の物も見渡す。それから同じ、琥珀の嵌ったチョーカーを選ぶ。


「……こっちじゃ駄目か?」

「どうして?」

「ブローチはちょっと高い」


 恐らく使われている琥珀の大きさなのだろうが、値段が倍以上する。流石にそれを買うのは懐的に厳しいが、チョーカーならばまだ許容範囲内だ。


「駄目か?」

「ううん、いいよ」


 どうやら納得してくれた様子。ならば気が変わらないうちにと購入すれば、少し迷った様子のチカが、それから顎を上に向けて首を差し出してくる。付けろ、と言う事なのだろう。

 仕方なく彼女の白く細い少女の首にチョーカーを巻けば、微かに剣とも魔物とも違うにおいが鼻先を擽る。そのことに少しだけ身を硬くしながらどうにか付け終えれば、微かに指で弄ったチカが問うて来た。


「……どう?」

「…………いいんじゃないか?」

「うん。ありがと、ミノっ」


 そうして、僅かに頬を染めてにこりと微笑みを浮かべたチカ。記憶の中の彼女からは考えられないほどに柔らかい仕草に、どうしていいか分からず思わず顔を逸らす。

 ……どうにもこの彼女は、俺の知るチカではないらしい。ようやく遅まきながらそんな事を認めて、小さく息を吐き出した。


「どうしたの、ミノ?」

「いや、何でもない。二人を探しに行くぞ」

「うんっ」


 とりあえず認識を改めるとしよう。このチカはチカだが、チカではない。二重人格、とでも思っておくとしよう。

 一応チョーカーのお陰で何となく距離感は分かった。どちらかと言えばカレンよりもユウ寄りな……人間の女の子として接するのが正しい気がする。

 もちろんその内どうにかして彼女の記憶を元に戻す方法を見つけなければならないが、それまではこの彼女とも上手くやっていかなくては。

 そんな事を考えた刹那、手のひらに包み込むような感触が広がって驚く。見れば、チカがこちらを見上げて俺の手を握っていた。


「……今度はどうした」

「はぐれると、嫌だから…………」

「…………そうか」


 だから急募、今度は普通の女の子との接し方を誰か俺に教えてくれまいか……?




 それからカレンとユウと合流し、ユウの提案で食事用の材料を買い足して宿に戻る。そう言えばいつの間にか後を付いてきていた男の姿が無くなっていたが、別に困るような事もでない為にスルーした。人ごみで迷いでもしたのだろう。

 宿に戻ると食事の準備をすると言うユウ。その手伝いをしたいと言うカレンが宿の厨房を借りる傍ら、チカと二人部屋に篭る。

 歩き疲れてベッドに腰掛けると、とてとてと歩いて来たチカが、そのまま俺の傍に腰を下した。

 指先でチョーカーを小さく弄る彼女。プレゼントがそんなに嬉しかったのか上機嫌な様子で、そうしていると普通の女の子にしか見えない。

 加えてプレゼント効果か、宿を出る前より近くなった距離が、肩が触れそうなほどの空気で楽しそうにこちらを見つめてくる。どうやら随分と気に入られたらしい。まぁ険悪になってギスギスするよりは余程ましかも知れないが、個人的にもう少し離れて欲しいところだ。手を伸ばせば抱き寄せられる距離に無防備に笑う少女がいるのは、何だか居心地が悪い……。


「あー……っと、外はどうだった?」

「楽しかった。人や物が一杯で……少し怖かったけど、ミノと一緒だったから…………」


 俺が……何だって?

 自慢じゃないが人間関係はそこまで察しのいい方じゃないんでな。こちらに理解を丸投げされると困る。

 流れた沈黙にむず痒い空気を感じて、咄嗟に思いついた先から口にする。


「何度も訊くようで悪いが、何か思い出した事は?」

「……ごめんなさい。ない、です…………」

「そうか……。となると本格的に手掛かりが無くなったな。どうするか…………」


 何かを投げ出すようにベッドに体を投げる。するとそれを真似するようにチカが隣に倒れこんできて、また一つ居心地の悪さを感じた。


「…………あの、手掛かり、ってなに?」

「そう言えばその話はまだだったな」


 《魔堕》との戦闘。その最中の、チカの目覚め。殆ど間を開けずにベリルの帝都へやってきて、少し辺りを見て回り今に至る。

 その中でチカに関して分かった事と言えば、記憶喪失である事。それに伴う性格の変化と、何故だか分からない俺に対する信頼のような何かだけだ。

 後半だけでも十分にキャパを越えている気がするが、加えて目的を見失ったような喪失感が今胸の中にはある。


「チカが魔剣だってのは話をしたよな?」

「うん。元は魔物で、消滅しそうだったところをミノに助けてもらったって……」

「別に……俺は殆ど何もしてないがな」


 魔物を魔剣に宿す儀式。確か剣奴徴礼(けんどちょうらい)と言う名前だったか。あの魔術を知っていたのは記憶を失う前のチカで、手を貸してくれたのはユウで。俺はそこに魔力を注ぎ込んで、準備された魔術を起動したに過ぎない。だから特別俺の力で彼女を救ったという実感はないのだが……チカにしてみれば忘れてはいても俺が命の恩人、と言う事らしい。


「で、その魔剣になる前のお前はな、カレン……今下で調理場を戦場に変えようとしてる鈍らと同じ組織で暮らしてたらしい。その組織から最初にカレンが逃げ出して、それを追ってお前が外の世界に出てきたんだとさ」

「そうなの?」

「カレンの話だとな。それに加えて、あの棒きれが知らない沢山の事を知ってて、その知識をあてにこの先の旅の方針を固めるつもりだったんだよ。現金な話だがな、俺はただ組織の手掛かりとしてお前の知識が欲しかったんだ。カレンとした約束……が、今も有効かどうかは分からないが、少なくとも追われる身で敵の事を知るのは何よりも大切だからな。お前の目が覚めたら少し無理やりにでも訊き出すつもりだった」


 現状敵と言えるのはカレン達がいた組織……《甦君門(グニレース)》だけだ。そこさえしっかり対策が取れれば、どこかに居場所を求める事だって叶ったかも知れなかった。


「けど目を覚ましたチカは記憶をなくして、性格まで正反対に変わってた。色々な手掛かりを失って、性格の変化にも戸惑ってるってのが素直なところだ」

「…………ごめんなさい」

「謝ったところでなんになる。そうなっちまったもんは仕方ない。諦めて、どこかにあるかもしれない別の何かを探すだけだ」


 しかし目的と言ったって今のところ明確な物は何一つない。とりあえず生きる為に《甦君門》から逃れてここまで来たが、行く当てなどないのだ。

 生きたところで何がしたいわけでもない。

 とっても無関係で的外れな事を考えれば、魔剣持ちとしてカレンの力を行使し、《波旬皇(マクスウェル)》復活を目論むと言う《甦君門》に敵対するとか、国に属して人々の平穏を脅かす《魔堕》を討滅する事が、一般的に求められる役割なのだろう。

 しかしそれには様々な問題があって。例えば《甦君門》と事を構えるにはやはり色々足りなさ過ぎる。幾らカレンが破格の力を持っていたところで、この身は一つだ。物量で来られれば、その内飽和する戦力に押し負ける。

 《甦君門》の事を切り捨てて《魔堕》の討滅に身を委ねる事も、国に属すると言う方法を取るのであれば、この放浪の身を受け入れてくれるところでなくてはならない。国に属さないのであれば、傭兵業の傍ら流離(さすらい)の魔剣持ちとして辻斬りが如く出遭った先から斬って回る刹那的な生き方をする他ないだろう。

 何にせよ、居場所がないのだ。まだ目を付けられていないだろう帝都とは言え、ここだっていつまで安全か分からない。


「あの……」

「何だ?」

「前のあたしって、どんなのだったの?」


 チカの声に少し考えて答える。


「…………正反対。その言葉で何となく分かるか? 同じなのは見た目だけだ。口調は横柄で、人を小馬鹿にしたような態度で、性格も傍若無人で。俺に対しては尊敬や畏怖なんて微塵も感じていない。それどころかカレンの契約相手だって分かった後は敵対心を隠そうともしなかったくらいにあいつらしさを振り回してたさ。……まぁ飾らない明け透けな性格は、それほど疑わなくてやり易くはあったけどな。今のお前とは比べるのも馬鹿なくらいには正反対だった」

「……よく分かんない。恩人に、どうしてそんな態度で?」

「少なくともあいつにとって俺は恩人じゃなかっただろうな。何せカレンを溺愛してたんだ。そのカレンが、少し目を離した隙に俺と契約してた。あいつからすれば、俺は大切な友達を契約で縛って奪い去った悪魔だったんだろうさ」


 今のチカが俺の事を恩人だと言ってくれている事にもまだ少しだけ疑問はあるが、まぁ同じ旅をする仲間で距離を置かれるよりは余程ましか。とは言えその距離感でどうしていいかわからない答えをこちらに任されるのは難しい問題なのだが……。


「俺からすれば今のお前が俺にべったりな方が少し気味が悪いくらいだ」

「…………ごめんなさい」

「あぁ、いや。別に嫌って訳じゃないんだがな……。何つうか、記憶の中のチカと目の前のお前が違い過ぎて困惑してるってだけだ」


 謝られて、気付く。接し方を……距離感を間違えていたらしい。修正する必要があるか。

 記憶を無くしたチカにきっと問題や責任などない。その違いに戸惑って、曖昧な関係よりも敵対と言う分かり易い壁がある方がやり易いと、その空気を押し付けていた俺が悪かったのだ。

 レッテルで判断される事に関しては嫌と言うほど知っていたのに、それをしてしまった。今後、こう言う事がないように俺が変わればいいだけの事だ。難しいが、挑戦をしないよりは余程肯定的だろう。


「よく分からないんだよ。どうして俺なんだ? 同じ魔剣であるカレンや、同性であるユウの方がやりやすくないか?」

「そう言う訳じゃない。でも、ミノの隣が一番安心出来るって言うか……。やっぱり、助けて貰ったから」

「別に、そう思ってそうしたわけじゃないんだがな」

「でも、助けられたのはあたしがそう感じてるから。それに、こうしてお話を聞いてくれてるよ。だからきっと、ミノは優しいんだって」


 面と向かって、裏も無く純粋な言葉でそう言われるとこちらが気恥ずかしくなる。

 やっぱり、この彼女とは相性が悪いと言うか……その点は前のチカと変わらない部分かと何故か納得する。

 記憶を失い性格ががらりと変化したチカだが、それでもチカはチカなのだと。それこそ曖昧な何かを見つけながら、小さく息を吐いて話題を変える。


「……カレンについてはどうだ? あいつの事をどう思う?」

「契約、してるんだよね?」

「成り行きだがな。そうじゃなければ今頃ここにはいないだろうさ」

「少し、羨ましい……かな」

「どっちが」

「カレンさんが」

「それは魔剣だからか?」

「どうだろう……。それもあるかもしれないけど、それ以外の理由もある気がする」

「それ以外?」

「…………そこは、秘密っ」


 何だかよく分からないはぐらかし方をされたが、そう言うものらしい。


「特別カレンに執着するような気持ちはないのか?」

「……たぶん。それよりも、どっちかと言うとミノが…………」

「俺が……なんだ?」

「な、何でもないよっ!」


 俺がなんなんだよ。不満があるなら言って欲しい。別に特別扱いをするつもりはないが、チカは今でも希望なのだ。

 記憶を取り戻す可能性がどこかにある以上、今の彼女を手元に置いておきたい。その為には小さな問題でも見過ごせない。今あるパーティが崩壊して困るのは全員なのだ。


「もし何かあるなら言えよ。今いなくなられると俺が困る」

「困る……? あたし、一緒にいていいの?」

「あぁ。逆に、いちゃいけない理由が何かあるのか?」

「……戦うとかよく分からないし、迷惑、かけるよ?」

「んなの誰だって一緒だろ。カレンだって俺がいなけりゃそこらの《魔堕》に負けてもおかしくはない。偶然とはいえこれも縁だ。……それとも嫌か?」

「い、嫌じゃないっ。…………うん、分かった」


 ベッドから立ち上がったチカが何かを覚悟するように拳を握って告げる。


「でも、足手纏いになるのは嫌。だからミノ、あたしに戦い方を教えて?」

「…………そうだな、今のお前が出来る事を確かめておいて損はないか。ユウ達の方ももう少し掛かるだろうし、裏手でやるか?」

「うん、お願いっ!」


 彼女がやる気なら仕方ない。断る理由もないし、食前の運動にも丁度いいだろう。

 そう考えて立ち上がり、厨房で料理をする二人に告げれば、後は火が通るのを待つだけらしく、暇になったというカレンが付き合う事になった。




 魔剣二振りをつれて宿屋の裏にあった小さな広場にやってくる。とりあえずカレンに相手を任せ、俺は外から傍観。


「なんで私が相手なのっ? ミノがすればいいじゃんっ」

「チカの力を見極めるのが目的だ。だったら横から見てた方が分かり易い。それに魔剣同士の方がいいだろ。必要なら俺も入る。とりあえず二人でやれ」

「相変わらず魔剣使いが荒いんだから……」

「お、お願いしますっ」


 作って渡した剣を構えるチカ。及び腰なところを見るに、記憶をなくす前の気概は残っていないらしい。まぁ一からと言うのもそれはそれで楽しみだ。無駄な癖がなければ仕込み易いしな。

 俺に対しては砕けた口調だったチカが、カレン相手には畏まる。どうやら精神的な壁があるようだ。それを取り払う事も出来ればなおよしか。


「じゃあ、いくよっ……!」


 気合の声と共に地面を蹴ったカレンが剣を振るう。勢いに驚いたのか、逃げるように数歩下がって斬撃のリーチからは逃れたが、そのままバランスを崩して尻餅を突いた。


「…………え、っと……」

「あぅ……」

「分かった。そう言う類は無しだ」

「う、うん…………」


 恐らく記憶を失う前のチカにするように、あの時見せた鮮烈な戦闘勘を期待しての事だったのだろう。けれどカレンの思いや俺の想像さえ上回る……下回る反応を見せてくれた。

 どうにも、直接の戦闘は今の彼女の分野ではないらしい。

 戸惑った様子のカレンがチカを引っ張り上げる様子を眺めつつ、思考を次に入れ替える。


「じゃあチカ。魔術はどうだ?」

「魔術?」

「魔力を使って何か出来そうな事をやってみろ。的が必要ならカレンを狙え」

「だから何で私なのっ?」


 カレンの抗議を無視すれば、顔を伏せたチカが黙り込む。これも駄目か……そう考えた直後、顔を上げた彼女はこちらを見つめて零す。


「……何か、書くものが欲しい」

「書くもの……? …………これでいいか?」


 言われるがまま、腰の麻袋から石灰の棒……あっちの世界で言うチョークのような物を渡す。

 俺は余り使う機会はないが、大規模な魔術を使う時の魔法陣を描く為に使う。この前も、チカを魔剣にする際に剣奴徴礼の儀式用魔法陣をユウがこれで描いていた。

 と、そんな事を思い出しているとしゃがみ込んだチカがチョークを使って何かを描いていく。カツカツと小気味いい音を立てながら動き回り、しばらくして出来上がったのは人が十人は入れそうな大きな魔法陣だった。


「えっと、これで…………っ!」


 両手に魔力を宿したチカが、魔法陣に手を突く。次の瞬間、魔法陣が淡く光り、全体が何かの扉になったかのように鞭のような……紐のようなものが複数出現する。

 うねった黒い縄。それが次いでカレンと、僅かに俺に目掛けて殺到した。咄嗟に剣を作り出して応戦すれば、どうにか斬って退ける事が出来た。


「ぃひゃぁああっ!?」


 が、どうやらカレンは反応が間に合わなかったようで、幾重にも雁字搦めに巻かれて拘束され、宙に逆さ吊りにされていた。


「な、なにこれぇ!?」

「…………大規模な拘束用の魔術か?」

「えっと、頭の中に、沢山の腕? 蛇? みたいなのが思い浮かんで、それで何か出来ないかなって描いたらこうなった……」


 チカの言葉に、それから思い出す。彼女が暴走した時、蜘蛛のように複数の腕を蠢かせた姿になっていた。恐らくそこから着想を得た魔術が目の前のこれなのだろう。

 どちらかと言うと蛸や烏賊の触手のようにも思える。


「もしかして魔術が得意なのか?」

「どうなんだろう……」

「いいから早く助けてよぉっ!」

「まだ何か出来るか?」

「えっと…………」


 問いには、少し悩んだ様子のチカ。けれども何か思いついたのか魔法陣を見渡したのち、消しては描きなおして……魔法陣を変化させていく。


「多分これで……ぇいっ」


 先ほどと同じように魔力を宿した手のひらで魔法陣に触れれば、それまでカレンを縛っていた魔力の縄が解けた。


「あだっ!」


 支えを失って落下したカレンが小さく悲鳴を上げたのも束の間。次の瞬間には先ほどまで縄だったそれが数多もの球に……そして槍や剣に変化して眼下のカレンを睨む。


「えっ…………ちょ、まっ……!?」


 慌てるカレンが剣の盾を作り出す。それとほぼ同時、殺到した魔力の刃が耳障りな衝突音を辺りに響かせて霰のように着弾した。

 漂った土煙が収まれば、防ぎきれなかった雨によって地面に縫い付けられたカレンが放心したように固まっていた。


「ふむ……直接の戦闘はからっきしだが、魔術方面は随分だな」

「あ、ありがとう……。でも簡単なのは何故か思い浮かばなくて、さっきみたいに魔法陣描くのとか、大きい魔術しか使えない感じがする…………」


 小手先の事は出来ないが、対多数の殲滅用魔術や、大規模儀式魔術。そう言う類に特化した力がチカの本領と言う事だろうか。


「なるほどな……。大体分かった。場合によっては光る力だな」

「えへへっ……ぁふ……?」

「っと、大丈夫か?」

「は、はい……。ちょっとくらくらした…………」


 よろめいたチカを抱きとめて納得を結びつける。これだけの規模の魔術だ。魔力の消費は相当のものだろう。まだ目が覚めてしばらくしかたっていないことも含め、そう連発は出来ないか。溜め込んでおくか、外からの供給がない限り乱用は出来ないと考えるのが妥当だろう。


「歩けるか?」

「…………力が、入んない……」

「よし、なら背負って連れて行くぞ?」

「えっ、あ……きゃぁ!」


 言うが早いかチカをおんぶして立ち上がる。小さな悲鳴は耳元から。やがてチカは体を預けるように俺の肩を掴んだ。


「あ、ありがとう……」

「無理を言って魔力を使わせた俺が悪い。せめてもの礼だ」

「う、うん…………」


 魔力消費に伴って体力も消耗したのか、疲れた様子のチカ。直ぐに飯でよかったと思いつつ部屋に戻ろうと足を出す。


「ミノぉ…………私はぁ…………?」


 と、響いたのはカレンの声で、頭から抜け落ちていた、大地に飾られた鈍らの音。

 寝転がったまま起き上がろうとする気配のないカレンに、溜息を吐いて返す。


「…………今日だけ特別だ。魔剣化していいぞ」

「やったぁ」


 どこか感情の抜けた声と共に、魔力に包まれた後俺の腰に確かな重み。

 まったく、あれくらい一人でどうにか出来んものかね。……それともこうなるほどにチカの魔術が凄かったと言う事か。だとすれば彼女もまた別な意味で特別な力を秘めているのかも知れないと思いつつ。

 部屋に戻れば料理を並べていたユウが何かを言いたげな視線で射抜いてくれたのだった。




 そんな一幕を繰り広げつつ翌日。考え事をしたくて一人町を歩く。何気なく辺りを見ながらの散歩と共に、考えるのはこれからの事。

 チカの記憶喪失により見失った目的。未だ追われる身でありながら向かう先が定まらない現状に改めて今を客観視する。

 背後からは《甦君門》が来ている。ユウの話では、彼らは世界の裏側に散る大組織だ。きっとどこへ逃げてもしつこく追い掛け回してくるだろう。解決策があるとすれば俺がカレンやチカを手放すか、徹底抗戦で根絶やしにする事くらいだろうが、どちらも現実的ではない。

 もしそうしたところでただ悪目立ちするだけ。そうすれば今安全なこのベリルもこちらに牙を向くかもしれない。……いや、牙と言うよりは飼いならそうと餌をちらつかせる、が正しいか。

 カレンの……昨日知ったチカも含め、魔瞳と言う得意体質なユウも、国にとってはぜひ欲しい戦力だろう。

 そうでなくとも今既にベリル連邦と言う蛇の口の中にいるのだ。それがいつ毒が飛んできて口が閉じられるか分からない。余り長居すべきではないのは確かだ。

 とは言えここを出て、ならばどこへ向かうのだと言う話。

 外に出れば、今は町中で鳴りを潜めているだろう《甦君門》の活動も、(たちま)ち活発になる。そうすれば戦いに追われる日々に身を投じる事になる。

 カレンは一応戦えるが、まだ何処かに躊躇いがある様子。《魔堕》程度ならいざ知らず、魔剣持ちの人間相手だと彼女の力を存分に発揮出来るかは怪しい。

 もちろん、旅は旅で周りに気兼ねしなくていいから楽なのだけれども。行く宛てがなければ路銀をただ浪費するだけだ。

 つまるところ、何をするにしても明確な目標が必要なのだ。

 《甦君門》をどうするのか。どこへ向かい、何を求めるのか。カレンとの約束は、まだ有効なのか。……あぁそうだ、それも確認しておかなければ。

 やるべき事はある気がするのに、何だかどれも曖昧で要領を得ない。何か一つ、分かりきった答えがあるとそれから芋蔓式に目的が定まる気がするのに…………。

 そんな事を考えて町中を歩いていると、不意に気付いた気配。

 背後からのそれは、いつからだったのか分からない…………監視だろうか。こちらが気付いた事には向こうも気付いたのだろうが、アクションを起こしてくるつもりはない。まぁこの人ごみだ。目立つ事はしたくないはずだ。

 とは言えこのまま宿に帰って彼女達の元へ案内するのもそれはそれで厄介だ。悪いが今回は逃げさせてもらうとしよう、カレン達も近くにいないしな。

 とりあえず今すべき事を。そう方針を固めれば直ぐに体が動いた。人に紛れて身を隠すようにすり抜ける。出来る限り気配を殺し、相手の追跡の目を切る。

 方法は森にいる時に爺さんから盗んだ。一人での戦闘はそこまでではないが、逃げ回る事に関しては少しだけ才能があったらしい。お陰でこういう時には役に立つ。

 しばらく時間を掛けて追跡を振りきり、細い路地に逃げ込んで身を潜める。大通りの方を伺えばこちらを見失ったらしい男が少し慌てたように辺りを見渡していた。散策と一人の時間はここまでか……このまま宿に篭るとしよう。

 またあの騒がしい一室に戻るのかと思うと少し憂鬱になりながら、一人歩きと共に脳裏に描いていた地図を広げ、宿に向けて歩き出す。

 と、その次の瞬間。細い一本道の真ん中にフードを目深に被った人間を目視する。あいつも誰かに追われる身かと。少しだけ同情した刹那、足を止めたその人物が(おもむろ)にフードを開け、こちらを見つめる。

 短い白髪に、翡翠色の瞳。強い光を放つ存在感に、顔に…………見覚え以上に執着さえ感じる体が、咄嗟に魔力を練り上げて剣を作り出した。


「……イヴァン…………!」

「おいおい、待ってくれ。今日は戦いに来たわけじゃない。それに、今の君が私に勝てるのか? 彼女もいないのに?」


 じっと睨んで真意を測る。イヴァンは、敵意がない事を示すように諸手を晒して降参するように手を挙げた。

 ……確かにカレンのいない今、まともに戦えはしないだろう。下手をすると武器を持たない彼にすら及ばないかもしれない。

 彼我の戦力差は歴然。ならばここは争いではなく話し合いで解決するのが得策か。もちろん、警戒を解くわけではないけれども……。

 小さく息を吐いて剣を消し去る。するとイヴァンは安堵したように手を下げて微かに笑った。


「……それで、ここまで追い駆け回して一体何の用だ?」

「答えを訊こうと思ってな」

「答え……?」

「前に言っただろ? 次に会う時までに心変わりをしてくれている事を願ってると」


 確かにそんな事を言っていた。どうやらその確認のためだけに出向いてきたらしい。


「どうだい? あれから何か心境の変化はあったかな?」

「……………………」


 問いかけには沈黙だけを返す。

 実のところ、悩んではいる。彼らの目的の為にカレンを差し出せば、俺の身は保証されるかもしれない。けれどそれは仮定の話で、裏切りだって同じように存在している。

 ……だからこそ、話し合いの出来る今に確認するべきか。


「お前達の目的はなんだ?」

「こっちが質問してるのに……。まぁいいや。慎重なのはいいことだ。それで、目的かい……? そうだね……まぁ恐らく知っているだろうが、《波旬皇》の復活だ」

「それは分かってる。その先を訊いてるんだ」


 《波旬皇》の復活を完遂して、彼らは何を望むのか……。


「それをここで話すわけにはいかないな。こちら側に来てくれると言うのであればその時に包み隠さず明かすと約束しよう」


 口先だけ従順さを示す事は出来るが、その言葉を反故にした瞬間彼の刃が俺の喉元に突き立てられる事だろう。そうなれば力付くでも向こうに連れて行かれかねない。となれば取れる返答は一つだけ。


「……悪いがそれは出来ない。心変わりもしてない」

「そうか…………それは残念だ」

「話し合いだろ? 剣で無理強いしてくれるなよ」

「惜しいが、今回は引き下がるとしよう」


 どうにか最悪の事態だけは避けられたか。その事に少し安堵しつつ、抜け目なく安全は確保しておく。


「後をつけて来るなんて事もやめてくれよ。そんな事をしたら今以上に信じられなくなる」

「あぁ、もちろんだとも。裏切るつもりは毛頭ないからな」


 こちらだって信じてなどいないが。

 けれども確かな事は一つ。彼はどうやら、一度言葉にした事を違えるつもりはないらしい。それくらいの気概は感じる。だからこそ慎重にならざるを得ないのだ。

 油断ならない相手。勝ちの可能性を見出せない敵を観察するようにじっと睨めば、彼は再びフードを被って踵を返した。と、ふと足を止めた彼が置き土産のように告ぐ。


「そうそう、これだけは覚えておいて欲しい。君達はいずれ、私と共に来てくれる。その先にしか、君達の居場所はないのだからね」

「……………………」


 戯言を。そう答えるより先にイヴァンは人ごみに紛れて姿を消した。

 去り際の不敵な微笑みが嫌に鮮明に脳裏に焼きつく。まるで未来を見てきたかのような確信染みた瞳。正しさを微塵も疑わないような、確固たる意思。

 当然彼の思う通りになんてなってやるつもりはないが、それでも何故か彼の不穏な言葉が拭い難く頭の中で反響するのだった。




 一応の警戒も含め、しばらく町をぶらついた後傭兵宿に戻ってきた。

 少しだけ考えてみたが彼の真意は分からなかった。だから今はとりあえず考える事をやめ、そろそろ動き出そうと一階の掲示板に張り出された依頼を眺める。

 仕事は鉱山から採掘された鉱石などの護衛ばかり。まぁこの国の生命線とも言うべき産業の一つだ。金になる動きには危険も伴う。山賊、野党から身を守る為に傭兵を雇うのは筋と言うものだろう。

 この様子なら今慌てなくとも仕事に困る事はなさそうだ。明日改めて受注するとしよう。

 今日は疲れたと。少し重い気がする体を動かして二階へ上がろうとする。と、そこへ声を掛けて来たのはこの傭兵宿の主人である男性だった。


「兄ちゃん、客が来てたぞ」

「客?」

「あぁ。外に出てるって言ったら上で待ってるとさ」

「そうか……」


 客。思いあたる節はない。もし《甦君門》ならカレンを借りて憂さ晴らしに付き合って貰おうかと考えつつ。階段をのぼって部屋の前まで来たが、待ち人は見当たらない。

 暇が過ぎて今日は諦めたのだろうかと思いながら扉を開ける。と、そこには想像外の顔があって……気付けば剣を作り出し顎の下に突き付けていた。


「……どうしてお前がここにいる…………!」

「ま、待ってよミノっ! この人ミノに会いに来たって……だから中で待ってもらおうと…………」

「話なんかないっ。今すぐ部屋から出て行けっ!」


 叫んで微かに手を動かせば、その人物…………これまでの旅でずっと後をつけてきていた男の喉に一筋の赤い水が伝った。

 男はじっとこちらを見つめ、それから居住まいを正しその場に頭を下げる。それもまた、これまでで何度も見た────土下座だ。

 その行為に、限界まで溜まっていた憤怒の蓋が弾けた。

 握る剣に潰さんとばかりに力を込め、逆手持ちに振り上げる。次いで躊躇なく振り下ろしたその切っ先に────


「ミノッ!!」


 (すんで)のところでカレンが割って入って、思わず手を止めた。


「どけっ! そいつは────」

「この人ミノに謝りたいって…………」

「……聞いたのか」

「え…………?」

「そいつからっ、俺の過去を! 聞いたのかっ!?」


 尋問するように剣を突きつけたまま吐き捨てれば、カレンの瞳が微かに揺れた。

 言葉以上に語る彼女の色に、湧きあがった衝動の捌け口を探す。が、きっとカレンに悪気はないのだと。頭の片隅の冷静な部分が気付いて、逃げるように踵を返した。


「ミノっ!」

「ミノさん!」


 聞こえたのはカレンとユウの引き止めるような声。けれど出した足は止まらず、任務終わりで先ほどよりも騒がしくなった傭兵宿の一階を早足で抜け、そのまま人の行き交う道へと踏み出した。

 行く宛てなどわからない。ただ今は、あの部屋にさえ居なければどこでもよかった。

 途中、向かいからやってくる酔った男とぶつかる。


「いっ、てぇなぁ……あぁ?」

「…………っ」


 謝ろうとしたのか、それとも食って掛かろうとしたのか。自分でも分からないままに開き掛けた喉を、それから思わず閉じてしまった。

 気付いたのは、手のひらの感触。何事かと見れば、小さな手のひらが俺のそれを握り締め、遅れて人の壁の中から琥珀色の頭髪とライムグリーンの瞳が現れた。


「お、追いついたぁ……」

「チカ…………」


 苦しそうに咳き込む彼女。そんなチカを見て、ようやく憤っていた自分を見つめ直す事が出来た。


「……悪い。…………こっちだ」

「うわっ、とと……!」


 冷静になった思考でぶつかった男に謝って。次いで握られた手を握り返して引っ張るように歩き出す。


「ミノ……」

「……………………」

「ミノっ……手、痛い…………」

「っ、すまん……」


 小さく聞こえた声に咄嗟に謝って。自分の愚かさを再度認識すれば、ようやく自分に呆れる事が出来て直ぐに人の波から外れた。

 大通りから伸びる細い路地。その壁に背中を預けて、吹き溜まりのように淀んだ空気のそこから微かに見える空を見上げる。既に陽も随分と傾き、早い星が見え始めていた。

 隣に座り込むチカに、八つ当たりのように零す。


「……何でついてきた」


 分からないと言う風に首を振るチカ。自分の顔を覆って溜息を吐く。

 全く、訳が解らない。どうすればいいのかも、判らない……。

 やがて沈黙が流れ、その間に息を整えたチカが、何かを待つようにこちらを見上げて来る。

 ……いや、今更な話か。隠したところでどうなる。カレンも、ユウにも旅の途中で過去の事は話した。チカだって、あの男からきっと聞いたのだろう。

 諦めるほかない。認めるほかない。その現実は、覆らない。


「…………どこまで、聞いた……」

「……ぁ、の…………」

「怒らないから。怒る気力も、ないから……」

「ミノ、が……前の世界で、首を、吊ったって……」

「理由は」


 言葉にするのは躊躇われたのか、小さく頷いて返したチカ。その事実に、何かが吹っ切れる。


「そうだ……。俺は、一度死んで、ここに来た。ここに来て、カレンと出会って、ユウと出会って、チカと出会って、ここにいる」


 もう、無関係だと思っていたのに。これ以上なんて、あるはずないと思っていたのに。


「全部終わった事で……過去の事で。だからこの世界で新しい人生を始める為に、名前を捨てて、偽名まで作り出して、ここまでやってきたのに」


 それが全部。


「全部……全部あいつの所為で、台無しだ」


 だってそれが、あの男だから。あの男は、俺の過去の証だから。

 捨てたはずの、命だから。

 なのに、あの男はそこにいて。きっと既に分かりきった答えを持ってそうしていて。俺はそれが、許せなくて。認められなくて。否定したくて。抗いたくて。今すぐにでも、斬り捨ててなかった事にしてしまいたいのに。


「あいつにとって俺はミノ・リレッドノーなんかじゃない。……なぁチカ、前の自分が分からないお前なら、俺の気持ちが分かってくれるか?」

「……あた、しは…………」


 悩むように、躊躇うように、出ない声を無理やり絞り出すようなチカの声。直視しようとして。何かが邪魔をして、視線を逸らし。痛いほどに唇を噛み締め。痕が残るほどに自分の腕に爪を立て。────それでも尚、大切な何かから逃げたくないと叫ぶように、再び俺の目を見て、震える唇で言葉にする。


「…………あたしは、ミノの、味方でいたい、よ」


 不器用で真っ直ぐなその思いに。負けたように笑って、認める。


「あぁ…………あいつは────俺が自殺をしたその元凶だ」




              *   *   *




「ミノっ!」

「ミノさん!」


 私とユウさんの声が重なる。けれどもミノは足を止めずそのまま部屋を出て行った。

 取り残された私達は、何をするべきなのか失って立ち尽くす。と、そんな中から一人動いたのはチカだった。彼女は何を言うでもなく足を出す。


「え……チカ?」

「……追いかけます」

「まっ……!」


 引き止めて、どうなると言うのだろうか? それが正解かなんて分からない。

 そう悩んでいる間に彼女は部屋を跳び出して、ミノの後を追いかけて行った。

 何も出来ずに取り残されて、その事実に不甲斐なさを感じる。

 私は……私は、この人を庇うべきではなかった。ミノの契約相手として、ミノの味方になるべきだったのだ。

 けれど、あのまま見過ごしていれば、ミノは本当にこの男の人を殺していただろう。そしてこの人も、それを受け入れただろう。だから、最善ではないにしても、間違いではなかったと、そう思いたい……。

 でも、結果的にミノではなくこの人を選んでしまった。先ほど聞いた話に心が揺れてしまった。

 謝りたい気持ちと、それでもこの人の話を聞きたい気持ちが同時に存在している。その事に、自分が動けなかった理由を知って悔しくなる。

 私は、中途半端だ……。


「カレンさん……」


 視線を向けた先にはユウさんが、どうしていいか分からないと言う風にこちらを見つめていた。続いて男の人を捉える。

 彼は語った。自分がミノを死に追いやったのだと。その事を謝りたいと。

 まだ詳しいところは聞いていないけれど、前にミノが話していた過去の事と合わせて考えれば少しは分かる。


 ────俺はそこで生まれ育って、何をするでもなく学校に通い、世間と無意識に翻弄されて死んだ。自殺で、十五の時だ


 自殺。きっとその原因に、彼が関わっている。

 ……ミノの味方をするならばこれ以上聞くのは間違いなのだろう。けれど同時に、目の前のこの人が嘘を言っているようにも見えないのだ。

 彼は心の底から、ミノに謝りたいと、そう望んでいる。先ほどのように斬られる事も覚悟の上で、ここに来たのだ。

 頭の中がぐるぐると巡る。答えを求めて彷徨う。

 本当に正しいものなど、本当にあるのだろうか……?


「……ちょっと待ってて」

「あ、はい……」


 ユウさんにそう言い残して逃げるように部屋を出る。そのまま宿の裏手にやってきて、昨日オフロの汲み上げに使った道具で冷たい水を引っ張ってきて、その滝のような流れに己の頭を思い切り突っ込んだ。

 これから夜に、冬になると言う時間の川の水。冷たくて、痛くて、苦しいほどの暴力に、全てを委ねる。

 やがて汲み上げた水が途切れて、俯いた視界に垂れた髪から雫が零れ落ちる。その一粒一粒に頭の中の無駄な物を詰め込んで削ぎ落とし、ようやく空っぽになれたところで思い切り頭を振った。


「ふぅっ…………」


 見上げた空は群青に染まって。その中心近くに小さな輝きを見つけてじっと眺める。

 次いで脳裏に浮かんだ第一衝動は────きっと今私が一番したい事。それを見失わないうちにと、魔力で髪を乾かして部屋に戻る。

 するとそこは私の出て行った時のまま時が止まっていたように空気が淀んでいた。

 こちらに向いた視線に、少しだけ息を詰めて。けれども小さな覚悟を信じて音にする。


「聞かせてください。ミノの、あなたの過去の事。私は、ミノの事を理解したいっ」

「……いい、のか…………? あいつが知ったら……」

「それでもっ、聞かないままで悩んでるよりは、聞いてそれ以上に悩む方が、きっと私が納得出来るからっ」


 こんなのは、きっと間違っているのだろう。後でミノに怒られて……怒られるよりも先に見限られるかも知れないけれど。

 それでも馬鹿を見て、今聞かなかった事を後で後悔するくらいなら……やっぱり私は馬鹿でいい。


「お願い、します……!」


 やっと見つけた居場所だから。守りたいから。

 もう逃げない。逃げたくない。

 覚悟なら、多分彼に口付けした時に、決まっていたのだ。


「……そっちの君はどうする?」

「…………聞きます。わたしを助けてくれた人を、一人にしたくないですから」

「……分かった…………。なら全部話す。けど、楽しい話じゃないからな?」


 ユウさんの言葉にそう前置きした彼は、それから天井を仰いで過去を遡るように紡ぎ始める。


「オレが、あいつを殺したんだ────」

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