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第五章

 ルチル山脈地下の坑道を抜けた先では、沈みかけた陽の光が眩しいほどに世界を照らしていた。どうやらこの光景がベリルに入って初めて目にするものらしい。……まぁ大自然と言えば気持ちのいい景色か。ちょっと達成感もあるし、及第点。

 時間が掛かった理由は明確で、メインルートを通らなかったり、途中色々あった所為だ。とは言え自己責任に偶然が重なったに過ぎない。当たり散らせるほどの理不尽はどこにも感じない。

 当初の予定だと国境を越えたあと地図上に記されていた近場の町へ向かう予定だったのだが、例えこれからここを飛び出しても時間的に途中で野宿となるだろう。

 それにまだカレンとユウ、二人と合流出来ていない。もしもう少し時間が掛かるようなら、今日のこれ以上の移動は諦めてこの辺りで一夜を過ごした方がいい。それが出来るだけの設備もここには整っている。国境で、人の往来が激しいから備えてあるのだ。

 しかし、出来ることなら野宿の方が安心出来る。と言うのも、俺とユウはセレスタインの。カレンとチカは逃げてきた組織である《甦君門(グニレース)》のお尋ね者だ。国境近くは当然その警戒が強いだろうし、長居をすればそれだけ危険度が増す。

 安全を取るか、利便性を取るかだが……個人的には安全を取りたいのが本心で。この提案にはユウとチカも頷いてくれるだろう。

 問題はカレンであり、それ以上に彼女達がいつ抜けてくるかと言うことだ。


「カレン達はまだみたいだな」

「……うん。まだ山脈の中から存在を感じる、けど、もう少ししたら出てくると思う」

「そうか。……なら先に荷物だけ受け取っておくか。手伝ってくれ」

「分かった」


 地下坑道で分断された後。膝を突き合わせてのやり取りでどうにかまともに出来るようになった関係。その手応えに、関係以上の安堵を覚えるのはきっと間違いではないのだろう。


「……言っておくけどそこまで気を許したわけじゃないからっ」

「分かってる。けど協力は出来るだろ?」

「…………カレン次第」


 頑なな事で。言いつつ空から国境越えをした荷物を受け取り、あちら側で手放した馬車の変わりを手に入れれば、荷解きと積み込みには手を貸してくれた。

 まぁほかにすることもなかったのが彼女の一番の理由だろうが。

 と、そんなことを考えていると隣で作業をしていたチカが手を止める。嫌な想像とようやくの希望が綯い交ぜになったのを自覚した瞬間、チカが荷物をこちらに放り投げて走り出した。ぶれないな、チカは。

 諦めて残り少なくなっていた荷物を馬車の荷台に積み込み、チカの走って行った方に向かえば、そこにはチカに押し倒されて苦しそうにもがくカレンと、それを傍から見つめるユウがいた。


「やる事やってから行けよ……」

「あ、ミノさん。えっと……お疲れ様です?」


 呟けば、声に気付いたユウが安堵の息を零したのが分かった。まぁあの分断からずっと暗い中を歩いてようやく出られたのだ、気も張っていただろう。特に彼女の相方がカレンだったしな。


「あぁ。そっちはどうだった? 怪我とかはしてないか?」

「はい。低位の《魔堕(デーヴィーグ)》しかこなかったので。それも殆どカレンさんが倒してくれましたし」

「それが出来ないとあいつが魔剣である意味がないからな」

「……心配でしたか?」

「訊く相手が違うだろ?」

「そうでしょうか?」


 からかうように問いを重ねるユウに視線を強くすれば、彼女は楽しそうに笑みを浮かべる。ユウが話し相手として最も楽なのは確かだが、その分だけ遠慮がなくて色々面倒なのもその通りだ。

 ……と言うか十中八九、分断後にカレンにいらぬことを吹き込まれたに違いない。あの大喰いは(なまく)らなくせに口が軽い。後で鯉口を鍔ごと下緒で抜けないように結んでやろうか。


「ミノさんの方も問題とかはありませんでしたか?」

「……………………まぁ、大丈夫だ」

「…………?」

「気にするな。少なくとも怪我とかに繋がるようなことじゃない」

「そうですか……」


 何もなかったと言えば嘘になる。けれどならばどう話せばいいと言うのだろう。

 全てを隠さずに言えば、それは勝手に彼女たちの来歴を暴いた事に他ならない。ユウに関しても、彼女自身が知らない過去を俺が語ると言うのはいい思いをしないはずだ。

 ようやく自由を見つけて自分で選び取っている最中のユウ。そんな彼女にこれまでして来たことを突きつけるのは酷と言う話だろう。

 逆に言いにくいことを隠して伝えたところで、察しのいい彼女の事だ。勝手に言葉の端から想像だけで同じ結論に至ってしまうかも知れない。ならば選んで話すよりも、最初から話をしない方が彼女の……いや、俺の為だ。

 ……自分可愛さに他人を傷つけた責任を取りたくないだなんて、くだらない意地だ。

 もし話をするのであれば、例えば身を落ち着けて彼女が全てを受け入れられるようになった、その最後の時だ。それまでは少なくとも俺の方から口にするつもりはない。


「チカさんは……」

「あいつとはどうにか折り合いをつけた。もし気になるなら、それはもうユウとチカの二人の問題だ」

「……分かりました」


 チカに関する言葉を飲み込んだのは、きっとお互いに。と言う事は話の流れでカレンからチカの正体でも聞いたか。カレンなら彼女が魔物である事も知っているだろうし、チカのことを疑っていたユウならそれを正直に飲み込んでも不思議ではない。自分の過去を棚に上げて他人の話をするなんてカレンにはお手の物だろう。


「……怪我とは別に、魔力の方は大丈夫か?」

「そこは、ちょっと裏技で……」

「裏技?」

「ルチルの中は魔力溜まりです。だから天然の魔具が取れて、魔物も湧く。その魔力溜まりを少しだけ間借りして使えば、わたし個人の魔力はそこまで消費しませんから」


 前に旅の最中にカレンに聞いた話では、魔術は自分の中に存在する魔力を消費する事でしか使えないと言っていた。俺個人も、爺さんからそう教わった。

 が、どうやら例外があるらしい。


「器用な事が出来るもんだな」

「出来るのはわたしか、この中だとチカさんくらいですよ。チカさんは魔物ですから直接魔力に干渉して自由に使うくらいは容易いですし、わたしの場合はわたしが魔力を使う傍らでサリエルが辺りの魔力をうまく使って連携を取っているんです」

「……カレンみたいに魔剣として縛る殻がないか、魔力を呼吸のように操れれば出来れば可能ってことか?」

「理論的にはそうですね。……一応言っておきますが意識を分散させるとか、並列処理をするとか普通の人間の方には出来ませんよ。だって契約をしなければ碌に魔術も使えないんですから。魔術を使うことに集中する傍らで、感知も出来ない魔力を流用するなんて不可能ですよ」

「随分なことを言ってくれるな?」

「事実ですから」


 ユウとチカの見識を鵜呑みにするわけではないけれど。少なくとも彼女達の言葉は真実か嘘かの二択。ならばどちらに転んでも信じるなり裏返すなりでそれなりの答えが見えてくる。

 それに彼女たちの言葉は俺にはない知識だ。だから新鮮であり、勉強であり、糧だ。

 特にチカは別としても、ユウが俺に嘘を吐く理由がない。そう考えれば彼女の言っている事は正しくて、二人の言い分が一致すればチカが正しいと言う証明にもなる。


「……可能性として魔術でそれを代替すると言う方法もありますが、その場合普通に使う魔術とは別に、魔力の知覚、吸収、制御を並行処理、同期させることが不可欠です。それを可能とする魔術の理論立てや、魔術の多重使用が出来ると夢想するのであれば、止めはしませんけれど」

「……そもそも俺からしたら魔力の定義が曖昧だ。ユウにとって電気がなんなのか分からないのと同じようにな。だからきっと無理だろうさ」


 何処から生み出されて、どんな要素から成り立ち、どんな形をしていて、それらがどれだけ存在するのか。そんなのは目の前の空間を切り取ってその中にどんな原子や分子が存在しているのかを知覚するのと同義だ。……おおよその平均値では語れるかも知れないが、正確には無理だろう。

 そう考えれば彼女が不可能だと言った理由もよく分かる。


「だったら今ある力を自在に使えるようになってやれることを増やす方が建設的だな」

「ミノさんが賢明でよかったです。……魔力について講義しろ、なんて言われたらどうしようかと思いました」

「……言っておくがユウの知識量や見識を疑って馬鹿な理想を諦めたわけじゃないからな?」

「ふふっ、ありがとうございますっ」


 誤解の無いようにと言葉にすれば、褒め言葉だと受け取ったらしいユウが少し照れたように微笑む。

 ……まぁいい、どう受け取ろうと彼女の勝手だ。

 それに、彼女が笑ってくれるなら少しは俺も救われるというもの。彼女の過去に己を重ねてしまったが故に色々思うところがあったが、出会った頃から考えれば彼女も表情豊かになったものだ。願わくば、そのまま間違えずに進んで、俺の犯した過ちとは別の道へ歩いて行って欲しいものだ。そうすれば俺も、ユウに迷惑をかけない部分で少しだけ気分が晴れる気がするから。


『ねぇミノぉ、話し終わったぁ? だったら早く助けてよー……』


 と、脳裏に響いたカレンの声。契約を介した脳内に直接語り掛けるような音に視線を向ければ、カレンがチカに押し倒されたままいいように弄ばれていた。……と言うか抵抗を諦めていた。


『……腹が見えてるぞ』

「っ……! ち、チカっ。もう無事って分かったでしょ? 早く退いてよっ」

「ヤダっ!」

「なんでっ!?」


 聞き覚えのあるやり取りに思わず溜息を零せば、その音が聞こえたらしいチカがこちらに視線を送ってきて、やがて仕方ないとばかりにカレンの上から離れる。だからカレンがチカの太陽ならもうイカロス以上に悲惨な目にあってるだろうがと。

 どうでもいいことを考えつつ空を見上げる。……まだぎりぎり間に合うか。

 先ほど積み込んだ荷物から食料を思い出しつつ脳内の地図と相談して。今夜はここを離れて野営でも問題ないと結論を下すと、きっと駄々を捏ねるであろうカレンをどう説得しようかと思案しながら足を出す。

 と、その刹那。肌に感じた視線と、視界の端で動いた不穏な気配。なんとはなしにそちらへ視線を向けて確認をすると、ユウと、そしてチカへアイコンタクト。

 するとどうやら二人も気付いたらしく、静かに頷いて表情を硬くした。


『カレン、出発するぞ』

『えぇ……もう今日はここで休んで明日出発でもいいじゃん…………』

『ユウとチカも了承済みだ。それから、準備しておけ』

『………………分かった』


 何気ない風を装いながら契言で告げれば、カレンが気だるげな雰囲気を払拭して立ち上がる。


「ユウ、直ぐに来ると思うか?」

「……森に入ってからかと」

「だろうな」

「ミノ、一つじゃない」

「…………そうか」


 隣のユウへ小声で確認。それからチカの報告に気を引き締めなおす。

 ……いつかはこうなるかもしれないと思っていたが、よりにもよって分断越境を終えた直後。カレンの選択も燻る今とは運命とやらを呪いたくなる。

 出来ることなら順当に行きたいが…………それを許してくれそうな相手でもないだろう。

 もう少し平穏無事に浸らせてくれて欲しい物だと胸の内で悪態を吐きつつ手早く準備を終えて、ここからの相棒である足の手綱をユウに預ける。


「それじゃあ行きましょうか」

「砂糖漬け食っとくか?」

「貰います」

「ミノ、私もっ」

「仲間外れは死罪よ」


 ユウの声に景気付けを提案すれば、重なった声はどこかいつもの調子でもって紡がれて。そうして夕日を背後に空の暗幕に向けて馬車を出す。

 ルチル山脈のベリル連邦側。途中までは山の斜面に沿って下る腰の痛くなる道を進み、やがて平地まで降りれば街道にぶつかる。が、今回はある程度舗装されたそちらではなく、森の中を突っ切る脇道を選択。

 途端に夕日さえも遮られて暗く影を落とす自然の道行。ユウが作り出した魔術の光がなければ直ぐに方向感覚を見失ってしまいそうな闇の渦巻く森の中。既に夜行性の動物が動き始めているのか、森の奥からは生命の息遣いを感じる。

 そんな人気の余りない場所を行く馬車の上から、声を潜めて確認する。


「来てるか?」

「うん。馬車が二台。でも別行動してるよ。……挟み撃ち?」

「いや、それぞれ別の馬車だ。片方が《甦君門》。もう片方がセレスタインだ」


 カレンの声に答えて認識を共通のものにする。

 面倒なことに三つ巴。願わくば彼らで潰し合ってくれれば嬉しい限りだが、手を組んだ暁には自然の景観など構ってられないだろう。


「……右のに三人。内二人は魔剣持ち。左のに四人。三人魔剣で、一人魔具」

「武器が……全部で十六個だね」

「辺りに魔物の気配はありません」


 悪路にがたがたと揺れる視界。その中で、チカが人数と戦力を。カレンが敵が持つ得物の数を。ユウが手綱を握りながら辺りの索敵をしてくれる。

 その間に、出来るだけ時間を掛けて質のいいユウとチカの分の武器を作り出す。


「他に何か情報はあるか?」

「……《甦君門》の連中はほぼ確定であたしたち狙い。捕獲の為ならミノに容赦はしないと思う。ユウに何かを見出せば命だけは助かるかも」

「セレスタインの方は、確証はありませんが魔剣持ちに注意してください。どれかは分かりませんが、魔力による不可視の斬撃……恐らく魔剣の力だと思います」

「…………カレン、短剣を馬鹿みたいに作って進路上にばら撒け」

「うんっ」


 撒菱(まきびし)紛いの足止め作戦。可能ならそれで逃げ切りたいが、さてどうだろうかと。

 咄嗟の策に答えて刃を辺りに散らすカレン。暗闇の中で僅かな光を反射する鈍色が地面に跳ねて遠くに消えれば、遅れて馬の嘶きが重なって響く。

 どうやら思いの他うまくいったらしい。このまま見逃してくれるのが世界の決定だったりしないだろうか。


「っ、一人来てる! 上から!」

「来いっ、カレン!」

「おっけぃ!」


 チカの声に荷台を蹴って飛び出せば、前に教えた星条旗かぶれな相槌と共にカレンがついてくる。次いで小さく疼いた右肩の証。呼吸を詰めれば既に握っていたのは、暗い森の中で妖しく閃く紅の刀一振り。

 確かな覚えと共に目の前に迫ってくる圧迫感に向けて信頼する刃を振るえば、一瞬の金属音と共に相手の剣を斬り裂き、流れるように魔力を込めた膝での一撃を見舞って敵の体を吹っ飛ばした。

 交錯の瞬間に見えたが、どうやら風の力を使って人ではありえない跳躍をして来たらしい。そう言えば属性なんて物もあったかと……。

 カウンターに確かなものを覚えながら着地すれば、後ろでユウが馬車を止める気配。それからチカが作り置きしておいた剣を手に降りて傍にやってくる。

 どうやらここで迎え撃つつもりらしい。まぁ開けた場所よりは障害物のある方が色々やりやすいか。地形把握だけはしっかりしておくとしよう。考えていると遅れてユウが双剣を携え近くに立つ。

 三人で背中をカバーするように息を整える。森の奥からは続々と敵の気配。さっき一人蹴り飛ばしたから残りは六人か。


「目標は?」

「敵の無力化、または安全圏まで戦線離脱。可能であれば夜間哨戒でもしてる国の騎士にどっちか擦り付けたいところだが……難しいだろうな」

「それにあまり派手にすると今度はわたし達も危険になりますからね」


 ユウの言葉は、先ほど街道ではなく横道を選んだ理由そのものだ。

 幾らここがセレスタイン帝国の手が届き辛いベリル連邦だと言っても、無茶をして悪目立ちすれば立場が危うくなる。少なくとも、今以上に敵を増やすのは得策ではない。

 《甦君門》だけならどうにかなるだろう。けれどセレスタインの追っ手がここにいる以上、彼らを引き連れた火種として判断されればこの国にも居場所がなくなる。

 とは言え、それはセレスタインの側も望むところではないはずだ。可能であれば俺を連れて帰りたいだろうし、そもそもここは他国。折衝事を起こせば国の間で揉め事以上に発展する。幾ら俺が欲しくても、一人を理由に戦争の引き金を引きたくはないはずだ。

 だから彼らの方はそこまで目立つ事は出来ない。……問題は、《甦君門》だ。


「ベリルを盾にすればセレスタインはどうとでもなる。けど《甦君門》の方は蜥蜴の尻尾切りだ」

「……なにそれ?」

「下っ端程度じゃあ上は何のダメージもないってことだよ」


 魔剣の姿でありながら器用に人の声で零したカレンの疑問にチカが答える。よく知ってたな。

 当然だろうが、今回の奪還作戦が失敗しても自切(じせつ)をすれば《甦君門》にとっての痛手はそれほどない。それを出来る雑兵に、捕獲の可能性を秘めた武器を持たせて飛び道具のように扱っているはずだ。

 それにチカの話では《甦君門》は世界中に潜んでいる。何処に逃げようと、彼らの追跡から逃れるのは至難の技だ。

 そう考えれば、断然面倒なのは《甦君門》の方。


「潰し合ってくれたりしませんかね?」

「だとすればそれは俺達を捕まえた後だろうな」

「ですよね……」


 分かりきったユウの声に答えれば、小さな落胆の音。

 どちらの立場に立ってみても同じこと。俺達を捕まえ、その上でもう一つの派閥も相手にしなければならない。そこまで想像が出来ているからこそ、彼らは無闇に仕掛けてこない。

 ……それぞれの思惑は簡単だ。

 俺たちは彼らから逃げたい。セレスタインは俺たちと《甦君門》を戦わせて消耗したところで介入し、漁夫の利を。《甦君門》もその逆で、だから今少し話が出来る程度には睨み合いが続いているのだ。


「まぁ悩む必要はない。俺たちは痺れを切らした方から順に、横槍に警戒しつつ迎撃すればいい」

「順当だね。骨が折れるよ」


 チカの軽口に鼻で笑って、それから我慢比べ。

 張り詰めた空気が痛いほどに鋭く、秋の夜風が冷たく木々の間を抜けていく。木の葉がさざめく音。草花が掠れる声。静寂を割いた、鳥の羽ばたき────


「っ、くるよ!」


 刹那に、暗闇の奥から到来したのは複数の火炎球。

 ……想像し得る中で最も嫌な手札をいきなり切ってきやがったのは、《甦君門》だ。

 自分達を捨てた。つまりは目立って暴れてでも力押しで制圧して、例え自分達が捕まっても後からやってくる援軍にその後の処理を任せるつもりなのだろう。己の身を捨ててもいい立場なら、俺もそうする。

 暗闇に慣れた視界に、痛いほどの明かりを放つ人間大の炎の玉。咄嗟に剣の壁を作り出し防御をすれば、一瞬にして爆煙と砂埃で辺りが覆い隠される。


『右斜め前から二人っ』

「こっちは──」

「まかせてっ!」


 カレンの声に続いてユウとチカの大地を蹴る音。どうやら彼女たちの方にも敵が来たようだが、それぞれに対応してくれるらしい。ならば信じて、今は目の前の障碍を斬り伏せるとしよう。


『魔剣持ちっ、気をつけて!』

「っ、シっ!」


 背後の二人の邪魔にならないようにと駆け出せば、迫る足音を捕らえてカレンを振るう。僅かに浮かんだ煙の奥の影。そこに向けての一閃を、まるで分かっていたように横に跳んでかわした敵。同属でさえ難なく断ち切るカレンの刃への対抗策は限られる。その代表格として、斬られなければいい。

 もちろんそれには判断力と色々な地力が必要だが、どうやら一人はそれが出来る手練(てだ)れらしい。真正面から戦うのは厄介か。

 ならばと避けてくれた野郎に追撃の短剣を飛ばしつつ、狙いをもう一人へシフト。


『真正面っ』


 策が無いわけはない。そう巡った次の瞬間、視界に捉えた剣が瞬く間に炎を渦巻かせ纏うと、そのまま振り下ろされる。

 斬れるか……?

 火への本能的な恐怖と僅かの逡巡。それが思いの刃を鈍らせたか、一閃は敵のそれと交わり、切り結ぶ。


『あっツ……!』

「っ!」


 直ぐに作り出した短剣の雨で敵を狙えば、後ろへ跳んで揺らめく煙の中へ姿を消す。


「悪い、無事か?」

『……うん。いきなりだったから。次は大丈夫』


 言葉は問題ないが、頭に響いた音には僅かに怯えが混ざる。

 それは斬れなかった事への恐怖か、彼女個人のトラウマか。それとも刃としての熱に対する本能か。なんにせよ、炎はカレンの苦手な相手と言うわけだ。

 流石にセレスタインの奴らがそれを知っているとは思えない。と言う事は炎の魔剣持ちが《甦君門》だろう。もう一人はどっちだろうか……連携を考えるなら仲間かもしれない。

 なんにせよ、そう簡単にはいかない相手だと言う事は確かだ。気を引き締めなければ。


『次、くるよっ』


 考えて呼吸を正せば、カレンの声に続くように煙の中に浮かんだ影。やってきた方向から考えて先ほど一閃を避けた奴。

 察知されたのは風斬り音か、それとも気配か。ならばフェイントなり二の太刀なりで様子を見ようとカレンを振るう。

 すると今度は、振り被る前からまるで未来予知でもしていたかのように軌跡を避ける影。直ぐに回避に合わせて魔力の砲を撃ったが、それさえも分かっていたようにしゃがんでかわし、そのまま下から撫でるような斬り払い。

 咄嗟に後ろに跳んで避けながらカレンに問う。


『どう思う?』

『少なくとも幻術ではないね。確かな回避。まるで思考でも読まれてるみたい……』

『可能か?』

『魔剣なら出来ないことはないと思うけど……試してみる?』

『……そうだな』


 今までの交錯から考えるに、思考を読まれているなら俺の方だろう。ならばここはその判断をカレンに任せるとしよう。

 斬ることに重きを置いた彼女でも、元は魔物。自分に影響のある魔術の感知なら可能なはずだ。

 そう考えて思考を斬り捨て、構えや視線の端から読まれないように目も閉じる。


『……左っ、払って!』

「っ……!」


 次いで脳内に響いたカレンの声に従って考えるより先に腕を振るう。が、手応えはなく響いたのは空しい空気との擦過音だけ。


『どうだ?』

『……違うね。読まれてはない。勘……にしてはちょっと出来すぎてる』


 事戦いにおいて彼女が間違える事はあるまい。と言う事は思考ジャックは捨てていい可能性か。となるとありえるのは未来予知か……それとも…………。


『右っ』

「チィっ……!」


 迫ったのは炎の斬撃。横に跳んで逃れながら反撃の短剣を飛ばせば、直ぐに対応して焼き払われた。

 全く、落ち着いて考察も出来ない。どちらか一方を黙らせるのが先決か。


『……炎の方をやる、いけるか?』

『…………うん。大丈夫』


 迷いは、まだあるか。

 チカの話ではカレン……《珂恋(カレン)》の力は思いの力。迷いが切れ味を鈍らせる、心を映す鋼。

 躊躇いや恐怖は彼女の無二の能力である断絶の刃を潰してしまう。だからこそ、二人ともが参っては仕方ない。


『信じろ、カレン』

『え…………?』

『お前なら斬れる。俺が斬らせてやる。だから自分を……俺を信じろ』

『……うん、そうだね…………!』


 覚悟と共に己の迷いを捨て、鼓舞する言葉を脳裏に列挙する。

 炎がなんだ。そんなのはまやかしだ。蝋燭の炎だって一瞬の通過では熱を感じない。自然由来の風の鎧がそうさせてくれる。だから大丈夫。迷うな。信じろ。斬れば──斬れる。

 今一度握り直した柄。そこから魔力を滾らせて、敵の炎に対抗するように不定形に揺らめく黒い靄を纏わせる。

 ……イメージしろ。この魔力は、炎を切り払う風の、水の刃だ。

 カレンの力が思いの力なら、それは想像を現実にする力。だったら例え属性の魔術が使えなくとも、それに対抗しうる願望は追いつくし、それ以上の魔力と言う物量で補える……!


「……っ! だぁあああっ!!」


 時間経過で僅かに薄れた視界を遮る煙。その奥に打倒すべき敵の姿を捉えて踏み込む。

 一足飛びに距離を詰め、たった一つの結末を信じて相剣を振るう。逆袈裟の一陣で敵の魔剣を根元から。続く横薙ぎの斬り払いで駄目押しにと敵の刃を両断し。その勢いのまま更に踏み込んで一回転。放った一閃の中で手の内のカレンを反転させて峰で首を捉える。

 流れるような三連撃。次いで敵の体が人形であった事を思い出したかのように膝から崩れ落ちてその場に倒れた。

 ……大丈夫だ。カレンなら、斬れるものは、斬れる。


『ミノっ、前に跳んで!』


 そう確かな感覚に浸ったのも束の間。脳裏に響いたカレンの声に突き動かされて少し無理やりに前に転がる。

 すると直前までいたところに振り下ろされた魔力の斬撃。俺ほどではないが、高密度に込められた衝撃が倒れた敵ごと地面を抉って衝撃を辺りに響かせる。馬鹿魔力か、それとも歴戦で培った技量か……。

 どうやらあいつらは仲間ではなかったらしい。それならば逆に敵討ちなどと言う感情論でバーサークしないだけありがたい話か。

 受身と共に立ち上がって構え直す。呼吸を整えれば、それから煙の奥の敵を睨んで思案する。

 ……さて、残るは不思議な力でこちらの攻撃をかわした奴。普通に考えれば攻撃をかわすなんて別段珍しくはないのだが、問題は二度目の交錯に見せたそれだ。

 あいつは構えを見てからではなく、構える前……振るう為に振り上げる前からそれを予見するようにかわしてみせた。流石にそれをただの戦闘勘で流すのは少しばかり特殊すぎる。

 あれではまるで思考を読んでいるのと大差ない。


『どうだろうね。私はあまり魔術は得意じゃないから分からないけど、それでもそれっぽい物は感じる。でもそれは、私達に直接干渉してる技じゃない。もしそうなら流石の私も気付くからね』


 ユウの一件……二度見せられた幻で、幻術等に対する警戒心は振り切れている。それを越えて更に高度なまやかしならばどうにもならないが、中々にそれはありえないだろう。

 これはルチル山脈を越える最中にチカに聞いた話だが、彼女の魔瞳(まどう)は魔剣以上に親密な繋がりをもっているらしいのだ。まぁ仮初の器に宿った魔剣と魔術で契約を交わすよりは、その身に魔物を宿す方が断然強く交わり、その分危険度も増すだろう。

 このことで、ユウは魔瞳の……サリエルの幻術の力をほぼ魔物が使う魔術と遜色ない力として使用できるのだ。言わばユウは、人の体で完璧な魔術を使える類稀なる存在だと言うこと。

 当然、その力は他の魔術の追随を許さない。

 だから彼女の幻術を経験している身で、警戒を絶やさない俺とカレンに似たような技は通用しない。


『ならなんだと思う?』

『分からない……から』

『そうだな……!』


 交わした言葉は少なく。けれども同じことを想像して目的を定める。次いで大地を蹴れば、敵目掛けて上段から振り下ろした。

 当然のようにそれをかわすのを横目に、短剣を作り出し投擲。更に追撃を阻害する剣の壁を作って視界を塞ぐと、そのまま足を止める事無く走りぬけ、向かう先はユウの(もと)へ。


『三歩先、斬って!』

「はあぁああっ!」


 声に導かれて踏み込みと同時に、煙の中へ向けてカレンを振るう。掌には金属を断つ感触。魔剣か、普通の武器か。どちらにせよ一つ無力化。

 考えながら勢いそのままに遅れて現れた影を蹴り飛ばす。それと同時、目的の姿を見つけて足を止めた。


「ユウ、少しいいか? 力を借りたい」

「……ならわたしの敵を抑えてください。件の魔剣使いです」

「あぁ。後ろの奴の力を暴いてくれ」

「分かりましたっ」


 短い言葉で目的を告げれば、次の瞬間交差するように場所を入れ替えてユウの背後に迫ってきた敵と相対する。

 飛び込んできた男に向かって剣閃を描けば、直前で後ろに跳んで避ける件の魔剣使い。前情報があるのは不可視の斬撃を使うと言うそれだ。どうやらユウが相手をしていたらしい。

 セレスタインに追われる彼女がその追っ手と対峙するなんて酷い偶然もあったものだ。きっと色々戦い難かったに違いない。

 しかし俺にはそんな憂いはない。敵ならば斬るだけだ。


『避けられると思うか?』

『やめておいた方がいいと思うよ』

『ならカレンらしく対処しようか』

『ふふっ、いいねそれ!』


 方法を確立させて敵を睨む。いつの間にか最初に辺りに広がった煙は風に流れ薄れて、既に敵の姿を目視で確認できる。不可視の斬撃なら煙があった方が色々都合がよかったのだが、まぁいいとしよう。敵が技を使ってくれるならそれを潰して戦意を挫くだけだ。

 柄を握り直せば、離れた場所から構える男。さすがにこの距離を一歩では詰められない。ならば──くる!


「シッ──!」


 腰溜めに構えたカレン。右手で柄を握りつつ左手を刃に添えて鞘の変わりに。

 敵の振り下ろしに合わせて小さな息と共に魔力を纏った指を滑走路にして正確無比な抜刀紛いの一閃。見えない攻撃の存在感を肌で感じれば、空を裂いた切っ先に僅かな異物の感触。

 遅れて、魔剣の主が走りだし二の太刀を振るおうとする。が、遅い。

 返す刀で翻し向かってきた斬撃に合わせれば、力など殆ど加えない軌跡に一拍の間を挟んで敵の得物が両断される。


『それ魔剣じゃない! さがってっ!』

「っ……!」


 次いだカレンの声に背後へ後退。すると次の瞬間、先ほどまで立っていたところが見えない衝撃に抉られる。

 跳躍に合わせて宙を舞った刃の破片をカレンが遠隔操作したのが、くるりと刃を反転させて男に向かって突き進む。それを何処からともなく現れた更なる剣を抜いて迎撃した男。

 魔術による剣の召喚か。納得を見つけながら再び構え直す。


『魔剣じゃなくても力は使えるってことか』

『ミノだってあたしを振るわなくても剣を作れるでしょ? それと同じ。……ただ多分、あの斬撃は手に剣を持ってないと使えない。さっきの一撃も、袖に隠してた剣で放った魔力斬撃だよ』

『なら先に教えておいてくれ……』

『近付くまで分からなかったのっ。多分魔術か何かで探知を阻害されてた。きっとまだ隠してるよ』


 カレンの説明から察するに、手に持つのではなく、剣に触れる事で魔力の刃を作り出す力。それが彼の魔剣の能力だろう。

 と言う事は本命の魔剣はまだ隠し持っていて、使い捨ての剣を握っては魔力斬撃を放つと言うのが彼の戦闘スタイルか。今持っているあれもただの剣だろう。シンプルだが大本を壊せないのは厄介だ……。

 しかしトリックが分かれば対処の使用はある。警戒しつつこちらの一撃を叩き込めればそれで終わりだ。


「ミノさんっ」

「どうだ?」

「能力は分かりました。けど、どう説明したらいいのか……っ!」


 背後まで下がってきたユウが報告してくれる。と、その間を与えないようにか距離を詰めてきたらしいそちらの魔剣使いが斬りかかり、頭の上で双剣を交差させた彼女が受け止める。直ぐに援護として短剣を作り出し、半分を目の前に、もう半分を背後の敵に向けて嗾ける。

 すると目の前の敵は魔力斬撃で撃ち落とし、後ろの敵は分かっていたように事前に跳んで回避していた。

 どうにも傍から見れば未来予知をしているようにしか感じられないが……。


「で?」

「……俯瞰能力、って言って伝わりますか?」

「第三者視点ってことか?」

「はい、恐らくそれであってます」

『どう言うこと?』


 ユウの声に答えれば、カレンの疑問が続く。間違って解釈していなければこう言うことだ。


「自分の目以外にもう一つ、別角度からの魔術の目を作り出す。そこからの情報を自分で見たように知覚して、それを行動に移す。つまりは魔術的客観視って事だ」

『それでどうなるの?』

「別角度から見る事で情報が増えて判断がしやすくなる。戦闘経験がそれについていけば、微かな構えから動きが読める。それがあいつの蝿みたいな回避力の正体だ」

『蝿って……確かに捕まえられないけどさ…………』


 カレンの声に答えて対策を考える。

 恐らく経験や技量に関してはここにいる誰よりも覚えがあるのだろう。でなければあんな風に体が追いつかない。

 となると小手先の技では通用しない。策を粉砕する絶対的な攻撃か、敵の力を根本から揺るがす何か。はたまた偶然に流れの中で起きる事象に頼るほかないだろう。何処にあるか分からないその目を壊すのは少し不毛だ。


「ユウは何かあるか?」

「目には目を、ですか?」

「いいな、それ」

「策でも何でもないですよ、これ」

「なら戦術に昇華させるだけだ……!」


 ハンムラビ法典だったか。こんな異世界で地球の宗教が物理的な意味を持つとは思わなかった。が、今のところ彼女の案に代わる物は思い浮かばない。ならば試しつつ、他に方法が見つかればそれを試せばいい。戦いとは大概流動的な概念だ。

 そう目的を落としこめば、大地を蹴って目の前の敵へと急接近する。まずは魔力斬撃を放ってくるあいつを潰す。その後続いて背後の目の敵だ。


『カレン、俺の目になれっ』

『聞き逃さないでよ……!』


 駆け出して契言で告げれば、契約を介して察してくれたカレンが乗ってくれる。こんな咄嗟の思いつきに付き合ってくれるカレンも、中々に血気盛んな性格だ。


『右、縦! 左、横! 左、斜め! 上、縦! 足、斜め! 胸横! 右手首引いて……跳んでっ。着地目の前斜めっ! 左足下げて回し蹴り!』

「っ……だぁ!」


 無駄な情報は要らないと視界を切って脳裏に響くカレンの言葉の通りに刀を振るう。回を重ねる毎に具体的になる指示に従えば、その度に掌に広がる僅かな感触。次々に見えない刃を捉えて斬り裂き、その度に一歩ずつ前進して距離を詰める。カレンの知覚は人の感覚を凌駕する。契約のお陰か、微かにカレンの考えていることも先読みできるからこそ可能な芸当だ。

 そうして次の瞬間肌に感じた人としての大きな存在感。重なった蹴りの判断に魔力を思い切り滾らせて渾身の一蹴を見舞う。次いで響いた呻き声に目を開けば、横殴りの蹴りに体をくの字に曲げた男の姿が目の前に。そのまま勢いに乗せて振るったカレンの柄頭で顎を下から打ち抜き、返す刀の峰で首筋を叩きつけた。

 どさりと音と断ててその場に伏せる男。どうやら気絶したらしい。これで無力化。

 全員で七人いた敵。一人を最初に蹴り飛ばし、もう一人を気絶。更に三人目を今し方意識を断って、四人目がユウと交戦中。残り三人……。

 ちらりとユウの方を見て大丈夫そうだと任せ、辺りを見渡す。と、残りを全てチカが一人で相手をしていた。

 が、流石は高位の魔物。慣れない人型でもその小ささを生かして動き回り、避けて反撃してを繰り返しながら三人相手に戦いを続けていた。


『チカ、やっぱりすごいね……』

『追いつきたいか?』

『……ううん。並んで、追い越したいっ』

『いい返事だ』


 カレンの向上心は底が見えない。その貪欲さは彼女らしい大喰らいだ。ならば今彼女の契約相手として、その力を最大限に活用してやるのが俺の役目。

 ……大丈夫。まだまだ先はある。壁があったところで、カレンならそれさえも容易く斬り砕いてくれる。その思いに負けるようでは、カレンの────《珂恋》の相方は務まらないっ。

 見えない……あるかどうか分からないゴールを探しながらまた一歩を踏み出す。


「ユウっ!」


 名前を呼んで走り出し、彼女の元へ。その勢いのまま魔術の目を持つ男へ背後から斬りかかれば、闘牛士の如くひらりとそれをかわす。全く、捉えどころのない相手だ。

 距離を取った男に向けて構えながらユウと言葉を交わす。


「で、どうしますか?」

「……どうにか隙を突く」

「無計画ですね、分かりました」


 ユウの言葉にちらりと視線を向ける。そこまできっぱりと切らなくてもいいのに……。とは言え策が思い付かなかったのも事実。だったら真正面から押し潰すだけだ。

 幸いこちらはユウと二人。加えてカレンの手助けもある。二人がかりならばどこかに光明はあるはずだ。


『くるよっ!』


 そこを抉じ開けるだけだと。そう目的を定めるのと同時、カレンの声に合わせるように魔剣を握った敵が一足飛びに近ついて来る。

 出来ることなら魔剣をぶった斬ってやりたいが、あちらにとっても戦いの生命線。そう簡単には切り結ばせてくれない。

 振るった刃は避けられ、反撃の攻撃を打ち落とそうと思えば直前で引っ込められる。次いで迫った蹴り。後ろに跳んでかわせば、出来た空白にユウが走り込んで刃を結ぶ。

 ……まともに戦えるのはユウだけ。しかしユウの持つ武器は魔術で作った剣で、それでは魔剣を壊すことは出来ないし、何度も切り結べば先に壊れるのは彼女の双剣の方だ。彼女自身の力である魔瞳も、俺がそうであったように魔剣持ちには殆ど効果がない。

 打開出来るのは、ユウの技量か、カレンの刃が捉えたときだけ……。

 そう考えているうちにも景色が進む。気付けばユウと挟みこむ形になって咄嗟に男の背中に向けてカレンを振るったが、魔術の目で視界を確保していたらしい男がこちらを一瞥さえせずにかわす。

 戦い慣れをしている。少しの策では裏をかけない……どうする…………。

 巡る思考と共に攻め立てて相手からの攻撃を潰す。もう既に、俺の手癖は把握されているか……。


「はあぁっ!」


 苦し紛れに魔力の砲を撃ったが、それさえもかわされて距離を取られた。駄目か。


「一瞬でも虚が突ければいいんだがな……」

「…………ミノさん」

「なん────」


 声に隣のユウを見た瞬間、僅かに視界が揺らぐ感覚。……なんだ? 魔力……はまだまだ底が知れないほどに有り余っている。敵の新たな魔術か?

 ならば長期戦は避けるべきだ。そう考えて距離を詰め右上からの袈裟斬りを────あ? どうして左から斬って…………。

 と、思考と体の動きが一致しないことに疑問を覚えた次の瞬間、掌に確かな感触が広がる。次いで靄が晴れるように視界が開く感覚を味わい、視界に男と、そして彼が持つ魔剣が斬られている事を知る。

 …………一体何がどうなって……。

 次の瞬間、傍を駆けたユウが双剣の柄に魔力を纏わせて男の腹部を殴打し、気絶させるのが見えた。呻き声を上げて倒れた男を見下ろしながらユウに問う。


「……何があった?」

「…………ごめんなさい。ミノさんに魔瞳の力を使いました」

「なに?」

「幻術で操って、ミノさんの体でわたしの剣術を使ったんです。賭けでしたが不意は突けたようで、お陰でこうして気絶させることが出来ました」

『……カレン』

『本当だよ。ユウさんの力でミノが動いた。害がなさそうだったから解除しなかったの』


 …………結果論だ。それでいい。が……。


「……次からは事前に教えてくれ。一瞬敵の技かと誤認した」

「すみません。ただ、言葉にして聞かれる恐れがあったので……。カレンさんもありがとうございます」

「だいじょーぶっ」


 不思議な感覚だった。右上から左下に向けて斬ろうとしていたはずなのに、気付けば左から横薙ぎに振るっていた。操られるよりも恐ろしい意識改変でも食らったかのような差異。全くもって幻術は恐ろしい。ユウとの交錯の際、カレンがいてよかった。いなければ今頃セレスタインに連れ戻されていたはずで、ユウもこうして自分の意思でここに立っていなかっただろう。


「ったく……。ほら次だ」

『そうだ……チカは?』


 今はもう存在しない別の未来の想像から焦点を外して現在へ。カレンの声と共にチカの方へと向き直れば、彼女は三人に囲まれていた。

 と、次の瞬間三人が示し合わせたようにチカへと殺到する。


「っ……!」

「動かないでっ」


 咄嗟に援護に飛び出そうとしたところで隣からの静止。思わず足を止めれば、視界の先の景色が一変する。

 轟音と共に荒れた地形。辺りの木々が薙ぎ倒され、地面がひび割れて土埃が舞う。腕で顔を庇えば、一拍遅れて烈風が吹き荒び、煙を押し退けた。

 その風の発生源……先ほどまでチカがいた場所に行き場を求めて彷徨うような魔力がうねる。それがやがて形を持ち、そこいらの大木はあろうかと言う太さの黒く渦巻く腕が、全部で七本出現する。


「なんだ、あれは……?」

「チカさんの魔術…………いえ、これは…………!」

「チカっ!」


 カレンの声に気付いたようにこちらへ向いた彼女。その顔が半分ほど黒く染まり、瞳はいつものライムグリーンではない……ルビーの様な血の如き赤を灯していた。

 そんな彼女に向けて魔剣持ちの男が突貫する。その接近を、虫でも払うかのように腕を撓らせ叩きつけると、森の奥へと吹っ飛ばした。

 地を響かせながら七つの腕を大地に突き立て、根を張る大樹のように立ち上がるチカ。その大きさは辺りの木々よりも尚高く俺達を軽く見下ろして、まるで蜘蛛の女王のように睥睨する。


「……随分な隠し玉だ、なんて冗談が言えそうにないな」

「ユウさん、これって…………」

「はい……暴走してます」


 暴走。その言葉に嫌な予感が当たったことを知る。

 幾らチカと言えども、天敵である魔剣や魔具を三人相手に無理をせずに立ち回れるとは思えない。だから早くこちらを片付けて彼女の援護に回ろうとしていたのだけれども。どうやら少しだけ間に合わなかったらしい。


「……どんな状態だ?」

「人の体が壊れ掛かってます。恐らく人の姿を維持したまま無理やり魔術を行使し続けて、それに体が耐えられなくなったのかと」

「そこまで人の形に拘らなくても、別に今更問題にするつもりはなかったんだがな」


 しかし、そこまで固執したのは、きっと彼女なりの覚悟だったのだろう。人の世界だから。カレンの前だから。仲間のように旅をしてこられたから。そんな思いが募って、彼女はその殻を捨てられなかったのかもしれない。

 だとするならば、献身を通り越して妄信的な彼女の性格らしい決断だ。


「まぁあれがチカ……《絶佳(ゼッカ)》だって言うなら間違いはないな」

「ミノ、その名前…………」

「あぁ、チカに教えてもらった」

「…………そっか」


 どうやらカレンは知っていたらしい。知っていて、これまで口にしなかったのは、彼女のチカと言う名前に思い入れがあったからだろう。それはカレンが彼女に与えた繋がりだ。大切で、愛おしいはずだ。

 だから少しだけ、チカのことを《絶佳》と呼ぶのは抵抗がある。それは彼女を物扱いしているみたいで腹の奥が重く渦巻くのだ。

 そのことには後でしっかりと謝ることにしつつ、同時に気付いた事を落とす。


「カレンは、あのチカを知ってるんだろ?」

「…………うん。前に一度。研究所でああなったチカを見た事があるから。その時も今みたいに無茶をして──契約もしてないのに無理やり解銘して。一人で制御できなくなって、結局回りの人たちがどうにか止めたんだ」

「なるほど、無理やりの解銘か。拠り代もない状態で全力を出しての暴走ってところか……」


 解銘。誡銘と呼ばれる、本来は魔剣に付されるリミッターのような名前を解き放ち、その本来の力を行使すること。

 名が体を表す誡銘を解けば、普段以上の力を使える反面、色々なリスクがあると転生した直後と、森の中にいた頃に爺さんに聞いた。

 基本的には大規模な魔力の供給が必要だったり、力を出し終えるとしばらく普通の剣程度にしか力を発揮できなくなる諸刃の剣。主に高位の《魔堕》の討滅に対して使われる、いわゆる必殺技だ。

 本来ならばその解銘は、両者の同意の元で契約者が行う力。それを、与えられた誡銘だけを頼りに魔剣のような拠り代も、強大な力の源である魔力の供給もなく無理やり開放した結果が、今のチカだ。


「つまりやろうと思えば止められるわけだ」

「…………いいの? だってチカは……」

「魔物だってか? あいつが自分で言ったように《魔堕》だからか? …………くだらないな。あいつは今、目の前の敵を倒して手に入れたい物があるから無茶をしてるんだ。生憎と、俺はそんな彼女の覚悟を聞いちまったからな」


 ────あたしは誰よりもカレンの味方。だからカレンの意に反する奴らはあたしの敵。それが例え人でも、魔物でも……障碍となるなら全て打ち砕いてカレンと一緒に歩いて行くって。その先に、きっとあたしの望む物もあるから


「自分で言ってたさ。『あたしはあたし────《絶佳》のチカだから』ってな。だったらその居場所を失うなんて寂しい真似、俺の目の前でさせられるかよ」

「…………ありがと、ミノ」


 それは俺の個人の自己満足であり、自己満足と言う名の彼女たちのため。

 チカは待っているのだ。カレンの決断を。俺にも、チカにも想像出来ない、第三の選択肢を。

 それを聞く前に一人馬鹿をやるなんて──まだある希望を捨てるなんて、そんなのは生きているとは言わないだろう?


「……それで、具体的にどうするんですか? あのまま放っておくと今ある微かな自我も失って、やがて誰かに倒されるまで壊すだけの存在になりますよ」

「…………あの足みたいな腕、斬っても大丈夫か?」

「大丈夫だよ。助けるためなら迷わないから」

「ただ、あれはチカさんの力が暴走して出来た、いわば魔力の塊ですから。チカさんを傷つければ斬った先から再生して、その事に魔力を過剰使用してチカさんの体を余計酷使することになります。破壊は最低限にしないと、助ける前に彼女が耐えられなくなって消滅します」


 魔に属する二人の言葉を聞いて策を組み立てる。その為には────


「ユウ、一瞬でいい。これを使ってチカの隙を作ってくれ」

「あっ、それ私のっ!」

「端金と友達の命とどっちが大切だよ」

「うぅ……」

「……分かりました」


 ユウに差し出したのはカレンが肌身離さず持って無意識に作っていた魔力石。想像通りしっかりと物になっていて、売れば一日分の生活費にはなる程度のものだが、それ以上に今必要なのだ。


「それからカレン……これからお前の本来の力を使う」

「え……それって…………」

「あぁ。チカに教えてもらった。いいか?」


 名は体を表し、名は魂を縛る愛である。ならばその思いの丈は、願望を縒り紡いで顕現させる実である。

 偶然の名の下にカレンと名付けた、唯一無二の愛刀────その(いまし)めの()を、解き放つ。


「うん────!」

「いくぞ、《珂恋(カレン)》ッ!」

『っ────!!』


 言葉にすれば胸の奥に鎖を巻かれて思い切り引っ張られたような感覚を味わう。《珂恋》の解銘に伴う膨大な魔力の供給と喪失感。……けれど、それでも尚俺の甕の底は見えない。

 チカにも気取って語ったが、出来すぎぐらいな偶然に感謝だ。

 深呼吸して魔力の流れが落ち着くと駆け出す。それとほぼ同時チカが残りの二人を叩き潰してこちらに向き直った。距離を詰め、彼女の魔力の腕の範囲に入った次の瞬間、加減の一切ない薙ぎ払いが襲いかかって、《珂恋》で断った。


「もう区別もつかないかよっ!」

『だからってチカを放っておく理由にはならないよっ!』

「突っ込むっ! ユウは自力で避けろ!」

「一回で決めてくださいよ!」

「任せとけ!」


 叫んで次々に襲い来る魔力の腕を斬り裂き道を作って、彼女のほぼ真下から跳び上がる。続けて剣を作り出し足場にして連続で跳躍すれば、蜘蛛のように大地に立つチカよりも上に跳んだ。

 魔物の本能か何かで振り上げた《珂恋》を脅威に感じたらしい彼女が吼えて、黒く渦巻く魔力の球をいくつも作り出すとそれを空中で身動きの取れない俺に向けて放った。

 握って、魔力の腕を数度斬って分かったが、少しばかり集中しないと意識を沈ませたチカを救い出すのは厳しい。その為には防御は捨てる必要がある。全く、土壇場でするべき判断じゃなかったな。

 殺到する面のような攻撃を睨んで覚悟を決める。と、次の瞬間下から飛んできた双剣が幾つかを打ち落として僅かな道を作ってくれた。負傷は少し覚悟しないといけないが……これで届く!

 既に陽も落ちた闇の渦巻く森の中。山の向こうから不必要に丸く綺麗な白銀の月が顔を覗かせる景色を落下する中で、肌に感じるほどの魔力の奔流が彼女の瞳と同じ黄金(こがね)色を纏って空を駆け昇り、先ほどの双剣に反射しチカの元へと降り注ぐ。

 恐らく魔力石丸々一個を空にした、今出来る最大干渉のユウの魔瞳の力。何よりも早い光の魔術が瞬きも許さない速度でレーザービームのようにチカに吸い込まれる。

 と、一瞬だけ呆けたように止まったチカ。そんな彼女目掛けて、体を掠りながら傍を通り抜けていく魔弾の嵐を抜け、心の限りに願って《珂恋》を振るう。


「いいから戻って────来いっ!!」


 《珂恋》の、繋ぐ刃。その力に込めた、暴走との断絶とチカの意識の定着。刀身に纏う今まで黒かった魔力が、いつしか鮮やかな紅を燃やしていることに遅れて気付きながら、宵闇に光った柄頭の白瑪瑙に全てを賭してカレンと俺の願いを手繰り寄せる。

 残ったのは、斬った感触と…………確かに何かを手繰った覚え。

 空を掻いた足がやがて着地と同時に受身を取り、直ぐに振り返る。と、そこには支えを失った建物のように崩れて霧散していく魔力の塊。次いでその中を落ちて行くチカの体を見つければ、真下には既にユウが受け止めの準備をしていた。


「あ、わ、わ……きゃうっ!?」


 あれだけ動けるくせに何故かふらついて、キャッチと同時に尻餅を突いたユウ。そんな彼女の真上から霧散しながらもまだ形を保つ魔力の塊が落ちてくるのを見て、思い切り振るった紅蓮の一閃で消し去った。


「無事かっ?」

「はい! チカさんも暴走は収まってますっ」

『よかったぁ』


 安堵の息を零すカレン。それから潰れた塔の足のような魔力の塊が霧散するのを確認して人型に戻ったカレンと共に傍によれば、チカは息遣い荒く苦しそうにしていた。


「ユウ、どうなってる?」

「……暴走はさっき言った通り収まってます。ただ急激に膨大な魔力を消費した所為で存在の維持が……このままだと存在が消滅しますっ」

「魔力の供給……は契約が無いと駄目か。魔力石は?」

「出来ても一時凌ぎにしか…………」

「とりあえず時間を稼いでっ。その間に何かいい方法を……!」


 ありったけの魔力石を取り出すカレン。

 大きな危険は去ったが、それ以上に大切な今。流石にチカを失うわけには行かない。それはカレンの意にも反するし、彼女との間に言葉なく交わした約束のような何かが果たせなくなる。

 だから、何か…………チカを助ける方法を……。


「…………か、レン……?」

「チカっ」


 魔力石の魔力で話が出来る程度には回復したらしいチカが手を伸ばす。その手を取ったカレンが叫ぶように答えて続ける。


「大丈夫っ、チカは助けるから! だから…………!」

「……まったく、むちゃ、するんだから…………」

「それは私の台詞だよっ。もう少し待ってくれればこうなる前に助けられたのに……!」

「……ごめ、ん…………。三人と、魔けん……あい手は、きびしいや…………」


 …………駄目だ。俺に出来ることなんて何も見つからない。せめてチカが自分で魔力を吸収できるようになれば────

 そこでふと、一つの想像が巡る。


「…………っ。チカ、よく聞け。そしてよく考えてから、答えろ」

「ミノさん……?」

「…………な、に……?」


 これは、賭けだ。何かが足りなければ無理な偶然だ。

 けれど、偶然なら…………何かの縁なら……。いいからご都合主義にでも望む結果を手繰り寄せやがれっ!


「魔剣になる気はあるか?」

「ミノっ、それは……! でもっ…………!」

「……………………」

「ユウ、術式は知ってるか?」

「…………ごめんなさい」

「……しって、るよ…………。見たこと、あるから……」


 チカが悩む間にユウに問う。返った言葉に一瞬駄目かとも思ったが、次いで響いたチカの小さな声に少しだけ方法を組み変える。


「……ユウ、魔瞳の力でチカからそのやり方を見る事はできるか?」

「それは出来ます。…………けど、拠り代が……」

「これがある」


 答えて抜いたのは、後ろ腰にずっと差していたクリス。

 前にカレンに軸が曲がっていると聞いてから戦闘には殆ど使ってこなかった武器だが、その時俺自身が口にした事実が今意味を持つ。


「クリス。祭礼に使われる儀式用の短剣だ。これなら魔物を宿す器には出来るだろ?」

「…………うん、大丈夫。拠り代には十分だよ」


 横から刃に触れたカレンがお墨付きをくれる。

 こういったものには魔力が宿りやすい。だからこういったものが魔剣や魔具の拠り代になることがよくあるのだ。

 こんなところで日の目を見ることになるとは思わなかったが、これも何かの縁だ。


「……チカ、どうする? お前が選べ」

「…………その、前に。カレンに、ききたい……」

「なに?」

「カレンの、答えは、決まった?」

「……うん。決まったよ。我が儘だけど、許してね?」


 ……あぁ、やっぱりと。チカと視線を交わらせて安堵する。

 俺とチカは、どちらかを選んで欲しいと詰め寄ってしまった。それは互いが互いの事を知らないままに当事者へ選択を丸投げしたからだ。

 けれどもルチル山脈の地下坑道を越える中で、彼女の過去と思いを知ってしまった。それは多分、俺が俺のエゴでカレンを振り回そうとするよりも余程神聖で尊い願い。だからもし叶うことなら、彼女に譲ってもいいとさえどこかで考えていた。

 しかしチカがそれを断って、救いを求めた。カレンに全てを託した。それで、柄にもなく想像してしまったのだ。

 もしも許されるなら、俺とチカがどちらも傷つかない選択肢の未来があればいいと。……それを、カレンが見つけてくれた。選んでくれた。

 ならばそれを聞き届け、彼女の願いを達する役割が俺たちにはあるのだ。その機会を不意には出来ない。


「行こう、チカ。皆で一緒に、ずっとっ!」

「…………うんっ……!」


 確かな声を聞いてユウに一瞥を送れば彼女が頷いて魔瞳の力を行使する。

 チカの瞳より彼女の記憶を覗いて術式を読み解いたらしいユウに剣を一本作り出して渡せば、寝かせたチカを中心に幾何学な魔方陣のようなものを地面に描き出した。

 これが魔物を剣に封じ込め、魔剣と化す魔術……。

 次いでユウの見たものを俺にも見せてくれる。魔術は術者が理解をしていないと使えない。その為に必要な工程だ。


剣奴徴礼(けんどちょうらい)の魔術です。そこに拠り代となる剣を刺して魔法陣の外へ。魔術の行使にはミノさんの魔力を使います。いいですか?」

「あぁ、大丈夫だ」


 ユウの指示に従って定位置にクリスを投げて刺し、魔法陣に手を翳す。


「準備はいいか?」

「……いつでも」


 もう魔力石に込められていた魔力も限界に近い。彼女が消滅する前に事を成すとしよう。

 必要なのは魔術起動用の魔力と言霊。契約の時もそうだったが、存在に干渉する術式にはそれなりの手順が必要なのだ。まさに儀式染みている。

 そんな事を考えながら一つ呼吸を挟んで、胸のうちから魔力を搾り出し口を開く。


「──来たれ放蕩する魔宵児(まよいご)。廻る摂理は天秤の御者なり。(まつろ)わぬ狂惑は確足りし刃にて集い。惨禍転じて福徳へと至れ。其が天枷付する()は《絶佳》。勇将なる覇業を具して破邪剣聖の冀望(きぼう)を抱き。障礙(しょうがい)を滅し(くじ)(つるぎ)と成せ!」


 ユウから教えられた詠唱が己の内から溢れた調べのように朗々と紡がれる。言葉にする(たび)心の奥が澄み渡り、凪いで行く。

 視界を染め上げるのは琥珀色の魔力。それはきっとチカの色。

 そう言えば先ほど《珂恋》の力を振るったときに紅に燃えていた。どうやら誡銘に触れる部分で魔術を行使するとその者独自の色が表れるらしい。チカの場合はそれが琥珀色と言うことだ。

 琥珀……宝石としては確か優しさや長寿の象徴だったか。

 白瑪瑙の《珂恋》と琥珀の《絶佳》。不思議な縁だと考えるのと同時脳裏を捨てた名前が掠めて……それから目の前に集中した。

 琥珀色の光に包まれたチカが魔法陣の中に突き刺さったクリスに吸い込まれていく。やがて一際大きな光を放った直後ゆっくりと視界を開けば、そこには刃をくすんだ鋼色から宝石のように透き通った琥珀色に変化させた彼女がいて、そのことを示すように刀ならば鍔のある刀身と柄の接合部に綺麗な琥珀が嵌っていた。

 大地から抜けば、そばにやってきたカレンとユウが頷いてくれた。どうやら魔術はうまく行ったらしい。これでチカは魔剣の姿を得たのだ。


「……拠り代に馴染んで維持に回す魔力が殆ど必要なくなったから、今は魔力の吸収に移行して眠ってるみたい。しばらくしたらそのうちチカの意思で顔を見せてくれると思うよ」

「そうか…………。ならとりあえずは安心だな」


 彼女の存在が守られたならそれでいい。目が覚めたら、その時に魔剣としての彼女の力を教えてもらうとしよう。

 既に月光が差す夜の帳が降りた天の下で、淡い光に照らされる宝石を切り出したような琥珀色の刀身が妖しく透き通る。

 微かに魔力を感じるクリスを見つめてそこにチカがいるのだと安堵を落とせば、後ろ腰に差し直して息を吐いた。


「…………そう言えば敵はどうなった?」

「全員戦闘を離脱したみたいです」

「まぁ命を取るつもりはないからな。《甦君門》の方は捕まえて突き出せば金にはなったから惜しい気はするが……」

「こんなときでもお金って……ミノも変わらないね」

「命あっての物種で、その命は先立つものあってこそだからな」

「……ミノさんはもう少し夢を見てもいいと思います」

「夢ねぇ…………」


 ユウに指摘されて少しだけ悩む。

 俺にはこれと言った夢がない。この世界にも定職はあるが就きたい職業があるわけでもなく。周りの目さえ気にしなければ傭兵業をやっているだけで生きていける。生きることが目標と言うのは常日頃思うことだが、ユウの言う夢と言うのはそう言う物ではないはずだ。

 ……ベリルに入った事によってセレスタインからの追っ手は今のが最後になるだろう。と言う事は少しだけ余裕が出来て、何か好きなことを出来る自由が生まれるはずだ。その自由で、一体俺が何をしたいのかと言う話…………。


「……とりあえず旅だな。もう俺一人の選択で振り回していい人数じゃない。全員で相談しつつ、平穏に暮らせれば一先ずはそれでいい」

「何処の厭世家ですか」

「世界に疲れたからこんなところにいるんだろうが」


 ちらりと傷を見せれば、その先を噤んだユウ。こんな風に冗談に出来るくらいには俺の中でも整理はついているらしい。いい方便を見つけたから今後は有効活用させてもらうとしよう。


「お疲れなら憩いの場を提供いたしましょうか?」

「っ……!!」


 そんな風に気を緩めた直後、背後から響いた声に剣を作り出して咄嗟に振り返る。

 そこに立っていたのは、ローブ姿の素顔の見えない……声からして男。流石にちょっと怪しすぎる。


『カレン、気付いてたか?』

『ううん』

「……随分と気配を隠すのが上手だな」

「まぁ待ってくれ。直ぐに事を起こそうって訳じゃない。話をしようじゃないか」

「話? なんのだ……?」


 カレンに確認をすれば、返った言葉に警戒を強める。

 カレンが気付かないという事は武器を持っていないと言うこと。しかしそれなら先ほどまで魔物が暴れていた場所にのうのうと姿を表さないはずだ。

 何かがある…………。そう告げる直感に従って柄を握り直せば、問うた声に木々の間からこちらを見据えた男が口元を歪めるのが見えた、気がした。

 そうして、彼は告げる。


「《珂恋》の契約者にして異世界よりの来訪者────《ナラズ》のミノ・リレッドノー。私と一緒に来い」

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