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第一章

 目の前に布の塊が転がり落ちてきたのは、朝日が昇って間もない頃合だった。

 つい数日前にようやく念願叶ってこの大地を歩き始めてから、準備していた糧食が殆ど無くなり道端に生っている木の実と水で嵩増ししつつ腹を満たして、ようやく目的地の町が見え始めた時のこと。

 そろそろ最後の鹿の干し肉に手を伸ばす頃かと空腹と相談をしていると、突然草木を掻き分ける音と共に中に何かが詰まった襤褸(ぼろ)が隣に聳え立つ山の斜面から投げ出されたのだ。

 思わぬ出来事に足を止め、野生の動物かと警戒する。誰かが仕掛けた罠から抜け出してきた手負いかもしれない。大物となるとろくに体力の無い今の体では臨時の食料にするには難しい話かもしれないと。

 そうしてしばらく見つめて、けれど身動き一つしない布の塊にゆっくりと近づく。手は左腰に下げた大型サーベル、シャブラの柄にかける。

 やがて刃の届く距離まで来たところで、布の塊から細い脚が見えた。傷は沢山あるが、獣のように毛で覆われているわけでは無い。

 直ぐにそれが人だと気付いて覗き込む。

 すると襤褸の隙間からこちらを見つめる赤色の瞳と視線が交わった。

 再び布から伸びる足を見て気付く。どうやら女らしい。襤褸布一枚を身に纏い、何がしかの理由から木々の間を抜けて走ってきたようだ。

 既に意識を失い目を閉じて呼吸をする少女に、それから脳裏を過ぎった予感が告げる。

 ……これは、関わったら面倒になるやつだ。

 理由は知らないが、武器の一つも持っていない様子。それでいてこの傷で山の中を抜けてきたという事は、追っ手がいて、そちらは何かしらの武器を持っているということだ。

 とするならば、直ぐにでもその者たちが来て彼女を連れて行くことだろう。

 もしそこに居合わせればあらぬ疑いを掛けられて切り捨てられかねない。

 腕に覚え……と言うか戦う術は無理矢理に師事させられた人物から叩き込まれはしたけれども。それは自分の身を守る為の仕方ないもので、主に野生動物相手の経験しかない。一人で戦ったのも二度だけだ。

 人間相手となると実力にもよるが……三人までなら自分の身くらいは守って逃げ延びられる。それ以上となると無理で、騎士が相手なら一対一でも怪しい。

 戦わずに済むのならそれでいい。……と言うか目立つことをするべきではない身だ。面倒には関わらないに限る。

 彼女には申し訳ないが、見なかった事にするとしよう。

 それに助けたところでどうするというのだ。見返りがあるか分からない。手持ちの食い扶持(ぶち)だって少ない。人一人を世話できるほど余裕は無いのだ。

 …………一応損得で語れば、女である以上少し大きな町に行って奴隷商にでも差し出せばいくらかの金にはなるだろうか。その日暮らしな身にしてみれば大金になることだろう。金はあっても困らないが、人一人なんて高が知れてる。自分で競売に出すならもっと高値になるが、そんな伝の無い身からすれば奴隷商に安く買い叩かれて精々一月分の食料だ。

 しかしここから一番近い大きな町は歩いて一週間以上はある。それにやはり目立つような事はするべきではない。自分の身を守る為にも、彼女はここで見捨てるべきだ。

 現状と損得を掛け合わせて結論を下すと、小さく息を吐いて視線を外す。

 結局世界なんて何処も同じ。弱き者が理由をつけて虐げられ、強き者はその場限りに他者を見下す。人が人であり自分を探す以上、切っても切れない反吐が出るほどの感情だ。

 その興味のない悪意に殺された身からすれば、また弱者になるのはごめんだ。誰にも邪魔されずにひっそりと自分を謳歌したい。

 不安要素は、いらない。

 名前も知らない女を避けて歩き出す。傷だらけの少女を見た後であまり気は乗らないが、どこかで一旦休憩して腹ごしらえだ。

 淡い色のローブの下。腰につけた麻袋から場所を決めようと地図を取り出す。それとほぼ同時、山の斜面を滑るように降りてきた男が三人。こちらの進行方向に固まって現れた。


「やっと見つけた……手間を掛けさせやがって」


 可哀相に。逃げるならもう少し準備を整えてからにするんだったな。いい教訓になっただろう。次があったら是非活かして欲しいものだ。

 そんな事を思いつつ、肩で息をしている男の傍を抜ける。と、突然目の前に一人の男が体を割り込ませた。


「おい兄ちゃん、まさか逃げようってんじゃねぇだろうな?」

「……俺は無関係だ。女を追ってるなら早く連れて行ったらどうだ?」

「ははっ、情けなしに女を売ろうってか。いいねぇ、嫌いじゃねぇよ、その薄情さ」

「そりゃどうも」

「けどな、兄ちゃんがこの先の町で俺達の事を売らないとも限らねぇだろ?」


 目の前の男がその目に強い光を灯す。目撃者の口封じ。大命背負って形振り構っていられないならそれもまた正しいかもしれない。けれどこちらにしてみればいい迷惑だ。

 確かに情報を売る事はできるだろう。もし町でいい仕事が無ければそうする事も(やぶさ)かではなかった。ただそれは最終手段で、できるなら関わりたくないのが本心だ。理不尽な面倒ほど身にならない物はない。

 そんな事を当たり前のように考える傍ら、頭の片隅で損得が働く。気付けば尋ね返していた。


「……あの女は情報を売られて危険が及ぶほどに価値があるのか?」

「価値なんてものじゃねぇさっ。そこらの令嬢攫って突き出すよりは余程でかい話さ!」

「……………………」

「魔剣だよ。しかも札付きの人型だっ!」

「へぇ」


 目の前の欲を想像して心が躍ったか。思いの外あっさりと理由を喋ってくれた。

 首を捻り少女へと視線を向ける。

 魔剣。魔の宿りし剣。

 今腰に下げている金属の塊が百本束になっても敵わないほどの力を秘める特別な剣。中でも人の形を取る物は数えられるほどしかなく、その値は土地を買えるほどだと聞いた事がある。


「あんな少女がねぇ」

「《コキ》、《スクイ》、《エモク》……沢山の二つ名持ちの価値がつけられないほどの一品さっ。兄ちゃんも剣持ってんだ。噂くらいは聞いた事があるだろ?」


 しかも複数の異名持ちとは流石に驚く。

 二つ名──誡銘(かいめい)と呼ばれる魔剣の異名は、基本的に一つだ。

 ただ世界に恐れられる魔剣にはそれに見合うだけの名が複数与えられる事もある。

 それにしたって三つ……いや、男の言い分ならもっとあるのか。そこまでの一品がこんなところいるのはおかしな話だ。そういうのは大抵どこかの国が管理していそうなものだけれども。


「残念ながら契約相手の見つからない野良だがな。野良は野良なりに使いようがあるってものだろう?」


 傭兵などが最たるものか。何処までも損得と非情で答えれば、彼の言い分は正しい筈だ。

 けれども傭兵にだって矜持くらいあるだろう。そんな事を好き勝手に言えるのは、それこそ興味のない輩がその場限りの話の種にする時だけだ。


「売り物か?」

「売らない価値ってのをしらねぇのか?」

「なら所有権は誰にもないって事か」


 本当に面倒な話に巻き込まれたものだと。左手で頭を掻いて──彼の足をエストックで刺した。


「ぃっ! な、てめ……!」

「見逃さなかったお前が悪い」


 どう転んでも先は無い。なら目先の欲に溺れるのが最も合理的だ。

 呻き、叫ぼうとした目の前の男。けれどその声が仲間への救難信号になる前に次を振るう。

 一撃目は先ほどのエストック。背中に隠していたそれを頭を掻く動作に合わせて抜いた刺突。脚を貫いて機動力を奪う。次いで左腰に下げたシャブラを右手で抜き放つ。居合いの要領で鞘をレールに奔らせた一線が、男の右脇腹から左の肩目掛けて逆袈裟斬り。

 直ぐに距離を取ろうとしたが、それに合わせて踏み込んだ距離感が逃がす前に服の上から斬りつける。奇襲に二の太刀。人間相手は初めてだったが、獣と同じで隙を突くというのはやはり強い。


「ぁがああぁっ!?」

「っ……!」


 叫びに合わせて反転。話している間に少女の方へ向かった二人へ疾駆し、剣の距離へ。上がった声にかこちらへ気付いた男は、直ぐに反撃をとショートソードを抜く。

 ショートとは名前だけで、刃は50センチあるだろう。一般的にファンタジーで想像する両刃の剣と言うのがいわゆるショートソードだ。流石にそれを真正面から受け止めるには面倒だ。そう過ぎった思考が半身をずらした後、柄を握る手元へエストックの突きを繰り出す。

 ショートソードに比べ細く耐久性は無いものの、長さはロングソードよりも長い。お陰で相手の剣がこちらに届かない外から一撃が通る。

 丁度親指と人差し指の間……合谷(ごうこく)と呼ばれる部分に刺さったらしい刃が、肉の感触を裂いてこちらに伝える。痛みに手の力を解いた男がショートソードを取り落とす。

 その隙を逃すはずもなく、また一歩近づいた中で今度はシャブラを振り下ろす。防御しようとしたらしい腕を斜めに斬り付け、すれ違い様にエストックの刃で脇腹を撫で斬る。

 そうして最後。こちらに対して臨戦態勢の男。手には肉厚の刃を持つグラディウス。剣としては短いが、破壊力は随一で叩き切る事を目的とした両刃剣。

 流石にこちらの二本を合わせても受け止められはしないだろう。護剣のあるシャブラはともかく、エストックは細い。防御を想定はしていない。けれどならば、まともに受けなければいいだけのこと。

 最も効率的に大上段へ振り被られたグラディウスが、風を割いて脳天に迫る。それをシャブラで受け、流す。勢いを殺さず、向きだけを少しだけ変えて体の横へ。大地を抉った刀身には目もくれずそのまま手首を捻り、シャブラを男の手首へ。エストックを首筋へ向け、寸前で止める。


「……悪いけど人を斬るのはこれが初めてなんだ。一応急所は外したつもりだが、もしかしたら死ぬかもしれない。そこで取引だ。お前を含めた三人の命と女の身柄。どっちが恋しい?」

「…………荒っぽいがいい筋してるなぁ。誰に習ったよ」

「答えは?」

「ははっ、いいぜ! 年下に情けを掛けられたとあっちゃあそろそろ引き際だ。この仕事にも飽きてたんだ。いい機会だからここらで足を洗うとさせてもらうよ。……それにあいつらは俺の幼馴染なんだ。物心ついたときから一緒に生きてきたやつを見捨てられるかよ」

「仲間思いなことだな」


 グラディウスを捨てた男から武器を引けば、彼は早足に二人の元へ駆け寄る。二人目は直ぐに塞げば大丈夫だろう。一人目はもしかすると助からないかもしれない。手応え的には浅いはずだが、どうだろうか。

 が、どうやら残った彼には応急手当の知識があったらしく、手早く処置をし始める。あの様子なら二人とも助かるだろう。

 初めてだったとは言え本当に殺さなくてよかったと。僅かに残った良心でそんな事を考えながら武器をしまい、少女を担ぐ。ついでに彼の手放したグラディウスを拾っておいた。町に着いたら換金するとしよう。僅かばかりだが無いよりはましだ。


「……もしどこかで縁があったら一緒に仕事でもできるといいな。あとこいつは貰っていくぞ」

「あぁ、次に会うときがまた敵でなければな」


 話で分かるなら初めから彼を相手にしていればよかったかもしれないと。今更ながらに思いつつ彼らの傍を通り過ぎる。


「あとな、そいつは余り物を使ってただけなんだ。本気で相手してやれなくてすまねぇな」


 背中に掛けられた声には、肩越しに手でも振っておく。

 こんな仕事に当たっていたところを考えるに、恐らく傭兵か傭兵崩れの何でも屋か。この先どんな道があるのかと問えば、彼らのやる気次第だろうと答えるとしよう。

 真っ当な職は難しいかもしれないが、自分たちだけでどうにかするだけならやりようはあるはずだ。

 それに彼らは幼馴染と言う出会いで繋がっている。ならばこの先だってしぶとく生き延びるのかもしれない。それこそ、本当にどこかで再会する事もあれば面白いと。

 希望以下の楽しみを見出しながら、その場を後にした。




 しばらく歩くと道端に野営の跡を見つけた。ここで誰かが休憩したというのなら安全はある程度保障されている。それに火を熾した跡がある。これを借りれば無駄に手間をかけなくてもよさそうだ。

 決まればすぐに動き出す。少女を近くの木の幹へ下ろし乾いた枝を数本。それから麻袋より取り出した火打石で火種を作る。

 前の人が料理でもしたのか、石を集めて即席の調理場が出来ていた。それを借りて食事の準備を進める。

 手持ちは鹿の干し肉一枚と先ほど見つけた食べられる茸、それから野草だ。まとめて器に放り込み、水を入れて火に掛ける。ごった煮だが、茸の出汁と干し肉の塩で薄味はついてくれる。肉が入っているだけ豪華な食事だ。ついでに串に刺した茸を炙り焼き。量も町まで歩くには申し分ないはずだ。

 出来上がるまでに少女の様子見。

 どうやら先ほどの彼らの話では価値のある魔剣らしい。中途半端な値なら労力と天秤に掛けて切り捨てるのだろうが、今回はそれに見合うだけの返りがあるはずだ。

 もしかすると彼らに担がされた可能性もあるが、それならばせめて町での逗留代にはなって欲しいものだ。

 そんな事を考えながら、残った水をまだ綺麗な布に染みこませて少女の目に付いた汚れを拭いて行く。

 襤褸の下は…………少しだけ考えてやめておいた。下手に手を出して価値が落ちたら襲い来る遣り切れなさに押し潰されてしまう。

 それになんと言うか、手が出にくいのだ。別に女に興味がないとかそういうわけではない。

 ただ目の前で眠る少女が、あまりにも綺麗過ぎるのだ。

 跳ねたり絡まったりで上等とは言い難いが長い黒髪。細い体の線に、まだ血色のいい肌。少し手を掛けて質のいいもので着飾ればどこぞのお嬢様と言っても通りそうな素材だ。ただちょっと、女としての魅力が少ないか。

 年は……15程だろうか。華奢な体が物語るようにあまり栄養と言うものを取っていないらしい。その所為で女らしい魅力も育たなかったようだ。

 ……まぁ何処の世界にも好事家はいるものだ。運がよければ普通以上の値がつく事も期待できる。そうなれば少しは楽しい時間も過ごせるだろうか。

 考えながら一通り汚れを拭き取った頃、火に掛けた料理とも言えない食事が出来上がる。

 まだ陽は高く暑い日中。焚き火の傍で暖を取りながらなんて馬鹿な事はしない。土を掛け火を消して、器を提げたまま少しだけ冷ます。その間に串焼きをと手を伸ばしたところで、不意に体が前へと倒れた。

 感じたのは背中の重み。咄嗟に体を捻って仰向けに倒れれば、首へ向けて生暖かい手のひらが伸びて来た。


「ぁぐっ……!」

「目的は──きゃうっ!」


 馬乗りになって首を絞めてこようとした少女。鼻先に掠めた毛先に生物の匂いを感じて、右の掌底を横腹に叩き込む。あまり力は乗らなかったが、思わぬ反撃にか簡単に転がった少女が悲鳴の後にこちらを睨んできた。


「……なんだ、起きてたのか」

「…………あんたに辱められるくらいならいっそここで……!」


 近くに落ちていた木の枝を拾って自分の首筋に突き立てる少女。自害されては面倒だと抜いたエストックで枝を弾く。

 目の前に迫った刃先にか驚いた彼女は、尻餅を突いて倒れた。


「あの三人組から助けてやったのに随分なご挨拶だな」

「……べつに、頼んでないし。それに────」


 顔を逸らして小さく呟く少女。けれどその先の言葉は、鳴り響いた音に掻き消された。思わず気を削がれ視線を向けた先は彼女のお腹。慌てて手で押さえた彼女の横顔に朱が混じる。

 が、そんな個人的な羞恥心に付き合ってる暇は無い。恩も感じずそれどころか敵視……。目が覚めた以上言う事を聞かせるのも手間だ。奴隷商を目前にして逃げられたら本当に意味がなくなってしまう。

 楽して手に入る金に溺れかけたが、そもそもその保障が何処にある。徒労を背負い込む前に見限るならここが最後だ。

 それに、彼女がこれからどう生きようと知った事では無い。きっと選択の自由が手に入るのだ。彼女が望んだ通りだろう。


「好意の押し売りなんてするものじゃなかったな」

「え…………?」

「食いたければ勝手に食え。それでどこか好きな場所に行け」


 空腹を理由に更なる面倒を運び込まれるのは最悪だ。最後の肉だが身の安全のためには仕方ない。

 吐き捨てるように告げて、少し焦げてしまった茸にかじりつく。仕方ない。町に着いたら日銭だけ稼いで凌ぐとしよう。

 呆気に取られている様子の少女に一瞥をして、腰を下ろす。これ以上話すこともない。食べたら直ぐに町へ行こう。

 そんな事を考えていると、しばらくして我に返ったらしい少女が湯気を立てる汁を見つめる。葛藤は意地か。ならばやはり彼女を売り飛ばすのは面倒そうだ。ここで切って正解だろう。


「……食べないなら、」

「っ…………!」


 試す意味で問うように口にすれば、数瞬はやく手を伸ばした少女が器を手元に攫う。意地で生きていけるほどこの世界は優しくない。プライドがあるのは結構だが、もう少し自分の命と天秤に掛ける感性を持つべきだと。

 ……いや、もし魔剣なら損得なんていらないのかもしれない。最悪人型が保てなくなれば剣の姿になってその中で眠り続ければいいだけの事だ。馬鹿でないなら一体何に悩んだというのだろうか。

 …………詮索するだけ首を突っ込む。やめておこう。

 二つ目の茸を食べ終えて串を捨て、ここから先の道を地図で確認する。と、いつからか器越しにこちらを見つめる赤い瞳が僅かに魂を取り戻して確認のように零す。


「……早く行けば」

「なら器を返せ」


 残念ながら今持っているのは彼女が食べているそれ一つだけだ。粗悪品だがまだ穴の開いていない、使い道など幾らでもある旅のお供。幾らここで手放すといっても、行きがけの駄賃にやるつもりは無い。

 静かに告げれば、しばらくこちらを睨んだ彼女はやがて流し込むように中身を食べ終えて、こちらに器を投げて寄越した。

 直ぐに準備を整えて歩き出す。無駄に時間を食った。少し急いで町に向かうとしよう。

 見上げた空に浮かぶ太陽は僅かに天頂を過ぎた辺り。これから丁度暑くなる。出来る限り影を選んで行くのがいいだろうか。……少し近道にもなるから森の中を突っ切るのもありだ。木々が天然の傘になって暑さは凌げるはずだ。ただし、昨日雨が降ったから足元には注意しなければ。

 至った結論が足を出す。山際の道をしばらく進んで、そこから下に降りる道なき道を見つける。森に入る前に太陽と影の傾きを確認して、それから野生の住処へと踏み出した。


「ぇ……ここ行くの?」


 想像通り影のお陰か風があって涼しい。足元は多少ぬかるんでいるが、選んで通れば問題は無い。近くに動物の気配もないし、獣道と言うほど生い茂ってもいない。恐らくある程度の周期で誰かが利用しているのだろう。ならば道を辿っていけば町の近くに出られるはずだ。


「うぇ、泥がぁ……」


 地図には載っていない道の発見に、少しだけ冒険心が疼きながら進む。植生は豊かな方だ。緑も多いし、もうそろそろ実がついてもおかしくない。少し時期が遅れれば自然の恵みにありつけただろうか。

 ……いや、そうか。道ができているのはこの辺りの果物を取りに来る者がいるからか。どうやら手付かずの森と言うわけではなさそうだ。


「虫邪魔……痛っ」

「……………………」


 流石に無視できなくなって足を止める。振り返った先には顰め面で襤褸の裾に泥を跳ねさせた少女の姿だった。どうやら長い髪が枝に絡まったらしい。


「どうしてついてくる」

「あぁ、もうっなにこれ……取れないし……!」

「聞いているのか」

「うるさいっ、少し黙ってて!」


 人間、我慢の限界と言うものが存在するのだ。

 全く、彼女と出会ってからこちらの調子を狂わされてばかりだ。彼女がいるから、こんなにも苛立ちが募るのだ。ならばいっそ、今ここで斬り捨ててしまったらどれだけ楽になれるだろうか。

 渦巻く感慨と共に、シャブラを抜いて振り被る。と、こちらに気付いたらしい少女が慌てたように叫ぶ。


「ま、待って! 髪は切らないでっ」


 そんな都合、知ったことか。

 胸の内に蟠った苛立ちを発散するように力任せにシャブラを振り下ろす。

 咄嗟に逃げようとしたのだろう。まだ髪の解けていない枝を引っ張るように動いた体が一瞬枝に引っ張り返されて、次いで糸の切れたようにぬかるんだ地面へと倒れこんだ。

 目を瞑っていたらしい彼女は恐る恐る目を開けて、それから髪が引っ張られていない事に気がついたのか、慌ててその毛先を探る。そうして手繰り寄せた先に、絡まったままの木の枝がついている事に気が付いたらしい彼女は、こちらを見上げてくる。


「…………どうして」

「質問に答えろ。どうしてついて来る」


 静かに問えば、顔を逸らした少女はそれから小さく呟く。


「……行く宛てなんてない。でもやらなきゃいけないことがある。だからその為に────」

「残念だが手を貸せるほど暇をしてない。他を当たれ」

「……………………」


 既に金にならない面倒を背負い込んだのだ。その上にただ働きなんてしたくない。

 ……いや、まだ可能性があるか。


「手を貸すに見合う報酬が払えるなら話は別だがな」

「……報酬?」

「金だ。生きていくのにこれ以上に必要なものは無い」

「…………持ってない」


 そんな事だろうと思った。ならばやはり彼女に貸す力は無い。

 とは言えこれ以上絡まれても面倒だ。


「この先の町にいけば傭兵がいる。そいつらに手伝ってもらえばいい」

「……貴方もそこに行くの?」

「だったらどうした」


 瞳に宿る僅かな炎に、それ以上考えるのをやめる。案内をするつもりはないが、勝手についてくるなら好きにしたらいい。


「……勝手にしろ。ただし話し掛けるな。あと傭兵を雇うのにも金が要る。ないなら自分で稼げ」

「…………うん」


 嫌に素直なのはそれしか方法を見つけられないからか。

 言葉を交わすたびに彼女に対する疑念が募る。だからこそこれ以上こちらを掻き乱さないで欲しいと今ここで斬り捨てたくもなる。

 本当に、これ以上会話をしたところで益などない。ならばせめて町へ付くまでの辛抱だ。

 足を止めるほどのことでもなかった。そう考えて踵を返したところで、次に出そうとした足を止める。

 鼻を突いた獣のにおい。僅かに聞こえる息遣い。やがて目の前に姿を現したのは一匹の狼だった。


「……そうか、血か……」


 ちらりと向けたのは背後の少女。先ほど戯れから汚れは拭ったが、その時に彼女が怪我をしているのを見ている。おそらくその血の匂いを嗅ぎ付けてやってきたのだろう。

 狼は慎重だ。数と地形で有利があると知った上でしか狩りを行わない。加えて仲間が負傷すれば無駄な深追いもしてはこない。ともすれば人よりもチームワークを知っている賢い生き物だ。


「なに、なんで……」

「おい、お前。戦えるか?」

「え?」

「剣は使えるかって訊いてるんだ」

「……………………使える」


 状況が飲み込めていないらしい少女を現実に引き戻す。返った言葉に最低限の確認をして小さく息を吐く。


「なら自分の身は自分で守れ。一匹やれば逃げていく」


 こんなことなら近道なんてするんじゃなかったと。胸の内で毒づいてシャブラを抜き放ち背後の彼女へ突き出す。それを一瞥した少女は、けれど受け取らずに顔を背けた。


「……どうした」

「…………お兄さん、魔剣って知ってる?」

「いきなりなんだ」

「知ってる?」


 次の瞬間を争う今この時に確認する事かと。けれどどうにか飲み込んで頷く。


「別に人に寄生して剣として戦うだけが魔剣のできることじゃないんだよ」


 言うが早いか、少女が広げた手のひらの中にどこからともなく現れた黒い靄が集まっていく。次の瞬間、それが剣の形を模ったかと思うと、灰色の短剣が二振り顕現した。

 それが魔剣としてできること。剣の生成らしい。


「……便利だな」

「こんなのしか創れないけれどね」


 得物があるなら気を遣う必要もない。……気? 傷ついた少女に同情でもしたって言うのか。馬鹿らしい。


「何匹いるか分からないからな」

「…………7匹」

「……根拠は」

「血の……鉄のにおい」


 許容し難いものを目の前にしたように吐き捨てる少女。

 彼女の事を何も知らない。だから考えるだけ無駄なのは分かっている。けれどそれが血のにおいだと嫌悪するくらいにはそういう経験があるらしい。魔剣も大変なものだ。

 それとも単純に、剣も金属だから直感で分かるのだろうか。だというなら便利なレーダーだ。


「一匹でいいんだよね?」

「……別に、殺さなくてもいい。怪我をさせれば仲間を庇って逃げていく」

「そっか、よかった…………」


 小さな呟きは安堵の色。僅かに笑った気がする言葉の端に、甘い少女だと思いながら。

 そうして僅かに息を詰めれば、右の生い茂った草の中から子供一人はありそうな巨体が飛び掛ってきた。反射的に右手のシャブラを振るうと、大口を開けて噛み付こうとしていた狼を凪ぐような一線。それが偶然か、口を閉じた狼の顎に噛まれて止まる。もし意図して噛んだと言うなら随分と知能の高い獣だ。

 そんな事を考えながら抜いたエストック。次いでシャブラに噛み付いた狼の首目掛けて刺突を振り下ろす。

 が、(すんで)のところで噛みつきを離して逃げた狼。けれど離れて着地したそこへ、少女が投げた短剣が迫る。それを獣の運動神経で走ってかわし、再び森の中へと消えていく。

 ちらりと少女を見れば、既にその手には短剣が二本。投げても作り出せばいい、と言うのは便利な使い方だ。ならそれを逆に利用するべきだ。


「その短剣、もっと沢山創れるか?」

「……13本までなら」

「一回でいい。準備してくれ」

「わかった」


 答えて目を閉じた少女。それをカバーするように全方位に向けて警戒の網を張る。刹那に、自分と少女の目の前……対角線上の二匹が狙いを済ましたように同じタイミングで飛び掛ってきた。

 流石に体が二つになるわけではない。はたまた魔剣のように特別な力が使えるわけでもない。ならば出来ない事を逆手に取って相手にやらせるだけのこと。


「きゃぅっ!」

「剣を作ることだけに集中してろっ」


 咄嗟に少女の手を引いて右へ跳躍。彼女が体勢を崩さないように支えながら、跳んだ方へ叩きつけるようにシャブラを振るう。と、そこへ茂みから飛び出してきた三匹目がやってきて、横殴りにその体を吹っ飛ばした。

 手のひらに残る重い感触。しかしそれに浸っている余裕もなくて、木の幹を背に目の前から襲い来る二匹に応戦。一匹を先ほどと同じように剣の腹で殴りつけ、二匹目はしゃがんでかわす。深く削れるような音は頭の上の木の表面から。あんなのに噛み付かれたら人間の細腕なんて直ぐに砕かれてしまう。


「できたっ!」

「あいつへ撃て!」


 思いは、けれど数瞬の出来事。叫び声に彼女の周りへ滞空する短剣を見やって、先ほど叩き飛ばした狼を指定して駆け出す。直後、後ろから追い抜いた十三本の鈍色の軌跡。空を駆けた刃の軍勢は一拍置いて立ち上がった狼に向けて殺到する。

 それを跳んでかわした獣。今ので怪我をしてくれればと甘い考えを捨てて、滑る泥の大地を利用し腹の下へ潜り込む。


「あぁああっ!」


 続け様に振るったシャブラとエストック。腹と後ろ足に一撃ずつ、浅い感触を刻んで距離を取る。

 足を切られたせいか、着地に失敗した狼が泥を跳ねて倒れ、仲間を気遣うように三匹の仲間が姿を現した。

 よく一匹狼なんて言われるが、狼は群れで行動する生き物だ。だからこそ仲間が傷つけばそれを見捨てるような事は基本しない。不利を悟れば賢く撤退の判断も下す。力に溺れた人間の戦士よりはチームワークに優れた生物だ。

 だからこそその瞬間は逃さない。

 取り出したのは小石ほどの球が五つほど。それを狼と自分の間に向けて叩きつける。刹那、響き渡った破裂音。

 いざと言うときの癇癪球。タイミングさえ逃さなければ人間相手にだって有効な道具だ。

 森の中を反響する破裂音に驚いた様子の狼。散り散りに駆け出すその姿を捉えつつ、踵を返す。


「走れっ!」

「どっち!?」

「真っ直ぐだ!」


 叫ぶように答えて走り出す。殿(しんがり)も含め少女の後ろを走る。振り返って確認をしてみたが、どうやら追ってきている様子は無い。一先ずは安心だろうか。


「ひゃうっ!」


 思って前を向いた瞬間、地面に足を取られたらしい少女が前傾するのが見えた。咄嗟に手を伸ばして空を掻いた腕を掴む。

 甘いのはどちらだと舌打ちして立ち止まれば、どうにか自然の仮面を被らなくて済んだらしい彼女がこちらを見上げていた。


「よくそんなのであそこまで逃げ切れたものだな」

「っ、うるさい!」


 憎まれ口は何に対するものか。反射的な行動と言うものはどうにも納得がいかないと手を離し歩き出す。後ろを少女が慌てたようについてくる。


「……町までだ。町に着いたら好きにしろ」

「…………うん」


 ここまでしておいて今更無関係を演じるのも面倒だ。仕方ないが、たった一時行動を共にするとしよう。それに彼女の力……魔剣としての能力は少しだけ役に立つ。ならばせめて利用できるだけ利用させてもらうのが合理的だ。最悪、彼女を売り飛ばせば僅かの金になる。そうなった時、恨むなら他人を信用しすぎた自分を恨めばいい。

 呼吸を整えて太陽の位置を確認するために空を仰ぐ。と、それとほぼ同時、背後で小さな水飛沫が聞こえて苛立ちと共に足を止めた。

 振り返らなければそれもまた正しい。が、ここまで関わっておいて見返りの一つもなしとはどうにも釈然としない。

 逡巡。それから諦めたように踵を返して気を失ったらしい少女に歩み寄る。


「ったく、面倒ばっかり運んできやがって。いい加減にしろよ……」


 呟きは彼女に聞こえる事もなく森の中に吸い込まれて。何で一日に二度も同じものを背負わなければならないのかと呆れながら増えた荷物に嘆息する。

 恐らくこの気絶は魔力の枯渇によるものだろう。

 魔剣は剣に魔が宿った存在だ。その姿は基本的に剣の姿をしているが、稀に高位の物は人型を持つ。それが背中の彼女だ。魔剣は普通の剣とは違い特別な力を持つ。それは剣に秘められた魔の存在……《天魔(レグナ)》と呼ばれるものによって変わるらしい。

 魔の存在は魔力を用いて技を使う。それは剣に宿る《天魔》も、人と敵対する《魔堕(デーヴィーグ)》も同じだ。そんな存在も、魔力なしには基本的に何も出来ない。魔物としてのかの存在が人と敵対し争うのは、その力が恐れられるからだ。もちろん、魔力によって肥大した体や膂力(りょりょく)は人のそれを凌駕するから、素手で戦えば負けるのは人間だが、魔物と言う存在を語るならばやはりその特別な力だろう。

 しかしその魔力も有限だ。人間で言うところの体力に相当する概念で、生命力とはまた別だ。ただ、魔物としての体は魔力に左右される部分が大きいらしく、極度に失えば背中の彼女のように気を失ってしまうらしい。

 魔力は時間経過で回復し、しっかりと休息をすればその効率は上がる。

 また、魔力はこの世界の誰もが持っている力だ。ただし、それを自由に使えるのは魔物だけで、人間がそれを使う際には魔剣のような特別な存在を用いるしかない。

 つまり人間一人では先ほど彼女がしていたような剣の生成などができないと言うことだ。

 人間一人で生きていくには魔力なんて概念だけの存在。ただ、世界には魔剣と契約をして武を振るう者もいる。そういう者にとっては魔力は幾らあっても困らないのかもしれない。あっても宝の持ち腐れになるやつだっているだろうに。

 と、いつの間にか思考の矛先が彼女から外れている事に気がついて荷物に目を向ける。

 そう言えば彼女は魔剣らしいが、今は契約をしていないのだろうか。数多もの二つ名を持つらしい彼女は、恐らくそれだけ契約をし、畏怖されてきたという事だ。基本的に一つである二つ名が複数あること自体まずおかしな話なのだけれども。

 魔剣が人間と契約する際は契約相手は一人と決まっている。逆に、人間が魔剣と契約をする際は魔剣に供給する魔力が許す限り何体でも可能だ。つまり一夫多妻のように一人の宿主と複数の魔剣が契約することはありえる。が、その逆は無いのだ。

 だから同時契約で複数の持ち主が恐れられ、同時期に沢山の二つ名を与えられるということはありえない。彼女が背負っているそれらはその数だけ契約をしてきた証と言うわけだ。

 と言うか複数の契約をしてきたという事は、それだけ力を見込まれたと言う事だ。それならば複数人と次々に契約をするのはおかしな話だ。契約をしたその最初の人物が他の及ばない力で圧倒し続ければ、その契約が破棄されることも無く他の者が契約をすることは出来ない。つまり彼女と契約した宿主が呪いの様に次々死んで行ったか、揃いも揃って自力が弱かった事になるのだろうか……? 彼女が幾つもの二つ名を持つこと以上に不思議な偶然だ。

 あと一つ考察材料を引っ張り出してくるのならば、魔剣は魔物が宿った剣でその主人格は魔物に由来する。魔物は見た目から年齢が分からない。つまり少女の姿を取っているからと言って、魔剣としての生が短いとは限らないということだ。

 年若い……15歳ほどの見た目をしているが、その実年齢はこの世界の人間の誰よりも年を経ているということもありえる。それならば幾つもの二つ名を持つ事もある程度は納得できるか。そうなると今度は随分と骨董品と言う事になるが……だったらあんなに戦い慣れをしていないわけが無い。

 考えるほどに彼女と言う存在が分からなくなる。どれほどを魔剣として生きてきて、どんな力を持っていて、何から逃げているのか……。そこまで考えて、彼女の詮索をしている自分に溜め息を吐いた。

 興味なんて、首を突っ込むだけ面倒に巻き込まれるだけなのに。

 面倒、面倒、面倒。

 俺はただ、何にも縛られず自由に生きて居たいだけだ。だからこんな青空の下にいるのだろう。

 いつの間にか抜けていた森。目の前に横切る踏み固められた土の街道の行く先を眺めて、遠くに目的地の町を見つける。この調子なら着いて直ぐに仕事の一つでもこなせる時間はあるだろうか。

 見上げた天上の明かりに時を概算しながら荷物を背負い直す。と、そうして揺らした事にか目を覚ましたらしい少女が呻き声を漏らした。


「……ぅみゅぁう…………」

「起きたなら自分で歩いてくれ。運搬依頼をしてるつもりは無い」

「ここどこぉ?」


 不安定な足取りで辺りを見渡す少女。その赤い瞳がこちらを向くと、警戒から顔を赤らめた。もしかして魔力の喪失は体に負荷を掛けるのだろうか。魔剣といえどその姿は人間だ。


「な、んで、あんたが……!」

「お前が倒れたんだろうが。つうか歩けるんだろうな? 怪我は?」

「大丈夫だから! 早く下ろしてっ!」


 ここまできたら彼女が金を運んできてくれるまで手放すつもりは無い。必要なら直ぐそこの木陰で休む事も考慮に入れつつ顔を覗き込めば、逃げるように距離を取った少女。仕草に、泥まみれの襤褸が揺れる。

 その際に見えた白い足に思わず顔を逸らして、それから予備のローブを取り出した。


「……取りあえず着替えろ。そんな格好で町に入ったら我欲に塗れた大人が楽しいところへ案内してくれるぞ?」

「ふぇ……? ふわぁあっ、なにこれぇ!? へんたい! こっちみんなぁ!」


 人の気遣いを無碍にするような物言いに差し出したローブを引っ込めかける。けれどその数瞬前にこちらの手から掠め取った少女は、自分の身を守るように腕を交差させながら叫んだ。残念ながら泥まみれに欲情するほど特殊性癖は持ち合わせていない。

 忙しくうるさい少女だと溜息一つ。頭を掻きながら背を向けて、手持ち無沙汰にシャブラとエストックを手入れする。先ほど狼を斬った際の血がまだ付いたままだ。町に行ったら水場で洗うとしよう。

 一通り血を拭い終わると、丁度着替えが終わったらしい少女が茂みから姿を現した。一回り大きな所為か、服に着られるような感じでローブを纏う姿が、少しだけてるてる坊主を想起させた。


「少し大きいけど、いいね。お陰でへんたいから守ってくれるっ」

「言ってろ」

「あわっ、ま、前見えない……!」


 笑顔でそんな事を言えるくらいには楽観的な彼女に少しだけイラついて腹いせにフードを被せる。そうして少しだけ溜飲を下げた足取りで町へと向かう。しばらくして小走りに追いついてきた少女が当たり前のように隣に並び立った。


「……言っておくが町までだからな。町に着いたら別行動だ。勝手に仕事探して稼いだ金で傭兵でも雇ってしたいことでもしろ」

「したいこと……」


 口先は理想論。彼女がどこかへ行く前に金にしてさようならだ。もし次の町にそういう繋がりがいなければお人好しでも装い、彼女を連れて大きい町にでも向かうとしよう。

 そんな事を考えながら向けた言葉に、少女は顔を伏せて呟く。それから直ぐに彼女が魔剣だったと思い出した。

 人の形をしているからといって魔剣は魔剣だ。その主人格は《天魔》と呼ばれる魔物で人とは違う。家族を持たなければ帰る場所もない。ただ少しだけ人に力を貸している変わり者に過ぎない。そんな彼女がしたいことなど持ち合わせているはずが無いのだ。

 魔剣は契約者なしではその実力を……本質を発揮できない。そうでなくとも先ほど倒れたくらいには持ち合わせの魔力が底を尽きかけているのだ。魔力の供給を受けていれば気絶なんて事も無いだろうから、契約も今はしていないのだろう。ならば彼女がしたいことなど見つけられるはずが無い。

 楽天的でその場限りに生きているような少女だが、どうにもそれは何かを隠しているように感じる。それが例えば数多もの契約者を死に導いた事に起因する空元気だったのなら、これ以上詮索しない方がいいだろう。

 そう言えば狼に襲われる前に言っていたか、やらなければいけないことがあると。とは言え聞いて関わるのは面倒だ。話題を変えるとしよう。


「……何処から逃げてきたのかは知らないが、少なくとも今は自由だ。やりたい事が無いならそれを見つければいいだろう」

「…………やさ、しさ?」

「他人事に馬鹿にしてるだけだ」

「だったらどうして助けたの?」

「……巻き込まれただけだ」


 別に本当の事を言ってもいいのだけれども。そうすれば彼女は逃げてしまうから。見返りなしは本当に面倒だ。せめて彼女がありもしない恩義を感じてくれるくらいには善人のような何かを演じるだけだ。

 少しだけ落ちた沈黙に土を踏み締める音が響く。傍にもう一つの足音がある事に少しだけ居心地の悪さを感じ始めた頃、独り言のように少女が零す。


「…………私、友達を置いてきたの」

「は?」

「一緒に逃げるつもりだった子を、置いてきた。だから助けに行かないと。でも一人じゃ無理。だから────」

「悪いが見返りの望めない協力はしない」

「……うん。だから誰かの力を借りたいの。……ねぇ、傭兵ってそういう事に力を貸してくれる?」

「金次第だ。仕事に見合う報酬を積めば動く、非情で正直な奴らだ」


 汚れ仕事、力仕事が主な内容だが、人探しだって立派な依頼。それにあの三人組に追われていたところを考えるに、腕っ節があった方がいいだろう。ならば傭兵を雇うのは正解かも知れない。


「ただ、相手はよく考えて選ぶ事だな。金につられて碌でもない奴と組めば一緒に死体を作るだけだ」

「…………」

「それに単純な人探しなら傭兵じゃなく衛士に頼め。あいつらなら正義の名の元に少しの金で手を貸してくれるだろうさ」

「…………それは、できない。そういうのは、駄目」


 傭兵がよくて衛士が駄目。どうやら話はより面倒な方向へ向いているらしい。同情しなくて正解だ。彼女に雇われる奴には代わりに同情してやるとしよう。

 他人事に話をしながら彼女の事を探ってそこに自分の目的を重ねる。

 と言うか、そうか。魔剣なら国に売ればいい。魔剣は契約者共々国に属する者ばかりだ。その戦力でバランスを取って世界はどうにか保たれている。ならば最も金にしてくれるところへ持ち込んで売り捌くのが一番だろう。

 ……そんな事を考えて却下する。足が付く。彼女もそうだが、俺もあまり悪目立ちする訳には行かない身なのだ。特に国なんてものに目を付けられたくは無い。やっぱり最初の予定通り世界の裏側に売り飛ばすのがいいだろう。


「贅沢なのはわかってる。けど、できるなら手を貸してくれたことを忘れてくれるような人がいい」

「完全に忘れるなんて事は無いだろうが、そこらの分別が無い奴が長く傭兵を続けてるなんて事は無いだろうさ」

「……若い人よりおじさんの方がいいってこと?」

「運がよければお姉さんでも同じ仕事をしてくれる事もある。ま、日頃の行いに縋るんだな」


 結局最後は巡り合せ。決断は彼女次第だ。


「…………って事はそこまで助言をくれるお兄さんが一番いい人って事だね」

「だから相手をよく見ろって言ってるんだ」


 もし本当に彼女が依頼をしてきたなら、これまでの話を総合して別の傭兵を紹介する。で、仲介料を頂いて終わりだ。残念ながら彼女の期待に答えられるだけの実力は持ち合わせていない。


「相手って……そう言えば私まだお兄さんの名前知らないんだけれど」

「…………そっくりそのまま返してやるよ」


 教える名前は無い。どうせこの場限りの付き合いだ。知ったところでどうなる。

 それにもし教えたとすれば、事ある毎に話を持って来て自由が利かなくなる。子守をしている余裕は無いのだ。


「名前、名前かぁ……。ねぇ、魔剣ってどうして名前が無いんだろうね」

「……………………」

「人はいいよね。生まれたときに親から愛のある名前を貰って、その固有名詞で呼ばれる」

「愛? 笑わせるな。そんなのただの親のエゴだ。子供には希望を託すだけで強要しちゃいけないんだよ。子供はてめぇの道具じゃねぇ……!」


 吐き捨てるように音にすれば、どこか驚いた風にこちらを見つめる少女の視線に我に返る。どうやら感情的になってしまったらしい。こんな事で今の自分を揺るがしたくは無い。

 言い聞かせるように自分の中で反芻して小さく息を吐く。


「……それに魔剣にだって名前があるだろ。《コキ》とか、《スクイ》とか」

「…………そんなの勝手に呼んでるだけのあだ名だよ。私の本当の名前さえ知らないくせに」


 と、今度は彼女が拗ねるように視線を逸らす。どうやら名前に対していい思い出がないらしい。そこに関しては同情と言うか、共感と言うか……少しばかり親近感を覚えるだろうか。

 名前を自分で決められたらどれだけ嬉しいことか。

 そうして交わした彼女の赤い瞳が悲しそうに居場所を求めて揺れる。

 ……今でも本気で関わるつもりは無いけれど、少しだけ考え直すのも手だろうか。


「どうでもいいが、名前が無いと不便だからな。傭兵みたいに刹那的な生き方をするなら別だが、お前は傭兵を雇うために金を工面する必要がある。もし真っ当に金を集めるなら人の世界は名前に対して辛辣だぞ。せめて人間らしい偽名の一つでも考えておくんだな」

「人の世界ってなんだか面倒だね……」

「あと折角なら仕事も自由に選べばいい」


 金を得るなら真っ当に仕事をするのが懸命だ。胡散臭いものに手を伸ばして危険を呼び込むのは馬鹿のすること。

 たった一時でも人の世界に潜り込んで貰うものだけ貰ってくればいい。賢く生きなければ損をするだけだ。


「仕事、どんなのがあるの?」

「……簡単なのは小間使いとかだな。種類によっては知識を問われるが、荷運びや伝令役なら誰でも出来る」

「へぇ、そんなのでも仕事になるんだね。それはちょっと面白いかも」


 人の世界は煩雑だ。物と金と情報が動き、知覚出来ないままに日常が積み重なっていく。魔剣の価値観からすれば少しだけ興味深い話かもしれない。考えながらまた一つ探った彼女の情報を頭の片隅に留める。

 これだけ沢山の事を小鳥のように質問してくる彼女。沢山の二つ名を持ち魔剣としての能力は破格なのだろうその本質は、どうにも人の世界についてをよく知らない。人の姿が出来てそれならば、恐らく人の世界に長くいた事が無いのだろう。と言う事は代わる代わる誰かに使われて戦場を荒らし回り、世界に恐れられるような歴史を歩んできてはいないと言うことだろうか。

 だと言うならどうしてそこまで沢山の異名を持つのか。逆に、どうしてそこまで人の世界の事を知らないのか。

 どちらかに彼女と言う存在を暴く秘密が眠っているような気がしながら、けれどその先の詮索はやはりやめておく。


「と言うかお兄さんはどうなの? これまでの話を聞く限りだと傭兵っぽいけど……」

「……旅人兼傭兵って所だ。だからってお前の依頼は受けないがな」

「知ってるよっ。……お兄さんも、いい仕事があるといいね」

「大きなお世話だ」


 他人の心配より自分の心配をすればいいのに。そんな心持ちで本当に大丈夫なのだろうかと少し心配になる。

 それに彼女は金の芽だ。報酬に準ずる利益を得る前に姿を消されては敵わない。やっぱりもう少し手を貸す振りをした方がいいだろうか。


「あと服をどうにかしろ。ローブ一枚は問題がある。髪も……できるなら短くした方がいいな。男だと思われた方が何かと便利だ」

「なんで?」

「そういう世界だから。人は差別をする生き物だ」


 常識を知らないらしい彼女にそれなりの手管を囁いておく。

 周りに受け入れてもらいたければ自分を殺せばいい。そうして自分を殺していることのストレスを、自分を殺さなくていい別の事で発散させれば生きていくだけなら申し分ない。

 結局幾ら自分を騙してその掃き溜めを作るかと言う話だ。


「……服は、男物でいいよね。髪は……帽子じゃだめ?」

「余程その髪に思い入れがあるんだな」

「友達が、褒めてくれたから……」


 少し絡まった長い黒髪を掻き集める様に掴む少女。その横顔がローブの奥で僅かに微笑んで、男らしく振舞うのは難しいかもしれないと想像する。

 とは言え女を売る事ができるようにも思えない。だったらどこかの看板娘にでもなった方が幾らかましだろうか。あと、その友達と言うのが先ほど置いてきてしまった友人だろうか。だというなら随分と仲の良い事だ。

 それだけ縋れる相手がいるのなら、簡単に目的を諦めたりはしないだろう。自分で自分に課す根性論は立派な力だ。……他人に指図されるそれはただの押し付けだろうが。


「ならその友達の為に精々頑張るんだな」

「言われなくても────」


 他人事に応援のような何かを口にする。疲れたように言葉を返そうとした少女が、その途中で足を止めて森の方へと視線を向けた。

 何事かと町への道行きを急かそうと振り返ったところで、その瞳に宿る色が真剣さを渦巻かせている事に気付いた。


「……これ、魔物かな。近くに居る」

「《魔堕》か」

「まだこっちには気付いてないかな。風下だから。逃げるなら今のうちだよ」

「便利な鼻だな。急ぐぞ」

「うん」


 少しだけ怯えるような早足に歩調を合わせて尋ねる。


「……低位か?」

「…………多分中位。ねぇ、あの町ってどれくらいの衛士がいるの?」

「さぁな。ただ、もしかすると衛士だけじゃあ対処はしきれないかもな」

「……魔剣持ちとかいないのかな」

「いれば幸運だがな」


 中位、と言う事は人語を解する程度か。最低で小隊。可能であれば中隊規模の人数が集まれば対処できる強さ。または、魔剣持ちが一対一で同等ほどだ。魔剣の力と言うのはそれくらいには匹敵する。

 中には一人で上位を相手にする化け物のような魔剣持ちもいるらしいが、そんなのがこんな場所にいるはずは無い。

 少なくとも契約相手のいない魔剣と少し武器が使えるだけの人間一人が立ち向かって敵う相手ではない。ここは逃げるのが当然だ。

 音と気配を気にしながら町へ向かって歩みを進める。


「……動いてないみたい。森の中で動物でも相手にしてるのかな」

「もしそうならさっきの狼かもな。手傷を負わせたから血のにおいにつられて追い駆け回してるのかもしれない」

「…………なんだか悪い事しちゃったな」

「自分を襲ってきた相手に同情とはいいご身分だな」

「例えそうだとしても、狼だって生きてるんだから……」

「だったら地面を這ってる虫にも同じ事を言ってろ」

「……………………」


 少し関わったから同情なんてそれこそエゴだ。世界は平等で、無関係に命は潰えている。ならば彼女は家畜をどう説明するのだろうか。死生観なんてそれぞれだが、この世界は弱肉強食だ。折り合いと黙認と正当化で出来上がっている世界に今更優しさなんて必要ない。

 もしそんな同情をしたいのであれば、周りに何と言われようと関わった命あるものを助けていけばいいだろう。そうして最後に自滅すれば愚か者の末路の完成だ。

 それから、どうでも良い事だが。やはり彼女は魔剣と言うには少しだけその枠から外れすぎている。

 魔剣は人の側に協力して、人に仇成す魔物……《魔堕》を倒す。それは自分の命を守る為に他の命を打倒しているに過ぎない。それだって立派な命の奪い合いで、世界の摂理とどれ程の違いがあるというのだろうか。

 悪意と言うなら狼だって似たようなものを持っていた。そこに存在しているという意味では《魔堕》だって立派な生物だろう。そこに一線を引くことこそ価値観の押し付けで、彼女の独りよがりだ。


「……ねぇ、どうしてそこまで冷たいの? もう少し信用とか気遣いとか──」

「俺にお前の事は分からない。お前だって俺の事は分からない。それぞれに抱える事情があるって事を忘れるな。少なくとも、俺はお前にそれを理解されたくなんてない」

「なんでっ……!」


 どこか泣きそうな顔で反論しようとした少女は、けれど言葉を見つけられなかったか唇を噛んで黙り込む。

 それでいい。関わって面倒を被るのは俺も、それにお前だって嫌だろう。自分の事ですら自分一人で解決できない奴がどうして他人の苦労まで背負えるというのか。

 お人好しは、偽善のための免罪符じゃない。他人が他人事を理解できるなんて、ただの驕りだ。そう言うのは自分自身を捨ててから言え。

 渦巻く感情に苛立ちを募らせながら歩みを進める。気付けば、目的地の町が目の前に迫っていた。

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