第四章
ランタンの明かりを頼りに地図を広げて道を進む。時折襲ってくる《魔堕》は、けれども低位の魔物らしく対処は簡単で危険は感じない。
そんな道行き……このコーズミマの大地を斜めに分かつルチル山脈の地下に張り巡らされた元採掘用の坑道を、雑談など無く堅実に進んでいく。
隣を歩くのはチカと言う少女。カレンの友であり、彼女と同じ組織で同じ時間を過ごしていたらしい存在。人を超えた力を発揮する謎多き少女で、随分と相性の悪いのが最早変えられない彼女との関係性だ。
しかしながら、戦いに関しては無駄に息が合って。それが競争心から来る物なのか、天性の戦闘勘が偶然そうさせているのかは分からない。が、少なくとも彼女と一緒ならば目的を違えて対峙しない限りは、今ある地盤は揺るぎそうにない。
その不思議な少女。しばらく前に戦闘から起きた崩落によって分断された同行人、魔瞳と言う魔物を宿した瞳を持つ人間の女の子……ユウが言っていた言葉を信じるならば、あまり気を許すべきではない存在らしい。
あの時ユウは明言こそ避けたが、それはきっと近くにカレンがいたからだろう。そして、明言を避けたと言う事はそこに重要な事実が隠されていると言うことであり、その真実が色々渦巻く疑念を晴らす鍵のように思えてならないのだ。
なぜならチカは、色々と知っているから。
カレンと同じ境遇で育ってきたはずの彼女が、カレン以上に物を知っている。この世界の歴史も、魔物も、戦いの仕方さえも。
これまで彼女が見せてきた側面が、少なくとも普通の少女ではないと言う結論を抱かせるのだ。
……ならば今この状況は、色々と都合がいいのだ。
カレンが傍にいなくて、チカと二人きり。本筋からは逸れた人の立ち寄らない坑道の細道で、明かりも心許ない暗がり。…………何が起きても、不思議ではない。
だから────
「チカ」
「…………なに?」
「そろそろいいだろ? もう馬鹿の振りはやめだ」
「……………………」
今から全てを解き明かそう。
分かった風な口で尋ねれば、足を止めたチカが手に持った剣を強く握る。と、次の瞬間それを静かに振るって手首を返した彼女は…………器用に剣へ頭を落とした蛇を絡めてこちらに差し出す。
その蛇は特に珍しくも無い、先ほどから時折壁を張っていたこの辺りに棲んでいるのだろう種。それを、まるで何かを暗示するように目の前に突きつけてくる。
「…………訊いて、どうするの? カレンに告げ口でもする?」
「さぁな。ただ、今更俺とお前で隠し事するほど仲がいいわけじゃないって事だ」
カレンの時もそうだった。ユウの時もそうだった。全ては他人事だ。話を聞いたところで、俺にはどうすることも出来ない。ただ、知らなければ今ある価値観で彼女の事を判断するしかなくなる。……知らないことを理由に、非道を選ぶ覚悟もある。
けれどきっと、それを望まないお人好しが、俺と彼女の間にはいる。
「だからカレンは関係ない。これは俺とお前の問題だ。……いいのか、俺にカレンを取られても」
「それはこっちの台詞。二度と巡り合えない魔剣を手放しても悔しくないの?」
「あぁ、悔しいな」
「え…………?」
素直に答えれば、予想外だったらしいチカが間の抜けた声でこちらを振り返った。
「何処の誰とも知れないただの少女に契約まで結んだ金蔓を持っていかれたとあっては、そりゃあ悔しいだろ」
「金…………?」
「あぁ、金だ。その価値があったなら、話は別だけれどな」
目の前で揺れる蛇を取り上げて感触を確かめる。……ふむ、食べられそうだな。捌くか。
「だから俺は知っておきたいんだよ。一体どんな奴があの魔剣に入れ込んで俺から奪って行くのか。納得が欲しい」
「…………あぁ、そっか。貴方、執着が無いんだ」
心の奥底を見透かされて、蛇を捌こうとした手が少しだけ止まった。
「周りに……いいえ、自分に。人である事を、諦めてるの?」
「……人じゃない奴に人のことを語られてもな」
きっとそうなのだろうと視線を向ければ、視線を強くしたチカがこちらを睨んでくる。
「……捌くが、食うか?」
「…………骨が多いからいらない」
「よく知ってるな」
答えて、それから疲れたとでも言いたげな様子でその場に腰を下したチカ。次いで来た道とこれから行くべき先に両手を翳し、瘴気のような魔力を漂わせる。すると両の掌に集まっていた魔力が亀の甲羅のような形を取ったかと思うと、いきなり膨張して辺りを取り囲んだ。……これは、魔術の結界だろうか?
「…………人の体って不便。歩くと疲れる」
「なら休憩するか。こいつをこのまま振り回すのも物騒だしな」
流石に立ったままアンコウのように片手で吊るして理科の実験は無理があった。しっかりと腰を据えて処理をするとしよう。
「これ空気は通ってるのか?」
「うん」
「なら火を熾すぞ。二人だと寒い」
特にカレンが存在以上の熱量で場を暖めていたことを実感する。彼女の存在は色々と不思議だ。そんなことを考えながら作り出したナイフで頭の落ちた蛇を捌いていく。
血抜きをして、皮を剥ぎ、内臓を引っ張り出して携帯していた水で洗い、乾燥させる。毒を持っていたり脚が無い爬虫類だったりと先入観が根強い蛇だが、しっかり調理すれば食べられないことは無い。
それに、蛇は昔から逸話が多い生き物だ。死と再生の象徴であったり、薬としても話が残る。一番有名なのは蛇酒だろうか。味としては淡白で鶏肉に近い。俺も森の中で爺さんと暮らしていた頃に食べた事があるが、味付けをすれば普通においしいのだ。ただしチカの言った通りに骨が多く、肉が少し固いのも特徴か。まぁ、その体を使って移動する、全身筋肉のような生き物だ。固いのは仕方ないだろう。……ユウに任せればおいしく調理してくれるだろうか。とりあえず干して保存しておくとしよう。
そうして俺が捌いている横で、熾した火に手を翳して揺らめく炎を見つめながらチカが零す。
「……馬鹿の振りはやめ。でも、知ってることが必ずしもいいことだとは限らない。それでもいい? 後悔しない?」
「どうでもいいが、話す気になったのは何でだ?」
「…………気まぐれ、って言う事にしといて」
「分かった」
この様子だと全てを話してくれると言うわけではなさそうだ。が、きっと今俺が知りたいことを彼女は暇つぶしに語ってくれるのだろう。
…………巻き込むのが怖いならそう言えばいいのに。考えていると、呼吸を整えたらしいチカが意を決したようにその蓋を開ける。
「あたし、人間じゃないの」
「それは知ってる」
「じゃあ魔物だって言ったら信じる?」
腰に下げていた麻袋から串を取り出して梨の砂糖漬けを一切れ突き刺し、火で炙る。ユウには申し訳ないが先に試させてもらうとしよう。
「……なるほどな」
「信じるんだ…………」
「カレンだって同じようなものだし、ユウは魔瞳を持ってる。今更魔物が一人増えたところで驚きなんかするかよ」
人型をした魔物。それでいて人に明確に敵対する事無く、戦闘においても人以上の力を発揮する少女。いつだってカレンの味方であり、彼女と同じ組織で暮らしていた過去。色々と考えていたが、彼女が《天魔》であるというなら全て辻褄が合う。
「魔術の得意な系統は魔力の掌握と再構成……簡単に言うと魔力操作ってことになるのかな。だからあんなふうに人の体でも人じゃないみたいな動きが出来る。それから、その気になれば魔具の性能を限界ぎりぎりまで使い潰すことが出来る」
「それで俺が作った武器をよく壊してくれたのか」
「そうしないと勝てそうになかったし」
話から察するに彼女はそこまで魔力の保有量が多くないのだろう。だから自分で使える分が限られていて、それを補う為に魔具や武器の性能を無理やり引き出すことでどうにかしていると。
「契約はしたことないけれど、二つ名……誡銘は《ゼッカ》。形ある物を壊す、破壊の申し子。そこはカレンと少し似てるかな……」
自嘲するように零した笑み。仕草に琥珀色のセミロングが揺れる。
「だからカレンとも仲良くなれたの。二人で支えあって。きっと大丈夫だって……。そうしたら本当にカレンが外に逃げて、あたしもこんなところにいる。偶然って怖いね…………」
チカはきっと本気にしていなかったのだろう。けれどカレンはそれを真実にしてしまったから、置いて行かれた気がしてカレンを追いかけて来たに違いない。
「……チカについてはよく分かった。それ以上はいい。だからついでだ、二つ答えてくれ」
「いいよ、なに?」
「……カレンはなんなんだ?」
「何って、魔剣だよ」
「それだけか……?」
問いを重ねれば、こちらを見つめ返したチカ。やがて彼女は諦めたように笑って答える。
「《波旬皇》の鍵」
「なに……?」
「《波旬皇》が復活するための鍵。それがカレンだよ」
「嘘、じゃあなさそうだな」
ちょうど砂糖が溶けて輝き始めた梨をチカが手にとって口に運ぶ。仕方なしに自分のを用意すれば、向かいのチカが半分に掛けた弧を炎の真上でくるくると回しながら続ける。
「正確には《波旬皇》の封印を解く鍵、なんだけれどね。カレンにはその力があるんだって」
「力? あの大喰いがその証拠か?」
「んー……まぁそうだね。普通の魔剣にはない特別な力で、その力なら封印を解けるんだって」
同属でさえ両断するカレンの切れ味は、どうやら魔術のような非物質にも有効らしい。
「ってことは組織の目的は《波旬皇》の復活って事か」
「そうだね。……でも組織って。一応名前があるんだよ?」
「それがもう一つの疑問だ。組織の名前はなんだ?」
名前が分かればやりようは幾らでもある。ベリルに向かえばある程度自由に動けるようになる。そこに至ってもまだカレンが傍にいたのならば、追って来る組織をどうにかする為に情報収集は必要だ。その手がかりが一つでも欲しかったのだが、どうやらチカは俺の欲しい物を殆ど持っているらしい。偶然には感謝だ。
「《グニレース》。コーズミマの裏側では有名な名前だよ」
「悪いな。世間知らずの異世界人で」
「《グニレース》は《波旬皇》の復活を目的とした組織で、その為にカレンをどうにかして使おうとしてたの」
「……ちょっと想像と違うな」
「なにが?」
「やってることは褒められたことじゃないんだろうが、カレンの話だともう少し人道的な環境だったように聞こえたからな」
「それはカレンがそう感じて、話を聞いたミノがそう受け取ったってだけ。あたしは最初からそのやり方に色々思うところはあったからね」
突飛のない話ではあるけれど、なんだかするりと受け入れて納得してしまう。それくらいにチカの語る話がしっくり来るのだ。
まぁカレンと同じように逃げてきた彼女が言うのだから、嘘ではないのだろうが。
「魔剣を集めてたって聞いたけどそれはどうなんだ?」
「普通に考えたら戦力にするためでしょ」
「《天魔》なのにか?」
「……あぁ、そっか。だからか」
何かに納得したように零すチカ。次いで彼女はこちらを見つめて続ける。
「《天魔》じゃなくて、《魔堕》の魔剣。《波旬皇》に味方する魔剣ってこと」
「……そうか」
「それからもう一つ訂正。あたしは強いて言えば《天魔》じゃなくて《魔堕》だよ」
「…………そうか?」
「そうだよ。だってカレンの味方で、ミノの敵だもん」
人と敵対する魔物の仲間は……確かに《魔堕》か。だがどうにもそこだけはうまく繋がらない。
それは多分、今こうして話をしている彼女に殺気や脅威のようなものを感じないからだろう。少なくとも、今俺をどうこうするつもりは感じられない。
「……でもそれはおかしくないか?」
「どれが?」
「《魔堕》の魔剣って話だ。その場合だと《魔堕》の側につく人間がいる想定だろう? 魔剣ならそれを扱う人間がいないと成り立たない」
「もう少し考えてから発言してよ……。《グニレース》は《波旬皇》を復活させようとしてる。その人たちが魔物の味方じゃなくて何に聞こえるの?」
「…………あぁ、そうか」
チカに呆れられて気付く。
違和感があったのはそこだ。きっとユウとチカがルチル山脈に着くまでに語ってくれた話が俺の中に深く刻まれているから見落としていた視点。
どこかで、人は魔物と完全に敵対しているものだと思っていた。例えいても、それは共存を願う者たちで、魔物の肩を持つ存在ではないと錯覚していた。
けれど普通に考えればありえない話ではない。
魔物から共存を願う《天魔》が現れたのだ。人間の側からだって魔物の側に与する思想の持ち主が出てきても不思議ではない。
「……けど、共生の線が消えたわけじゃないだろう?」
「共生の線?」
「チカは《魔堕》。そう仮定すれば、逃げ出した《魔堕》がいるように《魔堕》に味方する人間を、そのやり方を快く思わない《魔堕》もいるって事だ」
「あぁ、うん。だから《波旬皇》を復活させて旗印として《魔堕》を纏めた上で、共生の方向にってこと?」
「そうだ」
交渉は、平等か圧倒的な立場の差が存在する中でしか成し得ない場だ。だから人間と魔物。双方に旗を用意して戦争よりも先にそれ以上を起こさない話し合いをする。その為に《波旬皇》を復活させる。そう考えれば《グニレース》とやらの目的は世界に弓引く行為ではなく、世界から争いをなくす荒療治とも思える。
「でもそれだと《魔堕》の魔剣の意味がわからないけど? 《波旬皇》に味方して同じ魔剣を持って対峙する。それは新たな戦の火種じゃない?」
「それこそ賭けみたいな話じゃないのか? 戦いが起こるかもしれない。けれどそれより先に、同じ力を持つ者が矢面に立つことで、武力衝突よりも話し合いで解決しようとする。……つまり《グニレース》の魔剣持ちは、《波旬皇》の側に着いて異なる思想から敵対する悪ではなく、通訳や仲介者の役割って事だ」
「随分夢物語に聞こえるけれど……」
「まぁそうだろうな。俺も自分で言ってはいるが本気で信じちゃいないさ。ただ封印解除の準備が整っている状態で先に人間の側と話をつけておけば作れない舞台じゃない。それに、それだけぶっ飛んでる思想を持ってるからこそ、コーズミマの裏側にいて、国々には認められていない。……辻褄は合わせられるぞ?」
全ては想像の話だ。チカの言っている事が全て真実だとは限らない。だからこそ考える事をやめないのだ。
それはきっと、この話の根幹にカレンがいるからだろう。
カレンの存在を鍵として、悩む彼女がこの先に選ぶ道によってはいろいろな可能性が想像できる。
「復活した《波旬皇》がそれに応じるとは限らないのに?」
だからその言葉を聞きたかった。
チカも、同意見らしい。
「……まぁ、そうだろうな。そもそも人間と魔物の争いを激化させた要因の一つは《波旬皇》自身だ。生存圏を広げるため……人間を嫌悪していたかは分からないけど、少なくとも人と争うその思想の根源だったことを考えれば、共生なんてのは夢のまた夢だ」
「だからあたしは《グニレース》の目的を《波旬皇》の復活と、そこから始まる再びの戦いの歴史だと考えるの」
そう考えれば共生の可能性は潰え、《グニレース》の目的である《波旬皇》の復活の目的を絞ることができる。
「魔剣の収集も、カレンに頼らない別の方法を探すためかもしれないしな」
「けどそんな不確かなものを探すよりは、分かってるカレンの力を使った方が簡単。だからカレンを扱える契約者を探して、彼女は百を超える契約をさせられ続けてたの」
「けれどあいつと契約できる奴は終ぞ現れなくて、《枯姫》に《重墨》、《宿喰》なんて二つ名をつけられたのか」
どうして彼女が数多もの契約と死を経験したのか。その理由に至って少しだけ同情する。
カレンがどうしてそんな力を持っているのかは分からない。けれどもしそれが彼女の意思で得た力で無いとすれば、カレンは自分でも自由に扱えない力のために利用されたと言うことだ。
そう考えれば、彼女が逃げ出し、その先に今を歩んでいると言うのは英断だと思う。俺と出会って契約できたのも、笑えるほどの偶然だ。不幸なのかもしれないが、同時に幸運でもあるのだろう。不思議な縁を持つ少女だ。
「……それ、カレンから聞いたの?」
「名前か? あぁ、あいつのおしゃべりに巻き込まれてな。気の迷いで俺の過去のことも話した」
「そっか……それであんなに貴方の肩を持つんだ。…………ねぇ、どんな経験して来たの?」
「何で話さなきゃならん」
「興味があるから」
これまでに無い真剣さで答えたチカ。ライムグリーンの双眸に炎を揺らめかせた彼女が、こちらをじっと見つめて続ける。
「カレンが肩を持つくらいの過去。きっと、カレンよりも悲惨な前の人生……。聞けたらきっと楽しいだろうから」
「最後のが本心だろ……。…………ま、同情されるよりは笑ってくれる方がましだがな」
自嘲するように笑みを零せば、自分の梨の砂糖漬けを手にとって齧りながら零す
「……不思議な名前を持って生まれて。小さい頃は色々期待されたけど、年を経るにつれて特別性が異質さに変化した。周りに味方がいなくて、あいつらは俺を体のいい玩具にして楽しく遊んでたさ。最後に母親を信じようと思ったら、そいつも俺のことより保身を優先して突っ撥ねられた。生んで、名前までつけてやったのにどうしてその通りに育たなかったんだ、ってな」
「へー。いいね、カレンに負けず劣らず特別な過去だよ」
「嬉しくもねぇよ」
随分と掻い摘んで話したが、言いたい事は一つだけ。その部分を、チカが気付いて音にする。
「名前かぁ」
「あぁ……。んで、居場所が無くなって自殺してこっちに来たのが二年前だ。そこでまた名前絡みでクソな事が起こりやがって……カレンと同じように逃げて、拾われて。ようやく自由を探して一人で歩き出した矢先にあの鈍らと感動のご対面だ」
「…………あたしも同じ立場なら共感はしたかもね。因みに前の名前は? ミノってのがそれ?」
「いいや、ミノ・リレッドノーってのはカレンと契約するときに作った偽名だ。前の世界で使ってたのは嫌な思い出だから捨てた」
「思い切りの良さはカレンと一緒だね」
一緒にされるのは何か癪だが……まぁ確かにそういう見方も出来るかと。
本当に、不思議な縁だ。これを偶然と言うには、少し出来すぎているくらいに心地がいい。
「それで、どうしてカレンって名前にしたの?」
「……………………」
次いで音になった疑問。嫌な部分に踏み込まれて思わず押し黙れば、何かを察したようにチカが言葉を重ねる。
「名前嫌いの名無しさんが、成り行きとは言え自分の偽名まで作って契約した魔剣に、カレンって名前をつけた。その理由は何? どうしてカレンなの?」
無言で睨めば、楽しそうにこちらを見つめるチカと視線をぶつける事となった。どうやら曲げてくれるつもりは無いらしい。
「…………カレンには絶対に言うなよ?」
「どうしよっかなぁ~」
「……………………」
「ふふっ、いいよ。分かった。約束ね」
からかうように小指を立てて向けてくるチカ。切ってつめてやろうか?
「……枯れん。つまり枯れないことからカレンだ。《枯姫》って呼ばれてたことへの意趣返しと、それから俺の魔力量だけには自信が────」
「嘘はやめようよ。ね?」
そう信じて疑わない物言いで遮ったチカ。形のいい微笑が、いいから本当のことを話せと無言の圧力を向けてくる。……ったく、とことん相性が悪い…………。
もちろん彼女の言う通り後付けだ。《コキ》が《枯姫》だと言うのも彼女と契約後に流れ込んできた知識で知った話。契約時の名付けの理由にはならない。
仕方ないと、逃げ場所を探すように顔を逸らして小さく呟く。
「……………………気の迷いで、不覚にも可愛いと思ったんだよ。……だから、可憐で──カレン」
「────っくく……!」
だから言いたくなかったんだ! あれだけ無愛想にあしらっておいて、理由が俺個人の印象だなんて絶対に馬鹿にされると分かっていたから。
「ま、魔剣に、恋慕、するとかっ……!」
「恋じゃねぇ! ただの第一印象だ! 変な勘違いすんな!」
思わず叫んで否定すれば、それまで笑い声を噛み殺していたチカが壊れたように声を上げて笑い始める。……クソッ、自殺以上の恥だ。
まったく……穴があったら入りたいなんて、そんな便利な言葉が今は恨めしい。結局入ったところでそれは墓穴じゃねぇか。
傍で燃える炎の所為で熱い顔に手を当てて視界を覆いながらリセットするための息を吐き出す。……もういい、分かった。今後一切この話題には答えない。もしチカが洩らしそうになったら拳よりも針よりも先にその首を切り落としてやる。
そう自分に誓ってやりきれない思いを発散するように焼いた梨を咀嚼する。溶けた砂糖が嫌に甘く感じて嘔吐きそうになった。
やがて息苦しそうに腹を抱えたチカが笑みを隠さないままにからかってくる。
「いやー、名前に一家言ある人の名付けってのは面白いねっ」
「……俺みたいに自分から捨てたならともかく、あいつが自分の名前を持ってないのが悪いんだろうが」
「うわぁ、責任転嫁とかさいてー……」
心の底から罵倒してくれたチカが、少し焦げた梨の砂糖漬けを吐息で冷まして口に運ぶ。と、どうやら熱かったらしくカレンの様に熱と格闘した彼女がどうにか咀嚼して飲み込んだ。
次いで満足そうな息を零すと、それから天井を見上げて小さく呟く。
「……ほんと、素晴らしいと思うよ」
「だから────」
「そうじゃなくてね。偶然って馬鹿みたいだなって話」
「…………?」
どこか飛んだ気がする話題に疑問の視線を向ければ、こちらを一瞥したチカが諦めたように告げる。
「カレンの誡銘。……きっとミノは知らないんでしょ?」
「だったらどうした」
「なら聞いて、驚いて、今以上に恥ずかしがればいいよっ。……カレンの本当の誡銘はね────《珂恋》って言うんだ」
言って、指先に魔力を灯したチカが空中に文字を描く。それは俺が見慣れた文字……漢字で、その意味よりもまず彼女が漢字を書けることに驚く。
「……その文字…………!」
「あぁ、これ? なんか昔の転生者が残した本……? 辞書……? 見たいなのが研究所にあってね。暇潰しに読んでたら覚えちゃった」
その本の著者は日本人か、それとも中国人か。どちらにせよ、地球からの転生者が過去にもいたと言うことだろう。
「誡銘や誡名とか、魔物や魔剣に関する名称は全部ミノの世界の文字。えっと…………」
「漢字だ」
「そうそれっ。それで表す決まりになってるんだよ。……もしかして知らなかった?」
「あぁ、初めて聞いた……」
だが、思い返して見ればヒントはあった。カレンと契約して天啓のように知った彼女の数多ある二つ名。それから《天魔》や《魔堕》、《波旬皇》と言う名前……。どれも漢字にルビと言うどこか馴染みの深い形をしていたのだ。
因みに《天魔》と《魔堕》については、森の中にいるときに爺さんに教えてもらったから、それに関してはカレンと契約をする前から単語として知っている。……教えてもらった時にその違和感に気付くべきだったな。
「《ボウサイ》、《レッピツ》、《サクラメント》、《ゼッカ》、《グニレース》……これにも漢字はあるのか?」
「あるよ。《謀眦》、《裂必》、《魔祓軍》、《絶佳》、《甦君門》……こうだね」
言葉にしながらチカが文字を綴って教えてくれる。
《謀眦》はユウの誡銘。《裂必》は国に属さない魔剣持ち、メローラの誡名。《魔祓軍》は魔物との戦で人間の側が《波旬皇》に対抗して作った魔剣持ちの部隊の名称。《絶佳》はチカの二つ名で、《甦君門》はカレンやチカがいた組織の名前だ。
恐らくこれで一通り、これまで俺が耳にしてきた特別な単語の全容が分かったことにはなるか。
「って、そんなのはどうでもいいでしょ?」
「……そうだな。カレンの誡銘か…………」
《珂恋》。漢字にルビを振る以上、その成り立ちにも意味があるのだろう。
「まずどうしてチカがあいつの誡銘を知ってるんだ?」
「あたしが逃げてくるときに何か手がかりが無いかと思って探した中にカレンに関する書類みたいなのがあって、それを読んで知ったの。……でも名前までは書いて無かったから、カレンの本当の名前は分からない」
「…………そもそもの疑問だが、魔剣の名前……誡銘じゃない方ってどうやって決まるんだ?」
「魔物に名前は無いから、基本的に最初に契約した人が決めるかな。ただ、あたしもカレンもまともに契約したことは無いから名前が無くて……。そのことにあの優しさで悲しんでくれたカレンが、あたしにチカって名前をくれたの。カレンにはあたしがつけてあげるって約束したんだけど……悩んでるうちにカレンが《甦君門》を抜け出して…………」
それで俺に先を越されたと。前にカレンは勝手につけられた二つ名で呼ばれすぎて元の名前を忘れたと言っていたが、あれは嘘だったらしい。今思えば、チカの為に吐いた嘘だったのだろう。
「……けれど、それならどうして組織の中であいつは《珂恋》の名前で呼ばれて無かったんだ? あいつ自身が知らないってことはそう呼ばれて無かったってことだろ?」
「逆の特別扱いだったんだと思うよ。カレンは《波旬皇》の封印を解く鍵だから。……それに誡銘ってのは秘めた力を示す名前だから、こうやって外に漏れるのを防ぐ役目もあったんじゃないかな?」
その努力も今し方、チカの言葉によって破綻してしまったけれども。
……それよりも、問題はカレンの誡銘だ。
「秘めた力ね……。名が体を表すそれに、一体どんな意味が込められてるって言うんだ?」
「……カレンよりもあたしの方から話した方が分かりやすいかな」
「チカのは確か……《絶佳》だったか」
《絶佳》。絶対の佳。漢字から考えれば、佳を絶つだろうが……さて、佳には一体どんな意味が込められていたか。……佳のつく熟語だと、佳境とか、佳作とか。そこから考えると……良いと言う意味か?
「《絶佳》の意味はね、美しいものを絶つ、だよ。つまりあたしの力は、形あるものを壊す力……分解なんだ。あたしは魔剣じゃないから、誡銘って訳じゃないけどね。力を象徴する名前って意味でそう呼ばれてた」
「分解……。だから破壊の申し子か?」
「格好いいでしょっ」
カレンと似ているかもしれないと語ったチカ。魔術の得意分野を掌握と再構成だと言ったが、その本質は掌握し理解して、分解から生じる再構成らしい。……某作品でその手順を踏んで結果を成す力を錬金術だと言うものがあったか。
「……でもあたしは作る事に関しては余り得意じゃなくて。だからカレンの力は似てるけれどまったく違う、あたしの憧れなんだ」
チカの言う再構成は、恐らく壊してガラクタに再構成する、と言う意味なのだろう。言葉通りの作り直す、では無いと言うことだ。
そんな風に考えながらチカの言葉の先を追う。
「《珂恋》……。恋は恋愛とか言葉があるから、感情とか心に関する漢字だろうな。……珂は何だ?」
「白瑪瑙のことだよ。意味としては、絆や愛の象徴。恋は糸で引かれる繋がり。だから《珂恋》って誡銘の意味は、想いを繋げる力の事なんだ」
「想いを、繋げる……?」
「具体的に言い換えれば、感情を原動力にする力。あたしと正反対の、繋ぐ力」
繋ぐ力。抽象的であまり要領を得ないが……感情によって力を増大させる能力と言うことだろうか。
「その真価は、振るう者の心によって変わるの。思いが強ければ強いほど確かなものとなり、願いを形にする」
「…………なるほどな」
少しだけ納得がいった。
俺がカレンと契約して刀の形を手にしたのは、それもまた縁ということだろう。馴染み深い剣。その想像が手繰り寄せ繋いだ力。
別に特別崇拝をしているわけではないが、刀は銃弾を切り裂くほどに鋭い武器で、俺は心のどこかで刀に斬れない物はないと思っている節がある。その想いが重なって、カレンを魔剣さえ斬る絶対の剣として振るってこられたのだろう。
グロッシュラーでの戦いも、思い返せば自信に溢れた太刀だった。その一発目がよかったから、更に思い入れを深くして斬れない物は無いと彼女の力を使うことが出来た。
逆に、チカと出会う前の森の中の戦いでは、分裂した刃に少し気を削がれて思った力を発揮できなかった。こう考えればなるほど、カレンの力の正体が大分掴める。
言葉そのままに、振るう者の心に左右される刃と言うことだ。
「そして、その想いの力を使って、封印を解こうって言うのが《甦君門》の考えるところ……《波旬皇》復活の鍵ってわけ」
「確かに、純粋に壊したいと願って振るえば封印なんて容易く突破できるかもな」
「ただその代わりと言うか、代償に、カレンは繋がりに縋って沢山の魔力を吸い上げる。足りなければ感情、心……果ては命さえ脅かしてでも、自分の存在意義を全うしようとする。だからこれまでカレンは、沢山の契約と死を経験して来たの。……あの子の願いや欲求に耐えられるだけの器が存在しなかったから」
「欲求?」
「……あたしがカレンの心の事を言うのは間違いかもしれないけれど。一緒に過ごした経験から言わせてもらえば、カレンは寂しかったんだと思う」
寂しさ。その言葉に、胸の奥が引き絞られるような覚えをする。
……あぁ、そうか。だからか。
「自分が分からなくて。でも周りは自分に期待してて。よく知らない相手と契約して……その人に居場所を求めて。カレンが《枯姫》なんて呼ばれて契約者を死にまで追い詰めたのは、カレンが知覚も自覚も出来ない力を求められながらにして、誰にも認められなくて寂しかったから。契約相手に自分を受け入れて認めて欲しかったからだと、あたしは思う。…………もしかしたら間違ってるかもしれないけれど」
「…………いいや、間違っては無いだろうさ」
「え…………?」
チカの語る言葉に、自分の胸が苦しくなる。そのことが、嫌に辛くなる。
「だってそれは、俺も同じだからな」
「同じって…………」
「名前は記号で。誰も俺を見てくれなくて。俺は、ただ、認められたかったんだ。子供らしく、俺を見て欲しかった。誰でもいいから、俺に意味がある事を教えて欲しかった。……恋しいほどに、愛して欲しかった」
言葉にするたび、痛くなる。吐き出すたびに、泣きたくなる。
今更に、気付いた。
俺はずっと、寂しかったのだ。
「そんな俺と、カレンが出会ったんだ。数奇な運命と偶然の元に。互いに同情するくらいによく似た俺たちが、互いを見つけたんだっ。そんなの……因縁なんて言葉が馬鹿に思えるくらいに出来すぎた邂逅だ! 満たされもするだろうさっ! 契約だって出来るだろうさっ! だって俺たちはもう、互い無しじゃ自分が分からないんだからな…………!」
魔力が沢山あるとか。相手を殺すほどに吸い尽くしてしまうとか。そんなのは些細なことだ。
俺たちはただ、出会うべくして出会って、認めるべくして認めたのだ。
互いの過去を、自分の痛みのように知ってしまったのだ。
────あぁ、彼女ならと
────あぁ、彼ならと
二人はもう一度、歩き出せると。それはまるで、比翼連理のように。
「怖いくらいに互いの気持ちが分かったから、今こうして契約出来ている。……いや、違うか。チカの言う通りにカレンの力が思いを繋ぐものならば、出会う前から俺とカレンはどこかで惹かれ合っていたって事だろうな。それこそ、目に見えない引力のように」
カレンが自覚の無いままに《珂恋》として引き寄せた縁。それを偶然と言うには出来すぎていて、必然と言うには天文学的すぎる確率。
ならばなんと形容すればいいのか分からないが……ただ確かに存在する現実として、カレンと俺は出会い、互いに自分を求めて契約をしたということだ。
「加えて俺が与えた名前がカレンだ。ここまで重なった偶然はもはやギャグだな……。一体どんな星の元に生まれたらそんな馬鹿げた可能性を手繰り寄せるんだか」
「……でも、お陰でカレンは救われていて、同時にミノを救ってる」
「流石は《宿喰》様だな」
皮肉に茶化せばチカは怒るかと思ったが、彼女も阿呆らしいと笑みを浮かべてくれた。
そうだ、こんなのは、最早語るべくも無い。ただあるのは、目の前の事実だけだ。
「《珂恋》のカレン。そんな彼女のお陰なのか、あの魔瞳の少女とも一緒に旅をして、今はあたしもそこに含まれて……剰え貴方とこうして火を囲んでる。ほんと、ふざけてるよね」
諦観よりも、失望よりも、果てなく馬鹿馬鹿しい──それこそ恋しいほどに愛された巡り合わせはむず痒くなんとなくの勘を……確信を見つける。
「……チカ。やろうと思えば俺とカレンの契約を強制的に解除することも出来た。そうだな?」
「うん。でも、そんな事をしても誰も報われない。納得の無い結末なんて、新たに不毛な火種を作るだけ。だからあたしは、カレンに託したの。彼女なら、あたしにも……そしてミノにも見つからない答えを見つけてくれるって。どこからか探して、教えてくれるって」
「例え一度死んで離れ離れになっても、砂漠の中の砂金をたった一摘みで見つけるくらいに、呆気なくな。…………そう思えてならないのが不思議で、たまらなくふざけてるっ」
もう俺には分からないのだ。想像できないのだ。カレンがそこにいない景色が。
それくらいには、彼女に自分を預けてしまっている。
「だから、俺たちは今まで通りでいい」
「…………うん。あたし、ミノの事大っ嫌いだから」
そして嫌い以上に、言葉にならない何かで繋がっているのだ。
だから、想像したくない未来が脳裏をちらついては、阿呆らしいとまた笑みが零れてくる。
あぁ、本当に。世界の全てがこの愚かな繋がりの糸で結ばれていればいいのに。
「……もう一つ食うか?」
「…………胸の中が苦いから貰う」
それから火を消して再び歩き始めれば、時折襲い来る数だけは立派な低位の《魔堕》達を相手取る。
特段示し合わせることもなく。自分が何をしたいかも語らず。けれどもなぜか互いにカバーをしながら戦うのは──きっとカレンのためだと嘯いて。
手慰みに敵意を斬り払えば、口慰みに言葉が響く。
「あたし、カレンに怒って貰いたいんだと思う」
「それまたどうして」
大口を開けて跳びかかって来た犬のような《魔堕》を縦に真っ二つに両断。次いでその場で横薙ぎの一回転を振るえば、背後のチカが呼吸をするようにしゃがんで回避。凪いだその刃が彼女へ天井から落ちてきていたムカデの様な魔力の塊を切り裂く。
同時、俺の鼻先を回転しながら上に飛んで行った短剣が、こちらに襲来していた鬼火のように浮遊する魔物をしっかり捕らえて霧散させた。
「ミノにさっき話した事を、まだカレンには伝えてない。伝えれば、あたしがカレンを騙して裏切った事がばれるから」
「別に、カレンはそんなこと気にしないだろ」
「そうだね。だからこれは、あたし個人の後悔と言うか、懺悔みたいなものなの」
次いで作り出した壁のような剣。それを、しゃがんだ状態から跳躍したチカが三角跳びの要領で蹴って俺の頭を越え背後に落ちる。そのまま彼女が振り下ろした拳で《魔堕》を圧殺すると、俺が一回転と同時に彼女の頭の上へ落とした剣をチカは目視する事無くキャッチして大地を蹴り、刃の嵐と化す。
代わりに、俺の手元には先ほどチカが上に投げた短剣が落ちてきて、裏拳紛いに振った腕で空中逆手持ち。その勢いのまま短剣を振るえば、俺の後ろ腰に突っ込んできていた魔物の頭を横殴りに刺して抉った。
「その上で許してもらえるなら、あたしはカレンの傍にずっといたい。……あの子の傍は安心するから。あたしの、希望だから」
「希望ねぇ……」
後方で《魔堕》の軍勢が霧散して行くのを感じながら、前方から壁のような剣を回りこんで突っ込んでくる《魔堕》に短剣を投擲。咄嗟に横にかわすのを確認しながら、その隙に目の前の剣を魔力操作で引き抜いて手を触れぬまま振り回し、続々とやってきていた後続諸共一掃する。
そうして目に付く魔物を全て討滅し終え、邪魔な剣を消滅させて振り返る。視界の先には、彼女の身の丈はありそうな拳を軽々と片手で受け止め、次いで僅かな魔力の発露と共に存在の結合から巨体を分解させたチカがいた。
魔力の分解能力。こと《魔堕》に対してはこれ以上ない必殺。先ほどの戦い方を見る限り、接触していないと意味はなさそうだが、それでも強力無比に違いは無い特別さだ。
「太陽だよ。だってこんな壊すしか能のない、魔剣でもないただの魔物のあたしと、友達になってくれたんだもん。だからそれがカレンの為になるなら、あたしは燃え尽きたって構わない」
「イカロスかよ」
「なにそれ……?」
「俺の世界の神話の一節だ。蝋の翼で空を飛び、太陽に近付きすぎて墜落した、傲慢で哀れな戒めの象徴」
「飛ぼうと思ったらあたしも飛べるよ?」
冗談を真に受けてチカが背中に作り出した黒い魔力の翼。ばさりと風を起こす羽ばたきを見せた彼女だったが、直ぐにそれを消す。
そんなチカに浮かんだ感慨を音にする。
「そう言えば魔剣じゃないんだよな」
「うん。分類的には魔物。人間的に言えば高位の《魔堕》。だからこの体は仮初で、その気になれば今潰した魔物達にみたいに異形の姿を取ることも出来る」
「カレンはそう言うことは出来ないのか?」
「多分無理じゃないかな。魔剣として剣を拠り代にしてるから、明確な殻のイメージが邪魔をして人以外にはなれないと思う。その分自分って言うものを意識できるから、魔力維持や使用の効率がいい……。つまり同じ魔力量を持って、回復できずに消費し続けるだけなら普通の魔物より長生きできるってこと」
「とは言えあの大喰いだがな」
茶化せばこちらを振り向いたチカが手に持っていた剣を投擲する。合わせて少しだけ顔を傾ければ、耳の傍を風切り音と共に駆け抜けた魔力で鋼の矢が後ろの魔物を串刺しにして同時に消滅した。……ちょっと髪が切れたぞ。
「しかし……だったらチカはカレン以上に悩みそうなものだがな」
「何が?」
「同属との戦いだ。……けどそんな躊躇いは感じられない。その理由はなんだ?」
「幾つかあるよ。言葉の話せない本能で動く奴らを仲間に思えないとか。《魔堕》って言う括りならそれは《波旬皇》の一派で、侵略に賛同できないとか。そもそも倒せば魔力に戻ってまたいつか同じように魔物として形を持つとか。……でも一番はきっと、あたしが強く覚悟を決めてるから」
「どんな?」
「あたしは誰よりもカレンの味方。だからカレンの意に反する奴らはあたしの敵。それが例え人でも、魔物でも……障碍となるなら全て打ち砕いてカレンと一緒に歩いて行くって。その先に、きっとあたしの望む物もあるから」
カレンが苦心して見つけた答え。それを理由の一つにしながら、もっと根本的なところで彼女は自分を信じて疑っていない。それはきっと、《甦君門》にいた頃から彼女の中に燻り続けていた思いなのだろう。
カレンの為であり自分の為。必要とあらば汚れ役さえ引き受けてでも、本当に大切なものを見失わないようにと決めた覚悟。自分に名前と希望をくれたカレンに、心の底から力になってあげたいと言う、恩返し。綺麗にいい飾れば、そう言う事だろう。
「……そこまで揺らがない信念は尊敬するな。その思いの強さに良いも悪いも無い。それがチカの正義だからな」
「誰かに何か言われて揺らぐような覚悟は、必要ないから」
「ただ、それなら《天魔》だって言ってもいいんじゃないか?」
「ちゃんと言ったよ。人でも魔物でも、って……。あたしの敵は、カレン以外の全て。だからあたしは、《天魔》でも、《魔堕》でも……ましてや共生思想でもない。あたしはあたし────《絶佳》のチカだから」
一歩間違えれば歩む道を踏み外しかねない不安定で確かな信念。
それでも迷いが無いのは、彼女が魔物だからかもしれない。
《魔堕》も《天魔》も、そして《波旬皇》も。その根幹は確たる思いの塊だ。それは人の覚悟よりも純粋で固い、最早世界の理とも言うべき頑強さ。だからきっと、これまでの歴史の中でだって、一度こうと決めたことを魔物が違えたことは無いのだろう。そこに関しては人間よりも信じるに値する存在だ。
だから俺の言葉は彼女の思いに皹どころか、刺さることすらしない。……その正直さが、少しだけ羨ましい。
「……なるほど、よく分かった。そんな風に大切に思われてるカレンも大変だな」
「何それ。あたしの敵筆頭に名乗りを上げるの?」
「名乗る名前がないんだがな」
少し楽しくなって自分の傷を抉れば、チカは返す言葉を押し殺して黙った。他人の不幸を笑う事はある程度容認出来るが、自嘲はあまり好みではないらしい。
そんな彼女と共にどうでもいい会話をしながら歩いて、休憩してを繰り返しルチルの向こう側を目指す。
「……ん、向こうも戦ってるな」
「カレン?」
「あぁ、今ちょっと魔力持っていかれた」
離れていても繋がっている契約。その気になれば契言で取れる意思疎通は、しかしそうしなくとも先ほどから時折魔力を引っ張られるような感覚で、安堵なのか煩いなのか分からない感慨を胸に抱かせている。
「ってことは無事なんだ。よかった……」
「心配するより信じてやればいいだろ」
「そりゃあ信じてるよ。……そうじゃなくて、あの魔瞳の子が一緒だから」
「ユウか?」
カレン至上主義らしいチカにしては珍しい気がする音を聞いて視線を向ける。
「だってあの子、色々特別だから」
「特別って……まさかカレン以上に何か背負ってるとか言わないだろうな?」
「違くて。……あの子は人間でありながら魔物を体に宿し、一人で魔術を使い契約も出来るんだよ。それが特別じゃなくてなんだって言うの?」
「……確かに、そう言われればそうか」
ユウはもともと普通の人の家庭に生まれた少女だった。それが《魔堕》の襲撃で居場所を失い、組織……恐らくカレン達と同じ《甦君門》に連れて行かれて魔物の宿った瞳を移植されたのだ。
と、そこまで考えたところで疑問が浮かぶ。
「ユウも《甦君門》にいた事があるらしいが、カレンやチカと一緒の場所で育ったのか? と言うかチカはユウの事を前から知っていたのか?」
「話だけはね」
「どういうことだ?」
「《甦君門》ってね、世界の裏側で有名なくらいには大きな組織なの。だから世界の至る所にその活動拠点がある。それはどこかの山奥だったり、はたまた町の中に表の顔を持って何気ない顔で傍にいる事だったりね」
そう言えばユウが言っていたか。彼女がいたところは、国が立てた大規模な掃討作戦によって壊滅したと。その事から考えれば、ユウが少し前まで《甦君門》で暮らしていたカレンと同じ場所で育ってきた可能性は低く。同時に、《甦君門》は国に危険視されるくらいには表側にも影響を与える一大組織なのだと言う事が分かる。
「そんな大きな組織だから色々情報が共有、やり取りされてた。カレンとあたしがいたところに彼女はいなかったけれど、あの子のいた場所が国の作戦でなくなったって話が流れてきてた。その時に、偶然あたしも聞いたのを覚えてたの。魔瞳なんて、一度聞いたらそう簡単に忘れられる存在ではないから」
「そうか……」
「……それだけ?」
「え……?」
「《甦君門》で、魔瞳だよ。少し考えたら彼女の理由も分かるでしょ?」
チカに言われて、それから気付く。
「……あぁ、そうか。チカもカレンと同じで、《波旬皇》復活のための方法の一つとして利用されてたって事か」
「そう。あの目の力は直接封印を解くものではないけれど、間接的にいろいろな手助けは出来る。……それこそ、カレンの力を使う為に必要な人柱……カレンの契約相手を人の中から連れてきたりね」
「っ……!」
嫌な方向に話が繋がる。
考えれば当然のことだ。カレンと契約した者は、彼女の悲痛なまでの願い……居場所を求める為の過度な魔力吸い上げによって皆死んでしまったと言っていた。だからカレンが《枯姫》や《宿喰》、《重墨》と呼ばれるほどに何度も実験を繰り返されたのだ。
けれどその為には、それだけの人的……資源なんて言い方はしたくはないが、対象となる相手が必要なのだ。
その供給に、確かにユウの力は絶大だろう。なにせ、人として近付いて、幻術で意識を奪い連れ去れるのだから。子供で女なことが、余計に警戒を解いてしまう。
まったく、反吐が出る。
「組織の奴らの言い分だと、出来る限り選び抜いて連れてきたりしてたそうだけど」
「そりゃそうだろう。誘拐なんて後腐れない奴を標的にする方がリスクも少ない。ストリート・チルドレン、孤児、傭兵、旅人……。人の世界は居場所のない奴らが一定数はいる。特に、こんな世界だしな」
「彼女がどう思ってそれをしてきたかは知らないけれど、少なくともまともな道は歩んできてない」
そしてその理由が《波旬皇》の復活と来たもんだ。もし主観的に今のコーズミマが平和で、それを良しと思うのであれば、《甦君門》のやろうとしていることは看過出来ない。だから国を挙げてその尻尾を追いかけ、三年前にユウのいたところは壊滅させられたのだろう。
「……組織がなくなった後も大概なもんだがな」
彼女から聞いた過去を思い出しつつ零せば、視線だけこちらに向けてきたチカ。が、その一言で大体どんな感じなのかを悟ったらしい彼女は追及せずに話を戻す。
「そんな彼女が、片割れを失ってカレンの傍にいるなんて……皮肉もここに極まれり、だね」
「片割れ……契約者か。……なぁ、人の体ってそこまで頑丈なのか?」
「そんなわけないよ。魔障って知ってる?」
「あぁ。実物を見たことはないけどな。魔物の魔力が体内に入って発症する病気だろ? 治療すれば問題ないが、放っておけばいずれ体が侵され、魔物になるって言う」
魔障。誰もが罹る恐れのある、コーズミマで最も有名で恐れられている病気。
感染源は魔物につけられた傷。そこから入り込んだ魔力が体を蝕み、やがて魔物になってしまうと言うものだ。
発症には幾つかの前提が必要で、まず最初に魔物相手に負傷する事。普通に魔物に出遭えば、負傷して生き延びるよりも殺される方がよっぽど確率が高い。しかし、その幸運から傷を貰って逃れることで体に魔物の魔力が潜伏する。
第二にその魔力の元である魔物が存在している事。もし傷を負っても魔物が倒されていれば、体に入った魔力は一緒に消滅し、魔障には罹らない。魔障は、魔物の魔力が体に潜伏し、時間を掛けて魔物から魔力が一方的に注がれることで目に見える変化を齎す。
対処法としては、感染源の魔物を討滅するか、発症して直ぐに治療で魔力を体から抜き出すこと。または己の魔力を抗体のように用いて体の外に排出することだ。このどれかをせずに放っておけば、早くて三日で人が人の形を保てなくなるらしい。
因みに俺がカレンと契約する前に中位紛いの《魔堕》と戦ったときは、減る気のしない膨大な魔力で無理やり押し出した。このやり方は相手の魔力の質が高いほど効果が薄くなり、中位で約五割。高位で約二割ほどしか効果を発揮しない。
が、俺の体感ではそれは対抗させる魔力が少ないから効果がないだけで、物量で対処すればどうにかなりそうな気はする。と言うのが経験した実感で、今のところそれでどうにかなっている。
もしこの想像があっているのだとすれば無駄に膨大な魔力にも感謝だ。
「……ミノはこう言いたいんでしょ? 人の体で魔物を宿して体に悪影響がないのかって。魔障みたいに、力の使いすぎで宿す魔物の魔力に侵されて魔物に変化するんじゃないのかって」
「あぁ。どうなんだ?」
「ないとは言い切れない。魔瞳なんてこれまでの歴史でもそう例のない存在だよ。何より今の彼女は契約相手がいない。契約で魔力の流れが安定したり、外からの供給で自分の魔力を維持出来るなら問題はないと思う。けどそうじゃない今なら、何が起こっても不思議じゃない」
「……共に行動するなら少し考える必要がある、か」
「ただそれ以上に不確定なのがあの子の中の魔物の方。あの様子だと目の中の《天魔》が、体に異変が起きないように協力してるんだと思う。その魔物にとっても、彼女の体は拠り代だから」
「ユウ曰く、目の中の《天魔》……サリエルはユウの体を乗っ取るつもりはないらしいからな。とりあえずはそこが大きなポイントか」
一番は契約相手を見つけて魔力の供給を安定させるのがいいのだろうが、ユウは契約に対して忌避感を抱いている。それはきっと、前の契約者だったあの男を自らの手で殺してしまった事に起因しているはずだ。
ともすればカレンと同じように……契約した相手を死に追いやってしまうかも知れない。そんな事をしてまで契約の恩恵を受けたくない。だから契約はしたくない。
そんな思いから俺が提案した契約の話も簡単には受け入れられなかったのだろう。
「間に合わせとしては魔力石かな。確かカレンが持ってたよね?」
「あぁ。小遣い稼ぎにって言って生成に持たせてたが、流石にあれだけじゃあどれだけ切り詰めても数日で使い切る。路銀の足しにするには心許ない。……ならまだユウの供給源にする方がましだな」
契約を介さなければ直接魔力の受け渡しは出来ない。……もしかするとコーズミマのどこかにはそれが出来る特別な力を持った転生者などがいるのかも知れないが、流石にそいつの首根っこを掴んだままタンクのように持ち歩くわけにもいかないだろう。
となれば直接的ではない方法。魔具や魔力石を介した間接的なやり方で彼女の存在維持をすればいい。
「ルチルを出る頃にはそれなりに使える物にはなってるだろう。合流したらカレンと話をしてみるか……」
「まぁあたしにとってはどうでもいいけれどね」
「ユウの事は嫌いか?」
「カレンがいれば別に。それにあたしの正体を不躾に覗くようなのを簡単に信用できる方がどうかしてると思うけど?」
どうやらユウがチカを危険視していたことには気付いていたらしい。それでも黙っていたのはカレンの手前か。それともばらされるまで放置しておくつもりだったのか。……理由としては前者っぽいから、彼女個人としては後者が本心かもしれない。
「……言っておくけどあたし魔物だからね。魔力の流れとか敏感だから。変な事考えたら直ぐ分かるから」
「なら自分が嫌うようなことを他人にするなよ」
咄嗟に反論すれば、次ぐ言葉が見つからなかったか口を閉ざしたチカ。
まぁいい。全てを許せるほどではないが、少なくともカレンの決断がその口より出るまでは背中を預けてもいいくらいには安心出来る相手だと分かった。それを収穫として、今は目の前の目的のために進むとしよう。
手に持ったカンテラで地図を照らせば、最終確認をして麻袋にしまう。
「この先を曲がったら後はまっすぐだ」
「カレン、もう着いてるかな……?」
「賭けるか?」
「商品がカレンならやらない」
「商品は……そうだな。カレンの決定に文句なく従うこと」
「…………いいよ。あたしはまだだと思う」
「因みに理由は?」
「カレンって以外とどんくさいから」
「親友なら悪く言ってやるなよ」
「…………そこも含めて好きなんだもん……」
何で照れるんだ。変な勘違いを引き起こそうとするなっ。