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第三章

「おっきいねぇ~……」


 首が痛くなりそうなほどに顔を逸らして、目の前に天高く聳えるルチル山脈に零すカレン。

 スフェーンの町を出発して一週間ほど。遠くに見えていた峰の麓にようやく辿り着いて、揺れる三半規管を整えながら息を吐く。


「結局ここまで来てしまいましたね」

「別に誰かの所為じゃないだろ。まぁ来たからには山脈越えだな」


 カレンの決断はここに辿り着くまでに答えを見なかった。それでいて暢気に雄大な自然を鑑賞しているのだから、彼女も大概大物かもしれない。


「……あの、ミノさん。ずっと気になってた事を訊いてもいいですか?」

「なんだ?」

「もしかしてこの山を登って越える……なんて想像をしてませんか?」

「…………違うのか?」

「世間知らずはこれだから」


 悪態は溜息と共にチカの口から。彼女は一瞥をくれると馬鹿にしたように続ける。


「セレスタインとベリルの国境であるルチル越えはね、上じゃなく下……地下坑道を通って進むの」

「荷物は必要分だけ背負って、残りは空輸で国境を越えた先で受け取る仕組みなんです」

「馬車はどうする」

「ここに置いて行くんです。代わりに手形でやり取りして、向こう側で別の馬車を手配してもらうんですよ」


 嘘を言っているわけではなさそうだ。

 勘違いとは言え少しだけ恥ずかしい。……だってそうだろう。山を越えると言われたら普通上だと思うだろう?

 ……いや、日本での高速道路とか新幹線などを思えば山の中を突っ切るのは何も間違いではないのだが。クソ、思い込みってのは難儀なものだな。


「徒歩で半日ほどですね」

「ここまで来て自分の足かよ……」

「嫌ならここでお迎えでも待ってれば?」


 確かにこのまま足踏みをしていればいずれセレスタインの追っ手に追いつかれてしまう。迷っている時間は惜しい。


「……分かった。準備をしたら行くぞ」

「え? 何処へ?」

「…………お前は一体今の話の間何をしてたんだ」

「ご、ごめん……つい見惚れちゃって」

「いいよっ! 許すよ! 自由なカレンも可愛いよぉ!」


 最早二重人格ではなかろうかと言う見事な声色の変化。一体どちらが本来のチカなのかと疑う変わりように小さく息を吐いて準備を進める。

 持って行く物は最低限。食事と、便利な魔具。それから何かあった時の武器。カレンがいる以上彼女の力や、魔術での剣の生成でどうとでもなるのだが、それは基本魔物相手の場合だ。

 坑道を行くと言う事は入り組んだ細い道に暗がり……。絶好の奇襲地形だ。人間相手に魔術で作った剣はそれほど効果が無い。

 まぁ注意を引いたり大質量で戦意を挫くなんて使い方も出来ないわけではないが、最後は確かな一撃が物を言う。用心して損は無いはずだ。まぁ命を奪うなんてのは最終手段だ。これまでもそうだったが、出来れば手を汚したくは無いからな。


「治安はどんなもんなんだ?」

「あまりいいとは言えませんね。山賊のようなのも出ると聞いた事がありますし、それに……」

「ルチルはコーズミマの中でも有数の魔力溜まり……つまり魔物の巣窟よ」


 ユウの言葉の先を奪ってチカが告げる。

 魔物は魔力から生まれる。それは当然、魔力の多い場所から生まれると言うことであり、ある程度の閉鎖空間である坑道は魔力が溜まりやすいと言うことだろう。

 言わば魔力と言うのは遍在する空気のようなものと考えるのが妥当か。吹き溜まり……曰く付きの場所と言うのは意外と身近にもあるものだ。


「一説にはルチルのどこかに《波旬皇(マクスウェル)》が封印されてるんじゃないかとも言われてますね」

「……人間が封印したくせに場所が知られてないのか?」

「世界を揺るがしかねない機密情報ですからね。知ってるのはごく一部だと思いますよ。噂で、と言う意味です」


 それもそうか。幾ら異世界とは言え分かりやすく魔王様の居城を記してあるゲームではないのだ。不用意な不安を煽らない為に重要事項を秘匿するのは間違いだとは思わない。

 もちろん、隠す事で更なる問題を招く恐れもある以上、一概には言い切れないが。……その時は偽の情報でも流して上手く対応するのだろう。


「《波旬皇》とまではいかなくても中位程度の《魔堕(デーヴィーグ)》は当然徘徊しているはずです。気を抜けば生身の人間は生きて帰るのがほぼ不可能になります」

「それを本来俺のような傭兵が護衛として仕事を請け負う、と。もし稼ぐなら国境近辺でそういう類の依頼を漁るのが効率いいかもしれないな」

「それにカレンを巻き込むのは許さないから」

「……さっきからカレン、カレンってな。触れてもいない可能性を曲解して選択肢を狭めてるのはどっちだ? 俺からすればお前の方が余程カレンを危険に晒そうとしてるように聞こえるぞ?」

「あたしは純粋にカレンのためを思って────」

「喧嘩はやめましょうよ……ね?」


 挨拶や日課のような手軽さでそこら中に転がっている導火線が燃え始める。

 別に俺だって好きで喧嘩をしたいわけじゃない。ただことある毎にチカが突っかかって来るから俺だって抑えが利かなくなっているだけだ。

 きっとそれは、チカにとっても同じようなことなのだろうけれども。だからこそ彼女とは相性がよくないのだ。


「もぅ、これからって時に面倒事はやめてくださいね。カレンさんもお願いですから……って、あれ?」


 呆れた物言いで仲裁役と味方を増やそうとしたユウ。その言葉が途中で止まって探すような視線に変わる。

 また勝手な行動でも起こしたかと、怒る気すら失せた諦観で、それから彼女の思考ルーチンを追う。馬鹿だが変なところで要領がいい魔剣だ。特にこういう時は碌でもない事をしているに違いない。


『カレンっ』

「ひゃぅ!?」


 少し強く契言(けいげん)で名を呼べば、聞こえた声は馬車の荷台の中から。

 何をしているのかと覗けば、彼女はこちらに背を向けたまま何かを庇うように小さく声を零す。


「…………えっと、ね……?」

「……カレン」

「だってミノ、絶対持って行っちゃだめって言うだろうからっ」


 視線で糾弾すれば、彼女は諦めたように隠し持っていたものを見せる。それは梨の砂糖漬けの瓶。


「だから最後に、一口食べておこうかなって……」

「俺が預かる」

「うぅぅ……」

「これ以上駄々を捏ねるならユウにアレンジを作ってもらうのは無しにするぞ?」

「わ、わかったよぉ……」


 まったく、油断も隙もない。楽しいものを少しでも長く楽しもうと言う気はないのだろうか。

 溜息を吐きつつ腰の麻袋に突っ込んで、それから全員で最終確認。各自必要なものをしっかり持ったことを確かめると、覚悟を固めてルチルに向き直る。


「……さて、行くぞ」

「うんっ」




 荷物は話していた通り地下坑道に入る前に金を払って預けた。貴重品は携帯しているが、次いでなくなって困る食料が色々残っているのだ。あちら側でしっかり受け取らなければ。もし不慮の事故で受取人がいなくなったら山分けされるのだろう。それは勘弁願いたい。

 運搬用の荷物は貸し出しされている木箱に詰めて、馬車とは手形と交換でここでお別れ。

 いくら国境を越えた先で似たものを手配してくれるとは言え、自分たちの金で買った馬たちと別れるのはやはり少し寂しいものだ。

 ユウに聞いた話では、ユークレースとアルマンディンの国境である北のルチルを越えるときは、山々の合間を抜ける登山道があるらしく、そちらを通れば馬車と共に移動できるとのこと。ルチル山脈を越える際は、南が坑道で北が山道と言うことだ。

 とは言え今からユークレースに向かってアルマンディンからぐるりとベリルに向かう余裕は存在しない。そもそも最終的な目的地すら曖昧な旅路に、追っ手と言う不安要素から逃げるための越境だ。安全を思えば国境越えの人の目があって入り組んでいるらしい坑道の方が今は嬉しいと。

 考えながら地下坑道に足を踏み入れる。

 先ほど貰った地図は主だった道を記した簡易的なもの。過去の経験より魔物がよく出る地点には幾つかの印がつけてある。

 そんな地図を、手元の明かり無しで読めるくらいには坑道も整備されており、思ったほど不便ではなさそうだ。この様子なら、メインの道は全て明かりを灯されていると考えてもいいだろう。


「……で、どの道を行くかだな」

「え? このままじゃないの?」


 惚けた声はカレンのもの。彼女の声にユウが苦笑を零し、チカが優しく諭すように続ける。


「えっとね。あたしたちは今どういう状況だと思う?」

「国境を越えようとしてて、国と研究所に追われてる……」

「そんな危ない立場の人が、暢気に分かりやすい場所を歩いてて、偶然周りに人がいない瞬間ができたらどうなると思う?」

「……近くにいたら、襲われる。そっか、危ないんだ」


 どうやらそれくらいの判断ができるくらいにはまだ地に足が着いているらしい。頼むから初めてのことにはしゃいで独断先行だけはやめてもらいたいものだ。


「だから選択肢だ。人に紛れながらこのまま大通りを行くか、脇道に逸れて隠れながら行くか」

「少人数ならば後者の方が動きやすくはありますね」

「ただここは魔物が潜んでて、一本逸れただけでもその危険が降りかかる恐れがある」


 何時如何なる時だって可能性は考慮し続けなければならない立場だ。それを忘れて暢気に観光をしている余裕はない。


「……でもこのままなら人に紛れられるんだよね? 流石にその状況で襲ってきたりはしないんじゃないの? 周りの人が怪我するかもだし…………」

「あぁ。だからこそ、派手には接触してこないだろうな」

「…………あ、暗殺かっ」

「すれ違いざまにやられれば反応できないかもしれないからな。特に人に紛れると相手に気づくのが遅れる。こっちが隠れるのと同時に、相手も隠れられるんだからな」


 ユウのような特別な力をつれて来ていれば、なおさら危険だ。例えカレンやユウの力で探査の網を張っていても、周りの人たちもいざと言うときの魔具や武器を持っている。特別な敵は見分けられない。

 その上で相手がこちらを認識し、搦め手で襲われれば対処は難しいだろう。


「と言うことはこの道じゃないところを選ぶの?」

「魔物はいても中位。今いる面子なら普通に相手して、生き残るだけの戦力はある」

「加えて追っ手にもその危険はありますからね。魔物を相手にしながらわたしたちを追いかけるのは大変でしょうから」

「もし戦いになっても無関係な者達を巻き込む恐れも少なくなる。あたしたちにとってはいいこと尽くめってことだね」

「そっか…………」


 以上の理由から、ここから少し危険な道のりを選択だ。

 旅人は基本自己責任である以上、道を外に逸れたとしても止められる事はない。観光目的で危険を冒す馬鹿を見送る程度には周りも無関心だ。面倒を考慮しなくていいんだからありがたい話だがな。


「いざとなったら結界魔術でどうにかできますしね」

「使えるのか?」

「一応。ただ得意でないので展開しようと思うと時間がかかりますが……」


 ユウの告げた結界魔術と言うのは、辺りの空間を世界から断絶させて隔離された閉鎖空間を作り出す魔術だ。結界の内外を跨ぐ干渉を阻むことで、孤立させたり外への被害を防いだりできる。

 俺も話に聞いたことがあるだけだが、色々な使い道があって便利な魔術だ。まぁここでなら使う必要もないだろう。一応頭の片隅にだけは留めておくとしようか。


「……ユウさんって色々できますよね」

「そうですかね?」

「世界のことを沢山知ってて、ちょっと戦えて、魔瞳と魔術が使えて、おまけに料理がおいしいっ」

「どこかの棒切れとは大違いだな」

「すごいよっ。あこがれるよっ!」

「あ、ありがとうございます……」


 褒められ慣れていない様子のユウが、僅かな明かりの下で頬を染めて笑みを浮かべる。次いで足を襲った蹴りの衝撃。見ればチカがこちらをじっと睨んでいた。

 カレンはスルーしたのにお前が反応するのかよ。


「まぁ普通を当たり前にできることも才能の一つだからな。ユウはその調子でいてくれ」

「あ、はい」

「それじゃあ行くとするか。この道から外れたらご丁寧に明かりなんてぶら下がってないからな。ランタンの準備しておけよ」

「はーい」


 方針を固めて覚悟を決めれば、しばらく歩いて壁に開いた横穴から道を逸れる。

 途端、一本外れただけで空気が冷たく広がり、先の見えない暗闇が視界を支配する。心なしか不気味な気配さえ漂わせて、できの悪いお化け屋敷よりは余程ホラーな雰囲気が辺りを支配していた。


「うわ、足元がぐらぐらする……」

「滅多に人なんて通らない道だろうからな。岩が剥き出しで踏み固められてもない悪路だ。転んで怪我するなよ。面倒が増える」

「うん。……けど面白いね、ここ」

「何がだ?」

「周りの壁の中に金属が一杯埋まってるよ」


 カレンの声に訊き返せば、それは彼女の感覚が示す目に見えない情報だった。そこにユウが補足を加える。


「この道は、道になる前は文字通りの坑道……つまり採掘現場だったそうですよ。ただ掘り進めて行くうちに魔物が出現するようになって、まともに作業ができないからと主だった道を除いてそれ以上の探査を諦めたらしいです」

「……なるほど。それから兵が派遣されて治安が保たれ、越境の要になったってわけか」


 少し不思議だったのだ。どうして山を突き抜けるだけの穴に沢山の横穴が存在するのかと。しかしどうやら、確かな理由があってのことらしい。

 地図を見ても一見乱雑に見えるように掘られてはいるが、きっとカレンのように金属や宝石などに鼻の利く《天魔》と協力して埋まっているところを掘り抜いて行ったのだろう。だから整然とした掘り方ではなく、蟻の巣のように地図の道が描かれているのだ。


「その気があればここに篭って採掘してみるのも面白いかもな。うまくすれば楽して儲けられるぞ」

「但しいざと言うときに魔物を退けられないとそれで終わりだけれどね」

「鉱石、宝石だけでなく。ここが魔力溜りなら、魔具の発掘の可能性もありますね」

「お宝の宝庫だっ!」


 希望を見つけたり、と瞳を輝かせるカレンだが……残念、重複表現だ。頭痛が痛い。


「もし本気なら安全を確保してからだ。現状で手が出せるほど余裕はない」

「分かってるよ……。ただ、うぅ……。すぐそこにお金の塊があると思うと気になって仕方ないよ…………」


 まぁそう言われれば少しだけ後ろ髪を引かれるものもあるが……。いや、今はそれよりも優先事項があるのだ。遠い夢に(かま)けている暇があったら、次の安全な一歩を探した方が懸命だ。


「……それで、周りの様子はどんな感じだ?」

「埋まってる物以外は特に何も感じないよ。後ろから追い駆けてきてる反応もない」

「わたしも同じです。魔力、魔術方面でも直近の危険はありません。……ただ少し、辺りの魔力の密度が濃くなってます」

「魔力が濃いってことは魔物が生息し易いってことよ。あたしたちは今野生本能の懐に向けて歩いているの。気にするなら人よりもそっちを念入りにお願い」

「そうだな。幾ら相手にできると言っても知覚外から襲われればその限りじゃない。下手をすれば低位の《魔堕》にさえ致命的な攻撃を貰う可能性だってある。ユウ、お前の目が頼りだ。頼むぞ」

「……あまり脅さないでください」


 そうして冗談で答えられるくらいにはまだ彼女も余裕と言うならば問題はないだろう。

 それに、周りの魔力が濃くなって強くなるのは相手だけではない。カレンもユウも、得意とするのは魔力を用いた技だ。辺りの魔力濃度が高くなれば、その力も比例する。

 つまり今この状況下で考慮すべきは想定外の奇襲だけ。

 そう頭の中を整理して呼吸を整えれば、手元に集中して魔力を練る。作るのはユウと、一応チカのための武器だ。

 魔具の生成に時間が掛かれば質が向上するように、魔術も時間を掛ければ作り出す物のクオリティがよくなる。単純に魔力を込めるだけで威力が上がるような代物なら、俺は魔剣にも劣らない魔具や武器を作り出すこともできるのだろうが、そう簡単にはいかないのが面倒なところだ。

 いざと言うときに作り出した不出来な武器では身に危険が及ぶ。危険は更なる危険を呼んで足を掬う。そんな悪循環に陥らない為にも、準備は不可欠だ。


「ユウは前と同じ双剣でいいな?」

「はい」

「チカはどうする?」

「……あたしも?」

「何も起こらない内の危険は平等だ。誰かの所為で状況が悪化して……例えばカレンがそれに巻き込まれてもいいのか?」

「カレンを例えばにしないで。……普通の剣でいい」

「わかった」


 こんなところで言い争うなんてのは馬鹿のやることだ。幾ら憎くても、自分の命を守らなければ復讐や個人的な勧善懲悪はできなくなる。少なくともその判断ができるくらいには、彼女も頭が回るということだ。

 ……単純に知識で比べる知力で言うならチカはカレンよりは上だろう。ユウとどちらが上かと言うのはよく分からないが。異世界の理で生きてきた俺は比較対象から除外だ。地盤が違うものを比べても意味がないからな。

 まぁ馬鹿は馬鹿なりに使いようがあるし、俺はカレンを馬鹿だとは思わない。だって彼女は向上心がある。知らないものを知ろうとする努力の心がある。それはきっと、全てを諦めて死を選ぶようなどこかの馬鹿よりは、余程人間らしく生きたいと願う賢き思いの表れだろうから。

 世界なんて滅べばいいと絶望するほどに選んだ死とは対照的な、誰かに認められるべき思いだ。

 そんな彼女の選択肢を……未来をこんな場所で潰すわけにはいかないから。今はそんな言い訳で、己の失敗を重ねて償いのように手を貸すのだ。その時に、例えどんな結末が待っていようとも。


「……ミノさん、まだですか?」

「まともなのはもう少しだな」

「いいよ、ユウさん。私が相手する」


 と、そんなことを考えて辺りへの意識が疎かになっていたか。素直に返した言葉に続いたカレンの言葉に顔を上げれば、カレンがその手に剣を作り出して構えていた。

 そうして彼女が睨む先には、続く一本道を塞ぐようにそこに存在する、《魔堕》の姿が二つ。片方はモグラのような胴長短足に蛇のような大きな口を持った異形の姿。もう片方は三つ足に腕が二本と螺旋を刻む曲がった角が頭の左側だけから生えた、熊のような図体の奇形の容姿。


「一人で大丈夫か?」

「心配しないでよ。あんな言葉も話せないような低位なんて敵じゃ────」

「そうじゃなくて。同属を斬れるのかって訊いてるんだ」

「……………………」


 逃げられない事実を口にすれば、沈黙を返したカレン。同時、僅かに剣の柄を握る手に力が篭ったのが見えた。

 彼女は、馬鹿ではない。けれど魔物にしては、そこらの人間より優しすぎる。

 人を斬る事を拒み、同属を手に掛けることに躊躇する。そんな心持ちで一体どうやってこの先歩んでいくのかと。その答えを探すことも、今カレンが向き合うべき葛藤の一つだ。

 そんなやり取りをしている間にじりじりと距離を詰めてきた《魔堕》が、吼えて駆け出す。穴の中を反響して広がる咆哮に驚いて尻込みしたのか、一歩下がるカレン。そんな彼女の手から擦れ違い様に剣を取り上げたのはチカだった。


「貸してっ」

「あ…………」

「っでぇい!」


 奪い去った剣をしっかりと握り、駆けた勢いに乗せて袈裟斬り。気合と共に放たれた一閃は、寸前で横に飛んで交わした《魔堕》の鼻を掠めたのか、僅かに黒い残滓を辺りに散らした。

 反撃に驚いた様子の《魔堕》が大きくぐるりと回って、元いた場所に二匹固まってこちらを睨み据える。

 なかった手応えにか、小さく舌を打ったチカは、一振り薙いで得物の感覚を馴染ませると半身ずらして構える。


「下がってて。カレンが相手するような敵じゃない」

「でも……」

「それじゃあ戦う? そんな不安定な心で?」

「っ…………」


 言葉は厳しく聞こえるが、きっとカレンのことを思っての言動だろう。彼女に期待をしているのは俺だけではないのだ。


「経験は?」

「……研究所で少し」

「少しって……一人で中位倒した癖に…………」

「あ、覚えててくれたんだ。ありがと、カレンっ」

「なら任せる。時間を稼いでくれればもっといい得物を用意してやるぞ」

「だったらカレンに頼むわよっ…………!」


 中位を一人で、と言うことは魔剣持ちに匹敵する力量の持ち主か。彼女の小さな体の何処にそれだけの物が詰まっているのか疑問は残るが、今はカレンに代わってくれたことに感謝だ。

 そんなチカが、吐き捨てるように叫んで台地を蹴る。僅かに抉れた地面と舞った砂を置き去りに、人ではありえない脚力とスピードで《魔堕》に向けて急接近した彼女は、そのままモグラ型の《魔堕》の下に潜り込んで切り払いの一閃を描く。一撃で首を跳ね上げ、残った体に追撃の蹴りで遠くに吹っ飛ばした。

 と、そこにもう一体の《魔堕》が振り上げた腕を魔力で何倍にも膨れ上がらせて叩き下ろされた。その衝撃を、器用に剣の刀身を宛がって威力と軌道を逸らして往なし、そのまま刃を腕伝いに滑らせて肩から両断した。

 同時、チカの持っていた剣が耐え切れなくなったか、魔力に解けて虚空に消えていく。


「ちィっ……!」

「チカっ!」


 その隙を目掛けて振るわれた《魔堕》の巨大なもう一方の腕。カレンの声に気付いたチカが、咄嗟に後ろに跳んでかわす。

 そんなチカに向けての追撃。人の体では考えられない、尻尾のような三つ目の足で地面を叩いた《魔堕》が急速接近しながら腕を振りかぶる。


「チカっ、使え!」

「遅いってぇぇぇ、のっ!」


 徒手を構えなおしたチカがそれを回転して受け流し。同時に振り上げた足で《魔堕》の腕を蹴って更なる攻撃の出を防ぐ。《魔堕》が左回転、チカが右回転。まるで噛み合った歯車のようにお互い別方向へ回る中で、チカがこちらへ向くタイミングに合わせて投げた魔術で編んだ斧。

 それを上手にキャッチしたチカが、回転動作に斧の遠心力を加えてぐんと加速すると、そのまま嵐のように一回、二回とその場を軸に振り回し始める。一回転する毎に魔物を下から順に、軌跡を螺旋状に描いて刃を這い上がらせるその様は、まるで刃の台風のようで。

 風鳴り響かせる回転斬撃が《魔堕》の頭まで届くと、回転の勢いをそのままに上段へ持ち上げて、最後のしめとばかりに思い切り叩きつけた。

 横に幾度もスライスされた《魔堕》が、轟音と共に縦に真っ二つ。遅れて舞い上がった砂と小石が放熱の吐息のようにチカの周りに広がって漂う。

 一拍遅れて、惨殺された《魔堕》だったものが自分が何であったかを思い出したかのように闇に解けて消えた。

 と、地面に突き刺した斧に体を預けるようにして項垂れるチカ。


「……うぇっ、回りすぎた……。気持ち悪ぅ…………」

「チカ、大丈夫っ?」

「ん~…………平気、だよ。目が回るだけ……あはっ、カレンが二人いる~……」

「もうっ」


 随分な大立ち回りを見せてくれたが、それ相応の代償が体に返ったらしい。……にしても人にはあまり真似出来そうに無い動きだったが。


「すばらしいスタンドアローンだな。中位相手に一人で勝ったってのは嘘じゃなさそうだ」

「卓越した戦闘勘ですね。……ミノさんとも息が合ってるように見えましたが」

「俺が合わせたんだ」

「だったら斧じゃなくて普通の剣よこしなさいよっ! いきなり武器変わったら戦いにくいでしょうがっ」

「それでもしっかり戦うんだから本物だろうさ」


 素直に褒めれば、言い争いに発展しなかったことにか言葉を詰まらせたチカ。そんな彼女にカレンが笑う。


「ふふっ、チカの負けー」

「負けって何よ。勝ったじゃない」

「だってほら、口調がいつも通りだし」

「え……あ…………」


 指摘されて気付いたらしいチカが、思わず口元を押さえる。

 別に俺に対してはそう変わらない変化だが、カレンにしてみれば言う通りなのだろう。これまでチカは、カレン相手の時だけ飾るような声音と口調で話をしていた。

 俺はそれが、相手によって態度を変えているだけだと思っていたのだが……どうやら今見せた彼女こそが素のチカらしい。


「折角人間の世界に出てきたからって口調まで変えなくてもいいのに……」

「違っ…………うん、ごめん。でも、あたしこれ嫌いなの。乱暴で、カレンみたいに可愛くない……」

「何で? 私好きだよ? ね、ミノっ」

「俺に振るなよ。……まぁさっきの方が話しやすくはあるな。今更猫被ったところで違和感しか感じないし」

「……力任せで、刺々しくて。あたしはカレンが羨ま──きゃぅっ!」


 時間切れで結合が解けたらしく、魔術の斧が言葉の途中で消えて、それを支えにしていたチカがこけて悲鳴を漏らす。そんなチカを、近くにいたカレンがすぐに支えて、言葉を告ぐ。


「そんなこと無いよ。強くて、格好よくて……今も迷ってた私を助けてくれた。私はチカが大好きだから。チカはチカでいいんだよっ」

「っ……! もう、何言ってるのよ……」

「照れたら私も恥ずかしくなるじゃんかぁっ」

「あたしの所為じゃないでしょ、それ!」


 互いに頬を染めた二人が、それから堪え切れなくなったように笑い始める。

 きっとこの光景が、本来の彼女たちの関係なのだろう。


 ────だから私は笑うとか、怒るとか、そういう事を忘れられないでいられた


 前にカレンが口にしていた言葉が脳裏を過ぎる。あの時言っていた、心の支えとなっていたのがチカ。その関係のあり方が、今目の前で笑い合う二人なのだろう。

 死を突きつけられる世界で、自分足ろうとしていたカレン。チカがいなければ、彼女は自分を見失い、組織を抜け出そうなんて考えに至らずに、ずっとその場所で、いつか来る俺のような契約者を待ち望んでいたのかもしれない。

 けれどそれを嫌って空元気でも振りかざして、二人は互いを頼りにここまで存在し続けたのだろう。


「まったく……。だったらカレンももう少ししっかりしてよね」

「分かってるよぅ」


 一頻(ひとしき)り笑い終えたらしい二人が互いの手を取って立ち上がる。と、そうして二人の無事を確認したところで、いつの間にか傍に来ていたユウが小さく零すように声を掛けてくる。


「……ミノさん、さっきのですが。魔力の発露を感じました」

「…………そうか」

「それから、今の影響で遠くにいた《魔堕》が動き出しました。早く離れないと戦闘になります」

「数と強さは?」

「遠いので詳しくはなんとも。ただ低位が複数。中位が、少なくとも一体です」

「わかった」


 欲しい情報を端的に告げるユウに頷いて、それから今し方出来上がった魔術の双剣を彼女に差し出す。


「一応避けるつもりだが護身用にな。今出来る最高品質だ。乱暴に扱うなよ?」

「ありがとうございます」


 カレンと契約して一週間以上。暇があれば体に馴染ませるように弄っていた剣の生成は、けれどもまだまだ終わりを見ない。特に俺の場合は、魔力があるだけ出来ることが増えるのだ。突き詰めようと思えば発想が続く限り幾らでも遊べるおもちゃ箱。更に……もっと……と望むならば満足は程遠い。

 しかしとりあえずで使う分には十分な代物も作り出せるようになった。今度の課題は、自分に合わせてではなく相手と状況に合わせた選択と判断。……カレンがこれまでの戦いの中で咄嗟にしていた、剣の防御を意識的に使えるようになることだ。あれがそれなりの質で問題なく作り出せるようになれば、中位の魔物も怖くない。肉も切らせず骨を断つ……それが目下の目標だ。


「すぐに動けるか? 魔物がさっきのを感知してこっちに向かって来てる」

「…………うん、大丈夫だよ」


 答えたカレンが拳を握るのが見えた。

 きっと先ほどのことを思い出したのだろう。もし次の時に覚悟を固められるのなら、今回のことはいい練習になったのかもしれない。


「今度武器作るならもっとちゃんとしたのを作って。あんな半端じゃ碌に戦えない」

「後先考えずに飛び出すのが悪いんだろ? 援護が欲しければしっかり足並み揃えろ」

「援護ぉ? 馬鹿なこと言わないでよっ。カレンがいないとまともに戦えもしない癖に分かった風な口を利かないで」


 歩き出せば減らない口が響く。チカの悪態は最早挨拶。飾る必要が無くなった所為か、カレンの前でも存分に感情を露わにする彼女。

 売られた喧嘩を……なんて話でも無いが、向けられた話題ならば答えなければいけないだろうと。


「あの程度なら俺だけでも十分だ。……それよりも次だ。ユウの話だと中位が動いてるらしい」

「そんなのすぐに蹴散らしてあげるよ。(もっと)も、あたしの戦いについてこられる全うな武器があれば、の話だけれどね」

「……ねぇ、チカ。そんなのあるの? 研究所にいたとき、武器を何本も壊しては魔物を倒してたのに。ちょっと乱暴すぎるんじゃない?」

「あたしは悪くないのっ。あたしに合わない武器が悪いのっ」

「…………研究所ではそう言う戦いもしてたんですか?」


 脳裏を過ぎった疑問を、先にユウが音にする。


「戦いの勘を養う訓練みたいなもの、かな」

「普通そう言うのは相手を倒すところまではいかないんじゃないのか?」

「セレスタインだと魔剣持ち同士、持たない者同士で競い合うのが常でしたね。魔物相手と言うのは初めて聞きました」

「その方がより実践的でしょ? 敵を倒すための力だもの。殺しもできないのに命を預けるなんて出来ないもの。……って違うからね? 別にカレンが悪いとかそう言うのじゃなくて! カレンはカレンでいいと思うからっ!」

「え……うん」


 カレンの反応を見るにチカの独り相撲か。思うところはあるのかもしれないが、そこまで深刻に悩んではいない……。と言うことは既に心は固まりつつあると言うことか。


「……割り切る、のとは少し違うかもだけど。倒さないとこっちがやられちゃうからね。…………うん、大丈夫。ほんとはやだけど、大丈夫だよ」

「カレン…………」

「まぁ魔力から生まれる魔物だ。倒しても魔力に還るだけで、またしばらくすれば魔物として生まれてくるんだろ?」

「そうですね。魔力の集合体が魔物ですから。大抵の魔物は体の中に核のようなもの……魔具になるような鉱石や何かの破片を持っていて、それを拠り代にしています。その核を壊すか、核の周りに集まって体を構成している魔力を霧散させると魔物は消えます」

「その破片を集めて固めた物が魔物……《天魔》が宿りやすい物になるのよ。そうして作られた魔剣の類は他の物と比べて強力な場合が多い。でもその為には《魔堕》から純粋に魔力だけを霧散させる魔剣みたいな手段が必要なわけで…………」

「目的と手段が一巡してるってことか。命が懸かればそんな余裕も無いだろうしな。普通に倒してゲームみたいにドロップ品があればもっと旨味もあるんだろうが」


 残念ながら魔物が金を持ち歩くわけは無い。魔物の世界に人の通貨なんて必要ないのだ。

 代わりに、魔具になるような物を溜め込む癖はあるらしく、倒してそれらを換金と言うのが臨時収入として機能していると言うことだ。もちろん、そうして《魔堕》が抱える物と言うのは、大抵が返り討ちにした人の持ち物だったりするのだろう。

 そう言う意味ではカレンと出会ったばかりの頃に戦った中位紛いの《魔堕》はいい資金源だったらしい。あれが誰かの持ち物だったのか、それとも自然から拾い上げたものが魔具に変化したのかは分からない。けれど助かったのは事実だ。


「だから私がしっかりしなきゃねっ。……もう少しだけ待ってて。ちゃんと答えを出すから」


 言って笑ったカレンは、確かな覚悟と共に歩き出す。さて、ここを出るのが先か、カレンが答えを見つけるのが先か。


「もちろん今のことも忘れないでくださいね。……来ますよ」

「武器はまだ?」

「…………よし、普通の剣でよかったな?」

「これでカレン製なら文句は無いんだけど」

「物の良さはミノの分野だよ。私は一度に沢山、早く作れるだけだから」


 量か質か。場合によって使い分けるべき力は、今回は俺に役割があっただけのこと。

 チカに注文通りの得物を渡せば、確かめるように軽く振って小さく息を吐いた。感想は無し……だが言葉にしない様子からはそれなりに満足している空気が感じられた。


「ユウ、来るのは低位か?」

「はい。数は……27体」

「結構な数だな。前に進みながら切り抜ける。ここで足止め食らうと後からやってくる大物に捕まりかねないからな」

「分かりました」


 頷いたユウが、それから魔術を行使すると、薄い水色の球体が出来上がって頭上に位置取る。その光が辺りを照らして、足元と遠くを照らしてくれた。


「あまり長くは持ちませんがこれで」

「急務だな。補助的な役割が足りない」

「それはここを抜けてから考えよっ」

「来たっ!」


 チカが告げれば、一本道の先から音を立てて迫り来る《魔堕》の軍勢。異形の集団が、少しだけ百鬼夜行を想像させる威圧感を振りまいて突撃してくる。

 カレンに視線を向ければ、彼女は自分で剣を作り出して戦闘体制を整えていた。とりあえず魔剣としての力は温存か。彼女の覚悟のためにも今回は一人で戦わせてもいいだろう。

 考えて、自分用の剣を二本作り出す。一撫ですれば霧散して消えてしまう粗悪なものだが、そうと分かっていれば幾らでもやりようはある。


「行くぞっ!」


 気合と共に大地を踏めば、重なった四つの足音が魔物の流れと交錯する。

 カレンの剣技は模範的に見えるほどに綺麗な型。無駄の無い動きで襲い来る《魔堕》を斬り捨て、数多に作り出した刃の雨で打ち貫いていく。

 チカの立ち回りは少し力任せ。しかしながら一振一殺で確かなペースを刻み敵を跳ね上げていく。どちらかと言えばタイマン向きの戦い方か。

 ユウの技はまるで演舞のようで。逆手持ちにした両の刃で多数を相手に跳んで跳ねてを繰り返し、駆ける疾風のように浅い傷を幾重にも重ねて行く。乱戦で輝く、一対多に適した振る舞いだ。

 そんな彼女たちに負けぬようにと手に持った剣を振るう。一太刀(ごと)に霧散して消える刃。それを壊れた先から次々作り出し、一本一殺で《魔堕》を屠っていく。特に倒せば消える《魔堕》相手には、人間相手だと色々問題のある突きが効果的だ。突っ込んでくる野生動物のような攻撃を先回りして進攻上に切っ先を置き、近付けば突き出す。

 後の先を取るようなカウンターの型。そこに振り向きざまの一閃や、遠距離を狙う投擲も組み合わせて殲滅する。

 と、最後の一体になったところでそいつに向かって突っ込んだのが俺とチカ。視界の端で互いのことを認識するや否や、ラストアタックを譲らないとばかりに加速する。

 その気迫に気圧されたのか、咄嗟に後ろに跳んだ犬型の《魔堕》。刃の外に逃れられて互いの射程外だと分かった瞬間、言葉も無くその場で一回転。両手の刃を重ねて扇のように振り回せば、次いでそれを足場にしたチカを《魔堕》目掛けて打ち出す。


「だぁああッ!!」


 弾丸の如く跳んだチカが、勢いそのままに逆手に握った両刃剣を脳天に突き立てて、魔物の残りが全て魔力に還った。


「ったく、危ないわね。ぶつかるところだったでしょうがっ」

「先に跳んだのは俺の方だ。後から敵を奪いに来て偉そうな口を利くな」

「まぁ最後に止めをさしたのはあたしですけどねぇ」

「俺が折れて援護したからだろ? 他人が作った武器と機転を使っておいて我が物顔とは恐れ入るなっ」

「そこで足蹴にされるくらいあたしの方が正しかったって事でしょ? 格好よく決められなかったからって責任転嫁なんて程度が知れるわねっ」


 途端、勢いよく振り返ったチカが斬りかからんばかりに食らいついて来る。

 当然売り言葉に買い言葉で乗っかれば、尽きない言葉が湯水のように湧いて出た


「あ、はは……仲いいね」

「そうですね、では急ぎましょうか」

「ちょっと! 幾らカレンでもそれは無いから! 訂正してよ、ねぇっ」

「うぅ、チカうるさい」

「なぁっ……!?」


 追い縋ったチカを困ったように斬り捨てたカレン。先ほどの戦闘ではなかった傷を深く抉られてふらりと揺れる。刹那、こちらを睨んだ彼女が手に持った剣を俺目掛けて振りかぶる。

 次の瞬間、岩陰から現れた背後の気配を綺麗に両断した。どうやら一匹隠れていたらしい。


「ねぇ」

「ん?」

「話がある」

「今か?」

「…………後でいい」


 チカとのすれ違い様にそう交わして、それから自分用の剣を作るのに集中する。頼むからこれ以上の面倒はやめてくれよ?

 考えながら使い慣れた形……シャブラのようなサーベルをイメージして魔力を練れば、やがて前を歩いていたカレンとユウが足を止めた。


「……さっきの足止めで追いつかれましたね。中位が二体です」

「一体は後ろ。ミノ、チカ、頼んでもいい?」

「カレンを使ってもいいんだぞ?」

「それは疲れたときに取っておくからっ」


 魔剣の姿は歩きを拒否するための理由にはならないぞ。まぁ、彼女の力を使わなくとも死にはしないか。

 覚悟を決めて振り返れば、視界の先の横壁を突き破って岩と共に姿を現した中位の《魔堕》。四肢を持つ人型で、巨人のような出で立ちだが、首から上が無い。デュラハンかよ。

 呼吸を整えて構えれば、仕方なさそうに隣へ並んだチカが、《魔堕》を見据えたまま零す。


「……足引っ張ったら先に斬るから」

「俺はカレンほど甘くないからな。しっかりかわせよ?」


 確かめるように馬鹿にし合えば、通路に魔物の叫び声が響き渡る。前と後ろ二重の咆哮が反響して倍では収まらない振動を辺りに広げる中で、詰めた呼吸で一気に駆ける。

 同時に走り出しながら、けれど少し前にも見せた異常な脚力で瞬時に距離を詰めたチカがまずは足を狙う。そんな彼女目掛けて振り下ろされた腕には目もくれない姿に、練った魔力で大きな剣を作り出し盾に。チカが地面に穿った金属の壁の傍を通り抜けるのと同時、《魔堕》の腕が撓って空を切り、衝突する。

 即興だった為にほんの少し耐えただけだったが、その少しの間に一歩踏み込んだチカが《魔堕》の背後へ抜けて足首を撫で斬った。

 次いで先ほど《魔堕》が叩き壊した剣の残骸が回転して降り注いでくる。それを魔力で強化した左の拳で殴りつけて触れる寸前で纏った魔力を爆発させれば、推進力を得た折れた刃が《魔堕》の右肩をかする。少し狙いが逸れたか。

 と、その剣に向けて跳躍したチカが《魔堕》越しに見えた。咄嗟に勘で作り出した剣が天井に刺さる形で出現すると、先ほど殴り飛ばした剣の柄を空中でキャッチしたチカがその勢いに振り回されて奥に跳んでいく。

 彼女の衝突先には、先ほど作り出した剣。その腹を足場にして勢いの方向を変えたチカがぐるりと宙返りする。それでもまだ足りないかと。直ぐに二つ、三つと足場を用意すれば、八艘飛びの如く剣の上を跳ねて方向修正を行い、やがて《魔堕》の左の肩口目掛けて折れた剣を振り下ろした。

 刹那に、勢いが地面まで突き抜けて煙を起こす。

 その間に遅れて駆け寄ったミノが、先ほどチカの斬りつけた足へ追撃の一閃。確かな感触と共に足首を上下で両断すると、直ぐに叫ぶ。


「チカっ!」


 刹那に、煙の中から伸びてきた手のひらを掴んで、体勢を崩し倒れる《魔堕》の下から一緒に走り抜ける。


「投げてっ!」


 言葉以上の刹那の交錯で意思疎通。ちょうど直ぐ傍にあった柱のような岩の塊に魔術で編んだシャブラを突き立て、軸にして半回転。遠心力を乗せてそのままチカを背後の《魔堕》に放り投げる。

 その最中、彼女の手の中に先ほどまであった剣が無い事に気付く。探せば見つけたそれは、《魔堕》の背中に突き刺さっていた。どうやら先ほど肩を斬ったときに投げておいたらしい。

 手が離れるぎりぎりでどうにかその剣に狙いを定めて投げ飛ばせば、勢いを全て刺さった剣に乗せて《魔堕》を背後から貫いた。

 まともに《魔堕》が動かせるのは右腕のみ。その隙を見過ごすことなくしっかりと詰めの一撃。シャブラを大きく黒い体に突き立て、魔力を込めて内側に直接流し込む。

 カレンでさえ枯らし切れない膨大な魔力の奔流で膨張した魔物の体が、次の瞬間形を保て無くなり弾け飛んだ。遅れて、ようやく上がった息に胸が苦しくなる。

 流れるような戦いの運び。こと戦闘となれば不必要に相性がいいらしいチカとの連携は、心地よささえ感じる。まるで相手の行動が手に取るように分かるのは、スタンドアローンから生じる偶然なのか。それとも言葉にならない何かで繋がっているのか。

 無我夢中で刹那を駆け抜ける身からすれば全ては結果あり気の事実だが、さて、チカの方はどう思っているのだろうかと……。


「……無事か?」

「心配するなら無茶させないで」

「勝手に飛び出しておいて随分な言い草だな」


 近くによって声を掛ければ、チカは壁により掛かって疲れたように座り込んでいた。ざっと見た限り怪我はなさそうだが、《魔堕》を貫いた衝撃を殺す為にか地面を転がったらしく、外套が少しだけ汚れていた。

 性格同様歯止めの利かなさそうな戦闘は問題が山積みだが、嵌れば強い彼女は確かな戦力だろう。その力を純粋に評価するなら、手放すのは惜しいほどだ。

 ……しかしながらその原動力。一体何処から湧き出るものか。人を優に超えた身体能力は、訓練で身につく以上の特別さだ。頼もしい反面、疑問が募る。


「ぃっ……!」

「うるさっ……!」


 次の瞬間、抜いていた気の隙間を通り抜けるように辺りを(つんざ)いた咆哮。通路を揺らす轟音は、カレンとユウが相手をしていた《魔堕》の口から放たれた声ならぬ声だった。

 思わず耳を塞いで、揺れた地面に膝をつく。目を開けてカレンたちの方を見れば、苦戦しているのか距離を置いて対峙しているのが見えた。


『大丈夫か? 助けは?』

『……いいっ、二人で出来る!』

『なら見せてみろ』


 契言で尋ねれば、返ったのは確かな意思の篭った言葉。果断に言い切るその覚悟は、括ったら腹なら口出しをすることではない。

 一応いざと言うときの援護準備だけは整えつつ、座り込むチカに伝える。


「手は出すなだとよ」

「……知ってる。カレンは昔から、臆病だけど頑固だから。一度決めたことは失敗して痛い目を見るまで諦めない。失敗しても諦めない……。鬱陶しいくらいにまっすぐで、羨ましいよ」

「…………いい信頼だな」

「いつだってあたしはカレンの味方だから」


 腰を下ろしたまま全幅の信頼を落とすチカは、疑いなど微塵も感じさせない誇った笑みで答える。

 まぁカレンが頑固なのは俺もよく知るところだ。それでいて時に柔軟な思考を見せるのが面白いところ。特に真剣になればなるほど、彼女の可能性は広く伸びていく。

 だからきっと、今回も…………。


「ユウさん、もう一回!」

「でも……!」

「次は大丈夫だから!」

「……っ! 分かったっ!」


 不屈の自由が理想の風を巻き起こす。


「サリエルッ……!」


 駆け出したカレンに合わせてユウが右目の魔瞳の力を行使する。あちらの魔物は先ほど倒したもう一体と違い、しっかりと顔や目を持つらしい《魔堕》だが、左目がくぼみ、右目が飛び出そうなほどに肥大するという、左右で不釣合いな形相をしているのが特徴か。

 そんな《魔堕》の感覚を惑わせる特別な幻術が、それまで動いていた巨体を金縛りの如く縛りあげる。こうして客観的に彼女の力を見るのは初めてだが、どうやら幻術に掛かった者はああして脳と体の伝達を切り離されるらしい。

 電池の切れた玩具のようにゆっくりと腕を下げていく《魔堕》。その腕に飛び乗って、瞬く間に駆け上がったカレンが手に持った剣を首に突き立てる。衝撃にか意識のような何かを取り戻したらしい《魔堕》が幻術より目覚め暴れ始める。


「だああぁああっ!」


 その首筋から、剣を突き立てたままのカレンが魚でも捌くように刃を滑らせて《魔堕》の背後へと落下する。その軌跡には、彼女と共に切り裂かれた剣の一筋。

 深々と刺され、切り開かれた一撃にカレンを振り払おうと巨大な体を暴れさせる。どうやら幻術での行動阻害は一時的なものらしく、その間に畳み掛けて討滅する算段らしい。先ほどの会話から察するに、一度目はそれで失敗したのだろうか。

 考えていると《魔堕》足元。今度はいつの間にか潜り込んでいたユウが双剣を巧みに用い、クライミングでもするように見上げるほどの巨体へ突き立てて、振り回される勢いすら利用して跳び昇っていく。

 二度三度と体を伝って昇りきった彼女は、最後で大きく跳ね上げられて天井へ。しかし想定通りだったのか、天井を地面に見立ててしっかりとばねと衝撃を溜め込み、次の瞬間に跳躍と重力を重ね合わせて急転直下の両刃振り下ろし。

 切っ先が捕らえたのは《魔堕》の両目で、ユウの持つ双剣の柄までを捻じ込まんとばかりに叩きこまれたそれを手放しそのまま落下する。


「カレンさんっ!」

「まかせて!!」


 ユウが地面に衝突して怪我をしないように大剣を滑り台代わりにして受け止め、入れ違いにその足場を駆け昇るカレン。どうにか受身を取ったユウが、直ぐに振り返って行使したのは魔術。恐らく身体強化の類であろう補助のそれを、カレンに付与すると、託された彼女が剣を踏み切りガンッと大きな音を立てて跳躍する。

 そのまま全体重を乗せて強化された蹴りを見舞い《魔堕》を大きく仰け反らせると、顔面に張り付いたまま無数の刃を辺りに作り出す。


「だぁああぁあしゃらぁああああぁぁっ!」


 手の中には一本の槍。それを思い切り魔物の脳天に突き刺すのと同時、浮遊していた刃の軍勢が流星群の如く殺到して衝撃と煙と辺りに響き渡らせた。

 俺やチカの戦いのように必殺染みた派手な一撃は無いが、小さい攻撃を重ねて削り切る確かな連携の賜物。弱者が強者を淘汰するときの必須事項だ。


「……でもまだ足りてない」


 呟きはチカのもの。ついで、大きな音と共にカレンが跳ね飛ばされる。


「きゃぁあっ!?」

「カレンさんっ」


 咄嗟に落下地点へ先回りしてユウが受け止める。少女の体で、けれどうまく衝撃を逃がした彼女は怪我無くカレンを抱いていた。カレンも寸前で減速していたらしく、そのお陰だろう。あの二人は小手先の細かいところで目を見張る物があるようだ。


「うぅ、ごめん。助かったよ」

「いえ、でも足りませんでしたね……」

「足りないなら……足せばいいんだよっ!」


 自分の足で立ったカレンがユウの声に答えて両手を前に翳す。

 次の瞬間、彼女の周囲には再び無数の刃が出現する。と、それを嗾けて《魔堕》の体を貫けば、更に変化を起こした。

 まるで自立行動する手裏剣のように。回転を始めた数多もの刃が弧を描いて巨体を切り刻んでいく。

 少しずつ小さな傷を広げやがて片足を崩れさせると、舞っていた刃を自身の下へ集結させて大きな一本の剣と化した。参考にしたのは前の戦いの時に目にした魔剣か。


「これで……きえろおおぉおおおっ!!」


 ユウが身体強化でカレンの膂力を底上げし、身の丈数倍はある大剣を担いで突貫すると横薙ぎに振るった。重い風斬り音を響かせた一閃は、斜めに傾いだ《魔堕》の体を逆袈裟に両断して側面の壁に叩きつける。

 その一撃が致命傷になったのか、声にならない声をあげて目の前の巨体が霧散していく。空気と地面を震わせる断末魔は反響しながら伸びて薄れ、やがて耳が痛くなるほどの静寂が辺りを支配した。


「ふへぇ……終わったぁ…………」

「お疲れ様です、カレンさん。お見事でした」

「えっへへぇ。でしょぉ?」


 剣を魔力に解いてその場に座りこんだカレンが疲れたと体全体で示しながら天井を仰ぐ。労いの言葉に弛緩した表情を見せた彼女は、何かを確かめるように自分の掌を見つめる。

 中位ほどの《魔堕》になるとそれなりの知能……意識を持つ。別に思考能力の有無によって何かを区別するつもりは無いが、カレンにとっては確かな実感として噛み締めるに値する戦いだったのだろう。

 人以上にお人好しな彼女のことだ。不必要に背負って塞ぎこむかもしれない。そう考えて声を掛けようとした刹那、耳が捉えた異音。


「ダメっ、逃げてカレン!」

「カレンさんっ!」

『下がれカレン!』

「え…………?」


 咄嗟に重ねた言葉にびくりと肩を震わせたカレン。次の瞬間、彼女の真上の天井が轟音と共に崩落するのが見えた。

 恐らく先ほどの最後の一撃。壁への衝撃が天井に伝わって脆い部分が崩れたのだろう。


「っ! ユウ、受け止めろ!」

「えっ……あ、はいっ!」

「カレン、防御して!」


 駄目だ。走っても間に合わない。そう巡った思考で足を止めるのと同時、戦場では使い物にならないだろう槍よりも長い剣をカレン目掛けて野球バットのようにフルスイングする。

 アイコンタクトでその意味に気付いたチカが叫んで、反射的に剣を重ねて防御したカレン。その防御の上から横殴りの一撃が彼女を背後へ吹き飛ばした。

 一拍空けて、瓦礫が地面に衝突する音と噴煙が当たりに広がり視界を奪う。

 やがて振動と崩落が収まれば、目の前に崩れた天井の残骸が山のようになって通路を塞いでいた。


「カレンっ!」

『カレン、無事か? 無事なら返事しろっ!』

『…………っぁ……え、なに……ミノ……?』

『聞こえてるな? なら安心だ』


 気絶でもして意識が無ければ契言も意味が無かったが、そこはどうにか繋がった様子で安心した。


「カレンはっ?」

「大丈夫だ。生きてる」

「……よかったぁ…………」


 こちらに詰め寄ったチカに端的に答えれば、安堵からか俺の体に縋ったまま座りこんだ彼女。……とりあえず状況整理だ。

 カレンは無事、道は崩落して通行止め。そして分断された……。


『カレン、話せるか?』

『ぇ……うん。ミノ、どこ?』

『天井が崩落した。で、その瓦礫の向こう側だ』

『うぇっ? ……そっか』

『ユウは無事か? チカは大丈夫だ』

『あ、うん。こっちも平気。怪我も無いよ』


 全員無事ならまだ大丈夫だ。

 自分に言い聞かせるように小さく息を吐いて思考をクールダウン。直ぐに次を見つける。


『カレン、瓦礫を吹っ飛ばそうとか考えるなよ?』

『え、駄目なの?』

『元はと言えばお前の攻撃の所為で崩れたんだ。これ以上衝撃を加えたら今いる場所も危険になる』

『……乗り越えるのは?』

『それも同じだ。重さで崩れて怪我するし、崩れた余波で二次崩落の可能性もある。手をつけるな』


 前世で災害に関しては一通り起こり得る地域の真上で生活をしていたのだ。それなりの対処法は知識として知っている。どんなことにも共通して言えるのは、素人が手を出すな、だ。


『ここからは別行動だ。地図は……俺が持ってるな』

『ちょっと待ってて。……………………大丈夫、ユウさんが魔瞳の力で覚えてるって』

『ならそれを頼りにこのまま国境越えだ。ルチルを抜けたところで合流する。ここも危ない、直ぐに離れろ。いいな?』

『分かった。ミノも気をつけてね。後でまたっ』

『あぁ』


 情報を共有して方針を固めれば、二人は既に歩き始めたのか契言での会話がなくなった。まぁいざとなれば契言はいつでも繋がる。今はとりあえずいいとしよう。

 恐らくこれが最善だろう。カレンを魔剣化して瓦礫越しに召喚することも出来たが、それだとユウ一人を向こう側に取り残してしまう。先ほどの戦闘から考えるに、二人は一緒にいた方が安全だ。ならば二人一組で行動するのが吉だろう。

 そう判断を下して情報と目的を共有すれば踵を返す。


「向こうは向こうで国境越えだ。俺たちも出口で合流する」

「…………分かった」


 端的に告げれば、チカは嫌に素直に頷いた。その反応が少し気になって言葉を重ねる。


「悪かったな、カレンと一緒じゃなくて」

「ほんとだよっ。……でも、よかったんだと思う」

「何がだ?」

「あたしたちが傍にいなければ、カレンが急かされずに答えを出せる。カレンの選択を、心の底から認められる」

「…………友達思いで結構なことだ」

「うっさい」


 やり取りは変わらない調子で。けれど言葉にこれまでの険が無い事に気がつけば、早足になったチカの後をついて行く。

 

 ────あの子には注意以上の注意が必要だと


 脳路を過ぎったのはユウの言葉。少女にしか見えない背中を追いかけながら、渦巻いていた疑問の端に手を伸ばす。

 ……他に邪魔のいないいい機会だ。道中の暇潰しにでも付き合ってもらうとしよう。

 そんな事を考えながら、呉越同舟とでも言うべき状況を歩み出したのだった。

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