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第二章

 カレンの友人だという少女、チカと行動を共にし始めて数日。

 減らない口と変わらない態度で最早それが彼女の戦闘服とでも言うような立ち居振る舞いの日々は、殆ど仕事に費やされた。

 やるべき事は資金調達。どう(まか)り間違ったのか分からない道行きで四人まで増えた同行者を二手に分けての依頼遂行は、思いの外効率的で四人分の旅支度と移動用の馬車。それから少しばかりの路銀を貯蓄するくらいにはハイスピードで金が集まった。

 理由としては大きく二つ。

 一つは無駄な出費がなかったこと。常識的な助言者である魔瞳(まどう)の少女、ユウの協力もあって奔放な二人を説得する事が可能になり、加えて彼女の金銭感覚は財布を任せてもいいほどに現実的なものだった事が大きかったからだろう。特に食事に関しては買出しから全て彼女に一任してある。今最も信頼に足る仲間だ。

 二つ目は仕事がよかったこと。セレスタインとカレンの居た組織。二つを敵に回して今更こそこそと逃げ回るのもおかしな話だと割り切ったのが祭りの日の夜に下した結論。そうと決まればこれまで手をつけてこなかった少し大きな依頼をこなし、それに見合った報酬を集める事でより安定した資金繰りが可能になったのだ。

 そうして順調に集まった金で、少し長く滞在して足の為の馬車も買った。馬を二頭と、木製の荷車に大きな白布を被せた、いわゆる幌馬車と呼ばれる類のものだ。それほど大きくはなく、御者台に二人、後ろに……詰めれば四人乗れるだろうという小さなものだが、少しの旅道具と生活必需品を苦なく座って移動できるのは随分な贅沢で。お陰で心の余裕から希望のような何かも見え始めたところだ。

 そんなスフェーンの町での生活に名残惜しささえ感じながら、合間に練習していた手綱をしっかりと握り外の世界へと久しぶりに出る。

 空は高い秋の青。これから陽は短くなり、段々と空気も冷たく乾燥してくる時期だが、向かうはベリル連邦。コーズミマの大地でも最も南に位置するかの国ならば、冬の寒さも少しはましにはなるはずだ。

 どうでもいいがコーズミマには四季が存在していて、その移り変わりは地球に居た頃と大差なく。また方角による気候の変化も大体一致している。前者はまぁ言わずもがな春夏秋冬を一年で順に巡るそれだが、後者から分かる事が一つ。コーズミマの大地は世界地図の描かれた羊皮紙を広げた際に、赤道と言う概念がこの地にも存在するのならば北半球に位置すると言う事だ。

 日本もそうだが、北に行けば寒くなり、南に行けば暑くなる。しかしこれは、北半球の常識であって、南半球ではその理が逆さまになるのだ。

 日本人からすれば、北が暑く南が寒いというのは違和感の塊だが、それが当たり前の地域もあの地球と言う惑星には存在したわけで。常日頃意識しない事を改めて考えてみると世界とは面白いものだと一人ごちてみたり。北に太陽があって、季節は真逆で、天の模様も鏡写しの逆回り。所変われば常識が変化するのは常の事で、俺にしてみればそれが世界規模かどうかと言う違いに過ぎないのだと思えば、この世界での生活もそれほど身構えるようなことでは無いと少しだけ楽観も出来た。

 まぁ日本での常識の幾つかがこちらの世界でも通用するというのだからいいとしよう。

 そんな四季のある世界で南東に向けて目指すベリル連邦は、今いるセレスタインとの間に国境としてこの大地最大の山脈……ルチル山脈を横たえている。しばらく前に発ったスフェーンからでも見えていた山々は当然のように雲を突き抜けていて、二日前に雨が降ったときには山頂の方が隠れていたから、少なくとも2000メートル以上の標高はあるのだろう。雨雲ができるのが2000メートル以下だった記憶があるからな。

 これからあの山脈を越えて向こう側まで行くのかと思うと少し不安はある。当然と威張る事でもないが、登山などしたことは無い。一応高山病とかの知識はあるつもりだが、経験が無いと言うのは必要以上に不安を煽る要因になる。

 対策になるかどうかは分からないが、魔力を用いれば最悪の事態だけは避けられるだろうが、できるならば頼りたく無い方法だ。

 ……何せあの山は魔物の巣窟だと聞いているから。


「……よくもまぁあの山を越えようと思うな」

「道は確保されてますから」

「ユウも越えたことは無いんだろ?」

「そうですね。自慢ではありませんがセレスタインから出た事はありませんっ。ですが教養としては知ってますよ」


 呟けば、隣に座るユウが答える。因みに俺の御者としての指南役は彼女だ。

 知識も殆どは彼女の受け売り。情報もなしに突っ込むほど馬鹿ではない。


「標高約5000メートル。このコーズミマを地図上で右上から左下に分かつ自然の壁です」

「5000って言うと確かアルプスのモンブランと同じくらいか……?」

「お菓子ですか?」

「……そっちはこの世界にもあるんだな…………」


 分かりやすいボケを重ねられて思わず突っ込む。

 でもケーキのモンブランの由来は今し方俺が口にした山の名前だった筈だ。どうして元が伝わってなくてその派生が浸透してるんだよ。


「そのモンブランの元ネタ……名前の由来になった俺の世界の山の名前だ。アルプスっつうと有名な物語もあるんだがな」

「山は逸話に事欠きませんからね」

「こっちにもあるのか?」

「これからって時にする話では無いと思いますよ」


 言葉の意味を汲み取って納得する。どうやらその話とやらは雪山に纏わる不幸が折り重なっているらしい。そういう意味では日本にも雪女などの話はあるし、登山に関する色々な話題は尽きない。雪山で遭難して死亡したらしい人のうち、四分の三ほどは遺体が見つかっていないとか……。

 そんな不安を煽る話題を一々真に受ける方も対外だが、言霊なんて不確定なもので運命を左右されるなんてそれこそごめんだ。


「それよりもモンブランですっ」

「……菓子の方か? 相変わらずだな」

「美味しい物は幸せになりますからね!」


 瞳を輝かせるユウ。

 モンブランがあるという事は栗があるということだ。地球と同じように木に生って毬に覆われているとは限らないが、似たような食べ物や食材が存在するのは確認済み。全く同じではないにしても、代用品として使用できるくらいには似通っている植生も多いのだろう。


「なになにー? お菓子がどうしたって?」

「聞きたいなら御者を代われば幾らでも時間はあるぞ?」

「にゃらいいやっ」

「カレンを取らないでくれませんか?」

「俺の所為かよ……」


 と、耳聡く好きな話題にだけ反応する都合のいい魔剣の聴覚が幌を掻き分けて顔を突き出す。

 すらりとまっすぐな黒髪を少しだけ乱した赤い瞳の少女。舌の上に逆さ五角形に斜め掛けの刀の紋様を刻み込んだ、同属斬りの魔剣、カレン。

 そんな彼女の後ろから傾いだ感情を隠そうともせずに根拠薄弱な責任転嫁をかましてくれたのがカレンの親友だという少女、チカ。

 結局一緒に行動する事になったこの四人で()っての旅路は、騒がしさに磨きが掛かった道中で退屈とは程遠い景色だ。


「で、何の話?」

「ルチル山脈について少し話をしてただけですよ」

「つっかえないわねぇ。もっと勉強しなさいよ」

「その勉強を今してるんだろうが。逆の立場で同じ事が言えるのか?」

「ありもしない可能性で反論なんて程度が知れるわね。転生者って皆そうなの?」


 中でも一際音を散らしてくれるのがチカだ。

 カレンの契約者である以上に、転生者である事を理由にして何かと文句をつけてくれる彼女。そこまで目の敵にされるほど関係を紡いだ記憶もないのだが……彼女は転生者に近親者でも殺されたのだろうか?


「さぁな。……ただ、少なくともこの世界の奴らで心優しいのは一握りだけ。それ以外は他人の向上心を足蹴にして威張ることしか出来ない精神的な未熟者ばかりってことだな」

「そこにカレンが含まれてるわけ? いいわよっ、喧嘩なら買うわよ?」

「ちょっとチカっ」

「ミノさんも挑発しないでください」


 こちとら既に失うものなどない身の上だ。今更他人の顔色を窺って馬鹿を見たくはない。

 売り言葉に買い言葉なのは百も承知。同レベルの争いだと言うのならばそれで結構。ならば生憎と不完全な精神状態は彼女も一緒だ。落ちるなら諸共引きずり落としてくれると。

 飾ることに疲れた素の殴り合いは少しだけ心地よささえ感じながら、それが今あるチカとの関係性だと納得する。

 そんな二人のやり取りをどこか疲れたように諌めるのがカレンとユウの近頃の仕事。……と、ルーチンができてしまうくらいにはどうにもチカとの相性が悪すぎる。

 別に俺は進んで喧嘩をしようとは思わないんだがな。ことある毎にカレンを理由にして突っかかってくるチカを無視し続けられるほど俺も人間出来てないと言うだけだ。

 ここ数日でよく分かった。地球に居た頃は随分と押さえ込んでいたらしいが、どうやら俺は煽り耐性が低いらしい。


「まったく、カレンも甘いよ。こんなの庇う必要なんてないよっ」

「……そんな事言うチカは嫌い」

「えっ、うそ! ごめん! 冗談だからっ! ねっ?」

「だったらもう少し仲良くしてよ」

「…………善処するっ」


 何と言う手のひら返し。手首にモーターでもついてるのか?


「ミノさんの気持ちも分からないでは無いですけれどね」

「なら別にいいだろうが」


 小声で呟くユウ。彼女の言うそれは、チカに対する疑念だろう。


 ────あの子には注意以上の注意が必要だと


 ユウの瞳。魔瞳と呼ばれる魔を宿した魔剣の親戚のような存在。彼女曰く、魔力の流れを視覚的に捉えたりできるらしいその景色には、チカが少しだけ普通とは違う風に映ったらしい。

 実際、彼女が何者なのかは未だ訊けていない。そういう雰囲気になるとチカがはぐらかし、いつも傍に居るカレンが無意識に話題を別方向へ広げてしまうのだ。……本当、ろくな事をしない金属の棒だな。


「じゃあ、えっと……もっとお話しようよっ。そうしたら仲良くなれると思うし!」

「話って、話題は?」

「うぅぅん……」


 これを天然でしているのがカレンだ。少し恐ろしくさえ感じる。こんな彼女にまともに付き合う方がどうにかしているというのが俺個人の判断だ。

 が、完全に無視する事ができないのが契約と言う繋がりだ。命を預ける剣を信頼しないでどうやって生き残るというのか。


「会話……とは少し違うかもしれませんが、ミノさんの疑問を解消していくだけの時間はたくさんあると思いますよ」

「…………そうだな。もし愚か者だと憐れむのならば同情の一つでも吊り下げて恩を売る方が余程賢いと敬えるがな」

「教えられる癖して随分な言い草ねっ。教わる態度も飾れない奴に何教えたって一緒よ!」


 これ以上は平行線だ。この相性の悪さはどうにもならない。……同族嫌悪なんてそんな枠組みにすら入らない確かな拒絶。そもそも仲良くする義理がない。


「……ミノさんのそれがもし遠回りな歩み寄りなのだとしたらわたしには理解しかねます」

「しなくていい」

「…………うぅんと、さぁ。私も混ざっちゃ駄目かな? お勉強」

「カレンさんもですか?」

「ほら、私馬鹿だし。でも、馬鹿でいるのもなんだかヤだから。ミノに負けるのも」


 異世界人と張り合うなよ。しかしまぁ、その向上心は彼女の根にある美徳の一つか。

 純粋で天真爛漫で。興味と勉強は紙一重。特に彼女は知らない人の世界に対して貪欲だ。だからこそ俺もこれまで知っている知識をひけらかしたい衝動に駆られては来たのだが……。


「それに何かしてないと楽しい事がなくなって暇潰しに梨の砂糖漬けがなくなっちゃうかもっ」

「脅しか?」

「冗談だってばぁ」


 だから冗談ならば笑えるものにしてくれ。

 溜め息を吐けば、隣にユウが小さく笑ってそれから何かを探すように宙を見つめる。やがて彼女は(おもむろ)に口を開き、子供に語って聞かせるように話し始める。


「…………お二人はこの世界で最も有名なお話を知っていますか?」

「知らん」

「そういう本は研究所になかったから」

「では一から説明した方がわかりやすいですね」


 この世界にも童話は存在するらしい。所変われば内容はがらりと変わってしまうのだろうが、その本質はきっと同じ。道徳や教訓を教える為の子供向けの教科書だ。


「この世界には昔から人間と、動物と、魔物が存在してます。人間は長い時間の中で集まって村や町をつくり、やがてそれは国になります。動物は自然を住処にして直ぐ傍の草の裏にも隠れてます。そして魔物もまた、動物と同じように至るところに存在しています」

「魔物は国みたいな物を作ったりはしてないのか?」

「基本的に魔物は意図して集団行動をしませんから。魔力で惹かれ合って本能で纏まって行動をする事はありますけれどね。ただそれは虫が光に向かって飛ぶのと同じです。ただ、長い歴史の中には幾度かそう言った事も存在しますけど」


 まぁ魔物の国なんて物騒なものがあれば、スフェーンの宿で世界地図を広げた際にゲームによく出て来る暗黒大陸的なのが表記されていても不思議では無いか。それらがなかったという事は魔物は例外がなければ群れないのだろう。


「そこら中に居るといっても隠れてるわけじゃありませんけれどね。相容れない存在として人間と……世界と敵対する魔物は、ある種共に歴史を刻んできました。そんな両者の間には、当然のように衝突が起きました」

「共存か敵対か……両極端な話だな」

「まだ衝突であって戦いでは無いですよ」

「……どう違う?」

「…………言い換えます。人間と魔物は、敵を敵とする前に互いを理解しようとしました」


 どうやらユウはあまり説明が得意では無いらしい。お陰で今の話をいきなり知っているコーズミマに当てはめてしまった。彼女が語っているのは魔物との遭遇の歴史からなのだろう。


「正確には、共存を望む者と排斥を望む者が両陣営から現れたんです。けれど結局、手を取るには至りませんでした」

「当たり前よね。人間だって一枚岩じゃないし、魔物だって言葉が話せるのは一握りだけ。見た目も価値観も違う者達が何の助けもなしに当人同士でぶつかって都合のいい結末が得られるはずがない」


 どこか疲れたようにチカが話に入ってくる。どうやら教師役が増えたらしい。彼女は恐らくカレンが知りたいと言ったからそれに答えようと言うのだろう。

 語り部が増えるならば情報が多角的になって結構なことだ。一々口にして文句を垂れなければ彼女だって勉強という言い訳を捨てる事はあるまい。


「魔物は自分達の自由な活動範囲を広げる為に人間へその力を振るいました。対して人間は個では敵わない力を束ね、協力して侵略者に対抗を始めました」

「……人間の抵抗は時を積み重ねる毎に強くなり、やがてその強欲は魔物が振るう魔力を宿した道具……魔具にまで伸びて、元来内に秘めていた爪先程度の魔力を用いて魔物の優位を脅かすほどにまで増徴することになるわ」

「……魔具の力は魔物を退けるに大いに役に立ちました。結果、魔物の驕傲(きょうごう)な魔術と人間と知恵と魔具。それらがぶつかり合った末に、人間の略奪者をも恐れぬ力が魔の軍勢を押し留めるほどになり、やがて争いの戦線は硬直しましたっ」


 なるほど。話しから察するに魔剣よりも先に魔具が存在していたということか。

 後、話の雰囲気が少しだけ物騒になってきた。背景も複雑化しているし、最早童話ではなくなっている。ここからはどうやら……この世界の歴史として話を聴いた方がよさそうだ。

 それと個人的な意見だが、語る二人の視点が、ユウが人間の側からの視点で魔物を敵視し、チカが魔物の側から人間を印象操作している感がある。ユウは自分が人間であるからそちら寄り、チカはカレンの味方として魔物の側に立っているのだろう。

 示し合わせても居ないのに両視点からそれとなく相手を(けな)しながらこれから世界が語られていくらしい。そんな喧嘩をしなくてもいいのに。


「けれどそんな硬直も長い戦いの歴史から見れば一瞬でした。その変革は、最初は偶然だったそうです。あるとき一つの魔具が暴走を起こしました。それは人間には御し切れない理で世界の隔たりを越え、一人の人物をこの地に呼び寄せたんです」

「……最初の転生者か」

「何の因果かそいつは魔術の開発にかけて魔物さえ凌ぐ力を持ってたみたいでね。彼を中心に人の世界は大きく変わり、魔物の住処を根絶やしにせんとばかりに驕りを振り翳したのよ」

「数多もの魔具を駆使し、魔術の行使さえ形態化せしめようとした人物……。彼は人々から勇者、英雄と呼ばれる旗印を背負って魔物を追い詰めたんです」


 彼、と言う事はその人物は男だったのだろう。一体何処の誰なのかは見当が付かないが、もし転生の理が地球だけ働くのだとすれば、その何某(なにがし)かもまた地球人だったということだ。

 まぁ地球人が認識出来ていないだけで人類に似た生命があの宇宙のどこかにいるのかもしれないし、そもそもコーズミマのあるここが俺のよく知る宇宙と同じ空間内にあるのかさえ怪しいところだが……。多元宇宙論とかそういう話だ。そこは深く考えた所で意味をなさない。横に置いておくとしよう。


「しかし彼の刃は魔物の喉元にこそ突きつけられたけれども、その先を貫く事ができなかったの。その時彼を返り討ちにしたと言う魔物が、今この世界で魔王と呼ばれている存在……《波旬皇(マクスウェル)》よ」

「その名前には聞き覚えがあるな。確か今は封印されてるんだったか?」

「そこに至るまでにはまだまだ話はありますが……それなりに省略しつつ大事なところだけお話しますね」


 《波旬皇》。魔物の王。名前を持つ存在である以上、影響力はあったのだろう。それこそ、封印されている今でさえ燻っている火種になりえるほどなのだ。かの存在が現役でない今に転生できた事はある種の幸運だったかもしれない。

 因みにこの名前とルビも、カレンと契約した時に知った。彼女の二つ名の例を考えれば、契約を介して彼女の知る単語については俺も理解できるということだろう。


「《波旬皇》の存在は英雄の死以上に人間の側に大きな混乱を齎しました。それまで殆ど群れる事のなかった魔物がかの下に集い、統率を取って侵攻を始めたんです。集団戦と言う人間の優位が崩れたんです」

「《波旬皇》は高位の魔物よりも更に一つ上の位ってのが人間の言い分だったかしらね。勝手な話ね。人だって成長するんだから魔物がそうならないなんてどうしていえるのかしら」

「……押し込んだ戦線は瞬く間に押し返され、今度は人間の世界が切っ先を突きつけられました。それでも自らの居場所を守る為、国の垣根を越えて一致団結し、戦い続けたんです。するとまたある時、変化が訪れたんです」

「変化?」

「幾らかの魔物が、人間に味方するようになったんです」


 カレンの問いにユウが答える。恐らくそれが歴史における転換期の一つ。

 接触、衝突、攻勢、反撃、謀反。形だけ見ればどこにでもありそうな争いの流れだ。


「その魔物達は、人間の世界を侵略し支配しようとする《波旬皇》の考えに異を唱える、共生派の魔物達だったんです」

「皮肉なものよね。人に対抗するように人の真似をしたが故に、人の世界と同じ派閥が再び息を吹き返したのよ。知恵などなく、ただ純然と敵を倒していれば、それだけで魔物は勝っていた筈なのに……」

「魔物との戦いは歴史の中においても大部分を占める行いです。けれど人がそれぞれ別の想いを抱えるように、幾ら敵対していてもどこかで友好的な関係を築こうとする者達は一定数いました。そんな彼らにとって共生派の魔物達はある種の天使に見えたのかもしれません」

「結果、人がその魔物達に勝手につけた名前が、天から下った魔物……《天魔(レグナ)》よ」


 《天魔》。それは今のコーズミマでは魔剣に宿る魔物のことだが、その原初はただ魔物の姿で同じ魔物のやり方に同意できなかった反乱軍のようなものだったのだろう。


「そんな《天魔》と区別するように、《波旬皇》の側の魔物を《魔堕(デーヴィーグ)》と呼ぶようになり、世界は三つ巴の様相を呈したんです」

「人間と、《波旬皇》と、共生派か」


 魔物を根絶しようとする人間。人間を滅しようとする魔物。そして魔物と人間が手を取った第三勢力。

 第三勢力は残り二つの陣営にとっても邪魔だが、かといって敵対する人間と魔物がそれを排するために協力すれば、第三勢力のあり方が正しかったと認める事になる。だから協力もできず、けれど無視も出来ないと言う硬直常態に陥ったのだ。


「争いは鳴りを潜め、ある種の均衡が出来上がり、小康状態が続いたわ。そうしてる内に、《波旬皇》の側から次々に《天魔》へと鞍替えする存在が現れて、やがて無視できない一大勢力になっていったの」

「共生派の人達は少しずつ戦線を動かし、やがて人と魔物が実力的にも拮抗できるように世界を整えたんです。……けれどそれは、押し負けていた人間の側に助力し、魔物の版図を押し戻す行為に他ならなかった。その事実に、人間の側が大義名分を振り翳したんです」

「それって……!」

「共生派は共生を謳いながら人の行いを幇助(ほうじょ)した。それは即ち人の側に立って《波旬皇》に対して刃を向けたことと同義だ。……そんな感じか?」


 ある種の曲解だ。交渉の場を整える為に、負けていた方を応援して均衡を作り出した。共生派から見ればバランスを取ろうとしただけだが、他の二つにとっては肩入れと敵対行為に見える。

 それをいいように解釈して、排除するべき敵ではなく、手を取るべき味方……戦力として人の側が抱き込もうとした。


「もちろん共生派達はそれに抵抗しました。彼らの目的は二つの陣営が手を取る事で、肩入れして一方を蹂躙する事ではありませんでしたから。すると今度は抱き込もうとした人間の側が差し伸べた手を跳ね除けられた事に手のひらを返したんです。……つまりこうして出来上がった均衡は魔物が人間に取り入って作り出したまやかしであると。彼らは共生を謳いながら人間を抱きこみ内側から世界を崩そうとした反逆者であると」

「ならばとそこに《波旬皇》の側も口を挟んだわ。人は共生を捨て、殲滅の道を選んだ。共生の望みを捨てていないならば、《波旬皇》の側に付いて抵抗すればいいとね」

「あわわ…!?」


 何故かカレンが慌て始める。お前が混乱してどうする。


「だがそれにも従わなかった。違うか?」

「はい。そんな見え透いた魔物の甘言に惑わされるほど彼らも組織として脆くはなかった」

「しかし抱き込もうとして失敗した末に裏切り者の烙印を捺した人間を見限る事も出来なかった。どちらの選択も共生派にとっては信念を揺らがしかねない提案だったから」

「結果、言葉にはしない暗黙の了解で、二つの陣営が示し合わせたように総攻撃を共生派に仕掛けたんです。最早両派閥にとって共生派は互いの目的を阻む邪魔者でしかありませんでしたから」

「けれどそれを覆し、(あまつさ)え世界を変える出来事が起きたのよ」


 ここまで来れば馬鹿でも分かる。窮地に追い詰められた者達が己の信念を突き通したとき、そうして起こった事象を……人は神の奇跡と呼ぶ。


「魔剣との契約、か」

「魔を宿した魔具が存在するのであれば、魔物自体が秘められた武器が存在してもおかしくは無い。それが願いが引き寄せた偶然だったのか、それとも共生派が共生のあり方を模索して紡ぎ出した確かな方法論だったのかはわたしもよく知りません。ただ厳然と事実として、《天魔》の宿った魔剣と、それを扱う契約者と言う存在が誕生したんです」


 それは言ってしまえば人間と魔物が共生できるに足る証拠になりえる。武力としての意味合いよりも、共生派にとってはその事実こそが大きな武器になったことだろう。


「魔剣と契約者の力は二つの派閥を押し返すほどに強力でした。当然ですよね。幾ら魔物といえど使えば減る魔力は時間経過で回復させなければならない。しかしそれを人間が供給で補い、振るっている間に《天魔》が回復。人間の魔力が尽きれば今度は《天魔》の魔力で力を振るい、人間が回復……。身体能力と言う弱点も魔力で補えば、ほぼ付け入る隙がない半永久機関なんですから」

「加えて普通の武器よりも強靭無比で、切り結べば金属の塊は瞬く間にがらくたに化し。魔物に対しても魔力による攻撃で深い傷を負わせられる。どちらにとっても相手にしたく無い相手で、結果矛先が別に向くのは当然の事よ」


 人間と《波旬皇》の陣営からすれば無視できない大きな力ではあるが、共生と言う大義名分を抱えている以上、向こうからは手が出せない。ならば手を出さなければ放置しても問題ない。触らぬ神に祟りなしと言うやつだ。

 全てが終わった後でいいように言いくるめるか、処分すればいい。両者が下した結論はそんなところだろう。

 二転三転する状況だが、まぁ分からないではない。己が身可愛さならば当然の選択ばかりだ。


「結果共生派を蚊帳の外に、巡った構図が再び人間と魔物の対立に戻って、争いが激化するんです」

「なにせ勝った方には共生派……魔剣に関する諸々が転がり込んでくるんだもの。共生派を滅するにせよ敷くにせよ、欲しい商品に違いない」

「愚かな話だな。共生を願う者が更なる火種になるとは」

「……けど、共生派の人達は何も悪くないよ。争いのない世界を望んで、それを実現した。そう考えれば、この争いに勝ってたのは紛れもない共生派の人達だもん」

「人達、ね……」

「え…………?」


 呟けば零れたのはカレンの音。次いで、チカが忌々しそうにこちらを見つめ、吐き捨てるように物語を継ぐ。


「そう、勝ってたのは、人だったのよ。だってそうでしょう。剣に封じられた《天魔》の力を振るっているのは人だもの」

「……………………あっ」

「少し話を戻すぞ。……魔剣との契約が誕生する前、人間と《波旬皇》の派閥は示し合わせたように共生派を攻撃した。その時の両者の言い分は何だ?」

「人間側は、魔物に唆された憐れな妄言集団の殲滅ですね」

「…………《波旬皇》側は、人に(くみ)し共生を謳った裏切り者の抹殺よ」


 そう、それが問題であり、また一つの転換の軸になったのだ。


「人間の側は、別に共生に下った人間を罰したわけじゃない。共生を騙った、魔物を悪としたんだ。けれど《波旬皇》側は、身内切りとして裏切り者を排しようとした。結果魔剣と契約者が生まれて不可侵になった。……けれどそれは、《波旬皇》側にだけ不都合が生じたんだ」

「互いに共生派に属する『魔物』を悪として武力を振り翳したのよ。人間が魔物を悪として語る事に関しては幾らでも方便があるけれど、仲間を切り捨てた《波旬皇》側には既に共生派に差し伸べる手はなかった。だから人がそこに付け込んだのよっ。《波旬皇》の側は共生を切り捨てたが、人間の側はそうじゃない。人は共生を謳う人までをも罪だとは思わない、とかなんとか聞こえのいい言葉を騙ったんでしょうね」

「実際その通りですよ。仲間を切り捨てた《波旬皇》の側が共生派の行動理念を肯定する事が出来なくなった。それは共生派から見ても明らかな事実です。……だから、人間の側からすれば、きっとそれが最良だった…………」

「共に共生をと表向きには騙って、《天魔》の……魔剣の力を武力として自軍に引き込んだ」


 きっと互いに色々策を講じたのだろう。

 人間は魔物と戦いながら、《波旬皇》の側には共生の思想が残っていない事を説き。人間が共生派に裏から手を伸ばしている事実に気付いた《波旬皇》の側はそれを阻止しようと干渉し。無理してでも人間の側はそれを退ける事で、仮初の仲間アピールで囲い込む。


「人間にとっては魔剣と契約と言う形が発見された時点で共生なんてどうでもよかったんだよ。だってそれは、武器の形をした魔物を契約と言う支配下に置いて敵を打倒する術に過ぎないからな。魔物を管理、支配して同族殺しにさえ仕立て上げられる。必要なくなれば破棄すればいい。人間にとってはとても都合のいい武器だ」

「っ…………!」


 非情で、効率的な判断だ。

 形振り構わず最善を手繰り寄せるならばどこまでも正しいやり方だろう。全く、魔物よりも悪魔らしい考えに反吐が出る。


「……そこからの戦いはほぼ一方的でした。《波旬皇》の側もある程度は抵抗しましたが、駄目押しとばかりに人間の側が共生派を抱きこみ……魔剣を用いた軍勢──《サクラメント》を組織して力と数で押し潰した結果、魔物達は殲滅されました」

「ただ、《波旬皇》ももちろんそれを素直に受け入れたわけじゃなかったのよ? 魔物と言う特性上、魔力を源にしたその力は蓄えるだけ強大になる。となれば必然、魔剣に匹敵せんばかりの力で対抗するのが取れるべき選択肢。……結果、有象無象の《魔堕》を討滅した《サクラメント》ではあったけれど、《波旬皇》にまでその刃は届かなかった」

「代わりにどうにか封印する事で戦いが終わりを迎え、今世界に《波旬皇》は存在しない。残され、新たに生まれる《魔堕》は各国や傭兵達が残党狩りをしながら、《波旬皇》復活の火種を潰して回っている。話はそんなところか?」

「はい」


 途中から俺も参加してしまった談義だったが、それはある程度話の流れが分かってしまったからだ。

 分かりやすい展開だった……とは言わないが、フィクションノンフィクションを問わず色々争いを繰り返してきた惑星の出身からすれば、経験していなくてもなんとなくの想像はついてしまう。別に嬉しくもないのだが……。

 あと、どうでもいいがユウは説明よりも対話が得意らしい。チカが魔物サイドから話を進めたおかげで、検事と弁護……裁判のように競い合って話が纏まった。俺としても二つの視点からそれぞれの思惑が垣間見えて、物語としては他人事に楽しめた。


「あとは、そうですね……。この長い歴史の副産物も沢山あるんですが、そっちはどうしましょうか?」

「副産物?」

「国の成り立ちとかですね。例えば、ユークレース司教国は共生派の考えから生まれた宗教国家である、とか」

「今でもそうなのか?」

「いえ、魔物を崇拝しているわけでは無いので共生派とは少し異なります。ただ国の成り立ち……きっかけが共生派だってだけですよ。今は愛の神様を信仰して、無償の愛と平等を教義の主軸に据えていたはずです」


 神様に、宗教と愛。胡散臭くもありながら、どこかで切っても切り離せない人間の欲求や本能とも言うべき概念。特に魔物がいる世界で、人々が救いを求めて縋る偶像が宗教と言う形を持つのは、何もおかしな事では無い。

 困った時の神頼み、なんて言葉があるくらいには、人間どこかで心の救いを求めている弱い生き物だ。所変わったところで、似たような歴史を歩んでいるのなら似たような概念が出来上がっても不思議ではない、か。

 また、話を聞く限り共生派の最初の教義……いや、思想と言うのは人と魔物が互いを認め平等に過ごせる世界と言うものだろう。その為に、仲介役であり全てを許す高位の存在として愛の神様なんていう柱が出来上がって、今はそちらが誰しもが受け入れられる教義となった…………話はそんなところか。

 こんな宗教の話を無神経に掘り返せるくらいにはそちらに(うと)く無関心で、ある種助かったかもしれない。神仏習合、八百万なんていう清濁併せ呑む文化の上に出来上がった日本と言う国に生まれた、その事に関しては少しだけ感謝だ。もし地球に代表される大きな宗教の教えに感銘を受けていたのなら……もしそれが他の宗教を尊重できない何かの火種になるような教義だったなら、この世界ではとても苦労したことだろう。

 ……いや、転生がどこかで噛み合えば、過去にそう言った人物がこの世界に来ていたのかもしれない。だとすればそれは、その人にとって信ずる神が与えた試練だったはずだ。

 別に何かを気取るわけではないが、他人が信じるものまでをも踏み荒らそうとは思わない。他人の趣味に優劣をつけないのと一緒だ。そこまで胸懐の情が枯れ果てているつもりはない。


「それから、ユークレースはその成り立ちから魔剣に関して各国の中で最も理解のある国なんです。魔剣に確かな権利を認めている、と言ったら伝わりますか?」

「……道具として扱ってないって事?」

「必要とあればその力を物事の解決に使用する事はあります。けれどそれは同意の上の事ですし……どこかの国みたいに使い捨ての便利な尖兵のような扱いではなく、人と同じように権利が保障されているという事です」


 少し言い淀んだのは、セレスタインに対して思うところがあるからだろう。

 今までずっと彼女を道具として扱ってきた国。魔物から国を、民を守る為に非情になった結果だが、ユークレースの事を知っていれば比較をしてしまうと言うものだ。

 幾ら心優しいユウと言っても、その心はまだ16歳の少女。磨り減った感情がそう簡単に過去を許せる訳ではない。

 ……かと言って、優しい彼女は本気で憎みもしていないのだろう。どんな過去があったにせよ、彼女が今ここに生きていられることに国が関係しているのだから。非道であっても、育ての親に対する僅かの感謝は忘れない……。そんなユウこそが、誰よりも慈愛に満ちているなんて皮肉な話だ。


「付け加えるとすれば、魔剣だけでなくその契約者にも特別な待遇があるって聞いた事がある。……例えばどこかの誰かみたいな流れ者でも受け入れてくれたりするんじゃない?」


 それは助言なのか、悪態なのか。ちらりとこちらを覗いつつ零したチカの言葉に考える。

 もし彼女の話が本当なら、向かうべきはユークレース一択だ。セレスタインと組織、その両方に追いかけられている現状、権利を尊重され仲間を作りやすい場所は今最も欲しいものだ。

 が、彼女の言う事が嘘と言う可能性もある。

 チカの言動は一貫してカレンの為だ。大切な友を思い、己が考える最も理想とする未来のために俺を騙そうとしている可能性。

 例えば、ユークレースに契約を破棄する魔術があるなら彼女の囁きは当然の道理だ。チカはカレンと共に自由を得たい。そこに俺は不要で、可能であるならば契約を破棄させたいはずだ。

 数日一緒に過ごした中で聞いた話では、一応契約破棄の魔術は存在するらしい。ただ基本的に魔剣が魔物への対抗策として機能しているこの世界ではメジャーな話では無いらしく、実際に試みようと思うと裏側に顔を突っ込まないといけないと言うのだ。

 ならば魔剣の存在を尊重しているユークレースより別の場所の方が、とも思うのだが……そこは灯台下暗し。権利が尊重されているからこそ、契約に縛られない更なる自由を求めて、と言うのであればかの地に契約破棄の魔術が存在していてもおかしくない。……と言うか意地悪く考えを働かせるならばそちらの方が色々と便利だ。アングラな商売にしているならば尚更のこと魔剣が集まる場所は絶好の稼ぎどころ。蓋然性は高いと見るべきだろう。

 因みに、暗黙の了解としてこの件の決断はカレンに一任してある。

 チカと共に俺の下を離れるのか。それともこのまま契約を尊重し、宛てのない旅を続けるのか。

 共に過ごした記憶か、助けられた恩か。

 どうにも想像できない理想論を言ってもいいのなら、折り合いの付かない俺とチカがどんな因果か手を取り合って三人で足並みを揃えるのが大団円と言う奴なのだろうが…………さて、一体どんな手品を使えばそんな未来がこの場から生まれると言うのだろうか? 神様がいるなら見ているだけでなく啓示の一つくらい欲しいものだ。そうすれば神様とやらを信じてみるのもいいかもしれない。


「もしそうするなら……ルチル山脈を越える前に、山脈に沿って北上すれば無駄な寄り道をしなくてよさそうだな」


 可能性として地図を広げながら音にする。ルチル山脈はコーズミマを二分する境界線だ。その分街道や通商路は集中しているし、人通りがあれば警備も確かで魔物に出くわす心配が減る。

 問題が一つあるとすれば、下手を打てば八方を塞がれて身動きが取れなくなると言うことか。安全を考慮するなら魔物の危険があっても人目が少ない道を選択する方がいいだろう。今の面子なら中位程度なら退けられるだろうしな。


「だったらこの町か、その先に一度立ち寄る必要がありますかね」

「そうだな」


 隣に座るユウが地図を覗き込んで口にする。

 食料等の補給も考えれば彼女の言う通り寄り道が必須だろう。その頃にはカレンが腰にさげている麻袋の中身……スフェーンで買った空の魔力石が売れる程度の代物になっている頃だ。

 売って彼女が好きな物を買うもよし。気を回して全員の為に懐の足しにしてくれるのは嬉しい話。更なる富を求めるならば、売った金で今以上の空の魔力石を買い漁って、鼠算のように増やしてくれるというのが夢のある選択か。

 さて、彼女はどの道を選ぶのだろうかと。

 考えながら向けた視線に、カレンが考えるような仕草を見せる。何事か、と思って直ぐに話の流れを思い返して気付いた。

 当然のことだが、契約による意思疎通……契言(けいげん)は意識しない限り発動しない。相手の考えている事が問答無用で分かるプライバシーの欠片もない非道では無いのだ。となれば必然、行動は言葉に付随して解釈される。

 今回の場合、先ほどまでしていた話題は魔剣と契約者……そこから伸びた暗黙の了解としてのカレンに対する疑問。即ち、彼女自身どうしたいのかと言う無言の問いかけ。そこに理由は違うとは言え関係者の俺が視線を向けたとあれば、カレンの視点で見えてくる意味合いは詰問に変わる。

 話をして、視線を向けられれば誰だって問われていると思うだろう。もちろん俺はそんなつもりは無かったのだが……失敗したと。思っているとカレンが口を開く。


「……そうした場合、ミノが狙われる可能性は増えるんだよね?」

「ん? …………あぁ、そうだな。ここからだと山脈越えてベリルへ行くより北上してユークレース行く方が距離がある。セレスタイン領内にいる時間が掛かれば、それだけ追っ手が襲ってきやすくなる。当然のことだな」

「そうだよね…………」


 少し考えて、カレンの問いの意味を知る。

 恐らく彼女は、どんな選択肢を取るにせよ俺にできるだけ迷惑を掛けたくないのだろう。

 最低限の情報として、セレスタインの追っ手が掛かる場所では組織の追っ手もやってくる。つまりカレンがいれば二つの派閥から追いかけられる事になる。セレスタイン領内にいるだけ、その可能性が燻り続ける。

 ならばユークレースに行くにしても一度国外に出て様子を見てからでもいいかもしれない、と言うのがカレンの考えていることだろう。

 …………が、そんなのは俺にとってみればどうでもいい。


「なぁ、カレン。結局お前はどうしたいんだ?」

「え…………?」

「答えなんて二つに一つだ。俺と一緒か、別行動か。それ以外に何を悩む必要がある?」

「でもっ、それじゃあミノが…………!」

「じゃあ逆に考えろよ。俺がカレンと一緒にいる事でお前には関係のないセレスタインの追っ手が掛かってるんだ。それは俺に組織の追っ手が掛かってるのと同じ事で、だったらその問題は相殺して今考えるべきことじゃない。違うか?」


 躊躇……と言うよりは慣れない優しさか。

 共に過ごした時間で変に情でも芽生えたらしいカレンが、必要の無い心配をして自分の選択を揺らがせている。

 けれどそれは言葉にした通り、お互い様の条件だ。だったら最初に出会った頃のように、自分勝手な理想を押し付ければいい。それだけの権利が彼女にはあると俺は納得している。なぜなら────


「チカや組織の事はお前が俺に依頼したことだ。だったら依頼人であるお前が決めろ。雇われた俺にその決定権は無い。決定権の放棄……俺への委譲なんて馬鹿なことは言うなよ?」

「……………………」


 もちろんそれ以上に言いたい事は山ほどある。しかし最終的に依頼と言う契約は、彼女が俺の雇い主であると言う上下関係しか存在しない。だったら彼女が決めた方針に俺が口を挟むことは無い。

 魔剣と言う武器である彼女の傭兵と言う武器は、持ち主の選択にただ従うだけだ。


「……本気?」

「あぁ。俺はお前の選択に異論は無い。だから選べ。お前は、どうしたい?」


 言葉は本心だ。それ以上でも以下でもない。だからもう言う事もない。後はカレン次第だ。

 そう示すように向けていた視線を逸らして前を向けば、隣のユウが視線で訴えてくる。そこまで強く言う必要はないのではないか、と。

 俺だってそう思う。だが言わなければ分からないほどにカレンが迷うのが悪いのだ。依頼人なら、その自信と信頼だけで傭兵を振り回せばいい。後は俺が思うままに仕事をするだけだ。

 俺は最初からそのつもりだったのだ。だから何も間違ってなどいない。


「同意するのは癪だけど、これはカレンが決めることだよ。あたしも、カレンの選んだ道について行くから」

「チカ…………」


 チカにしてみればカレンのいるところが自分の居場所だということだ。

 その分だけカレンの選択に付随する責任が増えるが……だからこそ決断が意味を持つのだ。悩んで、片方を切り捨てたなら、後は選んだ方に自信を持って突き進めばいい。

 振り返る必要は無い。過去に自由は無いのだ。


「……………………うん、分かった。けれど答えまではもう少し待って。託してもらえたなら、しっかり考えて選びたいから」

「あぁ、しっかり悩んでくれ」

「ちょっと無責任すぎるよ、ミノは……」

「俺の一言でお前の選択を決めるなんて馬鹿な事はされたくないし、俺の一言で決めた選択を変えて欲しくもないからな。ただ責任として、お前の答えはしっかり聞き届けてやる」

「……ん、約束ね」


 言って小さく微笑んだカレンに、気紛れで小指を立てて差し出す。


「……なに?」

「俺の世界での口約束の慣わし、みたいなものだ。約束を違えないようにちょっとした脅し文句と共に行動として示す。言い換えれば契約だ」

「どうすればいいの?」

「小指を絡めろ」


 指切拳万。嘘を吐いたら針を千本呑ませ、握り拳で一万回殴ると言う意外とえげつない内容のまじない。子供の頃は、針千本をハリセンボンと間違えて覚えていたなんて子供らしい記憶も片隅にある気もするが、まぁいいだろう。

 小さく柔らかい感触の、人と変わらないカレンの指と契りを交わし、行為と共に胸の奥に深く刻み込む。

 約束は、守るものだ。大人になるほど、その重さと純粋さが胸に染みる。今の年齢だと元の世界では高校生の俺だが、だからこそ嘘に塗れた世界に嫌悪感でも抱くのだろうかと。

 それを正義感のような何かだと言い飾るのは気恥ずかしくて、思考の焦点を別の場所に結びながらカレンと絡めた指を離した。


「何なんですか? 脅しって」

「針を千本呑ませ、拳で一万回殴る」

「世界が違っても似たような風習ってどこにでもあるんですねっ」


 ユウの声に答えれば、返ったのは小さな笑い声。

 どうやらこちらの世界にもそういう類のおまじないはあるらしい。もし魔力が絡むなら想像するだけでも恐ろしい話だ。


「……ユウはどうするんだ?」

「何がですか?」

「この先のことだ。何かやりたい事があるなら一人で選んでもいいんだぞ?」


 俺には彼女を縛り付けておく理由がない。今は行動を共にしているが、セレスタインから逃げてきた彼女は彼女自身の未来を望んでもいいのだ。


「……そうですね。何か見つかれば、そうします。けれど今はまだいいです。梨の砂糖漬けでの料理もまだ出来てませんからねっ」

「随分と安い自由だな」

「そう簡単にやりたいことなんて見つかりませんよ」


 まぁ俺も彼女のことを言えた義理ではないしな。生きる自由以外に、俺は一体何がしたいのだろうか。


「一応訊くが、チカは?」

「……別に。あたしはカレンと一緒ならそれでいいから」


 分かりきった答えに小さく息を吐いて空を見上げる。

 主体性のない旅だ。とりあえずカレンの決断待ち。

 それとは別に、目的地としてはユークレースが候補だろうか。宗教には興味ないが、居場所を保障してくれると言うならその線を追いかけてみるとしよう。差し当たっては次に人が集まっている場所で情報収集だ。


「話題が消えたな……」

「何かありませんか?」


 途端、何かを見失って降りた沈黙にそのままの感想を零す。

 どうにも代わり映えのしない道中には気を紛らわせる話題が必要だ。その取っ掛かりを探して少し脳内を旅すれば、どうでもいい疑問が一つ浮かんだ。


「……話を少し戻してもいいか?」

「どうぞ」

「《波旬皇》の封印の話だ。封印には人と魔剣の部隊……《サクラメント》って言ったか、それが活躍したんだろ? 今そいつらはどうしてる?」

「解散されましたよ。……わたしも詳しくは知りませんが、聞いた話では《サクラメント》の中核を担っていた人物が《波旬皇》封印の後姿を消した事で、残党処理にも大仰な旗印は必要ないと判断が下されて無くなりました」

「そもそも《サクラメント》ってのは《波旬皇》に対抗する為に四つの国が兵を寄り集めて作った連合軍。共通の敵がいなくなれば国同士で手を取り合う理由がなくなるのは当然よね? 戦いの後に残る交渉の席に仲良しを気取った方便は必要ないもの」


 疑問にはユウと、続けてチカの返答が響く。

 どうやら団結できていたのは共通の敵がいたから。それがなくなれば自国の利益に他を出し抜こうとするのは別に間違っていないだろう。単純に、そのまま世界が仲良く手をとれなかっただけだ。

 そんな調子だから共生派を中心に争いが激化したのだろうと。人間も大概愚かな生き物だ。

 同情してもいいのなら、世界平和を謳ったのだろう共生派がかわいそうで……平和と言う概念を理想として語るならば、他の二つの陣営よりも大人だったと言うことだ。……なんて、事なかれ主義で生ぬるいことだとは自分でも思うけれども。見限った世界とはいえ生まれ育った環境が性格や思考に与える影響は大きいものだと今更ながらに知りながら。


「噂では《波旬皇》の封印の際に深手を負ってそのまま亡くなったのだろうと言われてます。封印後、中核に居た顔触れを見かけたと言う報告はありませんし、なにより功績を称えた慰霊碑がありますからそれが通説ですかね」

「得たのは僅かばかりの平穏って訳か。他人事でいいなら……くだらないな」

「お陰で目立った戦に巻き込まれない生活ができているんです。その行いを称えこそすれど、無かったことにはできませんよ」


 彼女達、このコーズミマに生きる者からすればそれは正しいだろう。

 地球でも、戦争の犠牲者に対して弔意を表したりしていた。それが歴史と言うものだ。だから学校でも授業で習うのだろう。ただやはり、俺にとってコーズミマはあまり馴染みのない異世界だから。そこまで感情移入して過去の者達に哀悼を捧げる事は難しい。

 気持ちだけでいいならば、またいつか。その慰霊碑とやらに出会った時に心の底からできるだけの慰霊を捧げよう。


「……他に何か聞きたい事はありますか?」

「…………そもそもの事を訊いてもいいか?」

「どうぞ」

「結局魔剣ってなんなんだ?」


 根本的な疑問だが、どうにも解消出来ていない個人的な質問。カレンを振るっておいて今更ではあるが、そのカレンが自分の事を分かっていないのがおかしな話なのだ。せめて自分の存在意義くらいは知っておいて欲しかったのに。


「何って、剣……武器に魔物が宿った存在です。宿った魔物を《天魔》と言い、その本来の意味は共生派の魔物を指す言葉でしたが、戦争末期には今の意味合いに替わったと言われています」

「後付け加えるとすれば、《天魔》は女性ばっかりって事だよ」

「……そう言えば魔物にも性別があるんだな」

「人間のような性別での意味合いのようなものはありませんよ。魔力から生まれる魔物は繁殖をしませんから。ただ共生派として人と手を取った時に、魔物が人を真似た時に性別の概念だけは生じたようです」

「多分想像だったんだと思う。人と契約する……一緒に歩む。その形が、人の世界の結婚とか、添い遂げる何かに似てたから。最初の人間の契約者が男だったから。隣に並ぶ形として女を真似た」

「対して《波旬皇》の言動が力を振るう事に影響した粗暴なものだったことから、男性的な印象がついて比較もされました。だから童話などに見られるその姿は、《波旬皇》側が男、《天魔》たちが女として描かれる事が多いんです」


 ユウとカレンが紡ぐ話に納得する。

 元々は中性……いや、無性の存在が、人と触れ合った事で性別と言う概念を得た。それはまるで神様や天使のようなそれと似ていて……だからこそユークレースのような大きな母体が出来上がったのあろう。

 今の《天魔》はその名残や先代への憧れから同様の姿形を選び。重ねて人との接触の中で女性らしい言動を身につけたと。理由としてはそんなところか。


「……名残なんだろうな」

「……?」

「魔剣は強力な力だ。けれども元は《波旬皇》の側から流れてきた魔物で、高位のそれがカレンみたいに人の姿を真似るのだって、仮初の姿。だから本質である魔物がいつ反旗を翻すか分からない。だから契約で縛って、武器として利用して、道具のように扱う。それを隠すように、《天魔》は《魔堕》と違うと別の名前を与えて、抑止力にしている。理解している振りをしている。恐れているからこそ、人とは違う何かとして接している」


 だからユウがそうだったのだろう。最早終わった過去で、あまり言葉にするものではないのかもしれないが。


「争いは終わったんだろうさ。今はその残党処理だ。……けれどそれは人の側の理屈。もし今のコーズミマに昔の共生派と同じ思想の誰かがいれば、その目的や本質は達せられていない。道具として一線を引いているそれを、共生とは認め難いだろうからな。どこかに、隠れてるかもしれない」


 言葉にすれば、どこかで渦巻いていた形にならない感情が定まっていくのを感じる。

 向けた視線の先は、カレンとチカ。


「……なぁ、どうなんだ?」

「…………何が言いたいのかよく分かりませんが」

「え? え? どういうこと?」

「カレンは知らなくていいよ」

「知られたく無い、の間違いじゃないのか?」

「妄言も大概にしてくださいっ」


 理解が追いついていない様子のカレンと、何かから逃げるように非難をしたチカ。次いで隣のユウが何を言いたいのか察したらしく、疑うような色をその瞳に灯す。

 この想像が当たっているのかどうなのか。それは分からない。

 ただ少しだけ、カレンがいたと言う組織の見え方が、俺の中で変わった気がした。

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