第一章
「やっと見つけた……っ!」
「…………チカ……?」
隣から零れた呟き。聞き覚えのない名前が驚きの色に彩られて目の前に縋るように紡がれる。
今し方ようやく敵を退け、あるかどうかも定かでは無い達成感に満たされていた彼女。真っ直ぐで長く、きれいな黒髪を着流した、赤い瞳を持つ大喰らいの魔剣。拭えぬ過去をその身を体現する名で背負った少女、カレン。
そんな彼女がいつも陽気で、勝気で、時折不安に揺れる双眸で、今目の前に現れた少女を見つめる。
視線を注ぐ先。そこに立つのは琥珀色のセミロングに、光を吸い込んで輝く宝石のようなライムグリーンの瞳の少女。年の頃はカレンと同じくらいの女の子で、けれど山の中と言う現在地には余り似つかわしくない、綺麗な仕立てでパステルカラーのワンピースドレスを着た、線の細い印象を受ける彼女。
先ほど、カレンがチカと呼んだその少女は、傍に幻術によって意識を乖離され転がる男には目もくれず優しく微笑み、一歩足を出す。
その事実に、なぜかは分からない警鐘が脳裏を鳴らして魔術で作った剣を構えなおした。
刹那、一瞬前まで少し距離を置いて立っていた筈のその少女が、いつの間にか剣の間合いに入っていて。警戒などまるでしていない様子でゆっくりと腕を伸ばし、そして────
「ほんものだぁーっ!」
どこまでも無邪気に、楽しげに声をあげると、こけたのかと見間違えるほどに体を投げ出してカレンへ向けてダイブをかましていた。
「ほやぁあっ!?」
「やっと会えたよぅ……!」
突然の事にまともな受身も取れず押し倒されたカレンが間抜けな声と共に枯葉の絨毯へ倒れ込む。隣にいる俺同様、理解が追いついていない様子の世界全てを置き去りに、まるで別の時間軸を生きているような噛み締める声がカレンの胸元から響く。
「ちょ、まっ……! チカっ、嘘!? チカ!? なんでっ!?」
「そうだよー! 大親友のチカちゃんだよー!」
「そうだけど、そうじゃなくて……! あぁ、もうっ! いいから一回離れてよっ!」
「そんな事言ってぇ……寂しかったんでしょぉ? うりうりー!」
「だからやめっ……!」
世界が、再構成されていく。風もにおいも存在感もない嵐のような景色が、認識をかき回して混乱以上の混沌を辺りに振り撒く。
一体、何事か。全く以って想定の範囲外だ……。
「あの、ミノさん……」
「だからさん付けはやめろって……。いや、そうじゃないか」
耳に届いた声は戸惑うような色を孕んで隣から。声に向けた視界には、こちらを見上げる黄色と黒の虹彩異色。短く青い髪を頂いた顔に嵌るそれは、瞳は珍しい左右で異なる色の瞳孔。加えて常識に収まらない彼女の右目は、目の中にもう一つ目が存在する、不気味で不思議な魅力を秘めた、魔の瞳。
魔瞳。瞳に魔の力を宿した人間の少女。誡銘、《ボウサイ》の名を持つ人ならざる存在、《天魔》と命を共有する女の子、ユウ。
そんな、普通の枠組みから少しだけ外れた少女の声に思わず言葉を返して。それからようやく現実に引き戻されて動き出す。
深呼吸一つ。未だ騒がしく意思疎通のままならない問答をしている少女二人に距離を詰めて、手に持った剣の刃をカレンに馬乗りになってはしゃぐ少女の首筋に這わせる。
「質問だ、答えろ。……お前、誰だ?」
「え、何それ…………脅迫? 人に名前を尋ねる時は自分から名乗るものなんじゃないの?」
「悪いがまともに会話も出来ない相手を対等とは思わない性分でな。もう一度訊く、お前は誰だ?」
警戒をしつつ白い首筋に刃を宛がいながら詰問する。返答によっては幾ら女が相手でもこのまま剣を振り抜く覚悟もあると。言葉にならない視線で告げつつ言葉を重ねれば、こちらを見上げる少女のライムグリーンの瞳に隠さない意思が宿った。
「……ねぇ、調子に乗らないでよ。折角親友との再会喜んでるんだから空気読めば?」
「質問に────」
「ま、待ってミノっ! チカも落ち着いて!」
歯向かうなら容赦はしないと。柄を握る手に力を込めて今にも振るおうと滾らせた刹那、慌てた制止の声が寝転がったままのカレンから放たれた。
「……ならどうする、カレン」
「説明するからっ。だから剣を収めてよ!」
「……カレン…………?」
……嘘では無い、か。それに今までのやり取りを思い返すに、どうやらチカなる少女はカレンの知り合いの様子。ならばとりあえず話を聞くだけ聞いてみるとしようか。判断はその後でも遅くは無いだろう。
個人的には不安材料は斬り捨てておきたいがな。
「……分かった。なら説明してもらおうか?」
「うん。……けどその前にチカ、上から退いてくれない?」
「え、ヤダ」
「なんでっ!」
「なんか、ヤダ」
全く、こんな少女に自由にさせていたら話が進まないと。視線でカレンに催促すれば、彼女は諦めたように持ち上げかけていた体を再び木の葉の大地に投げた。
「うぅ……あぁ、もうっ! 分かったよ! その代わり変なことしないでよね?」
「大丈夫、あたしを信じてよっ!」
「…………えっとね、この子はチカ。私が研究所にいた時に仲良くしていた子で、前にミノに話をした、脱走した時に手を貸してくれた子って言うのが彼女なの」
その話が本当なら、彼女はカレンがずっと探していた、助けたい親友と言う事になるのだが。
「……それで?」
「それで、って…………うんと……。チカ、なんでここにいるの? 研究所で捕まってたんじゃないの?」
「捕まってないからここにいるんじゃない?」
「逃げてきたってこと?」
「……そういう事になるのかな? いぇい!」
……頭が痛い。想像の外を現実が飛び越えていく。その事実に眩暈を覚える。
「ど、どうやってっ……?」
「何が?」
「だからどうやって逃げて来たのかって! 簡単に逃げられるようなところじゃ……」
「うぅんとぉ……なんか研究所が騒がしくて、煩かったからなんとなく外に出たら逃げられたー、的な?」
「…………えぇぇ?」
まるで信用ならない言い分に、カレンですら疑いの目を向ける。
その気持ちは尤もだし、逆にこの状況でどうやってその言葉を信用しろと言うのか。物事には手順と言うものが存在するのだ。
が、見過ごせない情報なのも確か。
「……騒がしかったと言ったな。その理由は?」
「…………。きゃー、たすけてー! 脅されて、辱められて、殺されるぅ!」
「……っ、チカ、ふざけないで」
「えぇ? もしかしてカレンまであたしのこと疑ってるのぉ?」
「…………私だってチカを疑うのは嫌だよ。だから正直に答えて。お願い……」
真実味もなければ緊張感もない。道化を演じているような振る舞いに苛立ちが募る。
それと同じか、それとも全く反対の面持ちで、カレンもまたいつになく真剣な表情を浮かべて問い詰める。
理由はどうあれ、今彼女を疑わないという選択肢は無い。それすら分かっているような能天気さがこの場を支配している事が何よりも不愉快だ。
カレンの声に、貼り付けた表情を崩したチカが零す。
「…………知らないよ。でも、もしかしたらって思って隠れてついて来たの。そしたら偶然見つけて。……だから多分、あの人達が騒いでたのは逃げ出したカレンを見つけたからだと思う」
確かに、その言い分なら彼女が今ここに居合わせた理由も分からないではない。けれどそれ以上に、納得のいかない直感が素直に彼女の言葉を信じられない。
都合がよすぎるほどに、胡散臭いのだ。
「それよりもだよ! カレン! カレンって何っ? どういうこと?」
「……え? っと、なにが?」
「だから、名前っ! カレンって何!?」
と、それこそが何よりも大切な答えだという風に疑問の矛先を変える彼女。
「あぁ、えっと……そのままだよ。私の名前」
「もしかして思い出したのっ?」
「ううん、違うの。カレンってのはミノ……そこにいる私の契約者につけてもらった名前」
「契約者ぁ?」
ぐるりとこちらを向いた顔。ようやく合った気がする視線を交わらせて見つめ返せば、彼女は鼻で笑ってカレンに向き直る。
「カレンこそ嘘はやめようよっ。だってあの《コキ》様だよ? 契約相手なんて見つかるわけないじゃんっ!」
「ほ、本当だってば! ほらっ!」
言って、その証である契約痕を見せるために舌を出すカレン。
チカが、それをしばらく見つめて……それから何かに気付いたように笑う。
「そんなの信じられないって! それも沢山あるうちの一つでしょ? とりゃっ!」
「ぇ? ひゃぅあっ!?」
それから彼女はありえないと笑って、思い立ったようにカレンの服に手を掛け、思い切りめくりあげる。
そうして晒されたカレンの白く眩しいお腹。力任せにめくられた所為で、人間を模した女としての小さな象徴が後僅かで見えそうになる。
別に、魔剣の人擬きの裸体を見たところで興奮も何もない。金属の塊に欲情する特殊性癖は持ち合わせていないのだ。
……あと、どうでもいい事だが。カレンは女性用下着を着けていない。そもそもそういう類がこの世界にあるのかどうかが不確定だが、彼女には必要がない。一応申し訳程度の薄い肌着を着ているようだが、それだけだ。
「なっ、なっ……!? チカぁ!!」
「何照れてるの? 一緒にいた時は体拭き合ったりしてたじゃんっ」
「そ、そうだけど! そうじゃなくてぇ!?」
「それに別に今更隠さなくても…………ぇ……?」
……言動は突飛押しなくて、真実かどうかも怪しくて、不信感の塊の少女。
けれど、確かな事実として、どうやらカレンとチカが同じ組織で暮らしていた事は間違いないようだ。となると、少しばかり確かめたい事が増えるか。
そんな事を考えていると、じゃれるような問答をしていたチカの表情がめくったチカの素肌を見て止まる。
「……カレン、契約痕は? 《エモク》の証はどこにいったの?」
「だからっ、ミノと契約したから消えたんだってば! 契約したら契約痕が消えるんだからあたりまえだよぉ!」
「…………そっか………………そっか……」
どうやら今し方の言動は真実の確認だったらしい。
確かに、彼女が本当にこれまで語った通りの過去を歩んできたのならば、カレンが組織を抜けた後の事は知らなかったのだろう。カレンが《コキ》であり《エモク》である事実を、きっと彼女はずっと傍で見てきたはずだ。だから言葉以上にカレンの事を知っていて、カレンが語った言葉が嘘だと思ったのだ。
大喰らいな彼女に、まともな契約ができるはずがない、と。
けれど、例外はいつだって存在するし、それが偶然俺だった。何の因果かは分からないが、行きずりの出会いから繋いだ契約は、名無しの魔剣をカレンとして刻みつけた。
チカにしてみれば信じ難いことなのかもしれない。しかし例外は想像外であって、絶対の夢想ではないのだ。レアケースが現実になる可能性だって、確かに存在する。
「……ねぇ、本当なら見せて? 契約者なら契約痕があるんでしょ?」
認め難い事実を睨むようにこちらへ振り返って告げるチカ。そんな彼女に、これ以上掻き乱されても仕方ないと右腕の契約痕を見せる。
「逆さ五角形の刀掛け。カレンと同じだ」
「…………名前は?」
「ミノ・リレッドノー。カレンも俺も、偽名だがな」
「ははっ、ふざけてる」
飾った笑みで笑い飛ばして視線を逸らすチカ。それから体の下のカレンを見下ろし、しばらく沈黙を挟んだ後、ゆっくりと立ち上がって服を手で叩く。
「…………信じたく無いけど、分かった。ごめんね、カレン」
「え、ううん。大丈夫、だけど……」
「はい」
まぁ分からないでもない。ずっと一緒に過ごしていて、カレンの身の上を知っていて。
ようやくの再会に突きつけられた信じ難い事実を無条件で受け入れるなんて難しいだろう。なにせカレンには語る必要のない過去が厳然と存在している。
別に疑っていたわけではないが、カレンは確かにその過去を背負って今ここにいるのだと。チカがそれを肯定する。
ここまで来れば、見過ごすわけにも行かない相手だろう。手を差し出し、掴んだカレンを引き上げるチカは、今の俺達にとって重要な意味を持つ。
「……色々訊きたい事はある。が、こんな場所でする話でもないだろ。そいつらも片付けないとだし、報告するべき仕事もある」
「あ、そうだ。任務の途中だったんだ……」
「任務?」
「これだよ、薬草っ。手に入れて、お届け物。ほら、お金ないと生きられないからさ」
「不便だね、人の世界は」
溜息一つ。それからチカがこちらへ振り返る。
「……んで?」
「暇なら手伝え。そこに転がってる奴らを町の衛士に突き出す」
「…………蹴ったら転がらないかな?」
「幻術に掛けてある。下手な刺激で目が覚めたら面倒だ」
「ちぇっ」
とりあえず任務の事もある。一旦町へ帰還だ。彼女に関する問題はその後で構わない。帰ったら丁度昼飯時だろう。
「よっと……。ミノ、これに乗せて運ぼう?」
考えているとカレンが作り出したサーフボードのような幅広の大剣。宙に浮くそれなら、確かに無駄な体力を使わなくて済む。
楽をしようとする事に掛けてはカレンも対外悪知恵が働くと。そろそろ人の世界に馴染んできた気がする相棒の案に乗っかって、あちらこちらで伸びている襲撃者達を拾い上げ、町へと向けて歩き出した。
スフェーンの町に近づくと、朝任務に出た頃にはなかった活気が壁の内側から湧いている事に気が付いた。一体何事かと出入り口を守護する騎士に組織の奴らを引き渡して町に入れば、町の景色が賑やかに色付き始めていた。
「ほぇ? 何これっ?」
「……祭り、ですかね。多分収穫祭のようなものかと」
「トマト祭りみたいな物騒な奴じゃねぇよな?」
「何ですか、それ?」
カレンの零した疑問の音に、ユウが答える。言われて、その雰囲気が独特な祭りのそれだと納得が行った。
どうやらこの辺りの概念やそれに対する振る舞い、空気と言う物は世界が変わってもそれほど差異は無いらしい。
少し騒がしいほどに飾り付けられた景色。浮き足立った人々。通常以上に物と熱気が犇き合う光景。
思わず脳裏を過ぎったのは、昔テレビで見たスペインのトマト祭り。秋の作物の収穫を祝って行われる有名で奇怪な世界の祭祀の一つ。町全体を戦場にしてトマトをぶつけ合い、世界を赤色に染めるという……事によっては戦争よりも凄惨な絵面を描き出す奇祭だ。何でも投げる為専用のトマトが栽培されているとか。頭のネジがどうかしてるのではなかろうか。
が、当然そんな地球の珍事が異世界たるコーズミマの常識である筈もなく。訊き返してきたユウの視線に何でもないと答えつつ喧騒の中を歩き出す。傍らで、今の同行者の中から最も常識的であろう少女に質問を向ける。
「ユウはこの祭りを知ってるのか?」
「いえ。ただこの時期の祭りとなると恐らく収穫祭ですね。そうでなければ感謝祭……この地の歴史に由来する祭事かと」
感謝際は、確か宗教的な出来事か、解放運動などの歴史の転換点となった物事を起源としたお祭りだ。まぁ、どちらにせよ喜びを分かち合う為のハレの日。悪魔崇拝のようなおどろおどろしい儀式のようなそれでは無いだろう。
と言うかそんな物騒な行いをこんなに堂々とは出来ないはずだ。なにせコーズミマの北にはユークレース……司教国が存在する。神やら天使やら……人が善として崇める宗教が一国の形をして存在する世界で、しかも人類の敵として魔物がいる日常に悪魔崇拝なんてすれば宗教裁判待った無し。地図からスフェーンの名前と町が消えてしまう。
「……! ミノっ」
「…………一応聞いてやる」
「だってお祭りだよっ? 楽しまないと損だよっ!」
最早溜息すら出てこないいつものカレン。そんな彼女が、無言を肯定と受け取ったらしく一人先に駆け出し人ごみの中に姿を消す。
協調性もなければ衝動的な生き様の魔剣様。……が、今を生きるというのはそういう事で。後悔のしない選択と言うのはいつでも覚悟と自信に溢れているものなのだろうと益体もなく考えながら。
止めたところで余計に面倒な事になるのが目に見えていると、仕方ないを振り翳して足を出す。
「……本当は宿に帰ってしっかり休憩したいんだがな。まぁ、息抜きも必要だろう」
「甘いですね」
「あ?」
「なんでもないですっ」
楽しそうに笑みを浮かべるユウが逃げるようにカレンを追いかけていく。その背中を見送りつつ隣のチカへ。
「お前はどうする?」
「…………まぁいいや」
「何がだ」
要領の得ない言葉に訊き返すが、答えはなく。彼女もまたカレンを追いかけて雑踏の中に身を投じる。……迷子になったら便利な呼び出しで探し出すとしよう。
振り回されるよりは余程いいと諦めを見出して、一人傭兵宿へ向かう。任務の完遂報告と報酬の受け取り。やるべき事はきっちり済ませないと先延ばしにしても良い事などない。
と……そう言えば彼女達は楽しむだけの持ち合わせがあるのだろうか? カレンには少し持たせているからいいとしても、他の二人は管轄外。人の世界は無情にも、ない者に差し伸べるほど満たされてはいない。困ったらあちらから泣きついて来るだろう。そろそろ常識とシビアさを学んで欲しいところだ。
考えつつ辿り着いた傭兵宿で依頼を完了すれば、スフェーンではその場で報酬が渡される仕組みらしく、直ぐに見返りがもらえた。
……いや、違うか。恐らくこっちが傭兵の世界での常識なのだ。
グロッシュラーの町でのやり取りや、森の中で爺さんに教えてもらった傭兵に関する話。金銭のやり取りは依頼人とその達成者の間で行われるものだと認識していたが、それはどうやら間違いだったらしい。
確かな基盤で運営され、ここスフェーンのように大きな町にある傭兵宿では任務の受領や発行、報酬のやり取りなどはこの建物内で完結する。雇い主に直接報酬を貰いにいくのは、小さな町で傭兵宿が折衝などの面倒事を背負いきれない事を隠すために、自己責任を方便とするときだけなのだ。
もちろん直接のやり取りにも利点はあるだろう。自己責任だからこそそれ以上大事にはならないし、話の運びによっては報酬の交渉もしやすい。安定し、形式化された地盤で確かなやり取りをする大きな町での仕事か、不安定ながらも色々な事を最小限に収めて個人の采配に左右される個人同士の契約か。大口だったり、間違いのない仕事なのは前者で、面倒の中からどこかにあるかもしれない金脈を見つけるのが後者。個人的には安定志向で前者の方が好みだ。
もし追われる身でないのならば、こうして安定択を取りつつ地道に稼いで一歩ずつ歩んで行きたいところだが……そんな理想はどうにも程遠い。
全く以って度し難い。一体自由とはどこにあるのだろうかと。思いながら傭兵宿を出たところで脳裏に響いたカレンの契言。
『ミノっ、今どこにいるの?』
『傭兵宿。依頼を終えて報酬を受け取ったところだ』
『そこで待ってて!』
もしかしてもう使い切ったのだろうか。だとしたら彼女に金を持たせるのは考えた方がいいかもしれない……。しかし、ならば少しおかしいか。金銭的な事に関しては煩いくらいにこれまでも口にして来た。それを忘れるほど彼女だって馬鹿では無いだろうし、これから金を集ろうという時にあんなに元気よくしているのは不思議な話。
となるともう少し別の何か……一体何事だろうか。面倒でなければいいが。考えつつしばらく待って。カレンが来るまでに近くの屋台で串焼きを一本買い齧りつく。
……そう言えばあの山ではあまり動物を見かけなかった。それもきっと、ここで祭りがある影響だろう。
どうでもいいが、この世界の住人は生態系の保全などは考慮の外なのだろうか。別に俺が悩むような事でもないのだが。強いて言うならば乱獲で規制が敷かれて美味しいものが食べられなくなるのは少し嫌な未来かもしれない。
そんな事を思いながら行き交う人々を眺めていると、やがてカレンたちが戻ってきた。
「もうっ、ミノがいないと意味ないからぁ!」
「何の意味だ」
「息抜きするんじゃなかったんですか?」
「俺がするとは言ってないだろ」
「カレンの言う事聞けないのっ?」
チカの言う事に限っては最早意味が分からない。何故自分より他人なのか。常識的だと思っていたユウまでもが向こうに引っ張り込まれているし……。まともなのは俺だけか。
「遊びたければ勝手に遊んで来い。金ならやる」
「うぅ、人でなしっ」
「知るか」
こちとら斜面での中腰作業に突然の戦いで疲れているのだ。休ませて欲しい。
と、そんな事を考えているとユウが試すように問うて来る。
「……いいんですか?」
「何がだ?」
「散財、喧嘩、誘拐…………。お祭りは色々な箍が外れますよ?」
「思うならお前が監督すればいいだろ?」
「…………信用してくださるのは嬉しいですが、生憎とわたしもお祭りは初めてなもので」
何だその変な脅しは。常識人を気取りたいならもっと冷静さを振り翳せばいいだろうに。
……しかしまぁ、彼女の言う事も一理ある。目を離した隙に面倒事にでも巻き込まれたらいい迷惑だ。想像はした瞬間に意味を持つ。
「……ったく、次は俺にもっと楽させてくれよ?」
「ふふっ、やっぱり甘いですね」
「うっせぇ、ガキが」
「そんなに変わらないじゃないですかっ」
それは年齢のことか、それとも背丈のことか。
どうでも良い事だが、今いる四人だと男の俺が一番高い。こっちに来てからも成長はしているらしく、今の身長は170後半。180には届いていないだろうという具合だ。
比べて、次いで高いのがユウ。目算だと165くらいか。続くのがチカで150後半。最後がカレンで、150前後と言ったところだろう。ユウと10センチ、チカと15センチ、カレンとは25センチも違う計算になるだろうか。
そうしてみれば、160を越えるチカは女にしては高い方だろう。年齢も俺より一つ下で、ほぼタメ。常識も備えているし、何より人間だ。一番相手をしやすい。
対照的に最も幼く見えるのがカレン。言動も、知識も、背丈も。全てが小さく纏まった彼女が15歳と言うのは、人の縮尺に当て嵌めるとどうにも違和感が拭えない。まぁ魔剣だと一蹴すればそれまでなのだが……。
「じゃあいこっ。こっち!」
そんな幼く見えるカレンが手を引いて駆け出す。こけそうになりつつどうにか体勢を立て直して人ごみの中に突貫していく彼女を追いかければ、膨れ上がった熱気に呑まれてそれまでの悩みを全て忘れそうになる。
別に、祭りが嫌いと言うわけではないのだ。雑踏に息苦しさは感じないし、独特の盛り上がりについていけないわけでもない。ただ単純に、現状を考えれば目立ちたく無いのだ。あと散財。
けれど嫌いでは無いからこそ、一度飲み込まれてしまえば抜け出せなくなる魔力と言うのが目に見えない形として存在していて。きっと終わった時には今以上の疲れが郷愁の如く押し寄せてくるのだろうと思いつつ……諦める。
ここまで来たのだ。祭りに罪は無い。ならばとりあえず、楽しまなければ損な話だ。
振り回される方の身にもなって欲しいと胸の内で最後の悪態を吐いて。それから詰めていた息を吐き出せば辺りの空気に自分の中の感情を染め上げる。
擦れ違う人々は誰もがこの特別な雰囲気に笑顔を浮かべていて。まるで魔物の脅威など存在していないかのように活気付く空気に、祭りの本質はどこも変わらないとなんとなくの納得を見つけながら。
最後の抵抗で地に足は着けておこうとユウやチカの所在を視界の端に捉えつつ町の大通りを練り歩く。
道の脇から香るのは様々な食べ物の入り混じった重く蟠る煙のにおい。串焼き、鉄板焼などの焼き物を筆頭に飲み物揚げ物に加えてスイーツのような屋台や、仮面や玩具の剣などが並べられた店。それらを景品にした射的も見える。
……射的があるという事はこの世界には銃という概念があるのか。いや、転生がある世界だ。これまでにこっちに来た人が伝道師のように知識を横流ししていてもおかしくは無い。
銃があるならそれが魔具になっていたりする事もあるのかもしれない。できることなら相手にしたくない武器だが、手に入れれば便利にもなるだろう。……少し真面目に情報でも集めてみるとしようか。
「とは言え光り物のおもちゃは流石にないんだな」
「ヒカリモノ?」
「……電気って知ってるか?」
「なにそれ?」
あぁ、やっぱりか……と、カレンの声に納得する。地球で言うところの産業革命以前。からくりと言えば歯車な世界で蒸気や電気の概念が有るはずは無い。この辺りは想像していた通りだ。代わりに魔力を地盤に文化と生活、技術が発展したのがこのコーズミマだ。
……銃の概念が持ち込まれているなら少しばかり地球の話をしても問題は無いだろう。話をしたところで別段影響があるとは思えないしな。
「じゃあ雷は分かるか?」
「雨の日に音を鳴らして空で光るあれですか?」
「あぁ。ならあれの主成分……何で構成されてると思う?」
「…………光?」
「火じゃないですか? 森に落ちたら燃えますし」
ふむ、その価値観は面白い。二十一世紀の地球人からすれば雷は静電気の塊だ。過去の科学者、物理学者、医学者達が挙って競い解明せしめた、二十世紀以降の地球にはなくてはならないエネルギー。太古の昔より地球上に存在していた……地球と言う歴史で見れば概念として確立した中では随分と新参者な世界の柱の一つ。
そんな電気も、電気が電気だと分かる前には色々と議論を尽くされたらしい。磁力、引力、斥力……見方を変えればそうとも捉えられる電気の性質の解明に力を注ぎ、やがてそのエネルギーを生活の基盤にまで発展せしめた人類の偉業。
凧を飛ばすことから始まった避雷針、蓄電器、発電機……。それらと同じ事が出来ればこの世界でも電気と言う概念を歴史に刻み、更なる転換期となることだろうが……その役目は別の誰かに譲るとしよう。別に技術のブレイクスルーを引き起こして有名人になりたいわけではない。
「雷が光るのは空から落ちてくる時に空気とぶつかって熱を持つからだ。金属だって炉に入れれば熱せられて赤くなるだろ? あれと同じで空気が燃えて白く見える」
「それじゃあやっぱり元から熱い火なんですか?」
「残念ながらそれも違う。そうだな……例えば、人間は体力を使うと発熱するだろ? 魔剣のカレンも同じだな。魔力を沢山使うと発熱する」
「うん」
その話はカレン自身が言っていた事実だ。彼女だけなのかは分からないが、少なくともカレンは魔力を使う事によって発熱する。現に今も少し暑いのか、フードを開けて頬を薄く染めている。……単に祭りの空気に浮かされているだけかもしれないが。
「ならその力の源は何だ?」
「魔力っ」
「それはお前だけだろうが」
「……食事、ですか?」
「そうだな。魔力と食事……それらを総じて言うならば、外から自分の中には無い何かを手に入れることだ」
飲食も魔力供給も似たようなもの。光合成だって同じで、別のエネルギーを必要な要素に変換する……その為に外から何かしらの補給を受けている。
「結果それらで力を付け、巡って発散する時に熱になる。……だったら人や魔剣の体を木に、外からの補給を雷に置き換えるとどうなる?」
「…………雷が落ちた木が、熱を帯びる?」
「正解だ。その生じた熱が、例えば木の許容量を越えれば、」
「燃えるんだ!」
言葉の先を奪ってカレンが告げる。細かい事を言えば色々あるのだが、分かりやすく説明するには比喩が一番適している。……この物の教え方は、俺が小学校低学年の時に担任だった女性の先生がよくそうしていた影響だろう。
あの頃はまだ学校が、勉強が楽しくて色々な事を吸収するのが面白かった。だから必然、それらを教えてくれる先生と言う存在にも興味が湧いて……有体に言えば彼女の授業が好きだったのだ。
そんな経験が俺の中に眠っていたらしく、説明には比喩を……と言うのがどこかで確立されていたらしい。
「これが木が燃える理屈。エネルギーの過剰供給による発火って訳だ」
「ほへぇ……」
「……それで、その……結局雷って何なんですか?」
「その莫大なエネルギーが集まった存在で、構成要素としての名前が電気……って言ってもそう簡単には理解できないか。……まぁこの世界における魔力みたいなものだと思えばいい」
「デンキ……」
電気が何かなんて、そんな説明をするには学が足りなさ過ぎる。説明できたところで彼女達が理解できるかも怪しい。とりあえず講釈をたれるのはここまでにしておくとしよう。
「で、魔力と同じなら、魔具のように魔力を力の源にした道具ってのもあるわけで。電気を力に動いたり光ったりするおもちゃが、俺の知る祭りではよく売られていたり景品になったりしてたって話だ。……俺からすれば魔力の方がよく分からんエネルギーだからな」
「そこはお互い様ですねっ」
どうやらこれくらいの話にはついてこられるらしいユウが楽しそうな声音で笑う。その傍で、カレンが思考を放棄して別の面白さを周りに求め始め、チカは────
「……………………」
「……今の話を素直に信じない辺り好感は持てるな」
「逆にどうやって信じろって言うの? 知らない単語、知らない概念。誰も知らない事をさも当然のように語る貴方を疑わない理由がどこにあるの?」
「信じるか信じないかはお前の自由だ。が、その疑問の答えとして一つ教えてやる。俺は異世界人だ」
「…………転生者ですか。道理で信用ならないわけです」
こちらを見つめるライムグリーンの瞳に疑い以上の疑心が灯る。
しかしそれは仕方のないことだろう。俺だってチカの事を信用してなどいないのだから。自分が疑っている相手に、自分に対しては妄信しろだなんてふざけた話だ。
「ま、曖昧にされるよりは疑われてると分かった方がやりやすいしな。勝手にしろ」
「そもそもカレンを誑かした人を信用なんてしませんから」
どちらかと言うと俺が騙された側な気もするんだがな。……まぁいい、過ぎたことだ。
思いつつ、それからふと浮かんだ疑問。
「……そう言えばユウには俺が転生者だって言ったっけか?」
「いいえ。ただわたしは元々セレスタインから貴方を連れ戻すように言われてましたから」
それもそうかと。任務内容として俺の事は聞いていたに違いない。しかしそう考えると不思議な面々がそろったものだと一人ごちる。
異世界からの転生者で国に追われる名無しと。それと契約した組織より逃げ出してきた札付きの魔剣。名無しを追いかけ末に行く宛てのなくなった瞳に魔を宿した人間の少女。そして魔剣の少女の友人である謎多き女の子。
訳あり曰く付きばかりの随分なラインナップだが、それを類友だとか同病相憐れむなどと言ってしまうのはなんだか俺自身が許せなくて他の理由を探している事に気が付く。
最早逃げられないのに、一体何に怯えていると言うのだろうか。
「……結局、どうするんだ? どこか宛ては見つかったか?」
「…………帰る場所ももうありませんからね。だったら心中上等で最後までお付き合いさせていただきます。その方が都合がいいですよね?」
「自ら危地に飛び込むとか極まってるな」
「ミノさんに言われたく無いです」
「さんをつけるな」
見つからない答えから目を背けるように分かりきった疑問を零せば、示し合わせたような答えが帰ってきた。
確かにユウの言う通り、彼女の力は便利だろう。魔力さえあれば撹乱は容易い。逃げ続けるには欲しい力だ。それが人の形をして勝手に歩いてついてくるというのだから断る理由は無い。
何より一番は、彼女は俺が何かをしなくても勝手に生きてくれるということだ。要介護な鈍らとはわけが違う。……本当、彼女が契約相手ならどれ程楽ができたことか。
後はまぁ、彼女が問題を抱えていない事が大きいかもしれない。今し方解決されたユウの居場所……選ぶ自由をもって行動を共にすると決めた彼女には、最早憂いなどない。その上で飾らない性格として真っ直ぐ言葉にしてくれるのは正直相手がしやすくて助かる。
俺だって人間だ。煩わしい関係や地雷を抱えた問題物件と関わるのは御免被りたい。そういう意味では常識があり、言葉が通じて、殆ど問題を抱えていない彼女は今俺が最も信頼できる相手だろう。……信頼と言うよりは利害の一致に近いかもしれないが。
何にせよようやくまともな道が歩める気がすると。そんな事を考えながらカレンを追いかければ、彼女が目的地にしていたのだろうある露店の前で足を止めた。
「ミノ、これっ」
「……………………」
自由の意味を履き違えている気がする鉄の棒が胸を躍らせた笑顔で告げた先にあったのは、一つの瓶。
両の手のひらサイズの透明な容器に入ったそれは、辺りの光を反射して宝石のように輝く三日月状の何かを詰め込んだ一品。
大体想像が付くと商品の値札を見れば、共に綴られた文字列に眩暈を覚える。
「…………ユウ」
「言いたい事は分かります。ミノさんが正しいのも分かります。……でも、わたしも女の子なんですっ。一度くらい食べてみたいんですっ」
「カレン、なにそれ……?」
「梨の砂糖漬けっ!」
チカの声に弾んだ声音で答えたカレン。彼女の言う通り、その瓶詰めの商品は梨の砂糖漬け。丁度今が旬の瑞々しい梨を一口大の櫛型に切って、砂糖と言う白粉を歌舞伎化粧の如くふんだんに使った、最早砂糖の塊とも言うべき食べ物だ。
……最初に口を滑らせたのが己なだけに、逃げ道がない。あれば買ってもいいと、言ってしまった。本当に売っているとは思わなかった…………。
「……一応訊くが、本気か?」
問いには、言葉以上の視線で肯定された。
恐らくこれを買うために先ほど俺を探していたのだろう。……買えない額じゃないのが恨めしい。
……………………仕方ない。これは、保存食。いざと言う時のエネルギー源。そういう事にしておこう。
「……これをくれ」
「毎度ありっ。よかったな、嬢ちゃん」
「うんっ!」
どうやら店主に話をつけて取り起きでもしてもらっていたのだろう。だから俺を探してここに戻ってくる間にも一つだけ売れ残っていたと……。何でそう言うところだけは無駄に頭が回るのだろうか。馬鹿の悪知恵ほど厄介なものは無いかもしれない。
痛い出費になったと溜息と共に財布の口を開ければ、隣でカレンが御神体でも崇めるかのように頭の上に掲げて赤い瞳を輝かせていた。……鳥の供物になってしまえばいいのに。
これまで見た事がないほどに上機嫌なカレンが、早速待ちきれないとばかりに一欠片摘んで口の中に放り込む。途端、何かに苦しむかのように俯いて噛み締めるカレン。どうやら魔剣の体には毒だったらしい。大切な武器が錆びてしまっては困る。
「ぁんまぁ~い!」
「俺が預かる」
「なぁぁあああっ!?」
「お前が持ってたら一日でなくなるだろうが」
「当たり前だよっ!」
それは肯定するべきところではない。
「なら楽しみは長く続かせるものだ」
「うぅぅ……。……分かったよお、ミノのケチっ」
全く……大喰らいは魔力どころか金まで根こそぎ奪うらしい。一体何処の洞穴に棲む財宝の守護者だ。
これはより一層財布の口を固く締めなければ。
「あのぉ…………」
「お前もか」
「ち、違うんですっ。わたしは飽くまで勉強に!」
「勉強?」
決意を改めた直後、あがった声はユウのもの。威圧するように応えれば、彼女は言い訳のように言葉を連ねる。
「美味しい物はより美味しく頂くのが何よりの楽しみ方です。その砂糖漬けも、上手く使えばそれ以上に美味しい食べ物になるでしょうし、そのための味見です!」
「なにそれっ! 例えばどんなのっ?」
「え、っと……例えば、例えば…………お菓子……焼菓子の間に挟んだりとか、果物のサラダとか……」
果物をメインディッシュに、と言うのはあまり聞かない話だが、副菜やデザートにはよく使われているイメージだ。後は何だ……肉や魚と一緒に料理して香り付けや肉質の変化にも使われたり、と言うのはヨーロッパの方では割とメジャーな調理方法だったか。
確かにそういう用途ならシェフに一品任せてみるのも面白いかもしれない。
「作れるのか?」
「材料や道具があれば……。道具は宿の調理場に揃っているのでっ」
「ふむ…………。また今度、時間がある時にでも作ってみるか?」
「……! 是非にっ!」
そうでなくとも荷物を抱えた気の滅入る旅路だ。息抜きや気分転換は必要だろう。それを提供してくれると言うのならば、少なくとも個人の肥やしになるよりは数倍ましな用途だ。
「ならしっかりとレシピの礎にしてくれ」
「はいっ…………ぁむ」
あまり趣味ではないが、気が向いたら彼女の料理を手伝うのもいい気晴らしになるかもしれないなどと思いながら。身銭を切って買った代物だと、自分も一切れ口に放り込む。
途端、舌の上で溶けた砂糖の甘さが口の中一杯にじわりと広がり、暴力的なまでに味覚を刺激する。次いで噛めば、中に閉じ込められていたらしい梨の果汁と風味が染み出して、やがて砂糖の甘さと交わって軽く酩酊を覚えるほどの秋の味が広がった。
と、どうやらこれは一度酒粕にでも漬けているらしく、仄かにアルコールを覚える。ドライフルーツのような感覚で、これならばフルーツサンドやパフェの類によく合うだろう。
「んー……? うん、火を通してみたいです」
「ほう?」
「周りの砂糖が溶けますし、香りが立って柔らかくなります。炙るだけでもまた違うと思いますよ」
確か似たような食べ物があった気がする。果物を水や砂糖水で煮て作る…………あぁ、そうだ、コンポートだ。となるとやはり個人的にはサラダやケーキの方が好みかもしれない。
「色々出来そうで楽しみですっ」
「……嫌でなければ今後食事関連はユウに任せようと思うが、どうだ?」
「構いませんよ。作るの好きですし!」
「やったぁっ!」
とりあえずこれで美味しい食事は確保だろうか。彼女なら少ない材料でも工夫して飽きない献立を作ってくれそうで安心できる。信頼出来るシェフをゲットだ。
そんなユウに、少しだけ試すような問いを投げかける。
「……それだけ好きなら店でも目標にするのはどうだ?」
「お店ですか……? …………楽しそうですね。でも、ちょっと難しそうです」
答えは、どうにも芳しくない響き。まぁその理由もよく分かる。
「人間は魔物をあまり快く思っていません。そんな存在と体一つで同居しているわたしが作った食べ物を、偏見なく食べてくれる人は、きっと少ないです。だったら……今笑顔で食べてくれる人にもっと笑っていて欲しい、って思うのは、欲張りでしょうか……?」
言って、少しだけ寂しそうに笑うユウ。きっとそれだけ彼女は料理が好きなのだろう。料理を食べて笑顔をくれる誰かが、好きなのだろう。
だからこそ料理を振舞う立場が彼女の居場所のような気がするのに、それが周りに認めてもらえ無いと言うのは、やはり少し寂しい。
…………本当に、偏見なんてくだらない。
「……仕方ないものはしょうがない。だが、そのお陰で俺達はお前の料理を独占できる」
「………………ふふっ、ありがとうございます、ミノさんっ」
「だからさん付けは…………もういい」
くすりと肩を揺らした仕草に、短く切り揃えられた青色の髪が小さく揺れる。その姿はまるで宝物を見つけて微笑む少女そのもので。どうして彼女のような存在が迫害されなければならないのかと、形のない何かを呪う。
理不尽で不合理な世界は、いつだって直ぐ傍にあるものだ。その中で自由を見つけるのならば、ユウの様に好きな物を見つけるほかないのだろう。
……俺の好きなものは何だろうか?
「ユウさん、私にも料理って出来るかな?」
「出来ますよ。今度一緒に作りましょう」
「うんっ!」
「食える物を作れよ?」
「うっさいばーか!」
挨拶のように悪態を吐けば、打てば響くカレンが反論のような何かを零す。ならば言われないように確かな行動で示して欲しいものだ。
と、視界の端に映ったのはチカ。彼女はじっとカレンを見つめ、やがて静かに視線を逸らす。一体何を見ていたのだろうか……。
「……なんですか?」
「いや」
「だったらカレンをいじめないでくださいっ」
そんなチカと視線が交わって。一瞬驚いたような表情を見せた彼女は、直ぐにそれを隠すように嫌悪感丸出しで喧嘩腰の変わらない口調。
そう言えば彼女に話をまだ訊いていなかったと。じっとこちらを見つめるライムグリーンの瞳に湧きあがってくる疑問のあれこれを脳内で列挙しながらとりあえず牽制をしてみる。
「……カレンとは仲がよかったのか?」
「なんでそんな事答えないといけないんですか」
「あいつが俺の魔剣だからだろ? 相棒の事を知りたいと思ってなにが悪い」
「っ……あたし、貴方の事認めてませんからっ」
「そりゃあ結構」
相棒なんて、そこまで心を預けているつもりは無い。が、彼女がいなければ今ここにいなかっただろう事は事実だ。そんな心の内を少しだけ覗かせれば、更にチカの態度が悪化したのがわかった。
それほどまでに彼女の事が心配だったのは、まぁ分からないではない。カレンが話した過去の通りならば、彼女はカレンの心の拠り所だった。その証拠に、カレンは彼女の名前を俺に教えようとはして来なかった。
口では何とでも言えるが、心は正直だ。きっとどこかで俺のことを信用し切れなかったのだろう。だから最後の理性として、過去を語ったときも安易に友の名を口にはしなかった。その思いが募って、俺に頼らざるを得なくなったのがグロッシュラーの町での出来事だ。
そしてそれは、チカの側から見ても同じことだったのだろう。カレンの話から想像するに、彼女も似た境遇にいたはずだ。だから互いに拠り所として支え合っていたに違いない。
互いが互いを心配し、チカはどうにか組織を抜け出してカレンの下まで辿り着いた。……とっても美談で────だからこそ嫌に都合がよすぎる気がして、胡散臭いのだ。
「しかし、だったらどうするんだろうな?」
「……何がですか?」
「お前に負けず劣らず友達思いなあいつは、お前を助ける為に俺を頼って契約した。交わした契約の通りなら、俺達は色々な覚悟の上に組織を襲撃してでもお前を助け出すつもりだった。けれどその願いは、図らずもこんな形での再会で答えを見つけた。……だったらこの先あいつはどうするつもりなんだろうなと思ってな」
その問いは、カレンに向けてであり、チカに向けてであり……そして俺自身に向けた言葉だ。
目的の達成されたカレンは自由を得、この様子ならチカはそれについて行くのだろう。対して俺は未だセレスタインに追われる身だ。今度はそれにカレンを巻き込むのかと言う話と……そもそもカレンが今のまま契約を続けるのかと言う疑念が渦巻く。
契約に関しては俺も詳しくは無いため上手くは言えないが、もし契約を破棄できる方法があるのならば、カレンは彼女自身の本当の自由のために今ある繋がりは切るべきだろう。
明言はしていないが、彼女との契約はそういうものだと俺は理解している。俺が彼女からこれまでの仕事内容に見合うだけの報酬が受け取れていると考えるならば、依頼としてそれまでだ。
「それにこれは、お前にも同じ事が言えるだろ。これからどうするつもりだ?」
「……………………」
そんな渦巻く感情から視線を逸らすように疑問の矛先をチカに向けて絞る。問いかけに、彼女は無言を紡いでユウと他愛ない話で祭りに溶け込み笑うカレンを見つめる。
「……一つ言える事があるとすれば、どんな選択をしても組織と簡単に縁切り出来るとは思わないことだな。カレンに加えてお前が一緒にいれば、あいつらも人員を集中できる。その分進む道は苛烈になって、常に危険と隣り合わせだ」
幾つかの未来を想像して、けれど逃げられない現実。チカがどうあれ、カレンは今もまだ狙われている。今目の前にある自由を追いかけるのならば、後ろから迫る脅威にもしっかりと目を向けなければ、いずれは足を掬われてしまうだろう。
そうならない為にも、俺はあの森を出てきてからできる限り警戒はして来たつもりだ。カレンに振り回され、ユウのような例外に見舞われて万全に対策できたとは思わないが……少なくとも無策で暢気に無知を晒しているよりは生き長らえている方だろう。
「自由と選択には責任が伴う。選ぶ道はよく考えてからにするんだな」
「…………貴方はどうなんですか?」
「…………何がだ?」
最善が見つからなかったか、答えをはぐらかすように問い返すチカ。先ほど背けた未来の焦点を目の前に突き返されて、また少し胸の奥が疼く。
「惚けないでください。契約が終わったなら、カレンとの契約ももう必要ないはずです。……まさか貴方の都合でカレンを振り回したりしませんよね?」
「……俺は傭兵だ。報酬が払われれば仕事は終わり。それ以上も以下もない。決めるのは、依頼人のカレンだ」
「都合のいい矜持ですね」
傭兵は仕事の道具。そう揶揄されてまともな扱いをされないのは当然の事として知っている。何より俺は居場所も……まともな名前もない放浪者だ。道具に主を選ぶ権利は無い。
だから面倒な後腐れもなく日銭を稼いで自由に生きられるこの仕事に誇りのようなものも感じている。居場所のない俺の、拠り所だ。
「あたしだって同じです。行くあてなんてありません。……けれどだからって貴方と行動を共にするんなんてのはごめんです」
「嬉しい誤算だな。仲の悪い奴ほど話が通じる」
「何も楽しくなんてありませんよ」
嫌っているからこそ飾る必要がなくて、本音で話せる。
不思議なことだと諦めを見出せば、これ以上不毛な言い争いは彼女も見限ったか、足早にカレンの下へと駆け寄ってどこか機械的な笑みを浮かべていた。
それが友達だと言うのならば、随分疲れる関係な事で。
思いつつ空を見上げれば、日が山の奥へ隠れ薄暗くなり始めた天蓋に小さな星のきらめきを見つけられた。益体もなく、今夜は晴れるらしい。
……そう言えばこちらの空には星座なんていう概念が存在するのだろうかと。居場所を探すようにそんな事を考えれば、隣にはいつの間にかユウが佇んでいた。
「……遊んで来ればどうだ? 流石の俺も今日はこれ以上小言を言うつもりは無いぞ?」
「そう言われると余計気味が悪いです……。違いますよ。ただ少し、興味があるだけです」
「興味?」
「ミノさんは転生者です。ここに来る前は別の世界で別の生活を送っていた。デンキの話を聞いて、少しだけ興味が湧いたんです」
随分な物好きがいたものだ。それともわざと過去を掘り返して俺に何がしかの仕返しでもしたいのだろうか? そうならばいい性格をしていると褒めてそのまま同じ事を突き返してやるのだが……。
どうにもそんな裏があるようには見えない。本当に、単純に、知的好奇心なのだろう。知ったところでこの世界で役に立つ話では無いだろうに。
「…………聞いたところでくだらない世界だぞ?」
「ミノさんの世界に行きたいとかそういうのじゃないんですっ。本当に、ただ知りたいんです」
「……気が向いたら旅の暇潰しにでも話してやるよ」
「約束ですからねっ」
それはもしかすると、俺と同じような現実逃避なのかもしれない。
このコーズミマは、俺にとって常識の外の異世界。だからここでの事を知って、過去から目を背けようとしている節がどこかに存在する。それと同様に、この世界で生きるユウが別世界に思いを馳せて過去から焦点をずらそうとする行為を、俺は糾弾できる立場には無い。
……まぁ別に、終わった世界の事を今更どう言ったところであっちの世界の奴らに何を言われるでもない身の上だ。気分が乗れば異世界の如く話をするとしよう。
「その代わりと言っては何ですが、わたしが答えられることにはお答えしますから」
「そりゃあいい関係だな」
ユウのこの世界に関する知識は幾らあっても困らない。カレンを別にしても、ユウとの道行きはほぼ確定事項だ。今からある程度の関係を紡いでおくのは悪くないはずだ。
個人的に、彼女が一番信用できるしな。
「……じゃあ早速いいか?」
「何ですか?」
「チカ……彼女の事をどう思う?」
視界の先でカレンと戯れる彼女を見つめながら疑心に塗れた声音でそう落とす。
隣の彼女は、考えるような間を開けて静かに口を開いた。
「…………少し不思議な感じがします。サリエルが、あの子には注意以上の注意が必要だと」
「……なるほどな」
魔瞳の根源をしてそこまで言わしめる存在、と言うことだろうか。だとするならば、少なくとも人として考えるのは捨てておくべきだろう。
まぁカレンと同じ組織に居た事を考えれば、彼女が普通ではないのは分かりきったことか。出来ることならユウ以上の常識外れを纏っていない事を願うばかりだ。
「疑り深いミノさんなら大丈夫だと思いますけれどね」
「好きでこんな性格になったんじゃないっての…………」
小さく溜息と共に答えて、ユウの言葉をしっかりと頭の片隅に刻み込む。
……大丈夫だ、信用して痛い目を見ることはよく知っている。あの過去を忘れない限り、俺は同じ失敗をするつもりは無い。
「また何かあれば聞かせてくれ」
「はーいっ。それじゃあ行ってきますっ」
そうして答えたユウは、年相応の女の子の顔をしてカレンとチカの下へと駆け寄る。
…………訂正だ。俺とユウは似てなんかいない。俺は女の世界では生きられそうにない……。