アクトチューン
「《不名》、かぁ……」
ソファに深く体を預けて天井を見上げながら呟く。その名前は、先ほど偶然耳にしたある人物の二つ名……誡名らしい。
立ち聞きなんてあまり褒められたものではなかったが、聞こえたのだから仕方ない。それに、その名前に思うところがあるから、知らない振りも出来なかったのだ。
《不名》。曰く、名無しのならず者で──《不名》。魔剣を携えたその人物は、世界に弓を引きかねない存在としてある国が勝手につけた名前らしい。その話が、巡ってここ……ベリル連邦の中心に流れ込んできたのを偶然耳にしたのがさっきの出来事だ。
この世界には、転生と言う実例が存在するらしい。前の生……命を途絶えさせたものが、何の因果かこの地に第二の生の為に縛り付けられるという、当人にしてみれば迷惑な話だ。
その人物は、若い男の姿でこの世界にやってきて、けれど居場所を見つけられずに国の庇護を捨て、右も左も分からないのこの世界に一人足を踏み出したらしい。
オレも大概馬鹿な部類の人間だが、けれども彼の選択肢がそれ以上の馬鹿だと言うのは少し考えれば分かる。
この世界にやってきた転生者は特別な力を有するらしい。だからその力が国に利益を齎す際に、転生した国で厚く持て成されるのだ。衣食住に困らず、下衆な話、女や欲望の捌け口なんてものまで用意してくれる。雑事は使用人の仕事で、普通に暮らす分には何の苦労も要らない……まるで王様のような待遇を受ける事が出来るのだ。
もちろん、その対価として転生の際に得る特別な力を用いて益を国に齎さないとならないが、可能と判断された仕事が向こうからやってきてそれをこなすだけで生きていけるというのであれば、これ以上無いほどに楽園のような生活を謳歌出来る。それくらいには特別視、優遇されるのだ。
そんな好待遇を自ら進んで捨てるなんてそれこそ馬鹿のすることだろう。
…………が、だからと言って全てが望み通りと言うわけにも行かないのもよく分かる。
転生に際して得る特別な力。それは転生する者が選べるものではない……いわゆるランダム付与のエンチャントのようなもの。しかも自分の命を対価にしたリセマラも、セーブ&ロードもできない、一発勝負の大博打だ。望む力が得られるなんて、そんな都合のいい事は早々ありえない。
だからきっと、その彼も、希望と絶望の間で葛藤して……我慢の先にある楽な未来よりも、己の意思に従った自由を選んだのだろう。
そういう場合は基本国から追っ手がかかって、他国に渡り悪用されたり情報漏洩が起こらないように始末をするという脅しがかけられる。
現にオレも、ある種脅迫されて……加えて楽ならそれでいいと、ベリルにこの力を還元する選択を選び、今ここにいる。
満足は、まぁ、している。アホらしいくらいに崇められて……それこそ傍付きのメイドにちょっとした悪戯をしても戯れで済むくらいには、甘くて。法の外の、特例として認められているという実感のない実感が存在する。
……だから、だろうか。全てを許されている事が、なんだか退屈で。怒られも叱られもしない……まるで神様を崇めるような距離感で何もかもが肯定される事に…………誰もオレの、オレ自身を見てくれない気がしているのは。
きっと、周りの彼らにとって見れば、オレと言う存在は特別な力を秘めた、動く天災……そんな風に思っていることだろう。
だから飽きてしまって、この頃よく当て所もなく廊下を歩き回っては、見慣れない見慣れた異世界をどこかぼんやりとした視界で流されるように生きていて。目的や意味を、軽く見失って…………楽しくないのだ。
そんな折に聞いた、先ほどの男の話。《不名》と言う誡名で国に追われる、馬鹿野郎。何者にも縛られずに、自分の信じた物を突き進む彼の話が……何だか羨ましく感じて。
同時に、その《不名》と言う存在が、嫌にオレの心を掻き毟って落ち着かないのだ。
……どこかで、願っている。そうであればと、理由を探している。偶然を必然に変えて欲しいと。この胸騒ぎが、その通りであればいいと。彼が────彼であればいいと。
男に恋をするなんて、そんな気色の悪い感情では決してないのだけれども。……例えば、もし、仮に、偶然、万が一、本当に────彼なのだとしたら。
オレはきっと信じてもいなかった神様とやらに心から感謝を述べてしまうだろうと。
オレが、今ここにいる理由。オレが、転生した理由。それが────彼なのだとしたら。
「もしも、ならば、きっと……! 考えるよりも自分の目で見た物を信じるべきだよな……!」
悩んで足踏みをするのは、行動して、失敗してからでいい。退屈はもうこりごりだ。
それに……もう二度と、間違えたく無いから。
オレの所為……なんてのは、間違いの証で────決断の証拠なのだから。