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第四章

 採掘された鉱石の運搬は荷台三つ分の量だった。一往復で二つ分。残った一回分は一緒に仕事を請けた男が運ぶ事になり、俺達は採掘に使ったらしい道具の運搬を任された。

 道具は主につるはしやシャベルなど。長く使われていたのか欠けて壊れていたりする物も混じっていて、もう使えそうにない物は一度綺麗に洗った後に道具屋に買い取ってもらうらしい。

 その運搬と洗浄の雑務を押し付けられて、カレンと二人近くの川へと向かう。

 既に陽は殆ど落ちて辺りは薄暗く、殆ど舗装されていない道は腰が痛くなるほどの振動を下から突き上げてくる。加えて道具の汚れ落としは水場での仕事。これから夜になると言うこの時間に冷たい川の水で洗い物とはこれ以上無い面倒事を押し付けられたと息を吐く。

 そんな隣で、俺とは打って変わって上機嫌なのはカレン。彼女は音楽もないのに体を揺らして希望に満ち溢れた表情で体を揺らしている。


「……これから水作業だってのに偉いご機嫌だな?」

「だってあんなに褒められるとは思わなかったしね!」


 当然、感情の浮き沈みが激しいカレンだ。理由もなくこんなに浮かれるなんて事はありえない。

 ならばその理由。カレンがここまで上機嫌なのは、先ほど運んだ鉱石などの仕分けに纏わる功績以外にないだろう。


「あんな仕事ならもっといっぱいやりたいよっ。だって魔具かどうか見極めるだけなんて簡単すぎるからねっ」


 魔具かどうかの見極め。簡潔に言えば彼女がした仕事はそれだけだ。他の、採掘された鉱石などの荷台への積み込み等は俺ともう一人の男の仕事。

 そもそも坑道なんていう男の仕事場に彼女がいる事がおかしいのだが、だからこそ見つけた特別な仕事は彼女の存在意義をこれでもかと主張するいい舞台だったのだ。

 男が言っていたように採掘された鉱石などは山のようになっていた。鉱脈に当たったらしい今回の採掘は、いつもの三倍近くの産出量を叩いて、物量と言う覆しようのない現実を目の前に突きつけてくれたのだ。

 そんな石の山を見てカレンが一言。


 ────あ、魔具だ


 思った事をそのまま言葉にする様はまるで子供。けれどその一言は、人の世界において貴重以上の待遇を受けるに値する特別な力。

 人間は魔力こそ持っているがその魔力を使う力……魔術を扱えない。だが稀に魔力の宿るもの、魔具に対して特別反応する体質があるらしく、そういう人物は往々にして魔剣との契約や魔具の行使を特別得意とするらしいのだ。

 そう言った特別な力を持つ人物は、基本的に国に召喚されて魔剣持ちや魔具使いとして軍に所属したり、それらの人物に魔具や魔剣を斡旋(あっせん)、または鑑定などを任される仕事に就くそうだ。そういう人物がいるからこそ、国は大きな力を持つ魔具を安全に把握して魔物との戦いに投入し、確かな戦果をあげる事が出来るのだという。

 魔具を見極める者、《ラジアープ》。

 が、カレンのそれは、ただ彼女自身が魔剣だから魔物由来の感知でそう気付いただけだ。当然《ラジアープ》などではない。

 しかし人の姿をした魔剣が野良でこんなところにいるなんて想像はもちろんするはずもなく。人々にとってはまだ《ラジアープ》の方が親近感があって、カレンがそう見えたらしい。

 まぁ一々訂正して更なる面倒事になるのも嫌だと彼らの話に乗っかれば、偶然に感謝だとばかりに疲れ切っていた労働者達の目に光が灯ったのを俺は見た。

 当たり前だが、魔具は普通の鉱石より価値がある。売ればそれだけ儲かるし、採掘した方にも僅かの見返りがあるそうだ。そしてそれ以上に、これ以上騙されなくて済むと歓喜したらしい。

 どうやら前に魔具を普通の鉱石だと買い叩かれた事があったらしく、儲け話を不意にした事が何度かあったらしい。まぁ物の価値が分からないのに金の塊を背負ってきたらカモにされるのは当然だ。この世界は弱肉強食、馬鹿が失敗する世界だ。

 一応事前に鑑定してもらう事も可能らしいが、それを商いにと金も掛かって。金を払っても一つも魔力を秘めた物がなかったとなれば赤字となる。だからそちらは殆ど諦めていたらしい。考えなければ、知らなければそれだけ後悔しなくて済むのだから。

 しかし今回はカレンがいると。彼女が魔具とそうで無い物を分けてくれればそれだけ自分たちが儲かるのだと。

 力仕事では貢献できない彼女だが、そちらに芽があるのならば利用するより他にない。交渉で今回の仕事の報酬を少しだけ吊り上げると、後の事は彼女に任せた。

 カレン曰く見れば分かるらしい。魔力を帯びた物は肌を刺激するし、物の内側に魔力が渦巻いていて一目瞭然だとか。

 魔剣の力だけは使うなと釘を刺して俺がただの鉱石や石炭などを荷台に運ぶ傍ら、カレンは石の山から魔具になっているらしい鉱石を探す作業を、宝物を捜す子供のように楽しげな鉱夫達に混ざって行っていた。

 結局魔具だったのは十数個だったらしいが、まだ坑道の中には反応があるらしくカレンの見立てでは今回の倍は眠っているだろうとのこと。

 その報告に鉱夫たちがこれ以上無い笑顔を見せていて、その喜びようにこちらまで少し浮かされてしまった。

 そんな折に一人の男性が持ちかけてきた話が、道具の運搬。その場のノリで引き受けて後から失敗したと悟ったが後の祭り。結果こうして任務内容になかった雑用を押し付けられているというわけだ。

 まぁ報酬交渉は吹っかけておいたしそれでイーブンと言う事にしておこう。

 と、そんな事があったため、カレンは頼られた事に上機嫌と言うわけだ。


「……余り長くいるつもりはないが、暇なら顔を見せに行けばいい。受け入れてもらえるなら仕事と金を稼いで来い」

「ミノはもう少し楽に考え事をしようよ」

「だったら追っ手の半分でいいからどうにかしてくれ」


 呟けば、どうにもならない現実を直視してカレンが唸る。

 ネガティブなのは重々承知。だがそれだけ警戒するに足る場所に立たされているのだから仕方がないだろう。

 俺だって可能ならば何の憂いもなく自由にこの世界を生きてみたい。が、馬鹿を演じるのと馬鹿なのは別物だ。少なくとも進んで馬鹿にはなりたく無い。


「って、そういう話はもういいよね。ミノが面倒事を考えて、私が楽しい事を考えるっ」

「……もういい、好きにしろ」


 言い争うだけ無駄な体力を使う。妥協と諦めは必要だ。


「あ、そうだ。これもあの人たちに貰ったよ?」

「ぁん?」


 相変わらず尽きない話題提供だけは一人前だと。そこに関してはある種の才能だろうか。

 考えつつ首だけ振り返れば彼女が指先で摘んでいたのは魔力石だった。


「報酬の先払いだーって」

「……一つだけあってもなぁ」

「分かってるよ。でもこれってお金になるんだよね。ってことはこの魔力石くらいまで魔力を込めればいいんでしょ?」

「焦ったところで早く完成するわけじゃないぞ?」

「でもほらっ、目標があった方が分かりやすいから!」


 ……確かに目先の目標は必要か。そういう意味では俺達がこの先目指すべき場所もある程度固めておく方がいいだろう。

 とりあえずは越境……ルチル山脈を越えてベリル連邦へ。それから可能であれば交渉の椅子に。無理そうならセレスタインの奴らの手が届き辛い場所まで逃げるべきか。

 物理的な距離で言えばアルマンディン王国。西と東で最も距離が離れている。厳然たる物理的な距離は平等に押しかかる困難さに変わる。セレスタインが形振(なりふ)り構わずコーズミマ全土に捕縛令を敷かない限りは最も安全な策だ。

 それ以外だと、セレスタインと仲の悪い国のお膝元にでも潜り込むべきだろう。残念ながらその辺りの情報はまだ得ていない。が、普通に考えるなら国境を接しているベリルかユークレースのどちらかか。

 そう言えばユークレースは司教国……宗教が国の中心にある国だ。崇めている神様や宗教の教えによっては、神の名の元に何かしらの便利な方便が見つかるかもしれない。

 地球にいた頃は日本の八百万(やおよろず)的な信仰で、仏教か神道かも定かでは無い無神論者ではあったが、コーズミマでは余りそういう事を声を大には出来ないだろう。

 なにせ地図の一部に宗教が国の形をしているのだ。それはつまり、単純に考えて宗教がそれだけ大きな役割や意味を占めている事を指す。無闇に無神論者だとか……それこそ悪魔崇拝的な問題発言をすれば宗教絡みの面倒事に巻き込まれるのは避けられない。

 だったら形だけでもこの大地で最も信仰されている宗教に擦り寄っておくべきか。……こんな考え方は、元日本人だからこそだろう。

 とは言え魔物……悪魔のような存在がいる世界ならば神様がいても不思議では無いか。いや、魔物がいるからこそ宗教が力を持ったというべきか。

 仮想敵に対する無意識の正義感が認め難い概念や存在を排斥しようとする考え方は骨身に染みてよく知っている。俺の過去にあったあの現実らしき何かも、俺個人を悪魔にした宗教と言えば高尚な馬鹿騒ぎだと言えるだろうか。くだらない。

 何にせよ、盲目に縋るわけではないが、ユークレースも一つの選択肢か。可能性が増える事は悪い事では無い。この調子でいざと言う時の逃げ道が複数欲しいところだ。

 と、そんな事を考えながら馬車を走らせているとやがて目的地の川に辿り着く。

 ルチル山脈の方角から流れてきている目の前の川はそれなりに大きく、流れはスフェーンの町を囲む堀を通っている。人が流されるほどではないがそれなりの清流で、夏に涼むならいい水辺になるのかもしれないと益体もなく考えながら。

 馬車を横付けし、馬に水分補給をさせつつ最後の仕事に取り掛かる。


「カレン、道具を下ろせ。洗うぞ」

「はーいっ」


 別にこれまで幾度か見てきていて、珍しいものでもないだろうに。川を覗き込んでいたカレンに声を掛けて重い道具を洗い始める。もしかして魚でもいただろうか?


「……もし食えそうな奴がいたら採ってもいいぞ。魚の捌き方も爺さんに教え込まれたからな」

「あぁ、うん。ちがくて。ちょっと思い出してただけ」

「何を……」


 作業の間の気紛れに。珍しく真剣な色のカレンに問い返せば、彼女は辛そうに……けれど何処か嬉しそうに喋り出す。


「ミノに初めて会って、前の町で色々あったでしょ? 私がまだ契約する前。ミノが傭兵の仕事で町の外に行く前のこと」

「……斬新な化粧か?」

「そうじゃないよっ。……そうだけど」


 相変わらず感情の変化が忙しい少女だ。


「あの時に、言われて町の中を流れてた川に顔を洗いに行った時にね、川に映った自分の顔が本当に汚くて……」

「今もだろ?」

「そういうこと一々言わないでよっ!」


 個人的にはあの時よりも炭の髭を生やした今の方が馬鹿っぽい……楽しそうな顔をしている。


「……あの時は、汚れ以上に酷い顔をしてて。だから今は何だかいいかなって!」

「何がいいんだか…………」


 言いたい事は分からないでもない。

 過去の行いがすべて消えるわけではない。例え記憶を失ったとしてもそこに残した爪痕は存在する。

 そんな惨めで地獄の底のような過去に蓋をして、逃げる……のは違うのかもしれないが。いつまでも過去に縛られることなく前を向いて、今を謳歌しようと言うのはきっと間違っていないだろう。

 少なくとも過去に囚われて足踏みをし続けるよりはましだ。

 その前進を、彼女自身が実感できたと言う話に違いない。そのきっかけと言うならば、やはり彼女と交わした契約が転機か。


「ミノだってそうでしょ?」

「俺は荷物が増えただけだ。狙われる危険も倍だしな」


 だからって都合の悪いことから目を背けるわけにも行かないだろうと。

 変わらない今に幸福と不幸を重ね合わせて現実としたまま、今するべきことへ手を動かす。

 そうしてしばらく、他愛なく益体もない暇潰しをしながら道具の掃除をして。粗方汚れを落とすと軽く仕分けておく。

 これらはこの後町に持って行って、修復可能なものは手直し。修復不可能な物は鋳溶かして再利用の道を辿る。主に刃が欠けたり折れたりしている物は鋳造行きだ。


「……こんなものか」

「なんだかちょっと寂しいね。お疲れ様……」


 零しながら欠けたつるはしを撫でるカレン。残念ながら金属の塊に同情できるほど感性豊かでは無い。別にカレンが使い古したわけでもないだろうに。


「あのぉ、すみません……」

「ん?」


 と、人ならざる者の価値観を見せ付けられていたところに聞き覚えのない音が響く。

 背中に掛けられた女の、子の声に振り返れば、そこにはフードを目深に被った少女が立っていた。背丈はカレンより高いか。声のトーンも少し大人っぽくて、俺と同い年くらいかもしれない。


「なんだ?」

「…………ごめんなさい」

「え…………?」


 日暮れにこんな場所にいるという事は旅人だろうかと。ならば道案内くらいはしてもいいかもしれない。見返りに今日の夕食くらいは驕って貰えるだろう。

 そんな事を考えながら疑問を続けたところで、目の前の少女は小さく謝罪の言葉を零す。

 いや、いきなり謝られても……。と、しかし腰が低いなら……などと考えた刹那、伏せていた少女の顔が上がって、こちらを見上げる。

 そうして交わした視線。フードの裾から覗く透き通るような青色の髪は短く、一瞬だけ男かと見間違える。しかしそれ以上に目を引いたのが彼女の瞳。右目が黄色、左目が黒の、虹彩異色。更に不思議なのは、右目が二つ重なっていたことだ。

 正確には、横に長い目の中に、縦に長い目があって。中の目が外の目に対して縦長の瞳孔の様にも見える変わった瞳。

 目の中に90度回転させたもう一つの目があるという異形とも思える瞳。昔、テレビか何かで瞳孔が複数存在すると言う病気を見た覚えがあるが、あれだろうかと。

 思っているとその右目が一瞬だけ光を発した……気がした。

 次の瞬間、倒れるようにこちらへ近づいてきた少女が、手に持った何かを俺の腹に突き立てた。

 鈍く冷たい、硬い何かが膜を引き裂いて進入して来る感覚。遅れてじわりずきりと広がっていく熱さが、ようやく刺されたという事実を脳裏に警鐘として鳴らした。


「ぁぐ……!?」


 いきなりの事でわけが分からない。が、どうやら命を狙われたらしい。

 突然の事に体の力が抜けてその場へ倒れ込む。そこでようやく、目の前の少女が俺を狙ったセレスタインの刺客だと気付いた。

 失敗した。警戒を怠った。浮かれていた。

 後悔が血と言う形を伴って体の外に流れていく感覚。こちらを見下ろす少女の瞳は冷たく、けれど何かに怯えるように揺れていて。それはまるで初めて動物の死骸を見たような、嫌悪と忌避が入り混じった表情。

 あぁ、そうか。こんな子供を使ってまで俺にご執心だったかと。冷たくなっていく指先の感覚に瞼が重くなる。

 致命、失血、ショック、毒……。どれかは分からないが、意識が刈り取られていく。

 考える限りの状況判断は、けれど形にならない。

 …………あぁ、だからこそ、少しだけ惜しい。ようやく手に入れようとしていた自由なのに。目的も定まってきたのに。何でもできる気がしていたのに……。

 違うか、それは俺の力ではなく、カレンの────


『ミノっ!』

「っ……!?」


 考えた次の瞬間。脳裏に閃いたカレンの声に拡散していた意識が無理矢理に引っ張られて集められる。気がつけば開いた視界には変わらない日の落ちた景色と、何事もなかったかのように立っている自分。


「ぅぅう……!」

「ミノ、大丈夫っ?」


 それから俺の足元で少女を組み敷いているカレンの姿があった。

 一体何が……そう理解を求めて回した思考が、やがて現状を把握していく。

 腹の傷は無く、血も垂れていない。ただ少し残る酩酊のような軽い思考の混乱は、自分の体に対する疑念。次いで目に入ったのは足元に落ちた短剣が一本。そしてこちらを見上げるフードを被った少女の姿。

 その瞳。先ほど見た覚えのある虹彩異色と、目の中に目があるという不思議な瞳。

 全く持って想定外の埒外。だからこそ脳裏に閃いた一つの可能性を音にする。


「…………幻術か?」

「うん。今回は私も直ぐに分かったよ。警戒してたし、それにこの子が剣を隠してるのは分かってたからね」


 返ったカレンの声に安堵。それから彼女の素早い対処に感謝する。

 金属に関する感知と、スフェーンの町に入る前の交錯で受けた幻術に対する対策。恐らく契約を介してモニタリングのような事をしていたのだろう。

 幻術は恐らく、魔力の流れから脳に干渉する魔術。だから流れ込んで来る魔力を注意して乱れをキャッチし、幻術で乖離していた意識を契言(けいげん)によって浮上させる。

 鈍らだと何だと色々言ってきたが認識を改めるべきか。過去の失敗をばねにして対抗策へ。失敗続きの過去だからこそ、もう失敗しないと言う彼女の学習能力は、疑問を連ねて理解を深めようとする性格の一角か。

 しかしながら二度も幻術にかかるというのは少し不覚が過ぎると。幾ら対抗策が分からないといっても無警戒だったのは俺の慢心だ。


「……助かった」

「ううん。ミノだって助けてくれてるからね。……それで、この子どうする?」


 素直に感謝を告げてとりあえず一つ終わり。直ぐに話の焦点を足元の少女へ向ける。


「そうだな。とりあえず拘束させてもらうぞ。これ以上命を狙われたら堪ったものじゃないからな。まぁカレンがいれば幻術はどうにかなるし、逃げられると困るってのが本音だがな。カレン、武器は?」

「刃物はもう無いかな。鈍器だと分からない……」

「なら悪いが身体検査だ。カレン、頼む」

「ん、分かった」


 念には念を。突かれた不意を返して自由を奪う。町で買っておいた縄で後ろ手に少女を縛り、武器を隠し持っていないかとフードを剥ぎ取る。それからの事はカレンに任せようと襤褸(ぼろ)を取り上げたところで、思わず手が固まった。


「……おまえ、服は……?」

「…………返して、ください……」


 一応薄着は着ているが、上下一枚ずつだけ。簡単に言えば下着姿の少女は、頬を染めて少し涙ぐんだ顔を逸らす。

 とは言え危険を冒したくは無いと。直ぐに踵を返して荷台に乗せていた麻袋から予備のローブを取り出し放り投げる。取り上げた襤褸に何か仕込まれていないとも限らないしな。


「とりあえずそれを着ておけ」

「ぅんと、ごめんね? 無神経で……」

「……………………」


 同情だとかそんなつもりは無いけれど。理由無く(はずかし)める気は無いと。今のは不慮の事故だ。だからカレン、こっちを睨むな。

 視線で俺は悪くないと告げて背を向け、彼女が着ていたローブを探る。が、武器は出てこず、それ以外に彼女を証明するような物もなかった。

 が、幻術から覚めた思考である程度想像はついている。


「……お前、昼の男の仲間か?」


 僅かな衣擦れはローブを着せている音か。いらぬ想像をと意識から排除するように疑問を投げる。

 幻術。その力で繋がる記憶と言えば、スフェーンの町に着く前に襲ってきたセレスタインの追っ手だ。彼と同じならば彼女も刺客と言う事だろう。


敵討(かたきう)ちって言うならまぁ分からないでもないがな。そうじゃないなら誰の差し金だ?」

「……………………」

「……はぁ…………」


 情報を吐かないのは常套手段。だがこちらも狙われた理由くらいは知っておきたい。そうでなくとも敵が多くて情報が不足しているのだ。得られるところからは可能な限り引き出したい。

 ……気は進まないが脅すか。

 もちろん拷問なんてする気は無い。ただ少し、顔色を窺うだけだ。

 考えて気分を落ち着け魔術で剣を一つ作る。その切っ先を彼女の視界に入れながら問う。


「こっちは命を狙われてる身だ。お前の目的なんて知ったことじゃないが、可能ならそんなものとはおさらばして平穏に暮らしたいんだよ。だからこれ以上事を荒立てるつもりは無い。もしセレスタインの奴だって言うなら、情報と交換に開放してやる。だから帰って伝えてくれ、もう関わるなって。次来たら大事な戦力削いでやるぞ、ってな」

「っ……!」


 最大限の譲歩だ。こんな事で諦めてくれるようなら二年も俺の事を探しはしないのだろうから意味の無い交渉かもしれないが。しかし嘘の情報だとしてもそれはそれで使い道がある。ならば少しでも彼女に利のある提案で何か見返りを引き出したいと言うのが本音だ。

 そんな提案に、けれど少女は涙を浮かべてこちらを睨む。どうやら今ここで口を割らせるのは面倒そうだ。

 と、そんな事を考えた刹那、彼女の右目が淡く発光する。

 事ここに至ってまだ抵抗かと。しかし警戒していれば対処法は幾つか立てられる。

 恐らく目だ。あの瞳を直視すれば幻術に掛けられる。ならば視界を遮ってしまえばいい。落ち着いて剣を彼女の鼻先に突き付けつつ自分は目を閉じる。

 からくりが分かれば単純。だからこそその力は強力で、ある種の称賛に値すると。


「ぁぅ…………」


 考えていると耳が捉えた小さな呻き声。遅れて響いたのは重い物が倒れるような音。


『ミノ、目を開けていいよ』

「ん……?」


 カレンの契言にゆっくりと閉じていた瞼を開けば、揺らいだ焦点が目の前に結ばれて言葉の意味を知る。

 そこには気を失ったのか、目を閉じて倒れた少女の姿。直ぐにカレンが近寄って確認する。


「……魔力切れだね。気を失ってる」

「…………放置するわけには行かないか。カレン、見張ってろ」

「ふふっ、はーい!」


 一体何が嬉しいんだか。

 折角捉えた敵の情報源だ。こちらの腹の中で相手をするのが得策だろう。これでも根競べは得意な方だ。勝負と行こうじゃないか。

 思いつつ残りの道具をすべて洗い、気を失った少女を荷台に転がして町に戻る。

 荷物を届け任務の完了を報告すると傭兵宿に預けていたらしい報酬を受け取って宿に戻る。

 増えた荷物は背に負って。昔どこかで流し見た覚えのある通り、気を失っている人間と言うのは無理な力が入っていない所為か脱力し、その全体重が掛かって重い。お陰で宿に着く頃には肩で息をするくらいには疲れていて、隣でカレンが失礼だなんだとぼやいていた。そんなにデリカシーが気になるなら自分で背負えばいいのに。

 小さく息を吐いて宿の部屋へ。ちゃっかりと増えた客に追加料金を払わされたが仕方がない。後で少女に請求するとしよう。

 未だ気を失ったままの少女をベッドに横たえて一息吐く。


「お疲れ様っ」

「様子は?」

「うーんとぉ……うん。もう少ししたら目を覚ますと思うよ」


 全く、こんな荷物を抱え込むつもりはなかったのに……。どうして無言の圧力に従ったかな。

 今更ながらに己の選択を後悔して、終わった事だと振り払うように途中で買ってきた夕食を食べ始める。

 献立と言えるほど立派ではないが、串焼きとパン。そして粉から作ったスープ。久しぶりに豪華で柔らかい食事だ。これで視界の端に異物が映らなければどれだけ開放的になれたことか。


「ぅ……んんぅ……」

「あ、おきたっ」


 そうして食事をしていると、身動ぎの後に小さく吐息を落として少女が目を覚ました。

 カレンが嬉しそうに声を上げるのを少しだけ見つめた彼女は、それから我に返ったのか逃げるようにベッドの奥へ身を隠してこちらを睨む。


「っ……!」

「まぁ、待てよ。落ち着け。こんな狭い借り部屋で問題起こしてくれるな」

「貴方……なんで……!」

「何でも何も訊きたいのはこっちだ。少なくとも手を出す気は無い。警戒するならその距離でいいから話に付き合え」

「なんで貴方の言うことなんかっ……!」


 随分と嫌われている様子だ。まぁ命を狙った相手と目が覚めたら同じ部屋の中なんて色々考えない方がおかしいか。

 とは言え言葉にした通り荒事にするつもりは無い。当初予定していた脅しもカレンに最終手段にしろと言われたしな。何より食事が不味くなっては適わない。

 しかし、ならばどうやってまともな会話を引き出そうかと。視線で動くなと牽制だけはしつつパンを噛み千切る。

 と、次の瞬間部屋に響いたのは間抜けな空腹の音だった。

 声無き言葉は寝具の向こう側の少女から。自然と集まった俺とカレンの視線から逃げるように体を隠す。……全く、そうではないかと思ってはいたが、我が相棒の勘は嫌なところで鋭いらしい。

 流れた沈黙にくすりと笑ったカレンが、それから(あらかじ)め買っておいた彼女の分の食事を持って近寄る。


「はいこれっ」

「……………………」

「なんで? あなた人間なのに」

「っ!」


 問いかけに震えた肩。想像はしていたが、やはり彼女は人間だったらしい。しかし、だと言うなら疑問が募る。それも彼女に質すべき一つだ。


「……食べないなら私が────」


 よくもまぁそれだけ親身になれるものだと。思った次の瞬間、声無き音が再び事実を示すように応える。その音にカレンが笑みを浮かべて、彼女の傍に食事の入った袋を置いて離れた。

 まるでプライドの高い猫だ。するべき事は一つなのに、それを恥ずかしがるように(かたく)なな態度を取る。こういう場合無理な接触を試みると警戒心を高めてしまう。ならばできるのは見守ること。距離を置いて、相手が警戒心を解いてくれるようにいつも通りに振舞うこと。


「カレン、スープのおかわりは?」

「ちょーだいっ」


 こっちは犬か。猫舌だけど。

 個人的には猫派だ。かまってくれと後ろをついて回られるよりは。自由気ままに最低限の干渉で済ませられる方が気が楽なのだ。前の人生では家で犬を飼っていたから余計にそう感じるのかもしれない。ないもの強請(ねだ)り……手に入れてしまえばその内満足して飽きるのかもしれない。難儀な性格だろう。己の事ながら馬鹿らしい。

 カレンのと一緒に自分の分も用意。それから大喰らいの視線に負けてもう一つも準備する。


「…………なんで……」

「ぅん?」

「なんで、わたしを助けたの……」

「そうしないとこいつがうるさいからな。それに、色々訊きたいこともある」

「……………………」


 カレンの視線を無視してようやく開いたまともな口に答える。

 嘘で飾るつもりは無い。面倒な駆け引きは専門外だ。

 そうでなくとも国を敵に回してまで逃げ回るような馬鹿だ。必要以上を求めてくれるな。


「少なくとも俺たちはまだ自由と生きる事を諦めてないんでな」

「っ……!」


 説得をしようとは思わない。彼女を助けたのだってカレンが訴えたからだ。俺個人としては情報が得られればそれでいい。その後で彼女がどうなろうと知った事では無いのだ。

 大体、命を狙ってくるような輩をどうやって信用しろと言うのか。俺は物語の中のお人好しな主人公では無いのだ。理由も根拠も無く誰かを信じるなんて出来ない。


「悪いが知っている事は吐いてもらう。……出来ないなら出て行け」

「ちょっと、そんなのないんじゃないのっ!」


 カレンはどうやら随分と彼女に御執心のようだ。一体何がそんなに興味を引いたのか……。


「この子は一人なんだよっ。契約痕も幾つか見えるし、力になってくれる人も居ない。それを放り出すってどうかしてるよっ」

「契約痕? 人間じゃないのか?」

「……人間、だよ。でも、わたしと同じでもあるかな」

「……どういうことだ?」


 カレンの言葉に疑問を募らせる。丁度いい、先ほど募った違和感を解決するとしよう。


「そいつは魔の宿った目を持ってるだろう。魔剣……じゃないにしてもそれに類する存在なんじゃないのか?」

「そうだけどそうじゃないのっ。この人の体は人間……魔力で出来てない! でも目だけは魔物と同じ魔力を感じる。なんだか、よく分からないけど、そういうの……」

「魔具か?」

「それよりもっと強力だよ。目だけが魔物……ううん。多分、目に居るの、かな? 目に魔物を、宿してる……?」

「……やめてっ!」


 覗き込むようなカレンを突き飛ばして顔を覆う少女。恐怖に震えるようなその仕草に、小さく息を吐いて尋ねる。


「……お前は何なんだ? 人間か? 魔物か?」

「…………それは……」

「人間だよっ」


 答えたのはカレン。


「人間だよ。理由は分からないけど、目に魔物を宿してる、人間。この子は──人間」

「……………………」


 人間。何度もそう繰り返して紡ぐカレン。その真っ直ぐな瞳を見つめ返して、こんなところで言い争っても仕方ないと追求をやめる。

 魔剣の彼女が言うのだ。ならばそうなのだろう。


「……質問を変える。お前はセレスタインの追っ手か? 昼前に襲ってきた男の仲間か?」

「ねぇ、お前お前って、この子にだって名前が────」

「違うっ、違う、違う! わたしじゃない! わたしが……わたしは、違う……! だって、だって、あの人は……あの人は…………わたし、が……」


 相変わらず名前に(こだわ)る魔剣な事で。仕方ないと更に質問を変えようとしたところで、それを遮るように少女の叫びが部屋に反響する。

 それはまるで何かを……自分を否定するように。過ちから目を背けるように。耳を塞いで目を閉じて。全ては嘘だと世界を閉ざすように俯く少女。

 聞いている方が痛くなるような掻き毟るような声で喚いて、それから殻の中に閉じこもる。

 変な感じはしていたが、どうやら面倒事を背負っているらしい。可能ならば触れない方がいいのだろう。

 ……けれどきっと、そんな痛みを見過ごせない馬鹿が、そこにいて。


「ねぇ、大丈────」

「イやっ!? ……ぁ、ごめ…………っ!」


 カレンが伸ばして触れた指先を拒絶するように払い除けた少女。それから直ぐに我に返ったのか、怯えるように口を突いたのは謝罪だった。次いで無意識の謝罪に気付いて顔を背ける。

 だから嫌だったのだ。面倒事は責任を押し付けてくる……。


「違うの、ごめんなさいっ。そんなつもりじゃ……。その、違くて……!」

「なにが、あったの?」

「っ……」


 最早俺が口を挟むような問題では無いと言うか、口を挟める状況ではないと言うか。少なくともこれ以上言葉を連ねれば今以上に状況が悪化して何も得られなくなる。

 彼女が何者なのか。それを問うにしても、まずはその狂乱から顔を上げてもらわなければならない。獣と話をする術など、俺は知らない。


「……話してくれないかな? 力にはなれないかもだし、話したくないことかもしれないけれど。でも、話してくれないと何も分からない。力になれないとも判断できない」

「……………………」

「ねぇ、いいよね? 私、この子の事、助けたい……」

「…………勝手にしろ」

「ありがと、ミノ」


 馬鹿のお守りほど面倒なことは無いと。どうせ言い出したら聞かない頑固さなのは既に分かっている事だ。彼女に一々真面目に付き合っていたら俺の方がおかしくなってしまう。


「何も出来ないから、聞かせて。他人だから、聞かせて? 関係ないことだから、そっかで終わらせられるから。だから、教えて?」


 それで終わらせるつもりなんてない癖に。だったら許可なんてこっちに求めるなよ。

 思いながらパンをまた一口、少し乱暴に噛み千切って。沈黙のまま俯く少女を見つめる。

 別に、勝手に語ってくれるならそれでよし。その身の上から、得られる情報を抜き出して判断材料と今後の行動方針の糧にするだけだ。


「はいこれ。美味しいよ? 暖かいと柔らかいんだよね、パンって」


 そんなに旅食の固いパンが御気に召さなかったかよ。だったら人の世界でのうのうと生きてればいいだろうが、この我が儘娘が。

 胸の内で悪態を吐いていると、紙袋から差し出されたパンをじっと見つめた少女は、それからおずおずとした手つきで受け取って静かに口に運ぶ。

 咀嚼して。嚥下して。続けて二口、三口とパンを食み始める。

 そんな少女にカレンがほっとしていて、随分なお人好しだと視線を逸らした。窓の外には既に星が見え始めていた。


「隣いいかな?」

「…………ん……」


 短い首肯。差し出された木製のカップを受け取って満たされたクリーム色のコーンスープをじっと見つめる少女。隣でカレンは猫舌を存分に発揮して子供のようにスープを冷ましていた。


「あ、そう言えばまだ名前を聞いてなかったね。私はカレン。あっちの人でなしがミノで、私の契約者。私魔剣なんだ」

「…………ユウ。16歳」

「はぇ、って事は私よりお姉さんだね。あぁ、ですねっ」

「いいです。そのままで」

「そっかぁ、えへへ……ぁちっ」


 カレンは確か15だと言っていたか。そもそも魔剣と人の価値観を同列に語っていいものか。そして何より、あの少女は本当に人間なのか。

 魔の力を宿した目を持つ少女。人であり魔物であり、けれどそれらではないような不安定な存在。

 ……そんな事を言えば、俺だって同じようなものか。偽名を振り翳した異世界人。この世界の人の常識に当て嵌まるような大層な身分ではない。

 全く、カレンに出会って以降面倒が面倒服を来て面倒を撒き散らすような事に振り回されてばかりだ。


「お肉は食べる?」

「……いただきます」


 受け取って一口。カレンの隣に居るからか、彼女自身が余りそういう事に慣れていないのか。表情の変化に乏しく感情が見え辛い。が、少なくとも本気で嫌な事を進んで選ぶような埒外では無いだろう。それだけは、これまでの彼女の言動で分かる。

 失敗をこじらせずに謝れるのは、その心が純粋な証だ。

 しかしそんな彼女も、どうやら色々わけを抱えているようで。中々開かない記憶の調べは葛藤の最中か。

 そんな少女に、けれどカレンは急かす様子は無い。ただ静かに、隣に居て話を待つ。突き放した以上俺が口を挟むこともできずに、またしばらく静寂が満ちる。

 窓の外からは夜の喧騒。静かな騒ぎ声は階下の酒場からか。

 通りの向かい、屋根の更に向こうからは営みの光が淡く上る。遠くには深い色をした山と、天上には少し欠けた白銀の月。僅かに広がる薄い雲の隙間からは、輝く星々が小さな光を覗かせる。

 この一瞬だけ切り取れば、少し田舎な日本の……いや、ヨーロッパの何処かとさえ思えてくる。

 異世界だ。けれど太陽も月も一つで、星だって存在する。意識しなければ、地球のどこかなのかとさえ錯覚する。

 だが確かに、あの過去にはなかった存在と概念がこの世界には存在するのだ。実感などなくとも、厳然たる事実は確かにここを異世界だと教えてくれる。

 と、何かを確認するようにそんな事をつらつらと考えていると、覚悟と整理が付いたのか、やがて複雑に絡み合った沈黙の結び目を解くようにぽつりぽつりと少女が語り始めた。


「……わたしは、多分、人間です。人の体で、人の命で、親も居て、名前も付けてもらった、人間……でした」


 カレンと出会ってからよく考える。人間とは、魔物とは、一体何者なのだろうかと。

 そこにどれ程の差異と同じ部分が存在するのだろう。なぜ、存在するのだろう。


「今よりもっと小さい頃、故郷が魔物に襲われました……。その時に、親はわたしを逃がすために、魔物に殺されました」


 魔物。《魔堕(デーヴィーグ)》と《天魔(レグナ)》の二種が存在する、恐らく人に次いで種としての繁栄を重ねている種族。

 人を襲う《魔堕》と、人に手を貸し《魔堕》を退ける《天魔》。同属同士で起きている世界各地での争い。その意味。理由。


「一人になったわたしは、けれど、逃げ切れませんでした。ただ、死にもしませんでした。助けられた、と言えばそうですし、捕まったと言えばその通りです。わたしは、魔剣を研究しているという組織に連れて行かれました」


 組織。その言葉にカレンの方を見やれば、彼女も気付いたらしくこちらを見つめていた。……まぁいい、それは後にしよう。今は彼女の覚悟を妨げるべきではない。


「そこで検査や実験をされて、この目を手に入れました。彼らの話では魔瞳(まどう)と言う力で、魔剣と同じ《天魔》の宿った瞳だそうです。ただ、人の体を寄り代にするため、《天魔》や魔力の相性の関係で、歴史的に見てもその数は少ないらしく、彼らの言っていた事が本当なら、今この時代に魔瞳の持ち主はわたしだけだそうです」


 魔剣は無機物である金属の剣に《天魔》が宿った存在だ。それと同様に体に……瞳に宿った魔の力──魔瞳。人と魔物の、共生。


「わたしの目には魔物が居ます。彼女はサリエルと言う名前の《天魔》で、けれどカレンさんみたいに自分で動いたり喋ったりは出来ないそうです。彼女の話では、わたしが人間として生きている限りは、わたしの意識が肉体と繋がっていて、表に出る事が出来ないそうで。彼女自身はわたしを乗っ取ろうとか、そういうことは考えてないそうです」


 話から察するにサリエルの寄り代たるユウはサリエルと会話が出来るのだろう。

 簡単に言えばユウと言う存在はサリエルと言う《天魔》と契約した少女で、会話は俺とカレンで言うところの契言に近いものなのかもしれない。

 とは言え幾ら《天魔》と言えど魔物は魔物だ。その言葉をどれほど信用していいのかと言う疑問は残る。もちろんこれは俺個人の考え方だ。ユウはそうではないのだろう。


「力としては幻術を見せる魔術です。この目を合わせた相手の魔力の流れを狂わせて、幻覚のような物を見せる……。この力は、人間だけでなく魔物にも効果はありますが、魔物の場合は契約相手が居ないとわたし一人の魔力では効果があまり望めませんし、高位相手になると殆ど意味がありません。不意をつければ可能性はありますが……」


 その力で俺は二度も幻を見せられたのか。そして、一度目は魔剣の姿だったカレンには目がないから掛からず。二度目は人型ではあったが、今の説明から考えるにカレンは高位の魔物が剣に宿った存在で、効果がなかったと言うことだろう。

 まぁ俺に被害がないとは言え百人の命を喰い裂いた存在がそこらの魔物と同格なわけは無いか。にしては彼女の魔剣としての力は随分と拍子抜けな気がするが。高位ならもっと派手な事をしてみろという話だ。


「そんな力ですから当然のように利用されました。……わたしは今まで三人の人と契約を交わして、全員失いました。三人目は、お二人も知ってるあの男の人、です…………」


 三人と聞いて少ない気がするのはきっと異常なのだろう。なにせ彼女は人間……人と同じ時を過ごす存在だ。十六年……いや、魔瞳の力を手に入れてからだともっと短いか。そんな期間で三人もの相手と契約を交わしたというのは平均的なことから考えれば異常な多さだ。

 恐らくそれくらいに危険な仕事を任されたり、脅威と認定されて狙われたりしたのだろう。それでもどうにか自分の命だけは守った……いや、利用価値があるからと生かされたのか。どちらにせよ、俺やカレンの過去同様、言葉にするのが憚られるくらいの過去を積み上げてきた事は事実だ。


「前の二人は組織で出会った人でした。一人目は女の人で、二人目は優しい男の人でした。……けれどその組織も時間が流れてなくなりました」


 組織。またその名称が出て一段と深く耳を傾ける。


「わたしがいたその組織は、非合法に魔剣の研究をしていたところだったらしく、国が立てた大規模な掃討作戦で壊滅しました。それが、今から三年前のことです」


 三年と言うと俺がまだこの異世界に来る前か。……いや、この世界の時間の流れと地球のそれが一緒なのかは分からない話だ。なにせ時計らしい時計がない世界だからな。体感ではそう差異は無いように感じるが、細かな部分では違うのかもしれない。

 そう言えば暦や歴史に関しては俺もよく知らないな。


「組織がなくなった後は国に保護されました。それがセレスタインです。……でも、場所が変わってもわたしの扱いは殆ど代わりませんでした。どちらかと言うと、国に保護されてからの方が道具として扱われることが多かったように思います……」


 比べられるほど組織と国の事を知らないが、想像なら幾らでもできる。

 研究機関と言う事は人材、資材は貴重だ。非合法と言う事は裏側でひっそりと蠢いていたのだろう。そんな組織がユウのような存在を無碍(むげ)に扱うとは思えない。一般的な生活と比べれば酷い話なのかもしれないが、少なくとも彼女個人が尊重はされていたはずだ。

 しかし国は必要に迫られている。国家を、民を、世界を守る為に。魔物と戦う事を強いられている国は、使える物を最大限利用して理想に手を伸ばすことだろう。その過程で、権利や自由が奪われてしまうのはある種仕方のないことなのかもしれない。

 ユウの力は強力だ。だからこそ、余計に人では無い何かとしての接し方が表に出たのだろう。


「そこで契約したのが三人目でした。あの人は、わたしの事を道具のように扱いました。名前も、誡銘(かいめい)も呼んでくれませんでした」


 名前はレッテルだ。けれども個人を判別する大切な記号だ。愛さえ篭もった存在の証だ。

 それを否定される苦しみは、俺もよく分かる。

 ユウは今でも傷つき続けているのだろう。


「幾つかの任務も受けました。完璧に出来た仕事は余りありませんでしたが、完璧でもあの人はわたしを褒めてはくれませんでした。……でも、実績は確かにあって。だから今回、貴方を狙って捕まえ、連れ戻す命を任されたんです」


 ユウの視線がこちらへ向く。左右で色の異なる双眸。特に右は、目の中に目がある、不気味な────けれど何処か宝石のように輝いて綺麗な、不思議な瞳。《天魔》サリエルが宿る、魔瞳。その視線が痛みに堪えるように逸らされる。


「けれど、貴方を捕まえる事はで来ませんでした。それどころか、こうして情けまで掛けられて、(あまつさ)えそれを受け入れて……わたしは、わたしは…………」


 ない答えを探すように言葉に詰まるユウ。そうして伏せた顔と共に沈黙が落ちる。

 とりあえず、彼女の話は幾らか分かった。同情も出来るし、心優しい馬鹿なら傍に座り込んで、人だとか魔剣だとか関係なく同じように胸を痛めることだろう。

 だが、それは彼女自身の問題だ。彼女がどうにかするべき困難だ。アドバイスや多少の助力は出来ても、最後に選ぶのは彼女自身だ。その一線は履き違えない。

 その上で、俺にも訊きたい事が幾つかある。


「……スープ、冷めるぞ」

「まだ何か食べる?」

「ありがとう、ございます……」


 心優しい気遣い屋なら空気を読むのだろうが、残念ながら俺には心の機微を鋭敏に察知する超能力は備わっていない。ならば開き直ってでも、己の為に素直な疑問を口にするべきだ。例えそれが彼女の過去を(いたずら)に暴きたて、後悔の坩堝(るつぼ)を覗き込む行為だとしても。


「話は分かった。ならば質問をさせてくれ。おま……ユウは、セレスタインからの刺客って事でいいんだな?」

「はい……」

「昼間の男もその仲間……協力者だった」

「…………はい」

「その男はどうした?」

「っ……!!」


 怯えるような震えが彼女の体を襲う。逃げるように目を閉じて、両手で耳を塞ぐ。

 が、その感情の動きに付き合っていられるほどこちらだって暇では無い。そも命を狙う者がこうして同じ室内に居る事を考えれば、一刻も早くこの町を発つべきなのだ。その前に出来うる限りの情報は集めておきたい。

 ……とは言え言葉で押し潰しても今の彼女から訊き出せそうには無い。余り得意ではないが、少し遠回りに引き出すとしよう。


「……どんな事があったのかは知らないが、他人事に聞き流すことは出来る。それが何かを選ぶ代償なら、必要なことだったと根拠もなく肯定してやる」


 耳を塞いだ彼女にこの声が聞こえているのかは怪しい。しかし聞こえているのならば受け入れて欲しい。

 少なくとも、今の俺に彼女をどうにかしようと言う気は無いと。彼女が俺に対して行ってきた事は、一旦棚に上げて今は必要なことだけを求めているのだと。

 そんな俺の言葉は、けれど彼女の耳には届かなかったのだろう。小さく硬くした体のありようは解けそうにない。ならばどうするべきか……。

 考えていると彼女の隣に座ったカレンがユウの肩に優しく触れる。その接触に、びくりと振るわせた彼女がゆっくりと顔を上げる。


「大丈夫。私達は、味方だから」


 勝手に法螺を吹くな。いつ俺が味方だと言った。

 そんな感情が湧き上がったが、けれどカレンの言葉が届いたのか、静かに下ろされた手のひらが力なく床に落ちる。

 その手をカレンが優しく包み込んで、俺には出来そうにない笑みを浮かべる。


「理由もちゃんと聞くから」

「……………………ふ、ぅぅ……」


 続いた言葉に、ようやく彼女の緊張がほぐれた音を聞いた。

 それから数度。確かめるような深呼吸を繰り返したユウは、カレンの手を縋るように握り返して雨漏りのように言葉を落とし始める。


「……あの人、は……わたっ、わたし、が…………わたしが、殺し、ました…………」


 そんなことかと。思ってしまった。

 もちろん心の中では越えてはならない一線を越えたのだと少しだけ驚いたけれども。それ以上に当たり前だと納得した自分がいる事に気がついた。

 彼はユウを虐げていたらしい。その報いに、自ら振り回していた武器を誤って己に振るってしまった。そんな、因果応報だと、納得してしまった。


「どう、して……?」

「……そんなつもりは、ありませんでした。でも、気付いたら体が動いてて。あの人が居なくなったらって、考えたら……そうしたら…………」


 動機としては抑圧からの開放を求めた衝動的で、生物的な欲求。きっと誰しもが持っている保身の為だ。

 そうしなければ自分が死んでしまうから。肉体が死ななくとも、精神が死んでしまうから。最早理知的な方法論が分からなくなる程に追い詰められた結果の、本能的な行動だったのだろう。

 誰だって最終的には我が身可愛さだ。死ねば何も出来なくなる。だから生きて何かを掴む為に必死にもがいて、ユウは今を手に入れたのだ。

 ────俺にはできなかった方法だ。だからその選択を、誤りよりも英断だとさえ思う。

 彼女は──ユウは強く、自分で選んで、生きたのだ。

 地球的日本に当て嵌めるならば、心に起因する正当防衛だろう。

 少なくとも俺個人は、彼女のその選択を間違いだとは思わない。


「わたしが、あの人を、殺したんです…………」

「自分を殺して見失うよりは余程ましだ。ユウ、お前は自分の心に正直だった。それだけだ」

「でもっ、そうしなくてもよかった方法が、どこかにあったかもしれないのに……」

「だとしても時間は戻らない。選択は覆らない。受け入れろって言うのは酷な話かもしれないが、そこまで思い詰めるなら罪滅ぼしでもして自己満足を積み重ねればいいだろ」

「罪滅ぼし……?」

「お前は今を生きている。あの男の命の上に生きている。あの男に、生かされている。だったらその権利を、義務を、心を……捨てる前に信じて前を向くべきなんじゃないか?」


 どう言い飾っても彼女のした事は変わらない。それを建前で固めて罪悪感から救ってやろうとも思わない。

 ここにある今は、彼女が選んだ未来で、これから向き合うべき過去……自分自身だ。


「そんなの────」

「それとも自分で選んだくせに手に入れた物を捨ててみるか? お前が握った命は、悩んだ末に捨ててもいい軽いものだったのか?」

「っ……!」

「本気で何かの罰が欲しいのならば、出るところに出て罪を告白すればいい。その先に自分で選んだ未来があるなら俺には何も言えないからな。……そうでないならば、生きている事を諦めるな。自ら選ぶ死なんて、生きている限りで最も価値のない選択肢だっ」

「ミノ…………」


 他人に説教できるほど己が立派だとは思わない。しかし、反面教師に馬鹿を気付ける毒か薬にはなるはずだ。

 ……これはきっと、俺が自己満足的に彼女を利用して自分を救いたいだけなのだろう。阿呆らしい……どうやら俺は、自殺を選んだ事を今更ながらに後悔しているらしいのだ。あの過去には戻りたく無いくせに、都合の良い事だ。


「結局全てはお前自身の責任だ。悩むのも決断するのも全部な。吐き出して気が済んだなら勝手に答えを見つけてろ」

「ミノ、無責任だよ……」

「じゃあ他人の過去を肩代わりでもするつもりか? その資格がどこにある」

「それは…………」

「いいです……ありがとうございます……」


 どれだけ冷徹だと言われようとも俺の気持ちは変わらない。

 それにカレンに語ったように資格がないのだ。俺も、カレンも。過去に問題を抱えている。どうあっても覆しようのないそのトラウマは、きっとずっと背負って向き合っていく己の過ちだ。自分の事ですらまともに向き合えていない奴に他人の心配をする権利などありはしない。

 甘く見積もって精々が先ほど俺がしたような棚に上げての反面教師面だ。

 ……全く、面倒な話を聞かされたと。寝つきが悪くなったらどうしてくれるのか。

 胸の内でぼやいて食べ終えた食器等を片付け、部屋の灯りを消す。


「ミノ、流石に三人は寝られないよ?」

「寝袋でも使えばいいだろうが」

「……ミノの馬鹿」


 一体何処まで甘いのか。人よりもお人好しな魔剣に溜め息を吐いてベッドに寝転がる。


「あ、ユウさん。これ薬です。使ってくださいっ」

「でも……」

「いいですからっ」


 仕方ないとばかりに己の寝袋を準備し始めるカレン。その際に袋の中から見つけたらしい塗り薬をユウに渡していた。

 まだ残ってたのかそれ。まぁ不必要になって捨てるよりはましか。どうせあげたものだ、好きに使えばいい。

 そんな二人の会話を聞きながらベッドに横たわっていつも以上に疲れた体を休める。と、体は限界に近かったのか直ぐに眠りの底へ意識が落ちて行った。




 板張りの床が軋む音がした。半分ほど浮上した意識が傍に誰かの存在感を覚えた。

 やがてその存在感は薄らと記憶のある部屋の扉の方へと移動して。そこでしばらく留まった後、蝶番の小さな音を静かな部屋に響かせて、閉じられた。

 意識は再び、微睡(まどろみ)の底へと下降していく。

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