第三章
「ほわぁああああ!?」
間の抜けた声を一瞥して、仲間だと思われたく無いと彼女を置いて足を出す。
川の水を堀に利用して周囲をぐるりと石壁で囲った構え。近くに塹壕があったことから考えるに、これまでの歴史で戦の舞台になっただろう地域。その重要拠点として建造されたらしいこの町は、出入り口に跳ね橋を渡した篭城向きの色を宿していた。
堀は人が這い上がれないように深く、石壁までの距離は約30メートルと言ったところか。確か弓矢はそれくらい離れると命中率が落ちるとかで戦いの距離の基準になっていたらしい。また、堀がある事で梯子をかけて上る事も出来なくなり、高所からの撃ち下ろしに攻略は困難を極めただろうと想像できる。
それくらいの要所。だからこそ戦いによって流れる物と金の恩恵を受け、ここまで立派に繁栄したのだろう。
先の町より二回りは大きい立地。ここでなら今まで出来なかった事が色々望めると。
町への出入りに列を成す流れに乗ってしばらく足踏み。その間、隣からは瞳を宝石のように輝かせた少女の喧しい囀りが響いていた。
「近くで見るとおっきいねっ」
「戦いの要所になった場所だろうからな。堅牢な中に繁栄を築くのは自然な道理だ」
「ここならアレもあるかなっ」
アレ。恐らく蜂蜜や砂糖で漬けた果物瓶のことだろう。ここまでの道中でうっかり口を滑らせてしまった甘味。今以上に煩く問い詰めてきた彼女に負けて話したそれに、狼のような涎を垂らしながら目を煌かせた姿はとても馬鹿っぽかったのをよく覚えている。
とは言え保存食としては意外と優秀な部類だろう。漬物は大概日持ちするし、甘いもので漬けたそれはカロリーも高いはず。いざと言う時の食料としては申し分ない。
もちろん、それに見合うだけの値がついてくるし、彼女に管理を任せれば手慰み口慰みに溶けてなくなってしまう事は想像に難くない。出来ることなら売り切れか、取り扱いをしていないのが望ましいが……さてそんな希望が叶うだろうかと。
……いざとなったら自分で買えと押し付けるとしよう。対価もなしに幸を得られるなんて、それこそ甘い話だ。
「目的を忘れるなよ?」
「お土産は必要だからねっ」
それは幽玄いっぱいな土産物ではなく、情感たっぷりな土産話になるのだろうと。
現実を踏み締めるまでにはまだもう少し掛かりそうだと説得を諦めて壁を見上げる。
目的。隣の彼女が自分の身を捧げてまで望んだ探し物。
少女──カレンの名を舌に刻む魔剣の彼女は、友人を救うために俺を頼った。偶然の出会いと、成り行きの契約。傭兵紛いの俺……ミノ・リレッドノーなんてふざけた由来の男に共感と同情を重ねて願った人探し。
カレンは、研究所のような場所から逃げてきた。魔剣を集め、何かの為に非合法な研究をする組織。名前すらもまだ分からないそこに、共に時間を過ごした友人がいるらしい。彼女の話では女の子。研究所からの脱走に際して捕まりそうになったところを、その女の子のおかげで一人どうにか外の世界に逃げ延びられたという話。
そうして手にした僅かな自由で、今度は女の子を救おうと決心した彼女が縋ったのが俺だったと言うことだ。
こちらからしてみればいい迷惑。彼女もそうだが、俺もわけあって国から追われる身。その刺客とも、先ほど一戦交えてどうにか退けた放浪の旅路。望むべくは自由と平穏であり、間違っても騒乱に身を投じるような暇を持て余しているわけでは無い。
もし色々な物を投げ捨ててもいいのなら、彼女を置いて一人で歩き出せばいいのだが……知ってしまった彼女の過去には嫌になるくらい胸の奥が疼いて見過ごす事ができなかった。
宿主を食い殺す大魔力喰らいの魔剣。その過去は、たった15年ほどで100人以上を死に追いやった、鮮烈で混沌とした景色。その結果、歪んでしまった彼女は何処か危ういほどに自分を捨てて周りを頼ろうとしていた。
言ってしまえば関係のない彼女自身の問題。しかし勘違いでも似ていると思ってしまった境遇と、成り行きで追い込まれた現実に取った選択肢。
────私と、契約して
腐っていた膨大な魔力量と、唇まで捧げた誓い。
偶然が噛み合ってそこまで整えられた舞台に……彼女の覚悟に。答えなければ本当の意味で死んでしまうと突き動かされた衝動は、彼女との契りを互いに刻み込んだ。
そうして手にした力。魔剣と言う不思議で強大な形は、記憶の鎖を両断する刀の形をして俺の手に顕現した。
彼女の髪と瞳の色に染められた黒と赤の拵えと刃。研ぎ澄まされた切っ先はこの世に斬れないものなど存在しないと告げるように同属さえ断つ鋭さを宿して。綺麗だとさえ思った彼女の願いは俺に逆境を打破するだけの力を与えてくれた。
そこまで押し付けられて黙っているのは流石に示しがつかないと。仕方なく交わしたもう一つの契約は、彼女の望みを叶える協力者となること。
その願いの為に、追っ手を退けながら歩き出した旅。目的地は今し方辿り着いたこの町。名前も知らない大きな要所に、カレンの希望を実現する手がかりを探して踏み入る。
問題なく町の中へ入れば、そこは人の坩堝だった。石畳の道とその上を行き交う熱。騒がしい音の重なり合いは先の街とは比べ物にならないほどに情報量を交錯させる。
「……すごいね」
「地図から考えるにここは行路の中継地でもあるからな。国境近くだからいろいろな者が集まってこうなってるんだろうさ」
「国境?」
そう言えばその話はまだしていなかったか。ならば丁度いいと最初の目的ついでに彼女の疑問に答える。
「この世界……コーズミマには四つの国が存在する。俺たちが今いるのがセレスタイン帝国……俺が召喚された国だな。その南西の端にこの町がある」
セレスタインはコーズミマの中で西に位置する国。まぁ何処にあろうと今の俺にとっては敵でしかないのだけれども。
「で、この町から更に南に下ると別の国がある。名前は確か……ベリル連邦って言ったか。四つの国の中で最も大きい国だ」
森の中で暮らしていた時に聞いた知識だが、微かにでも覚えていて正解だった。
と、そんな話をしながら探していた雑貨屋で、目的の物を買う。それは地図。コーズミマ全土のものと、この地域周辺を拡大した詳細なもの。……全く、名前がなければ説明するのも面倒臭い。
胸の内で愚痴りつつ落ち着ける場所をと宿を探す。あまり金のかかる場所は選べないと見つけたのは、一階に酒場を広げた木造の宿。丁度一室空いていたらしく即決で部屋を借りると、案内されたのは通りに面した角部屋。煩く寒いが、贅沢は言っていられないと荷物を下ろして一息吐く。
ベッドに腰掛けたカレンが強度を確かめるように小さな体を弾ませる。あの様子なら旅の疲れを癒すのにも申し分なさそうだ。
水差しから一口喉を潤して、先ほど買った地図を机の上に広げる。
「それで? この町の名前は?」
「えっと、スフェーンだな。セレスタインの国境沿いにある、ベリルとの通商路に出来た町だ。セレスタインから言えば南の玄関って事になるな」
二枚の地図。コーズミマを描く大きな方は、四国の名前と王都と大きな町、目立った街道、それから川や山などの自然の目印を刻み、小さい周辺地図には詳しい地名などが載っている。大きな地図にもスフェーンの名があるから、この世界でもそれなりに重要な場所らしい。
「文字は読めるか?」
「読め無い。もちろん、書けないっ」
「威張るな。……なら説明してやるから一度で覚えろ」
「はいはいっとぉ……」
ぎしりと軋んだ木製の寝具の枠組み。それほど神経質なつもりはないが、寝返り一つでもチューニングのできない楽器になりそうだと一瞥して、ベッドから立ち上がったカレンと共に地図を覗き込む。
「西のこれがセレスタイン帝国。前の町、グロッシュラーがこれだな。で、今俺達のいるスフェーンがここ。少し進んで国境、北東から南西に向けて斜めに地図を両断する山々……ルチル山脈の先がベリル連邦だ」
指で示しつつ街道を追ってこれまでのルートを描く。
コーズミマの全容は宝石のピクトグラム……少し歪な五角形を逆さにしたような形で、川や山に幾つかの場所を割かれた世界地図だ。
そう言えば契約痕も逆さ五角形か。偶然か、それとも何かの意味があるのか。まぁ今はいいとしようか。
「ベリルから北東に向かって、このテルル川を越えると東の国、アルマンディン王国。で、今度はアルマンディンからルチル山脈を北西に向けて越えると北の国、ユークレース司教国だな。ユークレースとセレスタインの国境は……あぁジャスパー平原ってやつか。分かり難い境目だな」
セレスタインから左回りでぐるりと一周。初めて見る地名をどうにか読んで想像上での世界一周を終える。
因みにルチル山脈はこの宿からでも薄らとその影が見える。地図の縮尺表示がないから距離感がよく分からないが、少なくとも雲を突き抜けるような標高を国の間に聳え立たせていることから、越境は簡単ではなさそうだと想像くらいはつく。
「セレスタインと、ユークレースの名前は研究所で聞いたことあるよ」
「……って事はその近くにあるってことか?」
些か短絡的かもしれないが、情報である事に違いは無い。少なくとも何かしらの関係はあるはずだ。
「他に何か思い出した事は?」
「うーん…………ないかなぁ」
相変わらず使えない金属の棒だ。
「……まぁいい。お前があてにならないのは今に始まったことじゃないしな」
「むぅ……」
「それより情報収集だ。腹ごしらえもしないとだし、次の糧食……のための金も稼がないとな」
「観光だよっ!」
「一人で勝手に迷子にでもなってろ」
溜息一つ。能天気な魔剣様を突き放して、荷物を部屋の片隅へ。最低限の金だけ持って外に出る。
一階の酒場のカウンターで部屋の鍵を返せば、とりあえずの安全確保。昼食を安く済ませようと酒場でと提案したが、当然カレンには却下をされた。そろそろこいつにも金銭感覚と言う物を叩き込まなければならないだろうか。人間は叩けば金の落ちてくる鉱脈ではないのだ。
「……とは言え聞いて回るのも色々と問題だな」
「なんで?」
「お前がいた場所ってのは研究所って言うより組織って言った方が合ってるだろうよ。魔剣を集めて、実験して、何かに転用する。魔物に人権があるのかって言われたら謎だけれどな、少なくとも非人道的な事をしてただろうさ。そうでなければお前が逃げたくなるような環境にはならないだろ?」
ずっと考えていた。何のための組織なのか。何を目的としていたのか。
魔物……魔剣の研究と言えば聞こえはいいかも知れないが、その実態は自由などない暮らしと強制だ。まともな食事もなく、望まない契約を押し付ける。どう考えても真っ当な地盤の上には存在していない。
「そんな場所の情報を平穏無事に暮らしてるやつが知ってるとは思えないし、仮に嗅ぎ回ってる事があっちに知れれば今以上に立場が危うくなる。それこそ今みたいな観光もどきで町に滞在も出来ないだろうな」
「ぅ…………」
「いわゆる裏の世界。そういう事に詳しくて、口が堅い……互いに秘密を守れると確信できるような相手としか出来ない話って事だ」
探すべくは同属。とは言え当然そんな方向に伝があるわけもない。
「組織の名前でも分かればもう少し簡単なんだろうがな。とりあえずは周りに耳を傾けつつ聞き込みは最小限。顔もできるだけ出すな。いいな?」
「……うん」
虎穴に入らずんば虎児を得ず、とは言うが、それは確かな見返りがある場合に限った話だ。無闇矢鱈に敵を増やすような行いは避けるべき。そうでなくともまだここはセレスタイン内。何処に国の手下がいるか分かったものではない。
「……まぁ契約は契約だ。ここでどうにもならなくとも次がある。その次のために今は派手なことは慎め。ルチルを越えればもう少しマシにはなるはずだ」
敵しかいない現状、どうやって仲間を見極めるか。博打も打てない状況で、自由と言う孤独は動き辛いことこの上ない。
しかしまぁ、頼る先がないわけではない。それこそ同属……傭兵の情報網を少し使えば爪先に何かが引っかかってくれるだろう。
「ルチルって山脈の事だよね。越えたらどうなるの?」
「……何のためにさっき地図を教えたと思ってるんだ」
幾ら人の世界に疎いとは言え、そこまで根本的な疑問をもたれると子守が辛くなる。
「ルチル山脈は国境だ。越えたらその向こうはベリル連邦……他国だ。そうすれば少なくともセレスタインのやつらが大手を振って追いかけてくるなんて事が出来なくなる。俺一人のために国の均衡を崩すわけにはいかないだろ?」
「…………そうダネ……」
分からないなら素直にオウムにでもなっておいてくれた方が幾らかましだ。なんで意地を張ろうとするのか分からない。
「人の世界は一つじゃない。国が複数あるように、考え方もあり方も様々だ。だから人間同士だって争う。魔物だって《魔堕》と《天魔》で衝突してるだろうが」
「うん」
「けれどそんな諍いをしてると横から割って入ってきた魔物にとって食われかねない。だから仕方なく人間は隔たりを横たえたまま仮初の協力関係を紡いでるってわけだ」
実際はもっと複雑な話。政治的、軍事的、文化的、宗教的な理由が絡み合って水面下の牽制をし合っていることだろう。しかしそんな事、俺個人からすれば関係のない話だ。
「なるほどね……。ってことはあの山を越えればいいんだねっ」
「もちろんベリルに行ったからって完全な安全が保障されるわけじゃない。ただ少なくとも今よりは楽な生き方は出来るだろうって話だ」
世界に楯突くようなことさえしなければ世界中に狙われるようなことにはならない。だからミノ・リレッドノーなんて個人が世界に周知されていない筈だ。
それにセレスタインだって俺個人を理由に他国へ付け入る隙を与えるようなことは出来ない。政治的に考えても、今はまだ大丈夫だ。
「それに最悪亡命って手も使えるしな」
「亡命は知ってるよっ、助けてくれる人のところに逃げることだよね。私は今ミノに亡命してるっ」
知ってる単語が出たから話の乗る。お前は子供か? ……子供か。15だからな。
「……亡命してセレスタインの情報を売るとか、お前を交渉材料にすれば今より待遇はよくなるしな」
「え…………?」
「当然だろうが。お前はまだ何処の国にも属してない魔剣だ。扱えるかどうかは別として、同属さえ斬る力は抑止力になる。セレスタインに限らず何処の国だってお前の事は欲しいだろうさ」
「……………………」
事実を言ったまでだ。それだけの意味が彼女にはあるということ。そう考えられるくらいには、俺だって彼女の事を買っている。
「そうすれば俺はようやく交渉の椅子につける。どこの国に与するにしろ、こんな根無し草な生活とはおさらばできる」
もちろん問題がないわけではない。亡命と言っても後ろ盾がない。つまり助けてくれと懇願したところで、混乱の材料だと切り捨てられればそれまでだ。交渉材料こそまだあるだけ他の選択肢よりましと言えるが、博打であることには変わらない。
繋がりを持たない自由は無力と同義だ。
「…………ミノ……」
そんな事を思っていると隣からあがった不安に揺れる声。視線を向ければ、恐怖の詰まった釜を覗き込むように唇を噛み締めて葛藤する少女がいた。
「……だがな、そうすると今の自由はなくなる。自由がなくなるとまたこの世界に来る前に逆戻りだ。それにな────」
絆されたとか、同情だとか。そんなのは理由の一つで、建前で、ただの言い訳だ。
「幾ら相手が魔剣だとしても、約束は約束だし……俺は俺に嘘を吐きたく無い。成り行きで、軽率な判断だったと今でも思うけれどな。少なくとも一度口にした言葉を反故にするような、そんな慮外者になりたくは無い」
日本に生きていた頃に、いた。期待させるような事を言って、当然のようにそれを裏切った奴が。責任感も自分もない、流れに身を任せて生きてるような、薄い奴だった。
嘘を吐く事に痛みを感じない人間。生温いところで生きてきたんだろうなと、当時は心の中で馬鹿にさえしたけれど。
今は彼のお陰で一つ学べた。
「責任の取れない人間に俺はなりたく無いからな。逃げる時でもないのに逃げるような卑怯は敵を増やすだけだ」
馬鹿になろうと思えばいつでもなれる。諦めようと思えばいつでも諦められる。
だからそれを最終手段に……伝家の宝刀にして自分にとってよりよいと思える選択肢を選ぶのだ。
「分かったら最善を目指して出来る事をしろ」
「う、うん……!」
説教なんて柄でもない。しかしこれ以上面倒な面構えで隣にいられてはこちらが滅入る。そうでなくとも能無しなのだから要らぬ世話は焼かせないで欲しいものだ。
溜息一つ。それから目に付いた店で串焼きを二つ買って片方をカレンに差し出す。
「とりあえず日銭だ。傭兵の仕事もあるが、荒事に関わればそれだけ記憶に残りやすいからな」
「簡単に稼いだりとかはー…………」
「あるぞ?」
「なにっ?」
「お前を売る」
口にした途端、フードの内側、顎の下に突く様に冷たい尖った物が出現した。フードの下の小さな隙間に剣を作り出すなんて器用な事が出来るもんだな。
「……冗談だ。んなことしたら足がつくだろうが」
「冗談でも、そういうこと言わないでよ…………」
俯いたカレン。彼女とであった頃に考えていた最も簡単で愚かな方法。だが契約をした今、そんな選択肢は存在しない。
と、そこまで考えて脳裏に閃いた仕事が一つ。
「冗談だが、ある意味では冗談でなくなる仕事もあるぞ。もちろん危険は最小限だ」
「…………どんなの?」
「魔力石の生産と販売だ」
「魔力石?」
魔物には馴染みのない単語だったらしい。……そう言えば使うのは人間だけだったか。
「魔力石ってのはその名の通り魔力を込めた石だ。中に込められた魔力を消費して色々な物を動かす……簡単に言えば魔具の燃料だ」
「うぅぅぅん?」
どうやら納得がいかない説明だったらしい。
「……何が疑問だ?」
「それって普通に魔力を使うだけじゃ駄目なの?」
「人間は魔物ほど魔力の扱いに長けてないからな。例えば、そうだな……なぁ、剣を12本作って半分を前後に3本ずつ待機、残った6本を更に半分にして左右に待機。その後、目の前から左周りに順に射出する……できるか?」
「うん」
「だろうな。だが人間は、例え剣を同じ数だけ作れたとしてもその場に待機させておくことすら出来ない。持続的に魔力を用いて細かい運用をする事が出来ないんだよ。魔剣みたいな奴と契約してれば別だがな」
人間ができるのはせいぜい魔力を一時的に放出することだけ。魔物が得意とする魔術は当然使えない。本当に、魔力を持ってるだけの生物だ。
「けど魔力石は持続的に魔力を消費させ続ける事が出来る。ランタンを使っただろ?」
「うん」
「あれも魔具でな。魔力を込める事で光を発する。けれど使うには手に持ってずっと魔力を使い続けないといけない。そうしてると片手が塞がるし、何も出来ないといざと言う時に足を掬われる」
「そっか、その変わりに魔力石を使って魔力を供給し続けて、手放しに色々な事を同時進行するんだっ」
どうやら納得に至ったらしい。事、魔力が絡むと物分りがよくて助かる。
魔具の使用には魔力が必要で、その行使にはある程度自由を捧げる必要がある。その自由を肩代わりできるのが魔力石。そして空いた手で別の仕事をする事で便利と効率化を図れる。
「もちろんランタンだけじゃない。様々なものに流用できる。例えばそこの明かりとかな」
言って視線を向けたのは傍を通った街灯。金属の棒の先端に硝子で覆った灯りの種を頂いた景色の一つ。
「あれも魔具で、ランタンと同じ理屈だ。暗くなれば光って足元を照らしてくれるが、魔力が必要。けど明かりをつけるのにいちいち魔力を込めるのは面倒だろう? 必要な時に点いてないと困るしな」
「それを魔力石で動かしてるってことだねっ」
「灯りは基本魔具だし、建物で火を使う時もそうだ。火石なんて旅する時か、鍛冶みたいな高い熱が必要な時にしか使われない」
火石は便利だ。なにせそれ一つで火種を持ち歩ける。例えるならライターだ。旅の身でかまどを持ち歩くわけにはいかないからな。もちろん、便利な分だけ値は張るが、荷物が重くなるよりはましだろう。
「用途がそれだけあれば需要も上がる。需要があれば供給に意味が生まれる」
「……それで、生産ってどうするの? 冗談がどうとかって言ってたけど……」
「空の魔力石に魔力を込める。で、それを売る」
「…………それだけ?」
「それだけだ。……だが、自分で生み出したものを売るんだ。価値は当人に直結するし、身を切ってることと代わらない。間接的とは言え、自分を売るんだよ。それが冗談だが、ある意味では冗談でなくなるって事だ」
魔力は髪の毛や爪みたいなものだ。自然に元に戻るけれど、失えばそれもまた意味を持つ。
魔術的な話、人の毛髪は触媒になったりする。それに確かな価値を付けて売買する……。そう考えれば非枯渇資源とは言え己の一部を、己に価値を付けて売っていることと同義だ。
「人間にしてみれば魔力なんて腐る概念だ。身一つで魔術を使えないからな。だから有効利用としてそういう商売が成り立つ。けど魔剣……魔物は違うだろう? お前らにとって魔力は生命力とも呼ぶべき力だ。契約してればまた別だろうが、魔力石の生産には己を費やす。価値観の違いで、納得してるなら別に口を挟む事でもないけれどな」
「……………………」
彼女が黙り込んでいる理由は分かる。それは魔物の世界で言うある種家族のような話に繋がるからだ。
「……ミノは、魔具がどうやって出来るか知ってる?」
「偶然か、はたまた魔力石のように意図して魔力を注ぎ込まれた物質が魔の性質を持った物。それが魔具だな」
「魔物は魔力を消費して魔術を使う。それ以外にも、存在のために魔力を消費する。それらの際にね、僅かな魔力が辺りに漏れ出るんだよね。今も凄く微弱だけど、私の周りに魔力が帯びてる」
その話は森の中にいた頃に爺さんに聞いた。人が生きていれば熱を発するように、魔物は魔力を発する。
「こうして歩いてるとそうでもないけれどね、一所に留まったりすると、溢れ出た魔力がその場所に溜まって、過ぎる時間の中で傍にある自然の物が魔具に変化するの」
同様に、魔力を湛えた地域と言うものも存在する。その地域から採れる鉱石などは、長い年月をかけて魔具になっていたりして、火山近くなどでは火石が採れたりする。
「魔具はゆっくり時間を掛けるとその分だけ強力なものになるの。それだけ長く一箇所に留まるとね、愛着も湧くんだよ。住み心地って言うのかな。多分自分の魔力に囲まれるから安心するんだと思う」
「けれどそれは人からすれば脅威に映る。魔具に囲まれた魔物。何がきっかけで暴発し、人の世界に災いを振り撒くか分からない存在。だから討滅したり、出来ない場合は力を奪う為に住処から魔具を盗み出す。それが人の世界では便利な道具として売られてる。グロッシュラーで世話になった商店も確か魔具を扱ってたって言ってたな」
魔剣持ちの女性。カレンと契約をしていなければ俺の命を奪っていただろう人物。彼女のお陰で──所為で今こうしてここにいる。
「もちろん魔物の方だってそれを簡単に人に渡したりはしないよ。だって自分の魔力から出来た魔具……意思とか心は無いけれど、子供みたいなものだもん」
それが基本的な魔物の価値観。例え自分が生み出したものではなくとも、同属が育てた結晶。それを売るなんて、人の世界で言えば人身売買に準ずる行いだ。
「私もね、研究所にいた頃は似たような事をしてた……と言うかさせられてた。部屋の中に魔具になりそうな物が一緒にあって、魔具になったら回収されて、多分売られてた」
効率的だといえばその通り。人工的だと思うか、天然のものだと思うかはその人次第だろう。俺からしてみれば意図的に作られた人工物だが。
「その事があるから、ミノの話はやっぱり少し納得できない部分がある。けれど私が簡単に役立てるって言うのも、理解できる……」
「別に押し付けるつもりはねぇよ。契約しといてなんだが、お前の自由を侵すつもりは無いからな。誰だって生理的に嫌なことくらいあるだろうさ」
「うん…………」
「その上で一つ俺が言える事があるとすれば、働かざるもの食うべからずって事だ。魔力石が嫌なら、別の方法を探せ。自分で選んでこそ自由だ」
「……うん」
わかりきった事だが、人の世界は人の為にある。当然、魔物にとって住み心地はよくない。
それでも自分を殺して人の世界に馴染むというのならば、いくらかの我慢は必然だ。郷に入っては郷に従え……なんて強制染みた事を言うつもりは無いけれど。人の世界で人ならざる者が生きるというのはそういうことだ。
人間だってサバンナや無人島で生き残ろうと思えば弱肉強食に従うのが理に適っているだろう。
……とは言えそう簡単には割り切れないか。そこに関してカレンの事を判断するなら、悩むだけ人間らしいことだ。
「まぁ俺個人にしてみれば魔力で剣を作り出すのと大差ないからな。自分を分けた『者』とするか、自分で作った『物』とするか。結局価値観の問題だ」
「……名前の話に似てるね」
名前。俺と彼女にしてみれば、大事な概念だ。偽名でも、第一印象でも。名前には──魔力が宿る。寿限無なんて古典があるくらいだしな。
と、何かに気付いたらしいカレンが居心地悪そうにこちらを窺ってくる。
「どうした?」
「…………うん、と、ね……? 訊きたい事があるんだけど、真面目に答えてくれる?」
「答えられることならな」
随分な前置きだ。そんなに大切なことか?
考えていると悩んだ末に覚悟を決めたらしいカレンが、その赤い瞳で真っ直ぐに問う。
「ミノにとって私は、者? それとも、物?」
忌避するような疑問。今にも泣きそうなほどに揺れる瞳は、けれどそこに刻まれる真実を見逃さまいと焦点を結ぶ。
その視線の先で、考えるように口を閉ざす。
沈黙は行き交う雑踏に塗り替えられて。照りつける陽光が嫌に暑く感じる。
時が止まったかと錯覚するような僅かの間。やがて震える拳を見て、小さく息を吐いた。
「……実を言うとな、ずっと考えてた。人か、魔物か。魔剣には違いないが、知らなければ人にだって見間違える。それくらいに境界なんて曖昧で、俺にしてみればどっちも同じだ。だから決めろ」
「え…………?」
「お前が自分を人だと言うなら人として。魔物だというなら魔物としてその決断を尊重する。考え、他と意思を交わす相手を決め付けるなんて、他の誰にも出来ないことだからな」
言い訳だ。方便だ。聞こえのいい言葉だ。
そんなのは分かりきっている。こんな丸投げは、ただの逃げだ。
しかし同時に、本心だ。俺には、彼女を左右するだけの権利は無い。
されて嫌な事をするな、なんて当たり前の道理。しようと思って出来ない良識を意識して選ぶ。
いつだって、第三の選択肢があってもおかしくは無い。1か0か。そんな両極端な世界は、何処にもありはしない。
「……ただまぁ、あれだ。選ぶ権利があるってのは、それが一つの理由って言うか…………」
「…………ふふっ」
「笑うなよ」
素直になれないのは、過去に言ってくれ。
「それじゃあカレンでいいよっ」
「なに……?」
「人でも魔物でも、魔剣でもない。私は、ミノのカレンっ」
言って笑顔を浮かべるカレン。
第三の選択肢どころか、概念が作り出された。
「だからお願いを一つ、いいかな?」
「……何だ?」
「カレンって呼んで? お前とかそういうのじゃなくて。カレンって。ね?」
擽ったそうに。恋焦がれるように。舌の上で楽しい味を転がすが如く何度も音にするその名前。
「ミノ、気付いている? 契約で名前をくれた時以外、一度も私のこと名前で呼んでくれてないんだよ?」
「……………………」
指摘されて思い返す。確かに彼女の事を声に出して名前で呼んだ事は無い。
理由を、見つけるのなら。怖いのだ。
名前にトラウマを持つからこそ、自分が付けた名前を否定される事が。その音に声が返らない事が。
だからきっと、心のどこかで避け続けていた。
「ねぇミノ。お願い。名前で呼んで? 名前を、呼んで? ミノが決めてくれた、ミノしか知らない、ミノだけの私の名前」
しかしそれは、彼女も同じだったのだろう。
与えられた名前。受け入れた名前。だというのにそう呼んでくれない契約者。
顔に出さなかったのは、押し殺していたのか、俺が気付かなかっただけか。
「ミノ」
それもまた、大切に抱きしめるように。大事な大事な宝石を優しく撫でるような呟き。
世界に一つしかない、魔法の響き。
「……カレン」
「うんっ!」
「往来で恥ずかしいことを口走るな」
「なっ!?」
続けた言葉にありえない物を見るような目を向けた彼女。その呟きは、彼女に対してか、自分に対してか。
それから逃げるように足を出せば、怒ったように後ろを追いかけてきた少女が隣に並んで唸る。
「うぅうぅぅうううぅ……!」
「種族に加えて言語まで開発か? 新進気鋭だな、カレン」
「なぁあああっ!!」
何かが爆発したらしい。始まりには必要だろうからな。超新星だろう。
相変わらずからかい甲斐のある奴だ。……が、彼女の事を認めてしまったからにはカレンと言う存在として向き合わなければ。責任は関わった時には既に生じている、なんて馬鹿みたいな話だ。
人語を介すまでにはもう少し時間が掛かりそうだと、そんな事を考えつつ魔具の商店で空の魔力石を貰う。
麻袋一杯に入った沢山の中から一つ取り出して握り込み、随分と加減して魔力を送り込み始める。
カレンが言った通り、魔力石に限らず魔具は掛けた時間によって品質が変わる。一度に変化を促す魔力はごく微量。それを長く続ける事で自然の物が魔力を内包して魔具に変化する。
だから幾ら大量の魔力があっても、一定の品質までにはほかと同じだけの時間が掛かるし、出来上がったものに基本的な差異は無い。
基本的、と言うのは当然例外もあるということだ。
今までに集めた情報を総合して考えると、魔力には属性……性質のようなものが存在するらしい。
カレンが言っていた。魔力は水や炎……物質を作り出せると。しかし彼女はそのつくり方を知らない。代わりに金属……剣に関する事は彼女の得意分野だ。
また先の刺客。幻術を魅せてきた彼の事も合わせて考えれば、何かを作り出すほかにも、精神などに干渉する技もあると言うことだ。それもまた魔術であり、特別な力。
このことからそれぞれに得意不得意があると考えるのが妥当。そしてそれらはすべて魔力に由来している現象だ。
ならば魔力には性質があるということだ。
個人が持つ魔力の得意不得意。いわゆる天性の才のような物は魔力によって異なる。と言う事は魔力によって作られる魔具にもその影響は出ることだろう。
例えば魔力の質。物質的に考えて重い魔力と軽い魔力があった場合、密度にも差が出るはずだ。
同じ時間を掛けて作り出した魔力石が、そこに込められた魔力の質によって変化をするのならば、魔力石一つを考えてみても小さな質の違いが生まれる。
恐らくそう言う由来から完璧な均一性は無いはずだ。
まぁ魔力がすべて同質ならば、火石のように一つの属性を特別秘めたような魔具は無いのだから当然のことかもしれないが。
……しかし、となると俺の魔力は一体何処に縁を持つのだろうか。それが分かれば魔術を一人で使えそうな気もするけれど。
「……ねぇ」
「なんだ?」
考えているとようやく人の世界に戻ってきたらしいカレンが尋ねてくる。
「その魔力石って一個どれくらいで売れるの?」
「……質にもよるだろうが、掛かった日数の三分の一倍の銅貨くらいだろうな」
三日で銅貨一枚。だが三日で出来るようなのは石ころ同然の金にならないがらくただ。金になるのは十日を過ぎた辺りからのもの。手軽だからこそ誰でも作れて、その分消費され需要と供給か動く。だから商売になるのだ。
因みに魔力は保有量に比例するように放出量が変化する。それは火石の暴発や大剣の生成などから分かる事だ。が、そんな膨大な魔力を一度に流し込んでも早く完成するわけでは無い。だからあまり好んで作る物は居らず、小遣い稼ぎとしてよく子供がしているというのを森にいた頃に爺さんに聞いた。
「宿に泊まるのが銅貨三枚、だっけ?」
「素泊まりならな。食事がつくと五枚くらいだ」
「へぇ……まぁいいや。……と言う事は、えっと……三日で一枚だから…………九日?」
「正解だ」
「やったっ」
これまでの旅路で分かった事だが、カレンは計算が苦手だ。と言うか計算が遅い。
別に数字が苦手と言うわけではないらしく、まともな勉強をして来なかった弊害だろう。魔物に勉強が必要かといわれれば疑問なところだが……。
しかしその事をからかって以降、彼女は意欲を見せていて、今みたいに考える事をやめようとはしない。また頭の回転は速いのか、単純計算くらいなら時間を掛ければ既に暗算で出来ている。三分の一と言う分数に関しても理解はしているし、この様子なら数日後には四則演算は簡単にこなせるようになるだろうかと。
「……でも九日で一日分の宿代って足りないよね」
零した言葉は子供の疑問そのもの。そんな疑問盛りな彼女を見て少しだけ疼いた感情が音を零す。
「確かに時間が足りないな。なら足りなければどうする?」
「……増やす。ミノが増えればいいんだっ」
「そうじゃねぇだろ…………」
「……ぁっ……魔力石を、増やす……」
どうやら気付いたらしく恥ずかしそうに顔を伏せて訂正するカレン。が、自分で気付いただけ賢いというべきか。
そんな彼女を見ていると、また少しだけ疼いた胸の奥が言葉を連ねる。
「何個に増やす?」
「九個。……だけどそれだと食事とかのお金が足りない、から、えっと…………」
そうしてまた悩み始めるカレン。そんな様子にやはり疼くこの気持ちは……もどかしいという感情か。
けれども彼女が賢いから。考える事を諦めないからこそ、教える事が少しだけ楽しく思えてしまう。
言ってしまえば自分が知っている事に対する優越感なのかもしれないが、俺にも彼女のように分かる事が楽しかった時期もあったのだと思い返す。それこそ、まだ名前を理由に持て囃されていた昔のことだ。
……いつからだろうか、勉強を苦痛に感じたのは。
楽しみを他に見出し、勉強に煩わしさを感じ、やがて勉強そのものが嫌いになってしまう。勉強が嫌いになるから苦手な教科が増えて、更に勉強が楽しくなくなる。
もちろん楽しみが増える事が悪いとは思わない。ただ、機械的な勉強に楽しさが感じられなくなったのは……あぁ、いや、違うか。俺の場合は、学校が嫌になったから勉強が嫌いになったのだ。
友人関係。自己の確立。多感な子供だからこそ生じた隔たりに、何もかもから興味がなくなってしまった。だから俺は、勉強が、学校が嫌いになったのだ。中学のテストの点数も、よく平均の半分を割っていた。
「……60個。一日60個! そしたら宿も、ご飯も全部足りるっ」
けれどカレンは、まだそこまで至っていない。知らない事を追いかける事が楽しいと感じる、スポンジのような探究心。
だから意地悪に、うさ晴らしに……己の後悔を繰り返さない為に。前を向いていてくれればそれが嬉しいのかもしれないと。
酷い自己満足だ。
「節約すればもう少し少なくてもいいけどな。で、それが二人分だと?」
「120っ」
「けど残念だな。人間はそこまで器用に魔力の運用が出来ない」
ようやく出た結論。少し遠回りした答えに、カレンがこちらを見つめる。
魔力石の単価は低い。しかし一度に複数個を作る事が出来ればそれだけ時間あたりの儲けが大きくなる。
当然それだけの魔力が必要だが、俺にしてみれば腐るほどに持て余しているのだ。金にするには持って来いの商売だろう。
が、今語ったように人間はそもそも魔力の扱いに秀でていない。だから魔力石を利用してマルチタスク紛いの日常を過ごしているのだ。その前提……魔術使えない魔力の壷が、どうやって矛盾を解消するのか。
その答えに、カレンが至って零す。
「…………だから、私に作って欲しい、んだよね?」
「強要はしない。だが一番楽な方法だ。俺が魔力を供給し、それでカレンが魔力石を作る。そしてそれを売って、伸びた生きる時間で更に魔力石を作る……」
一応一度に複数個作る裏技もないわけではないが、当然リスクもあるわけで。無茶をしたくなければ正攻法でどうにかするのがいいだろう。
と言うかそもそも魔力石の生産は持ち歩くだけで出来るという手間の掛からなさから、本業の片手間にする小遣い稼ぎだ。それ一つで生計を立てようなど普通はありえない。
そのありえないを、魔剣の力を借りてありえる方法にしようと言うのが今回の提案だ。
「どうする?」
「……………………」
問い掛けには沈黙。何度も口にしたが強制するつもりは無い。嫌なら別の方法……傭兵の仕事でもこなすだけだ。どう考えても効率はそっちの方がいいしな。
ただ一番足の付きにくい方法だからと日和ってるだけだ。
そんな事を考えながら静かに歩く。隣のカレンは悩むように顔を伏せ、それから食べようとした串焼きを既のところで下ろして見つめる。
「豚……」
「どうした?」
「この肉も、人が育てたんだよね?」
「野生の物でないとすればそうだな。育てて、屠殺して、加工して、血肉になる」
人は他の命の上に成り立っている。植物だって生きている。木の実も、野草も、山菜も、果物も。ベジタリアンを気取って動物を食べなかったところで、別の命を食んでいるに過ぎない。本気で命を奪う事が嫌なら、水を飲んで土でも食って生きてろと言う話だ。
「弱肉強食、だっけ……」
「家畜がそこに含まれるかは疑問が残るけどな。少なくとも他の命に俺たちは生かされてる」
「……………………」
手元の串焼きをじっと見つめたカレン。やがて彼女は覚悟を決めたようにそれにかぶりついて食い千切り、咀嚼して嚥下する。
「…………うん。分かった。でも割り切ったわけじゃないよ。抵抗はある。だから売るのはミノがやって」
「あぁ、分かった。なら頑張って歩け」
「う、ん……って、えぇええ……?」
「自分で言ったんだろうが、一日120個だって」
「そうだけどぉ……」
言質は取ったと。応えるように差し出したのは空の魔力石が一杯に詰まった麻袋。それが全部で五つ。
経験上一つの袋に20個から30個の魔力石が入ってる。彼女が自力で導いた通り、二人分の宿と食事代を稼ごうと思えば必要な量だ。
「魔具になる物と同じで近くにあるだけで影響を受ける。腰にでもさげとけ。2キロくらいだ」
「うぅぅ……!」
「その分魔力を供給してやるから問題は無いはずだが?」
「……いいご身分だねっ!」
何と言われようと知ったことか。彼女が了承した事実は揺るがない。それに……。
「あと分かってると思うが一日分が金になるのは十日後だからな? つまりそれまでの金も必要だ。仕事探すぞ」
「ミノの嘘吐きっ」
「身に覚えのない事を言われても知るか」
嘘を吐く事と真実を言わないことは同義では無い。少なくとも、俺は意図して嘘を吐こうとは思わない。吐かれた側の気分は、嫌と言うほどに知っているから。
「とりあえず傭兵宿だ」
「はーい……」
「これだけ大きい町なら任務も色々あるだろうさ」
仕方のないこと。必要なこと。そう言い聞かせて面倒なその日暮らしに足を踏み出す。
隣を歩くカレンは、やりきれなさをぶつけるようにまた一口串焼きを噛み千切っていた。……折角命のありがたみを知ったんだ。もっと上手そうに食えよ。
情報収集も含めて傭兵宿でしばらく休憩と言う名の時間を消費すると、近くの坑道に行って採掘された鉱石等を運ぶ依頼を受けた。
この手の依頼はその日の日暮れ、仕事終わりに定期的に発布されるもので、町までの運搬の人手を募るタイプのものだ。こう言った仕事は幾ら人がいても困らない。仕留めた獲物や釣果、産出品以外にも、重い道具などの運搬は一日中体や精神を酷使して仕事をする者には辛い片付けだ。運搬だけなら馬車を引くだけでいいと、報酬こそ安いが日に一回ほぼ確実に受けられるのが強みだろう。
とは言えこの町で仕事をして長い者たちからすれば余り実入りの多くない仕事。基本御者台で手綱を握っているだけの仕事は、傭兵にとっては退屈な限りだろう。
因みに傭兵を雇うのはいざと言う時の戦力の為だ。採掘された鉱石の中には、稀に魔具となっている魔力を宿した物が存在する。それに釣られて魔物が寄って来たりと言う話が時折存在するのだ。
そういう場合の魔物は大抵低位の存在で、傭兵が数人いれば退ける事が出来る。言わば護衛を兼ねた運搬作業だ。
もちろんそんな頻繁に起きる問題では無い。戦いを生業とする傭兵がするほどの仕事ではない。
例に漏れず今回この任務に名乗りを上げたのはミノとカレン。そしてほぼ毎回この仕事を請けているという若い男だけだった。
貸し出された馬車は彼と俺とで二台。カレンは荷台で暇を持て余している。
隣の馬車では久しぶりの同業だと嬉しい様子の男が目的地までの暇潰しにと話題を提供してくれる。
「いやぁ、君が受けてくれよかったよっ。今日は鉱脈に当たったらしく随分な量が出てるって聞いたからね。三往復は覚悟してたんだ」
「回数に応じて報酬が増えたりとかは?」
「ないないっ。本来なら俺らに回ってくる仕事でもないんだからさ」
「傭兵って大変だねー」
呟きは荷台から。何度も鉱石を運んできたのだろう板張りの荷車は、石炭などが擦れたのか自然の塗装がなされている。そんな場所で寝転がっていた所為かローブは斑模様に。顔には奇抜なメイクが一筋走っていた。
そんなカレンを見て陽気な男が笑う。
「嬢ちゃん、綺麗な顔が台無しだぜ?」
「え、うそっ、どこ!」
慌てて顔を擦り始めるカレン。お陰で手についていた炭で更なるナチュラルメイクが重ねられた。
また一つ肩を揺らした男が、それから馬車を寄せて小声で問うて来る。
「んで? 兄ちゃんの女かい?」
「あんな子供がか?」
「若い方がいいだろぉ?」
「財布でも持たせればそんな気は一切起きなくなるさ」
「ははっ、大変だぁねぇ」
確かに顔はそこそこかもしれないが、それだけだ。外見以上の子供っぽさに大飯喰らい。どうやってあいつを女として見ろと言うのだろうか。冗談も大概にして欲しい。
顔に出せば返ったのは陽気な笑顔。能天気と言うか、彼は彼で楽しい人生を送っているらしい。まぁ確かに、少ないながらも毎日この仕事で稼いでいれば飯に困ることは無いのだろう。
小さいながらも安定した生活は心に余裕を齎すということか。
「しっかし女の傭兵って言うと彼女を思い出すね」
「彼女って?」
「ありゃ嬢ちゃん、知らないのかい? 《レッピツ》のメローラ。魔剣持ちの女野良傭兵だよ」
「魔剣……!」
カレンが驚いたような声を上げる。世間知らずは魔剣絡みも知らなかったか。
メローラ。名前だけは聞いた事がある。
確か何処の国にも属さない魔剣持ちで、金で動く生粋の傭兵だとか。コーズミマの世界を放浪し、その腕は各国の将軍にも劣らないと言われる武人。《レッピツ》の二つ名は、彼女がこれまでの旅で必ず障碍を切り裂いてきたことから付けられた誡名らしい。
「生きる伝説とも言われる傭兵でな。噂じゃあ一人で高位の魔物を討滅したって言われてる凄腕さ。まぁ国に雇われもするみたいだしな、強ち間違いじゃねぇのかも知れねぇなぁ」
「へぇー、そんな人いるんだぁ……」
相槌を打ちながらこちらに視線を向けてくるカレン。彼女の言いたい事は分かる。
国に属さない魔剣持ち。その称号とも言うべき存在のあり方を許されているのはメローラただ一人だ。
彼女は強い。と言うか強すぎる。だからどこかの国が独占して世界の均衡を崩さないように野良である事を認められているのだ。
しかし野良の魔剣持ちと言うのならば俺とカレンもそうだ。もちろん彼女のように有名になるつもりは無い。敵を増やすのはごめんだ。
「一度会ってみたいなぁ」
「本当かどうか知らないが、今はユークレースからセレスタインに向かって来てるらしいぞ?」
「どんな人なんだろうねぇ……」
要らぬ期待を押し付けやがって。
けれど残念かな。俺達は準備が整い次第ルチル山脈を越えてベリル連邦に向かう。南に向かうのだから北から来ている彼女と鉢合わせるのはまずありえない。カレンの希望には応えられない。
が、確かに会うだけの価値はあるだろう。同じ野良の魔剣持ちとして彼女と話が出来れば心強いし、彼女の力を借りて自由を掴み取るチャンスも手に入れられるかもしれない。
「まぁ俺みたいにあの町に居ついたりしなければその内ばったり会えるかもな」
「だねーっ」
これでまた彼女のおねだりが一つ増える……。本当にいい迷惑だ。
「っと、見えてきたな。雑談は一旦止めだ。さぁ、仕事だぞ!」
「はーいっ」
変なところで波長が合うものだと。少しうるさいほどの二人に小さく息を吐きつつ空を見上げる。
もう陽も山に隠れかけている。早く終わらせて宿でゆっくりするとしよう。
* * *
「え、何?」
暇を持て余して廊下を歩いていると声を掛けられた。面白いことなら大歓迎だと足を止めて振り返る。
そこにいたのは半人半魔といった様子の存在。大人の男が四肢を人ならざる物に置き換えたような歪な姿。高位に至らない中位の《魔堕》か。
「グロッシュラーでの接触から情報を持ち帰った者が《絶佳》殿にお伝えしたい事があるそうで」
「あー、うん。そういうのはイヴァンにお願いしたいんだけど……」
「そのイヴァン殿に連絡係を仰せつかりました。なんでも彼女に関する話だそうで」
「ほんとっ!?」
事務的な話は結構だと跳ね除けようとした連絡。それを遮ってまで伝えられた話に出しかけた足がしっかりと彼の方へ向き直る。
「はい。イヴァン殿が、ならば《絶佳》殿に話を通した方がいいと……」
「うんうんっ、さっすがイヴァン! わかってるぅ! で、何処にいるのっ?」
「怪我をしていたので今は医務室に────」
「あっりがとねーっ! おつかれさまーっ!」
聞き終えるが早いか、くるりと身を翻して足を出す。
願ってもない朗報。こんなに早く進展があるとは思わなかったと浮き足立つ気持ちが自然と軽快なリズムを歩調に乗せる。
呼吸には鼻唄が交じりこれ以上無い上機嫌。すれ違う者共は何事かとこちらを訝しげに見てくるがそんな視線は気にならない。それ以上に大事な話が転がり込んできたのだ。
しばらくして辿り着いた医務室の扉をノックもなしに開けて中を覗き込む。
「マリスさん、いるー?」
「医務室ではお静かに」
「はーい」
返ったのは女の声。窘めるような言葉に素直に従いつつ声のした方へ向かえば、仕切り布越しに蠢く影を見つけた。
「入っても大丈夫?」
「えぇ、丁度処置が終わったところだから」
彼女を怒らせると後が怖い。そう身を持って知っているからこそ慎重に確認を取った後、布の奥へ。
するとそこには右半身を怪我したのか、白い包帯でぐるぐる巻きに去れた男がベッドの上に横たわっていた。
「うわぁ、なにこれ……」
「簡単に言うと大魔力による火傷って所かしらね。彼の話だと魔力の塊に晒されたらしく、体の内側から炎症を起こしてたわ」
「ほえー、こわいねー」
実感が湧かないが、どうやら大質量の魔力の嵐に晒されて内側からダメージを受けたらしい。普通の魔力ではこうはならないはずだから、きっと至近距離で暴力的な奔流を受けたのだろう。随分な挨拶を届けてくれたものだ。
「大丈夫ー?」
「あ、はい……」
「余り無理はさせないであげてね」
「はいなー」
マリスさんに言われて頭の片隅に留めつつ本題へ。
「で、あの子の事だったよね。話せる?」
「あぁ……。えっと…………すみません、身柄を確保する事はできませんでした。逃げ帰って来るのがやっとで……」
「いやいや、十分だよっ。お陰でこうして話が聞けるしね」
「他の三人は、捕まって……。俺はどうにか逃げられて……。あいつ、あの子と契約をしてました」
顔を顰めつつ必死に紡いでくれる報告。その一言一句を聞き逃さまいと静かに耳を傾けた直後、想像の先を行く言葉を聞いて思わず肩が震えた。
「……契約? 誰と?」
「…………男です。偶然一緒にいたらしい傭兵らしき男と。この怪我もそいつにやられました」
「ちゃんと契約できてた?」
「少なくとも俺がこうなるくらいには彼女の力を使えてました」
「そっか…………」
契約。彼女にはここで目的の為に長く辛い思いをさせてしまった。幾ら必要なことだったとは言え、彼女の心を壊してしまった。
だからここから逃げ出すなんて事をしたのに……また契約。しかも今度はしっかりと繋がりを結んだまま、ここに戻りたく無いと拒絶されてしまったらしい。
彼女がそこまでして縋った相手。彼をこんな風にした、馬鹿魔力の持ち主……。
「……うん。分かった。ありがと。ゆっくり休んでね」
「はい……すみません……」
「おやすみ」
笑顔で優しく告げて彼を労うと、立ち上がって廊下に出る。と、扉を開けて直ぐマリスさんがじっとこっちを見つめていた。
「お話は終わりました?」
「うん」
「……止めても行くんでしょう?」
「うん。ごめんね? でもこれ以上皆を大変な目に合わせたくないし。それに彼女と契約したって言うその男の人、あたしも見てみたいから」
諦めたように笑ったマリスさん。それから優しく頭を撫でてくれた彼女は、覚悟を決めたようにすれ違うと医務室に戻っていく。
「わたしからイヴァンに話はしておくわ。だから一人で行かないで頂戴ね」
「うん、分かった。ありがと、マリスさん」
「貴女がいなくなったら寂しいもの」
「うっへへぇ……」
そう言って医務室に消えた彼女。閉まった扉をしばらく見つめて、それからゆっくりと歩き出す。
……別に怒ってるわけじゃない。それよりも興味の方が大きい。
一体どんな人が彼女と契約したのか。彼女は今、幸せだろうか? そんな疑問が去来してあたしを突き動かす。
知りたい。彼女が選んだ相手が、あたし達の目的に応えてくれる人物なのか、否か。
もし応えてくれるなら、その時は…………うん、そうしよう。今決めたっ。……イヴァン、怒るかな?
まぁいいや。すべてはその男の人に会ってから。出来たら話をして、協力してもらって、あたし達の……世界の為の計画に協力してもらうとしよう。
だから少しだけ、賭けてみよう。
彼女の鞘は、世界の剣足り得るか?