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第二章

「くるよ……」

「あぁ」


 カレンの声に頷けば、次の瞬間傍の塹壕から人が飛び出してくる。その手に握られた両刃剣。大きく振り被られた一撃が死角を突いて振り下ろされる。

 普通ならこんな急襲、かわす事も察知する事もできない。だから特別なことさえなければその刃に掛かって首筋を斬られ絶命していただろうと。

 しかし偶然か、隣には金属に鼻の利く魔剣が一振り。彼女のお陰で戦い慣れなどしていなくとも急襲は受け付けない。何処までも落ち着いた心持ちでそんな事を考えながら振り返りつつ、後ろ腰のクリスを抜いて受け止める。


「ちぃっ!」


 鳴り響いた金属の擦過音。重ねてこちらを睨む男が舌打ちを零す。血気盛んなことだ。こちらは平穏無事に自由を謳歌したいだけだってのに。

 胸の内でぼやいて左手に作り出した魔力の短剣。切り結んだクリスを弾いて、距離を取る中で男に向けて投擲する。宙を駆けた刃は、けれど返す刀で剣に落とされて霧散した。

 今ので怪我でもして退いてくれればよかったのに。

 思いつつしっかりと体を向け心を戦闘のそれへ切り替え。左腰に両手を添えれば、そこには刀の姿になったカレンが帯刀されていた。


「いい反応だ。そんなに殺気放ってたか?」

「……何の用だ?」

「それをお前が知る必要は無い、違うか? 大人しくしてれば怪我しなくて済むぞ」


 楽しそうに笑みを浮かべる男。交わした言葉に話が通じそうにないと悟ってスイッチを切り替える。どうして俺の前に現れる輩はまともに会話が出来ないのかねぇ。

 向けられた両刃の切っ先。先ほどの交錯で膂力で凌駕されてはいないと彼我の力関係を把握しながら呼吸を整える。単純な力比べなら膨大な魔力で無理矢理馬鹿力になれるこちらが上だが、小手先の技量はあちらが上。馬鹿正直に突っ込めばカウンターで斬られてしまう。

 ……ならば簡単なこと。こちらの一太刀を考えても、攻めるではなく後の先を取る戦いが有効だ。

 それにこれから振るうは同属斬りの魔剣、カレン。契約によって解き放たれたその真価はどんな武器でさえ追随を許さない名刀だ。


「生憎と恨まれる理由がありすぎてな。相手するのに理解してやれないのは寂しいかと思ってな?」

「はっ、外れ者の分際で矜持を語るとはね。……いいぜ、気にいった。本気で相手してやるっ」


 外れ者……という事はカレンではなく俺の方の追っ手。セレスタインからの刺客か。

 恐らく先の町で起こした騒動がどこからか流れて帝国の耳に入ったのだろう。外に出ていきなりこれとは恐れ入る。逆に考えればあの爺さんのところは安全だったということか。……だとしてもこき使われて自由を蝕まれるような生活はもうこりごりだ。


『ミノ、気をつけて。あの人から魔力の流れを感じる』


 頭に響いたカレンの声。斬る以外に能の無い彼女だが、その感覚の鋭さは数少ない特技だ。悪態は色々吐いたけれども、だからと言って彼女の全てを信用していないわけではない。少なくとも、命の掛かったこの状況でカレンが嘘を吐くとも思えない。

 と言う事は目の前の男は何か隠し玉を持っているということだろう。魔具か……契約か。どちらにせよ敵である事に違いは無い。


「さぁ、いくぜぃ!」


 鼓舞するような掛け声と共に大地を蹴る男。真っ直ぐに突っ込んできた彼に、合わせた呼吸で刃が鞘を走る。タイミングは完璧。抜き放てば切っ先が彼の両刃剣を中ほどから斬り裂き、次ぐ二の太刀で左の肩口から袈裟に傷口を作り出す。

 そこまで未来視して想像通りの軌跡が後を追う。

 感触さえ置き去りにした居合い。空を切るような手応えに二の太刀を振るおうとした所で異変に気付く。

 今し方斬った筈の男の両刃剣。それがまだ確かに繋がったまま目の前に存在している。切り損ねた……? いや、確かに切っ先が彼の剣を切り裂いた。

 と、次の瞬間目の前の男が霞みのように揺れて消えた。


『ミノ、右っ!』


 頭に響いたカレンの声に、考える間も無く二の太刀を振るう。右上から左下へ向けての袈裟斬り。誰もいない目の前を斬る様に放たれたその一閃を、体ごと回転して無理矢理横の薙ぎ払いに変える。

 するとカレンの言った通り右側にいつの間にかいた男の姿を捉える。下から斬り上げるように低くした体勢からこちらを見上げる瞳と目が合って。そこに違和感を感じつつ薙いだ一撃は、けれど(すんで)のところで後ろに跳んでかわされた。


「うひょぉ! 今の反応するのか……。やるじゃねぇか」

「……なんだ、今のは」


 空いた距離で考える。

 今の交錯。目の前から突っ込んできていた男にカウンターの居合いを放ったと思えば、彼はいつの間にか右下からこちらを切り上げようとしていた。

 ……残像、と言うのが近いか。知覚出来ない速さでこちらの攻撃をかわして、カウンターに反撃を合わせられた? 力比べで負ける代わりに速さに主眼を置いた戦い方か? にしては少し妙な感じがしたが……。


「なら、これならどうだぁ?」

『っ…………!』


 試すように男が攻撃の始まりを口にする。何かが来る、と身構えた刹那、突如として背後から響いた金属同士の衝突音。思わず振り返れば、そこには先ほどまで目の前にいたはずの男が両刃剣を振るっていた。

 金属音の正体はいつの間にかそこに存在していた盾のような大きな剣。少し前にミノが剣を作ろうとして出来上がった、身の丈に倍はあろうかと言う振り回すことすら困難そうな金属の塊だ。

 突然の背後からの急襲。反応できなかった俺に代わって、カレンが剣を作り出して防いでくれたのだろう。もし彼女がいなければ背中を斬り付けられていた筈だ。

 そんな想像は、けれど数瞬で。咄嗟に距離を取りつつ作り出した短剣を投擲。追撃を封じつつ呼吸を整える。


「……それがお前の魔具……いや、魔剣の力か?」

「戦いの最中に考察とは暢気なことだなぁ。しかし今のは厄介だ。剣を作る魔術……あんたさんも魔剣だろ? 一緒にいたガキの姿も見えねぇしなぁ。契約してるなんて話には聞いてなかったが些細な事だ。それに直ぐに終わったんじゃあつまらねぇしなぁ!」


 肩を揺らして嗤う男。油断しているようで、慢心しているようで。けれども、だからこそ呼吸が計り辛い相手。

 ……しかし少しだけ分かってきた。

 瞬間移動。距離や精度、頻度など確かめる事は山積みだが、恐らくそれが奴の魔剣の力。ありえないからこそ、魔術はそれを可能にしてしまう。魔物がいる世界で常識は通用しない。


「悪いな、助かった」

『……うん。しっかり、してよね』

「あぁ」


 流石のカレンも驚いているのか歯切れが悪い様子。だが、彼女がいれば金属への探知で戦いにおいて遅れはとらない。先程みたいに剣を盾代わりにして防げば致命的な一撃だけは避けられる。

 ……よし。防御はカレンに任せて大丈夫。ならば今度はこっちから。

 相手の呼吸に飲み込まれるなと自分に言い聞かせて構え、突撃する。


「はぁああ!」


 瞬間移動なんて馬鹿げた力だが、それ相応のリスクや弱点があるはず。ならばまずは攻め立てて炙り出す。

 切っ先で敵を捕らえるように集中してカレンを振るう。唐竹、逆袈裟、水平薙ぎ。風を裂いて音を鳴らす剣閃は、しかしその(ことごと)くを紙一重でかわされる。

 身の軽い事で。猿かよ。

 当たらない斬撃に苛立ちを重ねて手のひらに魔力を集中。カレンを左手に持って空の右手を振るい、そこに大木のような幅広の大剣を顕現。後ろに避けるだけのスペースを潰して薙ぎ払う。

 大振りな風さえ巻き起こす打撃のような一撃。けれどそれにすら感触はなく、次いで腹部に僅かな温かさ。

 見下ろせば、地を這うように上体を屈めた男がこちらの腹に何かを押し付けていた。次の瞬間、弾けた衝撃に体ごと後ろに吹っ飛ばされる。

 咄嗟にローブの内側に作り出した幾重もの剣の鎧で防御をして被害を最小限に。土の地面を転がって立ち上がれば、口の中に血の味を覚えた。

 今のは……魔具でも暴発させたか。


「いいねぇ、そうこなくっちゃっ。簡単にくたばってくれるなよ?」


 楽しそうに笑う男。

 乱暴な口調とは裏腹に随分と素早い身のこなしとトリッキーな攻撃。知らず飲み込まれている相手の呼吸に意識して自分を取り戻す。

 これでもあの爺さんには認められた腕だった筈だがなぁ。師が悪かったか、目の前の敵が経験豊富なだけか。

 悪態を吐いて構えなおせば、今度は男の方から急接近してくる。

 一歩、二歩……と。歩法で騙されていないかと注意した刹那、目の前の男の姿がいきなり増える。

 突然の事に遅れた反応。気がつけば目の前に迫っていた刃先をどうにか半身ずらしてかわせば、前髪を少しだけ削がれた。

 分身……残像か。何にしてもそれは聞いてないと。敵の新たな攻撃に……けれど体は冷静で、反射で薙ぎ払いを放つ。

 目の前に捉えていた男の姿。彼の後ろ首を狙った死角からの一閃。これはかわせまいと振るった一太刀は……けれど霞のように解けた男の体を甲斐なく通過する。

 相手は攻撃できてこちらからは不干渉。そんな理不尽あってたまるかと舌打ちを一つ。

 次の瞬間、右耳の辺りから金属音。視線を向けてそこにあったのは宙に浮く剣と鍔を競る男の両刃剣。

 ……流石におかしい。瞬間移動に分身? 似たようなものかもしれないがその理を捻じ曲げる行為はノーリスクではない。どう考えても大技を連発しているのに、魔力による消耗も感じられない。こうも連発して意表を突いて来るというのは不自然だ。

 そんな事を考えている間にも分身なのか残像なのか分からない男の刃がこちらに迫ってくる。直ぐにバックステップで距離を取りつつ応戦。けれども振るう刃はすべて霧を裂くように宙を描き、まともに斬り結ばせては貰えない。

 これじゃあ埒が明かないと。打開策を求めて脳裏を旅すれば、その思考に割って入る手元からの声。


『……もしかして…………。ミノ、距離とってっ!』

「っ……!」


 言われるがまま大きく跳んで、着地を狙わせまいと作り出した短剣の雨を男の軍前に嗾ける。当然のように虚像を貫いたそれらは少し遅れて遠くの地面に突き刺さり霧散した。

 全く、まるで幻に囚われたような手応えのなさだ。

 ようやく一人に戻った男の姿を睨んで構え牽制しつつ、手の内の魔剣に零す。


「……んで、何の用だ?」

『…………言いにくいんだけど。……ねぇミノ、なんでさっきから誰もいないところを斬ってるの?』

「は……?」

『いきなりだもん、びっくりしたよ。まるであの人無視して別の誰かと戦ってるみたいに……』


 誰もいないところを斬った? カレンは何を言っているのだ。確かに俺は襲ってきた奴に向かって攻撃をしただけで……。


『最初は私に見えない別の誰かと戦ってるのかと思ったけど、なんだか様子がおかしいし、もしかしてって思って』

「……………………」


 信じられない話だが、どうにもカレンが嘘を言っているようには聞こえない。そもそもこんな状況で嘘を言う必要がどこにあるというのだろう。

 けれど、ならば一体何がどうなっているというのだ。カレンにはあの虚像は見えていなくて俺だけに見えている? 流石にそこまで頭がおかしくなった覚えは無いのだが……。


「おぉらぁ!」

「っ!」


 考え事の間に急接近した男。待ってくれない戦場に反撃の刃を走らせる。

 と、振るったカレンが振り下ろされた両刃剣と切り結ぶ。そこでようやく認め難い嘘から目を逸らす。


『目の前、左から横薙ぎ!』


 脳内に響くカレンの声に従って右へ飛ぶ。最後の確認とばかりに短剣を作り出して投擲すれば、先ほど切り結んだ男が当然のように揺らいで消えた。


「……どうやら本当みたいだな」


 呟いて警戒しながら納刀。右足を僅かに前に出し、重心を意識して柄に手を掛ける。

 今更疑うべきではない。カレンの言葉は真実だ。となれば必然……俺が騙されている。

 その証拠に、こんなに連続して攻撃を往なす事も、ましてや分身をしたり瞬間移動をしたりなんて普通には不可能だ。そしてそれを、カレンは知覚していない。

 だからきっと、今まで俺が見ていた景色は幻想のようなものなのだろう。

 裏付けの一つとして、先ほどカレンが切り結んだことだ。

 斬るしか能のない彼女だが、その刃は同属ですら両断する。恐らくこの世でカレンに斬れないものは存在しない。そう断言できるくらいにはカレンと言う魔剣が特別なのは、握っている俺がよく分かる。

 そんなカレンと、あの男は一度も真正面から切り結んでいない。受けることすらしていない。

 だったら前提が覆る。

 斬り結び、消える敵。ありえない事が連続すれば、それは信じるべきではない事実だ。それらをありえると仮定するならば、幾つかの想像が巡る。


「…………一つ試したい事がある。次は避けない。防御を用意しておいてくれ」

『え? うん……分かった』


 息を吐いて再び呼吸を整える。

 もし、そうだとするならば。それはこちらの戦い方に最も相性の悪い相手だ。全く、刺客として送り込むに相応しい敵かもしれない。

 思いつつ静かに目を閉じる。


「おいおいっ、剣士が剣を納めるたぁどういう了見だぁ? せめてもの忠告だが敵から目を逸らすものじゃないぜぇ?」

「居合いに心眼……って言っても理解できねぇだろうな。お前の知らない剣の型だと思ってくれればいいさ」

「……ははっ。そりゃあいいっ。だったら存分に楽しませてくれよ!」


 もちろんはったりだ。心眼なんて使えるわけがない。

 けれど人間は面白い生き物だ。感覚器官を一つ遮断すると、別の感覚器官が機能を補おうとその働きを大きくする。視覚を遮れば聴覚、嗅覚、触覚、味覚……他の四つが命を守ろうと情報を集めようとする。

 味覚は要らない。嗅覚も、今回はいい。感じるのは肌を撫でる存在感と、耳が捉える異音だけ。

 きっとカレンとの契約で体が人間離れしているのだろう。魔力が体内を循環している証だ。お陰で風の音さえ聞こえる。

 鼓動さえ煩いとシャットアウトした刹那、左前の辺りで地面を蹴る音を捉える。

 一歩、二歩……。次の瞬間重なるように増えた足音。どうやら目を閉じても消えてくれる幻では無いらしい。目ではなく別の器官か、はたまた直接頭に誤認を埋め込んでいるのだろう。厄介な力だ。

 けれども一度捉えた足音を逃しはしない。段々と近づいてくる擦過音は、大周りをして右側面への攻撃か。……後二歩でリーチ内。

 足音のリズムを頭の中でカウントして目を開く。

 視界に飛び込んできた景色は、三人の男が両刃の剣を目の前で構える光景。今からでは反撃の間に合わない三種類の攻撃を、けれど覚悟を決めて受け入れる。

 次の瞬間、振り下ろされた鈍色の刃が肩と脇を無残に斬り裂き、胸の辺りを貫く感覚。

 冷たく熱い感触。分かっていても死んだとさえ錯覚する、斬られたという警鐘が脳裏で鳴り響く。


「っ、あああぁああああぁぁっ!?」


 不安と危険信号の輪唱。そのサイレンを掻き消すように叫んで居合いを放つ。

 狙いは右側面。そこにいるだろう男に向けてのカウンターの一閃。失敗すれば直ぐにでも意識を失うだろう賭けを切っ先に灯す。

 抜刀に捻りを加えて加速した軌跡が、目の前の幻共々須臾(すゆ)の間を引き裂いて手にひらに確かな感触を覚える。

 次いで響いた金属の擦過音と、斬った実感。この感覚は……金属。

 その刹那、目の前にいきなり現れた男の姿。透明化……いや、幻覚による認識阻害。

 確信するのと同時、男は驚愕に見開いた瞳を睨むような形相に変え、手に持った何かを投げる。それは恐らく先ほどこちらを吹っ飛ばしてくれた暴走させた火石だろう。

 けれど反撃がくると分かっていれば対処のしようもあると。

 鈍く広がる体中の錯覚に耐えながら魔力を練れば、右の二の腕に刻まれた契約痕が熱く疼く。次の瞬間、先ほど示し合わせた通りに目の前へ顕現した防御用の刃の軍勢。十重二十重と折り重なって視界を塞ぐように、地面を抉って突き刺さる鋼の層に、遅れて向こう側から衝撃が弾ける。

 詰めの二の太刀。返す刀で振るった刃が、幾重もの剣の盾をバターのように切り裂きながら、その先にいる男を袈裟懸けに撫で斬る。

 今度の感触は確かな人肌。慣れるような物ではないと生理的嫌悪を募らせながら振り抜けば、詰めていた息を吐き出す。

 壁のように存在していた剣の盾が崩れて霧散する。その向こう側、土煙を僅かに上げて距離を取った男は、右腕から血を垂らしながらこちらを睨んでいた。


「……クソが……! イカれてんじゃねぇのかっ?」

「賭けだったがな、幻だと分かれば後は覚悟の問題だ」


 男の声に答えつつ、刃先に着いた鮮血を振って払う。


「……大丈夫か?」

『うん……』


 カレンにしてみれば初めて斬る人の感覚。余裕があれば前の町の時みたいに峰打ちで済ませたのだが、今回はそうは出来なかった。

 その原因。彼が俺に掛けた幻術。

 どうやったのかは今でも分からないが、その効果は俺の認識をこれでもかと欺いてくれた。霞のように消える体。瞬間移動、分身。果ては幻の斬撃……。最後のそれは、分かっていても誤認させるほどに強力で気を抜けば倒れてしまいそうだった。

 が、それらの空想は彼に一太刀浴びせたからか消え去っている。少しだけまだ錯覚が残っているのか、斬られ、刺された場所に違和感を感じるが、その内なくなるはずだ。

 幻だと気付くまで随分と振り回されたが、知ってしまえばどうと言う事は無い。今回は幻術に掛からなかったらしいカレンに感謝だ。彼女がいなければ彼の術中に嵌っていたことだろう。

 

「……そうか、魔剣か。ははっ、失敗したなぁ……!」

「お前のは……その目か?」


 ようやく見据えた彼の顔。こちらを見つめる男の瞳が虹彩異色のように別の色を灯している。

 魔剣……剣が幻を魅せるなんて器用な事、考えてみればおかしな話だ。だとするならば魔剣ではない魔具の類か。

 恐らくいつからか……いや、最初からだろう。一番初めの交錯で幻術を掛けられたに違いない。目を合わせたものを幻に陥れる……効果はそんなところか。

 分かればそれまで。対処のしようは幾つもあるし、カレンがいれば掛かってもどうにかなる。問題と言えば、自力で幻術を抜ける手段がないことか。……自傷行為で目を覚ますなんて可能だろうか?

 と、そんな事をつらつらと考えつつ、彼の目から視線を僅かに逸らしてその動向を窺う。目が見れないと言うのは厄介だ。コールドリーディングのような、外観の変化から出を読め無い。……もちろん、コールドリーディングなんて出来ないけれども。視線の動きは意外と無意識だ。情報は多いに限る。逆に、見なければ視線に騙される事もないのだが。

 まぁ後の先を取るのは居合いの本分。それに、幻術に惑わされてカウンターを貰うよりはましだ。


「くくっ、だがいい土産だ……。悪いが退かせてもらうぞ。手の内がばれた以上無意味な事はしたく無い主義でな。命あっての物種だ、違うか?」


 ……少し距離を開けられすぎたか。一歩踏み込んで刃が届く距離ではない。


「願わくばこれ以上関わってくれるなと伝えてくれ。こちとら平穏無事に自由を謳歌したいだけだ」

「それは俺が決めることじゃぁねぇなっ……!」


 言うが早いか、いつの間にか手にしていた煙玉を地面に投げつける男。

 一応の希望も込めて大地を蹴り、僅かな影を追ってカレンを振るうが手応えは無い。


「……塹壕に隠れて逃げたか」

『まだ武器を持ってるみたいだから追い駆けようと思えばできるけど、どうする?』

「いや、いい。追い駆けるよりはその分町での時間に費やした方が幾らか有意義だ」

『ん、分かった』


 金属の探知。確かにカレンの力ならば追撃戦も可能だろうが、斬ったところでどれ程の益がこちらにある。国が差し向けた刺客。戻らなければ更なる面倒が襲い来るのは確実だ。ならば微かな希望として交渉の余地は残しておくべきだ。……あちらがそれに応じるくらいなら、そもそも刺客なんて送ってはこないだろうが、念の為。

 流れた風に白い煙が掻き消えれば、刀の姿を解いたカレンが横に並ぶ。何かを確かめるように自分の手のひらを見つめる彼女。その仕草に、揺れる気持ちに気付いて音にする。


「気が進まないならそう言え。今更交わした契約を違えようとは思わないからな。お前の依頼をこなすにせよ、そうでないにせよ、鈍った心で斬れ味まで落ちてもらっちゃあ俺が困る」

「…………うん。ありがと。大丈夫だよ。……ただ、できたらあんまり人は斬りたくないかな。あの感触、イヤ…………」

「分かった、善処する」


 今回の事でよく分かった。カレンも俺も狙われる者として、協力をしなければこの先逃げ延びることは難しい。出会いこそ最悪で、紡いだ関係も行きずりの突然のことだったけれども。過去に縛られていい思いをしないのは互いに知っている事だ。

 だったら少しだけ、歩み寄ってもいいのかもしれない……と。


「って言うか、依頼の事はちゃんとやってよ? そのための先払いの契約だったんだからっ」

「……契約とその報酬が吊り合うと思ってるなら随分自己評価が高いんだな。恐れ入る」

「なっ……!?」


 せめてもの抵抗に言葉にすれば、赤い瞳を見開いたカレン。次いでその体に怒気が宿る。……だから冗談くらい受け流せよ。


「ほら、行くぞ」

「ちょっと! 私の傭兵なんだから依頼は完遂してよっ? 絶対だからね!?」

「なら日銭くらいはしっかり稼いでくれよ、魔剣様っ」


 変わったのは視点だけ。それ以外に変わらない無数の常識と現状は、まだまだその日暮らしから脱却するには程遠く。可能ことなら次の町にいい稼ぎの仕事があればと願う。

 まだ何か言いたげなカレンに一瞥を向けて、それから話題が角を曲がる。


「……しかし面倒な追っ手だったな。あんな事ができる魔具があるなんて知らなかった」

「…………うん。でもあれ、多分魔具じゃないよ」

「何?」


 今し方退けた敵の話題。零した言葉にカレンが返す。


「私もあんまり詳しくないからよく分からないけれど、あんなに強力なら魔具じゃなくて魔剣みたいなものになってるはずだよ」

「そんなにやばかったのか?」

「少なくとも魔具として使用するにしては魔力の消費がおかしかった」


 事魔具や魔剣に関してはカレンの方が正しい筈だ。だから彼女の言う事ならばそうなのだろう。


「……大飯喰らいが言うんだからな」

「もうっ。……でも、私も少し影響を受けてたからね。幻術だって気づけなかったのがその証だよ」

「だが幻は見えてなかったんだろ?」


 問いかけに頷くカレン。仕草に長い黒髪が揺れる。

 どうでもいいが、今彼女は外套を脱いでいる。と言うのも、カレン曰く魔剣としての力を使うと体が熱くなるらしい。

 理由としては二つ。一つは魔力を使用する事で体の中の魔力の巡りがよくなり、人間で言うところの代謝が活性化するらしいのだ。そしてもう一つは、ミノの魔力が膨大すぎるとの事。契約こそ百戦錬磨の……百戦連敗の彼女だが、こうして一人の相手と規約を繋ぎ続けるのは初めてらしく、まだ魔力の効率的な運用が確立出来ていないらしい。そこに無遠慮なほどの魔力が契約を通して流れ込んできて、持て余しているというのだ。

 その有り余った魔力が体の中を巡って代謝がよくなり、平常に体を保とうと発熱する……そんな仕組みで魔力を用いた事をした後は体がだるくなるらしい。

 人の体を模している事が仇になったのか、熱を出し、汗を掻けば顔が紅潮する。傍から見れば風邪をひいて見えるのだが、しばらくして魔力が発散されれば元に戻るとこれまでの旅路で聞いた。

 そんなこんなで、今彼女は前の町で買った人の女の子が着る衣服を陽光に晒している。

 この世界にもスカートと言うものはあるらしく、赤い生地に黒いチェックの入ったプリーツスカートと、上は薄い紫のボーダー半袖に同系色のパーカーを重ねて前を開いているような出で立ちだ。

 買うときにも一悶着あって、目立つものは控えた結果がこれだ。いざと言う時はフードで顔を隠せる。

 カレンは服の色に余り乗り気ではなかったが、下さえ履き替えれば男に見える服と言うのは色々と便利だと説得してどうにか紫に落ち着いた。お陰でスカートとパンツ、両方買う破目になって入らぬ出費をしてしまった。……どうして女の服はあんなに高いのか。意味が分からない。

 もちろん外套姿をずっとしているのも町で動くには選択肢が狭まると俺も服を買ったが……ファッションなどそれほど気にしない身からすれば着られればそれでいいと言った感じだ。先の町でそう零した際には、やけに楽しそうだったカレンに着せ替え人形にされたのはどうでもいい記憶だ。


「私は直接幻術に掛からなかったからね。ミノも言ってた通り、あの眼と視線を合わせたら効果を発揮するんだと思うよ」


 これから冬になると言う秋の空の下。その薄着でも熱いのか首元を指先で摘んで冷たい空気を送り込もうとするカレン。その際に僅かに覗く白く華奢な鎖骨に、少しだけ居心地を悪くしながら視線を逸らす。……いや、魔剣相手に何を意識しているのかと。


「けどミノが幻術に掛かってたからその影響で余り上手く魔力を追えなくて……。魔具じゃなさそうだなってところまでしか分からなかった」

「……まぁ魔具だって言うならどんな代物だって話だしな。あいつ、これと言って特別な魔具を持ってたわけじゃないだろ?」

「うん。持ってたら分かるからね」


 カレンの鼻は金属と魔力や魔物、そして魔具に利く。今更疑わない彼女の特別な力は信頼に足るものだとこれまでの経験でよく分かっている。彼女の前に魔力に由来する隠し事は通用しない。


「となると火石みたいに目に見える形で所持はしてなかったって事だ。コンタクトみたいな小さい物なら或いは可能かもしれないけどな……」

「こんたくと……?」

「…………眼鏡みたいに視力を補助する道具だ。とは言えこっちの世界じゃあんな繊細なものはつくれないか。言葉通りの時計がない世界だしな」


 カレンの疑問に答えつつ、ない頭の中を旅する。

 いわゆる技術水準。電子機器はもちろん、複雑な構造の精密機械や高度な加工技術を必要とする工芸品などは、このコーズミマと言う世界ではつくられていない。一応歯車仕掛け……水車の粉引き小屋などは存在しているがその程度。長距離の移動も馬を使用するために蒸気機関や電気と言う概念が存在しない。

 簡単に言えば産業革命以前の技術や知識に、魔力と言う得体の知れない力を組み合わせた世界構造と言うわけだ。

 そもそも産業革命には人的資源……労働力と、開発と維持に必要な資本……金が必要だ。が、人類の敵は(もっぱ)ら魔物。魔力由来の魔術や魔剣しか効果が無い相手に金を投資したところで一体どれ程の効果が望めるのか。そう考えれば産業革命が起きなかったのにも頷ける。

 もし人類の敵が科学技術で対抗できる相手……人間同士の戦争だったなら必然。そうでなければ畢竟(ひっきょう)こうなる定めなのだ。


「つまり魔力由来の何かによる幻術……精神操作の類って事が確定するな。分かったところで俺にはどうする事もできないんだがな」

「目を閉じたら? あのシンガンって言うので戦えないの?」

「出任せに決まってるだろうが。いや、一応存在はしてるんだけれどな。この世界に来て初めて剣を握った奴が二年ちょっとで手に入れられるスキルじゃねぇよ。あれは長年の経験に裏打ちされる第六感ってやつだ」


 今回はその出任せと運に恵まれてどうにかなったが、次も上手く切り抜けられるとは限らない。追っ手だってしばらくしたらまたやってくるだろうし、それまでに何か対抗策を考えなければ。


「だが今回は助かった。お前のおかげだ。いてくれてよかったよ」

「えっ……。……あ、うん」

「……どうかしたか?」

「な、なんでもないっ」


 言葉に詰まった様子のカレンに視線を向ければ、彼女は慌てて逃げるように前へと走る。……捨てた素直(スナオ)さを振り翳してみたが、柄ではなかったらしい。だからってそんなにあからさまな態度を取られると幾ら俺でも傷つくくらいには人間なのだ。

 しかし言葉自体は事実。彼女が魔剣として契約していてくれなければこんな自由は無かっただろうと。考えて、それからふと脳裏を過ぎった疑問が口を突く。


「そう言えば契約って言ってもそれほど特別なことは無いんだな」

「え……?」

「人間が魔力を渡して、魔剣はそれで特別な力を使う。魔力の流れが活性化した人間の方は全体的に身体能力や五感が鋭くなる。あとはあれか、声に出さなくてもできるテレパシーみたいな会話」

「……なんだかそう言われると特別感はなくなるけど、そうだね」


 切れ味の鋭い剣だったり魔術だったりは、縁の無い世界の出身からすれば特別性はあるかもしれないが、この世界で周りを見渡せばそれほど珍しくもない。前の町でも魔剣持ちらしい人物は見かけたし、選ばれた勇者的な感慨は薄い。


「互いの心が読めるわけでもないしな」

「それは読めたらどうかと思うよ……。それにミノはそういうことして欲しくないんじゃないの?」

「……そっくりそのまま返してやるよ」


 痛いところを吐かれて鏡を用意する。

 なまじ背負った過去が似ているからこそ、未来を見つめる者同士、過去は振り返らないと暗黙の了解が横たわっている。それを壊すような不躾な繋がりではなくて安心したというのは彼女も一緒だろう。

 少しだけ落ちた沈黙。居心地の悪さを感じて話題の方向を少し変更。


「……あの頭の中に響く声みたいなやつは俺もできるのか?」

契言(けいげん)だね、できるよ。契約痕……魔力の流れを意識して頭の中で喋る感じ」

『…………こうか?』

「うん」


 これは便利な力だ。隠し事を他人に聞かれなくて済む。

 ただし、少し注意力を割く必要があるから戦闘中にやるような事では無いかもしれない。戦いは一瞬の油断から足を掬われる。


「契約が繋がってる限りは声が届くからね。これは遠く離れても使えるよ。離れる距離によって魔力の消費とか増えると思うけど」

「……重宝しそうだな」

「ねぇミノ、何か失礼なこと考えてない?」

「さぁな」


 迷子センター要らず。そう浮かんだ感想は、けれど言葉にしなくて正解だったと。カレンは魔剣扱いよりも子ども扱いされる事を嫌うらしい難儀な性格の持ち主だ。面倒事は避けるに限る。


「しかしこういう事は知ってるんだな。その調子でもっと色々覚えててくれたら話は早いんだが……」

「契言は研究所にいた頃に使った事があるからね。……都合のいいときだけ頼って…………」

「なんか言ったか?」

「べっつにー」


 手を後ろで組んで数歩先を先導するように歩くカレン。彼女がああしていると言う事は、少なくとも今は安全だと言うこと。互いに追われる身として、どちらかが欠ければ巻き添えを食うのだ。幾ら彼女でも危険を見過ごしたりはしないはず。

 半端なコサックダンスのように脚を振り上げながら歩く後姿。その度に短いスカートの裾が揺れて、人間らしい白い脚が覗く。……本当、こうしていればただの人間にしか見えないとは恐ろしい。魔物なんて存在を認知してさえいなければ、今頃勝手に交じり合って《天魔(レグナ)》が望む人との共存が現実のものになっていたのではとさえ思う。それくらいには人型をした魔物は見分けがつかない。


「ふぃー……やっと熱が冷めてきた」

「……そう言えば体は何ともないのか?」

「何が?」


 ふと脳裏を過ぎった想像。言葉にすれば能天気な声が返る。この様子なら何も問題はなさそうだが、音にならない勘など捨て置くべきものだ。……もちろん、聞いたところでそれを素直に信じるかどうかはまた別問題だが。


「あれだけ魔力を使って、ここに来るまでも色々物を確認がてらに斬っただろ。剣で言うところの刃こぼれみたいなのが……例えば骨の皹とか怪我みたいになってたりしないのか?」

「へぇ、心配してくれるんだっ」

「使い物にならないと俺が困るからな」


 答えれば、首だけで振り返った彼女の顔に曇りが差した。……一体何を期待していたのやら。行きずりの助け合いにそれ以上の理由がどこにあると。


「……別に、大丈夫だよ。確かにこの体は魔剣のそれと共有していて、剣の方が折れたり欠けたりすると腕がなくなったりとかあると思うけれどね。ミノの剣の使い方が上手なのか、今のところ刃こぼれは一切してないし痛い所もないよ」

「刃物は用途に合わせて使い分ければそう簡単に壊れるようなものじゃないからな」

「それにただの剣じゃ無くて私は魔物だから……。魔力で強化されてる感覚はミノもわかるでしょ?」


 魔力での強化。カレンとの契約でその実感は確かにある。これまで発揮した事の無い膂力や、反射。二年ほどの鍛錬では到底身につかないだろう戦いの勘のような何か。契約をした者にしか分からないだろうこの感覚は、魔力由来の特別な力だ。

 それと同様に、魔剣としての彼女は魔の宿りし剣。だからこそ同属さえ断つほどの鋭さを有しているのだ。


「私が思うに、例えば私と同じくらいの鋭さを持つ魔剣とかとぶつかったりしない限りは大丈夫だと思うよ。そんなの何処にあるんだろうって思う私もいるんだけれどね」


 カレンの言葉に少しだけ納得する。

 彼女が曲がらず目の前の障碍を当然のように断てるのは、その根拠の無い自信から来るものなのだろう。

 よく聞いた話、メンタルが実力に左右すると。もしあの言葉が本当ならば、自分を信じて疑わないカレンが斬れないと思わない限りどんなものでさえ綺麗に裂いてしまうのかもしれない。


「私は剣だから、誰かに使われて何かを斬る事しか出来ない。……ううん。できることなら斬りたく無い。研究所にいた頃はそんな事をよく考えてたの。……でもね、ミノと契約した時分かったんだ。この人なら大丈夫だって」

「…………何がだよ」

「なんだろうねっ。沢山あった魔力に安心したのかもしれない……。ただ、直感で、ミノとなら大丈夫だって思えたんだ。不思議だよねっ」


 あんな偶然を必然とでも言いたげなカレンに、けれど過去なんてそんなものだと納得を見つけながら。彼女の言いたい事が少し分かってしまうのは似たような過去を背負っているからだろうか。

 まだカレンの何を分かったわけでは無いけれど、彼女は特別だ。だからあの時、覚悟を決めて契約の一歩を踏み出したのかもしれない。


「……そう言えば魔力は大丈夫? 沢山使ったけれど」

「お前の方からそれは分からないのか?」

「分からないことは無いけれどやっぱりミノ自身が一番よく分かってるはずだからね。だから今もまだ不安だよ……。いつミノの魔力がなくなって、私が食い殺すか分からないって…………」


 トラウマ。彼女のそれをそう呼ぶことすら躊躇われるくらいに重ねてきた真実。まともな精神の持ち主なら、自分のせいで死に行く者達に対する呵責で心を壊してしまう。現にカレンも、少しだけ歪んでしまっている。

 完全なる理解なんて出来ないけれども。しかし少しの同情なら許されるだろうかと。


「大丈夫だ。お前が自分に斬れないものが無いと思うのと同じくらいに、俺が食い尽くされるなんて想像は湧いてこない。なにせお前ともう一人契約してもまだ余裕がありそうだからな。魔力の回復速度も追いついてるし、気にすることじゃない」

「……うん」

「逆に訊くが、俺以外にお前を振り回せるやつが何処にいるよ」

「…………うん」

「分かったら根拠もなく信じとけ。そうしたら俺も信じてやるから。……もしそれでも気になるなら誓ってもいい。駄目そうな時は嘘は吐かない。これでいいか?」


 前を歩くカレンの背中が小さく見える。それくらいに彼女は不安で押し潰されそうだったのだ。

 ずっと裏切られ、預ける事ができなかった。だからそう簡単に他人を信用するなんてできないだろう。

 けれど似ているから。どこかで重ねてしまうから。自分が嘘を吐かなければ相手もきっと嘘を吐かないと。信用とも信頼とも違う…………それ以上でそれ以下の何かが契約と言う形なのだ。


「っ、うん!」


 大きく一つ頷いてこちらへ振り返ったカレン。その深紅の瞳に光る珠を見つけて、僅かに揺れた胸の内を発散するように彼女のフードを思い切り被せる。


「わぷっ!? な────」

「……嬉しいなら笑っとけ」


 泣いた魔物なんてどうあやせばいいのやら。

 ない答えを探すように思った事を言葉にすれば、一拍おいて後ろから噛み殺すような笑みが聞こえた。


「……うんっ!!」




              *   *   *




「クソがっ!」


 中ほどから折れた剣が木の幹に突き刺さる。鈍い音と共に樹皮を抉り、(いわ)れの無い癇癪に自然が悲鳴を上げる。

 肩まで上り詰めた怒気。こちらに振り返った視線が収まりきらない感情を溢れさせて射抜く。


「ごめ────」

「クッソがぁあああっ!」


 反射的に口を突いた謝罪の言葉。一体何に対してなのかも分からない防衛本能は、けれど濁った叫び声に掻き消された。

 次いで顔を襲った殴打の感触。大人の男の感情任せな力に、世間一般で言うところの少女らしいこの体は支えを失うように倒れる。

 食事も水分補給もまともにしていない。そんな中で少ない魔力を用いて契約者に付与した魔瞳の力。底から搾り出した気力は既に渇きなど遠の昔に忘れていて。何故今もまだ存在できているのかすら怪しく感じる程だ。

 ……あぁ、なんでこんな事になったんだろう。わたしは何のために存在しているのだろう。何を何処で間違ったのだろうか。どこかにもっと別の生き方はあったのでは無いだろうか。


「ぁふっ!?」


 そんな事を考えると同時腹部に走った強烈な痛み。慣れなど無い慣れで、蹴られたのだと確信のような何かが浮かび上がる。


「どうして! 俺がっ! あんな! 奴を!」


 続く蹴りの衝撃。抵抗ができないほどに疲れた体と。無意識に命を守ろうとする体と。

 その上から襲いくる衝撃に、悲鳴を零すことさえも苦しい嗚咽のような呻きが吐き出される。やがて感じた、喉の奥の熱い疼き。次の瞬間広がった口内の鈍い味は、生暖かい赤いナニカを魂の欠片のように吐き出す。

 痛い。苦しい。辛い。

 声にならない悲鳴が、蹴られるたびに脳内に駆け巡る。何度目か分からない腹部の鈍い痛みには、歯止めの利かない涙が零れ、視界を滲ませた。


「泣いてんじゃ、ねぇっ!」

「ぁ゛っ!?」


 砂の山でも蹴飛ばすように思い切り振り被られた一蹴。咄嗟に身を硬くしたが、それさえも貫く衝撃が体を打ち抜き、石になったように世界が何度も反転する。擦過、強打、回転……停止。天地の方向すら分からない中で、左の脇腹が何か硬いものにぶつかって世界の撹拌が終わる。

 …………分からない。何で。どうして。

 疑問にも満たない感情が湧き上がっては、それらが悲しみと無力に包まれて己を苛む。

 いっその事気を失えたら。死ぬ事が許されたなら。もっと簡単に楽になれるのに……。

 けれどこの体は魔の宿った不必要な頑丈さで。怪我をした先から魔力を消費して大地が熱されるようにじわりじわりと勝手な回復を始める。……今回は、三日掛かるかな。三日後には、四日分の傷が増えてるのかな。

 絶えない体中の痛みとそれを治癒しようとする反応に疼く発熱。感覚も曖昧に意識だけは正常を保とうとする自分が恨めしく思えてくる。

 ……もう、嫌だ。痛いのも、苦しいのも、熱いのも。全部、全部全部。消えて無くなってしまえばいいのに。そうして、また最初からやり直せたらいいのに……。

 あるかどうかも分からない次の希望へ思考を馳せる。

 叶うことなら、次はもっとましな……普通の生活がしてみたい。戦いも無く、不用意な怪我もしないで、友達と家族に囲まれた……そんな有り触れた面倒臭く楽しい日常。望みを重ねれば、人並みな恋をして、ずっと笑っていられるような、そんな生活。

 今のわたしでは想像でしか……想像さえも許されないような、願い。そんな未来が、過去が、今が。手に入らない事を知りながら、生きるためにしがみ付く。

 止まらない咳。口の中の苦くねっとりとした感触。まともにできない呼吸に息苦しさを感じる。それでもまだ生きている。何かに、生かされている。……だったら、生きなければ。生きて、生きて、生きて。何をするでもなく生きる。ただそれだけが許された自由。

 その自由であり唯一を手繰り寄せるように伸ばした手のひら。それが偶然か、何かを掴んで朧気な視界を上げる。

 そこにあったのは、靴と、脚と、体と、腕と────こちらを見下ろす憤怒の顔。

 次の瞬間、触れてしまった琴線が雑音を響かせてわたしの体を襲う。わけも分からずに庇った顔。その腕の上に叩きつけられた硬い靴の感触は既に過去の出来事。体を包んだ衝撃にされるがまま地面を滑って、そこに居る事を確かめるように自分の体を抱く。

 生きてる事が辛いのに、生きなければ死んでしまう。死ぬのは、なんだか怖い。だから生きている。惰性で、緩慢と、仕方なく……。

 自分が生きている意味なんて、遠の昔に忘れてしまった。だから未来を考えることさえ億劫だ。

 ならばそれはもう生きながらにして死んでいることと同義だろうと。諦めを通り越した悟りが自分を客観視する。

 ……あぁ、疲れるってこういうことか。なんだか久々にそう思えた気がする。

 体中の感覚が曖昧で、今そこにいるのかすらも分からない。そんな色のないわたしをここに縫い付けるように陽の光だけがじわりと肌を刺す。

 感じた暑さに体の内側から沸いた汗。居心地が悪くなって何かから逃れるように身を捻り、腕を突いて体を持ち上げる。頬に、髪にくっついた砂が零れ落ちて手の甲の上に跳ねた。


「首尾はどうだ?」


 不意に聞こえたのは聞き覚えの無い声。一体何事だろうかと揺れる視界、重い頭を上げれば、見慣れた以上にいつからか見る事をやめてしまったわたしの契約相手の背中が。そしてその奥に、外套を被った複数の人の姿。どうやら先ほどの声はあの中の誰からしい。


「あぁ、先輩っ、丁度よかった! 話したい事があって!」

「話? 任務はどうした?」

「その任務の事だよ! 標的のやつが魔剣持ってるだなんて聞いてなかった!」


 渡りに船とばかりに先ほどわたしへ向けていた声色から一転、フードの男達に向けて言葉を叩きつける彼。

 彼が任された仕事。それは先ほど捕縛できなかった男の身柄の確保。詳しい事は知らないけれど、国として必要な人物らしく、生きたまま連れ帰れという命だった。

 生きていれば腕の一本くらいなくなっていてもいいと。無茶で馬鹿げた話だとは思ったが、仕事である以上国に飼われている身からすれば拒否するなんて選択肢は無く。

 幻を魅せる事が出来るわたしとその契約相手である彼。事の運びによってはその幻一つで終わるはずだった今回の任務。

 ……けれども標的の人物は情報に無かった相棒を従えてこちらの目的を跳ね除けた。わたしの幻はその相棒によって見破られ、標的の人物もわけの分からない剣術で彼を退けた。

 急襲が失敗し腕に怪我を負った彼と共に一度撤退して、再びの策を立てるでなく失敗をわたしに押し付けていつもの感情的な暴力で憂さを晴らしたわたしの契約相手。

 別に同情も共感もする訳では無いけれど、確かにあの魔剣の存在は厄介だ。真正面からやりあって勝てる相手ではない。やるならもっと遠回りな方法が必要だ。例えば……傭兵でも雇ってその人に任せるとか。少なくとも目の前に出て行って敵う相手では無いだろう。

 しかし運がよかったというべきか、援軍らしい後発隊と合流できた。彼らと協力できたなら数で押し潰して捕縛も可能だろう。幾ら一人が強くても、一度に複数を相手には出来ない。そこにわたしの力が加われば、幾ら魔剣持ちと言えどもその現実を覆す事は出来ないだろう。


「流石に魔剣持ち相手に────」

「だからどうした?」

「え…………は?」

「任務は貴様が受けたものだろう? ならばさっさと成すべき事をしてこい」


 そんな想像は、けれど続いた言葉で否定された。

 彼らは、わたしたちの援軍じゃないの……? 浮かんだ疑問を代弁するように契約主が叫ぶ。


「……ま、待ってくれよっ! 魔剣持ちだぞ? こっちには斬り結べる得物もないんだっ! せめて武器の一つでも……!」

「…………期待した我々の目が悪かったか」


 縋るように近づいて伸ばした手のひら。落胆したような言葉を落とした男がそれを払い除け、腰にさげていた剣を抜き切っ先を突きつける。尻餅をついた彼が目の前に光る刃に息を詰めて、睨む。その変化に、ずっと彼の捌け口になってきたわたしが気付く。

 咄嗟に止めようと喉を開くが、出たのは声でなく咳。その間に、瞳に叛逆の意思を灯した彼が短剣を抜いて斬りかかっていた。

 けれども攻撃を難なく受け止めた男が、フードの奥から目を光らせて唸るように零す。


「……何のつもりだ?」

「味方でもねぇ奴に情けがいるかよ!」


 叫んでまた一歩踏み込み、短剣を振るう彼。しかし男は虫でも払い除けるかのように連続で弾く。

 ……男の持っているあれは魔剣だろうか。魔力を帯びているから少なくとも魔具だろう。魔の宿る物に普通の武器で歯は立たない。

 考えていると遊びに飽きたように彼の手から短剣を跳ね上げる。同時、目に見えない魔力の斬撃が手首を一閃し、鮮血を舞い躍らせた。


「ぁぐっ!」


 遅れて宙を泳いでいた短剣が私の目の前、手の届く距離に突き刺さった。

 ……無理だ。もう武器もない。短剣には、いざと言う時のために熊さえ無力化する強力な麻痺毒が塗ってあったが、刃が届かなければ意味がない。わたしが手に取ったところで今のやり取りよりも無様な結果になるだけだ。

 このまま彼が戦えば間違いなく負ける。負ければ……負け、れば…………?


「くっそがぁ!」


 声に近くの木に止まっていたらしい鳥が飛び立つ。叫んで、腕を振るった彼の目の前に幻影の刃が描き出される。

 直接相手の体に掛けた幻術ならば精神を削り取る刃になる。だがただの幻のそれは、霞のように貫通するだけの脅しや囮の為の何の被害も齎さない本当の幻想だ。陽動や隙を作り出すのが目的ならば意味を持つが、この状況を打開する一手にはならない。

 当然、同じ仕事を生業とする者達にそんな嘘が通用するはずもなく。放った刃は見向きもされず距離を詰められる。

 魔力放出を砲にして攻撃しようとしていた彼の懐に入り込んだ男が、虫でも払うかのように斬り上げの一閃。防御さえも許さない一撃に鮮血が溢れて彼の衣服を染め上げた。


「がぁああっ!?」


 膝を突き傷口を塞ぐように手を当てる彼。しかし溢れて止まらない赤い液体はじわりと滲んだ染みを広げていく。

 そんな光景を何処か達観した自分が見ている事に気がつく。

 彼はわたしの契約相手だ。彼を失えば魔力の供給が途絶え、この身に宿る力をまともに扱えなくなる。そうすれば利用価値がなくなり、見捨てられる。

 そんな事は分かっている。……分かっているが、頭はその先を描いて止まらない。

 もし、仮に、例えば……。目の前の景色が何処か別次元の出来事だと諦めを抱く傍らで、何処に眠っていたのか分からない想像が湧いてくる。

 …………なんでこんな簡単な事が分からなかったのだろう。何時から考える事をやめていたのだろう。

 そうだ、いつも彼が言っていたではないか。弱いから価値がないのだと。弱い者に、自由は無いのだと。

 自由。あぁ、そうだ。自由のために生きているのだ。自由は、自分で手に入れるのだ。

 体が、動いていた。立ち上がって、足を出して、拾い上げたのは……地面に刺さっていた短剣。

 次の瞬間、目の前にあったのはいつからか直視する事を避けていた彼の背中。その後姿が────今はこんなにも儚く小さく見える。


「────ぁ?」


 手に広がった、柔らかく張りのある感触。広げた布に鋏を突き立てるような、たった一瞬の実感。遅れて、触れた場所に広がる赤い温度が、外套を伝ってわたしの指に生暖かい色を広げる。

 …………なんだ、簡単じゃないか。


「な、にぉ……? ……あぁ。ああぁあっ。ぁああああぁ! あああぁああぁああああっ!?」


 震えて大きくなっていく彼の声に条件反射で肩が震える。思わず後ずさりして顔を上げれば、驚愕に見開いた瞳でこちらを見つめる彼と視線が交わった。


「ぉま、えぇぇ……! 道ぐの、ぶん際でぇぇえええっ!?」

「ひぅっ!?」


 ぬるりと伸びて来た手のひら。視界を覆うような黒い影に足が縺れて後ろに倒れる。逃げるように、守るように頭の上に腕を上げる。が、想像していた接触はなく。一拍おいて目の前にどさりと言う音が響いた。

 恐る恐る視界を開けば、こちらに向けて縋るように手を伸ばす彼の姿。その瞳には驚きと、憤怒が入り混じり、悪魔の形相でこちらを見つめていた。

 暴虐な感情に支配された色に射抜かれ身が竦む。這いずるように伸びてくる震えた指先が、口を開けた蛇に見えた気がした。

 そんな手のひらが、けれどわたしに届く前に力を失って地面に落ちる。泡が水底より浮き上がってくるような音は彼の口から。やがて、血塗れた口周りでこちらを睨んだ彼は、そのまま石像にでもなったかのように動かなくなった。


「宿主を殺すか。面白い」

「──ぁ、ぁあ……!」


 微かに聞こえた男の声。値踏みするようなその響きに、けれど何かを返す余裕はなく。ようやく何が起きたのかを察した頭が体中を震わせる。

 何処を見ていいか分からず定まらない焦点が自分の手のひらを見つめて。そこに施された紅化粧に涙が零れた。

 ……わたしは、殺した。契約相手を。人間を。この手で。刺して。わたしが、殺した……!


「ぅぁああぁわぁあああぁぁああぁっ!?」


 視界が眩む。何かに押し潰される。自分が分からなくなる。

 赤い温度が。冷たい音が。煩い色が。わけの分からない奔流がわたしに向けて殺到し、何もかもを反転させる。

 わたしが、わたしは、わたしを、わたしで、わたしに、わたしの、わたしへ、わた────


「ふむ、気に入った」

「っ────!」


 何かがわたしの顎を持ち上げた。ぐらりと揺れたわたしの中心が、眩しい光を覚えて逃げるように目を閉じる。


「名は確か……ユウだったか」

「はぇ……?」


 ユウ。懐かしい響き。…………あぁ、そうだ。わたしの名前だ。なんだかずっと忘れていた気がする。

 そんな事を赤子のように思いながら、どこかに染み付いたわたしらしさが間の抜けた声を落とす。


「ユウ。君の宿主は死んでしまった。だから今度は相棒の君が宿主に変わって仕事をする番だ。分かるね? 彼を連れておいで。君の宿主を殺した彼を、殺しておいで」


 死ん……? 殺…………え? なに? わ、わからない……。わたしは、わたしは────


「そうしたら────君は自由になれる」

「ぁ────」


 自由。

 するりと滑り込んできたその言葉が、どこかに落としてきてしまった夢を見つけたように心の奥底へ刺さる。

 ……そうだ。自由。自由を、手に入れるんだ。だから────ナニカしたんだ。……ナニしタんだっケ?


「さぁ、行っておいで。自由が君を待ってる」


 優しい微笑み。差し出された短剣を見つめて、余計なことを考えるより先に受け取る。

 …………難しい事は、いいや。これでわたしは自由になれる。やっと歩き出せる。その最初の一歩が、よく分からない相手をどうにかするだけだ。

 フふっ、なァんだ! 世界ッてこンなにかン単じャないっ!

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