七夕~ささやかな願い事は~
放課後、いつも通り教室でぐだぐだしていると、梅流がやってきた。手には短冊とペン。そうか、明日は七夕だ。梅流はオレと古賀ちゃんを明日の夕飯に招待してくれた。
「いいの!?」
「おばあちゃんが、是非って。お素麺とか煮しめとかしか出ませんけど、良かったら……」
「行く行く! 古賀ちゃんも来るよね?」
「え~~?」
「古賀ちゃんちから梅流んちまで歩いて十分もかかんないじゃん! 行こうよ~!」
押して押して押すと、古賀ちゃんは面倒くさそうに頷いた。さっすが古賀ちゃん! 七日が金曜日だから、梅流の家で素麺を食べて、そのまま古賀ちゃんちで土日も一緒に過ごせる。やったね! 古賀ちゃんの寝顔を見放題だ!!
「ばぁか!」
「痛いよ~。古賀ちゃんはオレに冷たすぎる!」
「まぁまぁ」
デコピンされたおでこをさするオレの前に差し出されたのは、色とりどりのペンだった。
「飾るのは今日の夕方からなので、冴島くんも書いてください」
「う~ん。なに書こうかな。……そうだ、古賀ちゃんがオレに優しくしてくれますように!」
「お前、それ無効な」
「なんで!?」
「七夕の短冊には、学業の向上や、芸事や書道の上達、日々の健康を願って、感謝とともに書くんですよ。そういうのって、神社に参拝してお願い事をするときにも同じことが言えますよね」
「ふーん」
オレの声があんまりにつまらなそうだったからか、梅流は慌てたように手を振って、「今はどんな願いを書いてもいいと思います」と言った。複雑に編まれたおさげの尻尾が揺れて可愛い。
「短冊、オレたちのだけ?」
「いいえ? 桜ちゃんや、クラスの子たちのや……。私の家の軒先に飾るだけって言ったんですけど、イベントだからって、こんなに! 飾りも貰っちゃいました。あ、藪くんのもありますよ」
「あいつ……クラス違うのにぃ……」
「いっそ、教室に持ってこられたら良かったですね」
「梅流がぁ? 無理じゃない? ね、古賀ちゃん」
「小学生じゃあるまいし、誰も七夕なんか祝わねぇよ」
「そう……ですよね。えへへ……」
古賀ちゃんの冷たい言葉に、梅流がきゅっと唇を結ぶ。今のは傷ついた、傷ついたよね!
「古賀ちゃん! 古賀ちゃんなんてこうしてやる~!」
「うわっ、やめろよ、冴島!」
古賀ちゃんのサラサラの黒髪を、オレは思いっきり掻き乱した。古賀ちゃんが意地悪なのは知ってるけど、梅流を泣かすのは許せない!
と思ったけど、古賀ちゃんはスルッと抜け出して逃げてしまった。シトラスの香りだけが残る。
「あっ、古賀ちゃん! 短冊は?」
「書いたよ」
見せて、と頼んだら「やだね」のひと言で断られた。梅流もなんだかんだで見せてくれない。オレは迷って、最終的に『みんな、仲良く!』と書くことにした。古賀ちゃんは「高校生にもなって!」って笑うかもしれないけど、オレにとっては重要なことなんだよ。
いつもと同じく、バス停で古賀ちゃんたちと別れる。一緒のバスに乗る二人を見て、ちょっと胸が苦しくなる。オレはバイクに飛び乗ると、ペダルに足をかけた。ぐん、と踏み出すと風が頬をかすめる。……「お似合いだよね」って、よく噂されてるんだ。黒髪の美男美女のカップルなんて、まるで織姫と彦星みたいだ。
なんて、そんなことを考えていたら二人が夢に出てきた。古賀ちゃんのコスプレが似合いすぎて笑える。しかも、本物だったら絶対にしなさそうなセージツそうな顔して! 織姫の梅流はいつか一度だけ見た眼鏡を外した姿で、不安そうに古賀ちゃんの服を掴んでその背中に隠れていた。
ふんだ、どうせオレは二人を引き裂く悪者ですよ~、だ!!
次の日。オレは最後の授業を終えて伸びをした。
「あ~、よく寝た!!」
「いや、寝てるなよ」
「あ、古賀ちゃん、お疲れ!」
古賀ちゃんが振り向いて、呆れた顔でオレを見る。うんうん、今日も美人さんだ。古賀ちゃんは眼鏡を外して眉間を揉むと、ため息を吐いて言う。
「支度してきたか?」
「うん、バッチリ」
「あ、浴衣……俺の親父の古いのでよければ貸すけど?」
「おお~、実は着たことないんだ、浴衣。古賀ちゃんは? 古賀ちゃんも着るの?」
「着るよ」
着るんだ!!
絶対に似合うよね!
「うわ~、楽しみ! で、どんな柄? 花火? それとも金魚?」
「…………ばぁか」
なんで古賀ちゃんにデコピンされるのか、まったく理由がわからなかったけど、それは梅流を見てハッキリした。玄関を開けて出迎えてくれた梅流は紺地に色とりどりの花火柄の浴衣を着ていた。つまり、オレが古賀ちゃんに似合うと思っていたのは女の子の浴衣だったわけだ。
オレは焦げ茶に縦縞が入った浴衣で、古賀ちゃんは白地に水飛沫みたいな柄のもの。さすがに下駄は借りてないからオレはスニーカーだけど、古賀ちゃんのコーディネートは上から下までキまっている。
「今日はサンキュな、これ、お土産」
「わぁ、西瓜! ありがとうございます!」
「冴島のチョイスだから」
「冴島くん、古賀くん、ありがとうございます」
ぼーっと見ていると、古賀ちゃんに肘鉄をくらった。ちょっぴし痛いよ……。
「どうぞ、上がってください」
梅流に言われて裸足で上がった床板はひんやりしていて気持ち良かった。案外涼しいんだなぁ、日本家屋。熊の彫られた衝立がなんだか可愛い。
オレは梅流の手から大玉西瓜を取り上げて、台所まで運んでいった。ちょっとぶりに会う梅流のおばあちゃんに挨拶して、扇風機の回る居間で晩酌しているおじいちゃんの横に座る。でっかいテーブルにはすでに夕飯が並んでいた。
お素麺にちらし寿司、刺身の盛り合わせ、煮しめ、枝豆のたっぷり入ったガラスの器、それと多分オレたちのために買ってくれたんだろうなって思う鶏の足のあぶり焼き。どれも美味しくいただいた。デザートの西瓜を食べているとき、いつの間にか古賀ちゃんと梅流がいなくなっているのに気がついた。
軋む廊下をそっと踏みつつ、笹の飾ってある縁側へ向かうと、寄り添って座った二人が黙って笹を見上げてた。蚊取り線香の匂いと、虫の声。うちわを仰ぐ音。
どうしよう、オレって完全にお邪魔虫……。
「短冊……たくさんあって、どれが誰のだかわかりませんね」
「ん? ああ、そうだな」
「古賀くんは、なんて書いたんですか?」
「なんて書いたと、思う……?」
「えっ……」
障子の陰からこっそり見ていると、古賀ちゃんが低く色っぽい声で梅流の耳許に囁いていた。梅流も驚きながら、まんざらでもなさそう!
二人の距離が急速に縮まって、オレは、オレは……!
「古賀ちゃん、こんなとこにいたのっ!? 西瓜なくなっちゃうよ!」
「ひゃん!」
古賀ちゃんが動くより先に梅流が立ち上がってバッと離れた。二人とも下駄まで用意して、外からこっちに回ってきてたのか!
「冴島くん……! び、びっくりしました。ちょっと散歩してきて、その、帰りなんです。中に入る前に笹を眺めてて!」
「オレも誘ってよ!」
「ごめんなさい、あんまり美味しそうに西瓜を食べていたから……」
梅流はいつもより言葉多く言い訳みたいなことをしているのに、古賀ちゃんときたら梅流の肩に伸ばしていた手を膝に置いて、こっちを意味ありげに見てくるんだ。月明かりのせいかその流し目も笑んだ口許も、すっごく……なまめかしい!
もしかしてオレが隠れていたことを知ってて、梅流にちょっかいをかけたんじゃないだろうかとさえ思えてくる。古賀ちゃんが悪戯っぽい表情のままでオレを手招くので、オレは古賀ちゃんの隣に腰かけた。梅流はオレの隣に。ちょっと狭い。
「オレのお願いさ、『みんな、仲良く!』にしたんだ」
「へぇ。バスケじゃないんだ」
「あれは遊び!」
「……遊びでエースにはなれないと思いますけど」
「冴島はフツーじゃないから」
「とにかく!!」
梅流と古賀ちゃんがボソボソ言っているのを遮って、オレは二人の手を掴んだ。右手に古賀ちゃん、左手に梅流。
「オレは三人いっしょがいいの! 恋愛とかでまだこの関係を壊したくない!」
「冴島くん……」
「なら、そういうことにしといてもいいぜ、俺は」
「古賀くん?」
「古賀ちゃん?」
オレと梅流が同時に口を開く。古賀ちゃんはにんまりとして、とっても楽しそうな口ぶりだ。
「おもしろそうじゃん? その協定、誰が最初に破るか、さ」
「古賀ちゃんは意地が悪い!」
「性格も悪いですよ」
「ほっとけ」
古賀ちゃんはオレの手を振りほどいて立ち上がった。笹のすれる音が耳に涼しい。
「梅流が誰を好きになるか、誰と最初にキスするか、賭ける?」
「ちょ、ちょっと、古賀くん!?」
「うわぁ……」
「冴島くん、止めてください!」
「それってすっごく、気になるじゃん!!」
「冴島くん!?」
梅流が慌てた声を出す。でも、それは気になるでしょ。オレは古賀ちゃんが好きだ。綺麗だし、優しいし。何より強くて意地悪で、それなのにすごく繊細なところが好き。
梅流のことも可愛いと思う。優しいし、お菓子をくれるし、女の子だし。
ただ、目下のところ梅流は古賀ちゃんに惚れてるっぽい。古賀ちゃんがどう思っているかはまったくの謎なんだけど、告白されたら案外コロッといってしまうかもしれない。いやしかし、引っ込み思案の梅流にそんなことできるかな……? そうだ、いいこと思いついた!
「ただし、古賀ちゃん、あくまで梅流からするってことでいい?」
「あん?」
「梅流から告白すること、梅流からキスすること! それが条件。古賀ちゃんからするのはナシね。露骨に誘うのもダメ。二人っきりになるのは阻止してもいいんだよね?」
「ふぅん? なら、その条件でいいぜ」
「よっしゃ!」
この勝負の間だけは三人でいられる、二人がくっつくのを邪魔できる。たとえ梅流が古賀ちゃんのことを好きでも、「応援するよ」なんて言わなくていいんだ!
「ちょっと、嫌です! やめてください!」
「いいじゃん、俺たちが勝手に言ってるだけだからさ」
「それでもです!」
「ごめん、梅流。でも、オレもそうしたいんだ~」
「か、可愛く言ってもダメですよ!?」
「あ、そうだ。梅流さ、眼鏡外した方が可愛いよ?」
オレがひょいっと円い赤フチの眼鏡を外すと、梅流の目が見開かれて真っ赤になってしまった。…………あれ? もしかしてこれって、オレにもチャンスある?