第9話:ニート、志を育てる
「犬のくせに知能派かよ!」
スライムから抜け出した俺は、スライムを抱えてモンスターに背を向けて走る。ああ、10メートルも距離が空いてない!
来た道を戻り、さっきと違う方向に曲がる。この先が行き止まりだったら俺は死ぬ。その前に追いつかれるが。
必死に思考を巡らせる。命の危機だ。明日本気出すじゃない。いま本気を出せ俺。人間、命が危険にさらされたら野生の本能のひとつやふたつ、覚醒して然るべきだって!
だが、隠れるという選択肢が使えない。視覚はともかく嗅覚は無理だ。知能も高い、簡単に見破られる。
逃げる――論外。いまも追いつかれようとしているのに無理だ。
ならワープの罠を踏む!
ワープの罠があった場所を考える。レアモンスターの近く、ならばあれは故意だ。故意に設置されたものだ。同じような装置が他にもあるはず。それを踏めば強制的に逃げ切れる!
「でもどこにいるんだよ、リトル・ボア!」
背中に響く咆吼に泣きそうになる。逃げ出したい。逃げてるけど。飛び込んだ広間で、スパイダーが逃げ出してるのが見えた。……逃げる!?
やばい、リトル・ボアも逃げてるはずだ。ならワープ装置の目印にできない!
「マズいマズいマズい」
なら何を目印にしてワープ装置を探す!?
思い出せ、思い出せ、他になにか手がかりは――
ドンッ、と地面が揺れる。もう振り向かなくてもわかるほどに、背中に巨大な質量が迫っている。
や、や、やば――
ドシンッ!! 一際大きな音。あ、これ次の音は俺の躯が吹き飛ぶ音だ、と覚悟した。いや、覚悟なんてできてない。できてないけど! でもふつう覚悟するところだろう――!
だが、なにも音がしない。
俺は走りながら振り返る。
モンスターが転んでいた。そして立ち上がろうとしている真っ最中だった。
「なんで、転んで――」
ぼとり、と俺の腕から水の塊が落ちる。心なしか、腕の中のスライムが軽い。
俺はモンスターの足元に注目する。爪に、ゲルがまとわりついている。
「まさかお前、助けてくれてるのか!?」
スライムが震えるだけで相変わらずよくわからない。でも俺は胸が熱くなるのを感じた。
希望が見えた。あっちの動きが遅くなるなら、それだけ俺に与えられるチャンスは増える。俺はとにかく、ワープ装置を見つけなければならない。死ぬ前に!
そのとき、ミニマップに反応があった。……緑色の、光点!
「ゼノビアさん!?」
神様仏様ゼノビアさま!
どうやら、ミニマップの範囲内に、ゼノビアさんがいるらしい。暗黒領域に、緑の光点がひとつ存在する。
ゼノビアさんがいるなら話は変わる。あの人なら、あのモンスターといえどどうにかできる……はずだ。
なるほど、ミニマップ。確かにこいつはダンジョンの中では有用だ。しょぼいなんていってごめん、現在地がわかる発明、最高!
俺は緑の光点目指して走り始める。
通路を曲がりながら、俺はスライムに叫んだ。
「ここに体液設置たのむ!」
言葉を理解したかは分からない。だが、スライムは角をまがってすぐに液体を落としてくれた。あのゲルに足を取られて転んでくれという算段だ。
俺はどんどんゼノビアさんに近寄っていくのがわかった。これなら、間に合う!
モンスターが通路から姿を現す。……はやい! 学習されたか!?
スライムに向けて再度指示。
「頼む、またゲルを……あれ?」
スライムが、随分と小さくなっていた。
だって、薄く広がれた子供の俺ひとり包み隠せたスライムの大きさが、今は両腕で作った受け皿に収まるほどしかない。
「あっ、有限。そらそうだ!」
これ以上、体積を減らして大丈夫なのか。いや、多分限界だ。だって、もう自発的に躯を切り離していない。これ以上やれないか、もしかしたら死ぬ。
死ぬのはダメだ。ならできない。
「だけど、ゼノビアさんの元につく方が、はやい――!」
この通路を抜けた広間! そこを抜ければゼノビアさんの場所だ。
俺は広間に転がり込んで――絶句した。
「行き止まり!?」
ここにきて!
いや、むしろ場当たり的感覚で先に進んでいたのに行き止まりがなかったことが驚きだ。ある程度はミニマップでわかるとはいえ、一定以上の広さがあればマッピングの対象にはならない。なにせ、自分中心に5メートル程度しかオートマッピングできていないのである。この広間の壁際まで、優に20メートルはあるのだ。明らかに範囲外!
背後にモンスターが迫る足音が聞こえている。引き返せない。
あの壁の向こうに、ゼノビアさんがいるはずなのに。
考えろ、考えろ。
辺りを見る。材料を探せ、思索の材料を探せ。考えることをやめなければ、生きる道はある。それがゲームだったじゃないか。
目的を切り替える。
ゼノビアさんに会う、これは物理的にできない。最良の勝利条件だが、不可能なものなんだから拘っても仕方ない。後一歩でできることでも、後一歩でできないことことなのだから、拘泥したら敗北する。
なら、別の目的を作る。やはり、ワープ装置の探索。
あるのか、この部屋に? ワープ装置が?
「なんだ、どこの側にあった」
思い出す。リトル・ボアの近く。アイツらはイモを食べる。スライムは食べ残しのイモを食べる。何故スライムは食べ残しを待つ!? 何故自分で最初から食べない? 違う、食べられない。なぜなら土を掘り返すこともできないほど非力だからだ。そう、イモなら地面に埋まっているはず。掘り返す、掘り返された土はわかりやすい。たとえリトル・ボアがいなくとも!
俺は広間を走りながら、見渡して――見つけた。それは奇しくも正面を走った先にある樹木の壁、その根元。そこの土が掘り返されていた。
俺は走り出した。あのときと同じパターンなら、あそこにワープ装置が、ある。
あれば、完全に俺の実力勝ちというわけだ!
ついに、モンスターが広間に入り込む。俺は汗で重くなった鉛の服を背負って走る。
そして、目的地についた。掘り返された地面。そこには、目印となるイモなんてない。
「……ああ、ダメだったか」
やっぱりか、なんて。そんな諦めがあった。
背後を振り返る。モンスターが、獣の前足を振りかぶっている。
――ああ。当たったら死ぬな。
俺は後ずさりしながら、地面を踏みつける。躯はワープ――しない。
ダメだった。
一生懸命考えたが、ダメだった。
付け焼き刃では、ダメだった。
まあ、そうか。と俺は諦観した気持ちで、振り上げられた腕を見ていた。だって、あんまりにも都合が良すぎる。ここぞというときに頑張って、成功して、実力を示すことができるだなんて。
当たり前の話。――なにもしてないのに、なにかできるわけがない。
だから当然。本番になって慌てても、できないものはできない。さながら、勉強を忘れて試験に臨んでしまったように。
それにそもそも、成功しても困っただけかもしれない。なにもしてこなかった人間が、なにかをなせてしまったら、それは――別に俺じゃなくても、できることだって。認めてしまうだけなんだから。別に魔王に選ばれるのは、俺じゃなくてもよかったと認めてしまう。
それはなんか嫌だ。だって俺は。
人より特別でいたかったのに。
「これじゃあ、結局。ひとりじゃ何も出来ない子供だな」
苦笑しかできなかった。
「こんな勝ち方じゃ」
直後、躯に浮遊感。
全身に、地面から伸びたツタが絡まっていた。そう、まるで触手のような植物のツタだ。
俺は衝撃に備えて歯を食いしばり、顎を引く。
モンスターが巨腕を振り下ろす。
俺の躯が真横に向かって吹き飛ぶ方がはやい。
視界が霞む。臓物が背中に張り付くような、ジェットコースターさながらの急加速。
俺は、ショクシュカズラによって引き寄せられたのである。
ダンジョンの入り口を思い出す。
ゼノビアさんが、地面を踏んで左右からショクシュカズラが出てきたときのことだ。あれは、地面の下に張り巡らされたショクシュカズラのツタを、ゼノビアさんが踏んだことで反応したが故の行動だった。
俺は、ワープ装置を探そうとして、見つからなかった。しかし、代わりにショクシュカズラのツタを見つけることができた。俺はそれを踏むことで、獲物と思わせて引き寄せられることを選んだ。
空中を舞いながら、手放さないようにスライムを抱きかかえる腕に力を込めた。ショクシュカズラは、こいつが目当てでもあったのかもしれない。共生相手が範囲内にはいったことで、自動的に反応した。巨大な獣がいようが関係ない、彼らは植物。逃げたりなんてできないし、自身の張り巡らせた罠は自動的に作動させるのだ。
俺の背中が木々に激突する。足元の地面を掘り返されて、中から植物の口が現れた。ツタでがっちりと躯を固定されているので、こいつから逃げることは俺にはできない。
バキバキバキと破壊音を鳴らしながら、モンスターが俺の方に頭を向けた。まるで、「今は逃げ延びたようだが、それがどうした?」とでも言いたげだった。「次こそは殺してやるぞ」そういっているようだ。
次、次か。自分で思い付いて、笑ってしまった。
次なんてあるものか。少なくともこの場において、次なんてない。
「それ、お好きなんですか。――魔王さま」
そう、お前はここで終わるのだから。
懐かしい声が聞こえた。別れてから、そう長いこと時間は経っていないはずなのに、まるで数年ぶりに聞いたような声だった。
単純な話だ。あのモンスターは巨体である。急な停止などできるわけがないし、森のあらゆるものが自分を傷つけられないのだからするわけがない。
だから、腕を振るおうとして障害物に当てないなんて力加減はできないし、するつもりもないのだ。
その爪は、壁のように密集した樹木さえ容易く切り裂けてしまうのだから。
樹木が倒れていた。そこには、陽光を背負って立つゼノビアさんの姿があった。
ああ、なんと神々しいのだろうか。淫魔だのなんだのと、あんなのは嘘っぱちだ。あそこにいるのはモーゼ、神の使徒、俺の女神。
金糸の長髪を風になびかせ、ひとりのメイドが巨獣の前に立っていた。
「こんなときでも遊んでいるなんて、クズですね」
「……遊んでるんじゃない、死にかけてる」
「なるほど、ところで、なにか言いたいことはございますか?」
巨獣がゼノビアさんを敵と見なして再び腕を振り上げている。なのに、彼女は俺の方を見ていた。慇懃無礼でトンチキな敬語で、こちらに問うてくる。
だから、俺はスライムを抱きかかえながら、言った。
「ごめんなさい。助けてください」
獣の腕が振り下ろされる。巨腕は風を切り、そして。
「よくできました」
ゼノビアさんが無造作に奮った拳で、弾き飛ばされた。
「グウ!?」
驚く巨体。その片腕は、あらぬ方向に腕がねじ曲がっている。なにがおこったのか理解していない。だってこのダンジョンでは、自分はなによりも強い。食物連鎖の頂点であるはずだった。それなのに――。
「自分はダンジョンの支配者なのに、という顔ですね」
ゼノビアさんが、困惑してたじろいだ獣を見て言った。
彼女が一歩前にでる。獣が意を決したように牙を剥く。
それらは同時。タイミング的にはゼノビアさんの虚を突く形。
だが牙は、片手で止められることになった。
小さな掌で押しとどめられて、獣が小刻みに震える。
「いいですか、本来のダンジョンの支配者。それは魔王さまに他なりません。
わかりませんか? 貴方は――」
細指が、牙を砕いて食い込んだ。力任せに腕を下げると、獣が前につんのめる。入れ替わりに、ゼノビアさんが跳んだ。
流れるような動きでかかとを振り上げて――。
「頭が高い」
それは断頭台のような一撃だった。
満月のように美しい、円を描いてのかかと落としだった。
ダイナマイトのような轟音。獣の頭が地面に激突し、見上げるほどの土柱があがった。
エプロンドレスの裾を抑えて、ゼノビアさんが獣の頭頂部に着地する。
あれほどまでに俺を脅かしていたモンスターは、頭を垂れる体勢のまま身じろぎひとつしなくなっていた。
風に吹かれて、黄金の髪がふわりと揺れる。巨大な狼を見事に調伏してみせた激烈な動きとは対照的に、獣の頭を踏みしめているのは物静かな女性であった。津波によって大荒れした海が、ぴたりと凪いだように。その激しいコントラストに、俺は目を奪われている。
強くしなやかな、戦の神のような美しさだ。美しいから、美しいのではない。恵まれたものを持っているから、そうあったのではない。ただただひたすらに強く、その力でもって燦然と君臨する。その姿こそが美しい。
あれは戦う獣だ。自身の体を、レベルを、高め続けたからこそ尊い。彼女の美しさは、美術品のそれではなかった。軍艦のそれだ。強力無比な能力を持つようになったが故に、ため息しかでないほどの異様となった。
目が開けられない。直視できない。太陽を見たら目が焼けるように、俺にはあまりにまぶしすぎる。
だって俺は、いま間違いなく焦がれている。
自分のメイドに焦がれている。
ああなりたいと、思っている。
「魔王さま」
「はい」
彼女は、眉根を寄せて怒っていた。
「迷子注意、です」
まったくだ。
すんなりと、俺は頷いていた。迷子ばかりだ、遠回りもしすぎである。
反発しようと思う心が、いつの間にか消えている。当たり前の話だ。一流のサッカー選手からのアドバイスに、怒るサッカー小僧がいるか? ああ、そうだったのかと頷くだけだ。
子供、子供か。
そんな軽口に怒っている時点で、俺はまだまだ幼かった。
だけど、いまは違う。いま胸に燻るのは別の炎だ。
ゼノビアさんは、すごい。
だが、俺も魔王だ。
ならばいつか、俺もあそこにたどり着く。
「あの、ところで」
それはそれとして。
俺は振り絞るような声でいった。
「こっちからも、助けてくださいませんか」
ショクシュカズラに頭から呑み込まれそうになりながら、俺は泣いて許しを乞うた。
一区切りついたので少し間を開けます。
また溜まったら投稿するのです。長くとも今月中のはず。