第51話:魔王の決死戦(3)
「あら、あまりに遅いので逃げ出したかと思いましたよ」
結果として言うなら――
俺はいつも通りの女王様の毒舌に出迎えられた。
「……ご無事そうでなによりで。この調子なら洗脳はされてないか」
洗脳されているせいで、突然斬りかかられる……という事態は避けられたようだ。
というわけで、俺たちは人目を避けながら、グローラ城の表門にたどり着いていた。
俺たちをここまで誘導した近衛の騎士たちに命令を出し始めるアーリヤを尻目に、ゼノビアさんが言った。
「いえ、わかりませんよ、魔王さま。もしかしたらいつも通りに会話のできる洗脳もあるかもしれません、私たちが知らないだけで」
「いますぐ不敬罪で断頭台に送りつけますわよ」
眉間に皺を寄せて、アーリヤは「はあ」とため息をついた。兵士たちが隊列を組んで城内の鎮圧に向かっていく様を一瞥して。
「そなた達も見たのではないですか? 兵士たちが叛意しているということは、洗脳対策が失敗していたということ。なら実施した側に問題があるはずで、逆に言えば、リカルドの指示によって検査をされたわけではないのだから、わたしにはなんの問題も――」
そこでアーリヤがミレイナを見た。俺のサード・アイが、ミレイナの曖昧に笑う表情に気づく。
アーリヤが言葉を切って、「ともかく」と言い直す。
「わたしにはその心配は不要です。医者でも呼びつけましょうか?」
「わかったわかった、信じるよ。どっちにしろ、本当に女王陛下さまがそうなってたらこの世の終わりだ。それより……」
「なんです?」
「無事でよかった」
俺の言葉に、アーリヤがキョトンとした。見たこともないくらい無防備な表情だ。
「……あれ、なに、どうかした?」
「いえ、別に」訊ねると、表情はいつもの不機嫌そうな、それでいて毅然としたものに変わる。「それよりも、そなた達。現在発生している問題は把握していますね」
「無論です」
答えたのはゼノビアさんだ。
「貴方たちの中に獅子心中の虫がおり、いままさに街が陥落の危機にある――ですね」
「言い返してやりたいところですが、恥ずかしながらその通りですわ。
現在、西門が内側から破られ、モンスターたちが進軍している最中です。避難はさせていますが、どの兵士が信頼たるものなのか確証がいられない状況……」
俺は頭を掻いた。
「地獄絵図だな」
聞いている限りでは、もうこの時点で負けも同然とすら言える。味方も信頼できない状態で大軍に攻め入られた、など。
しかし、アーリヤの目には強い意志の力がある。
「ですが、まだ終わってはいません。この程度の苦難、過去の英雄たちは乗り越えたに違いありません。
本当の敗北は、悪しきものに対抗する旗印たるこの街そのものがなくなることです」
「そうなると……地下のダンジョン・クリスタルを狙われるのが一番ヤバイ!」
この国は、地下ダンジョンの上に成り立っている。そのため、破壊できないというルールのあるダンジョンを地盤にしたグローラは堅牢である。ただ一点、そのダンジョンに問題さえ発生しなければ。
「おそらく、地下のクリスタルを狙うモンスターたちが現れることでしょう。あればかりは、魔王か、その眷属たるモンスターしか操作できない……でしょう?」
「俺に聞かれても」
こっちも又聞きなんで。と肩をすくめてゼノビアさんに視線で助け船を出す。
「ええ、ダンジョンの管理者となれるのは、モンスターか魔王さまだけです。現在は魔王さまが管理者ですが、クリスタルに到達したモンスターがいた場合、管理者権限が上書きされるでしょう」
その危機は勿論想定済みで、事前にクリスタル周辺には厳重にトラップを設置している。本当は出入り口を塞いで、俺がクリスタル周辺に籠城することが最上なのだろうが、そうするとクリスタルから発生した魔素がダンジョンに行き渡らないらしい。魔素で維持されたダンジョンが壊死するので、常にルートは確保しなくてはいけない……なんともゲームらしいギミックだ。
「よって、わたしはこれより地下ダンジョン最深部に潜ります。魔王、そなたも同行しなさい」
「当然」
そこが俺が一番働ける場所だ。
「ダンジョンでの籠城……ええ、今回もいつも通りですね」
「よし、そうなったらお姉ちゃんも頑張っちゃうぞ!」
ミレイナが笑顔で腕をつきあげる。なにか言おうと思ったが、なにか言おうものなら逆に気を遣わせそうで、俺は自称姉にかける言葉を呑み込む。
「籠城となると、万が一があってはなりません……兵たちは外の防衛と避難誘導に当てましょう。
そうすると、少しでも安心できる戦力が必要ですが……スライムの娘たちは?」
ライムとゴン太は、俺たちの部屋とは別にいた。だからここまで出会ってはいない。
「ああ、ライムちゃんとゴン太なら、あたしが部屋に押し込めてきたにゃ~。うろちょろしてたらあぶにゃいからね!」
「戦力が必要といったでしょうに……まあ、子供に戦わせるわけにも参りませんか」
少し考え込んだようだったが、アーリヤは仕方なしと割り切ったようだった。
「魔王さま、時間がありません。一刻も早くダンジョンへ参りましょう」
「そうだね。ただ、ゼノビアさんにお願いがあるんだ」
「はい?」
俺は炎が揺らめく街並を指さした。
「ゼノビアさんは住民の避難を助けるために、モンスターたちを食い止めてほしいんだ」
ゼノビアさんが息を呑んだ。
こんな風に息を詰まらせて、なにか言おうと口を開いては閉じる煮え切らない彼女の姿を、俺は初めて見た。
「いくらこの街の弱点だからって、ダンジョンだけ防衛してもしょうがないだろう。また他の人の避難先にするためでもあるんだから、逃げてくる人たちがいなきゃ始まらない。
だから、ゼノビアさんに殿を頼みたいんだ」
「……正気ですか、魔王さま」ぽつり、とゼノビアさんが言った。「それがどれだけ危険なことか、わかっているのですか?」
ああ――わかってる。本当に痛いほどに。
だって、これは完全に悪手だ。何故なら、もしここでアシッドが俺の前に現れたらどうなるだろう。
終わりだ。負けである。そもそも、俺たちにはゼノビアさん以外の手段でアシッドを倒すことが不可能だ。レベル差は数千、ダンジョンでいくら罠を仕掛けようがそもそもダメージすら与えられない。だから俺は、できるだけゼノビアさんと離れない、あるいはすぐに助けに来てもらえるように配慮していたのではないか。
だが、これは少なくとも、俺の命を優先した場合の話。
国家全体の存続を図るなら、この限りではない。
「わかってるよ。でも、そのうえでゼノビアさんに頼みたいんだ。人を助けてきてくれないか」
「……わたしの仕事は、魔王さまを守ること。その限りでない命令を聞くことはできません。他の手段を考えてはどうですか。例えば、他のものに避難誘導をさせるとか」
「ゼノビアさん」俺は言った。「俺が頼みたいのは、ゼノビアさんなんだよ」
それからどれくらい経ったか。
一分とは経たなかっただろう。
はあ、と疲れたため息が根比べの終わりを告げた。
「……わかりました。貴方がそれを望むならば」
「ありがとう」
俺は感謝することしかできない。これは俺のワガママだし、正直言って、もっと良い手はあるはずだ。
でも、俺にはこれしか思いつけなかった。
そしてなにより、見捨てることができなかった。
あの戦火の中で――いったい何人の家族が、犠牲になっているのだろうかと。
そう考えてしまったのだ。
「それでは皆様、魔王さまをよろしくお願い致します。ご覧の通り――実のところ、あまり自分の命に頓着していらっしゃらないので」
「人のこと自殺志願者みたいに言うのやめてくれない?」
俺は俺のことを殊更大事に考えてるからね。じゃなきゃニートなんてしませんからね。
俺は苦笑してしまったが、そんな俺を寂しそうに見つめる彼女の瞳を、俺のサード・アイは捉えていた。なんのことだか判らないので、俺はなにも言わなかった。
「それでは……」
「待って」
背を向けようとするゼノビアさんを引き留めた。
「いってらっしゃい」
寂しそうだった彼女の表情が、笑みに変わった。
「……はい、行って参ります。
親不孝の魔王さま」
ドン――ッ
砲弾の発射音のような轟音。それは、ゼノビアさんが床を踏み抜いて跳躍した残滓だった。
さっきまで手の届く位置にあった躯が、空のシミとなって消える。数秒後には、甘い残り香も風に紛れて闇夜に消えた。
こうして、俺はぽつんと立ち尽くす。自分の意志でへその尾を切って、暗闇に産み落とされた。孤独な赤子のような不安感。
「……ネジロー、あたしたちのこと忘れてない?」
――など感じている場合ではございませんでした。
不機嫌そうな声。振り返らなくても、俺にはミレイナがじっとりとした目を向けてくるのが見えてしまった。
「はーーー、信用、信用かにゃーーー。はいはいお姉ちゃんはメイドさんほど信用されてないですよーーー」
「ちょっと待って別にそんなこと言ってないじゃん! これは適材適所、適材適所だから!」
拗ねたミレイナをなだめようとするが、さらなる追撃が襲い掛かってきた。
「まったくです……防衛のための稀少な戦力を……!
ああ、もう、ともかく地下に参りますよ。一分一秒が惜しい状況なのですから!」
アーリヤに急かされて、俺たち三人は地下ダンジョンに向かって走り出した。




