第50話:魔王の決死戦(2)
落下していく躯。
マジで地面に直撃五秒前。
「うおあああああああああ!」
ミレイナが捕まっていたシーツが切り落とされ、躯が重力に捕まり自由落下していく。超高速スタッフロールのごとく流れていく視界――!
「よっと」
ガクンッ!
呑気なミレイナの声がした瞬間、躯が空中で急制動。俺の腰にまわっていた彼女の腕が腹に食い込む。
「ぐえっ」
締め上げられる。思わずカエルのように口から胃でも吐き出しそうになった。
「おっと、ごめんごめんにゃ」
頭上の声に抗議の目を向けると、ミレイナの片手が短剣を城壁の合間に突き立てているのが目に入る。よかった、助かった……。
「えっ、どこにそんなの隠してたの。こわっ」
「乙女の躯には秘密がいっぱいなのにゃ」
「あまり魔王様に間違った性教育をしないでください」
空からゼノビアさんが降ってきた。
ミレイナが突き刺した短剣の上にふわりと着地する。本当にここまでどうやって降りてきたんだと思うくらい音のない着地であった。
……俺にはサード・アイで見えていたが、途中で壁面に指を突き刺して減速しながら降りてきたようだ。あまりにもかわいげない力業である。
すまし顔のゼノビアさんに、ミレイナが唇をとがらせた。
「えーっ、こうやって女体の神秘に興味を持たせないと、いざアーリヤと結ばれるときに物怖じしちゃったら困るにゃー」
「ミレイナは黙ってて。……あれ、ゼノビアさん、神様は?」
「置いてきました。ここからの戦いに神様は邪魔です」
神様を杜撰に扱うサキュバスである。
「はっ、つまり神様に見せられないくらいイヤラシいことを今から見せますという宣言にゃ……!?」
「降りますよ」
おじさんくさいミレイナの言葉を遮って、ゼノビアさんが短剣を蹴った。
ぼろっ、と音を立てて、短剣が壁面から抜け――。
「って待って待って落ちる落ちるううううう」
まだ地面まで何十メートルとあるんですけど、落ちたら死ぬんですけどーーーーー!!!
再び高速で流れる視界――の中で、ゼノビアさんが壁を蹴って加速したのが見えた。
俺とミレイナよりはやく落下すると、空中で抱き留められる。
衝撃。ゼノビアさんの細足が石造りの床を叩き割って着地する轟音。
もくもくと上がる砂煙の中から、ゼノビアさんは俺とミレイナをお姫様抱っこして抜け出した。
「降りるといったでしょう」
「落ちたと思ったんだよ……」
「魔王さまにこれ以上落ちる場所なぞないでしょう」
そうそう異世界転生に失敗した今が底辺ってやかましいわ。
「う~ん、メイドのお姉さんにお姫様抱っこされるのも乙なものにゃ……ん? あれメイドのお姉さん、お胸すごい大きくない? もしかして、あたしより大きいにゃ!?」
「ミレイナも今そんな話してる場合じゃないだろ! ほらあそこ!」
俺はゼノビアさんの腕の中で必死に西を指させば、そちらから鎧で完全武装した集団が戦車のような威圧感を放ちながら駆けてくるところだった。
「こんなときに鎧きて襲ってくるとかどう考えてもヤバいだろ!」
「いや、ネジロー、あれなら大丈夫にゃ」
「なんで」
「アーリヤ指揮下の精鋭だから」
ミレイナがゼノビアさんの腕から降りる。やってきた兵士たちが一糸乱れぬ動きで一斉に停止すると、目元を覆う兜のバイザーをあげると礼をした。よく見ると、こいつら……魔王城で見た格好だ。
「ミレイナさま、申し上げます。現在、我ら以外の兵卒がある指揮系統の元、魔王殿を狙って行動中です」
洗脳はされていない……のだろうか?
疑わしげな俺を地面に降ろして、ゼノビアさんが小声でいった。
「別に、先程の兵士達も洗脳されていたわけではないですよ」
「そうなの!?」
「いったい何百人と兵士がいると思っているんですか。それらを片っ端から洗脳なんてしていたらどこかで露見するでしょう。
第一、そんな手間のかかることをわざわざするような女に見えましたか、アレが」
……見えないな、うん。
どちらかといえば、裏で糸を引いて最小の労力で最大の効果を発揮するタイプだ。なにより、ゼノビアさんの言うとおりである。あんな、豪奢な椅子に足を組んで座っていそうな女が、せっせと人間を洗脳してまわる様子、間抜けすぎて思い浮かばない。
「そうなると、洗脳されているのは……」
「ええ」ゼノビアさんが頷いた。「おそらくは権力者クラス。それと、もう一種類。重要地点に配置された一部の兵士だけ、でしょうね」
俺は火の手があがり、炎で赤くそまっている空の方を見た。開放されたと思わしき城門の方角である。
「なるほどね」
まさに最小の労力で最大の効果。特に一般兵卒の一部だけが裏切っているパターンが最も厄介だ。背後を突かれるかもしれないし、その恐怖に怯えれば思うように動けない。なにより、誰も洗脳されていないパターンもある。ただただ厄介だ。
「……そっか、やっぱりね」
駆けつけた兵士たちと話していたミレイナの声が陰って、俺は顔をあげた。
「ミレイナ?」
「ああ、うーん。まあ、なんというか。もっと早く気づくべきだったかな」
ミレイナが笑っていたが、それが無理矢理笑っていることは簡単に見てとれた。さして長い付き合いでなくとも、あんな伏し目がちに笑う姿を俺は知らない。
「実はね――」
その言葉の続きが発せられるよりも早く、俺たちの背後の方からけたたましい騒音が聞こえてきた。
「いたぞ、魔王だ、裏切り者だ! 見つけ次第、殺害してもよいというお達しだ!」
見ると、俺たちの部屋に押し入ってきた兵士たちと同じ軽装の男たちが殺気だっている。鎧騎士たちと違って、その動きは感情的な分だけ乱れているが、能力が粗雑ということは――そのぶん、数を集められるということだ。
「ミレイナさま、ここは我々が!」
兜のバイザーを降ろして、鎧騎士たちが俺たちと兵士たちの間に割って立つ。
襲い来る兵士たちが叫ぶ。
「魔王を庇うとは、魔王の手先と成り果てたか! 宰相の意に背き秩序を乱すとは、それでも女王騎士か!」
「我ら魔王の命に従うにあらず、ただ女王陛下の御言葉のみに従うものなり!」
兵士と騎士たちが一触即発の空気を発している中、ミレイナが俺たちに声をかけた。
「さあ、ネジロー。行くよ!」
「あ、ああ」
ミレイナが走り出すので、俺は慌てて追いかける。あんまりにも足が速いので置いてけぼりになりそうだったが、そこはゼノビアさんに手を引かれてなんとか追いすがる。
「なあミレイナ、さっき宰相って……」
そう、向かってくる兵士たちは宰相と口にした。この国で宰相といえば……。
「うん、そういうことみたい。
どうやらリカ兄がやられたみたいにゃ」
顔を見なくても、声にいつもの快活さがないのは明かだった。
「リカ兄――洗脳を受けた――が、軍に指示を出したみたい。最もらしいことをいえば、この状況での魔王に対する不信感を爆発させることなんて簡単だからにゃあ」
「そりゃあ、まあ……信じるわな」
内側からの暗躍で門が開かれ、多くのモンスターたちが城内に侵入した。その状況で権力者からダメ押しされたら、誰だって信じるし、縋る。
「うーん、護衛とか連絡手段とか、アーリヤやリカ兄たちには厳重につけていたはずなんだけど」
アシッドは、その行動上、絶対に人死にや騒動を起こすことができない。そして洗脳をするのに一定の時間がかかる以上、護衛を固めてひとりにならない状況を作りさえすれば、その能力を十全に発揮できない……はずなのだが。
「どうやって洗脳したのか、か……」
「悩んでいても仕方ありませんよ、魔王さま」ゼノビアさんが、俺の手にかける力を強めた。「今は、悩む優先順位を決めるべきです」
「そうだね」俺は頷いて。「まずはアーリヤと合流だ。自分の兵隊を差し向けたってことはアイツは無事だろう」
「もし洗脳されてたらどうします?」
ゼノビアさんの言葉に、俺は肩をすくめた。
「女王さまも人の子なんだなって安心するよ」
さっきから既に頭はゴチャゴチャしているのだから、きっとそんな絶望的な状況になったら頭が真っ白になるに違いない。想定外に弱い俺は、そんなピンチに直面したらそれまでだ。
だから俺は、ミレイナに先導されながら、けっしてそうはならないように祈り続けた。
はたして、結果は――
月末更新でやべえ! となりますが、10月に連続更新で二部が完結しますのでもう少しお付き合いくださいませませ。




