第49話:魔王の決死戦(1)
遠方のざわめきで、俺は体を跳ね起こした。
床の上で。
「いっててて……」
地下室のぼや騒ぎ以来、自室となったのは豪華な客室。……であったのだが、悲しいかな。俺は床で寝ることになっていた。いくら手触りの良いカーペットが床に引かれていたとしても、ふかふかのマットレスには遠く及ばないのだ。
背中を擦る俺に、頭上から声がかかった。
「第一声がそれですか、締まりませんね魔王さま」
天蓋付きのベッドに腰掛けたゼノビアさんである。いつも通りの無表情だ。
何故か眠るときもぬかりなくメイド服を着こなしている彼女を一瞥して、俺は立ち上がる。
「なら俺もベッドも寝かせてよ」
「駄目ですよ」しれっと言われた。「魔王さまには刺激が強すぎます」
でも前は――と言い返そうとして、三人目の影がベッドから現れた。
「ふっふっふ、それは神様と同衾するのは人の身では恐れ多くて危険、ということですかなー」
ゼノビアさんの背後で起き上がったのは、ふわふわの金髪を寝癖だらけにした少女だ。
この使い古した歯ブラシのような頭をした子供こそが、神様ことクオンタム・デイズである。俺たちがこの部屋に移住してからというもの、一緒にここに住み着いたのだ。
「そういうことです」とゼノビアさんは頷いて。「それよりも魔王さま」
「わかってる」
こんなコントをしている場合ではない、ということは。
俺は部屋の窓へと駆け寄る。遠方――グローラの城門の辺りから火の手が上がっていた。
今もなお、部屋に届く遠雷のような悲鳴は、開け放たれた門からモンスターたちが入り込んでいる証左に他ならなかった。
氷でも呑み込んだかのように胃が冷える。何故なら、門は破壊されていない。開けられていたのだ。
それは、あれだけ対策したにも関わらず、内部にアシッドの洗脳を受けた人間が紛れ込んでいたということである。
医者による大々的な薬物検査が無意味だったとすれば、それはつまり――
ガンッ! と突然に部屋の扉が叩かれた。
ガンッ! ガンッ! 硬質なモノが頑丈な木製の扉に叩きつけられる。
俺はもう一度窓の外を見る。城門が開かれてから、さほど時間が経ってはいないのは簡単にわかる。そうでなければもっと騒ぎは大きいし、俺が気づかないわけがない。ならば当然、百万の人間を許容する広さの街を、モンスターが踏破できるわけがなく――。
「――サード・アイ!」
俺の頭に一対のツノが生えるのが見える。目の色が炎のように揺らめくのが見える。
一瞬で視界が拡張される。俺が俺を見ている。まるで自分がゲームのキャラクターになったように、三人称の視点で見下ろしている。俺がレベルアップで身につけた三人称視点の力だ。
範囲は自分を中心にした半径5メートル。扉の外は見えないが充分だった。
俺が能力を発動したのと同時に、扉を抑えつけていた錠前が砕け散った。
跳ね開けられた入り口から、河川の堰を切ったように流れ込むのは、完全武装の兵士たちだ!
「ゼノビアさん、気にするのは前だけでいい!」
「承りました」
答えるよりも早く、ゼノビアさんは俺の前に出ていた。
先頭の兵士が振り下ろした剣を人差し指と中指で挟んで止めると、
ドゴオッ!! という轟音をあげながら相手の腹をヤクザキックよろしく蹴り飛ばした。
無残に鎧をひしゃげさせた兵士が、まわりをボーリングピンのように巻き込みながら廊下まで吹き飛ぶ。
「……ゼノビアさん、言っておくけど殺さないでね」俺は顔を引きつらせながら言った。「これ絶対操られてるだけだから」
ゼノビアさんは振り返らずに肩をすくめた。
「手加減はしましたよ」
「もうちょっとこう、なんというか、手心というか」
「蚊を潰さないように倒せ、レベルの無茶ですね」
とはいえ、廊下の向こうで痙攣している兵士の鎧姿がある。……うん、生きてる。大丈夫。人間生きていたらなんとかなる。
「いやー、すごいことになってるね。やっぱり君の側にいたのは正解だったね!」
気づけば、俺の隣に神様クオンタムがやってきていた。それはもう新しい玩具を前にした子供のように満面の笑みだが、俺には笑う気など起きなかった。
ゼノビアさんの蹴りを見て、兵士達が遠巻きに俺たちを取り囲んでいく。これを正面突破するのは難しい。いつものとこだが、ゼノビアさんは無傷でも、闇雲に剣を振られたらそれだけで俺が死ぬ。
「神様も笑ってる場合か? 斬られたらただじゃすまないだろ」
「ただで済みますー、神様なので!」
「……レベル高いの? そのちんまりした見た目で?」
「失敬な! レベルならたんまりあるのだよ。
ちなみに5000ね」
もしかしてカンストでは?
「神様が弱いわけないじゃん。なのでデイズはこうして間近でじっくり見学できるんですー、きゃーっ、物語を見る特等席!」
「こんな神様が付いてくるなら異世界転生も考えものだよ、ったく!」
俺は窓を開けて身を乗り出す。
びゅうっ、と突風が顔面がぶち当たった。咄嗟に顔を背けながら、辛うじて糸のような細さで目を開く。
肝が冷える。真下に見える人影は、指先ほどの小ささに見える。まるで足元を這う蟻を見るくらいのスケール感。
ここからバルコニーの方に飛び移っていって逃げる? ゼノビアさんなら可能だろうが、俺ひとりの力では無理だ。
「……というわけで、助けて。ミレイナお姉ちゃん」
「がってん承知!」
頭上からの声を見上げると、そこには壁に張り付いたミレイナの姿があった。
片手は白いヒモ――シーツを結び合わせたものだろう――を掴んでいて、高所を恐れることなく壁の煉瓦に足をひっかけていた。
よく見ると、そのシーツはずっと上まで続いている。二階層は上だろうか。そんな位置からここまで来るとは恐れ入る。サード・アイで気づいたときは我が目を疑ったものである。
「いやー、それにしてもネジローもすっかり弟が板についてきたにゃあ」
こんな時にも関わらず、なにやらミレイナは非常に上機嫌だった。
「やっぱりお姉ちゃんの包容力? 欲しくなってきちゃったかにゃー?」
「魔王さま、はやくお逃げください」部屋の方から慌ただしい音が聞こえてくる。「そうしないと兵士を始末しますよ」
「ミレイナはやく俺を逃がせ敵の命のために!!」
はいはい、と軽口を叩いてミレイナが俺の腕を掴んで引っ張り上げた。
ぶらりん、と足が宙で揺れる。ひっ、と悲鳴が洩れそうになった。両足をいくら動かせども引っ掛かるものはなく、むしろ見えない手によって足を引かれるような不思議な重みがあった。いまほど重力を呪ったことはなかった。
「いえーい、デイズも行く行く!」
……嘘、見えない手じゃなかった。ふつうに足を掴まれてた。神様に。
「って、待て待て待て、やめろ掴むな離せ! 窓枠から身を乗り出そうとするな!」
「えー、だってこんな部屋に置いてけぼりにされたら寂しいしー」
「なーにが寂しいじゃ、こちとら厳しいんじゃ! 離せこら!」
足を奮って手を振り払おうとする。乱暴? 命の危機になりふり構ってられるか!
「あっ、ちょっ、ネジローだめだめ、そんなに激しくしちゃ駄目にゃあ」
「うるさいよバカ変な声出すな!」
「そうじゃなくて」
ミレイナが頭上を見ていた。
「……シーツ、切れそう」
「えっ」
つられて俺も見る。……なにか、虚ろな目の兵士が、剣をシーツに押し付けている。
にゃははは、と朗らかな笑い声が夜のお城に響き渡った。
「部屋の鍵、締めておくべきだったかにゃ?」
ぶちっ。
シーツの ヒモが 切られ ました 。
ふわりと重力に引かれる体。
俺は力一杯に辞世の句を叫んだ。
「ほんまそれなーーーーー!!!」
急速に遠ざかる部屋が遠ざかる視界で、俺が最後に見たものは。ちゃっかり手を離してこっちを見送っていた神様の姿だった。
俺は二度と神頼みをしないことを心に決めた。




