第22話:魔王の初心者ダンジョン防衛戦(1)
敵対者。
ゴブリンの集団。その数、およそ30。
敵国の工作員、その数10。仮称、スカウトと命名。
累計敵性勢力、その数を40。
敵は慎重さよりも速度を重視した模様、スカウトはゴブリンの集団とは別方向に進行することを選択。
ゴブリンの集団は入り口から見て右手側に、よってスカウトは左手側に進行を開始。
俺は全体マップを見て敵の進行状況を確認する。
スカウトがゴブリンとは別方向に行くのは想定通りである。ゴブリンからしてみれば、スカウトも敵なのは変わりがない。なら、別方向に行くのは当然だ。
ゴブリンの集団の方が進行速度が速い。俺はそちらの様子に注意を傾ける。
ゴブリンたちは次々のフロアを踏破していく。数十の集団だ、初心者ダンジョンのスライムやショクシュカズラ、スパイダーといったモンスターは遭遇次第、手にしたナイフで蹴散らされていた。
もしかしたら、少しは足を止められるかとも思ったが、残念ながらそれはできないようだ。
なら、あとはあちらに配置した部下に任せよう。
あちらにいるのは、ゴン太だ。
*
【若草森林ダンジョン防衛戦 戦闘開始】
*
ゴブリンたちが、仲間をツタで縛り付けたショクシュカズラを土から引き摺り出した。
作物のように地面から引き抜かれたショクシュカズラはツタを振り回して暴れ、ゴブリンを打ち据える。が、そのツタは別の個体のナイフにより切り落とされた。
ボトリと地面に落ちたツタを踏みにじって、ゴブリンたちは投げ込まれた餌に群がるコイの群れのように殺到する。次々に突き出されたナイフが、ショクシュカズラの躯を滅多刺しにしていく。
暴れ回っていた植物のモンスターは、瞬く間に全身を切り裂かれ、踏みにじられた落ち葉のように八つ裂きになった。
次に出てきた蜘蛛のモンスターは、ゴブリンたちに囲まれて足を切り落とされた。動けなくなったスパイダーをケタケタと嘲笑して、別々のゴブリンが頭と腹部を引っ張り合って殺した。
スライムが出てきたときは刃物が通じなかったが、代わりに手に持っていた松明で殴りかかる。
粘液で出来たスライムは火に弱く、ゴブリンの集団は容赦なく頭を叩いて、叩いて、やがて力を失って四散した。
まさに、平和な森に嵐が吹き荒れているようだったし、ゴブリンたちも自分が絶対強者だと錯覚した。
だから、自分たちのいるフロアの先に、一匹の犬がいたときもさして驚きはしなかった。
「グルルル……」
喉を鳴らして、一匹の犬が地に爪を突き立てていた。
対するは、30もの小鬼の群れ。
戦力差は圧倒的であった。
ゴブリンの背丈は人間の子供ほどだったが、対する犬――ガルムの体格もさして違いはない。
ゴブリンたちは侮り、歯を鳴らしながら笑う。
彼らは目の前の障害物を踏みつぶすように、一斉に進軍を再開した。
――ゴブリンが、喉から間欠泉のように血液を噴きだしたのは、その一刹那後であった。
ゴブリンの群れ、中央。
そこには、躊躇なく集団の中に飛び込んだガルムの姿があった。
ゴブリンの喉笛を噛み千切り、薄皮で胴体と繋がった頭を前足で弾き飛ばした。
生首がボールみたいに地面を刎ねると、その周囲のゴブリンたちが潮引くように後ずさる。
「グルルルル……」
力を失って倒れた死体に爪を突き立てながら、ガルムは血で真っ赤に塗れた頭を揺らしながら周囲を睨めつけた。
足をひねるだけで、ガルムの爪はゴブリンの粗末な革の防具をなんの抵抗もなく貫く。愚かなゴブリンたちも、自分たちの防具が意味もないことは簡単に理解できた。
そして、ガルムが吠えた。
「グゥルウウウウウウウガアアアアアアアア!」
ゴブリンは知らない。ガルムはかつて、このダンジョンの王者として君臨していたことを。
その咆吼は、まさに王者の名にふさわしいものだった。
間髪入れずに次の獲物に向けて走り出したガルムに、ゴブリンたちは一気にパニックになって散り散りになる。それを、ガルムは執拗に追い始めた。
――ハッキリいって。
いまのガルムが正面切ってゴブリンの集団と戦って、勝てる見込みはない。
単体性能では比較にならないほど上だが、それでもガルムとゴブリンのレベル差は多くても20レベル、強い個体相手なら10レベル程度しか開いていない。物量にものを言わせればあっという間に打開できる。
だからこそ、ガルムは相手を混乱させている。
ガルムは、ゴブリンたちを追い回した。まるで、家畜を誘導する番犬のように。
するとゴブリンたちは、あるフロアの方の駆け込み始めた。そう、そこにはある臭いがするのだ。不衛生な、糞尿の臭いだ。
ゴブリンたちは、排泄物などの汚臭に敏感だ。そういったものがあることは生物がいるということだし、なにより仲間の巣があるかもしれない。だからこそ、ゴブリンたちはこっちの道にやってきたのである。
そのフロアに踏み込んで、ゴブリンたちは困惑した。どこにも糞尿がないからだ。
代わりに、奥には巨大で真っ赤な花弁がいくつも咲いていた。そのゴブリンたちは見たことのない花。根城・鹿馬の世界では、それはラフレシアと呼ぶ。汚臭を放つ、かつて食人花と誤解されたこともある花だ。
それは、根城が用意していた保険だった。もし、鉱山にいるゴブリンがやってきたとき、こちらに誘導できればいいという保険。
ゴブリンの背後に、ガルムが飛びかかった。奇声をあげてのたうちまわるゴブリンの背筋を体重に任せて爪で引き裂く猛獣に、ゴブリンたちは悲鳴をあげてフロアに駆け込んだ。
瞬間、幾人ものゴブリンの姿が消失した。
「……ギッ!?」
続こうとしていたゴブリンたちには、なにが起きたか判らない。
地面には、穴ひとつなかった。頭上は夜空しかなく、上下共に姿を隠す場所などない。
強いて言えば、地面の土がつい最近掘り起こされたばかりのように柔らかい――。
「グルルルアアア!」
ゴブリンたちの思考は、背後からの遠吠えでかき消された。
どうなろうと関係ない、ともかく逃げなければ!
ゴブリンたちはフロアの中に散っていき――次々と、仕掛けられたワープ装置を踏んでいった。
――ワープした先は、行き止まりのフロアであった。
先程よりも、ずっと狭いフロアだ。大きさとしては根城たちが拠点にしていた酒場の一階とほぼ同等である。屋外であることを考えると、随分と手狭だった。若草森林ダンジョンのハズレルートとでもいった場所か。
ゴブリンたちは、特別なにも罠がないことに困惑し。
「ようこそ、おいでくださいました」
女性の声に振り返った。
このフロア唯一の通路は狭く、人ひとりが両腕を伸ばせる程度の広さしかなかった。その入り口に、ひとりのメイドが立っていた。
「本日はおもてなしを致します、ゼノビア、と申します。どうかお見知りおきを」
金髪の女だ。ねじくれた角の女だ。美しい女だ。
ゴブリンたちは状況を理解できていなかったが、そこに柔らかそうな肉があることはわかった。
だから、先程までの鬱憤を晴らすかのように意気揚々とナイフを振りかざし――
「とはいえ――数分程度の縁ではありますが」
ナイフごと手を掴まれ、握りつぶされた。
グキャリ、と耳の奥に響く不気味な音と共に、ゴブリンの手とナイフが圧壊する。
ゼノビアはゴブリンの手を握りつぶして手放すと、ゴミを払うように無造作に手を振るう。
たったそれだけで、小鬼の矮躯は壁となる樹木に頭から激突した。
他のゴブリンが、飛んでいったゴブリンを目で追った。
吹き飛ばされたゴブリンは、上半身が木に埋まっているように見えたが、違う。その死体がずるするとずり落ちていくことで、上半身が跡形もなく消し飛んでいることをゴブリンたちは悟った。
「この道でしたら、後方に逃す心配もありません。
それでは、謹んでお出迎え致しましょう」
血も汗も、その一滴すら流さずに、メイド・ゼノビアは平然と言ってのけた。
「どうしましたか。そんなに怯えて。――復讐がしたいのでしょう?」
憎しみが恐怖で塗り替えられたゴブリンたちは、ただ後ずさる。小鬼の復讐心は、所詮その程度のものだった。
粗暴な荒くれ者共は、一瞬で悟った。自分たちはここで死ぬのだ、と。