第21話:ニート、魔王
僕、お姫様ってもっとこう、なんというか。お淑やかなで知的で、気高い人なイメージがあったんですよ。
でも、なんですかね。なんだろうね。
「お姫様とか女王さまにしては、あまりに親しみ易すぎる……」
ミレイナ・キャッツこと、アーリヤ・グローラに正体を明かされてから早半時。
俺は未だに釈然としない思いで、村を歩いていた。
つい口から洩れたぼやきに、ミレイナが不満そうに頬を膨らませて見下ろしてくる。
「えーっ、なぁに。ネジロー、お姉ちゃんみたいなタイプ嫌いなのかにゃあ?」
「いや、別にそうは言ってないけど」
「じゃあ好きなんだにゃ!」
「そうも言ってない!」
「ショーック、ならどうでもいいってことにゃのね……およよ……」
うっわ、わざとらしい!
しかし真面目に付き合うとノリに引き摺られてしまうマイペースさは、民を率いる女王さまに必須の技能、なのだろうか。
「ネジローをからかうのはこのくらいにして、村の人の連絡はさっきの通達で行き届いたと思うにゃ」
泣き真似をケロリとやめて、ミレイナは手にしたアクセサリを弄んだ。
それは盾の形をした記章で、中央には長髪の女神らしき姿が彫り込まれている。おそらく純銀製で、至る所に針の先ほどの溝が無数に彫り込まれた豪奢な造りだ。
「それを兵士に見せたら、あっという間に信じて走っていくんだもんな。女王の印なのか?」
「そうダイレクトなものじゃないにゃ。貴族の証……みたいなものかな? 価値の高い貴金属製で、超一流の細工師にあしらえさせた偽造困難の証明書ってところにゃ」
「……マジで女王さまなのか」
どうしよう。敬語にしないと不敬罪で首でも刎ねられないだろうか。
「うーん、そうだよ。あたしがアーリヤだけど、アーリヤはあたしだけじゃないというか」
「は、なんだそれ」
「ネジロー、おかしいと思わない? だって、アーリヤはネジローを討伐するために魔王城にいたはずなんだよ」
「……そうだ、そうだった」
衝撃ですっかり忘れていた。
「ん、じゃあ魔王城のアーリヤは偽物だったのか?」
「本物だよ。んー、それは追々に話しておくことにしようかな。
もし、ネジローがこの騒動を収められたら、ね」
「……できるって」
そう決めたんだから、やる。
もう俺は、引き返せないところまで走り出したのだ。なら、あとは、息が続く限り走り続けるしかない。
まずは、ミレイナと一緒にダンジョンまでたどり着かなければ。幸いなことに、ミニマップには異常らしき人影は存在していない。おそらく、ここで俺たちに手を出したら不都合があるのだ。
こちらにとっても都合が良い……と安堵していると、ミレイナが俺の方をじっと見ていることに気づいた。
「……ん、なんだ?」
「ネジローってさ」ミレイナはふしぎだとばかりに言った。「なんで魔王なの?」
「さあな。神様にでも聞いてくれ」
俺だってなりたくてなったわけではない。すべて神様とやらに強制的に押し付けられたことだ。
「ふぅん、まあ魔王がお優しいのは有り難いことだけどにゃ」
「まあ……飽きただけだよ。悪逆非道なことなんてさ」
そのとき、自分がどんな表情をしていたかは判らないが。
「そっか」
ミレイナは頬を緩めて、俺の頭を撫でてきた。
「偉いぞ、男の子」
なにを言い返しても、強がっている子供のようになってしまいそうだったから。
俺は無言で先を進むことにした。
*
俺とミレイナは、若草森林ダンジョンまで走った。
ここまで、なんの邪魔をされることもなくたどり着くことができた。
ダンジョンの中に入ってしまえばこっちのものである。俺は迷うことなく、奥地に移動していく。
「ゴブリンと、それをけしかけた連中。奴らは絶対にここに来る。だから、ここで迎え打つんだ」
「うん、それは判ってるんだけど」ミレイナが、歩きながら周囲を見回した。「……あたしが見たときと、なにも変わってないにゃ~」
ミレイナは、この場所に罠を設置しに来ていたので、その際にダンジョンを見ていたのだろう。彼女の言う通り、ダンジョンの内観に特別な変化はなかった。
「こう、相手を簡単にやっつけちゃうような凄い罠でも仕掛けてあるのかにゃ?」
おどけた仕草で爪先立ちになって走り出すミレイナに、俺は頭を振った。
「いいや。そんなの設置して村の人が怪我したら大変だろ。ここは楽しい遊び場なんだから」
このダンジョンを、対王国用に改築――をすることはなかった。だって、俺は王国に対しては『協力体制を築くことで、そもそも反目しない』ことで対応することにしたのだ。迎え打つ相手がいないのだから、そんな準備をするわけがない。
俺としては当然の論理であったのだが、ここで初めてミレイナの困惑らしい困惑顔を見た。
「……もしかして、ネジロー。考えなしに啖呵切ってたのかにゃ? お姉ちゃん、意地を張る男の子は好きだけど空気を読めないのは感心しないぞ?」
「いやいやいや俺はいたって大真面目だからな!」
ここは楽しい遊び場。そう言われたし、俺もそうすることにした。少なくとも、ここはそういう場所にしたい。なら、殺傷力のある罠など無粋である。
だって、ゲームのダンジョンとは、楽しいものだ。謎を解き明かして、未だ見たことのない財を目指して足を進めるから楽しいのだ。
「不作法な無礼者にたっぷり教えてやるんだよ。ダンジョンの楽しさと、見知らぬ世界は怖いってことをさ」
*
ゴブリンが封鎖された鉱山を突破した。と、その男が報告を受けたのは、それから数刻が経過した頃であった。
ついに村の駐在する兵士とゴブリンの戦いの幕が切って落とされたかと思いきや、そうではない。すべての兵士は、村人に同行する形で近隣のダンジョンに撤退していたことを、彼らは知っていた。
ダンジョンへの籠城は、攻略する手間を考えると面倒なことではあった。そもそも、大事になったと気づかせる前に事を済ませるつもりだったからだ。
とはいえ――。隠密や斥候としての技巧に精通した自分たちにとって、初心者向けのダンジョンを突破することなどさほど難しいわけではない。
屋敷に忍び込むように、ダンジョン深くへと忍び込んでくれる。
「――と、奴らは考えてるんだろうな」
若草森林ダンジョン最深部。
ダンジョン・クリスタルに背を預けて、俺は脳裏にダンジョン内の全体マップを思い浮かばせていた。
全体マップには、無数の光点がある。その光点は意識を集中させるだけで、どこの誰か判断することができた。もっとも、俺が名前を知らない人物に対しては、それが人かそれとも別のなにかか、そして性別くらいしか判断できないのだが。
光点は、おおきく分けてふたつの場所に密集していた。
ひとつ。俺がいまいる隣のフロアだ。そこには村人たちが集合しており、村駐在の兵士によって守ってもらっている。もし万が一のことがあっても、兵士たちに任せておけば村人たちに関しては問題ない。
ふたつ。入り口付近の集団だ。これまで一度も姿を見せてこなかった敵の集団。しかし、このダンジョンに入り込ませてしまえば、俺の全体マップは奴らの不可視のヴェールを容易く剥ぎ取った。
いま、この場にいるのは俺とゼノビアさんだけだった。
ミレイナは隣のフロアで待機。戦闘には参加させない。俺は俺の有用性を証明しなければならないから、半端に手伝ってもらっては困る。
ライムとゴン太、あいつらは指定場所で待機してもらっている。あとは、時間がくれば手筈通りに動いてくれるはずだ。
「……よし、入り口にゴブリンの集団も到着。予想通りだ」
このダンジョンに入ってきてくれた。最悪のパターンは、村を焼き討ちされることだったが、その心配もなかったようだ。相手は、この村を滅ぼしたいわけではない。鉱山という資源を奪いたいに違いないと思ったからだ。さらに、俺という魔王がこの世にいる時点で、人間同士が明確に戦争をすることは対外的にも好ましくない。
そのため、下手人たちは回りくどいことをした。ゴブリンの手によって村の平穏を乱す。それで村は滅びないだろうが、ゴブリンに紛れてこの村の兵士を始末するなり、人間に危害をくわえることだ。
おおかた、その後に救援だのなんだのと理由をつけて村に自国の兵士を駐留、鉱山の利益の一部を徴収しようとしたのかもしれない。自治能力の乏しい村になら、いくらでも大義名分で便乗できる。――まあ、その辺りは俺にはどうでもいいことだし、正直言ってそういう政治問題は門外漢だ。
この作戦の問題は、ゴブリンの習性にはない行動を取れないということだ。ゴブリンをけしかけるには人間を憎ませなければいけないし、人間を憎んだら人間に危害をくわえることを考える。無人の村なんて眼中からなくなるのだ。
よって、ここまでは予想通り。
なのだが。
「……っ」
気がつけば、握りしめていた手に気持ち悪い汗がにじみ出していた。
ゲームみたいな状況だ。ゲームの経験を生かせる状況だ。だが、それでもこれは現実だ。
リトライもコンティニューも、思考時間を稼ぐためのポーズもない。
本番一回、失敗したらセーブデータ消失のリアルタイムシミュレーション。
「……ああ、なんというか。ゲームってクリアできるように作ってあるんだなって実感する」
対人ゲームでさえも、ゲームは人に遊べるようにできている。そもそも、失敗しても終わりじゃない。リトライして、失敗して覚えて、人はシステムに精通して上達していく。
だから、俺が人並みよりはゲームが上手かったことも、そのくらいなら一定以上の熱意があればできる当然のことに過ぎなかった。当たり前だ、失敗して覚えることができるゲームは、何度も現実をループできるのと同じようなものなのだから。
「魔王さま。手が震えてますよ」
深く沈んでいくような感覚が、ゼノビアさんの手で強引に引き上げられた。
「せっかく、魔王らしく相手を陥れようというのですから、いつものような人を舐めた態度をするべきですよ」
「普段の俺ってそんなに調子乗ってた?」
……乗ってたかも。
「しょうがないだろ。俺の格好はこんな頼りない格好なんだし、もし失敗されて襲われたら終わりなんだよ?」
この世界に来た俺に与えられたのは、粗末な布と靴。現代の名残もない。
もうひとつ与えられたものは、いつも隣にいるメイドがひとりだけだ。
「それより、ゼノビアさんも予定の場所にスタンバってよ」
ゼノビアさんは、こちらの最高戦力だ。利用しない手はない。
……ああ、そうか、と気づいた。
もうすぐ、俺はこの場所で、ひとりで戦わなくてはいけないのか。
こんなに怖いのは、そのせいか。
俺が不安になったときは、決まってゼノビアさんが隣にいなかった。
つまり、俺は。……ただ隣にこの人がいるだけで、助けられていたらしい。近くに誰かがいてくれるだけで、こんなにも安心感があるなんて知らなかった。
ぶっきらぼうに言ってしまってから、そんなことに気づいて後悔してしまった俺に、ゼノビアさんはすんなりと頷いてみせる。
「承知致しました。では、そのまえに魔王さま、少々お背中を失礼します」
ゼノビアさんが、俺の躯をクリスタルから起こすと、肩に紅い布をかけてきた。いま着ている服とは違った、ずしりと重い、肩に体重を預けられたような確かな感触。
「これは――」
俺は振り返って、クリスタルを鑑代わりにした。表面に映っていたのは、角を生やして、深紅のマントを羽織った俺の姿だ。
そのマントは、あまりにも大きい。裾があまって、地面で山になっている。俺がマントを着ているというより、マントにのしかかられているといった方が正しいだろう。さまになっていないし、おまぬけさが溢れだしていた。文字通り、身の丈にあってない。
俺の両肩に手を置いて、ゼノビアさんもクリスタルを見ている。
「裁縫はあまり得意ではないのですが、近隣の奥方さまはお得意なようでしたので。お陰様で完成させることができました。……着心地は如何ですか?」
表情が、判りやすく変わったわけじゃない。なのに俺は、はじめてゼノビアさんが緊張しているように見えた。用意したプレゼントを、子供が気に入るか不安そうにしている親のように。
マントは重い。裾だってだだ余りで、似合ってるとはとてもいえない。オーバーサイズにも程がある。
ふだん、あれだけ人を不安にさせている人だ。なら、今が言い返すときだ。
俺は正直に答えた。
「最高だよ」
残念ながら、言い返せる要素がなかった。
サイズが大きいなんて、些末なことだ。簡単な話。俺がこれに見合う男に育てばいい。
そもそも。両手の刺し傷を見て、怒ることができようものか。
おのれ卑怯なり淫魔、と胸中でつぶやくのが俺の精一杯だった。
「そうですか」
ゼノビアさんは、たった一言だけ口にして。そっと俺から離れた。
俺がクリスタルに背中を預け直す。ちょうど、相手の集団が動きだそうとしているところだった。
「それじゃあ、ゼノビアさん。手筈通りよろしく」
「はい。それでは――行って参ります。我らが魔王さま」
ゼノビアさんが、スカートの裾をつまんで大仰に頭を下げる。
俺は頷いた。
「いってらっしゃい」
散歩に行く同居人を見送るように、俺はそれを見送った。
ゼノビアさんの背中が見えなくなってから、はたと気づく。
「……しまった、今のはかっこつけられるところだった」
まあいいか。
俺はクリスタルに背中を預けたまま、マントがのしかかる両腕を組んだ。
眼前に浮かび上がっている全体マップをにらみ付けた。
「――さて。
魔王の仕事のお時間だ」