第七話.喧嘩
ランスは急いでヘレナの部屋に入った。正確には、ランスとヘレナの部屋だが。
「何?どうしたの?」
ヘレナは何やら糸だらけになっていた。それに、部屋のあちらこちらに糸や布が散らばっていた。
「ら!ランス!な!なに?私が不器用で糸まみれになっているのがそんなに面白い!?」
「いや、全く面白くないよ。君が不器用なのは昔からだからね」
「うるさい!今日は特別に魔法文字をつけて魔法器具を作ったのに。」
「魔法器具?」
ランスは『魔法器具』なるものを見ていたので反応する。かなり便利なものだ。しかし、まさかヘレナがそれを作るとは思ってもみなかった。
「そう、これ。たしか『魔法の袋』とか言うもので、見た目の容積の何倍ものものを入れられる優れもの。使ってみて。」
「わかった。試してみる」
ランスは試しに成人式の時にもらった方の剣を入れてみる。しかし、つっかえてなかなか入らない。
「あ、あれ?入らない?」
ランスは無理矢理押し込むが、袋は限界を越えたらしく破けてしまった。驚いて手から放した剣が音をたてる。
すると、ヘレナはみるみる泣きそうな顔になり、
「最低っ!出てって!」
今にも泣きそうな声で言う。
「ごめん。袋を破るつもりなんてなかったんだ。」
「うるさい!ランスなんて大っ嫌い!もう私の視界に入らないで!」
ランスが謝っているのに、ヘレナは顔を真っ赤にして怒った。これには温厚なランスも頭に血が上った。もう限界だ。言ったらヘレナが傷つく。そんなことがわかっていても口が勝手に開く。
「もういいよ!僕はね、君のそういうところが嫌なんだ!君とは金輪際口を利いてやるものか!」
「私はね、あなたのそういう意地っ張りなところが嫌いなの!最近だって!シャルルに合わせようとして背伸びをしてる!そんなのは大っ嫌い!出てって!今すぐに!」
「ああ出ていくとも!君なんてもう知らないからね!」
ランスは部屋のドアを乱暴に閉めた。
人生初めての絶交だった。ヘレナの気持ちを考えると胸が痛む。しかし、ランスは無理にでもその感情を追い払う。
「知るもんか。ヘレナなんてもう知らないよ」
ランスはそう言いながら階段を降りていった。
シャルルの手伝いでもして気を紛らすために。
◆◆◆
「うっ、ランスもあんな言い方しなくてもいいのに………。ひどいよ………。」
ヘレナは自分の部屋でうずくまっていた。ランスと絶交してしまった。それはヘレナの心を痛め付けるには十分なことだった。
「なんで、なんであんな言い方、それに私の袋を破いたの………。なんで?なんでよぅ………」
ヘレナの緑っぽい瞳に涙が浮かぶ。散らかっている布や糸が歪んで見える。
大粒の涙が頬を流れた。それから涙は止まらなくなった。まるで、止まない雨のように流れ続けた。
しかし、悲しい気持ちまでは流してくれなかった。
「金輪際口を利かないなんて………。そんなのやだよぅ。」
「でも………。ランスのせいなのに………。ランスのせいなのになんで私がこんな悲しい思いをしなくちゃならないの?うぅっ。」
ヘレナはずっと泣いていた。窓から見える空も段々と暗くなっていった。
そのとき、誰かがドアをノックした。そして、ドアを開いた。ヘレナはランスが仲直りしに来たのかと期待したが、そううまいことはなく、シャルルだった。
「大丈夫?そろそろご飯できると思うよ」
「シャ、シャルルぅ!うわーん!」
「ど、どうしたの?」
シャルルは困った顔をしている。無理もない。いきなりヘレナが抱きついてきたのだから。ヘレナは相談したかったのだ。すがりたかった。ランスとうまいこと仲直りするための相談にのってほしかった。それ以上に、シャルルの蒼い優しい瞳がランスを連想させたのだ。
「うぐっ。実は、ランスと喧嘩しちゃったの。それでね、うぅっ、ランスがね、金輪際口を利かないとか言ってくるの、何とかしてシャルルぅ!」
「う、うわっ!落ち着いてよヘレナちゃん。ランスだってきっとカッとなって勢いまかせに言っただけだろうから本気で言った訳じゃないよ?………多分」
シャルルはランスのことを全然わかっていないと思った。長い間一緒に遊んだりしてきた仲だからわかるが、ランスは嘘なんかつかないし、何もかもが本音だ。よく言えば素直、悪く言えば単純。それがランスなのだ。
「シャルルはなんにもわかってない!ランスは絶対に冗談なんて言わない!嘘なんてつかない!絶対!絶対に………。」
ヘレナは思っていたことを口走った。本当は言うつもりはなかった。でも、今は自分を押さえることができなかった。
「ヘレナちゃん………」
「あなたに!シャルルに私の気持ちなんかわからない!そう、元々誰もわからない。ランスを失った私は孤独その物。その気持ちがわかるの?」
「ヘレナちゃん………」
「答えてよ!」
ヘレナは感情を押さえることができなかった。感情のままに乱暴に言う。それを八つ当たりと考えると余計むなしく感じられた。
「………わかった。あたしは全力で協力する。だから一応聞かしてほしいんだけど、ヘレナちゃんはランスのことをどう思っているの?」
シャルルは意外な質問をしてきた。ヘレナは自分の心から、悲しみと怒りの泥から、自分の思いを探す。
「私は………」
ヘレナは答えを見つけた。息を大きく吸い込む。
「ランスは、『友達』よりも大切なもの。私は、素直で空気の読めないランスのことが大好き。本当はね。でも、あのときは大嫌いとか言っちゃった。許してくれないよ。きっと」
「そうね。大丈夫。きっと何とかして見せる。」
「本当に?」
ヘレナがようやく泣き止むとシャルルはほっとしたような表情を浮かべて、
「あたしは嘘をつかないよ。安心してね。泣いていたらかわいい顔が台無しよ。」
シャルルはにこやかに笑ってハンカチを差し出してきた。ヘレナはそれを受け取って少しぎこちない笑顔を浮かべた。
◆◆◆
「シャルル、遅いな。何やってんだろ?僕一人で先に食べちゃおうかな?」
ランスは一階に一人座っていた。今日は全面的に料理を任されたので久しぶりに腕を振るったのだが、肝心のシャルルが降りてこない。
「ヘレナ、泣いてないかな?ああ見えてメンタル弱いんだよな。」
そんなことを呟くと、ランスは首を振り心配を振り払った。
「気にするものか。僕のせいじゃなくてヘレナのせいだ。絶対に口を利いてやらないぞ!」
ランスが独り言を言っているとシャルルがようやく降りてきた。
「ヘレナちゃん、泣いてたよ。仲直りしてあげたら?」
シャルルは不意に言った。ランスは一瞬戸惑う。なぜシャルルが二人の喧嘩を知っていたのだろうか。ランスには不思議でならなかった。
「なにさ!金輪際口を利かないって言ったんだ。それに、ヘレナがいけないのに僕が謝る理由なんてない。」
「ランスも意地っ張りね。本当は寂しいんでしょ?さっさと仲直りしといた方がいいよ?」
シャルルは意外にもランスの思っていたことを言う。たしかに少し寂しい。しかし、今はシャルルと言う師匠兼友人がいる。それに、ランスの敵討ちに関してもヘレナではなく他の人でもいい。
「やだね。僕は悪くないのに謝るなんて絶対にやだね。僕はヘレナと口を利かなくても困らない。ヘレナが困るとしても僕には関係ない。」
ランスは半ば自分に言い聞かせるように言う。そう困らないのだ。口を利かなくても…………。
「わかった。ヘレナの分はあたしが運んでいってあげる。今あなたとヘレナを会わしてもヘレナが傷つくだけだろうし。」
シャルルはお盆にヘレナの分の食事をのせて階段を登り始めた。ランスはもう何も言えなかった。
「ランス、自分に嘘ついちゃダメよ。よく言えば素直、悪く言えば単純。それがあなたのいいところ。嘘をつかないのもそう。だからね、他人に嘘をつかないのに自分についちゃダメよ。もっと自分の心と向き合ってみて。そうすれば近い内に答えが出るよ。それがあたしやヘレナちゃんの望まない答えだったとしてもそれが本心ならしょうがない。とにかく本当の気持ちを取り戻して。」
シャルルのその言葉はランスの頭の中で反響された。
本当の気持ち…………。ランスはそれを探し始めた。