第92話 世界は偽りに彩られ 4
「いつまで付いてくるつもりだ?」
蘇る記憶の中でラインディルトの背中から発せられた声はどこまでも感情のない冷静な響きを持っていた。
そう、まるで俺が奴の後を追っていたことなど始めから知っていたかのように。
―――でも、それはおかしいだろ?
だって、お前は利用されサンタマリアの裏切りの濡れ衣を被されただけなんだろう?だったら、どうして俺が見張っていても驚きの一つも見せようとしない?それに―――
「お前こそ何処に行く気だ?その先は不浄の大地だぞ?」
エヴァンシェッドの話ではサンタマリアに利用されたラインディルトは、俺の視界の端で僅かに火の手が上がっているのが見える白き神の御許で起こっているだろう、贖罪の街の人間たちの暴動の中に姿を見せるはずだった。
なのにラインディルトは俺たちの都で何かが起こっていることは分かるだろうに、それには目も向けずにまっすぐ楽園の端であるこの守護天使の白壁に進んでいく。
普通の天使ならば近寄ろうともしないこの場所に、この時にどうして用があるというんだ?
「ふ・・・その言葉はそっくりお前に返すぞ、シェルシドラ。人間どもの暴動を鎮圧するのは天空騎士団の役目だろ?その長がこんな所で油を売っていていいのか?」
「お前っ・・・この暴動のことを知っていたのか?!」
俺は天に届くのではないのかと思えるほど高い壁のせいで月の明かり一つ届かない暗闇の中、微かな電灯の明かりに浮かび上がる振り返らないラインディルトの背中に近寄り、その肩を強引につかんで振り向かせた。
「知っていたとしたら・・・何だ?」
だけれど、振り向かせたところでいつも通りむっつりと動かない顔を俺に向けるだけのラインディルト相手じゃ(そういえば、こいつは昔からエヴァンシェッドくらいにしか笑顔を見せなかった)、それをしたところで何一つ俺に伝わるものはない。
「な、何だって、知っていたらどうしてっ!?誰にそれを!?」
訳が分からなかった。
『サンタマリアは息子の仇を討つために俺たちを裏切り、そして、その罪をラインディルトに被せようとしている。』
俺はそうエヴァンシェッドに言われていた。
何十年か前に魔人の暴走によって死んだサンタマリアの子供・ハインのことは俺だってよく知っていたし、その事でサンタマリアがどれほど悲しんだか苦しんだかも理解していたつもりだった。
だが、だからって天使が人間であるという可能性を明るみに晒す危険をはらむと同時に、天使の『繁栄』のために非常に有効な研究であった魔人の研究をサンタマリアの私怨だけで終わらせることなどできず、ましてや俺の感情としてはエンディミアン一人を殺したところでサンタマリアの悲しみも苦しみも晴れるとは思えなかった。
だから、そう言い聞かせてサンタマリアを説得し、彼女もそれに納得したと思っていた・・・のに、何十年という時を経てサンタマリアは憎しみの炎を燃え尽かせようとしていたのだ。
そして、そのために人間たちを扇動し、そのどさくさに紛れてエンディミアンの科学者を殺し、人間たちの暴動は魔人の研究の責任者であったラインディルトに被せようとした。
だから、それをしったエヴァンシェッドは自らサンタマリアを止めに、そして、俺にはラインディルトが利用されることのないように見張りにつくよう命令したのだ。
―――なのに、ラインディルトは全てを知っていたのか?
燃えるように赤いラインディルトの瞳に映る俺は驚きと混乱に情けなく歪み、それをいつもなら皮肉な笑みを浮かべて見ているはずのラインディルトが今日この時に限っては些かの余裕も見せずして真剣な様子しか見せない。
それが千年も前から仲間のはずの男を見知らぬ人物のように思わせて、俺は言いようのない焦燥感にとらわれた。
何でもいいラインディルトから何か俺の中に湧きあがるその不安を払拭するような言葉が聞きたかった。
「お前には関係のない話だ。」
だが、ラインディルトからから出たのは俺を突き放すような抑揚のない一言。
「ら・・いん」
そして、呆然とする力の抜けた肩のつかんでいた俺の手も振り払うと、瞳同様に赤く燃えるような翼でふわりと夜の闇に舞い上がる。
追いつかない思考能力のせいで一瞬だけフリーズして固まった俺だったが、すぐにそれを追う。
関係ないと言われようが、このままラインディルトを見失ってはいけないと俺の本能が告げていた。
しかして、体力だけでは負けるつもりはなかったが、飛び上ったと同時に瞬間移動の魔法を発動させていたらしいラインディルトは彼を掴もうとした俺の手をすり抜けて一瞬にして夜の闇に溶けて消えてしまったのだ。
もしかしたら、白き神の御許で人間たちの暴動を止めに行ったのかもしれない・・・、俺なら今すぐそうしたいと、そう願いたいと思うことが闇と何も語らぬ壁だけしかない場所ですぐに思い浮かぶ。
だけど、俺の直感はそれは間違いなくないだろうと告げていた。
だって、白き神の御許に戻るというのなら、また、すぐに会うことになるというのであれば、あんなことは告げないだろう?
「俺は『あの方』のために千年前から止まっていた時を動かしに行く・・・しばしの別れだ。息災にな、シェルシドラ。」
そして、時と場所は現在に戻り、天近き城の人気のない廊下でジグラッドと剣を突き合わせている俺は、未だにあの時から続く混乱から脱出しきれてないのだろう。
あの時から釈然としないモヤモヤとしたものが頭の中に居座り続けて、何をやってもすっきりしないし、ついていないことばかりだ。
サンタマリアはあれから全く元気がないし、罪人の巡礼地では白き神を取り戻せないわ、神の子なんて厄介事は増えるし、エヴァンシェッドにはあたってしまうし、こんな所でジグラッドとやりあってるし・・・と、まあ言っていると際限がなくなるっ!
その感情のままにつき合わせた剣を思いっきり振り払う。
高い天井に響き渡る金属音が耳触りも、いきなり剣を突きつけ合った俺たちにオロオロするだけのヴェルトラスにも、いきなり本気モードの俺に若干目を見張っているジグラッドにも一々苛ついた。
もう、何もかも忘れるように思いっきり暴れまくりたかった。
「まあまあ、そういきりたたんといて下さい。」
なのに、妙に間の抜けた緊張感のない声が聞こえたと思った瞬間に、俺とジグラッドの間に人影が現れ、二つの剣はその人影によって止められた。
一応は天使の中で最強と言われているのだ(自分で言うのもあれだが)、そうそう簡単に剣を止められるのは不本意な気分だったが、その人影を認めてその気分は消えた。
「エ・・ンリッヒ?」
それは先の暴動で怪我をしたために、実戦を退いていたジグラッドの所の副師団長であり、同時にサンタマリアの孫のエンリッヒだったのだ。
「実家に帰っていたのではなかったのか?」
ジグラッドも突然の部下の登場に驚きを隠せないようで、俺がいるのも忘れて戸惑った表情を浮かべている。
「団長たちがすぐにドンパチ始めるんで、おちおち休めませんわぁ。ほらほらさっさと剣を収めてくださいな。ヴェルトラスも怯えてますやろ?」
独特のイントネーションとテンポは張り付いたような明るい笑顔も相なって、いつも場の雰囲気を和ますというか、どうにも緊張感に欠ける。
だが、俺は昔のエンリッヒがこんな話し方をしなかったことを覚えている。
―――そして、こんな話し方をしていたのが彼の叔父であるハインであることも・・・
何が彼を変えたのか聞いたことがあるわけじゃないが、エンリッヒが突如として叔父であるハインを倣うようにしだしたのはハインが死んだ頃からだと記憶している。(まあ、容姿については昔から似ていたが)
そして、それに反応するように塞ぎこんでいたサンタマリアが元気になったことも俺は忘れていない。
―――思えばあの頃からサンタマリアの中で何かが狂いだしていたのかもしれない
まあ、そんなことを今更俺が言ったところで何がどうなるわけでもないのだが、こうしてハインに瓜二つの姿に成長したエンリッヒを見ると何とも言いようのない感情にとらわれた。
―――同時に本来は『ありえない』天使の成長に、俺は『サンタマリアの家系』を見るたびに言いようのない違和感に襲われる
「ぼーとしてお疲れでっか?」
「うわっ」
しかして、そんな俺の感慨はいきなり覗きこまれたエンリッヒのドアップによって霧散する。
「人の顔見て叫ぶなんて失礼でっせ?あはは」
そういって笑っているエンリッヒの後ろでは、気分が削がれたのか剣を鞘に納めているジグラッドの姿が見えて、俺もバツの悪さを感じながらそれに倣う。
「怪我はいいのか?」
「はい。ヒロさんは甘いお方でっから、元々大した怪我じゃなかったんですわ。罪人の巡礼地での作戦に参加しなかったことが申し訳ないくらいで・・・その際は申し訳ありませんでしたぁ。」
「ヒロ?」
怪我が大したことないのはいいことだが、聞きなれない名に俺もジグラッドも眉を顰める。
「わいを倒した黒の一族の名前ですわ。」
そういえば話には聞いていたが名前までは聞いていなかった。
サンタマリアの話じゃ天近き城から落ちて死んだということだったが・・・まあ、俺には関係ないかと納得して話を流そうとしたが、次のジグラッドの言葉に思わずむせた。
「ああ、あの男の『男の恋人』とやらか。全く節操のないことだ。」
「はあ?そんな根も葉もない噂、信じてるのか?」
確かに数週間前まで自宮に男のアーシアンを囲っているとかで(確かに女関係には目を覆いたくなるようなエヴァンシェッドではあったが)、前代未聞の万象の天使の男色?!騒ぎとなり俺もビビったものだが、様子や話を聞いた分にはそんなことは微塵もなかった。
それにそのアーシアンもいなくなった訳だし、そんな噂は本当に今更といえば今更の話なのだ。
「だが、俺の部下の話だと罪人の巡礼地でもそのアーシアンを目の前にしたあの男の様子はおかしかったらしいが?」
「・・・まじかよ」
聞いていなかった事実に俺は戸惑いうというよりは半分呆れたような気分になったが、それに過剰反応したのがそれまで笑顔を張りつかせていたエンリッヒだった。
「それほんまでっか?」
笑顔が消え、低くなった声にジグラッドも不思議な顔になる。
ジグラッドとてエヴァンシェッドや俺に対する当てつけでアーシアンのことを言い出しただけで、まさかエンリッヒが反応するとは思っていなかったのだろう。
しかして、エンリッヒはジグラッドの返事を聞く前に、俺たちから視線を外すと先まで俺が中にいた神の霊安室に向かって歩き出した。
「ば・・・やめろ、エンリッヒ!今、中にはエヴァンシェッドがっ」
先からまだそう時間がたっているわけじゃない。
俺は当然のように彼を止めたが、それをはねつけるようにエンリッヒは強い口調で言った。
「わいはそのエヴァンシェッド様に用があるんですわ。」
久々のエンリッヒ登場!シェルシドラが触れたエンリッヒの過去などについては、第二部の閑話の方に詳しい話がありますので気になりましたら御覧くださいませ。