第91話 世界は偽りに彩られ 3
あんな風に声を荒らげるエヴァンシェッドを見るのは久しぶりだった。
美しい男の激昂する姿というのは迫力があり、部屋を出た今も俺の小さな心臓はバクバクと大きな音をたてると同時に何とも言いようのない感情にキュッと縮んだ。
でも、それは決してエヴァンシェッドに驚いただけじゃない。
加えてアイツがあんな顔をすることすら俺が忘れていたことに気がついたから・・・いや、アイツに全てを押しつけて俺たちがアイツに感情を露わにするということを忘れさせてしまったことに気がついたから。
だけど、それを分かっていながら大きな扉の閉じられた先、神々が眠る部屋の中で何かを耐えるようにじっとしているアイツに俺がしてやれることは何一つない。
そんな自分が酷く小さくて情けない存在に思えた。
―――千年以上生きていても俺は何一つ成長していない
<SIDE シェルシドラ>
「シェルシドラ、あの男はこれからどうするつもりなんだ?」
しかして、そんな風に誰もいないはずの廊下でやりきれなさに苛まれていた俺を現実に引き戻したのは気持ち悪いくらいに野太い声。
いくら男でもこんなに低くて迫力のある声を持っている人物には、千年生きていてもたった一人しか会ったことがない。
だから、声の主が誰かはすぐに分かった。
そして、同時に声の主が『あの男』と酷くぞんざいに吐き捨てるように告げた人物にも見当がつく。
「仮にも天使の長に対してその言い草はないだろう?」
―――そう、『あの男』とはこの扉の先で全ての天使たちの生命という重い重責に一人耐えるエヴァンシェッド
「俺はあの男を自分の上に立つ存在だとは、ただの一度とて思ったことはない。天使の王家に仕えし俺の上には王族がいるのみ。それを勝手に捻じ曲げたのはお前らだろう?」
―――そして、それに真っ向から反抗するのは天空騎士団第二師団師団長ジグラッド
ジグラッドはずっとずっと昔、エヴァンシェッドが天使の長になった時から、エヴァンシェッドにというか俺達神と契約せし天使に対してこんな態度だった。
もういい加減、聞き飽きたといってもこの男の態度は変わらない。
こいつは『天使の王家』を壊した俺たちを恨み続けているのだ。
そして、彼がそれほどまでに拘りつづけている『天使の王家』とは何かと問われると、簡潔にいえばそれは神々が勝手に定めた天使の偽りの長。
増えた奴隷を管理するための神々が定めた仮初の王。
しかして、神々の奴隷から脱するためにそれを壊したのは確かに俺達、神と契約せし天使かもしれない・・・
「だが、俺たちは別に天使の長になりたかったわけじゃない。ただ自由を得るために戦った結果、全ての天使たちが俺たちを長だと認めたにすぎない。それはお前だって分かってるだろ?」
例えもう何物にも囚われない自由を手にしたとしても、誰しもが何らかの指標がなくては道を見失ってしまう。
その指標となった人物が潰れそうなほどの重圧に苦しむことになると知っていても、人はそれがなくては不安で不安でどうにかなってしまうのだ。
だから、神という支配者が消えた瞬間に天使たちがエヴァンシェッドという新たなる指導者を求めたこと、それは極めて自然な流れ。
そして、ジグラッドとてそれを知らないはずはないのに、それでもこの男は強情を張り続けるのだ。
「それでも俺から、王家という生きがいを奪ったのは紛れもなき事実。全ての天使がお前たちを認めようと俺が貴様らを認めることは一生ない。」
―――まさしく『頑固者』、ジグラッドにはその言葉しか当てはまらないだろう
そして、神に与えられた王家に従う一族というポジションが未だに彼を縛っている。
実際、尊き血の天使なども王家と神という縛りがなくなった今でも存在しているくらいなのだ。(それも、そもそも神が定めた天使の階級だ)
神の支配下が消えても、天使たちは未だにそれに縛られている現実は正直言えば否定できない。
それは人間という記憶を消された『天使』という名の生物にとっては、生まれながらに刷り込まれた潜在的なものであり、俺たちが躍起になって消そうと試みても消せない存在。(まあ、元は人間だって他の天使たちは知らないのだが)
だが、それでも俺たちの努力も全くの皆無ではないのか、天使たちの大半は現在の体制を受け入れつつあり、ジグラッドの後ろにいた年若い天使の方はそんなジグラッドの方にオロオロとして彼を諌めようと、ここで初めて声を発した。
「あ、兄貴、やめろよ?こんな所で喧嘩を売らなくてもいいだろ?」
ジグラッドと違いひどく自信なさげで気弱な声、彼の後ろにずっといたのに些か存在感に欠ける影の薄い男。
俺はその男に声をかけた。
「やあ、ヴェルトラス。」
「お、お久しぶりですっ。シェルシドラ様。」
それに対して慌てて恐縮したようにオドオドと俺に挨拶を返すヴェルトラス。
実はジグラッドの実弟である彼は天空騎士団の団員の一人で、ちなみに俺が長を務めている第一師団に所属しており、この頑固兄とは違い俺たちにも敬意を払ってくれる気は小さいが礼儀正しい天使。
だが、頑固兄はそれが気に入らない。
「ヴェルトラス。『様』などとつける必要はないと言っているはずだ。こいつらは王家を滅ぼしたたかが平民出の天使にすぎない。」
そう言って、弟とはいえ威圧感のある声で弟まで脅す。
そういえば、この男は弟が俺の部下になることにも酷く嫌悪感を丸出しにして俺に食いかかっていたものだ。(そのくせ第二師団の師団長としてサンタマリアの部下になることには、別の事情があり何も言わなかったが)
彼にとっては天使の中でも庶民出の俺達と対して、王家の近衛として選ばれたというプライドがあったのだろうが、何度も言うがもうそれはあまりに時代錯誤な考え方。
何が正しいかなんて、正直、そんなに頭が良くないと自覚している俺に判断できるはずがない。(神と契約せし天使の中でも、他の3人と違い俺だけは肉体労働派で、三人の言う通りに動いていただけという自覚はある)
でも、どんなに過去を振り返り、それを望んだところで何一つそれが戻ってくるわけではないんだ。
ならば過去のことをどうこうと論じる前に、こんな現状の中では今をどうするか考えるべきはそれじゃないのか?
―――そして、アイツは、エヴァンシェッドはそれを思い悩み、過去と戦い今も一人で戦っているというのに・・・
そう思うとそれまで感じていた自分に対する無力感に、ジグラッドに対する苛立ちが加味され自分の中でムクムクと怒りに似た感情が成長し、ジグラッドに殺気じみたものが湧いて出た。
まあ、実を言えばこの男とと話していると、いつもそんな感じになっている自分がいる。(ジグラッドと話していると、その言葉に対する理不尽さと自分に対する無力感は勿論、それに対して何一つうまい言葉を返せない自分に対する怒りが爆発してしまうんだ)
しかして、エヴァンシェッド達はそれを交わすすべをもっているらしいが、単純な俺がそんな器用なことをできるわけがなく、結果としてジグラッドと話しているといつの間にか剣を抜いている自分がいる。(気がつくと喧嘩というには物騒なぶつかり合いが始まって、それを副師団長たちに必死で止められたりしている)
「いい加減にしろ。」
そして、今日もそれから漏れることなく、いつもどおり自分でも大層な殺気だと思わせる気を纏ってジグラッドを威嚇していた。
対してジグラッドもそれが当たり前だと言わんばかりに、それに応じて殺気をこめて俺に向かって剣を構える。
こんな風にこれまで千年間、同じ天空騎士団の師団長同士だというのに俺とジグラッドはこうして剣を交わらせてばかり。
俺達神と契約せひ天使を受け入れられないジグラッドと、その言葉を受け流しきれない俺の交わらない平行線が剣を交わらせ戦いを呼ぶ。
ただ、それでもそれが副師団長たちに些かの迷惑を掛けているという以外には大事になっていなかったのは、ジグラッドが唯一の主人と崇めている天使の王族の生き残りのラインディルトが神と契約せし天使の一人だからで・・・それがいなくなった今、奴の中の感情を留める存在は何一つないのだ。
そして、いつも以上にジグラッドが殺気立って妙に喧嘩腰なのも、未だにラインディルトの消息が不明だということが原因だろうことは明らかだった。
かくして、そこまで回らない頭でようやくたどり着くと、俺の頭の中に贖罪の街の人間たちを筆頭に天使の領域で人間たちが起こした暴動にまぎれ、ラインディルトが俺の目の前で忽然と姿を消した時のことがありありと思い出された。
少し短めの初シェルシドラ視点の話になりますが、ここらで色々あいまいになってきた天使たちの事情とかを、整理できたらと思っています。なので、過去の部分を遡る感じで話にはあまり動きはないかと思いますがご容赦くださいませ。
さて、所で第一部でヒロが天近い城に訪れたとき、エンリッヒ達が急いで何処かに行ってしまい、ヒロを一人にした場面がありましたよね?それは実は今回みたいにジグラッドとシェルシドラが喧嘩を始めて、それを止めに行ったという裏設定があったりします(笑)細かい部分ですが、もしお暇でしたら振り返ってみてください。